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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手の帝国:エジプト駐留英軍
2013-08-22 Thu 08:35
 報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年9月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」は、今回はここのところ混迷が続き、連日メディアに登場しているエジプトを取り上げました。その記事の中から、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト駐留軍用割引切手カバー・切手部分     エジプト駐留軍用割引切手カバー

 これは、エジプト駐留の英軍関係者用の割引切手の使用例です。

 1869年にスエズ運河が開通した当時のエジプトは、名目的にはオスマン帝国の宗主権を認めつつも、実質的にはムハンマド・アリー朝として独立していました。

 ところが、運河の建設は当時のエジプトの国力をはるかに超える大事業で、1876年に国家財政は破綻し、英仏など列強諸国の管理下に置かれることになります。これに対して、1881年、外国人による経済支配への抵抗としてウラービー運動が発生すると、1882年、英国は軍隊を派遣してこれを鎮圧し、エジプトを占領しました。

 1914年、第一次大戦が勃発し、オスマン帝国がドイツ側に立って参戦すると、英国はエジプトをオスマン帝国から完全に分離させるため保護国化してしまいます。このため、第一次大戦が終わると、エジプトの民族主義者は、英国のエジプト支配を終了させ、講和会議にエジプト代表を派遣することを認めるよう、英国当局に要求しました。しかし、英国がこれを認めなかったため、憤慨した市民は激しい反英独立運動を展開。そこで、1922年2月22日、英国はエジプトの直接支配を断念し、独立を承認する代わり、親英政権を育成して、英軍の駐留を継続させ、実質的に権益を確保する方針に転換しました。

 エジプト駐留英軍に関しては、切手や郵便に関してもいろいろと興味深いモノが残されているのだが、中でもユニークなのが、今回ご紹介の駐留英軍の関係者を対象にした割引郵便とその切手でしょう。

 この制度は、1932年から開始され、利用者は駐屯地のNAAFI(Navy, Army, Air Force Institute。英軍の福利厚生を担当する機関)で専用の“切手”を貼って郵便を差し出すと、通常よりも割引料金で送ることができるというもの。切手は横長で、当初はNAAFIの紋章を描くものでしたが、後に、今回ご紹介のモノのように、エジプトらしくスフィンクスを描くデザインに変更されています。また1935年には、国王ジョージ5世の在位25年を記念した“ジュビリー(Jubilee)”加刷の切手やクリスマス加刷の切手も発行されています。

 切手は郵便物の裏側に貼り、英軍駐屯地の軍事郵便局に差し出し、英軍の担当者が菱形の消印を押すことになっていました。左側の画像は、その切手と消印の部分です。その後、軍事郵便局では、封筒の表面に王冠をあしらった“郵便料金前納済”の印を押してから、郵便物をエジプト郵政に引き渡し、そこから先は通常の郵便物と同様の扱いで処理されます。英軍関係者が家族・関係者との連絡用に使うためのサービスという建前のため、原則として、英国およびアイルランド宛のみの取扱でした。

 こうした駐留英軍の割引郵便制度は、1936年に両国間で新たな同盟条約が結ばれ、駐留英軍の規模が縮小されたことで、エジプト郵政の制度に吸収され、同年2月29日(閏年)限りで“BRITISH”の文字が入った切手は発売停止となり、3月15日以降は切手として無効とされました。

 なお、その後も英軍はエジプトに駐留を続けたため、軍事郵便局も維持されましたが、ナセルによる革命後の1954年10月、英軍の完全撤退に伴い、その役割を完全に終えています。


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 エジプト人民議会選はじまる
2011-11-28 Mon 23:04
 エジプトで、2月のムバラク前政権崩壊後初めてとなる人民議会(下院)選挙の投票が、きょう(28日)から始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        エジプト・列国議会同盟(1947年)

 これは、1947年4月7日から13日までエジプト・カイロで行われた第36回列国議会同盟会議の記念切手で、会場となったエジプト議会の議事堂(人民議会議事堂)が描かれています。

 エジプトの議事堂は、同国の1923年憲法で初めて近代議会が樹立されたのに伴い設けられ、1924年3月15日の第1回上院議会から議事堂として用いられました。議事堂の中央ホールは2階建てで高さ30メートル。直径22メートルのドーム型の屋根にはガラスがはめ込まれています。

 さて、ムバラク前政権の崩壊後、軍による暫定統治が行われているエジプトでは、きょうから始まった選挙が全国を3地域に分け、地域ごとに来年1月10日まで行われ、そこから3月に新議会が招集されて制憲委員会が憲法草案を策定。最終的に6月末までに大統領選挙が行われ、民政移管という段取りになっています。

 しかし、軍政の即時停止を求める大規模なデモが繰り返されていることにくわえ、選挙では、ムバラク時代に弾圧されてきたムスリム同胞団系の自由公正党などイスラム勢力が大幅に勢力を伸ばすことが予想されており、追い詰められた軍が何らかの形で民主化の進展にブレーキをかけてくる可能性も否定できません。仮に、軍が民主化プロセスに介入しなくても、イスラム勢力が制憲議会で大きな発言力を持つようになれば、良くも悪くも従来の体制を大きく変革せざるを得なくなるわけで、憲法草案の審議にも予想以上の時間がかかるのは必至と思われます。

 いずれにせよ、今回ご紹介の切手の建物が、字義通り“人民議会”としてきちんと機能するようになるまでには、まだまだ前途多難といえそうですな。


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 試験問題の解説(2008年2月)-4
2008-02-05 Tue 12:50
 一昨日の記事でも書きましたが、昨日(4日)、僕が都内の某大学で担当している『中東郵便学』と題する授業の試験をやりました。今回は、切手を使った問題を3問出したのですが、そのうちの1つは、この記事を見ていただければポイントはお分かりいただけると思いますので、今日・明日で残りの2問についての解説を書いてみましょう。

 今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)が発行された背景について説明せよ」という問題をとりあげましょう。

 エジプト・ガザ占領

 これは、1948年6月15エジプトが発行したガザ“到着”の記念切手です。

 1948年5月14日、パレスチナにおけるイギリスの委任統治が終了するのにあわせて、テルアビブの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、「ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による」とするユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言します。

 これに対して、歴史的にも、現実の人口という点でもパレスチナはアラブのものと主張し、シオニスト国家イスラエルの独立を認めない周辺のアラブ諸国(エジプト、トランスヨルダン、レバノン、シリア、イラク)は、イスラエルに宣戦を布告。こうして、イスラエルとアラブ諸国との第一次中東戦争が勃発しました。

 もっとも、イスラエルに宣戦布告したアラブ諸国には、純然たる“アラブの大義”のみから参戦したわけではなく、混乱に乗じて自国の権益を拡大しようという意図があったのは紛れもない事実です。このうち、エジプトは、開戦と同時に隣接するガザ地区を占領し、自国領に編入しています。そして、ガザがエジプトの支配下にあることを内外に誇示するため、占領当日の5月15日から、本国切手に英語とアラビア語で“パレスチナ”と加刷した切手(ただし、クリック先の画像は王制時代のモノではなく、革命後のモノですが)を発行して使用しています。このことは、エジプトが、第1次中東戦争の勃発を見越して、開戦後、ガザをただちに占領するプランを立てていたことをうかがわせるものといってよいでしょう。

 今回の記念切手もこうした文脈で発行されたモノで、当時のエジプトがガザ占領の正統性を国際社会(特にアラブ世界)に認知させるため、国家のメディアとしての切手を活用していたことがわかります。

 結局、第一次中東戦争は、1949年2月23日、イスラエルとエジプトの間で休戦条約が調印されたのを皮切りに、3月23日にはレバノンが、4月3日にはトランスヨルダンが、7月20日にはシリアが、それぞれ、休戦条約を調印。これら各国とイスラエルとの停戦ラインが事実上の“国境”となり、イスラエル国家の存在は実質的に認知されることで決着します。

 一方、旧英領パレスチナのうち、アラブ軍団(実質的にはトランスヨルダン)の占領下に置かれていたヨルダン川西岸地区では、現地の親ヨルダン派のパレスチナ人指導者が死海北西岸のイェリコで「パレスチナ・アラブ評議会」を開催。トランスヨルダン国王アブドゥッラーを“全パレスチナ人の王”とし、彼に対して西岸地区のトランスヨルダンへの併合を要請する決議を採択するという手続きを経て、休戦協定成立後の1949年6月、トランスヨルダンはヨルダン川西岸地区と東エルサレムを併合し、新国家“ヨルダン・ハーシム王国”の建国を宣言することになります。

 こうした戦争の結末は、その契機となった1947年11月の国連決議第181号と比べてみても、はるかに大きな犠牲をアラブ側に強いるものでした。

 すなわち、国連決議ではパレスチナを分割し、アラブ国家とユダヤ国家を創設することになっていましたが、アラブ国家は実際には創設されず、イスラエルのみが成立しました。また、エルサレムを国連の信託統治下に置くというプランも、東西エルサレムがイスラエルとヨルダンによって分割されることにより、実現されないままに終っています。さらに、こうした決着は、問題の当事者であるはずのパレスチナ人を無視して決められたことも、将来に禍根を残すことになりました。

 いずれにせよ、それぞれのアラブ諸国は彼ら自身の国益を考慮して動いているわけであって、そうした現実の前には、イスラエルのみならずアラブ諸国もパレスチナを抑圧する存在になりうるのだということは覚えておいて損はないでしょう。

 さて、試験の解答としては、①第一次中東戦争についての説明があるか、②混乱に乗じて、エジプトがガザを占領し、自国領として編入したことが説明できているか、③戦争の結果がパレスチナ人に多大な犠牲を強いるものであったことを説明しているか、といった点がポイントになります。
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