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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シナイ半島で235人死亡のテロ
2017-11-25 Sat 15:21
 エジプト北東部、シナイ半島北部アリーシュ近郊で、きのう(24日)、イスラム武装勢力が爆弾と銃でモスクを襲撃。この記事を書いている時点で235人が死亡し、109人以上が負傷しました。エジプトでのイスラム武装勢力による襲撃事件としては過去最悪規模の被害だそうです。というわけで、亡くなられた方の御冥福と、負傷された方の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・シナイ半島返還

 これは、1982年にエジプトで発行された“シナイ半島解放”の記念切手で、半島の地図にハトとオリーブが描かれています。

 シナイ半島は、16世紀以降、ながらくオスマン帝国の支配下にありましたが、1805年に成立したエジプトのムハンマド・アリー朝は1840年までに半島を実効支配下に置き、その後は、エジプトの領有権が確立されました。

 1956年の第二次中東戦争に際しては、イスラエル軍により一時的に占領されましたが、戦後はエジプトに返還されます。しかし、1967年の第三次中東戦争で再びイスラエルに占領されました。

 このため、1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、シナイ半島奪還を目指して、シリア大統領ハーフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。

 戦争計画の策定にあたっては、サダトとアサドは、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針を確認。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されました。

 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第四次中東戦争の火ぶたが切って落とされます

 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機五十機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなります。

 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転します。

 ところが、翌17日、アラブ産油国10ヶ国が米国とイスラエル支援国に対する原油輸出の5パーセント削減を発表すると同時に、同6ヶ国が原油価格の21パーセント引き上げを決定。さらに、イスラエル軍が1967年の第3次中東戦争以前の境界線まで撤退しない限り、以後、毎月5パーセントずつ原油生産を削減すると発表しました。いわゆる(第一次)石油危機の発生です。

 10月20日、サウジアラビアが米国に対する石油の全面的な輸出禁止を発表すると、イラクをのぞくアラブ産油国の全てがこれに同調。アラブ諸国から米国とオランダ(米国のイスラエル軍事援助に際して国内の空軍基地使用を許可したことから、アラブ諸国から「敵」と認定されていました)への石油の輸出が全面的に停止されました。アラブ諸国の強硬姿勢に接してパニックに陥った西側諸国は、自国の経済を防衛するため、イスラエルとの友好関係を見直すようになります。

 ところで、戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプト(サダトによる軍事顧問団の追放後もソ連はエジプト領内の基地使用権を保有していました)とシリアが第三次中東戦争に続いて大敗することで、中東におけるパワーバランスが大きく崩れることを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得しました。

 これに対して、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを(本音の)戦争目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示します。一方、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルの説得に成功しました。

 こうして、10月22日の国連安保理において、関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、同25日、停戦が成立します。

 第四次中東戦争の停戦の成立を受けて、1973年12月22日、米ソ両国の主導によりジュネーヴで中東和平会議が開催されました。

 会議の席上、米国務長官キッシンジャーはスエズ運河周辺とゴラン高原でアラブ、イスラエル両軍の兵力を引き離すための協定締結に向けて合同委員会を設置することを提案。これを受けて、1974年1月18日、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が調印されました。

 シナイ半島奪還という目標が外交努力によって徐々に達成されつつあるのを確認したサダトは、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第二次兵力分離協定を調印。さらに、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問し、イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにします。これを受けて、同年12月、返礼のため、イスラエル首相のベギンもカイロを訪問し、エジプト=イスラエル間の関係は急速に改善されていきました。

 このように、第四次中東戦争停戦後、サダトが展開してきた一連の対イスラエル外交は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったもので、イスラエルの存在そのものを容認しないという“アラブの大義”に照らして絶対に許容されえないものでした。このため、サダトはアラブ諸国から激しい非難を浴び、シリア、アルジェリア、リビア、南イエメン、リビアがエジプトと断交します。

 そして、1978年9月17日、いわゆるキャンプ・デイヴィッド合意が成立。この合意では、シナイ半島の返還に関してはエジプトの主張が大幅に認められており、両国間の平和条約調印も定めていましたが、ヨルダン川西岸とガザ地区のイスラエル占領地に関しては「パレスチナ人の統治について協議を開始する」とされたものの、実質的に、イスラエル軍の駐留継続を追認する内容となっていました。

 このため、キャンプ・デイヴィッド合意は、自国の利益のためにパレスチナをイスラエルに売り渡したものとして、エジプトを除く全アラブ諸国から激しく非難され、エジプトは周辺諸国から完全に孤立。1981年10月6日、サダトは、“第6回1973年10月の勝利記念パレード”を閲兵中、イスラム原理主義組織“ジハード団”のメンバーだったハリド・イスランブーリーによって暗殺されました。

 一方、シナイ半島はキャンプ・デイヴィッド合意の後、1982年までに、数段階を経て、エジプトに返還されています。

 エジプトへの返還後のシナイ半島は、軍事的な要地ではあるものの、経済開発や住民のための行政サービスは不十分なままの状態が続いています。このため、治安状況も不安定で、2004年にタバ、2005年にシャルム・シェイク、2006年にダハブで外国人観光客を狙った爆破事件が発生。2011年の革命の後はさらに治安が悪化し、過激派組織が、天然ガスのパイプラインの破壊、イスラエルに対する越境攻撃、エジプト軍と警察に対する襲撃といった武装闘争を展開しています。 

 なお、シナイ半島奪還をめぐるサダトの動きについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は30日!★★

 11月30日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月1日に予定されているパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化にちなんで、ガザ地区の歴史についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 カイロ大学をつくった女性
2016-08-01 Mon 09:37
 舛添要一前知事の辞職に伴う東京都知事選が、きのう(31日)、投開票され、無所属で新人の小池百合子元防衛相が初当選を果たしました。小池新知事といえば、カイロ大学卒業という日本では異色の経歴の持ち主ですので、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・カイロ大学80年

 これは、1998年にエジプトで発行された“カイロ大学90年”の記念切手で、大学の建物と大学の設立に尽力したファトゥマ・イスマーイールの肖像が描かれています。カイロ大学に関する切手は何度か発行されていますが、今回は、初の女性知事誕生という話題に合わせて、女性の肖像を大きく描いたこの切手を持ってきました。

 カイロ大学の前身は、1908年、スンナ派イスラムの最高学府とされるアズハル学院に対する世俗教育の総合大学として設立された私立エジプト大学です。その後、同大学は1925年に文・理・法・医学部から構成される国立大学となり、後に工・農・商学部が加わりました。1940年にフアード1世大学に改称され、共和革命後の1954年に現在のカイロ大学と改称されています。

 切手に取り上げられているファトゥマ・イスマーイールは、1853年、イスマーイール・パシャの娘として生まれました。父親のイスマーイールは、ムハンマド・アリー朝エジプトのエジプト総督(在位:1863-67年)、ついで副王(在位:1867-79年)だった人物で、スエズ運河の建設など、エジプトの近代化に尽力したものの、そのための巨額の出費によって対外債務が増大、1876年にはエジプト財政の破綻を招いて列強の管理下に置かれ、1879年には退位を余儀なくされました。

 こうした状況でしたから、1907年にエジプト大学創設の計画が持ち上がった時も、エジプト政府には十分な財源がなく、計画の実現は困難と見られていました。

 こうした状況を見かねたファトゥマは、自分の宝石と邸宅に隣接する土地(その場所には、現在、エジプト農業省の庁舎が建っています)を処分して大学設立の資金を拠出したほか、その後も、1920年に亡くなるまで、大学の運営委資金に多額の寄付を行鵜など、大学の運営をサポートし続けました。切手に描かれた彼女の肖像が、宝飾品を身に着けた姿になっているのは、その宝石が大学の原資(の一部)になったことを表現したもので、彼女の肖像の上下には「プリンス・ファトゥマ・イスマーイールは大学の創立に貢献した」とのアラビア語の文言も入っています。


 ★★★ 新作 『リオデジャネイロ歴史紀行』 初売りのご案内 ★★★ 

 ・8月6日(土) 09:00- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。

 新作『リオデジャネイロ歴史紀行』の奥付上の刊行日は8月9日ですが、8月3日頃には現物ができあがってくるとの連絡がありました。そこで、さっそく、同書を中心に拙著を担いで行商に行きます。実物の販売は、この日が初売りとなる予定です。ぜひ遊びに来てください。


 ★★ 内藤陽介の最新刊  『リオデジャネイロ歴史紀行』  8月9日発売! ★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!

 発売元の特設サイトはこちらです。


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 コプトの切手
2015-02-16 Mon 23:34
 “イスラム国”を自称する過激派組織ダーイシュが、きのう(15日)、リビアで人質にしていたコプト(エジプトのキリスト教徒)の労働者21人を殺害したとする動画をネットに公開したことに対して、エジプト軍は、きょう(16日)、リビア国内のダーイシュ関連組織の拠点を空爆しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます。なお、ダーイシュの呼称については、こちらの配信動画で詳しくご説明いたしましたので、ぜひ、ご覧ください)

       エジプト・カイロのコプト地区

 これは、2004年にエジプトがカイロのコプト地区を題材として発行した切手です。

 コプトは、もともとはアラブ化される以前の古代エジプト王国の流れを汲むエジプト先住民のことですが、次第に、キリスト教の一派と結びついた概念となりました。

 すなわち、伝承によれば、西暦42年頃、マルコがアレクサンドリアにキリスト教会(アレクサンドリア教会)を建立したのがエジプトにおけるキリスト教の始まりとされています。

 451年のカルケドン公会議の後、キリスト教会は、「キリストは神性と人性という二つの本性を持つ」とするカルケドン派(両性説。現在のキリスト教多数派)を正統とし、「受肉によってキリストの人性は神性に融合されて一つの性=神性となった」とする単性論派を異端として排除しました。この時点では、エジプト先住民という意味でのコプトは双方の教会に属していましたが、もともと、エジプトでは単性論派が有力だったことに加え、641-42年にムスリムがエジプトを征服すると、東方正教会系のコプトはエジプトから逃れていきました。この結果、コプトは、エジプトの単性論派キリスト教会(ただし、彼ら自身は単性論派と呼ばれることを忌避しています)の信徒を指す言葉として使われるようになり、現在に至っています。

 現在、エジプトにおけるコプトの割合は人口(約8000万人)の5%程度というのが公式の数字ですが、実際には、1割程度いると推定されており、その中には、国連の事務総長を務めたブトロス・ブトロス=ガーリ―を始め、有力者も少なくありません。また、現行のエジプト憲法は“信教の自由”を保障しており、制度上、ムスリムとコプトの間で差別は無いことになっており、2007年には「ムスリムは自由に改宗することができる」とするファトワー(宗教令)も出されています。

 ただし、実際には、コプトはエジプト国内においては圧倒的な少数派であり、ムスリムからコプトへの改宗は現実の問題としてほぼ不可能です。また、2011年1月1日にはアレクサンドリアのコプト教会前でイスラム過激派によるテロ事件も発生しました。このため、エジプトのメディアは、社会的な安定のためにも、コプト側が少数派として差別されていると訴えている現状につき、政府は改善を行うべきであると提言しています。

 今回の一件は、エジプト政府として、コプトもエジプト国民の一員であり、国民に害をなす犯罪者集団のダーイシュに対しては断固とした措置を取るという姿勢を示したもので、リビア政府軍との共同作戦です。

 エジプトは、これまで、米軍主体の有志連合によるシリア・イラクでの対ダーイシュ空爆に参加してきませんでした。このため、今回、ダーイシュの犯罪に対して直接の制裁に踏み切ったことについて、ダーイシュとの戦いがイラクとシリアだけでなく、リビアにまで拡大したものと見る論評もメディアの一部にはあるようです。

 しかし、報道によれば、すでにリビア東部にはダーイシュの訓練施設や武器庫が存在していたうえ、先月には、ダーイシュに忠誠を誓う過激派組織がホテルを襲撃したほか、今月に入ってもラジオ局を占拠するなど活動を活発化させていたわけで、その点からすると、むしろ、いままで野放しにされていたリビアのダーイシュ(ないしはダーイシュに共鳴する過激派組織)に対しても、ようやく、国際社会の包囲網がかけられるようになったと見るのが妥当ではないかと思われます。

 いずれにせよ、今後の事態の推移に注目したいところです。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 エルバラダイの切手
2011-01-29 Sat 11:27
 ムバーラク大統領の退陣を求める騒乱が続くエジプトで、きのう(28日)、イスラムの金曜礼拝に合わせた数千人規模のデモが発生。これにあわせて帰国し、デモに参加したエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長が自宅軟禁となり、同日夕、カイロ、スエズ、アレクサンドリア3市に夜間外出禁止令が出されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        エルバラダイ(2009)

 これは、2009年にエジプトで発行されたノーベル賞受賞者の切手の1枚で、2005年の平和賞受賞者としてモハメド・エルバラダイ(ムハンマド・バラーダーイー)の肖像が取り上げられています。

 エルバラダイは、1942年、カイロで生まれ。1962年にカイロ大学法学部を卒業し、エジプト外務省のキャリア外交官となり、ニューヨークとジュネーヴの国連エジプト代表部に勤務しました。1984年からはIAEA事務局に勤務し、法律顧問(1984年 - 1993年)、事務局長補佐(1993年 - 1997年)を経て、1997年に事務局長に就任。2009年まで3期務めています。

 この間、イラクの大量破壊兵器査察の問題に関わり、いわゆるイラク戦争開戦直前の2003年1月の安保理では、「核兵器開発については、1999年までの査察でほぼ無効化できた」「イラク側の態度が協力的であれば、あと数ヶ月で査察が完了する」と報告。しかし、査察期間の延長は行われず、イラク戦争が勃発したことは記憶に新しいところです。

 IAEAでの長年の功績が認められ、2005年には、IAEAとともに「原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献」を理由にノーベル平和賞を受賞しました。エジプト人のノーベル賞受賞は、1999年の化学賞のアハメッド・ズウェイル以来で、通算4人目(残りの2人は1978年平和賞のサダトと1988年文学賞のナギブ・マフフーズ)です。

 さて、今回、一躍時の人となったエルバラダイについては、長らくエジプトを離れて国外で活動していただけに、エジプト国内では民主化指導者としての適性に疑問を投げかける向きもあるようです。ただ、長年のムバーラク政権下でムバーラクに代わって広く国民の支持を得られる政治家が育ってこなかった(独裁政権の常として、有能さのゆえに権力者を脅かすような存在は“去勢”されてきたのでしょう)ことも事実です。特に、元国連事務総長のブトロス・ブトロス・ガーリーと並んで国際的な知名度のあるエルバラダイが自宅軟禁となったことで、ムバーラク政権に対する国際世論の圧力は、高まりこそすれ、弱まることはないでしょう。

 いずれにせよ、エルバラダイが今後のエジプトのキーマンの一人であることは間違いないでしょうから、まずは彼の肖像切手をご紹介してみました。

  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月28~30日(金~日) 第2回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、今年夏の国際切手展に出品予定のコレクション「昭和の戦争と日本」のパイロット版を出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 エジプト各地で暴動拡大
2011-01-27 Thu 14:32
 チュニジアでの政変の影響で、エジプトでも30年ちかく長期独裁体制を敷いているホスニ・ムバーラク大統領の退陣を求める反政府暴動がエジプト各地に拡大しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        エジプト・警察の日(2007)

 これは、2007年にエジプトで発行された「警察の日」の記念切手で、ムバーラクの肖像とエジプト国旗、警察のマークなどが描かれています。

 エジプトでは、毎年1月25日が「警察の日」として国の祝日になっています。これは、もともとは、1952年に駐留イギリス軍に対して立ち上がったイスマイリアの警官たちを称える日でしたが、1981年10月のサダト暗殺以来の超長期独裁政権の下で、治安警察の強権体質に反発するエジプト人の間では、ひそかに、ムバーラク政権のさまざまな欠点を象徴する日とされています。

 特に、ことしの場合は、先日のチュニジア政変に感化された人々がフェースブックを使って、昨年6月、アレクサンドリアの若者ハーリド・サイードが警官による押収麻薬の横流しをインターネットで告発しようとしたところ、警官の激しい暴行を受けて殺害された事件をふまえ、1月25日を「警察の日」ならぬ「怒りの日」にしようと呼びかけたこともあって、各地で抗議行動や暴動が拡大しました。

 首都カイロでは、26日も午後からムバラク大統領の退陣を求める抗議行動が数カ所で行われましたが、政府は一切のデモを禁止し、違反者は逮捕するなど強硬方針で臨んでおり、これまでに4人が死亡、300人以上が負傷し、860人が拘束されたと報じられています。

 現在、エジプトの人口は約8000万人で、現時点で抗議行動の参加者はまだ10万人に達していない模様です。したがって、ただちに政権が転覆されるということにはならないのでしょうが、アラブの大国エジプトの動揺は、チュニジアの政変とは比べ物にならないほど大きな影響を国際社会に与えることは必至です。しばらくは、エジプト情勢から目の離せない日が続きそうです。


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 1月28~30日(金~日) 第2回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、今年夏の国際切手展に出品予定のコレクション「昭和の戦争と日本」のパイロット版を出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 父子の死
2006-01-05 Thu 23:13
 今日の外信ニュースは、イスラエル首相のアリエル・シャロンが重篤との話題で持ちきりのようです。

 まぁ、シャロンの人生というのは、そのまま、イスラエルの歴史のようなところがあるので、彼の生涯に関わる歴史的事件を表現するマテリアルというのも山のようにあるのですが、とりあえず、僕のイメージの中でのシャロンといえば、彼が野党の党首だった2000年9月に武装護衛を引き連れて、エルサレムのイスラムの聖地である岩のドーム(かつてエルサレム神殿であった場所)を訪問し、「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言したことがすぐに連想されます。その後、この訪問に徴発されたパレスチナ人はイスラエル当局に対する投石の抵抗運動を開始し、いわゆるアルアクサ・インティファーダが始まりました。

 で、そのアルアクサ・インティファーダといえば、12歳のムハンマド・ドゥラと父親のジャマールが、ネッツァリムジャンクションで、イスラエルとパレスチナの衝突に巻き込まれ、イスラエル軍の弾が当たって死亡したとされる事件が有名です。この事件は、その一部始終が撮影されたビデオがCNNなどを通じて全世界に放送されたことから、全世界に衝撃を与えました。そして、アラブ諸国は、イスラエルの非道を象徴するものとして、悲劇の場面を国家のメディアである切手にもとりあげています。

ドゥラ父子

 画像はその一例で、エジプトが2000年11月に発行した“パレスチナ人民との連帯”のキャンペーン切手です。切手に取り上げられているのは、亡くなる直前、銃弾の飛び交う中で身をかがめている父子の姿で、恐怖にゆがむ子供の表情が切手全体に緊張感を漂わせています。

 ところで、この切手の元になった事件について、背後の壁に残された弾痕の形状や現場での聞き取り調査などから、父子を死に追いやったのは、イスラエル軍の弾ではなかったとする異議が一部にあるらしいのですが、果たして真相はどうなのでしょうか。

 仮に父子の死因がイスラエルと無関係のものだったとすると、事件を切手に取り上げてイスラエルを非難したアラブ諸国(の郵政)は赤っ恥をかかされたことになってしまいます。もっとも、そんなことをいっても「父子の死をもたらしたパレスチナの状況は、それじたい、イスラエルに責任があるのだから、細かいことは言うな!」といって叱られるのがオチなんでしょうけどね。

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 アラブの都市の物語:シャルム・シェイク
2005-08-11 Thu 10:20
 今日は午前中までにNHKのアラビア語講座のテキストで連載している「アラブの都市の物語」の原稿を仕上げて編集部に送りました。

 NHKのアラビア語講座の年間スケジュールは若干変則的で、4~9月はラジオでの放送、10~3月はテレビでの放送となっており、隔月刊のテキストもそれにあわせて模様替えし、僕の連載も移動します。

 今回、送ったのは9月18日までに発売の10・11月号で、7月23日に大規模なテロが起こったことで話題になったシャルム・シェイクを取り上げました。

 シャルム・シェイクは、紅海につながるアカバ湾の出口、チラン海峡の対岸にあるシナイ半島の東南端の観光地です。20世紀前半まではひなびた漁村でしたが、イスラエルが建国されると、同国と紅海・インド洋を結ぶチラン海峡の要衝として脚光を浴びるようになります。

 1967年の第3次中東戦争でシナイ半島全域を占領したイスラエルは、この地の開発を進めましたが、なかでも、紅海の自然を活かしたマリン・リゾートとしての観光開発に力を注ぎます。砂漠に囲まれた紅海は河川が流れ込まないことから水がとても綺麗で海洋生物も豊富です。ここに目をつけたイスラエルは、シャルム・シェイクを、紅海沿岸の代表的なリゾート地として育成することにしたのでした。

 その後、シャルム・シェイクを含むシナイ半島は、1982年、エジプトに全面返還されますが、エジプト政府のイスラエル時代の観光開発政策を引き継ぎ、現在では、シャルム・シェイクはエジプトのみならずアラブ世界でも有数のリゾート地として多くの観光客を集めています。

シャルムシェイク

 ここでご紹介しているのは、2002年、“シナイ半島解放20年”を記念して発行された切手ですが、そのデザインとしては、マリン・リゾートとしてのシャルム・シェイクを宣伝するものとなっており、かつての対イスラエル戦争を想起させる要素はありません。(ダイバーやウィンド・サーフィンを楽む人がイスラエル人だという可能性も否定はできませんが…)

 現在のエジプト政府にとっては、パレスチナ解放というアラブの大義よりも、まずは、外国人観光客を誘致して外貨を稼ぎ、経済状況を好転させることが優先、ということなのでしょうか。政府のそうした姿勢が、いわゆるイスラム原理主義者たちの反感を招き、外国人の多いシャルム・シェイクがテロで狙われたという面は否定できません。もっとも、テロの犠牲者は、大半が外国人ではなくエジプト人だったこと、また、主要産業である観光に大きな打撃を与えたことなどから、エジプト社会では、政府に対する不満とは別に、今回のテロ事件の犯人たちに対する厳しい処罰を望む声が大きいのも当然といえましょう。

 それはともかく、メディアとしての切手というと、どうしても、『反米の世界史 』のなかでご紹介したようなどぎつい政治宣伝のモノを連想しがちですが、切手がこういうかたちで自国の観光資源をアピールする役割こともあるのだ、ということは頭の片隅にとどめておいても良いかもしれません。
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