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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 スエズ新運河竣工
2015-08-07 Fri 12:04
 地中海と紅海をつなぐスエズ運河の一部を拡幅・複線化する“新運河”の工事が完了し、エジプト北東部イスマイリアで、きのう(6日)、竣工式典が行われました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スエズ運河会社切手

 これは、スエズ運河開通に先立つ1868年、国際スエズ運河株式会社(以下、スエズ運河会社)が発行し、ごく短期間のみ有効だった切手です。

 スエズ運河建設のプランは、1854年、フランスの元外交官、フェルディナン・マリ・ヴィコント・ド・レセップスがエジプト総督サイード・パシャに提案し、同意を取り付けたことで動き出しました。ただし、当時のエジプトはオスマン帝国の宗主権下にあり、宗主国のオスマン帝国は運河が“国境”になることを懸念し、当初は計画には反対でした。

 このため、レセップスは1854年にスエズ運河会社を設立し、その株式を売却することで運河建設に対する国際世論の注目を集め、オスマン帝国の反対を押し切ろうとします。こうして、翌1855年、試験掘削という名目で工事が始まります。その後も、運河建設に反対のオスマン帝国と英国は圧力をかけ続けましたが、フランス皇帝・ナポレオン3世が仲裁に入り、1869年、運河が完成しました。

 この間、1859年から、スエズ運河会社は運河の建設現場とアレクサンドリア、ポート・サイド、イスマイリヤ、スエズを結ぶ郵便サービスを開始。同社による郵便は、翌1860年、当時のエジプトでの開港地間の郵便事業を担っていたイタリア系の“ポスタ・ヨーロッパ”との提携も始まりました。

 ところが、1865年、エジプトの国家郵政が創業し、エジプト政府がポスタ・ヨーロッパを買収。エジプト郵政としては、郵政主権を確保するという観点から、スエズ運河会社との業務提携を解消してしまいます。このため、スエズ運河会社は、運河関係者を対象よして無料郵便を開始しましたが、その費用負担は少なくなかったため、1867年11月、同社はエジプト駐在のフランス領事の承認を受け、翌1868年7月1日以降、郵便を有料化することを決定します。

 これを受けて、スエズ運河会社はパリのシェゾー社に蒸気船を描く1c(サンチーム)、5c、20c、40c の切手(平版印刷)の製造を発注。パリで製造された切手は、1868年6月、エジプトに向けて発送されました。ただし、イスマイリヤへの切手の到着は1週間ほど遅れ、当初予定されていた7月1日には間に合いませんでした。

 しかし、郵便の有料化に対しては利用者である運河関係者の反発も強かったほか、エジプト政府も彼らの郵便活動を郵便主権の侵害として難色を示したことから、1ヵ月半後の8月16日、スエズ運河会社発行の切手は使用停止となりました。このため、現在残されている切手の大半は未使用で、実逓カバーはごく少数が知られるのみとなっています。


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 切手で世界旅行:スフィンクス
2006-12-21 Thu 00:46
 現在、時事通信社の配信用コラムとして「切手で世界旅行」という短期連載(12回分)の原稿を書いています。

 ご承知のように、時事通信社は、同社自体が新聞を発行しているわけではなく、マスコミ向けにニュースなどを配信する通信社です。というわけで、時事通信社に原稿を提出しても、それが実際にマスコミ向けに配信され、地方紙などに掲載されるのはいつのことになるのか、筆者である僕は、掲載紙を見てはじめて知るというのが実情です。

 で、つい先日、ようやく「切手で世界旅行」の掲載が『山形新聞』12月5日号から始まったということがわかりましたので、これから、折を見てこのブログでも「切手で世界旅行」の内容をご紹介して行きたいと思います。

 さて、栄えある連載の第1回目のお題は、エジプトのスフィンクスとピラミッド。というわけで、こんな切手を取り上げてみました。(画像はクリックで拡大されます)

スフィンクス

 カイロの近郊、ギーザのピラミッドとスフィンクスは、紀元前2500年代の建設といわれています。はやくも紀元前2世紀にはフィロンによって「世界の七不思議」に挙げられていたくらいですから、世界最古の観光地の一つといってよいでしょう。幕末の1864年には、ヨーロッパを歴訪した外国奉行の池田筑後守ら一行がギーザに立ち寄り、スフィンクスを背景に撮影した記念写真なんてものも残っていますから、日本人観光客の歴史も浅からぬものがあります。

 ところで、世界最初の切手がイギリスで発行されたのは1840年のことでしたが、1866年にはエジプトでも切手の発行が始まりました。最初の切手はアラビア文字による模様的なデザインでしたが、1867年からはギーザのスフィンクスとピラミッドを描く切手が日常的に使われはじめます。

 19世紀の切手は、国王の肖像や紋章、額面数字を大きく描いたものなど、実用本位ではありますが、退屈なデザインのものが主流でしたから、いかにもエジプトらしさを感じさせるスフィンクスの切手は、当時としては非常に魅力的な存在でした。じっさい、ピラミッドやスフィンクスの絵葉書の絵面にスフィンクスの切手を貼って差し出すということも、当時の欧米人旅行社の間では盛んに行われていました。

 さて、今回ご紹介しているのは1867年に発行された最初のスフィンクス切手のうちの2ピアストル切手。地中海に面したエジプトの港町、アレキサンドリアの印刷所で外国人によって作られたものです。エジプトのスフィンクス切手には、カイロの国営ブーラーク印刷所で作られたイモ版のような素朴なものから、デラルー社による精緻なものまで、印刷物としてのクオリティには大きなばらつきがありますが、この切手は、その中間くらいの出来栄えといったところでしょうか。

 スフィンクスの両脇に配されたオベリスクや遺跡風の柱も良い味を出しています。

 「切手で世界旅行」(もしかしたら、掲載時には別のタイトルが付けられているかもしれません)では、これから、世界各地の主な観光地を切手でご紹介しつつ、その国の切手についてもチョコッと紹介してみようという企画です。なにせ、500字程度のスペースしかありませんので、あまり込み入った話はできませんが、一人でも多くの方に、“外国のかけら”としての切手の魅力をご理解いただけるよう、努力して行きたいと思います。皆さんも、地元紙等で拙稿を見かける機会がありましたら、是非、ご一読いただけると幸いです。

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 マキシマムカード
2006-01-09 Mon 23:30
 切手収集の世界の用語でマキシマムカード(以下、MC)というものがあります。辞書的に説明すると、「切手と共通の、あるいは関連がある絵はがきに切手を貼り、記念消印を押したもの」ということになりましょうか。

 現在では、新切手が発行されたときに作られるもの、というイメージが強いMCですが、そもそもは、まったく別の関心から発生してきたものといわれています。つまり、19世紀末から20世紀初頭にかけてエジプトを旅行した欧米人たちが、スフィンクスとピラミッドを描く当時のエジプト切手を見て、絵葉書と同じ(あるいは似たような)デザインとなっていることを面白がって絵面に切手を貼って差し出したのがMCのルーツだというのです。

スフィンクスMC

 画像(クリックすると拡大されます)は、そうした初期のMCの実例で1902年、ファクースからカイロを経てマルセイユまで送られたものです。たしかに、こんな感じの切手と絵葉書なら、普段は切手に関心のない人でも、旅の思い出にセットにして差し出してみたくなるのも分からなくありません。

 当時、この手のスフィンクスのMCは大量に作られたはずなのですが、現在では、いざ探そうとするとなかなか見つからないようです。

 今回ご紹介しているスフィンクスのMCは、今週水曜日(11日)から東京目白の“切手の博物館”で開催の<中近東切手コレクション展>で展示するマテリアルの一つですが、それとは別に、同展では、鈴木瑞男さんによるエジプトのスフィンクス切手の専門的なコレクションも展示されます。なかなか、普段はまとまって展示されることの少ない切手ですから、是非、この機会にご覧いただけると幸いです。

 なお、<中近東切手コレクション展>の詳細については、http://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください。

 PS 会期中の土日(14・15日)の午後には、僕が簡単な展示解説を行います。

 
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 中継地オデッサ
2006-01-03 Tue 13:38
 親欧米路線を採り“ロシア離れ”をすすめるウクライナのユシチェンコ政権に対する報復として、ロシアがウクライナへの天然ガス輸出を全面停止にしました。

 ウクライナは自国の消費する天然ガスのうち3割強をロシアからの輸入に頼っており、今回のロシア側の措置がウクライナ経済に大きな影響を与えることは確実ですが、ことはロシアとウクライナの二国間の問題にとどまらず、欧州全体に深刻な影響をもたらしています。というのも、ロシアの天然ガスはEU諸国のガス消費量の約25%を占めており、そのうちの8割はウクライナ領経由で各国に運ばれているからです。実際、昨日までに、ロシアからのガス供給量は、イタリアで24%、フランスで30%、ポーランドやハンガリーで約40%も減少しているそうです。

 そうした中継地としてのウクライナの重要性は、切手や郵便に関心を持つ人間なら、同国の黒海沿岸の港湾都市、オデッサが郵便ルートの重要な中継地点となっていることからも実感できます。たとえば、下の葉書(画像はクリックで拡大されます)も、オデッサを通過したことで、ちょっと面白い痕跡が刻まれた一例といってよいでしょう。

消毒郵便(オデッサ)

 この葉書は、1898年11月、エジプトのポート・サイド(スエズ運河の地中海側の出口)から帝政ロシア宛に差し出されたもので、地中海を北上し、ボスポラス海峡を経てオデッサからロシア領内に入っています。

 オデッサを通過する際、この葉書は、オスマン帝国領内で流行していたコレラの国内への流入を防ぐために“消毒”され、そのことを示すロシア語の一行印が表面上に押されています。

 疫病が流行していた地域を通過してきた郵便物が消毒を受けた事例は時おり見られるますが、消毒の方法は時代や地域によってさまざまです。この葉書の場合には、薬品などによる変色の痕跡がないことから、ガス(一般的には硫化ガスが用いられた)による燻蒸処理によって消毒処理が行われたものと考えられます。

 硫化ガスといえば、秋田県の温泉地で正月旅行の一家4人が中毒で亡くなるという痛ましい出来事もありましたねぇ。天然ガスの宝庫であるロシアでは消毒用の硫化ガスも産出するのだとしたら、この葉書も、そうした“天然モノ”で消毒されたのでしょうか。ちょっと気になるところです。

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