内藤陽介 Yosuke NAITO
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 グアテマラも大使館移転
2018-05-17 Thu 07:50
 中米のグアテマラは、きのう(16日)、在イスラエル大使館をテルアヴィヴからエルサレムに正式に移転し、記念式典を開催しました。昨年末の米国によるエルサレムの“首都”認定後、エルサレムへの大使館移転は米国に次ぎ、グアテマラが2ヵ国目となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアテマラ革命FDC

 これは、1945年にグアテマラが発行した“グアテマラ10月革命”の記念切手の米国宛初日カバーです。

 世界恐慌発生直後の1930年、グアテマラでは軍出身のホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェーダが米国の支持を背景に政権を掌握します。

 世界的な不況の中で出発したウビコ政権は、経済再建を大義名分に極端な強権政治を展開。公務員給与の4割カットや大量解雇などにとどまらず、債務奴隷や強制労働制度の導入、さらに、地主に労働者への処刑を認める法律さえ制定しました。また、人口の約4割を占めていたマヤ系の先住民族に対しては、彼らを“文明化”するためとして兵役の義務を課しています。

 その一方で、それまでもグアテマラに広大な農地を所有していたユナイテッド・フルーツ社に対して、鉄道建設と引き換えに、さらに数百万ヘクタールの土地と免税特権を与え、事実上の経済的支配権を許し、その見返りに巨額のキックバックを受け取っていました。

 当然のことながら、国民はウビコの政策に不満でしたが、ウビコは大統領直属部隊の“国家警察軍”を創設してスパイ・密告網を張り巡らし、1933年には共産党を壊滅させたのを皮切りに、反対勢力を徹底的に弾圧することで独裁権力を維持し続けます。

 しかし、1944年6月25日、学生の反政府運動に知識人、専門職、若手軍人らが合流して大規模な反政府デモが発生。ゼネストと抗議行動はグアテマラ全土に拡大し、6月30日には米国もウビコの行動を批難したため、7月1日、ウビコは米ニューオリンズに亡命し13年余に及んだ独裁政権は崩壊しました。

 ウビコの亡命直後、ブエネべンチュラ・ピニェダ大佐、エドゥアルド・ビジャグラン・アリサ大佐、フェデリコ・ポンセ・バイデス将軍の3名は、国民議会を開いて暫定大統領の選出することを約束しましたが、7月3日、実際に議会が招集されると、軍は全議員に銃口を突き付け、ポンセへの投票を強要。ポンセは、ウビコからの命を受け、ウビコ政権の閣僚の多くを留任させたほか、弾圧政策もそのまま継続させたため、反政府勢力が再び結集。10月二十日、前年まで士官学校の校長を務めていたハコボ・アルベンス・グスマンと、軍内改革派のフランシスコ・ハビエル・アラナ将軍を指導者とする兵士・学生グループが国民宮殿を襲撃し、ポンセを追放。アルベンスやアラナ、そして弁護士のホルヘ・トリエリョが革命政権を樹立し、年末までに民主的選挙を実施することを確約しました。

 これが、1944年のグアテマラ10月革命で、今回ご紹介のカバーの切手は、革命の成功を祝して1945年2月20日に発行されたものです。

 10月革命を受けて行われた選挙の結果、亡命先のアルゼンチンで大学の哲学教授をしていたフアン・ホセ・アレバーロ・ベルメホが大統領に選出されました。

 アレバーロ政権は、1951年の任期満了までの間に、25回ものクーデター未遂事件が発生するなど、困難な状況にありながらも最低賃金法や教育予算の拡充、労働改革などの成果をあげましたが、外交面では、1948年5月19日、建国後間もないイスラエルをすぐに国家承認。1980年代までエルサレムに大使館を置いていました。

 昨年12月21日、米国によるエルサレムの首都認定に関して、国連の緊急特別会合が開催され、米国の決定撤回を求める決議を賛成多数で採択された際、グアテマラは反対票を投じた9ヵ国のうちの一つですが、その際、モラレス大統領が「我々はイスラエルの建国を支援してから極めて良好な関係を維持している」、「イスラエルとは70年にわたる同盟国として良好な関係だ」などと述べたのは、こうした歴史的経緯を踏まえてのことです。

 ちなみに、1944年の10月革命から1954年のアルベンス政権崩壊までの10年間、グアテマラは“グアテマラの春”と呼ばれたリベラルな時代がしばらく続きますが、若き日のチェ・ゲバラは、その最末期、首都のグアテマラシティに滞在し、CIAの工作によりアルベンス政権の崩壊を見届けています。7月に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そのあたりの事情についても詳しく書きましたので、無事に刊行の暁には、なにとぞよろしくお願いします。


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 世界本の日
2018-04-23 Mon 09:45
 きょう(22日)は“世界本の日”です。というわけで、本が描かれた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアテマラ・労働改革1周年

 これは、1947年にグアテマラが発行した“労働改革1周年”の記念切手で、労働法令の本を読む労働者が描かれています。

 グアテマラでは、1944年、ホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェーダの独裁政権が崩壊。ウビコの亡命直後、ブエネヴェンチュラ・ピニェダ大佐、エドゥアルド・ヴィジャグラン・アリサ大佐、フェデリコ・ポンセ・ヴァイデス将軍の3名は、国民議会を開いて暫定大統領の選出することを約束します。しかし、7月3日、実際に議会が招集されると、全議員は銃口を突き付けられ、ポンセへの投票を強要されました。

 ポンセは、ウビコからの命を受け、ウビコ政権の閣僚の多くを留任させたほか、弾圧政策もそのまま継続させたため、反政府勢力が再び結集。10月20日、前年まで士官学校の校長を務めていたハコボ・アルベンス・グスマンと、軍内改革派のフランシスコ・ハビエル・アラナ将軍を指導者とする兵士・学生グループが国民宮殿を襲撃し、ポンセを追放します。そして、アルベンスやアラナ、そして弁護士のホルヘ・トリエリョが革命政権を樹立し、年末までに民主的選挙を実施することを確約しました。

 これが、1944年のグアテマラ10月革命です。

 年末の選挙の結果、亡命先のアルゼンチンで大学の哲学教授をしていたフアン・ホセ・アレヴァーロ・ベルメホが大統領に選出され、アルベンスは国防相に就任しました。

 アレヴァーロ政権は最低賃金法や教育予算の拡充、今回ご紹介の切手の題材となっている労働改革など一連の社会改革に乗り出しました。その内容は比較的穏健ではあったが、米国やカトリック教会、グアテマラ経済を支配していた米系企業のユナイテッド・フルーツ社はそれすらも“容共的”としてアレヴァーロを攻撃。1951年の任期満了までに25回ものクーデター未遂事件が発生しました。特に、大統領選挙前年の1949年7月18日には、次期大統領への当選が有力視されていたアラナが“改革の行きすぎ”を批判してグアテマラシティでクーデターを計画。これを察知した国防相のアルベンスは、クーデター防止のため、アラナを誘拐しようとしてグアテマラシティ郊外で銃撃戦となり、アラナは死亡します。その後も暴動が発生し、政府軍がこれを鎮圧するという事件も発生しました。

 こうした経緯を経て行われた1950年の大統領選挙では、アルベンスは米国の干渉を跳ね除けて当選。1951年3月15日の大統領就任式では“極端に封建的な経済体制から、現代資本主義国家へと”脱皮を図ると宣言し、国政に対する“外資系企業(名指しこそ避けていましたが、ユナイテッド・フルーツ社のことです)”の影響力を削ぎ、外国資本からの支援を受けずに、国内の社会資本を整備する方針を明らかにしました。

 アレヴァーロ時代の穏健改革でさえ“容共的”と非難していた米国からすれば、さらにリベラル色の強いアルベンス政権は“危険な共産主義政権”にほかなりません。

 はたして、1952年6月、アルベンスは人口の2%と外国企業が国土の70%を独占していた状況を打破すべく、公約通り、“布告900”として、農地改革関連法を制定します。

 この結果、672エーカー(約272ヘクタール)以上の未開墾の土地を収用する農業委員会を設置する法的な権限を得た政府は、18ヶ月間にわたって延べ150万エーカー(約6070平方キロ)の土地を補償金(1952年5月の土地評価額に基づき、年利3%の25年債券の形式を取っていました)を支払って収容し、約10万家庭に分配しました。ちなみに、この農地改革により、アルベンス自身も1700エーカー(約688ヘクタール)の土地を手放しています。

 もちろん、一連の農地改革では、ユナイテッド・フルーツ社が所有していた広大な土地(耕作地・農場以外にも、グアテマラ国内の遊休地および未開墾地の85%は同社の所有でした)も収用の対象となりました。しかも、ユナイテッド・フルーツ社は、土地の評価額を低く見積もることで納税額を極端に抑制していたため、補償金も低額となり、アルベンス政権と激しく対立します。

 このほかにも、アルベンス政権は、グアテマラ労働党(左翼政党ですが、もともとはソ連と無関係にグアテマラ国内で誕生した土着政党)の合法化、大衆に対する識字運動、それまで差別を受けていたマヤ系先住民の権利回復運動などを展開しました。

 一連の政策は、当時のラテンアメリカではきわめて急進的な内容であったため、“グアテマラ革命”とも“グアテマラの春”とも呼ばれました。国内の保守派や米国はこれを苦々しく思っていましたが、ウビコ独裁政権の記憶も生々しかった国民の多くはアルベンスを支持し、1953年の国会選挙では、彼が率いる革命行動党が圧勝します。

 ちなみに、若き日のチェ・ゲバラは、そうした“グアテマラの春”の時代に首都グアテマラシティに滞在し、CIAの工作によりアルベンス政権が崩壊するまでを見届けています。5月に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そのあたりの事情については詳しく書きましたので、無事に刊行の暁には、なにとぞよろしくお願いします。


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

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