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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 “カストロ首相”60年
2019-02-16 Sat 11:10
 1959年2月16日に、フィデル・カストロ(以下、フィデル)がキューバの首相に就任してから、きょうで60年です。というわけで、きょうはこの切手を持てきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(フィデル首相就任)

 これは、2009年にキューバが発行した“革命50周年”の記念切手のうち、フィデルの首相就任を取り上げた1枚で、群衆を前に首相就任の演説を行うフィデルの後姿が取り上げられています。

 親米バティスタ政権打倒後の新政権についての具体的な構想が示されたのは、革命戦争前半の1957年7月、フィデルとオルトドクソ党首のラウル・チバスとキューバ国立銀行元総裁のフェリーペ・パソスの3人が、フィデルら叛乱軍M26の拠点であったシエラ・マエストラ山中で署名した「シエラ・マエストラ宣言」が最初です。

 同宣言の主な内容は、①革命市民戦線を結成し、闘争を統一、②臨時政府首班の指名、③外国の干渉排除、④軍事評議会の拒否、⑤一九四〇年憲法の復活、⑥腐敗根絶、⑦遊休地の優勝接収、などで、②の首班指名はパソスの要求によって盛り込まれたもので、パソスは自らが“大統領”になる野心を持っていました。

 その後、革命派が攻勢を強める中で、1958年8月、フィデルら反バティスタ勢力各派の代表者はマイアミでバティスタ打倒後の臨時政府首班指名についての議論を行い、マヌエル・ウルティアが大統領として推薦されました。ウルティアは元最高裁判事で、1953年のモンカダ兵営襲撃事件後のフィデルに対する裁判で、非常事態下にあっては武装抵抗も憲法上容認されうるとの判断を示したことがあり、フィデルら叛乱軍のみならず、既成政党の支持者にも受け入れやすい人物でした。

 こうした経緯を経て、1959年1月1日、バティスタ政権が崩壊すると、マイアミでの協議に基づき、ウルティアが大統領就任を宣誓。4日にはハバナで臨時革命政府が樹立され、翌5日には全国弁護士会会長のミロ・カルドを首相とする新内閣が発足し、M26からはアルマンド・ハーツ(教育相)とファウスティーノ・ペレス(不正取得資産回復担当相)が入閣しました。

 バティスタ政権打倒の最大の功労者は、いうまでもなく、フィデルらM26でしたが、革命当初の臨時革命政府では、バティスタ政権時代の教訓から、「軍人は政治には介入してはならない」としてシビリアン・コントロールの原則を守るため、フィデルらゲリラの主要メンバーはあえて政府に参加しませんでした。ちなみに、この時点でのフィデルの立場はキューバ人民軍総司令官です。

 これに対して、一方、首相のカルドナは、もともと、最後までバティスタとの話し合いによる政権交代を目指していた“穏健派”であり、対米協調路線の維持を主張するなど、フィデルらM26とはかなりの温度差がありました。

 このため、新政権内部での主導権を確保しようとしたカルドナは、1月17日、大統領のウルティアが慰留することを想定して辞表を提出し、大統領とM26に揺さぶりをかけます。ところが、政治的な駆け引きの機微に疎いウルティアは辞表を受理してしまい、あわてた大統領秘書官がカルドナに辞表を返却し、辞任劇はひとまず収まるという一幕がありました。

 こうした政治的混乱もあって、M26を中心にフィデルの首相就任を求める声が上がり、2月7日、フィデルと大衆デモの圧力に押されたカルドナ政権は国民議会を解散せざるを得なくなります。なお、これを機に、1976年までキューバでは選挙が実施されなくなりましたので、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。
 
 そのうえで、2月16日、フィデルは「首相は政府の全般的政策を代表する」との条件つきで首相に就任。以後、2008年まで続くフィデルの超長期政権がスタートするのです。

 なお、2月25日付で刊行の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、その後のフィデルと革命キューバについて詳しくご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、実物を手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 2月22日、文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 2月22日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がゲスト・コメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 ビートルズの日
2019-02-04 Mon 01:18
 きょう(4日)は、ザ・ビートルズの愛称“Fab4 (fabulous four:伝説的な 4人)”と2月4日の“Feb4”をかけて、“ビートルズの日”だそうです。というわけで、ビートルズ関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ ジョン・レノン

 これは、2016年3月、ハバナで開催された切手展<Copa Cuba de Filatelia >に際して発行された、キューバ国内の著名人の銅像を題材とした記念切手のうち、ビートルズのメンバーの写真を背景に、ハバナ市内のジョン・レノン像を取り上げた1枚です。

 キューアとジョン・レノンとの関係といえば、しばしば、ジョン・レノンが“ハイスクール時代”を回想して「あのころ世界で一番カッコいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と語ったとのエピソードが紹介されていますが、これは歴史的な事実関係とは若干の齟齬があります。

 すなわち、ジョンは、1958年9月に日本の中学・高校に相当するグラマー・スクールのクオリー・バンク校を卒業し、リバプール・カレッジ・オブ・アートに入学していますが、この時点では、キューバは依然としてバティスタ政権の支配下にありました。そして、1959年1月にキューバ革命が達せられたときには、ジョンは同カレッジに在学中でした。ちなみに、ジョンが同カレッジを卒業するのは、1960年7月のことです。

 一方、ゲバラは、革命戦争の時代からキューバ国内では知られた存在でしたが、1959年1月の革命達成の時点では世界的にはほぼ無名の存在でした。たとえば、米国のグラフ誌『ライフ』にゲバラが初めて登場するのは、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪問し、キューバ政府の要人が出迎える場面を撮影した写真が掲載された1960年2月22日号でしたが、この時の写真には、閣僚の一人としてゲバラの姿も写っているものの、キャプションにも本文記事にも彼の名前はありません。

 欧州において、ゲバラの名前を特定したうえで、彼の肖像が流布するようになったのは、英誌『タイム』の1960年8月号の表紙が最初で、それまでの英国社会では、よほど強い関心を持ってキューバ情勢をフォローしていない限り、ゲバラの名前を知っている人はごくわずかでした。大半の英国人は件の『タイム』の表紙でゲバラのことを知ったというのが実情で、おそらく、ジョンもゲバラのことを知ったのは、カレッジの卒業前後に発行された『タイム』の表紙だったと考えるのが自然でしょう。まぁ、人間の記憶なんて曖昧なものだと言ってしまえばそれまでですが…。

 なお、ゲバラのことを“世界で一番カッコいい”と評したジョンの発言が広く巷間に流布していたこともあってか、2000年12月、ジョンの没後20周年を記念してハバナ市内にジョン・レノン公園が開設され、現代キューバを代表する彫刻家のホセ・ビージャ・ソベロンによる銅像(今回ご紹介の切手の銅像です)が設置されました。

 かつて、共産主義諸国ではビートルズは“頽廃的な西側の商業音楽の典型”として、公の場での演奏などは忌避されていましたが、ジョンの場合は、ベトナム反戦運動へのシンパシーや、代表作の一つとされる『イマジン』が左派リベラル色の強い“反戦歌”となっていることも考慮されて、キューバ政府の評価は悪くありません。ちなみに、ジョンの像が腰かけているベンチには、「人は僕を夢見る人というかもしれない。けれどそれは僕だけじゃない」という「イマジン」のフレーズが刻まれています。

 また、フィデル・カストロの側近で、革命後のキューバ外交の第一線でキャリアを積み、国連大使、外相などを歴任し、銅像が設置された2000年当時は人民権力全国会議(国会)議長の地位にあったリカルド・アラルコンは、個人的にジョンのファンだったそうです。

 今回ご紹介の切手の銅像は、こうした事情に加え、“(ゲバラは)世界で一番カッコいい”との発言が“革命のキリスト”としてのゲバラの神格化を補強する役割を果たしていることも加味して設置されたものと考えられます。

 さて、2月25日に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたジョン・レノンとキューバの関係についてもご説明しております。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 


★★  内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 苺の日
2019-01-15 Tue 12:54
 きょう(15日)は、“いいいちご(115)”の語呂合わせで“苺の日”です。というわけで、きょうは苺ネタのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・苺とチョコレート

 これは、2009年、革命後の全キューバ映画の制作・上映を管理してきたキューバ芸術・映画産業庁(ICAIC)の創立50年を記念して発行された“キューバ映画”の切手のうち、1994年に公開のキューバ・メキシコ・スペイン合作映画『苺とチョコレート』を取り上げた切手シートです。

 『苺とチョコレート』は、共産主義青年同盟(UJS)のメンバーで、(キューバ式)共産主義を信奉する男子学生ダビドと自由主義者で(自称)芸術家のゲイ男性ディエゴとの友情が主題になっています。

 物語は、ハバナのカフェでダビドがチョコレートアイスを食べている時、苺アイスを持ったディエゴから「君のスキャンダル写真を持っている」と声をかけられるところから始まります。写真を返してもらいたいダビドは、しぶしぶ、ディエゴのアパートに向かうと、彼の部屋には、ダビドが理解できないような奇妙な物が並べられており、ディエゴの自由主義的な思想や態度とあいまって、ダビドはおおいに不審を抱きます。学生寮に戻った彼は、UJSの友人ミゲルに相談し、ディエゴを“同性愛者のスパイ”とみなして監視のためにつき合うようになりました。

 しかし、ダビドは、やがて、インテリであり、純粋で温かい人柄と芸術への熱意の持ち主であるディエゴに理解を示し、真の友情をはぐくみますが、最終的に、ディエゴは“同性愛者”として国を追われることになります。そして、2人は彼らが最初に出会ったカフェでお互いのチョコレートアイスとイチゴアイスを交換して食べる場面で幕となります。

 革命当初、カストロ、ゲバラ以下、同性愛(者)を激しく嫌悪していた政府首脳部は、カトリックの価値観を背景に同性愛に対する差別感情が強かった一般市民の支持も得て、同性愛を刑法の規定する“公的破廉恥行為”として処罰の対象としていました。その結果、同性愛者であることが発覚した者は矯正センターに送られて再教育されたり、亡命を余儀なくされることも少なくありませんでした。

 1981年になって、ようやく、文化省が“性の多様性”の観点から、同性愛の排斥を非とする声明を発し、1993年にはカストロも同性愛を(消極的に)容認する姿勢を示すようになったものの、現在なお、キューバでは同性愛者に対する有形無形の差別・迫害は根強く残っているとされています。

 映画『苺とチョコレート』はそうした社会的な背景の下で制作されたもので、各種の国際映画賞でも高い評価を得て、現代キューバを代表する映画作品と見なされるようになり、その結果として、今回ご紹介の切手シートにも取り上げられたというわけです。

 ところで、切手シートには映画の内容を紹介するため、4つの場面が取り上げられていますが、右下には、ダビド役のウラディミール・クルスが「英雄的ゲリラ」の掲げられた部屋にいる場面が取り上げられている点も見逃せません。(下にその部分をトリミングして貼っておきます)

      キューバ・苺とチョコレート

 ここでの「英雄的ゲリラ」は、ダビドがUJSのメンバーであり、キューバ政府の考える“正しき青年”であり、確固たる共産主義者であることを暗示する小道具として用いられているのは明らかで、ゲバラの死後、“革命のキリスト像”ともいうべき「英雄的ゲリラ」がどのようにキューバ社会で活用されてきたかを考えるうえで、なかなか興味深いものがあります。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの死後、彼の肖像がどのように使われ、定着していったかということについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 グランマ号上陸の日
2018-12-02 Sun 06:40
 きょう(2日)は、1956年12月2日にフィデル・カストロらがグランマ号でキューバ島に上陸し、キューバ革命戦争の火ぶたを切った記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・グランマ号航路

 これは、2016年に発行された“グランマ号上陸60周年”の記念切手で、グランマ号とその航路の地図が描かれています。

 1955年夏、メキシコでエルネスト・チェ・ゲバラを加えたフィデル・カストロら7月26日運動(M26)の同志たちは、1956年3月のキューバ島再上陸をめざして本格的な準備を開始しました。

 リーダーのフィデルは、ホセ・マルティの先例に倣い、1955年10月、ニューヨーク、テキサス、マイアミ、コスタリカなどを回り、アウテンティコ党やオルトドクソ党とも協力関係を築き、反バティスタの在外キューバ人の組織化と資金の調達に努めるとともに、モンカダ兵営の襲撃事件を“冒険主義”と批判していた人民社会党の一部とも連携を始めます。

 これとほぼ時を同じくして、ゲバラは他のキューバ人メンバーとともに、スペイン内戦・共和派の勇士、アルベルト・バーヨ将軍の指導の下、ゲリラ戦の訓練に参加していました。1955年の時点で、バーヨはすでに63歳でしたが、フィデルの理想に共鳴してM26の教官を引き受け、サンタ・ロサの農場で銃器の扱い方をはじめ、ゲリラ戦の基礎から教育します。

 バーヨの訓練は厳しく、サンタ・ロサでは落伍者が続出。また、参加者の中には、敵と内通し、通信設備や武器を横流しし、その金を持って消えてしまう者さえいました。

 さらに、フィデルによる資金の調達も困難を極めており、1956年3月の上陸作戦計画は予定通りには進まず、大幅に遅れます。

 一方、キューバのバティスタ政権は、フィデルがメキシコに到着した時点からフィデルを殺害するため、現地のキューバ大使館付き武官が一万ドルを支払って殺し屋を雇っていましたが、この計画は失敗。このため、キューバ大使館はメキシコ当局に接近して関係者を買収し、フィデルらM26メンバーの居場所を突き止めたり、彼を告発したりするよう依頼します。

 この結果、1956年6月20日、交通違反を理由にフィデルの車が捜索を受け、武器が積まれていたことを理由にフィデルらは部金不法所持で逮捕され、同25日にはゲバラも逮捕されてしまいました。

 その後、フィデルらはメキシコ元大統領のカルデナスの仲介により1ヶ月ほどで釈放されたものの、ゲバラは密入国のアルゼンチン人で、しかも、共産主義者と見なされたため拘留が長期化します。

 官憲による逮捕の可能性を予期していたゲバラは、自分が逮捕された場合には、M26の同志は自分を置き去りにしてキューバへ向けて出発してほしいとフィデルに語っていましたが、7月25日に釈放されたフィデルはゲバラを決して見捨てず、あらゆる手段を惜しまずにチェの釈放に奔走。その甲斐あって、ゲバラは57日間の拘留の後、8月半ばに釈放されました。ゲバラの釈放には10日以内に出国することとの条件が付けられていたため、以後、彼は地下活動に入ります。

 一方、フィデルは、この頃、知人のエル・クアーテ・コンデかた“グランマ”という名の古いヨットを購入します。ヨットは1943年製で、定員は12人、無理をすれば何とか20人は乗れるという規模でしたが、竜骨は前年のハリケーンで壊れていました。

 そうしている間にも、M26に対するバティスタ政権の包囲網は日を追って狭められ、彼らがそのままメキシコで訓練を続けることは次第に困難になっていました。さらに、11月半ばにはメキシコ警察がM26の隠れ家二ヵ所を発見して武器を押収し、主要メンバーの1人であったペドロ・ミレーが逮捕されます。また、21日にはM26が訓練拠点としていたアバソーロの牧場からメンバー2人が脱走し、遠征計画が外部に漏れる危険が生じました。

 このため、翌22日、フィデルは急遽、各地の同志に動員令を発し、ゲバラも寝ていたベッドや飲みかけのマテ茶もそのままに、また、喘息の持病を抱える身として必携の吸入器さえ持たずに出発しました。

 こうして、11月24日、グランマ号が係留されていたトゥスパンに遠征隊員が終結。翌25日午前2時頃、フィデルが「1956年、我々は自由を勝ち取るか、さもなくば殉教者となるであろう」と力強く宣言し、55丁の銃と82人の隊員がグランマ号に乗り込み、大雨と大風の荒天の中、キューバ島東部の二ケーロへ向けて出発しました。

 当初、M26の立てた計画では、11月30日にフィデルがニケーロに上陸し、反バティスタの農民兵百人と合流したうえで、マンサニージョからシエラ・マエストラの山中を拠点にゲリラ戦を展開。これに呼応して、フランク・パイスがサンティアゴ・デ・クーバで蜂起するという段取りになっていました。

 このため、グランマ号は夜陰に乗じてユカタン半島沿いを進み、沿岸警備隊に発見されないよう、なるべく早くメキシコの領海外へ出て、ジャマイカに沿って迂回し、ニケーロ周辺の海岸に到着するコースを予定していましたが、もともと老朽化していた船はエンジントラブルに加え、重量の大幅な超過と悪天候、さらに、ほとんどの遠征隊員が当初は船酔いでまったく活動できなかったことなどが重なり、予定の30日になっても海上を漂うばかりでキューバ島は全く見えませんでした。

 本来であれば、ここでフィデルらはフランクに上陸が遅れることを知らせ、作戦を中止すべきでしたが、グランマ号には発信機はなく、フランクにはメキシコ出航時に無時出発した旨の電報が送られたきりだったため、11月30日、サンティアゴ・デ・クーバでは事前の打ち合わせ通りに武装蜂起が発生し、これに呼応して、キューバ内の他の都市でも発砲事件などが散発的に発生。しかし、ニケーロにいるべきフィデルらは依然としてメキシコ湾上におり、同時蜂起とはならなかったため、政府軍は兵力をサンティアゴ・デ・クーバに集中し、叛乱はほどなく鎮圧されてしまいました。

 また、ただでさえ、理想主義者のフィデルは、革命の政治的効果を狙って、メキシコ出発前にグランマ号でのキューバ遠征に向かうとの声明を発表しており、バティスタ政権側に迎撃の準備を整える余裕を与えていましたが、到着がさらに遅れたことで、グランマ号が予定通りニケーロに向かうことは完全な自殺行為となってしまいました。このため、彼らは行き先をニケーロ南西部のラス・コロラダスの海岸に変更し、そこから、トラックを奪ってシエラ・マエストラに向かうことになります。

 結局、彼らがキューバ島に到着したのは、12月2日の明け方のことで、到着場所はラス・コロラダス海岸の予定地点から二キロ離れた地点でした。

 ラス・コロラダス海岸に到着した一行はグランマ号から降りて、胸まで水に浸かりながらマングローブの海を進み、ようやくキューバ島への上陸を果たします。しかし、飛行機を通じて“不審船”の動きを探知していたバティスタ政府は、砂糖キビの食べかすなどから叛乱軍の足跡をたどり、12月5日の昼頃、アレグリーア・デル・ピノで反乱軍を迎撃。こうして、キューバの革命戦争が始まりました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命に関する切手も多数ご紹介しております。フィデルのM26のキューバ島上陸計画に倣ったわけではないのですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りです。正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 本日、トークやります。
2018-11-16 Fri 00:35
 かねてご案内の通り、本日(16日)15:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX 2018>会場内で、近日刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。なお、イベントの詳細は主催者HPをご覧ください)

      キューバ・クーブル号事件

 これは、2015年にキューバが発行した“クーブル号事件55周年”の記念切手で、左側に爆発するクーブル号、右側に抗議デモの光景(左端がフィデル・カストロ、中央がチェ・ゲバラです)が取り上げられています。

 1959年のキューバ革命以前、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。このため、革命後の土地改革を経て米国との関係が悪化したキューバがソ連の貿易協定調印を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。直ちに、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、砂糖の割当カットないしは全面禁輸の用意があることを明らかにし、キューバに揺さぶりをかけました。

 こうして事態が緊迫する中、1960年3月4日、ハバナ港で、ベルギーから購入した武器を積んでいたフランスの貨物船クーブル号で、船荷の下に仕掛けられた地雷が爆発。さらに、埠頭も爆破で破壊され、港湾労働者75人が即死し、負傷者も200人に達しました。その後、事件はCIAの“作戦40”によるものであったことが明らかになっています。

 事件当日、国立銀行総裁の地位にあったゲバラは公用車で国立銀行に向かう途中で港の方から立ち上る煙に気づくと、急遽、運転手に命じて現場に駆け付け、居合わせた市民に指示を与えるとともに、自らも先頭に立って被災者の救助活動に当たりました。しかし、彼らの奮闘むなしく、即死を含め、多くの労働者が治療の甲斐なく亡くなりました。

 翌5日、ハバナ市内ベダド地区中心部の交差点に巨大な演壇が組まれ、事件に対する抗議のデモ行進に続き、追悼集会が始まりました。ゲバラは政府要人の一人として式典に参加し、ひな壇二列目の席に座っていましたが、途中、集まった群衆と犠牲者の棺の列を確認するかのように立ち上がった瞬間、『レボルシオン』の専属カメラマンだったアルベルト・コルダが撮影した写真は、後に「英雄的ゲリラ」として全世界に知られることになる一枚となります。

 クーブル号の爆発事件は、米西戦争の発端となった1898年2月のメイン号事件を想起させるものでした。カストロはこのことを踏まえ、追悼式典で「キューバは決してひるまない。キューバは退かない。革命の妨害は許さない。革命派勝利に向かって進むのだ」と獅子吼し、米国を仇敵と名指ししたうえで、「祖国か死か!勝利するのだ」との有名なスローガンを叫びました。また、追悼式典には、偶然、キューバ訪問中だったジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールも、殉職したフランス人船員を弔うため、急遽フランス代表として参列しています。

 今回のトークでは、クーブル号事件の追悼式典で撮影されたコルダの写真が「英雄的ゲリラ」の名で全世界に拡散していった背景などにも触れつつ、波乱に満ちたゲバラの生涯とキューバ革命についても、お話ししたいと考えています。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 一の酉
2018-11-01 Thu 02:32
 きょう(1日)は“一の酉”です。というわけで、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』に関連して、こんな“鳥”の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ革命50年・フィデルの勝利宣言

 これは、2009年にキューバが発行した革命50周年の記念切手のうち、1959年の革命時、ハバナに到着したフィデル・カストロの肩に鳩が停まる場面が取り上げられています。

 1956年に始まるカストロの革命戦争で、1958年5月、バティスタ政権はゲリラに対する最終攻勢として“FF作戦”を発動。14大隊約1万人の兵力を動員して四方からシエラ・マエストラ山中の革命派の拠点への攻撃を開始し、5月28日、叛乱側の山麓の拠点、ラス・メルデセスを占領。さらに、政府軍は、6月25日、ラ・プラタの総司令部から徒歩4時間のラス・ヴェガスを占領し、同28日には叛乱側の支配領域を最小になるまで追い詰めました。

 しかし、翌29日、フィデルの率いる叛乱軍本隊はサント・ドミンゴ川で600人の政府軍を迎撃し、政府軍に死者50、捕虜30の損害を与え、6万発の弾薬を奪う勝利を収めました。

 これが戦局の転機となり、7月10日の戦いでも叛乱側は政府軍を破り、同29日にはチェ・ゲバラとカミーロ・シエンフエーゴスの指揮する第4部隊がラス・ヴェガスを再占領に成功。そして、8月7日にはラス・メルセデスが再占領され、政府軍はシエラ・マエストラから完全に撤退します。ちなみに、2か月半の戦闘で政府軍の死者、負傷者、捕虜、脱走者は2000人以上。対する叛乱側の損失は50人で、戦闘が終わったときには、新たに約600人が合流していました。さらに、600丁の銃、戦車1両、迫撃砲12門、三脚架機関銃20数丁が叛乱軍の手に渡っています。

 8月7日の政府軍のシエラ・マエストラからの完全撤退後、カストロは叛乱軍を再編成し、ゲバラをシロ・レドンド第8部隊の指揮官に、カミーロを少佐に昇進させてアントニオ・マセオ第2部隊の指揮官に、それぞれ任命し、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州の要衝、サンタ・クララの攻略を命じました。彼らは、政府軍の包囲と攻撃をかいくぐり、10月7日、エスカンブライのゲリラと接触。10月15日、ラス・ビジャス州に到着して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功します。

 一方、カストロは、弟のラウルとともに、キューバ島東部、オリエンテ地方の中心地であるサンティアゴ・デ・クーバを目指し、11月17日、最終攻勢を指示したあとシエラ・マエストラの本部を閉鎖。300の兵で“ホセ・マルティ部隊”を編成してサンティアゴ作戦を開始し、11月20日に始まるグィサの戦闘で政府軍を撃破しました。

 その後、ゲバラの部隊は、12月29日、サンタ・クララへの総攻撃を開始。戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏します。これが決定打となり、1959年1月1日、バティスタはドミニカ共和国に亡命。最後までビダール兵営に籠城して抵抗していた政府軍部隊も、同日、降伏しました。

 一方、同日、カストロ兄弟もサンティアゴ・デ・クーバを完全制圧。翌2日、まず、ゲバラとシエンフエーゴスが首都ハバナに入城し、4日には臨時革命政府が樹立されます。これを受けて、サンティアゴ・デ・クーバにいたカストロは叛乱軍総司令官からキューバ人民軍総司令官になりました。

 その後、カストロは首都へ向けて進軍を開始。1月8日、人々の歓呼の中を鹵獲した戦車に乗ってハバナに入城し、「真の革命は、いまここに始まったばかりなのだ」とする勝利宣言を行いました。その後、カストロのハバナ入城時に放たれた伝書鳩が戻ってきて彼の肩に停まりましたが、そうした事情を知らなかった群衆は、突如舞い降りた鳩を見て、天が革命を祝福しているかのような印象を持ち、その後の権力の帰趨にも大きな影響を与えました。今回ご紹介の切手にも、鳩を肩に載せたカストロの姿がしっかりと取り上げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』ですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、大変申し訳ございません。正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
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      ゲバラ本・仮書影

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 朝鮮民主主義人民共和国70年
2018-09-09 Sun 00:18
 1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が成立して、きょう(9日)で70年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・北朝鮮65周年

 これは、2013年にキューバが発行した“朝鮮民主主義人民共和国65周年”の記念切手で、北朝鮮国旗と平壌市内の風景を背景に、千里馬銅像が大きく描かれています。

 千里馬銅像は、平壌の中心部、万寿台に1961年4月に建立されました。主題となっている千里馬は1日に千里を走るという伝説の天馬で、北朝鮮では1950年代の“千里馬運動”以来、社会主義建設の象徴とされています。

 すなわち、1956年12月に開催された朝鮮労働党中央委員会総会で、金日成は、「最大限の増産と節約」のスローガンの下、1957年度からはじまる5ヵ年計画の初年度に生産力の大幅な拡充を実現する目標を策定。会議後、金日成は降仙製鉄所を訪れ、労働者に対して「最大限の増産と節約」への協力を求めると、労働者は金の期待に応えて公称能力6万トンの分塊圧延機で9万トンの鋼材を生産する目標を立て、実際には12万トンを生産する成果を挙げたとされています。また、金策製鉄所の労働者は公称19万トンの設備で27万トンの銑鉄を生産するなど、各地“奇跡”的な目標の超過達成が報告されました。

 こうした個別の特殊な成功例は、千里馬を駆る勢いで前進するとの意味をこめて“千里馬運動”の名の下、大衆動員の運動とされ、5ヵ年計画は2年半繰上げ達成するという驚異的な成果を収めたとされています。

 北朝鮮側の発表する数字が正しいかどうかはともかくとして、北朝鮮内部の権力闘争が一段落し、反金日成派の幹部やそれに連なる人脈が排除されて組織が結果的に活性化されたこと、ソ連・中国の影響から脱し、彼らの支援をあてにせず「自力更生」をしなければならなくなったことへの危機感とそれに裏付けられたナショナリズムの意識が発生したこと、などから、千里馬運動が一定の成果を挙げたことは事実です。

 しかし、こうした千里馬運動期の大増産は、労働者の士気こそ高揚させたものの、増産の重点が金属工業と機械工業に極端に集中されていたため、輸出産業が育成されることもなければ、資本の蓄積や技術革新も省みられませんでした。また、精神主義に基づく無理な増産により、設備や労働者が消耗した結果、長期的には生産力の減退をまねき、それを補うため、再度、精神主義的な大衆動員がなされるという悪循環をもたらし、このことが、後に、北朝鮮経済の不振を招く構造的要因を生み出すなど、弊害も少なからずありました。

 また、千里馬運動と並行して、北朝鮮国内では、“農業協同化(集団化)”が強行されています。

 北朝鮮における農業協同化は、もともとは、朝鮮戦争休戦後の労働力不足に対処するものとして始められました。しかし、オーソドックスなマルクス・レーニン主義理論では「農業の社会主義化には、農業への機械・資材・電力などを供給することが必要であり、その前提として工業が一定水準以上に発達していなければならない」とされていたのに対して、北朝鮮は、「工業生産が回復していない状態であっても、経営形態のうえで社会主義化することは可能である」として農業協同化を強行します。はたして、農業協同化についての金日成の本音は、重工業の育成に必要な資金を農民から徴収することにあったため、農民の生活を無視した過酷な収奪や強制的な大規模移住が強行されたことで、1950年代末には、10万人規模の餓死者が発生するなど、農村の荒廃は深刻なものとなりました。

 こうした状況の下で、金日成は在日朝鮮人(の労働力・技術・資金)に目をつけ、それが北朝鮮の現実を“地上の楽園”の美名の下で糊塗し、多くの在日朝鮮人を地獄に突き落とすことになる帰国事業につながっていくことになります。

 ちなみに、社会主義諸国歴訪の一環として、チェ・ゲバラは、1960年12月2日に平壌入りし、翌3日に金日成と会見しています。北朝鮮滞在中の印象として、ゲバラは「(北朝鮮の)都市には何もない」「工業は破壊され、動物は死に、一軒の家も残っていない」「北朝鮮は死でできている国だ」などと、北朝鮮の悲惨な実態についても書き記していました。ただし、彼は、北朝鮮荒廃の主たる原因が、金日成体制の失政でなく、朝鮮戦争にあると理解したため、「(北朝鮮は)灰の中から再生している」として、北朝鮮の現状と将来について楽観的な見通しを示していますが…。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの北朝鮮観についても、まとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * きのうの(公財)日本郵趣協会の全国会員大会では、実行委員長の伊藤純英さんをはじめ、多くの方にお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 マンデラ生誕100年
2018-07-18 Wed 00:38
 南アフリア共和国(以下、南ア)初の黒人大統領となったネルソン・マンデラが、1918年7月18日に生まれてから、きょう(18日)でちょうど100周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・アパルトヘイト廃止15年

 これは、2009年にキューバが発行した革命50周年の記念切手のうち、“アパルトヘイト廃止15年”と題する1枚で、右側にはフィデル・カストロと抱き合うマンデラが取り上げられています。

 マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。

 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所に送られました。その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となります。

 この間、ANCの一部は周辺の黒人国家に逃れ、東側諸国の支援も受けながら、反政府闘争を展開していましたが、なかでも、1975年に独立したアンゴラでは、アンゴラ解放人民運動 (MPLA)と密接な関係にありました。このMPLAが親ソ派だったことから、南アの国民党政権は米国をも巻き込んで、MPLAを打倒するため、対立組織の)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)を支援して、内戦に介入します。

 これに対して、“第三世界の連帯”を掲げるキューバは、1975年11月から1976年4月までの間に3万6000人の兵力を派遣し、南ア軍をナミビア(当時は南アの実効支配下)に押し戻しました。このことは、ANCを含むアフリカの反アパルトヘイト勢力を大いに鼓舞。さらに、その後もキューバの軍事顧問団はアンゴラにとどまり、ANCに対して軍事訓練を施しています。

 こうしたことから、キューバとANCの間には緊密な関係が築かれ、カステラとマンデラとの間にも個人的な深い友情関係が結ばれました。マンデラは、釈放後の1991年、ANC議長に就任しましたが、同年、キューバを訪問してカストロに直接会って謝意を述べています。

 その後、マンデラは当時の南ア大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞。さらに、1994年4月に行われた南ア史上初の全人種参加選挙でANCを勝利に導いて大統領に就任し、1999年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、マンデラの大統領退任後の2001年9月、カストロの南ア訪問時に撮影されたもので、抱き合って再会を喜ぶ2人の姿が取り上げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバとアフリカの関係についても、いろいろな角度からまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  
 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 チェ・ゲバラ生誕90年
2018-06-14 Thu 01:42
 1928年6月14日、アルゼンチンのロサリオで、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラが生まれてから、今日でちょうど90年です。というわけで、ゲバラ関連の切手の中から、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・内務省前シルエット

 これは、2016年、キューバで発行された“内務省55周年”の記念切手で、ハバナの革命広場に面した内務省の壁面と、そこに掲げられたキューバ国旗ならびに、ゲバラの最も有名な肖像である“英雄的ゲリラ”の巨大な鉄製レリーフが取り上げられています。ゲバラ関連の切手は数多く発行されているのですが、今回は、生誕90周年にちなみ、そのなかから“90センターボ”の切手を選んでみました。

 キューバ内務省は、プラヤ・ヒロン事件直後の1961年6月6日、国内の治安維持・思想統制のために創設された組織で、社会主義政権特有の“反革命”摘発組織として、恐れられています。

 さて、1967年10月9日、ゲバラがボリビアで処刑されたとの第一報がキューバにもたらされましたが、CIAが遺体を早々に処理してしまったため、キューバ側は遺体を確認できませんでした。このため、外交ルートや情報機関を通じて、カストロがゲバラ死亡の事実を確認したのは死後約10日後のことで、10月18日になって、ようやく、内務省前の革命広場で追悼集会が行われることになりました。

 追悼集会に際して、内務省の壁面には、建物と同じ高さの木製パネルが組み上げられ、そこに、1960年にアルベルト・コルダが撮影した報道写真“英雄的ゲリラ”を原画とする巨大な肖像画が掲げられました。そして、追悼集会では、その肖像画の下で、カストロが数十万人もの群衆を前に追悼演説を行い、その模様が新聞、テレビを通じて全世界に報じられたことで、“英雄的ゲリラ”のイメージは一躍世界的に知られるようになりました。

 追悼集会後も、内務省の壁面には“英雄的ゲリラ”を元にした肖像画が掲げられていましたが、屋外での展示ゆえに損傷が激しくなったため、後年、別の肖像画に差し替えられた後、1993年には、彫刻家のエンリケ・アビラ・ゴンザレスによって鉄製レリーフが制作されて設置され、現在に至っています。なお、レリーフの右下には、“Hasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)”との彼の言葉が掲げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の鉄製レリーフを含め、彼の死後、ゲバラが神格化されていく過程で、“英雄的ゲリラ”がどのように扱われてきたのか、という点についても触れる予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 時の記念日
2018-06-10 Sun 15:01
 きょう(10日)は“時の記念日”です。というわけで、時計がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣)  キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣・部分)

 これは、2009年にキューバが発行した“革命勝利50年”の記念切手のうち、ゲバラの工業大臣就任を題材とした1枚で、左腕に腕時計をつけているのが確認できます。(右側には腕時計の部分をトリミングした画像を貼っておきました)

 キューバ革命達成以前のゲバラは、スイスのマーヴィン社のステンレス製自動巻き4針タイプを使っていましたが、革命後は耐久性と機能性に優れたロレックスを愛用するようになりました。

 なかでも、1963年の後半以降(遅くとも1964年4月まで)に入手し、1967年10月にボリビア山中で亡くなるまで身に着けていたGMTマスター1675(下の画像)は、赤青のベゼルが印象的な外観に加え、ベゼル(文字盤の外側)を回転させて世界各国の現地時間がわかる仕様が世界各地を飛び回っていたゲバラのイメージとも合致することから、“ゲバラの腕時計”といえば、このモデルが紹介されることが多いようです。なお、GMTマスター1675は、製造年代によって若干の差異がありますが、ゲバラが着けていたのは、1960-70年代に製造されていた龍頭ガードの付いたタイプです。

      ロレックスGMTマスター1675

 今回ご紹介の切手の腕時計は、文字盤が赤と青の2色になっているように見えますが、あるいは、光の加減などで文字盤にベゼルの色が映っているのか、それとも、GMTマスター1675ではない別の時計なのか、画像が小さすぎて良くわかりません。どなたかお詳しい方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の時計の話のような、ゲバラに関する小ネタの話もいろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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