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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ホセ・マルティ廟
2018-09-23 Sun 04:53
 きょうは秋のお中日。マカオ滞在中の僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、毎年恒例、“お墓”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ホセマルティ廟

 これは、1953年、キューバが発行した“ホセ・マルティ生誕100周年”の記念切手のうち、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地内にあるホセ・マルティ廟が描かれた1枚です。

 1892年4月10日、キューバ革命党を創立したホセ・マルティは、メキシコで武器を満載した船3隻を得た後、1895年1月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港し、第一次独立戦争の英雄、マクシモ・ゴメス・イ・バエス将軍と合流します。経済危機に陥ったキューバ各地で独立闘争が激化したのを確認すると、3月25日、マルティとゴメスはジャマイカのモンテクリスティで、事実上の独立宣言ともいうべきモンテクリスティ宣言を発表。4月1日、ジャマイカを出発し、ハイチを経て、4月11日、キューバ島東部のプライータ海岸に上陸し、第二次独立戦争が始まりました。

 マルティらはキューバ各地で闘争を繰り広げましたが、兵力に勝るスペイン軍を相手に苦戦。そして、5月19日、ドス・リオス付近での戦闘に際して、「あなたは独立後に必要な人物なのだから、野営地に留まってほしい」とのゴメスの制止を振り切って進撃したところ、スペイン植民地軍の銃撃に遭い、戦死しました。

 その後、マルティの遺体は、当初、スペイン側によって共同墓地に投げ入れられましたが、革命軍は彼の遺体を回収するために、スペイン軍と熾烈な戦いを繰り返して奪還に成功。後に、オリエンテ州第一管区総司令官の指示により、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地に埋葬されました。切手に描かれた墓廟は、1951年6月30日に完成し、高さ24メートル。墓廟の前には、常に、護衛の兵士3人が立っています。

 なお、ホセ・マルティについては、主に、フィデル・カストロに与えた影響などを中心に、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、いろいろな角度からまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 米独立記念日
2018-07-04 Wed 01:46
 きょう(4日)は米国の独立記念日です。というわけで、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアンタナモ基地葉書

 これは、1943年7月23日、キューバ島グアンタナモの米海軍基地内の郵便局から差し出された葉書です。
 
 1898年の米西戦争は、1895年から行われていたキューバの独立闘争を支援することが大義名分でしたが、実際には、1898年8月12日の停戦を経て、12月10日に和平条約として米西間でパリ条約が結ばれると、キューバは保護国化されて米軍政が始まります。

 その後、1902年にキューバは“独立”を達成しますが、これに先立つ憲法制定の過程で、米国はキューバ制憲議会に対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、④キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う、など8項目からなる付帯事項(提案した米議員の名前から、“プラット修正条項”と呼ばれています)を押し付けました。

 このうち、上記の④に基づき、1903年2月23日、米国はキューバ島東南部のグァンタナモ湾に面する116平方キロの土地を海軍基地として永久租借する権利を獲得しました。これがグアンタナモ米軍基地で、形式上の主権はキューバ側にあり、米国は“租借料”として、長年、毎年金貨2000枚(4000米ドル)を支払っていました。

 1959年のキューバ革命で成立したフィデル・カストロ政権は、米国による基地租借を非合法と非難しているため、租借料は1度受け取ったのみで、その後は受け取りを拒否し、基地周辺に地雷を敷設しています。基地の敷地内は、米軍法のみが適用される治外法権区域になっているため、1970年代以降、キューバやハイチからの難民を収容する施設が設けられました。後に、収容施設は、アフガニスタン戦争およびイラク戦争の捕虜が収容されるようになり、現在でも、40人が収容されています。
 
 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


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 ホセ・マルティ
2018-05-19 Sat 01:41
 きょう(19日)は、1895年5月19日に亡くなったキューバ独立の英雄、ホセ・マルティの忌日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(作家)

 これは、1953年にキューバが発行したホセ・マルティ生誕100周年の記念切手のうち、作家としてのマルティのイメージを取り上げた1枚です。

 ホセ・フリアン・マルティ・ペレスは、1853年、ハバナに生まれました。

 1865年、詩人で独立思想家のラファエル・マリア・メンディベが校長を務める公立学校に入学。メンディベを通じて、文学者や独立活動家と交流を持つようになり、1867年にハバナの美術専門学校に入学した後は、愛国的な詩や戯曲をさかんに書くなど、早熟な少年でした。

 第一次独立戦争勃発後の1869年、友人のフェルミン・バルデス・ドミンゲス宅がスペイン側の家宅捜索を受けた際、スペインの将校となった別の友人を“裏切り者”と罵倒したマルティの手紙が押収され、反逆罪の容疑で逮捕。懲役6年の判決を受け、ピノス島での収容所での強制労働に従事させられます。

 父親の奔走により、1870年末に釈放され、国外退去処分を受けてスペインへ渡ると、航海途中に記した『キューバに於ける政治犯刑務所』をマドリードで出版。サラゴサ大学などで法律や文学、哲学などを学びました。

 1874年末以降、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを経て、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻ったものの、独立運動を展開したため、再び亡命を余儀なくされています。

 その後、メキシコ、ニューヨークなどを経て、ヴェネズエラのカラカスに渡り、雑誌『レビスタ・ベネソラーナ』を創刊しましたが、時の為政者グスマン・ブランコを批判したことで、国外退去を余儀なくされたため、1881年、当時多くの亡命キューバ人の滞在していたニューヨークに居を移しました。ニューヨークでのマルティは、小説家、詩人、評論家、教育者、ジャーナリストとして活動し、知識人としての地位を確保する傍ら、パラグアイおよびアルゼンチンの駐米領事、ウルグアイの駐米領事・国際金融会議代表を歴任しています。

 しかし、キューバ独立への思いは断ちがたく、1892年1月10日、全ての地位・役職を放擲し、独立活動に専念すべく、キューバ革命党を創立。①“キューバの完全独立の達成、プエルトリコの独立の推進・援助(併合主義の拒絶)のための戦争の準備、② 在外独立諸勢力の統一とキューバ内の勢力との連絡の確立、③カウディージョ主義・軍国主義的逸脱の排除、④“共和主義的精神・方法による戦争”の実施に寄与するような民主的諸原則の順守、を綱領として掲げました。

 マルティの認識によれば、第一次独立戦争の後、スペインはキューバに形式的な自治を与えたものの、キューバを独立させる気は毛頭なく、キューバの独立は武力で勝ち取らねばなりません。

 また、在米キューバ人の中には、富裕層を中心に、スペインからの独立後、“進歩と民主主義の国”にして、経済的な結びつきが強い米国への統合を求める者も少なくありませんでしたが、マルティは、「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」「(ニューヨーク在住の)私は(米国という)怪物の中に住んでいるので、その内臓をよく知っている」として、あくまでも独立を主張しました。

 1894年、革命の資金・武器調達のためにニューヨークを出発してメキシコに向かったマルティは、武器を満載した船3隻を得た後、1895年1月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港し、第一次独立戦争の英雄、マクシモ・ゴメス・イ・バエス将軍と合流。経済危機に陥ったキューバ各地で独立闘争が激化したのを確認すると、3月25日、マルティとゴメスはジャマイカのモンテクリスティで、事実上の独立宣言ともいうべきモンテクリスティ宣言を発表。4月1日、ジャマイカを出発し、ハイチを経て、4月11日、キューバ島東部のプライータ海岸に上陸し、第二次独立戦争が始まりました。

 マルティらはキューバ各地で闘争を繰り広げましたが、兵力に勝るスペイン軍を相手に独立派は苦戦を続けます。そして、5月19日、ドス・リオス付近で戦闘に際して、「あなたは独立後に必要な人物なのだから、野営地に留まってほしい」とのゴメスの制止を振り切って進撃したところ、スペイン植民地軍の銃撃に遭い、戦死しました。

 ちなみに、マルティの遺体は、当初、スペイン側によって共同墓地に投げ入れられましたが、革命軍は彼の遺体を回収するために、スペイン軍と熾烈な戦いを繰り返して奪還に成功。後に、オリエンテ州第一管区総司令官の指示により、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地に埋葬されました。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界赤十字デー
2018-05-08 Tue 01:37
 きょう(8日)は世界赤十字デーです。というわけで、赤十字関連の切手の中から、この1枚を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・赤十字80年

 これは、1944年にキューバが発行した国際赤十字80年の記念切手で、地球(西半球)と赤十字が描かれています。

 赤十字の祖として知られるアンリ・デュナンは、1828年5月8日、ジュネーヴの裕福な実業家の家庭に生まれました。1853年、25歳の頃から、勤務先のルーラン・ソータ-銀行の会計士としてフランスの植民地であったアルジェリアに滞在したことから、現地での起業に興味を持ち、1858年、モン・ジェラミー製粉株式会社を設立します。しかし、同社は水利の便が悪く、事業としてはうまくいきませんでした。このため、彼は、アルジェリアでの事業にフランスの援助を得るため、1859年6月、アルジェリア総督のマック・リオンを追って北イタリアに入り、あわよくばナポレオン3世に直訴しようと考えます。

 当時、北イタリアは、イタリア統一戦争(第二次)の最中にあり、フランス・サルディニアの連合軍とオーストリア軍とが熾烈な戦闘を行っていました。

 そうしたなかで、6月25日、北イタリアのカスティリオーネに到着したデュナンは、前日の24日に行われたソルフェリーノの会戦でうち捨てられた負傷者の非惨なありさまを目のあたりにし、義憤に駆られ、近隣の農家の婦人や旅行者に協力を呼びかけ、懸命の救護にあたります。

 このときの経験をまとめた手記『ソルフェリーノの思い出』は、1862年11月に出版され、「負傷して武器を持たない兵士は、もはや軍人ではない。戦列を離れた一人の人間として、その貴重な生命は守らなければならない。そのためには、かねてから国際的な救護団体をつくり、戦争の時に直ちに負傷者を救助できるようにしておけば、再びソリフェリーノのような悲惨を繰り返すことはないであろう。また、これらの救護に当たる人々は中立とみなし、攻撃しないよう約束することが必要である。」との彼の訴えは、世界中に大きな反響を呼ぶことになりました。

 1863年2月、デュナンは、自分の訴えに賛同してくれたギュスタヴ・モアニエ(法律家)、アンリ・デュフール(将軍)、ルイ・アッピア(医師)、テオドール・モノアール(医師)とともにジュネーヴで5人委員会を結成。これが後の赤十字国際委員会の前身となります。その後、同年10月、ヨーロッパ16ヶ国が参加して最初の国際会議が開かれ、翌1864年8月、スイスほか15ヶ国の外交会議で最初のジュネーヴ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生。以後、人道・博愛の精神を根底にした赤十字は、各国で次々と受け入れられてくことになります。ちなみに、今回ご紹介の切手は、ここから起算して80周年となるのを記念して発行されたもので、発行国のキューバは1909年に国際赤十字に加盟しています。

 一方、デュナンは、赤十字創設に没頭のあまり製粉会社の経営に失敗し、1867年、破産宣告を受けて失踪。1895年にハイデン(スイス)の養老院で新聞記者によって“発見”されるまで行方不明をなってしまいました。

 その後、彼は赤十字誕生の功績が認められ、最初のノーベル平和賞をおくられたほか、ロシア皇后から賜った終生年金を受けて生活の安定を取り戻し、1910年10月、亡くなりました。そして、いまから70年前の1948年、デュナンの功績をたたえ、彼の誕生日にあたる5月8日を世界赤十字デーとすることが第20回赤十字社連盟理事会で決められ、現在に至っています。


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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 憲法記念日
2018-05-03 Thu 10:28
 きょう(3日)は“憲法記念日”です。というわけで、世界の憲法関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1940年憲法

 これは、キューバで1940年憲法の公布に際して使用された記念印です。

 スペイン植民地時代のキューバには植民地独自の憲法はありませんでしたが、1868年に始まる第一次独立戦争の過程で、1869年、独立派がガイマロ憲法を制定。これが、キューバ最初の憲法となります。

 その後、1878年のパラグア憲法、第二次独立戦争時のヒマグアユ憲法(1895年)、ラ・ヤヤ憲法(1897年)などが制定されましたが、これらは、独立戦争の過程で作られてこともあって、体系的な憲法というよりも、独立宣言という性格の強いものでした。

 1898年の米西戦争で、スペインはキューバの領有権を放棄し、キューバに新政権が樹立するまでは米軍がキューバを占領することになります。これを受けて、米国の“指導”の下、キューバ制憲議会が招集され、米国はキューバに対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、③キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う(この結果、設置されたのが、現在も存在するグアンタナモ米軍基地です)、など8項目からなる付帯事項(プラット修正条項)を強要。これを容れたうえで、人民主権・三権分立・国民の生活向上を謳った1901年憲法が採択され、1902年5月、キューバ共和国が発足します。

 1924年の大統領選挙で当選したヘラルド・マチャド・イ・モラレスは、軍部の支持を背景に、政権に批判的なメディアや活動家を弾圧。1927年には憲法を改正して大統領の(連続)再選禁止規定は撤廃し、独裁者として君臨しましたが、1929年10月に世界恐慌が発生し、キューバ経済が壊滅的な打撃を受けると、大規模な反マチャド運動が発生。1933年8月、マチャドはバハマの首都、ナッソーに亡命しました。

 マチャドの亡命後、臨時政府の大統領にはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが就任しましたが、9月4日にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル軍曹を首謀者とする下士官がハバナ市内、コロンビア兵営で叛乱を起こし、軍の実権を掌握。バティスタらは、軍の旧首脳部の報復に対抗するため、左派系の学生幹部会と手を組み、“キューバ革命連合”を結成し、ハバナ大学教授のラモン・グラウ・サン・マルティンを首班とする新政権が誕生しました。

 その後、キューバ国内では、左翼勢力の“赤軍”、政府軍バティスタ派、将校団(政府軍内の反バティスタ派)の三つ巴の闘いが展開されましたが、最終的に米国の支持を得たバティスタ派が勝利をおさめ、1934年1月19日、バティスタの支援を受けたカルロス・メンディエタ・イ・モンテフール(独立戦争の英雄で、国民党の重鎮として、かつて大統領選挙でマチャドと戦ったこともある)を臨時大統領とする“国民統一政府”が発足します。

 以後、バティスタは政権の陰の実力者として暗躍し、短期間で政権が目まぐるしく交替する時期が続きましたが、それでも、政治犯の釈放(1937年)、共産党の合法化、土地分配法の制定(1938年)などのリベラルな政策も行われ、砂糖および煙草産業の国家管理や社会保障政策も導入されました。

 そうした流れの中で、1939年には憲法制定議会が招集され、国家主権の確立、全国民の平等(=人種・性・階級による差別の禁止)、大統領の再選禁止、普通選挙、大地主制度(=米系砂糖会社による土地の独占)の廃止、土地所有限度の設定(=大地主制度の廃止)などを定め、当時のラテンアメリカでは最も民主的といわれた1940年憲法が施行されます。今回ご紹介の記念印は、これにあわせて使用されたものです。

 ただし、事実上、米国の植民地だったキューバでは、1940年憲法に規定された大地主制度の廃止は行われず、政府要人や官僚は権力の乱用と汚職による不正蓄財に狂奔していました。さらに、1952年3月10日、大統領選挙に立候補したものの苦戦が続いていたバティスタが軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任すると、1940年憲法は事実上反故にされてしまいます。

 これに対して、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した青年弁護士のフィデル・カストロは、クーデターによる選挙の無効に憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発。しかし、裁判所はこれを握り潰し、既成政党もクーデターを結果的に容認してしまいました。そこで、1953年7月26日、カストロは、バティスタ政権の打倒を掲げて、モンカダ兵営襲撃事件を起こしました。

 事件後、カストロは裁判で、革命達成の暁に実施すべき政策として、①1940年憲法の復活、②土地改革(小作人下の土地分与、有償による土地接収)、③労働者の企業利益への参加、④小作人の収益参加率の50%への引き上げ、⑤不正取得資産の返還、の5項目を掲げます。以後、1940年憲法の復活は、反バティスタ派の共通の目標となりました。
 
 1959年1月、バティスタ政権は崩壊し、カストロの革命が成功すると、同年2月7日、革命政府は1940年憲法を修正するキューバ共和国基本法を制定しました。その際、新憲法制定のための議会が早急に開催の予定とされていましたが、実際には、2月7日付で国民議会が解散された後、1976年まで選挙は実施されず、“革命的立法”によって政策が実施されていくことになります。こうして、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。

 なお、キューバでの憲法と名のつく法律の復活は、1975年のキューバ共産党第1回大会を経て、1976年2月のことでした。1976年憲法は、1992年の修正で「キューバを社会主義国家と定義(第1条)」、2002年の修正で「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項が追加されているほか、第5条ではキューバ共産党(PCC)のみを合法政党としています。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 

 * 昨日、アクセスカウンターが191万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  

 
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 昭和の日
2018-04-29 Sun 11:01
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の中から、昭和史ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(監獄)

 これは、1953年にキューバが発行した“ホセ・マルティ生誕100年”の記念切手のうち、マルティが捕えられていたピノス島(現・青年の島:フベントゥド島 )の“政治犯収容所”が描かれています。この収容所は、第二次大戦中、日系人が抑留されていた施設でもありました。ちなみに、実際の収容所内の風景を取り上げた写真絵葉書が手元にありますので、その画像も下に貼っておきます。

      キューバ・ピノス島監獄

 ピノス島は、キューバ本島西部南岸のバタバノ湾から南西百キロの地点にあり、ハバナやピノール・デル・リオからほぼ真南に位置しています。ピノス島という地名は、島中に松の木が多数あったことに由来するもので、日系移民の間ではスペイン語名を直訳した“松島”と通称されていました。

 キューバといえば、サトウキビの栽培が有名ですが、ピノス島の土壌はサトウキビの生育に全く適していません。このため、スペイン当局はここに政治犯収容所を設置し、同島でも栽培可能な柑橘類の栽培などの労働に従事させていました。キューバ独立運動の指導者として知られるホセ・マルティも、一時、この収容所で拘束されていたことがあり、そのため、生誕100年の記念切手にも収容所の風景が取り上げられたというわけです。

 さて、米西戦争後のパリ条約では、スペインはキューバの領有権を放棄しましたが、ピノス島はキューバの領土を定めた覚書からその名が脱落していたため、米国とキューバの間で領有権をめぐる対立が生じます。その後、1907年、米国最高裁がピノス島は合衆国に属するものではないとの裁定を下したため、米国政府は、それ以上の争いを断念。1925年に米国とキューバの間で取り交わされた覚書により、島の領有権はキューバのものと確定しました。

 ところで、キューバ島を訪れた日本人の記録としては、1614年7月23日、仙台藩主伊達政宗の命を受けてスペインおよびローマに派遣された支倉常長らがハバナに立ち寄ったのが最初です。明治維新後、日本から北米の移民が始まりましたが、米国では黄禍論に基づく日系移民の排斥が始まったため、その代替地の一つとして、1898年、キューバへの日系移民が始まり、1908年以降はピノス島に移住して果物・野菜の栽培に従事する日本人も現れました。

 なお、キューバへの日系移民は1919年から1926年頃が最盛期でしたが、この時点では両国間に正規の国交はなく、1929年の通称暫定取極締結により、ようやく、外交関係が樹立されています。

 1941年12月8日、日本が米英に宣戦を布告すると、翌9日、キューバは日本に宣戦布告し、以後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまで両国の外交関係は途絶します。

 この間、1941年12月12日、キューバ在住の日本人は“敵性外国人”として、その一部が逮捕・国外退去処分となり、約350人の男性が1946年3月までピノス島のプレディシオ・モデーロ収容所に抑留されました。

 1952年、日本とキューバの国交は回復しましたが、1959年の革命で親米バティスタ政権が打倒されると、少なからぬ日本人が混乱を嫌って、キューバを去りました。ちなみに、1950年代後半は、日本からラテンアメリカ諸国への移民がさかんに行われていた時期で(ちなみに、キューバで革命が起きた1959年の日本からブラジルへの移民は年間7000人を超えていた)、そうした中で、キューバは日系移民社会が縮小していた例外的な国でした。

 さて、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたキューバの日系移民について、チェ・ゲバラがどう考えていたかについても触れています。今後、同書については、このブログでも随時ご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ラウル・カストロ議長退任へ
2018-04-18 Wed 05:15
 キューバで、きょう・あす(18・19日)、人民権力全国会議が開催され、現在のラウル・カストロ国家評議会議長(首相を兼務)が退任し、新議長が選出される見通しです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・議事堂絵葉書(1929)

 これは、キューバの首都、ハバナの旧国会議事堂“カピトリオ”を取り上げた絵葉書です。

 カピトリオは、1929年、米国の連邦議事堂を模して、ハバナ中心部のホセ・マルティ通りに建てられました。幅208m、高さ98mの4階建てで、円形の柱廊の上にドームが乗せられています。

 さて、キューバでは、革命直後の1959年1月17日、政権内の主導権争いから、首相のカルドナが大統領のウルティアに辞表を提出し、後に撤回するという混乱が生じました。

 これに対して、2月7日、混乱収拾のため、革命の指導者、フィデル・カストロの首相就任を求める世論が高まり、大衆デモの圧力に押されたカルドナ政権は国民議会を解散します。以後、キューバでは1976年まで選挙は実施されなかったため、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなり、カピトリオが議事堂として使われることもなくなりました。なお、フィデルは、2月16日、「首相は政府の全般的政策を代表する」との条件つきで首相に就任し、革命政権の実権を掌握します。

 その後、1976年2月、革命後の新憲法がようやく公布されたことに伴い、人民権力全国会議・人民権力州会議・人民権力地区会議で構成される議会制度が復活しました。ただし、1976年のキューバ憲法では、一般国民による直接選挙制度が採用されているのは地区会議の選挙のみで、州会議と全国会議の議員は地区会議が中心になって選出するものとされていました。現在は、1992年の憲法改正を経て、州会議と全国会議の選挙も直接投票となっています。

 ただし、選挙に際しては、地区の候補者委員会が議員定数の4分の1超の“プレ候補者”を選び、州会議と全国会議の候補者委員会が独自の候補者を加味した候補者リストを作成し、地区会議がそれぞれ被選挙権を満たしているかどうか審査したうえで、定数と同数の候補者を決定するという方式がとられているため、誰でも自由に立候補できるわけではわけではありません。したがって、キューバの人民権力全国会議は、たしかに全国レベルの立法機関ではあるものの、多くの日本語メディアで紹介されているように“日本の国会に相当”とは単純に言い切れない面があります。なお、国家元首としての国家評議会議長は、全国会議の議員の中から選出されます。

 さて、ことし(2018年)6月はチェ・ゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラとキューバ革命に関する書籍を刊行すべく、現在、鋭意制作中です。また、これに先立ち、21日(土)12:30~、東京・浅草のスタンプショウ会場にて事前プロモーションのトークイベントを行います。入場は無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記のご案内をご覧いただけると幸いです。)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 予算不成立で自由の女神閉鎖
2018-01-21 Sun 20:56
 米連邦予算をめぐる民主、共和両党の対立により、現地時間20日未明までに、政府の運営を続けるための“つなぎ予算”が成立しなかったため、米政府機関の一部が20日から業務を停止。ニューヨークの自由の女神も4年ぶりに閉鎖されました。というわけで、自由の女神を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・自由の女神(1942)

 これは、1942年2月23日、キューバが発行した“民主主義のために”の切手のうち、自由の女神を取り上げた13センタヴォ切手です。

 1933年、“軍曹の叛乱”を主導したフルヘンシオ・バティスタ軍曹は、同年、軍参謀総長となり軍の実権を掌握。さらに、1936年にはミゲル・マリアノ・ゴメス・アリアス大統領の下、国防相兼軍総司令官に就任し、政治の実権を握ります。1940年7月には、新憲法を公布したうえで、大統領に当選し、名実ともにキューバの独裁者となりました。

 バティスタは、もともと、スペインのフランコ政権に親和的な姿勢を示していたこともあり、当初、米国はキューバが枢軸陣営に加わることを懸念していました。しかし、バティスタ政権は、発足後すぐに膨大な量の砂糖を英国に無償で提供しただけでなく、1941年2月には独伊両国の領事館員を追放。同年12月の真珠湾攻撃を機に米国が第二次大戦に参戦すると、すぐさまこれに呼応して、12月11日には枢軸国に対して宣戦を布告し、米軍に対独戦用の海軍基地を提供しています。

 今回ご紹介の切手は、バティスタ政権の参戦後まもない1942年2月、米国と共に戦うとの旗幟をいち早く鮮明にするために発行したものです。

 その後、1944年の大統領選挙で、バティスタの推すカルロス・サラドリガスが敗北し、不正の追及を恐れた彼はフロリダに逃亡。デイトナビーチでカジノを経営しながら、米国マフィアとのコネクションも強化しつつ、キューバ政界復帰のタイミングをうかがうことになります。そして、1948年の選挙で上院議員に立候補して政界に復帰。1952年には軍事クーデターを決行し、大統領に就任しました。

 米国は、第二次大戦中、米国への忠勤に励んだバティスタの政権復帰を歓迎。以後、1959年のキューバ革命まで、バティスタは、キューバにおける米国政府、企業、マフィアの利権を保護する代わりに、国家を私物化する状況が続くことになります。


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 米64歳女性が遠泳の最長記録
2013-09-03 Tue 10:57
 まずは直前になりましたが、告知です。

 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 きょう・あす(3・4日)の両日(場合によってはあさって5日も)、16:30前後から、東海ラジオで放送の「夕焼けナビ」にて、僕のインタビュー(録音)が流れます。お題は、先ごろ1等が現金1万円と発表された来年の年賀はがき。聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


 さて、米国の64歳女性、ダイアナ・ナイアドさんで先月31日、キューバの首都ハバナから米フロリダ州を目指して出発。約53時間後の現地時間の2日午後、フロリダ州キーウェストの海岸に到着しました。サメを防ぐ柵を使わない遠泳としては世界最長記録だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       キーウェスト=ハバナ就航30年

 これは、1957年にキューバが発行したキーウェスト=ハバナ間の航空便就航30年の記念切手で、ハバナとキーウェストの位置を示す地図と初飛行の際の飛行機が描かれています。今回のナイアドさんは、この距離を泳いで渡ったわけで、あらためて、その凄さがわかりますな。

 さて、キーウェスト=ハバナ間の航空路線を開拓したのは、パンアメリカン航空(以下、パンナム)です。

 パンナムは、民間航空が各国で盛んになってきた1927年3月14日、ファン・トリップが、米空軍の父と呼ばれた軍人のヘンリー・アーノルドらの協力を得て、フロリダ州マイアミを拠点に設立されました。トリップの理想は、航空輸送の大衆化でしたが、当面の目的としては、当時、コロンビアを拠点に展開していたドイツ系の航空会社SCADTAに対抗することで、その手始めとして、1927年10月、キーウェスト=ハバナ間90マイル(144.8キロ)の航空郵便の輸送が計画されます。

 当初、10月の初飛行に際しては、フォッカー社のF-7型機が使用される予定でしたが、パンナムが発注した機体の到着は遅れ、納品は同年9月30日になってしまいました。このため、パンナム側は西インド航空のフェアチャイルド機を145.5ドルでチャーターし、10月18日にエアメールを運びました。ちなみに、パンナムがフォッカーF-7を使い、キーウェスト=ハバナ間で最初の旅客輸送を行ったのは、1928年1月16日のことです。

 これを機に、パンナムはカリブ海路線を皮切りに、南米、ヨーロッパ、アジアへと路線網を世界各国へ拡大。米国政府の庇護もあり、名実ともに米国のフラッグ・キャリアとして、1970年代まで世界の航空業界に君臨することになりました。

 パンナムは1991年に破産し、路線はユナイテッドやデルタに譲渡されてしまいましたが、切手の地図を見ていると、世が世なら、今回の偉業を達成したナイアドさんも、スタート地点のハバナへはパンナムで行ったのかなぁと想像してしまいますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 青いバラ
2009-10-21 Wed 13:33
 昨日(20日)、サントリーホールディングスと子会社のサントリーフラワーズが、世界で初めて実現した青いバラ「「SUNTORY blue rose APPLAUSE」を11月3日に発売すると発表しました。というわけで、きょうは青いバラの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 キューバ・青いバラ

 これは、1955年11月1日にキューバが発行した郵便税切手で、鉢植えのバラに水をやる場面が描かれています。額面は1センタヴォで、同図案で色違いのものが4種ありますが、ここはやはり“青いバラ”の1枚をもってきました。

 キューバでは、バティスタ政権末期の1954年から1958年にかけて、毎年11月から翌年2月までの間、国家結核会議による児童病院の建設資金を集めるため、郵便物1通につき、1センタヴォ切手を強制的に貼付させていました。今回ご紹介の切手も、そうした目的で発行されたものです。

 さて、英語の“Blue Rose”が“不可能”を意味するように、これまで、青いバラは実現不可能とされてきましたが、サントリーは、2004年にパンジーから取り出した青色色素に関わる遺伝子を組み込むことで開発に成功。遺伝子組み換え生物を規制するカルタヘナ法の承認を得た上で、生産・流通・販売体制を整えて販売にこぎ着けたそうです。

 実売予想価格は1本2000~3000円程度とお高めですが、いずれ、技術が進めば、今回の切手のような“青いバラ”を自宅の植木鉢で気軽に育てられる日が来るのかもしれませんね。


 ☆☆ お待たせしました! 半年ぶりの新刊です ☆☆

 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年
 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く!
 “切手紀行シリーズ”の第2弾 オールカラーで10月23日、配本予定!

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』

 トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行   (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税)

 10月31日(土) 11:00から、<JAPEX09>会場内(於・サンシャイン文化会館)で刊行記念のトークイベントを行いますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 全国書店・インターネット書店(アマゾンbk17&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館ていぱーく)などで好評発売中!

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