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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:キューバ
2018-12-30 Sun 00:42
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年12月26日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ最初の切手

 これは、1855年に発行された“スペイン領アンティル諸島”の切手で、キューバの地で使用するために発行されたものとしては最初の切手となります。

 カリブ海のキューバ島は、1511年以来、スペインの支配下に置かれていましたが、1776年に独立宣言を発した米国は、はやくも、1800年代初頭にはスペイン領キューバの併合をめざすようになっていたといわれています。

 ただし、当時の米国政府は、1803年にフランスからルイジアナ(現在のアイオワ、アーカンソー、オクラホマ、カンザス、コロラド、サウスダコタ、テキサス、ニューメキシコ、ネブラスカ、ノースダコタ、ミズーリ、ミネソタ、モンタナ、ルイジアナ、ワイオミングの15州にまたがる210万平方キロを超える土地)を買収したという経験もあり、キューバ島の獲得には、武力ではなく、買収という手段が有効だと考えていました。じっさい、1823年には、ジョン・クインシー・アダムズ国務長官が、ラテンアメリカ諸国の独立により衰退したスペインは、いずれ、米国にキューバを売却せざるを得なくなるとの見通しの下、“熟柿政策”を打ち出しています。

 実際、スペイン領時代のキューバの経済を支えていた砂糖産業は、奴隷によるプランテーション経営に基づいていたために、国内市場がほとんどなく、海外市場に依存せざるを得ず、その中でも、近隣の巨大市場としての米国のプレゼンスは年を追うごとに増加。その結果、キューバの砂糖輸出先における米国の占める割合は、1840年代には4割に達し、1860年代には6割を超え、キューバと米国を結ぶ定期船がさかんに往来するようになりました。

 これに対して、ラテンアメリカの植民地を失ったスペインは、フィリピン、プエルトリコなどとともに“最後の植民地”としてのキューバをなんとしても維持しようとしていました。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下、1855年、“スペイン領アンティル諸島”用に発行され、キューバとプエルトリコで使用されましたが、切手上の文字としては、郵便を意味するスペイン語の“CORREOS”と、当時のキューバで流通していた通貨、スペイン植民地レアルでの額面表示のみで、“キューバ”はおろか“スペイン領アンティル諸島”の表示さえありませんでした。これは、キューバであれプエルトリコであれ、あくまでもスペイン領土であり、地域としての独自性はいっさい認めないというスペイン当局の意思を示していました。

 しかし、キューバ島内の地主たちの中には、権威主義的で旧態依然たるスペインの植民地政府とその腐敗・無能に不満を持つ者も少なくありませんでした。1867年、彼らはキューバ使節団の本国国会への派遣を求めたが、スペイン側はこれを拒否。このため、1868年10月10日、急進派の中心人物で、キューバ島南東、オリエンテ州(現グランマ州)のヤラの地主で製糖工場を経営していたカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが、自らの工場の奴隷を解放して叛乱軍を組織し、スペインからの独立と奴隷の解放を宣言する“ヤラの叫び”が発生し、キューバはスペインに対する独立戦争の時代に突入していきます。

 さて、『世界の切手コレクション』12月26日号の「世界の国々」では、スペイン統治時代のキューバ独立運動ホセ・マルティについての長文コラムのほか、青年の島(旧ピノス島)ホセ・マルティ廟、モンテ・クリスティ宣言、ダイオウヤシの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のキューバの次は、少し間が開いて、2019年1月16日発売の同23日号でのコンゴ共和国(元仏領)の特集となっています。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 
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 こどもの日
2018-05-05 Sat 02:47
 きょう(5日)は“こどもの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1894年(20センタヴォ)

 これは、1894年にスペイン領時代のキューバで発行された20センタヴォ切手で、当時のスペイン国王アルフォンソ13世の肖像が描かれています。

 キューバ島の切手は、1855年、“スペイン領アンティル諸島”名義で発行されのが最初です。この時の切手は、当時のスペイン女王、イサベル2世を描くもので、プエルトリコと共通で使用されました。また、切手に表示された文字は、郵便を意味するスペイン語の“CORREOS”と、当時のキューバで流通していた通貨、スペイン植民地レアルでの額面表示のみで、“キューバ”はおろか“スペイン領アンティル諸島”の表示さえありませんでした。これは、キューバであれプエルトリコであれ、あくまでもスペイン領土であり、地域としての独自性はいっさい認めないという意思の表れと言われています。

 その後、1868年10月、スペインに対する第一次独立戦争が勃発。独立戦争は1878年2月10日の停戦までの約10年間続き、双方の死者20万、物的損失7億ドルという甚大な被害の末、停戦となしました。

 この間、スペイン植民地当局は、1873年から、キューバとプエルトリコで別の切手を使用するようになりましたが、この時点でも切手の国名表示は“海外(領土)”を意味する“ULTRAMAR”となっており、キューバを独自の地名として特定する表記はなく、停戦前年の1877年になって、ようやく、キューバ(CUBA)の表示が入った切手が発行されます。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたアルフォンソ13世は、1886年5月17日11時30分、父王アルフォンソ12世の唯一の男子として生まれましたが、すでに前年の1885年11月25日、父王は崩御していたため、出生と同時に国王となり、1902年まで、母マリア・クリスティーナ王太后が摂政を務めていました。

 キューバでアルフォンソ13世の肖像入り切手が登場するのは1889年以降のことで、以後、1898年に米西戦争スペインがキューバを失うまで、キューバではアルフォンソ13世の肖像切手が使われることになります。

 なお、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、1959年の革命に至る歴史的背景として、スペイン領時代のキューバとその郵便についても、簡単にまとめています。今後、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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 キューバ・リブレ
2006-03-21 Tue 23:04
 野球のWBCは日本がキューバを下して優勝しましたね。日本人として素直に嬉しいです。

 というわけで、勝者の余裕というわけでもないんですが、キューバ・チームの健闘とスポーツマンシップに則ったさわやかな態度(いや、別に準決勝で対戦した某国のことを問題にしたいわけじゃないんですが)を称えて、キューバがらみのモノの中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

自由キューバ

 スペインの植民地支配に対するキューバの第一次独立戦争は1868年から1878年まで続きました。その間の1874年、革命派は革命資金を捻出するため、キューバ国旗を描いた“自由キューバ”の切手を発行することを計画。アメリカのフィラデルフィアでここにご紹介しているような切手を制作しました。
 
 ところが、国旗の下に記された“自由キューバ”のスペルが、“CUBA LIBRA (正しくはCUBA LIBRE)”となっていたため、この“切手”は実際に発行されず終わっています。

 どうでもいいことですが、僕なんかは、“キューバ・リブレ”といえば、ラムをコーラで割ったカクテルを思い出してしまいますが、これは、1898年の米西戦争でアメリカがキューバの独立を“支援”したことにちなんでつくられるようになったものです。もっとも、スペインから独立した後のキューバは、1957年のカストロによる革命まで実質的なアメリカの植民地支配下に置かれてしまうわけで、この辺の事情については、ご興味がおありの方は、拙著『反米の世界史』もご覧いただけると幸いです。

 ちなみに、今回の“切手”が発行された1874年は、キューバで初めて野球の公式戦が行われた年でもあります。記念すべき第1試合は、同年12月、サマンサス球場で行われたハバナ対マタンサスの対戦で、結果は51対9でハバナが勝ったそうです。それにしても、51点というスコアが出てくる試合って…。やってる選手たちも、見てる観客も、さぞかし、しんどかったでしょうね。

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