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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 憲法記念日
2019-05-03 Fri 01:20
 きょう(3日)は憲法記念日です。というわけで、毎年恒例、世界の憲法関連切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアテマラ・新大統領就任(1951)

 これは、1951年3月15日にグアテマラが発行した“新大統領就任”の記念切手で、国旗と民主主義(DEMOCRACIA)の下で憲法を受け渡す図案が描かれており、前年の選挙が民主的な手続きに則って行われたことが示されています。

 1944年6月25日、グアテマラでは、1930年以来のホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェーダ独裁政権に対して大規模な反政府デモが発生。ゼネストと抗議行動はグアテマラ全土に拡大し、6月30日には米国もウビコの行動を批難したため、7月1日、ウビコは米ニューオリンズに亡命し13年余に及んだ独裁政権は崩壊しました。

 ウビコの亡命直後、ブエネべンチュラ・ピニェダ大佐、エドゥアルド・ビジャグラン・アリサ大佐、フェデリコ・ポンセ・バイデス将軍の3名は、国民議会を開いて暫定大統領の選出することを約束しましたが、7月3日、実際に議会が招集されると、軍は全議員に銃口を突き付け、ポンセへの投票を強要。ポンセは、ウビコからの命を受け、ウビコ政権の閣僚の多くを留任させたほか、弾圧政策もそのまま継続させたため、反政府勢力が再び結集。10月20日、前年まで士官学校の校長を務めていたハコボ・アルベンス・グスマンと、軍内改革派のフランシスコ・ハビエル・アラナ将軍を指導者とする兵士・学生グループが国民宮殿を襲撃し、ポンセを追放。アルベンスやアラナ、そして弁護士のホルヘ・トリエリョが革命政権を樹立し、年末までに民主的選挙を実施することを確約しました。

 これが、1944年のグアテマラ10月革命です。

 10月革命を受けて行われた選挙の結果、亡命先のアルゼンチンで大学の哲学教授をしていたフアン・ホセ・アレバーロ・ベルメホが大統領に選出され、軍内改革派の急先鋒、アルベンスは国防相に就任ました。

 アレバーロ政権は、1951年の任期満了までの間に、25回ものクーデター未遂事件が発生するなど、困難な状況にありながらも最低賃金法や教育予算の拡充、労働改革などを行いました。同政権の改革は比較的穏健なものでしたが、米国やカトリック教会、ユナイテッド・フルーツ社はそれすらも“容共的”としてアレバーロを攻撃。1951年の任期満了までに25回ものクーデター未遂事件が発生しています。

 こうした経緯を経て行われた1950年の大統領選挙では、アレバーロ政権の国防相だったアルベンスが米国の干渉を跳ね除けて当選。1951年3月15日の大統領就任式(今回ご紹介の切手はこれにあわせて発行されたものです)では“極端に封建的な経済体制から、現代資本主義国家へと”脱皮を図ると宣言し、国政に対する“外資系企業(名指しこそ避けていますが、ユナイテッド・フルーツ社のことです)”の影響力を削ぎ、外国資本からの支援を受けずに、国内の社会資本を整備する方針を明らかにしました。

 はたして、1952年6月、アルベンスは人口の2%と外国企業が国土の70%を独占していた状況を打破すべく、公約通り、“布告9000”として、農地改革関連法を制定。一連の農地改革により、ユナイテッド・フルーツ社が所有していた広大な土地(耕作地・農場以外にも、グアテマラ国内の遊休地および未開墾地の85%は同社の所有でした)も収用の対象となりました。しかも、ユナイテッド・フルーツ社は、土地の評価額を低く見積もることで納税額を極端に抑制していたため、補償金も低額となり、アルベンス政権と激しく対立します。

 このほかにも、アルベンス政権は、グアテマラ労働党(左翼政党ですが、もともとはソ連と無関係にグアテマラ国内で誕生した土着政党)の合法化、大衆に対する識字運動、それまで差別を受けていたマヤ系先住民の権利回復運動などを展開。一連の政策は、当時のラテンアメリカではきわめて急進的な内容であったため“グアテマラの春”と呼ばれました。

 国内の保守派や米国はこれを苦々しく思っていましたが、ウビコ独裁政権の記憶も生々しかった国民の多くはアルベンスを支持し、1953年年の国会選挙では、与党の革命行動党が圧勝します。

 これに対して、アルベンス政権下での農地改革で莫大な“損害”を被ったユナイテッド・フルーツ社は、すぐさま、政権転覆を目指してCIAに対してロビー活動を開始。1953年にドワイト・アイゼンハワー政権が発足すると、同年10月、米国の駐グアテマラ大使に任命されたジャック・ピュリフォイは反アルベンス政権のプロパガンダ工作を展開するとともに、反アルベンス派の大地主、マリアン・ロペス・エラルテやグアテマラ軍内部の反アルベンス派に接触し、反アルベンス派の兵士に破格の報酬を与えて秘密キャンプでの軍事訓練を開始しました。

 ついで、1954年2月19日、CIAはニカラグア領内にソ連の武器庫に見せかけた施設を建設するWASHTUB作戦を開始し、アルベンス政権がソ連の支援を受けていると喧伝します。

 こうした経緯を経て、同年3月、ベネズエラの首都、カラカスで開催された第10回米州会議では、米国務長官、ジョン・フォスター・ダレスが「国際共産主義の干渉に対して米州諸国の政治的保全を維持するための連帯宣言」と題する決議案93号を提出。さらに、ダレスは米州会議の直前に発動したWASHTUB作戦を踏まえて「米州には相異なる政治制度を受け入れる余地はあるが、外国の主人に使える者どもの場所はない」と発言し、名指しこそ避けたものの、事実上、グアテマラを“共産主義”と断じて、ソ連の影響下にあると批難しました。

 その後、決議案93号は米州機構加盟国の相互不可侵の原則を犯すものとするアルゼンチン、チリ、メキシコなどの反対もあったため、米国は「条約に基づく措置は相手国に対する主権の侵害を意味するものではない」との付帯条件をつけ、グアテマラに武力行使をしないことを約束したうえで、賛成17、反対1(グアテマラ)、棄権2(メキシコ、アルゼンチン)の圧倒的多数で採択されました。

 米州会議後の4月になると、米国によるアルベンス政権批判はいっそう激しくなり、アルベンスの農業改革計画はモスクワで作成されたものとする『グアテマラ報告』をサミュエル・ゼムレー(ユナイテッド・フルーツ社主)が出版し、反アルベンスのキャンペーンを大々的に展開。米国のグアテマラ駐在大使のピュリフォイも「グアテマラは中米にマルクス主義の触手を広げている」と米議会で証言し、アルベンス政権にさらなる圧力をかけています。そして、5月1日には、ついに米国はグアテマラと断交し、大統領のアイゼンハワーもCIAの介入計画を個人的に承認しました。

 さて、CIAによる介入計画の承認を受けて、反アルベンス派の亡命グアテマラ人で、米国政府およびCIAからの豊富な資金支援を受けたカルロス・カスティージョ・アルマス(グアテマラの元陸軍大佐)が、隣国エルサルバドルの首都、サンサルバドルで“グアテマラ人民反共戦線”の樹立を宣言。ホンジュラス領内では、CIA幹部のデビッド・フィリップスが管理する“解放の声”放送がアルマス軍は近日中にグアテマラへ進攻するであろうと大々的に宣伝を開始します。

 米国の圧力に対抗するため、グアテマラ政府は軍備増強を図ろうとしましたが、米国の圧力で西側からの調達は事実上不可能となっていたため、アルベンスはチェコスロヴァキアから武器を調達することを個人の責任で決断。5月15日、ポーランドを出港したスエーデンの貨物船“アルフェルム”号がチェコスロヴァキア製の武器1900トンを積んでプエルト・バリオスに入港しました。

 すると、米国はこれをとらえて「西半球の安全を脅かす独裁体制」のための武器であるとし、「共産主義への道がすでに耐えがたい段階に入った」とアルベンス政権を非難し、グアテマラ包囲網として“ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア等の友邦国”に武器の空輸を開始します。

 6月17日には、アルマス軍がアルベンスの辞職を求めてホンジュラスからサカパに越境進出し、“共産主義に対する解放戦争”を宣言。さらに、6月25日、アルマス派は、サンサルバドルで“反共臨時政府”の樹立を正式に発表し、米国は直ちにこれを承認すしました。

 これに対して、アルベンスは市民の武装を提案し、軍に対して市民に武器を配るよう求めましたが、軍はこれを拒否。軍の支持を得られなかったアルベンスは、6月27日、「米国が、共産主義撲滅を口実に、ユナイテッド・フルーツ社の権益を守るために攻め込んでいる。革命的理念に基づく熟慮の結果、わが国のために大統領を辞任する決意をした。しかし、いつの日か、わが国を隷属状態に陥れている暗黒の勢力は敗北するであろう」と演説して大統領を辞任し、メキシコ大使館に亡命しました。

 ちなみに、若き日のチェ・ゲバラは、“グアテマラの春”の時代に首都グアテマラシティに滞在し、CIAの工作によりアルベンス政権が崩壊するまでを見届けています。拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そのあたりの事情については詳しく書きましたので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。
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 世界の切手:コスタリカ
2018-10-25 Thu 07:23
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年9月26日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコスタリカ(と一部ニカラグア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      コスタリカ・内戦(1948)

 これは、1960年に発行された“解放戦争(コスタリカ内戦)2周年”の記念切手で、内戦時の国民解放軍が描かれています。

 20世紀初頭のコスタリカは、ユナイテッド・フルーツの支配するコーヒーとバナナのモノカルチャーでした。このため、1927年、国際市場でコーヒーとバナナが値崩れしたところへ、1929年の世界恐慌が発生すると、コスタリカ経済は深刻な打撃を受け、1929年に1800万ドルあった総輸出額は、1932年には800万ドルと半額以下に落ち込み、財政赤字は拡大。失業者があふれる中、1933年にはサンホセで大規模な暴動が発生しました。

 このため、国家共和党のリカルド・ヒメネス=オレアムノ(任期1932-36)、レオン・コルテス・カストロ(1936-40)の両政権は、コーヒー保護協会の設立、農業労働者の最低賃金制導入、銀行改革等を行ったほか、失業者対策で公共事業費を3倍に増加。これにより、コスタリカ経済にも復調の兆しが見え始めたものの、1939年に第二次大戦が勃発し、欧州市場が閉鎖されると、再び不況に見舞われました。

 このため、1940年の大統領選挙では社会民主主義者のラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディアが当選。コスタリカ大学の創立、社会保障制度の確立、生活保護と労働法の制定等が行われ、福祉国家の基礎が築かれました。

 ところが、カルデロン政権のリベラルな社会改革には富裕層が激しく反発。1944年の大統領選挙(コロンビアでは連続再選は禁止されているため、この時の選挙にはカルデロンは立候補できません)では、カルデロン路線の継承を掲げてテオドロ・ピカードが当選しましたが、反対派は選挙に不正があったと攻撃。以後、反政府勢力による爆弾テロが頻発するようになり、カルデロン以来の社会改革も頓挫してしまいます。

 カルデロン派と反カルデロン派の対立が激化する中で、元大統領のレオン・コルテスは何とか両者の調停を試みたものの、1946年、不調のうちに死去。対立が解消されないまま、1948年の大統領選挙では、カルデロンと、反カルデロン派候補のルイス・ラファエル・オティリオ・ウラテ・ブランコが争い、ウラテが勝利しました。ところが、カルデロン派や共産党支持派はウラテの大統領選に不正があったとして、カルデロン派が多数を占める議会は大統領選挙の結果は無効と宣言します。

 こうした中、両派の泥沼の対立に業を煮やした農業資本家のホセ・フィゲーレス・フェレールが、1948年3月12日、民主主義的な国民選挙を守るという口実で、カリブ外人部隊を含む“国民解放軍”を率いて蜂起。いわゆるコスタリカ内戦(解放戦争)が勃発しました。

 以後、4月19日まで続いた内戦では4000人以上が死亡。国民解放軍は政府軍を打倒してカルデロン派を追放し、共産党を非合法化したうえで、5月1日、フィゲーレスを首班とする暫定政権が組織されました。

 フィゲーレスは、社会的混乱の元凶と判断した既存の支配権力の排除に乗り出し、まず、銀行の国有化と資本利得に対する特別税の徴収を行います。1949年には新憲法を施行し、女性や黒人の政治参加を認めるとともに、過去の歴史から政治的混乱の要因でしかなかった軍隊を廃止し、それまで軍隊の担っていた役割を武装警察に移管しました。

 ただし、制度としての軍隊廃止後もコスタリカの防衛力が弱体化されたわけではなく、ニカラグア政府に支援された傭兵軍とともに旧政府軍が侵攻してきた際にはコスタリカ武装警察がこれを撃退したほか、1949年8月には、元公安大臣のエドゥガル・ガルドナのクーデターも鎮圧されました。

 こうして、体制変革に一応のめどをつけたフィゲーレスは、1949年11月、ウラテの大統領就任を認め、自らはいったん退陣しました。ただし、その後、フィゲーレスは1958年および1970年の大統領選挙で当選しています。

 なお、現在のコスタリカの“警察”力は、人口の0.2%にあたる8000人で、約4400人の治安警備隊は対戦車ロケット砲などの重火器で武装しており、諸組織の予算は隣国ニカラグアの国軍の約3倍で、米軍の駐留兵力もあり、軽武装も可能です。

 さて、『世界の切手コレクション』9月26日号の「世界の国々」では、コスタリカ内戦についての長文コラムのほか、自然エネルギー、マナグア湖、ココ島の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のコスタリカ(と一部ニカラグア)の次は、10月3日発売の同10日号でのテュニジア(と一部ザイール)、10月24日発売の同31日号でのKUTの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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 バナナの日
2018-08-07 Tue 01:25
 きょう(7日)は、8(バ)・7(ナナ)の語呂合わせで“バナナの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コスタリカ・労働社会保険省100年(部分)

 これは、2008年にコスタリカが発行した“労働・社会保険庁100年”の記念切手で、同省庁舎に掲げられている壁画のうち、コスタリカの主要輸出品、バナナとコーヒーを運ぶ労働者を取り上げた部分の切手です。ちなみに、切手は4種連刷のシート形式となっており、その全体像はこんな感じです。

      コスタリカ・労働社会保険省100年(全体)

 パナマ地峡からコスタリカにバナナが導入されたのは1871年のことでした。同年、コスタリカ政府は、首都サンホセの北西19キロの地点にあるアラフエラから、サンホセを経由し、カリブ海岸のプエルト・リモンまでを結ぶ鉄道建設の契約をヘンリー・メイグスと結びます。メイグスは甥のマイナー・キースに事業を手伝わせ、建設工事中の1873年、労働者向けの安い食料として鉄道沿線でバナナの栽培を本格的に開始。1877年にメイグスが亡くなるとキースが跡を継ぎます。鉄道は1890年に全区間が開通したが、これを機にキースのバナナ取引会社はコスタリカ経済に対する影響力を強め、その支配下でのコーヒーとバナナのモノカルチャーがコスタリカの経済基盤となりました。

 一方、1898年の米西戦争でキューバの富豪デュモア家のバナナ・プランテーションが壊滅的な打撃を蒙ると、1899年、キースのバナナ取引会社とアンドリュー・プレストンのボストン・フルーツ・カンパニーが合併して“ユナイテッド・フルーツ・カンパニー”が設立され、デュモア家の農場を引き継ぎます。これとあわせて、ユナイテッドフルーツ社はキューバの砂糖産業に参入し、数年以内に砂糖モノカルチャーだったキューバ経済を掌握しました。

 以後、ユナイテッド・フルーツ社は、中央アメリカ・コロンビア・エクアドル・西インド諸島の広大な土地をおさえ、プランテーションで栽培させた砂糖やバナナ、パイナップルなどを独占的に生産・販売しただけでなく、関連産業や通信・電力・輸送なども掌握し、これらの地域を経済的に支配します。このため、たとえば、1954年には、グアテマラでアルベンス政権が大規模な農地改革を行い、ユナイテッド・フルーツ社の土地所有を制限した際には、同社は米国政府と結託してアルベンスを攻撃し、失脚に追い込んだほどでした。

 その後、ユナイテッド・フルーツは1970年にユダヤ系ポーランド人のイーライ・M・ブラックに買収され、“ユナイテッドブランド”に改名。 さらに、1990年には社名をチキータ・ブランドに改称し、現在に至っています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、革命の背景となったユナイテッド・フルーツ社の中南米支配についても、キューバのみならず各国の事情についてまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 
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