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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ジャージー沖でカヤック救助
2018-12-19 Wed 02:24
 英王立救命艇協会(RNLI)の救命艇が、16日、チャンネル諸島ジャージー沖で、大荒れの海の中、遭難したカヤックを救助したことが話題となっているそうです。というわけで、なかなか日本ではニュースになることの少ない地域ですので、きょうはジャージーの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャージー(1941)

 これは、第二次大戦中、ドイツ占領下のジャージーで1941年に発行された切手で、“ジャージー”名義の切手としては最初の1枚になります。

 牛のジャージー種の原産地であり、また衣類のジャージの語源とされるジャージーは、イギリス海峡のチャンネル諸島のうち、ジャージー島のほかマンキエ諸島やエクレウ諸島などから構成される英王室属領です。

 ジャージーを含むチャンネル諸島は933年にノルマンディー公国の領地に編入され、1066年のノルマン・コンクエストにより、ノルマンディー公ウィリアムがイングランド王になるとイングランド王の所領となりました。1204年、イングランド王兼ノルマンディー公ジョンはフランス王フィリップ2世にノルマンディー地方を奪われましたが、チャンネル諸島に関してはイングランド王の所領にとどまり、1254年にはイングランド王室の個人領地とされました。

 現在でも、チャンネル諸島は英国王の私領地との扱いで、英国王をその君主とし、英国がその外交及び国防に関して責任を負うものの、内政に関して英議会の支配を受けず(=英国の法律や税制は適用されない)、独自の議会と政府を持ち、海外領土や植民地と異なり高度の自治権を有しています。また、欧州連合にも加盟していません。

 さて、第二次大戦中の1940年6月28日、ナチス・ドイツはチャンネル諸島のガーンジー島とジャージー島の港湾への爆撃を開始し、7月1日にはチャンネル諸島を占領しました。

 第二次大戦以前のジャージーでは英国の切手が無加刷でそのまま使われていましたが、ドイツ軍の占領により英国との交通が途絶すると、切手の配給もストップし、1940年末には深刻な切手不足となりました。このため、占領当局は住民に対して、郵便物はポストに投函させず、直接郵便局の窓口に持ち込ませることで切手の消費を抑えようとしましたが、この方法はあまりにも不便だったため、ジャージー専用の1ペニー切手が現地で手配されることになりました。

 占領下での切手のデザイン制作を命じられたノーマン・ライボットは、占領当局への抵抗の意思を密かに示すため、単に“ジャージーの紋章”とだけ説明して、“イングランドとチャンネル諸島の獅子”を大きく描いた原画を制作。また、切手の4隅には小さく“A”の文字を入れました。これは、「地獄に落ちろ、凶悪なアドルフよ」を意味するノルマン語“Ad Avernum, Adolphe Atrox”の頭文字を意味しています。ただし、占領当局はそうしたライボットの意図を見抜くことができず、ライボットの原画にOKを出し、ジャージー島内で新聞を発行していたイブニング・ポスト社での切手製造を経て、1941年4月1日頃から郵便局の窓口での販売が開始されました。その後、1942年1月20日には半ペニーの切手が発行されたほか、1943年には風景図案の切手も6種類発行されています。

 1945年5月9日、ドイツの敗戦により、ジャージーを含むチャンネル諸島は解放され、ふたたび英置く切手が持ち込まれて使用されるようになりました。しかし、占領による経済的な打撃が大きかったことから、戦後復興の一環として、チャンネル諸島では観光宣伝と外貨獲得源のひとつとして、1940年代後半、独自の切手発行を計画します。この時点では、この計画がは実現しませんでしたが、1958年になって、同諸島の他、マン島スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地で、エリザベス女王の肖像に各地の紋章やシンボルマークなどを入れた“地方切手”として実現しました。

 なお、これらの地方切手は販売地域は限定されていたものの、英国の全域で使用することが可能でしたが、1969年10月1日以降、ジャージーではジャージー専用の切手が発行されるようになり、現在に至っています。 


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 1・2・3・4フィニッシュ
2006-08-08 Tue 01:42
 6日に行われたF1のハンガリーGP(グランプリ)でホンダのジェンソン・バトンが初優勝しました。ホンダの優勝は1992年のオーストリアGP以来14年ぶり(通算72勝目)のことで、単独参戦では1967年イタリアGP以来39年ぶりの快挙だそうです。というわけで、今日の1枚はこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マン島のマンセル切手

 これは、1988年にマン島がモーター・スポーツを題材に発行した切手の1枚で、ホンダのエンジンを搭載したマシンを操るナイジェル・マンセルが取り上げられています。

 マン島は、イギリスのグレートブリテン島とアイルランドに囲まれたアイリッシュ海の中央に位置する淡路島ほどの小さな島ですが、法的にはイギリス(正式には“グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国”)の一部ではなく、自治権を持ったイギリスの王領なので、独自の法律を持ち、通貨・切手もイギリスとは別のモノを発行しています。ただし、現実にはイギリスのスターリング・ポンドがそのまま通用しますが…。

 今回ご紹介している切手では、1986・87年のイギリスGP優勝者ということでマンセルが取り上げられているわけですが、このうち、1987年のレースでは、ホンダのエンジンを使用したウイリアムズとロータスが1位から4位までを独占するという離れ業を達成しています。ちなみに、その内訳は、優勝がウイリアムズのナイジェル・マンセルで、2位が同じくウイリアムズのネルソン・ピケ、3位がロータスのアイルトン・セナ、4位がロータスの中嶋悟でした。

 もっとも、切手のデザインを見る限り、マンセルの身体はほとんどがマシンの中に入っていますし、わずかに表に出ている頭部もヘルメットに覆われていますから、説明がなければ、コアなファンならともかく、素人目にはマンセルの切手とはちょっとわかりにくいですよね。それだったら、1987年のイギリスGPでホンダが1・2フィニッシュならぬ1・2・3・4フィニッシュを決めたことを書いてくれればよかったのに、と思うのはやっぱり僕が日本人だからなんでしょうね。

 さて、切手には、当然のことながら、ホンダのエンジンを搭載したマシンが描かれており、車体にはしっかりホンダのロゴが入っています。しかし、それ以上に広告スポンサーであるキヤノン(Canonのカタカナ表記は、ついつい、“キャノン”と書きたくなるのですが、ヤを大きく書くのが正式なのだそうです)のロゴのほうが目立っているような気がします。バブル華やかなりし頃とはいえ、そのスポンサー・フィーたるや大変なものだったでしょうね。

 まぁ、ホンダにしろキャノンにしろ、日本を代表する企業であることには変わりないわけで、その意味では日本人にとっては気になるジャポニカ切手(“日本”をテーマにした切手)の1枚といってよいでしょう。

 なお、この切手を含めて、ジャポニカ切手については、以前刊行した拙著『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)でも、いろいろな角度からまとめてみましたので、ご興味をお持ちの方は是非1度お手にとってご覧いただけると幸いです。

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