内藤陽介 Yosuke NAITO
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 出島に130年ぶりの橋
2017-02-27 Mon 21:18
 江戸時代、海外との貿易拠点だった長崎市の出島に、当時と同じように橋を渡って往来できるよう、きょう(27日)、およそ130年ぶりに新しい橋が架けられました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・出島(2014)

 これは、2014年にオランダで発行された“日蘭友好”の記念切手のうち、1824年に出島出入絵師の川原慶賀が描いた出島の絵が取り上げられています。

 出島は、もともと、江戸幕府がポルトガル人を管理するため、長崎の有力者に命じて作らせた扇型の島で、1636年に完成。面積は約1.5 ha で、建設費銀200貫目(約4000両)については、門・橋・塀などは幕府が出資し、それ以外は25人の有力者(出島町人)が出資しました。

 1638年、島原の乱を鎮圧した幕府がカトリック諸国との関係断絶を真剣に考えるようになると、翌1639年、オランダ商館長のフランソワ・カロンはポルトガルとの関係の断絶を幕閣に訴え、オランダがポルトガルに代わって、日本が求める輸入品を確実に提供できると主張。その後、幕府はポルトガルとの関係を断絶しても経済的に支障がないことを確認したうえで、ポルトガル人を出島から退去させます。

 この結果、出島は無人状態となったため、出島築造の際に出資した出島町人の不満を抑えるべく、1641年、それまで平戸にあったオランダ商館が出島に移され、出島にはオランダ人が居住することになりました。

 以後、長崎には毎年2隻のオランダ船がバタヴィアからバンカ海峡、台湾海峡などを経て、7 - 8月ごろ来航し、その年の11-12月に帰路につくというスケジュールが定着。船の停泊中は出島には多くのオランダ人が滞在していましたが、それ以外の期間には商館長(カピタン)以下、出島に住んでいたオランダ人は15人前後で、いずれも、許可なく出島の外に出ることは禁じられていました。また、これとは別に、100人以上の日本人も出島で働いていました。

 ちなみに、1797年、ナポレオン戦争でオランダ本国がフランスに占領されると、1809年までに米国船がオランダ国旗を掲げて出島での貿易を行っています。また、ナポレオン戦争の影響で、オランダ本国がフランスに併合され、バタヴィアが英国の占領下に置かれていた期間は、オランダ本国から出島への連絡が途絶えたため、幕府が在留オランダ人に対して生活物資を提供。ナポレオン戦争後の1815年にネーデルランド王国が成立するまでの5年間は、出島のみが全世界で唯一オランダ国旗が翻る場所となっていました。

 1854年、マシュー・ペリーの再来航により日米和親条約が結ばれると、翌1855年、これに倣って日蘭和親条約が締結され、オランダ人の長崎市街への出入りが許可されます。これを受けて、1856年には出島開放令が発せられ、さらに1859年には、出島のオランダ商館も閉鎖され、海外貿易の窓口としての出島の機能は事実上、終了しました。

 明治維新後の出島は、中島川河口の工事によって島の北側部分が削られたことにくわえ、港湾改良工事により周辺が埋め立てられ、“島”ではなくなっていましたが、1951年以降、長崎市が復元整備を開始。1996年からは出島内の建物の復元も進められていました。

 かつて、出島唯一の出入り口だった橋は5m ほどの石橋ですが、現在、出島地区は国の史跡に指定されていることから土台工事ができないため、今回の新橋は、出島側に重さをかけずバランスをとる特殊な鉄製の橋となり、長さも38mになりました。今後、橋は床材を張り、手すりや照明を整備して、11月下旬には通行できるようになる予定だそうです。


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 ディック・ブルーナ、亡くなる
2017-02-18 Sat 11:26
 ウサギのキャラクター“ミッフィー(母国オランダでの名称はナインチェ・プラウス)”の生みの親であるオランダの作家、イラストレーターのディック・ブルーナ氏(以下、敬称略)が、老衰のため、きのう(16日)、ユトレヒトで亡くなりました。享年89歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ブルーナ(1969)

 これは、1969年11月11日にオランダが発行した児童福祉切手で、ヴァイオリンを弾く少女を描くブルーナのイラストが取り上げられています。ブルーナのイラストは、母国オランダのみならず、日本でも何度か切手に取り上げられていますが、その最初となったのが、今回ご紹介の切手を含む1969年のオランダ児童福祉切手です。

 さて、ブルーナは、1927年8月23日、オランダのユトレヒト市で、出版社“A・W・ブルーナ&ズーン(以下ブルーナ社)”を経営する父アルバートと母ヨハナのもとに生まれました。

 幼少時から絵を描くことが好きで、中学生時代、レンブラントやファン・ゴッホの作品に強い衝撃と感銘を受けたことで、ブルーナ社のデザイナーの下で、絵の基本を学び、油絵を描くようにりました。

 1945年にオランダがナチス・ドイツの占領から解放されると、ブルーナは画家になるべく、“後継者としての研修をするならば”との条件で父親を説得し、通っていた高校を退学。オランダの書店や、イギリス、フランスの出版社に研修に出向き、出版の基礎を学びました。

 1947年、20歳でオランダに帰国したブルーナは、経営者ではなくアーティストになることを宣言。アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するものの、ほどなく退学し、アンリ・マティス、レイモン・サヴィニャック、カッサンドルなどのシンプルで訴求力のある作品を独学で研究し、自らのデザインスタイルを確立させていきました。

 1951年頃からはブルーナ社の専属デザイナーとして働くようになり、同社が発行するさまざまな書籍の装丁を担当します。ブルーナの装丁はシンプルで斬新なデザインスタイルで注目されたほか、彼のデザインした同社のシンボルの熊は、デザインの一部を修正して、ブラック・ベア(Zwarte Beertjes)として、読書週間のポスターなどに使用されました。

 代表作となったナインチェ・ブラウス(ミッフィー)は、1955年に発表された絵本『ナインチェ』の主人公です。『ナインチェ』は、当時は画期的な“文字のない絵本”で、子供たちの支持を獲得。この成功を受けて、ナインチェ・ブラウスを主人公とした字のある絵本も制作されるようになります。1963年以降、それらは各国語に翻訳され、1964年には日本でも石井桃子訳の『ちいさなうさこちゃん』(福音館)が刊行されました。ちなみに、日本で定着してる“ミッフィー”との名前は、1960年に英国で英訳版が発売される際に付けられた英語風の名前で、わが国では、1979年に講談社の絵本で使われたのが初出です。なお、現在でも、絵本のタイトルとしては、福音館が“うさこちゃん”、講談社が“ミッフィー”と異なる名前が使われています。

 1971年には、作品の著作権管理会社のメルシス社を設立。1975年には創作に専念するため、1975年にブルーナ社を退職します。その後は、2011年に引退するまで、社会福祉関係の仕事にも力をいれ、障害者向けの案内記号、歯の健康、献血、赤十字などの公共広告のポスター、デザインを数多く手がけました。その意味では、日本の“ふみの日”やパンのキャラクターではなく、今回ご紹介の児童福祉切手の方が、ブルーナ追悼にはふさわしいのかもしれません。 


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 元祖・名誉革命の切手
2016-12-10 Sat 15:30
 きのう(9日)、韓国の朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決されたことについて、朝鮮日報や中央日報など、韓国の主要メディアはこれを“(国民の)名誉革命”と報じているそうです。まぁ、流血を伴わずに現政権を(事実上)打倒したという意味なのでしょうが、“名誉革命”というと、僕などはこの切手の題材となっている方を思い出しますな。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・名誉革命300年

 これは、1988年にオランダで発行された“名誉革命300年”の記念切手で、同革命で英国に渡ったオレンジ公ウィリアムと妻マリーの肖像が描かれています。

 1660年にイングランド王として即位したチャールズ2世は艶福家で庶子には恵まれていましたが、正室でポルトガルのブラガンザ王家出身の王妃キャサリンとの間には子がありませんでした。このため、弟でヨーク公のジェームズが有力な後継候補となりましたが、彼はカトリックであったことから、その王位継承に反対する人々はホイッグ党を組織しました。一方、ホイッグ党とは逆に、チャールズ2世の後継者としてヨーク公の即位を認める勢力はトーリー党を組織します。

 ちなみに、1680年、ロンドン市内とその近郊でウィリアム・ドクラが創業した郵便の戸別配達サービス(ドクラのペニー・ポスト)の大口スポンサーであったロバート・マレイはホイッグ党の有力な活動家で、ドクラのペニー・ポストには、王室郵便の利益を独占的に与えられていたヨーク公の“財布”に打撃を与えようという意図もあったとみられています。

 さて、ドクラのペニー・ポスは、創業当初こそ、初期投資の必要もあって赤字運営でしたが、1682年初頭には事業収支は黒字に転換しました。すると、この機会をとらえて、1682年11月、ヨーク公は政府を動かし、ドクラに対して、彼の事業は郵便憲章が定める郵便事業の政府独占に違反しているとして、事業の特許を放棄し、2000ポンドの罰金を支払うよう要求。さらに、ペニー・ポストの事業を無償で没収し、強引に国有化したうえで、翌12月、ドクラの組織をそのまま引き継ぐかたちで官営のペニー・ポストを再開しました。

 その後、ヨーク公は、1685年、チャールズ2世の崩御を受けて、イングランド国王ジェイムズ2世として即位します。

 即位当初、ジェイムズ2世には嫡子がなかったため、国教会派の拠点である議会も、ジェイムズ2世1代限りであればカトリックの王もやむなしという立場でしたが、1688年、王妃が王子を産むと状況は一変。次の国王もカトリックとなることは絶対に許容できないと考えた議会は、ホイッグ・トーリーの党派対立を超えて、ジェイムズ2世の後継者として、国王の長女メアリとその夫で新教徒のオランダ総督ウィレム(英語読みでオレンジ公ウィリアム)を国王として招聘し、ジェイムズ2世を王位から追放しました。

 これが、いわゆる名誉革命で、今回ご紹介の切手はここから起算して300年になるのを記念して発行されたものです。

 翌1689年、イングランド議会は「権利の宣言」を提出。ウィレムとメアリはこれを承認してウィリアム3世とメアリ2世として即位します。さらに議会は権利宣言を「権利の章典」として制定し、イングランドにおける立憲君主制が成立しました。

 こうした時代の変化を受けて、1690年以降、ドクラもペニー・ポストの考案者として、毎年500ポンドの年金を受け取れるようになり、名誉を回復。さらに、1697-1700年にはペニー・ポストの監査官も務めました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨晩、アクセスカウンターが173万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 シーボルト没後150年
2016-10-18 Tue 16:46
 江戸時代にオランダ商館医として来日し、長崎で鳴滝塾を開き西洋医学や自然科学などを教えたドイツ人の医師・博物学者、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(以下、シーボルト)が、1866年10月18日に亡くなってから、きょうで150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・シーボルト

 これは、2014年、オランダが発行したシーボルトの切手です。

 シーボルトは、1796年2月17日、神聖ローマ帝国の司教領ヴュルツブルク(現バイエルン州北西部)、祖父・父ともに医学者の家系に生まれました。
1815年にヴュルツブルク大学に入学して医学を学び、1820年の卒業後、国家試験を受けてハイディングスフェルトで開業しました。

 しかし、開業医の仕事には飽きたらず、1822年7月、国王ウィレム1世の侍医の斡旋でオランダ領東インド陸軍病院の外科少佐に任じられると、同年9月、ロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して翌1823年3月にバタヴィア近郊のヴェルテフレーデンの第五砲兵連隊付軍医に配属され、東インド自然科学調査官を兼任しました。さらに、同年6月末には日本研究を希望してバタヴィアを出航して8月に来日し、当時の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となりました。

 来日翌年の1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)を講義したほか、1825年には出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培しています。ちなみに、ジャワ島での茶の栽培は、シーボルトが日本茶の種子をジャワに送ったことがきっかけとなりました。

 1826年4月にはオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行し、道中を利用して日本の地理や植生、気候や天文などを調査し、それまでに収集した博物標本6箱をライデン博物館へ送っています。

 しかし、1828年の帰国に際して、先に荷物を送った船が難破し、日本の海岸に流れ着いた積み荷の一部から、幕府禁制の日本地図が見つかり、返却を要請されたものの、それを拒否したため、出国停止処分を受けたのち、国外追放処分となりました。これがいわゆるシーボルト事件です。

 1830年、オランダに帰着した際に、シーボルトが持ち帰った収集品は、文学・民族学的資料が5000点以上、哺乳動物標本200、鳥類900、魚類750、爬虫類170、無脊椎動物標本5000以上、植物2000種、植物標本12000点という膨大なもので、ヨーロッパにおける日本研究の基礎資料となりました。

 1840年代になると、ヨーロッパ随一の日本専門家として、一方で日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日するマシュー・ペリーに日本の資料を提供し、早急な対処(軍事)を行わないように要請したほか、1857年にはロシア皇帝ニコライ1世の書簡も起草しています。

 日本の開国後、1858年に日蘭修好通商条約が結ばれたことで、シーボルトに対する幕府の追放令も解除されると、翌1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となります。その後も、欧米諸国に日本情勢についての情報を提供する一方、博物収集や自然観察なども続行し、風俗習慣や政治など日本関連のあらゆる記述を残し、1862年5月、多数の収集品とともに長崎から帰国。1866年10月18日、ミュンヘンで風邪をこじらせ敗血症を併発して亡くなりました。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 世界の国々:オランダ
2015-12-30 Wed 14:58
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月30日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はオランダの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ハイネケン

 これは、2006年に発行された“オランダ製品”の切手帳(シール式)のうち、ハイネケンのグリーン・ボトルを取り上げた1枚です。

 オランダのビール会社ハイネケンは、1864年、ジェラルド・ハイネケンがアムステルダム最大のビール醸造所ザ・ヘイスタックを買収したのが起源です。1869年にはドイツ人技術者のウィルヘルム・フェルトマンを招き、下面発酵ビールを開始するとともに、当時としては画期的な独自の研究所システムを導入。その成果として、1873年には切手にも描かれているグリーン・ボトルの製造を開始しました。さらに、1886年、ルイ・パストゥールの弟子だったエリオン博士によって、オリジナル酵母の“ハイネケンA酵母”の分離培養に成功したことで、他社にはない独特の風味を出すことに成功しています。

 第一次大戦中の1917年、ハイネケン社の経営は、2代目のヘンリー・ハイネケンが継承。1933年には禁酒法撤廃後のアメリカに初めてビールを輸出して世界進出の発端を築きました。また、1953年に役員に就任した3代目のアルフレッド・ハイネケンは、広報戦略としてスポーツ・文化イベントを積極的に後援。その結果、ハイネケンの世界的な知名度は飛躍的に向上し、現在は世界170以上の国・地域でビールを販売し、世界第3位のシェアを誇る巨大企業になっています。

 さて、 『世界の切手コレクション』12月30日号の「世界の国々」では、江戸時代および第二次大戦中の日蘭関係についての2本の長文コラムのほか、レンブラントの「夜警」、チューリップ、風車の風景で有名なザーンセ・スカンス、哲学者スピノザ、女性の民族衣装の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は12月26日発売の2016年1月6日号でのニュージーランドの特集になります。こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

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 スノボ大回転で竹内が銀
2014-02-20 Thu 12:29
 ソチ五輪は、きのう(19日)、スノーボードの女子パラレル大回転が行われ、竹内智香が銀メダルを獲得しました。オリンピックのスノーボード女子での日本選手のメダルとして初めてというだけでなく、今回のソチ五輪での日本の女子選手が獲得したメダルの第1号となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ・ニコリーン

 これは、2012年にオランダで発行された“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の記念切手のうち、ヴァンクーヴァー五輪のスノーボード女子パラレル大回転で金メダルを獲得したニコーリン・ザウエルブライを取り上げた1枚です。スノーボードを描いた切手はそれなりに種類があるのですが、競技中の選手は、ヘルメットにゴーグルで顔が見えず、ユニフォームも男女の差があまりないので、確実に女子選手であることがわかる切手を探そうとすると結構苦労します。その点、この切手については“女子パラレル大回転”の切手であることが確実な1枚ということで、ご紹介してみました。

 スノーボードのパラレル大回転は1998年の長野五輪から公式競技となりました。“パラレル”というのは、並行して設定されたコースを2人が並んで同時に滑走することからつけられた種目名で、スキーの大回転のように選手が一人ずつ滑走するのと異なり、勝者と敗者が一目瞭然なのが魅力となっています。

 切手に取り上げられたザウエルブライは1979年7月31日生まれ。2008年のW杯を制したこともあります。ウィンタースポーツの世界では、オランダはスケートの強豪国として有名ですが、国土が平坦であることもあってスキーやスノーボードでは実績に乏しく、彼女の金メダルは“雪のスポーツ”での同国初の快挙となりました。また、彼女の金メダルは、オランダが五輪で獲得した通算100個目の金メダルでもありました。こうしたこともあって、彼女は2010年にオランダの“スポーツマン・オブ・ザ・イヤー(Sportman van het jaar)”に選ばれたほか、2012年には“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の切手の1枚に取り上げられたというわけです。

 ちなみに、今回銀メダルを獲得した竹内は、前回のヴァンクーヴァー五輪は13位でしたが、今回、彼女の銀メダル獲得に貢献したサービスマン(板の管理やワックスがけを行うスタッフ)の広瀬智晴は、前回のヴァンクーヴァー五輪ではザウエルブライのスタッフとして彼女に金メダルをもたらしています。サービスマンの部門でメダリストを選ぶとしたら、ほぼ確実に、広瀬が金メダルということになりそうです。

 なお、オランダの切手は、2010年7月から、ユーロでの額面表示がなくなり、“1”または“2”の番号を表示した永久保証切手になりました。このうち、1はオランダ国内宛の20gまでの料金、2は同じく20g~50gまでの料金に相当しており、今回ご紹介の切手が発行された時点では、1が95セント、2が1ユーロ90セントでした。
 

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は3月4日13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。(4月以降の講座については、近々、ご案内いたします)


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 さらば、ギルダー切手
2013-11-01 Fri 15:12
 オランダで、2002年のユーロへの完全移行(決済通貨としての導入は1999年)後も有効とされていた旧ギルダー額面の切手が、本日(1日)をもって、無効となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ・1ギルダー加刷

 これは、1923年にオランダで発行された1ギルダー加刷の切手です。当時のオランダでは、1910年発行の17セント半切手に“DIENSTZEGEL PORTEN AANTEEKENRECHT”の文言を加刷し公用切手として使用することを計画していましたが、実際には加刷の公用切手は発行されず、1923年に1ギルダー切手の在庫が不足した際に、あらためて、1ギルダーの額面を加刷した暫定切手として発行されました。“1ギルダー”の加刷文字が派手なので、持ってきてみました。

 さて、ユーロへの完全移行時の旧オランダ・ギルダーとユーロの法定交換レートは1ユーロ=2.20371ギルダー(1ギルダー=0.453780ユーロ)で、2032年1月1日まで、旧ギルダー紙幣はユーロに交換することが可能です。これに対して、コインの交換は2007年1月1日で終了しています。

 切手に関しては、ドイツ、スペイン、ポルトガル、アイルランドなどが、2002年以降、すぐに旧通貨額面の切手を無効にしたのに対して、オランダ郵政は旧ギルダー切手を有効なものとして扱い続けていました。このため、郵便局の現場では、ユーロ額面の切手と旧ギルダー額面の両方を処理するため、郵便物の仕分けや料金計算などに大きなコストがかかっていました。しかし、ユーロへの移行10年を経て、旧ギルダー額面の切手の使用が大きく減少したことから、今回、ユーロ額面の切手のみを有効とすることで、郵便システムを簡略化し、コスト削減を図ったというのが当局の説明です。

 さて、最近、オランダから僕宛に送られてくる郵便物(『蘭印戦跡紀行』の制作時には、結構、オランダの業者さんのお世話になりました)には旧ギルダー額面の切手をべたべた貼ったものが多く、皆さん、有効期限内にできるだけ使い切ってしまおうと頑張っているのがよくわかりました。もっとも、明日以降、無効になった旧ギルダー額面の切手を貼って料金不足となったカバーを送っていただくというのも、それはそれで僕としては楽しめるのですがね。

 
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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。
 
 また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 123年ぶりの男性国王
2013-05-01 Wed 10:02
 オランダでは“女王の日”にあたるきのう(30日)、在位33年を迎えたベアトリックス女王から長男のウィレム・アレクサンダー皇太子に王位が継承され、123年ぶりに男性の国王が誕生しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ最初の切手

 これは、1852年に発行されたオランダ最初の切手のうち、当時の国王ウィレム3世の肖像を描く5セント切手です。このウィレム3世が1890年に崩御されて以来、オランダではウィルヘルミナ、ユリアナ、ベアトリクスの3代にわたって女王が続き、ようやく、今回の新国王で男性国王が復活したということになります。

 ちなみに、ウィレム3世のお名前は、正式には、“ウィレム・アレクサンダー・ポール・フレデリック・ローデウェイク”で、新国王のお名前は“ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ジョージ・フェルディナンド”です。ウィレム3世の場合は、ウィレムとアレクサンダーの間にスペースがあって別の単語扱いですが、新国王は二つの単語の間はハイフンでつながっていて分離できないので、今後は“国王ウィレム・アレクサンダー”と呼ばれることになるのでしょう。先日のローマ教皇の例に懲りて、今回の報道では、“1世”をつけるメディアはなかったようですが、僕がたまたま見ていたフジテレビの朝のニュースでは“ウィレム”を取って“アレクサンダー”と国王の名前を紹介しており、妙な感じがしました。あまりにも自信たっぷりで、字幕も含めて何度も繰り返していたので、何か理由があるのかもしれません。

 なお、オランダ最初の切手が発行されたのは1852年1月1日のことで、5セント、10セント、15セントの同図案・色違いの3額面があり、ポストホルンの透かしが入っています。印刷はユトレヒトの王立造幣局で行われ、1シートは25面ブロック4つからなる100面で、5セントは6版、10セントは10版ありますが、15セントは1版のみでの印刷でした。

 
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 20年、よくもった
2012-02-07 Tue 22:09
 1992年2月7日に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が調印されてから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マーストリヒト条約

 これは、1992年10月6日、オランダで発行された“ヨーロッパ単一市場”の切手です。1992年秋、EU加盟各国では同様の趣旨の切手を発行していますが、今回は、マーストリヒトのあるオランダの切手を持ってきました。

 欧州連合条約は、欧州連合(EU)創設のため、1991年にオランダのマーストリヒトで開かれたEC(ヨーロッパ共同体)首脳会議で合意された条約で、1991年12月9日、EC加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日に調印され、各国での批准を経て、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効しました。

 その骨子は、①ECを発展的に解消し、EUを創設する、②ヨーロッパ共通通貨としてEURO(ユーロ)を導入する、③外交・安全保障政策の共通化および警察協力・難民対策などにおける各国協調を目的とした司法・内務協力を促進する、の3店となります。

 このうち、1999年に導入されたユーロに関しては、自国通貨を放棄してユーロに参加するためには、ERM2(為替相場変動メカニズム)に参加していることや、財政赤字が国内総生産(GDP)の3%以内であることなどの条件があります。たとえば、慢性的な財政赤字を抱えていたギリシャが、1999年の時点でユーロに参加できなかったのは、この条件を満たしていなかったためです。

 しかし、ドルに対抗しうる強大なユーロの創設を目指していた欧州理事会は、ユーロ圏を拡大させることを優先し、翌2000年6月19日、「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」として、2001年1月1日からのギリシャでのユーロ導入を承認。かくして、ユーロ圏に加盟したギリシャは、信用力の低い自国通貨ドラクマに代わって信用力の高いユーロ建て国債を発行し、低利で資金を融通して放漫財政を継続します。その結果が、2010年に表面化したギリシャ危機であることは、周知のとおりです。

 まぁ、国家そのものを統合することなく、各国の経済力の格差をそのままにして通貨のみ共通にしてしまえば、さまざまなゆがみが出てくるのは当然、予想できたはずなのですが、やはり、アメリカの一極支配に対抗する大ヨーロッパの理想が優先されたということなんでしょう。じっさい、ギリシャ危機のほかにも、オーストリア・ハンガリー問題(ハンガリーは非ユーロ圏ですが、通貨のフォリントは実質的にユーロとペッグしています)、アイルランド問題、スペイン問題などが相次いで起こっているのをみると、これまでの無理が一挙に噴出したという印象を強くしますな。逆にいえば、よくも20年もったということでしょうか。

 今後、ユーロが生き残るためには、EU域内で圧倒的な経済力を持つドイツが中心となって再建策を進めていくしかないのでしょうが、その結果として、ドイツの前にEU諸国がひれ伏すということになるのであれば、実質的に、ドイツ第4帝国が誕生するという事態になるのかもしれません。両大戦の経験から欧州諸国がドイツの強大化を阻止してしようとしてきた結果としては、なんとも皮肉な話です。

 なお、EUをめぐる諸問題については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 さくらんぼと小学生
2010-09-09 Thu 23:42
 山形県東根市で来春開校予定の市立“さくらんぼ小学校”について、同名のアダルトサイトが存在していることかた改名を求める声が上がっていた問題で、土田正剛市長はきょう(9日)の記者会見で「児童の登下校時に不審者が現れる可能性がある」として、校名を変更する方針を明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         オランダ児童福祉1994

 これは、1994年にオランダが発行した児童福祉切手3種を収めた小型シートで、右側の3枚に、さくらんぼ取りに興じる子供たちが描かれています。ちなみに、左の上2枚はペンキ塗りを手伝って梯子をもつ子どもが、下1枚はおもちゃの家で遊ぶ子供たちで、どれもかわいらしいデザインです。やはり、子供とさくらんぼという組み合わせは相性が良いですね。

 さて、今回問題となった校名は、東根市がさくらんぼの名産地であることに加え、昨年12月に行われた市民からの公募で決定されたもので、校歌の作詞・作曲を担当した作曲家の服部公一さん(山形県出身)も「これ以上、良い名前はない。改名に反対したが、子供の安全ということならば、仕方がない」とがっかりしているのだとか。

 もっとも、“さくらんぼ”という単語は、その昔の「黄色いサクランボ」以来、お色気イメージと重なる用例がいくつもありますから、当然、“さくらんぼ××”という風俗店やアダルトサイトが少なからず存在していることも、十分に予想できたような気もします。その点で、市当局の判断は、やはり甘かったといわれてもしかたのない面はあるでしょうな。ただし、問題のアダルトサイトは今回の一件でいちやく全国にその名をとどろかすことになり、結果的に、宣伝効果という点で彼らが一番得をしたというのも、納得できない話ですが…。

 ところで、校名変更の理由が理由だけに関係者の無念は十分にわかりますが、そもそも、実際にその学校に通う子供たちは“さくらんぼ小学校”という名前をどういう風に感じていたんでしょうか?低学年や高学年でも女子児童は抵抗なく受け入れらるのでしょうが、思春期にさしかかった高学年の男子児童にとっては、「さくらんぼ小学校6年生の●野×夫です」などと自己紹介するのは、かなり恥ずかしいんじゃないかなぁ。

 その意味では、今回の一件で、“さくらんぼ小学校”に通えなくなった生徒たちの中には、案外、ホッとしている子も多いのかもしれませんがね。

  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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