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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 これから帰国します
2018-12-05 Wed 01:34
 早いもので、今回のバンコク滞在も今日で最後となりました。きょうは早朝の飛行機でバンコクを発ち、成田に向かいます。というわけで、無事の帰国を祈願して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイFFC(バンコク→東京1960)

 これは、1960年5月2日、バンコクから東京(羽田)宛のタイ国際航空の初飛行カバー(FFC)で、同年4月に発行された世界難民年のキャンペーン切手が貼られています。

 タイ国際航空のルーツは、1947年3月1日に発足した国内航空会社のシャム航空で、同年12月に開設されたバンコク=ソンクラー=ペナン路線が最初の国際路線となります。その後、1951年11月1日、 タイ政府は、シャム航空をパシフィック海外航空 と合併させて、タイ航空株式会社と改称。1959年、その国際線部門を担う別会社として、スカンジナビア航空から資本金の3割、200万バーツの出資を受けた合弁事業として、タイ国際航空が設立されました。タイ国際航空は、1960年に国際線の運航を開始。これに伴い、バンコク=羽田路線が就航し、その第1便で運ばれたのが、今回ご紹介のFFCです。

 さて、今回の世界切手展<Thailand 2018>では、セカンド・コミッショナーの大沼幸雄さんご夫妻、審査員の井上和幸さん、JPの信田篤室長、足立修一課長、ご出品者の安藤源成さん、伊藤純英さん、伊藤文久さん、岩崎善太さんご夫妻、江村清さん、川辺勝さん、菊地恵美さん、斎藤環さん、立川賢一さん、吉田敬さん、ブースの落合宙一さん、原口三四郎さん、山本誠之さん、参観者の山本勉さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、成田到着は本日午後の予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 <Thailand 2018>終了
2018-12-04 Tue 09:28
      バンコク展・王女の椅子

 早いもので、28日から、タイ・バンコクのサイアムパラゴンで開催されていた世界切手展<Thailand 2018>は、昨日(3日)、無事にすべての日程を終了し、日本からの出品作品の撤去作業も完了しました。きのうは、事実上の閉会式として、15:00から、マハー・チャクリー・シリントーン王女殿下が会場にて切手展主催者ならびにグランプリ受賞者を謁見し、会場内をご覧になるセレモニーが行われました。殿下が会場におられる間は、携帯電話およびカメラの撮影は一切厳禁されていましたので、殿下御来臨の前に、殿下のお座りになる椅子と切手展のロゴを移したスクリーンの写真を撮り、冒頭に掲げてみました。

 というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シリントーン還暦

 これは、2015年にタイで発行された殿下の還暦記念の切手です。

 シリントーン殿下は、1955年4月2日、先代の国王ラーマ9世とシリキット王妃の間の次女(第3子)で、兄上で現国王のラーマ10世陛下の王位継承者の1人です。

 1973年、王室として初めて、国内の大学であるチュラーロンコーン大学文学部に進学。1977年のご卒業後、王位継承権を与えられました。

 東南アジア地域の古典語としてサンスクリット語、パーリ語、古代クメール語、欧米の言語としては英語、フランス語に通じておられるほか、中国文化には特に関心を抱いており、中国語もおできになるそうで、学問・文化への御造詣の深さから、タイの学術施設には殿下のお名前を冠したものが多くなっています。

 じつは、殿下は切手収集家としても知られ、これまでタイで開催された国際切手展の際には多大なご支援をなさっておられるほか、かならず、会場にお見えになっています。今回の御来臨もその先例に倣ったものです。

 さて、セレモニーとご視察は16:00過ぎに終了し、その後、17:30から会場の撤去作業が始まりました。作品の搬出は、当日帰国予定のコミッショナーが優先で、日本は19:30から作業開始。ご出品者の伊藤純英さん、伊藤文久さん、岩崎善太さんご夫妻、斎藤環さん、立川賢一さんのご協力もあり、2時間ほどですべて完了しました。(下の画像は、撤去作業完了後、作品並びにメダル類の入ったスーツケースを前に、日本出品者の皆さんとセカンド・コミッショナーの大沼幸雄さんご夫妻で撮った記念写真です)

      バンコク展・撤去後

 なお、帰国はあす(5日)午後の予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


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 <Thailand 2018>受賞速報
2018-12-01 Sat 01:14
      タイ・グリーティング(2010・おめでとう)

 11月28日からタイ・バンコクのサイアム・パラゴンで開催中の世界切手展<THAILAND 2018>は、すべての作品の審査が終了し、現地時間30日午後、下記の通り、受賞結果の掲出が始まりましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記(敬称略)、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

<チャンピオンクラス>
・大沼幸雄 L.V.Beethoven - His Life in a Historical Context and His Legacy
<一般競争クラス>
・岩崎善太 Siam 1883-1895 (Previous title: Siam Classic) LV(88)
・菊地恵美 Japan Definitives 1937-1940 V(80)
・吉田敬 Japan Definitives 1922-1937 LV(87)
・伊藤純英 Japan: Showa Series, 1937-46 G(92)
・丹羽昭夫 Japan Definitives Issues 1914-1925 (Previous title: Japan: Tazawa Series "Taisho" Watermarked Granite Paper Old Die) LV(86)
・斉藤環 Austria and Lombardy-Venetia the 1850 Issues G(90)
・吉田敬 Kingdom of Prussia 1850-1867 G(92)
・佐藤浩一 Republica Argentina: Sitting Liberty Series 1899-1903 G(90)
・伊藤純英 Foreign Mail in Nagasaki, Japan 1865-1905 LV(87)
・伊藤文久 Hungarian Inflation 1945-1946 LV(88)
・正田幸弘 Postal History of Brazil 1795-1877 (Previous title: Postal History of Brazil 1809-1877) G(93)
・和田文明 The U.S. Return Receipt Requested & Avis de Reception 1866-1945 V(83)
・安藤源成 Japanese Foreign Mail Postcards LV(86)
・立川賢一 South America Airmails by Graf Zeppelin (Previous title: Airmails Carried by Graf Zeppelin) LS(78)
・嘉ノ海暁子 Floriculture - Its History of Development Viewed Through Europe LS(78)
・江村清 The History of Artist's Portraits - Traces of 600 Years Hand in Hand with Muses (Previous title: The History of Artist's Portrait-the-transition of western art over 600 years) LV(88)
<文献>
・(公財)日本郵趣協会 Suomi Finland 1856-1875 V(80)
・正田幸弘 『紙の宝石』 S(73)
・Stampedia Inc Stampedia Philatelic Journal 文献未着のため審査対象外
・(公財)日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログ』vol.1、vol.2 LV(86)
 ・―― 『沖縄切手総カタログ』 V(83)
<ワンフレーム> 点数のみでメダルの授与はなし
・菊地恵美 1943 Malay 4C Postal Card 78点
・川辺勝 Entry of the Crusaders in Constantinople by Delacroix (Previous title: Liberty Leading the People by Delacroix) 80点
<モダン>
・須谷伸宏 Japan Definitives: 1980-1988 V(82)
<オープン>
・荒井照夫 The Life of Richard Wagner S(73)

 なお、冒頭に掲げた画像は、2010年1月28日にタイで発行されたグリーティング切手のうち「おめでとう」を意味する1枚です。受賞者の皆様、あらためて、おめでとうございました。


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 きょうから<Thailand 2018>
2018-11-28 Wed 06:44
 かねてご案内の通り、きょう(28日)から、タイ・バンコクのサイアムパラゴンで、世界切手展<Thailand 2018>(以下、バンコク展)がスタートします。(下の画像は展覧会のロゴマーク。以下、画像はクリックで拡大されます)

      Thailand 2018 ロゴ Thailand 2018 ロゴ(部分)

 今回のバンコク展のロゴには、自由の女神リオのキリスト像、インドのタージ・マハルなど、世界各地のランドマークがデザインされていますが、その中で、タイの代表として右上にデザインされているのが、ワット・サケートの“黄金の丘”(プーカオ・トーン)です。ちなみに、プーカオ・トーンを取り上げた切手としては、1980年に発行された“国連の日”の切手(下の画像)があります。

       タイ・プーカオ・トーン(1980)

 ワット・サケートはバンコクのバーンランプー・オンアーン運河沿いに位置する古刹で、チャクリー王朝によってバンコクが都となる前から存在していたといわれています。ただし、現在の寺院の直接のルーツはラーマ1世時代に再建されたものです。

 もともと、この場所は、貧者と罪人の火葬場として利用されていたところで、コレラが流行したときには境内に死体が積み上げられたこともあり、かつては、ワット・サケートの地獄絵図に描かれている悪鬼は、実際に屍を食い漁っていると信じる善男善女も少なくなかったと伝えられています。じっさい、プーカオ・トーンへ向かう斜面には現在でも墓石が並んでおり、この場所が死者の土地であった時代がしのばれます。

 ワット・サケートの眼前を流れるバーンランプー・オンアーン運河は、もともと、バンコク防衛のために掘削されたもので、運河沿いに城壁がめぐらされていました。旧アユッタヤーに倣ってバンコクの都市開発を進めてきたラーマ3世は、この運河沿いに、ビルマ軍によって破壊されたアユタヤのワット・ヤイ・チャイモンのコピーを作ることを思い立ち、その土台として人工の山を造成することを思い立ちます。ラーマ3世の時代に始まった工事は、運河沿いという場所柄、地盤が軟弱で作業が難航し、次のラーマ4世の時代にようやく完成。1863年、頂上には沙弥山をイメージした黄金の仏塔が建立されました。仏塔は近くで見るとこんな感じです。

      プーカオ・トーン仏塔実物

 1960年代まではバンコク市内には高層建築はなかったため、プーカオ・トーンはバンコク市街を一望できる場所であると同時に、市内のあらゆるところから見える道しるべの役割も果たしており、運河を航行する船のターミナルにもなっていました。

 また、こうした立地のゆえに、プーカオ・トーンは、しばしば、首都バンコクの防衛上、重要な拠点としてクローズアップされています。

 たとえば、19世紀半ば、インドシナ全土の植民地化を企てるフランスはタイ領への領土拡張を狙い、1893年7月13日、フランスの砲艦2隻がチャオプラヤー川をさかのぼってバンコクのフランス領事館前に停泊し、「ラオスの宗主権は(すでにフランスが植民地化していた)ベトナムが持っていた」と主張してラオスの割譲を要求する砲艦外交を展開しました。いわゆるシャム危機です。

 結局、フランスの砲艦外交に屈したタイはメコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲することになりますが、このシャム危機に際して、タイ側にはプーカオ・トーンの頂上に砲台を設置してフランスの侵略者を攻撃しようというプランもありました。

 その後、タイは東南アジアにおける英仏の緩衝地帯として独立を維持しましたが、1899年、英国のインド植民地政府はカピラヴァストゥから発掘した仏舎利をタイに分与し、仏舎利はプーカオ・トーンに収められました。英国としては、仏舎利を分与することによって、フランスという共通の敵を前にタイとの連携を強めようという意図があった考えられます。

 その後も、第二次大戦中、タイに駐留していた日本軍は、この丘に高射砲を据えて連合軍の空襲に応戦しようとしましたし、1985年の軍事クーデターの際にもプーカオ・トーンの近くから砲弾が発射されるなど、プーカオ・トーンは軍事的な要衝としてしばしば歴史に登場しています。

 さて、タイで世界切手展が開かれるのは、2013年に開催された<Thailand 2013>以来5年ぶりのことで、日本からは、文献を除き、21作品・133フレームが出品されており、審査員兼コミッショナーとして不詳内藤が、セカンド・コミッショナーとして大沼幸雄さんご夫妻、審査員として井上和幸さんが参加しています。なお、日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さんのご協力も得て無事に済ませました。下の写真は、以前、チェンマイで買ったモーホームを着て、作品の展示を行っているところです。

      Thailand 2018・設営作業

 きょうは午前9時から審査員のミーティングがあり、会場そのもののオープンは午前10時ですが、オープニング・セレモニーは午後3時からの予定です。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になりましたら、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。


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 泰国郵便学(55)
2018-11-17 Sat 06:40
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第5号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・チュラーロンコーン大学60年

 これは、1977年3月29日に発行されたチュラーロンコーン大学創立60周年の記念切手です。

 1871年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は、近代化政策の一環として、王宮内に近習団学校を開設します。1882年、国王はこの学校を拡充して、スアンクラーブ学校と命名するとともに、陸軍士官学校、測量学校、仏教学院、王族養成学校などを創設しました。これらの学校は、後に一般庶民の子弟にも門戸を開くようになり、行政学の他に法学、国際関係論、商学、農学、工学、医学、教員養成などの分野を包含しつつ、内務省から独立した教育機関として発展します。

 一方、1899年、ラーマ5世の異母弟で、当時、内務大臣だったダムロン・ラーチャーヌパープ親王は、内務省付属の官僚養成機関として“文官研修所”の創設を国王に建議して認められました。研修所の学生は、卒業前の3年次に、1年間、官吏見習いとして勤務することが義務づけられていました。

 1902年、同研修所は内務省から独立し“近習学校”と改称されましたが、1910年に即位したラーマ6世(ワチラーウット)は、自らの英国留学経験を踏まえ、総合的な高等教育機関の設立を推進。1911年1月1日付でスアンクラーブ学校を“チュラーロンコーン官吏養成専門学校”に改組しました。なお、専門学校は、当初は行政官養成コースのみでした。

 専門学校の開設・運営資金は、ラーマ5世騎馬像の建設剰余金(1908年、国王在位40周年の記念事業として騎馬像を作る際、国民からの浄財が集められましたが、その金額は当初の予定を大きく上回り、像の完成後も80万バーツが残り、財務省に預けられていました)とその利息を原資とし、将来的に学校の研究教育内容を拡大することを考慮して、亡くなった異母兄親王の屋敷跡地と王宮に隣接する土地520エーカー(約210万m2)の土地が国王から下賜されました。

 その後、専門学校には、法学、国際関係、商学、農学、工学、薬学、教育学などの課程が加えられていき、1917年3月26日、文部省大学局の管轄下に、医学部、行政学部、工学部、文理学部からなるチュラーロンコーン大学へと昇格します。ちなみに、初代学長はプラヤー・アヌキヴィトゥーンが就任し、ダムロン親王が大学運営委員会の委員長となりました。また、当時の学生数は4学部あわせて、約380人でした。

 今回ご紹介の記念切手は、ここから起算して60周年にあたるのを記念して発行されたもので、同大学の講堂が取り上げられています。

 ラーマ6世は、1886年に英国人のロバート・モラント(20世紀初頭の英国の教育行政で重要な役割を果たした人物です)を家庭教師として教育を受けたほか、英国に留学し、サンドハースト陸軍士官学校およびオックスフォード大学クライスト・チャーチで法学と歴史学を学んだ経験もあり、新大学は制度・教育内容は英国を強く意識したものとなり、教師の多くは英国人で英語による授業が行われました。

 切手に取り上げられた講堂は、1938年、当時のピブーン・ソンクラーム首相の命を受け、卒業式の会場として建設された建物です。25.60m×54.60mの長方形の敷地に建てられており、最大1754人が収容可能な講堂部分と、宴会および会議室で構成される部分に分れています。

 なお、講堂の周辺は、かつては数多くのレイン・ツリーが生えていましたが、1957年までにかなりの本数が伐採されてしまいました。このため、1962年1月15日、国王ラーマ9世はフア・ヒンの離宮から5本のレイン・ツリーを講堂前に移植し、「この5本の木は永遠の記念樹とする」と宣言。その枝の一部が切手の左側に描かれています。

 * 昨日(16日)の<JAPEX>でのトーク・イベントは、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 タイ洞窟、少年ら全員無事救出
2018-07-11 Wed 02:13
 先月23日以来、タイ北部チェンラーイ郊外のタムルアン洞窟に閉じ込められた地元サッカーチームの少年12人とコーチ1人が、きのう(10日)、タイ海軍特殊部隊などで構成された潜水士らにより、無事、全員救出されました。というわけで、チェンラーイにちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・ワット・ロンクン(2013)

 これは、2013年にバンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に際してタイが発行した記念切手のうち、ワット・ロンクンを取り上げた1枚です。

 ワット・ロンクンはチェンラーイ市街地から約14キロの地点にあり、1997年、チャルムチャイ・コーシッピパットの設計により建立されました。

 タイの寺院の多くは、迷いを除いて願いをかなえ、人々を喜ばせる色として黄金に彩色されていますが、ワット・ロンクンでは、仏陀の清浄さを象徴する純白の壁面に微妙に色が異なる銀色のガラスタイルがはめ込まれています。ガラスタイルが角度によってさまざまな光を放つさまは、“真の光(仏の光)”は一切の影を作らず、全宇宙に広がり、あまねく衆生に降りそそぐことを表現したのだそうです。

 また、画面右側の橋は“輪廻転生の橋”と名付けられていますが、これは、橋のたもと(切手の画面には入っていません)の周囲に地獄を表現するオブジェを配し、そこから橋を渡って本堂(=天国)に入ることで、参拝者が魂の宮宰のプロセスを意識できるとのコンセプトに由来しています。そして、堂内に入ると、壁面にはバットマン、スーパーマン、プレデター、マトリックスなどポップカルチャーに由来のするモチーフが、仏教的な善悪を表現するよう描かれています。

 なお、ワット・ロンクンは現在なお建築中で、最終的には、塔や庵などを含めて9つの建物が建設される予定です。

 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 泰国郵便学(54)
2018-06-16 Sat 10:55
 公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第3号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・鉄道80年5バーツ

 これは、1977年3月26日に発行された“官営鉄道開業80周年”の記念切手のうち、ハノマーク(ハノーファーシェ・マシネンバウ)社製の蒸気機関車を描く5バーツ切手です。

 1885年、漢族ホー(太平天国の残党といわれている武装集団)がタイの宗主権下にあったヴィエンチャンに侵入し、盗賊事件を働く襲撃事件が発生。このため、タイは鎮圧のために6700名を派兵します。その際、724トンのコメを含む食糧を輸送するため、象約180頭、牛500頭がバンコクを出発しましたが、そのうち、目的地に輸送できたのはわずか8トンしかありませんでした。

 さらに、時を同じくして、英仏両国がタイ領内を通過して雲南方面へと抜ける鉄道の建設を計画していたことから、それらが実現されればタイの北部が英仏両国の手に落ちる可能性もおありました。

 このため、タイ政府は、領土防衛のためには、安定した国内輸送機関として、鉄道を建設することの重要性を認識。外務省を中心に研究が開始され、1888年には元海峡植民地(マラッカペナンシンガポール等で構成)総督で、英領ヴィクトリア植民地(現オーストラリア・ヴィクトリア州)での鉄道建設にかかわった経験があるアンドリュー・クラークに鉄道建設計画の策定を委嘱。さらに、1888年11月には、タイにとって直接的な脅威とはならないと見られたドイツのクルップ社からカール・ベートゲを招いて実地調査を行いました。

 その結果を踏まえて、バンコクからサラブリーを経て、ナコーンラーチャシーマーに至る鉄道の建設が決定され、翌1890年、公共事業省内にベートゲを局長として王立鉄道局が設立され、1891年3月9日には、ラーマ5世がバンコク=ナコーンラーチャシーマー間の鉄道建設計画の勅命を発しました。

 これと並行して、1886年9月、タイ政府の水路技師であった英国人、アルフレッド・ジョン・ロフトスと海軍副司令官でデンマーク人のリシュリューに対してバンコク=パークナーム間およびバンコク=パーンマイ間の鉄道免許が交付され、さらに翌1887年5月には、彼らにバンコク市内軌道の免許が交付され、1891年7月、パークナーム鉄道が着工。1893年4月11日、タイ最初の鉄道として、パークナーム鉄道が開業していました。

 さて、バンコク=ナコーンラーチャシーマー間の鉄道建設に関しては、1891年、ナコーンラーチャシーマー鉄道会社が設立され、英国企業のマレイ・キャンベル社が工事を受注し、1892年3月9日に着工。1896年9月1日にはナコーンラーチャシーマー鉄道会社が国営化され、1897年3月26日、バンコク市内のクルンテープ駅とアユッタヤー間で官営鉄道が開業します。

 この時開業したのは、クルンテープ、バーンスー、ラックシー、ラックホック、 クローンランシット、チアンラック、バーンパイン、アユッタヤーの8駅で、その後、複数回の延伸により、1900年12月21日、ナコーンラーチャシーマーまでの全線が完成しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた機関車を製造したハノマーク社は、1835年、ゲオルグ・イーゲシュトルフが設立。小型蒸気機関の製造から出発して、すぐに農業機械の製造を開始し、1846年にはハノーファー州鉄道向けに最初の蒸気機関車を製造しました。1870年には500両を製造し、1905年には自動車の製造(当初は蒸気自動車)にも乗り出しましたが、1920年代末には鉄道機関車部門をヘンシェル社に売却しています。

 タイの鉄道は、上述のように、草創期においてドイツ人の果たした役割が大きく、それゆえ、ドイツからの機関車の輸入も多く、1909年までに計49両のドイツ製車両がタイの官営鉄道を走っていました。この切手の題材も、そうした初期のドイツ製蒸気機関車を象徴するものとして、選ばれたものと考えられます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 泰国郵便学(53)
2018-03-14 Wed 00:24
 ★★★ 緊急告知!★★★

 あす(15日・木)15:10頃~ NHKラジオ第1放送の「NHKごごラジ!パイロット」の「マニア的電話座談会」のコーナーに、内藤が電話出演します。テーマ(予定)は「好きなことを続けるためのマイルール」です。よろしかったら、ぜひお聴きください。
 なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第1号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・チャクリー宮殿(1976)  

 これは、1976年12月5日、国王ラーマ9世の誕生日にあわせて発行された宮殿シリーズのうち、チャクリー・マハー・プラーサート宮殿(チャクリー宮殿)を取り上げた2バーツ切手です。ついでですので、2013年に撮影した宮殿の実物の写真も下に貼っておきます。

      バンコク・チャクリー宮殿(2013実物)

 1976年はラーマ9世の即位30周年にあたっていましたが、そのことを直接記念する切手は発行されませんでした。ただし、おそらくその代替として、同年の国王誕生日にあたる12月5日、王宮の宮殿を題材とした4種セットの切手(宮殿シリーズ)が発行されています。

 1973年の10月14日事件以降、民主化が進行していく中で、石油危機とヴェトナム戦争終結による軍需景気の終焉により経済状況は悪化。労働組合の抗議活動によってモムラーチャウォン、セーニー・プラーモート連立政権が譲歩を迫られると、保守派や軍部は政府の弱腰を批判し、それを学生らが“民主主義の危機”と糾弾して集会を呼びかけるなど、情勢は混沌としていました。

 また、1975年にはヴェトナム戦争の終結からわずか7ヶ月余の間に、インドシナ三国が相次いで共産化します。これを受けて、タイ社会には、米軍がヴェトナム戦争に介入した大義名分、共産化ドミノ理論は“正しかった”のであり、共産化の波がタイにも押し寄せるのではないかとの不安が広がり、急進的な民主化にはブレーキをかけるべきとの空気が充満。1976年の総選挙では保守派が前年の選挙を大幅に上回って勝利しました。

 こうした中で、総選挙後の議会混乱から軍事クーデターが噂されるようになると、タイ全国学生センター(NSTC)執行部は“民主主義擁護”を掲げ、政府の経済対策強化、日本製品不買運動(貿易赤字対策)、タイ駐留米軍への抗議などの集会を頻繁に開催し、労組活動家や左派系市民を動員しましたが、穏健派の中産階級は彼らを支持せず、その結果、孤立した左派勢力はますます先鋭化していきます。

 一方、左派勢力の伸長に対して、国内治安維持部隊(1965年に発足のコミュニスト制圧部隊が、1973年の政変を経て改組された組織)が反共準軍事組織の“クラティンデーン(赤い野牛)”を組織したほか、1974年10月には「共産主義者を殺すことは仏法にかなう」と主張するキティウッドが“ナワポン(9つの新しい力)”を結成。さらに、1975年には、王室の援助賛同の下、農村部の住民を組織してビレッジ・スカウトが結成されました。ビレッジ・スカウトは、警察などの活動を支援する自警団組織で、王室から下賜された制服とネッカチーフを着用し、農村部での左派活動家のオルグ活動を阻止しています。

 クラティンデーンは、1975年8月、学生運動の拠点だったタンマサート大学を襲撃したほか、1976年2月15日には新勢力党本部を爆破。さらに、3月3日にはラーマ6世技術学校爆破事件、6月10日にはNSTC機関紙印刷所爆破事件などが右派組織によって起きています。

 1976年8月16日、1973年の政変で亡命したプラパート・チャルサティエン元副首相が帰国すると、翌17日、これに反対するNSTCは王宮前広場に約1万人を動員して、元副首相の断罪を求める集会を開催。これに対して、8月21日、右派活動家がタンマサート大学構内で学生を襲撃し、2名が死亡、36人が負傷した。プラパートは国王の説諭を受け、翌22日に台北に出国しました。

 一方、おなじく1973年の政変後、米国に亡命していたタノーム・キッティカチョーン元首相はシンガポールに移り、「高齢の父親の看病と、母親の付き添い介助」を理由にタイ政府に対して帰国を申請。プラパートの先例から治安の悪化を懸念する政府はこれを拒絶しましたが、タノームはシンガポール市内のタイ系仏教寺院で出家し、9月19日、僧侶として強引に帰国します。

 これに対して、9月25日、バンコク近郊のナコーンパトムでタノームの帰国に抗議するポスターを貼っていた地方配電公社の労組活動家2人が殺害される事件が発生。10月4日、シースック警察局長は現職警察官の事件への関与を認めたため、同日、NSTCはタンマサート大学のサッカー場で抗議集会を開催。その際、労組活動家殺害事件を題材とした寸劇が上演され、その模様は新聞に写真つきで報じられました。

 すると、翌5日、クラティンデーンとナワポンの活動家は、新聞に掲載された犯人役がワチラーロンコーン王子に似ているのは王室侮辱であるとして、大学を包囲して抗議活動を展開。学生側は引き続き徹夜で集会を続けていましたが、6日朝、国境警備警察と右派集団が構内に突入し、二方向から武装と火器で集会参加者を攻撃し、多数の犠牲者が発生。午前11時頃までに、少なくとも46名が死亡、167名が負傷し、集会参加者の約1000人は反乱分子として警察に連行されました。

 事件後の6日午後6時、海軍大将で国防相のサガット・チャローユーは、①王制を破壊し、国家を転覆させようとする共産主義者がヴェトナム人と結託して警察を攻撃した、②一部の閣僚、政治家やマスコミ機関が共産主義者を支援して混乱を拡大させたが現政府はこの危機に対処する能力がない、として軍事クーデターを宣言し、セーニー・プラーモート政権に代わる国家統治改革評議会を設置し、新首相として元最高裁判所判事のターニン・クライウィチエンを擁立します。

 いわゆる“血の水曜日事件”です。

 事件後、社会的な安定の回復を急務としていた改革評議会は、国民統合の象徴としての王室の権威を最大限に活用します。その意味では、今回ご紹介の切手を含む“宮殿シリーズ”の切手もまた、事件の記憶も生々しい12月5日の国王誕生日にあわせて発行され、結果的に政権を支えるプロパガンダの役割を果たすことになったと言ってよいでしょう。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられているチャクリー宮殿は、バンコクの王宮の敷地のほぼ中央に位置しており、同宮殿から南の方向へ付属の宮殿群が展開するレイアウトになっています。

 もともと、チャクリー宮殿の周辺は、ラーマ5世が幼少期を過ごした場所でした。当時の王室の慣例では、即位後の王は敷地東側のプラー・マハー・モンティエンに生活の場を移すのが慣例となっていましたが、即位後のラーマ5世は、プラー・マハー・モンティエンに移るよりも、それまで住んでいた“東宮御所”の増築を決断。1876年5月7日、シンガポールの建築家、ジョン・クラニッチの設計・監督の下、チャクリー宮殿の建設に着工し、1882年に宮殿は完成しました。(下の画像は、2013年に撮影した宮殿の写真です)
      
 当初、ラーマ5世は、チャクリー宮殿を純然たるルネサンス様式の洋風建築として建設する意向でしたが、クラニッチから、タイの伝統的な建築様式を加えたほうがよいとの進言を受け、屋根の部分にタイ風を取り入れた折衷様式の宮殿に仕上がりました。現在は王族の納骨堂となっており、軒下は武器博物館として、一般に公開されています。

 なお、 チャクリー宮殿を含むバンコク市内の宮殿については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろご紹介していおりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 泰国郵便学(52)
2017-12-26 Tue 11:09
 公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第51巻第6号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・国連デー(1976)

 これは、1976年10月24日に発行された“国連デー”の切手で、薬物をはじめ、アルコールおよび煙草の依存症患者に対する国連の支援活動が図案化されています。

 WHOの定義によると、依存症とは「精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める耐えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行為が優勢となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる、精神的・身体的・行動的状態」のことで、①物質依存症(アルコールや薬物など、何らかのかたちで体内に摂取する物質に対する依存症)と②行為・過程依存症(ギャンブル依存症・インターネットゲーム依存症など)に大別される。

 麻薬、特にアヘンの輸入と生産に関しては、アユッタヤー王朝の時代から歴代の王がこれを禁じ、アヘンを処理するための儀式が寺院などでも行われていました。また、チャクリー王朝時代に入ると、1811年、国王ラーマ2世はアヘンの使用と売買を正式に禁止しています。

 1840年のアヘン戦争以降、英国は清朝に対して本格的にアヘンを輸出するようになり、中国大陸ではアヘンの使用が拡大。また、1850年代以降、中国大陸の混乱を避けて国外に移住する華人が激増し、華人移住の波はタイにも押し寄せると、それに伴い、タイ国内でもアヘン吸引の習慣が拡大しました。

 当時のアヘンの売買には英国人ないしは英領インド帝国の出身者が数多くかかわっていたこともあり、1852年、英国は国王ラーマ4世に圧力をかけ、華人商人用としてアヘン窟の設置を認めさせます。この結果、タイ国内のアヘン窟は1880年には1200ヵ所に、1913年には3000ヵ所にまで拡大。1913年に英領インドからタイに輸出されたアヘンは147トンにも及びました。

 このように、タイを含めアジア各地にアヘンが蔓延していったことに危機感を抱いたマニラ在住の米国人宣教師は、20世紀初頭、米国大統領セオドア・ルーズベルトに対してアヘン拡大の窮状と吸引禁止に関する国際会議の開催の必要性を訴えます。これを受けて、ルーズベルトは、清国と関係の深かった日英両国の了解を得て、1904年10月、国際会議の開催を提案。その後、日露戦争等もあって開催は遅れましたが、1909年2月、米国、英国、日本、清国、ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、イラン、オーストリア、オランダ、タイ、ポルトガルによる万国阿片委員会が上海で開催され、アヘン等の統制に関する9ヶ条の議定書が採択されました。

 さらに、1912年1月には、オランダのハーグでハーグ国際アヘン会議が開催され、薬物(ここではアヘンのみならず、モルヒネ、コカインおよびそこから誘導された薬品、または同等の害悪を起こすもの)を統制する初の国際条約として、万国アヘン条約が調印されます。同条約は、1919年のヴェルサイユ条約を通して批准され、1924年から1925年にかけてのジュネーヴ国際アヘン会議で大麻製剤(チンキ)を追加し条約を補足する協定が作成されました。

 第二次大戦後、万国アヘン条約は、1946年の「麻薬に関する協定、条約及び議定書を改正する議定書」を経て、1961年の「麻薬に関する単一条約」に引き継がれます。

 同条約は、それまで各国が薬物に関して個別に締結していた多数の国際条約、協定等を一本にまとめ、国際的麻薬管理を整理統合し、より実効あるものに統一したもので、1961年3月、ニューヨークにおいて採択され、1964年12月に発効。さらに、10年後の1971年2月、麻薬に関する単一条約が規制の対象としている物質(麻薬、アヘン、大麻)以外の幻覚剤、鎮痛剤、覚せい剤、睡眠薬、精神安定剤等の乱用を防止するため、「向精神薬条約」が採択されました。同条約は、1976年5月、その効力発生に必要な締約国数(40カ国)に達し、同年8月16日に発効しています。

 今回ご紹介の“国連の日”の切手が、薬物をはじめとする依存症患者の救済を題材としているのは、こうした国際的な薬物統制の動きと連動したものであることは言うまでもありません。

 ただし、タイの場合には、そうした国際的な要因に加え、前年(1975年)、薬物依存症患者の社会復帰に尽力してきたプラー・チャムルーン・パルンチャンが、アジアのノーベル賞とされるマグサイサイ賞(社会奉仕部門)を受賞しており、今回ご紹介の切手には、そのことを記念する意味合いも込められていたと思われます。

 1949年、中華人民共和国が成立すると、米国は王室とのつながりも深かったタイ警察を反共のための重要な準軍事組織と位置付け、積極的に支援するようになりました。こうした中で、1951年に警察長官に就任したパオ・シーヤーノン警察大将は、米CIAから兵器、資金、軍事訓練を受け、国境警備警察を創設しましたが、国境警備警察は“黄金の三角地帯”の一角を占める北タイのケシ農園の防衛等を通じて、この地域で麻薬産業を担っていた中国国民党軍(の残党)などと癒着。莫大な麻薬利権を掌握します。

 パオ・シーヤーノンは、当時のピブーン政権下で内務大臣を務め、彼の配下である警察は、サリット・タナラットひきいる陸軍と勢力を二分していましたが、1957年、サリットによるクーデターが発生。首相のピブーンと内務大臣のパオは追放され、警察勢力は政権から一掃されました。

 これに伴い、1958年以降、1954年に制定されたものの、それまで有名無実化していた医薬品以外のアヘンの使用禁止法が厳格に運用されることになり、公認のアヘン窟も廃止されます。しかし、山間部では、少数民族にとって現金収入の手段となるような代替産業が保護・育成されなかったこともあり、その後も、チェンマイ県などでは、地元警察がアヘン栽培農家を不法に保護し、アヘンは根絶されませんでした。

 また、アヘン使用禁止法の施行を受けて、アヘン業者たちはアヘンに代わってヘロインその他の薬物を密売するようになったことや、インドシナの内戦で各派が闘争資金獲得のためにタイ国内でも違法薬物の密売を盛んに行ったことなどもあって、1954年にはアヘン中毒を中心に7万2000人とみられていたタイ国内の薬物中毒患者は、1975年には、マリファナからヘロインに至るまで、多種多様な薬物の中毒患者は40万人にも急増し、薬物汚染は深刻なものとなりました。

 こうした状況の下、1957年、警察官として違法薬物の取締りにも従事してきた経験を持つ僧侶のチャムルーン・パルンチャンは、叔母で女性出家者として活動していたミアン・パルンチャン、弟のチャルーンとともに、同志を募って、禁欲的な求道生活を行う道場として、サラブリー県プラプッタバート郡にワット・タムクラボークを建立します。

 もともと、釈迦の時代の仏教では男性出家者である比丘とともに、女性出家者の比丘尼が存在していましたが、その後、いわゆる“上座部仏教”が確立されていく過程で、女性の出家は認められなくなります。とはいえ、タイを含む上座部仏教圏でも、俗世を離れて出家修行生活を望む女性は存在しており、そうした女性は、タイでは“メーチー”と呼ばれています。

 タイの上座部仏教では、僧侶として出家者の地位・身分を得られるのはあくまでも男性のみとされてきたため、メーチーの宗教上の地位は“在家者”とされており、それゆえ、男性出家者のように、一般信徒から物質的・経済的支援や敬意を受けることもありませんでした。

 ミアンはそうした“メーチー”の一人で、霊感が鋭く、予知能力があるとして地域の尊敬を集めていたが、宗教上はあくまでも在家者という位置づけであったため、ワット・タムクラボークも、“ワット”を名乗っていたものの、当初は正規の仏教寺院としては認証されませんでした。ちなみに、ミアンは1970年に亡くなっていますが、ワット・タムクラボークが正規の仏教寺院として認証されたのは、それから40年以上が経過した2012年のことです。

 さて、1957年のある日、アヘン中毒に悩む老人が治癒を求めて、創建されたばかりのワット・タムクラボーグを訪ねてきました。居合わせた者は、誰も医学的な知識を持っていませんでしたが、チャムルーンは老人を本尊の仏像の前に連れて行き、蓮の果托の一房を渡し、「蓮は聖なる花である。アヘンの禁断症状が現れたら、代わりに蓮の果托を噛むが良い」と諭したところ、数日後、チャムルーンの言いつけに従った老人はアヘン中毒から完全に立ち直ったそうです。

 この話が広まり、多くのアヘン中毒患者が治癒を求めてワット・タムクラボークを訪れるようになったため、1959年以降、チャムルーンは本格的に、アヘンをはじめとする薬物中毒患者の治癒に乗り出すことになり、1959年から1961年にかけての試行錯誤の期間を経て、6-15日間の治癒プログラムが確立されました。

 ワット・タムクラボークの治癒プログラムの参加者は、1964年から1975年までの10年間で5万7000人にも及び、その活動は、タイ政府のみならず世界的にも注目を集め、1975年にはチャムルーンがアジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞(社会奉仕部門)を受賞しています。ちなみに、タイ人・組織のマグサイサイ賞受賞は、1961年のニラワン・ピントン(1961年・社会奉仕部門。フェミニスト)以来、7人目のことでした。
      

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は28日!★★

 12月28日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第13回が放送予定です。今回は、現在公開中の映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にちなんで、第二次大戦中のノルウェーについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 泰国郵便学(51)
2017-11-12 Sun 14:43
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      タイ・オニテナガエビ(1976)  

 この切手は、1976年2月18日に発行された“タイの代表的な食用エビ”の切手のうち、オニテナガエビを取り上げた1枚です。次いでですので、バンコクの海鮮レストランで生簀の中のオニテナガエビを撮影した写真が手元にありましたので、下に貼っておきます。

      オニテナガエビ・実物

 タイでエビの養殖がいつから始まったかは定かではありませんが、1960年代に地元の古老を対象に行った聞き取り調査によると、遅くとも、1930年までにはエビの養殖が始められていたようです。初期のエビの養殖は、主としてタイランド湾の河口に近い低地の米作農家が乾季の間の副業としてエビを飼い、販売するものでした。

 一方、タイランド湾に面したサムットプラーカーン県、サムットサーコーン県、サムットソンクラーム県は伝統的に製塩業が盛んでしたが、1950年頃、塩の値段が暴落したため、塩田の多くがエビの養殖に転業します。

 1960年代後半までにエビの養殖はタイランド湾沿岸のほぼ全域に拡大しましたが、その中心は上記3県で、ほかに、ラヨーン県、チョンブリー県、チャンタブリー県が主要な生産地でした。当時のエビ養殖業者は、一軒あたり平均4ヘクタールの養殖池で年間1356キロのエビを生産してました。

 1970年代に入ると、日本でのエビの需要の拡大に伴い、エビの輸出も拡大しましたが、その反面、乱獲により天然エビ漁は衰退し、養殖エビの重要性も増大します。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、輸出商品としてのエビを宣伝する目的で発行されました。

 切手に取り上げられたオニテナガエビは、タイ、マレーシアなどの東南アジア原産の淡水産のエビで、オスで最大32センチ、メスで25センチに成長します。色は藍色で、頭部が大きく、第二歩行足が体長よりも長くなっています。タイ語では、一般に川エビを意味する“グン・メーナーム”と呼ばれ、レストランの英文メニューでもその直訳の“River Prawn”と表示されていることも多いようです。ただし、英語表現としては、FAO(国連食糧農業機関)の指導により、マレーシアで本格的な養殖が始まったことから、マレーシア・プローンの通称で呼ばれるのが一般的です。

 レストランなどで調理される場合は、このエビの最大の特徴である鋏が外されてしまうことが多いので、バナメイエビとよく似た外観になりますが、バナメイエビに比べて兜が幅広いので識別は難しくはありません。タイでの調理方法としては、“シューシー・グン(レッドカレー炒め。カレーとしてではなく、一品料理として供される)”や“グン・オップ・ウンセン(エビと春雨の蒸しもの)”などが好まれています。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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