内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 世界漫郵記:泰国紀行①
2017-01-02 Mon 21:02
 『キュリオマガジン』2017年1月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、今回から“泰国紀行”のスタートです。今回は、新年号ということで、タイの鶏とキンナリーについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      タイ・軍鶏

 これは、2001年、タイが発行した国際文通週間の切手に取り上げられた軍鶏(シャモ)の切手です。

 鶏のなかでも高級食材の一種として知られる軍鶏は、江戸時代に闘鶏用ないしは愛玩用として“暹羅(しゃもろ=タイの古称)”から輸入されたことが名前の由来とされています。

 漢字で“軍鶏”の字を当てるのは、もともと、闘鶏用の品種だったためです。タイを含む東南アジアでは現在でも闘鶏がさかんに行われていますが、日本では江戸時代からしばしば賭博禁止令が出されたため、食用として改良され、現在にいたっているわけですが、軍鶏という漢字の表記は闘鶏が廃れた後もそのまま残りました。

 ちなみに、英語でジャパニーズ・バンタムと呼ばれるチャボも、朱印船貿易の時代にチャンパ王国(現在のヴェトナム中部沿岸)からもたらされたのがその名の由来です。また、バンタムというのも、ジャワ島西部の地名、バンテンが由来。いずれにせよ、チャボもまた、タイを含む東南アジア全域でもとから飼育されていた品種です。(下に、チャボを取り上げた2003年のタイ切手の画像を貼っておきます)

      タイ・チャボ(2003)

 ところで、もとはヒマラヤに住む精霊の一種で、歌と踊りで神々に仕えるキンナリーは、タイの伝統的な絵画や彫刻などでは、上半身が人間、下半身が鳥の姿で表現されますが、その下半身は、脚が長く尾が直立したスタイルが多いようです。(下の画像はキンナリーを描いた1976年の切手です)

      キンナリー

 これは、軍鶏の長い脚とチャボの直立した尾を組みあわせてイメージが作られたのではないかと僕は推測しています。今回の記事では、そうしたことも踏まえ、タイの鶏文化とキンナリーについてまとめてみました。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(46)
2016-12-29 Thu 10:18
 ご報告が大変遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第6号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・野生動物(第2次)ガウル

 これは、1975年3月5日に発行された第2次野生動物シリーズのうち、ガウル(インドヤギュウ)を取り上げた75サタン切手です。

 ガウルは、インド、カンボジア、タイ、中国・雲南省、ネパール、ミャンマーの標高1800メートル周辺にある森林に8-11頭からなる群れを形成し生息する偶蹄類で、体長240-330cm、肩高160-220cm、体重580-1000㎏。肩は隆起し、胴体の中ほどで胸椎の突起が短くなります。背面の毛衣は暗黄褐色で、四肢下部の体毛は白色です。

 開発による生息地の破壊、狩猟、家畜からの伝染病などにより生息数は激減しており、現在では保護区が設定されていますが、タイ中部プラジュアブキリカン県クイブリ国立公園では、2013年8月2日から12月22日までの間にガウル12頭の死体が相次いで発見されたことが大きく報じられました。死体にはいずれも外傷はなく、汚染された水が原因だったと見られています。

 ところで、ガウルは、タイでは栄養ドリンクの商品名としても有名です。

 もともと、鎮痛剤の製造・販売を行っていたTCマイシン社の経営者、チャリアオ・ユーウィッタヤーは、1978年、TCファーマシューティカル・インダストリー社(以下、TCF)を設立し、それまで、日本の大正製薬が販売するリポビタンDがほぼ独占していた栄養ドリンク市場に参入しました。

 ユーウィッタヤーは、この時売り出した商品を、タイ語で“赤いガウル”を意味する“クラティン・デーン”と命名。低所得者層のマーケットに重点を置き、100万本以上の試供品を配布するなどの積極的な営業方針でシェアを拡大。同社を現在65%のシェアを誇る業界最大手に育て上げました。

 ちなみに、TCFの成功に目を付けたオーストラリア人実業家のディートリヒ・マテシッツは、1984年、クラティン・デーンの国際的な販売権を獲得。独自の配合で数年をかけて改良を加えて“レッド・ブル”を売り出し、栄養ドリンク業界において、売上、シェア共に世界一の座を獲得しています。レッドブルのマークに描かれている牛のモデルは、今回ご紹介の切手のガウルということになりますな。

 僕自身は、普段はあまり栄養ドリンクの類は飲まないのですが、せっかくなので、きょうはレッド・ブルを飲んで、残りわずかとなった2016年を乗り切ろうかと思います。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(45)
2016-10-28 Fri 11:54
 ご報告が大変遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第5号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイのヴィーナス

 これは、1974年9月19日に発行された“国立博物館100周年”の記念切手のうち、“タイのヴィーナス”として知られる観音菩薩像を取り上げた2.75バーツ切手です。ついでですので、以前、バンコク国立博物館を参観した際に、撮影した“タイのヴィーナス”の実物の写真も下に貼っておきます。

      タイのヴィーナス(実物)

 タイにおける博物館の歴史は、1859年、国王ラーマ4世が王宮内に自分への贈物を1ヵ所にまとめて収蔵したのが起源とされています。ただし、ラーマ4世の時代の収蔵施設は、プライベート・コレクションとしての性質が強く、一般公開を前提とした現在の博物館とはかなり趣が異なるものでした。

 これに対して、ラーマ4世崩御後の1874年、ラーマ5世は、父王の御物や一般の関心を集めそうな品々を展示・公開するための施設として、王宮内のサハタイ・サマコム館を利用して博物館を創設することとし、9月19日に博物館としての開館記念式典を行いました。現在のタイでは、これをもって、国立博物館の開館としており、今回ご紹介の切手もここから起算して100周年にあわせて発行されました。

 その後、展示施設が手狭になったため、1887年、ラーマ5世はサハタイ・サマコム館から副王宮殿(ワンナー)の礼拝堂として用いられていた建物に所蔵品を移すように命令。この施設は、当初、ワンナー博物館と呼ばれていましたが、1926年にバンコク博物館と改称され、1934年、文化省芸術局の管轄に置かれてバンコク国立博物館として拡充され、現在に至っています。

 なお、現在、タイの“国立博物館”は、バンコク国立博物館、バンコク国立美術館、王室御座船国立博物館、シン・ピーラシー記念国立博物館、王室象国立博物館、ガーンチャナーピセーク国立博物館の6中核組織を含め、バンコクなど中部に21、チェンマイなど北部に8、スリンなど東北部に7、プーケットなど南部に7の施設があり、文化省芸術局国立博物館部によって運営が担われています。

 切手に取り上げられた“タイのヴィーナス”は、バンコク国立美術館の至宝にして、シュリーヴィジャヤ美術の傑作とされている観音菩薩像(8世紀ごろ)です。

 シュリーヴィジャヤは、7世紀後半から14世紀後半にかけて、現在のインドネシアからマレーシア、タイ南部にいたる広大な地域を支配していた王朝で、その首都が置かれていたスマトラ島のパレンバンは、東西交易で大いに繁栄し、学芸の中心地でもありました。中国大陸からインドへ留学する僧侶はインドへ渡る前に、パレンバンでサンスクリットの語学研修を行ったともいわれています。

 1025年、シュリーヴィジャヤ王国は南インドを支配していたチョーラ朝のラージェンドラ1世の攻撃を受け、以後、次第に衰退。その後、1080年頃まではパレンバンを首都としていたものの、その後は首都がどこにおかれていたかは定かではありません。ただし、後期においては、出土する遺品・美術品の分布から、タイ南部のチャイヤーを拠点としていたとする説が有力で、“タイのヴィーナス”と呼ばれる観音菩薩像もチャイヤーから出土したものです。

 なお、バンコク国立博物館の宝物については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 タイ国王陛下、崩御
2016-10-14 Fri 11:25
 タイのプミポン・アドゥンヤデート国王陛下(以下、ラーマ9世)が、きのう(13日)、崩御されました。88歳。心からご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・500バーツ(1999年)銘付田型

 これは、1999年9月10日にタイで発行された500バーツの普通切手の銘付田型です。タイの普通切手の最高額面、500バーツの切手は、2010年にも別のデザインで発行されているのですが、1999年の切手は日本の印刷局製、2010年はフランスのカルトゥール社製ということで、今回は、日本製であることがわかる1999年の切手の銘付田型をご紹介することにしました。

 さて、ラーマ9世は、1927年12月5日、米国マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれました。父親のソンクラーナカリン親王は、ラーマ5世69番目の子息で“タイ近代医学の父”と呼ばれる人物で、母親のシーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后(以下、シーナカリン)は平民の出身でしたが、16歳の時からシリラート病院に看護婦として勤務し、王室の奨学金を得て米国に留学中に、ソンクラーナカリン親王と出会い、結婚しました。その後、夫妻はいったんタイに帰国した後、親王が欧米諸国に留学し、ラーマ9世は、父親の米国留学中に生まれたというわけです。

 1928年、一家はタイに帰国しましたが、翌1929年、ソンクラーナカリンが急逝。このため、シーナカリンは、一時、義母でタイ赤十字社総裁を務めていたサワーンワッタナー王女の住むサラパトゥム宮殿に身を寄せましたが、3人の子を連れて子供の教育のためにスイスのローザンヌに渡ります。

 彼女と子供たちがローザンヌ滞在中の1935年、立憲革命の混乱でラーマ7世が退位。ラーマ7世には自身の子がなかったため、王族最高位のチャオファーの階級にあったソンクラーナカリンの子、アーナンタマヒドン王子が国会決議により、国王ラーマ8世として即位しました。ただし、この時、ラーマ8世は年少で学業も半ばであったため、国王としての即位の儀式を行うために一時帰国したものの、すぐにローザンヌに戻っています。

 1945年12月5日、“大東亜戦争(タイにおける第二次大戦の正式名称)”の終結を受けて、ラーマ8世はスイスから帰国し、1946年1月1日には英国との間で講和条約も結ばれましたが、1946年6月、帰国後わずか半年の国王が寝室で額を打ち抜かれて死亡するという国王怪死事件が発生。これを受けて、ラーマ9世は、急遽、新国王として即位します。ただし、この時点では、ラーマ9世は学業半ばだったこともあり、いったん、ローザンヌ大学へ復帰し、1952年に帰国しています。この間、1950年4月には、フランス滞在中に出会ったシリキット・キッティヤーコーンと結婚し、同年5月5日に戴冠式を行っています。

 立憲革命以降、政治の中枢にあったピブーンソンクラーム(ピブーン)が国王の権威を抑え込むことによって自らの権力基盤を確立していったことに加え、ラーマ7世の退位とラーマ8世の怪死もあって、ラーマ9世の即位当時、タイ王室の権威は大きく揺らいでいました。

 これに対して、1958年9月18日のクーデターでピブーンを追して政権を掌握したサリット・タナラットは、近隣諸国からの共産主義の浸透を防ぐためにも、「タイの民主主義は国王を元首とした民主主義である」と規定し、ラーマ6世の唱えた民族・宗教・国王の3原則(ラック・タイ)を国家イデオロギーの中核に据え、国王の威信を回復することに務めます。

 そして、若き国王も、そうした政権側の期待にこたえる形で、立憲君主国の国王として、直接の政治介入は行わないものの、
国民統合の象徴としての公務を真摯にこなすとともに、タイの各地で王室主導で稲作や酪農など2000以上に上るプロジェクトを実施し、農村の振興や貧困対策に力を入れ、王室に対する国民の信頼を急速に回復させました。

 こうしたことの積み重ねがあって、クーデターが頻発するタイの政治風土の中で、ラーマ9世は官僚や軍部、民主活動家など利害関係の調停役として采配を振るい、困難な情勢の打開収拾に手腕を発揮し、1960年代以降、急速に経済発展を遂げたタイ社会の安定に絶大な貢献を果たしてきました。

 晩年は、フワヒンにあるクライカンウォン宮殿を御座所とし、公務の数も減らしていましたが、2016年10月3日、肝臓への異常や感染症により、バンコクのシリラート病院に入院。様態が不安定と発表され、多くの国民が御快癒をお祈りしていましたが、きのう、入院先のシリラート病院にて崩御されました。

 なお、僕にとっては、タイは生まれて初めて訪れた外国というだけでなく、2007年の『タイ三都周郵記』刊行がご縁で、東京で開催された陛下のお誕生日の祝賀会にご招待いただいたほか、現在、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』にも「泰国郵便学」と題して連載をさせていただいており、タイ人の友人も多いので、非常に思い入れの強い国です。それだけに、今回の国王陛下の御崩御も、いずれこの日が来るものとわかっていたものの、やはり、特別な感情が込み上げてきます。

 あらためて、陛下の御冥福をお祈りするとともに、タイ国民の皆様に、心よりのお悔やみを申し上げます。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(43)
2016-06-29 Wed 10:17
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第3号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・世界人権宣言25周年

 これは、1973年12月10日に発行された“世界人権宣言25周年”の記念切手で、“人権の炎”が描かれています。タイで世界人権宣言を題材とした記念切手が発行されたのは、1968年の世界人権宣言20周年にあわせて行われた「世界人権年」の記念切手以来、2回目のことです。

 切手の発行は、民主憲法の早期制定を求める学生らの運動と、そこから派生してタノーム・キッティカチョーン政権を崩壊させた10月14日事件から約2ヶ月後のことですが、切手発行のための準備は、タノーム政権時代にすでに進められていたとみるのが自然と思われます。

 学生らの激しい民主化要求にさらされたタノーム政権でしたが、1972年12月15日に施行された「仏暦2515年統治憲章」では、3年以内の憲法施行が明示されており、そのために1973年1月には憲法起草のための22人委員会が設置されていたことも事実です。したがって、政権側としては、世界人権宣言25周年という機会をとらえて、自分たちが“人権”にも相応の配慮していることを内外に示そうとしたとしても不思議はありません。

 なお、10月14日事件の成果として、1974年10月7日に公布された「仏暦2517年タイ王国憲法」は、仏暦2492年憲法(1949年3月23日公布)以来の「タイ国は民主主義政体であり、国王を国家元首とする」(第2条)との規定を踏襲したうえで、「何人も、民族、宗教、国王および憲法に反し、本憲法に規定する権利及び自由を行使することはできない」(第53条)として、表現の自由、集会・結社の自由、移転・居住の自由、通信の自由などの自由権規定の多くに留保を付けられていました。その意味では、10月14日事件後も、制度的には、一般のタイ国民の人権状況に大きな変化はなかったと言えそうです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ラーマ9世在位70年
2016-06-09 Thu 14:01
 1946年6月9日、タイのアーナンタマヒドン国王(ラーマ8世)の崩御に伴い、プーミポンアドゥンラヤデート国王(ラーマ9世、日本では“プミポン国王”と呼ばれることが多い方です)が王位を継承されてから、きょうでちょうど70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・国王在位50年(即位式・シート)

 これは、1996年にタイで発行された国王在位50年の記念切手のうち、国王の即位宣言の場面を取り上げたシートです。

 ラーマ9世の兄王にあたるラーマ8世は1925年生まれで、1932年の立憲革命の際にはわずか7歳でした。このため、混乱を避けてスイスに留学していましたが、1935年にプラチャーティポック(ラーマ7世)国王が退位したのを受けて国王となりました。ただし、幼年のため摂政団が組織され、1938年11月に即位の大礼を執り行うために一時帰国したものの、その後はスイスに戻って法律の勉強を続けていました。

 その後、1945年に大戦が終結し、国王ご本人も成年に達したということで、1946年12月5日、7年ぶりに帰国しました。

 ところが、1946年6月、帰国後わずか半年のラーマ8世が寝室で額を打ち抜かれて死亡するという国王怪死事件が発生したため、弟のプーミポンアドゥンラヤデート殿下がラーマ9世として王位を継承しました。

 ラーマ9世は、1927年12月5日、米国ボストン生まれ。父親のソンクラーナカリン親王はチュラーロンコーン(ラーマ5世)国王の第69子で、ラーマ9世が生まれたときには、ハーバード大学で医学を学んでいました。その後、ラーマ9世は1歳で帰国し、5歳でマーテーデー学園に入学して初等教育を受けましたが、立憲革命後はスイスに移り、以後、兄のアーナンとマヒドンと生活を共にし、1945年にタイに帰国しています。ただし、王位継承時には成年に達していなかったため、再びスイスに戻り、もともとの専攻であった自然科学から法学・政治学へと専攻を変更して、学業を続けることになりました。

 スイス滞在中の1948年10月、国王は交通事故に遭い、長期の入院を余儀なくされますが、その入院中に知り合ったモム・ラーチャウォン・シリキット・ティリヤコーン(後のシリキット王妃)と恋愛関係になり、一時帰国した後の1950年4月28日に結婚。それから週間後の1950年5月5日のことで、王室の慣例に従い、王宮内のパイサーンタクシン堂で即位式が行われました。

 戴冠式では、金の銘板に国王の名前“プラバート・ソムデット・プラパラミンタラ・マーハー・プミポン・アドゥンヤデート・マヒタラーティベート・ラーマーティボディー・チャクリーナルボディン・サヤーミンタラー ティラート・ボロムマナートボピット”が記され、イチジクの木で作られた八角形の玉座に座った国王は、国民からの請願を受けるかたちで「タイ国民の利益と幸福のために正義をもって統治する」と即位の宣言しました。今回ご紹介のシートは、その場面を取り上げたものです。

 なお、国王の即位式が行われた王宮の建物や玉座については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(42)
2016-04-25 Mon 11:34
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第2号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・10月14日事件

 これは、1975年1月16日に発行された“10月14日事件”の記念切手です。

 1973年10月4日、民主化を要求する政治家、市民運動家、学生活動家、教職員を中心に“憲法要求100人委員会(以下、100人委員会)”結成。これに対して、6日、政府は、共産主義者が国家転覆を企てたとして100人委員会の11人を逮捕します。その後も逮捕者は増え、8日にはカイセーン・スックサイ元国会議員が逮捕され、タノーム・キッティカチョーン首相はカイセーンと一味は共産主義者に扇動され政府転覆計画を謀ったと断定し、彼らの無期限拘留を命じました。

 これをきっかけに、タノーム政権に対する抗議行動が一挙に拡大します。

 1963年以来のタノーム政権による開発独裁路線は、いわゆるヴェトナム戦争特需に支えられた経済成長を基盤としたものでした。このため、1973年3月29日にヴェトナム戦争に関するパリ和平協定が調印され、同年3月29日、米軍がヴェトナムから撤退すると、大きな打撃を受けることになります。加えて、国際市場では米価の低迷より輸出が落ち込み、タイ共産党のゲリラ活動やインドシナ諸国からの難民の流入に対応するため防衛費の過大な負担もあいまって、タイ経済は低迷しました。

 さらに、タノーム政権の副首相兼内務相であったプラパート・チャールサティエンは、自分の娘をタノームの息子、ナロン・キッティカチョーン(第11連隊長)に嫁がせており、タノーム政権下での人事の停滞もあって、国軍を私物化に対する不満が軍人たちの間にも蔓延していました。

 ところで、1972年12月15日に施行された「仏暦2515年統治憲章」は、第17条で“絶対権力”としての政権へ権力集中を規定していたましたが(カイセーン元議員の逮捕はこの条文がその根拠です)、その一方で、3年以内の憲法施行をも謳っており、1973年1月には憲法起草のための22人委員会も設置されていました。

 100人委員会は、こうした背景の下で憲法の早期制定と駐留米軍の早期撤退を求めたわけです。

 さて、100人委員会メンバーの逮捕に対する抗議活動は、10月8日にバンコク首都圏およびチェンマイ市の各大学で始まり、10日には全国に波及。12日には「市民連合は本日10月12日正午より24時間以内に逮捕された憲法要求100人委員会の運動家13名の釈放、民主政治を要求する。もし満足できる処置回答がこの時間内に政府から得られない場合に市民連合は思い切った行動に出るであろう」との最後通牒が発せられ、翌13日、タムマサート大学構内から民主記念塔へデモ行進が始まりました。デモ行進は当初から20万人が参加し、最終的には40万人を超える規模にまで拡大します。これは、タイの歴史において、空前の規模でした。

 ここにいたり、国王ラーマ9世が仲裁に乗り出し、逮捕者13人ら無条件解放と1974年10月に憲法を公布する(予定)ことが確認され、市民側は勝利宣言を発し、一連の抗議行動は公式には終了しました。

 ところが、デモ参加者の一部は抗議集会の続行を主張して、民主記念塔から王宮広場に移動。翌14日未明、彼らはチットラダー宮殿に向けてラーチャダムヌーン・ノーク通りの行進を開始しましたが、途中、国税庁などいくつかの政府機関を占拠したため、武装警察隊、次いで陸軍部隊が出動。デモ参加者の一部が国家行政査察庁を含む4つの政府建物や交番に放火するなど暴徒化するなかで、当局による鎮圧の過程で、77人が死亡、857人が負傷する流血の惨事となりました。

 これが、10月14日事件です。

 結局、国王の仲裁を仰ぎながら、流血の事態を招いた責任を取るかたちで、タノーム首相、プラパート副首相、ナロン大佐は国外への亡命を余儀なくされ、タノーム政権は崩壊。国王はタムマサート大学々長サンヤー・タムマサックを首相に指名し、サンヤーは「出来るだけ速やかに民主憲法を発布し、現在から6ヶ月以内に総選挙をすることになる」と演説しました。

 事件の成果として1974年10月7日に施行された「仏暦2517年タイ王国憲法」は、タノーム政権時代の反省から、議会による政府のコントロールを強化し、議院内閣制(首相は下院議員でなければならず、閣僚の半数以上は上院あるいは下院の議員でなければならない)を採用。議員の公務員兼職禁止、議員及び閣僚の資産公開、会計検査院の設置などを謳っていました。ただし、上院議員を任命する際に枢密院議長が副署するとの規定については国王の政治的関与とされる余地があるとして、1975年1月19日、国王の意向により、署名者を首相とするよう改正されています。(仏暦2518年改正タイ王国憲法)

 今回ご紹介の切手は、上記のような一連の民主化運動が一区切りしたことを受けて、1975年1月26日に4種セットで発行されたモノのうちの1枚です。

 さて、今回の「泰国郵便学」では、1973年10月14日事件をの話題を中心に、1973年10月に発行された古典文学の切手と、チェンマイのワット・スアンドークの切手もご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(41)
2016-02-28 Sun 14:47
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第1号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・蒟醤  

 これは、1973年6月15日に発行された伝統工芸シリーズのうち、ラーンナー地方の伝統工芸である蒟醤(キンマ)の漆器の制作風景を取り上げた2バーツ75サタン切手です。

 タイ語では漆器のことを“クルアン・クーン”といいますが、これはもともと、タイ・クーン族の民族名が語源であるといわれています。

 1558年から1774年まで、ラーンナー地方はビルマの占領下に置かれましたが、1775年、ラムパーンの国主、カーウィラは叔父のチャンバーンとともにビルマ支配に抵抗し、トンブリー王朝に帰順。バンコクでの王朝交代に伴い、1782年にはラッタナコーシン王朝のラーマ1世によりチェンマイ王に叙せられました。ただし、この時点では都市としてのチェンマイは依然としてビルマの支配下にあったため、カーウィラはビルマとの戦闘を継続し、1796年にチェンマイを奪還しました。

 以後、カーウィラは戦乱によって荒廃したチェンマイの再建に乗り出し、ビルマとの国境に近いチャン地方から多くの職人を招きましたが、その過程で、ミャンマー北部、チェントゥンのクーン川流域に住んでいたタイ・クーン族の漆器職人も招かれ、チェンマイの城壁南側に集団で住むようになりました。

 クーン族の作る漆器は、竹(虫除けのため、台所の囲炉裏の上で1ヶ月以上燻蒸したもの)を裂いてテープ状にしたものを編んで胎を作り、その上に紙を貼ってから、黒漆に粒子の細かな土や灰を混ぜた下地を2回以上塗るという工程です。下地を塗る道具としては、かつては布が使われていましたが、現在では、切手のように刷毛を使うこともあるようです。

 下地を乾燥させた状態で完了となる場合もありますが、特にラーンナー地方に特徴的な蒟醤細工の場合は、下地を乾燥させたうえで、植物の連続文様や空想上の動物などを線彫りし、その凹みに色漆を充填し、乾いたのちに研ぎ出して完成となります。なお、日本語の蒟醤は“檳榔の実(マーク)を噛む(キン)”を意味するタイ語からの転訛で、客人に勧める際に檳榔を入れていた漆器の箱が朱印船などで日本に伝来した際に、ラーンナーの漆器そのものを指す語として用いられるようになりました。

 今回ご紹介の切手では、左側の男性が竹を編んで胎を作り、右側の女性が下地を縫っている光景が描かれています。切手下部には“漆器制作”の表示もありますが、肝心の蒟醤細工の完成品は、画面の左奥に小さく描かれているだけで、少しわかりづらいかもしれませんので、下に、その部分をトリミングした画像を貼っておきました。

       タイ・蒟醤(部分)

 なお、今回ご紹介の切手を含め、1973年の伝統工芸シリーズに取り上げられている工芸品は、いずれも、チェンマイを中心とした東北タイを想起させる内容となっています。1971年の自己クーデター後のタノーム・キッティカチョーン政権は、共産中国の脅威に対抗するとの観点から北部ならびに東北部を重視する姿勢を示していましたが、このシリーズの題材選択もまた、そうした政治的文脈に沿ったものだったとみることができましょう。
 

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(40)
2015-12-29 Tue 11:46
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第49巻第6号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ワット・ポー(国際図書年)

 これは、1972年に発行された国際図書年の記念切手で、バンコクのワット・プラチェートゥポン・ウィモンマンカラーラーム・ラーチャウォーラマハーウィハーン(以下、ワット・ポー)の布薩堂が取り上げられています。ワット・ポーというと、巨大な涅槃仏が有名ですが、歴史的に見ると、“学問の寺”として重要な意味をもっています。

 国際図書年は、社会における図書の役割についての世論を喚起するため、1970年の第 16回ユネスコ総会で採択された国際行事で、1972年にその第1回が行われました。その後、各国のユネスコ機関により、毎年、啓発活動が行われていますが、この切手は、その第1回開催に合わせて発行されたものです。

 バンコクの王宮南側にあるワット・ポーはアユッタヤー時代に建立された古刹で、当初はワット・ポーターラムと呼ばれ、トンブリー王朝時代に王立寺院に序せられました。

 ラッタナコーシン王朝のラーマ1世の時代に布薩堂、仏堂、回廊等の全面的な新設・改修工事が行われ、タイ各地から仏像を集めて安置するとともに、この寺院に医学・薬学のテキストを収集させたうえで、1801年、落慶法要を営みました。現在の寺名、ワット・プラチェートゥポンはこの時命名されたものです。ちなみに、タイの伝統医療における整体法として知られる“ルーシー・ダットン”のオリジナルの陶土の像は、ワット・ポーの境内に置かれていましたが、現存はしていません。

 ラーマ1世の王子で、ワット・ポーの住職を務めたパラマチーヌチット・チノーロットはパーリ語(南伝上座部仏教の経典に使用される言語)に堪能な詩人にして、仏教諸学に通じた碩学としてラーマ3世の信頼が篤い人物でした。それゆえ、ラーマ3世は、1831年、ワット・ポーの改修工事を命じ、ワット・ポーにはパーリ語やタイ式医学、薬草学、占星術、美術、詩文などの資料が精力的に集められることになります。また、ラーマ1世時代のルーシー・ダットンの像は耐久性に乏しかったため、ラーマ3世は亜鉛と錫を混ぜて新たな像を80体制作して回廊に配置し、ルーシー像やその姿勢をとることによって得られる効果について詠った詩を作って頒布しました。

 こうしたこともあって、ワット・ポーはタイにおける大学または大学図書館のルーツとされており、それゆえ、国際図書年の切手にも相応しい題材といえましょう。

 さて、切手に取り上げられている布薩堂は寺院の本堂にあたる建造物で、三層に重なった屋根を持ち、その四周にはそれぞれ礼拝堂が配置されています。高さ4mの本尊の台座下部には、ラーマ4世によって安置されたラーマ1世の遺灰が納められているほか、布薩堂の横には王族の遺骨を納める70あまりの仏塔が並んでいます。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(39)
2015-11-06 Fri 12:18
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第49巻第5号ができあがりました。その記事の中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・シーナカリン72歳

 これは、1972年10月21日、国王ラーマ9世の母親であるシーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后(以下、シーナカリン)が72歳を迎えたことを記念して発行された切手で、貧しい老人を慰問する彼女の姿が取り上げられています。

 シーナカリンは旧名サンワーン・タラパット。1900年10月21日に華僑の金細工職人の娘としてトンブリーに生まれました。9歳の時に両親と死別しましたが、ペッチャブリーラーチャシリントーン王女の宮女として出仕し、サットリーウィッタヤー学校に通う機会を得ます。16歳の時からシリラート病院に看護婦として勤務していましたが、王室の奨学金を得て米国に留学。20歳の時、留学先で“タイ近代医学の父”と称されたソンクラーナカリン親王(ラーマ5世69番目の子)と結婚し、ソンクラーナカリン親王の留学に付き添い、1923年にロンドンでカンラヤーニワッタナー王女を、1925年にハイデルベルクでアーナンタマヒドン王子を、1927年に米国マサチューセッツ州でプーミポンアドゥンラヤデート王子を産みました。

 ソンクラーナカリンは王族として最高位にランクされるチャオファーの階級にありましたが、シーナカリンは平民の出身であったため、当初、彼女の3人の子は王族としては最下位のモムチャオの階級とされていました。しかし、当時の国王ラーマ7世には後継者がなかったため、1927年、3人の子はチャオファーに次ぐプランチャオの階級(原則として、王と平民の子もしくはチャオファーの王族と王族出身の側室の子)に格上げされます。

 1928年、一家はタイに帰国。翌1929年、ソンクラーナカリンが亡くなると、シーナカリンは、一時、義母でタイ赤十字社総裁を務めていたサワーンワッタナー王女の住むサラパトゥム宮殿に身を寄せましたが、3人の子を連れて子供の教育のためにスイスのローザンヌに渡ります。

 彼女と子供たちがローザンヌ滞在中の1935年、立憲革命の混乱でラーマ7世が退位すると、国会の決定によりアーナンタマヒドン王子が国王ラーマ8世として即位し、シーナカリンはいちやく“国王の母”となりました。ただし、ラーマ8世は年少で学業も半ばであったため、国王としての即位の儀式を行うために一時帰国したものの、すぐにローザンヌに戻っています。

 1945年、一家はタイに帰国しましたが、翌1946年にラーマ8世が変死。これを受けて、弟のプーミポンアドゥンラヤデートが国王ラーマ9世として即位し、シーナカリンは引き続き“国王の母”の立場を維持することになります。

 ラーマ9世の即位後のシーナカリンは、1960年の国王外遊時に摂政として国王の業務を代行したほか、北部の少数民族地域に関心を寄せ、国境警備隊の名誉隊員にも就任しました。

 国境警備隊は、1951年、共産中国の影響が東南アジアに波及することを恐れた米CIAの支援を受けて結成された準軍事組織で、国境警備と反乱鎮圧を主な任務です。
 
 シーナカリンは、国境警備隊の名誉隊員として、積極的に山岳民族地域を訪問しているだけでなく、無料で山岳を巡回する医師達の活動を支援するなど、数多くの慈善活動に従事しています。
 
 切手のシーナカリンは国境警備隊員としての制服・制帽姿であり、山岳民族からソムデット・ヤー(“祖母陛下”の意味)と呼ばれて親しまれた彼女の人柄を想起させるデザインです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/