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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 マクドナルド日本上陸50年
2021-07-20 Tue 09:30
 1971年7月20日に東京・銀座の三越百貨店1階に、ハンバーガーチェーン店の“マクドナルド”の日本1号店がオープンして、ちょうど50年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・WSC2002

 これは、2004年8月28日から9月1日まで、シンガポールで開催された世界切手展<Singapore World Stamp Championship 2004>の事前プロモーションのため、2002年にシンガポールが発行した切手シートで、2枚の記念切手とマクドナルド社のロゴとドナルド(同社のキャラクターとなっているピエロ)を取り上げたタブが入っています。
 
 2004年のシンガポール世界切手展のテーマは、“グローバル都市(レジャーとライフスタイル)”だったため、主催者のシンガポール郵政は、人々のレジャーとライフスタイルにゆかりの深いグローバル企業として、今回ご紹介のマクドナルドのほか、コカ・コーラ、スウォッチ、リーダーズ・ダイジェスト、アメリカン・エキスプレスの各社とのコラボ企画として、各社のイメージを表現したタブ(切手としては無効なラベル)を入れた切手展の小型シートを販売しました。

 さて、現在のマクドナルド社のルーツは、1940年、米カリフォルニア州サンバーナーディノでモーリスとリチャードのマクドナルド兄弟が創業したドライブイン・レストランで、当初は、ホットドッグを販売していました。

 1948年、兄弟はいったん店を閉めた後、“スピード・サービス・システム”のキャッチフレーズと、工場式のハンバーガー製造方法、そしてセルフサービスの仕組を導入して、ハンバーガーのドライブインストアとして新装開店し、地元では繁盛店となりました。なお、マクドナルドのアーチ形のMのデザインは、この時、弟のリチャードが考えたものです。

 1954年、両親がチェコ・ユダヤ系のセールスマン、レイ・クロックがミルクシェイク用ミキサーを売り込もうと兄弟の店を訪問。クロックは客席の回転率が高く、少人数で多くの客を効率的にさばいているシステムに興味を持ち、このシステムをフランチャイズ形式にして販売するよう、兄弟に勧めます。

 兄弟はフランチャイズ化には消極的で、クロックを断念させようとかなり高額の契約金を吹っ掛けましたが、クロックはあきらめず、最終的に「兄弟はこの店以外干渉しない」、「クロックは兄弟の店には干渉しない」、「マクドナルドという名とシステムは、クロックが事業に使う」ことで合意します。

 クロックは、第一次大戦中、赤十字の衛生兵として同じ部隊に勤務していた戦友、ウォルト・ディズニーの伝手を頼って、マクドナルドのシステムをディズニーランドに売り込もうとしましたが、これは失敗。そこで、イリノイ州デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を出店し、これが成功したことで、翌1955年3月2日、新会社のマクドナルド・システムを創業し、同年4月、シカゴに直営店の1号店をオープンさせました。なお、1960年には、社名がマクドナルド・コーポレーションに変更されています。

 今回ご紹介のシートにも取り上げられているキャラクターのドナルドは、1960年代初頭、ワシントンDCでマクドナルドのフランチャイズ営業をしていたオスカー・ゴールドスティンが“ボゾズ・サーカス”のスポンサーとなったことがきっかけで、サーカスの団員だった道化師のウィラード・スコットをゴールドステインがマスコットキャラクターとして雇ったのが始まりです。なお、キャラクターの名前は、“ロナルド・マクドナルド”ですが、マクドナルドが日本に進出する際には、日本人には発音しづらいとの理由から、日本語名称は“ドナルド・マクドナルド”となりました。

 その後、クロックは1961年にマクドナルド兄弟から商権を270万ドルで買収。1965年に株式を公開し、日本を含む世界進出を進め、2020年の時点で世界118カ国で3万4000店舗以上を擁する巨大な企業帝国の基礎を築き揚げました。

 * 昨日(19日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・19日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。

★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 7月26日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 シンガポール総選挙、与党は“圧勝”逃す
2020-07-12 Sun 11:13
 10日に投票が行われたシンガポールの総選挙で、事前の予想通り、1965年の独立から一貫して単独政権を担ってきた与党・人民行動党(PAP)が83議席を獲得したものの、得票率は急落して過去最低水準に落ち込み、彼らが目標としていた“圧勝”には及びませんでした。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・新議事堂竣工(1999)

 これは、1999年、シンガポールの現在の国会議事堂が完成した際に発行された“新議事堂竣工”の記念切手の1枚です。シンガポールの新議事堂竣工の記念切手は4種セットで、それぞれ、さまざまな角度からの議事堂の景観が取り上げられていますが、今回は議事堂を正面から取り上げた国内料金用・永久保証の無額面切手を持ってきました。

 シンガポールの国会は、1院制で選出議員の任期は5年(解散あり)。定数は、独立当初は51議席で、当時の議事堂は、1827年に建設された旧最高裁庁舎(シンガポール最古の西洋建築で、もともとは、スコットランド商人のマックスウェルの邸宅として建造されました)が用いられていました。場所は、トーマス・ラッフルズの上陸記念像を中心とした、シンガポール川河口の北岸のシティ・ホール地区です。
 
 その後、1983年に75議席に拡大されたことから、旧議事堂では手狭になったため、1995年、旧議事堂に隣接する場所に新議事堂の建設が開始され、1999年7月、今回ご紹介の切手に取り上げられた建物が完成しました。なお、現在のシンガポール国会の議席定数は101で、旧議事堂の建物は、現在はアート・ハウスとして公開されています。

 さて、シンガポールの国会議員の構成は、101の定数のうち、選挙区選出議員が89名、非選挙区(全国区)選出議員が3名、大統領による指名議員が9名という構成になっており、選挙区選出議員は、13名が単純小選挙区制からの選出、76名が16選挙区のグループ別選挙での選出となっています。このうち、グループ選挙区では、有権者は、候補者ではなく特定のグループへ投票し、最多票を獲得したグループがその選挙区の議席を独占する仕組みになっているため、シンガポール唯一の大政党である与党、PAPに有利とされており、2006年の総選挙では、野党勢力は30%以上の票を得たにもかかわらず、グループ選挙区で全敗したため、2議席しか獲得できませんでした。

 さて、今回の選挙では、PAPは、新型コロナウイルス禍で経済が低迷する中、“国民の雇用維持”を最優先の公約に掲げ、経験豊富なPAPの下、国民が団結すべきとアピール。定数92の89%に相当する83議席を獲得したものの、はじめて、議席の占有率が9割を割り込みました。また、得票率でも、前回の2015年選挙時の70%から61%に急落。過去最低となった2011年選挙時の60%にほぼ並んでいます。

 一方、野党の労働者党は、PAP体制の極端な競争・能力主義で切り捨てられてきた社会弱者の救済を主張し、PAPの一党支配を批判。4議席増の10議席を獲得し、野党として過去最多の議席数に伸長しました。

 現在68歳で、70歳までに退任する意向を示しているリー・シェンロン首相(シンガポールの国父とされるリー・クアンユー元首相の長男)は、今回の選挙結果について、「(若者を中心に)議会の多様性を求める声があった」とのコメントを発表。たしかに、政党や候補者に(まともな)選択肢がないことの辛さは、僕らも身にしみてわかってますがね。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 7月17日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。

 
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 ラッフルズのシンガポール上陸200年
2019-01-29 Tue 00:53
 1819年1月29日、英国東インド会社のトーマス・ラッフルズがシンガポールに上陸してから、ちょうど200年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・ラッフルズ(1955)

 これは、1955年、英領時代のシンガポールで発行されたトーマス・ラッフルズ像の1ドル切手です。

 ラッフルズは、1781年7月6日、父ベンジャミンが船長としてジャマイカ沖を航行中の船上で生まれました。1795年、14歳の時からロンドンの東インド会社で職員として働き始め、1805年当時プリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていたマレー半島のペナン島に赴任し、マレー語を習得。1811年、ナポレオン戦争当時フランスの勢力下にあったジャワ島へ英領インドから派遣された遠征軍に参加し、ジャワ副知事に任命され、行政実務を担当しました。

 ラッフルズは英国東インド会社による蘭印占領を主張し、税制改革や奴隷制廃止などに辣腕をふるいましたが、在任中の1814年、ボロブドゥール遺跡を再派遣し、調査と発掘作業を行いました。

 ナポレオンが失脚し、1815年、ジャワにおけるオランダの支配が復活すると、ラッフルズはいったんロンドンに戻り、1817年に『ジャワの歴史』を著し、同年ナイトの称号を授与されました。

 1818年、スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーンにベンクレーン副知事として赴任。現地で、マレー半島南端の寒村、シンガポール島の地政学上の重要性に着目した彼は、「リオウ(ビンタン島)を凌ぐ便宜性と支配力を有している。南岸の沖にわたる数個の小島は格好の碇泊地と港を形成している」と会社に伝え、すぐにシンガポールへ向かい、1819年1月29日、シンガポール川の河口付近に上陸。彼はここにオランダ人がいないことを確認したうえで、ジョホール王国の内紛に乗じて、親英的なスルターンを新たに擁立し、同年2月6日、シンガポールを開港し、英国商館建設に関する協定を結びました。

 その後、ラッフルズは、1822-23年までシンガポール東部に留まり、自由貿易港を宣して植民地の建設に尽力。彼が帰国した後の1824年には、シンガポールは植民地としてジョホール王国から英国へ正式に割譲され、人口も急増して発展。1826年には、シンガポールは、ペナンマラッカ(1824年獲得)とともに、英領海峡植民地に編入され、1832年にはその首都となりました。

 切手に取り上げられたラッフルズ像は、もともとは、1887年6月27日、ヴィクトリア女王在位50年を記念して、英国人彫刻家のトーマス・ウールナーが制作。当初は、セント・アンドリュース教会に面しているパダン(広場)の中央、花崗岩の台座の上に黒色の像が鎮座していましたが、1919年、ラッフルズ上陸100年を記念して、現在のビヴィクトリア・シアターの場所に移設されました。

 なお、その後、この黒色像から鋳型を取り、全く同じ大きさでラッフルズ卿上陸150年(1969年)の記念碑として白色の像が制作され、上陸地点に設置されました。その台座には「スタンフォード・トーマス・ラッフルズ卿(1781-1826)が1819年1月29日に初めてこの地に上陸」との碑文が取り付けられています。

  
★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 きょう、米朝首脳会談
2018-06-12 Tue 03:47
 米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の米朝首脳会談が、きょう(12日)、シンガポールのセントーサ島で行われます。というわけで、きょうは開催地のセントーサ島にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・セントーサ島(1990)

 これは、1990年にシンガポールが発行した観光宣伝の切手のうち、セントーサ島を取り上げた1枚です。

 セントーサ島はシンガポール島の南にある島で、シンガポール本島とは、道路やモノレール、切手に描かれたケーブルカーでつながっているものの、島への出入り口は1ヵ所しかありません。このため警備が容易で、高級リゾート地としての環境と併せて、今回の首脳会談の会場に選ばれたものと考えられます。

 もともとは、この島は、マレー語で“背後に死のある島”を意味する“プラウ・ブラカン・マティ”と呼ばれていました。その由来については、①連続殺人が起きた、②海賊や密輸グループの拠点だった、③19世紀に疫病が広がり、全ての島民が犠牲となった、④島の大地は不妊をもたらした、等の諸説がありますが、定かではありません。また、古くは墓地としても利用されており、第二次世界大戦中の1942年、日本軍によって占領されると、英国とオーストラリア兵の捕虜収容所として利用されました。

 ちなみに、今回の首脳会談の会場となるカペラ・ホテルの場所には、もともと、英王立砲兵連隊の将校らの宿泊所として使われたバンガロー2棟のほか連隊の食堂があり、日英開戦後、英軍は日本軍の進攻に備えて食堂に面した場所に銀塊を埋めて隠しました。戦後、その一部はマレーシアが回収しましたが、現在なお、ホテルの芝生の下には銀塊が残されている可能性があるそうです。

 シンガポール共和国発足後の1972年、観光開発の一環として埋め立てによって島を拡大。これに伴い、島名も“平和と静謐の島”を意味する“セントーサ”に改称され、現在に至っています。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 宿泊希望先は元中央郵便局
2018-06-04 Mon 17:47
 米紙ワシントン・ポストによると、今月12日、シンガポールで予定されている米朝首脳会談で、金正恩朝鮮労働党委員長ら北朝鮮代表団が宿泊先としてフラートン・ホテル(最高級スイートの宿泊料金は1泊6000米ドル)を希望しているものの、外貨不足などを理由に、米国またはシンガポール政府による費用の肩代わりを求めているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・中郵(2000)

 これは、2000年にシンガポールが発行した“歴代中央郵便局”の切手のうち、1928-96年の中央郵便局の局舎が取り上げた1枚で、この建物を改装して2001年にオープンしたのが、件のフラートン・ホテルです。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた建物は、上海にあった建築会社キース&ドウズウェルにより設計され、ドーリア式の円柱などを特徴とするパラディアン様式の建物として、1928年6月27日に完成。ほぼ1世紀前の1826年に英領海峡植民地が創設された際の初代総督、ロバート・フラートンにちなんで、“フラートン・ビルディング”と命名され、中央郵便局のみならず、いくつかの政府機関などが入居しました。第二次世界大戦中は、日本軍の攻撃を受け、当時の総督シェントン・トーマスがマレー駐在英軍司令官中将アーサー・パーシバル降伏について話し合った建物でもあります。

 なお、フラートン・ビルディングは1996年まで中央郵便局として使われた後、改装費用約240億円をかけ、2001年、香港企業の信和集団傘下の信和置業によりホテルとして開業しました。旧中央郵便局の局舎だった過去を活かして、ロビーには郵便ポストや以前の写真なども展示されています。なお、ホテル周辺の一帯はフラートンヘリテージの所有地で、かのマーライオンもその中に含まれているのだとか。

 来年(2019年)は、シンガポールでアジア切手展が予定されているので、宿泊は無理にしても、ホテルのロビーでビールくらいは飲んでみたいですな。
 

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 シンガポール独立50年
2015-08-09 Sun 10:31
 1965年8月9日にシンガポール共和国がマレーシアから分離独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・5ドル(1948)

 これは、1948年に英領時代のシンガポールで発行された5ドル切手です。

 第二次大戦以前、英国支配下のマレー半島は、①ペナンマラッカ、シンガポールを中心とした直轄の海峡植民地、②スルタンを通じて間接統治を行うマレー連邦州(ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハン)と、③マレー連邦への加盟を拒否したスルタンの非連邦州(ジョホールクランタンクダトレンガヌ)に分かれていました。

 第二次大戦中、これらの地域は日本軍に占領されましたが、戦後、日本軍が撤退すると英国は植民地支配の再開にあたって、シンガポールを除くマレー半島をすべてマラヤ連合として統合しようと考えます。このときのマラヤ連合の構想では、スルタンの権限を縮小し、各州に配置される英国人知事が行政を担当することになっていたほか、中国系やインド系を含むすべての人種に平等な市民権を与えるなどの方針となっていました。

 このため、人口的には多数派を占めていながら、経済的には少数派の華人の後塵を拝し続けてきたマレー人は、英国の提案した“平等”に猛反発。このため、一応、1946年にマラヤ連合は発足したものの、イギリスは翌1947年にマラヤ連合との間でマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年に英領マラヤ連邦が正式に発足します。この過程で、海峡植民地は解体されてペナンとマラッカは英領マラヤ連邦に吸収され、シンガポールは同連邦とは別の英領植民地となりました。

 今回ご紹介の切手は、こうした英領マラヤの再編に対応して、1948年に発行された普通切手のうちの最高額面で、“シンガポール切手”としては最初の1枚です。

 その後、以後10年間の独立運動を経て、1957年8月31日にマラッカでマラヤ連邦の独立が宣伝されると、翌1958年、シンガポールは英連邦内の自治州となり、外交・国防を除く内政自治権を獲得。1959年にシンガポール自治政府が発足します。

 さらに、1963年、シンガポールは、英領サラワク、同サバ、マラヤ連邦と合流して、マレーシア連邦の一部になりましたが、華人とマレー人の対立から、2年後の1965年8月9日、シンガポールは追放同然の形で分離独立を余儀なくされました。これが、現在のシンガポール国家の直接のルーツです。


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 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 小さな世界のお菓子たち:アイスの切手
2015-07-10 Fri 16:31
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第28号(2015年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・アイスカチャン(耳紙つき)

 これは、2009年にシンガポールが発行した「伝統的なスイーツ」の切手のうち、アイス・カチャンを取り上げた1枚です。耳紙に印刷された模様が良い感じなので、今回は、耳紙つきでご紹介しました。

 常夏の国、シンガポールではさまざまな種類の冷たいスイーツを楽しむことができますが、中でも定番というべきものが“アイス・カチャン”です。

 アイス・カチャンは、英語の“アイス”とマレー語で“豆”を意味する“カチャン”を組み合わせたもので、直訳すれば“冷豆”という意味ですが、単なる豆入りのかき氷に留まらない華やかな外見が魅力です。
 
 現在のシンガポールがマレーシアから分離・独立したのは1965年のことですが、この時代は、日本のかき氷同様、削った氷に色つきのシロップをかけただけの“アイス・ボール”が一般的で、街角の屋台などで盛んに売られていました。

 アイス・カチャンはアイス・ボールの進化形ともいうべきスイーツで、器に具を入れてから、その上に削った氷を乗せ、さらに具の一部をトッピングとして氷の上からまぶして、シロップや練乳などをかけるというのが基本的な構造です。

 具材としては、名前の由来となったゆで豆やスイートコーン、アタップ・チー(食感がナタデココに似たニッパヤシの果実)、グラス・ゼリー(仙草から作られる苦みのある黒色のゼリー)などが定番ですが、最近では、フルーツやアロエゼリー、チョコレートやドリアンなどを用いる店もあります。上からかけるシロップは、合成着色料を使った緑や赤のもののほか、パーム・シュガーから作られる茶色のグラメラカと呼ばれるものもありますが、いずれも、日本のかき氷シロップに比べると甘さ控えめです。また、具材が容器の底に入っているため、食べ進めて行くと色々な味が楽しめる仕掛けになっていますが、氷の溶けるスピードが速いため、次第に、かき氷というよりも、溶けた氷水に浸した具材をレンゲですくいながら飲むという食べ方になることが多いようです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられているアイス・カチャンは、具材としてゆで豆とスイートコーン、グラス・ゼリーなどを使い、緑・赤・黄色のシロップがかかっています。なお、切手には額面数字の代わりに“1st”と入っていますが、これはファースト・クラス(優先配達郵便)の郵便料金相当を意味していて、料金が値上げされても、永久にファースト・クラスの郵便に使えることを意味しています。

 なお、同種のスイーツは隣国のマレーシアにもありますが、こちらでは、アイス・バトゥ・チャンプルという名前でも呼ばれています。これは、マレー語で“氷”を意味する“アイス・バトゥ”と“混ぜる”を意味する“チャンプル”からなる言葉ですが、ちょっと長いので、現地の人たちは“ABC”と略して注文するのだそうです。そういえば、昨年のマレーシア展でクアラルンプールに行ったときも、なんどか現地で“アイス・カチャン”(当時はマレー語の名前を知らなかったので、僕はこう呼んでいました)を食べましたが、事前にこのことを知っていたら、現地の屋台で“ABC サトゥ(ひとつ)”とやってみたかったなぁ。

       
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 なお、内藤は、会期中の18日(土)11:00より、韓国切手展の展示解説を、16:00より「切手と郵便に見る韓国現代史と日本」と題する記念講演を行いますので、皆様、是非、遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 リー・クアンユー元首相死去
2015-03-23 Mon 17:37
 “シンガポール建国の父”とされるリー・クアンユー(李光耀)元首相が、今朝(23日未明)、亡くなりました。享年91歳。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       シンガポール独立1周年

 これは、1966年8月9日に発行された“シンガポール共和国1周年”の記念切手です。

 第二次大戦以前、英国支配下のマレー半島は、①ペナンマラッカ、シンガポールを中心とした直轄の海峡植民地、②スルタンを通じて間接統治を行うマレー連邦州(ペラ、セランゴール、ネグリ・スンビラン、パハン)と、③マレー連邦への加盟を拒否したスルタンの非連邦州(ジョホールクランタンクダトレンガヌ)に分かれていました。

 第二次大戦中、これらの地域は日本軍に占領されましたが、戦後、日本軍が撤退すると英国は植民地支配の再開にあたって、シンガポールを除くマレー半島をすべてマラヤ連合として統合しようと考えます。このときのマラヤ連合の構想では、スルタンの権限を縮小し、各州に配置される英国人知事が行政を担当することになっていたほか、中国系やインド系を含むすべての人種に平等な市民権を与えるなどの方針となっていました。

 このため、人口的には多数派を占めていながら、経済的には少数派の華人の後塵を拝し続けてきたマレー人は、英国の提案した“平等”に猛反発。このため、一応、1946年にマラヤ連合は発足したものの、イギリスは翌1947年にマラヤ連合との間でマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年にマラヤ連邦が発足し、シンガポールはマラヤ連邦とは別の英領植民地となりました。

 一方、リー・クアンユーは、1923年、海峡植民地時代のシンガポール生まれ。1942-45年の日本軍占領下では、タピオカを利用して作った接着剤を闇市で売って生計を立てる一方、1943-44年は昭南特別市の報道部で翻訳業務に従事していました。日本軍による占領体験から、リーは、外国人によるシンガポール支配への疑問からナショナリズムに目覚めるとともに、「日本軍は恐怖を広めることによって統治した。罰があまりにも苛烈なために、1944年の窮乏のとき、人々が飢えの中にあってすら、犯罪率は驚くほど低かった。その結果、私は罪と罰についてのソフトなアプローチというものを信じなくなった」との認識を持つようになり、そのことは、後に彼が首相として強権的な統治を行う原点となりました。

 大戦後の1945年、リーは英ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム・カレッジで法律学を学び、1949年に首席で卒業。帰国後は弁護士資格を取得し、法律事務所に勤務します。その事務所の上司ジョン・レイコックが親英政党・進歩党の候補者として立法審議会選挙に立候補し、リーはその運動員を務めたことから政治との接点が生まれ、その後、労働組合や学生自治会の法律顧問となったことで、政治に深くかかわるようになりました。

 その後、1954年に人民行動党(PAP)を創設。翌1955年にシンガポールに対して大幅な自治権が付与され、立法議会選挙が行われると、これに立候補、当選します。

 1957年、マラヤ連邦が英国から独立すると、翌1958年、シンガポールは英連邦内の自治州となり、外交・国防を除く内政自治権を獲得。1959年にシンガポール自治政府として初の総選挙でPAPが圧勝すると、リーは35歳の若さで首相に就任しました。

 1963年、シンガポールはマラヤ連邦と合流して、マレーシア連邦の一部になりましたが、華人とマレー人の対立から、2年後の1965年、シンガポールは追放同然の形で分離独立を余儀なくされました。このとき、リーは「私にとっては苦悩のときだ。二つの地域(シンガポールとマレーシア)の統一を信じてきたのに…」と涙ながらに苦衷の心境を訴えています。今回ご紹介の切手は、“独立”から1年を経て、そのショックがようやく癒えつつあるなかで発行された1枚です。

 その後、リーは、PAPに権力を集中させ、政府批判は厳しくチェックする一方で、経済成長を追求する“開発独裁”路線を展開し、シンガポールの経済水準を先進国並みに引き上げることに成功しました。その一方で、1990年には首相から退いたものの、上級相、顧問相として政権内に居続けたことに加え、2004年からは長男で現首相のリー・シェンロンが政権を担当するという“王朝化”と、PAPによる強権的な統治手法に対しては、国際社会の批判も少なくありませんでした。

 このため、2011年の総選挙では、国会定数87議席のうちPAPは過去最低となる81議席となり、閣僚経験者の有力候補が落選する一方で、野党・労働者党が6議席を獲得。これは、PAPの実質的な敗北とされ、ようやく、リーも政界から完全に引退。それから、約4年後のきょう、91年におよぶ波乱の生涯を閉じました。

 リーの歴史的な評価についてはいろいろな見方があるとは思いますが、とりあえず、一番しっくりするのは「長い間、お疲れさまでした。どうぞやすらかに」という言葉ではないかと思います。

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 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 マーライオン40年
2012-09-15 Sat 22:03
 シンガポールを代表する観光スポットのマーライオン像が、1972年9月15日に設置されてから、きょうで40年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マーライオン消印カバー

 これは、1973年8月1日、シンガポールからパキスタンのカラチ宛に差し出されたカバーで、マーライオンのイラストと「シンガポール 東洋が西洋を丁重に歓待する地」のスローガンの入った標語印が押されています。

 『マレー年代記』に記されているシンガポール発見の伝承によれば、かつてスマトラ島南部で栄えたシュリヴィジャヤ王国の王子が、本拠地のパレンバン以外に、新たな町を建設する場所を求めてビンタン島の岩山の上から海上を眺めたところ、現在のシンガポール島を発見。当時、この島一帯は“海”を意味するタマセクと呼ばれていました。この島に上陸した王子は、シンガポール川の河口付近でライオンと思しき動物を見かけたことから、この地を“ライオンの都市”を意味するシンハープーラと名付けました。これが、現在のシンガポールという名前の由来とされています。

 マーライオンは、この故事にちなみ、上半身がライオン、下半身は魚(人魚)という組み合わせで作られた想像上の動物で、もともとは、現在のシンガポール国家が成立する以前、マレーシア連邦の自治州だった1964年に、フレイザー・ブランナーが、シンガポール観光振興局(現シンガポール政府観光局、STB)のエンブレムとしてデザインしました

 1965年8月9日、現在のシンガポール国家がマレーシア連邦から独立すると、新生シンガポールのシンボルとして、マーライオンを立体化し像を作るというプランが浮上。ブランナーのデザインをもとに、彫刻家のリム・ナンセンが、1971年11月から約10ヵ月かけて高さ8.6メートル、重さ70トンの像を制作。1972年9月15日、旧マーライオン公園で除幕式が行われました。なお、このマーライオン像は、現在、2002年5月8日に新設されたマーライオン・ピアに移設されています。

 なお、1987年以降のシンガポール切手に入れられているライオンのマークは、1986年にシンガポール政府が制定したもので、マイケル・リーがデザインを制作しました。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月2日、10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 * 10月2日は公開講座として、お試し聴講も可能です。
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★

 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

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 残暑お見舞い申し上げます
2009-08-07 Fri 18:53
 きょう(7日)は立秋。暦の上では、きょうから秋ですが、実際には残暑厳しき折、皆様もご自愛ください。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 アイス・カチャン

 これは、今年7月17日にシンガポールで発行された“アイス・カチャン”の切手に発行初日の消印を押したもので、友人の劉裕仁さんから送っていただいた葉書の一部です。劉さん、ありがとうございました。

 常夏の国、シンガポールでは一年中冷たいデザートが楽しめますが、その代表ともいうべきなのが、アイス・カチャンです。名前は、英語の“アイス”とマレー語の“豆”を意味するカチャンを組み合わせたもので、直訳すれば“冷豆“ということなのですが、まぁ、豆入りのかき氷と訳すのが妥当でしょう。かき氷の中には、コーンや米でできた緑色のゼリーが入っているほか、いろんな色のシロップがかかっていて、いかにも南洋らしい雰囲気です。

 日本でも、夏のグリーティング切手として、かき氷やスイカの切手なんかを出してくれませんかねぇ。

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 シンガポールのスタンプレス・カバー
2009-06-03 Wed 21:06
 現在のシンガポール国家のルーツともいうべき“シンガポール自治州”が1959年6月3日に発足してから、今日でちょうど50周年です。というわけで、今日はシンガポールがらみのマテリアルの中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 シンガポール・無料郵便

 これは、第2次大戦後の1945年10月、シンガポールでの暫定的なスタンプレスカバーです。

 1945年9月、日本の敗戦に伴い、イギリスはマレー半島に再上陸し、軍政が施行されました。その後、イギリスは1946年4月1日に戦前の英領マラヤと海峡植民地による“マラヤ連合”を発足させ、直轄支配下におきましたが、このとき、シンガポールは連合からは分離されています。同連合は、1948年には“マラヤ連邦”に移行しますが、このときもシンガポールは連邦とは分離されてイギリスの直轄支配下に置かれつづけました。その後、1957年にマラヤ連邦は英連邦の一員として独立を達成しますが、シンガポールは英領にとどまり、1959年になってようやく自治州となりました。

 その後、1963年には、マラヤ連邦はシンガポール、サラワク、英領北ボルネオ(サバと改称)と新たな連邦を結成し、マレーシアが誕生しますが、華人とマレー人との対立から、1965年8月9日、シンガポールはマレーシアから追放される形で分離独立し、現在にいたっています。

 今回ご紹介のカバーは、第2次大戦の終結直後、イギリスの支配下で郵便物の取り扱いが再開されたものの、必要な切手の配給が間に合わなかったため、切手の代わりに、料金を収めたことを示す印を押して対応した暫定的なケースで、オーストラリア宛のモノです。なお、ペナン島での似たような使用例については、以前の記事でもご紹介したことがありますので、よろしかったら、ご覧ください。
 

 イベントのご案内 

 下記の日程で、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。いずれも入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。

 6月6日(土) スター☆オークション+バザール 於・全国町村会館 13:00~17:00

 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00
 

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 春節愉快
2009-01-26 Mon 12:33
 きょう(1月26日)は春節です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 シンガポール年賀(2009)

 これは、シンガポールで発行された今年の年賀切手が貼られた年賀状で、切手発行日の1月9日の記念印が押されています。友人の劉裕仁さんから送っていただきました。ありがとうございます。

 太陽暦での新年を祝う習慣が定着している日本と異なり、歴史的に中国の影響力が圧倒的に強かった東アジア・東南アジア地域では、現在でも春節をもって(真の)新年を祝うケースが多数派のようです。僕が愛用しているカレンダーは、アジア太平洋地域の各国の祝日が網羅されているのですが、それによると、春節が休みになっているのは、韓国、中国、香港、台湾、ベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシアの各国となっており、旧大東亜共栄圏のかなりな部分を占めています。ちなみに、1月26日ということであれば、インドの共和国記念日、オーストラリアの建国記念日、ニュージーランド(オークランド)のアニバーサリーデーということで、これら各国も祝日でお休みです。

 さて、シンガポール郵政のHPによりますと、かの地では春節の今日まで、郵便料金の特別割引期間だそうです。どのくらい安くなるのかというと、通常は国内基本料金が50セント(シンガポールドル。以下同様)のところ、割引期間に差し出されるグリーティングカードに関しては、20グラムまで26セント、20~40グラムが32セントだそうです。また、マレーシアとブルネイを除く外国宛の基本料金(40グラムまで)は、通常、宛先によって1ドル15セントから1ドル80セントまでとなっていますが、割引期間中は一律55セントになっています。ただし、マレーシアとブルネイ宛に関しては、通常通り、20グラムまでは45セント、20~50グラムは55セントで割引はありません。

 今回の葉書に貼られている切手は26セントで発売されました(65セント切手、1ドル10セント切手との3種セットで2ドル1セントです)が、額面表示は“1st Local”となっていますから、いちおう、国内便基本料金に相当する50セント切手として使ってもよいということなのでしょう。26セント切手2枚分と考えると、合計52セントになって割引料金の55セントに満たないことになってしまいますからね。もっとも、収集家の心理としては、3セント不足で不足料を徴収された葉書にも興味をそそられるのですが。


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 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中!

 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(左の画像)が掲載されました。 こちらでお読みいただけます。また、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(右の画像)も作っていただきました。 *写真はいずれも:山内和彦さん撮影

 夕刊フジ(イメージ)   日本郵政特設コーナー 
 
 
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 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 ハリラヤ・プアサ
2006-10-25 Wed 01:49
 イスラム世界では、ラマダン(イスラム暦9月)の断食が終わり、各地でそのことを祝うさまざまなお祭りが行われています。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

ハリラヤ・プアサ

 これは、1996年にシンガポール郵政が発行した印面つきの絵葉書で、マレー系(イスラム教徒)の最大のお祭りであるハリラヤ・プアサ(断食明けのお祭り)が取り上げられています。なお、シンガポールは多民族・多宗教国歌ですから、それぞれの民族・宗派間のバランスを取るため、このハリラヤ・プアサと同時に、中華系の春節、ヒンドゥー教徒のディーパバリ、キリスト教徒のクリスマスを題材とした絵葉書も発行されました。

 イスラム暦は閏月等の調整を行わない完全太陰暦(このため、我々の使っている太陽暦とは、年に11日程度のズレが生じます)であることにくわえ、断食の開始と終了を特定するための新月の判定が人間の目視によって行われるため、地域によって断食明けの日付は若干異なる場合があります。

 シンガポールとマレーシアの場合、今年は昨日(10月24日)が断食明けとなりました。現地のムスリム(イスラム教徒)たちは、新しい服でモスクを訪れ、1年を反省して年長者に許しを請い、その後、豪華な食事を楽しみます。また、断食明けからしばらくの間(シンガポールでは、今年は10月31日まで)、夜間のライトアップが行われ、街全体が華やいだ雰囲気になります。こうしたことから、ハリラヤ・プアサを日本の“お正月”になぞらえる人も少なくないようです。

 その昔、学生の頃にマレー系の人と話をしていて「ハリラヤ・プアサは日本にもあるか?」と聞かれたことがあります。その頃の僕は、ハリラヤ・プアサをただ単に、辞書的な意味での“断食明けのお祭り”としてしか理解していなかったので、「日本人は(圧倒的多数はムスリムではないので)断食をしないから、ハリラヤ・プアサもない」と応えてしまい、怪訝な顔をされて会話が途切れてしまったことがあります。

 いまにして思えば、彼は日本のお正月のことを詳しく聞きたかったんでしょうね。今日の記事を書きながら、そんな昔の失敗談(?)をふと思い出してしまいました。

 *11月3日(金・祝)16:00より、東京・池袋で開催の<JAPEX>会場内にて『満洲切手』刊行記念のトークを行います。よろしかったら、是非、遊びに来てください。(『満洲切手』については、こちらもご覧ください)
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