内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 コモドオオトカゲ
2017-03-06 Mon 11:26
 きょう(6日)は、1980年3月6日にインドネシアで“コモド国立公園”が制定されて37年ということで、検索サイト・グーグルのトップページもコモドオオトカゲのデザインになっていました。というわけで、きょうはこの切手です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

     インドネシア・コモドオオトカゲ(2000)    グーグル・コモド国立公園   

 この切手は、2000年にインドネシアが発行した“コモドオオトカゲ”の切手のうち、コンバットダンス(繁殖期の毎年5-8月、オス同士がメスをめぐって戦う、直立しての組み合い)を取り上げた1枚です。右側には、グーグルのトップロゴの画像も貼っておきましょう。

 コモドオオトカゲは、インドネシア・小スンダ列島のギリダサミ島、ギリモタン島、コモド島、フローレス島南部、リンチャ島などに生息する固有種で、世界最大のトカゲ(全長約200-300cm 体重約70-120kg)として知られています。

 古来、小スンダ列島には、全長7mに達する“ドラゴン”が棲息しており、スイギュウを倒したり、火を吐いたりするとの言い伝えがあり、1840年にはスンバ島の首長が文書で記録を残していましたが、その実態については不明という状況が続いていました。

 その後、1910年にオランダ人パイロットがコモド島に不時着し、“恐竜の生き残り”の目撃を証言。さらに、同年、全長2m以上の個体が射殺されたことで詳細が明らかになり、1912年、ジャワ島に持ち込まれた2頭の成体と1頭の亜成体を基に“種”として記載されました。

 乾燥した落葉樹林やサバンナ、海岸などに生息し、尾を使って泳ぐこともできます。主としてイノシシやシカなどの哺乳類を餌としていますが、鳥類やその卵、爬虫類やその卵、昆虫、動物の死骸なども食べるほか、まれに人間を襲撃することもあります。開発による生息地の破壊、獲物となるシカを人間が刈りつくしたことなどから、生息数が減少したため、早くも1920年には保護の対象となり、リンチャ島とパダール島は1938年に、自然保護区に指定されました。(パダール島のコモドオオトカゲは後に絶滅)

 また、1942年には小スンダ列島を占領した日本海軍により、珍獣として昭和天皇にも献上されています。

 1965年にはコモド島も自然保護区に指定され、1975年にワシントン条約が発効すると、ただちにコモドオオトカゲはワシントン条約附属書Ⅰ(現時点ですでに絶滅する危険性がある生き物 )に掲載。1977年には棲息地一帯がユネスコの“生物圏保護区”に指定されました。これを受けて、インドネシア政府は、1980年、コモド島を中心に、パダル島、リンチャ島などの島々および周辺のサンゴ礁からを含む総面積 2200平方キロの範囲を“コモド国立公園”に指定。今回のグーグルのトップロゴは、これにちなんだものです。

 ちなみに、コモドオオトカゲはインドネシアを代表する動物として、しばしば、国際イヴェントのキャラクターにも取り上げられています。その一端については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 PETAの故地 ボゴール
2017-01-15 Sun 17:28
 東南アジアとオーストラリア4カ国を歴訪中の安倍首相は、きょう(15日)、3カ国目となるインドネシアに到着し、ボゴールでジョコ大統領と会談するそうです。というわけで、ボゴールゆかりの切手のなかから、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・PETA(1998)

 これは、1998年にインドネシアがPETA(Tentara Pembela Tanah Air:郷土防衛義勇軍。以下、ペタ)を題材に発行した寄附金つき切手です。

 日蘭開戦と前後して、日本軍は、オランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)の住民に向けて「日本は東亜の人々を白人の植民地支配から解放するために南進を始めた。次は蘭印へ進攻するから住民は協力せよ」との放送を行うなどのプロパガンダ工作を実施。ジャワ島占領後は、バンドンを拠点にムスリム工作を担当した第16軍治部隊参謀部別班(通称・ジャワ回教別班)が、オランダ統治下ではないがしろにされていたムスリム住民との連携を重視し、モスクの法学者に対しては一般公務員と同等の待遇とするなどの施策を行って、現地のムスリム住民から評価されていたほか、今回の安倍首相の訪問先であるボゴールには、ジャワ全島17州から優秀な青少年を集めて、ジャワ回教青年隊も組織されました。

 しかし、日本占領下の東南アジアの他の地域では、英印軍のインド人捕虜を中心にしたインド国民軍、アウン・サンらビルマの民族主義者らによるビルマ独立義勇軍が組織されたのに対して、ジャワでは、日本の軍政当局がインドネシアの民族独立を確約せず、1943年5月に設置された兵補の制度も、あくまでも現地住民は日本軍の補助兵力として扱っているだけでしたので、独立したインドネシア民族軍の創設を期待していた住民の間には少なからず不満もありました。

 その後、戦況が日本軍に不利になっていく中で、日本軍の兵力不足を補う必要が生じたこともあり、現地の民族主義運動およびイスラム指導者の建白書を容れるという形式をとって、1943年10月3日、ジャワ郷土防衛軍=ペタの設立が正式に決定されます。

 ペタの中心となったのは、ジャカルタ近郊のタンゲランでインドネシア人青年にゲリラ戦や情報戦の技術を教育していた“青年道場(インドネシア特殊要員養成隊)”の隊員で、これに、ジャワ回教青年隊の隊員が加わり、ボゴールに設立された幹部養成学校(義勇軍錬成隊)での各種訓練が実施されました。

 このボゴールの幹部養成学校を卒業した青年たちは、それぞれの故郷で、約500名規模のペタの大団を結成。ペタの兵士には日本軍の指揮下で、日本軍の歩兵操典をもとに厳しい訓練が行われ、その規模は、1945年8月の終戦時には、66大団、約3万6000人の規模にまで拡大しました。

 インドネシア独立宣言から2日後の1945年8月19日、敗戦国となった日本軍は、連合国の指示により、ペタを解散しますが、各地の元ペタ将兵らは組織と装備を維持しつつ、インドネシア国軍に参加。専門の軍事教育を受けた職業軍人として、オランダとの独立戦争で重要な役割を演じることになります。

 ちなみに、日本占領時代のペタから巣だって、独立戦争時のインドネシア国軍を指揮したスディルマン将軍の生涯は、インドネシアでは、両国の友好親善と防衛協力交流のシンボルとされており、2011年に訪日したインドネシアのプルノモ国防相は、ジョグジャカルタの歴史博物館にあるのと同じ将軍像を日本に寄贈。その像は東京・市ヶ谷の防衛省敷地内に建立されています。

 今回、安倍首相とジョコ大統領の会談の地として、ペタに所縁のボゴールが選ばれたのも、上述のような歴史的背景を踏まえてのことと思われます。

 なお、日本占領時代の蘭印については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:インドネシア
2016-03-04 Fri 21:52
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年3月2日号が先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドネシアの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・ブサキ寺院

 これは、1998年に発行された観光宣伝切手で、バリ島のブサキ寺院が取り上げられています。

 インドネシアはムスリム国家ですが、バリ島は、バリ土着の信仰と仏教やヒンドゥーが習合した“バリ・ヒンドゥー”の信者が住民の90%を占めています。今回ご紹介の切手に取り上げられたブサキ寺院は、バリ・ヒンドゥーの総本山で、島の最高峰、アグン山の中腹にあり、破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神を祀る3寺院を中心に30以上の寺院群から構成されています。もとは8世紀に建立されたものですが、その長らく荒廃の時代を経て、オランダ統治時代に復興されました。今回ご紹介の切手は、シートの切手部分に現在の寺院の遠景を描く切手を収め、余白には、霊獣バロンが描かれています。

 さて、『世界の切手コレクション』3月2日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の切手のほか、インドネシア独立戦争に関するマテリアルやボロブドゥール寺院の切手、影絵芝居のワヤン・クリムラピ山スマトラ沖地震コモドオオトカゲの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、次回は3月9日発売の3月16日号でのケイマン諸島の特集になります。こちらについては、3月16日以降、このブログでもご紹介する予定です。

  
 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 インドネシア独立記念日
2015-08-17 Mon 11:41
 きょう(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・ワヤン(インドネシア加刷)

 これは、インドネシア独立戦争時、日本占領時代のジャワで発行されたワヤンの人形を描く5セン切手の日本語部分を抹消して“インドネシア共和国(REPOEBLIK INDONESIA)”と加刷した切手です。

 第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本の降伏が発表されたことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 その後、9月4日にスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。また、独立宣言後の8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため英軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織し、インドネシア独立戦争に投入していきました。

 一方、戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。

 なお、これまでも散々書いてきたことの繰り返しになりますが、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。それどころか、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者を出しましたが、彼らは靖国に祀られています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して、自分は「一般の日本人とは違う」という醜悪な思い込みから、ひたすら日本と日本人を貶めるために“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきませんな。

 以前刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。

 
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 ジャカルタ駅伝の通りの名前
2015-05-31 Sun 21:28
 インドネシアと日本の友好を目的とした「ジャカルタ『絆』駅伝2015」が、きょう(31日)、ジャカルタ市中心部のスディルマン通りで行われました。というわけで、きょうは通りの名前にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・スディルマン(1961)

 これは、1961年にインドネシアが発行した“独立の英雄”の切手のうち、スディルマンを取り上げた1枚です。

 スディルマンは、1916年(1915年説もあり)、中部ジャワのプルバリンガ生まれ。オランダ語教育を受けたのち、1935年にチラチャプのムハマディヤ系小学校教師となりました。

 教員のかたわら協同組合設立にも参加し、住民の生活改善のために尽力。日本軍占領時代には州参議会議員やジャワ奉公会の役員としても活躍しました。また、1944年には日本軍による軍隊教育を受けて、日本が創設したペタのバニューマス大団長(大団長は大隊長に相当)に任命されています。

 こうした経歴を買われ、独立宣言後の1945年12月、スカルノから初代国軍司令官に任命され、独立戦争の陣頭指揮を取っています。特に、1948年12月19日、ジョクジャカルタが陥落し、大統領のスカルノ以下の共和国政府の閣僚たちが逮捕された際には、結核に侵されながらも、スカルノの投降命令を無視してジャングルに退却して大規模なゲリラ戦を指揮しました。この点について、スディルマンは、国軍は自らを“政府の道具”ではなく“国家の道具”だと弁明し、文民政府の命令によって国家の主権や統一が危うくなる場合には、国軍は政府を無視して国家を守ることこそが義務であると主張しています。

 担架に乗せられ、喀血しながら最前線でゲリラ戦を指揮したスディルマンの活躍もあり、1949年12月27日、インドネシア共和国は完全独立を達成しましたが、スディルマンの病状は、すでにその時、末期的な症状を来していました。そして、完全独立からほぼ1ヶ月後の1950年1月29日、独立戦争最大の英雄は34歳の若さでこの世を亡くなります。

 インドネシア国民の間では、現在なおスディルマンに対する人気が高く、ジャカルタには日本大使館などがあるタムリン通りから議事堂などがあるスナヤン地区に連なる目抜き通りは、彼にちなんでスディルマン通りと命名されました。

 なお、2011年に訪日したインドネシアのプルノモ国防相は、ジョグジャカルタの歴史博物館にあるのと同じ銅像を日本に寄贈しました。ちなみに、下の画像はジョグジャカルタで撮影したスディルマンの銅像です。

       スディルマン像

 銅像の寄贈は、日本占領時代のペタから巣だってインドネシア国軍を指揮したスディルマンの生涯が、両国の友好親善と防衛協力交流のシンボルとしてふさわしいという判断によるもので、寄贈された銅像は東京・市ヶ谷の防衛省敷地内に建立されています。今回の駅伝がスディルマン通りをコースとして行われたのも、こうした経緯を踏まえてのことと思われますが、日本国内で、その点について触れた報道がほとんどなかった(ように見受けられる)のは、ちょっと残念ですな。

 なお、スディルマンほかインドネシア独立の英雄については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 岩のドームの郵便学(25)
2015-01-11 Sun 18:21
  『本のメルマガ』559号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する6回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・パレスチナ(1978)

 これは、第一次中東戦争の開戦30周年にあたる1978年5月15日、“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題してインドネシアが発行した切手で、岩のドームが大きく描かれています。

  インドネシアでは、初代大統領のスカルノが“第三世界の盟主”を標榜していたこともあって、1962年8月、ジャカルタでの第4回アジア競技大会開催に先立ち、アラブ諸国と中華人民共和国(以下、中国)との連携を重視して、参加資格を有するはずのイスラエルと中華民国(以下、台湾)の選手団に対してビザを発給しなかった(=入国を認めなかった)こともあります。

 これに対して、国際オリンピック委員会(IOC)、国際陸上競技連盟、国際ウエイトリフティング連盟は、参加資格がある国の参加を認めないことを理由に、第4回アジア大会を正規の競技大会とは認めないとの方針を表明。さらに、翌1963年4月にIOCがインドネシアのIOC加盟国としての資格停止(オリンピック出場停止)を決議すると、これに対抗しアラブ諸国12ヶ国が1964年の東京五輪のボイコットを示唆して、対立が深まりました。

 このため、1963年4月28日、インドネシアはIOCからの脱退を表明し(ただし、実際には脱退しませんでしたが)、中国を含む共産諸国、新興アジア・アフリカ諸国と同調して1963年11月にジャカルタで新興国競技大会(GANEFO)を開催。51ヶ国2700人が参加しています。

 もっとも、IOCをはじめ既存の国際競技連盟はGANEFOに出場する選手は五輪参加資格を失うと宣言していたため、IOCに参加していなかった中国以外は有力選手を出場させず、スポーツの競技大会としては、一部を除き低調に終わったというのが実情でした。

 その後もスカルノ政権とIOC(のみならず西側世界全般)の対立は続きましたが、1965年にいわゆる“9・30事件”が発生しスカルノが失脚すると、1966年以降、後継のスハルト政権の下、インドネシアは対外関係の修復に乗り出します。ちなみに、GANEFOの第2回大会は1967年にエジプトのカイロで開催が予定されていたものの、同年6月の第3次中東戦争によりエジプトを含むアラブ諸国が壊滅的な敗北を喫したため中止となりました。

 スハルト政権はスカルノ時代の外交路線を根本から否定し、親米・親マレーシア・反共(=反中・反ソ)路線に転換し、国連復帰を実現します。しかし、対イスラエル政策に関しては、イスラエルとの国交は樹立されないままの状態を維持し続けました。

 ところで、スハルトは国家理念として“新秩序”を掲げ、国軍とイスラム勢力の協力により、スカルノ、国民党左派、インドネシア共産党などの“旧秩序”を排除。すべての公務員にゴルカル(職能団体)への加盟を義務づけたうえで、さまざまな操作によってゴルカルを強化していきました。

 1971年の総選挙でゴルカルが圧勝すると、1973年には“政党簡素化”の名の下に、インドネシア国民党およびキリスト教政党を含むその他のナショナリスト政党はインドネシア民主党(PDI:Partai Demokrasi Indonesia)に、ナフダトゥル・ウラマやムスリミン・インドネシアなどイスラム系の諸政党は開発統一党(PPP)に統合。政府による指導部人事への介入や地方での党活動の制限などを通じて、イスラム勢力の非政治化による体制の安定を図ろうとしました。もっとも、PDIとPPPはもともと、政府によって強制的に統合された寄り合い所帯であったため、内部対立が絶えず、反体制派としての結集は困難な状況にありましたが…。

 こうした状況の下で、1974年、ポルトガルで左派を中心としたカーネーション革命が起こり、植民地の維持に固執していた“エスタド・ノヴォ”体制が崩壊すると、ポルトガル領旧植民地の独立が相次ぎます。

 インドネシアと隣接する東ティモールでも、即時完全独立を主張するティモール社会民主協会(ASDT、のち東ティモール独立革命戦線と改称)、ポルトガルとの関係維持を主張するティモール民主同盟 (UDT)、インドネシアへの統合を主張するアポデディの3党が争っていましたが、1975年、右派勢力と連携したインドネシア軍が西ティモールから侵攻。スハルト政権は、東ティモール全土を制圧し、インドネシア27番目の州として併合を宣言しました。

 これに対して、国連総会ではインドネシアに対する非難決議が直ちに採択されましたが、西側諸国は、東西冷戦下での“反共の旗手”としてインドネシアとの関係を重視し、併合を事実上黙認しています。

 こうした状況の中で、スハルト政権は1977年以降、パンチャシラ道徳教育の研修プログラムを大々的に展開することによって、国民の思想統制に乗り出そうとしました。

 パンチャシラとは、インドネシアの国是として1945年に定められた建国5原則のことで、具体的には、①唯一神への信仰、②公正で文化的な人道主義、③インドネシアの統一、④合議制と代議制における英知に導かれた民主主義、⑤全インドネシア国民に対する社会的公正が挙げられています。

 このうち、“唯一神への信仰”は、イスラム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー、仏教、儒教の6宗教を公認する一方、全国民を6宗教のいずれかの信徒として登録するものとして制度化されました。その眼目は、無神論を違法として共産主義を徹底的に弾圧することにありましたが、その反面、たとえば、ジャワではジャワ古来の信仰にヒンドゥーや仏教、イスラム神秘主義の要素などが混淆したクバティナンと呼ばれる土着の信仰については、その法的な地位をめぐって、さまざまな軋轢を生ぜしめる副作用を産んでいます。また、世俗主義国家として西洋式の民法・家族法を導入すれば、そこには、伝統的なイスラムの家族法とも必然的に齟齬が生じることになりますので、それがイスラム勢力の批判を招くことは避けられませんでした。

 こうしたこともあって、1977年の総選挙では、首都ジャカルタとスマトラ島北部のアチェでは、イスラム系の開発統一党が与党ゴルカルを上回る票を獲得するという事態となっています。

 このため、スハルト政権としては、体制引き締めに乗り出すとともに、政府はムスリムが人口の圧倒的多数を占める国を統治する主体として、イスラムに対しても相応の配慮をしていることを示す必要に迫られました。その一環として、イスラエルとの国交で断絶状態が続いているという状況をふまえて、イスラムの聖地であるエルサレムがイスラエルによって不当に占拠されていることを批難し、全世界のムスリムとの連帯を呼びかけるという名目で発行されたのが、今回ご紹介の切手だったというわけです。

 ただし、“岩のドーム”に関しては、イスラエルは、撤退を求める国連決議を無視して第3次中東戦争時の占領地に居座り続けていることを批難するための、ムスリム側のシンボルとなっているわけで、東ティモール問題で国連の非難決議を無視して占領を続けていたスハルト政権に、はたして、イスラエルを非難する資格があるか否かという点については、疑問の余地は相当に残るのですが。

 
 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 スマトラ島沖地震から10年
2014-12-26 Fri 11:18
 2014年12月26日のスマトラ島沖地震から、きょうでちょうど10年になります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ沖地震追悼

 これは、2005年にインドネシアで発行されたスマトラ島沖地震の犠牲者を悼む寄附金つき切手(左側は切手ではなく、タブ)です。

  いわゆるスマトラ沖地震は、2004年12月26日午前7時58分(インドネシア西部時間)、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1の地震です。マグニチュード9.1というのは、1900年以降では、チリ地震に次いで2番目に大きい規模で、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の約1.4倍に相当するエネルギーだといえば、そのすさまじさもお分かりいただけるかと思います。

 特に、震源地に近かったスマトラ島北部アチェ州の被害は甚大で、都市としてのバンダ・アチェはほぼ壊滅。現在までに確認されている数字で、死者は13万1029人、負傷者は最大で10万人、行方不明者は3万7603人とされています。

 さて、アチェでは、1976年12月4日、ハッサン・ディ・ティロが自由アチェ運動(GAM:Gerakan Ache Merdeka、英語名はASNLF :Acheh-Sumatera National Liberation Front)を結成し、アチェ・スマトラ国の独立を宣言。以後、ジャカルタの中央政府からの独立を主張してスハルト政権に対するゲリラ戦が展開されていました。

 1998年5月、スハルトが退陣に置きこまれると、後継のハビビ政権はアチェに対する宥和政策を取り、スハルト時代の人権弾圧を謝罪。民主化や地方分権化へのプロセスの中で、アチェ州特別自治法の制定作業が進められたこともあって、武力闘争は一時小康状態になりましたが、年末以降再び国軍が投入され衝突が激化。1999年、GAMは再びアチェの独立を宣言しています。

 さらに、2001年7月に大統領ワヒドの罷免を受けて、メガワティが副大統領から大統領に昇格すると、翌8月、新政権はアチェ州特別自治法を制定。2002年の同法施行により、アチェ特別州は“ナングロ・アチェ・ダルサラーム”州と改称されてその特別な地位が認められ、ジャカルタ政府とGAMの和平協定が成立しましたが、早くも2003年には和平は破綻。同年8月、メガワティはアチェ州に対する軍事非常事態宣言を布告し、国軍によるGAM 掃討を目的とする大規模な軍事作戦を発動しています。

 その後、軍事非常事態宣言は2004年5月に解除され、民間非常事態に移行されたものの、国軍とGAM との武力抗争は続いていましたが、2004年12月のスマトラ沖地震に伴う大津波でアチェが壊滅的な被害を受けたことで、状況が一変。アチェだけで16万人もの死者・行方不明者を出すという惨憺たる状況の下では、独立よりも、まずは生活を再建することがアチェの人々にとっての優先課題となり、2005年8月、フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリの仲介により、インドネシア政府とGAMの和平協定が成立しました。

 なお、スマトラ沖地震が発生すると、日本政府は即日、国際緊急援助隊の医療チームの派遣を決定。12月28日にはインド洋に派遣されていた海上自衛隊の護衛艦「きりしま」など3隻をタイ近海に派遣し、捜索・救助および遺体の収容に当たらせています。

 年が明けて2005年元日、当時の小泉純一郎首相は、「5億ドルの無償供与、津波早期警戒メカニズムを構築するための協力、自衛隊の追加派遣を検討」など最大限の支援を行うとの談話を発表。1月4日には海上自衛隊の輸送艦「くにさき」・護衛艦「くらま」・補給艦「ときわ」の3隻に加え、航空自衛隊の輸送機2機、陸上自衛隊第7師団など計800-900人のアチェ派遣が決まり、先遣隊が現地に向かいました。

 こうした迅速な対応に加え、その後もJICAや民間ボランティアが現地の救援と復興支援に尽力したことで、アチェの人々の間では日本と日本人に対する評判がすこぶる良いものとなっています。

 このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 アチェで同性愛に鞭打ち条例
2014-09-28 Sun 17:12
 インドネシアのアチェ州議会は、きのう(27日)、イスラム法(シャリーア)に基づいて、同州内では宗教・国籍を問わず同性愛行為を鞭打ち刑の対象にする条例を全会一致で可決しました。ちなみに、アチェ州はインドネシアの中で最も早くイスラムが普及したとされ、同国で唯一、シャリアの施行が認められています。というわけで、アチェのイスラムといえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      アチェ・モスク     アチェ・モスク(実物)

 左の画像は、アチェ州の州都バンダ・アチェのバイトゥル・ラフマン大モスク(以下、大モスク)を取り上げた2002年のインドネシア切手です。右側には、実際のモスクの写真を貼っておきました。

  現在の大モスクがある場所には、もともと、アチェ王国第12代スルターンで、17世紀前半にアチェ王国の最盛期をもたらしたイスカンダル・ムダが1612年に建立したモスクがありました。しかし、このモスクは、アチェ戦争勃発早々の1873年4月、オランダ軍の砲弾により破壊されてしまいます。

 このことがアチェの人々を激怒させ、オランダに対する激しい抵抗の要因となったことから、オランダは首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)を制圧すると民心の安定のために大モスクの再建に着手。1879年から1881年にかけて、イタリア人建築家の設計したムガール洋式の建物として、大モスクを再建しました。

 当初、大モスクのドームは3つでしたが、その後増築され、最終的に、1936年の増築で7つのドームを有する現在の姿となり、2004年の大地震・津波でも本堂は倒壊せずに残りました。

 なお、アチェについては、拙著『蘭印戦跡紀行』でも1章を設けていろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 最後の残留日本兵、亡くなる
2014-08-25 Mon 16:25
 第2次大戦後、インドネシアに残りオランダからの独立戦争に参加した元残留日本兵の最後の生き残りとなっていた小野盛さん(インドネシア名・ラフマット)が、けさ、東ジャワ州マランの病院で亡くなりました。享年94歳。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・軍事郵便用はがき用紙使用

 これは、インドネシア独立戦争期の1946年2月8日、ジャワ島のマランから島内のマゲラン宛に差し出された葉書で、日本時代に発行された水牛農耕図案の5セント葉書がそのまま使用されています。

 日本占領時代のジャワ島では、1945年1月20日以降、水牛農耕図案の切手とほぼ同じデザインの印面の葉書が使用されていました。当初の額面は3.5センでしたが、終戦間際の1945年7月1日には郵便料金の改正があり、葉書料金が5センに値上げされたため、同日付でデザインはそのままに、額面を5センに改めた葉書も発行されています。
 
 ところで、日本占領下のジャワ島の切手と葉書は、バタヴィヤ(現ジャカルタ)のコルフ印刷会社で製造されましたが、同社は、日本軍の軍事郵便用の葉書の印刷も請け負っていたため、同社に残っていた大量の軍事郵便用はがきの用紙に水牛農耕図案の印面を印刷したモノもあります。今回ご紹介の葉書はその一例で、印面の下に”軍事郵便”との印刷が見えます。なお、水牛農耕図案の5セン葉書は、発行後まもなく、日本が降伏し、オランダ領東インドから撤退することになったため、今回ご紹介のモノを含め、その大半が戦後の使用例です。

 日本の敗戦直後の1945年8月17日、スカルノらはインドネシアの独立を宣言しましたが、オランダはこれを認めず、なし崩し的にインドネシア独立戦争が始まります。

 現地に残っていた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、今回亡くなった小野さんのように、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 今回亡くなった小野さんは、終戦時の日本軍での階級は軍曹で、1945年12月29日、辞世の句と写真、髪の毛を封筒に入れて日本に帰る戦友に渡し、親友2人とともに日本軍を離脱。翌30日、インドネシア共和国軍に参加し、インドネシア名“ラフマット”を名乗ることになります。

 その後、独立戦争で軍功を挙げたラフマットこと小野さんは、1948年7月24日、インドネシア側の要請を受けて、総員29名の日本人部隊が結成。当時は、いわゆるレンヴィル協定による一時的な停戦期間中であったため、部隊の活動は極秘とされ、7月30日には“幻の外人部隊”としてオランダ軍を襲撃し、オランダ側の10名を死傷させています。さらに、停戦協定が破棄され、オランダ軍による第2次侵攻が開始されると、小野さんの部隊はゲリラ戦を展開し、オランダ側からは“日本の虎”として大いに恐れられ、小野さんら残留日本兵は高額の懸賞首となりました。特に、1949年2月27日の東部ジャワ州での戦闘に際しては、小野さんは作戦参謀としてインドネシア共和国軍に大きな勝利をもたらしています。

 最終的に、小野さんは独立戦争参加勲章ほか7個の勲章と傷痍軍人章を受け(戦闘により、小野さんは左腕の肘から先を失っています)、予備役インドネシア陸軍少佐として、インドネシア政府から恩給も支給されていました。しかし、その金額はわずかなもので、結局、小野さん自身は現地女性と結婚し、農業で生計を立てていました。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。今回亡くなった小野さんに関しては、ご本人の希望で、彼が長らく生活していた東ジャワ州バトゥの英雄墓地に埋葬される予定だそうです。

 一方、日本国内では、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。インドネシア独立戦争におけるインドネシアの人の犠牲を過小評価し、大東亜戦争がアジア解放の戦いであり、インドネシアの独立も日本軍のおかげだという人は、小野さんたち、インドネシア独立の英雄に対する日本の冷淡な態度をどう考えているのか、ぜひとも、きちんとご説明いただきたいものですな。

 なお、インドネシア独立戦争については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

     
 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』読書欄、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ムルデカ!
2014-08-17 Sun 10:18
 今日(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・ムルデカ葉書

 これは、日本占領時代のジャワで発行された水牛農耕図案の5セン葉書で、インドネシア独立戦争中の1945年11月27日、ソロ(スラカルタ)からジョグジャカルタ宛に差し出されたものですが、独立を意味する“MERDEKA(ムルデカ)”のスローガン印が押されているのがミソです。

 第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放します。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本が降伏したことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 その後、9月4日にスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。また、独立宣言後の8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため、イギリス軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織しました。

 戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じ、そのまま日本に帰らなかった者もいるなど、終戦から正規の国交樹立までの間も、日本とインドネシアとは浅からぬ関係が続くことになるのです。

 ところで、日本の敗戦間際の1945年7月1日、日本占領下のジャワでは郵便料金の改正があり、葉書料金は3.5センから5センに値上げされました。このため、同日付でデザインはそのままに、額面を5センに改めた葉書も発行されましたが、発行後まもなく日本軍が降伏してしまったため、そのほとんどは、今回ご紹介の葉書のように、戦後になってからの使用となりました。
 
 日本軍の撤退後、インドネシア共和国の独立を宣言したスカルノら民族主義者に対して、旧宗主国のオランダはこれを認めず、インドネシアに進駐したオランダ軍部隊は、独立を妨害するために、インドネシア人の誘拐や殺害、放火など多くの事件を起こし、両者の対立は、なし崩し的に独立戦争へと転化していくことになります。その過程で、スカルノら共和国側が日本占領時代のムラピ山の葉書の日本語部分を抹消し、“REPOEBLIK INDONESIA”と加刷して使用された例もあります。

 なお、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。それどころか、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者(こちらは靖国に祀られています)を出しています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきませんな。

 いまから1年ほど前に刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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