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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 インドネシア独立記念日
2018-08-17 Fri 01:14
 きょう(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ占領切手・戦後使用

 これは、インドネシア独立戦争中の1946年1月12日、ジャワ島中部のテガルから、同島西部北岸のチルボン宛に差し出された葉書で、日本占領時代の切手が無加刷で使われています。1945年8月17日のインドネシア共和国の独立宣言後、共和国側の支配地域では、日本占領時代の切手に“インドネシア共和国”を意味する加刷を施した暫定切手を使用しましたが、一部、無加刷の切手・葉書が使用された例もあります。今回ご紹介の葉書は、年が明けて1946年になってからの使用例ですから、占領時代の切手の戦後使用としては、かなり遅い時期のものと言ってよいかと思います。

 第二次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本の降伏が発表されたことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 ちなみに、1945年8月17日に発せられたインドネシア共和国独立宣言の書面上の日付が皇紀を採用した“05年8月17日”となっているのは有名な話です。この点については、「ムスリムであるスカルノが日本への感謝の意を示すとともに、(オランダの宗教である)キリスト教に由来する西暦を嫌ったため」という類の説明が散見されますが、これは正しくありません。

 日本占領時代のジャワ島では公文書に皇紀が採用されていました。このため、日本の占領が続いている限り、公文書の日付も皇紀で記すのが正式なスタイルとなります。

 ところで、上述のように、スカルノらは、1945年8月17日に独立宣言を行いましたが、この時点では、対日降伏文書は調印されておらず、したがって、連合国による日本軍の武装解除と占領行政の接収も行われていませんから、スカルノらが“インドネシア共和国”の領土とした地域では、日本の占領状態が続いているというのが建前です。このため、公文書としての書式を整えようとすれば、日本占領時代の書式に従い、皇紀を使うというのが自然なスタイルです。これは、彼らの対日感情とは全く別の次元の話で、純粋に事務的な形式上の問題です。

 じっさい、日本軍の占領が正式に終了すると、スカルノのインドネシア共和国はすぐに西暦の使用を再開しており、今回ご紹介の葉書に押されている消印も西暦(19)46年と表示されています。

 さて、独立宣言を受けて、9月4日にはスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。この間、8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧PETA(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため英連邦軍オランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織し、インドネシア独立戦争に投入していきました。

 一方、戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。

 なお、これまでも散々書いてきたことの繰り返しになりますが、1949年末にインドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。これに対して、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者を出しましたが、彼らは靖国に祀られています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領の体験が糧となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。

 そうした彼らの友情を無視して、自分は「一般の日本人とは違う」という醜悪な思い込みから、ひたすら日本と日本人を貶めるために“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきません。

 いまから5年前の2013年に刊行の拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
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 バリ島アグン山の噴火
2017-11-27 Mon 09:12
 今月21日、インドネシア・バリ島のアグン山が、1963年以来、54年ぶりに噴火。当初の噴火は小規模でしたが、25日から26日にかけて断続的な噴火が発生し、26日早朝の噴火では山頂から3000-4000mの高さまで噴煙が立ち上がり、その影響で、同日午後、ロンボク島の空港が閉鎖されたほか、バリ島南部、デンパサールの国際空港も、きょう(27日)、閉鎖されました。きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・アグン山噴火(1963)

 これは、1963年6月29日、前回のアグン山噴火に際して、被災者救援のために発行された寄附金つき切手で、噴火するアグン山が描かれています。

 アグン山はバリ島北東部に位置する成層火山で、標高は3014メートル。バリ島では古くから聖なる山とされており、バリ・ヒンドゥーの総本山とされるブサキ寺院が同山の中腹にあるほか、周囲には多くのバリ・ヒンドゥーの寺院があります。

 1800年以降の噴火は、1808年、1821年、1843年、1963年、2017年の5回ありますが、このうち、1963年の噴火は20世紀の世界最大規模の噴火の一つとされています。すなわち、同年2月18日に最初の噴火が発生してから26日間にわたり、塊状溶岩が7.5kmにわたって流下。3月17日の爆発では推定海抜19-26kmの高さの噴煙柱が発生したほか、5月16日の爆発でも20kmの高さの噴煙柱が発生しています。以後、1964年1月27日まで断続的な噴火が発生し、火砕流とラハールにより、死者1148名、負傷者296名が出たほか、噴煙と火山灰の影響で北半球の平均気温を0.5度近くも低下させました。

 アグン山では、今年8月以降、火山活動が活発化していたことから、9月22日、インドネシア当局は警戒レベルを最高位に引き上げ、半径6~7・5キロkmの住民約2万5000人が退避勧告に基づき避難していました。

 僕にとっては、バリ島は新婚旅行で訪ねた場所ですし、ロンボク島も日本占領時代の太陽加刷切手の故地として現地を訪ね、そのいきさつを拙著『蘭印戦跡紀行』の一章としてまとめたことがあり、どちらも、思い出深い場所です。それだけに、ともかくも、今後、噴火が無事に収束していくことを望むばかりです。
 

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は30日!★★

 11月30日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月1日に予定されているパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化にちなんで、ガザ地区の歴史についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 インドネシア独立記念日
2017-08-17 Thu 10:40
 きょう(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ・独立加刷

 これは、インドネシア独立戦争中の1946年、インドネシア共和国側が日本占領時代の切手を接収し、“インドネシア共和国(Repoeblik Indonesia)”と加刷した切手です。オランダのウィルヘルミナ女王を描く1941年発行の蘭印10セント切手に、日本占領下の1944年、女王の肖像と国名表示を抹消するために“、“大日本帝國郵便/〒/スマトラ”と加刷した切手に、さらに、“大日本帝國郵便”の文字を抹消して、インドネシア共和国の文字と新額面を加刷したもので、第二次大戦をはさんでの蘭印/インドネシアの激動の歴史が凝縮されたような1枚となっています。

  第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本の降伏が発表されたことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 ちなみに、1945年8月17日に発せられたインドネシア共和国独立宣言の書面上の日付が皇紀を採用した“05年8月17日”となっているのは有名な話です。この点については、「ムスリムであるスカルノが日本への感謝の意を示すとともに、(オランダの宗教である)キリスト教に由来する西暦を嫌ったため」という説明が散見されますが、日本の占領時代には公文書では皇紀が採用されていたため、ただ単にそれを踏襲しただけというのが実情だったようです。その証拠に、連合国軍の上陸により日本軍の武装解除が行われると、消印の年号表示も西暦に戻っています。また、現在のインドネシアでは、独立宣言というと1955年にスカルノが録音した音源が広く知られていますが、ここでの年号は皇紀の“(26)05年”ではなく、西暦の“1945年”となっていることも記憶にとどめておいてよいでしょう。

 独立宣言を受けて、9月4日にはスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。この間、8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため英軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織し、インドネシア独立戦争に投入していきました。

 一方、戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。

 なお、これまでも散々書いてきたことの繰り返しになりますが、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。むしろ、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者を出しましたが、彼らは靖国に祀られています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して、自分は「一般の日本人とは違う」という醜悪な思い込みから、ひたすら日本と日本人を貶めるために“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきません。

 以前刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は24日?★★★ 

 8月24日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第7回が放送予定です。今回は、放送日が独立記念日のウクライナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、高校野球の順延などにより、24日の放送が亡くなる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 無事帰国しました。
2017-08-09 Wed 15:24
      バンドンにて

 おかげさまで、本日(9日)朝、無事、インドネシアから帰国いたしました。世界切手展<Bandung 2017>の会期中、現地では、コミッショナーの山崎好是さん、審査員の正田幸弘さん、同アプレンティスの井上和幸さん、ご出品者の有吉伸人さん、池田健三郎さん、伊藤純英さん、伊藤文久さん、榎沢祐一さん、増山三郎さん、吉田敬さん、日本からご参観の菊地恵実さん、杉原 正樹さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、自身の作品が従前どおり金賞を維持できたことをはじめ、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、しかるべき媒体でご報告する予定です。

 さて、今回の切手展には、僕はコミッショナーを担当しましたが、その証書は受賞者の方々に授与された賞状と同じフォーマットで、下のようなデザインでした。

      バンドン展・賞状

 証書には開催地バンドン市の花であるオオゴチョウをデザイン化した展覧会のロゴマークが取り上げられています。ロゴマークは、証書の左上に印刷されているほか、切手展のメダル(下の画像)にも大きく取り上げられています。

      バンドン展・メダル  バンドン展・メダル裏

 メダルの裏面に取り上げられているのは、現在は西ジャワ州庁舎として使われているグドゥング・サテが取り上げられています。グドゥング・サテは、1996年にバンドンで開催されたユース切手展の記念切手(下の画像)にもバンドンのシンボルとして取り上げられました。

      インドネシア・グドゥング・サテ

 グドゥング・サテは、オランダ植民地時代の1920年、蘭印政庁の運輸・公共事業・水利省の庁舎として建設されました。設計はオランダ人建築家のJ・ゲルベルです。インドネシア独立後は西ジャワ州庁舎および州知事公邸として用いられています。なお、グドゥング・サテというのは、直訳すると“サテ・ビル”を意味する愛称で、これは、建物中央の形状がインドネシアの伝統的な串焼きの“サテ”に似ていることからつけられたニックネームです。今回の切手展では、初日の夜に西ジャワ州知事主催のウェルカムレセプションがあり、僕もご招待に与り、夜間、ライトアップされたグドゥング・サテも拝んできましたので、昼間の建物の画像と併せて、下に貼っておきます。ちなみに、冒頭の画像は、グドゥング・サテで行われたウェルカム・パーティーで、地元の民族服姿の女性と一緒に撮影したものです。

      グドゥング・サテ(昼間)  グドゥング・サテ(夜間)

 さて、今年は、あと1回、10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerで世界切手展<BRASILIA 2017>の開催が予定されています。僕はその日本コミッショナー兼出品者として参加する予定となっており、今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 
 
      
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      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 <Bandung 2017>受賞速報
2017-08-06 Sun 03:20
      インドネシア・勲章授与(1949)

 3日からインドネシア・バンドン市のトランス・ステュディオ・コンヴェンション・センターで開催中のアジア世界切手展<Bandung 2017>は、昨日(5日)までにすべての作品の審査が終了し、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 ・増山三郎 Japanese Occupation in Java 1942-1945 LV(88)
 ・丹羽昭夫 Japan: Tazawa Series "Taisho" Watermarked Granite Paper, Old Die LV(88)
 ・鏑木顕 Japanese Occupation of the Philippines 1942-1945 V(81)
 ・村山廣佑 Japan Chrysanthemum Series 1899-1908 V(83)
 ・伊藤純英 JAPAN: Showa Series 1937-46 LV(88)
 ・和田輝洋 Japan Showa Issue 1937-1947 V(83) 
 ・石澤司 Ryukyus Air Mail Stamps 1950-60 LS(77)
 ・山田祐司 Japan 1871-1876 Hand Engraved Issues G(93) +SP(treatment)
 ・有吉伸人 Napoléon non Lauré-FRANCE1852-1862 G(90)
 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1867 LV(87)
 ・佐藤浩一 Republica Argentina: Sitting Liberty Series 1899-1903 LV(88)
 ・池田健三郎 Postal History of the Cape of Good Hope LV(85)
 ・伊藤純英 Foreign Mail in Nagasaki, Japan 1865-1905 LV(88)  
 ・山崎好是 Japane Courier Mail LV(88)
 ・伊藤文久 Hungarian Inflation 1945-1946 LV(87) 
 ・和田文明 U.S. Return Receipt Requested & Avis de Receipt 1866 - 1945 V(81) 
 ・村山良二 Czslaw Slania - The great work of his engraving stamps LS(78)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(90)
 ・榎沢祐一 Trams – The Origin of Public Transport G(90)
 (以下、文献)
 ・鳴美 『手彫切手』(祖父江義信コレクション) LV(86)
 ・鳴美 『飛脚と郵便』 LV(88)
 ・切手文化博物館 『金井宏之コレクション 日本手彫切手』 LG(95)
 ・スタンペディア 『Stampedia Philatelic Journal』 LV(85)
 ・全日本郵趣連合 『全日本郵趣』 LS(75)
 ・日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1-5』 V(81)
 ・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』 V(80) 
 ・日本郵趣協会 『風景印大百科 1931-2017』 S(70)
 ・鳴美 『昭和切手専門カタログ 改訂第3版』 LV(85)

 あらためて、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。

 なお、冒頭に掲げた画像は、インドネシア独立戦争中の1949年、独立側が発行した公用切手のうち、兵士に勲章を授与している場面を描いた1枚です。授賞(授章)のイメージとして持ってきてみました。


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 コモドオオトカゲ
2017-03-06 Mon 11:26
 きょう(6日)は、1980年3月6日にインドネシアで“コモド国立公園”が制定されて37年ということで、検索サイト・グーグルのトップページもコモドオオトカゲのデザインになっていました。というわけで、きょうはこの切手です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

     インドネシア・コモドオオトカゲ(2000)    グーグル・コモド国立公園   

 この切手は、2000年にインドネシアが発行した“コモドオオトカゲ”の切手のうち、コンバットダンス(繁殖期の毎年5-8月、オス同士がメスをめぐって戦う、直立しての組み合い)を取り上げた1枚です。右側には、グーグルのトップロゴの画像も貼っておきましょう。

 コモドオオトカゲは、インドネシア・小スンダ列島のギリダサミ島、ギリモタン島、コモド島、フローレス島南部、リンチャ島などに生息する固有種で、世界最大のトカゲ(全長約200-300cm 体重約70-120kg)として知られています。

 古来、小スンダ列島には、全長7mに達する“ドラゴン”が棲息しており、スイギュウを倒したり、火を吐いたりするとの言い伝えがあり、1840年にはスンバ島の首長が文書で記録を残していましたが、その実態については不明という状況が続いていました。

 その後、1910年にオランダ人パイロットがコモド島に不時着し、“恐竜の生き残り”の目撃を証言。さらに、同年、全長2m以上の個体が射殺されたことで詳細が明らかになり、1912年、ジャワ島に持ち込まれた2頭の成体と1頭の亜成体を基に“種”として記載されました。

 乾燥した落葉樹林やサバンナ、海岸などに生息し、尾を使って泳ぐこともできます。主としてイノシシやシカなどの哺乳類を餌としていますが、鳥類やその卵、爬虫類やその卵、昆虫、動物の死骸なども食べるほか、まれに人間を襲撃することもあります。開発による生息地の破壊、獲物となるシカを人間が刈りつくしたことなどから、生息数が減少したため、早くも1920年には保護の対象となり、リンチャ島とパダール島は1938年に、自然保護区に指定されました。(パダール島のコモドオオトカゲは後に絶滅)

 また、1942年には小スンダ列島を占領した日本海軍により、珍獣として昭和天皇にも献上されています。

 1965年にはコモド島も自然保護区に指定され、1975年にワシントン条約が発効すると、ただちにコモドオオトカゲはワシントン条約附属書Ⅰ(現時点ですでに絶滅する危険性がある生き物 )に掲載。1977年には棲息地一帯がユネスコの“生物圏保護区”に指定されました。これを受けて、インドネシア政府は、1980年、コモド島を中心に、パダル島、リンチャ島などの島々および周辺のサンゴ礁からを含む総面積 2200平方キロの範囲を“コモド国立公園”に指定。今回のグーグルのトップロゴは、これにちなんだものです。

 ちなみに、コモドオオトカゲはインドネシアを代表する動物として、しばしば、国際イヴェントのキャラクターにも取り上げられています。その一端については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 PETAの故地 ボゴール
2017-01-15 Sun 17:28
 東南アジアとオーストラリア4カ国を歴訪中の安倍首相は、きょう(15日)、3カ国目となるインドネシアに到着し、ボゴールでジョコ大統領と会談するそうです。というわけで、ボゴールゆかりの切手のなかから、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・PETA(1998)

 これは、1998年にインドネシアがPETA(Tentara Pembela Tanah Air:郷土防衛義勇軍。以下、ペタ)を題材に発行した寄附金つき切手です。

 日蘭開戦と前後して、日本軍は、オランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)の住民に向けて「日本は東亜の人々を白人の植民地支配から解放するために南進を始めた。次は蘭印へ進攻するから住民は協力せよ」との放送を行うなどのプロパガンダ工作を実施。ジャワ島占領後は、バンドンを拠点にムスリム工作を担当した第16軍治部隊参謀部別班(通称・ジャワ回教別班)が、オランダ統治下ではないがしろにされていたムスリム住民との連携を重視し、モスクの法学者に対しては一般公務員と同等の待遇とするなどの施策を行って、現地のムスリム住民から評価されていたほか、今回の安倍首相の訪問先であるボゴールには、ジャワ全島17州から優秀な青少年を集めて、ジャワ回教青年隊も組織されました。

 しかし、日本占領下の東南アジアの他の地域では、英印軍のインド人捕虜を中心にしたインド国民軍、アウン・サンらビルマの民族主義者らによるビルマ独立義勇軍が組織されたのに対して、ジャワでは、日本の軍政当局がインドネシアの民族独立を確約せず、1943年5月に設置された兵補の制度も、あくまでも現地住民は日本軍の補助兵力として扱っているだけでしたので、独立したインドネシア民族軍の創設を期待していた住民の間には少なからず不満もありました。

 その後、戦況が日本軍に不利になっていく中で、日本軍の兵力不足を補う必要が生じたこともあり、現地の民族主義運動およびイスラム指導者の建白書を容れるという形式をとって、1943年10月3日、ジャワ郷土防衛軍=ペタの設立が正式に決定されます。

 ペタの中心となったのは、ジャカルタ近郊のタンゲランでインドネシア人青年にゲリラ戦や情報戦の技術を教育していた“青年道場(インドネシア特殊要員養成隊)”の隊員で、これに、ジャワ回教青年隊の隊員が加わり、ボゴールに設立された幹部養成学校(義勇軍錬成隊)での各種訓練が実施されました。

 このボゴールの幹部養成学校を卒業した青年たちは、それぞれの故郷で、約500名規模のペタの大団を結成。ペタの兵士には日本軍の指揮下で、日本軍の歩兵操典をもとに厳しい訓練が行われ、その規模は、1945年8月の終戦時には、66大団、約3万6000人の規模にまで拡大しました。

 インドネシア独立宣言から2日後の1945年8月19日、敗戦国となった日本軍は、連合国の指示により、ペタを解散しますが、各地の元ペタ将兵らは組織と装備を維持しつつ、インドネシア国軍に参加。専門の軍事教育を受けた職業軍人として、オランダとの独立戦争で重要な役割を演じることになります。

 ちなみに、日本占領時代のペタから巣だって、独立戦争時のインドネシア国軍を指揮したスディルマン将軍の生涯は、インドネシアでは、両国の友好親善と防衛協力交流のシンボルとされており、2011年に訪日したインドネシアのプルノモ国防相は、ジョグジャカルタの歴史博物館にあるのと同じ将軍像を日本に寄贈。その像は東京・市ヶ谷の防衛省敷地内に建立されています。

 今回、安倍首相とジョコ大統領の会談の地として、ペタに所縁のボゴールが選ばれたのも、上述のような歴史的背景を踏まえてのことと思われます。

 なお、日本占領時代の蘭印については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:インドネシア
2016-03-04 Fri 21:52
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年3月2日号が先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドネシアの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・ブサキ寺院

 これは、1998年に発行された観光宣伝切手で、バリ島のブサキ寺院が取り上げられています。

 インドネシアはムスリム国家ですが、バリ島は、バリ土着の信仰と仏教やヒンドゥーが習合した“バリ・ヒンドゥー”の信者が住民の90%を占めています。今回ご紹介の切手に取り上げられたブサキ寺院は、バリ・ヒンドゥーの総本山で、島の最高峰、アグン山の中腹にあり、破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神を祀る3寺院を中心に30以上の寺院群から構成されています。もとは8世紀に建立されたものですが、その長らく荒廃の時代を経て、オランダ統治時代に復興されました。今回ご紹介の切手は、シートの切手部分に現在の寺院の遠景を描く切手を収め、余白には、霊獣バロンが描かれています。

 さて、『世界の切手コレクション』3月2日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の切手のほか、インドネシア独立戦争に関するマテリアルやボロブドゥール寺院の切手、影絵芝居のワヤン・クリムラピ山スマトラ沖地震コモドオオトカゲの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、次回は3月9日発売の3月16日号でのケイマン諸島の特集になります。こちらについては、3月16日以降、このブログでもご紹介する予定です。

  
 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 インドネシア独立記念日
2015-08-17 Mon 11:41
 きょう(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・ワヤン(インドネシア加刷)

 これは、インドネシア独立戦争時、日本占領時代のジャワで発行されたワヤンの人形を描く5セン切手の日本語部分を抹消して“インドネシア共和国(REPOEBLIK INDONESIA)”と加刷した切手です。

 第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本の降伏が発表されたことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 その後、9月4日にスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。また、独立宣言後の8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため英軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織し、インドネシア独立戦争に投入していきました。

 一方、戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。

 なお、これまでも散々書いてきたことの繰り返しになりますが、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。それどころか、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者を出しましたが、彼らは靖国に祀られています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して、自分は「一般の日本人とは違う」という醜悪な思い込みから、ひたすら日本と日本人を貶めるために“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきませんな。

 以前刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。

 
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        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ジャカルタ駅伝の通りの名前
2015-05-31 Sun 21:28
 インドネシアと日本の友好を目的とした「ジャカルタ『絆』駅伝2015」が、きょう(31日)、ジャカルタ市中心部のスディルマン通りで行われました。というわけで、きょうは通りの名前にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・スディルマン(1961)

 これは、1961年にインドネシアが発行した“独立の英雄”の切手のうち、スディルマンを取り上げた1枚です。

 スディルマンは、1916年(1915年説もあり)、中部ジャワのプルバリンガ生まれ。オランダ語教育を受けたのち、1935年にチラチャプのムハマディヤ系小学校教師となりました。

 教員のかたわら協同組合設立にも参加し、住民の生活改善のために尽力。日本軍占領時代には州参議会議員やジャワ奉公会の役員としても活躍しました。また、1944年には日本軍による軍隊教育を受けて、日本が創設したペタのバニューマス大団長(大団長は大隊長に相当)に任命されています。

 こうした経歴を買われ、独立宣言後の1945年12月、スカルノから初代国軍司令官に任命され、独立戦争の陣頭指揮を取っています。特に、1948年12月19日、ジョクジャカルタが陥落し、大統領のスカルノ以下の共和国政府の閣僚たちが逮捕された際には、結核に侵されながらも、スカルノの投降命令を無視してジャングルに退却して大規模なゲリラ戦を指揮しました。この点について、スディルマンは、国軍は自らを“政府の道具”ではなく“国家の道具”だと弁明し、文民政府の命令によって国家の主権や統一が危うくなる場合には、国軍は政府を無視して国家を守ることこそが義務であると主張しています。

 担架に乗せられ、喀血しながら最前線でゲリラ戦を指揮したスディルマンの活躍もあり、1949年12月27日、インドネシア共和国は完全独立を達成しましたが、スディルマンの病状は、すでにその時、末期的な症状を来していました。そして、完全独立からほぼ1ヶ月後の1950年1月29日、独立戦争最大の英雄は34歳の若さでこの世を亡くなります。

 インドネシア国民の間では、現在なおスディルマンに対する人気が高く、ジャカルタには日本大使館などがあるタムリン通りから議事堂などがあるスナヤン地区に連なる目抜き通りは、彼にちなんでスディルマン通りと命名されました。

 なお、2011年に訪日したインドネシアのプルノモ国防相は、ジョグジャカルタの歴史博物館にあるのと同じ銅像を日本に寄贈しました。ちなみに、下の画像はジョグジャカルタで撮影したスディルマンの銅像です。

       スディルマン像

 銅像の寄贈は、日本占領時代のペタから巣だってインドネシア国軍を指揮したスディルマンの生涯が、両国の友好親善と防衛協力交流のシンボルとしてふさわしいという判断によるもので、寄贈された銅像は東京・市ヶ谷の防衛省敷地内に建立されています。今回の駅伝がスディルマン通りをコースとして行われたのも、こうした経緯を踏まえてのことと思われますが、日本国内で、その点について触れた報道がほとんどなかった(ように見受けられる)のは、ちょっと残念ですな。

 なお、スディルマンほかインドネシア独立の英雄については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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