内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ミャンマーで大地震
2016-08-25 Thu 10:40
 きのう(24日)、イタリア中部ペルージャ付近でマグニテュード6.2、ミャンマーでもマグニテュード6.8の大地震が発生し、いずれも大きな被害が出ています。このうち、イタリアに関しては日本のメディアでも盛んに報じられていますが、ミャンマーについては報道があまりないようですので、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ミャンマー・パガン遺跡(2012)

 これは、2012年10月1日、ミャンマーが発行した第2回TELSOM-ATRC指導者研修の記念切手で、今回の地震で大きな被害が出たバガン(パガンとも)遺跡が取り上げられています。ちなみに、切手の発行名目となったTELSOMは“電気通信・情報産業高級実務者会合”、ATRCは“ASEANテレコム規制委員会”の欧文略称です。

 切手に取り上げられたバガン遺跡は、ミャンマー中央部、マンダレー地方域のエーヤワディー川(イラワジ川)中流域の東岸の平野部一帯にあり、カンボジアのアンコール遺跡、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつとされています。

 ビルマ最初の統一王朝とされるバガン朝のアノーヤター王は、1057年、南方のモン族のタトゥン王国の都モッタマを制圧し、パーリ語で書かれた三蔵の経典を取り戻したほか、仏教僧や職人を王都バガンに招来して上座部仏教の国教化を進めました。この結果、バガンは仏教研究の国際的な中心地となり、1287年にフビライと対立して王朝が滅ぼされるまでの間に、3000を超える仏塔のほか、数多くの寺院等が建立されました。

 さて、今回のミャンマーの地震ですが、震源はバガンの約30キロ南にある町チャウク近郊で、震源の深さは84キロで、タイのバンコクやインドのコルカタでも揺れが確認されたそうです。また、この記事を書いている時点で、少なくとも3人の死亡が確認され、200基近くの仏塔が損壊したとミャンマー政府は発表しています。今回ご紹介の切手には、バガン遺跡中最大の寺院とされるダマヤンヂー寺院が大きく取り上げられていますが、同寺院を含め、切手に描かれている仏塔などにも被害が出ているかもしれません。

 イタリア・ミャンマー両国の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災者の方には心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の復旧・復興が一日も早く進むことをお祈りしております。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 1962年以来の文民政権
2016-03-31 Thu 14:14
 ミャンマーで、きのう(30日)、与党・国民民主連盟(NLD)が擁立したティンチョー大統領の就任式が行われ、1962年のネ・ウィン将軍による軍事クーデター以来、54年ぶりに文民政権が発足しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

      ビルマ・1962年革命10周年

 これは、ビルマ連邦時代の1972年に発行された“革命評議会10周年”の記念切手です。

 1948年の独立当初から、連邦からの独立を求める民族勢力(麻薬産業を背景とした北部シャン州と、独立志向の強いカレンなど南部諸州が中心)、中国での国共内戦に敗れた後、ビルマ北部に流入した国民党の残党、共産党勢力などが入り乱れて、政権は不安定な状態にありました。

 こうした中で、彼らとの武力闘争を経て次第に力を蓄えた国軍は、ネ・ウィン将軍の下、1962年3月2日、軍事クーデターを決行。ネ・ウィンは“ビルマ式社会主義”を掲げ、ビルマ社会主義計画党を結成。革命評議会議長に就任しました。今回ご紹介の切手は、このときの革命評議会成立から10周年になるのを記念して発行されたものです。

 その後、1974年にビルマ連邦社会主義共和国憲法が制定されると、ネ・ウィンは大統領に就任。1981年に大統領職をサン・ユに譲った後も、ビルマ社会主義計画党議長として国政に君臨しました。

 ネ・ウィンの時代、ビルマは外交面では厳正な中立政策を採り、ビルマ共産党や各地の少数民族民兵組織との内戦において、諸外国の介入を防ぐ一方、その鎖国主義的な政策の結果、ビルマ経済は停滞し、ビルマは世界の最貧国に転落します。

 このため、1988年8月には国民の不満が爆発した民主化要求デモが発生。ネ・ウィンはその責任を取るかたちで党議長を辞任しましたが、同年9月18日に政権を離反したソウ・マウン率いる軍部のクーデターにより、国家法秩序回復評議会(1997年11月、国家平和発展評議会に改組)が全権を掌握。以後、同国では2011年3月30日の民政移管まで軍事政権が続きました。

 なお、民政移管後の初代大統領に就任したテイン・セインは、中将の階級を持つ元軍人で、軍事政権下では2007年以降、首相を務めていたという経歴の持ち主であったため、純粋な文民出身の大統領としては、ティンチョー新大統領は、1964年のクーデターで失脚したウー・ヌ以来ということになるわけです。


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 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 ミャンマーで全土停戦合意
2015-03-31 Tue 23:30
 1948年の独立以来、政府と少数民族武装勢力(16組織)との対立が続いているビルマ(ミャンマー)で、きょう(31日)、「全土停戦」協定(案)の合意が成立し、関係者が文書に調印しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ビルマ・ユニオンデー(1972)

 これは、1972年にビルマで発行された“ユニオン・デー25周年”の記念切手で、独立記念塔を背景に、ビルマ連邦を構成する主要民族が描かれています。

 ビルマは、8大部族(カチン族、カヤ―族、カイン族、チン族、モン族、ビルマ族ラカイン族シャン族)とそのサブグループとしての135民族で構成される多民族国家ですが、人口の半数以上はビルマ族が占めています。

 第2次大戦中の1943年8月1日、ビルマではバーモを中心とする親日政府が独立を宣言しましたが、1945年、日本軍の撤退とともに、英国はビルマを再占領して軍政を施行。さらに同年10月には、インドのシムラに避難していた英ビルマ政庁が復帰し、英国による植民地支配が復活します。

 このため、アウンサンを総裁とするパサパラ(反ファシスト人民自由連盟、AFPFL)は、ビルマの完全独立達成のため、イギリス側と交渉を開始。1947年1月、ロンドンでのアウンサン=アトリー協定の締結にこぎつけ、イギリス政府にビルマ独立を認めさせました。

 この間、ビルマ国内では、独立“ビルマ”の範囲をめぐって、さまざまな対立がありました。

 すなわち、英領ビルマは、大きく分けて、“辺境地区(高原・山岳地帯を中心とした地域で、英領ビルマ政庁による間接統治がなされていた行政区域)”と“管区ビルマ(平野部を中心とした地域で、英領ビルマ政庁が直接的に統治責任を負った行政区域)”の2つの部分から成り立っていましたが、このうち辺境地区のカレン族(上記のカヤー族の一民族)などは、アウンサンのビルマ行政参事会代表団とは別にロンドンに代表団を派遣し、カレン族の独立国家樹立を目指していました。その背景には、長年の民族的対立に加え、ビルマ族が、植民地支配下で比較的優遇されていたカレン族を潜在的なスパイと見なして、彼らを弾圧したという事情があります。

 このため、ロンドンから帰国したアウン・サンは、1947年2月12日、シャン州の州都タウンジーの東方にあるパンロン(ピンロンとも)で、辺境地域(管区ビルマ外)の少数民族の代表らと会談。独立後、少数民族に自治権を与えることを約束し、辺境地域と管区ビルマを合わせた“英領ビルマ”の全域を、連邦制国家として独立させるとのパンロン協定の調印に成功します。

 今回ご紹介の切手の題材となった“ユニオン・デー”は、このパンロン協定調印の記念日で、1948年の独立後も、ビルマにとって最も重要な記念日として位置付けられてきました。

 しかし、この協定に調印した少数民族の代表は、シャン、カチン、チンの3民族に限られており、カヤー、カレン、モン、アラカンからは、カヤーとカレンから数名のオブザーバーしか認められていませんでした。このため、“連邦制”に反対するカレンは、1947年4月の制憲議会選挙をボイコットします。これに対して、連邦政府は、独立後、パンロン協定で保障された諸民族の自治権を事実上剥奪するとともに、シャンやカレンに認められていた独立後10年目以降の連邦からの離脱権を剥奪。このため、少数民族による独立闘争が展開されるようになったわけです。

 さて、今回の停戦合意は各組織指導者の承認(署名)を受けて成立することになっており、ティンセイン政権としては、今年11月に予定されている総選挙に向け、“民主化”の成果を内外にアピールしたいという思惑があります。しかし、実際には、現在なお、カチン州やシャン州の一部では政府軍による空爆を交えた戦闘が続いているだけでなく、シャン州のコーカン地区では、ことし2月に武装組織が国軍の拠点を攻撃し(その背後には黒幕として中国がいると見られています)、戒厳令が発令されるなど、現実には和平への道のりは相当に困難というのが大方の見方です。

 いずれにせよ、停戦が実現すれば、ビルマ現代史上の重大事件となることは間違いないわけで、今後の推移に注目したいところです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月4日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『日の本切手 美女かるた』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は4月7日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 アウンサン将軍生誕100年
2015-02-13 Fri 13:47
 ビルマ(ミャンマー)独立の英雄、アウンサン将軍が、1915年2月13日に生まれてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ビルマ・独立20年

 これは、1968年1月4日に発行された“ビルマ独立20年”の記念切手で、農作業の様子を天から見下ろすかのように、アウンサンの肖像が取り上げられています。アウンサンの肖像を取り上げた切手としては、1948年1月6日に発行の独立記念切手がありますが、今回ご紹介のモノは、それに次ぐ2番目のアウンサン切手です。

 アウンサンは、1915年2月13日、ビルマ中部ナッマウ生まれ。生家は独立運動家として有名で、ラングーン大学在学中に学生自治会の機関誌編集担当になり、1936年、 当時のイギリス植民地支配を批判する記事を掲載したことが問題視され、退学処分を受けます。しかし、このことは学生らの強い反発を招き、全学ストライキが発生。大学側は処分を撤回しました。

 その後、1938年にはラングーン大学学生会と全ビルマ学生連合の委員長に選ばれ、同年10月、独立運動組織「われらビルマ人連盟」に参加。1940年8月まで総書記として活動し、反英ストライキなどを指導したほか、1939年8月15日のビルマ共産党結成に際しては、創立メンバーの一人として、初代書記長に就任しています。

 1940年、英国官憲の逮捕状が出たためアモイを経て日本に亡命。翌1941年2月、日本の資金援助と軍事援助の約束を取り付けてビルマに戻り、“30人の志士”と呼ばれる同志とともに中国の海南島へ出国し、日本軍の“南機関”の下で軍事訓練を受けました。

 1941年12月8日、日本が英国に宣戦を布告すると、同16日に、アウンサンと同志たちは南機関の支援を得てバンコクにビルマ独立義勇軍を創設。日本軍と共に戦い、1942年3月にラングーンを陥落させ、7月にはビルマから英国勢力を駆逐することに成功しました。これに伴い、ビルマ独立義勇軍をビルマ防衛軍に改組され、バー・モウを中央行政府長官とする日本軍政時代がスタートします。さらに、1943年8月1日、バー・モウを首相とするビルマ国が誕生するとアウンサンは国防相となり、ビルマ防衛軍はビルマ国民軍に改組されました。

 しかし、アウンサンは次第に、ビルマ国の独立国としての地位に疑問を持つようになり、さらに、インパール作戦の失敗などで日本の敗色が濃厚と判断したことから、日本からの離反を決意。1944年8月1日、独立一周年の演説でビルマの独立はまやかしだと発言した後、8月後半にはビルマ共産党、人民革命党と提携して“反ファシスト組織”を結成します。

 1945年3月、北部でビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起すると、アウンサンは、反乱軍に対抗するためとの名目でビルマ国軍をラングーンに集め、同27日、日本軍に対する戦闘を開始。“反ファシスト組織”に属する他の勢力も一斉に蜂起し、連合国とも呼応した抗日運動が開始され、5月にはラングーンを制圧。6月15日には対日勝利を宣言しました。

 第二次大戦後は、ビルマ支配の復活を目論む英国に対して、1946年1月、アウンサンは軍を去って反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)総裁に就任し、英本国政府との交渉をはじめとする独立問題に専念。9月には英領ビルマ政府の行政参事会議長に任命され、国防と外務を担当し、1947年1月27日、彼は英国首相クレメント・アトリーと、1年以内の完全独立を約束する“アウンサン・アトリー協定”に調印。4月に行われた制憲議会選挙では、彼の率いるAFPFLは202議席中196議席を獲得し圧勝します。

 しかし、独立を目前に控えた1947年7月19日、政敵であり前首相のウ・ソオの一味だとされる実行犯によって、6人の閣僚とともに暗殺され、32歳5ヶ月の若さで亡くなりました。

 第二次大戦の勃発から日本の占領時代を経て、戦後のビルマ連邦成立にいたるまでの“アウンサン将軍の時代”は、切手や郵便の面でも面白いものがいろいろとあるので、いずれ、まとめてみたいと前々から思っています。今年は戦後70年でもあるし、ちょうどいいタイミングかもしれませんね。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 メダンのプリズナー
2013-07-12 Fri 12:43
 インドネシア北スマトラ州メダンの刑務所で、きのう(11日)、刑務所内で頻繁に起こる停電と水不足に腹を立てた受刑者が大規模な暴動を起こし、約200人が脱走。事態の収拾のため約700人の警官と兵士が動員され、メダン市内では脱獄した受刑者らの捜索が夜を徹して行われているそうです。というわけで、“メダンのプリズナー”に絡めて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     タイ捕虜収容所葉書・タイプ2(スマトラ宛)     タイ捕虜収容所葉書(タイプ2・スマトラ宛裏面)

 これは、先の大戦中の1944年6月2日、当時ビルマ領内のターマカンにあった泰俘虜収容所第3分所からスマトラ・メダンの女性専用の抑留所宛に差し出された葉書とその裏面です。“スマトラ軍抑留所検閲済”の印が到着時に押されていますが、裏面には1945年8月13日の書き込みがありますので、あと数日で葉書を受け取った女性抑留者は解放されたものと思われます。
 
 第二次大戦中、“泰俘虜収容所”に収容されていた連合国籍の捕虜たちには、検閲作業の効率化をはかるため、あらかじめ、ある程度の文面が印刷された葉書が支給されていましたが、その文面や形式などにはさまざまな形式のものがあることが知られています。

 今回ご紹介のモノは、そのうちのタイプ2と呼ばれているもので、最も基本的なタイプ1の後に使用が開始されたもので、やや薄手の白紙に印刷されています。

 タイプ1の場合、葉書の表面は2色刷りでしたが、タイプ2の表面は黒一色刷で、葉書の上部にはフランス語で捕虜郵便であることを示す“SERVICE DES PRISONNIERS DE GUERRE”の表示が新たに入れられ、「郵便はがき」の日本語表示は外されています。捕虜の通信は一定の条件の下で無料扱いとなるが、そのためには郵便物にフランス語で捕虜の通信であることを明記しなければなりません。タイプ1の葉書では、そうした表示がなかったため、タイプ2の葉書では改善が図られたものと思われます。

 また、日本語での「俘虜郵便」、「泰俘虜収容所」ならびに検閲印の押印欄や差出人の情報や宛名欄の英文表示のデザインなどもタイプ1とは異なっている。なお、収容所名の記入欄には、泰俘虜収容所をそのまま訳したためか、英文で“Thailand”との表示が印刷されていますが、“泰俘虜収容所”の分所はビルマやインドシナにも置かれており、実際には差出地がタイ国内に限定されるものではありません。

 裏面の通信蘭は、“IMPERIAL JAPANESE ARMY”の題字の下に、日付を記入する欄が設けられた。その下にあらかじめ印刷されている文面は以下の通りである。

  あなたの手紙(と   )をありがたく受け取りました。
  健康状態は(良い ふつう 悪い)です。
  病気で入院しています。
  賃金をもらって働いています。(月給を受け取っています)
  働いていません
  (     )によろしくお伝えください。

 捕虜としての収容期間が長引き、捕虜宛に本国からの郵便物や小包が届くこともあったため、それらの受信状況を相手に知らせるための一文が追加されている点もタイプ1との大きな違いとなっています。

 さて、今回の葉書では、差出地の収容所名の個所では、差出人が記入した“SANATORIUM(療養所)”の文字が棒線で抹消されています。裏面を見ると、差出人の健康状態は“良い”ことになっていますが、検閲を慮って、あるいは、葉書を読む妻を心配させまいとして、実態とは異なる記述をしたということなのかもしれません。

 なお、泰俘虜収容所の郵便に関しては、拙著『タイ三都周郵記』でまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ビルマに郵便システム輸出へ
2013-05-19 Sun 17:19
 総務省と日本郵便が、郵便番号制度や物流網の整備などの“日本型郵便システム”を新興国や途上国に売り込むことになりました。その第一弾として、ミャンマー(ビルマ)郵便電信公社への導入が検討されており、明日(20日)、同国のミャト・ヘイン情報通信技術相が訪日し、新藤義孝総務相と会談して協力を確認するそうです。というわけで、きょうは“日本”の文字の入ったビルマ切手ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで確認されます)

       シャン加刷切手カバー

 これは、日本占領下のビルマで、1944年9月16日、シャン地方切手にビルマ文字を加刷した5セント切手を貼ってラングーン宛に差し出されたカバーです。切手が貼られている切手つき封筒は、1943年7月1日、戦前の英領時代のジョージ6世図案の印面を×印で抹消して発行されたものです。

  シャン地方はタイ・ラオス・中国に隣接する高原地帯で、第二次大戦中、旧英領ビルマの一部として日本の占領下に置かれていました。

 シャン地方のうち、モンパンとケントンの2州に関しては、イギリスによって奪われたタイの失地として、1943年8月に調印された「『マライ』及『シャン』地方ニ於ケル『タイ』国領土ニ関スル日本国『タイ』国間条約」により、タイに返還されましたが、残りのシャン地方の所属は未定のままでした。

 これに先立ち、同年8月1日、ビルマでは軍政が廃止され、バーモを首班とするビルマ国が独立しましたが、シャン地方に関しては、タイならびに中国と接する戦略上の要衝であるとの理由から、日本軍が引き続き軍政を継続。このため、シャン地方では、独立ビルマとは別の郵政機関を組織する必要が生じ、“大日本帝国郵便・シャン”と表示された独自の切手が発行されました。これがシャン地方切手です。

 シャン地方切手は10月1日に発行されましたが、その直前の9月25日、「『シャン』地方等ニ於ケル『ビルマ』国領土ニ関スル日本国『ビルマ』国間条約」が調印され、モンパン、ケントンの2州を除くシャン州(現在の南北シャン、ワーに加え、カヤ州がその範囲に相当)は条約調印から90日以内に独立ビルマの領土に編入されることになりました。これを受けて、1944年11月1日、すでに発行されたシャン地方切手にビルマ文字を加刷し、以後、ビルマ全土で使用することになりました。

 今回ご紹介のカバーは、こうした状況の下で1945年2月16日に差し出されたもので、消印の地名表示は不鮮明ですが、“THONZE”のように見えます。

 ところで、今回のビルマへの日本型郵便システムについて報じた記事の中には「ミャンマーでは郵便物が途中でなくなり、数割があて先に届かないという。消印を押したり配達地に仕分けたりするのは職員の手作業なので時間がかかり、郵便番号を書く習慣も浸透していない。」という文章がありました。まぁ、たしかに、かの国の郵便局員のモラルが決して高くはなく、郵便の自動化が遅れていることも事実でしょうが、押印もすべて手作業というのはホントですかねぇ。(少なくともかつては)ビルマでも機械印が使用されていたという実績もありますので、現状で機械印が使われなくなっているということであれば、それは軍政時代の社会の停滞を象徴的に表しているということなんでしょうな。


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 泰緬鉄道、ビルマで復活
2012-12-30 Sun 14:32
 第2時大戦後、ながらく廃線となっていた泰緬鉄道のビルマ(ミャンマー)領内のルートに、ビルマ政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、きのう(29日)、明らかになったそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。

        パヤトンズPOWカバー

 これは、1943年、ドイツ占領下のオランダ・ハーレムノルトからムイデンを経て、泰緬鉄道のビルマ側建設現場宛に近くのシュウヨウショに届けられたカバーです。カバー下部の“No3Gr”の書き込みは名宛人がビルマ側にあった泰俘虜収容所第3分所の管理下に置かれていたことを、また、カバー上部の108の書き込みは、宛先がビルマ側起点のタンビュザヤから108キロの地点にあったパヤトンズ・キャンプであることを示しています。

 戦後、旧泰緬鉄道は維持管理コストがかかりすぎることもあって、ビルマ側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる一部のレールが撤去され、現在では、タイ国鉄のナムトク線、ノン・プラドック=ナムトク間のみが継承されています。このうち、タイ領内の部分に関しては、車をチャーターすればとりあえず鉄道の跡をたどることは不可能ではないのですが、三仏塔峠から先は、国境から2キロ以内までの一時入国しか認められていない状況が長らく続いていました。

 今回明らかにされた鉄道再生計画は、少数民族武装勢力の新モン州党やカレン民族同盟とビルマ政府との停戦協定委が結ばれたことで可能になったもので、計画では、旧泰緬鉄道のほぼ全線が再建される見通しだそうです。すでに、今月中旬からルートの現地調査は始まっており、モン州の州都モールメン(モーラミャイン)周辺には貿易港を整備する計画もあるのだとか。実現の暁には、ぜひとも、現地を訪ねてみたいものです。

 なお、泰緬鉄道の建設に動員された捕虜たちの郵便については、拙著『タイ三都周郵記』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *本日未明、カウンターが115万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 ラカイン州で非常事態宣言
2012-06-11 Mon 23:31
 ビルマ(ミャンマー)西部のラカイン州で、ムスリム(イスラム教徒)と仏教徒の衝突が激化し、6月だけで17人が死亡したことを受け、きのう(10日)、テインセイン大統領は州全域に非常事態宣言を発令しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ラカイン女性

 これは、1990年に発行されたビルマの民族衣装シリーズ(普通切手)のうち、ラカイン族の民族衣装姿の女性が描かれています。なお、これと同じ図案の普通切手が1974年に発行されていますが、今回ご紹介のモノは、正式な国号がミャンマーになったことを受けて、切手の国名表記もビルマからミャンマーに変更して発行されました。

 ビルマ西海岸、ベンガル湾に面したラカイン州の地域は、もともと、ラカイン族の王朝であるミャウウー王朝の支配下に置かれていましたが、1785年、ビルマ人のコンバウン王朝に降伏し、その属国となりました。その後、英国が東南アジアに進出していく過程で、1824年、第1次英緬戦争が勃発すると、ラカイン州族の居住地域は“アラカン”として英国へ割譲されます。さらに、アラカンは英領インド帝国の一地方になり、ビルマが英領インド帝国から分離されて別の直轄植民地になると、英領ビルマの一地方に編入されました。

 第2次大戦後の1948年、ビルマが独立すると、アラカンはビルマ連邦の一部となりましたが、早くも1950年代には分離・独立運動が活発化します。このため、1974年、ネ・ウィン政権は、アラカン地区からラカイン州を構成し、地域の多数派のラカイン族に名目上の自治権を与えました。

 一方、この地域は、バングラデシュと隣接していることもあり、少なからぬムスリム系住民の“ロヒンギャ”が居住していますが、彼らもまた、バングラデシュとの国境地域でイスラム国家の樹立を目指す反政府活動を展開しており、ビルマ政府の弾圧により、多くの難民が発生しています。

 こうした背景の下、先月末、仏教徒の少女がムスリムとみられる集団に乱暴・殺害される事件が発生すると、これに対する報復として仏教徒の集団が6月3日にバスを襲撃し、ムスリム10人が殺害されました。すると、反発したムスリムらが8~9日、仏教徒の民家400軒に放火するなど暴動を起こし、仏教徒ら7人が死亡。衝突は州都シットウェにも拡大し、治安部隊が出動し暴徒に向けて発砲する事態となっていました。

 今回の非常事態宣言はこうした状況を受けてのことですが、今後の状況いかんによっては、現政権が進めている“民主化”や“国民統合”が妨げられる可能性も否定できないだけに、今後の動向が注目されるところです。

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 28年ぶりの訪日
2012-04-21 Sat 21:29
 ビルマ(ミャンマー)のテイン・セイン大統領が、同国の国家元首として28年ぶりに来日しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ヘンザダ加刷

 これは、いわゆる太平洋戦争初期の1942年5月に発行された“ピーコック加刷”切手です。

 日中戦争下において、いわゆるビルマ・ロードが蒋介石政権にとって重要な物資補給路となっていたため、日本側はビルマ・ロードによる米英の対中支援を遮断するためにさまざまな策を講じました。その一環として、ビルマの独立運動を支援することが計画され、1941年2月、陸軍大佐・鈴木敬司を長とする“南機関”が樹立され、独立の志士、アウンサンらとともに、ビルマ独立計画が動きだすことになります。

 同年12月8日、日本がイギリスに宣戦を布告すると、同月28日、アウンサンを中心とする140名のビルマ独立義勇軍が(BIA)がバンコクで編成されました。BIAは日本軍とともにビルマに進撃し、彼らが前進していくにつれ、多くの義勇兵たちがこれに参加しました。

 こうして日本軍とBIAは1942年3月7日、ヤンゴン(ラングーン)を占領し、4月末までに、ペグー、トングー、レパダウン、アラウンミョー、イェナンジョン、ロイコー、ラシオ、及びマンダレーの各地を占領します。

 こうした状況の下で、1942年5月、ビルマ南部のイラワジ川周辺のデルタ地帯では、BIAを中心とした治安維持委員会管理下のヘンザダで、開戦以前の英領ビルマ切手にビルマの国鳥であるクジャクを加刷してジョージ6世の肖像を抹消した切手が発行されました。これが、いわゆる“ピーコック加刷切手”で、今回ご紹介のモノはヘンザダ局で加刷された1枚です。

 さて、現在訪日中の大統領ですが、今日(21日)の夕方、野田首相と会談。会談後、その結果、首相は、1987年以降凍結していた円借款の25年ぶりの再開や、同国向け債権約5000億円のうち3000億円の返済免除、インフラ整備の支援などを盛り込んだ共同声明を発表したほか、ラングーン郊外の経済特区ティラワの開発計画策定に向けた覚書に署名しました。

 ビルマでは、現在なお、BIAに対する日本の支援や日本占領下でのバーモ(バモオ)政権の独立などの体験が、結果的に、戦後の独立に大きな役割を果たしたという認識があります。もちろん、日本によるビルマ占領は、基本的には、日本の国益のために行ったことであり、ビルマ人にとって外国人による占領体験が歓迎されざるものであるとはいえ、占領時代のプラスの面も公平に評価してくれているのは日本人として嬉しいことです。

 ビルマの民主化については、現時点では形式的なものにすぎないとの批判があることも事実ですが、ともかくも先日の選挙が粛々と行われたように、大きく逆行することはないでしょう。少なくとも、軍事政権を国際的に孤立化させた結果、中国と軍事政権との関係が強化され、中国がミャンマーの利権を独占してきたという状況が変化することが、わが国とって好ましいものであるのは言うまでもありません。その意味でも、今回の日本の支援が、結果的に良い方向に向かってほしいものですな。


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 下記の通り、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。

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 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

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 詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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 アウン・サン・スー・チー当選
2012-04-02 Mon 12:14
 きのう(1日)投開票が行われたミャンマー連邦議会の補欠選挙で、野党・国民民主連盟(NLD)を率いる民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーが当選したほか、NLDが(彼らの独自集計によれば)補選対象45議席のうち44議席を獲得し、圧勝する見込みです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        QVラングーン消

 これは、ラングーン(ヤンゴン)で使用された英領インド切手です。

 イギリスによるビルマ植民地化の端緒となった第一次英緬戦争が1824年に勃発すると、イギリスはヒチンス大尉をラングーン駐留部隊のための郵便を取り扱う責任者に任命。マドラスまたはカルカッタ経由での本国との通信を開始しました。ただし、この時点では、郵便印にビルマ域内の地名の表示はなく、当時のビルマ域内からの差出であることを特定するためには差出人による書込みによるしかありません。

 ビルマ域内からの郵便物であることが郵便印によって各印できるようになるのは1834年以降のことです。初期の印には地名の表示はありませんが、料金支払い済みを示す“Paid”ないしは“Bearing”の字体などにより区別することが可能です。

 1854年、インドで全土を対象とした最初の切手が発行されると、それらの切手はビルマにも持ち込まれて使用されるようになり、翌1855年11月からは、局名を記号で表した消印(たとえば、ラングーンはB156)も使用されています。

 その後、第3次英緬戦争により、1886年、コンバウン王朝が滅亡してビルマ全土は英領インド帝国に併合。以後、1937年に英領ビルマが本国のビルマ省とインド・ビルマ大臣により、インドとは別個に支配されることになるまで、ビルマでは無加刷の英領インド切手が使用されました。

 さて、NLD圧勝という結果に終わった今回の選挙に関しては、補選の議席数は全体の6.5%にすぎず、現政権へのダメージは最小限にとどまるものとみられています。とはいえ、選挙そのものは比較的まともに行われたようで、3人のスタッフが選挙監視に参加した日本外務省の佐々山拓也南東アジア第1課長は「選挙そのものは平穏に行われたようだし、大きな混乱なく終了しつつある」と話しています。また、ともかくも、アメリカやEU諸国も、今回の選挙が自由かつ公正に実施された場合、過去20年間にわたって続けてきた経済制裁を一部解除する可能性を示していましたので、おそらく、制裁解除の方向に向かうことになるのでしょう。これにより、軍事政権を国際的に孤立化させた結果、中国と軍事政権との関係が強化され、中国がミャンマーの利権を独占してきたという状況が変わるのなら、それはそれで一歩前進といえなくもありません。

 ただし、(一部とはいえ)制裁解除となると、これまで、軍事政権の正統性について疑義を唱えるという立場から、1989年に軍事政権が採用した国名のミャンマーではなく、それ以前のビルマをかの国の国名として使い続けるという一部メディアの表記も変更されることになりそうです。

 このブログでも、これまでは、主としてビルマという国名表記を使ってきましたが、これは、軍事政権云々ということもさることながら、ブログで取り上げる切手やカバーの地名表示は圧倒的に“ビルマ”が多いため、それにあわせて、ミャンマーやヤンゴンより、ビルマやラングーンと書く方が分かりやすいと考えていたためです。

 まぁ、ミャンマーは書き言葉、ビルマの元になったバマーは話し言葉で、文字としての表記は同じだということですから、今後もビルマで押し通してもいいのでしょうが、さて、どうしたものですかねぇ。ちょっと悩むところですな。
 
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 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

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・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

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