FC2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 當山久三 生誕150年
2018-11-09 Fri 01:06
 1868年11月9日、“沖縄海外移民の父”とされる當山久三が生まれてから、きょう(9日)でちょど150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハワイ移住70年

 これは、1969年12月5日、米施政権下の沖縄で発行された“ハワイ移住70年”の記念切手で、當山久三の銅像とハワイおよび沖縄の地図が描かれています。

 當山は、1868年11月9日、琉球王国時代の金武間切(現沖縄県金武町)並里生まれ。1882年、金武小学校が創立されると一期生として入学し、成績優秀につき2年で卒業。その後、沖縄県尋常師範学校に進学し、1890年に同校を卒業して羽地尋常小学校(現名護市立羽地小学校)に赴任しました。1893年には母校の金武小学校に転任しましたが、本土出身の同僚教員の沖縄人差別に憤慨し、1895年に辞職。その後は、ごく短期間、並里の総代を務めましたが、ほどなくして山中で晴耕雨読の生活に入ります。

 1898年、上京中、たまたま入手した『植民論』に感銘を受け、沖縄の食糧問題・人口問題解決のためには海外移民事業が必要と確信。さらに、田中正造を面識を得て、日本本土からハワイへの移民についての情報を収集したほか、沖縄出身の社会運動家謝花昇と知り合い、謝花とともに同志を募って政治結社・沖縄倶楽部を結成しました。

 1899年3月の帰郷後は、沖縄倶楽部の機関紙『沖縄時論』の発行に携わり、県知事・奈良原繁の県政に批判的な主張を展開していましたが、海外移民事業を実現するためには県知事の許可が必要だったため、県知事を粘り強く説得。1899年12月5日、沖縄初の海外移民30名を那覇港からハワイに送り出しました。

 このときの移民30名は、翌1900年1月8日にホノルルに到着し、そこからオアフ島へ渡りましたが、うち4名が移住のための検疫に合格せず強制送還されたほか、契約移民だったため、移民の条件も劣悪でした。そこで、當山は、1903年の第2回ハワイ移民団を組織して自らも同行し、ハワイ島・オアフ島に6か月滞在して現地視察を行いました。これにより、移民の待遇は改善され、1904年以降、當山はフィリピンへの移民も手がけるようになります。

 しかし、1908年、日米紳士協定が締結され、日本からのハワイ移民が事実上禁止されるようになったたため、當山は移民事業を廃業し、酒造業兼養豚業に転業。 翌1909年には、沖縄県で初めて行われた県議会議員の選挙に国頭郡から立候補し、トップ当選を果たしたものの、翌1910年9月17日、与那原で病死しました。享年43。

 當山の銅像は、1931年、在米移民らの寄付金により、金武村役場裏手の丘(雄飛の森)に建立されたのが最初です。この銅像は、1944年の金属類回収令により撤去されてしまいましたが、1961年、切手に描かれた現在の像が建てられ、現在に至っています。

 なお、今回ご紹介の切手は、当初、第1回移民がハワイに到着した1900年から起算して70年となる1970年に発行される予定でしたが、移民が那覇港を出発した1899年から起算して70周年の1969年に発行されることになったため、すでに刷り上がっていた切手の“1970年”の年号を抹消し、“1969”の年号が加刷されました。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
スポンサーサイト
別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 明治神宮の切手
2018-11-03 Sat 01:45
 きょう(3日)は旧明治節(明治天皇の誕生日で1947年までの祝日)です。というわけで、明治神宮の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      富山印・明治神宮

 これは、終戦直後、米軍政下の沖縄・宮古地区で発行されたもので、明治神宮を描く戦前の8銭切手に通信部長・富山常仁(とみやま・じょうじん)の印を押した暫定切手です。

 終戦直後の宮古島には、1945年12月8日、米海兵隊が進駐して軍政を開始しましたが、これに伴い発足した宮古群島郵便局では戦前と同様、日本切手を用いての郵便が継続して行われていました。ちなみに、沖縄戦で完全に破壊された沖縄本島では、現実の問題として貨幣経済を行うことが困難で、住民は米軍に労働力を提供して物資を得るという“無貨幣経済”が行われていたため、1945年9月に郵便が再開された際にも、料金は全て無料でした。

 1946年1月29日、GHQが「外郭地域分離覚書」を発し、宮古群島を含む北緯30度以南の南西諸島の行政権を日本から分離すると、1946年2月1日から1948年6月30日まで、宮古地区では切手の収入減を明確にするため(日本時代に売られていた切手と、米軍政下で売られた切手を区別するため)、今回ご紹介したような“富山印”の暫定切手が使われました。

 その後、戦前の状態を基準とする沖縄の経済復興政策を進めていた米軍当局は、1948年6月、B型軍票円(戦前の日本円と等価交換された米軍政府発行のB型軍票を基準とする通貨)を琉球列島全域に共通する法定通貨とします。これに伴い、同年7月1日、新通貨のB円に対応すべく、全琉球統一の“琉球切手”が発行され、富山印切手を含む琉球各地の暫定切手類は使用禁止となりました。


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 石垣市長選、現職・中山氏3選
2018-03-12 Mon 01:09
 きのう(11日)、投開票が行われた沖縄県石垣市長選は、与党などが支援する現職の中山義隆氏(自民、公明、維新推薦)が、翁長雄志知事が支える前市議の宮良操氏(民進、共産、自由、社民推薦)ら新人2人を破り、3選を果たしました。というわけで、きょうは石垣市(石垣島)関連でこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・宮良殿内

 これは、1964年11月1日、米施政権下の沖縄で発行された“文化財保護協調週間”の切手で、石垣島の石垣港の北400メートルの地点にある宮良殿内(みやらどぅんち、めーらどうぬじい)が描かれています。

 宮良殿内は、宮良家8世の宮良親雲上当演が宮良間切の地頭職(八重山頭職)にあった1819年頃、首里の士族屋敷を真似て建造されました。ちなみに、殿内とは地頭職の者の邸宅のことです。

 宮良殿内の敷地面積は462坪。屋敷は石垣で囲われ、南面には四脚門と、瓦と土を積んだ仕切り屏があります。母屋はイヌマキを主材とした木造瓦葺・平屋建で、部屋数は12間。一番座(客間)の東側には、首里の庭師・城間親雲上の作とされる和風の枯山水庭園があり、国の名勝に指定されています。

 かつての琉球王国では、厳格な身分制度が敷かれており、住宅についても階級によって細かな規定がありました。宮良殿内は、この規定に比べて、八重山頭職には分不相応として、5回にわたって取り壊しを命じられました。これに対して、宮良家は抵抗をしていましたが、1875年、検使の譴責により茅葺に葺替えられてしまいました。その後、1899年には再び瓦葺に戻され、現存する唯一の殿内構造の建築として、資料的にも重要な価値を持っています。 

 
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 名護市長に渡具知武豊氏
2018-02-05 Mon 11:07
 きのう(4日)、投開票が行われた沖縄県の名護市長選は、新人で元市議の渡具知武豊氏(自民、公明、維新推薦)が、現職の稲嶺進氏(民進、共産、自由、社民推薦、立憲支持)を破って初当選しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第8回九州各県対抗陸上大会(名護灣)

 これは、1960年11月6日、米施政権下の沖縄で発行された“第8回九州各県対抗陸上大会”の記念切手のうち、名護湾と聖火を描く3セント切手です。

 今回ご紹介の切手の題材となった陸上大会は、1960年11月6-7日の両日、1958年に完成したばかりの名護町(当時)営陸上競技場で行われました。ちなみに、現在の名護市は、復帰直前の1970年8月、名護町・羽地村・久志村・屋部村・屋我地村の5町村が合併して誕生したもので、切手発行の時点では、米軍普天間飛行場の移転が予定されている大浦湾に面した辺野古(沖縄本島東岸)は久志村に属していました。切手に描かれた名護湾は、大浦湾とは反対側、沖縄本島の西岸にありますが、市役所をはじめ名護市の中心はこちらになります。

 今回の名護市長選では、米軍基地の移設問題が最大の争点とされていましたが、選挙戦で渡具知氏は「基地問題にこだわり過ぎ、経済を停滞させた」と稲嶺市政を批判し、学校給食費の無償化や観光振興などを中心に訴えて、当選を果たしました。これに対して、稲嶺氏は「残念ながら、辺野古移設の問題がなかなか争点となりえなかった」と話したそうですが、そもそも、そうした姿勢が「基地問題にこだわり過ぎ」として名護市民の支持を失った現実を理解しない、ないしは、認めようとしない時点で、負けるべくして負けたと言ってよいでしょう。

 ところで、今回ご紹介の切手の題材となった陸上大会は、米施政権下の沖縄において、公式の場で初めて日章旗が掲揚されたイベントとしても知られています。

 すなわち、1945年、米軍に占領され、日本の施政権下から切り離された沖縄では、当初、日章旗の掲揚が全権的に禁止されていました。

 しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発し、1952年には対日講和条約が発効したことを受けて、米国は沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調する方向に政策を転換。それに伴い、1952年には「個人の家屋や政治的な意味をもたない私的な会合における日本国旗の掲揚」が許されました。

 しかし、その後も公の場での日章旗掲揚は禁じられていたため、1958年5月に東京で開催された第3回アジア競技大会の際には、フィリピンで採火された聖火が沖縄でもリレーされたものの、聖火が通過する沿道は“公共の場”として日章旗の掲揚紙読められませんでした。

 このため、1960年7月、池田勇人内閣の外務大臣に就任した小坂善太郎は、沖縄の学校において日章旗の自由な掲揚を許可するよう米国側に働きかけましたが、琉球列島高等弁務官のドナルド・ブースは、「我々は琉球を、日本とのパートナーシップや信頼において統治しているのではない」「どのような国旗も、絶対の政治的シンボルとして、すべての人々に強い国民的感情を正当なものとして呼び起こさせる」などの理由から、小坂の要請を却下。ただし、11月に名護で開催される陸上大会に関しては、日本選手も多数参加することから、あくまでも“例外”としてして日章旗の掲揚が認められます。この実績を踏まえ、翌1961年、“住民の祝祭日”制度が導入されたのを機に、ようやく、法定の祝祭日に限って公共建物にも日章旗の掲揚が認められるようになりました。

 * 昨晩、アクセスカウンターが188万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  
 

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は8日!★★

 2月8日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第15回が放送予定です。今回は、平昌五輪の開幕前日ということで、平昌のある江原道にちなみ、金剛山の切手についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 蚊の日
2017-08-20 Sun 16:57
 きょう(20日)は、1897年8月20日に英国の細菌学者ロナルド・ロスが、羽斑蚊類の蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見したことにちなむ“蚊の日”だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・国際マラリア防遏事業(3c)

 これは、1962年4月7日に米施政権下の沖縄で発行された“国際マラリア防遏事業”の切手のうち、マラリアを媒介するハマダラカを写実的に取り上げた3セント切手です。

 1948年に発足した世界保健機構(WHO)は、1955年から、世界各地でDDT散布を行うなど、大規模な“マラリア撲滅キャンペーン”を行っていました。それが一定の成果を上げたことから、WHOはさらなる啓発活動の一環として、加盟各国に対して、1962年4月7日(WHOの創立記念日)に記念のキャンペーン切手を発行することを提唱。これを受けて、主として、熱帯・亜熱帯のマラリア被害の深刻な地域でマラリア関係の切手が一斉に発行されました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 さて、沖縄では、歴史的に八重山諸島、特に石垣島の北側(裏石垣)と西表島がマラリアの蔓延する地域として恐れられていました。

 1944年10月、石垣島への空襲が始まり、1945年3月には連合国軍が慶良間諸島に上陸。そこから主戦場は沖縄本島とその周辺に移るものの、その間、八重山地区は激しい空襲と艦砲射撃にさらされ続けます。

 そうした中で、八重山地区最南端の波照間島では、3月下旬、米軍上陸の可能性が高まったとして、全住民に対して西表島南部の南風見田への疎開が命じられました。しかし、疎開先として指定された南風見田はマラリアの発生地域で、1920年にそのために廃村に追い込まれたという経緯があったため、住民の多くは疎開に反対しましたが、最終的には軍の命令ということで、やむな糞會を受け入れています。また、4月初頭には、ほぼ同様のことが黒島でも行われています。

 さらに、1945年5月下旬、日本軍第32軍が司令部のあった首里を離れ本島南部方面に敗走したため、八重山軍は台湾の第10方面軍の直轄下に移されます。第10方面軍は沖縄本島の次は八重山が攻撃を受ける可能性が高いと判断し、一般住民の山岳地域への避難を命じられました。

 いずれの場合も、疎開を余儀なくされた住民たちは、マラリア発生地域での不衛生な環境での共同生活を余儀なくされたため、疎開者の全人口の半数を上回る1万7000人がマラリアに罹患し、3000人以上が死亡(特に、波照間島の住民1590人に関しては、1587人がマラリアに罹患し、477人が死亡)しています。

 このように、いわゆる沖縄戦の時期に疎開した一般住民がマラリアに罹患して多数が死亡したことは、“戦争マラリア”と呼ばれており、八重山では戦争の悲劇の象徴として現在なお語り継がれています。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は24日★★★ 

 8月24日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第7回が放送予定です。今回は、放送日が独立記念日のウクライナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、高校野球の順延などにより、24日の放送がなくなる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 きょうから<Bandung 2017>
2017-08-03 Thu 02:48
 きょう(3日)から7日まで、インドネシア・バンドンのトランス・ステュディオ・コンヴェンション・センター(Trans Studio Convention Centre)で、世界切手展<Bandung 2017>が開催されます。というわけで、同展のロゴマークと併せて、この切手をご紹介します(画像はクリックで拡大されます)

      バンドン展・ロゴ  沖縄・オオゴチョウ

 左は、今回の切手展のロゴマークで、開催地のバンドン市の花“オオゴチョウ”をデザイン化したものだそうです。右側には、そのオオゴチョウを取り上げた1971年発行の琉球切手を貼っておきました。ちなみに、沖縄では、オオゴチョウは、サンダンカ、デイゴとともに三大名花として“県の花”にも指定されています。

 オオゴチョウは西インド諸島原産とされるマメ科ジャケツイバラ属の植物で、高さは2-5m。枝分かれは少なく、幹には鋭い棘があり、枝先に円錐花序を出し、赤橙色の花をつけます。花径は4cmほどで、雄しべと雌しべが長く突き出して蝶が舞うように見えることから、和名の“黄胡蝶”の名がつきました。

 さて、インドネシアで世界切手展が開かれるのは、2012年にジャカルタで開催された<INDONESIA 2012>以来5年ぶりのことで、展示フレーム数は約1900フレーム。日本からは、文献を除き、19作品・119フレームが出品されており、審査員として正田幸弘さんと井上和幸さん(アプレンティス)が、コミッショナーとして山崎好是さんと不肖・内藤が参加しています。

 日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さん、伊藤文久さん、増山三郎さんのご協力も得て無事に済ませ、無事、会場に並んでいます。下左の写真は、ビンルームでの作品の際のチェック風景、同右は、展示作業終了後、今回の日本からの出品の目玉である“龍500文逆刷”を含む山田コレクションの前で撮影したものです。

      バンドン展・ビンルーム  バンドン展・展示作業

 きょうは午前9時からコミッショナーのミーティングがあり、その後、オープニング・セレモニーに出席します。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になり次第、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。

 【追記】
 3日午前10時から行われたオープニング・セレモニーでは、冒頭、切手展の成功を祈願してコーランの朗誦がありました。

      バンドン展・コーラン朗誦

 イスラム圏で開催された国際切手展には、過去にも何度か参加しましたが、オープニング・セレモニーでコーランの朗誦を見たのは今回が初めてです。前回、2012年の切手展の際には、ジャカルタ市内のコンビニで自由にビールが買えましたが、2015年の法改正でコンビニでのビールの販売が禁止となったとかで、食生活にはちょっと不便を感じているのですが、そうしたことと併せて考えてみると、インドネシア社会全体で、イスラム的な価値観を重視傾向が強まってきていることの表れということなのかもしれません。ちなみに、今回は、セレモニーの最後に、関係者が書類にサインをして、それを参加者に披露するというのが開会の儀式で、テープカットをしたり、銅鑼を叩いたり…といったわかりやすいアクションはありませんでした。

      バンドン展・オープニング


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 豊見城でのAKB 開票イベント中止
2017-06-16 Fri 18:05
 AKB48は、きょう(16日)、あす17日に沖縄・豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチで開催予定だった“第9回AKB48選抜総選挙”開票イベントおよびAKB48グループコンサートを中止することを発表しました。梅雨前線の停滞の影響で、沖縄本島で記録的な豪雨が続いており、あすの現地の天気も「昼前から夕方 雷を伴い激しく降る」で降水確率80%、雷注意報が発表される可能性が高いため、安全を最優先にした結果だそうです。というわけで、会場に予定されていた豊崎美らSUNビーチにちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハーリー

 これは、1969年9月5日、米施政権下の沖縄で発行された民俗行事シリーズの“ハーリー(爬龍)”の切手です。

 ハーリーは、いまから約600年前、南山王国(現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国。山南王国とも)の王子で、明の南京国子監に留学した汪応祖(後の第3代南山王。在位は1403?-13)が、留学中に見た龍船を模した船、爬龍船を作らせ、5月初、城下の饒波川河口(漫湖)に浮かべ、競わせたのが始まりとされています。また、豊見城で最初に作られた龍船は、そのころ、中国・福建省から渡来した久米(閩人36姓)がつくったとの説もあります。

 中華世界では、旧暦5月5日の端午節にはドラゴンボートの競漕行事(祭事)が行われますが、これは、端午節に入水自殺した屈原を助けようとした漁民がドラゴンボートを使ったという伝承があるためです。これに対して、ハーリーは、旧暦5月4日、航海の安全や豊漁を祈願する神事として豊見城で始まり、そこから沖縄各地、さらには徳之島などへも拡大していきました。

 現在でも、ハーリーには神事としての側面が残っているため、ハーリーの開催に先立ち、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、ハーリー発祥の地、豊見城の豊見瀬嶽(御嶽)で、那覇ハーリーと豊見城ハーリーの成功と五穀豊穣を祈願し、祈祷と供物、ハーリー歌や空手を奉納する古式行事が行われています。

 その一方で、現在のハーリーには競漕競技および観光イベントとしての側面もあるため、大会そのものは必ずしも旧暦5月4日にはこだわらず、4-5月のゴールデンウィークや祝祭日、夏休み期間中の日曜日などに行う地域もめずらしくありません。じっさい、ハーリー発祥の地とされる豊見城の今年のハーリー大会は、7月16日、今回のAKB48 のイベント会場となるはずだった豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチの北側で開催が予定されていますが、この日は旧暦では6月23日にあたります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 神社を描いた沖縄切手
2017-05-15 Mon 11:32
 きょう(15日)は、1972年5月15日に沖縄が日本に復帰した記念日です。というわけで、日本本土と沖縄との歴史的な結びつきを示すものとして、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・甘藷伝来三五〇年

 これは、1955年11月26日、米施政権下の沖縄で発行された“甘藷伝来三百五十年”の記念切手です。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、その前後から、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開。これに対抗すべく、米国は、自らが直接統治している沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調するようになります。

 このため、1953年にはペルリ来流100年祭が沖縄で行われ、沖縄を経由して日本を開国させたマシュー・ペリーの存在は、米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになりました。

 今回ご紹介の“甘藷伝来三百五十年”の切手も、そうした文脈に沿って発行されたものです。

 サツマイモがフィリピンから中国大陸に伝来したのは1594年とされているが、沖縄本島へは、それから約10年後の1605年、野國總管によって伝えられたとの記録があります。

 野國總管は、“野國村(現嘉手納町)出身の總管(琉球から明に朝貢する「進貢船」使節の事務長)”という意味で、1605年の時点でこの職にあった人物の本名などはわかっていません。17世紀末に書かれた『麻姓家譜』によると、「總管野國、唐土より鉢に藩薯を植えて帯来」し、その噂を聞きつけた儀間真常が總管に栽培法を教わったことで、数年後の飢饉の際に穀物の代わりにサツマイモが普及することになった旨が記されています。

 その後、1611年、琉球王・尚寧が薩摩兵の送別の宴席で甘藷を振る舞いって喜ばれたため、帰国の際に生の甘藷を贈呈したとの記録があるほか、1698年、琉球王・尚貞から甘藷を送られた種子島の島主・種子島久基が家老の西村時乗に栽培を命じ、日本本土での甘藷栽培が始まったとされています。

 さて、今回ご紹介の切手は總管を祀った野國總管神社の社殿とサツマイモを描くことによって、琉球伝来のサツマイモが日本本土に広まっていったのと同時に、日本の神道が沖縄においても大きな影響力を持っていた(いる)ことを表現しており、日本本土と沖縄の交流関係の深さを改めて示すものです。

 ちなみに、戦後日本の郵政当局は、『日本国憲法』第20条の信教の自由と政教分離原則 の関係上、特に神道関連の施設を切手に取り上げることに神経質となっており(じっさい、切手に鳥居が描かれていることに抗議して、行政監察局に切手の発売禁止勧告を求める申し立てを行った人もいました) 、今回ご紹介の切手が発行された1955年の時点では日光東照宮の陽明門を描く45円切手(1952年発行)を除くと、鳥居や社殿を描く切手などは一切発行されていません。

 米軍施政権下の沖縄では、日章旗の掲揚は原則として禁止されていましたが、そうした沖縄の切手で、日本本土ではタブー視されていた“神社”が堂々と発行されているという逆転現象は、非常に興味深いものと思われます。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 ふんどしの日
2017-02-14 Tue 12:46
 きょう(14日)は、2と14で“ふんどし”と読む語呂合わせから、日本ふんどし協会(2011年12月14日設立)が制定した“ふんどしの日”です。というわけで、昨年同様、“ふんどしの日”を祝して、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・航空(赤風神)

 これは、1961年9月21日、米施政権下の沖縄で発行された航空切手で、ふんどし姿で風を吹かせている赤色の風神が描かれています。沖縄では、1959年10月15日に海外向け郵便料金が改正されましたが、新料金に対応した切手の発行は遅れ、今回ご紹介の切手を含む“天女・風神航空”の切手が発行されるまでは、加刷切手でしのいでいました。なお、今回ご紹介の切手の27セントは米本土、アラスカ、カナダ、中近東など宛の航空書状の料金に相当しています。

 日本絵画の伝統では、風神は大きな袋を持った鬼の姿で描かれます。俵屋宗達の『風神雷神図』(屏風)はその代表的な事例ですが、宗達の風神は袴のようなものを着用しており、褌そのものは見えません。これに対して、今回ご紹介の切手に取り上げられた山田真山の風神は褌がしっかりと見えるので、“ふんどしの日”に相応しい1枚といえましょう。

 切手の原画を制作した山田真山は、1885年、沖縄県那覇市生まれ。本名は渡嘉敷兼慎です。幼くして父を亡くし、貧困の中、石垣や西表島などを転々として生活していましたが、空き缶で作った船の出来栄えに感心した大工の親方に見込まれて養子となり、
東京で大工としての修業をはじめました。

 しかし、柱にカンナをかけていた際、柱の節が人の顔に見えてきたため、思わずその顔を彫りこんでしまったことから、用かを放逐され、絵はがきの絵をかく店で働き、牛乳配達をしながら資金をため、20歳の時に、東京美術学校に入学。彫刻家・山田泰雲(高村光雲の弟子)に塑像を学び、後に、泰雲に見込まれて養子となって“山田真山”と名乗るようになりました。

 美術学校卒業後、真山は中国・北京の美術学校の教師となり、帰国後、小堀鞆音に日本画を学びます。小堀は、東京・明治記念聖徳絵画館の壁画、「東京御著輦」を制作しましたが、その縁で、1924年、同館の壁画「琉球藩設置の図」を描いて、一躍、脚光を浴びました。

 その後、故郷の沖縄に戻り、1945年には沖縄戦を体験。その経験を踏まえ、戦没者の慰霊と人類の平和を願い、世界100カ国の霊石を集め、1957年から高さ21m の観音像(平和祈念像)の制作を始め、20年の歳月をかけて完成させました。また、「郷土の文化を守る会」の会長として文化遺産の収集、再興に尽力しています。

 さて、相撲のまわしまで含めると、ふんどし姿の男性を描く切手はいろいろとあります。やはり日本男児たるもの、毎年2月14日には、そうした切手を毎年1枚ずつご紹介していこうかと思いますので、よろしくお付き合いください。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 沖縄慰霊の日
2015-06-23 Tue 11:09
 きょう(23日)は、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむ“沖縄慰霊の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄戦跡政府立公園

 これは、1971年に米施政権下の沖縄で発行された「政府立公園シリーズ」のうち、“沖縄戦跡政府立公園”の切手で、沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘が描かれています。

 1945年5月、米軍の攻撃により、日本の陸軍第32軍総司令部は首里城の地下壕から沖縄本島南端部(島尻)に撤退。その後、島尻では狭隘な地形に敵味方が入り乱れる激しい戦闘が展開されましたが、6月23日、司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより日本軍による組織的な抵抗は終了しました。

 米施政権下の琉球政府は、1965年、最後の激戦地となった摩文仁の丘一帯を、今回ご紹介の切手に表示されているように、“沖縄戦跡政府立公園”に指定。その後、1972年の沖縄の祖国復帰に伴い、同公園は“沖縄戦跡国定公園”に指定されました。現在、同公園は、摩文仁地区の沖縄平和祈念公園、糸満市米須霊域(平和祈念公園から2.5km 南西)、ひめゆりの塔(糸満市米須霊域の北)の3地域の計81.3平方キロ(陸域31.27平方キロ、海域50.03平方キロ)から構成されており、多くの慰霊施設・慰霊碑・慰霊塔が設置されています。

 ちなみに、6月23日が“沖縄慰霊の日”となっているのは、牛島中将の自決の日であるというのがひとつの根拠となっていますが、自決の日に関しては、6月22日説と23日説があります。また、現実の問題として、1945年6月23日以降も沖縄ではゲリラ戦が続き、多くの人々が犠牲になりました。それゆえ、米軍の沖縄戦終了宣言がなされたのは7月2日ですし、日米両軍の司令官が沖縄で公式に降伏文書の調印をおこなったのは9月7日(本土より1週間遅れ)です。このため、沖縄県の施設である“平和の礎”では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としています。さらに、1961年に当時の琉球政府が“慰霊の日”を定めた際、当初の日付は6月22日でした。

 ところが、1965年、突如、“慰霊の日”の日付は、現在の6月23日に変更され、それがそのまま定着することになりました。一説によると、6月23日は日本本土の反安保デー(1960年の新安保条約批准書交換の日)だったことから、本土の左翼勢力が圧力をかけ、“反米”の観点から、これにあわせて“慰霊の日”を変更させたともいわれています。その真偽のほどは定かではありませんが、たしかに、唐突な日程の変更というのは、いろいろな憶測を呼ぶでしょうな。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/