内藤陽介 Yosuke NAITO
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 神社を描いた沖縄切手
2017-05-15 Mon 11:32
 きょう(15日)は、1972年5月15日に沖縄が日本に復帰した記念日です。というわけで、日本本土と沖縄との歴史的な結びつきを示すものとして、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・甘藷伝来三五〇年

 これは、1955年11月26日、米施政権下の沖縄で発行された“甘藷伝来三百五十年”の記念切手です。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、その前後から、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開。これに対抗すべく、米国は、自らが直接統治している沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調するようになります。

 このため、1953年にはペルリ来流100年祭が沖縄で行われ、沖縄を経由して日本を開国させたマシュー・ペリーの存在は、米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになりました。

 今回ご紹介の“甘藷伝来三百五十年”の切手も、そうした文脈に沿って発行されたものです。

 サツマイモがフィリピンから中国大陸に伝来したのは1594年とされているが、沖縄本島へは、それから約10年後の1605年、野國總管によって伝えられたとの記録があります。

 野國總管は、“野國村(現嘉手納町)出身の總管(琉球から明に朝貢する「進貢船」使節の事務長)”という意味で、1605年の時点でこの職にあった人物の本名などはわかっていません。17世紀末に書かれた『麻姓家譜』によると、「總管野國、唐土より鉢に藩薯を植えて帯来」し、その噂を聞きつけた儀間真常が總管に栽培法を教わったことで、数年後の飢饉の際に穀物の代わりにサツマイモが普及することになった旨が記されています。

 その後、1611年、琉球王・尚寧が薩摩兵の送別の宴席で甘藷を振る舞いって喜ばれたため、帰国の際に生の甘藷を贈呈したとの記録があるほか、1698年、琉球王・尚貞から甘藷を送られた種子島の島主・種子島久基が家老の西村時乗に栽培を命じ、日本本土での甘藷栽培が始まったとされています。

 さて、今回ご紹介の切手は總管を祀った野國總管神社の社殿とサツマイモを描くことによって、琉球伝来のサツマイモが日本本土に広まっていったのと同時に、日本の神道が沖縄においても大きな影響力を持っていた(いる)ことを表現しており、日本本土と沖縄の交流関係の深さを改めて示すものです。

 ちなみに、戦後日本の郵政当局は、『日本国憲法』第20条の信教の自由と政教分離原則 の関係上、特に神道関連の施設を切手に取り上げることに神経質となっており(じっさい、切手に鳥居が描かれていることに抗議して、行政監察局に切手の発売禁止勧告を求める申し立てを行った人もいました) 、今回ご紹介の切手が発行された1955年の時点では日光東照宮の陽明門を描く45円切手(1952年発行)を除くと、鳥居や社殿を描く切手などは一切発行されていません。

 米軍施政権下の沖縄では、日章旗の掲揚は原則として禁止されていましたが、そうした沖縄の切手で、日本本土ではタブー視されていた“神社”が堂々と発行されているという逆転現象は、非常に興味深いものと思われます。


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 ふんどしの日
2017-02-14 Tue 12:46
 きょう(14日)は、2と14で“ふんどし”と読む語呂合わせから、日本ふんどし協会(2011年12月14日設立)が制定した“ふんどしの日”です。というわけで、昨年同様、“ふんどしの日”を祝して、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・航空(赤風神)

 これは、1961年9月21日、米施政権下の沖縄で発行された航空切手で、ふんどし姿で風を吹かせている赤色の風神が描かれています。沖縄では、1959年10月15日に海外向け郵便料金が改正されましたが、新料金に対応した切手の発行は遅れ、今回ご紹介の切手を含む“天女・風神航空”の切手が発行されるまでは、加刷切手でしのいでいました。なお、今回ご紹介の切手の27セントは米本土、アラスカ、カナダ、中近東など宛の航空書状の料金に相当しています。

 日本絵画の伝統では、風神は大きな袋を持った鬼の姿で描かれます。俵屋宗達の『風神雷神図』(屏風)はその代表的な事例ですが、宗達の風神は袴のようなものを着用しており、褌そのものは見えません。これに対して、今回ご紹介の切手に取り上げられた山田真山の風神は褌がしっかりと見えるので、“ふんどしの日”に相応しい1枚といえましょう。

 切手の原画を制作した山田真山は、1885年、沖縄県那覇市生まれ。本名は渡嘉敷兼慎です。幼くして父を亡くし、貧困の中、石垣や西表島などを転々として生活していましたが、空き缶で作った船の出来栄えに感心した大工の親方に見込まれて養子となり、
東京で大工としての修業をはじめました。

 しかし、柱にカンナをかけていた際、柱の節が人の顔に見えてきたため、思わずその顔を彫りこんでしまったことから、用かを放逐され、絵はがきの絵をかく店で働き、牛乳配達をしながら資金をため、20歳の時に、東京美術学校に入学。彫刻家・山田泰雲(高村光雲の弟子)に塑像を学び、後に、泰雲に見込まれて養子となって“山田真山”と名乗るようになりました。

 美術学校卒業後、真山は中国・北京の美術学校の教師となり、帰国後、小堀鞆音に日本画を学びます。小堀は、東京・明治記念聖徳絵画館の壁画、「東京御著輦」を制作しましたが、その縁で、1924年、同館の壁画「琉球藩設置の図」を描いて、一躍、脚光を浴びました。

 その後、故郷の沖縄に戻り、1945年には沖縄戦を体験。その経験を踏まえ、戦没者の慰霊と人類の平和を願い、世界100カ国の霊石を集め、1957年から高さ21m の観音像(平和祈念像)の制作を始め、20年の歳月をかけて完成させました。また、「郷土の文化を守る会」の会長として文化遺産の収集、再興に尽力しています。

 さて、相撲のまわしまで含めると、ふんどし姿の男性を描く切手はいろいろとあります。やはり日本男児たるもの、毎年2月14日には、そうした切手を毎年1枚ずつご紹介していこうかと思いますので、よろしくお付き合いください。


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 沖縄慰霊の日
2015-06-23 Tue 11:09
 きょう(23日)は、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむ“沖縄慰霊の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄戦跡政府立公園

 これは、1971年に米施政権下の沖縄で発行された「政府立公園シリーズ」のうち、“沖縄戦跡政府立公園”の切手で、沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘が描かれています。

 1945年5月、米軍の攻撃により、日本の陸軍第32軍総司令部は首里城の地下壕から沖縄本島南端部(島尻)に撤退。その後、島尻では狭隘な地形に敵味方が入り乱れる激しい戦闘が展開されましたが、6月23日、司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより日本軍による組織的な抵抗は終了しました。

 米施政権下の琉球政府は、1965年、最後の激戦地となった摩文仁の丘一帯を、今回ご紹介の切手に表示されているように、“沖縄戦跡政府立公園”に指定。その後、1972年の沖縄の祖国復帰に伴い、同公園は“沖縄戦跡国定公園”に指定されました。現在、同公園は、摩文仁地区の沖縄平和祈念公園、糸満市米須霊域(平和祈念公園から2.5km 南西)、ひめゆりの塔(糸満市米須霊域の北)の3地域の計81.3平方キロ(陸域31.27平方キロ、海域50.03平方キロ)から構成されており、多くの慰霊施設・慰霊碑・慰霊塔が設置されています。

 ちなみに、6月23日が“沖縄慰霊の日”となっているのは、牛島中将の自決の日であるというのがひとつの根拠となっていますが、自決の日に関しては、6月22日説と23日説があります。また、現実の問題として、1945年6月23日以降も沖縄ではゲリラ戦が続き、多くの人々が犠牲になりました。それゆえ、米軍の沖縄戦終了宣言がなされたのは7月2日ですし、日米両軍の司令官が沖縄で公式に降伏文書の調印をおこなったのは9月7日(本土より1週間遅れ)です。このため、沖縄県の施設である“平和の礎”では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としています。さらに、1961年に当時の琉球政府が“慰霊の日”を定めた際、当初の日付は6月22日でした。

 ところが、1965年、突如、“慰霊の日”の日付は、現在の6月23日に変更され、それがそのまま定着することになりました。一説によると、6月23日は日本本土の反安保デー(1960年の新安保条約批准書交換の日)だったことから、本土の左翼勢力が圧力をかけ、“反米”の観点から、これにあわせて“慰霊の日”を変更させたともいわれています。その真偽のほどは定かではありませんが、たしかに、唐突な日程の変更というのは、いろいろな憶測を呼ぶでしょうな。
 

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 メディア史研究・メディアの中の日米関係
2014-09-30 Tue 23:01
 ご報告が大変遅くなりましたが、『メディア史研究』第36号ができあがりました。今号は特集が「メディアの中の日米関係」ということで、僕も「転換点としてのペルリ来琉百年-琉球切手における〝日本〟へのまなざしについての一考察-」と題する論文を投稿しています。というわけで、きょうは拙稿の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      太田朝敷

 これは、1953年10月1日に米施政権下の沖縄で発行された「第三回新聞週間」の記念切手で、鉛筆をかたどった紙型と太田朝敷の肖像が取り上げられています。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、米国は、日本がいずれは米国からの自立を模索するのではないかとの不安を持つようになります。

 たとえば、講和条約の発効から約4ヵ月後の1952年8月7日に採択された米・国家安全保障会議の報告書、NSC125/2には、「日本は次第に、極東の問題で自立的な役割を果たそうとするであろう。(中略)日本は米ソ対立を利用しようとするかもしれない。日本はアジア大陸における影響力の回復と対中貿易の利益の再獲得を望み、アジアの共産主義勢力に対する歩み寄りが、日本の利益になると結論づけるかもしれない」として、日本が米国から離れ、中立化に向かうばかりか、共産主義陣営に接近する可能性すら指摘しています。

 その背景としては、どれほど政府レベルで日米の“友好”が喧伝されようとも、標準的な日本国民にとっては、米国はごく最近まで勝者として日本を占領していた存在であり、さらに、講和条約の発効後も“不平等条約”に基づいて米軍の駐留が続いていることに対して、彼らの潜在的な反米感情は無視できないものがあったという事情がありました。また、政治的な思想信条とは別に、日本の財界の中には、日本が台湾の国民政府と講和条約を結び、米国の対中禁輸措置に従っていることへの不満も少なくありませんでした。

 じっさい、こうした日本国内の空気を察して、1952年4月、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開しています。

 これに対抗すべく、米国は、東側諸国、特に共産中国に対する禁輸政策に同調させながら、極東の拠点国家である日本の経済を安定させる必要に迫られました。同時に、日本に対して西側諸国の一員であることを明確に自覚させることも重要な課題となります。

 具体的には、米国は東南アジア諸国に対する日本の戦後賠償の負担を軽減するよう仲介の労を惜しまず、1953年4月には、他国にさきがけて日本との間に友好通商航海条約を結び、日本に最恵国待遇と内国民待遇を与えたほか、同年7月には、日本に対して「日米相互安全保障協定(いわゆるMSA協定)」の締結を提案しました。

 いずれにせよ、こうした政策転換の文脈においては、米国が直接支配する沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調することの方が重要になったわけです。

 この結果、沖縄を経由して日本を開国させたペリーの存在は、そうした米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになります。

 すなわち、ペリーが沖縄に上陸した1853年5月26日にちなんで、毎年5月26日を“米琉親善日”にするということは、1950年4月の米軍政府特別布告35号によって定められましたが、1951-52年には、米琉親善日は5月25・26日の2日間に拡大され、さらに、ペリー来琉100年にあたる1953年には5月26日を含む5日間が“ペルリ百年祭”として大々的に祝われました。

 百年祭の期間中には、米琉親善が以前にも増して強調されたことはもちろん、沖縄内において原則として禁止されていた日章旗の掲揚が特例として許可されたほか、5月25日には、首里王府によって編纂された、大半がひらがな書きの歌謡集(すなわち、琉球王朝が日本の強い文化的影響下にあることを示す資料)で、米国に流出していた『おもろさうし』が琉球政府に返還されるなど、沖縄とその潜在的な主権者としての日本との絆が強調されています。ちなみに、記念行事の一環として発行された「ペルリ来琉百年」の記念切手には、琉球切手としては初めてカタカナの表示となる“ペルリ”の文字が入っていた点も見逃せません。

 今回ご紹介の「第三回新聞週間」の切手は、こうした文脈の下で、「ペルリ来琉百年」の次に発行された記念切手ですが、沖縄を代表する新聞人の一人である太田朝敷の肖像が取り上げられているのがミソです。

 すなわち、太田は、1865年、首里の士族出身。琉球処分後の1882年に沖縄師範学校に入学し、同年、第1回県費留学生に選ばれて上京し、学習院、東京高等師範学校、慶應義塾で学んだ後、旧王族の尚順らとともに沖縄初の新聞となる『琉球新報』の創刊に加わりました。当時の沖縄を代表する知識人の一人で、1900年7月1日、私立沖縄高等女学校の開校式に招かれ、沖縄近代化を担うべき少女たちに対して「沖縄今日の急務はなんであるかと云えば一から十まで他府県に似せる事であります。極端にいへば、嚔する事まで他府県の通りにすると云う事であります」との“クシャミ演説”を行ったことでも知られています。

 太田の“クシャミ演説”については、“大和化”の枠にとらわれない“文明化”の方向性を示したものという指摘もありますが、一般には、沖縄の大和=日本本土に対する同化教育を象徴するものと理解されており、彼の肖像を切手に取り上げたのは日琉の紐帯を強調する意図が込められていたからとみるのが妥当と言えましょう。

 今回の拙稿では、このほかにも具体的な事例を挙げつつ、「ペルリ来琉百年」の前と後では琉球切手における“日本”の取り上げ方が正反対と言ってよいほどに変化したことを明らかにするとともに、いわゆるB円時代の切手の以ていつ政治的な意味についても考察しました。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

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 竹富町には届かず
2014-05-22 Thu 22:25
 沖縄県の八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で竹富町が独自に選んだリベラル色の強い中学公民教科書を使い続け、保守的な内容とされる教科書の採択を決めた八重山採択地区協議会からの離脱を表明している問題で、同県教育委員会はきのう(21日)、同町の八重山採択地区からの離脱を認め、町単独で採択地区を設けることを決めました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・UHF回線開通

 これは、1969年7月1日、米施政権下の沖縄で発行された“沖縄本島・先島間UHF回線開通記念”の切手です。角型アンテナと(東から順に)沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島の地図が描かれています。

 ここでいう先島とは、琉球諸島のうち、南西部に位置する宮古列島・八重山列島の総称で、尖閣諸島を含めることもあります。このうち、今回問題となった八重山地区で人が住んでいる島に関しては、行政的には、石垣島が沖縄県石垣市、与那国島が与那国町にそれぞれ属しているほかは、西表島を含む他の8島はすべて竹富町に属しています。

 さて、今回ご紹介の切手のUHF回線は、沖縄本島南部から宮古島を経て石垣島を結ぶ無線通信回線で、2000メガヘルツ帯のUHF電波を使用し、見通し外伝搬 によっています。700ワットの大出力送信機と16×16メートルの大口径アンテナから電波を発射し、対流圏で散乱した微弱な電波を相手局の同型の大口径アンテナと4重ダイバシティ方式の高感度受信機で受信する仕組みになっています。

 さて、今回の教科書採択の問題に関しては、八重山採択地区協議会からの離脱を求める竹富町と、「八重山地区の行政は一体」として現行の枠組み維持を希望する石垣市・与那国町とが対立していましたが、きのうの県教育委員会では、宮城奈々委員長が「3市町はそれぞれに独自性を有しており、一体性があるとは一概に言いがたい。竹富独自の教科書に対するニーズはある」として、竹富町の離脱に理解を示し、他の委員からも異論は出なかったそうです。

 今回ご紹介の切手では、純粋に電波の届く範囲を示すものとして、沖縄本島から宮古島を経て石垣島まではラインが通じているものの、石垣島と西表島の間にはラインが引かれていないデザインとなったわけですが、今回のような出来事があると、八重山地区とはいっても現在の行政区域でいう石垣市と竹富町の間には目に得ない溝があるような印象を受けてしまいます。まぁ、竹富町としても、行政全般に関して八重山地区からの分離独立を求めているということではないのでしょうが、中国の息がかかっていると思しき連中が琉球独立論を主張し始めている昨今、ちょっと気になる出来事ではありますな。


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 与那国島に陸自レーダー基地
2014-04-20 Sun 22:04
 わが国の最西端・与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備に向けたレーダー施設建設の起工式が、きのう(19日)午後、与那国町離島振興センターで開かれました。というわけで、与那国島といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       ヨナグニサン

 これは、1959年7月23日、米施政権下の沖縄で発行された「日本生物教育会沖縄大会」(同年7月22-24日、沖縄・首里高校で開催)の記念切手で、ヨナグニサンが描かれています。

 ヨナグニサンは日本最大の蛾で、沖縄県の八重山諸島(石垣島、西表島および与那国島)にのみ分布しています。和名は与那国島で初めて発見されたことによるものです。

 口(口吻)がないため、羽化した後は全く食事ができず、幼虫の頃に蓄えた養分で生きるため、成虫になってからは1週間程度しか生きられません。成虫の外見上の最大の特徴は、前羽根先端部の蛇の頭のような模様で、これを敵に見せて威嚇すると言われています。

 今回の与那国島での施設建設も、ヨナグニサンの羽根よろしく、アジア各地での侵略とチベットやウイグルなどでの非道な人権侵害を繰り返すファシスト国家・中国に対する睨みを利かせ、わが国の領土である沖縄県・尖閣諸島の防衛体制を強化するという結果につながると良いですね。


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 慶良間諸島国立公園が誕生
2014-03-05 Wed 11:42
 沖縄県の慶良間諸島とその周辺海域が、“珊瑚の日”のきょう(5日)付で「慶良間諸島国立公園」に指定されました。国立公園の新設は1987年の釧路湿原国立公園以来27年ぶりで、31番目となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ケラマジカ

 これは、1966年3月15日、米施政権下の沖縄で発行された天然記念物シリーズのケラマジカの切手です。

 ケラマジカは、今回国立公園となった慶良間諸島の阿嘉島・外地島・慶留間島・屋嘉比島(無人島)の4島に分布するニホンジカの亜種で、崇禎年間(1628-44年)、尚氏金武王子朝貞が、薩摩から持ち帰り、慶良間の古場島に放したシカが野生化して定着し、環境に適応して特異化(島嶼化)したものと考えられています。日本で唯一の亜熱帯性の有蹄動物で、クジラ類を除けば、慶良間諸島に分布する唯一の大型哺乳類です。慶良間諸島の各島間を泳いで渡る“島渡り”を行うことでも知られていますが、阿嘉島・慶留間島・外地島の3島は橋でつながっているため、この3島間は陸路で往来しています。

 “慶良間鹿”として琉球政府が天然記念物に指定したのは1955年1月15日のことで、当時の指定範囲は屋嘉比島のみした。その後、1972年の沖縄の本土復帰に伴い、“ケラマジカおよびその生息地”は国の天然記念物に指定され、1975年には指定範囲に慶留間島が追加されました。

 さて、今回、国立公園に指定された慶良間諸島地域は、もともと、「多島海景観、海中景観及び亜熱帯性動植物景観を有する」として、1978年12月9日に沖縄海岸国定公園(米施政権下の沖縄海岸政府立公園が、本土復帰に伴い、日本の国定公園に指定)に編入されていましたが、2010年に環境省が行った国立・国定公園総点検事業で、「透明度の高い優れた海域景観、サンゴ礁を中心とした生態系及びザトウクジラの繁殖海域といった沿岸から海域にかけた多様な生態系」が評価され、今回、独立した国立公園としての指定を受けました。今回ご紹介の切手では、鹿の背景に海と島影が描かれていますが、その海中にもサンゴ礁が広がっているということなのでしょうね。  

 * 昨日午後、カウンターが133万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 成人の日
2014-01-13 Mon 17:34
 きょう(13日)は“成人の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       沖縄・成人の日

 これは、1963年、米施政権下の沖縄で発行された“成人の日”の記念切手で、青年男女のレリーフが図案として取り上げられています。

 米施政権下の沖縄における全住民を対象とした法定休日は、1961年7月24日付の「住民の祝祭日に関する立法」によってはじめて制度化され(それ以前は琉球政府職員の法定休日しかありませんでした)、日本本土と同じ祝日として、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(3月21日ごろ)、天皇誕生日(4月29日)こどもの日(5月5日)、 秋分の日(9月23日ごろ)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)が(1965年以降は、これに5月3日の憲法記念日が加わりました)、沖縄独自の祝日として、琉球政府創立記念日(4月1日)、母の日(5月第2日曜日)、慰霊の日(当初は6月22日、1965年以降は6月23日)、お盆の日(旧暦7月15日)、としよりの日(9月15日。日本本土で国民の祝日としての“敬老の日”が設けられたのは1966年です)、体育の日(10月第2土曜日。日本本土で“体育の日”として10月10日が国民の祝日になったのは、1966年以降のことです)が、それぞれ制定されました。

 日本本土と同じ祝日が多いのは、当時の沖縄は、施政権こそ米国にあるものの、主権そのものは日本にあるという構造になっていたためで、「住民の祝祭日に関する立法」制定以前の1959年4月10日の皇太子殿下(今上陛下)の“結婚の儀”の当日が休日となったのも同じ理屈です。

 さて、私事で恐縮ですが、我が家の一人娘は昨年末に20歳になり、今日が成人式でした。ともかくも、彼女が健康でこの日を迎えることができたのは、ひとえに、多くの方々のご支援の賜物ですので、この場をお借りし、親として改めてお礼申し上げます。なお、きょうの振袖は、かつて妹の成人式の際に母親が誂えた紅型を仕立て直したもので、下の画像のようなデザインでした。

       紅型・振袖     紅型・振袖(後姿)

 残念ながら、僕の娘は切手には全く興味がなく、将来、彼女に子供が生まれても、僕のコレクションや仕事を受け継いでくれる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。それはそれで仕方のないことですが、今日の振袖に関しては、僕の孫の世代にもぜひとも受け継いでほしいものだと思っています。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第5回テーマティク出品者の会 1月17-19日(金ー日)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のバンコク展に出品した朝鮮戦争のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 奄美復帰60年式典
2013-11-10 Sun 18:22
 終戦後、米軍統治下にあった鹿児島県の奄美群島が1953年12月25日に祖国復帰を果たしてから、今年で60年になるのを前に、きのう(9日)、奄美市で記念式典が行われました。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       奄美・丸検

 これは、1947年12月1日、米軍政下の奄美群島で発行された丸検加刷の切手です。

 日本敗戦後の1946年1月29日、GHQは「外郭地域分離覚書」を発し、北緯30度以南の南西諸島の行政権は日本から分離されました。この北緯30度以南の枠の中には、沖縄だけでなく、戦前の行政区域では鹿児島県に属していた奄美諸島なども含まれていました。

 「外郭地域分離覚書」に伴い、2月2日、郵政事業を含めたすべての行政権はアメリカに移り、3月13日、アメリカ海軍軍政チームが名瀬に到着。翌14日から奄美諸島全域に対する軍政布告や命令が交付され、本格的な軍政がスタートしました。

 切手に関しては、当初は日本切手がそのまま使用されていましたが、1947年12月1日、今回ご紹介の切手のように、日本切手に“検”の字の印を押した暫定切手(丸検切手)が発行されると、1948年2月1日以降、無加刷の日本切手は使用停止となりました。

 その後、丸検切手は1948年6月30日に発売停止となり、翌7月1日、米軍施政権下の全琉球共通の“琉球切手”が発行されます。以後、1953年末の祖国復帰まで、奄美地区では琉球切手が使われていました。

 米軍政下の奄美地区では、日本との往来が禁止され、日本から“輸入”する商品には関税がかけられるなど、人々は経済的にも非常に困難な状況に置かれていました。また、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後も、“琉球”の一部として日本本土から分離して米国の信託統治下に置かれていたため、現地では14歳以上の島民による嘆願署名やハンガーストライキなどが展開され、その結果、1953年12月になって、ようやく、祖国復帰を果たしたという経緯があったことは、日本人として、けっして忘れてはならないと思います。

 * 本日のTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」の「サンデーマナブくん」は無事終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 続・琉球のレッド・ソックス
2013-10-31 Thu 14:39
 米大リーグのワールド・シリーズは、日本時間の31日午前(現地時間30日)、レッド・ソックスがカージナルスを4勝2敗で下して、6年ぶり8度目の世界一となりました。レッド・ソックスが本拠地で世界一を決めたのは、ベーブ・ルースが所属していた1918年以来95年ぶりで、最終回を3者凡退で締めた上原浩治投手は、日本人初となるワールド・シリーズ胴上げ投手というオマケつきです。というわけで、きょうは“レッド・ソックス”の切手です。(画像はクリックで拡大されます)
  
       二童敵討

 これは、1970年7月30日、米施政権下の沖縄で発行された組踊シリーズの二童敵討(にどうてきうち/ニドーティチウチ)の切手です。レッド・ソックスがア・リーグ制覇をした時にご紹介した諸屯節の切手は、琉球舞踊独特の赤い足袋の演者が1人でしたが、2度目の今回は演者が2人の切手を持ってきました。

 二童敵討は、1719年、中国からの冊封使をもてなすため、踊奉行の玉城朝薫が重陽の宴にあたって創作・上演した組踊5作品“朝薫の五番”の一つで、物語のあらすじは以下の通りです。

 天下取りの野望に燃える勝連城主の阿麻和利は、首里王府に偽りを言って、中城城主・護佐丸を攻め滅ぼしました。その際、護佐丸の遺児、鶴松と亀千代の兄弟(これがタイトルにある“二童”です)も殺したものと思っていました。しかし、実際には兄弟は生き延びて成長し、父の敵を討つ機会をうかがっていました。

 その後、阿麻和利は首里王府へも攻め入ろうと考え、攻撃の前に、野に出て酒宴を広げて勝ち戦のための願を掛けることを計画します。この計画を聞きつけた兄弟は、踊り子に変装して宴席に潜入。阿麻和利に所望されて踊李を披露し、阿麻和利に大いに気に入られます。油断した阿麻和利は、褒美として2人に自らの大団扇、太刀、羽織などを次々に与えましたが、兄弟は、丸腰になった阿麻和利のすきを見逃さず、父の敵討を果たしました。

 切手は、阿麻和利の前で兄弟が舞っている場面を取り上げていますが、この時点では阿麻和利はまだ大団扇・太刀を持ち、羽織も着ていますので、酒宴が始まったばかりの情景だろうと推測できます。今季のレッド・ソックスの試合になぞらえれば、9回を締める上原投手の前に、8回を抑える田澤純一投手が登場してきたあたりということになりますかね。

 
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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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