内藤陽介 Yosuke NAITO
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 蚊の日
2017-08-20 Sun 16:57
 きょう(20日)は、1897年8月20日に英国の細菌学者ロナルド・ロスが、羽斑蚊類の蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見したことにちなむ“蚊の日”だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・国際マラリア防遏事業(3c)

 これは、1962年4月7日に米施政権下の沖縄で発行された“国際マラリア防遏事業”の切手のうち、マラリアを媒介するハマダラカを写実的に取り上げた3セント切手です。

 1948年に発足した世界保健機構(WHO)は、1955年から、世界各地でDDT散布を行うなど、大規模な“マラリア撲滅キャンペーン”を行っていました。それが一定の成果を上げたことから、WHOはさらなる啓発活動の一環として、加盟各国に対して、1962年4月7日(WHOの創立記念日)に記念のキャンペーン切手を発行することを提唱。これを受けて、主として、熱帯・亜熱帯のマラリア被害の深刻な地域でマラリア関係の切手が一斉に発行されました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 さて、沖縄では、歴史的に八重山諸島、特に石垣島の北側(裏石垣)と西表島がマラリアの蔓延する地域として恐れられていました。

 1944年10月、石垣島への空襲が始まり、1945年3月には連合国軍が慶良間諸島に上陸。そこから主戦場は沖縄本島とその周辺に移るものの、その間、八重山地区は激しい空襲と艦砲射撃にさらされ続けます。

 そうした中で、八重山地区最南端の波照間島では、3月下旬、米軍上陸の可能性が高まったとして、全住民に対して西表島南部の南風見田への疎開が命じられました。しかし、疎開先として指定された南風見田はマラリアの発生地域で、1920年にそのために廃村に追い込まれたという経緯があったため、住民の多くは疎開に反対しましたが、最終的には軍の命令ということで、やむな糞會を受け入れています。また、4月初頭には、ほぼ同様のことが黒島でも行われています。

 さらに、1945年5月下旬、日本軍第32軍が司令部のあった首里を離れ本島南部方面に敗走したため、八重山軍は台湾の第10方面軍の直轄下に移されます。第10方面軍は沖縄本島の次は八重山が攻撃を受ける可能性が高いと判断し、一般住民の山岳地域への避難を命じられました。

 いずれの場合も、疎開を余儀なくされた住民たちは、マラリア発生地域での不衛生な環境での共同生活を余儀なくされたため、疎開者の全人口の半数を上回る1万7000人がマラリアに罹患し、3000人以上が死亡(特に、波照間島の住民1590人に関しては、1587人がマラリアに罹患し、477人が死亡)しています。

 このように、いわゆる沖縄戦の時期に疎開した一般住民がマラリアに罹患して多数が死亡したことは、“戦争マラリア”と呼ばれており、八重山では戦争の悲劇の象徴として現在なお語り継がれています。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は24日★★★ 

 8月24日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第7回が放送予定です。今回は、放送日が独立記念日のウクライナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、高校野球の順延などにより、24日の放送がなくなる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 きょうから<Bandung 2017>
2017-08-03 Thu 02:48
 きょう(3日)から7日まで、インドネシア・バンドンのトランス・ステュディオ・コンヴェンション・センター(Trans Studio Convention Centre)で、世界切手展<Bandung 2017>が開催されます。というわけで、同展のロゴマークと併せて、この切手をご紹介します(画像はクリックで拡大されます)

      バンドン展・ロゴ  沖縄・オオゴチョウ

 左は、今回の切手展のロゴマークで、開催地のバンドン市の花“オオゴチョウ”をデザイン化したものだそうです。右側には、そのオオゴチョウを取り上げた1971年発行の琉球切手を貼っておきました。ちなみに、沖縄では、オオゴチョウは、サンダンカ、デイゴとともに三大名花として“県の花”にも指定されています。

 オオゴチョウは西インド諸島原産とされるマメ科ジャケツイバラ属の植物で、高さは2-5m。枝分かれは少なく、幹には鋭い棘があり、枝先に円錐花序を出し、赤橙色の花をつけます。花径は4cmほどで、雄しべと雌しべが長く突き出して蝶が舞うように見えることから、和名の“黄胡蝶”の名がつきました。

 さて、インドネシアで世界切手展が開かれるのは、2012年にジャカルタで開催された<INDONESIA 2012>以来5年ぶりのことで、展示フレーム数は約1900フレーム。日本からは、文献を除き、19作品・119フレームが出品されており、審査員として正田幸弘さんと井上和幸さん(アプレンティス)が、コミッショナーとして山崎好是さんと不肖・内藤が参加しています。

 日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さん、伊藤文久さん、増山三郎さんのご協力も得て無事に済ませ、無事、会場に並んでいます。下左の写真は、ビンルームでの作品の際のチェック風景、同右は、展示作業終了後、今回の日本からの出品の目玉である“龍500文逆刷”を含む山田コレクションの前で撮影したものです。

      バンドン展・ビンルーム  バンドン展・展示作業

 きょうは午前9時からコミッショナーのミーティングがあり、その後、オープニング・セレモニーに出席します。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になり次第、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。

 【追記】
 3日午前10時から行われたオープニング・セレモニーでは、冒頭、切手展の成功を祈願してコーランの朗誦がありました。

      バンドン展・コーラン朗誦

 イスラム圏で開催された国際切手展には、過去にも何度か参加しましたが、オープニング・セレモニーでコーランの朗誦を見たのは今回が初めてです。前回、2012年の切手展の際には、ジャカルタ市内のコンビニで自由にビールが買えましたが、2015年の法改正でコンビニでのビールの販売が禁止となったとかで、食生活にはちょっと不便を感じているのですが、そうしたことと併せて考えてみると、インドネシア社会全体で、イスラム的な価値観を重視傾向が強まってきていることの表れということなのかもしれません。ちなみに、今回は、セレモニーの最後に、関係者が書類にサインをして、それを参加者に披露するというのが開会の儀式で、テープカットをしたり、銅鑼を叩いたり…といったわかりやすいアクションはありませんでした。

      バンドン展・オープニング


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 豊見城でのAKB 開票イベント中止
2017-06-16 Fri 18:05
 AKB48は、きょう(16日)、あす17日に沖縄・豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチで開催予定だった“第9回AKB48選抜総選挙”開票イベントおよびAKB48グループコンサートを中止することを発表しました。梅雨前線の停滞の影響で、沖縄本島で記録的な豪雨が続いており、あすの現地の天気も「昼前から夕方 雷を伴い激しく降る」で降水確率80%、雷注意報が発表される可能性が高いため、安全を最優先にした結果だそうです。というわけで、会場に予定されていた豊崎美らSUNビーチにちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハーリー

 これは、1969年9月5日、米施政権下の沖縄で発行された民俗行事シリーズの“ハーリー(爬龍)”の切手です。

 ハーリーは、いまから約600年前、南山王国(現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国。山南王国とも)の王子で、明の南京国子監に留学した汪応祖(後の第3代南山王。在位は1403?-13)が、留学中に見た龍船を模した船、爬龍船を作らせ、5月初、城下の饒波川河口(漫湖)に浮かべ、競わせたのが始まりとされています。また、豊見城で最初に作られた龍船は、そのころ、中国・福建省から渡来した久米(閩人36姓)がつくったとの説もあります。

 中華世界では、旧暦5月5日の端午節にはドラゴンボートの競漕行事(祭事)が行われますが、これは、端午節に入水自殺した屈原を助けようとした漁民がドラゴンボートを使ったという伝承があるためです。これに対して、ハーリーは、旧暦5月4日、航海の安全や豊漁を祈願する神事として豊見城で始まり、そこから沖縄各地、さらには徳之島などへも拡大していきました。

 現在でも、ハーリーには神事としての側面が残っているため、ハーリーの開催に先立ち、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、ハーリー発祥の地、豊見城の豊見瀬嶽(御嶽)で、那覇ハーリーと豊見城ハーリーの成功と五穀豊穣を祈願し、祈祷と供物、ハーリー歌や空手を奉納する古式行事が行われています。

 その一方で、現在のハーリーには競漕競技および観光イベントとしての側面もあるため、大会そのものは必ずしも旧暦5月4日にはこだわらず、4-5月のゴールデンウィークや祝祭日、夏休み期間中の日曜日などに行う地域もめずらしくありません。じっさい、ハーリー発祥の地とされる豊見城の今年のハーリー大会は、7月16日、今回のAKB48 のイベント会場となるはずだった豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチの北側で開催が予定されていますが、この日は旧暦では6月23日にあたります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 神社を描いた沖縄切手
2017-05-15 Mon 11:32
 きょう(15日)は、1972年5月15日に沖縄が日本に復帰した記念日です。というわけで、日本本土と沖縄との歴史的な結びつきを示すものとして、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・甘藷伝来三五〇年

 これは、1955年11月26日、米施政権下の沖縄で発行された“甘藷伝来三百五十年”の記念切手です。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、その前後から、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開。これに対抗すべく、米国は、自らが直接統治している沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調するようになります。

 このため、1953年にはペルリ来流100年祭が沖縄で行われ、沖縄を経由して日本を開国させたマシュー・ペリーの存在は、米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになりました。

 今回ご紹介の“甘藷伝来三百五十年”の切手も、そうした文脈に沿って発行されたものです。

 サツマイモがフィリピンから中国大陸に伝来したのは1594年とされているが、沖縄本島へは、それから約10年後の1605年、野國總管によって伝えられたとの記録があります。

 野國總管は、“野國村(現嘉手納町)出身の總管(琉球から明に朝貢する「進貢船」使節の事務長)”という意味で、1605年の時点でこの職にあった人物の本名などはわかっていません。17世紀末に書かれた『麻姓家譜』によると、「總管野國、唐土より鉢に藩薯を植えて帯来」し、その噂を聞きつけた儀間真常が總管に栽培法を教わったことで、数年後の飢饉の際に穀物の代わりにサツマイモが普及することになった旨が記されています。

 その後、1611年、琉球王・尚寧が薩摩兵の送別の宴席で甘藷を振る舞いって喜ばれたため、帰国の際に生の甘藷を贈呈したとの記録があるほか、1698年、琉球王・尚貞から甘藷を送られた種子島の島主・種子島久基が家老の西村時乗に栽培を命じ、日本本土での甘藷栽培が始まったとされています。

 さて、今回ご紹介の切手は總管を祀った野國總管神社の社殿とサツマイモを描くことによって、琉球伝来のサツマイモが日本本土に広まっていったのと同時に、日本の神道が沖縄においても大きな影響力を持っていた(いる)ことを表現しており、日本本土と沖縄の交流関係の深さを改めて示すものです。

 ちなみに、戦後日本の郵政当局は、『日本国憲法』第20条の信教の自由と政教分離原則 の関係上、特に神道関連の施設を切手に取り上げることに神経質となっており(じっさい、切手に鳥居が描かれていることに抗議して、行政監察局に切手の発売禁止勧告を求める申し立てを行った人もいました) 、今回ご紹介の切手が発行された1955年の時点では日光東照宮の陽明門を描く45円切手(1952年発行)を除くと、鳥居や社殿を描く切手などは一切発行されていません。

 米軍施政権下の沖縄では、日章旗の掲揚は原則として禁止されていましたが、そうした沖縄の切手で、日本本土ではタブー視されていた“神社”が堂々と発行されているという逆転現象は、非常に興味深いものと思われます。


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 ふんどしの日
2017-02-14 Tue 12:46
 きょう(14日)は、2と14で“ふんどし”と読む語呂合わせから、日本ふんどし協会(2011年12月14日設立)が制定した“ふんどしの日”です。というわけで、昨年同様、“ふんどしの日”を祝して、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・航空(赤風神)

 これは、1961年9月21日、米施政権下の沖縄で発行された航空切手で、ふんどし姿で風を吹かせている赤色の風神が描かれています。沖縄では、1959年10月15日に海外向け郵便料金が改正されましたが、新料金に対応した切手の発行は遅れ、今回ご紹介の切手を含む“天女・風神航空”の切手が発行されるまでは、加刷切手でしのいでいました。なお、今回ご紹介の切手の27セントは米本土、アラスカ、カナダ、中近東など宛の航空書状の料金に相当しています。

 日本絵画の伝統では、風神は大きな袋を持った鬼の姿で描かれます。俵屋宗達の『風神雷神図』(屏風)はその代表的な事例ですが、宗達の風神は袴のようなものを着用しており、褌そのものは見えません。これに対して、今回ご紹介の切手に取り上げられた山田真山の風神は褌がしっかりと見えるので、“ふんどしの日”に相応しい1枚といえましょう。

 切手の原画を制作した山田真山は、1885年、沖縄県那覇市生まれ。本名は渡嘉敷兼慎です。幼くして父を亡くし、貧困の中、石垣や西表島などを転々として生活していましたが、空き缶で作った船の出来栄えに感心した大工の親方に見込まれて養子となり、
東京で大工としての修業をはじめました。

 しかし、柱にカンナをかけていた際、柱の節が人の顔に見えてきたため、思わずその顔を彫りこんでしまったことから、用かを放逐され、絵はがきの絵をかく店で働き、牛乳配達をしながら資金をため、20歳の時に、東京美術学校に入学。彫刻家・山田泰雲(高村光雲の弟子)に塑像を学び、後に、泰雲に見込まれて養子となって“山田真山”と名乗るようになりました。

 美術学校卒業後、真山は中国・北京の美術学校の教師となり、帰国後、小堀鞆音に日本画を学びます。小堀は、東京・明治記念聖徳絵画館の壁画、「東京御著輦」を制作しましたが、その縁で、1924年、同館の壁画「琉球藩設置の図」を描いて、一躍、脚光を浴びました。

 その後、故郷の沖縄に戻り、1945年には沖縄戦を体験。その経験を踏まえ、戦没者の慰霊と人類の平和を願い、世界100カ国の霊石を集め、1957年から高さ21m の観音像(平和祈念像)の制作を始め、20年の歳月をかけて完成させました。また、「郷土の文化を守る会」の会長として文化遺産の収集、再興に尽力しています。

 さて、相撲のまわしまで含めると、ふんどし姿の男性を描く切手はいろいろとあります。やはり日本男児たるもの、毎年2月14日には、そうした切手を毎年1枚ずつご紹介していこうかと思いますので、よろしくお付き合いください。


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 沖縄慰霊の日
2015-06-23 Tue 11:09
 きょう(23日)は、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむ“沖縄慰霊の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄戦跡政府立公園

 これは、1971年に米施政権下の沖縄で発行された「政府立公園シリーズ」のうち、“沖縄戦跡政府立公園”の切手で、沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘が描かれています。

 1945年5月、米軍の攻撃により、日本の陸軍第32軍総司令部は首里城の地下壕から沖縄本島南端部(島尻)に撤退。その後、島尻では狭隘な地形に敵味方が入り乱れる激しい戦闘が展開されましたが、6月23日、司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより日本軍による組織的な抵抗は終了しました。

 米施政権下の琉球政府は、1965年、最後の激戦地となった摩文仁の丘一帯を、今回ご紹介の切手に表示されているように、“沖縄戦跡政府立公園”に指定。その後、1972年の沖縄の祖国復帰に伴い、同公園は“沖縄戦跡国定公園”に指定されました。現在、同公園は、摩文仁地区の沖縄平和祈念公園、糸満市米須霊域(平和祈念公園から2.5km 南西)、ひめゆりの塔(糸満市米須霊域の北)の3地域の計81.3平方キロ(陸域31.27平方キロ、海域50.03平方キロ)から構成されており、多くの慰霊施設・慰霊碑・慰霊塔が設置されています。

 ちなみに、6月23日が“沖縄慰霊の日”となっているのは、牛島中将の自決の日であるというのがひとつの根拠となっていますが、自決の日に関しては、6月22日説と23日説があります。また、現実の問題として、1945年6月23日以降も沖縄ではゲリラ戦が続き、多くの人々が犠牲になりました。それゆえ、米軍の沖縄戦終了宣言がなされたのは7月2日ですし、日米両軍の司令官が沖縄で公式に降伏文書の調印をおこなったのは9月7日(本土より1週間遅れ)です。このため、沖縄県の施設である“平和の礎”では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としています。さらに、1961年に当時の琉球政府が“慰霊の日”を定めた際、当初の日付は6月22日でした。

 ところが、1965年、突如、“慰霊の日”の日付は、現在の6月23日に変更され、それがそのまま定着することになりました。一説によると、6月23日は日本本土の反安保デー(1960年の新安保条約批准書交換の日)だったことから、本土の左翼勢力が圧力をかけ、“反米”の観点から、これにあわせて“慰霊の日”を変更させたともいわれています。その真偽のほどは定かではありませんが、たしかに、唐突な日程の変更というのは、いろいろな憶測を呼ぶでしょうな。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 メディア史研究・メディアの中の日米関係
2014-09-30 Tue 23:01
 ご報告が大変遅くなりましたが、『メディア史研究』第36号ができあがりました。今号は特集が「メディアの中の日米関係」ということで、僕も「転換点としてのペルリ来琉百年-琉球切手における〝日本〟へのまなざしについての一考察-」と題する論文を投稿しています。というわけで、きょうは拙稿の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      太田朝敷

 これは、1953年10月1日に米施政権下の沖縄で発行された「第三回新聞週間」の記念切手で、鉛筆をかたどった紙型と太田朝敷の肖像が取り上げられています。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、米国は、日本がいずれは米国からの自立を模索するのではないかとの不安を持つようになります。

 たとえば、講和条約の発効から約4ヵ月後の1952年8月7日に採択された米・国家安全保障会議の報告書、NSC125/2には、「日本は次第に、極東の問題で自立的な役割を果たそうとするであろう。(中略)日本は米ソ対立を利用しようとするかもしれない。日本はアジア大陸における影響力の回復と対中貿易の利益の再獲得を望み、アジアの共産主義勢力に対する歩み寄りが、日本の利益になると結論づけるかもしれない」として、日本が米国から離れ、中立化に向かうばかりか、共産主義陣営に接近する可能性すら指摘しています。

 その背景としては、どれほど政府レベルで日米の“友好”が喧伝されようとも、標準的な日本国民にとっては、米国はごく最近まで勝者として日本を占領していた存在であり、さらに、講和条約の発効後も“不平等条約”に基づいて米軍の駐留が続いていることに対して、彼らの潜在的な反米感情は無視できないものがあったという事情がありました。また、政治的な思想信条とは別に、日本の財界の中には、日本が台湾の国民政府と講和条約を結び、米国の対中禁輸措置に従っていることへの不満も少なくありませんでした。

 じっさい、こうした日本国内の空気を察して、1952年4月、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開しています。

 これに対抗すべく、米国は、東側諸国、特に共産中国に対する禁輸政策に同調させながら、極東の拠点国家である日本の経済を安定させる必要に迫られました。同時に、日本に対して西側諸国の一員であることを明確に自覚させることも重要な課題となります。

 具体的には、米国は東南アジア諸国に対する日本の戦後賠償の負担を軽減するよう仲介の労を惜しまず、1953年4月には、他国にさきがけて日本との間に友好通商航海条約を結び、日本に最恵国待遇と内国民待遇を与えたほか、同年7月には、日本に対して「日米相互安全保障協定(いわゆるMSA協定)」の締結を提案しました。

 いずれにせよ、こうした政策転換の文脈においては、米国が直接支配する沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調することの方が重要になったわけです。

 この結果、沖縄を経由して日本を開国させたペリーの存在は、そうした米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになります。

 すなわち、ペリーが沖縄に上陸した1853年5月26日にちなんで、毎年5月26日を“米琉親善日”にするということは、1950年4月の米軍政府特別布告35号によって定められましたが、1951-52年には、米琉親善日は5月25・26日の2日間に拡大され、さらに、ペリー来琉100年にあたる1953年には5月26日を含む5日間が“ペルリ百年祭”として大々的に祝われました。

 百年祭の期間中には、米琉親善が以前にも増して強調されたことはもちろん、沖縄内において原則として禁止されていた日章旗の掲揚が特例として許可されたほか、5月25日には、首里王府によって編纂された、大半がひらがな書きの歌謡集(すなわち、琉球王朝が日本の強い文化的影響下にあることを示す資料)で、米国に流出していた『おもろさうし』が琉球政府に返還されるなど、沖縄とその潜在的な主権者としての日本との絆が強調されています。ちなみに、記念行事の一環として発行された「ペルリ来琉百年」の記念切手には、琉球切手としては初めてカタカナの表示となる“ペルリ”の文字が入っていた点も見逃せません。

 今回ご紹介の「第三回新聞週間」の切手は、こうした文脈の下で、「ペルリ来琉百年」の次に発行された記念切手ですが、沖縄を代表する新聞人の一人である太田朝敷の肖像が取り上げられているのがミソです。

 すなわち、太田は、1865年、首里の士族出身。琉球処分後の1882年に沖縄師範学校に入学し、同年、第1回県費留学生に選ばれて上京し、学習院、東京高等師範学校、慶應義塾で学んだ後、旧王族の尚順らとともに沖縄初の新聞となる『琉球新報』の創刊に加わりました。当時の沖縄を代表する知識人の一人で、1900年7月1日、私立沖縄高等女学校の開校式に招かれ、沖縄近代化を担うべき少女たちに対して「沖縄今日の急務はなんであるかと云えば一から十まで他府県に似せる事であります。極端にいへば、嚔する事まで他府県の通りにすると云う事であります」との“クシャミ演説”を行ったことでも知られています。

 太田の“クシャミ演説”については、“大和化”の枠にとらわれない“文明化”の方向性を示したものという指摘もありますが、一般には、沖縄の大和=日本本土に対する同化教育を象徴するものと理解されており、彼の肖像を切手に取り上げたのは日琉の紐帯を強調する意図が込められていたからとみるのが妥当と言えましょう。

 今回の拙稿では、このほかにも具体的な事例を挙げつつ、「ペルリ来琉百年」の前と後では琉球切手における“日本”の取り上げ方が正反対と言ってよいほどに変化したことを明らかにするとともに、いわゆるB円時代の切手の以ていつ政治的な意味についても考察しました。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

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 竹富町には届かず
2014-05-22 Thu 22:25
 沖縄県の八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で竹富町が独自に選んだリベラル色の強い中学公民教科書を使い続け、保守的な内容とされる教科書の採択を決めた八重山採択地区協議会からの離脱を表明している問題で、同県教育委員会はきのう(21日)、同町の八重山採択地区からの離脱を認め、町単独で採択地区を設けることを決めました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・UHF回線開通

 これは、1969年7月1日、米施政権下の沖縄で発行された“沖縄本島・先島間UHF回線開通記念”の切手です。角型アンテナと(東から順に)沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島の地図が描かれています。

 ここでいう先島とは、琉球諸島のうち、南西部に位置する宮古列島・八重山列島の総称で、尖閣諸島を含めることもあります。このうち、今回問題となった八重山地区で人が住んでいる島に関しては、行政的には、石垣島が沖縄県石垣市、与那国島が与那国町にそれぞれ属しているほかは、西表島を含む他の8島はすべて竹富町に属しています。

 さて、今回ご紹介の切手のUHF回線は、沖縄本島南部から宮古島を経て石垣島を結ぶ無線通信回線で、2000メガヘルツ帯のUHF電波を使用し、見通し外伝搬 によっています。700ワットの大出力送信機と16×16メートルの大口径アンテナから電波を発射し、対流圏で散乱した微弱な電波を相手局の同型の大口径アンテナと4重ダイバシティ方式の高感度受信機で受信する仕組みになっています。

 さて、今回の教科書採択の問題に関しては、八重山採択地区協議会からの離脱を求める竹富町と、「八重山地区の行政は一体」として現行の枠組み維持を希望する石垣市・与那国町とが対立していましたが、きのうの県教育委員会では、宮城奈々委員長が「3市町はそれぞれに独自性を有しており、一体性があるとは一概に言いがたい。竹富独自の教科書に対するニーズはある」として、竹富町の離脱に理解を示し、他の委員からも異論は出なかったそうです。

 今回ご紹介の切手では、純粋に電波の届く範囲を示すものとして、沖縄本島から宮古島を経て石垣島まではラインが通じているものの、石垣島と西表島の間にはラインが引かれていないデザインとなったわけですが、今回のような出来事があると、八重山地区とはいっても現在の行政区域でいう石垣市と竹富町の間には目に得ない溝があるような印象を受けてしまいます。まぁ、竹富町としても、行政全般に関して八重山地区からの分離独立を求めているということではないのでしょうが、中国の息がかかっていると思しき連中が琉球独立論を主張し始めている昨今、ちょっと気になる出来事ではありますな。


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 与那国島に陸自レーダー基地
2014-04-20 Sun 22:04
 わが国の最西端・与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備に向けたレーダー施設建設の起工式が、きのう(19日)午後、与那国町離島振興センターで開かれました。というわけで、与那国島といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       ヨナグニサン

 これは、1959年7月23日、米施政権下の沖縄で発行された「日本生物教育会沖縄大会」(同年7月22-24日、沖縄・首里高校で開催)の記念切手で、ヨナグニサンが描かれています。

 ヨナグニサンは日本最大の蛾で、沖縄県の八重山諸島(石垣島、西表島および与那国島)にのみ分布しています。和名は与那国島で初めて発見されたことによるものです。

 口(口吻)がないため、羽化した後は全く食事ができず、幼虫の頃に蓄えた養分で生きるため、成虫になってからは1週間程度しか生きられません。成虫の外見上の最大の特徴は、前羽根先端部の蛇の頭のような模様で、これを敵に見せて威嚇すると言われています。

 今回の与那国島での施設建設も、ヨナグニサンの羽根よろしく、アジア各地での侵略とチベットやウイグルなどでの非道な人権侵害を繰り返すファシスト国家・中国に対する睨みを利かせ、わが国の領土である沖縄県・尖閣諸島の防衛体制を強化するという結果につながると良いですね。


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 慶良間諸島国立公園が誕生
2014-03-05 Wed 11:42
 沖縄県の慶良間諸島とその周辺海域が、“珊瑚の日”のきょう(5日)付で「慶良間諸島国立公園」に指定されました。国立公園の新設は1987年の釧路湿原国立公園以来27年ぶりで、31番目となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ケラマジカ

 これは、1966年3月15日、米施政権下の沖縄で発行された天然記念物シリーズのケラマジカの切手です。

 ケラマジカは、今回国立公園となった慶良間諸島の阿嘉島・外地島・慶留間島・屋嘉比島(無人島)の4島に分布するニホンジカの亜種で、崇禎年間(1628-44年)、尚氏金武王子朝貞が、薩摩から持ち帰り、慶良間の古場島に放したシカが野生化して定着し、環境に適応して特異化(島嶼化)したものと考えられています。日本で唯一の亜熱帯性の有蹄動物で、クジラ類を除けば、慶良間諸島に分布する唯一の大型哺乳類です。慶良間諸島の各島間を泳いで渡る“島渡り”を行うことでも知られていますが、阿嘉島・慶留間島・外地島の3島は橋でつながっているため、この3島間は陸路で往来しています。

 “慶良間鹿”として琉球政府が天然記念物に指定したのは1955年1月15日のことで、当時の指定範囲は屋嘉比島のみした。その後、1972年の沖縄の本土復帰に伴い、“ケラマジカおよびその生息地”は国の天然記念物に指定され、1975年には指定範囲に慶留間島が追加されました。

 さて、今回、国立公園に指定された慶良間諸島地域は、もともと、「多島海景観、海中景観及び亜熱帯性動植物景観を有する」として、1978年12月9日に沖縄海岸国定公園(米施政権下の沖縄海岸政府立公園が、本土復帰に伴い、日本の国定公園に指定)に編入されていましたが、2010年に環境省が行った国立・国定公園総点検事業で、「透明度の高い優れた海域景観、サンゴ礁を中心とした生態系及びザトウクジラの繁殖海域といった沿岸から海域にかけた多様な生態系」が評価され、今回、独立した国立公園としての指定を受けました。今回ご紹介の切手では、鹿の背景に海と島影が描かれていますが、その海中にもサンゴ礁が広がっているということなのでしょうね。  

 * 昨日午後、カウンターが133万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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