内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の寄附金つき切手⑨
2015-09-02 Wed 21:02
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『キュリオマガジン』2015年9月号ができあがりました。僕の連載「世界の寄附金つき切手」は、今回は、この切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      スイス・チューリヒ100年

 これは、1943年、そのチューリヒ最初の切手の発行から100周年を記念して発行された児童福祉募金切手のシートです。

 1648年、ウェストファリア条約(ヨーロッパのほぼ全域を巻き込んだ宗教戦争、30年戦争の講和条約)により、神聖ローマ帝国からの独立を認められた当初のスイスは、統一国家というよりも、独立性の高いカントン(州)の連合体という性質の強いものでした。ちなみに、現在の連邦国家体制が確立するのは、1874年に連邦憲法が採択されてから後のことです。

 そうしたスイス連邦を構成するカントンのうち、チューリヒは、1843年3月1日に最初の切手を発行。1840年にペニーブラックを発行した英国に次いで、世界で2番目に古い切手発行主体となりました。

 切手は、4ラッペンと6ラッペンの額面数字を大きく描いた実用本位のデザインで、オレル・フュースリ社が制作し、偽造防止のため、細かい赤線の印刷された用紙の上に印刷されています。“LOCAL-TAXE”と表示された4ラッペンは市内便の基本料金で、6ラッペンは“CANTONAL-TAXE”と表示された6ラッペンは州内全域へ配達可能な料金に対応していました。製造枚数が多くなかったため、現存数も少なく、オリジナルの切手は非常に高価な珍品です。

 今回ご紹介のシートは、そのチューリヒ最初の切手の発行から100周年を記念して発行されたもので、最初の切手の4ラッペンと6ラッペン描く“切手の切手”12枚で構成されています。

 オリジナルの切手では、国名表示として切手の上部に“ZURICH”の文字が入っていますが、1943年の切手では、下部に“HELVETIA”の国名表示が入っており、上部には“1843-1943”の年号が入っています。ちなみに、多言語国家(公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語)のスイスでは、連邦の正式名称も4言語に対応して4種類ありますが、それらをすべて併記する余裕のない場合には、単独で使用することが許されるラテン語の国名として“HELVETIA”が用いられています。

 オリジナルの切手が発行された当時のチューリヒの通貨はクロイツェルと補助通貨のラッペン(1クロイツェル=21/2ラッペン)でしたが、連邦発足後の1850年、共通通貨としてスイス・フラン(1スイス・フランの100分の1に相当する補助通貨は言語ごとに呼称が異なり、ドイツ語でラッペン、フランス語でサンチーム、イタリア語でチェンテージモ、ロマンシュ語でラップ)が制定されました。

 1943年の切手は、単片では10ラッペンで、シートとしての単純な額面合計は1.20フランとなりますが、郵便局の窓口では、児童福祉のための募金を上乗せして5スイス・フランで販売されています。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 スイス・フラン、歴史的な急騰
2015-01-16 Fri 22:28
 スイス国立銀行は、昨日(15日)、スイス・フランの上昇を抑えるために対ユーロで設けていた1ユーロ=1.20スイス・フランの上限を撤廃すると発表しました。これを受けて、スイス・フランは、一時、1ユーロ=0.86スイス・フランと30%近く急騰しました。というわけで、今日はこの切手です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      スイス・スタンディングヘルヴェティア1フラン

 これは、1882年にスイスで発行されたスタンディング・ヘルヴェティア(スイスを象徴する女神“ヘルヴェティア”の立像)の1フラン切手です。スイスで発行された1フラン切手はいくつもあるのですが、きょうの所は、通貨としてのスイスフランを書きたかったので、1フラン・コインのデザインと同じデザインの1枚ということで、この切手を持ってきました。ちなみに、1フラン・コインの画像も下に貼っておきます。

      スイス・1フラン・コイン

 現在のスイス国家は、1848年、ジュネーヴやバーゼル、テュ-リッヒなどのカントン(独立性の高い州)の連邦国家として発足しました。これに伴い、それまでカントンごとに異なっていた通貨を統合して連邦共通通貨が創設されることになり、1850年、スイス・フランが制定されました。

 当時のスイス・フランは、フランス・フラン同様、品位.900重量5グラム(純銀含有量は4.5グラム)の1フラン銀貨をもって基準通貨とする銀本位制で、スイス・フラン銀貨はパリの造幣局でフランス・フランと同じ仕様で鋳造されました。

 その後、スイスは1865年のラテン通貨同盟に参加します。

 ラテン通貨同盟は、フランス、ベルギー、イタリア、スイスの4ヵ国が通貨統合を目指して結んだ同盟で、共通の基準で金貨と5フラン銀貨を造り、それを無制限の法貨として同盟国間では自由に流通させるということになっていました。このとき定められた金銀比価は金0.290322gに対し銀4.5gの“1対15.5”、品位は.900です。

 1876年、フランスが金本位制を採用すると、これに合わせてスイスも金本位制に移行します。そのための準備段階として、スイスでは、一部の銀貨の品位.853に落として実質的に補助通貨とすることとなり、1874年に新2フラン銀貨、1875年に新半フランおよび新1フラン銀貨を発行します。この時発行された銀貨のデザインが、現在まで続くスタンディング・ヘルヴェティアのコインとなり、1882年以降、それが切手にも援用されたというわけです。なお、5フラン銀貨の品位は、1928年まで.900のまま維持されています。

 さて、スイスは永世中立国としてユーロにも加盟せず、独自通貨としてのスイス・フランを維持していますが、そのため、2011年、前年来の欧州諸国の債務危機を背景に、ユーロを売ってスイス・フランを買う投資家の動きが激化しました。このため、投機筋によるスイス・フラン買いを抑えるため、スイス国立銀行は2011年9月6日にスイスフランに上限制を導入。外国為替市場で無制限にスイス・フラン売り・ユーロ買いを進めることで、スイス・フラン高を抑えてきました。

 ところが、最近、米国経済の回復を背景に対ドルでユーロとスイスフランが下落してきたことに加え、外国為替市場では欧州中央銀行(ECB)による量的緩和観測が強まり、ユーロ売り・スイスフラン買いの圧力が増してきたこと、さらに、3年間に及ぶ無制限介入により、スイスの外貨準備高は国内総生産(GDP)の7割を超える規模に膨らみ、ユーロ建て資産が際限なく拡大するリスクを無視できなくなったことなどから、今回の政策変更に踏み切ったようです。
 
 いずれにせよ、僕じしん、額こそ小さいですが、原稿執筆のため、欧州からは毎週何点かは必ず切手や書籍を購入しており、その中にはスイスフランでの決済もそれなりに含まれていますので、為替相場の急激な変動は大いに気がかりですな。

 
 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 世界の自転車ミュージアム
2013-12-30 Mon 15:44
 世界屈指の自転車コレクションで知られるサイクル・ギャラリー・ヤガミ(名古屋市)の名品を集めた『(蒐集家ビジュアルブック①)世界の自転車ミュージアム:サイクル・ギャラリー・ヤガミの名品たち』(八神史郎著・彩流社)が、本日(30日)付で刊行となりました。同書には、サイクル・ギャラリー・ヤガミ所蔵の自転車切手の中から興味深いモノを選んで紹介する1章があり、僕が原稿を書いています。きょうは、その一部として、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます。なお、右側には同書の表紙画像を貼っておきました)

      スイスの軍事切手(銀輪部隊)     世界の自転車ミュージアム・表紙

 これは、第二次大戦中のスイスで使われた軍事切手のうち“銀輪部隊”を描いた1枚です。

 かつて、多くの国では、軍務についている兵士・下士官に対しては、毎月1人あたり一定の枚数(1ヵ月書状2通分というケースが多い)の軍事切手が無償配布され、その“切手”を貼れば郵便物料金は免除で取り扱われるという特典が与えられていました。これがいわゆる軍事切手で、“永世中立”を守るため、18歳から48歳までのすべての男子に兵役を課しているスイスでは、師団ごとに独自のデザインの軍事切手が作成され、兵士・下士官に配給されています。

 多くの国では、軍事切手は実用性重視の立場から紋章などの単純なデザインのモノ既存の切手に加刷したモノが主流となっていますが、スイスの場合は、兵士たちの生活や活動などを取り上げています。特に、第二次大戦中、ナチス・ドイツの侵攻を防ぐためにドイツとの国境に派遣された部隊用の切手の中には、スイス銀輪部隊の活躍を生き生きと描いたモノが少なからずあり、我々の目を楽しませてくれます。

 さて、切手に取り上げられているスイスの軍用自転車は、1905年に製造が開始されたモデルをベースにしているため、一般に05型と呼ばれているものです。わが国の38式歩兵銃も日露戦争中の1905年から太平洋戦争終戦の1945年まで使われた“ロングセラー”でしたが、05型はそれをはるかにしのぎ、1995年まで90年間の長きにわたり、首都ベルンの北方40キロのクルフェーヴル市に本社を構えるコンドール社で製造されていました。ただし、製造台数は累計で5万代と決して多くはありません。

 05型は耐久性に優れた軍用車両向きのモデルでしたが、いかんせん、1980年代に入ると年式が古すぎて部品の調達が困難になったことに加え、兵士たちの体格が向上してフレームサイズが合わなくなったこともあり、1990年からは新たに90型モデルが導入されるようになりました。90型では、05型の耐久性はそのままに軽量化が図られているほか、7段ギヤや油圧ブレーキが装着され、サドルとハンドルの調整が容易になるなどの改良が施されています。

 さて、『世界の自転車ミュージアム』の“切手”の章では、このほかにも、マフェキング(マフィケング)で発行された世界最初の自転車切手、1894年のカリフォルニアでの自転車郵便用の切手、アジア諸国の輪タクの切手、東トルキスタンの自転車切手、スイス軍事切手の銀輪部隊、韓国自転車史と切手、ナチスに抵抗して亡くなった自転車選手の切手、東京五輪の自転車切手、郵便配達の自転車、ツール・ド・フランスの切手、などのコラムを設け、さまざまな切手をご紹介しております。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ローザンヌで日本女性が優勝
2012-02-05 Sun 23:23
 若手バレエダンサーの世界的登竜門であるローザンヌ国際バレエコンクールで、神奈川県出身の高校2年生、菅井円加さんが審査員満場一致で1位に選ばれました。菅井さんは、あわせて現代舞踊賞も受賞したそうです。というわけで、こんなバレーの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        WIPO

 これは、1982年に発行された世界知的所有権機関(WIPO:World Intellectual Property Organization)事務局用の切手で、多種多様な文化・芸術の象徴の一つとして、中央にバレリーナが描かれています。

 国際的な知的財産権の保護に関しては、1883年に制定された「工業所有権の保護に関するパリ条約」と、1886年に制定された「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」を統合する形で、1892年、スイスのベルンに知的所有権保護合同国際事務局(BIRPI:Bureaux Internationaux Réunis pour la Protection de la Propriété Intellectuelle)が設置されました。その後、1967年に BIRPIを発展的に解消すべく「世界知的所有権機関を設立する条約」(WIPO設立条約)が作成され、1970年に同条約が発効したことに伴い、全世界的な知的財産権の保護を促進するための国連の専門機関として、現在のWIPOが発足しました。ちなみに、WIPOの本部はスイスのジュネーヴに置かれていますが、2006年9月1日には、日本事務所が東京に開設されまています。

 今回ご紹介の切手は、ジュネーブのWIPO事務局の郵便物に使用するために発行されたものです。本来なら、今回のローザンヌ国際バレエコンクールに直接的に関係のあるマテリアルをご紹介したかったのですが、あいにく探せなかったので、次善の策として“スイスのバレエ切手”として持ってきたという次第です。

 さて、ローザンヌ国際バレエコンクールは、プロを目指す15~18歳の若手ダンサーの発掘と育成が目的で、1973年から毎年開催されています。今回の優勝で、菅井さんには1万6000スイスフラン(1スイスフランは約83円)の奨学金と希望するバレエ学校に1年間留学する権利が贈られることになっていますが、ご本人は、イギリスの名門バレエ学校バーミンガム・ロイヤル・バレエへの留学を希望しているそうです。1年間の留学を終えたら、ぜひとも、日本での凱旋公演をお願いしたいものですな。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 スイス脱原発へ
2011-05-26 Thu 23:57
 スイス連邦政府は、きのう(25日)、国内にある原子力発電所の原子炉5基について、今後、耐用年数の切れた順に廃炉としていき、2034年までに国内のすべての原子炉を廃炉とする“脱原発”政策を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

      スイス・第2回原子力会議

 これは、1958年にジュネーブで開催された第2回国際原子力会議の記念切手です。

 スイスの原子炉の研究開発は、同会議の翌年(1959年)、原子力法が制定されたことで具体的にスタートします。その背景には、1950年代末から1960年代にかけて水力発電開発が頭打ちとなり、大型火力も燃料輸送や環境問題から建設が難しくなったという事情がありました。

 同法に基づき、1962年、パウル・シェラー研究所を中心に加圧管実験炉が着工。その研究成果を踏まえ、1965年、国内最大の電力会社である北東スイス電力会社(NOK)がウェスチングハウス(WH)社にベツナウ1号機を発注したのを皮切りに、翌1966年にはベルン電力会社がゼネラル・エレクトリック(GE)社にミューレベルク原子力発電所を、さらに1967年にはNOKがWHにベツナウ2号機を発注しています。その後、1973年には、ゲスゲン・デニケン共同原子力発電会社がゲスゲン発電所をシーメンスKWU社に、またライプシュタット共同原子力発電会社がライプシュタット発電所をGEへ発注。5基の原発が出そろい、総発電量の約40%を原子力でまかなう体制が整いました。

 1970年代後半まで、スイス国内では原発に対する国民の支持も高かったのですが、1979年のスリーマイル島事故や1986年のチェルノブイリ事故を経て国内で反原発派が台頭。このため、カイザーアウクストとグラーベンでの発電所の新規建設は連邦政府の許可を受けたものの、地元住民の強い反対をうけて計画は頓挫。さらに、1990年には、国民投票で新規の原子力発電所建設を10年間凍結することが採択されています。

 しかし、そもそも、水力・火力発電の不足を補うために原子力発電を行っているという基本構造は全く改善されていないため、原発が設計寿命を迎える2020年以降、深刻な電力不足が懸念されていました。そこで、2005年2月、原子力法が改正され、1990年以来凍結されていた新規の原子力発電所建設は、計画の是非を別途、国民投票に委ねるとの条件の下、原子力開発の再開が決定されました。

 これを受けて、スイス国内では、原子力設備の建替えに向けた動きが活発化していたのですが、今回の福島の事故を受けて世論の風向きが再び変わり、今回の“脱原発”政策の表明となりました。

 今回の件に関して、スイス政府は、水力発電などの開発をさらに進めることで原発廃炉以降の電力不足を補う方針だそうですが、そもそも、水力発電の開発が限界に達したがゆえに原子力発電を始めたのではないかという根本的な疑問はぬぐえませんな。まぁ、1990年の国民投票で10年間の原発の新規建設を凍結すると決めたものの、実際に21世紀になってみれば、原子力開発を再開せざるを得ないと国民が判断した先例がありますからねぇ。連邦政府としても、ここはしばらく、世論をクールダウンさせるためにも“脱原発”を表明しておき、2020年になったら、あらためて国民投票を行って開発を再開すればいいと考えているのかもしれません。

 ところで、原子力開発は、軍事利用・平和利用を問わず、国家にとっての一大プロジェクトですから、その事績はさまざまなかたちで切手にも表れています。その一端として、イランや北朝鮮の事例については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも取り上げてみたのですが、そのほかの国の例もまとめて、切手を通して各国の原子力政策とそのプロパガンダを読み解いてみたら面白そうだなぁ…と、漠然と考えています。どこか、この企画(というよりも、現時点では“思いつき”のレベルですが)に乗ってくれそうな版元さん、ありませんかねぇ。


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 ゴッタルト峠のトンネル
2010-10-16 Sat 11:22
 きのう(15日)、スイス南部のアルプス山脈を貫く世界最長の鉄道トンネル、ゴッタルト・ベーストンネルが着工から14年の歳月を経て貫通しました。同トンネルは全長約57キロで、これまで鉄道トンネルとして世界最長だった日本の青函トンネル(全長53.9キロ)よりも3キロほど長いそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         ゴッタルド峠

 これは、1934年に発行されたスイス20サンチームの切手で、ゴッタルト鉄道トンネルを通過する鉄道が描かれています。

 スイスのティチーノ州アイロロとウーリ州ゲシェネンの間にあるゴッタルト峠は標高2108メートル。チューリッヒとミラノを結ぶルート上にありますが、初夏には雪解けの水で溢れるシェレネン渓谷の急流を渡河し、アンデルマットまで狭くきつい坂道で通り抜けなければならず、交通の難所として多くの犠牲者を出してきました。

 馬車が通れるようになったのは1775年のことで、1888年には177人の犠牲者を出しながらも、ゲシェネン=アイロロ間の15キロを結ぶゴッタルド鉄道トンネルが開通し、危険な峠道を往来する必要はなくなりました。今回ご紹介の切手に描かれているのは、この鉄道トンネルです。

 その後、1980年には、鉄道トンネルと並行して、ゲシェネン=アイロロ間の約17キロを結ぶゴッタルド道路トンネルが開通しましたが、これでも、交通量の増加を賄い切れなかったため、1999年10月、交通移行法が成立し、ドイツ南部とイタリア北部との間で貨物自動車やコンテナを列車に搭載して輸送させる計画が動き始めます。

 これに伴い、アルプスを高速で通過できる平坦な交通路が必要となり、従来より600m低い位置でゴッタルド峠を貫くトンネルの建設が決定。これが、きのう開通したゴッタルト・ベーストンネルというわけです。同トンネルの開通により、従来、最大2000トンに制限されていた貨物列車が、最大4000トンまで走行可能となったことにくわえ、増便が可能となったほか、チューリッヒ=ミラノ間の移動時間が60分短縮されて2時間半となるなどのメリットがあるそうです。

 余談ですが、先月、函館に行ったときには、飛行機が取れずに鉄道を利用しました。その時は、時間がかかってしんどいとぼやいていたのですが、今回のニュースを聞いて、“世界一”の青函トンネルをギリギリ体験できたのだからラッキーだったと思うようになりました。


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         事情のある国の切手ほど面白い(表紙)
    事情のある国の切手ほど面白い
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 カッコよすぎる独裁者や存在しないはずの領土。いずれも実在する切手だが、なぜそんな“奇妙な”切手が生まれたのだろう?諸外国の切手からはその国の抱える「厄介な事情」が見えてくる。切手を通して世界が読み解ける驚きの1冊!

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 ダガー・ナイフ
2009-07-05 Sun 22:33
 昨年6月に東京・秋葉原で起きた“ダガーナイフ”を使った無差別殺傷事件を受けて今年1月5日から施行された改正銃刀法で、刃渡り5・5センチ以上で両側に刃がついたナイフを持つことは、半年間の猶予期間が過ぎたきょう(5日)から不法所持として犯罪となりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 スイス・短剣

 これは、1975年にスイスで発行された寄付金付きの慈善切手で、古代の銅剣“Bronze Daggers”が取り上げられています。

 ダガーとは、もともとは、全長10~30cm程度の諸刃の短剣のことを指す総称で、その名は古代ルーマニアのダキアに由来するといわれています。なお、“ナイフ”というのはそもそも汎用の刃物一般をさす言葉ですから、武器としての形を示す“ダガー”とは別の概念になるのですが、日本では、いわゆるナイフと短剣としてのダガーが同じような大きさをしていることから、両者を混同して“ダガー・ナイフ”という語が広まったものと考えられています。

 われわれが一般に使うナイフは片方にしか刃がついていないのに対して、諸刃の剣としてのダガーの最大の利点は、片側を鋭利な刃にし、反対側を荒めに研いだり角度を変えたりすることにより、1本で2種類の用途に使うことができるという点にあります。ダイバーズナイフなどで、片側が鋸刃になっているのは、その典型的な例といえましょう。

 また、諸刃であるがゆえに、ダガーは基本的に左右対称のシンメトリー構造になりますから、装飾性の高いものが多いのも特徴となっています。それゆえ、美術品としてのダガーのコレクターも少なからず存在しているわけですが、警察当局によると「(猶予期間の切れる5日以降は)趣味や観賞用で持っていても違反」という見解を示しています。

 たしかに、物騒は出来ごとの多いご時世ですから、いままでのように“ダガー”の販売・所持を野放しにしておくのは問題かもしれません。しかし、たとえば一律にダイバーナイフを禁止してしまうということになれば、趣味でダイビングを楽しんでいる人々は言うに及ばず、プロの潜水士や海女さんなどの漁業関係者にも少なからずダメージを与えるのではないでしょうか。また、美術品・骨董品としてのダガーの収集や研究が非合法化されてしまうというのも、いかがなものかと思います。

 一部の不心得者のためにダガーそのものを一網打尽に取り締まるのではなく、たとえば、日本刀のように、届け出・登録制にして、安易に犯罪に使われないようにするなどの方策を講じることのほうが現実的ではなかったのかな、とついつい考えてしまいます。


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 『郵趣』今月の表紙:スイス高額切手
2007-11-27 Tue 10:49
 (財)日本郵趣協会発行の『郵趣』2007年12月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げ、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

スイス高額

 これは、1914年に発行されたスイスの3フラン切手で、ミーテンが描かれています。

 1914年、スイスで3フラン、5フラン、10フランという高額切手が発行されました。ちなみに、当時の通常切手、テル・シリーズ(以前の記事でご紹介のものは、このうち、1920年代に入ってから発行されたものです)の最高額面は30サンチーム(1フランは100サンチーム)でしたから、現地では、これらの切手は日本でいう神宮皇后の高額切手のようなイメージで受け止められていたのだろうと思います。

 3フラン切手に取り上げられたミーテンは、スイス中央部の古都、シュヴィーツ(チューリヒから特急列車で1時間ほど)のシンボルともいうべき山です。ミーテンには大ミーテンと小ミーテンの二つがありますが、一般にミーテンというと大ミーテンの方を指します。フィールヴァルトシュテッテル湖畔の平らな盆地から突如盛り上がった大ミーテンの釣鐘型の景観は絵葉書などでもおなじみの風景で、1年間に100回ミーテン山に登ることを目的とする団体、フンデルター・クラブ(100er Club)なるものが存在するほど、スイス人には愛されている名峰です。

 さて、今月の『郵趣』では「拝見!10枚の愛蔵コレクション」のコーナーで、来年の干支にちなんで10枚のネズミ切手をカラーで取り上げています。そろそろ、年賀状の準備が気になる時期ですが、切手を使った年賀状を出してみたいという方にはちょっと参考になる記事ではないかと思います。

 かくいう僕も、毎年、干支にちなんだ切手の中から、刊行予定の本に絡んだものをあしらった年賀状を出しているのですが、なかなか、現時点では1枚に絞りきれないでいるところです。あんまりのんびりもしていられないのは重々承知なんですが…。

 【イベントのご案内】  
 12月1日(土)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。

 僕の出番は、13:20スタートの「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」と題するセッションの2番目。入場は無料でどなたでもご参加いただけますので、ぜひ、遊びに来てください。
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 テルのリンゴから700年
2007-11-18 Sun 10:52
 スイスの伝説の英雄、ウィリアム・テルが息子の頭に載せたリンゴをクロスボウで打ち抜いたとされるのが、1307年11月18日。ちょうど700年前のことです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

テル&テル・ボーイ

 スイスでは、1924年にウィリアム・テルを描く10サンチーム切手(1921年発行)1枚とクロスボウとりんごを持つテルの息子を描く5サンチーム(同じく1921年発行)5枚を組み合わせた切手帳ペーンを発行しました。ペーンは大きなシートから切り離して作られましたが、そのもとのシートでは、版の構成から、一部、ペーン単位で左右に並ぶ6枚が上下逆の状態で印刷されています。イメージとしては、下の図のような感じです。

 ⑤⑤⑩VVV
 ⑤⑤⑤XVV
 (⑤はテル・ボーイ、⑩はテル。Vは⑤とは逆向きのテル・ボーイ、Xは⑩とは逆向きのテル)

 今回ご紹介の2枚の切手は、このシートから⑩Vの部分、もしくは⑤Xの部分を切り離したもので、その結果、テルと息子が逆向きでつながった状態となりました。

 さて、ウィリアム・テルの物語を簡単におさらいしておくと、当時ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝の代官として、ウーリの街にやってきたヘルマン・ゲスラーは、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制していました。

 しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になります。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、自分の息子の頭の上にある林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束。そこで、1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜きます。

 その後、テルは、もし自分が失敗して息子を殺していたならば、自分はゲスラーにクロスボウを向けていただろうと発言。これに怒ったゲスラーはテルを逮捕しますが、テルは逆にゲスラーを射殺しました。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、スイス独立の反乱が幕を開けることになります。

 この経緯を冷静に見てみると、テルはもともと政治犯ないしは思想犯として捕らえられた人物で、おまけに代官を殺して逃げた後、反乱軍の指導部に加わっているのですから、ハプスブルグ帝国から見たら立派なテロリストといえそうです。雑誌『SAPIO』で連載中の「テロリスト図鑑」は年内一杯で終わってしまうのですが、機会があれば「続・テロリスト図鑑」のようなかたちで取り上げてみてもいいかもしれませんね。
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 『郵趣』今月の表紙:バーゼルのハト
2007-09-27 Thu 12:08
 (財)日本郵趣協会発行の『郵趣』2007年10月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げ、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

バーゼルのハト

 これは、1845年に連邦成立以前のスイス・バーゼルで発行された切手で、“バーゼルのハト”と呼ばれている1点です。

 スイス・ドイツ・フランス三国の国境地域に位置するライン河畔の都市、バーゼルは、古代ローマ時代に起源を持つ古い都市で、中欧の商業・交通の中心地として栄えていました。

 1648年、ウェストファリア条約(ヨーロッパのほぼ全域を巻き込んだ宗教戦争、30年戦争の講和条約)により、神聖ローマ帝国からの独立を認められた当初のスイスは、統一国家というよりも、独立性の高いカントン(州)の連合体という性質の強いものでした。ちなみに、現在の連邦国家体制が確立するのは、1874年の連邦憲法が採択されてから後のことです。

 そうしたスイス連邦を構成するカントンの一つであったバーゼルでは、1842年、独自の近代郵便制度の導入が検討されはじめました。そして、その料金徴収のシステムとして、イギリスのペニーブラックにならった“支払票(etiquettes-franco)”を発行することとなり、1844年1月までに、重さ1ロット(=15.5グラム)以下の郵便物に対して1クロイツェル(=21/2ラッペン)を、それ以上の郵便物に対しては2クロイツェルを、それぞれ徴収するために切手を発行するという方針が決まります。

 切手のデザインは建築家のメルキオール・ベリが担当しました。ベリは、デザインの中心に、手紙をくわえた白いハトを据え、その周囲を深紅の盾形で囲みました。“バーゼルのハト”の名の由来です。よく誤解されるのですが、このハトはバーゼルの紋章ではなく、通信の象徴として取り上げられたものです。ちなみに、バーゼルの紋章は、盾の中央上部、窪みの部分に描かれています。

 バーゼル市内郵便(STADT POST BASEL)の表示は、盾の下部を囲むように黒色で記され、4隅は薄青で彩色されています。額面の21/2Rp.は、その薄青をバックに切手の下部に入れられました。

 切手の周囲は、横18.5ミリ、縦20ミリの枠で囲まれています。この枠は、黒色の細い線が深紅の太い線を挟むスタイルになっていますが、一番外側の黒色の線まで完璧に残っているものはなかなかありません。切手の印刷は銅版を用いた凹版印刷で行われ、エンボス部分はフランクフルトのベンジャミン・クレブスが担当し、1845年に522シートが、1847年に515シートが作られました。1シートは日本の手彫切手と同じく横8x縦5の40面ですから、4万1480枚が製造された勘定になります。

 切手の発行は、1845年7月1日のことで、これは、スイスのカントンの中では、チューリッヒ、ジュネーヴについで3番目、ペニーブラックから数えると5番目(1843年にブラジルが“牛の目”を発行している)のことでした。

 その後、1850年にスイス連邦統一の切手が発行されると、バーゼルでもこの切手が用いられるようになり、1852年には“バーゼルのハト”の印刷用の原版は破棄されました。そして、1854年9月末日で、“バーゼルのハト”を含むスイスのカントン切手はすべて使用禁止となりました。ちなみに、ベルンにあるスイス郵政博物館には、この切手の現存する最大のマルティプルである3x5の15枚ブロックが収蔵されています。

 さて、今月号の『郵趣』では、<JAPEX>の事前予告として特別出品の“マーチン切手40周年”を巻頭特集で取り上げました。このほかにも、同じく<JAPEX>の事前予告として、英国王ジョージ5世の即位25周年を記念して全世界の英領で発行された1935年のジュビリー・イッシュー(たとえばこれもその1枚です)やボーイスカウト100周年の特集や戦後記念切手の試作品がテンコ盛りのサマーペックス・特別展示“なつかしの昭和”CD-ROMのご紹介など、カラー特集は盛りだくさんの内容となっていますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。
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