内藤陽介 Yosuke NAITO
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 体操・跳馬で白井が銅
2016-08-16 Tue 12:53
 リオデジャネイロ五輪11日目(現地時間15日)は、体操・男子種目別の跳馬で白井健三が銅メダルを獲得しました。日本男子の跳馬のメダル獲得は、1984年のロサンゼルス大会で銀メダルの森末慎二と具志堅幸司(同点で4人が銀メダルでした)以来、32年ぶりのことです。というわけで、 きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      モナコ・ヘルシンキ五輪(跳馬)

 これは、1953年2月23日にモナコが発行したヘルシンキ五輪参加の記念切手のうち、跳馬を描いた1枚です。今回ご紹介の切手に見られるように、かつての跳馬は鞍馬の把手を取ったような形状をしており、手前側が低く、あごが下がったような現在の跳馬とは形状が異なっています。

 ヘルシンキでの夏季五輪の開催は、もともとは、いわゆる日中戦争(支那事変)の影響で返上となった東京大会の代替として1940年に開催の予定でしたが、1939年に第二次大戦が勃発したためにこちらも中止となり、12年後の1952年に開催されたという経緯があります。ただし、夏季五輪については、開催されなかった年も回次をつけて“みなし開催”の扱いになっているため、記録上は、1952年のヘルシンキ五輪は同地での2度目の開催ということになっています。

 なお、ヘルシンキ五輪の会期は1952年7月19日から8月3日までで、今回ご紹介の切手を発行したモナコも選手団を派遣しています。その4年前のロンドン五輪(1948年)の際には、7月29日からの会期に先立ち、モナコは同年7月1日に五輪参加の記念切手を発行しているのですが、ヘルシンキ大会に際しては、なぜ、記念切手の発行が大会終了から半年近くも遅れたのか、その理由は調べきれませんでした。

 一方、わが国にとっては、ヘルシンキ五輪は、第二次世界大戦後初(16年ぶり)の夏季五輪の参加となりました。また、同大会は日本の体操選手がメダルを獲得した最初のオリンピックで、現在の床に相当する徒手で上迫忠夫が銀、跳馬で竹本正男が銀、上迫忠夫と小野喬が銅のメダルを獲得しています。ちなみに、当時21歳で銅メダルを獲得した小野は、後に、“鬼に金棒、小野に鉄棒”と呼ばれることになりますが、彼が鉄棒で五輪メダルを得たのは、ヘルシンキから4年後、1956年のメルボルン大会での金が最初のことでした。
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 映画『グレース・オブ・モナコ』公開
2014-10-18 Sat 16:42
 モナコ公国存亡の危機と呼ばれた1962年のフランス・モナコ関係を題材とした映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』が今日(18日)から公開されます。というわけで、きょうはグレース・ケリーの切手を持ってきても良かったのですが、ちょっとひねってこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モナコ・主権450年(承認の文書)

 これは、1962年6月6日、モナコが発行した“主権承認450年”の記念切手のうち、フランス国王ルイ12世がモナコ公リュシアン・グリマルディに対してモナコの主権を与えることを記した文書が取り上げられています。

 現在のモナコ公国の起源は、1297年1月8日、ジェノヴァ共和国の都市貴族だったグリマルディ家のフランチェスコ(現在のモナコ史ではフランス語読みの“フランソワ”とされるのが一般的)が、フランシスコ会の修道士姿に変装し、ギベリン(皇帝派)に占領されていた要塞に侵入し、“モナコの岩”を占領したことに求められています。なお、現在のモナコ公家は、フランチェスコが亡くなった後の1309年、妻の連れ子だったカーニュ侯レーニエ1世がグリマルディ家を継承したことから始まっており、フランチェスコの直系の子孫というわけではありません。

 1419年、ランベール・グリマルディはアラゴン王国から正式にモナコを購入し、あわせて、フランス国王シャルル8世からモナコの支配権を承認されます。さらに、1512年、フランス国王ルイ12世とルシアン・グリマルディの間でモナコの恒久独立を認める条約が調印され、モナコの独立国としての地位が確定。この結果、モナコの領主は独立の君主(1612年以降、“モナコ公”を自称)であると同時に、フランス国王の臣下(ヴァレンティノワ公爵)という身分になりました。今回ご紹介の切手は、この条約調印から起算して450年になるのを記念して発行されたものです。

 1793年以降のフランス革命とナポレオン戦争の時代、モナコはフランスに占領されましたが、1815年のウィーン会議の結果、サルディニア王国の保護下に入ります。サルディニア王国は、1860年にトリノ条約を結び、イタリア統一運動への支援の代償として、サヴォイアとニースをフランスに割譲しましたが、その際、マントンとロクブリュヌはモナコからの独立を宣言。このため、当時のモナコ公シャルル3世は、1861年、マントンとロクブリュヌをフランスに売却し、モナコ公国としての主権を回復しました。

 ちなみに、マントンとロクブリュヌの売却によって、それまでの領土の9割以上を失ったモナコ公シャルル3世は、新たな財源として高級リゾート地としての観光開発とカジノ経営、さらにカジノの収益に立脚したタックス・ヘイヴンとしての外資の導入に活路を見出し、これが、現在のモナコ国家の基本的な性格を決定づけることになりました。なお、“モンテカルロ”は、シャルル3世にちなんで命名された地名です。

 第一次大戦後の1918年、モナコはフランスとの間に保護友好条約を調印し、フランスの保護国として、軍事・外交券を喪失。また、公位の即位継承にはフランスの同意が必要となったほか、またグリマルディ家が断絶した場合、モナコはフランスに編入されることとされました。(現在では、2005年の条約改正により、グリマルディ家が断絶してもモナコ公国の存続は保証されています)

 こうした背景の下、アルジェリア独立戦争末期の1962年、戦費調達の必要に迫られたフランスは、フランスの保護下にありながらタックス・ヘイヴンとして多くのフランス企業を誘致していたモナコに目をつけ、フランス企業から税金を徴収して支払うよう要求。ドゴールは「要求に従わなければモナコをフランス領として併合する」との恫喝し、フランス=モナコ国境を封鎖しました。結局、この問題に関しては、モナコ在住5年以内のフランス市民およびモナコ国外での活動が25%を超える企業に関しては、フランスの税率に従って課税対象とするとの協定が締結されて決着しましたが、このことは、モナコにとって大きな衝撃を与え、国家存続のための新憲法が制定されることになりました。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で、あらためて、モナコの“独立”はほかならぬフランスが昔から認めているということを主張するために発行されたもので、まさに、映画『グレース・オブ・モナコ』の時代を反映するような1枚と言ってよいでしょう。 

 * 本日、カウンターが143万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。


 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 ・11月1日(土) 14:30- 全国切手展<JAPEX>
 東京・浜松町で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『朝鮮戦争』のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 モナコ大公の結婚
2011-07-03 Sun 22:46
 モナコ大公アルベール2世と、南アフリカの元五輪水泳選手、シャルレーヌ妃(シャーリーン・ウィットストック)の結婚式が、きのう・おととい(1・2日)の両日、行われました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        グレース・ケリー母子

 これは、1958年5月15日にモナコで発行されたアルベール公子(現大公)誕生の記念切手で、母親でモナコ大公妃のグレース・ケリーに抱かれた公子が描かれています。切手に記載された1958年3月14日の日付は、公子の誕生日です。

 アルベール2世はスポーツマンとして知られ、冬季オリンピック大会にボブスレー選手として出場した経験があるほか、柔道では初段の腕前。さらに、国家元首として初めて、北極点(2006年)と南極点(2009年)に到達しました。シャルレーヌ妃とは、2000年にモナコで行われた水泳大会がきっかけで交際がスタートしたとのことで、同年のシドニー五輪に出場した彼女に対して大公がIOC委員の職権を利用して近づいたということではないようです。

 僕なんかは、アルベール2世というと、どうしてもこの切手の赤ん坊のイメージが強いのですが、考えてみれば、御年53ですからねぇ。認知した非嫡出子が2人いるとはいえ、やはり、妃がお世継ぎを生み、記念切手が発行される日が来ると良いですね。


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    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
  酒井順子さんにご紹介いただきました !

        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
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 『郵趣』今月の表紙:海洋汚染撲滅
2009-07-28 Tue 14:35
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年8月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、巻頭特集の「切手が語るエコロジー」にちなんで、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 モナコ・海洋汚染撲滅

 これは、1971年にモナコが発行した“海洋汚染撲滅”の切手で、重油の漂う海で油に被われた海鳥が描かれています。

 「水に流す」の言葉通り、人類は不要なものを川や海に投棄することを歴史的に繰り返してきました。しかし、2度の世界大戦を経て、工業化が急速に進展し、それに伴って石油消費量も急激に拡大すると、自然の浄化能力を超えた廃棄物が川や海に流れ込み、海洋汚染が深刻となりました。今回ご紹介の切手もそうした時代背景の下で発行されたものですが、石油の世紀と呼ばれた20世紀における自然破壊のすさまじさを強烈に印象づける1枚で、環境保護関連の切手の古典といってよいでしょう。

 ところで、1991年の湾岸戦争の際、油まみれの水鳥の映像の写真が繰り返し報道され、世界に衝撃を与えたことがありました。問題の写真は、当初、イラクのサダム・フセイン政権が油井を破壊してわざと重油を垂れ流したため(“環境テロ”という言葉まで用いられた)と説明され、切手の世界では発行から20年ぶりに、この切手が再び注目を集めています。

 しかし、後になって、問題の写真はイラクのフセイン政権とは全く無関係のものであり、アメリカ政府が広告会社を使って、反イラクの国際世論を喚起するための情報戦略を仕掛けていたことが判明。今度は、情報操作の“威力”に多くの人々が慄然としたのは記憶に新しいところです。


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 柔道からjudoへ
2007-09-11 Tue 11:04
 国際柔道連盟(IJF)の総会で、任期満了に伴う理事の改選の結果、再選を目指していたロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕候補(現職の理事)が落選し、日本は1952年のIJF加盟以来、初めて執行部から姿を消すことになりました。というわけで、こんな切手をもってきて見ました。(画像はクリックで拡大されます)

モナコ・柔道

 これは、1964年の東京オリンピックに際してモナコが発行した記念切手で、judo(柔道)が取り上げられています。東京オリンピックに際しては、“日本”をイメージするスポーツとして、judoは世界各国の切手に取り上げられましたが、モナコの切手には赤と青の柔道着で組み合う選手が描かれており、柔道着は白が当然という当時の常識から見れば“トンでもデザイン”とみなされていました。

 しかし、1986年にマーストリヒトで開催されたIJFの理事会で初めて、東京オリンピックの金メダリスト、ヘーシンク氏がカラー柔道着(一方を白、他方を青とするもので、切手のように完全に色を自由化しようということではありません)を提案。以後、1989年と1993年の2回にわたり、IJFの総会で欧州柔道連盟(EJF)が提案したカラー柔道着の提案は否決されたものの、1997年にパリで開催されたIJFの総会では、カラー柔道着の導入は圧倒的多数で可決されました。

 ヨーロッパのカラー柔道着推進派が一貫して主張してきたのは、①観客に分かりやすい、② 誤審が少なくなる、③テレビ映えするので、放映権料など連盟の収入増につながる、④これらのことが、結果的に国際競技としてのjudoの存続・発展につながる、というものでした。これに対して、柔道発祥の地である日本側は常に反対の立場をとり、さまざまな反論を展開しましたが、最終的には、①白い柔道着に黒帯は柔道の伝統的ユニフォームである、②カラー柔道着の導入によって用意する柔道着の数が増えることは選手の負担増につながる、というのがその論拠となっていたようです。

 僕のような柔道の門外漢からすると、両者の主張を比べてみた場合、どう考えてもヨーロッパ側の主張のほうに理があったように思えます。少なくとも、柔道着の色を変えたら柔道の本質が変わるということはありえないわけですし(このことは、ほかならぬ山下泰裕氏ご本人がご自身のHPでそう言っています)、微妙な判定が問題になるケースも少なくないわけですから、連盟側として誤審を防ぐ最大限の努力をするのはあたりまえのことで、そこに伝統云々というだけの精神論・感情論を持ち出しても説得力はないでしょう。ただし、これらはあくまでも国際大会などのルールとして理があるかということであって、個人や同好のサークルで趣味として柔道を楽しむ場合には、必ずしもそうした制約にとらわれる必要がないのは当然です。

 今回の山下候補の落選でIFJに日本人の理事がいなくなったことについては、一日本人としては残念に思いますが、日本の柔道が国際競技のjudoとして浸透していく中では、いずれは避けられないことだったのではないかと思います。世界的に見たら日本ローカルのままで終わっても伝統を固守するのが良いのか、伝統をある程度犠牲にしても世界スポーツとして普遍性を追求していくのが良いのか、そのあたりについては議論が分かれるのでしょうが、今回の一件は、あらためて柔道がjudoとなっている現実を我々に見せ付けてくれたといえそうです。

 なお、今回のモナコの切手を含め、柔道がjudoになりつつあった時代に各国で発行された柔道切手については、拙著『外国切手の中の日本』でもいろいろと取り上げていますので、よろしかったらご一読いただけると幸いです。
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 続・外国切手の中の中国:モナコ
2007-04-11 Wed 00:27
 ご報告が遅れましたが、日本国際貿易促進協会の発行する週刊紙『国際貿易』の3月27日号に、僕の担当する「世界の切手で見る中国」の第3回目が掲載されましたので、ご報告いたします。今回取り上げたのは、こんな切手です。(画像はクリックで拡大されます)

ナイチンゲール

 これは、1980年のアンデルセン生誕175周年にあわせてモナコが発行した切手の1枚で、中国の宮廷を舞台にした童話『ナイチンゲール』を取り上げたものです。

 ナイチンゲールの物語は、中国の皇帝のもとに「皇帝陛下の宮殿、世界一すばらしい。でも、本当にすばらしいのは、そのお庭のナイチンゲールの声」という主旨の手紙が届けられるところから始まります。

 ナイチンゲールを探しあてた皇帝はその声を聞くとあまりの素晴らしさに涙を流して感動し、ナイチンゲールを飼うことにします。しかし、ある日、遠い国からダイヤモンドとルビーで飾られた美しい金のウグイスが届けられると皇帝は変心。「金のウグイスがいれば、わしは、なにもいらぬ」との皇帝の言葉をきいたナイチンゲールは森へ帰っていきました。

 その後、金のウグイスは壊れて動かなくなり、皇帝も病の床に倒れます。誰もが皇帝は長くないと思ったいたとき、かつて皇帝の元を離れたナイチンゲールが再び森から現れて、皇帝の傍で鳴きました。その歌声を聴いた皇帝は見る見る病状が回復し、驚く家臣たちに「おはよう、みなの者」と言ったところで物語は終わります。

 切手は、皇帝とナイチンゲール、金のウグイスを組み合わせたデザインですが、どことなく“ヨーロッパ人の見たアジア”というテイストが漂っているように思います。

 ちなみに、中国は2005年にアンデルセン生誕200年の記念切手を発行していますが、その際、中国が舞台になっているはずの「ナイチンゲール」は取り上げられていません。やはり、僕たちが欧米人にフジヤマ・ゲイシャのイメージで日本のことを語られると何となくいやな感じになるのと同じように、中国人も欧米人の目で見た中国宮廷の物語には違和感を覚えずにはいられなかったということなのでしょうか。

 <お知らせ>
 4月29日(土)14:30~、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場で、拙著『沖縄・高松塚の時代』の刊行を記念して講演+サイン会を行います。入場無料ですので、是非、遊びに来てください。
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 グレース・ケリー
2006-04-18 Tue 23:17
 グレース・ケリーがモナコのレーニエ大公と結婚式を挙げたのは、いまからちょうど50年前の1956年4月18-19日のことでした。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

グレース・ケリー

 この切手は、グレース・ケリーとレーニエ大公の結婚を記念してモナコが発行したもので、当時は日本でもかなり話題になりましたから、見たことがあるという方も多いかと思われます。

 グレース・ケリーの伝記情報を調べてみると、たいてい、「1956年4月18日に結婚」と書いてあるので、切手上の“4月19日”という日付は間違いなんじゃなかろうかと思ってしまいがちですが、ウェディング・セレモニーは宮殿と大聖堂で2日間にわたって行われており、初日に法律上の結婚式、2日目に宗教上の結婚の儀式が行われました。敬虔な大公からすると、宗教上の儀式が終わってこそ結婚が成立ということで、切手という公式の場での結婚のお披露目は19日という日付になったということなのかもしれません。(それなら、今回の記事は明日に回せばよかったかな)

 1950年代前半のモナコは、第二次大戦でヨーロッパの上流階級が没落した煽りをまともに食らってカジノ経営は行き詰まり、破産寸前の状態にあったともいわれています。そのため、リゾートを中心とした総合観光立国への脱皮を目指していたモナコにとって、グレースという格好のイメージ・キャラクターの獲得は願ってもないことでした。実際、グレースの結婚後5年間で、モナコの観光収入はそれまでの2倍に膨れ上がっています。

 一方、グレースにしても、際立った美貌の持ち主とはいえ、女優としての演技力という点では、その後もハリウッドのトップ女優の地位を維持し続けることは困難だったでしょうから、女優としての頂点にあるときにレーニエと結婚したことは、客観的に見れば、ベストの選択だったといってよいでしょう。もちろん、結婚というのは当人同士が満足していれば他人がとやかく言うことではないのですが…。

 なお、日本でも皇太子明仁親王ご夫妻(当時)の“世紀のご成婚”が行われた際には、日本中がミッチー・ブームに沸いたわけですが、そのとき準備された記念切手のデザイン案の中には、あきらかに、今日ご紹介しているモナコの切手を元ネタにしたと思われるモノも含まれており、この切手が当時の世界に与えたインパクトの大きさがうかがえます。

 ところで、日本の“世紀のご成婚”は、グレース・ケリーの結婚から3年後の1959年4月のことです。ということは、3年後には天皇・皇后両陛下も金婚式ということになりますね。それまで、お二人にはお元気でいていただきたいものです。ついでに、その頃には去年(2005年)出した拙著『皇室切手』が文庫化されないかなぁとひそかに期待してしまう内藤でした。

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