内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ビロビジャンに杉原千畝の顕彰プレート
2017-09-09 Sat 09:05
 第二次大戦中にナチス・ドイツに迫害され、亡命を希望するユダヤ人へのヴィザ発給に奮闘した外交官、杉原千畝氏の功績をたたえ、きのう(8日)、ロシア・ユダヤ自治州の州都ビロビジャンのシベリア鉄道駅で、記念プレートを設置する式典が開かれました。

      ソ連・ビロビジャン(1933)

 これは、1933年にソ連が発行したビロビジャンの労働者を描く切手です。

 ハバロフスクの西約150キロの地点にあるビロビジャンは、中国との国境近くのビラ川、ビジャン川沿いにあることが地名の由来です。

 ロシア革命後の内戦期、極東地域には、緩衝国家として極東共和国が樹立されていましたが、列強による干渉出兵の最後の兵力であった日本軍が1922年10月にシベリアから撤退すると、ボルシェビキ政権にとって同国の存在意義もなくなり、同年12月のソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立にあわせて、同国はソ連に吸収され、消滅しました。

 しかし、その後も、ソ連にとって極東情勢は必ずしも安泰ではなかったため、ふたたび、極東の緩衝地帯が必要とされるようになります。

 一方、ソ連領内のユダヤ系に関しては、当初、黒海沿岸のクリミア半島の一部に彼らを入植させた民族区を作る構想がありましたが、ユダヤ系を信用していなかったスターリンは、モスクワはもとより中央ロシアやウクライナから彼らを事実上追放するとともに、極東における防波堤として活用することを考えました。

 この結果、1927年、クリミア半島でのユダヤ民族区創設のプランは破棄され、翌1928年、「社会主義的な枠組みのなかでユダヤ人の文化的自治をめざす」との名目で、極東の国境地帯にユダヤ民族区が創設されます。今回ご紹介の切手は、こうした状況を踏まえ、ユダヤ民族区とビロビジャンを宣伝するために発行されたものです。

 はたして、スターリンの予想通り、1929年には中国との間で国境紛争が発生し、1931年に勃発した満洲事変では、日本軍はソ連と隣接する満洲の全域を制圧し、翌1932年には満洲国を建国します。

 こうした状況の下で、極東からの脅威に備えるべく、ユダヤ民族区は1935年にユダヤ自治州に昇格し、ソ連政府は「ユダヤ人の歴史上初めて自分の故郷の建設、自らの民族国家の成就への燃えるような要望が満たされた」と喧伝しました。

 ちなみに、イスラエルの建国は1948年のことで、当時は、ナチス・ドイツの迫害を逃れて欧州のユダヤ人が英国の委任統治領だったパレスチナに大挙して流入し、地元のアラブ住民との確執が深刻化していましたから、ソ連としても、社会主義体制下でのユダヤ自治洲の創設をアピールすることは、プロパガンダとしても重要なことだったわけです。

 一方、日本でも、ほぼ時を同じくして、5万人のドイツ系ユダヤ人を満洲に受け入れ、同時にユダヤ系アメリカ資本の誘致を行うことにより、満洲の開発を促進させると共に、対ソ防衛の拠点を構築する「河豚計画」が検討されたこともありましたが、結局、日の目を見ないままに終わっています。

 さて、鳴り物入りで発足したソ連のユダヤ自治州ですが、そもそも、20世紀にいたるまでほとんど人跡未踏の地だったという土地の自然環境は苛酷で、道路をはじめとする都市のインフラ機能もほとんど整備されていませんでしたから、それまで都市生活を送ってきたユダヤ系の移住者が定着するのは無理がありました。

 このため、自治州発足から4年後、1939年の時点でさえ、ユダヤ人自治州の名前とは裏腹に、同州の人口10万9000人のうち、ユダヤ人は16%の1万7695人しか住んでいませんでした。現在では、州の人口19万人弱のうち、ユダヤ系はわずか4%ほどで、ロシア人が87%と人口の圧倒的多数を占めています。

 なお、ビロビジャンの詳細については、拙著『ハバロフスク』でも1章を設けて説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 最新作 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 近日発売!★★★ 

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 クリミア・タタール人
2016-05-15 Sun 21:59
 ユーロヴィジョンの決勝が、14日夜(日本時間15日未明)、ストックホルムで行われ、ウクライナ代表として出場していたクリミア・タタール人の女性歌手ジャマラが優勝しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・クリミア・タタール人(1933)

 これは、1933年にソ連が発行した“ソ連邦の諸民族”の切手のうち、クリミア・タタール人を取り上げた3コペイカ切手です。

 18世紀までのクリミア半島は、クリミア・タタール人が支配するクリミア・ハン国の版図でしたが、1768-1774年の露土戦争の結果、1783年にクリミアはロシア帝国に併合され、クリミア・タタール人の有力者層はオスマン帝国領内に亡命。その一方で、ロシア人、ウクライナ人をはじめとする移民がクリミアに押し寄せたため、19世紀の初めには、クリミア・タタール人はクリミア半島での少数派となっていました。

 1917年、ロシアで十月革命が起こると、クリミア・タタール人はクリミア人民共和国の独立を宣言しましたが、1918年初めにはボリシェヴィキがクリミア半島を占領。タヴリダ・ソヴィエト社会主義共和国を創設します。これに対して、同年4月末、ドイツに援助されたウクライナ人民共和国軍がボリシェヴィキを駆逐し、同年6月25日、クリミア地方政府を樹立しました。

 クリミア地方政府は、ドイツとオスマン帝国の保護下でクリミア・ハン国の再建をめざし、独自の通貨や切手も発行しました。その後、ドイツオスマン帝国の敗戦を受けて、1918年11月には反ボルシェヴィキの連合国が上陸したものの、1919年初までに撤退。クリミア半島はロシアの内戦に巻き込まれ、赤軍と白軍の攻防の後、最終的には赤軍に占領され、1921年10月18日、ソヴィエト・ロシアの一部としてクリミア自治社会主義ソヴィエト共和国が創設されます。そして、1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦成立を経て、1936年12月5日、クリミア自治ソヴィエト社会主義共和国となりました。

 1941年に独ソ戦が始まると、クリミア半島ではセヴァストーポリ要塞をめぐって独ソの激戦が展開され、最終的にソ連が勝利を収めます。しかし、クリミア・タタール人の対独協力を疑ったスターリンは、1944年5月17日、確認されているだけで、19万3865人のクリミア・タタール人をウズベク・ソビエト社会主義共和国、カザフ・ソビエト社会主義共和国等に追放しました。このうち、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国に追放されたクリミア・タタール人の7%にあたる1万105人が餓死したほか、生き残った者も強制労働を強いられました。その後、クリミア・タタール人のクリミア半島からの追放完了を受けて、1945年6月30日、自治共和国は解消させられてクリミア州となります。

 スターリン没後の1954年、ウクライナのロシアへの統合300年を記念して、クリミア州はソ連構成国のロシアからウクライナに移管。1967年にはクリミア・タタール人の名誉回復がなされましたが、彼らのクリミア半島への帰還はソ連崩壊まで許可されませんでした。

 今回、ユーロヴィジョンで優勝したジャマラが決勝で歌った「1944」は、この1944年のクリミア・タタール人追放を題材にした楽曲ですが、2014年のクリミアのロシア編入の是非を問う住民投票では、現地在住のクリミア・タタール人の大多数は投票をボイコットし田という経緯もあるため、ジャマラの歌も編入の不当性を国際社会に訴えたものと見られています。

 ただし、ユーロヴィジョンでは、政治的な内容を歌詞に盛り込まないことがルールとして明文化されているだけに、今回の彼女の優勝については、しばらく、物議を醸すことになりそうです。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 ナヴォイ劇場
2015-10-26 Mon 10:52
 中央アジア歴訪中の安倍首相は、きのう(25日)、ウズベキスタンのタシュケント抑留日本人墓地(公営ヤッカサライ墓地)と、先の大戦後に旧ソ連により抑留された日本人らが建設したナヴォイ劇場を訪ね、コンサートを鑑賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ナヴォイ劇場

 これは、1950年1月3日、ソ連が発行したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国25周年の記念切手のうち、ナヴォイ劇場を取り上げた25コペイカ切手です。

 現在のウズベキスタン共和国の領域は19世紀にロシア帝国に征服され、ロシア革命後は現在のトルクメニスタンの領域とともにトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の時代を経て、1924年10月27日、トルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が分離されてウズベク・ソヴィエト社会主義共和国となりました。今回ご紹介の切手はそこから起算して25周年になるのを記念して発行されたもので、切手上の表示も“1924*1949”となっていますが、実際の発行は1950年にまでずれ込んでいます。

 切手に取り上げられたナヴォイ劇場は、15世紀のティムール朝の文人・政治家でウズベク人の民族的英雄とされるミール・アリー・シール・ナヴァーイーの名を冠したオペラ・バレエ劇場で、モスクワの国立アカデミー劇場(通称・ボリショイ劇場)などと並ぶ旧ソ連4大劇場のひとつとされています。

 設計はレーニン廟などで知られるアレクセイ・シュチューセフが担当し、ナヴァーイーの生誕500年にあたる1941年の完成を目指して1939年から建設作業が始まりましたが、第二次大戦により、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事は中断されます。

 このため、第二次大戦後、多くの日本人を抑留したソ連当局は、旧日本軍工兵隊の457人を動員し、ロシア革命30周年にあたる1947年11月の完成を目指して工事を再開。収容観客数1400人、舞台の広さ540平米の壮麗な劇場を完成させました。ちなみに、1966年4月26日のタシュケント地震では市内7万8000棟の建物が倒壊しましたが、ナヴォイ劇場は無傷で市民達の避難場所として利用されました。このことは、日本人の丁寧な仕事ぶりを示すエピソードとして現地では広く知られており、ウズベキスタンの親日感情の一要因となっています。

 なお、ソ連による日本人のシベリア抑留と彼らが関わった建造物等については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 戦争は女の顔をしていない
2015-10-09 Fri 11:48
 今年のノーベル文学賞は、ベラルーシのジャーナリスト・ノンフィクション作家のスヴェトラーナ・アレクサンドローブナ・アレクシエーヴィッチが受賞しました。というわけで、彼女の代表作の一つ『戦争は女の顔をしていない』にちなんで、この切手を持ってきました。

      ソ連・女性狙撃手

 これは、1943年にソ連が発行した女性狙撃手の切手です。

 1941年に独ソ戦が勃発すると、ソ連では15-30歳の女性が志願兵として赤軍に入隊し、戦場に赴きました。その中には、従軍看護婦としての衛生大隊や製パン中隊、洗濯大隊などの後方支援だけでなく、実際に最前線で戦っていた女性たちも少なからずおり、1945年までに従軍した女性の数は100万を超えるともいわれています。

 そうした彼女たちの中でも、特に有名だったのが、狙撃兵として活躍したリュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコです。

 1916年生まれの彼女は、独ソ開戦時には24歳でキエフ大学に在学中でしたが、子供の頃から射撃競技に励んでいたこともあり、キエフ市内の赤軍事務所へと赴き、狙撃手としての入隊を志願。身体検査と適性試験に合格した後、第25狙撃兵師団第54狙撃連隊に二等兵として配属され、1941年8月、オデッサ市防衛の任務に就きました。

 彼女は、オデッサ、セヴァストーポリや北カフカスなどでの戦闘に参加し、1942年までに、36名の狙撃手を含む独軍兵士309名を射殺し、史上最高の女性スナイパーとして赤軍女性兵士の象徴的な存在となりました。

 その後、“英雄”を戦死させることを恐れた軍指導部は、彼女を女子狙撃教育隊の教官に任命し、前線からの離脱を命令。さらに、彼女を少佐に昇進させたうえで、外交宣伝の一環として米国へ派遣され、ソ連国籍を持つものとしては初めてホワイトハウスを訪問し、ルーズヴェルト大統領とも面会しています。
 
 帰国後の1943年、彼女は“ソ連邦英雄”の称号を授与されます。今回ご紹介の切手は、こうした時代背景の下、彼女をモデルにして圖案が制作されたものです。

 その後、彼女に憧れる女性が狙撃手候補として赤軍に入隊しましたが、第二次大戦を通じて従軍した約2000人の女性狙撃手のうち、終戦まで生き延びたのは500人以下だったといわれています。

 さて、今回、ノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィッチは、パヴリチェンコのような英雄ではなく、独ソ戦に従軍した普通の女性の戦争体験を丹念に拾い集めた『戦争は女の顔をしていない』で旧ソ連時代の1984年にデビュー。戦後、勝利の陰で忘れられていた従軍女性たちの声から、彼女たちが体験した戦争の実像を描き出して、話題になりました。その後も、独ソ戦当時子供だった人々の体験を集めた『ボタン穴から見た戦争』(1985年)、アフガニスタン侵攻に従軍した人々やその家族に取材した『アフガン帰還兵の証言』(1991年)、チェルノブイリ原発事故に取材した『チェルノブイリの祈り』(1997年)など、市井の人々の心の声や小さな記憶を集めて伝えるドキュメンタリーを書きつづけています。

 なお、現在、彼女はベラルーシ国籍ですが、ベラルーシのルカチェンコ政権は、現在なおチェルノブイリの事故に対する言論統制が敷かれていることもあり、『チェルノブイリの祈り』のベラルーシでの出版は許されておらず、こうしたことも、今回の受賞の一要因になっているのかもしれません。

 * 昨日(8日)のトークイベント「切手に見る美女たち」のご案内は、無事、盛況裏に終了いたしました。お集まりいただきました皆様、スタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 対独戦勝70年
2015-05-09 Sat 22:32
 1945年5月の対独戦勝70年ということで、きょう(9日)、ロシアでは記念の式典と軍事パレードが行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・戦勝加刷

 これは、1945年8月、ソ連が発行した戦勝加刷の記念切手で、対独戦勝記念の日付として、1945年5月9日の表示もしっかり入っています。

 ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル大将がフランスのランスで連合国軍司令長官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥とドイツの降伏文書に調印したのは1945年5月7日02時41分のことでした。これにより、形式的には第二次欧州大戦は終結し、翌8日には、欧州各地で対独戦勝を祝うイベントが行われています。ちなみに、7日の文書での停戦発効時間は、中央ヨーロッパ時間で5月8日23時01分となっていました。

 しかし、ドイツに対する不信感が強かったソ連は、戦場での降伏文書だけでなく、批准文書の調印も要求。このため、5月8日、ソ連占領下のベルリンカルルスホルストの赤軍司令部(旧工兵学校兵舎)で、あらためて、ドイツの国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥と、赤軍のゲオルギー・ジューコフ元帥とテッダー元帥が降伏文書批准のための署名を行いました。調印時間はベルリン時間9日00時15分、西ヨーロッパ夏時間では8日23 時15分、モスクワ夏時間では9日02時15分でした。西側諸国の対独戦勝記念日が5月8日、ロシアを含む旧ソ連諸国が5月9日となっているのは、このためです。

 さて、きょうの記念式典で、プーチン大統領は「ナチズムと日本の軍国主義と戦った国々の代表に特別な感謝を表する」と演説したそうですが、ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に対して宣戦布告したのは1945年8月9日のことですから、70年前の1945年5月9日の時点では、ソ連はまだ“日本の軍国主義”とは戦っていません。

 なお、第二次大戦中のソ連に関しては、拙著『ハバロフスク』でもいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら,ぜひご覧いただけると幸いです。


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 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 モスクワ地下鉄で脱線事故
2014-07-15 Tue 21:55
 日本時間の今日(15日)昼過ぎ(現地時間では朝)、モスクワ市北西部のスラビャンスキー・ブリバール駅近くで地下鉄が脱線し、このブログを更新している時点で、20人が死亡、160人以上が負傷する大事故があったそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モスクワ地下鉄(1935)

 これは、1935年にソ連で発行された「モスクワ地下鉄開通」の記念切手のうち、地下鉄のプラットホームを描いた20コペイカ切手です。
 
 モスクワの地下鉄は、スターリン時代の“第1次5ヵ年計画”によって、1931年に最初の建設計画が決定され、翌1932年から工事がスタートしました。建設計画の策定に際しては、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンの各地下鉄から技術支援を受けているものの、最終的な設計と建設はソ連の技術者が担当しています。

 その第1号として、ソコーリニキ=パルク・クリトゥーリ間の9.5キロを結ぶ1号線(ソコーリニチェスカヤ線)と、その分岐線としてカリーニスカヤ(現アルバーツカヤ)=スモレンスカヤ間を結ぶ2.1キロを結ぶ3号線(アルバーツコ=ポクローフスカヤ線)の計11.6キロが開通したのは1935年5月のことで、これを記念して、今回ご紹介の切手が発行されました。

 その後、モスクワの地下鉄建設は第二次大戦中も工事が継続されて延伸を重ね、1954年には環状線が完成。現在では12路線・総延長293.1キロの規模を誇り、平日の利用者8-900万人は世界一の東京に次ぐ第2位です。また、モスクワ地下鉄の最大の特徴は、多くの駅で宮殿や美術館を思わせる豪華な装飾が施されている点にあり、通勤客のみならず、多くの観光客を魅了しています。

 僕自身はモスクワへ入ったことがなく、したがって、モスクワの地下鉄にも乗ったことはないのですが、今回ご紹介の切手をはじめ、さまざまな切手を通じてなじみのある鉄道だっただけに、今回の事故は、やはりショックですね。ロシア緊急事態省の発表によると、テロの可能性がないということですが、ともかくも、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、怪我をされた方のご快癒と、一日も早い復旧をお祈りしております。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 ソチ五輪開幕
2014-02-08 Sat 17:20
 ソチ五輪が開幕しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       エセントゥキ→ソチ

 これは、1946年3月15日、北コーカサスのスラヴロポリ地方エッセントゥキのサナトリウムから、ソチのサナトリウム宛に差し出された書留便です。日本語でサナトリウムというと、結核などの療養所というイメージが強いのですが、旧ソ連ならびにロシアの場合は、主として温泉付きの(療養も可能な)保養所というニュアンスで、療養とは関係なく、健常者も利用することができます。

 今回の五輪開催地となったソチは、黒海に面し、アブハジアとの国境に近い位置にあります。この地域がロシア領に編入されたのは1829年のことで、1838年、ソチ川の河口にアレキサンドリア要塞が建設されたのが、都市としての始まりとされています。

 帝政ロシア時代からソチは温泉地として知られていましたが、ソ連時代の1923年、鉄道が開通。その直後、リウマチの持病に悩んでいたスターリンは友人の勧めでソチを訪れ、市内のホスチンスキー地区内にあるマツェスタ渓谷の温泉に入ったところ、硫化水素水の効能で身体が軽くなったと感じ、以後、ソチに足しげく通うようになりました。

 当初、スターリンの定宿は、マツェスタ渓谷とアグラ滝の間の山脈に位置するミハイロフスコエ邸でしたが、その後、敷地内に建築家ミロン・メルジャノフの設計により、専用の別荘“ゼリョナヤ・ロシチャ(緑の林)”を建設。さらに、1934年には10億ルーブルを投じてソチのインフラ整備が進められ、幹線道路のスターリン大通り(現・保養地大通り)を中心に公演が造成され、一般向けのサナトリウムも数多く建設されました。今回ご紹介のカバーの宛先になっているサナトリウムも、そうした時代背景の下、建設されたものの一つでしょう。

 ちなみに、独ソ戦の勃発時、ソ連当局による公式録ではスターリンはモスクワにいたことになっていますが、近年の研究では、ソチで休暇を取っていた可能性があるとも指摘されています。もっとも、スターリンは1931年8月と9月にソチで銃撃された経験があり(ただし、1回目は泥酔した兵士による誤射で、2回目はスターリンの来訪を知らされていなかった護衛の兵士が別荘に近づいてきた“不審船”に警告射撃を行ったことによるもので、いずれも、暗殺事件ではありません)、以来、4人の影武者を置いていたといわれていますので、独ソ戦の勃発時にソチにいたのは影武者だったのかもしれません。なお、独ソ戦の勃発から終戦まで、モスクワで陣頭指揮を執っていたスタートンは、家族をゼリョナヤ・ロシチャに疎開させていました。

 現在、ゼリョナヤ・ロシチャは一般向けのミニ・ホテルおよび博物館として営業しています。スターリンの執務室も保存・公開されており、椅子には、スターリンの人形も座っているのだとか。まぁ、オリンピック開催期間中に現地を訪ねることはかないませんでしたが、近現代史に関心を持つ者としては、いずれは訪ねてみたいスポットですな。


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 五輪聖火、北極点に到達
2013-10-26 Sat 15:14
 2014年2月に開催予定のソチ五輪の聖火を北極点まで運んだ原子力砕氷船「戦勝50年」号が、きのう(25日)、ロシア北部ムルマンスクに帰港したことを受けて、ロシア・ソチ冬季五輪組織委員会は、五輪の聖火が今月19日に北極点に達した際の映像を公開しました。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソ連・ツェッペリン北極飛行

 これは、1931年にソ連が発行した「飛行船ツェッペリン伯号の北極飛行」の記念切手で、北極上空を飛ぶ飛行船とホッキョクグマ、ソ連の大型砕氷船マリギン号が描かれています。

 ロシア革命後の1922年4月、当時のボリシェヴィキ政権はドイツとラパロ条約を結び、両国の国交が樹立されました。ちなみに、英国がソ連と国交を樹立したのは1924年のことで、以後、イタリア、フランス、日本などが相次いで国交を樹立しましたが、米国は1933年まで国交を結んでいません。

 独ソの国交樹立は、第一次大戦後、ともに広大な領土を喪失し、国際的に孤立していた両国が、反ヴェルサイユ連合を形成するものでした。実際、ヴェルサイユ条約で軍備を厳しく制限されていたドイツは、ラパロ条約の秘密条項により、国際監視の届かないソ連領奥地のカザンやリペツクに独自の軍事施設を設け、国内での保有が禁じられていた戦車ならびに軍用機の訓練を行うとともに、その見返りとして、ソ連赤軍の教育を担当していました。

 このように、1933年にヒトラーが政権を掌握する以前のドイツとソ連とは、きわめて緊密な関係を築いており、そのことを反映するかのように、1930年には飛行船ツェッペリン伯号がモスクワへの親善飛行を行っています。

 1931年の北極飛行は、1931年7月24日、ドイツ南部のフリードリヒスハーフェンを出発してベルリンに寄港。翌25日、ベルリンを出発し、以後、スウェーデン、エストニア、フィンランドを経て、同日夜、レニングラードに到着し、(ソ連側の発表によると)10万人の市民の歓迎を受けました。

 今回ご紹介の切手は、この時、飛行船に搭載の郵便物に貼るために発行されたものです。このときの北極飛行の経費の相当部分は、今回ご紹介の切手を貼ったエアメールによって調達されましたが、その量は重さにして約270ポンド(122.47キロ)、数にして約5万通の郵便物でした。

 飛行船は、26日にレニングラードを発って北極点をめざし、翌27日、北極海フランツ・ヨーゼフ諸島のフッカー島(グケラ島とも)に到着。ここで、レニングラードで積み込まれた郵袋はソ連の砕氷船マリギン号に引き渡され、その後は、通常のルートでそれぞれの宛先地まで運ばれました。

 その後、一行は調査・測量(このときの飛行では、空から北極圏の地形を確認したことで、従来の地図を大きく修正するなどの成果をあげています)などを行いながら、同日深夜、今回の飛行で最北の地となるプリンス・ルドルフ島に到達。7月30日未明にレニングラード、同日夜にベルリンを経て、31日、フリードリヒスハーフェンに帰着しました。
 
 なお、1930年代のソ連切手との飛行船の関係については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 チェーホフのすゝめ
2013-06-14 Fri 14:02
 詩人、中原中也が友人に宛ててチェーホフの「黒衣の僧」を勧めた書簡が新たに見つかり、あす(15日)から県立神奈川近代文学館で開かれる企画展「中原中也の手紙」で公開されるそうです。というわけで、チェーホフといえば、やはりこの切手がお勧めでしょうか。

       チェーホフ100年

 これは、1940年にソ連が発行したチェーホフ没後100周年の記念切手です。

 文豪、アントン・チェーホフは1860年生まれ。1884年にモスクワ大学医学部を卒業して医師の資格を得た後、医師と作家の二足のわらじの生活を送っていました。当初、彼は生活費を稼ぐために短篇のユーモア小説を量産していましたが、1886年に老作家ドミートリイ・グリゴローヴィチの忠告を受けて本格的な長篇に取り組み、1887年、初の本格的な長編戯曲『イワーノフ』を発表。その成功により、一躍、文壇の寵児となりました。

 その後、チェーホフは1890年4月から12月まで、サハリン(当時は全島がロシア領)での流刑囚の実態調査のため、モスクワから9000キロの大旅行を行いましたが、その過程でハバロフスクにも立ち寄っています。そして、サハリンから戻った彼は、道中の記録や調査の結果を『シベリアの旅』、『サハリン島』として順次発表することになりますが、この『サハリン島』が作家チェーホフの天気になったとする専門家は多いようです。

 その際、彼は、ハバロフスクで帝政ロシア駐屯軍の将校集会所が置かれていた建物の特別室に宿泊しましたが、その建物は、現在、極東ロシアでも有数の美術館とされている極東美術館として利用されており、入口のところには下のようなレリーフが掲げられています。(右側には、博物館の前景の写真も貼っておきます)

      チェーホフ・レリーフ     ハバロフスク・極東美術館(前景)

 
 ちなみに、チェーホフが泊っていたのは建物の南側、坂の上の方にあたる部分で、美術館としては展示スペースではなく、事務所や収蔵品の保管庫などとして使われています。

 なお、チェーホフが泊まっていた建物とその現状については、拙著『ハバロフスク』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 週末はヨーロッパ切手展へ!
2013-01-19 Sat 08:56
 きょう・あす(19・20日)、東京・目白の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。というわけで、その作品の中からこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        コーカサス観光宣伝

 これは、1930年にソ連で発行されたカフカース旅行を宣伝するインツーリスト(ソ連国営旅行社)の広告付き葉書です。

 カフカース(英名:コーカサス)は、カスピ海と黒海に挟まれた地域で、アゾフ海=マヌイチ低地=クマ川を結ぶ線が北限、トルコ=イラン国境が南限です。大カフカース山脈の分水嶺を境に南北に分けられ、基本的に、北カフカースはロシア領、南カフカースはグルジア・アルメニア・アゼルバイジャン三国で構成されています。

 北カフカースは、ロシアの連邦構成主体でいうと、クラスノダール地方(来年の冬季五輪の開催地・ソチのある地域です)とスタヴロポリ地方の二つの“地方(Край)”のほかに、西から東の順に、アディゲ共和国、カラチャイ・チェルケス共和国、カバルダ・バルカル共和国、北オセチア・アラニヤ共和国、イングーシ共和国、チェチェン共和国ダゲスタン共和国に分けられます。

 今回の僕の展示は、ロシアの連邦構成主体ごとに北カフカースの主要都市・景勝地などに関するマテリアルを紹するというもので、競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、観光案内・地理案内に近い気楽な内容です。

 今日の夕方には僕も会場にいる予定ですので、是非、遊びに来てください。


 ★★★ テレビ出演のご案内:いよいよ本日です! ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内:今日・明日開催です!! ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
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