郵便学者・内藤陽介のブログ
 切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。
08 | 2008/09 | 10
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 カナダから国連軍宛
 今年もまた、朝鮮戦争がはじまった“ユギオ(625)”の日がやってきました。現在、ルーマニアで開催の国際切手展EFIROに展示中の僕の作品 A History of Hong Kong にも、朝鮮戦争がらみのこんなマテリアルがありますので、今日のユギオにちなんでご紹介してみましょう。(画像はクリックで拡大されます)

 カナダから国連軍宛

 これは、朝鮮戦争末期の1953年1月26日、カナダ・モントリオールから香港のイギリス野戦局宛に差し出されたカバーです。押されている中継印をたどってみると、1月28日にバンクーバーを経て、香港へ届けられたものの、名宛人が移動していたため、2月3日、米軍機に乗せて転送され、2月9日に名宛人の元へ届けられたというストーリーになりそうです。

 1949年10月1日、北京で中華人民共和国の成立を宣言した毛沢東は、あえて、香港のを“解放”せず、英領のままにとどめておくことを選択します。これは、香港を西側社会に対する“窓”として確保するためには中国に編入せず、英領のままにしておく方が得策との判断によるものでした。一方、イギリスにとっても、英領香港の枠組みが維持されることは望ましいことでしたから、1950年1月、イギリスは西側先進国の中で最初に中華人民共和国を承認してこれに応えます。

 ただし、イギリスは、国連の代表権については依然として台湾の国民政府を支持しており、また、1972年までは両国の間で正規の大使は交換されず、臨時大理大使が交換されるのみでしたから、両国の関係は“半国交”とでもいうべき状態が続くことになります。

 こうした状況の下で、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、西側陣営の大国であったイギリスは国連軍の一員としてこれに参加。香港は朝鮮へと向かうイギリスの拠点となりました。

 一方、朝鮮戦争の勃発を機に、膨大な軍事特需が発生したため、英中両国の商人たちは香港での大量の物資の買い付けに乗り出します。特に、中国側は輸入代金を調達するため、大量の中国製品を香港に輸出。また、国共内戦末期の1949年6月以来、国民党軍が行っていた大陸封鎖は、トルーマンによる台湾海峡中立化の方針によって解除され、香港と中国大陸の貿易を妨げていた要因がなくなったことも、香港の好景気に拍車をかけることになりました。なお、1950年8月、イギリスの香港政庁はアメリカの圧力に屈して中国への戦略物資の輸出禁止令を発していますが、実際には、香港政庁はせっかくの好景気を冷やしたくないと考えていたこともあって、これはザル法で、中国大陸と香港の貿易額はかえって拡大しています。

 ところが、1950年10月、中国が壊滅寸前の北朝鮮を救うため、“人民志願軍”の派遣というかたちで朝鮮戦争に参戦すると事態は一変。1950年12月3日、アメリカは香港・マカオを含む中国全土に対して全面禁輸を実施し、同月16日にはアメリカの客船・航空機が中国へ行くことを禁止します。さらに、翌1951年5月には、国連が香港・マカオを含む中国全土への禁輸措置を決議し、6月にはついにイギリス本国が中国と香港の間の貿易を管制下に置いてしまいました。

 一連の禁輸措置によって香港は経済的に大きな打撃を受けたばかりか、内戦を逃れて流入してきた大量の難民を抱えて、一時期、途方にくれることになります。しかし、彼らはほどなくして逆転の発想で、大量の難民たちを安価な労働力として活用し、それまでの中継貿易を中心とした経済構造から、加工貿易を中心とした経済構造への転換をはかるようになり、メイド・イン・ホンコンの商品が世界に流通していくことになるのです。

 なお、中華人民共和国と香港の関係については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとまとめてみましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 お知らせ
 昨日(24日)、7月1日付で福村出版から刊行予定の『韓国現代史:切手でたどる60年』が出来上がったとの連絡が出版元からメールで入りました。が、いかんせん、ルーマニア滞在中で実物を確認できませんので、詳細は7月2日に帰国した後で、ご案内します。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
 防衛省か国防省か
 今日(1月9日)付で日本の防衛庁が防衛省に変わるんだそうです。

 個人的には、防衛省という名前よりも、国防省という方がカッコいいと思うのですが、ウィキペディアによると、他国の国防を所管する省庁の名称は、ほとんどがMinistry(Departmemt) of Defenceで、直訳すると“防衛省”であり、“国”にあたる単語を含んでいるケースはカナダ、中国、韓国など少数派なんだそうです。

 というわけで、そのレアケースな純然たる“国防省”がらみのモノとして、こんなカバー(封筒)を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

カナダ国防省のカバー

 これは、1957年12月、第2次中東戦争(いわゆるスエズ動乱というヤツです)後の停戦監視のために派遣された国連緊急軍(UNEF:UNITED NATIONS EMERGENCY FORCES)に参加したカナダ軍の関係者が差し出した公用便で、カナダ国防省の封筒が使われています。封筒の表示は、英語とフランス語で“DEPARTMENT OF NATIONAL DEFENCE/ MINISTERE DE LA DEFENSE NATIONALE”となっており、しっかりと“国”に相当する“NATIONAL”という単語が見えます。

 第2次中東戦争は、1956年12月22日までに英仏軍がスエズ侵攻作戦を中止して撤退したことで事実上終了しましたが、その戦後処理として、国連事務総長ハマーショルドの裁定により、大国を排除した国連緊急軍が停戦監視のために派遣され、カナダもその一員として参加したというわけです。

 カバーには差出地などは書いてありませんが、この時期に国連緊急軍が派遣されていたのは第2次中東戦争の関連地域だけですから、余悩むことはありません。国連のマークとUNITED NATIONS EMERGENCY FORCESが入った消印が鮮明に押されているのも良い感じです。

 第2次中東戦争後の国連緊急軍の活動は、第3次中東戦争直前の1967年5月、ナセルがシナイ半島に兵力を進駐させ、国連緊急軍に撤兵を要求するまで続きます。このため、国連緊急軍関連のカバーは1960年代に入ってからのモノも少なくないのですが、やはり、第2次中東戦争との絡みで持ってくるのなら、このカバーのように1957年のモノでないと、ありがたみも半減してしまうように思います。

 なお、第2次中東戦争にからむ切手やカバーについては、去年刊行の拙著『これが戦争だ!』でも、いくつかご紹介していますので、是非、ご一読いただけると幸いです。
 緑の地球
 今日(4月22日)はアースデイ。「地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日」だそうです。というわけで、“緑の地球”(とはいっても、アースデイの趣旨とは全く関係なくって、緑色で地球が印刷されているというだけのことなのですが…)を描く切手の中から、こんな1枚のご紹介です。

オタワ会議13セント

 画像(クリックで拡大されます)は、1932年7月12日、オタワ会議を記念してカナダで発行された3種セットの切手の1枚(13セント)で、イギリスを象徴する女神ブリタニアを中心に“英連邦”の部分を濃く塗った地球を描くことで“大英帝国”を表現するデザインとなっています。

 1929年の世界恐慌で打撃を受けたイギリスは、1931年に金本位制を停止し、本国・自治領・植民地といった“大英帝国”の結びつきを強化し、排他的な貿易ブロックを形成しようとしました。その具体的な話し合いのために、1932年7月21日から8月20日にかけて、カナダのオタワにイギリス本国と自治領・植民地の代表(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランドの各自治領とインド、南ローデシアの植民地)が集まり、英連邦内の新たな経済政策が決められたのが、オタワ会議です。

 会議の結果結ばれたオタワ協定により、イギリスは、連邦以外の国の製品に対しては相対的に高い関税を賦課し、連邦諸国内の製品の関税は低くするという特恵制度が徹底され、世界経済のブロック化が急速に進展して行きます。この辺の話は、中学・高校の歴史の授業でさんざん聞かされた方も多いでしょう。

 ご存じの方も多いかもしれませんが、テーマティク・フィラテリスト(切手や郵便物でストーリーを組み立てた作品を作る人間)としての僕の原点は、“昭和の戦争”のコレクションです。(その概要については、新潮新書の拙著『切手と戦争』をご覧いただけると幸いです)

 “昭和の戦争”のコレクションでは、その序章にあたる部分では“世界恐慌”を避けては通れません。とはいえ、恐慌そのものに関するマテリアルというのは、なかなかコレといったものがないので、恐慌に対する各国の反応というかたちで恐慌を表現するしかないのですが、そのときに、オタワ会議の切手はそのものズバリの1枚として重宝しています。ただし、『切手と戦争』では、ページ数の関係から、世界恐慌そのものを割愛して、いきなり柳条湖事件から始めたので、この切手も出番がありませんでしたが…。

 学生時代、コレクションを作り始めた頃は、1ドルがまだ200円以上していたことに加え、懐具合も非常に寒かったので(現在が冬の旭川並みなら、当時は真冬のアラスカ並み、といったところでしょうか)、僕にとってのこの切手は決して安くはない切手でした。そのくせ、センターの良くない(目打と呼ばれるミシン目に対して、切手の印面が偏っている)切手が多くて、綺麗な状態のものを手に入れるのに苦労したのも、現在となっては懐かしい思い出です。

 *イベント告知
 4月29日(土)14:30から、東京・浅草の都立産業貿易センター6階で開催のスタンプショウ会場にて、最新作『一億総切手狂の時代:昭和元禄切手絵巻 1966−1971』の刊行を記念して、ミニ講演と即売サイン会をやります。スタンプショウは入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。

 外国切手の中の中国:カナダ
 NHKラジオ中国語講座のテキスト1月号が送られてきました。同誌に連載している「外国切手の中の中国」では、今月は、1990年代以降のカナダを取り上げています。

 カナダは、近年、ユニークな年賀切手を発行していることで知られており、それらを単純に並べてみるだけでも、1月号の企画としては、なかなか楽しいのではないかと思います。とはいえ、やはり、年賀切手を並べているだけでは読み物としてはつまらないので、僕なりにちょっとひねりを効かせて、こんな切手も取り上げてみました。

香港のカナダ兵

 この切手は、1991年、「第二次大戦50年」シリーズのひとつとして1941年の出来事を特集したもので、右下には香港のカナダ兵が取り上げられています。

 1939年に第二次大戦が勃発すると、カナダはただちに英連邦の一員として参戦し、ドイツ・イタリアと戦っています。そして、1941年の日英開戦直前には香港防衛のためにカナダ軍3個大隊が派遣され、同年末の香港陥落後、日本軍の捕虜となり苦難の生活を強いられました。

 それゆえ、香港のカナダ兵が「第二次大戦50年」の切手に取り上げられても、そのことじたいは不思議でもなんでもありません。ただ、この切手では、具体的な固有名詞として、ヨーロッパ戦線の出来事が登場せず、香港のみが取り上げられているのは、やはり目を引きます。

 1980年代後半から、カナダには、共産中国への“返還”をきらった富裕層が香港から大量に流入。それに伴い、バンクーバーがホンクーバーと揶揄されるほど、中華系の影響力は急速に高まっていきます。香港のカナダ兵の切手も、こうした背景の下、香港とカナダの歴史的な結びつきを強調することで、中華系住民と白人系住民との宥和をいっそう進めようという意図を込めて発行されたと考えるのが自然なように思われます。

 その後、カナダ社会における中華系住民のプレゼンスはますます強まり、そのことが、年賀切手の発行へとも繋がっていくわけですが、その辺の詳しい事情については、18日に発売の「NHKラジオ中国語講座」のテキスト1月号の僕の記事をお読みいただけると幸いです。

 ニューファンドランドの犬
昨日はクリスマスの話題でしたが、そろそろ、年賀状の準備もしなければなりません。というわけで、今日は、犬切手の定番モノのひとつとして、この1枚をご紹介しましょう。年賀状作成のヒントにでもしていただけると幸いです。

ニューファンドランド犬

 この切手は、1888年1月、ニューファンドランド島で発行されたもので、犬の切手としては世界で最初の1枚ということになります。

 ニューファンドランド島は、カナダ東岸の大きな島で、1857年1月から1949年3月末までは、カナダ本土とは別に、独自の切手が発行されていました。

 切手に描かれている犬は、その名もズバリニューファンドランド犬。もともと、この島にいた犬と、バイキングの犬、さらにはヨーロッパ人が持ち込んだ犬などが掛け合わされて出来上がった原型を、18世紀ごろ、イギリスで改良して現在のような姿になったのだそうです。

 実は、この切手は近々発売のある雑誌の表紙に使うことが決まっていて、昨日はその解説文を書いていました。で、その関係で調べていて分かったのですが、この犬の実際の毛色は黒や茶、もしくは白と黒の2色で、切手のように赤いわけではないそうで・・・。さすがに、切手のように真っ赤な犬がいるとは思いませんが、それでも、例によって僕は切手のデザインが頭にこびりついて、いわゆる赤毛の犬だとばかり思っていたので、ちょっとビックリしたというわけです。

 ちなみに、1894年には、この切手と同じデザイン・額面で赤から黒に改色された切手が発行されていますから、年賀状には赤と黒の二つのバージョンを作って、相手によって使い分けてみても良いかもしれません。なんだか、ウイスキーの赤ラベルと黒ラベルみたいですが…。

 なお、僕も年賀状には何らかのかたちで犬の切手を使うつもりですが、もうちょっとひねったものはないかと、現在、いろいろと探しているところです。



アクセス数 (2005年6月1日〜)

プロフィール

内藤陽介 (ないとう・ようすけ)

Author:内藤陽介 (ないとう・ようすけ)
 1967年、東京都生。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。切手の博物館・副館長。切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続けている。
 主著:<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵趣出版、現在、第6巻まで刊行)、『北朝鮮事典』、(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『反米の世界史』(講談社現代新書)、『皇室切手』(平凡社)、『これが戦争だ!』(ちくま新書)、『満洲切手』(角川選書)、『香港歴史漫郵記』(大修館書店)、『タイ三都周郵記』(彩流社)ほか著書多数。最新作は『韓国現代史:切手でたどる60年』(福村出版)

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