内藤陽介 Yosuke NAITO
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 鬼に金棒 小野に鉄棒
2016-10-29 Sat 10:42
 きのう(28日)、平成28年度の文化勲章・文化功労者が発表され、文化功労者の1人に体操男子で黄金期の礎を築いた小野喬氏が選ばれました。スポーツの体操分野での文化功労者選出は初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      第16回国体(鉄棒)

 これは、1961年10月8日に発行された“第16回国民体育大会(以下、国体)”の記念切手のうち、男子の鉄棒を取り上げた1枚です。この鉄棒選手のモデルが、今回、文化功労者に選ばれた小野氏です。

 1961年の国体秋季大会は、秋田県内の各地を会場として、10月8-13日の日程で行われました。

 秋田県が国体の誘致に名乗りをあげたのは、1955年のことで、以来、秋田県よりも早く国体誘致の活動を開始していた新潟県との間で激しい誘致合戦が展開されています。

 当時、秋田県の財政は深刻な状況にあり、民間企業であれば破産に相当する財政再建団体に指定されていました。財政再建団体の指定を行うための「地方財政再建促進特別措置法」の施行は1955年のことでしたから、秋田県は同法の施行後ただちに財政再建団体の指定を受けていたことになります。

 また、当時の秋田県には、秋田市内に山王体育館やラグビー場はあったものの、それ以外には全国規模の大会を行うための正規の基準をクリアーしたものはありませんでした。さらに、国体競技種目のうち、ハンドボール、ウェイトリフティング、フェンシング、馬術、ホッケー、ヨットに関しては、県の競技団体が結成されていなかったほか、宿泊施設の収容力も、とうてい、国体参加者をカバーしうるものではありませんでした。

 したがって、秋田県国体の開催は、通常の感覚からすれば、明らかに無謀な計画でしたが、県側では1955年8月に国体誘致委員会(会長は秋田県知事の小畑勇二郎)を結成。県の体協関係者や市町村長らを動員して強引な誘致運動を展開し、1954年10月24日の国体委員会で開催の決定を取り付けました。これは、東北初の単独開催であると同時に、赤字再建団体としての開催という前代未聞の事柄でした。

 無謀ともいえる国体の開催に秋田県側が執念を燃やしていた背景には、国体のもたらす莫大な社会的効果がありました。

 すなわち、秋田空港の開港をはじめ、道路網の整備や地方体育施設の建設といった大型土木プロジェクトが国体に合わせておこなわれたほか、県産品を広くアピールする機会がうまれたことで、地元では「(国体開催によって)秋田県は20年の遅れを一挙に取り戻した」との声もあったといわれています。

 とはいえ、赤字財政の中での大会であったため、開催の基本方針として“金のかからぬ質素な国体”ということが強調されました。“明るい国体”というスローガンの下、県民運動の一環として、県民の住居を関係者の宿泊先として提供する民泊が奨励されたのは、その典型的な事例といってよいでしょう。

 なお、大会の競技数は28、参加者数は1万4547名で、天皇杯・皇后杯はいずれも東京都が獲得。秋田県は天皇杯2位(前年は9位)、皇后杯4位(前年は10位)という好成績を収めています。

 記念切手に関しては、例年どおり、年初の1月23日に開かれた郵政審議会専門委員会で発行が決められていましたが、大会秋田県実行委員会会長(小畑勇二郎)名の発行陳情書が仙台郵政局長を通じて本省の郵務局長と郵政大臣(小金義照)宛に提出されたのは1月27日のことでした。

 切手の図案としては、4月10日、漕艇・鉄棒・ラグビー・射撃・バドミントン・ハンドボール・弓道・馬術等、地元の特色を活かしてほしいとの要望が小畑から出され、これに沿って、同月13日、男子の鉄棒と女子の漕艇(ただし、記念切手の対象となる秋季大会ではなく、夏季大会での競技であった)が取り上げられることが決まります。原画作者は

 このうち、鉄棒の図案は、「鬼に金棒、小野に鉄棒」とよばれた当時の日本体操界のエース、小野氏の演技写真を元に構成されましたが、これは、小野氏が地元・秋田県能代市の出身だったことによるものです。

 小野氏は1931年生まれ。東京教育大(現筑波大)在学中の1952年、ヘルシンキ五輪に出場し、1956年のメルボルン五輪の鉄棒で日本体操界初の金メダリストとなりました。その後も、1960年のローマ五輪、1964年の東京五輪に出場し、4大会で計13個のメダル(金5、銀4、銅4)のメダルを獲得し、日本体操界に一時代を築きました。1958年には、女子体操界のエースだった大泉清子(後、参議院議員、国家公安委員長)と結婚。東京五輪後の1965年、体操を中心とした総合スポーツクラブの先駆けとなる池上スポーツ普及クラブを夫婦で設立し、ソウル五輪代表の小西裕之らを育てるなど、指導者としても実績を上げました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和時代の国体切手の詳細については、拙著『解説・戦後記念切手』(全7巻)でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 切手歳時記:梅にウグイス
2016-02-04 Thu 11:50
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年2月号ができあがりました。今回は立春(今日ですな)の時期に合わせて、僕の連載「切手歳時記」も、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      鳥切手・うぐいす

 これは、1964年2月10日に発行された鳥切手の“うぐいす”です。

 ウグイスといえば我々の感覚では“ホーホケキョ”と鳴くものと相場が決まっていますが、万葉の人々はその鳴き声を“ウーウグピ”と聞いていたようです。

 もともと、大和言葉では、鳥の名前には鳴き声にスをつけるという命名法があり(その典型的な例がカラス)、ウグイスの名前も、そのルールに従って、万葉仮名では“宇具比須”と書かれていました。ちなみに、当時の“比”の字の発音は、ピとビの中間のような音で、それが後にウグヒス、さらにウグイスとなったのだといわれています。

  一方、漢字の鶯は、中国語では、日本語でいうウグイスとは全く別種の鳥である“コウライウグイス”を意味していますが、この鳥は日本には棲息していませんでした。

 このため、中国大陸ではありふれた鳥である“鶯”は漢詩にもしばしば登場するものの、そのままでは日本語には訳しようがありません。

 そこで、杜牧の『江南春』冒頭の一節「千里鶯啼いて緑紅に映ず」を持ち出すまでもなく、“鶯”が春の訪れを告げる鳥として漢詩に詠まれていることをふまえ、当時の日本人は“鶯”をあえて自分たちにとって馴染みのある“ウグイス”と訳しました。これが、ウグイスを鶯と書くようになった始まりで、万葉集の時代には、宇具比須と鶯の表記が混在しています。

 ところで、ウグイスと言えばやはり梅を思い浮かべる人も多いとおもわれます。ただし、しばしば誤解されがちなことですが、梅にウグイスの組み合わせは、春の訪れを告げる鳥と花を組み合わせた吉祥のシンボルともいうべきもので、天然自然の現象としてウグイスが梅の木を好むということではありません。

 すでに万葉集の中には、「梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声」のように、梅とウグイスを組み合わせたものもあり、両者の組み合わせが古くから日本人に親しまれてきたことがわかるのですが、季節の風流譚としては、僕は、『大鏡』に記されている“鶯宿梅”のエピソードを挙げたいですね。

 村上帝の御世(946-67)、帝が愛でておられた清涼殿前の梅が枯れたことがありました。臣下の者たちが八方手をつくして新たな梅を探したところ、西の京のとある家の庭で立派な紅梅を見つけたので、これを掘り起こして御所に運ぶことにしました。すると、作業をしていた者たちに、家主からの言伝として、梅の木の献上にあたっては短冊をひとつ枝に結びつけてほしいという要望がありました。

 御所に運び込まれた紅梅を一目見るなりお気に召した帝は、すぐに枝の短冊に気づかれ、中を開いたところ、「勅なればいともかしこし 鶯の 宿はと問はばいかに答へむ(勅命とあれば畏れ多いことで、謹んでお受けいたしますが、毎春この木に訪れる鶯が、私の宿はどうしたのかと尋ねたら、どうに答えたらよいのでしょう)」との歌が書かれていました。

 この歌に深く感じ入った帝が改めて、紅梅の元の持ち主を問うと、紀貫之の娘、紀内侍が父の形見として梅を大切に育てていたことがわかったため、帝は自らの行為を深く恥じ、この木を鶯宿梅と名付けて紀内侍に返した伝えられています。

 その後、紀貫之の邸宅跡には、応永25(1418)年正月、将軍・足利義満により相国寺の塔頭として林光院が建立され、鶯宿梅は林光院のシンボルとなりました。その幹は何度か枯れてしまいましたが、そのたびに、接ぎ木によって受け継がれています。

 現在、鶯宿梅の花は36枚の花弁を有しており、つぼみの間は真紅、開花後は淡紅に変じ、最後に純白へと移りゆく変化が楽しめます。そこへ実際にウグイスが飛んできて、今回ご紹介の切手のような光景が拝める確率は、おそらく、宝くじ以下でしょうが、そうであればこそ、この組み合わせのありがたみもいや増すというものですな。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 2月9日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 125年前の女性交換手
2015-09-29 Tue 22:55
 1890年9月29日、わが国の電話創業に先立ち、“女子電話交換手”の募集が始まってから、きょうでちょうど125年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      電話創業75年

 これは、1965年12月16日に発行された“電話創業75年”の記念切手で、当時の電話のダイヤルの枠内に、創業時の電話交換機に向かう女性交換手のようすが描かれています。まぁ、僕の世代だと、相手先によっては電話を交換台でつないでもらうという体験もしているわけですし、もちろん、ダイヤル式の電話は日常的に使っていましたから、この切手を見てもすぐに電話のことを描いているとわかるのですが、現在の20代くらいの人がみたら、説明がないと、このデザインから電話を連想するのは難しいかもしれません。

 グラハム・ベルがテレフォンを発明したのは1876年のことでしたが、翌1877年には、早くも、その機械がわが国にもたらされています。当時の工部省 は、ただちに、その研究を始め、1878年にはテレフォンの機械を模造することに成功。これを“電話機”と名づけました。

 その後、工部省電信局を引き継いだ逓信省は電話の実用化にこぎつけ、1890年12月16日、電話の実用化にこぎつけ、東京=横浜間の電話交換を開始するわけですが(今回ご紹介の切手は、ここから起算して75周年になるのを記念して発行されました)、これに先立ち、9月29日には“女子電話交換手”の募集を開始しました。その時の応募条件は、「小学校高等科出で夫なく家事に関係せざること。品行方正なこと。視力聴力善良にして言語明瞭なること。筆算に優秀なこと。交換局所在地に居住すること」でした。

 切手に取り上げられている電話交換のようすは、東京電話交換局(現在の東京都千代田区丸の内1丁目、工業クラブの場所にあった)内で撮影されたものです。当時、東京交換局の交換手は女性9人、男性2人、横浜交換局の交換手は男性4人でした。女性交換手は、羽織に日本髪、耳にレシーバーをかけているのが特徴です。
 
 電話創業に際して、当初、逓信省は東京300、横浜100の加入者を見込んでいましたが、実際の加入数は東京155、横浜42と、予想の半分程度でした。これは、電話を雇うよりも“小僧”を雇って直接メッセージのやり取りをするほうが割安という感覚があったことに加え、おりしもコレラが蔓延していた京浜地区では、電話回線を通じてコレラ菌が感染するという噂を信じていた人が相当数いたことによるものと見られています。

 ちなみに、東京の電話番号は、東京府庁が1番、日本鉄道会社(現・JR)が15番、三菱財閥の祖・岩崎弥太郎が160番で、郵便の父・前島密は248番でした。
 

 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ちすじの黒髪
2015-07-27 Mon 14:09
 ご報告が遅くなりましたが、7月15日付で刊行の(公財)日本近代文学館の館報『日本近代文学館』第266号に、「ちすじの黒髪」と題するコラムを寄稿しましたので、以下、その全文を転載いたします。(画像は、エッセイの題材となった1966年の趣味週間切手「蝶」です。クリックで拡大されます)

      蝶(藤島武二)

 今年の3月、『日の本切手 美女かるた』と題する拙著を上梓した。

 内容は、明治以来、日本で発行された“美女”を描く切手の中から48点を選んで、そこに、いろは47文字(+ん)のそれぞれで始まる読み札をつけた“かるた”形式のエッセイ集だ。このうち、“く”の札については、鳳(与謝野)晶子の『みだれ髪』のなかから「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪 (かつおもひみだれおもいみだるる)」を持ってこようとすぐに思いついたが、それに対応する切手はどうしようかと大いに頭を悩ませた。

 こういう時は、やはり『みだれ髪』の初版本を手元に置いて考えたい。とはいえ、東京新詩社が明治34(1901)年に刊行した『みだれ髪』の初版の実物を入手しようと思えば、数十万円単位、下手をすると7桁の買い物になるから、ちょっと手が出ない。そこで、日本近代文学館の名著複刻全集の1冊として、昭和43(1968)年に刊行されたレプリカを探し出してきて入手した。

 名著複刻全集がオリジナルをかなり忠実に再現したつくりになっているであろうことは、以前、ふとした拍子に入手した夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』のレプリカで経験済みだった。なにしろ、オリジナル通りにフランス装のアンカットになっていて、発行記念の“青銅紙刀”までついていたほどだから。

 さて、『みだれ髪』の表紙画は木版画で、ハープのデザインされた口絵をめくると、「表紙畫みだれ髪の輪郭は戀愛のハートを射たるにて、矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」との説明文がある。なお、この表紙画では、書名が“みだれ髪”ではなく“ミだれ髪”となっていることも、恥ずかしながら、復刻版を実際に手に取ってみて初めて気が付いた。

 藤島武二のデザインした表紙画は、千々に乱れる黒髪を、緑色に縁どられた桃色の髪が神話のメドゥーサさながらにうねっているデザインで表現している。もちろん、これはこれで完成されたデザインで、僕も大好きなのだが、表紙の木版画を手に取ってじっくりと眺めていたら、ふと、藤島の作品の中では、切手にも取り上げられた「蝶」の方が、あるいは、『みだれ髪』のイメージを忠実に再現しているのではないかとも思うようになった。

 「蝶」は、『みだれ髪』の刊行から3年後の明治38(1904)年9月22日から11月13日まで、東京・上野公園で開催された第9回白馬会展覧会に出品された作品で、昭和41(1966)年の切手趣味週間の切手に取り上げられた。

  『みだれ髪』(のレプリカ)の表紙の上に「蝶」の切手を置いてみると、なるほど、二人の少女の横顔はよく似ているが、『みだれ髪』の表紙の少女が接吻を待っているかのような風情であるのに対して、「蝶」の少女は実際に花に唇を寄せ、蜜を吸っている。

  「蝶」の画面では乳首こそ描かれていないもものの、胸元を大胆にははだけた「蝶」の少女からは、何とも言えない色香が漂ってくる。まさに、これこそ「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の“やは肌”そのものではあるまいか。ある意味、元祖“着エロ”の世界と言えるかもしれない。

 ところで、『みだれ髪』の表紙の少女の髪の毛の線は木版特有のベタッとした刷り上がりになっているが「蝶」の切手では、髪の毛の部分には、その質感を出すために局式凹版という特殊な印刷方式が用いられている。

 局式凹版は日本の印刷局が開発したことからその名がつけられた。紙幣などに用いられる彫刻凹版の細かい画線を手工的な彫刻によって行うのではなく、写真的に画線を形成し、腐食によって凹画線を得た版を用いてグラビア印刷機で凹版印刷を行うというもので、通常の凹版よりもツヤがあり、インクの盛り上がりが良く、細線に線切れがないなどの特徴があるので、まさに、髪の毛の表現には最適だ。切手を発行した郵政省や印刷局も、「蝶」という作品における“髪”の重要性を十分に認識していたということなのだろう。

 今回の一件に限らず、やはり、実際に印刷物としての本や切手を手元に置いて眺めていると、いろいろなことが見えてくるものだ。どれほど精巧なデジタル・データであっても、実物が発するオーラにはかなわない。 
 (以上転載終わり)
    
 なお、拙著『日の本切手 美女かるた』では、今回ご紹介の「蝶」の切手だけでなく、『みだれ髪』初版本の表紙を取り上げた20世紀デザイン切手も合わせてご紹介しておりますので、機会がありましたら、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 万国電信連合 150年
2015-05-17 Sun 15:35
 現在の国際電気通信連合(ITU)の前身にあたる万国電信連合の条約が1865年5月17日に締結されてから、きょうでちょうど150年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      国際電気通信連合100年(日本)

 これは、いまから50年前の1965年5月17日に発行された“国際電気通信連合100年”の記念切手です。
 
 1840年代、電信は欧米諸国に広まりましたが、料金制度や業務の取扱方法等は国ごとにまちまちであったため、これを統一的な制度で運用するための多国間条約の必要が早くから叫ばれていました。このため、1865年、フランスのナポレオン3世の招請でヨーロッパの主要20ヶ国の代表がパリに集まり、欧州内の国際電信制度の統一を定めた条約を締結。万国電信連合を創設します。

 その後、万国電信連合は加盟国を増やすとともに、1876年にグラハム・ベルが発明電話を発明すると、国際電話についての統一的な運用をはかるための規則を制定しました。

 わが国と同連合との関係は、1872年、ローマで開催された第3回万国電信会議にロンドン駐在の権大書記・塩田三郎が出席したところからはじまります。その後、1875年にロシアのサンクトペテルブルクで開催された第4回会議へのオブザーバー的な参加を経て、1887年3月、日本政府はロシアの駐日臨時代理公使、ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼンを通じてロシアに連合加盟の仲介を依頼。1889年1月29日に正式に条約への加盟を果し、同年10月13日、条約への加盟が正式に日本国民に対して公布されました。

 当時の万国電信連合は、電話を含む有線電信全般をカバーしてはいたものの、無線電信については、発展途上を理由に、その対象外となっていました。このため、1906年のベルリン条約に基づいて国際無線電信連合が発足。日本は同連合に1913年に加盟しています。

 この国際無線電信連合は、1932年にマドリードで締結された国際電気通信公約により、万国電信連合と合併。有線・無線を問わず、電気通信事業全般の国際協力機関として、現在の ITU となりました。  

 さて、1965年5月17日は、現在の ITU の前身にあたる万国電信連合の条約が締結されてから100周年にあたっていたため、同連合では、1965年を“ ITU 100年記念の年”として国際的に各種記念行事を行うとともに、加盟各国に対して、国内でも記念行事を行うように要請。その一環として、世界各国の郵政に対して、記念切手発行が呼びかけられました

 これを受けて、わが国でも記念切手が発行されることになり、今回ご紹介の切手が発行されました。原画作者は東角井良臣で、郵政省の報道発表では、図案は“地球と電気通信百年の歩みを象徴したもの”と説明されています。なんとなく要領を得ない説明ですが、当時、ITU による公式の百年史 From semaphore to satellite, Geneva : International Telecommunication Union, (日本語版は、国際電気通信連合編・郵政省訳 『腕木信号から宇宙通信まで』として、1968年11月、国際電信電話資料センターから刊行されています)が刊行されていますので、そこから着想を得た可能性が高いのではないかと思います。

 
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 国立こどもの国開園50年
2015-05-05 Tue 15:33
 1965年5月5日に、国立子どもの国が開園して、きょうでちょうど50年です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         国立子どもの国開園

 これは、1965年5月5日に発行された「国立子どもの国開園」の記念切手です。

 1959年4月の皇太子殿下(今上陛下)のご成婚に際して全国からお祝い金の使途について、ご夫妻は「こどものためになる施設の建設費用に充ててほしい」とのご希望をお持ちでした。

 このため、1960年、米軍に接収されていた旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡の国有地が返還されると、都心から約30キロの地点に位置するその跡地約97万平方メートルに、次世代を担うこどもの健全育成のための施設として、多摩丘陵の雑木林をそのまま生かした自然の遊び場“こどもの国”の建設が開始されました。

 建設の中心となったのは、“「こどもの国」建設推進委員会(規格・設計・広報を担当)”と“(財)「こどもの国」建設協力会(寄附の受入・国費以外の工事の施工・運営を担当)”で、日本商工会議所会頭の足立正が双方の会長を務めました。建設費用は国費が約3億3000万円、1965年5月の開園までに一般から寄せられた寄附が約4億円でした。

 “こどもの国”は、当初、1964年の東京オリンピックにあわせて開園する予定でしたが、工事が遅れたため、1965年5月5日、子どもの日に合わせて、一部未完成部分を残しつつ開園しました。

 園内は、外周道路4キロ、内周道路2.4キロをはじめ、雑木林をぬうように散策道路が縦横に通じ、遊具広場、芝生広場、ミニSL、ローラー滑り台、湖、ミニアスレチック、せせらぎ、つり橋、1.6キロのサイクリングコースなどがあり、湖ではボートやドラム缶いかだで遊べます。また、牧場には約60頭の乳牛と約40頭のヒツジが放牧され、ウサギなどを抱いてふれあうことのできる“こども動物園”があり、ポニーの乗馬も楽しめるほか、プールやサッカー場などの各種スポーツ施設もあり、家族連れから学校、会社、グループなど多くの人に利用されています。
 
 今回ご紹介の切手は、こどもの国の開園にあわせて、開園当日の1965年5月5日に発行されたもので、遊ぶ子供と動物に子供の国のマークを配したデザインです。

 ところで、東京オリンピックの前後から、記念・特殊切手は発行枚数が増加し、売れ残るものが多かっただけに、今回の記念切手に関しても、当初、郵政省・収集家ともに、それほど人気が出るものとは考えていませんでした。実際、発行日の東京中央局では、名目的に1人1回5シートまでという販売制限を行ったものの、実際には、おもったほど切手は売れず、午前10時半を過ぎると、窓口には全く行列がなくなってしまいました。

 ところが、この切手は小中学生の間では非常に人気を呼び、各地の集配局では売り切れがあいつぎました。また、切手に比べて初日カバーの人気が高く、東京中央局の郵政弘済会の売店でも、30人ほどの行列が開店から続き、正午には用意していた在庫が完売となっています。

 こうした人気に引きずられるように、翌6日には切手普及課の窓口でも完売となりましたが、当時の収集家・切手商の間には、なぜ、この切手が人気となったのか、その理由がわからず、首をかしげる人も多かったそうです。


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 姫路城グランドオープン
2015-03-27 Fri 10:55
 6年がかりの“平成の大修理”を終えた姫路城が、きょう(27日)、グランドオープンということで、一般公開が再開されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       姫路城(1964)

 これは、1964年に発行された“姫路城修理完成”の記念切手です。姫路城の切手は数多ありますが、今回は、およそ半世紀ぶりの“平成の大修理”完成ということでもありますので、半世紀前の“昭和の大修理”の記念切手を持ってきたという次第です。

 1601年、関ケ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、大阪城の豊臣秀頼と西国の諸大名との間に物理的にも楔を打ち込むため、大阪城の背後にあたる姫路の地に大規模な城を築くことを決定。娘婿(督姫の夫)のおける池田三左衛門輝政をこの地に配し、備前・淡路とあわせて87万石(実際は97万8000石と推定されています)を与え、8年の歳月をかけ5層7階の大天守を持つ大城郭を築かせました。

 さらに池田輝政の後にこの地に封じられた本多忠政は、息子の忠刻の妻として千姫(徳川秀忠の長女)を迎え、“化粧櫓”や“西の丸”一帯を築き、1618年、現在の姫路城が完成しました。

 その後も、徳川幕府にとって姫路(播磨)は、西国諸大名をおさえる重要な拠点だったため、 譜代の大名が配置され、跡継ぎが幼少・病弱な場合には、容赦なく国替が行われたことから、城主は松平氏、榊原氏、酒井氏とめまぐるしく変化していきます。

 明治維新後の1869年、藩籍奉還により、姫路城は兵部省の管轄となり、1872年には陸軍省に引き継がれました。陸軍省は、翌1873年、全国の城郭の存廃を検討し一旦は姫路城を残しましたが、修理費用が捻出できなかったことから、城を競売にかけてしまいます。そして、瓦を再使用するつもりだった神戸清一郎が23円50銭でこれを落札しましたが、落札後、瓦が一般家屋には大きすぎて使えないことがわかると、神戸は城の購入件を放棄。姫路城はふたたび陸軍省の管理下に置かれました。

 このため、1874年、陸軍省は、城内三の丸広場に歩兵十連隊を設置。一部の櫓や門などを取り壊し、大天守なども取り壊すことを決定します。しかし、陸軍省第四局長代理中村重遠(階級は大佐)は、貴重な名城は後世に伝えるべきと考え、1878年、陸軍卿・山県有朋に姫路城の存続を直訴。この結果、1879年1月、ようやく、姫路城の保存が正式に決定されました。

 さて、1929年、国宝保存法が施行されると、法隆寺と姫路城を中心に総合的な大修理を行うことが決定されます。姫路城の修理は、1910年にも行われましたが、その後も老朽化が進行していたためです。さらに、1934年6月、豪雨のため、西の丸のタからヲの渡櫓にかけて、石垣もろとも櫓が崩壊。このため、臨時の災害復旧修理事業として、西の丸の修理計画が立案されることになりました。これが、“昭和の大修理”工事の発端となります。

 これを受けて、1935年、文部省の出先機関として、姫路城国宝保存工事事務所が開設。工事は戦争で中断したものの、1950年、第1次6ヶ年工事が再開され、菱の門から備前丸の範囲が修理されます。さらに、この工事終了と前後して、大天守一帯の根本的な解体修理を含む第二次工事の計画がたてられ、1956年から実施されました。

 工事は大天守をいったん解体し、その上で、旧礎石を撤去してコンクリート地盤を築き、組み立てなおすというもので、8年の歳月とのべ25万人の労働力を費やして、1939年3月末までに、天守群の工事が完了しました。

 姫路城の修理完成に合わせて記念切手を発行するという企画は、文部省からの申請に基づき、1964年1月、昭和39年度の切手発行計画を審議する郵政審議会専門委員会の議題に取り上げられ、満場一致で可決されました。

 切手発行の決定を受けて、現場の制作サイドは資料の収集を開始。文部省の文化財保護委員会や日本城郭協会、さらには地元から資料を取り寄せ、これをもとに、渡辺三郎と大塚均の二人が三種類の原画(渡辺が2点)を作成。このうち、姫路市役所で作成されたパノラマ図を図案化した大塚の作品が2月10日に切手として採用となりました。

 その後、3月5日と17日の2回、印刷局から試刷が提出され、2回目のときに提出された青、紫、茶、暗い茶の4種類の試刷の中から、暗い茶が切手の刷色として決定され、修理完成記念式典の行われる6月1日、切手発行の運びとなっています。

 なお、今回の大修理では、約100トンの白漆喰を塗り替え、瓦約7万5千枚を葺き直して白亜を復活させるとともに、大天守の内部も改装され、耐震補強も施されています。なお、お色直し後の白漆喰は、現状では、まばゆいほどの純白の状態ですが、風雨にさらされるため、4-5年ほどでカビや汚れによって黒ずんでしまい、以前のような色に戻ってしまうそうです。“白鷺城”の異名を実感しようと思ったら、早めに見に行った方がよさそうですな。
 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月4日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『日の本切手 美女かるた』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

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 東京五輪50年
2014-10-10 Fri 09:36
 1964年10月10日に東京オリンピックが開幕してから、今日でちょうど50年です。というわけで、今日はストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)


      東京五輪小型シート

 これは、1964年10月10日の東京五輪の初日に発行された小型シートで、9月9日の聖火リレー日本到着時に発行された5円切手と、10月10日に発行された競技会場の切手(国立競技場の10円切手、日本武道館を描く30円切手、国立代々木競技場を描く40円切手駒沢体育館を描く50円切手)の計5種の記念切手が収められています。

 小型シートの額面合計は135円ですが、二つ折りのタトウに収めて140円で販売されました。なお、東京の石神井局で売り出された小型シートの中には、タトウ外側の黒色(表面の「第18回オリンピック競技大会」と「郵政省」、裏側の「売価140円」の文字)が抜けたエラーがあることが報告されています。ちなみに、小型シートの切手と通常のシート切手は、額面10円以上の4種に関しては、用紙の漉き目の方向で簡単に区別することができますが、5円切手に関しては、小型シートからの切り抜きであることがわかる耳紙がついていなければ、識別は困難です。

 さて、今回ご紹介の小型シートに関しては、シートマージンが狭く、記念押印には適さないなどの理由で当時の収集家の評判はいまいちでしたが、一般の人気は上々で、事前の通信での申込が多かったため、当初、300万枚の予定だった発行枚数は、増刷されて最終的に400万枚となっています。

 なお、オリンピックの大会そのものは、10月24日の閉会式をもって無事に終了し、選手村も11月4日には閉村。翌5日にはオリンピック選手村の郵便局も閉鎖され、東京オリンピックとそれに伴う郵便サービスは表向き完全に終了します。ところが、オリンピックに対する国民の熱狂の中で、東京中央局の切手普及課には郵便での注文が殺到。その数は7-8万通にもなったそうです。昭和37年度の年間総郵頼数が2万7000通であったことを考えると、この数字がいかに巨大なものであったか、おわかりいただけるでしょう。この結果、新切手の通信販売を行う切手普及課の作業は当初の予定よりも大幅に遅れ、発送作業は12月半ばまでかかっています。

 また、5種の記念切手と小型シートの額面上の総売上は36億3500万円となり、このうちの印刷費(1枚約40銭)など必要経費3億6000万円あまりを差し引いた残りの40% 、約13億円が郵政省の収益として報告されたことも、当時、話題になりました。なんとも景気の良い話で、高度経済成長と切手ブームの時代の熱気が感じられる数字ですな。


 ★★★ 第2回ヨーロッパ切手展開催中です! ★★★

 きょう・あす(10・11日)の2日間、東京・目白の切手の博物館にて「第2回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は、今年日本との国交150周年を迎えた“スイス”で、展覧会はスイス大使館の国交樹立150周年記念事業の認定を受けています。

 内藤も第二次大戦中のスイス・ジュネーヴ経由でやり取りされたレターシートのミニ・コレクションを展示していますが、有名なバーゼルの鳩を含むスイス初期の切手のコレクションを始め、かなり見ごたえのある内容になっております。入場は無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 カラチ行きのFFC
2014-06-09 Mon 22:20
 けさ未明(現地時間8日午後11時頃)、イスラム武装勢力“パキスタン・タリバーン運動”(TTP)がパキスタン南部カラチのジンナー国際空港の旧ターミナルを襲撃。警察や空軍の特殊部隊との間で5時間にわたって銃撃戦が行われ20人超の死者が発生しました。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      JALカラチ便FFC

 これは、1962年10月4日に差し出されたJALの南回りヨーロッパ便のFFC(初飛行カバー)で、同日中に、このカバーの宛先となっているカラチに到着しています。当然のことながら、今回の事件があったカラチ国際空港の旧ターミナルで下ろされたものと思われます。なお、このときのJAL便は、東京を出発した後、香港、バンコク、カルカッタ、カラチ、クウェイト、カイロ、ローマ、フランクフルトを経由して、ロンドンに到達しました。

 さて、パキスタンの首都は、1947年の独立から1958年までは、アラビア海に面したカラチでした。カラチは現在でもパキスタン最大の都市ですが、国土の南端に位置しているため、ここに人口と経済力が集中することは国家建設のバランスという観点から好ましいことではありません。このため、北部ポトワール高原のラーワルピンディー(陸軍司令部の所在地)の近郊に新首都としてイスラマバードを建設することとなり、1961年から開発がスタート。この間、1959年からイスラマバードが完成する1969年までは、ラーワルピンディーがパキスタンの暫定的な首都となっていました。

 JALの南回りヨーロッパ便の経由地としてカラチが選ばれたのもこうした経緯によるものですが、このFFCが差し出された1962年には、パキスタン第2の都市ラホールに新たな国際空港が完成しています。ちなみに、ラホール国際空港は大型機のボーイング747型機の発着が可能な設備を備えていたため、1964年の東京五輪の際には、パキスタン側は聖火運搬機の経由地としてカラチではなくラホールを指定しました。ところが、実際の聖火運搬機には、“シティ・オブ・トウキョウ”という名の機体を使うことを優先して、ダグラスDC-6Bというプロペラ式のレシプロ機が選ばれたため、カラチの空港でも十分に対応は可能だったのだとか。まぁ、こういう行き違いって、ときどきありますよね。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:東京都
2014-05-07 Wed 18:50
 ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第27号(2014年4月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は巻頭特集の東京五輪50年にあわせて、東京五輪の寄附金つき切手を特集しました。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       東京五輪募金・近代五種

 これは、1964年6月23日に発行された東京五輪の第6次寄附金つき切手のうち“近代五種”を取り上げた1枚です。

 古代オリンピックでは、紀元前708年の第18回大会から、走幅跳、円盤投げ、スタディオン走(古代ギリシャ式の短距離走)、やり投げ、レスリングの5種目を1人の競技者が1日で行うペンタスロン(古代5種)が行われていました。

 近代オリンピックでは、ペンタスロンは、走幅跳、円盤投げ、200m走、1500m走、やり投げの5種目を1日でこなす“5種競技”へと姿を変えましたが、これとは別に、馬術・射撃・フェンシング・水泳・ランニングの5種をこなす“近代五種”が考案されます。

 近代五種は、ナポレオン戦争時代のフランス兵が戦果報告のために馬を駆り、銃と剣で敵と戦い、泳いで海を渡った上、走って丘を越えたというエピソードをスポーツの世界で再現しようとするもので、1912年のストックホルム・オリンピックから採用されました。推定競技人口が、日本で約100人、世界でも48ヶ国3万人程度しかいないマイナー競技ですが、近代オリンピックの父とされるクーベルタン男爵の肝いりで正式種目に入れられたこともあり、しばしばオリンピック種目からの除外が取り沙汰されるも、そのたびに生き残っています。

 なお、今回ご紹介の切手については、馬術の専門家であった渡辺進が、以下のように図案上の問題点を指摘しています。

 遠景に馬術(障害飛越と想像される)が画かれているが、そうとするとこの騎手の姿勢が何とも情けないのである。馬の体勢からして障害物を飛越せんとして踏切つた(ママ)ところと思えるのだが、この馬の尾が力なく垂れているのも変だが、更にこの騎手の姿勢は悪い。落第的であると思う。障害を飛越する時は、騎座を堅くし従つて(ママ)膝から下は鐙をふんでむしろ後の方へひかれていなければならない。上体は自然に前傾して尻は鞍から離れ、手綱を握る拳は午の首へのばしたのに自然について行かねばならない。この切手に画かれた騎手は、馬の踏切に騎座がゆるんで旗手の体が馬におくれ軽うじて(ママ)両手をのばしているといつた、馬術的に見て情けない姿勢であると思う。競馬における大障害飛越では馬の速力が極めて疾いため旗手は鐙をふんばり脚を前にのばし上体を反らして両手をのばすことがあるが、これはむしろ変格で、馬術としての障害飛越姿勢ではない。

 渡辺の指摘通りに描かれた切手としては、たとえば、第25回国体の記念切手などがありますが、たしかに、これと比べると今回ご紹介の切手の馬術は貧弱に見えてしまいますな。

 さて、今回の記事では、東京五輪の募金切手全20種をすべてご紹介しましたが、掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
        

 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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