内藤陽介 Yosuke NAITO
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 高橋みなみのこれから何する?
2016-11-28 Mon 13:37
 本日(28日)13:15すぎから、TOKYO FMのラジオ番組「高橋みなみのこれから何する?」に内藤が電話生出演いたしました。テーマは「年賀状1月2日配達取りやめ」について。というわけで、きょうは“1月2日”の消印が押された切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      1月2日・伏見局機械印

 これは、1970年1月2日の機械印が押された7円切手です。

 1月2日の年賀状の配達は、1974年から2004年まで休止されていましたが、2005年から“民営化”を前にしたサービス向上のために復活していました。しかし、年賀状の数がピークから大幅に減少したうえ、昨今、人件費も上昇していることから、コスト削減のため、2017年から、1月2日の年賀状の配達は再び休止されることになりました。なお、郵便物の集荷や書留便などの配達、郵便局内の処理作業などは、従来通り、1月2日も行われます。

 ちなみに、1974年から1月2日の年賀状配達が休止されたのは、1973年に全逓信従業員組合(全逓)が展開した“73年末闘争”の結果です。すなわち、この時の闘争で、全逓側は、インフレ手当0.5ヶ月、週休2日制、1月2日・3日休配を中心的な要求として掲げ、突如、意図的に郵便物を滞留させる“電撃的物ダメ”戦術を展開。この結果、インフレ手当0.5ヶ月、1979年9月から4週間に1回の非番日を実施、1月2日の休配が労働者の権利として認められ、2004年まで、1月2日には年賀状の配達が行われないという慣行が続いていたわけです。

 かつて、春闘が盛んだったころには、毎春のように、国鉄をはじめとする鉄道・バスのストライキがありましたが、全逓は、郵便事業の一番の書き入れ時である年賀状の時期を闘争の重要な時期と位置付けており、戦後の年賀状の歴史にもさまざまな影響を及ぼしています。

 たとえば、戦時中および終戦直後の年賀郵便の特別取扱が中断されていた時期を除き、1935年末から、指定の期間内に差し出された年賀状には絵入り年賀印が押されていました。ところが、1956-57年の年末年始、全逓は年末手当2ヵ月分の獲得と特定郵便局長の官制化、特別職法案に対する反対などを主張し、要求が入れられない場合には「年賀はがきを超勤拒否によりストップする」として賜暇戦術をとったため、1957年の年賀状には絵入りの年賀印は使用できませんでした。この結果、翌1958年の年賀状からは、櫛形印・機械印ともに毎年使用できるよう、時刻欄に“年賀”の文字が入ったものが使われるようになりました。その後、1962年の年賀状からは、年賀郵便特別取扱期間(当時は12月15-28日)に引き受けた官製年賀はがきへの消印そのものも省略されるようになります。

 また、全逓の年末闘争が特に激しかったのは、1959年と1978年の年末で、1960年と1979年には元日に配達されなかった年賀状がかなりの数に上りました。特に、1979年は年賀状の遅配が相当数に上ったため、お年玉くじの抽選会も当初予定の1月15日から同31日に延期され、小型シートの交換開始も、1月20日から2月5日に変更されたほどでした。

 なお、このあたりの事情については、拙著『年賀状の戦後史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 番組が無事に終了しましたので、記事内容を告知から、放送内容を補足するものに変更して再アップしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 切手歳時記:山鳥の尾
2016-10-11 Tue 12:24
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年10月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヤマドリ・ローマ字入り

 これは、1971年12月1日に発行されたヤマドリの80円切手です。

 秋分の日を過ぎると、日の暮れるのが急に早くなったような気がして、“秋の夜長”を実感します。

 小学生の頃、柿本人麻呂の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」の歌の意味するところは下の句の「ながながし夜をひとりかも寝む」だけで、上の句の「あしひきの~」は「ながながし」を導く序言葉で特に意味はないと学校で教わりました。

 ちなみに、昔の人は、山鳥の雌雄は峰を隔てて寝ると信じていて、それゆえ、歌の世界では山鳥は“ひとり寝”の比喩になるのですが、“ひとり寝”の意味も分からぬ小学生にそんな話をしても仕方がありませんから、先生も授業では省略したのでしょう。じっさい、子供だった僕は、なんだかつまらない歌だと思いつつも、山鳥の尾がどれほど長いものなのか、学校帰りに、郵便局の窓口で買った山鳥の80円切手を眺めていた記憶があります。

 山鳥の80円切手には、1965年に発行された“NIPPON”の表示なしのものと、1971年に発行された“NIPPON”の表示入りのものがあるが、僕が見ていたのは、今回ご紹介の後者の方です。

 ヤマドリの尾の節は、最初の1年で5節できて、その後は毎年1節ずつ伸びていくのだとか。80円切手の節の数を数えると、印面の範囲では9節あるように見えますから、この鳥は最低でも5歳ということになります。ただ、尾の先端は明らかに画面の外にはみ出していますから、切手のモデルになった鳥の尾には、実際には、もう1節か2節あったのかもしれません。

 言い伝えでは、9歳を超え、尾が13節以上になったヤマドリには特殊な霊力が宿り、人間を騙したり、闇夜に光を発したりするとされてきましたが、長野県に伝わる「八面大王」の民話には、じつに33節という、とてつもないヤマドリの尾羽が登場します。

 その昔、信濃国・有明山中の“魏石鬼の窟”には八面大王と称する鬼が棲み、村人に乱暴狼藉を繰り返していました。

 その村の若者、弥助は、ある年の暮れ、ヤマドリが罠にかかっているのを見つけ、持っていたお金を罠に結わえるのと引き換えにヤマドリを放ってやります。それから3日後の大晦日、道に迷った美しい娘が弥助の家を訪ね、2人はそのまま夫婦になりました。

 それから3年後、蝦夷の討伐に向かう途中の坂上田村麻呂は八面大王のことを聞きつけ、鬼退治に乗り出したものの、大王の魔力は強く、田村麻呂の軍勢は歯が立ちませんでした。そこで、観音堂で一心に祈りを捧げたところ「33節のヤマドリの尾を矢にすれば、きっと退治できよう」とのご託宣が下ります。

 そこで、田村麻呂は信濃の国中に33節のヤマドリの尾を探すよう命じたが、だれも見つけることができませんでした。

 このことを知った弥助の妻は、自分がかつて弥助に助けられたヤマドリであることを明かし、「自分の尾を鬼退治に使ってほしい。これでやっと恩返しができる」と書置きと尾を残して姿を消してしまいました。

 はたして、弥助が残された尾で矢を作り、田村麻呂に献上すると、田村麻呂はその矢で八面大王を射殺し、村には平和がもたらされます。この結果、弥助は田村麻呂から多額の恩賞を得ましたが、妻を失った悲しみは癒えることなく、毎日、彼女の帰りを待ちながら亡くなりました。

 ヤマドリを愛した男は、結局、金や名誉と引換に彼女を失い、ヤマドリの比喩が意味する“ひとり寝”の生活でその生涯を終えたというわけですが、その物語は、人麻呂の山鳥の歌の景色と妙に重なり合っていて、大人になってから読み返すと、“ひたぶるにうら悲しい”気分にさせられます。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 ノーベル医学生理学賞に大隅良典氏
2016-10-04 Tue 09:37
 スウェーデンのカロリンスカ医科大は、きのう(3日)、今年のノーベル医学生理学賞を、東京工業大の大隅良典・栄誉教授に授与すると発表しました。授賞理由は「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」で、日本のノーベル賞受賞は、昨年(2015年)の医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授物理学賞の東京大宇宙線研究所長の梶田隆章教授に続き25人目です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第7回国政生化学会議

 これは、1967年8月19日に発行された第7回国際生化学会議の記念切手で、細胞内部の細胞質の模型が取り上げられています。今回の授賞理由となった“オートファジー”は、細胞が細胞内部の劣化したタンパク質などを分解し、栄養源などとして再利用する仕組みということなので、“細胞”にフォーカスをあてた切手をご紹介してみました。

 切手は、ミトコンドリア(右上から中央下にかけて描かれているゾウリ型)を中心に、小胞体やゴルジ体とおぼしきものと分子構造模型が描かれています。切手に取り上げられた細胞小器官のうち、ミトコンドリアは細胞内のエネルギー発生の場で、小胞体は一重の生体膜に囲まれた板状または網状の膜系で、タンパク質や脂質の合成、代謝、カルシウム貯蔵など、多くの細胞機能に関わる器官、 ゴルジ体は扁平な袋状の膜構造が重なっており、タンパク質の糖鎖修飾などを行います。

 一方、分子構造模型はタンパク質構造(ペプチド構造)の一部を表現したもので、球の色ごとに分子が描き分けられており、黒が炭素、灰味青が水素、赤が酸素、青が窒素、黄が硫黄、となっています。

 切手の題材となった生化学は、生命現象を化学的側面から研究する学問分野で、タンパク質や脂質、糖質、核酸、カルシウムイオンなど、目的の分子を生体から取り出して主として試験管内で実験を行うものです。(生体内の化学反応を研究する学問は、生理学として区別されます。)

 生化学の知見が人間の生活に応用された事例としては、約5000年前に、パンを膨らませるために酵母を用いたことにまでさかのぼることができますが、近代的な生化学のルーツとしては、1828年にフリードリッヒ・ヴェーラーが発表した尿素の合成に関する論文(それまで、生体内でしか作ることができないと考えられていた有機物が人口的に合成できることを証明した)や、1833年のアンセルム・ペイアンによるジアスターゼ(酵素)の発見、などに求めることができます。

 その後、生化学の発展に伴い、この分野での国際的な学術交流も進み、1949年には第1回の国際生化学会議がイギリスのケンブリッジで開催されました。以後、国際生化学会議は3年ごとに世界各都市で開催されています。

 今回ご紹介の切手の題材となった1967年の第7回会議は、東京のプリンスホテルとホテル・ニューオータニを会場に、8月19-25日の日程で約4000名(うち日本人参加者は約1500名)の参加を得て開催されました。

 なお、国際生化学会議は、1991年にエルサレムで開催された第15回会議から国際生化学・分子生物学連合(IUBMB)と名称を変更し、現在にいたっています。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 中宮寺半跏菩薩像、海を渡る
2016-05-24 Tue 20:07
 日韓でそれぞれ国宝に指定されている仏像の半跏思惟像を1体ずつ共同で展示する“韓日国宝半跏思惟像の出会い”展が、きょう(24日)から、ソウルの国立中央博物館で始まり、日本からは、奈良・斑鳩の中宮寺の本尊、半跏菩薩像が展示されています。中宮寺の半跏菩薩像が海外で展示されるのは、今回が初めてのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      中宮寺仏像(実験用)

 これは、1966年頃、郵便自動化の実験用に作られた“切手”です。中宮寺の半跏菩薩像は、1951年に50円切手(ゼロ付)に取り上げられて以来、1980年10月1日にソメイヨシノの切手が発行されるまで、約30年にわたり、5種類の50円切手の題材として使われ続けました。

 すなわち、1951年5月1日に発行された最初の半跏菩薩像切手は当時の書留速達料金(書留料金30円+速達料金20円)に対応したもので、1952年6月20日には、刷色はそのままに、1円以下を示す00を省略した円位の切手が発行されています。ついで、1966年12月26日には、万国郵便連合の規定に従って“NIPPON”とのローマ字表記を入れ、刷色を小豆色に変更した切手が発行されました。このときの料金体系では、50円は外信書状の基本料金、簡易書留料、速達料金等に対応しています。

 翌1967年7月1日、郵便物の機械処理が開始されるのに伴い、速達料金に対応する通常切手には赤系統の色の枠を印刷することになったため、切手の刷色を赤色に改めたものが発行されました。今回ご紹介の切手は、それに先立ち、実験用につくられたもので、刷色がオレンジ色(1967年に発行された切手は赤)で、額面表示は“0円”となっているほか、読み取り用の横線が入っているなど、実際の切手とは図案も異なっています。

 なお、1976年1月25日、書状の基本料金が50円に値上げされると、書状基本料金用の切手には緑色の枠を印刷する必要から、緑色に刷色を改めたものが発行されます。なお、緑色の50円切手に関しては、自動販売機用のコイル切手や切手帳も作られました。

 さて、今回、ソウルで展示されている半跏菩薩像は、奈良・斑鳩の中宮寺の本尊ですが、じつは、飛鳥時代の作という以外に、その伝来等についてはよくわかっていません。中宮寺の寺伝では“如意輪觀音”とされていますが、わが国では、この名称が使用されるようになったのは密教が本格的に伝来した平安時代以降のことですので、当初は弥勒菩薩像として作られたものと考えられています。

 こうしたこともあって、国宝としての指定名称は“木造菩薩半跏像”ですが、1951年5月1日、この仏像を取り上げた最初の50円切手が発行された際、郵政省の報道発表では像の名を“中宮寺 如意輪観音”となっています。

 なお、中宮寺の半跏菩薩像とその切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

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 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 市松と石畳
2016-04-26 Tue 11:48
 2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は、きのう(25日)、大会エンブレムについて、4案の候補作品の中から、市松模様をモチーフにした「組市松紋」を選出したことを発表しました。というわけで、市松模様にちなんで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      春信・文読み

 これは、1969年10月1日に発行された「第16回万国郵便大会議」の記念切手のうち、鈴木春信の「中納言朝忠(文よみ)」を取り上げた50円切手で、右側の箒を持った女性が市松模様の帯を締めています。

 国際的な郵便交換の組織である万国郵便連合(UPU) は、原則として5年に1度、全加盟国政府の全権委員を集めて、万国郵便連合憲章をはじめとする郵便関係の条約改正について討議する会議を開催しています。これが、万国郵便大会議で、1874年の第1回会議(UPU創立会議)と1878年の第2回会議がパリで開催された後、各国の持ち回りで開催されてきました。1969年の第16回会議は、10月1日に昭和天皇ご臨席の下、国立競技場で開会式を行った後、11月14日までの45日間にわたり、東京のプリンスホテルを会場として討議が行われました。

 切手に取り上げられた鈴木春信の「中納言朝忠(文よみ)」は、オリジナルの錦絵では、小倉百人一首にも採録されている中納言朝忠の「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」の歌を上部に書き、その下に、なかなか会うことのかなわぬ恋人からの手紙を読む娘と、箒を持ったまま、掃除をする手を止めてそれを覗きこむ女性が描かれています。また、この構図は、中国の古典的な画題である“寒山拾得”で、寺男として箒を持つ拾得と、巻物を持つ寒山の組み合わせに見立てて美人画としたものです。

 さて、市松模様は2色のタイルを交互に並べたようなデザインで、日本古来の文様として、もともとは“石畳”と呼ばれていました。ところが、1741年、歌舞伎の初代佐野川市松が「心中万年草」の主人公・粂之介を演じた際、紺と白の“石畳”の衣装を着用して評判となり、以来、彼の名を取って市松模様と呼ばれるようになったとされています。ただし、その後も、市松模様を、明らかに古名の“石畳”のイメージで使っているケースもあるので(その代表格が「ビードロを吹く娘」)、市松という名称が完全に定着するまでにはそれなりの時間がかかったのではないかと思います。

 ちなみに、初代市松(1722-62)と春信(1725-70)は同時代の人物ですから、彼の時代には、模様の名前も石畳と市松が混在していたのではないかと思います。今回ご紹介の切手の「中納言朝忠(文よみ)」のような多色刷りの錦絵は、春信が“紅刷り絵”と呼ばれる単色から数色の版画技法を発展させて1765年に完成させたものですから、1741年の「心中万年草」上演以降に制作されたものです。したがって、箒を持った女性の帯の模様を“市松”と呼んでも間違いではないのでしょうが、彼女の“元ネタ”が寺男の拾得だったことを考えると、ここは“石畳”とする方が良いのかもしれません。


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 日本・シンガポール外交50周年開幕
2016-01-09 Sat 10:51
 今年(2016年)は日本とシンガポールの外交関係樹立50周年ということで、きょう(9日)から、シンガポール伊勢丹スコッツ店で、そのキックオフイベントとして日本の食文化や農林水産食品を紹介するグルメイベント“<技 Waza Enjoy Taste of Japan”Oishii” to your home>が開催されます。というわけで、両国関係に関するマテリアルの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      東京→シンガポールFFC(1968)

 これは、現在のシンガポール航空の前身にあたるマレーシア・シンガポール航空の東京=シンガポール間の初飛行カバー(FFC)です。

 1963年、マラヤ連邦(1957年に英国から独立)・英領シンガポール・同サバ・同サラワクが統合し、マレーシア国家が結成されると、英領時代の1947年に設立されたマラヤ航空(Malayan Airways Limited)もマレーシア航空(Malaysian Airways Limited)に改称されました。その後、1965年にシンガポールがマレーシアから分離独立すると、マレーシア航空はマレーシア・シンガポール両国政府の共同保有となり、1967年には社名も、今回ご紹介のFFCのマレーシア・シンガポール航空(Malaysia-Singapore Airlines Limited)と改称されています。

 その後、1マレーシア・シンガポール航空の両国共有は1971年4月に解消され、マレーシア側はマレーシア航空を、シンガポール側はシンガポール航空を設立し、現在に至るというわけです。

 さて、“シンガポールと日本の外交関係樹立50周年”の記念イベントとしては、記念切手の発行も計画されているのですが、現時点では発行日は未定となっています。仮に、7月の全日展にあわせての発行ということになれば、何か記念の展示も考えないといけないかもしれませんね。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第7回テーマティク出品者の会切手展 1月17-20日(日ー水。ただし、18日は休館)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年の香港展に出品した香港の歴史のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)

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 今年の漢字は“安”
2015-12-15 Tue 14:55
 この1年の世相を漢字一字で表す“今年の漢字”が“安”に決まり、きょう(15日)、京都の清水寺で発表されました。というわけで、“安”の字の入った日本切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      交通安全運動(1967)

 これは、1967年5月22日に発行された“全国交通安全運動”のキャンペーン切手です。日本の切手で“安”の文字が表示されたのは、この切手が最初の事例です。

 交通事故撲滅のために全国規模で行われる啓発運動としては、占領下の1948年12月10-16日の1週間、国家地方警察本部(現警視庁)が行った“全国交通安全週間”が最初の事例です。全国交通安全週間は、1952年以降は春秋2回の“全国交通安全運動”になり、現在にいたっています。

 1960年前後から、いわゆる高度経済成長が始まると、日本国内の自動車の数も飛躍的に増加しましたが、それに伴い自動車事故も急増していきました。

 このため、交通事故防止のための意識啓発を目的として、1965年、全日本交通安全協会 (以下、安全協会)の主催、総理府・警視庁・毎日新聞社の後援で「交通安全年間スローガン」が募集されました。これを受けて、同年11月15日、安全協会は東京・赤坂のプリンスホテルで関係者を招いて懇談会を催し、スローガンを普及徹底させるための方策が話し合われます。席上、東京母の会連合会 会長の吉川政枝や日本サイクリング協会専務理事の高田精作から発言があり、キャラメルの箱や封筒、切手、カレンダー、年賀状などを利用した広報活動を行なうべきとの要望意見が出されました。安全協会もこの意見を尊重し、1966年早々には会長の津島寿一の名義で、郵政省に対してスローガン入り切手の発行が申請されています。

 さらに、1966年春の全国交通安全運動に際して、毎日新聞社が交通事故防止アイディアの募集に宮城県在住の収集家・西条記一が交通安全切手の発行を提案し、これが入選となりました。これを受けて、毎日新聞社も、同年秋の交通安全運動にあわせて記念切手を発行することを内々に郵政省にも働きかけたようですが、これは実現しませんでした。

 一方、郵趣界では、1953年に西ドイツで世界最初の交通安全切手が発行されたのを皮切りに世界各国で交通安全切手が発行されていることを踏まえ、以前から、日本でも交通安全のキャンペーン切手を発行したらよいのではないかとの声が根強くありました。特に、1966年12月17日、群馬県桐生郵趣会会長の長女、土岐ゆかり(当時2歳)が自動車事故で亡くなると、土岐の葬儀に参列した収集家の金子康夫や石塚義一の呼びかけで交通安全運動のキャンペーン切手発行を求める声が急速に高まっていくことになります。

 こうした収集家の声を受けて、参議院郵趣友の会の会長で、自らも交通事故の被害者となった経験のある保利茂は切手発行運動の先頭に立っていた金子らに対して次のようにアドバイスしました。

  郵政省がこの切手を独断で決めると警察庁なり自治省の領域荒らしとなる。お役所仕事はうるさいものでそういった筋からの正式発行申請があればよいのだが果たして出ているだろうか 。この運動のもって行きどころは郵政省ばかりでなく自治省なり警察庁なりにもあるのである。さもなくば衆参両院に請願書を送って政府に勧告してもらう方法だ。

 これら各方面からの働きかけにくわえ、1967年の全国交通安全運動は前身の全国交通安全週間から数えて第20回の節目を迎えることもあって、1967年1月23日に開かれた郵政審議会専門委員打合会では、5月の全国交通安全運動 にあわせてキャンペーン切手を発行することが決定されました。

 こうして、1967年5月22日、春の全国交通安全運動の初日にあわせて、横断歩行中の児童と信号機を描いた15円切手が発行されました。今回の切手は、全国交通安全運動の期間中、通常切手の代わりに販売・使用することになっていたため、大きさは通常切手と同じサイズで、通常の記念切手の約5倍にあたる1億枚という発行枚数が設定されました。

 これに伴い、郵政省は全国の郵便局に対して「全国交通安全運動にちなむ郵便切手の発行について」と題する通達(局管周第974号)を発し、以下のように指示しています。

 (1)本切手は、特殊切手として一般の例によって取り扱うものであるが、売りさばき(窓口売りさばき、外務売りさばき、売りさばき人に対する売渡し等をいう。以下同じ)にあたっては、通常の郵便切手とみなし優先的に消化をはかること。ただし、買受人から通常の十五円郵便切手の売りさばき方を特に要望された場合はこの限りではない。
 (2)発行後、二ヶ月を経過しなお残品がある場合においても一般の例による返還または管理換えの措置を取ることなく完売まで売りさばきを継続すること。
 (3)分任局については、42請求年度十五円通常切手定期請求数の一部とみなして交付する。したがって42請求年度定期請求書交付決定数に対して、本切手の送付数だけ十五円通常切手の送付数を減ずる。

 こうして、今回の切手は大々的に売り出され、社会的にも大きな関心を集めることになり、一般のマスコミでもいろいろな角度から取り上げられています。

 このうち、切手のデザインを問題にしたのが1967年5月27日付の『東奥日報』で、同紙の社会面コラム「北と南」には、女性読者からの指摘として、以下のような批判が掲載されています。

 本紙の女性読者からこの切手の図案にミスがあるという投書、横断歩行中の児童が左手をあげているが、普通横断する場合は右手をあげるよう学校で指導しているはず――というもの。学童が見た場合、日ごろの交通指導に疑問を持ちはしないかと心配していた。

 一方、1967年5月29日号の『週刊サンケイ』には、次のような記事が取り上げられています。

  日本でははじめて、世界でも珍しい「交通安全記念切手」が22日から売り出される。1枚15円、1シート100枚1億枚という大量発売なので急の利殖にはむかないのかもしれないが、売り切れぬうちにどうぞ

 切手を利殖の手段と信じていた人々が、記念切手の発行初日に郵便局に行列を作るという光景が当たり前のように見られた時代ならではの文章といってよいでしょう。

 ところで、今回の切手は色検知枠が初めて取り入れられたものとして、切手史上において重要な位置を占めています。

 郵便の自動化を実現するにあたっては、当初、郵政省は大型郵便物(定形外郵便物)を排除する“選別”、郵便物の表裏の“取り揃え”、そして“押印”が重要な課題となります。その際、“取り揃え”と“押印”をするためには、機械の切手検知部分で郵便物の料額印面を検知できるような特定の切手ないしは印面を使うことが必要です。

 当初、郵政省では、そのシステムとして燐光を塗った切手を検知する方式の機械を採用する予定でしたが、当時の日本国内では適当な燐光インクが製造されていなかったため、蛍光インクに対応した機械の試作が行われました。その担当は日本電気で、同社は1965年になって燐光切手検知式の自動取り揃え押印機を製作し、大宮局に機械を配備して実用に向けた実験を開始しました。このとき使われたのが、いわゆる発光切手です。

 これと併行して、同年、郵政省は日本電気、東芝、日立の3社に郵便番号の自動読み取りについての研究を委託していましたが、それに対する東芝の報告書の中に、切手に発行印刷するのではなく、切手の一定の部分を一定の色にしておくことで切手を検知するシステムが提案されていました。

 当時の郵政省にとって、発行切手の実用化に向けての大きな障害の一つが、通常の切手より1割程度割高になるという製造コストの問題でした。このため、郵政省は東芝に対して「切手の色、濃淡による検出」をいう課題の研究を委託。これを受けて、東芝の中央研究所では、切手のマージンの白地の中に鮮明な色の印面を作り、その部分をレンズおよびスリット(すき間)で受光して、検地するというシステムを開発します。

 当初、東芝は、検知部分として切手の印面に水平で幅0.5ミリ以上の3本の検知線を入れるという方式を提案しましたが、これではデザイン上の制約が大きすぎる上、切手が横に貼られた封筒には対応できないため、最終的に、検知部分の枠取りをするという方式が採用されています。

 こうして、1966年10月、東芝は色検知式の自動取り揃え押印機TC-1型(機能実験機)を製作。この実験機は翌1967年6月から川崎局(神奈川県)に設置され、実際の郵便による実験が行われることになりました。

 今回ご紹介の全国交通安全運動の切手は、この実験開始に先立つ5月22日に、色検知切手の第1号として発行されたもので、その後、同年7月1日に発行された“きく”の通常15円切手を皮切りとした色検知方式対応の切手の先駆けとなったわけです。


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 きょうから世界ジャンボリー
2015-07-28 Tue 09:30
 きょう(28日)から、4年に1度のボーイスカウトの国際大会、世界スカウトジャンボリーが山口市阿知須のきらら浜を主会場に開幕します。日本国内での世界ジャンボリーの開催は、1971年の静岡県の朝霧高原以来、44年ぶり2度目ということなので、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第13回世界ジャンボリー

 これは、1971年の前回の日本国内での世界ジャンボリーに際して発行された記念切手です。

 ボーイスカウトの活動の中でも最大のキャンプ大会であるジャンボリーは、各地のボーイスカウトが一堂に集い、キャンプ生活をとおして日頃のスカウト活動を実践し、相互の友情を深め、自発的活動を促すために行われるものです。その世界規模の国際大会としての世界ジャンボリーは、1920年8月に英国のオリンピアで第1回大会が開催されて以来、途中、第二次大戦による中断はあったものの、4年に1度、各国持ち回りで開催されています。

 わが国では、1967年に米シアトルで開催されたボーイスカウト世界大会の決定を受け、1971年8月2日から10日まで、第13回世界ジャンボリーが開催されたのが最初です。このときは、“For Understanding”(相互理解)”のスローガンの下、富士山麓の朝霧高原には、87ヵ国から2万3758名(うち日本人は7783名)のボーイスカウトが集まり、大会は盛会のうちに幕を閉じています。

 1971年の世界ジャンボリーは、ボーイスカウトの参加人員では、東京オリンピック参加者の9200名の2倍以上であり、参加国数でも大阪万博の74ヵ国をはるかにしのぐ巨大イベントでした。また、1962年に、やはり富士山麓の御殿場市滝ケ原で開催されたアジア・ジャンボリーに際して、記念切手が発行されたという先例 もありました。今回ご紹介の切手も、こうした経緯を経て、開会式の行われた8月2日にあわせて発行されたモノです。

 切手は国旗にトランペットを吹くボーイスカウトを描くもので、渡辺三郎の原画は6月28日に報道発表されました。しかし、当初発表された原画には、ボーイスカウトの世界記章を中心に、日本神話に由来する“八咫鏡(八稜鏡とも)”を配した、大会のシンボルマークが入っていませんでした。ちなみに、八咫鏡は、皇位を示す三種の神器の一つで、記紀神話では、天の岩戸に隠れた天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、再び世は明るくなったと記されています。

 ボーイスカウト日本連盟にとって、八咫鏡は連盟の記章にも用いられている重要なシンボルで、占領下での連盟再建時にも、神道”を理由に難色を支援していた占領当局を強引に説得して記章から外させなかっただけでなく、1949年に「全日本ボーイスカウト大会」の記念切手が発行された際にも、特印の図案に組み込むよう要請し、それを実現させたという経緯 がありました。このため、彼らとしては、栄えある世界ジャンボリーの記念切手には、ぜひとも八咫鏡を入れたいという思いがあったようで、原画の報道発表がなされると、郵政省に対して大会マークを入れるよう、強く要望しています。

 もっとも、すでに出来上がっている原画に大会マークを識別可能な大きさで加えると画面構成上のバランスが崩れてしまうため、印面の左側下部、国旗掲揚のポールが並んでいる部分にボーイスカウトの世界記章を入れることで両者の妥協が図られ、急遽、図案が修正されることになりました。なお、大会マークそのものは、切手の発行にあわせて使われた特印にしっかり描かれています。

 こうした変更に伴い、発行初日の8月2日に切手を全国の郵便局にくまなく配給することが困難になったため、郵政省は、配給の遅れた地域でも切手が購入できるようにとの配慮から、発行枚数を当初予定の2800万枚から700万枚増やして3500万枚としています。

 ちなみに、今回の世界ジャンボリーに関しても、きょう(28日)、記念切手が発行されますが、残念ながら、八咫鏡(の入った日本連盟の記章)は切手にも、特印にも描かれていません。

 何回でも繰り返して書きますが、天孫降臨神武東征などの記紀神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。ただし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述なんかも歴史的事実としては認めがたいわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿でしょう。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業で、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思いますし、日常生活の中でも、折に触れて、記紀神話をイメージできるようにすべきだと思っています。その意味では、今回の切手に関しても、なんらかのかたちで八咫鏡(の入った日本連盟の記章)をデザインに組み込んでほしかったんですがねぇ…。

 まぁ、こういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して、僕をネトウヨ認定して反対するんでしょうな。困ったものです。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 漆の日
2014-11-13 Thu 23:37
 きょう(13日)は、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日である11月13日に漆の製法を菩薩から伝授されたとの伝説にちなみ、“漆の日”だそうです。というわけで、漆器の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      片輪車螺鈿蒔絵手箱

 これは、1968年6月1日、国宝シリーズ第3集の1枚として発行された“片輪車螺鈿蒔絵手箱”の切手です。

 切手に取り上げられた片輪車螺鈿蒔絵手箱は、西暦12世紀(平安時代)の漆工芸を代表する名品とされています。手箱としては小ぶりで、蓋を身より大きく造ってかぶせる被蓋造りとなっています。片輪車は、牛車の車輪が乾燥して割れるのを防ぐため水に漬けた平安時代の情景を描いたものといわれ、和鏡や装飾経の料紙にも見られます。

 手箱は、漆で描いた文様に金や銀などの粉をまいてから、さらに漆で塗り込め、乾いた後に研ぎ出す研出蒔絵の技法と、夜光貝などを文様の形に切って、漆を塗った上に貼る螺鈿の技法を組み合わせたもので、全体の統一感を出すため、側面の銀製の紐金具にも車輪形の透彫が施されています。

 ところで、この手箱に関しては、切手に採用されることが決まった後、元の所有者であった松平忠倫(旧上田藩主松平家11代目当主)が、平安時代のものではなく奈良時代のものではないかと指摘し、その内容が一部の新聞紙上でも大きく報じられました。

 松平によると、宝暦九己卯歳(1759年)につくられた松平家の記録『御朱印、亀印御長持入引記』には、「享保五庚子歴(1720年)七月二十日 有徳院(将軍・徳川吉宗)様より歓喜院(上田藩主・松平忠周)様 御拝領 一 片輪車御手箱」とあります。同書は手箱の大きさ、模様、かたちなどを記して絵図面を載せた上で、裏底の部分に「手箱一合奉施 法隆寺 神亀子八月日 八比丘尼 上の文字不見」との記載があると記しています。この神亀子八月日は神亀元年甲子(724年)8月にあたり、794年の平安遷都の70年前に相当するため、この手箱は平安時代のものではなく奈良時代のものと考えるのが妥当ではないかというのが松平の主張です。ただし、肝心の手箱そのものは、大正初期に松平家が既に売却しており、切手発行時には文化財保護委員会の保管の下、東京国立博物館に陳列されていました。

 これに対して、文化庁は、松平家から資料を借り受けて調査した結果、「日本の最高権威である国宝審査会においての決定であるので、今後この問題についての追及は不問」としたうえで、「従来通りこの手箱の年代は平安朝期として今後も発表する」と松平に回答。これをもって、とりあえず、この問題は決着したということになりました。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(都合により、12月はお休みをいただきます)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 切手歳時記:避暑地の恋人
2014-08-19 Tue 20:10
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』8月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、猛暑の折から、避暑地ネタということで、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      湖畔(趣味週間)

 これは、1967年の切手趣味週間の切手で、黒田清輝の「湖畔」が取り上げられています。
 
 この切手に取り上げられた黒田清輝の「湖畔」は、誰もが知っている名画ですが、この作品が、もともと「避暑」という題名だったことを知っている人は、そう多くはないのではないかと思います。

 “日本の洋画の父”と称される黒田清輝が、箱根・芦ノ湖畔の旅館「石川」に当時23歳の金田種子を伴って逗留したのは、1897年夏のことでした。

 1893年にフランス留学から帰国して間もなく、清輝は養父・清綱の決めた相手と結婚しましたが、すぐに離婚。その後、画家仲間の安藤仲太郎の紹介で知り合った種子が事実上の妻となります。

 養父の清綱は、歌人として明治・大正天皇の指南役を務め、貴族院議員・枢密顧問官などを歴任した人物で“芸者あがり”の種子と清輝の結婚を許しませんでした。2人が入籍し、種子が照子と改名したのは1917年に清綱が亡くなった後のことです。

 彼女の証言によると、1897年、箱根滞在中に清輝の仕事ぶりを覗きに行くと、清輝から目の前の岩に座るよう促されたそうです。彼女が言われたとおりに座ると、清輝は大いに絵心をそそられ、下絵も描かずにカンバスに筆を走らせました。ただし、そこは変わりやすい山の気候ゆえ、雨や霧の日などもあって作業は必ずしも順調には進まず、絵の完成までには約一ヵ月を要しています。

 作品は、団扇を右手に持ち、遠くを見るかのような眼差しで、浴衣を着て岩に腰かける種子を前景に描き、背景には、しっとりとした芦ノ湖の静かな湖面と小高い山々が広がっています。作品全体の空気感は、日本の夏に特有の湿った空気が表現されており、瑞々しく清潔な色彩や種子のたおやかな雰囲気との調和を醸し出しています。

 また、彼女の手に持つ団扇には萩の花がさりげなく描かれている点にも注目したいところです。

 清綱の詠んだ和歌では、萩の花は「恋人を待つ情趣」の象徴として用いられており、当然、清輝もそのことを踏まえて萩の団扇を描いています。もちろん、そこには、自分たちの結婚を認めない清綱に対する抗議の意味も込められていたとみるのが自然でしょう。

 完成した作品は「避暑」の題名で、同年の第2回白馬会展に出品され、1900年のパリ万国博覧会への出品に際して「湖畔」と改題されました。

 なお、清輝は1924年に57歳で亡くなりますが、未亡人の照子(入籍後、種子から改名)は、切手が発行された1967年の時点では93歳の高齢ながら健在で、東京・北沢の姪の家に同居していました。発行日の4月20日には郵務局長の曽山克巳が彼女の自宅を訪れて切手を贈呈。そのようすはテレビのニュースでも取り上げられ、大いに話題となっています。

 それから3年後の1970年2月13日、照子は96歳の大往生を遂げました。訃報記事での彼女の肩書は、いずれも「黒田清輝の妻、『湖畔』のモデル」でした。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
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