内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 次期国連事務総長にグテレス氏
2016-10-07 Fri 18:34
 国連安全保障理事会は、きのう(6日)、年末に退任する潘基文事務総長の後任として、元ポルトガル首相で前国連難民高等弁務官のアントニオ・グテレス氏(以下、敬称略)を総会に勧告する決議を満場一致で採択しました。総会は勧告を受け、来週、グテレス氏を第9代事務総長に任命する見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル・UNHCR60年

 これは、2010年にポルトガルが発行した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)60周年の記念切手です。

 次期国連事務総長に内定したグテレスは、1995年10月28日から2002年4月6日 までポルトガルの首相を務めた後、2005年6月15日から2015年12月31日まで、国連の難民高等弁務官を務めていますので、この切手は彼の在任中の発行ということになります。なお、UNHCRの周年切手に関しては、2000年の創立50周年に記念切手を発行する国が多かったのですが、ポルトガルは50周年の記念切手は発行していません。ポルトガル郵政としては、やはり、自国の元首相であるグテレスが高等弁務官の地位にある以上、周年記念切手を発行しないわけにはいかないという判断から、60周年の切手を発行したということなのでしょう。

 さて、UNHCRは、第二次世界大戦によって生じた大量難民の問題に対処するために、1946年4月20日に設立された“国際難民機関 (IRO) が1951年に活動を終了するのを前に、1950年12月14日、国連総会によって設立されました。これを受けて、翌1951年7月28日、難民を救済する法的な基盤かつUNHCRの活動の基本的な法的指針となる「難民の地位に関する条約(難民条約)」が採択されます。

 当初、UNHCRは3年間の期限付きでスタートしましたが、実際に活動を開始すると、わずか3年で難民問題を解決することが不可能であることはすぐに明らかになりました。さらに、ハンガリーで1956年革命(ハンガリー動乱)がおこり、ソ連がそれを武力で弾圧したことから大量の難民が発生。UNHCRは最初の重大な緊急事態に直面し、将来的にUNHCRが不要になるとの理想論は完全に吹き飛びました。

 その後も、パレスチナ紛争や1960年代以降のアフリカ諸国での独立紛争と内戦、中国での大躍進政策の失敗による難民潮、インドシナ紛争やバングラデシュ独立戦争、ラテンアメリカ諸国での内戦、アフガニスタン紛争、ソ連を含む旧東側諸国崩壊後の混乱などが相次ぎ、世界各国で難民が発生し続けており、UNHCRの予算規模も設立年の30万米ドルから、2015年には70億米ドルに拡大しています。

 ちなみに、2005-15年に高等弁務官を務めたグテレスが取り組んだ難民問題のうち、大きなものとしては、イラク戦争とその後の治安の悪化に伴う難民問題と2011年以降のシリア内戦による難民問題がありますが、グテレス本人は、あまり一般に知られていない難民危機として、中央アフリカ共和国コンゴ民主共和国における危機を挙げています。

 次期事務総長への就任が内定したことを受けて、グテレスは早速「紛争やテロの犠牲者など最も脆弱な人々に奉仕する」との声明を発表。難民が第二次大戦後最悪の6500万人を超える中、UNHCRのトップとしての経験を持つ彼のリーダーシップが期待されるところです。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・毎日文化センター
 下記の通り、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ポルトガルがEURO初優勝
2016-07-11 Mon 11:39
 サッカー欧州選手権2016(UEFA Euro 2016)は、10日、決勝が行われ、ポルトガルが延長でフランスを下し初優勝を飾りました。というわけで、手持ちのポルトガル関係のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル王・ジョアン3世書簡

 これは、1522年5月9日付で、ポルトガル王ジョアン3世からアルコス公ロドリゴ・ポンセ・デ・レオン宛の手紙です。書簡は大きな紙に文面を書き、下に王の署名を記したのち、折りたたんでアルコス公に届けられました。裏面(届けられた時の状態では表面)には、下の画像のような宛名(左)と日附(右)が記されています。

      ジョアン3世書簡・宛名  ジョアン3世書簡・日附

  ジョアン3世は1502年6月7日、ポルトガル王マヌエル1世の長子としてリスボンで生まれ、1521年、父王の死去により19歳で王位を継承しました。今回ご紹介の書簡は1522年の差出ですので、即位後間もない時期のモノとなります。

 書簡に記されている王の称号は“ポルトガルならびにアルグレイヴ、アラビアからインドまで我らの通商を通じて航海し、征服した大洋と陸地の王”となっています。なお、ジョアン3世は、イグナチオ・デ・ロヨラがイエズス会を創設したことを知り、デ・ロヨラに対してポルトガル植民地内の異教徒へキリスト教を布教する宣教師を派遣してほしいと依頼。これを受けて、ロヨラが推薦したのが、フランシスコ・ザヴィエルとシモン・ロドリゲスで、ザヴィエルとアジアとのつながりができることになりました。

 また、マカオにポルトガル人が初めて来航したのは1513年のことでしたが、ポルトガルが明から居留権を得て中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地が形成されたのは、ジョアン3世晩年の1557年(ジョアン3世はこの年に心臓麻痺で崩御)のことです。また、この間、1542または1543年にはポルトガル人が種子島に漂着してわが国に鉄砲を伝えており、ジョアン3世の時代はポルトガルのアジア進出が大きく進んだ時代だったといえます。

 なお、ポルトガルのアジア進出の拠点となったマカオとその歴史については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

  会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『ペニー・ブラック物語』  好評発売中! ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 小さな世界のお菓子たち:アイスクリーム・バーの切手
2013-07-17 Wed 08:39
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第20号(2013年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       ポルトガル・味覚

 これは、2009年10月2日にポルトガルで発行された味覚の切手です。

 最近でこそ、シール式の切手も増えていますが、現在でも、切手は裏糊を濡らして手紙に貼るものというイメージというイメージを持っている人の方が多いと思います。このため、しばしば、切手の裏糊に味をつけて舐めたら味のする切手を作ったらいいのに…という声が聞かれますが、それを実現したのが、ポルトガルで発行された「五感」の切手の1枚です。

 「五感」の切手は、人間の持つ視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚を体感できるように企画されたもので、このうちの“味覚”の切手はチョコレート・コーティングされたアイスクリーム・バーを描き、裏糊にバニラ味のフレーバーが含まれています。切手を舐めると、“味覚”によってバニラ味を体験できるという仕掛けです。

 以前、TV朝日の「雑学家族」という番組で、世界の変わった切手をご紹介するという企画があり、ゲストとして出演したことがあるのですが、その際、この切手をご紹介し、出演者の小林星蘭さんに実際に裏糊を舐めてもらい、どんな味がするかを試してもらいました。星蘭さんの感想では、裏糊はかすかにバニラの味がするという程度で、実物のアイスクリームのような濃厚な味というわけではなかったようです。やはり、郵便物に貼って剥がれないようにするという糊本来の役割を優先させると、味は二の次にならざるを得ないようです。

 ちなみに、ポルトガルでは、1975年まで同国の植民地だったサントメ・プリンシペ民主共和国(西アフリカ・ギニア湾に浮かぶ島国)産のカカオを原料としたチョコレートが名物となっていますが、その中には、生姜や塩コショウ味のものなど、お菓子というよりもお酒のおつまみに近いものもあるそうです。今回ご紹介の切手の裏糊も、バニラではなく、塩コショウの味付けにすれば、よりはっきりと“味覚”を表現したものとなったかもしれませんが、我々の感覚では、ちょっとアイスクリームのイメージとあわないですね。

 なお、同時に発行された五感の切手のうち、“嗅覚”は湯気の立つコーヒーのデザインでコーヒーの香りつき、“視覚”はサングラスのレンズの部分が切手の角度を変えると色などが変化するホログラム印刷、“触覚”はチューブからこぼれたインクの部分が盛り上げ加工の印刷になっており、“聴覚”はヤスリの部分をこすると音が出るという仕掛けになっています。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 表紙の切手
2012-11-10 Sat 17:39
 きょう(10日)は、拙著『喜望峰』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーの下段で取り上げた切手についてご説明しましょう。なお、上段の絵葉書につきましてはこちらをご参照ください。(画像はクリックで拡大されます)

         喜望峰発見500年(ポルトガル)

 これは、1988年にポルトガルで発行された喜望峰発見500年の記念切手で、4種連刷でリスボンからケープまでの航海のイメージが表現されています。

 1486年、バルトロメウ・ディアスは、ポルトガル国王ジョアン2世から、アジアにいたる交易路を確保するとともに、アフリカにあるキリスト教徒の王、プレスター・ジョンの国を探し出し、友好関係を樹立せよとの命を受け、準備期間の後、1487年10月、ポルトガル艦隊を率いてリスボンを出港しました。

 ディアスの船団は、まずコンゴ川の河口に向かい、そこから南下して、ウォルヴィス・ベイ(現ナミビア領)に入港。さらに南下してポート・ノロス(現南ア領)付近に達しましたが、嵐に遭遇し、沖に流されてしまいます。このため、陸地に近づこうと東へ向かったのですが、陸地に到達できなかったため、北上してみると西側に陸地が見えたと伝えられています。彼らは、漂流しているうちに、いつの間にかアフリカの南端を通過していたというわけです。

 その後、彼らは1488年2月3日にモッセル・ベイに上陸。これが、後の歴史書に「ディアスのアフリカ南端到達」として記されることになる出来事となりました。ちなみに、モッセル・ベイという地名は、1601年にこの地に上陸したオランダ人航海士が、ムール貝(=mussel)が大量にとれることから命名したもので、ディアスとは直接の関係はありません。

 さらに、一行は海岸沿いにアガラス岬をまわり、このまま航海を進めればインドに到達できるとの見通しが立ったことで帰路につき、その途中で1488年5月に喜望峰を“発見”。同年末、リスボンに帰還しました。今回ご紹介の切手は、それから500年にあたることを記念して発行されたものです。

 なお、当初、ディアスはリスボンへの帰途で発見した岬を“嵐の岬”と命名して国王ジョアン2世に報告しましたが、国王は、アフリカ南端を廻って東方への航路を拓いたことをいたく喜び、“喜望峰”と改名させました。この改名が結果的に大成功だったことは、実際のアフリカ大陸最南端のアガラス岬よりも、喜望峰=アフリカ南端の地というメージが人々の間に深く浸透していることからも明らかだったといえましょう。

 さて、本日午前中、全国切手展<JAPEX>会場内で行った拙著『喜望峰』の出版記念トークは無事終了いたしました。ご来場いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
  美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!!     

 アマゾンセブンネット版元ドットコム楽天ブックスe-honhmvhontoJBOOKlivedoor BOOKSなどで好評発売中!
 
 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:カリカット①
2012-01-24 Tue 22:54
 『キュリオマガジン』2012年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、インド西海岸篇の2回目として、今回はカリカットを取り上げましたが、その記事の中から、こんな切手をもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ガマとザモリン     ザモリン宮殿跡

 左の切手は、1998年にポルトガルが発行した“ヴァスコ・ダ・ガマ(以下、ガマと略)のインド到達500年”の記念切手の1枚で、カリカットのザモリン(地方君主)の前でポルトガル国王の親書を読み上げるガマの姿が描かれています。右側には、かつてのザモリンの宮殿跡であるマナンチラ広場の現在の写真を貼っておきました。

 1498年5月20日、カッパドの沖に投錨したガマ一行は、5月28日、いよいよカリカットに上陸します。時間がかかったのは、ザモリンが首都のカリカットに不在だったため、戻ってくるのを待っていたためです。ちなみに、カリカットに上陸した最初の晩、ガマは地元の貴族の邸宅で「バターを使ったコメ料理と素晴らしい煮魚の料理」を供されたものの、緊張と興奮で食事がのどを通らなかったのだとか。

 さて、ガマとザモリンの最初の会見では、ガマはザモリンに対して、自分はポルトガル王の使節であり、キリスト教の王を探して外交関係を築きに来たという趣旨のことを述べたにとどまり、翌々日の5月30日になって、ようやく、ポルトガル国王の親書をザモリンに手交しました。親書はポルトガル語とアラビア語のバイリンガルで、ザモリン側近のムスリム(イスラム教徒)4人がアラビア語で内容をチェックしたうえで、ガマがポルトガル語で読み上げたそうです。

 今回ご紹介の切手では、ザモリンの前でポルトガル国王の親書を読み上げるガマの姿が描かれていますから、5月30日の親書奉呈の場面を取り上げているということになります。

 なお、今回の記事では、ガマとザモリンの会見の場となったマナンチラ広場周辺を中心に、ヒンドゥーのターリー寺院やイスラムのモスクなど、ケララ様式の建築の写真などもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ポルトガル・ワイン
2010-11-18 Thu 10:12
 きょう(18日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、本来なら新刊の拙著『マカオ紀行』にちなんで、マカオ切手の中からワインがらみの1枚を持ってきたいのですが、あいにくマカオではワインは取れません。というわけで、旧宗主国ポルトガル切手の中からこの1枚です(画像はクリックで拡大されます)

         ポルトガルワイン

 これは、1938年にポルトガルで発行された世界ワイン会議の記念切手です。

 ポルトガルは、ヨーロッパでも最も古いワイン生産国のひとつで、いまから2000年以上前にフェニキア人やカルタゴ人たちによって、ワイン文化が伝えられたとされています。ちなみに、現在のポルトガルのルーツとされる古代ローマの属州“ルシタニア”の名は、ワインと饗宴の神バックスの息子または従者とされるルスス(Lusus)に由来するとされており、ローマ帝国の時代にはローマへワインを輸出していました。

 さて、マカオでワインを楽しもうとすると、必然的に、ポルトガルワインが主流となるのですが、その中でも個人的に僕の好みなのが“緑ワイン(VINHO VERDE)”です。これは、白ワインのうち、完熟していない葡萄を使ったもので、実際にグラスに注いでみるとかすかに青みがかっています。フルーティーでやや酸味があり、ラベルに“Deve beber-se muito frio(冷やして飲め)”と書かれているものもありますがが、たしかに、よく冷えた緑ワインは、ビールとは違った爽快感を味わえます。

          緑ワインとバカリャウのコロッケ

 この画像は、マカオ中央郵便局裏のポルトガル料理店エスカーダでバカリャウ(馬介休球)のコロッケをつまみに、緑ワインを飲んでいたときのものです。

 バカリャウは、骨や内臓を取り除いて塩漬けにした鱈を乾燥した場所で数ヶ月保存してつくった干物のことで、日本ではスペイン料理で使われるバカラオないしはイタリア料理で使われるバッカラといった方が、通りがよいかもしれません。長期間の保存が可能なため、しばしば船乗りたちの食糧としても利用されました。

 かつて、南欧のカトリック文化圏では、いわゆる四旬節(謝肉祭の最終日の翌日から復活祭の前日までの40日間)の期間内には、鳥獣の肉を絶つことになっていたため、魚を食べる習慣がありました。現在では、この習慣もだいぶゆるくはなってきているようですが、それでも、キリストが十字架にかかった聖金曜日を含む四旬節最後の1週間には、伝統的な食事をとる人も多く、バカリャウはその際の象徴的な食べ物にもなっています。

 揚げたてのコロッケのサクサクした衣をかじると火傷しそうな具が口中にあふれてくるのは万国共通の現象。はふはふ言いながら、思わず、きりっと冷えた緑ワインに手が伸びてしまいます。その作業を何度か繰り返していると、コロッケと付け合わせのオリーブがなくなる頃には、たいてい、ボトルのワインは半分くらいに減っているものです。

 拙著『マカオ紀行』では、そうしたマカオの食の楽しみについてもいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

         事情のある国の切手ほど面白い(表紙)
    事情のある国の切手ほど面白い
  メディアファクトリー新書007(税込777円) 

 カッコよすぎる独裁者や存在しないはずの領土。いずれも実在する切手だが、なぜそんな“奇妙な”切手が生まれたのだろう?諸外国の切手からはその国の抱える「厄介な事情」が見えてくる。切手を通して世界が読み解ける驚きの1冊!

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1DMM.comJBOOKlivedoor BOOKSTSUTAYAYahoo!ブックス7&Y紀伊国屋書店BookWebジュンク堂書店楽天ブックスなど)で好評発売中! 
別窓 | ポルトガル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マカオ返還10年
2009-12-19 Sat 13:30
 1999年12月20日にマカオがポルトガルから中国に返還されて10年になります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル・マカオ回顧

 これは、ポルトガル領マカオ最終日の1999年12月19日、ポルトガル本国で発行された“マカオ回顧”の小型シートです。シート地左の地図は、16-17世紀にかけてのマカオが、ポルトガル本国やインド、マラッカと、長崎や広州、マニラ、ティモールなどとの交易の中継地として最盛期を迎えたことを想起させるもので、下には“南蛮貿易”時代のポルトガル人と中国人を描く絵が取り上げられています。切手部分はマカオの市章のレリーフで、ポルトガル領としてのマカオの正式名称“Cidade do Nome de Deus de Makau, Não ha Outra Mais Leal(最も忠貞なる主の名の街)”の後半部分の文字がはっきりと読めます。なお、ポルトガル領マカオでも同日・同図案の小型シートが発行されました。

 1984年12月19日、香港返還を決めた英中共同声明が署名されたことを受けて、マカオ問題に関する中国とポルトガルの交渉が開始されたのは1986年のことです。そして、翌1987年4月、マカオは中国の領土であり、ポルトガルは1999年12月19日までマカオの行政管理責任を有し、中国は翌20日にマカオに対し主権を回復することを定めた中葡共同声明が署名されました。中華人民共和国の特別行政区なったマカオが、以後50年間、ポルトガル領時代の社会・経済制度が維持される(ことになっている)のは、香港の場合と同様です。

 さて、昨年秋から雑誌『キュリオマガジン』で僕が連載を担当している「郵便学者の世界漫郵記」ですが、2010年1月号からは新たにマカオ篇がスタートします。今年連載したルーマニア篇は『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』として1冊の本になりましたが、新たにスタートするマカオ篇も1年後には書籍としてまとめられたらいいなぁ…と思っています。


 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。当日は、僕のトークのほか、日本におけるジプシー・バイオリンの第一人者、古館由佳子さん(当日は彼女のCDも販売します)による生演奏もお楽しみいただけますので、ぜひ、遊びに来てください。

      トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行      古館由佳子 古館由佳子さん

 ・日時 2009年12月22日 18:30~

 ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです。)
     *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分)
      tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。
      料理は下の画像のようなイメージで、ブッフェ・スタイルです。
      ルーマニアのワイン(もちろん飲み放題)も出ます。

       ルーマニア料理

 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき)
     *当日会場にてお支払いをお願いいたします。

 ・参加ご希望の方は、キュリオマガジン編集部まで、電子メール(info@fujimint.com)にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

       昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&YゲオEショップなど)で好評発売中!

別窓 | ポルトガル | コメント:3 | トラックバック:0 | top↑
 外国切手の中の中国:ポルトガル
2006-11-20 Mon 00:49
 NHKラジオ中国語講座のテキスト12月号が刊行となりました。僕が担当している連載「外国切手の中の中国」では、今回はポルトガルを取り上げています。その中から、こんな1枚をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

ルイス・フロイス400年

 これは、1997年に発行されたポルトガル人宣教師のルイス・フロイス没後400年の記念切手の1枚で、マカオのセントポール天主堂(跡)を背景にしたフロイスの像が描かれています。

 マカオのシンボルともいうべきセントポール天主堂は、17世紀初頭にイタリア人によって設計されたといわれています。建設には、江戸幕府の弾圧を逃れて長崎から渡ってきた日本人も加わりました。完成当時は東洋最大の教会でしたが、1835年の火災で建物正面のファサードを残して焼失。その特異な姿ゆえに、マカオを代表する建設物として多くの観光客が連日訪れています。

 一方、フロイスは天主堂が完成する以前の1597年に亡くなっていますから、切手のような構図は現実にはありえません。また、彼の主な活動の場は戦国時代の日本であって、彼の著書『日本史』も高く評価されていますが、マカオには3年弱しか滞在していません。

 それにもかかわらず、フロイスとマカオを結びつけるデザインの切手が発行されたのは、マカオのポルトガル人がヨーロッパ文明の伝道師として東アジアに与えた影響を誇示する意図が込められているためと見るのが妥当でしょう。

 今回ご紹介の1枚をはじめ、1999年のマカオ返還を前にしたポルトガルは、16世紀以来のポルトガルによるマカオ支配の意義を強調するような切手をさかんに発行しています。今回の「外国切手の中の中国」では、それらをご紹介しつつ、20世紀後半のポルトガルと中国の関係についてもまとめてみました。是非、ご一読いただけると幸いです。
別窓 | ポルトガル | コメント:3 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/