内藤陽介 Yosuke NAITO
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 圏央道、茨城区間開通
2017-02-26 Sun 21:42
 首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の茨城県内区間が、きょう(26日)、開通。これにより、圏央道は常磐道や関越道など6つの高速道路とつながり、成田空港から神奈川県の湘南まで、都心を経由せずに高速道路で結ばれました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      つくば博・40円

 これは、1985年3月16日に発行された国際科学技術博覧会(つくば博)の記念切手のうち、テーマ館とシンボルタワーを取り上げた40円切手です。きょう開通した圏央道の茨城県内区間は境古河インターチェンジICとつくば中央ICの間の28.5kmですが、このうちのつくば中央ICと接続するサイエンス大通りは、つくば博の開催期間中、常磐自動車道の谷田部ICから、万博会場を直接結ぶメインアクセス道路として機能していました。

 高度経済成長に伴い、東京の過密状態を緩和させるための具体的な措置として、1963年9月、筑波山麓(現・つくば市および牛久市)に研究学園都市を建設する計画が決定され、1967年、6省庁36機関の移転が閣議了解されます。そして、1970年5月の筑波研究学園都市建設法の施行を機に都市建設と各機関の移転が進むことになりました。

 しかし、筑波研究学園都市には新たな庁舎等が建設され、各機関が移転はしたものの、当初は都市としてのインフラ整備は未整備のままの状態が続き、人口もなかなか増加しませんでした。そこで、新たな研究学園都市のお披露目とあわせて、東京から研究学園都市へのアクセスを改善し、あわせて国際会議場、宿泊施設等を建設する契機として、1977年、国際科学技術博覧会を開催する案が科学技術庁内で浮上。これに国土庁と建設省、通産省が賛意を示したことで、1978年から具体的なプランの検討が開始されます。

 科学技術庁以外の省庁がつくば博の開催に協力的だった背景には、1984年の冬季オリンピック大会の開催地として札幌市が有力視されていながら、最終段階でサライェヴォ市が開催地に決まったことから、東京より北の地域で大型公共事業を展開する契機が別途必要となったとの事情がありました。このため、当初の計画では、つくば博は1984年の開催予定とされていました。

 その後、地元との調整を経て、1978年9月30日、茨城県議会がつくば博誘致を決議。10月5日には筑波六町村が国際科学技術博誘致委員会を設置したほか、11月には国際科学技術博覧会開催促進議員連盟が発足し、当初のプランより一年おくらせて1985年のつくば博開催を目指す動きが本格化します。

 これに対して、大蔵省は、巨額の経費が必要な博覧会の実施に否定的な立場でしたが、科学技術庁の担当課長であった福島公夫が同年11月、博覧会国際事務局(BIE)のリード議長に直接接触し、つくば博の構想を相談して好感触を得ると、科学技術庁は、自民党国会議員の後押しもあって大蔵省との折衝で国際的科学技術博覧会調査費の名目での予算獲得に成功し、翌1979年3月、土光敏夫を会長とする国際科学技術博覧会推進協議会を発足させ、つくば博開催は実現に向けて大きく前進します。

 こうして、つくば博の開催は1979年11月27日に閣議で了解事項となり、翌28日のBIE総会において日本政府としての正式開催通告がなされたのを受け、1980年9月のBIE調査団が来日。1981年4月22日の総会での正式承認により、“人間・居住・環境と科学技術”(BIEに提出された“Dwellings and Surroundings ―Science and Technology for Man at Home”を日本語訳したもの)をテーマとする国際科学博覧会の開催が決まりました。

 今回ご紹介の記念切手は、つくば博会期初日の3月17日が日曜日だったため、前日16日に発行されました。図案となったテーマ館は、日本政府出展のパビリオンで、高さ42mの透明なタワー(郵政省が発表した図案説明では“シンボルタワー”)と左右に広がる2棟のガラス張りの建物です。内部では、「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに、13×20mのスクリーンを使っての日本の四季、国土の映像上映が行われたほか、譜面を見て演奏をするロボット“WASUBOT”やトマトとジャガイモを掛け合わせた“ポマト”などの展示が注目を集めました。切手の原画作者は清水隆志です。

 ちなみに、つくば万博のメイン会場は、Dブロックの跡地に“科学万博記念公園”が作られたほかは、工業団地(筑波西部工業団地)に転用され、切手に描かれたテーマ館も取り壊されましたが、科学万博記念公園内には、42mのシンボルタワーを4分の1に縮小した高さ10mの“科学の門”が建てられています。

 なお、つくば博関連の切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 切手歳時記:あらまき
2016-12-14 Wed 10:36
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年12月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      高橋由一・鮭

 これは、1980年2月22日に発行された近代美術シリーズ第5集のうち、高橋由一の「鮭」を取り上げた1枚です。

 僕が子供の頃は、年末になると、誰かしら新巻鮭を送ってくれる人がありました。

 もともと“あらまき”というのは、塩漬けの魚を藁や竹の皮などで包んだものを指す言葉で“苞苴”と書き、塩漬けにする魚も鮭とは限らなかったようです。長野県の佐久地方で現在でも“新巻鯉”が作られているのは、その名残だと考えられています。

 江戸時代には“あらまき”には“荒巻”の字を当てるのが一般的でしたが、その語源は、①荒縄で巻いたから、②荒く巻いたから、③藁で巻いた“藁巻”に由来する、④塩を粗くまい“粗蒔き”に由来する、などの諸説があります。また、年末年始の贈答品に荒巻鮭を送る風習が広まったのも江戸時代後半のことだといわれています。

 その後、明治も中頃になると、鮭の収穫時期からほどなくして、年末に荒巻をやり取りすることから、新しく収穫された鮭、新物の鮭の意味で、現在のように“新巻”の文字があてられるようになりました。ただし、今回ご紹介の切手に取り上げられた「鮭」は、1875-77年頃の作品ですから、この鮭に充てる漢字は“荒巻”だったと思われます。

 作者の高橋由一は、文政11年2月5日(1828年3月20日)、下野国佐野藩士の長男として江戸大手門前の藩邸で生まれました。

 12-13歳の頃から狩野洞庭らに日本画を学びましたが、西洋の写実的な版画に感激して洋画を志し、1862年、蕃所調所(幕府直轄の洋学研究機関)の画学局に入り、川上冬崖の指導を受けます。さらに、1866年以降、英字紙の特派員として横浜に在住していたワーグマンに実技を学び、1876年には工部大学校(現東京大学工学部)付属の工部美術学校教授として来日したイタリア人画家A.フォンタネージの指導を受け、西洋の写実主義を自家薬籠中のものとしました。また、1873年、日本橋浜町に画塾、“天絵楼(のち天絵舎、天絵学舎)”を開設し、油絵の普及と弟子の育成に努めました。

 由一の自宅兼画塾があった日本橋浜町から、当時の魚河岸があった本船町から本小田原町一帯(現在の日本橋本町一丁目から日本橋室町一丁目付近)までは目と鼻の距離です。江戸時代の浜町には大名屋敷や蔵屋敷が立ち並んでいましたが、明治維新後は、地の利を活かして、大名屋敷の跡地を利用して多くの料亭や飲食店が開業しました。

 由一は、油絵に対する世間の理解を得るため、日本人にとって身近な題材を積極的に取り上げましたが、彼が特に鮭を選んだ背景には、そうした土地柄もあったのでしょう。

 さて、由一が描いた鮭は、鼻の曲がり具合から、荒巻の定番、シロサケだとわかります。口から鰓に縄を通した鮭を上から吊るしているので、身の重みで尾の方に皺が寄っており、、鮭は半身の腹部が切り取られた状態になっています。

 僕の記憶では、わが家に届いた新巻は祖母や母がすぐに3枚におろし、塩抜きしてから冷蔵庫にしまっていましたが、由一の家では軒に吊るしたまま、その日に食べる分だけを切りだしていたようですな。西洋の生ハムやサラミと同じような消費の仕方ですが、それだと、尾の身を食べる頃にはかなり塩が回っていたはずで、その部分はお茶漬けにでもしないと辛くて食べられたものではなかったと思います。

 新巻が届いて数日後、忘年会でしたたかに酔っぱらった由一が帰宅し、鮭の尾の身を少し削って、火鉢であぶり、ご飯に載せてお茶をかけてすすっている…忘年会の季節になると、連日連夜、酔眼朦朧で帰宅するわが身に引き付けて、そんな後日談の風景も想像してみたくなる1枚です。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 波斯
2016-10-06 Thu 19:26
 奈良文化財研究所は、きのう(5日)、1966年に平城京跡から発掘された8世紀中頃の木簡を改めて調査した結果、ペルシャを意味する“破斯(波斯と同音)”の名字を持つ“破斯清通”という人名と、“天平神護元年(765年)”という年号が書かれていたことが明らかになったと発表しました。というわけで、きょうは“波斯”がらみでこの切手です。(画像はクリックで確認されます)

      雪柳と海芋に波斯の壺

 これは、1983年1月24日に発行された近代美術シリーズ第15集のうち、児島善三郎の「雪柳と海芋に波斯の壺」を取り上げた1枚です。

 現在のイランの古名にあたる“ペルシャ”は、もともとは“騎馬の者”を意味する“パールス”にちなんだパールサ地方(現代イランのファールス地方)のことで、これがギリシャ語ではペルシスと呼ばれ、中国語では“ファンシー”と呼ばれて波斯の字があてられました。

 文献上の記録としては、唐代の629年に成立した『梁書』(502-557年に存在していた王朝、梁の歴史書)の列伝第四十八諸夷の中に“波斯国”が採りあげられており、これらの記録を通じて、日本にも波斯の情報が伝えられました。

 たとえば、『日本書紀』には、斉明6年(西暦660年)の秋七月の庚子の朔乙卯(旧暦7月16日)の条に「覩貨邏人乾豆波斯達阿、本土に帰らむと欲ひて、送使を求ぎ請して曰さく、『願はくは後に大国に朝らむ。所以に、妻を留めて表とす』とまうす。乃ち数十人と、西海之路に入りぬ。」として、日本にいた乾豆波斯なる人物が、一時帰国する際に、日本に再訪する意思を示すため、妻を日本に残して行ったとの記述があります。

 また、『続日本紀』巻第十二には、天平8(736)年の出来事として、「八月庚午、入唐副使従五位上中臣朝臣名代ら、唐の人三人、波斯一人を率ゐて拝朝す」、「十一月戊寅、天皇、朝に臨みたまふ…唐の人皇甫東朝・波斯人李密翳らに位を授くること差有り」として、8月23日に遣唐副使・従五位上の中臣朝臣名代らが、唐人3人・ペルシャ人1人を率いて、帰国の挨拶のため天皇に拝謁したこと、11月3日にペルシャ人の李密翳らに位階が授けられたこと、が記されています。ただし、ここで取り上げられているペルシャ人の李密翳がムスリム(イスラム教徒)であったか、あるいは、ムスリムによる征服活動を逃れて中国経由で亡命してきたゾロアスター教徒ないしはマニ教徒(もしくはその子孫)であったか、そのあたりは定かではありません。

 さらに、900年頃に成立したと推定される『竹取物語』には、かぐや姫が求婚の条件として阿部右大臣に火中に投じても燃えない「火鼠のかはぎぬ」を求める場面がありますが、この「火鼠のかはぎぬ」は中国の商人がペルシャなどから取り寄せていた石綿で織った布のことと考えられており、唐土・天竺のさらに西に波斯が存在するということは(少なくとも知識人・上流階級の間では)漠然と知られていたことが伺えます。

 ちなみに、国名としては、1935年3月21日、パフラヴィー朝のレザー・シャーが国名をペルシャからイランに変更した後も、なかなか新国名のイランは一般には定着しませんでした。このため、1959年、モハンマド・レザー・シャーはイランとペルシアは代替可能な名称とし、両者の併用を認めましたが、1979年のイスラム革命によって樹立されたイスラム共和国は国名を“イラン”に統一しています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「雪柳と海芋に波斯の壺」は、第二次大戦後の1956年に開催された第2回現代日本美術展に出品された作品ですので、正式な国名としてはイランの時代です。ただし、作品に描かれた壺は、左右対称の絵付けがエキゾチックな雰囲気を醸し出していますが、1935年に国名がイランと改称される以前に制作されたものなのか、それとも、同時代の新しいものなのかは、確認できませんでした。まぁ、作者の児島善三郎は明治生まれですから、やはり、カタカナのペルシャではなく(ましてやイランではなく)、伝統的な日本語の“波斯”が作品のタイトルとしては相応しいと考えたのかもしれません。

 なお、児島善三郎は、1893年、福岡市中島(現・博多区中洲中島町)生まれ。長崎医学専門学校(現・長崎大学医学部)を中退し、1913年に上京して本郷洋画研究所に入りました。1921年、第8回二科展に初入選し、翌1922年の二科展で二科賞を受賞。1925-28年に渡欧し、帰国後の第15回二科展に「立てるソニア」ほか滞欧作品22点を特別出品して翌1929年には二科会員となりましたが、1930年、二科会を脱退し独立美術協会を結成。1935年頃から、西洋人の模倣ではない“日本人の油絵”の確立を目指して奮闘し、1962年に亡くなるまで、画壇に大きな影響を与えました。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・毎日文化センター
 下記の通り、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 切手歳時記:夕顔の香り
2016-07-12 Tue 11:58
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年7月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      見立夕顔

 これは、1981年の切手趣味週間の切手で、鈴木春信の「見立夕顔」が取り上げられています。

 『源氏物語』の「夕顔」は、ある夏の日、17歳の光源氏が、六条の御息所のもとに通う途中、五条に立ち寄り、病身の大弐の乳母を見舞う場面から始まります。

 当時の五条は庶民が生活している地域で、貴族の邸宅とは比ぶべくもない貧相な家が数多くありましたが、そうした家の垣根には白い花が美しく咲いていました。

 源氏が従者に花の名前を問うたところ、「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根に咲くものでございます」とのこと。そこで、「気の毒な運命の花だね。一枝折ってこい」と従者に命じ、隣家の夕顔を取りにやらせたところ、その家の女性は自分の扇に花を乗せて源氏に贈ってきました。

 見舞が終わって、あらためて源氏が夕顔の載せられていた扇を見てみると、きれいな字で「心あてにそれかとぞ見る白露の 光添へたる夕顔の花」との歌が書かれています。これを見て、彼女に興味を持った源氏は、「よりてこそそれかとも見めたそがれに ほのほの見つる花の夕顔」との歌を返しました。

 これが縁となり、乳母の息子、惟光の橋渡しで源氏は彼女(=夕顔)のもとに、身分を隠して通うようになります。

 その後、2人の関係はしばらく続いたが、旧暦8月15日、中秋の逢瀬の際に、六条御息所の怨霊が現れて恨み言を言い、夕顔はそのまま意識を失って、明け方に息を引き取ってしまいました。

 『源氏物語』の原文には、源氏が夕顔と初めて出会った日付についての記述はありません。ただ、夕顔の命日となった旧暦8月15日が陽暦の9月半ばくらいであり、夕顔の花が咲くのは陽暦の7月から9月にかけてのことですから、2人の出会いは7月の中下旬、ちょうど今頃の時季だったのではないかと思います。

 さて、今回ご紹介の切手にも取り上げられた、鈴木晴信の「見立夕顔」は、上述の源氏と夕顔の出会いの場面から着想を得て描かれた見立絵です。

 見立絵というのは、王朝文学や古典の詩歌などを主題としながら、そのモチーフを当世風俗で描いたもの。「見立夕顔」では、画面左の娘が手にする扇には、夕顔の花ではなく、恋文が載せられており、若者の供の子供が持つ虫かごが御所車のかたちをしていることで、『源氏物語』にちなむ見立絵であることが示されています。

 さらに、切手では少しわかりにくいのだが、若者の着物の袖に家紋を模した文様が入っていますが、これは「源氏香の図」の“夕顔”で、これがあることで、この見立絵が『源氏物語』の「夕顔」にちなむものであることが(わかる人には)わかるという仕掛けです。

 源氏香は、5種の香木を各5包、計25包用意したうえで、その中の5包みをとって、順に香を聞いていき、その異同を紙に記して楽しむという遊びで、異同の組み合わせが52通りあることから、それぞれのパターンを『源氏物語』54巻のうち桐壷と夢浮橋の巻を除いた52巻にあてはめるというものです。

 それぞれのパターンを、5本の縦線の頭のつなぎ方によって図示したのが「源氏香の図」で、“夕霧”の場合は、右から2番目と3番目の縦線の頭のみをつなぐことで、2番目と3番目の香が同じで、他は異なるという組み合わせを表現しています。具体的には、下の画像のような図です(隣に、袖の部分の拡大図も載せておきます)

      源氏香図・夕顔  見立て夕顔・部分

 したがって、この絵が「見立夕顔」であることを理解するためには、『源氏物語』の知識だけでなく、香道にも通じていなければならないわけですが、江戸の通人たちは、この絵を見てぱっとそれがわかったんですよねぇ。いやはや、己の不明を恥じ入るばかりです。


 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『ペニー・ブラック物語』  好評発売中! ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 仁和寺ブラック
2016-04-14 Thu 12:03
 世界遺産・仁和寺が運営する宿坊の元料理長の男性が、過酷な長時間労働で抑うつ状態になったとして、寺を相手取り損害賠償などを求めていた訴訟で、京都地裁は、原告の主張を認め、仁和寺に総額約4253万円の支払いを命じました。というわけで、きょうは仁和寺がらみでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      応挙・深山大沢図

 これは、1979年の国際文通週間の切手で、仁和寺所蔵の「深山大沢図屏風」の一部が取り上げられています。「深山大沢図」は円山応挙による紙本淡彩、六曲一双の屏風絵で、「深山図」と「大沢図」から構成されています。切手に取り上げられているのは右隻の「深山図」の三扇目上部、杉の梢に停まるフクロウの部分です。

 作品は、水墨画に近い淡彩色の画面に、樹葉の微妙な明暗がいかにも山の冷気を感じさせ、フクロウの羽毛の描写も濡れているような感触を伝え、ことに瞳の描写に精彩があると言われています。

 切手では、そうした原画の持ち味を生かすため、明るい灰、うす黄茶、灰味赤紫、うす茶、黒の5色が用られました。すなわち、最初に“明るい灰”で前面にベタがけした上に、オリジナルの屏風の汚れやしみも忠実に再現するため“うす黄茶”と“灰味赤紫”が用いられました。“うす茶”はフクロウの部分を中心に、黒色は線の部分に用いられています。一見、単純な墨一色の作品と見られがちですが、よりリアルに墨跡を表現するために、さまざまな工夫がなされていたわけです。

 さて、今回の判決によると、原告の男性は2004年から仁和寺の宿泊施設“御室会館”の食堂に勤務し、翌2005年からは料理長として働いていましたが、2011年以降、時間外労働が月140時間を超えるのが常態化し、月約240時間に及ぶこともあったほか、2011年は356日出勤し、うち349日は連続して勤務していたそうです。この結果、男性は2012年に抑うつ神経症を発症し、同年から休業しており、提訴にいたったそうです。判決文の通りだとすると、仁和寺というのはとんでもないブラック企業だったということになります。

 仁和寺の法師といえば、『徒然草』では、鼎をかぶって踊っていたら頭から抜けなくなったり、石清水八幡宮に詣でたものの肝心の本宮をお参りせずに帰ってしまったりといった、おバカなエピソードが紹介されていることで知られています。もっとも『徒然草』のエピソードは、バカな奴だなぁと笑って済まされるものが多いのですが、今回の料理長に対する一件は全く笑えません。

 判決を受けて、仁和寺側は「主張が認められず残念。判決文を精査し、今後の対応を決めたい」とする談話を出しており、控訴する構えだそうですが、どうやら、“仁和寺の法師”が非常識なのは、いまも昔も変わりはないということなのでしょうな。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
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 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 切手歳時記:栃の木と老猿
2016-01-03 Sun 10:02
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年1月号ができあがりました。今回は新年号ですから、僕の連載「切手歳時記」も、干支にちなんで、猿切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      老猿

 これは、1983年3月10日に発行された近代美術シリーズ第16集のうち、「老猿」の切手です。

 1892年の春、彫刻家の高村光雲は、農商務省から、翌年のシカゴ万国博覧会への出品の依頼を引き受けます。

 光雲は、以前、高級木材である栃を用いてオウムの彫刻を作り、それが宮内省お買い上げとなった経験がありました。そこで、シカゴ博覧会の出品も栃で白猿を作ろうと思いつき、さっそく、神田南乗物町(現在の千代田区鍛治町1)の材木屋を訪ねてみると、材木屋は「栃木県の山中に栃の良材があるのだが、東京までの運搬コストがかかりすぎて商売にならない」とのこと。そこで、光雲は友人で軍人の後藤貞行を伴い、まだ寒さの残る3月のある日、材木の買い出しに出かけます。

 宇都宮を経て鹿沼の村はずれまで来た一行は、栃の木がある山中の発光路まで人力車を頼もうとしたものの、車夫たちは誰もしり込みして行きたがりません。

 やむなく、険しい山道を苦心惨憺して進み、材木を売るという長谷川栄次郎なる人物とようやく接触。長谷川は、直径七尺以上の栃の巨木は崖に生えていて、一本3円だといいます。東京の相場からするとタダ同然でしたから、光雲は早速購入を決めましたが、その後、宿の者には“ぼったくり”だと笑われてしまいました。

 この地域では、かつては穀物が取れないため、栃の実で餅を作って主食にしていました。ところが、足尾銅山の開発に伴い、人々は現金収入の機会を得て穀物を買うようになったっため、栃餅はすたれ、栃の木は場所ふさぎの厄介者となっていました。だから、わざわざ東京から土地を買いに来るなんて、なんて物好きな…と話題になっていたのだというのです。

 さて、次なる問題は材木の運搬でした。

 長谷川の目論見では、5月までには発行路から光雲の仕事場がある浅草の花川戸岸に運べるだろうということで、光雲は運賃30円、さらに木を切り出す費用として10円、計40円の半額の20円を手付金として長谷川に渡して帰京し、そのまま到着を待ち続けます。

 ところが、約束の五月になっても材木は到着しません。

 これは、丸太のままであれば材木を転がして運べたものを、長谷川が丸太を半分に割ってしまったため、かえって運搬に人手と時間がかかったことが最大の理由でした。さらに、途中、材木の通路にあたる畑の持ち主をなだめるため、地元の学校・生徒に学用品を配って懐柔しなければならなくなったり、運搬のために小川に架かる橋を壊さなければならなくなったりして、結局、材木が花川戸に到着したのは8月後半でした。もちろん、費用の面でも当初予定の40円を大幅に上回り、200円以上にもなってしまいました。

 こうして材料は到着したのですが、すると今度は、光雲の娘、咲子が9月9日、わずか16歳で病死してしまいます。

 すっかり落胆した光雲でしたが、クライアントの農商務省からは、そんなことはお構いなしに、ともかくも年内に作品を完成させろと矢の催促です。

 そこで、とりあえず、光雲が受け取ったままになっていた材木にノミを入れてみたところ、木地は純白ではなく、茶褐色でした。これでは、当初の計画通り、白猿を作るのは不可能です。そこで、光雲は,急遽、浅草奥山の猿茶屋の猿をモデルに野育ちの老猿を彫ることにして、必死にノミをふるうことにしました。もっとも、このことは、結果として、光雲の悲しみを紛らわせることになったそうです。

 とはいえ、さすがに作品は年内の〆切には間に合わず、農商務省に納品されたのは年が明けた1893年になってからのことでした。

 こうして世に出た「老猿」は、シカゴ万博で優等賞を獲得。光雲の代表作として、後に国の重要文化財に指定され、切手にも取り上げられたというわけです。

 なお、この切手を含む近代美術シリーズの切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でもまとめて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 春日若宮社の銀鶴
2015-12-17 Thu 12:15
 きょう(17日)は、春日大社の摂社(本社に縁故の深い神を祀った神社)、若宮社の祭祀である春日若宮おん祭の日です。というわけで、春日若宮社といえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      銀鶴・見本

 これは、1981年7月10日に発行された100円切手の見本で、春日若宮社の銀鶴が取り上げられています。

 若宮社は、1135年に創建で、春日大社の主神の天児屋根命(建国神話の岩度隠れに際して、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに八咫鏡を差し出した神)に対して、摂社として御子神(親子関係にある神のうちの子の神)の天押雲根命を祀っています。その創建には、藤原摂関家がこれに深く関わっています。この年から1137年にかけ、右大将藤原頼長(のち左大臣)らが中心になり、古神宝を本社の春日大社に奉納しました。それらを総称して若宮御料古神宝類といい、そのうち、今回ご紹介の銀鶴を含む49点が国宝に指定されました。

 切手に取り上げられた銀鶴は高さ13センチ、胴部は上下2枚のやや厚手の銀板を槌出して作られたもので、翼など羽毛の線には鋤彫が施してあり、頭部と両足は別材で継ぎ足しています。足の下には柄(ものを継ぐとき、一方の材に作った突起状のもので“ほぞ”と読みます)のある留金が突出しており、室内の飾りとして何らかの台の上に置かれていたものと考えられています。また、御子神の玩具として納められたともいわれています。


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 漆の日
2015-11-13 Fri 10:58
 きょう(13日)は、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日である11月13日に漆の製法を菩薩から伝授されたとの伝説にちなみ、“漆の日”です。というわけで、昨年同様、漆器の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      鎌倉彫

 これは、1985年6月24日に発行の伝統的工芸品シリーズ第4集の「鎌倉彫」の切手です。

 鎌倉彫は、カツラやイチョウなどの木を用いて木地を成形して文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品です。

 鎌倉時代、中国から禅宗とともに伝来した堆朱や堆黒などの影響を受け、木彫漆塗りの技法で仏具を作ったのがその起源とされています。現存する円覚寺舎利殿の建築や、建長寺・円覚寺の獅子牡丹や天竺牡丹唐草などが彫られた須弥壇や前机は、宋風の特色をよく伝えており、鎌倉彫の祖型といわれるものです。

 室町時代以降は、仏具や寺院の彫刻などとともに、茶の湯の交流とともに茶道具に用いられて珍重されるようになり、江戸時代には高級品として定着します。しかし、明治時代の排仏毀釈運動の影響により、多くの仏師が廃業を余儀なくされると、主として仏師によって担われてきた鎌倉彫も存亡の危機に立たされました。こうした状況の中で、後藤斎宮、三橋鎌山の二人の仏師が、仏像彫刻の技法を活かしながら新たな鎌倉彫の方向を模索。内国勧業博覧会や数々の外国の博覧会への出品・受賞などにより力を得て、仏師の彫刻技術と工芸品としての実用性を備えた、新たな彫刻工芸品としての鎌倉彫を確立しました。

 右側の切手に取り上げられている「獅子牡丹文硯台」は、30センチ四方の硯を入れるための四角い箱で桃山期の作です。飛び込んでくる獅子が牡丹の枝を押し、その勢いでしなる枝から牡丹の花弁が一ひら水に舞う、その一瞬を写実的かつ動的に表現しており、日本様式としての鎌倉彫を確立した記念碑的な作品といわれています。現在は鎌倉国宝館の所蔵品です。

 これに対して、左側の「牡丹文大香合」は室町時代の作品で直径23.7センチ、高さ6センチ。蓋の中央に牡丹の花を、その周縁に茎、葉を配して、地文は縦横の細かな格子で埋めています。神奈川県立歴史博物館の所蔵品です。

 なお、この切手を含む伝統的工芸品シリーズの切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手歳時記:十五で姐やは嫁に行き
2015-10-08 Thu 14:01
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』10月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本の歌・赤とんぼ

 これは、1980年9月18日に発行された日本の歌シリーズ第7集のうち「赤とんぼ」の切手です。

 童謡の「赤とんぼ」は、1921年、童謡集『樫の実』に発表された三木露風の詩に、1927年、山田耕筰が曲をつけてできあがりました。

 詩を書いた露風(本名・操)は、1895年、7歳の時に母親の“かた”と離れて、祖父の制に育てられました。

 制は漢学に通じ、幕末には播磨国の龍野藩奉行を、維新後は龍野町長、九十四銀行頭取を歴任した人物で、一言でいえば、堅物の老人でしたが、その息子は父親とは正反対の放蕩息子でした。

 そこで、制はしっかりした女性と結婚させれば、息子も立ち直るのではないかと考え、鳥取藩の家老の家に生まれ、播磨円覚寺の住職夫妻から漢学と行儀作法を教わっていた才女、和田かたに頼み込んで、制次郎に嫁いできてもらいました。しかし、肝心の節次郎の遊び癖は結婚後も全くおさまらず、見かねた制は、節次郎の不貞を理由に“かた”に離婚を勧めます。そして、彼女は乳飲み子の勉(露風の弟)を連れて実家の鳥取に帰り、露風は三木家に残されました。

 幼くして母親と生き別れになったという体験は、その後の露風の人格形成にも大きな影響を与え、“母恋”は露風の文学にとって大きなテーマとなっています。

 日本の歌シリーズで「赤とんぼ」の原画を担当した洋画家の根岸敬も、そうしたことをふまえて、“かた”を思わせる女性を描いたのだでしょう。ちなみに、“かた”が三木家に嫁いだのは19のときで、離縁したのは26ですから、切手の女性(少なくとも15には見えませんな)の年恰好とも合致しています。

 ところが、露風本人が語ったところによると、「赤とんぼ」の詩は、北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院(露風は1916-24年、ここで文学講師をしていた)で、窓の外の竿の先にとまっている赤とんぼを見て、幼い自分を背負ってくれた子守の“姐や”を思い出しながら、書いたのだそうです。

 歌詞をたどってみると、姐やは、“かた”に頼まれて露風を背負い、三木家の裏山の畑で桑の実を小籠に積んでくれたがものの、15で結婚して三木家を去り、その後は、連絡もなくなったということになります。

 このように、「赤とんぼ」の歌詞では、姐やが重要な役割をはたしているわけですが、驚くべきことに、1947年に「赤とんぼ」が初めて学校の音楽の教科書に載せられた際、“姐や”が登場する三番の歌詞(十五で姐やは嫁に行き お里の便りも絶え果てた)は省略されていました。

 1896年に施行された民法(家族法)では、第765条で「男ハ満十七年、女ハ満十五年ニ至ラザレバ婚姻ヲナスコトハ得ズ」とあります。“かた”が三木家を去ったのは、1895年ですから、その後しばらく、母親代わりに露風の面倒を見ていた姉やは、翌年施行の民法で結婚可能な最低年齢の15歳になるのを待って、すぐに結婚したのでしょう。

 ところが、戦後の民法改正により、結婚可能な年齢は、男性が18歳、女性が16歳に引き上げられましたので、現在は“十五で嫁に行く”ことは非合法です。

 このため、文部省は、教材中に“違法行為”があると検定を合格させられないとして、かつての教科書では三番がカットされていたのですが、これでは、原作の詩情は台無しです。ちなみに、教員向けの指導書では、「赤とんぼ」の歌詞について「いなかによく見かけられる平凡な情景を歌ったものであるが、短い詩の中に、幼時へのなつかしい回想の情がよく表わされている」との何とも無味乾燥な解説が掲載されていました。

 言葉を発することのない赤とんぼと違って、我々人間は「物言えば、唇寒し 秋の風」ということなのかもしれませんな。

* きのう、アクセスカウンターが157万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 アポイ岳が世界ジオパークに
2015-09-19 Sat 23:40
 世界遺産の地質版とされる自然公園・世界ジオパークに、きょう(19日)、北海道のアポイ岳が認定されました。国内では、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸隠岐諸島阿蘇に続いて8例目です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヒダカソウ

 これは、1985年7月31日に発行された高山植物シリーズ第5集の“ヒダカソウ”の切手です。

 ヒダカソウはキンポウゲ科の多年草で、アポイ岳や周辺の草原にのみ生育しています。高さは10-25cmで、5-6月に直径2cmほどの白い花を咲かせます。生育環境の変化だけでなく、その可憐な姿のため、園芸的採取がさかんに行われたことから個体数が激減。このため、北海道ではヒダカソウの採取を禁止するとともに、「特定希少野生動植物事業者」を登録して、違法品の販売・流通を抑制する対策がとられています。

 今回、世界ジオパークに登録された“アポイ岳ジオパーク”は、北海道日高地方の様似町のアポイ岳(810メートル)を中心とする364平方キロのエリアで、マントルがほとんど変質せずに固まった橄欖岩が露出しているのが特色です。また、気候が冷涼なことから、3000メートル級の高山植物も多数棲息していますが、切手に取り上げられたヒダカソウはその代表例というわけです。

 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細は、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

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  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
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