内藤陽介 Yosuke NAITO
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 スレブレニツァ虐殺事件
2015-07-09 Thu 16:48
 1995年7月、内戦下のボスニア・ヘルツェゴヴィナで起きたスレブレニツァ事件から20年になるのを機に、昨日(8日)、国連安全保障理事会は8日、事件をジェノサイド(大量虐殺)として非難する決議案を採決しましたが、常任理事国ロシアが拒否権を行使し、否決されました。というわけで、今日は、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ボスニア・スレブレニツァ事件10周年

 これは、2005年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで発行されたスレブレニツァ事件10周年の記念切手です。

 1989年の東欧革命の余波でユーゴスラヴィアでも共産党の一党独裁体制が崩壊し、1990年には自由選挙が実施されました。その結果、連邦を構成していた各共和国にはいずれも民族色の強い政権が誕生。 1991年6月にはスロヴェニアとクロアチアが連邦からの独立を宣言。セルビアが主導する連邦軍とスロヴェニアとの間に10日間戦争、クロアチアとの間にクロアチア紛争が勃発し、ユーゴスラヴィア紛争が始まりました。

 さらに、1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、独立に反対するセルビア人と独立賛成派のクロアチア人・ボシュニャク人(ムスリム人)の対立が軍事衝突に発展。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(以下、ボスニア紛争)が起こります。ボスニア・ヘルツェゴビナにはセルビア人とクロアチア人も相当数居住していたため、セルビア、クロアチア両国が介入し、ボスニア紛争は泥沼化していきました。

 こうした状況の下で、ボスニア東部の町スレブレニツァは、セルビア人勢力の支配下でムスリム住民4万人が生活する飛び地のような格好になっていたため、国連保護軍の安全地域に指定され、オランダ部隊が駐屯していました。ところが、国連保護軍の兵力は少数であったこともあり、セルビア人勢力の包囲により、この地域への物資の搬入は困難になり、市民の中には餓死者もでるようになっていました。

 こうして、スレブレニツァのムスリム住民が弱体化したのを見計らい、1995年7月11日頃から、セルビア人勢力がスレブレニツァに侵入を開始し、ムスリム住民に対する大規模な処刑や強姦、破壊が繰り返されました。犠牲になったムスリムの男子住民は約8000人ともいわれています。

 その後、ボスニア紛争は、1995年11月21日のデイトン合意によって終結しますが、これを受けて、紛争時の戦争犯罪として、同年11月、セルビア人勢力の政治指導者ラドヴァン・カラジッチ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの主要3民族のうち、セルビア人を主体とするスルプスカ共和国の当時の大統領)とラトコ・ムラディッチ(スルプスカ共和国軍参謀総長)が起訴されました。カラジッチの実際の逮捕は2008年、ムラディッチの逮捕は2011年のことでしたが、この間、国際戦犯法廷控訴審で真相の解明が進められ、2004年、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は事件をジェノサイドと認定。これを受けて、同年、スルプスカ共和国は、初めて虐殺を事実と認めるとともに謝罪しています。

 今回の国連決議案は、英国の主導により提出されたもので、事件を“ジェノサイド”として非難する内容に対して米英仏が賛成したものの、歴史的にセルビアとつながりの深いロシアが「一方だけ非難するのは地域の分断を生む」などとして拒否権を行使。中国は「議論のある決議案を採決することは和解に役立たない」などと棄権しました。ぜひとも、ロシアには、東アジアの一部の国が理不尽な日本批難を展開してきたときには、今回同様、そうした連中に対して「一方だけ非難するのは地域の分断を生む」と一喝していただきたいものですな。

 
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 ハリルホジッチ新監督来日
2015-03-13 Fri 17:01
 サッカー日本代表のバヒド・ハリルホジッチ新監督が、きょう(13日)、来日しました。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ヘルツェグ=ボスナ・モスタル橋

 これは、1993年にヘルツェグ=ボスナ(ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア共和国)で発行されたスタリ・モストの切手です。スタリ・モストは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの古都、モスタル市内を流れるネレトヴァ川に架かる橋で、オスマン帝国支配下の1566もしくは67年に完成しました。

 ハリルホジッチは、1952年、ユーゴスラヴィア(当時)を構成する共和国の一つだったボスニア・ヘルツェゴビナのヤブラニツァ生まれ。現役時代は、ユーゴ国内のヴェレジュ・モスタルやフランスのFCナント、パリ・サンジェルマン等でプレーし、1976年から1985年までユーゴスラヴィア代表チームにも選ばれています。その実績をもとに、引退後の1990年、古巣であるヴェレジュ・モスタルで指導者としてのキャリアをスタートさせ、1993年には監督に就任しました。

 ところで、ユーゴスラヴィアでは、1989年の東欧革命の余波で共産党の一党独裁体制が崩壊し、1990年には自由選挙が実施されました。その結果、連邦を構成していた各共和国にはいずれも民族色の強い政権が誕生。 1991年6月にはスロベニアとクロアチアが連邦からの独立を宣言。セルビアが主導する連邦軍とスロベニアとの間に10日間戦争、クロアチアとの間にクロアチア紛争が勃発し、ユーゴスラビア紛争が始まりました。

 さらに、1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、独立に反対するセルビア人と独立賛成派のクロアチア人・ボシュニャク人(ムスリム人)の対立が軍事衝突に発展。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(以下、ボスニア紛争)が起こります。ボスニア・ヘルツェゴビナにはセルビア人とクロアチア人も相当数居住していたため、セルビア、クロアチア両国が介入し、ボスニア紛争は泥沼化します。

 今回ご紹介の切手を発行したヘルツェグ・ボスナは、ボスニア紛争の過程で、1992年4月27日、クロアチア民主同盟(当時のクロアチアの政権与党)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ支部の過激派がボスニア・ヘルツェゴヴィナからの分離独立を唱えて樹立した“国家(ただし、国際社会はその正当性を認めませんでした)”で、クロアチア人による支配の下、民族浄化政策が推進され、ボシュニャク人など、非クロアチア人(ボシュニャク人など)を強制収容所送りにするなどの差別と弾圧が行われていました。独自の切手が発行されるようになったのは1993年6月以降のことで、額面はクロアチア・ディナールです。

 なお、切手に取り上げられたスタリ・モストは、ボスニア紛争の時代、ボスニア人文化、トルコ文化、イスラム文化などの一部としてクロアチア民族主義者の攻撃対象となり、1993年11月、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、ボスニア紛争の終結後、2004年6月23日に復元工事が完了し、翌2005年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されています。

 ボスニア紛争の時代、ムスリムだったハリルホジッチはセルビア人ならびにクロアチア人の民族主義過激派のターゲットとなり、モスタル市内の自宅焼打ちに遭ったのみならず、選手時代の蓄えを元手に経営していた飲食店、衣料品店などの資産もすべて失いました。また、自宅に侵入した民兵を撃退しようとしてピストルを抜こうとしたところ、銃の暴発により重傷を負っています。

 このため、ハリルホジッチはフランスに亡命し、1995年にフランス国籍を取得しました。“ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のフランス人”というのは、こうしたキャリアによるものです。

 その後、ハリルホジッチは、モロッコのラジャ・カサブランカ、フランスのリールOSC、コートディヴォワール代表、クロアチアのディナモ・ザグレブの監督を経て、2011年にアルジェリア代表監督に就任。2014年のワールドカップでは、アルジェリア代表を16強に導きました。

 そういえば、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身といえば、かつて日本代表の監督を務めたイビチャ・オシムもサライェヴォの出身でしたな。なかなか、日本では話題になることの少ない国ですが、今回の新監督就任を機に、日本でも注目度が上がるかもしれません。


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 ボスニアのウナギ
2009-07-19 Sun 23:32
 きょう(7月19日)は土用の丑の日です。というわけで、きょうは“ウナギ”ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ボスニアのウナギ

 これは、2000年8月18日にボスニア・ヘルツェゴヴィナで発行されたウナギ(ヨーロッパ・ウナギ)の切手のマキシマム・カードです。

 我々が蒲焼として食べているのは、いわゆるニホンウナギですが、ウナギ属全体としては、世界中の熱帯から温帯にかけて18種(内3亜種)が生息しています。このうち、主としてヨーロッパで食されているのが、今回ご紹介の切手に取り上げられているヨーロッパ・ウナギで、以前にもこのブログでスウェーデンのウナ君の切手をご紹介したことがあります。

 さて、日本ではウナギの調理法といえば、蒲焼か白焼にほぼ限定されていますが、世界各国ではさまざまな調理法がなされています。ちなみに、ボスニアの郷土料理では、ぶつ切りにしたウナギをニンニクとオリーブオイルでこんがり焼き目をつけて食すのが定番だとか。たしかに、スペイン料理ではウナギの稚魚を食すわけですし、脂の乗ったプリプリのウナギのグリルというのも美味そうですな。機会があれば、ぜひ一度食べてみたいものです。


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 夫妻暗殺
2008-11-19 Wed 15:22
  旧厚生省の事務次官経験者とその妻が相次いで殺傷される事件が起こりました。容疑者はいまだ逮捕されず、犯行の動機や背景などは分かっていませんが、厚生行政に不満をもつ者による連続テロ事件ではないかとの見方が強いようです。仮に、今回の事件がテロだったとすると、元次官のみならず、厚生行政とは全く無関係の妻まで犠牲になったというのは何とも痛ましい話で、あらためて、犯人に対する怒りがわいてきます。

 さて、いわゆるテロ事件で、夫妻が一度に凶刃に倒れたケースというと、歴史的にはこの2人を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

 サライェヴォ事件

 これは、1917年にオーストリア=ハンガリー二重帝国支配下のボスニア・ヘルツェゴヴィナで発行された切手で、サライェヴォ事件の犠牲になったオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーが描かれています。切手の下の1914年6月28日というのは、サライェヴォ事件が起こった日付です。

 オスマン帝国の支配下に置かれていたボスニア・ヘルツェゴヴィナは、1878年のベルリン会議でオーストリアに占領されることになり、1908年からは正式にオーストリア=ハンガリー二重帝国領に編入されました。これに伴い、1879年以降、この地域ではハプスブルク家の紋章を取り上げた切手が使用されています。

 これに対して、セルビア人をはじめとするこの地域のスラブ系住民は、ハプスブルク家の支配に反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでおり、社会的に不安定な状況が続いていました。

 こうした状況の下で、オーストリア当局は、1914年6月28日にフェルディナンド大公夫妻のサライェヴォ訪問を設定します。

 フェルディナンド大公は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの甥で、当初は、帝国の皇位継承とは無関係とみられていましたが、皇太子のルドルフ1世が1889年に亡くなったため、皇位継承者として急浮上します。

 ところで、大公にはボヘミアの伯爵家出身でテシェン公家の女官であったゾフィー・ホテクという恋人がいましたが、皇室は、チェコ人の女官のような身分の低い女性と結婚するのに反対し、大公と激しく対立します。結局、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に2人の結婚は承諾されるのですが、結婚後もゾフィーに対する冷遇は続き、劇場などでも大公との同席は許されませんでした。

 こうして経緯もあって、大公自身は親スラブ的な傾向が強かったようですが、ボスニアのセルビア人にしてみれば、“オーストリアの皇位継承者”は侵略者の手先でしかありません。かくして、大公夫妻のサライェヴォ訪問の機会をとらえて、セルビア民族主義を奉じる秘密組織黒手組のガブリロ・プリンチプが夫妻を暗殺したというわけです。

 その後、事件に使われた武器がセルビア政府の支給品であったことが露見し、オーストリアがセルビアに宣戦を布告。これが第一次大戦の直接のきっかけになりました。


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