内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 スウェーデンで徴兵制復活
2017-03-03 Fri 13:37
 スウェーデンのフルトクビスト国防相は、きのう(2日)、2010年に廃止した徴兵制を2018年1月から復活させる方針を明らかにしました。兵士に志願する若者が減るなか、ウクライナ危機を受けてロシアの脅威が高まる中、要員不足を補う目的だそうです。というわけで、今日は、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ウクライナ・ポルタヴァの戦い

 これは、2008年にウクライナが発行した「ウクライナとスウェーデン 歴史の十字路で」の切手のうち、1709年のポルタヴァの戦いに参加したスウェーデン国王カール12世(左)とウクライナ・コサックの指導者、イヴァン・マゼッパのタブがついたペアです。

 1700年、ロシアとその同盟国(北方同盟)によるスウェーデン攻撃によって大北方戦争が勃発すると、スウェーデン王・カール12世は、北方同盟軍のデンマーク、首都コペンハーゲンを急襲。トラヴェンタール条約を結び、デンマークを北方同盟から離脱させるとともに、ナルヴァの戦いでロシア軍を撃破。ロシアはスウェーデンからの撤退を余儀なくされました。さらに、カール12世はドヴィナ川の戦いでポーランド(当時はポーランド・リトアニア共和国)を破り、ポーランド領内に侵攻。1706年にはフラウシュタットの戦いで勝利してザクセンにも侵攻し、ポーランドを北方同盟から離脱させました。

 一方、ウクライナでは、1704年、ロシアからの自立を目指すイヴァン・マゼッパが北方戦争に乗じてドニエプル川右岸(右岸ウクライナ)を占領。1706年にスウェーデン軍がポーランドの大半を占領したことを受けて、マゼッパは“敵の敵”であるスウェーデン軍と結び、ロシアへの遠征を企てます。

 かくして、スウェーデン軍は、1707年、ロシア本土への侵攻を開始しますが、ロシア側の焦土作戦を前に、スウェーデン=ロシア国境での戦闘を断念し、マゼッパ率いる3万のコサック兵(平時には農耕を行い、有事には軍務を行うことを条件に特権的な土地使用を認められた人々。またはその軍事的共同体)との合流を目指して、南下してウクライナから攻め込むプランに変更しました。

 しかし、マゼッパの叛乱を察知したロシア軍は、1708年、彼の本拠地・バトゥールィンを急襲して住民6000人を殺害。これにより、コサック軍は壊滅的な打撃を受け、マゼッパ自身も命からがらカール12世と合流します。当然のことながら、合流してきたマゼッパの兵力は、当初の予定より大幅に減少していましたが、カール12世は進軍を止めることなく、1709年6月、東ウクライナのヴォルスクラ川沿いの要衝、ポルタヴァを包囲しました。

 しかし、包囲戦の最中の6月17日、カール12世は狙撃兵によって足を負傷し、カール・グスタフ・レーンスケルドに指揮権を委託。すると、その直後にピョートル1世率いる4万超の兵と72門の砲を擁する大軍がスウェーデン軍陣地の北方に到着し、逆に、2万余(実際の攻撃に使用できる兵力は1万7000)スウェーデン軍を包囲。このため、圧倒的な劣勢を跳ね返すため、6月27日未明、スウェーデン軍はロシア軍に対して奇襲攻撃をかけたものの、最終的にはロシア側の圧倒的な兵力の前に多くの死傷者を出して敗走。カール12世とマゼッパは敗残兵に紛れてオスマン帝国まで逃れたものの、残りの将兵は戦場から離れたペレヴォローチナで降伏しました。この戦いでのスウェーデンの戦死者は5000人以上で、生き残った1万5000人と援軍6000人は捕虜としてシベリアに送られ、スウェーデンに帰国できた者は5000人しかいなかったそうです。また、マゼッパ本人も、翌1710年、ベッサラビアのベンデリで亡くなっています。

 さて、21世紀の現在、実際にウクライナの地でスウェーデン軍とロシア軍が再び戦う可能性は低いでしょうが、クリミア併合後のロシアはバルト海周辺で軍用機による活動を活発化させており、スウェーデン側もゴトランド島に部隊を配置するなどして警戒を強めています。そうした事態が、大北方戦争の歴史的記憶をスウェーデンに呼び覚まさせ、そのことが、今回の徴兵制復活につながったのも、まさにむべなるかな、というところでしょうか。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ユダヤ新年
2016-10-03 Mon 11:35
 きのう(2日)の日没をもって、ユダヤ暦5777年の“ローシュ・ハッシャーナー”(新年。直訳すると“年の頭”の意)となりました。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ウクライナ・ユダヤ新年(2016)

 これは、今年(2016)年8月27日、ウクライナで発行された“ウクライナのマイノリティ:ユダヤ人”の切手のうち、ローシュ・ハッシャーナーを取り上げた1枚です。

 古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦と秋から1年が始まる政治暦が併存していました。政治暦は旧約聖書・レビ記23章24節に「第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい」とあるのを根拠として、宗教暦の7月1日から始まります。ただし、ユダヤ暦は太陰暦ですので、毎年、新年の日付は異なります。また、ユダヤ暦の紀元は、ユダヤ教において神が世界を創世した日を西暦に換算したとして、紀元前3761年10月7日とされています。

 さて、ユダヤ暦の“お正月”としてのローシュ・ハッシャナーは、旧約聖書の記述に倣い、シナゴークでラビが雄羊の角笛(ショファー)を吹き鳴らされることから“ラッパの祭り”とも呼ばれています。今回ご紹介の切手は、その場面を取り上げたものです。

 また、個人の生活としては、家族や親戚が集まり、今後1年間が“甘い年”となるようにリンゴやパンを蜂蜜に浸して食べたり、“実がいっぱいに詰まった年”となるようにザクロざくろを食べるほか、食事のメインには“年の頭”にちなんで尾頭付きの魚を食べる習慣があります。

 現在のウクライナ国家に相当する地域は、かつて、ポーランド・リトアニア共和国の支配下で、多数のユダヤ人が生活していました。1795年の第3次ポーランド分割でポーランド・リトアニア共和国は完全に消滅し、ウクライナはロシアの支配下に入りますが、すでに1794年から建設が始まっていたウクライナ南部の港湾都市、オデッサとその周辺には多くのユダヤ人が住みつき(19世紀末にはオデッサ市の人口の3分の1がユダヤ人と言われるほどでした)、オデッサはロシア・ユダヤ文化の中心地となります。

 しかし、1881年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されると、首謀者はナロードニキ派で貴族出身の非ユダヤ人、ソフィア・ペロフスカヤだったにもかかわらず、犯人グループの中にユダヤ人女性革命家ゲシア・ゲルフマンがいたことから、民衆の間で事件はユダヤ人の陰謀とする煽動が行われ、ウクライナと南ロシアでポグロム(流血を伴う反ユダヤ暴動)が発生。以後、この地域では断続的にポグロムが発生し、多くのユダヤ人がウクライナから脱出していきました。ちなみに、映画やミュージカルで有名な「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、この時代のウクライナのユダヤ人家庭を舞台に、最終的に、彼らがポグロムによって故郷の村を追われるというストーリーになっています。(原作の小説では、主人公一家はイスラエルの地へ帰還する設定ですが、ミュージカルではニューヨークに向かうところで幕となります)

 さらに、1941年に始まる独ソ戦では、ドイツ側は「戦争の責任はユダヤ人にあり、ドイツ民族の生存を望まないユダヤ人は絶滅する必要がある」と主張し、ドイツ占領下のウクライナでは、地元住民を巻き込んでのユダヤ人虐殺が行われています。特に、キエフ近郊のバビ・ヤールでは、1941年9月29-30日 ウクライナ警察の協力の下、ユダヤ人は移住させるから集合せよとの布告を信じて集められたユダヤ人3万7000人が徒歩で移動中に次々に射殺されたのを皮切りに、1943年までに10万人のユダヤ人が殺害されました。

 このため、独ソ戦開戦時の1941年には270万人いたとされるウクライナのユダヤ人は、第二次大戦後、最初の国勢調査が行われた1959年には84万人にまで激減。さらに、ソ連末期の1991年8月24日、ウクライナがソ連を離脱して再独立すると、過去の先例から、共産主義政権下で抑え込まれていたウクライナ民族主義の高揚に危機感を覚えたユダヤ人の出国(主な出国先はイスラエルです)が相次ぎ、2014年の国勢調査ではユダヤ人口は6万7000人にまで落ち込みました。

 ちなみに、2016年4月10日にウクライナの首相に就任したヴォロディーミル・フロイスマンは、ソ連時代の1978年にウクライナのヴィーンヌィツャで生まれたユダヤ人です。歴史的に反ユダヤ主義が強かったウクライナでの、ユダヤ人首相の誕生は画期的な出来事で、今回ご紹介の切手が発行されたのも、そうした背景事情が大きくかかわっているのではないかと思います。
 

★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 内村が体操個人総合連覇
2016-08-11 Thu 12:18
 リオデジャネイロ五輪6日目(現地時間10日)は、体操男子個人総合の内村航平、柔道男子90kg級のベイカー茉秋、同女子70kg級の田知本遥が金、競泳女子200mバタフライの星奈津美が銅のメダルを獲得しました。このうち、内村はロンドン五輪に続いての連覇で、これは、1968年メキシコ、72年ミュンヘンを制した加藤沢男以来44年ぶり、史上4人目の快挙です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ウクライナ・アトランタ五輪(体操)

 これは、1996年7月19日にウクライナが発行したアトランタ五輪の記念切手で、コマ送りで表現した鉄棒の回転と着地が取り上げられています。

 今回の内村は、最終種目の鉄棒で、それまで1位だったウクライナのオレグ・ベルニャエフを逆転して金メダルを獲得しましたが、試合後のベルニャエフは、内村に「審判に好かれているのでは?」と質問した記者に対して、「審判も個人のフィーリングは持っているが、スコアに対してはフェアで神聖。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。無駄な質問だ」と不快感をあらわにしたとか。体操の技能だけでなく、人格的にも一流の人物なんですね。そこで、ベルニャエフへの敬意も込めて、今回は、ウクライナの鉄棒切手を選んでみました。

 さて、ウクライナが独立したのは1991年8月24日のことで、ソ連が崩壊したのは同年12月25日のことでした。このため、1992年の五輪に関しては冬季のアルベールビル、夏季のバルセロナともに、バルト三国を除く旧ソ連諸国に関しては、IOCによる各国の国内五輪委員会の承認が間に合わず、旧ソ連諸国統一チームとして EUN(Équipe Unifiée)が結成され、各国の選手はEUNの一員として参加する形式が採られました。

 なお、1994年のリレハンメル五輪以降は、ウクライナを含む旧ソ連諸国は各国がそれぞれ代表選手を派遣するようになりましたので、夏季大会としては、今回ご紹介の切手の題材となった1996年のアトランタ大会が最初となりました。ちなみに、アトランタ五輪でのウクライナの獲得メダル数は金9、銀2、銅12で、体操競技では、ラスタム・シャリポフが男子平行棒で金、リリア・ポドコパエワが女子個人総合および床で金、女子平均台で銀、男子団体総合が銅、新体操ではエカテリーナ・セレブリアンスカヤが金、エレーナ・ビトリチェンコが銅という結果でした。

 
★★★ 内藤陽介の最新刊 『リオデジャネイロ歴史紀行』 好評発売中!★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ウクライナ政変から1年
2015-02-23 Mon 10:07
 2013年2月23日、ウクライナで政変が発生し、親露派政策を取っていたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊してから、きょうでちょうど1年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウクライナ・ユーロ・マイダン

 これは、2014年8月22日にウクライナで発行された“ユーロ・マイダン”の切手です。

 2004年12月、ウクライナでは、いわゆる“オレンジ革命”によって、ロシアとは距離を置き将来のEU加盟を目指すことを掲げるヴィクトル・ユシチェンコ政権が発足しました。しかし、新政権は発足当初から内紛が絶えず、早くも2005年9月8日には首相のユーリア・ティモシェンコ以下の全閣僚が解任されるなど、権力闘争による混乱が繰り返されていました。

 一方、ロシアは隣国ウクライナに“ロシア離れ”を公言する新政権が発足したことに対して不快感を隠さず、ウクライナの生命線ともいうべき石油・天然ガスの大幅値上げや供給の一時停止などの圧力をかけます。さらに、2008年9月、リーマン・ショックから世界金融危機が発生。ウクライナ経済は甚大な打撃を被りましたが、欧米諸国の経済支援もあてにできない状況となりました。

 このため、2010年の大統領選挙で親露派のヴィクトル・ヤヌーコヴィッチが当選。その後、ヤヌコーヴィチ政権は、ユシチェンコ時代の金看板のひとつであった北大西洋条約機構(NATO)への加盟方針を撤回。2010年4月には、ロシア黒海艦隊に対するクリミア半島セヴァストーポリの基地貸与期限を2042年まで25年間延長することに同意するなど、対露接近の姿勢を鮮明にします。さらに、2013年にEUとの間で仮調印された政治・貿易協定について、ヤヌコーヴィチ政権がロシアからの圧力を受けて正式調印を見送ったことで、親西欧派の野党勢力が猛反発し、同年11月以降、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生するなど騒乱状態に陥りました。

 反政府デモの中心となったのは首都キエフ中心部の独立広場でしたが、反政府勢力は、将来のEU加盟を祈念して、広場をユーロ・マイダンと改称。そのユーロ・マイダン周辺では、ソチ五輪期間中の2014年2月18日、デモ隊と治安部隊の大規模な衝突が発生し、翌19日未明までに双方で少なくとも21人が死亡し、数百人規模の負傷者が発生する流血事件となりました。

 これに対して、19日には、政府側と反政府側の間でいったんは休戦が宣言されたものの、20日には再び衝突が起こり、100人以上が死亡。さらに、21日には野党指導者と大統領との間で政治危機の打開をめざす合意が署名されましたが、勢いを増すデモ隊は野党の弱腰を非難してキエフ中心部を占拠します。

 ここにいたり、ヤヌコーヴィチは政権の維持を断念し、22日夜、東部ドネツィク(ロシア語名・ドネツク)の空港から出国を試みましたが、国境警備隊に阻止され、政権は崩壊しました。

 その後もウクライナでは、ロシアによるクリミア併合を経て、東部での戦闘が続いており、現在なお情勢はきわめて不安定です。切手や郵便物にもその痕跡がいろいろと残されているはずなので、機会を見つけて、それらについてもフォローして良ければ…と思っています。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 クリミア共和国が独立宣言
2014-03-18 Tue 15:47
 おととい(16日)、ウクライナのクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市で行われた住民投票で、ウクライナからの分離独立とロシア編入についての賛成票が95%を超得たことを受けて、クリミア最高会議(議会)は、きのう(17日)、臨時議会を開き、“クリミア共和国”としての独立を宣言しました。一方、ロシアのプーチン大統領は、同日、ウクライナ南部クリミア自治共和国を独立国として承認する大統領令に署名しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       クリミア自治共和国

 これは、昨年(2013年)、ウクライナが発行したクリミア自治共和国を紹介する切手の小型シートです。この小型シートを持ち出すまでもなく、わずか1年前には、クリミアがウクライナ領であることを疑う人はほとんどいなかったわけで、あらためて、情勢の急激な変化に驚かされます。

 クリミア半島は、もともと、ウクライナ南部の半島に接する地域とともにクリミア・タタール人が支配するクリミア・ハン国の版図でしたが、エカチェリーナ2世治世下の1783年、同国がロシアに併合されたことでロシア領となり、1802年、タヴリダ県となりました。

 ロシア革命後はタヴリダ・ソビエト社会主義共和国を経て、1921年、クリミア半島部はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国支配下のクリミア自治ソビエト社会主義共和国に、半島外はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に分割されましたが、このうちの前者が、1945年にクリミア州となり、1954年、ソ連邦の構成共和国であったウクライナに移管され、今回“独立”したクリミアのルーツとなりました。

 1991年のウクライナ独立に際してクリミア州はウクライナが継承しましたが、クリミア州内のロシア人はロシアへの再統合を要求。1992年5月5日、クリミア州議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国の独立を宣言しました。

 これに対して、ロシアは独立の動きを支持し、クリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を採択しました。ところが、1994年に第1次チェチェン紛争が勃発すると、チェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのはダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を中断せざるを得なくなります。

 この結果、後ろ盾を失ったクリミアの独立運動は沈静化し、クリミア議会はウクライナ共和国内の自治共和国であることを認め、1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されました。しかし、2013年から2014年にかけてウクライナ経済の低迷をきっかけにウクライナ国内で親露派と親欧米派の対立が再燃し、2014年2月24日、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊。これに対して、クリミアでは、ロシアの強い影響の下、暫定政権への移行に反対する親露派のデモが拡大し、16日の住民投票を経て今回の“独立”となりました。

 クリミアの独立に関しては、当事者のクリミア以外は、“独立派”を支援するロシアが承認しているだけで、西側諸国はこれを国際法上無効なものとして認めていません。しかしながら、すでにクリミア全域はロシアの実効支配下に置かれており、ウクライナがこれを回復するのはほぼ不可能というのが実情です。

 ただし、クリミアはロシアとは陸地でつながっておらず、天然ガスの約25%、水道の70%、電力の90%をウクライナ本土に依存しており、ロシアとしても、住民投票の結果そのままに、ただちにクリミアをロシア領に編入してロシア政府の責任において住民にライフラインを提供することは容易ではないでしょう。プーチン大統領は、早くもクリミア半島のロシア編入を議会に提案し、今夜にもクリミアのロシアへの編入を宣言する予定だそうですが、書類上の“併合”は即日可能だとしても、ライフラインのみならず、行政上の諸手続きなどをふくめて物理的に併合が完了するためにはそれなりの時間が必要なはずで、建前はともかく、当面はクリミアの独立を認めるにとどめておくのが現実的だろうとは思うのですが…。

 なお、今回の独立に関して、クリミア共和国政府は、クリミア内のウクライナ政府資産を新生共和国に移管するほか、ロシアの通貨ルーブルを“第2通貨”として導入し、ウクライナ通貨フリブナの流通を2016年1月1日で打ち切ると決定しています。切手に関しては、移行期間を設けて、ウクライナ発行のモノも当面は有効という措置が講じられるのでしょうが、今回ご紹介のモノのように“ウクライナのクリミア”を強調するような切手も他の切手と同等の扱いになるのかどうかは、現時点では情報が入っていません。

 いずれにせよ、クリミアとウクライナについては、切手・郵便事情も含めて、今後の推移にも注目したいところです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 クリミアでの住民投票
2014-03-16 Sun 17:28
 ロシアが実効支配しているウクライナ南部クリミア半島(ウクライナ領クリミア自治共和国およびセヴァストーポリ特別市)で、予定通り、現地時間の16日午前8時(日本時間午後3時)、ロシア編入の是非を問う住民投票が始まりました。ウクライナ政府と米欧は住民投票を「ウクライナ憲法に反する」としてこれを認めないとしています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウクライナ憲法1周年

 これは、1997年6月28日、ウクライナで発行された1996年憲法1周年の記念切手です。ウクライナでは、オレンジ革命最中の2004年12月、それまでの1996年憲法に規定されていた大統領権限を制限するなどの変更を加えた改正憲法(2004年憲法)が作られ、2006年1月からに施行されていましたが、ヤヌコーヴィチ政権下の2010年10月、憲法裁判所が2004年憲法を無効としたため、1996年の憲法が復活。その後、昨年来の混乱の中で、ことし2月21日、ヤヌコーヴィチ大統領が2004年憲法を復活させることで野党勢力との妥協を図ろうとしたものの、政変に倒れて失敗に終わり、現在に至っています。したがって、現時点では、今回ご紹介の切手に取り上げられた1996年憲法が、現行憲法ということになります。

 今回の住民投票で問われているのは、①クリミアをロシア連邦へ編入させることの是非、②ウクライナへの帰属を決定した1992年憲法の是非、の2点です。ただし、②の設問に関しても、1992年憲法ではクリミアの分離独立に関する手続きが詳細に定められているため、クリミアは合法的にウクライナから分離独立し、そのうえでロシアとの“併合”を目指すというシナリオが想定されているのは誰の目にも明らかで、クリミアの現状維持のためには、①と②の両方の設問に対する反対票がともに多数を占める必要があります。ただし、現実の問題として、クリミアの住民の約6割はロシア系のため、今回の提案が有効投票の過半数の賛成を得て承認されるのはほぼ確実です。

 これに対して、ウクライナの1996年憲法には「ウクライナ領土の変更問題は国民投票のみで議決できる」(第73条)、「クリミア自治共和国は、ウクライナを構成する不可分の領土であるのと同時に、ウクライナ憲法が定める範囲内で自治を行う」(第134条)などの規定があるため、地元住民のみでクリミアの分離独立やロシアへの編入を決めることは“憲法違反”というのが、キエフのウクライナ暫定政府や国連、西側諸国の主張です。

 ただし、現実の問題として、すでに3月11日、クリミア最高会議とセヴァストポリ特別市はウクライナからの独立を宣言。きょうの住民投票で上記の①の設問が賛成多数を得た場合、クリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市が即時にウクライナから分離独立したうえで、国際条約に照らしロシアに対して編入を提案するとの決議を出席議員81人中78人の賛成で採択しており、少なくともクリミアの分離独立は既成事実化されつつあります。

 これに対して、ウクライナの国会はクリミア自治共和国最高評議会の全権を緊急的に停止し、クリミア議会を解散。クリミア議会議員選挙の実施を決定することで対抗しようとしていますが、再選挙が行われても、クリミア議会でキエフの暫定政権を支持する勢力が多数派を占めるのは事実上不可能であり、手詰まりの状況といえましょう。

 今後は、ウクライナからの分離独立したクリミアをロシアがどのように処遇するかということが焦点になるわけですが、少なくとも数日間(場合によっては数時間?)は、独立国家としての“クリミア”が存在することになるわけで、そうした過渡期の郵便がどうなるのか、僕としては大いに関心のあるところです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ドネツィクで大規模騒擾事件
2014-03-15 Sat 14:11
 ウクライナ東部のドネツィク(ロシア語名・ドネツク)で、13日夜(日本時間14日午前)、親露派と親欧州派の住民が衝突し、同国民放テレビ「ニュース5」によると、3人が死亡、約50人が負傷。2月末の政変以来、ロシア系住民の多い東部で最大規模の衝突となりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ドネツク・カバー

 これは、1994年、今回騒擾事件のあったドネツィクからベラルーシのミンスク宛に差し出された書留便で、1993年に発行されたウクライナの正刷切手と、旧ソ連時代の切手にドネツィクで加刷したローカル切手が貼られています。消印は旧ソ連時代のモノが使われていますので、局名表示はロシア語の“Донецк”(ドネツク)となっていますが、ローカル加刷の地名はウクライナ語の“Донецьк”(ドネツィク)となっているのがミソです。

 さて、今回の事件があったドネツィクを中心とする一帯(現在のドネツィク州の領域)は、もともと、モスクワ大公国、クリミア・ハン国、ザポロージャ・コサック軍、ドン・コサック軍との国境地帯で、16世紀以降、ウクライナ・コサックが入植していました。

 1774年、この地を編入したロシア帝国はロシア人の入植を進めましたが、1869年、英国人のジョン・ヒューズが現在のドネツィク市に冶金工場を建設したことから、以後、炭鉱業と工業の町として発展することになりました。現在でもドネツィクはウクライナ最大級の工業都市であり、ローカル加刷切手にハンマーがデザインされているのもこうした事情を反映したものです。ちなみに、当初、町の名前はヒューズにちなんで“ユーゾフカ”でした。

 ロシア革命後の内戦の時代には、ボリシェヴィキ系のドネツク=クリヴォーイ・ローク・ソビエト共和国を経て、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国の領土となり、1922年末のソ連成立により、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国に編入。1924年、スターリンにちなんで市の名前はユーゾフカからスターリノに改称されました。なお、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の州としてドネツク州が設置されたのは1932年のことです。

 1938年、ドネツク州はスターリン州とヴォロシロヴフラード州に分割され、独ソ戦期の1941-43年にはドイツ軍に占領されました。その後、1961年、スターリン時代の見直しに伴い、スターリノ市はドネツィク市と改称され、これに伴い、スターリン州もドネツィク州に改名され、ウクライナの独立に伴い、ウクライナのドネツィク州となりました。

 なお、ドネツィク州としての人口構成は、ウクライナ人56.9%、ロシア人38.2%ですが、ヤヌコーヴィチ前大統領の出身地ということもあって(ただし、現在ではさすがに前大統領を支持する人はほとんどいなくなったようです)、親露感情も強く、政変後はキエフの暫定政府に対抗してドネツィク市の州政府庁舎は、3月1日から5日ごろまでウクライナ国旗に代わってロシア国旗を掲げていたほか、3日には一時、親露派のデモ隊が占拠。8日には、キエフの暫定政府に抗議する親露派のデモ隊が帰属先を問う住民投票の実施を州政府に求めるなど、混乱が続いています。

 ところで、一連のウクライナ問題・クリミア問題については、日本を含む西側の論調では、親露派やその背後にあるとみられるプーチン政権に対して批判的で、ウクライナの暫定政権に同情的な論調が多いように見受けられます。もっとも、その割には、今回の事件に関しても、報道の圧倒的多数はロシア語名の“ドネツク”を使い、ウクライナ語名の“ドネツィク”を使うところはほとんどありませんからねぇ。「ロシアの横暴に抵抗するウクライナ」という構図(実際にはそれほど単純な話ではないとも思いますが…)で話をしたいのなら、地名もウクライナ語に準じた表記にすればいいと思うのですが、そうなっていないところを見ると、やはり、深層心理として、この地域におけるロシアの圧倒的なプレゼンスを追認しているということなんでしょうな。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ウクライナはパラリンピック参加
2014-03-07 Fri 22:43
 ロシアの軍事展開への抗議として、現地時間7日夜に開会式が行われるパラリンピックのボイコットを示唆していたウクライナですが、「ウクライナが独立した国として選手団を派遣したことを忘れないようにするため」(ウクライナ・パラリンピック委員会のワレリー・スシュケビッチ会長)として、最終的に参加を表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウクライナ・バルセロナ五輪(メダル)

これは、1992年12月14日、ウクライナが「バルセロナ五輪でのウクライナのメダル獲得」を記念して発行した小型シートです。

 ウクライナが独立したのは1991年8月24日のことで、ソ連が崩壊したのは同年12月25日のことでした。このため、1992年の五輪に関しては冬季のアルベールビル、夏季のバルセロナともに、バルト三国を除く旧ソ連諸国に関しては、IOCによる各国の国内五輪委員会の承認が間に合わず、旧ソ連諸国統一チームとして EUN(Équipe Unifiée)が結成され、各国の選手はEUNの一員として参加する形式が採られました。なお、1994年のリレハンメル五輪以降は、各国がそれぞれ代表選手を派遣するようになっています。

 したがって、バルセロナ五輪に関しては、制度上は“ウクライナ選手”というのは存在しないはずなのですが、ウクライナ国家としては、独立国としてあえて“自国の選手”のメダル獲得を顕彰するため、今回ご紹介のような小型シートを発行したというわけです。こうした経験があるがゆえに、今回、スシェケビッチ会長も「ウクライナが独立した国として選手団を派遣したことを忘れないようにするため」という言葉が自然と出てきたと言うことなのでしょう。

 ちなみに、会長は、昨日(6日)、ロシアのプーチン大統領に会い、「パラリンピック大会中は平和をお願いしたい」と頼んだそうですが、さてさて、大統領が素直に“お願い”をきいてくれるかどうか…。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 クリミア地方政府の切手
2014-02-28 Fri 21:44
 今月23日にヤヌコーヴィチ政権が崩壊したウクライナ南部のクリミア自治共和国で、昨日(27日)、親ロシア派の武装集団が首都シンフェローポリのクリミア政府・議会を占拠しました。議会は占拠されたままの状態で、同日、自治権拡大の是非を問う住民投票を5月25日に実施することを決定。さらに、武装集団は、きょう(28日)未明、南部の要衝セヴァストーポリ近郊のベルベク空港ならびに首都の空港を掌握した模様だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       クリミア地方政府切手

 これは、1919年に“クリミア地方政府”が発行した50コペイカ切手で、ロシア皇室の紋章である双頭の鷲が大きく描かれています。

 18世紀までのクリミア半島は、クリミア・タタール人が支配するクリミア・ハン国の反とでしたが、1768-1774年の露土戦争の結果、1783年にクリミアはロシア帝国に併合され、クリミア・タタール人の有力者層はオスマン帝国領内に亡命。その一方で、ロシア人、ウクライナ人をはじめとする移民がクリミアに押し寄せたため、19世紀の初めには、クリミア・タタール人はクリミア半島での少数派となっていました。

 1917年、ロシアで十月革命が起こると、クリミア・タタール人はクリミア人民共和国の独立を宣言しましたが、1918年初めにはボリシェヴィキがクリミア半島を占領。タヴリダ・ソヴィエト社会主義共和国を創設します。これに対して、同年4月末、ドイツに援助されたウクライナ人民共和国軍がボリシェヴィキを駆逐し、同年6月25日、クリミア地方政府を樹立しました。

 クリミア地方政府は、ドイツとオスマン帝国の保護下でクリミア・ハン国の再建をめざし、独自の通貨や紙幣(今回ご紹介のモノはその1枚です)も発行しました。その後、ドイツとオスマン帝国の敗戦を受けて、1918年11月には反ボルシェヴィキの連合国が上陸したものの、1919年初までに撤退。クリミア半島はロシアの内戦に巻き込まれ、赤軍と白軍の攻防の後、最終的には赤軍に占領され、1921年10月18日、ソヴィエト・ロシアの一部としてクリミア自治社会主義ソビエト共和国が創設。1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦成立を経て、1936年12月5日、クリミア自治ソビエト社会主義共和国となりました。

 スターリン時代の1944年、クリミア・タタール人は財産と市民権と奪われたうえ中央アジアへ強制移住させられ、翌1945年6月30日には自治共和国は解消させられてクリミア州となります。スターリン没後の1954年、ウクライナのロシアへの統合300年を記念して、クリミア州はソ連構成国のロシアからウクライナに移管。1967年にはクリミア・タタール人の名誉回復がなされましたが、彼らのクリミア半島への帰還はソ連崩壊まで許可されませんでした。

 ソ連崩壊後、クリミア州はウクライナが継承しましたが、上述のような経緯から、クリミア州内のロシア人はロシアへの再統合を要求。1992年5月5日、クリミア州議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国を宣言します。

 これに対して、ロシアは独立の動きを支持し、クリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を採択しました。ところが、1994年に第1次チェチェン紛争が勃発すると、チェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのはダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を中断せざるを得なくなります。

 この結果、後ろ盾を失ったクリミアの独立運動は沈静化し、クリミア議会はウクライナ共和国内の自治共和国であることを認め、1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されましたが、その後も、ロシア人とウクライナ人の潜在的な対立が続いているほか、クリミア・タタール人の故郷帰還と権利回復の問題もあり、それらが、今回のウクライナ政変を契機に一挙に噴き出した格好です。

 いずれにせよ、クリミアを含むウクライナ情勢からは、当分、目が離せない状況が続きそうですので、このブログでも、随時、関連する切手や郵便物などをご紹介していけたら…と思っています。
 

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ウクライナで政変
2014-02-24 Mon 14:13
 昨年11月、親露派政策を取るヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの政治・貿易協定調印を見送って以来、親西欧派による大規模な反政府デモが続いていたウクライナで、昨日(23日)までに最高会議(日本の国会に相当)が大統領を解任。憲法の規定に基づき、野党出身のオレクサンドル・トゥルチノフ議長が大統領代行となり、ヤヌコーヴィチ政権は崩壊しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウクライナ・ソチ五輪

 これは、けさ閉幕したばかりのソチ五輪を記念して、ことし1月31日、ウクライナが発行した切手で、同国の女子バイアスロン代表選手が取り上げられています。

 2004年11月、ウクライナでは、レオニード・クチマ大統領の任期満了に伴い、大統領選挙が行われました。選挙戦は、従来通りロシアとの密接な関係を維持するのか、それとも、ロシアとは距離を置き将来のEU加盟を目指すのか、という点が争点となり、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチと、親西欧派の野党代表、ヴィクトル・ユシチェンコが激しい選挙戦を展開。上位2名による決選投票の結果、2004年11月21日、ヤヌコーヴィチの当選が発表されます。

 ところが、選挙期間中の9月、ユシチェンコがダイオキシン中毒によるとみられる重病にかかる事件が起きていたこともあり(ユシチェンコ陣営は反対陣営に毒を盛られたと主張します)、ユシチェンコ陣営は選挙に不正があったと主張。再選挙を求めて、首都キエフを中心にさまざまな抗議活動を展開しました。これが欧米のメディアで大々的に報じられて国際世論の関心を呼び、最終的にはEUとアメリカの圧力もあって3度目の投票(決選投票のやり直し)が行われ、12月28日、親西欧派のユシチェンコが当選を果たしました。いわゆる“オレンジ革命”です。

 しかし、新政権は“革命”の果実の分配をめぐって発足当初から内紛が絶えず、早くも2005年9月8日には首相のユーリア・ティモシェンコ以下の全閣僚が解任されました。その後も、仇敵ヤヌコーヴィチが首相に就任したり、ティモシェンコが首相に返り咲いたりするなど、権力闘争による混乱が繰り返され、“オレンジ革命”に熱狂した市民の期待も急速にしぼんでいくことになります。

 一方、ロシアは自らの裏庭である隣国ウクライナに“ロシア離れ”を公言する新政権が発足したことに対して不快感を隠そうとはせず、ウクライナの生命線ともいうべき石油・天然ガスを大幅に値上げしたり、供給を一時的にストップしたりするなどしてウクライナ経済に揺さぶりをかけ続けました。さらに、2008年9月、リーマン・ショックから世界金融危機が発生。ウクライナ経済も甚大な打撃を被り、もはや、欧米諸国の経済支援もあてにできない状況となり、ウクライナ国民の間にもロシアと妥協し経済を立て直すべきだとの声が大勢を占めるようになります。
 
 結局、2010年1-2月に行われた大統領選挙(第1回投票は1月17日、決選投票は2月7日)では、親ロシア派ヤヌーコヴィッチがティモシェンコを抑えて当選。現職のユシチェンコは第1回で5位に終わり、決選投票にも残れない惨敗を喫しました。

 その後、ヤヌコーヴィチ政権は、ユシチェンコ時代の金看板のひとつであった北大西洋条約機構(NATO)への加盟方針を撤回。2010年4月には、ロシア黒海艦隊に対するクリミア半島セバストポリの基地貸与期限を2042年まで25年間延長することに同意するなど、対露接近の姿勢を鮮明にしています。さらに、2013年にEUとの間で仮調印された政治・貿易協定について、ヤヌコーヴィチ政権がロシアからの圧力を受けて正式調印を見送ったことで、西欧派の野党勢力が猛反発し、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生するなど騒乱状態に陥りました。

 こうした状況の中で、ソチ五輪期間中の2月18日、首都キエフ中心部のユーロ・マイダン(ヤヌコーヴィチ政権に抗議し、親西欧派が独立広場から改称)や国家機関の周辺でデモ隊と治安部隊の大規模な衝突が発生。19日未明までに双方で少なくとも21人が死亡し、数百人規模の負傷者が発生する流血事件となりました。これに対して、19日には、政府側と反政府側の間でいったんは休戦が宣言されましたが、20日には再び衝突が起こり、100人以上が死亡。さらに、21日には野党指導者と大統領との間で政治危機の打開をめざす合意が署名されたものの、勢いを増すデモ隊は野党の弱腰を非難してキエフ中心部を占拠しました。ここにいたり、ヤヌコーヴィチは政権の維持を断念し、22日夜、東部ドネツクの空港から出国を試みたが、国境警備隊に阻止され、政権は崩壊しています。

 この間、ソチの五輪会場では、ウクライナ五輪委員会のセルゲイ・ブブカが、国際オリンピック委員会に、自国の五輪代表選手が黒い喪章をつけて今後の競技に臨むことができるよう要請。この要請は却下されたものの、20日には、選手村でウクライナでの衝突による犠牲者への黙祷がささげられたほか、女子アルペンスキーのウクライナ代表選手、ボグダナ・マツォツカと父親でコーチのオレグ・マツォツキーが、ヤヌコーヴィチに抗議して以後の競技を棄権しました。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられている女子バイアスロンの24kmリレーで、ウクライナ代表が金メダルを獲得したのは、その翌日、21日のことでした。

 今回のヤヌコーヴィチ政権崩壊で、昨年来のウクライナ騒乱は大きな節目を迎えましたが、親ロシア派の多い東部と親西欧派の多い西部の亀裂は深刻なものとなり、ウクライナ国家の東西分裂に対する懸念も強まっています。仮に、東西分裂に伴う新国家の誕生ということにでもなったら、切手の面でも新たな動きが生じることになるでしょうから、当面、ウクライナのニュースからは目が離せない日が続きそうです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ウクライナ | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/