内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 小さな世界のお菓子たち:メーゼシュカラーチの切手
2015-12-19 Sat 09:41
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第30号(2015年冬秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハンガリー・メーゼシュカラーチ(140)

 これは、2013年にハンガリーが発行したクリスマス切手のうち、天使の形のメーゼシュカラーチを取り上げた140フォリント切手です。

 欧米のキリスト教文化圏でクリスマスの風物詩となっているジンジャー・クッキーは、14世紀頃、現在のベルギーとドイツの国境付近で作られるようになったレープクーヘンがルーツと考えられていますが、レープクーヘンはヨーロッパ全体へ広まっていく過程で、地域ごとにさまざまなヴァリエーションが生じました。

 中欧のハンガリーのジンジャー・クッキーはメーゼシュカラーチと呼ばれており、サクッとした食感が最大の特徴です。

 その基本的な作り方は、薄力粉と粉砂糖、シナモン、クローブ、ショウガ、重曹をベースに、湯煎したハチミツに無塩バター、そして卵を加えて作った生地を焼くというものですが、焼き立てよりも、焼いてから2-3日後が食べごろになります。

 古い時代のメーゼシュカラーチは装飾のない素朴な姿のものでしたが、現在では、今回ご紹介の切手に見られるように、アイシングで装飾を施したものが主流となっています。切手にはハンガリー語で“クリスマス”を意味する“KARÁCSONY”の文字が入っており、写真では少しわかりづらいですが、それぞれクッキーの形に合わせて型抜きされたシール式になっています。

 ところで、メーゼシュカラーチは、もちろん、食べるためのものですが、日持ちがすることから、リング状に焼いて、クリスマスを迎えるためのアドヴェント・リース(の土台)として用いられることもあります。

 アドヴェントというのは、クリスマス前の最後の日曜日からさかのぼって4週間目の日曜日(11月下旬)から始まる“待降節”のこと。日本でも一般的に見られるクリスマスのリースは玄関のドアなどに架けるだけですが、アドヴェント・リースには4つの穴があけられており、そこにキャンドルが立てられるようになっています。キャンドルには、順に、信仰、希望、愛、喜びの意味が付けられており、クリスマスまでの日曜日ごとに1本ずつ点灯していくことで、人々は、徐々にクリスマス本来の信仰心を盛り上げていくそうです。なお、キャンドルの色は、最初の3本が紫色、4本目が桃色というのが定番で、12月24日のクリスマス・イヴには4本のキャンドルの光がすべて揃い、大いに雰囲気を盛り上げます。その傍らには、ぜひ、メーゼシュカラーチの切手が貼られたクリスマス・カードも飾っておきたいですね。

 なお、ハンガリーの伝統的なクリスマスのお菓子としては、メーゼシュカラーチ以外にも、ベイグリと呼ばれるロールケーキがあります。日本ではロールケーキというとクリームをスポンジ生地で巻いたものが一般的ですが、ベイグリは、ハンガリー特産のケシの実をベースに、クルミやレーズンなどのドライフルーツやナッツを練り込んだペースト状のものを小麦粉のケーキ生地で巻いており、硬く焼いてクッキーのような食感にしたものもあります。


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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

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 世界の国々:ハンガリー
2014-10-15 Wed 11:46
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年10月15日号が、先週、刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーでは、今回はハンガリーを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ハンガリー動乱40周年小型シート

 これは、1996年にハンガリーで発行された“1956年革命(ハンガリー動乱)40周年”の小型シートです。

 第一次大戦の敗戦により広大な国土を失ったハンガリーは、第二次大戦では、旧領土の回復を目指して枢軸陣営に加わり、ソ連と戦いました。

 しかし、結局、第二次大戦も敗戦に終わり、ハンガリーはソ連の占領下に置かれて王制が廃止。1949年にはソ連の衛星国として共産化され、スターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼ハンガリー勤労者党(共産党)書記長として、スターリン路線を推進することになりました。

 1953年にスターリンが亡くなると、後継のフルシチョフはスターチン批判を行い、スターリン時代の政策を修正し始めます。衛星国のハンガリーでは、ソ連の意向を受けてスターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレ(今回ご紹介の小型シートでは切手部分中央の帽子の人物)が首相となり、経済改革を進めようとしましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われてしまいました。そして、後継書記長となったのが、ラーコシ以上に強硬なスターリン主義者のゲレー・エルネーでした。

 敗戦により心ならずもソ連の衛星国にさせられたハンガリーの人々はナジの失脚とスターリン主義者の復活に反発。首都ブダペストでは、1956年10月23日、市民の大規模デモが発生し、反ソ感情が高まるなか、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。

 いわゆるハンガリー動乱(ハンガリーでは“1956年革命”と呼ばれています)です。

 動乱当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していました。しかし、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジは複数政党制の導入と(=共産党一党独裁の否定)ハンガリーの中立国化(=ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出す。このため、ソ連が軍事介入してハンガリーの“革命”を武力で鎮圧。ナジも逮捕されます。

 その後、ソ連の支援を受けたカーダール・ヤーノシュが実権を掌握したが、1957年半バまでは共産党政権に対する散発的な武力抵抗やストライキが続いた。結局、一連の動乱は、1958年6月、事態の鎮静化を待って、ナジが処刑されたことでようやく終結。以後、1989年の民主化まで、ハンガリー社会主義労働者党(勤労者党から改称)による一党独裁体制が続くことになりました。

 さて、今回の『世界の切手コレクション』の「世界の国々」では、きょうご紹介したハンガリー動乱のほか、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国についてもページを取ってご紹介しています。また、首都ブダペストの景観やルービック・キューブ、運動会の音楽の定番「クシコス・ポスト」の語源となった牧童に関する切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の10月22日号では、「世界の国々」はタンザニアにフォーカスを当てておりますが、こちらについては、来週あたり、このブログでもご紹介するつもりです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ロバート・キャパ没後60年
2014-05-25 Sun 16:06
 1954年5月25日、第一次インドシナ戦争を取材中だった写真家ロバート・キャパが、北ヴェトナム・タイビン省のドアイタン近郊で地雷に抵触し、殉職してから、ちょうど60年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロバート・キャパ生誕100年

 これは、昨年(2013年)10月2日、キャパの祖国ハンガリーで発行されたキャパの生誕100周年の記念切手で、彼の作品の中から、「集団農場における干し草の収穫」が取り上げられています。

 20世紀を代表する報道写真家、ロバート・キャパは、1913年10月22日、ハプスブルク帝国支配下のブダペストでユダヤ系の家に生まれました。本名はフリードマン・エンドレ・エルネーです。

 ギムナジウム卒業後の1931年、共産党の活動に関与した容疑で逮捕されましたが、釈放後、ベルリンで写真通信社デフォトの暗室係に就職。しかし、1933年、反ユダヤ主義を掲げるナチス政権が発足したためベルリンを脱出してブダペストに逃れ、ヴェレシュ旅行社のカメラマンとなりました。

 貧しく無名の写真家であったフリードマンは、パートナーのゲルダ・タローとともに、架空の大物写真家“ロバート・キャパ”に成りすまして、自らの写真を通信社に売り込むことを計画。1936年に内戦が勃発したスペインを取材して撮影した写真のうち、「死の瞬間の人民戦線兵士(崩れ落ちる兵士)」の写真がフランスの『VU』誌、ついで米国の『LIFE』誌に掲載されたことで、ロバート・キャパの名は世界的な知名度を獲得しました。ただし、件の問題の写真は、戦場ではなく、訓練に参加した男が足を滑らせて後ろに転んだ場面を、フリードマンではなくゲルダが撮影したものであったことが、現在の研究ではほぼ確定されています。

 当初、“ロバート・キャパ”は、漫画の藤子不二雄のように、フリードマンとゲルダの共同のペンネームでしたが、その事実は明らかにされぬまま、1937年7月26日、タローがスペイン内戦の取材中に殉職したため、以後、フリードマン単独のペンネームとして定着することになりました。

 スペイン内戦の後、キャパは日中戦争の取材を経て、1939年に渡米。第二次大戦の勃発後は北アフリカ戦線、イタリア戦線の取材を経て、1944年にはノルマンディー上陸作戦に参加し、連合国上陸の場面をとらえた臨場感あふれる写真のほか、同年のパリ解放に際して対独協力者として頭髪を剃る辱めを受けたフランス人女性の写真など、写真史に残る傑作を相次いで発表し、戦争写真の第一人者としての地位を確立します。

 第二次大戦後の1947年には国際写真家集団「マグナム」の結成に参加し、1948年には第一次中東戦争を取材。ついで、1954年4月、日本の写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念企画で来日し、人々の日常生活を取材していましたが、東京で『ライフ』から第一次インドシナ戦争の取材依頼を受けてヴェトナムに渡り、現地での取材中、いまから60年前の1954年5月25日に殉職しました。

 切手に取り上げられた「集団農場における干し草の収穫」は、1947年、作家のスタインベックとともにソ連を取材していた際、当時はソ連の一部だったウクライナの集団農場で撮影されたものです。

 ちなみに、当時のソ連国内は、“大祖国戦争”の終結から間もなく、多くの男性が戦死こともあり、農場で働く女性の多くは女性でした。こうした時代を反映して、農場で作業をしていた女性にキャパがカメラを向けると、彼女が「私は2度も夫を亡くしたんだよ」と言ったため、キャパは「じゃぁ、こんどは僕と結婚するかい?」と応え、彼女が大笑いしたというエピソードも残っています。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

         サライェヴォ事件   中日講座用・顔写真

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は第一次世界大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件で暗殺されたオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーを描いた切手です。
 

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 ハンガリー総選挙で与党圧勝
2014-04-07 Mon 15:52
 ハンガリーできのう(6日)、任期満了に伴う総選挙が行われ、オルバン首相率いる中道右派の“フィデス・ハンガリー市民連盟”を軸とする与党連合は全199議席中3分の2にあたる133議席を獲得して圧勝しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ハンガリー・国会議事堂

 これは、1982年、ハンガリーが“切手の日”にあわせて発行した寄附金つき切手で、首都ブダペストの国会議事堂とラーコーツィ・フェレンツ2世(在位1676-1735)騎馬像が描かれています。

 1867年、ハプスブルク帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に再編されたことを受けて、1873年、ハンガリー王国政府は、ドナウ川西岸のブダとオーブダ、東岸のペストを合併してブダペスト市を作り、ここを首都と定めました。ハンガリー王国としての国会議事堂は、1880年、ドナウ河畔のコッシュート広場に建築することが決まり、コンペの結果、一等となったシュタインドル・イムレの設計が採用されました。

 議事堂の建設は1885年に始まり、1000人の労働者と4000万個の煉瓦、50万の宝石と40キロの金などを使い、1904年に完成しました。なお、この巻の1902年、設計者のシュタインドルは62歳でなくなっています。

 議事堂の建築は、英国のウェストミンスター宮殿同様、ゴシック・リヴァイヴァル様式で、中央のドームを挟んで左右対称にファサードがある構造で、長さ268m、幅123m。高さはブダペスト市内で最も高い96mです。

 一方、切手前面の騎馬像のモデルとなったラーコーツィ・フェレンツ2世は、1676年、トランシルヴァニア公ラーコーツィ・フェレンツ1世の子としてボルシ(当時はハンガリー領。現スロヴァキア領)に生まれました。

 1701年、スペイン継承戦争が勃発し、ハンガリーに駐留していたオーストリア軍の多くが移動すると、その隙をついて、1703年、ハプスブルク帝国の絶対主義支配に抗して独立戦争を起こし、1704年にトランシルヴァニア公として即位。さらに、翌1705年にはハンガリー王国等族連盟の統治首長となりました。その後、ハンガリー側はハプスブルクに敗れ、1711年にはトランシルヴァニア公は総督に置き換えられ、ラーコーツィもポーランドへの亡命を余儀なくされますが、現在にいたるまで、ハンガリーでは民族的英雄の一人として高く評価されています。

 さて、前回2010年の総選挙で、「ハンガリーはEUの言うことを聞かない」としてハンガリーの主権と独自性を強調して勝利を収めたオルバン政権は、リーマンショック後の経済危機に対して、強い指導力を前面に押し出すことで事態の打開を図ってきました。具体的には、憲法裁判所の違憲審査権限を縮小したほか、中央銀行やメディアに対する政府の監督や規制を強化するなどの政策が行われてきたわけですが、こうした“プチ・プーチン化”に対してEUが反発。このため、今回の選挙結果を受けて、オルバンの強権的な政治手法がさらに強まり、EUとの摩擦もより深刻なものになるとも懸念されていますが、ハンガリー国民にしてみれば、EUに対して強硬姿勢で臨むオルバンは、現在のラーコーツィ・フェレンツ2世といった感じのイメージなのかもしれません。

 なお、トランシルヴァニアとその歴史については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも、切手や郵便物を通じていろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 切手が語る宇宙開発史(14)
2011-06-13 Mon 14:11
 雑誌『ハッカージャパン』の2011年7月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハンガリー・国際地球観測年

 これは、1959年にハンガリーが発行した“国際地球観測年”の記念切手の5フォリント切手です。

 第一次大戦の敗戦により広大な国土を失ったハンガリーは、第二次大戦には、旧領土の回復を目指して枢軸陣営として参加しました。しかし、結局、第二次大戦も敗戦に終わり、ソ連の占領下でスターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼共産党書記長として、スターリン路線を推進することになります。

 1953年にスターリンが亡くなると、ソ連は非スターリン化を進める一環として、ラーコシに迫り、スターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレに首相の座を譲らせましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われましたが、後継書記長となったのは、スターリン主義者のゲレー・エルネーでした。

 このため、首都ブダペストでは、ゲレー政権誕生に反発した市民の大規模デモが発生。反ソ感情が高まるなか、1956年10月26日、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、ブダペストで大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。これが、いわゆるハンガリー動乱です。

 動乱の勃発当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していましたが、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジは複数政党制の導入とハンガリーの中立国化(ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出したため、ソ連軍はハンガリーの“革命”を武力で鎮圧し、ナジも逮捕されました。

 その後、ソ連の支援を受けたカーダール・ヤーノシュが実権を掌握しましたが、その後も、1957年半ばまでは共産党政権に対する散発的な武力抵抗やストライキが続きます。結局、一連の動乱は、1958年6月、事態の鎮静化を待って、ナジが処刑されたことで、ようやく終結しました。

 このように、1957-58年という時期は、ハンガリーにとっては国際地球観測年どころではない混乱の最中にあり、無邪気にソ連との友好をうたい上げるような切手を発行することはとてもできない状況にありました。ハンガリーによる国際地球観測年の記念切手発行が観測年終了後の1959年3月にまでずれ込んでいるのも、やむをえなかったといえましょう。その一方で、カーダール新政権としては、ソ連に対する忠誠心を示すためにも、遅ればせながら、国際地球観測年の切手を発行してソ連の人工衛星をたたえざるを得なかったという側面があることも否定できません。

 今回ご紹介の切手には、ソ連の人工衛星と並んで米国のロケットも描かれています。まさに、ナジが目指した“中立化”を連想させるデザインですが、人心の安定を考えると、ソ連もそれを黙認せざるを得なかったのでしょう。

 なお、かつての東欧社会主義諸国のうち、1957-58年の国際地球観測年に際して、58年末の観測年終了までにソ連の人工衛星を取り上げた記念切手を発行しなかったのは、今回取り上げたハンガリーとアルバニアの2ヵ国のみですが、このうち、そもそも記念切手を発行しなかったアルバニアに関しては、いずれ別の機械に取り上げるつもりです。


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 刊行記念トークやります。
2009-10-30 Fri 09:14
 きょう(30日)から東京・池袋のサンシャイン文化会館全国切手展<JAPEX>がスタートします。僕は、きょうはパートタイム講師の授業があって会場に行けないのですが、明日(31日)の11:00から拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』の刊行記念トークで、明日(31日)、会場に登場します。というわけで、きょうは予告編を兼ねてこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ハンガリー分割絵葉書   ハンガリー分割絵葉書・戦後

 これは、第一次大戦後にハンガリー女性国立協会が発行したプロパガンダ絵葉書です。左側の画像は、第一次大戦以前のハンガリーの領土を示したものですが、葉書の左側の歯車を回すと、右側の画像のように、第一次大戦後、ハンガリーが領土を失った後の状況が分かるようになっています。いわゆる郵政機関発行のオフィシャルなものではないのですが、この問題に関して、わかりやすさという点ではこれ以上のものはありませんので、もってきてみました。

 現在のルーマニア国家は、モルダヴィアならびにワラキアの両公国が連合してできたルーマニアが、第一次大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったトランシルヴァニアを統合することによってできあがったというのが基本的な成り立ちです。今回ご紹介の絵葉書では、東側の大きなブロックがトランシルヴァニアにほぼ相当しており、ハンガリー側からみると、旧領土のうちの31.7%がルーマニアに割譲されたということになります。

 長年にわたって、ハプスブルクの支配下に置かれていたトランシルヴァニア地方には、その名残を示す建物なども多数存在しています。今回の拙著では、ルーマニア国内に残されたハプスブルク時代の“遺産”をいろいろとたずね歩いて、切手や絵葉書と実物を対比させてみました。

 今年の<JAPEX>は、“ハプスブルク帝国展”が企画の一つの柱になっているそうですので、僕のトークでも、ハプスブルク支配下にあったトランシルヴァニアのことを中心にお話ししようかと思っています。当日は、プロジェクターを使って、切手やカバーのみならず、現地で撮影してきた写真等も多数お見せしますので、ぜひ、遊びに来てください。
 
 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』

 トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行   (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税)

 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年
 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く!
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 建設の風景:レンガ積み
2007-09-12 Wed 10:44
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の9月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手に描かれた建設の風景」では、今月号はこんなモノを取り上げてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ハンガリー・レンガ積み

 これは、1955年にハンガリーで発行されたレンガ積み職人の切手です。

 機械化が進む建設現場の中でもレンガを積む作業だけは現在でも手作業で行われているため、各地の現場では、多くのレンガ職人たちが昔と変わらず日々汗を流しています。

 レンガの積み方の代表的なものとしては、フランドル積み(フランス積み)とイギリス積みがあります。前者は、正面から見たときに、1つの列に長手(レンガの長辺)と小口(短辺)が交互に並んで見える積み方(Ⅱ=Ⅱ=Ⅱ・・・となります)で、後者は一つの列が長手、その上の列は小口、その上の列は長手…と重ねていく積み方(1列目はⅡⅡⅡ…、2列目は===…となります)です。フランドル積みの方が見た目は良いのですが、手間がかかるうえに構造的にはやや弱いということで、現在はイギリス積みが主流となっています。

 今回ご紹介している切手の職人は、イギリス積みの作業に汗を流しているようです。なお、ヨーロッパではレンガで構造を組み立てた後で表面を石や漆喰で仕上げることも多いため、この職人の仕事も、建物が完成した暁には目に見えないところへ隠れてしまったかもしれませんね。
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 朝鮮の子供を救え!
2006-05-09 Tue 23:59
 少子化が深刻な問題となっている我らが日本ですが、お隣の韓国の事情はもっと深刻なようで、韓国の統計庁が8日に発表した暫定値では、昨年の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数の平均値)は1.08にまで落ち込んだそうです。日本でさえ、2004年の合計特殊出生率は1.29ですから、ちょっとこれはすさまじい数字です。

 というわけで、今日は朝鮮人の子供を取り上げたこんな絵葉書をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

ハンガリーの絵葉書

 これは、朝鮮戦争中、ハンガリーが作成したプロパガンダ絵葉書で、“平和な世界”の表現として、ヨーロッパ系・アジア系・アフリカ系の3人の子供が並べられています。葉書の下の方に書かれているハンガリー語の内容がわからないのですが“koreaert”の文字も見えますので、朝鮮戦争に際して、いたいけな子供たちを犠牲にしている“アメリカの戦争”を非難する内容のものであろうと考えて間違いないでしょう。ということは、ヨーロッパ系の子供はハンガリー人、アジア系は朝鮮人がモデルということになっているはずですが、さて、アフリカ系の子供はどこの子なんでしょう。案外、アメリカ国籍だったりして…。

 当時の社会主義陣営やその信奉者たちの理解では、「朝鮮の子供を救え!」といえば、“アメリカ帝国主義者”から韓国の子供たちを守ろうという意味だったわけですが、現在、同じスローガンを掲げると、北朝鮮で悲惨な境遇に置かれている子供たちを援けようという意味で理解する人が大半でしょう。まさに隔世の感があります。

 もっとも、いくら「子どもを救え」と叫んでみたところで、肝心の子供がいなければどうにもならない訳で、その点、合計特殊出生率1.08の韓国の事態は、ある意味、北朝鮮よりも深刻です。まぁ、この先、この数字が落ちるところまで落ち込んで、韓国人の子供が“絶滅危惧種”になってしまうようなことがあれば、それはそれで「朝鮮の子供を救え!」というスローガンが別の意味でリアリティをもってくるわけですが…。

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 敗戦国ハンガリー
2005-11-20 Sun 15:37
 第二次世界大戦の敗戦国というと、日独伊の三国を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は、“敗戦国”はそれだけではありません。1940年11月20日に日独伊三国軍事同盟に加わったハンガリーも“敗戦国”の一つとに数えられています。

 第一次大戦以前、現在のハンガリー地域はオーストリア・ハンガリー二重帝国の領域に含まれていましたが、オーストリア敗戦の結果、帝国はオーストリアとハンガリーに分割されたうえ、領土は大幅に縮小されました。このため、失地回復の機会を狙っていたハンガリーは、1939年に第二次大戦が始まると、快進撃を続けるドイツに期待を寄せ、ドイツと組むことで第一次大戦によって失われた失地の回復を目指したのです。

 しかし、戦争の結果、ハンガリーは敗戦国となり、その領土はソ連軍によって占領れ、次第に共産化されていきます。この間、ハイパーインフレが発生したこともあって、郵便史的にはいろいろと興味深いマテリアルが多数残されることになりました。

 その一例として、こんな葉書を引っ張り出してみました。

ハンガリー混貼

 この葉書は、第二次大戦の終結後間もない1945年7月に使用されたものです。貼られている切手は、ソ連の占領下で加刷されたものですが、葉書は枢軸時代の1944年に発行されたものです。ソ連の占領が始まって間もない時期であったため、移行期間として枢軸時代の葉書の使用が認められていた時期のものなのでしょうが、おかげで、二つの時期の切手・葉書が混ざって貼られている、風変わりな葉書が出来上がったというわけです。

 その後、ハンガリーの郵便はハイパー・インフレの影響で料金が日々刻々と値上げされていくのですが、その間の郵便事情は、たとえば、j_deafさんのHP でご覧いただくことができます。

 とはいえ、同じように、ハイパー・インフレに覆われていた1920年代初頭のドイツに比べると、やはり、日本人でこの分野にチャレンジしておられる方は相当少ないようで、なかなか、<JAPEX>などの競争展示ではお目にかかる機会がありません。

 まぁ、僕自身はやりかけの仕事で手一杯なので、とてもハンガリーにまで手が回らないというのが正直なところなのですが、それでも、この時期のハンガリーで発行された世界最高額面の切手が実際に郵便に使われたサンプルなんてのは、ぜひとも、話の種に手に入れたいものだと前々から思っているのですが…。
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