内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 チャスラフスカ、亡くなる
2016-09-01 Thu 13:57
 1964年東京五輪と1968年メキシコ五輪の体操女子で計7個の金メダルを獲得したヴェラ・チャスラフスカさん(以下、敬称略)が、30日にプラハの病院で亡くなっていたことが、きのう(31日)、明らかになりました。享年74歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      チェコ・五輪委員会100年

 これは、1999年、チェコが発行した“五輪委員会100周年”の記念葉書のうち、東京五輪の金メダリストとしてのチャスラフスカを取り上げた1枚です。

 チェコ選手の五輪への参加は、ハプスブルク帝国時代の1899年にボヘミア五輪委員会が結成されたことを受け、1900年のパリ大会から始まっています。その後、1918年にはチェコスロヴァキアが独立すると、翌1919年、ボヘミア五輪委員会はチェコスロヴァキア五輪委員会に改組され、1920年のアントワープ大会以降、チェコスロヴァキア選手として参加。1993年のチェコ・スロヴァキア分離後は、五輪委員会もチェコとスロヴァキアに分割され、1994年のリレハンメル五輪以降、チェコとして参加しています。

 さて、葉書に取り上げられているチャスラフスカは、1942年5月3日、ドイツ占領下のプラハで生まれました。

 チェコスロヴァキアの女子体操は、1936年ベルリン五輪で団体銀メダルを、1948年ロンドン五輪で団体金メダルを獲得するなど強豪国として知られていましたが、チャスラフスカは、その中心選手であったエヴァ・サボコワに見いだされ、16歳の時から本格的な体操のトレーニングを開始。1960年、18歳の時に、ローマ五輪に出場しました。このときは、個人総合では8位に終わったものの、チェコスロヴァキアは団体で銀メダルを獲得しています。

 その後、1962年にプラハで開催された体操の世界選手権の跳馬で金、個人総合で銀、床で銅の個人メダルのほか、団体でも銀メダルを獲得して世界のトップ選手となりました。そして、1964年の東京五輪では、“オリンピックの名花”と呼ばれ、チェコスロヴァキアの選手として初めて個人総合で金メダルを獲得したほか、跳馬と平均台で金メダル、団体で銀メダルを獲得しました。今回ご紹介の切手は、この時の彼女の活躍を顕彰するために発行されたものです。

 ところで、1968年1月、チェコスロヴァキアでは改革派のアレクサンデル・ドプチェクが共産党党第一書記に就任。ドプチェクは、3月には検閲制度を廃止して言論の自由を保障し、ついで4月には新しい共産党行動綱領を決定して「人間の顔をした社会主義」を目指すことが打ち出します。

 こうした中で、チェコスロヴァキア領内でワルシャワ条約機構軍の合同軍事演習“シュマヴァ”が行われると、これを機にソ連が軍事介入するのではないかと恐れた知識人たちは、6月27日、「二千語宣言」を発表。ドプチェク路線を強く支持し、旧来の体制に戻ることに強い反対が表明します。その著名者の中には、チャスラフスカも含まれていました。

 「二千語宣言」に対して、ソ連共産党機関紙「プラウダ」はこれを“反革命的”と断じ、7月末には、ドゥプチェクらチェコスロヴァキア首脳とブレジネフとの会談が行われましたが、その結果、ブレジネフはチェコスロヴァキアの改革は止まらないと判断。8月20日、ワルシャワ条約機構5カ国軍が一斉に国境を越えてチェコスロヴァキア領内に侵攻し、首都プラハの中枢部を占拠してドプチェク第一書記、チェルニーク首相ら改革派を逮捕し、ウクライナのKGB監獄に連行しました。

 こうした混乱の中で、1968年10月12日、メキシコ五輪が開幕。「二千語宣言」に署名していたチャスラフスカは開会直前にようやく出国を許可され、十分な練習時間も確保できないまま大会に参加。それでも、彼女は抗議の意を示すため、それまでの赤ではなく濃紺のレオタードで競技を行い、圧倒的な強さを見せて平均台以外のすべての個人種目で金メダルを獲得します。銀メダルとなった平均台の表彰式では、ソ連のナタリア・クチンスカヤの受賞の間、顔を背けることで抗議の意を示しました。

 メキシコ五輪終了後まもなく、チャスラフスカは、東京五輪。男子陸上1500m 銀メダリストのヨゼフ・オドロジル陸軍中尉と結婚し、同年12月、日本で開催された「中日カップ チェコ日本選抜体操大会」を最後に現役を引退しました。

 その後も彼女は「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたため、国内体操界から追放され、不遇な生活を強いられました。また、私生活では、夫のオドロジルも軍を追われ、息子のマルチンが生まれたものの、1987年には離婚しています。

 1989年11月、チェコスロヴァキアではビロード革命により、共産党政権が倒れ、ヴァツラフ・ハヴェル政権が発足すると、チャスラフスカはハヴェル大統領のアドバイザーに就任。体操協会にも復帰し、大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めるなど、チェコ民主化の象徴的な存在となりました。
 
 しかし、1993年、離婚したオドロジルが息子のマルチンとの口論の末に死亡する事件が発生。マルチンは逮捕されます。

 この事件は、ビロード革命後も一定の社会的影響力を保持していた共産党とその支持者たちにとって、“民主化勢力”に反撃する格好の材料となり、共産党系のメディアを通じて、大々的な反チャスラフスカ・キャンペーンが展開されました。その結果、彼女は鬱状態になり、プラハの施設で治療を受けるようになりました。

 今回ご紹介の葉書に使われている写真には、東京五輪のポスターを背景に、微笑みながら、自分の獲得したメダルを見せているチャスラフスカの姿が写っています。チェコスロヴァキア現代史の文脈でいえば、チェコ五輪委員会100周年の記念葉書には、濃紺のレオタードを身にまとい、メキシコ五輪で鬼気迫る演技を見せた彼女の姿を取り上げるという選択肢もあったかもしれません。ただ、この葉書が発行された当時、彼女は存命でチェコ国内に住んでいましたから、葉書に使う写真の選択には、彼女の意向がそれなりに反映されているものと思われます。そうだとすると、彼女の運命を暗転させた“プラハの春”よりもずっと以前、初めての五輪金メダルを取って単純に幸せだった時代の写真が選ばれたのも、むべなるかな、というところでしょうか。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 こどもの日
2016-05-05 Thu 18:07
 きょう(5日)は“こどもの日”です。今年(2016年)は、ユダヤ暦5776年ニサン月(1月)27日の“ショアの日(ホロコースト記念日。西暦1945年1月27日のアウシュヴィッツ解放記念日をユダヤ暦に換算して制定)”とも重なりましたので、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       チェコスロヴァキア・テレジーン収容所30年(児童画)

 これは、1968年にチェコスロヴァキアが発行した“ミュンヘン協定30年”の記念切手のうち、テレジーン(ドイツ語名テレジエンシュタット)収容所の子供が描いた収容者の子供(画面左側)とゲシュタポの児童画を取り上げた1枚です。

 1938年9月30日に行われたミュンヘン会談の結果、対独宥和政策を取る英国のネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相は、「ズデーテンラントは我々の最後の領土的要求であり、チェコスロヴァキアの独立を侵害するつもりはない」と主張するヒトラーに譲歩し、ズデーテン地方のドイツ編入を容認。同年10月1日には、ズデーテンラントでのドイツによる軍政が施行されました。その後、ヒトラーは前言を翻し、1939年3月、チェコスロヴァキア国家を解体。ドイツはチェコ地域の主要部を併合して、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置しました。

 さて、テレジーン(テレジエンシュタット)は、もともとは、18世紀後半にオーストリアが建設した要塞で、その名は女帝マリア・テレジアにちなんで命名された都市です。

 1941年10月、ベーメン・メーレン保護領副総督にして国家保安本部長官だった親衛隊大将のラインハルト・ハイドリヒは、同年末までに保護領を“ユーデンライン(ユダヤ人が存在しない地)”にすると宣言し、11月26日から12月3日にかけてプラハとブルノのユダヤ人5000人をリッツマンシュタット(ポーランド名ウッチ)のゲットーへ追放しようとしました。しかし、リッツマンシュタットの行政当局は同地のユダヤ人の受け入れは限界に達しているとしてこれを拒否。このため、保護領のユダヤ人を一時的に収容する中継収容所が必要となり、1941年11月に建設されたのが、テレージエンシュタット強制収容所です。

 この収容所は、国際赤十字の視察調査を受け入れるための施設という色彩が強かったため、他の収容所より外観が丁寧に整えるなど、収容者を優遇していることを装う風が整えられていたことでも知られています。その一環として、1943年7月には、テレージエンシュタット収容所から発送する小包用の切手も発行されました。

 もっとも、実際のテレージエンシュタット収容所には、1941年11月24日から1945年4月20日までの間、総計14万人以上のユダヤ人が収容され、そのうち3万3000人以上が亡くなっています。この数字は、他の収容所よりは多少はましだったのかもしれませんが、それでも、過酷な状況であったことには変わりありません。

 また、『夜と霧』の作者、ヴィクトール・フランクルを含む8万8000人は、ここからさらにアウシュヴィッツなどへ移送されており、テレージエンシュタットは、欧州各地から移送した収容者を次の目的地に送るまでの中継地点、すなわち、“通過収容所”としての性格も強かったといえましょう。

 テレジエンシュタットを含むヨーロッパ各地からすし詰め状態の貨車に乗せられて、アウシュヴィッツに連れて来られたユダヤ人は、13歳以上の男性、女性(の大半)と13歳以下の子供、老人に分けられ、家族は離れ離れにされました。そして、収容所到着後、大半の女性と13歳以下の子供、老人などのグループは“無用”と見なされて、剃髪された後、そのままシャワールームに似せたガス室に送られ、登録もされぬまま処刑されました。現在、アウシュヴィッツの犠牲者の数が諸説入り乱れてよくわからないのは、この段階で処刑された人々が多かったことも一因となっているといわれています。

 なお、テレジエンシュタットとアウシュヴィッツの関係については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

 * 本日、アクセスカウンターが165万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 世界の国々:チェコスロヴァキア
2014-12-10 Wed 09:45
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年12月10日号が、先週、刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はチェコスロヴァキアにフォーカスを当てました。その記事の中から、こんな切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チャコスロヴァキア・人形劇

 これは、1961年に発行された人形劇シリーズのうちの60ハレル切手です。

 かつて、チェコとスロヴァキアの地はハプスブルク帝国の支配下に置かれていましたが、ハプスブルク帝国は公の場でのチェコ語の使用を禁じていました。ただし、例外として、庶民の娯楽である人形劇だけはチェコ語での上演が認められていたため、チェコ人にとっての人形劇は、単なる娯楽ではなく、母国語を絶やさぬための“文化の命綱”として重要な意味を持っていました。

 19世紀前半には名手コペツキーが出現し、1930年以降、スクパ率いるプロの人形劇団の活動により芸術として完成。現在、プラハだけでも数十軒の人形劇場があるなど、伝統文化として定着しています。

 さて、『世界の切手コレクション』12月10日号の「世界の国々」では、かつて存在していたチェコスロヴァキアの歴史について、第一次大戦後の国家成立の時代と、ナチス・ドイツによる占領と国家解体の時代についての概説のほか、プラハのカレル橋、チェコとスロヴァキアの分離、ボヘミア・グラス、アールヌーボーの旗手ミシャの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の12月17日号では、「世界の国々」はベナンを特集していますが、こちらについては、来週水曜日に、このブログでもご紹介する予定です。 

 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(都合により、12月はお休みをいただきます)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 第2のズデーテン化を許すな!
2014-02-06 Thu 11:59
 フィリピンのアキノ大統領は、4日付のニューヨーク・タイムズ(電子版)のインタビューで、南シナ海での侵略を続ける中国を、第2次大戦直前、ズデーテン地方(ズデーテンラント)を併合したヒトラーのドイツと重ね合わせ、「われわれが今、不法行為にイエスと言えば、さらなる事態の悪化をどうやって防ぐのか」と述べ、領有権紛争の解決で国際社会がフィリピンを支持するよう訴えました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ズデーテン加刷

 これは、1938年10月、ドイツによる併合直後のズデーテンラントで、マサリク大統領を描くチェコスロヴァキア切手にナチスの鍵十字と「我々は自由だ」のドイツ語を加刷して発行された切手です。

 現在のチェコ共和国の外縁部にあたるズデーテン地方は、チェコ人の支配するボヘミア王国の時代の東方植民以来、ドイツ系住民の多い地域になっていました。その後、ハプスブルク家の支配を経て、1918年、チェコスロヴァキアが独立を宣言すると、ズデーテン地方の帰属をめぐっては、チェコスロヴァキア政府が同政府による実効支配の追認を求めたのに対して、ドイツ系住民がチェコスロヴァキアへの編入に強く反対。ヴェルサイユ講和会議では、米国が民族自決の観点からドイツへの編入を主張したのに対し、フランスは安全保障の観点からチェコスロヴェキアの強化を主張。最終的に、フランスの主張通り、ハプスブルク帝国解体後の戦後処理を定めたサン・ジェルマン条約によって、ズデーテン地方はチェコスロヴァキア領となり、310万人のドイツ系住民はチェコスロヴァキアにおける“最大の少数民族”となりました。

 これを不満とするズデーテン地方のドイツ系住民の一部は、ズデーテンの自治権を要求。さらに、隣国のドイツがナチス政権下で経済恐慌から脱して経済力を回復すると、コンラート・ヘンラインらのズデーテン・ドイツ人党は、「ズデーテンのみならず全ボヘミア・モラヴィア・シレジア地方のドイツへの編入」を目標に掲げ、ドイツの支援を要請します。

 これを受けて、ヒトラーも“ズデーテン問題の解決”を訴えるようになり、1938年3月の独墺合邦後、「ドイツとチェコの障害になっているのはドイツ人の民族自決権を認めようとしないチェコ側の態度である」、「事態をこのまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコの頑迷の巻き添えを喰らうことになる」などとチェコスロヴァキアを恫喝し、欧州内では、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測が強まりました。このため、1938年9月30日にいわゆるミュンヘン会談が行われ、対独宥和政策を取る英国のネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相がズデーテン地方のドイツ編入を容認し、同年10月1日にはドイツによる軍政が施行されました。なお、ミュンヘン会談の前後、ヒトラーは「ズデーテンラントは我々の最後の領土的要求であり、チェコスロヴァキアの独立を侵害するつもりはない」と繰り返していましたが、実際には、1939年3月、チェコスロヴァキア国家は解体され、ドイツはチェコ地域の主要部を併合して、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置しています。

 さて、今回のニューヨーク・タイムズのインタビューで、アキノ大統領が「自国領の部分的な明け渡しを強国に迫られている」として、上記のようなヒトラーによるズデーテン地方併合の先例を持ち出し、「われわれが今、不法行為にイエスと言えば、さらなる事態の悪化をどうやって防ぐのか」と述べています。さらに、チェンバレンらの宥和政策がナチス・ドイツをつけあがらせ、欧州大戦にいたった過去の経緯に照らして、尖閣問題を含めアジア各地での侵略とチベットやウイグルなどでの非道な人権侵害を繰り返す中国を念頭に「(国際社会は)『もうたくさんだ』といずれの時点で言うのか。世界は言わねばならない」と力説。南シナ海における領有権紛争の解決で国際社会がフィリピンを支持するよう訴えました。

 中華人民共和国が“現代のナチス”にもなぞらえられていることは衆目の一致するところであり、その意味では、アキノ大統領の訴えは至極もっともなことです。我々は、ミュンヘンの悲劇を二度と繰り返さないためにも、大統領の呼びかけに、いまこそ応えるべきだと思います。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は3月4日13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。(4月以降の講座については、近々、ご案内いたします)


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ホッツェンプロッツ
2013-02-21 Thu 16:22
 『大どろぼうホッツェンプロッツ』などで知られる児童文学者、オトフリート・プロイスラーさん(以下敬称略)が18日、ドイツ南部プリーン・アム・キームゼーの自宅で亡くなっていたことが公表されました。享年89。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ホッツェンプロッツ葉書

 これは、1938年11月、“ホッツェンプロッツ”から差し出された葉書です。

 ホッツェンプロッツはチェコ・シレジア地方の小都市で、ハプスブルク帝国支配下の1898年には鉄道が開通しました。ちなみに、1910年にハプスブルク帝国が行った人口調査によると、2853 人の住民の99%がドイツ語を日常言語としており、宗教は98%がカトリック、2%がユダヤ教徒という構成です。ちなみに、ホッツェンプロッツというのはドイツ語名で、ユダヤ系住民の使うドイツ語方言のイディッシュでは、ホッツ・プロッツ、チェコ語ではオソブラハとなります。

 ハプスブルク帝国の解体後はチェコ・スロバキアに編入されましたが、1938年9月30日に行われたミュンヘン会談によって、ズデーテン地方の一部としてドイツへの割譲が決定されました。今回ご紹介の葉書はその初期のもので、ドイツが持ち込んだヒンデンブルグ葉書の差出地の書き込みはチェコ語のオソブラハですが、消印は、ドイツ語のホッツェンプロッツ表示に変更されています。

 第二次大戦では壊滅的な打撃を受けましたが、1945年3月22日、チェコ地域では最初にソ連軍が進駐した地域となり、戦後はチェコ・スロバキア領に復しました。

 一方、18日に亡くなったプロイスラーは、1923年10月20日、チェコスロバキアのリベレツ生まれ。第二次世界大戦中の1942年に学校を卒業すると、徴兵されてドイツ陸軍へ入隊し、東部戦線へ従軍しました。1944年、ソ連軍の捕虜となり、エラブガなどタタール自治共和国内の数箇所の捕虜収容所で5年間をすごしたのち、1949年に解放されました。。

 彼の生まれたリベレツは、ドイツ語名をライヒェンベルクと言い、かつてはボヘミア第2の都市として多数のドイツ人が居住していました。第一次大戦後、この地のドイツ人はチェコ・スロバキアへの併合に抵抗し、ライヒェンベルクを首都とするスデーテン独立国が樹立しましたが、結局、チェコスロバキアに統合されました。こうしたことから、1930年代にリベレツは汎ゲルマン主義の中心地となりましたが、第二次世界大戦後、共産党政権により、この地域のドイツ人は国外追放されてしまいます。

 このため、ドイツ人としてのプロイスラーも故郷への帰還はかなわず、一足先に西ドイツのバイエルン州ローゼンハイムで移住していた親族と婚約者の元へ合流し、その後は西ドイツで小学校の教師を務めていました。もともと児童文学者を志していたというわけではなく、教え子たちに語り聞かせた物語が評判となって出版され、作家・イラストレーターとして高く評価されるようになったというキャリアの持ち主です。

 こうしたキャリアを考えると、プロイスラーが、自分の作品に登場する“大どろぼう”の名前に、ズデーテン地方の地名、それもチェコ語のオソブラハではなく、ドイツ語名のホッツェンップロッツをあて、物語を教え子たちに読み聞かせていた気持ちが何となくわかるような気がします。現実の世界では、ホッツェンプロッツは盗む側ではなく、盗まれる側だったわけですが。

 
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 ハベル元大領亡くなる
2011-12-18 Sun 22:48
 1989年に旧チェコスロバキアの共産政権を無血で崩壊させた“ビロード革命”の立役者で、劇作家出身の文人大統領としても知られたヴァツラフ・ハベルが、きょう(18日)、亡くなりました。というわけで、きょうはこの切手です。

        ハベル大統領(1990)

 これは、1990年にチェコスロヴァキアで発行されたハベル大統領の50ハレル切手です。

 ハベルは、1936年、プラハの生まれ。高等専門学校(運輸経済専攻)を経て軍に召集され、工兵として勤務する傍ら、劇団を組織しました。除隊後は演劇批評の分野で活躍し、1968年の“プラハの春”に際しては反体制運動の指導者として活躍しました。1977年、人権擁護を求める「憲章77」を起草したことから、以後、数回にわたって逮捕・投獄されています。

 1989年に反体制勢力を結集して結成した“市民フォーラム”は、同年のビロード革命の主役となり、革命後の1989年12月、チェコスロヴァキアの大統領となりました。今回ご紹介の切手は、これに伴い発行された通常切手で、印面の下部には1990の年号も入っています。

 その後、1993年にチェコスロヴァキアが解体されると、ハベルは新生チェコの初代大統領となり、1998年には再選され、2003年2月までの任期を全うしました。

 なお、ハベルは、人権という観点から、北朝鮮が日本のみならず、世界各地で行った拉致事件について、強く抗議しています。このことは、もっと日本でも知られていいのではないでしょうか。謹んでご冥福をお祈りします。 

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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

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 捏造された細菌兵器
2011-07-27 Wed 23:52
 きょう(7月27日)は、1953年に朝鮮戦争の休戦協定が調印された日です。というわけで、最近入手した朝鮮戦争関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        チェコスロヴァキア・プロパガンダ葉書(朝鮮戦争)

 これは、朝鮮戦争の時代に“米軍による細菌兵器の使用”を非難するためにチェコスロヴァキアが発行したプロパガンダ葉書です。

 朝鮮戦争中の1952年2月、中国・北朝鮮・ソ連は、米軍が朝鮮の戦線でコレラやペストなどの細菌に感染したハエやノミ、ダニ等を航空機で大量に投下し、最近被害が中国東北部にまで及んだと大々的に宣伝しました。今回ご紹介の葉書も、そうした文脈に沿って、東側陣営の一員だったチェコスロヴァキアが制作・発行したものです。

 これに対して、米軍側は細菌戦は事実無根と全面的に否定し、双方の主張は平行線をたどりましたが、最終的に、米軍が細菌兵器を使った事実はなかったことが確認され、この一件は共産側による完全な虚偽捏造であったことが明らかになりました。

 なお、朝鮮戦争と切手や郵便については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもそれなりのページを割いてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 目打があってもなくても④
2010-09-30 Thu 11:28
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(10月2日実施)のカタログ第12号ができあがりました。僕が担当しているオマケの読み物は、ジョルジュ・バルトーリの郵趣コラム集 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)に所収のコラムをご紹介する第4回目。今回は、下の切手にまつわるエピソードを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ボヘミア・モラビア1     ボヘミア・モラビア2

        ボヘミア・モラビア3     ボヘミア・モラビア4

 ドイツとオーストリアに隣接したズデーテンラントはドイツ系住民が多く、ドイツによる領土要求の結果、1938年9月30日に行われたミュンヘン会談によって、ドイツへの割譲が決定されます。ミュンヘン会談ではハンガリー王国やポーランドへの係争地域の割譲も求められたため、チェコスロヴァキア国内の民族運動は激化。5ヵ月後、チェコスロバキア東部のスロヴァキアとカルパティア・ルテニアが独立を宣言し、スロヴァキア共和国とカルパト・ウクライナ共和国が成立。さらに、残ったチェコ地域に関しては、ドイツがこれを併合し、1939年3月15日、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置しました。

 こうして、チェコスロヴァキアが解体されるなかで、占領当局は新たに発足した保護領の正刷切手制作をチェコ人に命じます。命令を受けたデザイナーと彫刻家は、おとなしく占領当局の命令に従うふりをして、チェコスロヴァキアの復活を願う意図を込めて、さまざまな仕掛けを施しました。たとえば。上の4枚の切手の雲や林の輪郭を左下のようにつなげると、ドイツによって消滅させられたチェコスロヴァキア地図の輪郭が浮かび上がるようになっています。また、切手の随所には、チェコスロヴァキア共和国初代大統領のマサリクや後継大統領のベネシュ、国民的英雄であったミラン・シュテファニク将軍の肖像なども隠されています。(右下は、その一例で、50K切手に隠されている“顔”の部分です)

        チェコスロヴァキア地図     50Kの顔

 ボヘミア・モラビアの切手は未使用は大量に残されており、安価に入手できますので、チェコ・レジスタンスの隠された痕跡を探して遊んでみるのも面白いかもしれません。

 それにしても、わが日本政府は、北方領土や竹島、尖閣諸島など、領土問題で弱腰の姿勢を取り続けており、切手というメディアを通じて自国の領土を内外に宣伝するという、当たり前のことができない状況が何十年も続いています。こういう情けない状況に対して、切手デザイナー諸氏は、今回ご紹介したボヘミア・モラビアの事例を見習って、せめて、切手の中に他国の侵略を受けている地域の地図のシルエットなどを入れてくれると良いんですがねぇ。まぁ、デザイン上の理由か何か知りませんが、択捉島を外した日本地図の切手を何度も発行してきたような人たちに、あまり期待はできんでしょうな。

 なお、そうした日本の領土問題と切手政策については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 お手頃なミュシャ作品
2010-07-24 Sat 23:09
 アール・ヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャが1860年7月24日に生まれてから、きょうでちょうど150年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      プラハ城

 これは、ミュシャのデザインによる“プラハ城”切手のうち、1918年に発行された10へラー切手です。

 1918年10月18日に独立を宣言したチェコスロバキアでは、当初、オーストリア時代の切手を接収し、“チェコスロバキア共和国”などの文字を上から印刷するなどの暫定的な処置で急場をしのいでいましたが、これと併行して、独立国としてオリジナル・デザインの新切手を発行すべく準備を進めました。

 新国家は自国出身の巨匠であったミュシャ(チェコ語の発音だと“ムハ”ですが)に切手のデザインを依頼。これを受けて、ミュシャは、独立後まもない祖国のためにプラハ城を大きく描き、右手に小さく聖ミクラーシュ教会を配した切手のデザインを無償で作成します。これが、1918年から1920年まで使われた、いわゆる“プラハ城切手”です。

 カタログ評価で1枚数十円というモノも少なくありませんので、ミュシャのお好きな方は、ぜひ、ホンモノのミュシャ作品ということで手に入れてみたら良いのではないでしょうか。
 
 なお、プラハ城切手は、当時の混乱した状況の中で製造されたことから、一見、同じに見える切手でもさまざまなバラエティに分類することができます。また、当時は、わずか2年5ヶ月の間に3回の郵便料金の値上げがあったため、さまざまな種類の郵便物が残されることになりました。これらを専門的に追いかけていくと、時間もお金も相当かかるのですが、それだけに、チャレンジしがいのある分野として収集家の間では人気があります。

 ミュシャ好きの人が最初、1000円でごそっとプラハ城切手を買ってきて、それをいろいろといじっているうちに、切手の魅力に取りつかれていく、というケースが少しでも出てくると良いですな。
 
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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 切手が語る宇宙開発史(5)
2009-12-29 Tue 11:43
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『ハッカージャパン』の2010年1月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

     チェコ・スプートニク

 これは、スプートニク2号の打ち上げを記念して1957年12月にチェコスロヴァキアが発行した切手です。

 かつての“共産圏ジョーク”の一つに「スプートニク号の仕組みは?」という質問に対して「1.チェコのウラン、2.ドイツの技術、3.ソ連の犬」と応えるというものがありました。

 チェコスロヴァキア共産党の創設メンバーで、1948年以降、大統領を務めたクレメント・ゴットワルトは純然たるスターリン主義者で、すべての生産設備を国有化し、農業集団化を強行しただけでなく、議会制度を完全に放棄し、体制に批判的な人物は容赦なく粛清します。1953年3月14日、スターリンの葬儀から帰国して5日後に亡くなったのは、“小スターリン”として本家のコピーに徹しきった彼の生涯を象徴するような幕引きといえましょう。

 ゴットワルトの死後、党第一書記に就任したアントニーン・ノヴォトニーはゴットワルトの路線を継承しつつ権力基盤を固め、1957年には大統領職も兼務しました。

 ときあたかも1956年2月のフルシチョフによるスターリン批判を機に東欧諸国ではソ連支配への反発が強まっており、同年10月には隣国ハンガリーで大規模な反ソ暴動(いわゆる“ハンガリー動乱”)がおこっていますが、ノヴォトニーは国内の反ソ世論を封じ込めることに成功。ハンガリーに対するソ連の軍事介入を積極的に支持しています。

 当然、ノヴォトニー政権にとっては、ソ連によるスプートニクの打ち上げは、西側に対してソ連が科学的・軍事的優位を確保したことの象徴として慶賀すべきことであり、12月20日には“国際地球観測年”の名目で、スプートニク2号の打ち上げを記念する切手(今回ご紹介の切手です)も発行し、ソ連に対する忠勤ぶりをアピールしています。なお、10月4日のスプートニク1号の打ち上げではなく、11月3日の2号の打ち上げが切手発行の対象となったのは、制作日数の問題で、2号の打ち上げ前に記念切手が準備できなかったためでしょう。

 ところで、実際のスプートニク1号の打ち上げに使われたR7ロケットの燃料は液体酸素とケロシン(石油を分留して作られる液体の炭化水素です。これは、ナフサよりも重く軽油よりも軽い)であって、(少なくともこの件に関しては)チェコのウランが重要な役割を果たしたわけではありません。しかし、ノヴォトニー政権は冒頭で紹介したような、事実と異なるジョークが西側世界に流布していても、あえて訂正しませんでした。そのことによって、彼らは自分たちが東側諸国の“優等生”としてソ連の宇宙開発を支えており、自分たちに敵対する者に対してはソ連によって鉄槌が下されるであろうことを暗示させる効果を狙ったのです。

 しかし、ノヴォトニー体制下での硬直化した国家運営や西側諸国との経済格差の拡大は、次第に、チェコスロヴァキア国民の不満を鬱積させ、1962年5月1日には、プラハ大学の学生が「我々はスプートニクをもっているが、肉をもっていない。我々はスプートニクより肉が欲しい」とのスローガンをかかげてメーデーに参加しています。これに対して、ノヴォトニーは、学生たちの要求に対して徹底的な弾圧で応え、その後も1968年1月まで党第一書記・大統領としてチェコスロヴァキアの“小スターリン”の座を維持し続けることになるのです。


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