内藤陽介 Yosuke NAITO
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 カタールで世界最大の国旗
2013-12-18 Wed 10:32
 きょう(18日)は、1825年12月18日にサーニー・ビン・ムハンマドがカタールの初代首長となったことにちなみ、カタールの建国記念日になっていますが、これに合わせて、同国ではサッカー場7面分の面積に相当する“世界最大の旗”が用意されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       カタール・スカウト

 これは、1965年、英保護領時代のカタールで発行されたボーイ・スカウトの切手で、カタール国旗を持つスカウトの少年が描かれています。

 ペルシャ湾に突き出たカタール半島は、19世紀前半まで、半島北部は現在のバハレーン首長家であるハリーファ家が、南部はカタールの首長家であるサーニー家が支配していました。サーニー家が半島全域を掌握するのは、1868年、英国の仲介で、サーニー家がハリーファ家に貢納する代わりに、ハリーファ家はカタール半島から撤退するということが決められてからのことです。なお、1872年、カタール半島はオスマン帝国によって占領されますが、カタール側の抵抗もあり、オスマン帝国はサーニー家による半島支配を実質的に認めていました。

 第一次大戦中の1916年、オスマン帝国と交戦中であったイギリスはサーニー家と条約を調印し、以後、カタールはイギリスの保護領となります。

 これに伴い、それまで赤一色だったカタールの国旗は、白と赤を組み合わせたデザインとなります。なお、現在のカタール国旗は、赤と白ではなく赤茶色と白の組み合わせですが、これは、1936年に改色されたものです。改色の理由には諸説ありますが、太陽の強い日差しで赤茶色に色褪せた国旗を見た首長が「この色も悪くない」と言ったともいわれています。

 郵便に関しては、1950年まではカタール半島内には郵便局は設置されず、カタールからの郵便物は対岸のバハレーンに運ばれ、そこから域外へ配達されるというシステムになっていました。

 首都のドーハに郵便局が開設され、一般向けの郵便サービスが実施されるようになったのは1950年のことですが、当時はカタール独自の切手というものはなく、英国東アラビア郵政庁の加刷切手が使用されていました。ちなみに、カタール2番目の郵便局がウンム・サイドに開設されたのは、1956年2月のことです。

 カタール独自の切手としては、1957年4月1日、英本国の切手にカタールの地名とインド・ルピーでの額面表示(英領インド帝国以来、この地域では、インド・ルピーが通貨として用いられていました)を加刷した切手が発行されたのが最初です。なお、今回ご紹介の切手の額面は、インド・ルピーではなく、1959年5月に導入されたガルフ・ルピー(インド・ルピーと連動した不換紙幣)によるものです。

 現在のカタール経済を支えている石油産業は、1935年に英蘭仏米の共同国益会社「カタール石油会社(Qatar Petroleum Company)」に対して、カタールでの75年間の石油掘削権を承認したところから本格的に始まります。その後、1940年には高品質の石油が半島西岸で発見されますが、第2次大戦の影響で1949年までカタール産の石油が輸出されることはありませんでした。石油の輸出により、それまで小さな港町だったドーハは急速に都市開発が進められるようになったのは、1950年代以降のことです。

 さて、1968年、英国の労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表すると、カタールを含むペルシャ湾岸の9首長国が連邦を結成するというプランが浮上します。しかし、実際には、カタールは連邦に参加せず、1971年9月3日、単独で独立し、国際連合とアラブ連盟に加盟しました。このため、カタールでは長年にわたって9月3日が独立記念日としてナショナル・デーになっていましたが、2007年以降、ナショナル・デーは建国記念日の12月18日に変更され、現在にいたる、というわけです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 2022年W杯はカタール
2010-12-03 Fri 22:08
 サッカーW杯2022年の開催地がカタールに決まりました。日本が落選したのは残念ですが、気を取り直して、きょうはカタールの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        カタール・1957年加刷

 これは、1957年、英本国の切手に加刷して発行されたカタールの10ルピー切手です。

 カタールが正式にイギリスの保護領となったのは第一次大戦中の1916年のことでしたが、1950年まではカタール半島内には郵便局は設置されず、カタールからの郵便物は対岸のバハレーンに運ばれ、そこから域外へ配達されるというシステムになっていました。

 ドーハに郵便局が開設され、一般向けの郵便サービスが実施されるようになったのは1950年のことですが、当時はカタール独自の切手というものはなく、イギリス東アラビア郵政庁の加刷切手が使用されていました。ちなみに、カタール2番目の郵便局がウンム・サイドに開設されたのは、1956年2月のことでした。

 カタール独自の切手としては、1957年4月1日、英本国の切手にカタールの地名とインド・ルピーでの額面表示(英領インド帝国以来、この地域では、インド・ルピーが通貨として用いられていました)を加刷した切手が発行されたのが最初のことで、今回ご紹介の10ルピー切手は、その最高額面となります。

 カタールといえば、2012年には首都のドーハで世界切手展が開かれることになっています。2012年まではまだまだ間がありますし、まずは、切手展にあわせてドーハに行き、そこから湾岸諸国周りをしてみるのも、悪くはないかもしれません。
 

* 本日午前中、カウンターが78万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 アラブの都市の物語:ドーハ
2007-01-20 Sat 00:47
 NHKのアラビア語会話のテキスト2・3月号が出来上がってきました。僕の連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回は、先ごろおこなわれたアジア大会にちなみ、カタールのドーハを取り上げました。

グランドモスクと時計塔

 ドーハは、ペルシャ湾に突き出た半島の国、カタールの首都で、同国東岸の中央よりやや南に位置しています。

 カタール半島では紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物も出土しているのですが、近代以前の歴史はほとんどわかっていません。都市としてのドーハの歴史も比較的新しく、現在のカタール王家にあたるサーニー家がビーダとして都市を建設したのは1850年のことでした。

 当時のサーニー家はカタール半島全域を支配していたわけではなく、半島の北部はバハレーンのハリーファ家が支配していました。サーニー家が半島全域を掌握するのは、1868年、イギリスの仲介で、サーニー家がハリーファ家に貢納する代わりに、ハリーファ家はカタール半島から撤退するということが決められてからのことです。なお、1872年、カタール半島はオスマン帝国によって占領されますが、カタール側の抵抗もあり、オスマン帝国はサーニー家による半島支配を実質的に認めていました。

 第一次大戦中の1916年、オスマン帝国と交戦中であったイギリスはサーニー家と条約を調印し、以後、カタールはイギリスの保護領となり、ビーダはドーハと改称されて保護領カタールの首府になりました。

 現在のカタール経済を支えている石油産業は、1935年に英蘭仏米の共同国益会社「カタール石油会社(Qatar Petroleum Company)」に対して、カタールでの75年間の石油掘削権を承認したところから本格的に始まります。その後、1940年には高品質の石油が半島西岸で発見されますが、第二次大戦の影響で1949年までカタール産の石油が輸出されることはありませんでした。

 1950年代に入り、石油の輸出が本格化すると、それまで小さな港町だったドーハは急速に都市開発が進められ、いまからちょうど50年前の1957年にはランドマークとしてのグランド・モスクと時計塔が建てられています。今回ご紹介の切手は、1973年発行の“独立2周年”の記念切手で、グランド・モスクと時計塔が描かれています。(画像はクリックで拡大されます)

 1968年、イギリスの労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表すると、カタールを含むペルシャ湾岸の9首長国が連邦を結成するというプランが浮上しました。しかし、実際には、カタールは連邦に参加せず、1971年9月3日、単独で独立し、国際連合とアラブ連盟に加盟しました。

 潤沢な石油収入を背景に急成長を遂げてきたカタールですが、近年は石油依存型の経済構造を改善すべく、産業の多角化に力を注いでいます。

 中でも注目すべきはスポーツ産業でしょう。1993年10月のFIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選の日本対イラク戦で、日本代表がロスタイムで同点に追いつかれてワールドカップへの初出場を逃した“ドーハの悲劇”はご記憶の方も多いかもしれません。このほかにも、テニスのドーハ・カップや二輪ロードレースのモトGP、昨年の陸上競技グランプリやアジア競技大会などの国際スポーツイベントが、アスパイア・ゾーンにあるハリーファ国際競技場をはじめ、市内ならびに近郊で行われています。また、アスパイア・ゾーンには、世界クラスのアスリート養成を目指して設立されたスポーツ学校のアスパイア・アカデミー(ASPIRE Academy)が2004年に開校し、ドーハは世界的にも重要なスポーツ産業の拠点としての地位を確立しています。

 また、1996年に国王から1億5000万米ドルの支援を受けて設立された衛星放送、アル・ジャジーラの存在も見逃せません。ウサーマ・ビンラディンのメッセージの映像を独占放映や、アフガニスタン国内からの戦争の実況中継、イラク戦争に関する独自の報道などで世界的にも注目を集めたことは有名ですが、アラブ世界では「公正で政治的圧力を受けない、中東の唯一の報道機関」として高く評価されています。実際、多くのアラブ諸国では政府批判がタブー視されているため、アラブの一般市民にとってはアル・ジャジーラが貴重な情報源となっています。したがって、アル・ジャジーラの本社が置かれているドーハは、アラブ世界への情報発信基地としてもきわめて重要な存在だといえるのです。

 今回の「アラブの都市の物語」では、そうしたドーハの過去と現在を物語る切手をいくつかご紹介しています。機会があれば、是非、ご一読いただけると幸いです。

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 誦め!
2006-12-02 Sat 00:52
 アラブ圏では初、カタールの首都ドーハで行われるアジア大会が開幕しました。というわけで、カタールの切手の中から、ちょっと面白いものを拾ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

識字の日

 これは、1984年にカタールが発行した国際識字の日の切手で、黒板に「誦め(声に出して読め)」という意味のアラビア語を書いて識字教育を行っている場面が取り上げられています。

 「識字キャンペーンの切手で“誦め”という単語が出てくるのは当たり前じゃないか、それがどうした」といわれそうですが、実は、この“誦め”というアラビア語は、イスラムの預言者ムハンマド(マホメット)に対して神が下した最初の啓示の文言とされているものというのがミソです。

 たとえば、かつてイランは大天使ガブリエルが啓示を下したイメージを表現した切手を発行したことがあるのですが、この切手にも、しっかり、ガブリエルを表す翼の間に“誦め”というアラビア語が記されており、ここからコーランの歴史が始まったという認識が示されています。

 さて、イスラム教徒はコーランを神の言葉として理解していますが、それはコーランがアラビア語として完成されたものであるから、すなわち、人間には真似することのできない韻律を備えたものであるから、ということが根拠になっています。そもそも、コーラン(アラビア語ではアル・クルアーン)という言葉自体が「声に出して読まれるもの」という意味であって、コーランの真の魅力はアラビア語で朗誦してこそ味わうことができるというのが彼らの主張です。

 ちなみに、預言者ムハンマドは文字が読めなかったとされていますが、そのことはイスラム世界では肯定的にとらえられています。というのも、文字が読めないがゆえに、ムハンマドが密かにアンチョコを見てコーランの章句に相当する文言を唱えることは不可能であり、それゆえ、彼の口から発せられたコーランの章句は、まぎれもなく、神から下された啓示に他ならない、と彼らは理解しているからです。

 こうしたことを考えると、文字の読めない人に対しては、まず、“誦め”という単語の読み書きから覚えてもらおうというのも、イスラム教徒の発想としてはごくごく自然なものなのかもしれません。

 なお、この辺のコーランの話については、以前『コーランの新しい読み方』という本(表紙には切手を使っています)を友人との共訳で出版したことがありますので、機会があれば、ご覧いただけると幸いです。

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