内藤陽介 Yosuke NAITO
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 蔣中正檔案、全面公開へ
2017-01-05 Thu 11:16
 台湾の国史館は検索システムのリニューアルに伴い、蔣介石に関する収蔵資料の“蔣中正檔案”のうち、いままで非公開だった分を含め26万件以上を、きょう(5日)から4月末までに、インターネット上で新たに順次公開します。閲覧者制限は設けず、中国大陸や香港、マカオの人々も資料へのアクセスが可能になるそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中国・国民政府統一(1角)

 これは、1929年4月18日に中国で発行された“国民政府統一”の記念切手のうちの1角切手です。

 1916年に袁世凱が亡くなった後の中国は軍閥割拠の状態にあり、とりあえず、対外的には、北洋軍閥による北京政府が中華民国を代表するという建前になっていました。

 これに対して、1922年2月、孫文は自ら拠点としていた廣州から北方に攻め上り、北洋軍閥の支配する北京政府を打倒するとして“北伐”を宣言。1925年3月に孫文が亡くなると、1926年7月1日、中国国民党は、孫文時代の大元帥統治の軍政府を解体し、国民党中央執行委員会が指導する国民政府(広州国民政府)を樹立しました。その際、政策決定は16人の委員による合議制とされ、コミンテルンから派遣されたボロディンが最高顧問となって孫文時代の共産党との合作も維持されています。

 こうして、1926年7月、蔣介石は孫文の遺志を継いで北伐(国民革命)を開始しますが、北伐が進展し、その軍勢が上海にまで及んでくると、列強諸国は北伐に対する警戒感を強めることになります。このため、英国は、権益の護持と居留民の保護を名目として、1927年2月、本国の第13ならびに第14旅団およびインド駐留軍を中国大陸に派遣しました。

 さて、上海に派兵した英国は、現地の情勢から、軍閥打倒の統一戦争としての北伐が曲がりなりにも成功裏に終わりそうだと判断。各地の軍閥を背後から操り、軍閥同士の代理戦争によって権益の維持・拡大を図ろうとしていた従来の路線を転換し、個別の軍閥への支援を止め、蒋介石をかれらの“総代理店”として育成しようと考えます。そして、北伐を支援する条件として、蒋介石に対しては共産党との絶縁を要求。この結果、1927年4月12日、蒋介石は上海で反共クーデターを起こして共産党幹部を虐殺。孫文以来の国共合作は完全に破綻し、南京国民政府が発足しました。

 一方、蒋介石を総司令とする国民革命軍という共通の敵を前に、軍閥諸派は大同団結し、1927年6月、奉天派の張作霖を大元帥に推戴して対抗。北京政府として、南方から来た国民革命を迎え撃つ姿勢を明らかにしたのですが、勢いに勝る国民革命軍の前に各地の軍閥は相次いで敗北を喫します。そして、済南が陥落するにいたって、ついに張も敗北を覚悟し、北京を退去して本拠地の奉天に撤退しようとした6月4日、関東軍大佐の河本大作によって移動途中の列車ごと爆殺されてしまいました。

 結局、張の爆殺後、国民革命軍は北京に入城し、名目的ではありますが、中華民国の統一が達せられます。一方、満州では、張作霖の死後、息子の張学良が東三省保安総司令官となり、実権を掌握。1928年12月、関東州満鉄付属地を除く満州全域に、それまで用いてきた満州五色旗を下げ、国民党の青天白日旗を一斉に掲げさせ、東三省の主席と連名で国民党に服従することを発表しました。これが、いわゆる“満州易幟”です。

 今回ご紹介の“国民政府統一”の記念切手は、こうした事情を踏まえて1929年4月に発行されたもので、北伐の総司令官として蔣介石の肖像を描いた同図案で色変わりの4額面セットで発行されました。蔣介石の肖像が切手に登場したのは、これが最初でした。
  
 さて、蔣中正檔案は11の系列に分かれていますが、このうち、5系列は機密情報が含まれていないため、すでにネットで公開されており、今回、残る6系列26万件が新たな公開対象となりました。そのうち、機密資料とされていたのは、全体の61%に相当する16万件です。“郵票”で検索をかけると、どんな記事がヒットしてくるのか、ちょっと楽しみですね。


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 中華帝国100年
2015-12-12 Sat 10:54
 1915年12月12日、中華民国大総統の袁世凱が皇帝に即位し、国号を中華帝国に改称してから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中華帝国開国(5角)

 これは、袁世凱の帝政実施の記念切手として準備されていたものの、結局、発行されないままに終わった3種セットの記念切手のうちの50分切手(の見本)です。

 1912年1月、清朝が倒れて中華民国が発足すると、その実権を握ったのは軍閥の袁世凱でした。

 袁は一貫して、中央の元首が強権を振るうことで初めて中国の混乱を収拾できると考えていました。この点では孫文も同意見です。これに対して、革命後、最高権力者の権限を制限し、議院内閣制を求める国民の声は次第に強まっていくのですが、袁はこれを無視して強権的な政治を行い、1913年には孫文らが起こした反袁の第2革命を封じて、国民党の解散命令を出したうえで、国会内の国民党議員を全員解職しました。

 1914年、第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦を布告。当時、中華民国は局外中立を宣言していましたが、9月2日、日本軍は「膠州湾租借地ヲ支那國ニ還付スル」ためという大義名分を掲げて山東半島に上陸し、11月7日には青島を占領しました。しかし、その後は対華21ヵ条要求をつきつけ、旧ドイツ租借地の権益を日本が継承することを中国側に認めさせています。一方、外交の失策と革命後の混乱に憤激した国民の間には、袁の専制を批判する動きが急速に広がっていきました。

 こうした不安定な状況の中で、袁が起死回生の一手として持ち出したのが帝政の復活です。1915年12月12日、彼は、翌1916年より年号を洪憲(憲法を広めるという意味を込めてつけられた名前です)と定め、国号を“中華帝国に改める(ただし、英文の呼称は中華民国を意味する“Republic of China”のままでした)”ことを宣言しました。強力な立憲君主制を導入すれば、国内の混乱は収拾できるというのは彼の目論見だったわけです。

 しかし、結果は予想と正反対のものとなり、北京では学生の反帝政デモが頻発。地方の軍閥はこれを口実に次々と反旗を翻し、国際世論も彼を批判するなど、袁は完全に孤立してしまいます。かくして、彼は1916年3月に慌てて帝政復活の取り消しを宣言したものの、政権は完全にレームダック化。同年6月、失意のうちに亡くなりました。結果的に、彼もまた、“驕れる者は久しからず”という道理から逃れられなかったということなのでしょう。

 こうして“中華帝国”が短命に終わったことで、準備されていた“中華帝国開国紀念”の切手も発行されずに終わり、現在では、今回ご紹介のように“SPECIMEN(見本)”と加刷したものが少数のみ市場に出回っています。


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 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

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 四川省でバス放火事件
2014-05-13 Tue 15:19
 きのう(12日)、中国・四川省宜賓市で漢族の男による放火で路線バスが爆発し、1人が死亡、77人が負傷する事件がありました。というわけで、今日は“四川省”に絡んでこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       限四川貼用

 これは、1933年に発行された“限四川貼用”の加刷切手です。

 辛亥革命後の中国は、各地に軍閥が割拠し四分五裂状態になっており、通貨も各地の軍閥が独自に発行していました。このため、各地の通貨間には為替差が存在しましたが、なかでも、新疆東北、雲南、四川などでは北京や上海、南京など都市部との為替差が大きかったため、為替差損・差益を防ぐため、使用地域を限定した加刷切手が発行されています。ちなみに、今回ご紹介の切手は四川省でのみ有効という意味で“限四川貼用”との加刷がなされたものです。切手が発行された翌年の1934年、四川省では官営の四川省銀行が設立され、当時の中国国民政府の1銀元を1.6元とする四川省銀行券が発行されています。

 切手が発行された1933年当時の四川省の領域は、現在の中華人民共和国四川省の領域から、カンゼ・チベット族自治州を除いた領域に相当していました。カンゼ・チベット族自治州は、1933年の時点では、国民政府の支配は県城と主要街道にしか及ばず、大半はチベットのカム諸侯が実効支配する川辺特別地区でした。その後、いわゆる日中戦争の勃発にともない、国民政府は国内の戦時統制を強化する必要から、川辺特別地区の領域を“西康省(“康”はカムのことです)”に再編したものの、その実効支配はディチュ河東岸に限られていました。しかし、1950年、西康省はこの地に侵攻した人民解放軍によって占領され、東部地域が西康省蔵族自治区として分割された後、さらに、カンゼ・チベット族自治州に格下げされ、1955年、四川省に吸収合併されて消滅。現在の四川省ができあがりました。

 さて、中国では、近年、社会に対する不満や絶望感から無差別に一般市民を殺傷する事件が多発しています。今回の事件に関しては、犯行の動機は明らかになっていませんが、そうした傾向と結びつけて考える向きが多いようです。報道によれば、中国全土では毎日500件以上もの暴動や大規模デモが発生しているとのことで、なにやら、王朝末期を思わせるような状況ですな。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 満洲事変時の抗日スローガン
2012-09-18 Tue 23:04
 きょう(18日)は、満洲事変の発端となった柳条湖事件が1931年9月18日に起きたことにちなむ記念日ということで、中国各地ではさらなる反日デモが展開され、中国船による沖縄県の尖閣諸島周辺での領海侵犯が相次ぎました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       撫湖・抗日スローガンカバー

 これは、柳条湖事件から間もない1931年11月に撫湖から上海宛に差し出されたカバーで、裏面下部には、次のようなスローガンの印が押されています。

 對日経済絶交 日本との経済関係を絶交しよう
 永遠不買日貨 日本製品は二度と買わないようにしよう
 全國同胞團結 全国の同胞は団結し、
 一致武装救國 皆で武装して祖国を救おう
 
 満洲事変が起こると、中国では抗日の機運が盛り上がり、各地の郵便局では、通常の消印とは別に、郵便物の上に抗日スローガンの入った印を押すことで、世論を喚起することも行われました。今回ご紹介のスローガンもそうしたものの一種で、日本商品を買わず、売らず、日本人の下で働かずという日貨排斥運動が各地で起こり、東北という失地回復のために、日本と戦うべきだとの世論が沸騰していた当時の状況を髣髴とさせるようなスローガンといえましょう。

 さて、中国によるわが国の領土、尖閣への度重なる侵略に加えて、先週来の反日デモと日系企業に対する乱暴狼藉(もはや、反日デモというより、反日テロというべきレベルですな)に対して、多くの日本人が怒りを感じていることは言うまでもありません。今回ご紹介のカバーのスローガンに登場する“日(本)”を“中(国)”なり“支(那)”に置き換えれば、そのまま、現在の気分だという人も少なくないのではないでしょうか。

 なお、日中戦争下の中国大陸で使われた各種のスローガン印の類については、先日、電子書籍化された拙著『切手と戦争』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月2日、10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 * 10月2日は公開講座として、お試し聴講も可能です。
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★

 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

         切手と戦争

   『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』
    新潮社・税込630円より好評配信中!
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 臨時中立の龍
2012-01-03 Tue 20:44
 辛亥革命の結果、1912年1月3日に中華民国臨時政府が正式に発足して、きょう(3日)でちょうど100年です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        臨時中立

 これは、辛亥革命期のいわゆる“臨時中立”加刷の切手です。

 辛亥革命と中華民国の建国に関しては、しばしば、「1912年1月1日、中華民国が成立した」という表現が見受けられます。しかし、1912年1月1日は、あくまでも孫文一派が南京で勝手に中華民国の成立を宣言し、孫文がその臨時大総統に就任するための専制を行ったというだけで、中華民国(臨時)政府にはまだ実態はありませんでした。臨時政府が曲りなりにも組織としての形式を整えるのは、1月3日に各省代表が黎元洪を臨時副総統に選出し、孫文が提出した臨時政府の閣僚名簿(大臣に相当する各部総長と次官に相当する次長名簿)を承認してからということになります。なお、この間、1月2日には、孫文の名義で各省に対して、従来の陰暦を廃止し、1912年を元年とする太陽暦を“中華民国暦”として採用するとの通達が発せられています。

 ただし、この段階では、清朝政府は依然として北京に存続していましたし、宣統帝も退位していません。また、諸外国による国家承認もまだ行われていませんでした。

 このため、郵政当局は、とりあえず、清朝側にも革命側にも与することなく、郵政事業を継続するための措置として中立を宣言。そうした立場の表明として、清朝の切手(蟠龍票)に“臨時中立”の文字を加刷した切手を発行すべく準備を進めました。加刷は上海の海関造冊處で行われ、1月30日に福州で3分、1円、2円、5円の4種類の額面が発売されましたが、2月12日に清朝が完全に滅亡したため、福州以外では発売されることなく、また残りの額面の加刷切手も発売されることなく終わりました。今回ご紹介の切手は、このうち、龍を描く3分切手(残りの3額面のデザインは飛雁です)に加刷したもので、辰年の新年に合わせてのご紹介です。

 なお、“臨時中立”加刷の切手のうち、1分、3分、7分、1角6分、5角、1円、2円、5円の8種に関しては、3月22日に“中華民国”と加刷して漢口で発売されたほか、このうちの1分、3分、1角6分、1円、2円、5円は南京でも、さらに、1分に関しては長沙でも発売されました。

 いずれにせよ、1949年10月1日に毛沢東が北京で中華人民共和国の成立を宣言した時点では、国府は依然として重慶に残っており、国共内戦も継続されていたのと同様に、1912年1月1日の時点では、中華民国は必ずしも清朝を打倒して完全に中国大陸を掌握していたわけではないということは、記憶の片隅にとどめておいても損はないような気がします。 
 

 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室
 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』1月号で紹介されました。

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 孫文×香港×日本
2011-09-03 Sat 23:53
 中国の辛亥革命100周年を記念し、孫文と彼のスポンサーだった実業家の梅屋庄吉の交流を紹介する「温故創新-孫文と梅屋庄吉展」が、きょう(3日)から、香港で始まりました。というわけで、孫文と香港と日本の3つに関係する切手ということで、こんなモノを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

        香港大東版

 これは1940年1月から登場した“香港大東版”の孫文切手で耳紙には“大東書局香港印刷廠印製”の銘版が入っています。

 1928年に国民革命(北伐)が完了したことを受けて、中国郵政は1931年11月から新しいデザインの切手を発行します。このとき発行された新切手は、中山服姿の孫文の肖像を描き、国民政府の徽章である青天白日章を配したもので、ロンドンのトマス・デ・ラ・ルー社に製造が委託されたため、“ロンドン版孫文”と呼ばれています。

 一方、ロンドン版孫文と併行して、1932年8月13日からは、革命の英雄(烈士)たちの肖像を描いた切手も発行されるようになりました。こちらは、ロンドンのトマス・デ・ラ・ルー社で原版を制作したものを、北平(国民革命の完了後、北京から改称されました)の政府印刷廠で印刷されたため、“北京版烈士”と呼ばれています。

 こうして、ロンドン版孫文と北京版烈士は1930年代の中国を代表する切手として日常的に使われることになりましたが、1937年7月、いわゆる支那事変がはじまると、北京(日本軍の占領により、旧称の“北京”に戻されました)や上海、南京など、中国の主要都市や工業地帯は、たちまち、日本軍によって占領されてしまいます。その後、国民政府は南京から漢口、重慶へと逃げ延びて抵抗を継続しますが、戦前のように、中華郵政がロンドンや北京から直接切手を調達することは困難となりました。

 このため、国民政府の財務部は、南京陥落から間もない1938年早々に、英領であるがゆえに戦争に巻き込まれていなかった香港の印刷所に切手を発注します。

 ところで、日中戦争の勃発以前から、香港には中国の主要な出版・印刷会社が工場を設けていました。清末以来、中国における出版・印刷の拠点は上海でしたが、上海は1932年の第1次上海事変での市街戦により大きな被害を受けました。特に、当時中国最大の出版社であった商務印書館とその付属図書館である東方図書館(多数の稀覯本を含む50万部の蔵書がありました)が日本軍の攻撃で破壊されたことは、事変による最大の文化的損失ともいわれています。こうしたことから、商務印書館以下、中華書局、世界書局、大東書局、開明書店の五大書店は、事変後、あいついで香港にも工場を設立していました。

 このうち、中華郵政が最初に切手の製造を委託したのは香港の中華書局でした。切手の製造を受注した中華書局は、ロンドン版孫文切手の枠のデザインを若干変更した“(香港)中華版”とよばれる切手を制作。中華版の切手は、1938年11月から発行され、中国全土で流通するようになります。

 ところが、1939年には香港・中華書局の工場で労働者のストライキがあり、切手の供給が遅れることが懸念されました。このため、一部の切手に関しては、大東書局の工場で目打の穿孔作業が行われることもあったほか、印刷から目打作業まで大東書局で行われた“(香港)大東版”の切手も1940年1月から発行されています。ちなみに、中華版の切手と大東版の切手は同じデザインですが、額面数字(漢数字)の部分の字体が異なるので、単片でも識別は可能です。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

  ★★★ 『週刊ポスト』巻頭特集「切手大全」の御案内 ★★★

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 現在発売中の『週刊ポスト』9月9日号(小学館 税込み定価400円)は、巻頭グラビアで「懐かしの切手大全」と題して8頁の大特集を組んでいます。内容は、拙著『切手百撰 昭和戦後』と同じコンセプトで、懐かしの昭和の切手を通覧してみようというもので、僕のインタビューも掲載されています。全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 『たんぶるぽすと』5月号
2011-05-15 Sun 23:26
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『たんぶるぽすと』の5月号ができあがりました。今月の同誌は、2月に行われた世界切手展<INDIPEX>の特集号で、僕も、同展に出品した作品のことなどについて短いエッセーを書いています。その記事の中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
        
        京奉空中郵運開航

 これは、1924年5月に中国で発行予定だったものの、結局は発行されずに終わった“京奉空中郵運開航”の記念切手のうち、最高額の45分の田型です。

 1923年9月、奉天派軍閥の幹部であった張学良(張作霖の息子)は、翌1924年5月に北京=奉天間の航空路を開設し、それにあわせて記念切手を発行することを企画しました。

 しかし、前年(1922年)4月28日から5月5日にかけて、直隷派軍閥の曹錕、呉佩孚と奉天派の張作霖との間で第1次奉直戦争が勃発し、直隷派が勝利を収めて張作霖は山海関の外に退却を余儀なくされました。

 その後、1922年6月には停戦が成立したことを受けて、張学良は航空路線開設を計画したわけですが、1923年10月、直隷派の曹錕は賄賂を使って中華民国大総統に当選し、中華民国憲法を制定しました。このため、奉天派のみならず、孫文らの南方勢力(余談ですが、当時、中華民国の正式な政府として正式に承認されていたのは北京政府であって、孫文らの南方勢力ではありません)もこれに強く反発し、翌1924年9月には第2次奉直戦争が勃発することになります。

 こうした情勢の変化により、結局、北京=奉天間の航空路は開設されず、準備された記念切手も不発行に終わってしまいました。

 不発行に終わった切手のうち、45分切手の田型は、今回ご紹介のモノを含め、現在までに2点が報告されているのみですが、2009年の香港展の後、首尾よく入手することができましたので、今回の展示でさっそく、満洲事変以前の軍閥割拠の状況を説明するリーフで使いました。

 なお、『たんぶるぽすと』誌の記事では、今回のインド展の出品作品の中から、この切手を張ったリーフを含め、前回の香港展とは内容を変えたリーフを中心にリーフのご紹介しましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 禦侮救國 誓復失地
2010-09-18 Sat 22:18
 きょう(9月18日)は、1931年に、いわゆる満洲事変の発端となった柳条湖事件が起きた日です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         反日スローガン印(満州事変・南京)

 これは、柳条湖事件1周年の1932年9月18日に南京から差し出されたカバーで、“禦侮救國 誓復失地”のスローガン印が押されています。

 満洲事変が起こると、中国では抗日の機運が盛り上がり、各地の郵便局では、通常の消印とは別に、郵便物の上に抗日スローガンの入った印を押すことで、世論を喚起することも行われました。特に、柳条湖事件1周年にあたる1932年9月18日前後には、ここに示したような「禦侮救國 誓復失地(侮りをふせいで國を救い、失地の回復を誓う)」のスローガン印が中国各地で用いられました。これらの印にはいくつかのタイプがあります。

 さて、中国各地では、きょう、防空警報を鳴らすなどの記念活動が行われ、「国恥を忘れない」とのスローガンで愛国精神を発揚する各種イベントが行われましたが、それにあわせて、いわゆる尖閣問題をとらえての反日行動も各地で行われています。まぁ、曲がりになりにも中華民国の領土であった東北部(満洲)での日本の軍事行動に対して中国人が抗議するのはいたしかたないにしても、尖閣諸島ではどこからどう見てもわが国の領土です。そこに“漁船”と称する船を送りこんで領海を侵犯し、海上保安庁の巡視船に見つかると巡視船に体当たり攻撃をくらわして逃走を図って捕えられるというのは、中国に非があるのは明々白々であり、それを反日行動に結びつけるというのは“盗人猛々しい”としか言いようがありません。

 こういう相手に妙な譲歩を行えば、その要求がエスカレートするのは目に見えています。それにしても、こういうときに、わが国の国会議員としてソウルの反日デモに参加した岡崎トミ子を、警察行政のトップである国家公安委員長に任命する菅総理の感覚ってのは、いったい、どうなってるんでしょうかねぇ。まさか、「中国や韓国の反日デモはどうぞおやりください。悪いのは日本ですから」というメッセージのつもりじゃないでしょうね。

 そう遠からず、今度はわが国が“禦侮救國 誓復失地”のスローガン印を使わざるを得なくなる日が来るのではないかと、深刻な危機感を持っている日本人は多いはずです。

 なお、満洲事変から満洲国の建国、そして崩壊にいたるプロセスと関連する切手や郵便物については、拙著『満洲切手』でもいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 撤収直前
2008-03-11 Tue 08:30
 早いもので7日から始まった<TAIPEI 2008>も今日が最終日。今日の夕方には作品を引き取り、明日朝の便で東京に戻ります。というわけで、今日は“撤収”ネタにからめて、<TAIPEI 2008>に出品中の作品“Making of the Pacific-Asian Order from WWII to the Early Period of the Cold War”のなかから、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 重慶1949

 これは、1949年10月21日、重慶からロンドン宛に差し出された書留便で、国民政府(国府)側の切手が銀円で75分相当貼られています。銀円というのは当時の中華民国の通貨単位で、国共内戦によるハイパーインフレの結果、それまでの金円制度(1948年8月、それ以前の国幣300万円を1円として作られた)が破綻し、1949年7月からは銀元を基準に各地の実勢レートで換算することになったことに伴い、導入されたものです。

 さて、国共内戦の結果については、中国共産党(中共)に敗れた国府が南京を撤退して台湾に逃げ込んだと説明されることが多いのですが、正確に言うと、国府の首都はいきなり南京から台北に遷ったわけではなくて、戦況に応じて、南京→広州→重慶→台北というルートをたどっています。ちなみに、中共の人民解放軍が南京に入城したのは1949年4月23日、広州を占領したのは同年10月14日、重慶を占領したのは11月30日のことで、国府が台北を臨時首都とすることを決議したのは12月4日(移転は7日)のことでした。

 この日程を見ていただくとお分かりのように、1949年10月1日に北京で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したときには、国府はまだ大陸に残って中共との戦いを続けており、中国大陸全土が中共の支配下に入っていたわけではありません。今回ご紹介のカバーは、1949年10月以降も、重慶が国府の首都であった時期に差し出されたもので、貼られている金円の切手と合わせて、国府の撤退直前の状況を物語るカバーといってよいでしょう。

 ところで、国府が大陸から台湾に撤退するにあたって、故宮の名宝を大陸から運び出したことは広く知られています。これにあやかって、僕のコレクションも無事に台北から撤収成功、と行きたいものです。
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 抗日首都・重慶
2008-02-20 Wed 12:58
 中国・重慶で行われているサッカーの東アジア選手権は今日(20日)、日本対中国の一戦が行われるそうです。というわけで、重慶に関するマテリアルとして、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 国内平信カバー

 これは、日中戦争下の1943年10月29日、重慶で差し出された配達証明(双掛号)の市内便で、ご注目いただきたいのは左側のこげ茶色の切手です。

 1937年12月の南京陥落後、中国国民政府(国府)は重慶に遷都し、抗日戦争を継続していました。戦争が激しさを増す中で、1942年11月1日から、国府の支配地域では書状の基本料金16分に戦時附加金1円(=100分)を加算することが決定され、重慶の中央信託局で印刷された16分切手に、各地で“國内平信附加巳付(国内普通郵便に対する附加金納付済み)”の文字を加刷した切手が準備されます。しかし、この切手が発行される直前になって、「額面の6倍以上もの附加金をつけるのは、さすがに国民の負担が大きすぎる」ということから、最高国防会議は戦時附加金の加算を中止させました。

 しかし、すでに“國内平信~”の加刷を施した切手は大量に準備されていたため、各地の郵政局では1943年3月以降、加刷文字の部分を線で抹消し、新たに5角(=50分)の額面を加刷した切手を発行し、使用しました。今回ご紹介のカバーに貼られているのも、そうしたものの1枚です。

 さて、重慶といえば、2004年8月にサッカーのアジアカップ開催中に一部の中国人サポーターによる大規模な反日行動が発生したところで、反日感情がきわめて強い地域といわれています。これは、共産党政府が国内の不満のはけ口として“抗日・愛国”教育を徹底してきた成果として、抗日戦争中の中国側の首都であった重慶の意味があらためて強調されることになった結果だといってよいでしょう。とはいえ、いわゆる反日を唱えて破壊と暴力を繰り返した連中の多くは、日中戦争はおろか文化大革命さえ知らない若者たちですから、彼らの行動は理不尽なものでしかありません。

 まぁ、現在の中国共産党政府が、自らの正統性の根拠のひとつとして、抗日戦争を勝利に導いたことを挙げている以上、中国側の建国の神話を奉じる若者たちが、重慶(ホントは共産党と敵対していた国民政府の拠点のはずですが、そのことは問題にならないようです)で“抗日・愛国”の気勢を挙げるのは、日本人や日系企業に直接の被害が及ばない限り、「どうぞご勝手に」としか言いようがありません。しかし、重慶の“反日感情”のことが日本のマスコミで奉じられるときには、どういうわけか、「重慶は第2次大戦中、日本軍による空襲を受けた」という説明のされ方が多いのは、ちょっと気になります。

 もちろん、日本軍が日中戦争下の重慶に空襲を行い、多くの犠牲者が出たのは事実ですが、その前提として、重慶が当時の国府の首都、すなわち、抗日戦争の最大の拠点であったということを見落としてはなりません。もちろん、空襲を行って民間人を殺傷することが良いことだとは僕もいいませんが、戦争である以上、敵国の首都を攻撃する(あるいは、攻撃目標とする)のは当然のことで、スペイン内戦時のゲルニカの爆撃や第2次大戦末期のドレスデン空襲のように、戦略的に無意味な空襲とはわけがちがいます。

 そうしたことをすっ飛ばして、いきなり、「重慶は日本軍の空襲で大きな被害を受けたので、いまだに反日感情が強いのだ」と説明されても、僕なんかは何だかすっきりとしないものを感じてしまいます。それとも、重慶が抗日の拠点だったことを説明すると、日本軍が一方的に悪だったという構図が破綻するので問題だというんでしょうか。仮に、“中国様”のことを慮って、そういう判断がマスコミの内部で働いているのだとしたら、そっちのほうこそ、問題じゃないかと僕は思うのですが…。
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