内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 イエメンで内戦の懸念
2015-03-22 Sun 22:25
 昨年(2014年)9月、ザイド派(シーア派の一派)武装組織“フーシ”が首都サヌアに侵攻して以来、混乱が続いているイエメンでは、一昨日(20日)、フーシを狙ったダーイシュ系過激派がサヌアのモスクで140人以上を殺害する自爆テロを敢行。一方、フーシは、きのう(21日)、「総動員体制に入る」と発表し、きょう(22日)、南西部の要衝タイズの空港を制圧しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       イエメン・タイズのミナレット(航空)

 これは、1954年、旧王制時代のイエメンで発行されたアフマド1世在位5周年記念の航空切手で、タイズのミナレットが描かれています。タイズの空港のことが話題になりましたので、タイズと飛行機の組み合わせということで、ご紹介しました。

 現在のイエメンの首都はサヌアですが、王制時代の1918-62年には、国の南西部、標高約1400mの高原に位置するタイズが首都でした。タイズを中心とするタイズ県は紅海に面しており、コーヒー豆の輸出で知られるモカ港があるほか、山間部では年間降水量が1000mmを超えるなど、雨量に恵まれているため、綿花やモロコシ、ゴマなどのほか、マンゴーやコーヒーも栽培されています。

 さて、イエメンでは、今年1月以降、フーシが首都サヌアを掌握し、ハディ大統領は南部のアデンへ逃れたため、フーシによる事実上のクーデターが成功。これを受けて、フーシは、2月6日、議会を強制的に解散し、“憲法宣言”を発表しています。その後、イエメンの北部・中部はフーシの実効支配下に置かれているものの、南部・東部のスンナ派は反発を強めており、そこにスンナ派系の過激派組織が関与を強めているという状況になっています。

 ところで、上述のように、タイズは旧王制時代の首都だったわけですが、イエメンの旧王室は宗派的にはフーシと同じザイド派を奉じていましたから、フーシがザイド派の旧王都にまで勢力を拡大したことは、政治的にもきわめて重要な意味を持っているといえましょう。もちろん、大統領を含め反フーシ勢力がこのまま黙っているとは考えられませんから、今後、両者の対立が激化することは避けられません。

 もともと、イエメンの地は、オスマン帝国と英国によって南北が分割統治されていた過去があるうえ、1990年の南北統一まで30年近くに渡って内戦と国家分裂の状態が続いていた過去もありますので、昨今の情勢では、再び、南北に分裂するというシナリオも決して荒唐無稽なものとは言えないでしょう。

 さらに、イエメンでは、数年前から米国がイエメン政府と協力して国際テロ組織“アラビア半島のアルカイダ(AQAP)”の掃討作戦を展開してきましたが、情勢の悪化に伴い、今年1月にはサヌアの米国大使館が閉鎖されたのに続き、昨日までに、米軍も南部のアナド空軍基地に駐留する特殊部隊の撤退を開始しており、フーシやスンナ派系過激派組織に対する“抑止力”も急速に低下しています。

 いずいれにせよ、イエメンは紅海の出口という交通の要衝に位置する国だけに、ここで本格的な内戦が勃発すれば、欧亜間の海運にも悪影響が出るのは必至で、今後の推移が注目されるところです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 イエメン新大統領が就任宣誓
2012-02-25 Sat 22:26
 今月21日に大統領選挙の投票が行われたイエメンで、当選者のハディ新大統領がきょう(25日)、国会で就任宣誓を行い、33年余り続いたサレハ大統領の政権が正式に退陣しました。いわゆる“アラブの春”で長期独裁政権が幕を下ろすのはチュニジアエジプトリビアに続き4例目です。というわけで、きょうはこの切手です。

        イエメンアラブ共和国加刷

 これは、1962年のイエメン革命直後、旧王制時代の切手を接収して“イエメンアラブ共和国”並びにその略称であるYARの文字と1962年9月27日の日付を加刷したものです。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 1962年9月、イエメンでは、イマーム・アフマドの死に伴う政権交代の隙をつくかたちでクーデタが発生。伝統的なザイド派(シーア派の一派)イスラムに基づく王朝が倒れ、革命政権が樹立されたものの、王党派はサウジアラビアとの国境を越えた山岳地帯に逃れて抵抗を続けました。いわゆるイエメン内戦の勃発です。

 イエメン内戦は、そのまま放置しておけば、いずれ王党派が投降して終わりという雰囲気が強かったのですが、革命政権がエジプトに支援を要請したことから事態は一転。保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援したからです。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになり、1970年まで続きました。

 一方、イギリスの支配下に置かれていたイエメン南部では、1967年、ソ連の支援の下、南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国に改称)が独立。イエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国として、中東やインド洋におけるソビエト連邦の拠点となっていましたが、ソ連崩壊で経済的に行き詰まり、1990年5月22日、北のイエメン・アラブ共和国に吸収される形で南北統一が実現し、現在のイエメン共和国が誕生しました。

 1962年の革命から半世紀のうち33年間、南北統一からの22年間だとその全期間、権力の座にあったサレハ大統領の退陣は、イエメンの現代史にとってはきわめて重要な事件であることはいうまでもないのですが、それが、どういう形で切手や郵便に痕跡を残しているのかは、残念ながら、現時点では把握できていません。ただし、昨年来、サレハ大統領の退陣と、その後継者として当時のハディ副大統領が唯一の候補者として大統領選挙に出馬し、新憲法制定を行うための任期2年の暫定大統領に就任するということは既定の路線になっていましたから、今回の新政権発足に際しては、50年前の革命のときのような暫定加刷切手が登場するということは、おそらくないでしょうね。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 イエメン、サレハ大統領が帰国
2011-09-23 Fri 23:46
 ことし6月の暗殺未遂事件で重傷を負い、サウジアラビアで治療していたイエメンのサレハ大統領が、きょう(23日)、およそ3ヶ月半ぶりに首都サヌアに帰国しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         イエメン王党派・国際協力年

 これは、1965年にイエメン王党派政府が発行した国際協力年の記念切手で、国際協力年のシンボルマークを挟んで、左上にサウジアラビアのファイサル国王の、右上にイエメンのイマーム(君主)ムハンマドの肖像が掲げられています。

 1962年9月、イエメンでは、イマーム・アフマドの死に伴う政権交代の隙をつくかたちでクーデタが発生。伝統的なザイド派(シーア派の一派)イスラムに基づく王朝が倒れ、革命政権が樹立されたものの、王党派はサウジアラビアとの国境を越えた山岳地帯に逃れて抵抗を続けました。いわゆるイエメン内戦の勃発です。

 両派はともに自分たちがイエメンの正統政府であることを主張し、その一環として、それぞれ独自の切手を発行していましたが、このうち、王党派は、従来どおり“イエメン王国”と表示された切手を発行しつづけます。ただし、現実には彼らは事実上の亡命政権で、その根拠地となっている山岳地帯では郵便の利用者はほとんどなかったため、彼らの「切手」は、実際に郵便に利用するためのものというよりも、政治宣伝のための媒体としての色彩が強いものでした。

 さて、革命政権から支援の要請を受けたエジプトのナセルはイエメン内戦への介入を決断。エジプト軍を派遣し、革命政権への全面的支援を約束します。これに対して、保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになります。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で、イエメン王党派が発行したもので、彼らの後ろ盾となっていたサウジアラビアの“国際協力”に感謝する意図が込められています。

 さて、今年1月のテュニジア・ジャスミン革命以来のアラブ民主化の流れのなかで、イエメンでも、ことし1月から反体制デモが続いており、大統領の帰国説が浮上した今月18日からは、治安部隊とデモ隊の衝突が再燃して約100人が死亡しています。今回の大統領の帰国により、辞任を求める反体制派のデモ激化など国内対立が深刻化するのは必至で、内戦突入の危機さえささやかれています。

 仮に内戦突入となった場合、今回もまた、両派がそれぞれ別個に切手を発行するようになるのかどうか、個人的にはそのあたりが気になりますな。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
  酒井順子さんにご紹介いただきました !

        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
       平凡社(本体2000円+税)    

  視て読んで楽しむ切手図鑑!
  “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、
  平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、
  そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介

  全国書店・インターネット書店(amazonboox storeconeco.netJBOOKlivedoor BOOKSYahoo!ブックスエキサイトブックス丸善&ジュンク堂楽天など)で好評発売中!
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 イエメン統一20年
2010-05-22 Sat 21:44
 1990年5月22日に南北イエメンが統一されて、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イエメン統一

 これは、1990年5月22日に発足した統一イエメンが発行した統一の記念切手です。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 その後、1962年9月、北イエメンで共和革命が発生し、イエメン・アラブ共和国の樹立が宣言されました。これに抵抗する王党派が山岳地帯に逃れ、いわゆるイエメン内戦が勃発します。

 イエメン内戦は、そのまま放置しておけば、いずれ王党派が投降して終わりという雰囲気が強かったのですが、革命政権がエジプトに支援を要請したことから事態は一転します。保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援したからです。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになり、1970年まで続きました。

 一方、イギリスの支配下に置かれていたイエメン南部では、1967年、ソ連の支援の下、南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国に改称)が独立。イエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国として、中東やインド洋におけるソビエト連邦の拠点となっていましたが、ソ連崩壊で経済的に行き詰まり、1990年5月22日、北のイエメン・アラブ共和国に吸収される形で、現在のイエメン共和国が誕生しました。
 
 イエメンといえば、今年(2010)年1月、アルカイダ系組織の活動が活発化して治安の悪化が懸念され、一時、日本を含む西側諸国の大使館が領事業務を停止したことが記憶に新しいところですが、首都サヌアは、『旧約聖書』の「ノアの方舟」の物語の故地ともされる歴史都市で、現在でも、旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んぶ世界遺産の都市としても有名です。かつて、治安が比較的良かったころにイエメンを訪れた友人たちは、口々に、のんびりしていて良いところだといっていましたので、一度は訪ねてみたい場所です。

 ちなみに、首都サヌアに関しては外務省の危険情報は「十分注意してください。」のレベルですが、地域によっては、「渡航の延期をお勧めします。」となっています。これは、騒乱時のバンコクと同レベルですから、残念ながら、漫郵記の取材でイエメン国内をぶらぶらしてみるというのは、現状ではちょっと難しいでしょうねぇ。

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

別窓 | イエメン | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 サヌアの消印
2010-01-06 Wed 15:23
 アルカイダ系組織の活動が活発化し、イエメンの治安悪化が懸念される中、サッカーのアジア杯最終予選の日本×イエメン戦が、こんや(6日)首都のサヌアで行われます。というわけで、きょうはイエメンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      サヌア消印

 これは、サヌアで使用されたオスマン帝国の1ピアストル切手です。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 さて、オスマン帝国時代の(北)イエメンに近代郵便制度が導入されたのは、1868年、サヌアにオスマン帝国の郵便局が設けられたのが最初です。当時の消印は、ここに示すように、二重の円の中にアラビア語で地名が入っているもので、日付の表示はありません。なお、主要都市での郵便局の開局は、タイズが1871年、フダイダが1873年、モカが1895年です。

 サヌアは、『旧約聖書』の「ノアの方舟」の物語の故地ともされる歴史都市で、現在でも、旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んでおり、数百年前から変わらぬままの古い街並は“生きた博物館”とも称されています。旧市街全体がユネスコの世界文化遺産にも認定されているため、フツーであれば世界中から観光客が訪れているのですが、現在はどうなんでしょうかねぇ。

 ちなみに、サヌアの治安悪化に伴い、今月3日にはアメリカ、イギリス、フランス等が大使館を閉鎖したため、わが国も4日に大使館での領事業務の対外窓口を閉鎖しています。ところが、きのう(5日)になって、イエメン北部でのテロ掃討作戦が一定の成果を上げたことを受けて、アメリカ、イギリス、フランスが業務を再開。日本大使館も近々に業務を再開するとのことですが、なんとなく、対応が後手後手に回っている印象は否めませんな。まぁ、日本代表が6日にサヌアで試合をやることは、かなり前からわかっていたわけですから、彼らが無事に帰国するまでは日本大使館も通常業務を続けていれば、こういう格好の悪いことにはならなかったのでしょうが、そこまで要求するのは酷なのかもしれませんな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月10日(日) 切手市場 
 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:30
 拙著『昭和終焉の時代』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著(現在、ネット書店では品切れが相次ぎ、ご迷惑をおかけしております)をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。

 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

 * おかげさまで大変ご好評をいただいており、ネット書店でも在庫切れの場合が多く、皆様にご迷惑をおかけしております。6日正午の時点で、上記ネット書店のうち紀伊国屋書店BookWebには在庫がございますが(ただし僅少です)、その他では品切れの模様です。今週中には問題が解決されると思いますので、いましばらく、ご容赦ください。
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 イエメンの人質解放
2009-11-25 Wed 10:37
 イエメンの首都サヌア近郊で地元部族民に8日間誘拐・監禁されていた日本人技師、真下武男さんが、日本時間のきのう(24日)未明、無事解放されました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 サヌア=ホデイダ道路

 これは、1961年、サヌア=フダイダ(紅海沿岸の港湾都市)を結ぶ高速道路の開通を記念してイエメンで発行された記念切手で、近代的な港湾都市フダイダと山々に囲まれた標高2200メートル古都サナアのイメージが対比して描かれています。今回、真下さんが運転手ともども誘拐されたのは、サヌア北東・アルハブの現場に車で向かう途中だったそうです。今回ご紹介の切手の高速道路は、フダイダからサヌアまで北東に向かって走っていますので、事件の現場は、切手ではサヌア市街地の右後方、山の稜線と赤い背景の境目くらいの位置という感じになりましょうか。

 イエメンの首都・サヌアは、“ノアの方舟”伝説の故地で、イスラム以前から、香料の貿易で繁栄する南アラビア有数の都市でした。もっとも、交通の要衝であったがゆえに、周辺勢力の侵入も絶えず、人々は城壁を築いて防衛に努めました。このことが、東西約1・5km、南北約1kmの城壁に囲まれた街の輪郭を形成する大きな動機となります。

 西暦7世紀になってムスリムの支配下に置かれるようになると、サナアにあったイスラム以前の神殿はすべて破壊され、その上に、モスクを中心としたイスラム都市の体裁が整えられていきます。現在、サナアの旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んでいますが、数百年前から変わらぬままの古い街並がそのまま残っており、街全体が“生きた博物館”とも称されています。このため、1986年にはユネスコの世界文化遺産にも認定され、異国の観光客のエキゾチシズムを大いにくすぐる存在となっています。

 その一方で、国全体としては非常に貧しく、サヌアやフダイダなどの都市部とその他の地域の経済格差は相当に大きなものがあります。じっさい、イエメンでは石油を産出しないわけではないのですが、その量は決して多くはなく、コーヒー以外の食糧の輸入(砂漠地帯のため、農業生産はほとんど期待できない)などでほぼ帳消しになってしまい、隣接する石油大国・サウジアラビアへの出稼ぎに相当程度頼らざるを得ないのが実情です。

 それにしても、解放後の記者会見で、真下さんは、休養のため一時帰国するものの「会社とも相談する必要があるが、自分としては戻って学校のプロジェクトを仕上げたい」と話したのだとか。その責任感たるや実に立派なもので、こうした方々が海外で活躍されることが、わが国の国際的な評価を高めていくことは間違いありません。それだけに、海外の治安悪化地域で、民生支援の日本人スタッフがある程度まとまって活動するような場合には、安全確保のため、自衛隊が警備員として同行するなどの国の施策があっても良いように思うのですが、自衛隊の海外派遣に絶対反対の“9条教”信者だとか、目先の経済効率の低い“無駄”を削減することに血眼になっている仕分け人だとか、そういう人たちが政府を構成しているうちは無理なんだろうなぁ。


 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。ちょっと変わったオフ会あるいは忘年会としていかがでしょうか。当日は、僕のトークのほか、楽しいアトラクションを予定しております。

 ・日時 2009年12月22日 18:30~

 ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです)
     *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分)
      tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。

 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき)
     *当日会場にてお支払いをお願いいたします。

 ・参加ご希望の方は、12月18日までにキュリオマガジン編集部まで、電子メール(info@fujimint.com)にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』

 トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行   (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税)

 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年
 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く!
 全国書店・インターネット書店(アマゾンbk17&YYahoo!ブックス楽天ブックスlivedoor BOOKS紀伊国屋書店BookWeb本やタウンなど)にて好評発売中!

別窓 | イエメン | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 イエメン航空
2009-06-30 Tue 21:59
 現地時間の昨日(29日)午後9時半、乗員乗客150人以上を乗せてイエメンの首都サヌアからコモロに向かっていたイエメン航空機がインド洋に墜落し、乗員乗客の生存は絶望的と見られていましたが、きょうになって、同航空は子供1人が救助されたと発表しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 イエメン航空

 これは、1951年、王制時代のイエメンで発行された航空切手で、首都サナアの上空を飛行機が飛んでいる風景が描かれています。イエメン最初の航空切手は1947年の発行で、この切手は第2次発行分です。

 旧約聖書の創世記に登場する「ノアの方舟」の物語は、ノアとその一族だけが、方舟に乗って神が人間を罰するために起こした洪水から逃れるというものですが、ノアの息子のセム(アラビア語ではサーム)はアラブをはじめとするセム族の祖と見なされています。現在、イエメンの首都となっているサナアは、このセムが、東のヌクム山から盆地を切り開いてつくったとの伝説を持つ古都で、イスラム以前から、香料の貿易で繁栄する南アラビア有数の都市でした。

 もっとも、交通の要衝であったがゆえに、サナアには周辺勢力の侵入が絶えず、人々は城壁を築いて防衛に努めました。このことが、東西約1・5km、南北約1kmの城壁に囲まれた街の輪郭を形成する大きな動機となります。

 西暦7世紀になってムスリムの支配下に置かれるようになると、サナアにあったジャーヒリーヤ時代の神殿はすべて破壊され、その上に、モスクを中心としたイスラム都市の体裁が整えられていきます。現在、サナアの旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んでいますが、数百年前から変わらぬままの古い街並がそのまま残っており、街全体が“生きた博物館”とも称されています。

 今回ご紹介の切手にも、そうしたサナアの町並みの一部が描かれていますが、ユネスコの世界文化遺産にも認定された町並みは、異国の観光客のエキゾチシズムを大いにくすぐる存在となっています。

 ちなみに、今回の事故を起こしたイエメン航空(イエメン・エアウェイズ)は、1961年8月4日に“イエメン・エアラインズ”として創立され、1962年から運行を開始しました。“エアウェイズ”への改称は1972年のことです。したがって、きょうの切手が発行された1951年の時点では会社としてのイエメン航空は影も形もないのですが、古都の上空をプロペラ機がのんびりと飛んでいる風景というのも、なんとなく風情があってよいでものですな。

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★  
   
 異色の仏像ガイド決定版 
 全国書店・インターネット書店(アマゾンbk17&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館ていぱーく)などで好評発売中!

 切手が伝える仏像  『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税)       

 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説
 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる!
別窓 | イエメン | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 モカの木
2008-07-20 Sun 11:55
 日本のモカ・コーヒーの98%以上を占めるエチオピア産のコーヒー豆からから基準値以上の残留農薬が検出され、輸入が事実上ストップしているそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 モカ・カバー

 これは、1958年にイエメンの首都サナアから当時は英領だったアデン宛のカバーで、モカ・コーヒーの木を描く6ブガシュ切手が貼られています。この切手は、1947年に製造されたものの、、1958年6月までは正規に発売されなかったといわれていますが、その理由などは調べきれませんでした。なお、今回は切手の向きを優先して、カバーとしては上下逆の画像になっていますが、ご了承ください。

 “モカ”(アラビア語の発音では“ムハ“に近い)というのは、もともとは紅海に面したサナアの外港の地名です。いわゆるモカ・コーヒーの木はエチオピアが原産ですが、アラビア商人たちがそれを世界に広めたため、いつしか、その積出港であったモカの名がコーヒーの名前となりました。現在では、モカの港はすっかり寂れてしまいましたが、かつてこの港からイエメン産・エチオピア産のコーヒー豆が輸出されていたことから、現在でも、両国産のコーヒー豆は“モカ”と総称されています。

 イエメン産とエチオピア産を特に区別する必要がある時は、イエメン産のものを“モカ・マタリ”と呼ぶことがあります。 かつて、“コーヒー・ルンバ”に歌われたのは、このモカ・マタリで、エチオピア産に比べると値段も高めです。したがって、単に“モカ”とだけある場合には、エチオピア産とみてよさそうです。

 ところで、今回の農薬問題に関しては、すでに業界トップのUCC上島珈琲がモカを使った業務用商品の販売を停止し、ブレンドコーヒーの一部もモカ以外の豆で代替し始めたほか、喫茶店チェーンの珈琲館でも先週17日からモカのネット販売を休止するなど、 そろそろ、影響が出始めています。

 もちろん、業界側もこの問題を放置していたわけではなく、今年6月には全日本コーヒー協会が現地に調査団を派遣し、麻袋から残留農薬を検出するなどしましたが、結局、原因は特定できなかったようです。これに対して、エチオピア側は「日本は細かすぎる。他の国は何も言ってこない」などと主張しており、現時点では輸入再開のめどが立っていません。

 このまま行くと、モカ・マタリとフツーのモカの値段が逆転するようなことになるのかもしれませんが、味の実力という点では、やはりモカ・マタリの方が上ですからねぇ。妙な下剋上にならないといいのですが…。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 『郵趣』今月の表紙:アデンの1番切手
2008-05-27 Tue 12:45
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』の2008年6月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 アデンの1番切手

 これは、1937年に発行されたアデンの1番切手で、この地域の伝統多岐なダウ船が描かれています。雑誌の表紙では同時にシリーズの12種類(色違い)をご紹介していますが、ここでは、1ルピー切手を取り上げました。

 古来、イエメンと呼ばれていたアラブあ半島性南岸の地域は、近代以前は群小首長国が割拠する地域でしたが、19世紀に入ると、インド洋のシーレーン確保を目指すイギリスが首長国同士の争いに調停者として介入。重要拠点のアデン港を直轄植民地としたほか、イエメン南部の首長国を次々と保護領としていった。これに対して、イエメン北部の地域はオスマン帝国の支配下に置かれていましたが、第一次大戦で敗れたオスマン帝国が撤退すると、1918年、イエメン・ムタワッキル王国として独立しました。

 一方、南イエメンの地域では、1937年4月1日、イギリスの影響下にある地域で“アデン保護領”を結成し、この地域で使うための切手12種類が発行されました。これが、今回ご紹介の切手です。

 この切手は、イスラム世界の伝統的な木造帆船、ダウ船を大きく描いたもの。ダウ船は、大きな三角帆と釘を使わず紐やタールで組み立てる構造が特徴で、そのルーツは西暦の紀元前後にまでさかのぼるといわれています。かつては季節風を利用したインド洋貿易の主役として、ペルシャ湾岸のナツメヤシや魚介類、東アフリカのマングローブ木材をはじめ、奴隷や胡椒などを含むあらゆる商品がこの船で運ばれていました。

 切手の左右には南アラビアで成人男子の象徴とされている短剣、ジャンビーヤも描かれています。デラルー社の美しい印刷ともあいまって、海運の要衝として繁栄してきた船乗りの都市、アデンのイメージにふさわしい1枚といってよいでしょう。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ナセル生誕90年
2008-01-15 Tue 14:38
  エジプトの元大統領、ガマール・アブドゥン・ナーセル(一般に“ナセル”と呼ばれている人物です)が1918年1月15日に生まれてから、今日でちょうど90年です。というわけで、ナセルがらみの切手の中から、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 イエメン・ナセル表
 イエメン・ナセル裏

 これは、1971年にイエメンで発行されたナセルの追悼切手が貼られたカバーです。消印がハッキリ読めないのですが、上の画像・右下の5B切手の消印では、“21.1.?1”との日付がかろうじて読めますので、おそらく、1971年の使用例だろうと思います。

 エジプト革命を成功させ、スエズの国有化を宣言。さらに英仏の攻撃に屈せず、第2次中東戦争を勝利に導き、アラブ世界の英雄となったナセルでしたが、1958年に行ったエジプト・シリアの国家連合は1961年に破綻し、その威信は大きく揺らぐことになります。

 こうした状況の中で、1962年9月、イエメンで共和革命が発生。これに抵抗する王党派が山岳地帯に逃れ、いわゆるイエメン内戦が勃発します。

 イエメン内戦は、そのまま放置しておけば、いずれ王党派が投降して終わりという雰囲気が強かったのですが、革命政権がエジプトに支援を要請したことから事態は転換。国家連合破綻の失点を回復しようとしたナセルは、ただちにイエメン内戦への介入を決断し、エジプト軍を派遣して、革命政権への全面的支援を約束します。

 これに対して、保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになります。

 イエメン内戦は、アラブ世界の保守派と革命派を巻き込み、泥沼のアラブ内戦の様相を呈しながら、1970年まで続くことになるのですが、内戦への介入が長引くにつれ、エジプト経済は次第に疲弊していきます。また、イエメンへの派兵により、イスラエルに対するエジプトの軍事力も次第に低下し、ナセルの国際的威信はさらに低下するという悪循環をもたらしました。その帰結が、1967年の第3次中東戦争での惨敗であり、1970年のヨルダン内戦とその調停途中でのナセルの死というかたちでつながっていくことになります。

 こういう経緯もあって、イエメンの革命政権は1971年早々にナセルの追悼切手を発行したわけですが、その実逓使用例は決して多くはありません。その意味では、今回ご紹介したカバーは決して状態の良いものではないのですが、とりあえずのところ、これで我慢をせざるを得ないというのが正直なところです。

 ところで、今回ご紹介のカバーは、“キプロスのニコシア郵便局長”宛になっている点にもご注目下さい。当時、アラブ諸国はイスラエル宛の郵便物を取り扱いませんでしたが、現実には、イスラエル占領地域にはパレスチナ人が多数住んでおり、彼らと海外のパレスチナ人との間では郵便交換が必要でした。このため、海外のパレスチナ人は、イスラエル支配地域宛の郵便物を、いったん“中立国”のキプロスに送り、そこから宛先地まで転送してもらうという方法を取っています。このカバーも、おそらく、そのような事情でイエメンのサナアからキプロスまで送られたものでしょう。

 現在、都内の某大学で“中東郵便学”と題するパートタイムの授業をやっているので、ナセルとその時代に関する切手や郵便物は少なからず集めています。前々から、それをまとめたコレクションを展覧会に出品してみようと考えているのですが、2006年のスエズ運河国有化50年、2007年の第3次中東戦争40年のタイミングには間に合わいませんでした。今年は、ナセル生誕90年とエジプト・シリアの国家連合50年ということでタイミング的にはばっちりなのですが・・・。

 <おしらせ>
 1月26日(土)の14:00から、東京・水道橋の日本大学三崎町キャンパス法学部6号館1階 第6会議室(6号館入口を入ってすぐ左手の会議室)にて開催のメディア史研究会にて、「タイ・前期ピブーン政権とポスタル・メディア」と題してお話をします。内容は、拙著『タイ三都周郵記』の内容をベースに、日本との関係が濃密だった第2次大戦中のタイについて、切手や郵便物から読み解いてみるというものです。

 メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。
別窓 | イエメン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/