内藤陽介 Yosuke NAITO
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 “七七事変”80周年
2017-07-07 Fri 11:02
 いわゆる日中戦争(支那事変)の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件(中国語の呼称は日附に由来する七七事変)から、きょうで80周年です。ということで、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      旅大・七七抗戦紀念(15円)

 これは、1946年7月7日、ソ連占領下の旅大地区(旧関東州)で発行された“七七抗戦紀念”の切手3種のうちの1枚です。

 第2次大戦末期のヤルタ会談では、米英ソ三国の間で、①外蒙古の現状維持=モンゴルの独立承認、②大連港の国際化とソ連の海軍基地としての旅順口の租借権回復、③中ソ合同会社の設立による東支鉄道と南満洲鉄道の共同運営、④満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護、が秘密協定として決められていました。

 1945年8月9日、日本に対して宣戦布告し、満洲への侵攻を開始したソ連は、8月14日、中国国民政府との間に、①対日戦遂行に関する相互援助(降伏文書の調印によって戦闘が正式に停止となるのは9月2日のことで、この時点では戦争は継続中です)、②単独不休戦・不講和、③日本の再侵略を防止するためのあらゆる措置の共同での行使、④相互の主権と領土保全の尊重などを規定した中ソ友好同盟条約を調印(同24日から発効)。さらに、条約本文とあわせて、ソヴィエト政府が中華民国に対する援助を(すべて中華民国の中央政府たる国民政府にたいして)与えることを誓約した交換公文、長春鉄道に関する協定、旅順口に関する協定、東三省に関する協定などが中ソ両国の間で調印されました。この結果、ソ連はヤルタの密約を国府に認めさせることに成功します。

 これを受けて、ソ連の占領下に置かれた旅大地区には、ソ連軍が旧満洲で接収した切手が持ち込まれ、現地で接収された日本切手とともに、さまざまな加刷を施して使用されています。

 今日ご紹介している切手もその一例で、盧溝橋事件9周年にあたる1946年7月7日に“七七”の日付と“抗戦紀念”の文字が加刷されています。占領当局としては、日本支配の痕跡を払拭し、旅大地区が日本の支配から“解放”されたことをアピールするため、“抗日戦争”の意義を強調するような加刷を行ったものと考えて良いでしょう。

 なお、こうした旅大地区の終戦直後の郵便事情については、拙著『満洲切手』でも簡単にではありますが、まとめてみたことがあります。ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 紀念八一五
2015-08-15 Sat 14:24
 きょう(15日)は終戦の日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      斉斉哈爾地図票(八一五)

 これは、1946年8月15日、中国共産党(中共)支配下の東北・西満区で発行された切手で、中国地図と独立・和平・民主の文字を描く切手に、“紀念 八一五”の文字が加刷されています。

 大戦末期の1945年4月、中共七全大会(中国共産党第七次全国代表大会)で中央委員会主席に就任した毛沢東は「もし、我々が全ての根拠地を失っても、東北(満洲)さえ確保できれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」と発言。ソ連軍の満洲侵攻翌日の8月10日には、すぐさま東北の占領を各地の中共軍に指令しています。

 じっさい、日本が降伏した時点で、長江上流の内陸の地・重慶を拠点としていた国民政府(国府)に対して、華北の地にも抗日根拠地という名の“解放区”を設けていた中共には、東北の接収という点に関して圧倒的に地の利がありました。また、東北に進駐していたソ連占領軍も、国府と結んだ中ソ友好同盟条約では「満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護」を謳っていましたが、中共軍の東北進駐を黙認します。

 このため、1945年11月3日、東北接収のために国府軍第52軍の輸送船団が営口沖に到着したとき、中共側はすでに営口を占領していたばかりでなく、遼寧省を中心とする地域に約30万人、吉林省及び黒龍江省を中心とする地域に約15万人の部隊を集結させていました。このため、国府軍は11月16日に山海関を占領。そこから、葫蘆島、錦州、古北口、朝陽へと前進します。これに対して、中共側も営口、安東、洮南、吉林をはじめ南満洲一帯に進駐するなど、東北接収をめぐる国境両軍のつばぜり合いは激しさを増していきました。

 これに対して、東西冷戦が進行していく中で、中共の東北進駐が米英との摩擦を増大させ、軍事衝突の危機さえ招きかねないことを危惧したソ連は、しだいに中共と距離を置き、国府と妥協して東北の経済権益を国府との共同経営にゆだねることを模索するようになります。1945年11月19日、ソ連軍が中共軍の林彪らに通知して、長春(満洲国の崩壊に伴い、新京から旧称に復す)の鉄道沿線と長春市内を国府軍に譲り、一時鉄道沿線から地方へと撤退。さらに、ほぼ時を同じくして、米国も国府に対する軍事支援を強めつつも、国府と中共との調停工作に乗り出しました。

 この結果、1946年1月10日、国共両軍は一時的に停戦にこぎつけるのですが、2月上旬には早くも両軍の戦闘が再開。そして、3月10日にソ連軍が瀋陽を撤退し、4月14日に旅大地区を除く全東北から撤退すると、東北を舞台に国交内戦が本格化していくことになります。

 この間、国府と中共のそれぞれの支配地域では別々の切手が使われていました。このうち、中共支配下の各地では、1946年10月1日、東北解放区全体の郵政を統括する機関として哈爾浜に東北郵電管理総局が成立するまで、各地で暫定的な切手が発行・使用されていました。

 今回ご紹介の切手もそのうちの1枚で、斉斉哈爾の印刷所で製造されたモノです。今回ご紹介の加刷切手と無加刷の台切手はいずれも、“八一五”1周年にあわせて、1946年8月15日に発行されました。当時の中国の正統政権である国府にとっての対日戦勝記念日は降伏文書が調印された9月2日ですが、終戦まで満洲国の支配下に置かれていた東北では、日本同様、昭和天皇の玉音放送の日である8月15日が"終戦の日”という感覚が一般的だったのかもしれません。

 ところで、日本語では一般に“記念”と書くところを、中国では“紀念”と表記するのが一般的で、この切手でも加刷の文字は“紀念 八一五”となっています。

 “記念”の語は、唐代初期の張文成の作とされる『遊仙窟』にも「下官瞿然破愁成笑、遂喚奴曲琴取相思枕、留與十娘以為記念」との用例がありますが、“紀念”の用例は古典には見られません。ちなみに、『遊仙窟』などにみられる“記念”の語は「後の思い出にする、かたみ」の意味ですが、Commemorative Stamps の訳語としては“かたみ”というのは不自然ということで、わが国でも、昭和初期までの切手や消印では“紀念”の表記が使われていました。ところが、古典のテキストに用例がないことを理由に、『大漢和辞典』が“紀念”は“記念”の誤りとしたことから、その後の国語辞典では“記念”の表記に統一され、1928年の昭和大礼の切手以降、“記念(切手)”の表示が定着しました。

 これに対して、中国では、おそらく、和製漢語の一種として“紀念”がもたらされた後、それがそのまま定着して現在にいたっています。この点については、記と紀の使い分けについて、“記”が単発的な出来事の単純な記録等に用いるのに対して、“紀”は糸偏の意味が付されて、連続的で途切れ目がない物・事を(現在の視点から)伝承する場合に使うというニュアンスがあるのだそうです。(出典はこちら

 この説明によると、日本でいう“記念館”が歴史的資料などを、純粋な資料としてそのまま展示する施設であるのに対して、中国の“紀念館”が(時として政治的な)ある種の意図をもって資料を展示する施設という違いになるのですが、なるほど、そう考えると、かの地に数多ある“抗日紀念館”というのも、その性質をよく表しているわけですな。
 
 なお、この切手を含む、満洲・東北の近現代史と切手・郵便とのつながりについては、拙著『満洲切手』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 45歳になりました
2012-01-22 Sun 11:15
 私事ながら、本日(22日)をもって45歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかくの機会ですから、昨年刊行の拙著の中から“誕生日”にまつわる切手はないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

        スターリン70歳誕生日(旅大)

 これは、1949年12月21日、中国共産党支配下の旅大(=旅順・大連)解放区で発行されたスターリン70歳誕生日の記念切手です。スターリンの誕生日は、現在、歴史的な事実として1878年12月18日(ユリウス暦:12月6日)であることが確認されていますが、1922年にソ連共産党の書記長に就任した彼は、自らの誕生日を1879年12月21日(ユリウス暦:12月9日)に変更。後に、この日が、彼の誕生日としてソ連の祝日となりました。

 第二次大戦直後、社会主義世界の“首領”としてのスターリンの権威は絶大で(余談ですが、1950年代までは社会主義者たちの間で“偉大なる首領”といえば、金日成のことではなくスターリンのことでした)、1949年の彼の70歳の誕生日(とされた日)には、社会主義諸国がこぞって記念切手を発行しています。今回ご紹介の切手もそのうちの1枚で、同図案で色違いの20円切手の2種セットで発行されたものの1枚です。

 さて、今回ご紹介の切手では、スターリンに対して「偉大的世界革命導師 中国人民最親摯的朋友」との賛辞がつけられていますが、これは、シベリアに抑留された日本人捕虜が1949年に作成した“感謝決議”の賛辞ともよく似ています。

 日本人抑留者による“感謝決議”は、1949年5月14日から8日間にわたってハバロフスクで開催された第2回ハバロフスク地方反ファシスト大会で、抑留4年目にして日本人の帰国が進んだことを受けてスターリンに贈ることが結滞されたもので、幅1メートル、長さ20メートルの絹布にシベリア民主化運動の経緯を描き、あわせて、“モスクワ・クレムリン ソヴェート諸民族の偉大なる指導者、全世界労働者の師父にして日本人民最良の友 スターリン大元帥”宛の感謝文が金糸で刺繍されています。

 その文言の一部を引用してみると、「無権利の旧日本軍将兵たりし私たちは、社会主義の国、ソヴェートの国で解放され、初めて自由を得、民主主義を学び知ったのであります」「厳粛に、私たちは宣誓します。私たちはアメリカ帝国主義、日本軍国主義のやからどもが、私たちを再び犯罪的奴隷兵士と化すことをもはや断じて許さぬであろうことを」「帝国主義者どもが歴史の教訓にこりることなく、諸民族の意志に抗し、再び犯罪的冒険をあえて犯すならば、そしてわが日本を世界労働者の祖国ソヴェート同盟にたいする犯罪的戦争の舞台に、植民地奴隷化の兵站基地に化さんとするならば、私たちは必ずや死をもおそれず決然とけつ起し、憎むべき帝国主義者どもの醜悪なる頭がいを打ち砕くべく起ちあがるであろうことを」といった具合です。

 自分たちを不法に抑留し、強制労働に従事させた最高責任者・スターリンに対して感謝し、あろうことか、彼の国のため、場合によっては祖国に対して刃を向けることさえ誓うという“感謝文”に署名した日本人は6万6434人います。その中には、完全に洗脳されてスターリン信者になった者もいたでしょうが、署名をしなければ“反動”“ファシスト”のレッテルを貼られて帰国できないと信じ込まされていた人の方が多かったと思われます。恐ろしい話です。

 ただし、もっとも、この感謝文が最終的にスターリンの元へと届けられることはなかったそうです。

 他人を蹴落としてまで独裁者に対する忠誠心を競い合わなければならない社会にあって、“人権”の埒外に置かれていた日本人抑留者がスターリンに対して感謝と忠誠を誓うということにでもなれば、ソ連の一般国民に対しては従来以上の忠誠心が要求されるはずです。そんなことは勘弁してくれ…というのが、この感謝文を受け取ったソ連側の当局者の本音だったのかもしれません。

 なお、シベリア抑留と関連の郵便物については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 大連で1万人を超えるデモ
2011-08-14 Sun 00:57
 中国・大連市で、きょう(14日)、化学工場の撤退を求めて市民1万人以上が抗議デモを行い、大連市政府も問題の工場に対して即時操業停止を命じ、工場の移転を確約せざるをえなくなるという事件がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        旅大・メーデー

 これは、1949年5月1日、中国共産党支配下の旅大(=旅順・大連)解放区で発行されたメーデーの記念切手で、気勢を上げる工場労働者が描かれています。ちなみに、印刷は大連日報社です。

 さて、大連では、先週8日の台風の影響により、問題となった化学工場の海側にある長さ600mほどの防波堤が決壊。工場から50mの地点にまで水が流れ込み、有毒物質が漏れ出す恐れがあったため周辺住民が避難を余儀なくされていました。

 今回のデモはこうした事態に対して抗議するためのもので、大連市庁舎前で午前中に始まり、午後になると参加者は若者を中心に1万人以上に膨れ上がったそうです。参加者たちは「工場はすぐに出て行け」などと叫び、工場を認可した当時の大連市トップの責任を追及し、動員された警官隊数百人とにらみ合いが続き、騒然となりました。

 おりしも、きょうは、中国が改修している旧ソ連製空母「ワリャーグ」が初めての試験航行を終え、母港・大連港に戻った日でもあり、市政府としては、市民らの抗議が地元政府を公然と批判するまでに発展した現実を踏まえ、秩序回復のため早期の事態収拾を図る必要に迫られ、異例の即時操業停止命令となったということのようです。

 いずれにせよ、中国国内では、急激な経済発展の陰で、共産党の一党独裁体制に対する潜在的な不満も高まってきていることは事実ですから、今回のデモが、今後、ほかの都市に波及することも十分に考えられます。それが、中国の民主化につながっていくのかどうかという点も含め、今後の動きに注目したいですな。


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 中国のデモ
2010-10-17 Sun 18:43
 きのう(16日)、中国四川省成都など3都市で沖縄県・尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件に抗議する大規模な反日デモが発生しました。中国での大規模な反日デモは2005年春以来のことです。というわけで、きょうは中国のデモを描く切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         530事件

 これは、1947年に中国東北部の共産党支配地域の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した“5・30事件22周年”の記念切手の1枚で、デモに参加する学生と労働者が描かれています。

 1925年5月14日、上海の日系企業・内外綿で、従業員の解雇問題をめぐる騒動から発砲事件が起こり、1人がなくなりました。さらに同月28日、青島で、日本の要請で出動した軍閥系の兵士が数名を射殺する事件が起こりました。
 
 このため、5月30日、上海でこれらの事件に抗議する学生デモが発生。租界の警察はデモ隊に対して一斉射撃を行い、死者13名、負傷者数十名、逮捕者53名を出すという事件になりました。これが、いわゆる5・30事件のあらましです。

 翌31日、中国の全国的な労働組織である中華全国総工会の地域組織として上海総工会が成立。総工会の呼びかけに呼応して、上海全市はゼネストに突入し、労働側は列強諸国や北京政府に対して17ヵ条の要求を突きつけました。その後、事件は南京、北京、天津、さらには広州と香港にも飛び火しました。

 さて、きのうの反日デモに関して、中国政府は「一部の大衆が日本側の誤った言動に義憤を表明した」(外務省スポークスマン)なとと説明しています。しかし、中国においては、政府の許可なしデモを行うことが不可能ですから(無申請のデモを行えば、即逮捕されます)、当然のことながら、今回のデモも官製デモであることはほぼ間違いありません。すでに、香港のメディアでは、今回のデモが各大学の学生会によって周到に準備されたものであるとのデモ参加者の証言が報じられています。中国の大学学生会はすべて政府や共産党の指導下にあり、自主的な政治活動は一切認められていませんから、まさに、馬脚を現したということになりましょう。

 なお、中国側が16日という日を選んだのは、東京の中国大使館前で、文字通り、“中国側の誤った言動に義憤を表明”するための大規模デモが行われることを察知し、同日の対抗デモを組織したためという見方が有力なようです。で、その日本側のデモについての報道が、日本の新聞・テレビでは極端に少ないように感じられるのですが、気のせいでしょうかねぇ。大手マスコミの多くが、左翼系の団体が天皇誕生日などに抗議行動を行うと参加者が数十人規模でも喜んで取り上げるのに、反中デモに2800人が集まってもあまり注目しないというのは、いったい、どういう理由なのでしょうか。取捨選択の基準があるというのなら、ぜひ、ご教示いただきたいものです。


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 シベリア特措法
2010-06-17 Thu 22:04
 きのう(16日)閉会となった国会で、第2次大戦後、旧満州から旧ソ連に連行され、シベリアやモンゴルで強制労働に従事させられた日本人の元抑留者に特別給付金を支給する特別措置法(シベリア特措法)が成立しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      41接収(遼寧加刷)

 これは、1946年4月1日、ソ連軍占領下の旅大地区(旧関東州)で、ソ連側が正式に旅大地区の日本郵政を接収したことと5月1日のメーデーを一括して記念するために発行された切手を台紙に貼って、大連郵政局の記念印を押したものです。

 1945年8月9日、日本に対して宣戦布告を行ったソ連は、8月14日、中国国民政府(国府)との間に、①対日戦遂行に関する相互援助(降伏文書の調印によって戦闘が正式に停止となるのは9月2日のことです)、②単独不休戦・不講和、③日本の再侵略を防止するためのあらゆる措置の共同での行使、④相互の主権と領土保全の尊重、などを規定した中ソ友好同盟条約を調印(同24日から発効)。条約本文とあわせて、中ソ両国は、ソヴィエト政府が中華民国に対する援助を(すべて中華民国の中央政府たる国民政府に対して)与えることを誓約した交換公文、長春鉄道に関する協定、旅順口に関する協定、東三省に関する協定を調印。その結果、ソ連はいわゆるヤルタ協定の密約を国府に認めさせることに成功します。ちなみに、国府の代表が参加していなかったヤルタ協定では、米英ソ三国の間で、中ソ関係に関しては、①外蒙古の現状維持=モンゴルの独立承認、②大連港の国際化とソ連の海軍基地としての旅順口の租借権回復、③中ソ合同会社の設立による東支鉄道と南満洲鉄道の共同運営、④満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護、が決められていました。

 中ソ友好同盟条約の締結交渉の際、ソ連は日本降伏後3週間以内に東三省から撤兵を開始し、3ヵ月以内に撤退を完了するとのスターリン声明を出していました。具体的には、1945年11月14日までに南部満洲、同20日までに中部満洲、そして、12月3日までには全満洲から撤退するというスケジュールです。

 しかし、実際にはソ連軍はさまざまな口実を設けて、1946年4月まで満洲に居座り続けました。この間、多くの日本人男性が名目をつけて連行され、シベリアでの強制労働に従事させられたことは周知のとおりです。

 こうした“人狩り”と併行して、ソ連軍は各地で略奪を働きました。

 まず、新京の満洲中央銀行の金庫から、旧満洲国の紙幣である満銀券約7億円(1945年8月の時点での通貨発行高は81億5750万円)、有価証券75億円、金塊36キロ、白金31キロ、銀塊66キロ、ダイヤモンド計3705カラットが持ち出されたのをはじめ、各地の金融機関では、現金・有価証券・貴金属類が根こそぎ“没収”されたほか、日本人の民家に押し入り金品を強奪する事件(時計と万年筆は例外なく没収されたといわれています)が横行しました。

 郵便に関しては、占領ソ連軍は郵便局から旧満洲国の切手類を接収し、その一部は、1946年4月にソ連軍が旧満洲国の領域から撤退した後もソ連側が管理し続けていた旅大地区(旧関東州)に持ち込まれ、現地で接収された日本切手とともに、さまざまな加刷を施して使用されています。今回ご紹介している切手と記念印も、そうした事情によるものです。

 記念印は、記念銘を周囲にめぐらした中に、旅大区の地図と国府の旗である晴天白日旗を配したデザインとなっており、ソ連側は国府の主権を尊重するという建前が守られています。また、地図の部分を良く見ると、耕作する農民の姿が小さく描かれているが、これは共産主義政権下で行われる土地改革(地主・富農の土地を没収して貧農・小作人に分配すること)が旅大地区でも進行していることを表現しようとしたものでしょう。

 もっとも、本国へと持ち去ることのできない土地に関しては貧農・小作人に分配することもあったソ連占領当局でしたが、略奪の可能な鉱工業の機械設備類に関しては、彼らは、旧満洲国ならびに関東州の各都市の工場施設からは、膨大な“戦利品”を持ち去っていきました。

 1946年6月に派遣されたアメリカのポーレー委員会によると、全満洲でのソ連軍の撤去または破壊による工業別の被害は、電力:71%、炭鉱:90%、鉄鋼:50%以上、鉄道:80%、機械:75%、液体燃料:50%、化学:50%、洋炭:50%、非鉄金属:75%、繊維:75%、パルプ:30%、電信電話:20%以上、であり、被害総額は1ドル=4円20銭のレートで計算して8億9350万ドルにも達したといわれています。

 今回、シベリア特措法が成立したことによって、酷寒の地で理不尽な苦難を強いられた元抑留者の方々に対する事実上の補償の道が開かれたことは、それなりに評価すべきことだと思います。ただし、“史上最大規模の拉致事件”ともいうべきシベリア抑留の加害者は、日本政府ではなく、ソ連であったことは忘れてはなりません。したがって、恒例となった元抑留者に支援の手を差し伸べ、彼らの労苦に報いるのと同時に、シベリア抑留の全容と真相の解明をロシア側に求め、彼らの責任を明らかにする努力を怠ってはなりません。特に、故国の地を踏めずに命を落とした方々や遺族の無念に報いるためにも、誰が、いつ、どこに埋葬されたか、消息不明者を含めての調査は急務といえましょう。

 なお、旧満洲国崩壊後の切手や郵便については、拙著『満洲切手』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


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 中華人民共和国60年
2009-10-01 Thu 09:16
 1949年10月1日に中華人民共和国が建国を宣言してから、きょうでちょうど60年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 新中国成立(旅大)

 これは、1949年11月1日、中国共産党支配下の旅大(=旅順・大連)解放区で発行された“中華人民共和国成立”の記念切手で、毛沢東と新中国の成立を歓迎する人民が描かれています。

 第2次大戦後の国共内戦の結果、中共が国府(国民政府)を打倒して中国大陸を制圧し、中華人民共和国が建国されたわけですが、1949年10月1日に北京で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したときには、北京政府が現在の中華人民共和国の領域をすべて掌握していたわけではありません。

 すなわち、建国宣言の時点では、国府はまだ大陸に残って中共との戦いを続けており、国府も重慶に残っていました。ちなみに、中共が重慶を占領したのは11月30日のことで、国府が台北を臨時首都とすることを決議したのは12月4日(正式な移転は7日)のことでした。

 また、中共側がすでに“解放”していた地域でも、1949年10月以降も北京政府の発行する人民幣ではなく、現地のローカル通貨がしばらく使われていたケースがあり、そうした地域では、当然のことながら北京の中国人民郵政が発行するものとは別の切手が使用されていました。

 今回ご紹介の旅大地区では、1949年10月の時点では関東幣と呼ばれるローカル通貨が使用されていましたが、1950年7月以降、関東幣は東北地域全体に共通の東北幣に吸収されることになります。この東北幣が、中華人民共和国の成立後もしばらくは流通していたことは、初期の新中国切手に“東北貼用”の切手が存在することからも実感としてご理解いただけるものと思われます。

 さて、切手では、人民が共産中国の成立を歓呼して迎える図が描かれています。たしかに、国共内戦末期、国府の支配下ではハイパーインフレが進行し、政府関係者の腐敗も深刻な状況でしたから、ともかくも国府はやめてほしいという空気が中国大陸に蔓延していたことは事実でしょう。ただし、国府に代わって大陸を支配した毛沢東の中共の下で、人民の生活が国府の時代に比べて改善されたかというと、そのあたりは判断に悩むところです。まぁ、国府が遷移した台湾に関しても、1980年代までは戒厳令が敷かれており、国民党の一党独裁体制下で言論の自由などはかなり制限されていましたが、それでも大躍進の失敗による飢餓の蔓延や、社会的な大混乱を巻き起こした文化大革命などはありませんでしたから、民主化以降はいうに及ばず、戒厳令下であっても、大陸にくらべればかなりましだったといえるでしょう。

 なお、現在の中国共産政府は、抗日戦争に主導的な役割を果たした中共が、その余勢をかって国府を破り、中華人民共和国を建国したという歴史観に立っており、この文脈に沿って“日本軍国主義”ないしは“日本帝国主義”を非難し続けているわけですが、かつて、毛沢東は次のように述べています。

 私は日本の友人に話したことがあります。彼らは言いました。誠に申訳ありませんでした、日本皇軍は中国を侵略しましたと。(1964年7月に日本社会党左派グループの代表団が訪中し、後に同党委員長となる代表の佐々木更三が、日本の過去の中国侵略について「非常に申し訳なく思っております」と頭を下げたことを指す)わたしはいったのです。

 いいや!あなたがた皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、あなたがたに対抗することはできなかったし、中国共産党は政権を奪取することができなかった。したがって、日本皇軍はわれわれにとって、ひじょうに優れた教員であったし、あなたがたの教員でもあったと」

 毛沢東の発言は逆説的な表現ではありますが、それでも、旧満洲国の遺産が、1949年以降の新中国建設にとって重要な役割を果たしたことなどを考えると、単なる皮肉と切り捨てるわけにはいかないでしょう。この点については、拙著『満洲切手』でもいろいろと論じてみたことがありますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 打破専制枷鎖 争取民主自由
2009-05-04 Mon 21:49
 1919年に中国でいわゆる“五四運動”が起こってから、きょうでちょうど90年です。というわけで、五四運動がらみのモノということでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 五四運動(解放区・タテ目打もれ)

 これは、“五四運動”28周年にあたる1947年5月4日、中国東北部(満洲)における“解放区”(共産党支配地域)の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した記念切手です。このとき発行された切手は10円・30円・50円の3種で、デザインはすべて抑圧の象徴である鎖を断ち切る斧を描くモノで、両脇に「打破専制枷鎖 争取民主自由」(専制の鎖と枷を打破して民主と自由を奪い取ろう)とのスローガンが入っています。まぁ、きょうは“みどりの日”でもありますし、そのうちの10円の切手のタテ目打もれのペアを持ってきました。

 いわゆる“五四運動”は、第一次大戦中、ドイツに宣戦布告した中華民国は“戦勝国”であるにもかかわらず、パリ講和会議において旧山東省の旧ドイツ権益が中国側に返還されず、大戦中の既成事実をもとに日本に譲渡することが認められたことに対して、北京の学生数千人が1919年5月4日、天安門広場からヴェルサイユ条約反対や親日派要人の罷免などを要求してデモ行進をしたり、曹汝霖宅を焼き討ちにしたりした事件です。

 現在の中国共産政府は、中国共産党が五四運動の影響から誕生したこともあって、この事件をナショナリズムが真に大衆化した転機として高く評価しています。しかし、実際に五四運動のときのように、学生たちの矛先が体制批判に向かうことに対しては容赦のない弾圧が繰り返されています。

 たとえば、いまから20年前の1989年5月4日は五四運動の70周年にあたっていましたが、その直前の4月の胡耀邦(元総書記)の死を悼むかたちで、政府・党幹部の腐敗と汚職、小平による人治(超法規的な君臨)への不満から、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生しています。これに対して、中国政府は5月19日に北京に戒厳令を布告。6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲し、民主化運動を力ずくで鎮圧したことはご記憶の方も多いことでしょう。

 いわゆる1989年の天安門事件に限らず、共産党政権の下で自由や民主を求めてきた人々がたどってきた運命を思い起こしてみると、今回ご紹介の切手に印刷されている「打破専制枷鎖 争取民主自由」というスローガが、なんとも強烈なブラック・ジョークにしか思えないのは、決して僕だけではないだろうと思います。


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 “7・7”70年
2007-07-07 Sat 01:26
 今日は07年7月7日のスリー・セブンの日。おまけに、日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件から70周年ということで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

七七抗戦紀念

 これは、1946年7月7日、ソ連占領下の旅大地区(旧関東州)で発行された“七七抗戦紀念”の切手3種のうちの1枚です。

 第2次大戦末期のヤルタ会談では、米英ソ三国の間で、①外蒙古の現状維持=モンゴルの独立承認、②大連港の国際化とソ連の海軍基地としての旅順口の租借権回復、③中ソ合同会社の設立による東支鉄道と南満洲鉄道の共同運営、④満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護、が秘密協定として決められていました。

 1945年8月9日、日本に対して宣戦布告し、満洲への侵攻を開始したソ連は、8月14日、中国国民政府との間に、①対日戦遂行に関する相互援助(降伏文書の調印によって戦闘が正式に停止となるのは9月2日のことで、この時点では戦争は継続している)、②単独不休戦・不講和、③日本の再侵略を防止するためのあらゆる措置の共同での行使、④相互の主権と領土保全の尊重などを規定した中ソ友好同盟条約を調印(同24日から発効)。さらに、条約本文とあわせて、ソヴィエト政府が中華民国に対する援助を(すべて中華民国の中央政府たる国民政府にたいして)与えることを誓約した交換公文、長春鉄道に関する協定、旅順口に関する協定、東三省に関する協定などが中ソ両国の間で調印されました。この結果、ソ連はヤルタの密約を国府に認めさせることに成功します。

 これを受けて、ソ連の占領下に置かれた旅大地区には、ソ連軍が旧満洲で接収した切手が持ち込まれ、現地で接収された日本切手とともに、さまざまな加刷を施して使用されています。

 今日ご紹介している切手もその一例で、盧溝橋事件9周年にあたる1946年7月7日に“七七”の日付と“抗戦紀念”の文字が加刷されています。占領当局としては、日本支配の痕跡を払拭し、旅大地区が日本の支配から“解放”されたことをアピールするため、“抗日戦争”の意義を強調するような加刷を行ったものと考えて良いでしょう。

 こうした旅大地区の終戦直後の郵便事情については、拙著『満洲切手』でも簡単にではありますが、まとめてみたことがあります。ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。
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 西安事件70年
2006-12-12 Tue 00:51
 今日(12月12日)は、1936年に張学良が、抗日よりも反共を優先していた蒋介石を幽閉して説得し、共産党との内線の停止を約束させた西安事件から70周年の記念日にあたります。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

西安事件10周年

 これは、1946年12月、中国東北部(旧満洲に相当)の中国共産党(中共)支配地域の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した“双十二節(いわゆる西安事件の中国側の呼称)10周年”の記念切手です。

 西安事件のあらましについては以前の記事でもご説明しましたが、この事件は、蒋介石にとっては屈辱的な事件であった半面、国府軍の攻撃で崩壊寸前の危機にあった中共にとっては、抗日戦争という文脈においてみずからの基盤を確立させるうえでの起死回生の出来事となったものです。

 それゆえ、中共側が事件から10周年の節目にあたり、自らの支配地域で西安事件の記念切手を発行するのも当然といえるのですが、実際に発行された切手のデザインは、非常に興味深いものです。

 すなわち、切手には、満洲を拠点とする狼になぞらえられた日本軍と、獅子になぞらえられた共産党(と同党を支援する人民)の双方から責められて右往左往する蒋介石が描かれています。このデザインは、蒋の採っていた“安内攘外(先に共産党を打倒してから、日本軍と戦う)”政策を皮肉ったものだが、抗日戦争の終結後、蒋介石が共産党攻撃(内戦)を再開したことを非難する意図も込められているのは一目瞭然です。

 したがって、見方によっては、この切手は中共にとっての目下の最大の敵である蒋介石を前に、“敵の敵”である中共と日本軍(ないしは満洲国)が手を結んでいる構図に見えないこともありません。実際、逆説的な意味ではあるのですが、毛沢東は次のように述べて、“日本軍のおかげ”論を展開しています。

 私は日本の友人に話したことがあります。彼らは言いました。誠に申訳ありませんでした、日本皇軍は中国を侵略しましたと。(引用者註:一九六四年七月に日本社会党左派グループの代表団が訪中し、後に同党委員長となる代表の佐々木更三が、日本の過去の中国侵略について「非常に申し訳なく思っております」と頭を下げたことを指す)わたしはいったのです。
 いいや!あなたがた皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、あなたがたに対抗することはできなかったし、中国共産党は政権を奪取することができなかった。したがって、日本皇軍はわれわれにとって、ひじょうに優れた教員であったし、あなたがたの教員でもあったと」
(毛沢東「日本社会党人士と会見したときの談話」一九六四年七月十日 『毛沢東 外交路線を語る』より)

 こうしたことを考えると、満洲国を作って中国を侵略した日本軍が一方的に悪で、これに抵抗した中国の人民は純粋に善であるといえるほど、歴史の実相は単純なものではないのだということをあらためて思い知らされます。

 さて、今年9月に刊行の拙著『満洲切手』では、そうした満洲国をめぐる複雑な歴史の諸相を切手や郵便物を使って読み解いてみました。ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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