内藤陽介 Yosuke NAITO
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 カナダ×香港×返還
2017-07-01 Sat 16:46
 1997年7月1日に香港の主権が英国から中華人民共和国へ返還・再譲渡されてから、今日でちょうど20周年です。で、ことしは1867年7月1日にカナダ自治領が発足し、現在のカナダが建国されてから150周年ということでもありますので、カナダと香港と返還(return)の三題噺で、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      カナダ・香港宛捕虜郵便(返戻便)

 これは、第二次大戦中、カナダから香港・赤柱に抑留されていた英国籍の民間人宛の郵便物で、郵便物取扱停止のため差出人戻しになったことを示す“NO SERVICE/ RETURN TO SENDER”の角印が、カナダのメータースタンプの上に押されています。

 日英開戦後の1941年12月25日、英領香港を占領した日本軍は香港各地に収容所を設置。香港島の七姉妹道、深水埗、九龍の亜皆老街の3ヵ所にカナダ軍を含む英連邦軍の捕虜を、香港島南東部の赤柱(スタンレー)に香港政庁の文官、一般市民などを、そして九龍の馬頭涌道にインド国籍の兵士を、それぞれ収容していました。

 ちなみに、当時の香港にカナダ軍がいたのは、日英開戦直前の1941年11月16日、日本の香港進攻に備えて、カナダから派遣された旅団司令部、通信中隊、歩兵二個大隊が香港に到着し、英領バルバドスから赴任してきたばかりの新総督マーク・ヤングの下に合計1万2000名からなる香港防衛軍が編成されていたためです。

 今回ご紹介のカバーの宛先となった赤柱の収容所は1942年1月に開設されました。終戦翌日の1945年8月16日に解放されるまでの間、2800人が収容されており、そのうち英国籍の収容者が2325人から2514人と圧倒的多数を占めていました。なお、その内訳は成人男性1370人、同女性858人、16歳以下の少年が286人(うち、4歳以下の乳幼児が99人)という構成になっていました。また、収容所で亡くなったのは121人ですが、その大半は病死で、死者の半数は50歳以上でした。ただし、1945年1月16日の米軍の空襲で亡くなった人も14人います。

 なお、第二次大戦中の香港と郵便については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。また、香港01には「郵票和明信片中的『三年零八個月』」と題して、拙著の内容を紹介する中文記事もアップされていますので、宜しかったら、こちらも併せてご覧ください。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 昭和切手75年
2012-05-10 Thu 23:19
 1937年5月10日に第1次昭和切手のトップを切って乃木希典を描く2銭切手が発行されてから、きょうでちょうど75年です。というわけで、きょうは、最近入手した昭和切手関連のマテリアルの中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        香港・暫定加刷カバー

 これは、1945年6月16日、日本占領下の香港から廣州宛に差し出された書留便で、昭和切手に加刷した暫定切手が8円分(乃木2銭に加刷した3円切手+東郷5銭に加刷した5円切手)が貼られています。

 第二次大戦中、日本軍の占領下に置かれていた香港では、住民は日本の軍票を使うことが強制され、香港ドルは所有さえしてはならないということになっていました。

 日本の戦争が中国大陸にとどまっていた時期は、日本軍は各種の工作(大雑把にいえば、一種の“通貨介入”が中心になります)を行い、中国国民政府の通貨である法幣に対して軍票の価値を維持しようとしていました。しかし、戦時インフレの進行により、日本側は大陸での軍票の価値維持工作を断念。1943年3月いっぱいで、中国の華中・華南地区での軍票の使用を取りやめました。

 その後、中国大陸で使われなくなった大量の軍票は、そのまま、香港に流れ込みます。太平洋戦争開戦後の占領地域では、中国大陸と違い、日本軍は軍票の価値を維持するための工作を全く行いませんでした。このため、ただでさえ、占領下の戦時インフレに悩んでいた香港では、猛烈なハイパー・インフレが発生。その結果、たとえば、郵便料金一つとっても、1942年の占領当初には香港域内ならびに日本・南方占領地・満洲・中国大陸宛封書の基本料金は4銭でしたが、1945年4月には3円にまで暴騰してしまいます。このため、急いで郵便料金に相当する切手を発行しなければならなくなった占領当局は、日本から持ち込んだ切手に新料金に相当する金額と“暫定”ならびに“香港総督部”の文字を加刷した切手を発行しました。

 今回ご紹介のカバーは、基本料金の3円と書留料金の5円のそれぞれに相当する切手がきっちり貼られています。表裏に押されている印を見ると、このカバーは6月16日に香港から差し出された後、6月22日にはいったん廣州に到着したものの、受取人不在で一定期間郵便局に保管されたのち、7月5日に廣州局から香港に戻され、7月18日に香港に帰着したことがわかります。データがきちんとしていることに加え、姿もなかなか良いので、最近入手したマテリアルの中ではお気に入りの一点です。

 さて、6月18日から、ジャカルタで世界切手展<INDONESIA 2012>が開催されますが、同展には、僕も“A History of Hong Kong”と題するコレクションを出品する予定です。今回の出品作品は、2008年にルーマニアのブカレストで開催された世界切手展<EFIRO 2008>のオープンクラスに出品して金銀賞(スコアは88点ですが、オープンクラスは“大金銀賞”が存在しないため)を受賞した作品を、テーマティク・コレクションとして再構成した内容となっています。部門の変更ということで、“資格なし”として出品申し込みが受け付けられないことも覚悟していましたが、主催者側のご厚意で受け付けていただき、ありがたい限りです。

 なお、今回の作品では、きょうご紹介のマテリアルも含め、5年前の拙著『香港歴史漫郵記』刊行後に入手したマテリアルも大幅に追加しました。今回のインドネシア展を皮切りに、昨年の横浜展を花道に引退した“昭和の戦争”に代わる国際展用のコレクションとして、育てていければ…と思っているところです。

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 香港・最近の入手品
2009-07-01 Wed 23:16
 きょう(7月1日)は“香港返還“の記念日です。というわけで、最近入手した香港関係のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 香港3回配達カバー

 これは、日本占領下の1943年1月、香港島の“東昭和通”(輔道、デボー・ロード)から西営盤宛てに差し出された郵便物ですが、名宛人が指定の住所にいなかったため、郵便局に持ち帰り、再度配達しようとしたものの、またもや持ち帰り、3度目に配達を諦めて差出人戻しとなったカバーです。カバーの上に貼られている香港郵便局の付箋には、1月29日・30日とこの郵便局を持ち帰ったことを示す表示がなされています。

 もともと、香港では生産人口が少なく、住民の多くは、商業を含めて物資の流通に関わって生計を立てていました。しかし、日本軍の占領によって海外との交通は途絶し、香港は流通の拠点としての機能を喪失。日中戦争以来、大量の人口流入が続いていたこともあって(いわゆるホームレスも多く、正確な数字は算出できませんが、日本軍による占領時には“200万になんなんとした”という表現がさかんに用いられています)、占領地香港はその経済力に比して明らかに人口過剰となっていました。このため、総督部は「無為徒食の華人を管外に帰郷せしむる」として、少なくとも2年間で97万3000人の住民を香港から追い出しています。これが、いわゆる人口疎散政策です。

 このカバーの名宛人が元の住所に居住していなかった理由はわかりませんが、当時の状況から考えると、疎散政策のゆえに香港を離れた可能性が高いのではないかと僕は考えています。このカバー同様、永安銀行が差し出したものの差出人戻しとなったカバーの中には、宛先不明で差出人戻しとなっているモノも少なくないのですが、このように付箋が貼られているもの以外にも、“住址不詳”および“退回原寄局”の印が押されているだけのモノもあります。

 なお、日本占領時代の香港と郵便については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと書いてみましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 <HONG KONG 2009>受賞速報
2009-05-17 Sun 07:23
 14日から始まったアジア国際切手展<HONG KONG 2009>もいよいよ最終日です。昨日はパルマレスも行われ、以下のように各賞も決まりました。とりあえず、日本人出品者の受賞速報が出ていないようなので、掲載しておきましょう。受賞者の皆様にはお祝い申し上げます。

 なお、リストに誤りなどがあったらご容赦ください。フレーム番号順にアルファベットで敬称略のお名前(苗字は大文字)、点数:賞、の順です。

 FUKUI Kazuo 83:V
 HAYASHI Kunihhiro 83:V
 IIDA Fumio 83:V
 ITOH Sumihide 83:V
 NISHIKAWA Satoshi 88:LV
 SUDANI Nobuhiro 78:LS
 OHBA Mitsuhiro 85:LV
 INOUE Kazuyuki 96:LG + SP
 KOMIYAMA Satoshi 84:V
 NISHIO Akira 92:G
 NAITO Yosuke 85:LV

 この結果を踏まえて、現在の僕の心境を表す香港がらみのマテリアルとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 自沈するテーマ―号

 これは、1942年12月8日の開戦1周年に際して香港占領地総督部が発行した記念絵葉書の1枚で、香港のイギリス海軍の司令部として用いられていたテーマー号(添馬艦)が自沈する場面が取り上げられており、開戦1周年として非常にわかりやすい内容です。

 太平洋戦争開戦直前の香港では、日本軍がまさか香港を攻撃するはずがないし、仮に攻撃を受けても簡単に一蹴できるだろうという根拠のない楽観論が満ち溢れていました。しかし、実際には開戦からわずか18日で香港は陥落し、以後、3年8ヶ月にわたって日本の占領下に置かれることになります。まぁ、相手を甘く見ていると痛い目にあうのだという自戒の意味をこめて、持ってきました。

 僕個人としては、今回の切手展には過去2回の世界切手展(2001年の東京、2006年のワシントン)で金賞を受賞した作品を出品しましたので、金賞は固いと踏んでいたのですが、まさかの大金銀賞落ち、しかも点数ではワシントンの91点から大幅ダウンの85点という結果になり、正直に言うと、かなりショックでした。

 今回の敗因は、基本的には僕の力不足ですが、それ以外にも、FIPとFIAP(少なくとも今回の担当審査員)との間で、テーマティク・コレクションの概念について根本的な相違があるという面も否定できないようです。このあたりの事情については、いずれ、きちんとしたレポートをまとめるつもりです。

 なお、きょうは16:30に切手展がクローズした後、作品の撤去という大仕事が残っています。まぁ、いつまでも落ち込んでいても仕方ありません。気を取り直して、頑張らないと。 

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 香港に行ってきます
2009-05-11 Mon 14:08
 きょう(11日)の夕方から18日まで、アジア国際切手展<HONG KONG 2009>(会期は14-17日)に参加のため、香港に行ってきます。今回は、2011年に開催予定の東京での世界切手展のリハーサルのつもりで、“Japan and the 15 years' War 1931-45”を出品します。というわけで、今回の作品の内容に近いところで、”香港宛”のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 香港宛捕虜郵便

 これは、第二次大戦中、日本軍の捕虜になったイギリス側の香港歩兵旅団パンジャブ第14連隊第2大隊(英印軍)の大尉宛の捕虜郵便です。

 第二次大戦中、日本軍の占領下に置かれていた香港では、香港島の七姉妹道(ツァツムイ・ロード)、九龍の深水埗(シャムシュイポ)、亜皆老街(アーガイル・ストリート)の3ヵ所にカナダ軍を含むイギリス軍の捕虜が、赤柱(スタンレー)に香港政庁の文官、一般市民などが、そして九龍の馬頭涌道(マタウチュン・ロード)にインド国籍の兵士が、それぞれ収容されていました。

 このカバーは、1942年12月、イギリスのブリストルから差し出されたもので、まず、イギリス側で開封・検閲を受けています。その後、赤十字経由で東京の捕虜情報局を経て亜皆老街の収容所に送られ、収容所での検閲(カバーの右側には“香港俘虜収容所 檢閲済”の印があります)を受けた後、名宛人に渡されました。カバーの裏面には“1943年12月10日午後6時45分受取”との記述があります。

 戦時下のさまざまな制約の中で、1年間という時間はかかっているものの、ともかくも、このカバーは香港まで到着しています。新型インフルエンザ騒動などもあって、いろいろとややこしいことも多いでしょうが、まずは、僕もコレクションと一緒に無事、現地までたどり着きたいものです。
 
 なお、今回ご紹介のカバーは香港展に出品の作品中に含まれているものではないのですが、日本占領時代の香港については、拙著『香港歴史漫郵記』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 * 香港へは自分のパソコンを持って行き、あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元に、いつもどおり毎日1本ずつ記事を書いていく予定ですが、現地のネット環境等により更新できないことがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 東京スタンペックス2008
2008-09-18 Thu 11:59
 きょう(18日)から、東京・大手町のていぱーくで開催中の東京スタンペックス2008の第3幕がスタートします。僕も、今年6月のルーマニアでの国際展に出品した作品「香港の歴史(A History of Hong Kong)」を出品していますが、その中から、こんな1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 香港占領

 これは、1943年9月8日、日本占領下の香港から中立国のマカオ宛に差し出されたカバーで、日光東照宮の陽明門を描く10銭切手が2枚貼られています。

 第二次世界大戦中、日本軍は中立国ポルトガル領のチモール島を占領しましたが、マカオに関しては、“国際社会への窓”として活用したいという意図があったため、海上封鎖こそ行ったものの、あえて占領はしていません。

 占領当初の香港では、イギリス時代の香港ドルと日本の軍票が併行して流通させられていましたが、1941年12月末から九龍で、翌1942年1月から香港島で、軍票1円に対して香港ドル2円の割合で交換が開始されます。この交換レートは、同年7月には軍票1円に対して香港ドル4ドルへと変更され、香港ドルを駆逐して軍票を占領香港の基軸通貨とするプランが着々と実行に移されていきました。公租公課の納入が軍票に限定され、軍票需要者に対する軍票交換所が設けられたのもこの時期の出来事です。

 さらに、1943年7月以降、占領香港の行政機関である香港占領地総督部は香港ドルの使用を全面的に禁止し、住民に対して香港ドルをすべて軍票交換に交換することを義務づけます。その際に発せられた総督令には「軍票の流通を拒んだり、香港ドルを隠し持ったりしている物は厳罰に処する」との内容の文面があり、憲兵政治の下で、香港の住民が軍票の使用を余儀なくされていた状況がうかがえます。

 こうして住民から回収された香港ドルは、国際的には、イギリスの信用により価値が維持されていたため、中立国のマカオでの物資購入の資金に充てられました。日本軍がマカオをあえて占領せず、“国際社会への窓”として活用しようとしたのもこのためです。

 もっとも、太平洋戦争中も香港とマカオの間では(制度上は)戦前同様、交通・通信が行われていたため、日本軍がマカオで使用した香港ドルが、まわりまわって、香港へと戻ってきて、占領当局を苛立たせることも少なからずあったようですが…。

 さて、江戸悪奴会は日本切手専門収集家のグループで、今回の展覧会も見応えのある展示が並んでいます。「香港の歴史」と題した僕の作品なんかは、本来、出る幕ではないのですが、まぁ、こんな感じの日本関連のマテリアルも展示されているということで許してやってください。

 なお、占領時代の香港(=香港で日本切手が使われていた時代)に関しては、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと書いていますので、よろしかったら、ご一読いただけると幸いです。


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 登録審査員による切手展
2008-06-21 Sat 10:48
 きょう・あす(21・22日)の2日間、東京・目白の切手の博物館で、<登録審査員による切手展 ’08>が開催されます。僕は、現在ルーマニアにいて東京にはいないのですが、今年3月のアジア国際切手展<TAIPEI08>に出品した作品“Making of Pacific-Asian Order from WWII to the EarlyPeriod of the Cold War”(邦題:“戦後”の誕生)を展示しています。そのなかから、現在、ブカレストに展示中の“A History of Hong Kong”でも使っているため、東京の会場ではカラーコピーの展示になっているものについて、ここでご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 英軍再上陸

 これは、第二次大戦直後、香港に再上陸したイギリス軍の野戦局から差し出されたカバーです。裏面には、香港から差し出されたことを示すNo222の印が押されていますので、そちらの画像も下にアップしておきましょう。

 カバー裏面

 第二次大戦中、香港は日本軍によって占領され、イギリスはその支配権を失いました。しかし、イギリスは、戦後、香港の支配を復活させることを露ほども疑っておらず、イギリス支配の中断を機会に香港を回収しようとする中国と対立していました。

 このため、1942年から始まった中国に対する不平等条約の改正交渉では、新界問題をめぐって英中間で激しい応酬がありましたが、最終的には中国側が妥協し、「戦勝後にその将来について再交渉する」というかたちで問題は棚上げされました。「九龍(新界)問題だけのために、新条約がふいになり、さらには連合国の団結にひびが入ることのないよう譲歩した」というのが蒋介石の弁です。
 
 もっとも、日本軍の降伏に際して中国が力ずくで香港を回収してしまえば、状況が一変する可能性は少なからず残されていました。

 1945年8月15日、昭和天皇が“終戦”を正式に発表すると、重慶政府は翌16日、香港の日本軍の降伏を受け入れるとの声明を発表。すでに8月11日、アメリカは中国に対して、北緯16度線以北の“中国戦区”内の日本軍は中国当局に降伏するようにとの命令を連合国軍最高司令官の名義で出すことを約束していました。ただし、中国は「香港における日本軍の降伏受理は中国戦区の統帥部が行うが、中国政府は香港に対してなんら領土的野心を持っておらず、香港の問題は最終的に外交交渉を通じて解決されるべきである」とイギリスに伝えており、新界の返還問題はとりあえず棚上げにする姿勢を示しています。

 すでに、終戦とともに中国大陸の各地では、日本軍の降伏受理をめぐって、国民党と共産党が激しい主導権争いを演じており、蒋介石としては、とりあえず香港で日本軍の降伏受理を行って、共産党との主導権争いを有利に進めたいとの思惑がありました。来るべき共産党との内戦に備え、共産党が旧日本軍を接収した地域で占領軍として居座るということだけは、何としても阻止したいというのが、彼の本音です。

 一方、蒋介石が共産党による占領の既成事実化を恐れたのと同様に、イギリスも蒋介石の軍隊が香港に駐留し、それを既成事実として香港に居座ることを恐れていました。

 このため、すでに1943年から、イギリスは香港計画局を設立し、戦後の香港統治再開に向けて動き出していたが、一九四五年五月には、中国軍の香港進駐を阻止するために香港計画局の軍備化に着手。1945年8月16日、赤柱の収容所で日本の降伏が発表された際、戦前の行政長官だったフランクリン・ギムソンは自分が香港の臨時総督であると宣言しています。

 これ受けて、8月20日、イギリス政府は、香港での日本軍の降伏受理はイギリス側が行うことを表明。結局、英中の対立は、中国政府が香港占領のために軍隊を派遣しないという前提の下、イギリス側が投降接受の委託を中国側から受けるという形式を取ることで妥協が成立。8月29日にイギリス軍が進駐することになったというわけです。

 なお、第二次大戦中の香港をめぐる米英中ソの連合諸国の駆け引きについては、拙著『香港歴史漫郵記』でもご説明しておりますので、よろしかったら、ご一読いただけると幸いです。

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 ホンモノだけどニセモノ
2007-12-14 Fri 09:41
 年末になると発表される“今年の漢字”ですが、2007年は、相次ぐ食品の偽装表示などを反映してか、“偽”が選ばれたそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ルース・カバー

 これは、日本軍占領下の香港で使われた風を装った“ルース・カバー”と呼ばれているものです。

 第2次大戦中、日本軍の直轄植民地とされた香港では、日本本土と同じ切手が使用されていました。こうした使用例は、日本切手の収集家にとって興味深い収集対象として人気があり、戦時中から、通常の国内使用例に比べて高値で取引されてきました。たとえば、現在の相場でも、このカバーの一番右側の7銭切手の場合、ごくごくフツーの使用済みは1枚数十円で買えますが、香港で使われたことがハッキリわかるものだと、2000~3000円くらいはするでしょう。ちなみに、未使用の切手は1枚150円くらいです。

 このような事情があったところに、終戦から10年ほど経過した1956年、突如として日本切手の香港での使用例が大量に日本・イギリス・香港のマーケットに出現します。

 このとき出現した使用例の多くは、エアメールの封筒に日本切手が貼られたもので、宛名の大半は“Mr. H. da Luz, 64, Macdonnell Road, Hong Kong”となっていたことから、名宛人である切手商の名を取ってルース・カバーと呼ばれています。

 ルース・カバーの真偽については、その出現当初からさまざまな議論があったのですが、さまざまな検証の結果、現在では、戦後、香港に残されていた大量の日本切手を戦後のインフレにより安価に手に入れたルースが、何らかの手段を使って入手した真正の消印を用いて日本占領時代の封筒に見せかけて変造したものということで概ね決着しています。

 今回ご紹介しているのは、そうしたルース・カバーの一例で、1944年に発行されたはずの東郷平八郎の7銭切手に1943年の消印が押されているものです。これなら、真っ赤なニセモノであることが一目瞭然といえましょう。

 このように、未使用切手と使用済やカバーの値段に大きな隔たりがある場合には、当然のことながら、一儲けをたくらんで偽造品を作る輩は後を絶ちません。特に、ルース・カバーのように、切手も消印もホンモノだけれど、カバーとしてはニセモノというケースは非常に厄介で、頭の痛いところです。ちなみに、最近では、ルース・カバーに貼られていた切手を切り取って、消印の読めるオンピースの状態でオークションに出品するというケースもあります。これだと、切手も消印もホンモノなので、売り手は“真正品”だと主張しますから、始末が悪いですね。

 なお、日本軍占領下の香港での切手や郵便については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと解説しています。拙著の図版に使っているブツにはニセモノはない(と思います)ので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
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 香港の競馬と日本軍
2007-12-01 Sat 01:53
 本日(12月1日)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」の13:20スタートのセッション「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。 そこで、その予告を兼ねて、同じセッションの絵葉書の話とも関連するネタとして、こんなものをご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

ハッピーバレーの競馬場

 これは、1942年12月8日の開戦1周年に際して香港占領地総督部が発行した記念絵葉書の1枚で、ハッピー・バレーの競馬場が描かれています。同時に発行されたもう一枚の絵葉書には、香港のイギリス海軍の司令部として用いられていたテーマー号(添馬艦)が自沈する場面が取り上げられており、開戦1周年として非常にわかりやすい内容なのですが、今回ご紹介の競馬場が同時に発行された絵葉書に取り上げられた背景については、いささか説明が必要でしょう。

 香港を占領した日本軍は、“東洋精神”を強調して住民に窮屈な生活を強いたわけですが、どれほど崇高な理念を振りかざそうとも、人間はそうそう禁欲的に生きられるものではありません。そこで、占領当局は、収益も考慮した結果、娯楽としての競馬を重要視します。

 香港では、はやくも1845年に沼地を埋め立ててハッピーバレーの競馬場が作られ、翌1846年からレースが行われていました。ただし、第二次大戦以前の競馬は、支配者であるイギリス人の贅沢な遊びであって、一般の華人の娯楽という雰囲気ではありませんでした。日本の占領当局は、それを一挙に、一般市民の娯楽として大衆化することで、それまで香港在住のイギリス人が占めていた優越的な地位を目に見えるかたちで否定しようとしたわけです。

 こうした政策的な意図もあって、1941年12月の日英開戦とともに中断されていた香港の競馬は、早くも翌1942年4月25日には再開されました。開催スケジュールは毎週土曜日ないしは日曜日で午後から11レース前後が行われています。占領以前は、高温多湿の香港の気候を考慮して、夏季のレースはありませんでしたが、占領下では通年開催となっています。また、入場券・馬券ともに占領以前に比べて大幅に値下げされたため、競馬は庶民の娯楽として完全に定着・普及。1942年秋の大レースでは馬券の売上げは12万枚にも達したといわれています。

 今回ご紹介の葉書には「百萬市民の健全娯樂場として朗色觀覧席に滿つ」との解説文が付けられていますが、制作時期などを考えると、上述の秋季大レースの際の情景を取り上げたものなのかもしれません。いずれにせよ、絵葉書を発行した総督部としては、占領行政が順調に行われ、市民生活が安定を取り戻していることの象徴として、ハッピーバレーの競馬場を絵葉書に取り上げたと考えるのが妥当でしょう。

 なお、ハッピーバレーそのものに関しては、拙著『香港歴史漫郵記』でも、それなりのページを割いてご紹介していますので、こちらもあわせてご覧いただけると幸いです。
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 香港切手展の展示より(2)
2007-06-28 Thu 09:20
 昨日に引き続き、今週末の30日から、東京・目白の切手の博物館特設会場にて開催の「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」(登録審査員によるワンフレーム展と併催)の展示品の中から、こんなマテリアルをご紹介いたします。(画像はクリックで拡大されます)

香港黒塗りカバー

 これは、日本占領下の1943年3月、香港から桂林宛に差し出されたカバーで、日本軍による香港占領に抗議して、中国側に渡った時点で、貼られている日本切手(東郷平八郎の5銭切手)が黒く塗りつぶされています。

 消印の局名は読めませんが、差出人の蔡天普が差し出した郵便物には九龍塘の消印のモノが多いといわれているので、あるいは、このカバーもそうかもしれません。日付のほうは、スキャンで上手く出ているかどうかは微妙ですが、活字の痕跡がなんとか見えますので、昭和18年3月27日と特定できます。

 中国がらみで黒塗りの郵便物というと、満洲国に絡むものが有名ですが(こちらについては、いずれこのブログでもご紹介しますが、とりあえずは拙著『満洲切手』をご覧いただけると幸いです)、こちらは、満洲国の場合と違って、黒塗りにされた切手は無効とはされず、受取人から不足料等は徴収されていません。いずれにせよ、当時の中国人の“抗日”の意思が強く伝わってくるマテリアルではあります。

 あさって30日からスタートの「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」では、今回の郵便物のほかにも、日本占領時代の香港のマテリアルをいくつか展示しています。是非、会場で実物をご覧いただけると幸いです。
 
 また、今日ご紹介のカバーについては、このたび大修館書店から刊行の拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと書いてみましたので、こちらもあわせてご覧いただけると幸いです。

 【展覧会のご案内】
 6月30日・7月1日(土・日)の両日、 東京・目白の切手の博物館特設会場にて、拙著『香港歴史漫郵記』の刊行にあわせて「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」を開催(登録審査員によるワンフレーム展と併催)いたします。

 展示内容は2004年のアジア国際切手展のオープンクラスに出品して部門最高賞のExcellentメダルを受賞した僕のコレクション、A HISTORY OF HONG KONGと返還以降2006年末までに発行された中国香港切手が中心です。

 入場は無料。時間は両日ともに10:30-17:00で、両日ともに14:30から展示解説を行うほか、先着300名様に英領時代の香港切手をプレゼントしますので、是非、遊びに来てください。
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