FC2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 新年快樂 吉祥如意
2019-02-05 Tue 01:35
 きょう(5日)は旧正月・春節です。というわけで、亥年の正式なスタートですから、干支にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・年賀(2019)

 これは、2019年1月12日に香港で発行された2019年用の年賀切手のうち、豚の貯金箱を取り上げた1枚です。

 干支の“亥”は、もともとは“閉ざす”を意味する“閡”で、草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しています。後に、庶民にも覚え易いように動物と結び付けられ、亥には“猪”が割り当てられましたが、この字は、日本語では“イノシシ”ですが、中国語では、今回ご紹介の切手が示すように、“ブタ”です。

 豚は1度のお産で10匹前後の子を産むことから、洋の東西を問わず、“数が増える”縁起物とされています。また、西洋では、古来、粘土の陶器、“Pygg”の壺にコインをためる習慣がありましたが、これが、“Pig”に転じて、14世紀以降、豚の貯金箱が作られるようになり、世界的に拡散したそうです。
 
 まぁ、そうした理屈はともかく、この切手は単純にかわいらしくて、個人的にはお気に入りの1枚なので、その発行目的どおり、春節にあわせてご紹介してみました。


★★  内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


スポンサーサイト
別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 中華まんの日
2019-01-25 Fri 21:45
 きょう(25日)は、1902年1月25日に北海道旭川で日本の観測史上最低の気温-41℃が記録されたことにちなみ、寒い日には中華まんを食べて暖まってもらおうということで制定された“中華まんの日”だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      中國香港・叉焼包

 これは、2002年に香港で発行された“中西文化通用票(普通切手)”のうち、叉焼包とバケットを並べた1ドル40セント切手です。

 饅頭の由来については、三国時代の蜀の軍師、諸葛亮が南蛮征伐の帰り、風雨で川が氾濫して渡れなかった際に、人間の首を切り落として捧げて酔人の怒りを鎮めるという現地の風習を目にし、戦いで失われた人命をこれ以上犠牲にはできないとして、小麦粉を水で練った皮に羊や牛の肉を包んで“饅頭”を作り、人頭に代わって供えて川に投じたのが始まりと伝えられています。なお、日本語で“饅頭”と呼ばれる中国の点心としては、中に具を包んでいるものを包子、中に具のないものを饅頭と呼んで区別しており、切手に取り上げられた叉焼包は、広東料理の一種で、叉焼を具にした包子です。

 中西文化通用票は、1999年から発行されていた“香港特色景點與名勝通用票”に続く普通切手のシリーズです。東西文化の結節点という視点から、香港社会の諸相を切手上で表現しようとしたもので、1枚の切手の画面を左右に分割して、一方に西洋起源のもの、他方に中国の伝統的なものを配した統一デザインとなっています。

 なお、中西文化通用票が発行された当時の香港の状況については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと分析してみましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 港珠澳大橋開通
2018-10-24 Wed 01:40
 珠江の河口湾(珠江口)を東西に連絡し、中国広東省珠海市と香港新界離島区大嶼島(ランタオ島)およびマカオ花地瑪堂区を結ぶ“港珠澳大橋”がきょう(24日)から開通するのに先立ち、昨日(23日)、珠海で開通式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・珠江三角洲(2004)

 これは、2004年10月19日に香港で発行された“珠江三角洲地區的發展”の切手のうち、珠江三角洲(珠江デルタ)の象徴として、香港の凌霄閣(ピークタワー)、珠海の珠海漁女、マカオの大三巴(聖ポール大聖堂跡)が取り上げられています。 港珠澳大橋で結ばれる各都市の象徴が1枚に修められた切手として持ってきました。

 港珠澳大橋の構想は、英領香港時代の1983年、香港の大手ゼネコンである合和實業会長のに胡應湘が提案したのが最初とされています。胡は、大橋の建設により30分で香港と珠江三角洲西部が結ばれ、製造業の移転や観光の促進を促すと主張しましたが、あまりにも巨額の費用が必要となるため、具体的な検討は行われませんでした。その後、1989年には珠海市が中国本土側で珠海と深圳を結ぶ伶仃洋大橋の構想が提唱され、国務院も1997年に承認を与えています。

 その後、香港では2000年以降になって中国本土と連結するインフラの拡充が急務となり、港珠澳大橋構想が再浮上。2002年9月の第3次内地(本土)・香港大型インフラ協力会議において、香港政府と中央政府(国家発展改革委員会)による共同研究の開始が合意され、翌2003年8月4日、中国の国務院が共同研究結果を承認したことで、大橋の建設計画が動き始めました。

 建設工事は2009年12月に着工し、当初は2016年の完成が予定されていましたが、実際には2年遅れでの開通となりました。この間、2017年5月には橋のコンクリート強度の偽装の疑いが発覚し、コンクリートの品質検査に関して強度試験で不正を行ったとして21人の容疑者が香港廉政公署に逮捕されています。その後、香港特別行政区政府の建設監督部門は、橋の香港側部分の構造検査を行ったところ、異常は見られず断裂も発見できなかったとして、予定どおり残りの工事を進めましたが、問題のコンクリートが使われた場所の特定はされていないのだとか。

 なお、完成した大橋は、香港側人工島とマカオ/珠海側人工島までのメイン橋の延長が約29.6km、香港側の接続道路が約12km、マカオ/珠海側の接続道路を合わせた総延長では約55km。今回の橋の開通により、従来、船で1時間弱だった香港=マカオ間は約30分に、陸路で約4時間かかっていた珠海=香港国際空港間は45分に、大幅に短縮される見込です。

 
★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 おかげさまで180万PV
2017-06-19 Mon 11:24
 おかげさまで、昨日(18日)、カウンターが180万PVを超えました。いつも、閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、“180”に絡んで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・中西(1.80)

 これは、2002年に香港で発行された“中西文化通用票(普通切手)”のうち、フォーク・ナイフと蓮華・箸を並べた1ドル80セント切手です。

 中西文化通用票は、1999年から発行されていた“香港特色景點與名勝通用票”に続く普通切手のシリーズです。東西文化の結節点という視点から、香港社会の諸相を切手上で表現しようとしたもので、1枚の切手の画面を左右に分割して、一方に西洋起源のもの、他方に中国の伝統的なものを配した統一デザインとなっており、今回ご紹介の切手では、フォーク・ナイフと蓮華・箸が並べられています。

 “食”を題材とした香港切手といえば、英領時代の1990年に発行された“世界の料理(International Cuisine)”と題する6種セットがあります。その内訳は、中華料理(蒸したイセエビ、冷菜の二種)に加え、インド料理(カバブ:串焼き)、タイ料理(プラー・プリアオワーン:魚の丸揚げに甘酢ソースをかけたもの)日本料理(寿司)、フランス料理(アスパラガスと生ハム)となっており、香港では世界のあらゆる料理が味わえることをアピールすることで、“グルメ天国”香港への外国人観光客を誘致する目的から発行されました。

 地元の広東料理のみならず、世界各地の料理を取り上げたのは、香港における“食”の多様性を表現することが一義的な目的ですが、そのことは、当然、見る者に香港社会そのものの多様性を印象づけることになります。

 1997年時点の香港社会は中国系が98パーセントと圧倒的多数を占めていたとはいえ、英国人をはじめとする欧米人、インド系(貿易商としてやってきたパル-シー教徒、グジャラート人、マルワル人、シンド人、軍事・警察要員としてやってきたシーク教徒など)、主としてメイドとして働いているフィリピン人などのエスニック・グループも社会的に無視できない存在でした。当然のことながら、これらのマイノリティと中国系との融和は香港社会にとって重要な課題となっていました。

 その真意はどうあれ、香港に“民主化”の置き土産を残していこうとした英国の香港政庁は、民主主義の前提である多様な価値観の共存を、理念ではなく、よりリアルなかたちで人々に実感させるため、“世界の料理切手”を発行し、香港社会の多様性を“食”という側面から表現しようと考えられます。

 これに対して、1997年7月以降の中国香港の切手においては、西洋の文化を取り込むことで香港の文化や社会に奥行きができていることを強調しつつも、英領時代のように、さまざまなマイノリティ集団を含むという意味での社会の多様性が強調されることはなくなります。“中西文化”という通常切手の企画そのものが、あくまでも中華世界の伝統的な文化と欧米式の文化のみを対比しており、英領時代の切手に取り上げられていたインドやタイ、日本などのマイノリティ集団の文化を示す要素が完全に排除されています。このことは、そうした中国香港当局の姿勢をはからずも露呈させたものと考えて良いでしょう。

 なお、“中西文化”の通常切手を導入するにあたって、中国香港郵政は、新切手のコンセプトを表現する例として、茶を取り上げて以下のように説明しています。

 香港の人々は中国茶とイタリアのカプチーノを同じように飲んでいます。実際、古今東西の最良のものを吸収する、こうした能力は、コーヒーと茶をブレンドした「鴛鴦」という名の香港式の飲物が人気を集めていることに典型的に見て取れます。

 ここで紹介されている鴛鴦(鴛鴦茶といわれることもある)とは、コーヒーとミルクティーをブレンドした香港独特の飲料のことです。鴛鴦は本来オシドリのことで、相性が良いとの意味から転じて、2つのものをブレンドした飲食物につける形容詞としても用いられる単語ですが、現在では上記の鴛鴦茶を指すのが最もポピュラーな用例のひとつとなっています。

 この鴛鴦茶がどのような経緯で生まれたのかは必ずしも定かではないが、おそらく、スターバックスの香港への出店が相次いだ1992年以降のことと考えられています。当時、スターバックス側は、本格的なコーヒーと西洋式の喫茶店文化が定着する機が熟したと判断したわけですが、コーヒーや紅茶をそのまま飲むと身体に悪いとの固定観念が根強かった香港では、“普洱茶とコーヒーのブレンド”などの注文が店頭で相次ぎ、そのことが、鴛鴦(茶)を生み出し、定着させることになりました。

 “中世文化”の事例として挙げられた、鴛鴦(茶)は、中国香港当局にとって、欧米の要素を貪欲に吸収しつつ独自の文化を作り上げる、中国人のバイタリティや懐の深さといったものを象徴するものとして高く評価されるべきものなのであり、そうした視点の下に作られた“中西文化”の切手が、多様性を確保するためのマイノリティの尊重よりも、圧倒的多数を占める中国系のもつ力量を誇示することに主眼を置いているのも、いわば、自然な成り行きといってもいいのかもしれません。ただし、そうした姿勢が、西側社会から評価されるかどうかは全く別の次元の話ですが…。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと分析してみましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 小さな世界のお菓子たち:キャンディの切手
2017-04-01 Sat 15:31
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第35号(2017年春号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・ロリポップキャンディ

 これは、香港が2015年に発行した“心思心意”の切手のうち、ロリポップ・キャンディを取り上げた1枚です。

 香港では、2003年以降、不定期に“心思心意(Heartwarming)”と題するグリーティング切手を発行しています。このうち、2015年2月12日に発行された6種セットの切手は、ヴァレンタイン・デー直前という時節柄、さまざまなハート型のグッズをデザインしていますが、その中の1枚には、鮮やかな渦巻き模様のロリポップ・キャンディ(棒棒糖)が取り上げられました。キャンディの色つきの部分は盛り上げ印刷になっており、立体感のある1枚です。

 切手は2015年1月29日から香港の各郵便局で1枚2.7香港ドルで発売されましたが、実際に郵便に使えるようになったのは2月12日のことでした。また、切手には額面数字の代わりに“本地郵資/LOCAL MAIL POSTAGE”の表示があり、今後、料金が値上げされても、ずっと香港域内宛の封書料金用(30グラム)に使用できます。

 もともと、香港では春節(旧正月)のギフトとしてキャンディを箱に詰めて送るという習慣がありました。これは、甘いキャンディが新年の幸運を象徴するものとされていたためです。

 ただし、春節に贈られるキャンディは、今回ご紹介の切手に取り上げられているような派手な色彩のモノではなく、眼鏡型の容器に入った眼鏡糖、ダイアモンドの指輪をかたどった容器に入った戒指糖、生姜と砂糖、麦芽糖などで作られた昔ながらの叮叮糖(啄啄糖とも)、ココナッツ・キャンディの椰子糖などが主でした。このうち、眼鏡糖や戒指糖は、1980年代くらいまで、幼稚園から小学校低学年くらいの男の子から、お気に入りの女の子に定番のプレゼントとして使われていました。

 現在では、健康志向の高まりもあって、春節のギフトとしてキャンディを贈る人は徐々に減少傾向にあるものの、香港で生まれ育った人々の生活の中で、現在なお、キャンディには縁起物としてのイメージがあることに変わりはありません。

 ところで、年によってバラつきはあるものの、春節は2月の上旬から中頃くらいまでのことが多く、今回ご紹介の切手が発行された2015年の春節は2月19日で、ヴァレンタイン・デーともほぼ重なっています。

 旧宗主国の英国同様、香港でも、ヴァレンタイン・デーには、男女を問わず、花やケーキ、カードなどのギフト(もちろん、チョコレートを贈る人もいます)を、恋人や親しい人に贈ることがある日になっていますが、“心思心意”の切手にロリポップ・キャンディが取り上げられていることから考えて、なかには、春節のギフトを兼ねて、キャンディを贈る人も少なくないのかもしれません。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 香港の新行政長官に林鄭月娥氏
2017-03-26 Sun 17:29
 香港の行政長官選挙は、きょう(26日)、各界代表で構成する選挙委員会(1194人)の投票が行われ、中国指導部の推す親中派で前政務司司長(政務官)の林鄭月娥(キャリー・ラム)氏が、同じく親中派で前財政官の曽俊華氏ら2人を破って当選しました。というわけで、新長官の過去の実績に関するものとして、この切手を持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      香港・再開発(2010)

 これは、2010年11月16日に香港で発行された“舊区新貌”(redevelopment of old areas:旧地区の再開発)の切手のうち、“重建(redevelopment:再開発)”をデザイン化した5ドル切手です。

 林鄭月娥は、1957年5月13日、 香港で生まれました。1980年に香港大学社会科学部を卒業後、英領時代の香港政庁に入り、財經事務及庫務局でスタッフとして予算編成などを担当しました。1997年の“返還”後も官僚として行政府にとどまり、2000年には社會福利署署長に就任。失業率の高止まりと経済の失速の中で、社会保障の対象を香港在住7年以上の者に限定する“綜合社會保障援助”を推進するなどして、成果を上げたほか、2003年のSARS問題の時には対策の陣頭指揮を執りました。

 その後、房屋及規劃地政局常任秘書長(2003年11月)、ロンドン駐在の經濟貿易辦事處長(2004年)、民政事務局常任秘書長(2006年)等を経て、2007年には新設の發展局(日本語では“開発局長”と表記されることもあります)の局長となり、都市開発・住宅政策を担当しました。

 今回ご紹介の“重建”の切手は、彼女が發展局局長の在任中だった2010年に、香港の再開発を題材に、復修(Rehabilitation)・活化(Revitalisation)・保育(Preservation。ここでいう保育は日本語とは異なり維持・管理の意)の切手とともに4種セットの1種として発行されました。

 “重建”の切手は、老朽化したり、管理が不十分で荒廃した建造物やインフラ、違法建築などを、環境にも配慮しつつ、現在の基準に合わせて立て替えて行こうというイメージを表現したものですが、發展局局長としての彼女は、僭建(住宅の違法建築)の取り締まりに辣腕をふるい、名を挙げました。

 さらに、2012年、梁振英長官の下で政務司司長に任命されると、低所得層問題を担当する扶貧委員会主席に就任。同年12月、中国の輸入業者が香港で日用品を買い占めたことで起きた物価高騰・路上占拠に対する抗議デモが発生したことを受け、輸入業者の取り締まり強化し、158人の輸入業者を逮捕しています。その一方で、2013年には、違法建築の極狭アパートに居住する低所得層への給付金支給を決定。發展局局長時代の違法建築摘発と矛盾するような施策への批判に対しては、「違法なのはアパートであり、住民ではない」と反論しています。

 2013年10月17日、彼女は2016年の立法会選挙および2017年の行政長官選挙に向けた選挙制度の意見集約を行う専門チームの責任者に任命され、1人1票の普通選挙を求める民主化運動に対しては一貫して否定的な立場を表明。また、この時点では、行司役として、2017年の行政長官選挙への立候補の意思を否定していました。
 
 しかし、その後、親中派の実務官僚として彼女を高く評価していた中国・習近平政権の強烈な後押しを受け、今回の選挙に出馬。今日の投票では、当選に必要な選挙委員(定員1200)の過半数(601)を大きく上回る777票を獲得し、決選投票を待たずに、1回目の投票で当選を決めました。ただし、世論調査によると、あまりに親中国が強すぎるうえ、一般市民の投票のないまま“当選”した彼女に対する香港市民の支持率は低迷しており、今回の当選を機に、ふたたび、和平占中の時のような大規模な抗議行動が生じる可能性も指摘されています。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 孫文生誕150年
2016-11-12 Sat 11:01
 1866年11月12日に孫文が生まれてから、今日でちょうど150年です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・孫文生誕140年小型シート

 これは、いまから10年前の2006年に香港で発行された孫文生誕140周年の小型シートで、シート・マージンには、香港内の孫文ゆかりの地の地図が印刷されているのがミソです。

 孫文は、1866年11月12日、マカオ北方の広東省香山県(現中山市)翠亨邨で生まれました。幼名は孫帝象。後に、孫文、孫中山、孫逸仙などの名で、中国の国父として崇められることになりますが、革命家の常として、彼も生涯にさまざまな名前を名乗っています。一般に、日本では孫文、華人世界では孫中山、欧米ではSun Yat-sen(漢字表記だと孫逸仙)と呼ばれていますが、話の混乱を避けるため、ここでは、“孫文”の名で統一したいと思います。

 辛亥革命の指導者とされている孫文ですが、1911年に実際の革命が起こったとき、彼は中国大陸のどこにもおらず(というよりも、いられず)米国にいました。じっさい、彼が計画した武装蜂起の類はことごとく失敗し、広州から香港へ、さらには東京や横浜へと逃げ回るというのが、彼の基本的なライフ・スタイルでした。

 また、“三民主義”(その内容は決してリベラルなものではなく、一般の国民を“愚民”として、中国国民党による一党独裁を主張するものであることは意外と知られていないようです)を掲げるイデオローグではありますが、現実の革命家としては決して合格点を与えられる存在ではありません。

 しかし、それでもなお、人をひきつける強烈なカリスマ性があったのでしょう。現在なお、華人世界では、“孫中山先生”は中国の国父として絶大な尊敬を集めており、彼らの学校では、その生涯は繰り返し教えられているのは周知のところです。

 さて、孫文にとっても、香港は革命活動の重要な拠点で、「どこで革命を習ったか、私は香港で、と答える」という言葉を残していますが、実際、香港には孫文にまつわる“史蹟”が少なからず残されており、その一部は観光スポット化されている。今回ご紹介の小型シートは、それらを網羅した“孫文観光”の案内図のような形になっています。以下、地図に振られている番号順に各スポットと孫文の関連をみてみましょう。

 ① 香港大學
 孫文は革命家として功成り名を遂げた後の1923年2月、香港に立ち寄り、香港大學で講演を行い、人々は孫文を凱旋将軍のように迎えて歓迎しました。

 ② 拔萃書室の跡地
 孫文より15歳年長の兄、孫眉は、孫文が5歳のときにハワイに渡り、菜園での年季の労働者を振り出しに、マウイ島での開墾事業で成功。“マウイ王”と呼ばれるほどの資産家となり、1878年、当時12歳の弟をハワイへ呼び寄せました。

 ハワイでの孫文少年は、英国系のミッションスクールと米国系のオアフ学校に学び、西洋の文化と思想に傾倒。しかし、弟の“西洋かぶれ”が度を越しており、伝統的な祖霊崇拝を捨てて、キリスト教に改宗する気配さえみせるようになると、心配した兄は孫文を故郷に送り返しましたが、ハワイを後にした孫文は、一歳下の同郷の友人、陸皓東とともに香港で宣教師のハーガーから洗礼を受けて、両親に無断でキリスト教に改宗してしまいます。

 さて、故郷の翠亨村の生活は、ハワイでの青春を謳歌していた孫文にとって、あまりにも退屈きわまりないもので、ありあまる若さのエネルギーをもてあました彼はいたるところで衝突。そして、陸皓東と2人で、村人の信仰の対象であった北帝廟(悪魔の王を倒して神の称号を与えられたとされる北帝を祀った廟)の神様を単なる“土人形”と罵り、公衆の面前でその腕をもぎ取りってしまうという事件を起こします。

 ただでさえ、キリスト教徒というだけで保守的な村では西洋かぶれの鼻つまみ者の2人でしたが、この一件で完全に村にはいられなくなり、孫文は香港へ、陸皓東は上海へ、それぞれ、学校へ行くという名目で逃れました。このとき、香港へ渡った孫文が、英語を学ぶためという名目で入学したのが、②の抜萃書室です。

 ③ 同盟會招待所の跡地
 同盟會、すなわち中国同盟會は、義和団事件の混乱の中で孫文らが起こした1900年の恵州蜂起が失敗した後、革命派が陣容建て直しのため、1905年に大同団結して東京で結成した組織です。同盟會の結成に伴い、それまで香港にあった孫文の革命組織、興中會は同盟會分会として改組されて、ひきつづき、革命派の拠点となります。

 ④ 美國公理會(アメリカン・コングリゲーショナル・ミッション)福音堂の跡地
 1883年に孫文と陸皓東がキリスト教の洗礼を受けたという教会の跡地です。

 ⑤ 中央書院の跡地
 中央書院は1862年創立の官立学校で、1883年に孫文が②の拔萃書室から転入した当時はこの場所にありました。逃げるように香港での学生生活を始めた孫文の身を案じた兄は、弟を休学させてハワイに呼び寄せ、“まっとうな人間”になるよう必死に説得したものの、クリスチャンからの転向はかなわず、1885年、彼は中央書院に復学します。

 ⑥ “四大寇”聚所
 中央書院を卒業した孫文は、翌1886年、米国長老会派のジョン・ケルが経営する広州の広済医学校に進学しましたが、翌年、香港に新設されたばかりの西医書院(後述)に入学します。

 西医書院時代の孫文は、学業成績は優秀でしたが、おとなしく勉学のみをしているはずもなく、広州で知り合った三合会(反清復明を唱える秘密結社)の首領で侠客の鄭士良らと付き合い、清朝政府を公然と批判して“四大寇”(四人の悪党)の一人に数えられるほどの有名人となりました。当時の彼の仇名は孫大砲。すなわち、大法螺吹きの孫という意味です。この四人が出会った場所が、現在は印刷所となっている⑥の場所となります。

 ⑦ 楊衢雲暗殺の地
 ⑧ 輔仁文社の跡地
 楊衢雲は福建省出身の革命家で、1892年に香港で謝纉泰らと⑧の場所に輔仁文社を設立。1895年に香港興中会が結成されると、孫文よりも年長であった彼は初代会長に就任し、1900年の武装蜂起にも参加しましたが、翌1901年、⑦の場所で暗殺されました。

 ⑨ 皇仁書院(クイーンズ・カレッジ)の跡地
 皇仁書院は歌賦街にあった⑤の中央書院が改組されたもので、1889年から1894年までは維多利亞書院(ヴィクトリア・カレッジ)と称していましたが、1894年に皇仁書院となりました。この土地には1950年まで校舎がありましたが、現在では銅鑼灣(コーズウェイベイ)に移転しています。

 ⑩ 西医書院の跡地
 西医書院は香港の大富豪・何啓が、1884年に病没した妻アリスを記念して1887年に建てたアリス記念病院の付設施設として設立されたもので、香港初の本格的な西洋医学の教育機関です。

 アリス記念病院と西医書院の創立者となった何啓は、185年、香港のロンドン伝道教会の華人牧師の子として生まれ、英国で医学と法律を学び、1881年に妻のアリスと結婚して香港に戻りました。当初は医師として活動するつもりだったものの、華人が西洋人の医師の診察・治療を受けようとしなかったため、1882年からは弁護士として活動し、議政局議員も務めています。

 西医書院は、英文名称が“Hong Kong College of Medicine for Chinese”となっていることからもわかるように華人に対して西洋医学を教授するための機関で、1887年10月1日に開校。第一期入学者は孫文を含め11名いましたが、授業は厳しく、卒業試験を受けることができたのは孫文を含めて4名しかいませんでした。

 ⑪ 道濟會堂の跡地
 道濟會堂は1888年にロンドン伝道協会が建立した教会で、西医書院時代の孫文は、学校の近くのこの教会に足繁く通っていたといわれています。

 ⑫ 香港興中會本部の跡地
 興中會は、孫文が結成した清朝打倒の秘密結社です。

 1892年に西医書院を卒業した孫文は医師としての資格を取得し、その後しばらくは香港を離れ、マカオ、廣州で医師として開業するかたわら、同志とともに時事を論じる日々を過していました。

 1894年1月、孫文は、天津を訪れ、清朝の実力者で西医書院の名誉賛助人でもあった李鴻章に対して、国家改革の私案をまとめた進言書を一方的に送りつけます。当時は日清戦争が迫り情勢が緊迫していた時期で、李鴻章からすれば、無名の青年が書いた八千字もの長文を読む時間的余裕などあるはずはないのですが、孫文はそうした事情をまったく考慮せず、自分の建策を受け入れないのは清朝が悪いとして、その打倒を決意。同年11月、革命の秘密結社としてハワイで興中會を結成しました。

 さらに、翌1895年、孫文は香港に帰り、鄭士良や陸皓東らの年来の同志とともに、香港興中會本部を立ち上げました。その拠点が士丹頓街13号、すなわち、⑫の場所に置かれていたというわけです。

 もっとも、反政府活動の秘密結社ですから、“興中會”の看板を堂々と掲げるわけには行かず、表向きは商店を装って“乾亨行”の看板が掲げられていました。その由来は、『易経』の一節「乾元、天命を奉行すれば、その道乃ち亨る」です。また、興中會への入会の宣誓には「韃慮(満洲族)を駆除し、中華を回復し、合衆政府を創立する」との文言があったといわれています。

 ⑬ 杏讌樓西菜館の跡地
 香港興中會本部は、“会党”と呼ばれる秘密結社や“緑林”と呼ばれる無法者集団を動員するとともに、何啓やイギリスの新聞記者の支持をも取り付け、武器弾薬を準備して、着々と武装蜂起の準備を進めていましたが、彼らが謀議の場としてしばしば利用していたのが、⑬の西洋料理店、杏讌樓西菜館です。

 杏讌樓で食事をしながら、孫文たちは、廣州では旧暦9月9日の重陽節に墓参りの習慣があることに目を付け、メンバーに墓参りを儀装させて香港から広州に送り込み、武装蜂起を起こし、独立政府を樹立しようと計画します。

 しかし、この計画は事前に清朝側に察知されて失敗。陸皓東以下、40名以上が逮捕され、孫文も命からがら香港を経て日本に亡命しました。以後、孫文は清朝政府から体制転覆を狙うテロリスト集団の頭目として懸賞首となり、1912年に中華民国の成立が宣言されるまでの間、海外で亡命生活を送ることになります。

 亡命生活を始めて間もない1896年10月、孫文はロンドンで同郷の廣東人と称して近づいてきた清朝の公使館員に騙されて館内に拉致・幽閉されてしまい、後は本国に送還されて処刑を待つのみという窮地に陥りました。しかし、熱心なクリスチャンであったことが幸いし、英国人使用人の説得に成功。彼を介して西医書院時代の恩師で、ロンドンに帰国していたジェイムズ・カントリーと連絡し、そこから事件はロンドンの新聞社によって取り上げられ、国際的な批判を受けた清朝は孫文を解放せざるを得なくなりました。

 解放された孫文はこのときの経験を Kidnapped in London (中国語題名は『倫敦被難記』)として出版。それがちょっとしたベストセラーとなったことで、それまで単なる国外逃亡の指名手配犯だった孫文は、ようやく、革命家としての肩書を手に入れるのです。

 ⑭ 『中国日報』事務所の跡地
 1900年の恵州蜂起に先立ち、陳少白が革命宣伝のために発行した『中国日報』の事務所です。

 ⑮ 和記棧鮮果店三樓
 孫文たちが1903年の武装蜂起(失敗)の謀議をめぐらした場所です。

 なお、孫文と香港の関係については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ハッピーヴァレーで不発弾処理
2016-03-06 Sun 13:38
 香港の競馬で有名なハッピーヴァレー地区で旧日本軍の不発弾(手投げ弾6個と迫撃砲弾2個)がみつかり、昨日(5日)、香港警察の爆発物処理班が処理しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・ハッピーヴァレー(1999)

 これは、1999年に香港で発行されたハッピーヴァレー競馬場(跑馬地賽馬場)の2ドル切手(普通切手)です。

 南京条約の調印を受けて、英国の香港駐屯軍は、1842年、銅鑼灣西側、湾仔の間の谷地に駐屯地を設けました。しかし、この地はもともと沼地で、マラリアの流行で多くの死者が出たため、1845年までに駐屯軍は現在の金鐘駅の近く、香港公園の場所に移転しました。これに伴い、旧駐屯地は縁起直しの意味を込めて“ハッピーヴァレー”と改称され、その一部が墓地となったほか、競馬場も設けられました。1866年3月5日付の『ロンドン絵入り新聞』には、墓地と競馬場が併存するハッピーヴァレーの風景として、下のようなイラストが掲載されています。

      ハッピー・ヴァレー(1866)

 当初、ハッピーヴァレーでのレースは春節の時期に限って開催されていましたが、1884年に香港ジョッキークラブが設立され、以後、夏季を除く常時開催となりました。

 ただし、第二次大戦以前の競馬は、支配者である英国人の贅沢な遊びであって、一般の華人の娯楽という雰囲気ではありませんでした。これに対して、1941年末に香港を占領した日本軍は、競馬を一般市民の娯楽として大衆化することで、それまで香港在住の英国人が占めていた優越的な地位を目に見えるかたちで否定しようとします。

 こうした政策的な意図もあって、1941年12月の日英開戦とともに中断されていた香港の競馬は、早くも翌1942年4月25日には再開。開催スケジュールは毎週土曜日ないしは日曜日で午後から11レース前後が行われました。

 ちなみに、占領以前は、高温多湿の香港の気候を考慮して、夏季のレースはありませんでしたが、占領下では通年開催となり、その結果として、レース途中で倒れる競走馬も激増したそうです。この点について、華人医師の李樹芬が占領当局の衛生局長に「夏場も休ませないのはいささか残忍ではないか」と意見を具申したところ、衛生局長は「わが皇軍は炎暑の夏であろうと、日曜日であろうと変わることなく戦場で日夜奮戦している。ましてや畜生などはいうまでもないではないか」と応じたのだとか。

 結局、競走馬への負担を無視してレースは行われましたが、入場券・馬券ともに占領以前に比べて大幅に値下げされたため、競馬は庶民の娯楽として定着・普及。1942年秋の大レースでは馬券の売上げは12万枚にも達しました。

 このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 無事帰国しました。
2015-11-25 Wed 01:52
      香港展パルマレス

 昨日(24日)夕方、無事、香港から帰国いたしました。アジア国際切手展<HONG KONG 2015>では、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さん、正コミッショナーの井上和幸さんご夫妻、作品の撤去作業をお手伝いいただいた池田健三郎さん、大場光博さん、斉藤環さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。冒頭の写真は、今回の切手展でグランプリ・インターナショナル(一般競争出品のうち、中国関連のナショナル部門を除く、全部門での最優秀作品に与えられる賞)を受賞した小岩明彦さんの代理として、FIAP(アジア郵趣連盟)のスラジット・ゴンバターナ会長から賞品の額を拝領している場面です。

 また、僕自身の出品作品 A History of Hong Kong は、昨年の世界切手展<PHILAKOREA 2014>に続き、下の画像の通り、金賞を維持することができました。

      HONG KONG 2015 賞状

      HONG KONG 2015 メダル  HONG KONG 2015 メダル裏

 メダルと賞状は、今回の切手展のテーマである“購物與美食(Shopping and Dining)”をイメージしたデザインとなっており、なかなかポップな感じが良いですね。

 また、今回の切手展では、会期初日の20日と最終日の23日に、やはり、“購物與美食(Shopping and Dining)”をイメージした記念のシートが発行されました。(下の画像のうち、左が20日発行分、右が23日発行分です)

      HONG KONG 2015 2次  HONG KONG 2015 3次

 さらに、最終日には昨年発行されたシートと会期中発行のシート2種を1冊に収めた切手帳も発行されました。その表紙は、こんな感じです。

      HONG KONG 2015 切手帳

 なお、来年は5月にニューヨークで世界切手展、8月にタイ・ノンタブリー(バンコク近郊)でアジア国際切手展、10月に台北で世界切手展、12月に中国・南寧でアジア国際切手展が予定されています。すでに、ニューヨーク展には、今回の香港展に出品したA History of Hong Kong をバージョンアップして出品することが決まっているほか、12月の中国・南寧展については、日本コミッショナーをお引き受けする予定です。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 <HONG KONG 2015>受賞結果速報
2015-11-23 Mon 07:14
      香港・乾杯

 20日から香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)で開催されていたアジア国際切手展<HONG KONG 2015>は、昨日、パルマレス(受賞パーティー)が行われ、日本からの出品作品については、下記の通り、受賞結果(カッコ内は点数)が発表されました。

 ・福井和雄 China 1878 - 1897 V(82)
 ・井上和幸 Japan Definitives: Koban 1883 - 1892 LG(96)+SP
 ・鎌倉達敏 Japan Earthquake Emergency Issue 1923 - 1924 G(92)
 ・丹羽昭夫 Japan: Tazawa series "Taisho" watermarked granite paper, old die LV(88)
 ・山田廉一 Japan Definitives: 1883 - 1892, UPU and new Koban LV(88)
 ・斎藤環 Lombardy-Venetia the 1850 Issue G(92)+SP
 ・吉田敬 The stamps issued on the globe before the first introduction of perforation V(83)
 ・大場光博 The Opening of China 1745 - 1897 LV(88)
 ・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services LV(88)
 ・井上和幸 Tonga Tin Can Mail History 1882 - 1947 LV(87)+SP
 ・小岩明彦 Indian Campaigns LG(96)
 ・和田文明 U.S. Return Receipt Requested $ Avis de Receipt 1866 - 1945 LV(85)
 ・村山良二 Czslaw Slania - The story of his great work of engraving stamps LS(77)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(90)
 (以下、文献)
 ・正田幸弘 『文献散歩道』 S(70)
 ・玉木淳一 『日本軍事郵便史 1894-1921』 V(83)
 ・stampedia 『Stampedia Philatelic Journal』 LV(86)
 ・stampedia 『Stamp Club』 S(71)

 なお、上記リストのうち、大金賞(LG)を受賞した井上和幸さんの“Japan Definitives: Koban 1883 - 1892”と小岩明彦さんの“Indian Campaigns”がグランプリ・インターナショナル(一般競争出品のうち、中国関連のナショナル部門を除く、全部門での最優秀作品に与えられる賞)の候補となり、審査員による投票の結果、小岩さんの作品がグランプリ・インターナショナルに選ばれました。小岩さんをはじめ、受賞者の皆様、おめでとうございました。
 
 冒頭に掲げた画像は、2003年に香港で発行されたグリーティング切手で、タブには乾杯のグラスが描かれています。今回の受賞者の皆様への祝杯の気持ちを込めて、持ってきてみました。なお、この切手は20グラムまでの航空郵便用の無額面・永久保証切手(切手には額面の数字を表示せず、将来的に郵便料金が値上げされても、ずっとその用途の料金として有効な切手)で、発行時の販売価格は1枚3香港ドルでした。

 さて、切手展はきょうが最終日で、夕方からは作品の撤去という大仕事があります。賞が決まったからと言って気を抜かず、最後まで気合を入れて乗り切っていかねば。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国香港:1997~ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/