8月10日の日記 にマッカーサー宛の葉書のことを書いたところ、ある方から、この種の葉書は組織的に差し出されたのではないか、というコメントを頂戴しました。
マッカーサー宛の葉書については、愛知県を中心とする中部地方や東北・北海道などで、国民学校や女学校などで、(往々にして授業の一環として)組織的に旧日本兵の早期復員を求める葉書を出す運動が行われたという話を聞いたことがあります。ただ、具体的にどの地域の学校で、どういうスタイルでこうした運動が行われたかということは、僕自身は不勉強でよくわかりません。
洋の東西を問わず、児童・生徒に対して、学校などが組織的にある種の嘆願書や政治的な主張の手紙などを書かせるという例は珍しくありません。たとえば、7月4日の日記 でご紹介したレオナード・ペルティエの釈放を求める封筒なども、その典型的な事例といえます。
日本の場合では、下のような事例が良く知られています。


この葉書は、1932年末、いわゆるリットン調査団の報告書(日本の満州における権益は認めたものの、満州事変と満州国の建国は日本の侵略の結果という評価を下していた)が出された後、国際連盟の事務総長宛に差し出されたもので、内容は、前年の満州事変いらいの日本の軍事行動の正当性を訴え、国際連盟が“正しい判断”をするよう求めた嘆願書です。
当時、この手の葉書は、群馬県内の中学校や女学校などで、英語もしくは英習字の授業の一環として、生徒たちが書いて送りました。葉書の宛名や差出人の氏名欄の“GUMMA PREF., JAPAN”などの表示は印刷されており、当時、こうした葉書を書く運動が相当の規模で行われていたことをうかがわせます。
さて、肝心の文面は3〜4種類程度の雛形がありますが、いずれも、内容的には「日本が正しいことを分かってください」といった情緒的なものです。嘆願書なり陳情書なりを出して相手を説得しようというのなら、何故日本が満州を占領しなければならないのか、あるいは、満州国の建国は何故認められなければならないのか、といったことを説得力のある根拠を示しつつ具体的に述べないと効果はないと思うのですが…。
結局、群馬県の少年・少女の願いもむなしく、リットン報告書は連盟の理事会で採択され、これを不服とする日本は1933年3月、連盟を脱退し、国際的な孤立の道を歩むことになったのは、広く知られている通りです。
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