郵便学者・内藤陽介のブログ
 切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。
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 帰朝しました!
 本日午後、無事にルーマニアから帰国いたしました。昨日の日記でも少し触れましたが、EFIROのコミッショナー、佐藤浩一さんをはじめ、現地でお世話になった皆様には、あらためてお礼申し上げます。また、6月18日いらい、2週間にわたって日本を留守にしておりましたので、その間、各方面にご不便・ご迷惑をおかけしたものと思われますが、なにとぞご容赦ください。

 さて、ヨーロッパからの帰国ということで、今日は定番ネタのこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 裕仁ご帰朝カバー

 これは、1921年9月に発行された“皇太子殿下(後の昭和天皇)御帰朝”の4銭切手2枚と10銭切手1枚が貼られた航空便です。昭和4年と発行後だいぶ経ってからの郵趣家便ですが、この切手の気の利いたカバーは他に持っていないので、とりあえず、今日のところはこれで勘弁してください。

 第一次大戦に際して、日本は日英同盟を口実にドイツに宣戦を布告し、ヨーロッパ列強がアジアに目を向ける余裕を失った隙に乗じて、山東半島の膠州湾ドイツ租借地とドイツ領南洋群島を占領。さらに、建国後まもない袁世凱の中華民国に“二十一ヶ条の要求”をつきつけます。これに対して、大戦中こそ、欧米列強は日本の行動を黙認していたものの、大戦の終結と同時に、彼らは異議を唱えるようになります。その急先鋒となったのが、グアム・フィリピンを領有し、太平洋地域で日本を仮想敵国とみなしていたアメリカでした。

 ところで、日本の躍進を支えた日英同盟は、1902年に締結された当初は、帝政ロシアを仮想敵国としてスタートしましたが、その後、日露戦争での日本の勝利に伴い、主要な仮想敵国はドイツへと変化します。ところが、第一次大戦を通じて、帝政ロシアは崩壊し、ドイツも敗北すると、同盟じたいの存在理由は希薄になっていました。

 こうした情勢の変化を見て取ったアメリカは、日本の脅威を殺ぐため、日英の離間を画策しようとすることになります。

 一方、日本側は自国の繁栄の礎となっていた日英同盟を、大戦後も維持しようと考えていました。そして、そのための宣伝活動として考え出されたのが、1921年3月から9月にかけて行われた皇太子・裕仁皇親王の訪欧だったわけです。

 古今東西、皇族(王族)は自国民にとってのスターであると同時に、対外的にも重要な広告塔の役割を担っています。イギリスのダイアナ元皇太子妃が、生前、世界的な人気を誇っていたのはその何よりの証拠といってよいでしょう。裕仁親王も、そうした広告塔の役割を期待され、同盟国イギリスの王室と友誼を通じ、日英両国の絆を内外にアピールすることで、イギリス国民の間に日英同盟存続の世論を喚起するために訪欧することになりました。

 さて、裕仁親王は、3月3日、御召艦「香取」に乗って横浜を出港。イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアなどをまわり、半年後の9月3日に帰国しました。バッキンガム宮殿での華やかな歓迎パーティーだけでなく、スコットランドのアリール公爵の居城でのアットホームなパーティー、フォンテーヌブローの森でのドライブや地下鉄の体験など、このとき、彼は生まれて初めて“人間”としての自由な生活を味わっています。そのことが、皇太子の人格形成に大きな影響を与えたことは疑いの余地はなく、後年、天皇ご自身が「いまもあのときの経験が役立ち、勉強になって、今日の私の行動があると思います」と語っておられるほどです。もちろん、東洋の若きプリンスは、行く先々で熱烈な歓迎を受け、日本国内では、皇太子の初めての外遊は成功裏に終わったと判断するものがほとんどでした。

 皇太子の外遊が期待以上の成果を上げていると考えた政府は、その成功を謳いあげる最後の仕上げとして、7月16日、記念切手の発行を正式に決定します。もっとも、切手の発行が決定されてから2日後の18日には、皇太子は最後の訪問地ナポリを後にし、一路、帰国の途についているため、切手発行の名目は、“ご訪欧記念”ではなく、“ご帰朝記念”になりました。

 2ヶ月弱の突貫作業で制作された切手には、御召艦の「香取」と供奉艦の「鹿島」が取り上げられました。

 これら2艦は、日露戦争の開戦後の1904年5月、イギリスに発注されたものの、両艦が完成した1906年にはすでに日露戦争は終わっていました。しかも、同年、より性能のすぐれたドレッドノート型戦艦がイギリスで進水していたこともあり、生まれ落ちたその瞬間から、「香取」と「鹿島」はすでに二級艦として中途半端な存在でした。それにもかかわらず、皇太子の訪欧に用いられたのは、これらイギリス製の戦艦を派遣すれば、訪欧の主要な目的地であるイギリスの印象も良くなるのではないかとの政治的な配慮があったためです。その意味では、イギリス世論における対日感情の向上という大役を果たした皇太子の“ご帰朝”を祝う記念切手の題材として、この両艦は格好の素材であったといってよいでしょう。

 しかし、1921年末から翌1922年にかけて、アメリカが召集したワシントン会議は、皇太子訪欧の“成果”に酔いしれていた大日本帝国に頭から冷水を浴びせる結果となりました。

 すなわち、会議では、大戦後のアジア・太平洋問題と軍備制限が議題として取り上げられ、米・英・日の主力艦の保有率を5・5・3とする海軍軍縮条約をはじめ、太平洋での相互不可侵を決めた4ヶ国条約、そして、中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等を定めた9ヶ国条約が締結されました。この結果、日本は大戦中に獲得した山東半島の権益を放棄させられ、肝心の日英同盟も、4ヶ国条約の締結により意義を失ったとして破棄されてしまいます。しかも、“ご帰朝”の記念切手に取り上げられた「香取」と「鹿島」は、このとき締結された海軍軍縮条約により、廃棄されるというオマケつきでした。

 なお、大正時代の皇太子・裕仁親王にまつわる切手とその背後の歴史的文脈については、拙著『皇室切手』でもいろいろと分析していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 お知らせ
 福村出版から刊行の拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』については、明日・7月3日付の記事で、くわしくご案内します。

 なお、7月5日、東京・池袋で開催の切手市場会場にて、午前中・11:30ごろまで、同書の刊行を記念して即売・サイン会を行います。入場は無料ですので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。


アクセス数 (2005年6月1日〜)

プロフィール

内藤陽介 (ないとう・ようすけ)

Author:内藤陽介 (ないとう・ようすけ)
 1967年、東京都生。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。切手の博物館・副館長。切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続けている。
 主著:<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵趣出版、現在、第6巻まで刊行)、『北朝鮮事典』、(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『反米の世界史』(講談社現代新書)、『皇室切手』(平凡社)、『これが戦争だ!』(ちくま新書)、『満洲切手』(角川選書)、『香港歴史漫郵記』(大修館書店)、『タイ三都周郵記』(彩流社)ほか著書多数。最新作は『韓国現代史:切手でたどる60年』(福村出版)

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