内藤陽介 Yosuke NAITO
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 クリスマス・モードのソウル
2008-11-30 Sun 09:20
 昨日の記事にも少し書きましたが、現在、仕事でソウルに来ています。昨夜は早速、打ち合わせ(と称する飲み会)があったのですが、関係者との待ち合わせ場所のホテルロッテは、こんな感じですっかりクリスマス・モードでした。(左端はロビーの装飾、ついで、左から順に西→東の方向でホテルの外側を撮影しました。以下、画像はクリックで拡大されます)

 ロッテ・クリスマス:ロビー ロッテ・クリスマス西 ロッテ・クリスマス中 ロッテ・クリスマス東

 さすがに、まだ(ギリギリ)11月ですので、街中がクリスマス・ムード一色というわけにはいかないのですが、こういう風景を見ていると、やっぱり、こんな切手をもってきてみたくなりますね。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国・1958年用年賀

 これは、1957年12月11日に3種セットで発行された1958年用の年賀切手(韓国の年賀切手としては、これが最初の発行です)の1枚で、クリスマス・ツリーの脇に干支の犬がしゃがんでいるデザインになっています。初期の頃の韓国の年賀切手は、“お正月”を連想させる伝統的なデザインのものとクリスマスをイメージしたものが同時に発行されていますが、今回ご紹介のものなどは、一枚で両方を兼ね備えたものといってもよさそうです。まぁ、英文のクリスマス・カードには“Merry Christmas and a Happy New Year”という具合に、クリスマスと正月を一緒に祝う文言を書きますから、考えようによっては、合理的なデザインといえないこともないのかもしれません。

 韓国では4人に1人がクリスチャンともいわれており、キリスト教の社会的影響力は侮れないものがあります。

 朝鮮におけるキリスト教は、1784年、外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国したのがルーツとされています。その後、李王朝の下でキリスト教は弾圧されていましたが、1876年の開国に伴い、欧米諸国との外交上の必要から、キリスト教の禁止は解除され、新旧キリスト教の宣教が本格化していきます。

 日本統治下では、プロテスタントが総督府との対決姿勢を鮮明に打ち出したのに対して、カトリック側は総督府に対して宥和的な姿勢をとり、勢力を伸張しました。熱心な信徒であった安重根が伊藤博文の暗殺事件を起こした後、カトリック教会が安の起こした事件を非難し、安の信者としての資格を剥奪したことなどは、韓国カトリック教会の“対日協力”の事例としてよく引き合いに出されるエピソードです。

 このため、第二次大戦後は、アメリカの占領時代を経て大韓民国が成立したこともあって、韓国におけるキリスト教の主導権はプロテスタントが握ることになります。もっとも、1970年代の朴正・維新体制時代には、カトリックもプロテスタントと協力して民主化運動に積極的に展開したため、両派ともに弾圧の対象となりましたが、そのことがかえって、カトリックの復権につながったとも言われています。

 なお、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でも、韓国のキリスト教について若干のページを割いていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 <解説・戦後記念切手>シリーズの別冊 『年賀切手』が12月25日日付で刊行されます!(下の画像は出版元制作の広告:クリックで拡大されます)

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 奥付上の刊行日は12月25日ですが、すでに原稿は僕の手を離れて、印刷所の輪転機も回っていますので、17日の羽子板市の頃には実物はできあがっていると思います。なにとぞ、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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 三の酉
2008-11-29 Sat 09:25
 きょうは三の酉です。三の酉まである年は火事が多いそうですから、皆様もお気をつけください。

 さて、先日の二の酉に続いて、今日も、来月刊行予定の『年賀切手』のなかから、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 1981年用年賀

 これは、1980年12月1日に発行された1981年用の年賀切手で、長野県の郷土玩具、信州中野土人形の“にわとり”が取り上げられています。

 長野県中野市でつくられる中野土人形には、奈良家で制作される(狭義の)中野人形と西原家で制作される立ヶ花人形のふたつの系統がありますが、このうちの(狭義の)中野人形は、文政年間の1820年頃、京都へ正月用の福寿草や竹・ワラの製品を売りに行った奈良家初代の栄吉(1806-70)が、そこで出会った伏見人形に魅了され、人形師に頼み込んで型を譲り受け、さらに夫婦者の職人を中野に呼んで作り方を習ったのが、そのルーツと考えられています。

 その後、栄吉は伏見からおよそ40回にわたって百数十個の人形を持ち帰りましたが、身の丈が6尺、背中に入れ墨という姿で天秤棒に商品を担いで道中を歩く姿は“信州の鬼が来た”と恐れられるほどであったといわれています。

 さて、中野土人形の特色は目鼻がはっきりと浮き出る彫りの深さで、彩色されない素焼きの状態でも、十分鑑賞に耐えうる水準と評価されています。現在まで作り継がれている人形のほとんどは縁起物で、“赤物”と呼ばれる赤い着物の子供の人形を始めとした10センチ前後の小さな人形が有名です。また、伏見系の人形のほか“だるま恵比寿”のように九州の博多人形から型抜きしたものや“ふぐのり大黒”などの中野土人形独自の人形もあります。

 切手に取り上げられた“にわとり”は、奈良家第5代の久雄の作品で、切手に採用した郵政省は「各地のニワトリのおもちゃの中で、これが造形、色彩ともに一番親しみやすく、かわいらしい」と高く評価しています。

 さて、来月刊行予定の拙著『年賀切手』ですが、今週木曜日(28日)に無事、編集作業が完了して印刷所に入りました。奥付上の刊行日は12月25日になっていますが、12日ごろには現物が納品の予定だそうです。無事に刊行の暁には、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 * 本日から所用で2泊3日で韓国・ソウルに出かけてきます。帰国は1日(月曜日)の予定ですが、この間、ブログの更新が滞ったり、連絡がつきにくくなるかもしれませんが、あしからずご了承ください。
 

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 タージマハル・ホテル
2008-11-28 Fri 12:24
 インドのムンバイ(ボンベイ)で現地時間26日夜(日本時間27日未明)、市中心部のターミナル駅や高級ホテルなどを狙った武装グループによる襲撃事件が発生。きょう未明までに日本人1人を含む少なくとも125人が死亡し、315人が負傷。犯行グループは、英米人を標的に多数の客らを人質に取り、タージマハルホテルとトライデントホテルなどに立てこもるという事件が起こりました。亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈りするとともに、無辜の市民を巻き添えにするテロリストの所業に怒りを感じます。

 さて、今回の事件の舞台となったタージマハル・ホテルに関して、こんなマテリアルがありましたので、ご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

 タージマハル・ホテルのカバー タージマハル・ホテルのカバー(裏)

 これは、1937年4月19日、ボンベイからイギリスのケント宛に航空便で差し立てられたタージマハル・ホテルの封筒です。

 タージマハル・ホテルはムンバイのアラビア海に面した場所に位置する超高級ホテルで、開業は1903年です。

 インドを代表する世界的な大財閥、タタ・グループの創立者であるジャムセトジー・タタは、あるとき、イギリス人の友人とムンバイの某ホテルに入ろうとしたところ、ドアマンから“非白人”であることを理由に入館を拒否されます。このことに激怒した彼は、インド人も入れる一流ホテルを作ることを誓い、贅を尽くして作り上げたのがタージマハル・ホテルだったというわけです。ちなみに、今回のカバーには6アンナと1.5アンナの通常切手が貼られていますが、このカバーが差し出される2年ほど前の1935年に発行されたジョージ5世即位25周年の記念切手には、本家のタージマハルを取り上げた2.5アンナの切手もありますので、どうせならそっちを使ってくれればよかったのに…と思わないでもありません。

 ムンバイの欧米名“ボンベイ”は、ポルトガル語の“ボン・バイア(良港)“に由来するともいわれているように、欧米人にとって、ムンバイは海からインドへ入る玄関口でした。しかし、民族主義者のタタは、ホテルの正面玄関を、あえて、欧米人がやってくる海側にではなく、インド人が訪れる陸側に配し、気概を示しています。

 今回のテロ事件の舞台となったムンバイには、インド準備銀行(中央銀行)や証券取引所があり、タタ・グループが本拠を構えるなど、インド経済の中心地ですが、今回のテロを受けて、ムンバイ証券取引所は27日の取引を中止しています。また、犯人グループの襲撃で、ムンバイの象徴ともいうべきタージマハル・ホテルも炎上し、屋根の一部が焼失したそうです。

 まさに、インド資本主義に対する正面からの挑戦ともいうべき犯行がインド社会に与えた損害は、もちろん、物理的にも甚大なものですが、同時に、それがインド人にとっての深刻な精神的トラウマとなり、“911”後のアメリカのように、インド社会全体がおかしな方向に行かなければよいのですが…。


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 『郵趣』今月の表紙:年賀「富士」20面シート
2008-11-27 Thu 20:00
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2008年12月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 富士小型シート

 これは、1936年用の年賀切手として発行された「富士」の20面シートです。

 逓信省郵務局が日本最初の年賀切手を発行することを決定したのは、1935年春のことでした。

 昭和10年度の年賀郵便の特別取扱期間は1934年12月20日から29日まででしたが、実際にこの期間内に差し出される年賀状は全体の70%にすぎず(逓信省の目標は99%)、さらに、全体の40%が取扱期間最終日の29日に集中していました。このため、逓信省では、立看板、ポスター、ビラ、新聞報道、ネオン等あらゆる宣伝手段を用いて、年賀状の早めの差出を利用者に呼びかけていましたが、効果はあまりありませんでした。

 そこで、昭和11年度に関しては、前年までとは趣向を変えて、年賀切手を発行し、年賀日附印を使用することによって、年賀郵便の特別取扱期間の周知徹底をはかることが企画されます。

 当初、図案の題材としては、1936年の干支(丙子)のねずみにちなむものが有力視され、逓信博物館周知係図案部では、ねずみや俵の上に乗る大黒天などの下図が作成されました。しかし、干支については逓信博物館に強い影響力を持っていた樋畑雪湖 が難色を示したこともあって 取りやめになり、代わりに周知係長であった吉田豊の提案により、富士の絵を題材とすることが決定。谷文晁、勝川雅信、尾形光琳等の作品が候補として挙がりましたが、最終的に渡辺崋山 の「富嶽之図」が採用となっています。

 切手は、1935年12月1日に発行となりましたが、通常の100面シートの切手のほかに、“昭和十一年 年賀用郵便切手”との題字が入った20面の小型シートも発行されています。逓信省の省令では、この切手は“年賀切手”ではなく普通切手扱いでしたが、現実には、この題字に見られるように、年賀切手として扱って問題ないとの認識だったのでしょう。

 小型シートは記念品としての色彩が強く、取扱は逓信省構内局のみ。11月15日から30日まで通信販売が受け付けられました。また、通信販売が中心であったこともあり、購入者への郵送時の当て紙を兼ねて、小型シートを収める特性封筒もつくられ、配布されています。

 100面シートの場合、耳紙には凸版印刷の特徴である霞罫がつけられていますが、小型シートは罫線のない“白耳”である。また、銘版に関しても、100面シートは97-99番切手の下に“大日本帝国政府内閣印刷局製造”との銘版が3枚掛けで入っているのに対して、小型シートでは18-19番切手の下に“内閣印刷局製造”の銘版が2枚掛けで入っています。したがって、こうした耳紙つきの状態であれば、単片でも両者を区別することは可能です。

 さて、<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として、来月刊行予定の拙著『年賀切手』ですが、今回ご紹介の『郵趣』12月号の裏表紙に、ついに、表紙のデザインを含む広告が掲載されました。(下の画像:クリックで拡大されます)

 『年賀切手』広告

 奥付上の刊行日は12月25日ですので、広告でもその日付での刊行と謳っていますが、すでに、原稿は僕の手を離れて、明日には印刷所の輪転機が回りだす手はずになっていますので、17日の羽子板市の頃には実物はできあがっていると思います。なにとぞ、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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 温暖化の恩恵
2008-11-26 Wed 10:51
 世界最大の島でデンマーク領のグリーンランドで、25日、自治拡大の是非を問う住民投票がありました。周辺海域に眠るとされる地下天然資源の管理権の移譲などが含まれ、賛成票が上回る公算が大きいのだそうです。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 グリーンランド小包切手

 これは、1905年5月1日に発行されたグリーンランドの小包切手です。

 16世紀にデンマーク領となったグリーンランドでは、 1774年以降、王立グリーンランド貿易会社(KGH: Den Kongelige Grønlandske Handel)がグリーンランド島内および本国との間の通信を独占的に扱っていました。当時のデンマーク=グリーンランド便は、気候の厳しい遠隔地ゆえ、年に1便しか往復できませんでした。

 その後、1875年には蒸気船が就航したこともあり、1888年からはデンマーク=グリーンランド便は年に2往復に増便。さらに、1900年以降は、年に3-5往復、1930年以降は2-11往復、1939年以降は9-17往復へと増便されていきます。

 こうした状況の中で、KGHはデンマーク=グリーンランド便の小包の増加に対応して、料金を徴収するための“切手”の発行を計画します。これに対して、デンマーク本国は、KGHによる一般的な切手の発行を認めず、かわりに、コペンハーゲン=グリーンランド間ならびにグリーンランド内の小包料金を徴収するためだけの切手の発行のみを承認。このため、1905年5月1日、今回ご紹介しているような小包切手が発行され、7月14日から使用されました。ちなみに、当時の料金は5キロにつき10オーレです。

 切手のデザインは白熊を描くグリーンランドの紋章で、デンマーク人のゲルハルト・ハイルマンが原画を作成しました。こうしたKGHによる小包切手は、1938年にグリーンランド独自の切手が発行されるようになるまで使われています。

 さて、今回の住民投票でグリーンランドの自治権が拡大すれば、地下資源の収入の面でグリーンランド自治政府(1979年発足)の権限も拡大され、将来の油田開発によって独自の財源を確保することも可能になります。ちなみに、油田開発によって見込まれる石油収入のうち、7500万クローネ(約12億4000万円)まではグリーンランドが確保でき、超える部分はデンマークと折半することになるのだとか。自治政府の予算の半額を補助金として支出しているデンマークの中央政府としても、外交や通貨は手放さずに、警察や司法を自治政府に移管して補助金を削減できれば、メデタシメデタシというわけです。

 ちなみに、グリーンランドの自治権拡大の背景には、地球温暖化によって本土や周辺海域を覆う氷が溶け、資源開発が容易になる可能性が高まってきたことも背景にあるのだとか。白熊クンたちには気の毒かもしれませんが、日頃、諸悪の根源のように言われている“温暖化”にもこんなメリットがあったんですねぇ。

 
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 開城観光中断
2008-11-25 Tue 18:17
 韓国の李明博政権による“一方的な対北支援の見直し”を不満とする北朝鮮が、きのう(24日)、昨年(2007年)12月以来の開城観光の中断をはじめ、開城工業団地と金剛山観光地区の当局関連機関の企業と常駐人員の選別追放、南北縦断列車の運行中止などを韓国側に通告してきました。 というわけで、今日は開城ネタとして、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 開城・風景印

 これは、日本統治時代の開城で使われた風景印(日付は1933年11月2日)で、古都・開城の名所として善竹橋に楼閣と、開城名物とされた朝鮮人参が描かれています。

 日本統治下での朝鮮では1931年10月20日から、各地の名所旧跡や名産品などを描いた風景印が使用されていますが、今回ご紹介の開城局は、以前ご紹介した東莱温泉局とともに、最初の使用局のひとつです。

 開城は北朝鮮南西部、38度線のすぐ南にある都市で、919年、当時、松嶽と呼ばれていたこの地に高麗王朝が遷都したことから歴史の表舞台に登場します。その後、元の支配下で、これに抵抗した高麗王が江華島に移った時期(1232-1270)もありましたが、1392年に李氏朝鮮が成立し、都がソウルに移るまで、開城は高麗の都でした。このため、市外北西の万寿山一帯には、高麗時代の王陵が数多く残されています。

 風景印に取り上げられている善竹橋は長さ6.67mの石橋で、現在でも残されています。“高麗王朝最後の忠臣”といわれる鄭夢周が、「何如歌」を歌って新王朝への協力を勧めた李芳遠に対して、「丹心歌」で応じてきっぱりと断ったため、暗殺された場所として有名で、開城観光の目玉のひとつでした。石床には赤い跡があり、忠臣の血が滲んだ跡とされています。実際には、石中の鉄分が酸化した跡に過ぎないのですが、まぁ、そのあたりを指摘するのは野暮というものでしょう。

 高麗の滅亡後、旧高麗の遺臣たちは政治には関与せず(できず)、商業活動に専念したため、開城は商業都市として発展。開城商人は朝鮮人参・陶器・衣類などの行商で活躍し、李氏朝鮮における物流の重要な担い手となりました。特に、朝鮮人参に関しては、14世紀に開城で人工栽培が初めて本格的に行われるようになったこともあり、戦前までの開城はその集散地となっていました。風景印の朝鮮人参は、そうした事情を踏まえたものでしょう。

 第2次大戦後は、米軍占領下に置かれ、当初は大韓民国の領内にありましたが、朝鮮戦争の後、北朝鮮に編入され、現在に至っています。

 古都・開城への観光ツアーは、平壌から入るルートと、ソウルから南北の軍事境界線を越えて入るルートの二通りがありますが、このうち、ソウルからのルートは、2007年12月に本格的に始まり、これまでに約11万人が訪れています。ソウルからはバスで約2時間ということもあって、日帰り観光としての人気も高く、使用通貨が米ドルだけということもあって、北朝鮮の外貨獲得源になっています。

 また、太陽政策の成果とされる開城工業団地には、現在、製造業75社など116社が進出しており、今年7月には団地で働く北朝鮮の労働者が3万人を突破。総生産額は1億8500万ドルにも達しており、こちらも、北朝鮮にとっては重要な収入源になっています。

 今回の北朝鮮の強硬姿勢には、国連の北朝鮮人権決議で韓国が共同提案国になったことへの反発や、体制引き締めの意図があると指摘されています。もちろん、北朝鮮側の強硬姿勢により、韓国世論が動揺すれば、李明博政権の基盤も弱まり、北朝鮮側は南北交渉において優位に立ちうるという面もあります。

 まぁ、韓国の北朝鮮ビジネスを独占してきた現代峨山にとっては大打撃でしょうが、開城問題での強硬姿勢は、長期的には韓国よりも北朝鮮にとってのダメージの方が大きいわけですから、ここは「待つのも戦略だ」とする李大統領の方針が得策なんでしょうね。


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 天正遣欧少年使節の列福
2008-11-24 Mon 10:26
 天正遣欧少年使節の一人、ジュリアン中浦をはじめ、江戸時代初期のキリスト教徒迫害で死亡した日本人殉教者188人をカトリックの“福者”に列する列福式がきょう(24日)正午から、長崎市の県営野球場で開かれます。日本人の列福は27年ぶりで、列福式が日本で行われるのは初めてで、ローマ法王の代理として、ホセ・サライバ・マルティンス枢機卿がご出席だそうです。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 天正遣欧少年使節

 これは、1982年9月20日に発行された“天正遣欧少年使節400年”の記念切手です。この400年というのは、使節の長崎出発から起算した年周りですが、発行日は使節団の出発日ではなく、大村市を中心に各種の記念行事が行われたのにあわせたものです。なお、図案は、南蛮船と安土桃山時代に作られた世界地図です。

 1549年にザビエルが鹿児島に上陸して日本にキリスト教を伝えて以来、キリスト教は日本国内で急速に普及し、1563年には大村純忠が改宗して最初のキリシタン大名となりました。

 こうした状況の中で1579年に来日したイエズス会の東インド巡察使ヴァリニャーノは、日本での不況を進めるため、コレジオやセミナリオといった教育機関を設置するとともに、日本の少年をローマへ送ることを計画します。その目的は、①ローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること、ならびに②日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということ、でした。

 かくして、この計画に同意した3人のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信はローマに13歳から15歳までの少年使節を送ることに同意します。使節団の正使は伊藤マンショ(宗麟の使者)と千々石ミゲル(晴信の使者)で、副使は中浦ジュリアン(純忠の使者)と原マルチノ(同)で、ほかに、使節の教育係の修道士や印刷技術を習得するための日本人などが同行しました。
 
 一行は1582年2月20日、ポルトガル船で長崎港を出航し、マカオ、マラッカ、インド、喜望峰を回り、1584年8月、リスボンに到着。スペインの首都、マドリードで国王フェリペ2世の歓待を受けたほか、フィレンツェではメディチ家の舞踏会にも参加し、1585年3月、ローマで教皇グレゴリウス13世に謁見しました。その直後、グレゴリウス13世が急逝したため、後継のシクトゥス5世の戴冠式にも参加してから、同年6月、ローマを出発し、イタリア諸都市の訪問を経て、1586年4月、リスボンを出発して帰路に着きました。長崎への帰着は1590年7月のことで、彼らが長崎を旅立ってから8年半後のことでした。

 この間、大友宗麟と大村純忠は亡くなっていたばかりか、1587年には豊臣秀吉による伴天連追放令が発せられてキリスト教は禁教となっていました。このため、伊東と中浦はマカオで修道士としての学問を修めた後、帰国して布教活動を行いましたが、伊東が1612年に長崎で病死したのに対して、中浦は1633年に捕らえられて穴づりの刑で殉教しています。また、千々石は後に棄教し、原は持ち帰った印刷機により教会で使用する本の印刷を始めたものの、1614年にマカオに追放され、1629年、かの地で客死しました。

 このように、悲劇に終わった天正遣欧少年使節ですが、ヨーロッパに日本および日本人を紹介するとともに、活版印刷の技術を日本に持ち帰り、それによってキリシタン版と呼ばれる書物が印刷されるなど、その歴史的な意義は非常に大きなものがあります。

 なお、今回ご紹介の切手を含む1980年代前半の記念・特殊切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご一読いただけると幸いです。

 * 昨晩、カウンターが43万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 映画「私は貝になりたい」に寄せて
2008-11-23 Sun 16:47
 きのうから映画「私は貝になりたい」が公開となりました。いまから50年前の2008年10月に最初のテレビドラマが放送されて以来、1959年の映画、1994年のテレビドラマ(リメイク版)に次いで、今回が4回目の登場だそうです。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 巣鴨年賀(裏) 巣鴨年賀(表)

 これは、1958年に“スガモプリズン”から差し出された年賀状です。

 東京・池袋のサンシャインシティの場所にかつて存在した、スガモプリズンのルーツは、1895年に設置された警視庁監獄巣鴨支署で、1897年に巣鴨監獄、1922年に巣鴨刑務所と改称されました。その後、1937年に刑務所機能が府中刑務所に移管されて巣鴨拘置所になり、1945年の敗戦後、GHQに接収されてスガモプリズンと呼ばれるようになります。

 占領下の巣鴨プリズンには、いわゆるA級戦犯の他、BC級の戦犯とされた人々も収容され、1948年には東條英機元首相らA級7名、BC級21名の処刑も行われました。「私は貝になりたい」の主人公・清水豊松は架空の人物ですが(ただし、劇中に登場する遺書は、死刑判決を受け、後に減刑された加藤哲太郎の文章に酷似しているとされています)、設定としてはそのうちの一人ということになるのでしょう。

 さて、日本人の戦犯裁判は1949年9月で完全に終結。1952年の対日講和条約の発効後、巣鴨刑務所と改称されます。しかし、巣鴨刑務所には“戦犯”が収監されていることもあって、その部分に関しては、連合国による管理が続き、“戦犯”とされた人々の収監も継続されました。

 結局、最後のA級戦犯・佐藤賢了が出所したのは1956年のことで、一般庶民のBC級戦犯が完全に釈放されたのは、1958年5月に巣鴨刑務所の全面返還された(これに伴い、東京拘置所と改称されました)後の同年5月30日のことでした。こうして、1958年になってようやく、戦犯裁判に対する批判が許されるような状況になったことが、TVドラマ『私は貝になりたい』の放送に結びついたのではないかと思います。今回ご紹介の年賀状も、その1958年のもので、「今年こそは」の文面が、彼らの置かれていた苦難の日々を否が応でも連想させる1枚です。

 なお、来月刊行予定の拙著『年賀切手』は、いわゆる年賀切手に関する“読む事典”という内容の本ですので、年賀切手が貼られていない、今回のようなマテリアルは取り上げませんでしたが、あしからずご了承ください。


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 神農の虎
2008-11-22 Sat 10:23
 きょう・あす(22・23日)は、大阪の少彦名神社の神農祭です。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 1986年用年賀

 これは、1985年12月2日に発行された1986年用の年賀切手で、“神農の虎”が取り上げられています。

 神農は古代中国の伝説に登場する紀元前2740年頃の皇帝です。その体は、脳と四肢以外は透明で内臓が外からはっきりと見えたため、みずから百草を嘗めて内臓の変化を観察し、それにより毒の有無および影響を与える部位を見極めたといわれています。そして、あまりに多くの毒草を服用したために、体に毒素が溜まり、120歳で亡くなったとされています。

 こうしたことから、中国では“神農大帝”の名で医薬と農業を司る神として祀られていますが、わが国でも、大阪市中央区の少彦名神社には、記紀神話の医薬・禁厭(呪術)の神とされる少彦名命とともに祭神として祀られています。

 少彦名神社は、1780年10月、薬種中買仲間の団体組織である伊勢講が、薬の安全、薬業の繁栄を願うために、京都の五條天神宮(現・五條天神社)から少名彦命の分霊を道修町にあった仲間会所に勧請し、すでに仲間会所に祀ってあった神農氏(神農とその一族)とともに祀ったのがルーツです。このため、地元では、“神農さん”の愛称でも親しまれています。

 1822年、関西を中心に“三日ころり(コレラ)”が猛威を振るった時、道修町の薬種仲間は虎の頭の骨を調合して“虎頭殺鬼雄黄円”という名の特効薬を作り上げるとともに、疫病除けの祈願をこめて笹の枝につるした張子の虎を“神農さん”に奉納。悪病退散を果たしました。

 これにちなみ、霊験あらたかな張子の虎が“神農の虎”と呼ばれるようになり、無病息災のお守りとして、毎年11月22-23日に少彦名神社で行われる神農祭から新しいものが頒布されるようになったそうです。その意味では、切手に取り上げられた張り子の虎は、新年よりも、年末の題材というイメージが強いのかもしれませんね。

 なお、切手が発行された1985年は、プロ野球の阪神タイガースが20年ぶり(だったと思いますが、間違ってたらすみません)に日本一になった年で、全国的に虎フィーバーが吹き荒れた年でした。そのため、翌年の干支ととも重なって、年末には“神農の虎”の人気が例年に倍する状況だったとか。来年はそれから干支がふた回りした丑年ですが、またしても、阪神が優勝してトラ吉の皆さんがニッコリ笑って寅年を迎えることができるかどうかは、神のみぞ知るというところでしょうか。

 さて、 <解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として、今年12月に刊行予定の拙著『年賀切手』ですが、現在、メインの原稿はすべて出来上がっており、鋭意、制作作業中です。まもなく、このブログでも詳細をご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。


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 世界漫遊記:ブラン城(後篇)
2008-11-21 Fri 12:25
 『キュリオマガジン』12月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、前回に引き続き、ドラキュラ城ことルーマニアのブラン城訪問記の後篇です。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブラン城(青) ブラン城(赤)

 これは、共産党支配下の1973年にルーマニアで発行されたブラン城の葉書です。同じデザイン・同じ額面で赤と青の色違いがあるので並べてみましたが、どうして、こういう色違いのものが発行されたのか、その理由は調べきれませんでした。

 1947年末、ルーマニアの王制が崩壊し、共産主義政権が発足すると、ブラン城も共産党政権に接収されます。

 共産党支配下のルーマニアでは、その独自の民族主義路線ゆえに、小説としてのドラキュラのイメージをヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)と混同することはタブー視され、小説『ドラキュラ』は発禁処分とされてしまいます。しかし、その一方で、オスマン帝国と戦った民族の英雄であるヴラド3世は国民統合の象徴として最大限に活用され、彼にまつわる(とされた)ブラン城も、ルーマニア民族の誇るべき文化遺産として切手や葉書にたびたび取り上げられることになりました。今回ご紹介の葉書も、その一例というわけです。

 ちなみに、反対派を容赦なく串刺しの刑に処したというヴラド3世の恐怖政治は、同じく、反対派や不満分子を徹底的に弾圧していたチャウシェスクにとって、格好のお手本だったようです。チャウシェスクが「ヴラドの恐怖支配のおかげでワラキアには犯罪者がいなかった。ヴラッドは社会革命の指導者である」と称賛していたというエピソードは、現在となってはブラックジョークにしかきこえません。

 さて、共産政権の崩壊後も、2006年までは、ルーマニア政府は観光資源としてのブラン城を手放しませんでした。しかし、2006年になって、ブラン城はルーマニア王家の末裔でニューヨーク在住の建築家、ドミニク・フォン・ハプスブルクに突如返還されます。これは、2007年のEUへの加盟と併せて、ルーマニアが、スラブ・ロシアよりも、ハプスブルク家のヨーロッパとの関係が深かったことを示すためのパフォーマンスであったといわれています。

 個人のものとなったブラン城が、今後も、これまでのように公開され続けることになるのかどうか、先行きは不透明とのことですが、“ドラキュラ観光”で生計を立てている多くのルーマニア人にとって、ブラン城の公開が取り止めということにでもなったら、ドラキュラ伯爵が心臓に木の杭を打ち込まれるのと同じようなダメージがあるのはいうまでもありません。

 なお、今回の記事では、共産党時代はもとより、王制時代や民主化以降のブラン城に関するマテリアルもいろいろとご紹介しつつ、ブラン城について多角的にご紹介しています。切手に関心のある方は勿論、“ドラキュラ”にご興味をお持ちの方にも広く楽しんでいただける内容となっていると思いますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 ボジョレー解禁
2008-11-20 Thu 09:42
 きょうは11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、ストレートにこんな切手をもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 フランス・ブドウの収穫

 これは、第2次大戦中の1940年12月に発行された慈善切手の1枚で、ブドウの収穫の場面が取り上げられています。この年の慈善切手は農業をテーマにした4種類の発行で、他には、小麦の収穫、種まき、牧牛の場面を取り上げた切手が発行されています。

 1940年6月、フランスはドイツに降伏。その結果、パリをふくむ北部と西部をドイツに、マルセイユを含む南部をイタリアに保障占領され、第1次大戦の英雄であったフィリップ・ペタンを首班に、中部の都市であるヴィシーを首都として親独的中立政権が発足し、第3共和政は終焉を迎えます。

 ヴィシー政府の発足後、フランス切手の国名表示が“フランス共和国”を示すRFから、フランス郵便(Postes Françaises)へと変更されたことは広く知られています。ただし、ヴィシー政府発足後も1941年前半まではRF表示の切手が発行されており、国名表示の完全な切り替えにはそれなりに時間がかかっています。今回ご紹介の切手も、ヴィシー政権発足後のRF表示の一例です。

 ちなみに、切手に描かれている人々の服装は、日本では9月から10月頃の気候という感じですが、ボジョレー地方でのブドウの収穫が行われる9月中旬ごろの気温は、だいたい、朝が10℃、昼間が15℃だそうです。切手が発行された当時、ボジョレー地方はヴィシー政府ではなくドイツの占領下にあったということを考えると、切手に描かれている収穫の場面も、ボジョレーではなく、ヴィシー政府の支配が及んでいた南仏プロヴァンスあたりの光景じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

 まぁ、美味い酒が飲めれば、その産地がボジョレーであろうとプロヴァンスであろうと、どちらもウェルカムというのが僕の本音なんですがね。


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 夫妻暗殺
2008-11-19 Wed 15:22
  旧厚生省の事務次官経験者とその妻が相次いで殺傷される事件が起こりました。容疑者はいまだ逮捕されず、犯行の動機や背景などは分かっていませんが、厚生行政に不満をもつ者による連続テロ事件ではないかとの見方が強いようです。仮に、今回の事件がテロだったとすると、元次官のみならず、厚生行政とは全く無関係の妻まで犠牲になったというのは何とも痛ましい話で、あらためて、犯人に対する怒りがわいてきます。

 さて、いわゆるテロ事件で、夫妻が一度に凶刃に倒れたケースというと、歴史的にはこの2人を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

 サライェヴォ事件

 これは、1917年にオーストリア=ハンガリー二重帝国支配下のボスニア・ヘルツェゴヴィナで発行された切手で、サライェヴォ事件の犠牲になったオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーが描かれています。切手の下の1914年6月28日というのは、サライェヴォ事件が起こった日付です。

 オスマン帝国の支配下に置かれていたボスニア・ヘルツェゴヴィナは、1878年のベルリン会議でオーストリアに占領されることになり、1908年からは正式にオーストリア=ハンガリー二重帝国領に編入されました。これに伴い、1879年以降、この地域ではハプスブルク家の紋章を取り上げた切手が使用されています。

 これに対して、セルビア人をはじめとするこの地域のスラブ系住民は、ハプスブルク家の支配に反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでおり、社会的に不安定な状況が続いていました。

 こうした状況の下で、オーストリア当局は、1914年6月28日にフェルディナンド大公夫妻のサライェヴォ訪問を設定します。

 フェルディナンド大公は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの甥で、当初は、帝国の皇位継承とは無関係とみられていましたが、皇太子のルドルフ1世が1889年に亡くなったため、皇位継承者として急浮上します。

 ところで、大公にはボヘミアの伯爵家出身でテシェン公家の女官であったゾフィー・ホテクという恋人がいましたが、皇室は、チェコ人の女官のような身分の低い女性と結婚するのに反対し、大公と激しく対立します。結局、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に2人の結婚は承諾されるのですが、結婚後もゾフィーに対する冷遇は続き、劇場などでも大公との同席は許されませんでした。

 こうして経緯もあって、大公自身は親スラブ的な傾向が強かったようですが、ボスニアのセルビア人にしてみれば、“オーストリアの皇位継承者”は侵略者の手先でしかありません。かくして、大公夫妻のサライェヴォ訪問の機会をとらえて、セルビア民族主義を奉じる秘密組織黒手組のガブリロ・プリンチプが夫妻を暗殺したというわけです。

 その後、事件に使われた武器がセルビア政府の支給品であったことが露見し、オーストリアがセルビアに宣戦を布告。これが第一次大戦の直接のきっかけになりました。


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 ミッキー・マウス80歳
2008-11-18 Tue 13:40
 1928年11月18日は、ミッキーマウスのデビュー作「蒸気船ウィリー」が公開されたことにちなみ、ミッキーマウスの誕生日なのだそうです。というわけで、ミッキー80歳の誕生日を記念して、今日はこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 香港ディズニーランド

 これは、2005年9月12日の香港ディズニーランド(香港迪士尼樂園)の開園を記念して中国香港が発行した記念切手の一枚で、ミッキーとミニーが取り上げられています。以前、偽ミッキーが横行する中国の遊園地のことが話題となりましたが、こちらはもちろんホンモノです。

 香港迪士尼樂園は、香港国際空港(香港國際機場)からほど近い、大嶼島(ランタオ島)北部のペニー湾にあります。ちなみに、香港の中心部・セントラル(中環)の駅からは、地下鉄で約30分弱で行けます。

 香港迪士尼樂園は、香港だけでなく中国や台湾、東南アジア各国からの入場者を見込んでいるため、平日の入場料は大人1人295香港ドル(約3600円)と、東京の5500円よりも安めに設定されていますが、この金額でも、現地の物価からするとそれなりに高く感じられるようです。

 香港迪士尼樂園に関しては、開園当初からさまざまなトラブルが相次いで報道されて話題となりました。たとえば、環境保護派の面々が園内のレストランでふかひれスープを出すことについてクレームをつけて大騒ぎしたとか、開園から1ヵ月後の2005年10月12日には、労働環境の改善を求める従業員とみられる男性が“真実を暴く”などと赤い字で書かれた白いTシャツを着てスペースマウンテン屋上に登り喉元にナイフを突きつける自殺未遂事件を起こしことなどは、ご記憶の方もあるかもしれません。

 また、大陸から訪れる中国人のマナーの悪さ(“眠れる森の美女”の城で子供に立小便をさせる、痰唾を吐きゴミを投げ捨てる、行列の順番待ちを無視する、注意すれば暴力を振るう、といった事例がしばしば見られるそうです)を嫌って、彼ら以外の客足が遠のいているとも、東京ディズニー・リゾートを体験したことのある参観者からは、“スタッフの対応が横柄”、“狭い”、“アトラクションが少ない”などの不満が続出しているとも報じられ、ますます、客足が遠のいているともいわれています。

 こうしたこともあって、入場者数は当初の見込みを大きく下回っており、2007年度第3四半期終了時点で5つのディズニーリゾートのうち香港のみが赤字となりました。このため、ディズニー側の「開園から4年の業績次第では、閉園も含めて事業を見直すことがある」との方針もあって、現状では存続の危機にあるといっても過言ではないようです。

 もっとも、アトラクションの機械そのものは日本と同じものも使われているのでしょうから、考えようによっては、日本では1時間以上待つのが当たり前とされているスペースマウンテンなどもあまり並ばずに楽しめるという“メリット”もありそうです。また、最近の円高を考えると、地方から東京へ出てきてディズニーランドへ行くよりも、香港迪士尼樂園に行ってしまう方が、結果的に安上がりということもあるかもしれません。ディズニー好きの方でしたら、一度、足を運んでみるのも悪くないように思います。

 なお、僕自身はそもそも遊園地というものが得意ではないので(特にジェットコースターの類はまったくダメなんです)、香港迪士尼樂園にも行ったことはなく、去年刊行の拙著『香港歴史漫郵記』でも、香港迪士尼樂園については一言も触れませんでした。ただ、閉鎖の可能性もあり、というようなことになると事情は別で、香港史に残る一大失敗プロジェクトの現場を見に行く価値はあるかな、と思ってみたりもします。まぁ、大嶼島には他にも大仏やロープウェイなどの観光スポットもありますから、次に香港に行くときには、このエリアで1日過ごしてみても良いかもしれませんな。


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 二の酉
2008-11-17 Mon 11:41
 きょうは二の酉です。5日の一の酉の時は、アメリカの大統領選挙と重なっていましたので、その関連ネタをもってきましたが、きょうはストレートに、現在制作中の『年賀切手』のなかから、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 1969年用年賀

 これは、1968年12月5日に発行された1969年用の年賀切手で、山形県米沢の郷土玩具、笹野一刀彫の“とり”が取り上げられています。

 笹野一刀彫のルーツについては諸説ありますが、806年、蝦夷と戦った坂上田村麻呂が戦勝を祈願して笹野に観音堂を開いた際に起こったとも、807年の観音堂の年越し祭の縁起物として作られたともいわれています。

 笹野一刀彫は、サワグルミ、コシアブラなど、地元の野生の木を乾燥させ、これをサルキリ、チジレとよばれる独特な刃物で彫り、削って作りますが、短く切った木の枝の皮を剥ぎ、乾燥させた後、木肌を薄く削る作業を繰り返すという作業工程は、アイヌの祭具イナウの製法と似ており、この地に居住していたアイヌ系の人々の影響も指摘されています。

 江戸時代の安永年間(1772-1780)、米沢藩主の上杉鷹山は、産業奨励策の一環として、農家の副業として笹野一刀彫を奨励。これを受けて、“鶏”のように早起きをし、“餅つき兎”のように努力することで、“蘇民将来 ”を信仰し、“恵比須大黒”を守り神とする“笠かむり農夫”は“亀”の如く長寿が約束され、“せきれい”のごとく子孫が繁栄し、“お鷹ぽっぽ”のように禄高を増す、という鷹山の訓戒にちなんだ題材の玩具が数多くつくられるようになりました。

 その後、時代の流れとともに笹野一刀彫も次第に衰退し、第二次大戦の終戦時には、高山辰三、高橋辰五郎など限られた職人が細々と作るのみで、組織的に技術を伝承していくためのシステムもありませんでした。

 そこで、米沢市の県立商業学校の美術教師であった長谷部義美がデザイン・色彩などを研究してアドバイスするとともに、規格を定めて商品としての体裁を整えます。その結果、次第に品質も向上し、需要も回復して民芸品としての知名度も高まることになったそうです。

 切手に取り上げられているのは、五代目高橋辰五郎が製作した“日中にわとり”と呼ばれている雌雄一対の玩具のうち、雄鶏のみを取り上げたものです。笹野一刀彫の中には“勝鬨ニワトリ”と称する雄鶏のみのものもあるため、切手の発行時には、新年早々の“夫婦別れ”は縁起が悪いとクレームをつける収集家もいたようです。

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 世界のダム:TVAダム
2008-11-16 Sun 13:05
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、今回は、アメリカ大統領選挙の月ということで、この1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 TVAダム

 これは、1983年に“テネシー川流域開発公社(TVA)50年“を記念してアメリカで発行された切手で、TVA事業のシンボルともいうべきダムが描かれています。

 1933年に発足したアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権はテネシー州ノックスビルに本部を置くテネシー川流域開発公社(TVA)を設置し、大規模公共事業を展開。1929年の世界恐慌で発生した大量の失業者を労働力として吸収したことは広く知られています。

 TVAはテネシー川流域には32個もの多目的ダムが建造しただけでなく、植林、土壌保全、河川整備、窒素肥料その他の化学製品生産、漁業・鉱業・観光資源開発など、さまざまな事業を展開。現在でも活動を続けています。当時、TVAの建設した多数のダムにより提供された安価な電力は、第2次大戦中、原爆開発や軍需生産にも利用されました。

 さて、今回の切手に取り上げられているダムですが、TVAの第一号ダムとして1936年に完成したノリス・ダムのイメージで原画が作成されたのではないかと思います。

 ノリスダムは、ネブラスカ選出の上院議員、ジョージ・ノリスがルーズベルトの当選以前から提唱していたプランに基づいて作られました。建設に際しては、土壌保全の名目で619平方キロの土地が買収されましたが、実際にダムの底に沈んだのは137平方キロしかなかったそうです。その過程で、約3500世帯が立ち退き、政府は巨額の補償金を支払っています。これもまた、恐慌対策の一環と考えられたわけですが、実際には、立ち退きを強要された農民のおよそ4割が小作人で、彼らには立ち退きの補償金が支払われなかったとか。結局、彼らはダム建設やTVA関連ビジネスに携わってその後の生活を支えていくことになるのですが、机上のプランで組み立てられたバラマキ行政が、えてして期待した効果を上げられないという状況は、古今東西、たいして変わらないということなんでしょうかねぇ。

 なお、拙著『大統領になりそこなった男たち』では、そうしたルーズベルト政権と彼のニューディール政策に戦いを挑み、敗れていった政治家たちのドラマもいろいろとご紹介していますので、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 台湾の独自性④
2008-11-15 Sat 14:00
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『東亜』の2008年11月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、日本時代末期の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 台湾数字・未発行5円

 これは、第二次大戦の終戦間際、台湾で準備されたものの、発行されずに終わった5円切手で、デザインは日本本土と同じ藤原鎌足が取り上げられています。

 大戦末期の1944年10月、米軍がフィリピンのレイテ島に再上陸します。台湾最南端の鵞鑾鼻岬からは、天気が良ければフィリピンの北端が見えるほど、両者の近い距離にありますから、台湾は、米軍の侵攻がいよいよ間近に迫ってきたのではないかとの緊張に包まれることになります。

 こうした状況の中で、1944年10月、台湾総督府交通局の逓信部長は、日本本土との交通が途絶えて葉書の供給がストップし、在庫切れとなることを予想して、内地製のものと同形式で暫定的な葉書を現地で製造したいことを、東京の通信院(1943年11月の行政機構の簡素化により、逓信省が改組されたもの)に申し出て、了承を得ています。この結果、台湾で製造・発行されたのが、いわゆる台湾楠公と呼ばれる葉書です。

 ところで、“台湾楠公”が世に出た1945年6月になると、戦況はいよいよ悪化し、東京の逓信院は朝鮮総督府逓信局長・台湾総督府交通局総長・関東逓信官署逓信局長・南洋庁交通部長宛に、それぞれの管内で図案を簡略化した切手を製造することとし、そのための準備に入るよう指示。これを受けて、台湾ではさっそく、“簡素切手”の製造準備に取り掛かります。逓信院から送られてきた切手の元図は台湾出版印刷株式会社に渡され、3銭、5銭、10銭、40銭、50銭、1円の6種類の数字切手と、内地の5円(今回ご紹介のものです)、10円切手と同図案の切手の印刷が発注されました。これが、いわゆる台湾数字切手です。

 しかし、実際に切手発行の計画が立案されたのは7月31日のことで、台湾総督府交通局逓信部長の決裁が取られ、切手発行についての最終的なゴーサインが出たのは、玉音放送前日の8月14日のことでした。すでに8月4日、印刷所では見切り発車で切手の製造が開始されていたものの、結局、“簡素切手”は終戦には間に合いませんでした。

 その後、3銭・5銭・10銭の3種類だけは、日本の敗戦後、1945年11月に中国側が台湾の郵政を接収するまでの移行期間中の10月下旬、切手の在庫がなくなったために発行されたものの、今回ご紹介のものを含むその他の切手は未発行のままに終わっています。

 なお、雑誌『東亜』の僕の連載は、2年間・8回分しか割り当てがありませんので、現在までカバーしようとすると、日本時代には結果として2回しか割けないのが残念なところです。まぁ、連載で書ききれなかった分については、いずれ、台湾をテーマとした単行本を作り機会があれば、その時にたっぷりと書いてみたいものです。

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 「しらせ」25年
2008-11-14 Fri 09:12
 南極観測船「しらせ(初代)」が1983年11月14日に就航してから、今日でちょうど25周年です。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 しらせ就航

 これは、1983年11月14日に発行された「しらせ」就航の記念切手です。

 初代の南極観測船「宗谷」はもともと、1936年、ソ連の発注で作られた耐氷貨物船でしたが、戦争の影響でソ連へは引き渡されずに商船として利用されていました。第2次大戦後は、海上保安庁の灯台補給船として用いられていましたが、1956年の国際地球観測年 の際に大幅な改装を施されて観測船となります。

 その後、1962年に、南極観測任務は海上自衛隊の砕氷艦「ふじ」 が引き継ぎましたが、老朽化のため、1981年3月から後継砕氷船「しらせ」の建造が開始され、1982年11月に完成。1983年11月に第25次南極観測隊を乗せて南極初航海に出発しました。

 「しらせ」は海上自衛隊の砕氷艦で、3ノットで1.5メートルの氷を連続砕氷できる能力を持っているほか、艦体後部にはヘリコプター甲板と格納庫が備えられています。艦名は南極の“白瀬氷河”に由来するものと説明されていますが、その白瀬氷河の由来が白瀬中尉にあることは言うまでもないでしょう。

 その後、「しらせ」はほぼ四半世紀にわたり南極観測に用いられてきましたが、老朽化により、今年(2008年)4月に第49次南極隊が帰国した後、7月30日に退役となりました。その後、10月には、展示保存のための引き取り先が見つからず、解体処分となることが決まったのは記憶に新しいところです。なお、後継艦は2009年5月に完成予定で、艦名は「しらせ」を襲名することが決まっています。

 さて、「しらせ」は海上自衛隊所属の砕氷艦で、設計、契約、運用は防衛庁ないしは防衛省によって行われていますが、建造費用は文部省の予算によって支出されたことから、記念切手発行の申請は文部省が行いました。切手のデザインは、「『しらせ』の到着を喜び迎えるペンギンとオーロラ」と説明されましたが、はたしてどうでしょうかねぇ。巨大な船に驚いて逃げ惑うペンギンといった方が正しいような気もするのですが…。

 なお、この切手を含む1980年代前半の記念・特殊切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しくまとめておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 前総統の逮捕
2008-11-13 Thu 12:12
 きのう(12日)、台湾の陳水扁前総統が総統府の機密費流用と資金洗浄などの疑いで逮捕されました。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 陳水扁・総統就任(2期目)

 これは、2004年、陳水扁の2期目の総統就任を記念して発行された切手で、陳と副総統の呂秀蓮のほか、総統府の建物や当時は建設中だった台湾高速鉄道(当初は2005年10月の開業予定だったが、実際には2007年1月に開業)なども描かれています。

 陳水扁は1950年10月12日、台湾の台南県官田郷の小作農家の家庭に生まれました。幼少時より学業成績が優秀で、国立台南第一高級中学を経て台湾大学商学部へと進学。その後、法学部に入学しなおし、在学中に司法試験に合格しています。

 1979年の美麗島事件(世界人権デーに高雄で行われた雑誌『美麗島』主催のデモに際して、主催者らが投獄されるなどの弾圧に遭った事件)に際しては、陳は被告弁護団に参加し、主犯格とされた黄信介の弁護を担当。以後、党外活動(反中国国民党運動)の闘士として名を馳せ、1981年には台北市の市議会議員選挙に立候補し、最高得票で当選しました。

 その後、1986年に国民党立法委員(国会議員)の馮滬祥から名誉毀損で告訴され実刑判決を受けて下獄しますが、刑期満了で出獄後の1987年、前年結成されたばかりの民主進歩党(民進党)に参加し、中央常務委員に就任。1989年に立法委員に当選し、同党を代表する議員となりました。

 1994年、初めての台北市長直接選挙が実施されると、これに立候補して当選。台北捷運の建設や下水道を初めとする治水事業などを実施し、また既得権益に打撃を与える清廉さで高い支持率を得ましたが、1998年の選挙では国民党の宿敵・馬英九(現総統)に破れて落選。しかし、2000年の総統選挙で民進党候補として当選を果たし、半世紀に及ぶ国民党支配体制を民主的選挙によって終わらせました。

 しかし、当選後は国民党の影響力を十分に払しょくすることができず、政権運営は多難を極めます。そして、2004年の総統選挙では再選を果たし、今回ご紹介の切手も発行されたものの、2005年8月には息子で総統府秘書長だった陳哲男が、高雄捷運の建設工事に関係した業者の招待を受けて海外旅行したとのスキャンダルが発覚。さらに、翌2006年5月には、娘婿の趙建銘が台湾土地開発公司の不正取引に関与していたことが表面化するとともに、夫人の呉淑珍についても太平洋崇光百貨(そごう)の商品券及びインサイダー取引疑惑が浮上。さらに、呉淑珍が、総統府機密費1480万台湾ドルを私的流用していたとして、汚職と文書偽造の罪で起訴されるにいたり、陳政権は完全にレームダック化してしまいます。

 この結果、今年3月の総統選挙では、陳に対する不信感から与党候補が惨敗。国民党の馬英九政権の復活を許してしまうことになりました。

 今回の逮捕に関して、陳は連行される際に「政治的迫害だ」と叫んだそうですが、仮にそうであるのなら、常識的に考えて、陳が無罪放免ということはあり得ないわけでしょう。もちろん、容疑が事実であるのなら、最高で30年の刑が待ち受けているということですから、陳の政治生命はほぼ断たれたとみてよいでしょう。

 まぁ、このあたりに関しては、今後の捜査と裁判を見守っていくしかないのですが、台湾独立派の旗手であった陳が逮捕されたのを好機とばかりに、台湾内の媚中派が勢いを増し、独立派を封じ込める動きが出てくることが多いに懸念されます。こういうときこそ、陳の犯罪とは別に、我々は、台湾は決して“中国”の領土ではないことを十分に認識し、台湾の中国への併吞に抵抗しようとしている人々への支援を強化していかなくてはならないように思います。

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 文民統制について
2008-11-12 Wed 11:53
 「我が国が侵略国家というのは濡れ衣だ」などとする論文を発表して退職に追い込まれた田母神俊雄・前航空幕僚長に対する参院外交防衛委員会での参考人質疑が昨日行われ、田母神氏は自らの更迭などの政府対応を「言論統制だ」と批判しました。この件に絡んで、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 マッカーサー宛(1951)

 これは、1951年4月16日、マッカーサー離日の日に彼宛に差し出されたカバーで、その後、マッカーサーの後を追ってアメリカ宛に転送されたものです。

 1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、当初、奇襲攻撃の利を生かした北朝鮮側が韓国・国連軍を釜山エリアにまで追い詰めますが、9月の仁川上陸作戦によって形勢は逆転。その後、韓国・国連軍は北朝鮮国家そのものの壊滅を目指して北緯38度線を越えて北上し、中朝国境の鴨緑江に迫りましたが、このことは中国人民志願軍の介入を招くことになります。
 
 1950年12月、韓国・国連軍は中国人民志願軍の攻勢により総崩れとなり、2週間ほどの間に、38度線以南まで後退。計3万6000名もの損害が発生しました。いわゆる“12月の撤退(December retreat)”です。さらに、12月31日、中国側が正月攻勢を発動したため、韓国・国連軍は再び後退を余儀なくされ、翌1951年1月4日にはソウルを放棄し、平沢=丹陽=三陟を結ぶラインまで撤退しました。

 その後、韓国・国連軍は後退して中国側の食糧・弾薬が尽きるのを待ち、攻勢が弱まった後、相手に補給と休養の隙を与えず、戦車を集中的に用いて反撃する作戦に変更。1951年2月には中国側の攻勢を撃退し、2月20日からは北進に転じて、3月15日、ソウルの再奪還に成功。月末までに38度線以南の要地を確保しています。

 ところで、国連軍は“Koreaに侵入した敵を撃退し、この地域における国際平和と安全を回復する”ことを目的としていましたが、Koreaの範囲については、これを朝鮮半島全域ととらえ、北朝鮮国家を殲滅し、背後の中国にも打撃を与えるべきとする現場のマッカーサーと、基本的には38度線以南の地域に限定し、東西冷戦という文脈の中で戦争の政治的決着を図ろうとするアメリカ政府が対立していました。こうした両者の対立は、国連軍がソウルを再び奪還した後の方針をめぐってついに極点に達することになります。

 すなわち、3月24日、マッカーサーは「国連が国連軍に課している制限事項を撤廃すれば、中国を軍事的に崩壊させうる」との声明を発表し、現状での停戦を考え始めていた本国政府の意向に真っ向から異論を展開。さらに、4月5日、(大統領の意向を無視して)台湾の国民政府軍を朝鮮戦争に参加させるべきとのマッカーサー書簡が、野党・共和党のマーチン議員によって議会で公表されました。これは、司令官が野党の政治家と結んで最高指揮官である大統領に反抗しようとするもので、完全な軍律違反となります。これでは、彼の主張がいかに正論であろうとも、許されるものではありません。

 かくして、4月11日、トルーマンはマッカーサーを米軍のあらゆる職務から解任し(マッカーサーの離日は16日)、第8軍司令官のリッジウェイがその後任となりました。

 当時、マッカーサー解任の真相を知らされなかった日本国民の間では、マッカーサーの離日を惜しむ声が圧倒的多数を占め、衆参両院をはじめ、あらゆる団体が感謝決議を採択しています。今回ご紹介のカバーも、帰国するマッカーサー宛に差し出されたもので、内容物は残されていませんが、3倍料金が貼られているところを見ると、おそらく、長文の感謝状のようなものが入っていたのでしょう。しかし、当然のことながら、この封書が東京に届いたマッカーサーは帰国してしまっていたため、封書はアメリカに転送され、裏面にはそのことを示すアメリカ側の印も押されています。

 さて、今回の田母神問題ですが、前幕僚長の主張自体は特に目新しいものではなく、その内容も全否定されなければならないようなものとは僕には思えません。もっとも、彼の論文には新事実の発見や新たな歴史解釈などはみられませんので、あれで賞金300万円がもらえるのなら、僕も応募しておけばよかったなぁ、とは思いますが…。

 とはいえ、彼の主張は、支持・不支持は別として明らかに村山談話などの政府見解と反しているわけで、“悪法も法”である以上、航空幕僚長という立場でそうした見解を公にするのはやはり問題でしょう。仮に、彼が確信犯として自説を主張するのであれば、制服を脱いでからにすべきで、その点で軽挙の誹りは免れないと思います。なお、シビリアン・コントロールという点でいえば、前幕僚長が即座に更迭されている時点で、十分すぎるくらい機能しているといえます。

 ところで、入学式や卒業式で、校長や教育委員会の命令を無視して、生徒や保護者に国歌斉唱での不起立を呼びかける公立学校の教師が時々います。彼らは、自己の良心は国家によって規制されないと常々口にしているわけですが、そういうことなら、前幕僚長に対する“人権侵害”に対しても、政府に抗議するのが筋というものなんじゃないでしょうかねぇ。どちらも公務員であるのに、前幕僚長は政府の方針に異を唱えてはいけないが、公立学校の教師は政府の方針と異なった教育をしても許されるというのは、それこそ“差別”に他ならないように思えてなりません。ぜひとも、説得力のあるご意見を聴かせていただきたいものです。

 なお、シビリアン・コントロールの原則に則って解任されたマッカーサーは、帰国後、1952年の大統領選挙を目指して全米を遊説して回っています。まさに“老兵は死なずだったわけですが、そのあたりの事情については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも取り上げておりますので、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 第1次大戦終結90年
2008-11-11 Tue 17:56
 1918年11月11日にドイツが降伏して第一次大戦が終わってから、ちょうど90年になりました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 平和記念

 これは、1919年7月1日に発行された“平和記念”を、逓信省発行の官製記念絵はがきに貼り、発行日の特印を押したものです。

 第1次大戦に参戦し、戦勝国となった日本は、1919年1月に始まったベルサイユ会議に参加し、同年6月28日、講和条約に調印します。これを受けて、同年7月1日が“平和記念日”とされ、全国各地で様々なイベントが催されるとともに、記念切手が発行されています。

 逓信省は1919年1月から記念切手と絵はがき発行の準備を進め、5月14日までに図案をすべて決定していましたが、報道されている会議の進行状況から、講和条約の調印は8月以降になりそうなので、記念切手の準備は7月半ばまでに完了すればいいと考えていました。ところが、急遽、6月28日の条約調印、7月1日の平和記念日という段取りが決まったため、あわてて、7月1日の切手発行に踏み切ったというわけです。

 平和記念の切手・絵はがきのデザイン制作には、当時の一流画家が参加していますが、ここにご紹介した3銭切手の原画は岡田三郎助によるもので、絵葉書の「収穫」の図は南薫造によるものです。なお、特印の羊は“平和の象徴”であると同時に、切手が発行された1919年の干支(己未 )にちなむものとして選ばれたのだとか。現在でも、4月に発行の切手趣味週間の切手の題材を、干支にちなむ動物の絵から取ることがありますが、その発想は90年前とあまり変わっていないということなのかもしれません。

 さて、干支といえば年賀切手ですが、<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊としてこの年末に刊行予定の『年賀切手』のほうは、本文の原稿はすべて終わり、現在、編集作業が着々と進められています。表紙のデザインもほぼ固まりましたので、近いうちにこのブログでもいろいろとご案内することになると思いますが、よろしくお願いいたします。

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 アナコスティアのライオン
2008-11-10 Mon 16:55
 プロ野球の日本シリーズは、西武ライオンズの優勝で幕を閉じました。というわけで、西武巨人がそれぞれリーグ優勝した時も、『大統領になりそこなった男たち』にちなんでアメリカ切手をもってきましたので、きょうも、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 フレデリック・ダグラス

 これは、1967年に発行された“アナコスティアのライオン”ことフレデリック・ダグラスを描く25セントの通常切手です。

 フレデリック・ダグラスは、1818年2月14日、メリーランド州で奴隷の子に生まれました。12歳の時、彼の父親かもしれないといわれていた白人の主人が亡くなった後、ボルチモアの別の奴隷所有者の元へ引き渡されます。当時、黒人奴隷が読み書きを習うことは違法とされていましたが、彼は女主人から文字を習い、後に彼女の夫に禁じられると、使い古した教科書で勉強を続けました。

 1838年、奴隷の身分から脱走してニューヨークに到着。1841年にマサチューセッツ反奴隷制協会で演説したのを皮切りに、全米各地で遊説旅行を行っています。また、1845年には『フレデリック・ダグラス自叙伝;アメリカの奴隷』を刊行。この本がベストセラーになったことで、いちやく、黒人による奴隷解放運動の旗手として全米にその名が知られることになりましたが、皮肉にも有名になりすぎたことで“逃亡奴隷”だった彼は元の主人から告発されることを恐れて、アイルランドに逃れざるをえませんでした。

 南北戦争後は、解放奴隷救済銀行の総裁を務めるかたわら、数多くの演説を各地で行いながら、コロンビア (サウスカロライナ州) の連邦保安官、ハイチ共和国の執政官長を務めたほか、1872年の大統領選挙の際には、平等権党の副大統領候補にもノミネートされています。

 ちなみに、平等権党の大統領候補は、ビクトリア・ウッドハルという女性ですが、女性の大統領候補も、黒人の副大統領候補も、アメリカでは、このときの同党の組み合わせが史上初となりました。もっとも、平等権党というのは、政治的には完全な素人集団で、ウッドハルは大統領の被選挙権である就任時35歳という条件を満たしていなかったばかりか、ダグラスも自分が同党の副大統領候補にされていたことを選挙が終わるまで知らされていなかったというお粗末なものでした。もちろん、2人は完全な泡沫候補扱いで、獲得選挙人はゼロです。

 ちなみに、冒頭ご紹介した“アナコスティアのライオン”とのニックネームは、ワシントンD.C.南東部のアナコスティア川沿いに彼の家があったことにちなむもので、たてがみのようなヘア・スタイルもさることながら、「苦闘しなければ、前進はできない」 とのモットーを掲げて演説会場で獅子吼する彼のイメージにピッタリのものとして定着したものと思われます。


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 瓦礫の中の死神と子ども
2008-11-09 Sun 21:05
 スペインの国王ご夫妻が10年ぶりに来日されたそうです。というわけで、手持ちのスペイン関連のモノの中から、こんなネタをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 スペイン内戦・共和国側プロパガンダ

 これは、スペイン内戦時の1937年に共和国支配下のマドリードで、義捐金を集めるために作成されたプロパガンダ・ラベルで、子どもを死神の手から助け出される子どもが中心的な題材となっています。死神の手にはナチスのカギ十字がぶら下がっており、ドイツの支援を受けて共和国を攻撃するフランコ側が非難されています。また、子どもの脇には内戦で斃れた母親の遺体が転がっているほか、背景には破壊された建物も描かれていて、なかなかインパクトがあります。

 1936年7月に始まったスペインの内戦では、共和国とフランコの両陣営がそれぞれ独自の切手を発行し、支配下の住民に使用させていましたが、それとは別に、地方ごとに、それぞれの中央政府が発行するものとは別に、戦時税を集めるためのローカル切手(戦時税切手)やラベルが独自に発行され、郵便物にも貼られることがありました。

 以前の記事では、そのうちのフランコ側のものをご紹介しましたが、今回ご紹介するのは共和国側のものです。

 共和国政府の郵政は、こうしたローカル・ラベルの発行を表向きには認めていませんでしたし、それを“戦時税切手”のようなかたちで強制的に郵便物に貼らせるということはなかったのですが、各地の指導者たちは戦意高揚と義捐金集めの意味を込めてこうしたラベルを盛んに発行していました。その全体像については、ゴメス・グィラモン(Gomez-Guillamon)がThe Republican Local War Tax Stamps 1936-1939(Sobretasas Locales Republicanas)と題するカタログにまとめていて、今回ご紹介のものには830番という番号が与えられています。ちなみに、同じデザインで刷色がカーマイン(少し紫の入った鮮やかな赤)のものもあるそうです。

 スペイン内戦は、切手や郵便の面でもいろいろと面白いモノがあって、いずれは取り組んでみたいテーマであるのですが、2年前(2006年)の内戦勃発70年には作品としてまとめることはできませんでした。来年は1939年の内戦終結から70周年という節目の年でもありますし、どこかでミニ・コレクションでも展示できたらいいな、とひそかに思っています。

 なお、スペイン内戦時の切手と郵便については、拙著『これが戦争だ!』(ちくま新書)でも、簡単ではありますが、書いてみたことがありますので、ご興味をお持ちの方はご覧いただけると幸いです。


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 大統領になりそこなった男たち:コーデル・ハル
2008-11-08 Sat 12:26
 雑誌『中央公論』12月号が発売になりました。僕の連載「大統領になりそこなった男たち」では、今回は12月号ということで“真珠湾”にちなみ、この人物を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 コーデル・ハル

 これは、1963年に発行されたコーデル・ハルを顕彰する切手です。

  日米開戦の直接の引き金とされる“ハルノート”を突き付けた国務長官、コーデル・ハルは、1871年、テネシー州に生まれました。学生時代から熱心な民主党員として活動し、わずか19歳でクレイ郡民主党の議長に選ばれています。1893年、テネシー州の州議会議員に当選。1898年に始まる米西戦争では義勇兵(階級は大尉)としてキューバでスペイン軍と戦いました。

 その後、ハルは1911年から1931年まで、民主党全国委員会議長を務めた1922-23年を除き、連邦下院議員を11期務め、主として低率関税の改定に尽力しています。

 さて、ハルが民主党の大統領候補指名を目指したのは、下院議員時代の1928年のことでした。当時は世界恐慌の直前でアメリカは空前の好景気に沸いていたため、与党・共和党の候補が圧倒的に有利とみられており、民主党の候補者指名は盛り上がりを欠き、ハルのほかは元陸軍長官のニュートン・ベーカーと元ニューヨーク州知事のアル・スミスくらいしか有力候補はいませんでした。結局、6月の民主党大会では、過去にも2回、大統領候補に名前が挙がっていたスミスが1回目の投票で過半数を制し、ハルは次点となったものの、あえなく敗退しています。もっとも、1930年の選挙でハルは連邦上院議員に転身していますから、本選挙での当選は難しいとみられていた民主党の候補指名に名乗りを上げたのも、鞍替えを見据えて名前を売るための“選挙運動”の一環だったのかもしれません。

 1932年の大統領選挙では、ハルは早々にフランクリン・ルーズベルト支持を明らかにし、翌1933年にルーズベルト政権が発足すると国務長官に任命されます。そして、1944年に健康問題で辞任するまで、その地位にとどまりました。この間、日米開戦の直接の引き金とされるハルノートを突きつけたことはよく知られています。

 国務長官としての最大の業績は、国際連合のアイディアを提案し、国連憲章の起草にも大きく関与したことでしょう。このため、しばしば彼は“国連の父”と称され、国連発足後の1945年には「国連憲章の起草を称えて」との理由でノーベル平和賞も受賞しました。

 とはいえ、戦争を始めた国務長官が“平和賞”をもらうというのは、僕なんかからすると、どうにも違和感を感じてしまいますねぇ。まぁ、国連憲章で“敵国”に指定されている敗戦国民のひがみだといわれてしまえば、それまでなのでしょうが…。

 さて、1年間にわたり『中央公論』誌上で連載を続けてきた僕のコラム「大統領になりそこなった男たち」は、今回で最終回となりました。連載記事をもとに、9月には中公新書ラクレの1冊として『大統領になりそこなった男たち』を刊行することもできました。いままでご愛読いただきました皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。

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 立冬
2008-11-07 Fri 20:56
 今日は立冬。というわけで、現在制作作業の『年賀切手』の中から、“冬”の季語となっているものにちなみ、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 1975年用年賀
 
 これは、1974年12月10日に発行された1975年用の年賀切手の“みほん”で、桂離宮の水仙の釘隠しが取り上げられています。厳密に言うと、水仙は冬の中でも晩冬(1月)の季語なので、まだちょっと早い気もするのですが、まぁ勘弁してください。

 さて、切手に取り上げられた水仙の釘隠しは、桂離宮・新書院の長押につけられているもので、長さ14.2センチ。葉が銀、花が金で作られています。なお、背景の市松模様は、離宮内の茶屋のひとつ、松琴亭の襖障子と壁面の装飾を模したものですが、実際の釘隠しが取り付けられている長押は、皮を剥いだだけの杉の丸太ですから、実際に離宮まで出かけて行っても、こういう組合わせが見えるわけではありません。

 ところで、1973年用・1974年用と2年続けて1億枚が発行されてきた年賀切手でしたが、今回の切手の発行枚数は、5000万枚と半分に絞り込まれています。

 これは、1973年10月に発生した“(第1次)オイルショック”の影響で日本経済が深刻な不況に見舞われ、1974年には戦後初のマイナス成長を記録したことを踏まえ、コストのかかる私製はがきの利用が激減するであろうと予測された結果です。実際、例年は年賀はがきの全取扱量の1割程度が私製はがきを利用しているのに対して、1975年の年賀状では私製はがきの利用は東京都内でのサンプル調査で2パーセント以下に落ち込んだのだとか。

 世界的な金融危機の影響で景気の先行きが大いに不安視されている今日この頃ですが、すでに発行されてしまった2009年用はともかく、その次の2010年用の年賀切手は、やはり、発行枚数も減ってしまうことになるんでしょうかねぇ。そうでなくても、電子メールなどに押されて年賀はがきは苦戦を強いられているわけですから、ちょっと心配ですな。もっとも、そんなことを言うと、それこそ、鬼に笑われそうですが。

 さて、<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として、今年12月に刊行予定の拙著『年賀切手』ですが、現在、メインの原稿はすべて出来上がっており、鋭意、制作作業中です。まもなく、このブログでも詳細をご案内できると思いますので、今しばらくお待ちください。

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 次期大統領のお仕事
2008-11-06 Thu 15:13
 バラク・オバマがアメリカの次期大統領に当選してから一夜明けました。これから、1月20日の就任式までは、“次期大統領”として政権スタートに向けての準備に忙しい日々を送ることになるわけですが、そうした、政権発足前の次期大統領に関するものとして何かないかと思って探した見たら、こんなモノが出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

 アイク訪韓(1952)

 これは、1952年12月、前月の大統領選挙で当選を果たしたばかりのアイゼンハワーが韓国を訪問した際に作られた記念カバーです。

 1952年11月4日に投票が行われたアメリカの大統領選挙の候補者は、与党・民主党がイリノイ州知事のスティブンソン、野党・共和党が第二次世界大戦の英雄でNATO(北大西洋条約機構)軍最高司令官のアイゼンハワーでした。

 1950年6月に始まった朝鮮戦争は、このころになると完全に膠着化し、米軍の死傷者が急増する中で、アメリカ国民の間には平和を求めるムードが蔓延していました。アイゼンハワー候補は、こうした国民の意向を敏感に感じ取り、トルーマンの民主党政権がはじめた朝鮮戦争を平和的に解決することを公約として掲げ、当選を勝ち取ったという面があります。

 当選後のアイゼンハワーは、選挙中の公約実現に向けて、大統領就任以前の1952年12月2日から5日にかけて韓国を視察。さらに、同月17日には、陸軍の先輩で朝鮮において共産軍との交戦経験を持つマッカーサーとも面会し、朝鮮戦争解決に向けて並々ならぬ意欲を持っていることを内外にアピールしています。現在に置き換えてみると、オバマが大統領就任式の前にバグダードに乗り込んでいくようなものですかね。

 アイゼンハワーのこうした姿勢は、当然のことながら、早期停戦を期待させるものとして、韓国国民からも歓迎され、彼の訪韓の日には、今回ご紹介したような記念カバーまで作られたというわけです。

 さて、アイゼンハワーは、翌1953年1月に、正式にアメリカ大統領に就任し、本格的に朝鮮戦争の解決に取り組むことになります。もっとも、当初は、共産側の強硬な姿勢が広く知られていただけに、アイゼンハワーといえども、朝鮮問題の解決は容易ではないだろうとの観測が一般的でした。しかし、1953年3月、スターリンが亡くなったことで休戦交渉は一挙に進み、7月27日、休戦協定が調印され、アイゼンハワーは公約を果たすことになりました。

 なお、朝鮮戦争と切手や郵便については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、是非、ご一読いただけると幸いです。


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 ベトナム戦争の英雄、敗れる
2008-11-05 Wed 14:16

 アメリカの大統領選挙は、民主党のバラク・オバマが当選を決めました。というわけで、フツーだったらオバマがらみのマテリアルをもってくるべきなんでしょうが、『大統領になりそこなった男たち』の著者としては、共和党のマケインのほうを取りあげるのが筋でしょうから、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 北ベトナム・米軍機撃墜カバー

 これは、1967年4月、ベトナム戦争下のベトナム民主共和国(北ベトナム)・ハノイから中国・上海あてに差し出されたカバーで、ベトナム側に撃墜される米軍機のイラストが入った封筒が使われています。ベトナム戦争中、北ベトナムは撃墜した米軍機の数がキリ番に達すると記念切手を発行していたことはよく知られていますが、このカバーの封筒も、それと同じような趣旨で作られたものです。なお、貼られている切手は、1965年12月に発行された“第1次5ヵ年計画超過達成”の切手です。

 今回、大統領選挙に敗れたマケインは、父・祖父ともに海軍提督という軍人一家の出身で、自身も海軍航空士官としてベトナム戦争に従軍。1967年に北ベトナム上空を飛行中に撃墜され、5年半に渡って捕虜となり、最初の2年は厳しい拷問を受けながらも耐えたというエピソードの持ち主です。まさに、今回ご紹介の北ベトナムのカバーに描かれている米軍機はマケインのものだった可能性もあるわけですな。

 1973年に帰国後の彼はベトナム戦争の英雄としてアメリカ社会で尊敬を集め、1981年に海軍大佐で退役した後、1983年に連邦下院議員に当選して政界入り。1987年以降は上院議員を務めています。

 政治家としてのマケインについては、いろいろと書くべきことがあるのですが、とりあえず、今日のカバーとの関連でいうと、彼は北ベトナムの捕虜になっていた経験から、捕虜や囚人の人道問題に最も熱心に取り組む議員として知られています。イラク戦争やアフガニスタン戦争そのものは支持しつつも、アブグレイブ刑務所などで問題化した捕虜・囚人等の拷問・虐待問題を厳しく批判し、「敵に対する態度こそ、アメリカ自身の姿をはっきりと描き出す」として、キューバのグアンタナモ米軍基地を含む収容所での囚人への非人道的扱いを禁止する法案修正などを主導し、グアンタナモの閉鎖も主張しているのはそのためです。

 また、プーチン=メドベージェフ体制のロシアの言論弾圧や覇権主義を厳しく批判し、G8にはロシアを外してインドとブラジルを外すべきと主張したり、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権への支援をめぐっては、日本の川口順子外相(当時)を名指しで糾弾したこともあるなど、同盟国を中心とした民主国家との連携を重視する姿勢などは、もっと評価されてもよかったのではないかと思います。

 アメリカでは原則として存命中の人物は切手に取り上げないことになっていますので、マケインの切手は発行されていないのですが、いまから何年か後に、彼の切手が発行されるようなことがあれば、そのときには僕も『大統領になりそこなった男たち』の続編を作ってきたいものです。

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 <JAPEX>開催御礼
2008-11-04 Tue 09:35
 おかげ様で、第43回全国切手展<JAPEX08>は昨日(3日)をもって無事、終了いたしました。 今回の<JAPEX>では、“満洲・東北切手展”と“ブラジル切手展”の両特別展示をはじめ、見ごたえのある競争出品作品が多数並び、ご参観者の皆様にもご満足いただけたものと思います。 これもひとえに、皆様のご支援・ご協力の賜物です。実行委員長として、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 というわけで、今日は“お礼”の意味を込めて、こんなものを持ってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 merci (2005)

 これは、2005年にフランスが発行したグリーティング切手の1枚で、文具メーカーのベンで知られるフランスの人気アーティスト、ベン・ヴォーティエの手書き文字“un grand merci”(多謝)がデザインされています。額面表示は“20グラムまでの封書料金用”となっていて、“merci”の i の点の部分に穴が開いているのがミソです。

 ベン・ヴォーティエは、1935年、ナポリ生まれのイタリア人で、1949年、ニースに移り、16歳で学業を中断。書店員を経て、骨董商をしていました。1984年にはケルンのヨーレンベック画廊、ニース現代美術館にて個展を開催しているほか、1995年にはフランスで「回顧展:回顧展に対するベンの賛否」と題する回顧展を開いています。

 ベンの作品はシニカルなことばあそびと味のある手書き文字が特徴で、その関連から、消滅寸前のオック語をはじめ、少数民族とその言語の擁護活動でも知られています。

 切手が発行された2005年は僕が初めて<JAPEX>委員長をやった年で、記事を書いていたら、この4年間のことがいろいろと思い出されて、ちょっと懐かしくなりました。

 なお、つい先ほど、アクセス・カウンターが42万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいてる皆様には、重ねてお礼申し上げます。


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 ブラジル切手展・補遺
2008-11-03 Mon 07:32
 はやいもので、<JAPEX>も今日が最終日。おとといきのうと満洲・東北切手展、戦後日本切手展にからめた記事を書きましたので、きょうは、もう一つの特別展示、ブラジル切手展にちなんで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブラジル移民のカバー
 ブラジル移民のカバー(裏)


 これは、日系ブラジル移民が日本宛に差し出したカバーです。消印の日付がよく読めないのですが、裏面(下の画像)には差出人による“1934.6.2.”との書き込みと、受取人による“昭和9年7月18日届ク”との書き込みがあります。差出人の住所表示は、ブラジル・サンパウロ州ノロエステ線リンス駅タラマ耕地となっていて、地番が全く書かれていません。広大な農場に住み込みで働いていたということなのでしょうか。

 また、カバーの表面にはあらかじめ、YOKOHAMA JAPAOとの表示や日本語での住所表示を行うための県名や郡名の記載欄が印刷されており、この種の封筒がブラジル日系移民向けに大量に作られていた様子がうかがえます。なお、貼られている切手は、1920年に発行の100レイスならびに300レイス切手で、これ自体はありふれた切手です。

 今回のブラジル切手展では、渡辺勝正さん・正田幸弘さん・村岡安廣さんのご協力で、“牛の目”をはじめ、初期の名品がずらっと並びましたが、移民100年を記念しての日伯友好年のイベントとしては、日本とブラジルを往来したカバーのコレクションも展示すべきだったかな、とすこし反省しています。というわけで、遅ればせながら、こんなカバーをご紹介してみたという次第です。


 イベントのご案内

 いよいよ本日最終日! 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。

 *昨日開催の“戦後日本切手展”ギャラリー・トークおよび中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トークは、盛況のうち、無事に終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 戦後日本切手展
2008-11-02 Sun 00:12
 昨日に引き続き、<JAPEX>関連ネタで行きましょう。今日は、池袋会場ではなく、目白会場で開催の「郵政民営化1周年記念・戦後日本切手」展に絡めて、同展の記念小型印に取り上げられている、この切手についてご説明します。(画像はクリックで拡大されます)

 郵便創始75年(15銭)

 これは、1946年12月12日に発行された“郵便創始75周年”の記念切手のうちの15銭切手です。

 1946年は、日本における近代郵便の創業から75周年にあたっており、本来であれば、創業の記念日にあたる4月20日 を中心に、盛大な記念行事が開催されていたことでしょう。しかし、この年の4月は、まだ終戦から日も浅く、逓信院(当時の郵政を担当していた官庁) は占領に対応した新体制の構築や戦災の復興に追われており 、実際には、とても記念行事を行えるような状況ではありませんでした。しかし、その一方で、逓信院の内部では、戦後の事業再建に国民の理解と協力を求めるためにも、なんらかのかたちで創業75周年の記念行事を行うべきとの意見も根強くありました。

 このため、郵便創業75周年の記念事業として、内々に、記念出版や記念キャンペーンの実施なども検討さましたが、いずれも準備期間や資材の関係から不可能と判断され、結局、消去法の選択で、年末の12月12日から21日までの10日間、東京・日本橋の三越百貨店と逓信博物館で記念展覧会(正式名称は「郵便創始七十五周年記念逓信文化展覧会」)を開催することになりました。

 こうして、展覧会の実施計画のアウトラインが固まったのが1946年6月のことで、すでに実質的な準備期間は半年しか残されていませんでしたが、7月1日には逓信省が復活したこともあり、準備が進むにつれて担当者の間では、展覧会を全国的なものとして後世に残したいとの意見が日に日に強くなります。そして、8月に入ると、展覧会に合わせて記念切手を発行することが、急遽決定され、逓信省ならびに印刷局担当者たちの、夜に日を接いでの4ヶ月がスタートします。

 逓信省郵務局の切手周知係長(切手図案制作の実務責任者)であった木村勝は雑誌『切手文化』に当時の状況を語っています が、それによると、現場では、記念切手の発行が正式に決定されたとき、封書用(30銭)と葉書用(15銭)の二種類を用意するといった漠然とした案しかなく、具体的な図案のイメージなどは何もなかったようです。

 図案の候補として木村がまず思い描いたのは、日本最初の龍切手を再現することで、木村の下図を元に、加曾利鼎造が龍切手を再現した15銭切手の原画を作成しました。一方、封書用の30銭切手に関しては、郵便創業の功労者・前島密の功績をたたえるものとして、当時、逓信博物館の前にあった彼の銅像が題材として取り上げられています。

 こうして、2種類の切手の制作が進められていたところ、8月下旬になって、郵務局の事務方は突如、現場の制作サイドに対して、「(戦後最初の記念切手が)2種類だけではさびしいし、高額のものも欲しい」との理由で、書留用の1円切手を加えるよう、木村らに要求します。このため、急遽、1円切手の図案が作成されることになり、新時代の通信を表現するものとして、東京工芸学校図案科を卒業して逓信省に入ったばかりの新人・久野実が9月6日までに原図を完成させます。

 ところが、9月中旬になって、さらにもう1種類、記念切手が追加されることになりました。これは、9月10日に外国郵便が再開されたため、その葉書用の額面として50銭切手の追加が求められたためです。(なお、外信の封書料金は1円でしたので、こちらは、先に用意されていたもので充当されることになりました)

 結局、9月13日になって、50銭切手の追加が決定されましたが、もはや、新たな図案を作成していては12月の展覧会に切手発行を間に合わせることは不可能でした。このため、部内での検討の結果、戦前の楠公葉書に代わる“平和図案”の葉書を発行するために準備していた原図のうち、不採用のままお蔵入りとなっていた原図の中から、菊と駅鈴を描くものに記念銘などの文字を加えて(この文字は加曾利鼎造が担当した)15銭切手の図案として流用することとしました。

 新たに加えられた菊と駅鈴のデザインが、50銭切手ではなく、15銭切手の原図とされたのは、すでに原図の下部中央に葉書用の額面として“15”の文字が入っていたためで、制作期間の短縮を考えての措置でした。そもそも、このデザインは、もともと、葉書の印面用として、凸版印刷されることを想定して日置勝俊が作成したため、木版の雰囲気を漂わせており、それゆえ、凹版印刷に適した図案とはいいがたい面もありましたが、ことここにいたっては、12月12日の発行期日に間に合わせるということが最優先されたのです。なお、一五銭切手が菊と駅例の図案となったことに伴い、当初、15銭切手として予定されていた龍切手を描くものは、50銭切手の図案として流用されることになりました。

 こうしたドタバタの末に、1946年12月12日、戦後最初の記念切手として“郵便創始75周年”の記念切手が発行され、戦後日本の記念切手の歴史がスタートすることになります。なお、この間の詳しい事情などにつきましては、拙著『濫造・濫発の時代』でも詳しくまとめてありますので、よろしかったら、ぜひご一読いただけると幸いです。

 今回の「郵政民営化1周年記念・戦後日本切手」展では、1946(昭和21)年から昨年までに発行された3500種類にも及ぶ日本切手を一堂に集めてご紹介しておりますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。

 *昨日開催の“満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)および特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)は、盛況のうち、無事に終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税)
 
 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

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 満洲・東北切手展
2008-11-01 Sat 00:05
 きょうからいよいよ<JAPEX>が始まります。今回の目玉は、なんといっても、、リニューアルされた旧水原コレクションをはじめ、日本国内はもとより、台湾・香港から満洲・東北地域に関する超一流のコレクションが一堂に会する満洲・東北切手展です。僕も、「満洲国の歴史」という作品でその末席を汚していますが、そのなかから、“前史”として展示したこんなカバーをご紹介しましょう。

 張作霖カバー

 これは、1928年3月17日、ハルビンから差し出されたカバーで、張作霖の陸海軍大元帥就任記念の切手が合計2角(20分)相当貼られています。

 袁世凱亡き後の中国は、各地に軍閥が割拠し四分五裂状態になっていました。このため、広東で成立した国民政府は、軍閥を打倒し、国家の統一を実現するため、国民革命と称して統一戦争を発動。北上していきます。

 これに対して、国民革命軍という共通の敵を前に、軍閥諸派は大同団結し、1927年6月、奉天派の張作霖を大元帥に推戴して対抗します。今回ご紹介したカバーの切手は、張作霖が大元帥に就任したことを記念して、翌年の張の誕生日である1928年3月1日に発行されたものです。

 しばしば誤解されることですが、当時、中国の正統政権として国際的に認知されていたのは、軍閥支配下の北京政府であり、孫文系の南方政権ではありません。この切手には、国民革命を呼号する蒋介石ではなく、北京政府を率いる張作霖こそが、中華民国の国家元首であることを、あらためて内外にアピールする意図が込められているのは言うまでもありません。

 なお、当時の中国では統一された通貨が使われておらず、地域によっては、大きな為替差が存在したため、切手にも使用地域を限定する加刷が施されたものがありますが、この切手の“吉黒貼用”とは、この切手の使用地域が吉黒(直接には吉林省と黒竜江省の意味だが、東北部全般を指す)に限定されていたことを示すものです。

 こうして、軍閥の北京政府は国民革命を迎え撃つ姿勢を明らかにしましたが、勢いに勝る国民革命軍の前に各地の軍閥は相次いで敗北。済南が陥落するにいたって、ついに張も敗北を覚悟し、北京を退去して本拠地の奉天への撤退を決意します。しかし、まさにその途上にあった6月4日、張は関東軍大佐の河本大作によって移動途中の列車ごと爆殺されてしまうのです。

 当時、日本政府は張作霖を満洲に撤退させ、蒋介石による中国本土の支配を認める代わりに、日露戦争以来の特殊権益が集中する満州については張が日本の権益を保護するのが良いと考えていたのですが、現実に国民革命軍が迫りくる中で、張が“寝返る”ことを恐れた関東軍は張を抹殺したのです。

 結局、張の爆殺後、国民革命軍は北京に入城し、(名目的なものであるにせよ)中華民国の統一が達せられました。その結果、国民革命軍から見れば敵将である張の肖像を描いた切手は、1928年6月末で使用禁止になります。

 一方、満州では、張作霖の死後、息子の張学良が東三省保安総司令官となり、実権を掌握。1928年12月、関東州と満鉄付属地を除く満洲全域に、それまで用いてきた満州五色旗を下げ、国民党の青天白日旗を一斉に掲げさせ、東三省の主席と連名で国民党に服従することを発表しました。いわゆる“満洲易幟”です。

 父親を日本人に殺された張学良としては、排日と満蒙の権益回収を目指す蒋介石の南京政府に合流するのは当然の選択でしたが、日露戦争の多大な犠牲の上に満蒙の“特殊権益”を獲得した日本にしてみれば、張学良の行動は従来の経緯を無視した暴挙としか映りませんでした。そうした危機感が、権益を維持するためには満蒙を中国から切り離さなくてはならないという焦慮をうみ、彼らを満州事変へと駆り立てていくことになります。

 なお、2006年に刊行の拙著『満洲切手』では、今回ご紹介の内容も含め、切手や郵便物から見た満洲・東北の歴史をまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月1日(土)
  13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)
  16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)
 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。


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 もう一度切手を集めてみたくなったら 
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