内藤陽介 Yosuke NAITO
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 『郵趣』今月の表紙:野口英世
2009-02-28 Sat 12:06
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年3月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、巻頭特集の「文化人切手」にちなんで、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 野口英世(文化人)

 これは、1949年11月3日に“文化切手”(いわゆる文化人切手のことを当時はこう呼んだ)の第1集として発行された野口英世の切手です。

 野口英世の肖像切手を発行しようという運動は、1948年8月、学生切手会が文部省とも協議の上、「世界的細菌學者野口英世博士」の肖像切手(以下、野口切手)発行を逓信大臣宛に申請したことから本格化しました。このとき、学生切手会は、野口英世の切手発行の理由として、以下のような点を挙げています。

 1.與論調査にて壓倒的多數が支持している
 2.本年は博士の殉學廿周年、黄熱病レピストラ菌發見卅周年の好機に當る
 3.文化の日制定記念としても適當である
  即ち博士の誕生日は11月9日で文化の日11月3日に接近し意義深い
 4.東北の一寒村に不運な星の下で生れ、幼児不幸な大火傷を負つたにも拘らず眞摯敢闘し世界的科學者となり、世界人類の爲に尊い殉學をとげたことは、今日の日本國民に特に銘記させたいことである
 5.8月20日付(7月20日付の誤りか:引用者註)文部次官より申請の「育復興第二次特殊切手」に野口切手發行を希望しているので深い聯關と重合効果とがある

 学生切手会の申請に対しては、野口の出身地・福島県翁島の野口博士記念館の館長・六角寛や参議院議員・星一(野口の生前、彼と親交があり、野口のパトロンのような存在であった)もこれに賛意を示し、写真その他の資料を添えて逓信大臣宛に切手の発行を申請します。さらに、当時の参議院議長・松平恒雄が星を介して野口を顕彰する切手の発行を申請するなど、野口切手の発行の機運は次第に高まっていきました。

 こうした世論に後押しされるかたちで、逓信省も野口切手発行の準備を開始。9月には原画も作成されています。こうした制作サイドの動きと軌を一にして、9月13日には、10月初旬に額面5円の野口切手が発行される予定との新聞報道も行われたほか、11月9日の野口の誕生日に合わせて彼の切手が発行されることはほぼ確実視されていました。

 しかし、このとき用意された野口切手は、その後シリーズ化予定だった“文化人切手”の人選に手間取り、結局、日の目を見ることはありませんでした。
 
 その後、1949年6月1日に逓信省が郵政省と電気通信省に分割されたのに伴い、“文化人切手”の企画も改めて検討されることになり、同年11月3日、野口切手の発行が実現します。ちなみに、国民的英雄として切手発行の要望が高かった野口英世ですが、彼が文化人切手の第1号となったのは、彼の業績や国民的な人気を考慮した結果というよりも、発行予定日まで期日が切迫していた(切手発行の決定から発行予定日までは2ヶ月弱)ため、すでに原版ができあがっていた彼の肖像をそのまま流用 したというのが実情でした。

 このため、その後に製作された他の文化人切手と比較した場合、野口切手は「日本郵便」の文字が細めで横に広くなっていたり、人名の上のオリーブの枝の6枚いずれにも葉脈がない(他の文化人切手の場合には葉脈の描かれた葉がある)など、微妙に差異が生じています。

 また、シリーズのスタートにあたって、郵政省では、日本初の本格的な人物切手シリーズである文化人切手を通常切手に準ずるものとして扱い、一般の利用に供することを想定していました。このため、当初の文化人切手は約3年分の在庫を見込んで3000万枚(当時の標準的な記念切手の発行枚数は300万枚)という発行枚数が設定されました。短期間に大量の切手を調整する必要から、製版は二個の転写ロールを用いて行われましたが、この結果、転写ロールの違いにより印面寸法や印面下部の直線に差異が発生。この差異は、発行当時は気づかれませんでしたが、のちに「発見」され、タイプⅠ・タイプⅡとして区別されるようになりました。

 なお、野口切手に限らず、文化人切手のシートには耳紙に版番号が鏡文字で刷られていますが、野口切手の場合、版番号が1から16までのシートは上記のタイプⅠ、17から22までのシートはタイプⅡとなっています。

 また、大量の切手を短期間で調整したことの宿命として、野口切手には無目打や上辺目打もれのシートなど、エラー切手が存在することが知られています。このうち、無目打エラーは札幌市内の特定局から一シート売り出され、某収集家が購入して私蔵していたものが、1952年末になって売りに出されたもので、当時の市価はペア1万円程度でした。

 なお、文化人切手に関しては、拙著『濫造・濫発の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
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 14年ぶりの金
2009-02-27 Fri 17:07
 チェコのリベレツで行われていたノルディックスキーの世界選手権で、複合団体の日本が逆転優勝しました。複合団体の金メダルは荻原健司らを擁した1995年大会以来で、表彰台も7大会ぶりだそうです。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 ノルディック世界選手権(リベレツ)

 これは、今回の世界選手権大会の開催に先立ち、今月11日に開催国のチェコが発行した記念切手で、スキーのジャンプが描かれています。さすがに現物はまだ未入手なので、今回の画像はチェコ郵政のHPから拝借しました。

 ノルディックスキーとアルペンスキーの違いは、スキーの板に踵が固定されているか否かという点にありますが、この切手では、ジャンプする選手の踵がスキー板から浮いているのがしっかりと確認できます。もっとも、踵が板に固定されたままでジャンプを行うのは危険ですから、ジャンプ競技はすべてノルディックスキーなわけですが、切手のデザインとしては踵部分までしっかりと見えるように描いているのは案外少ないのではないかと思います。

 ノルディック複合といえば、 かつて日本は五輪を含め4連覇、荻原健司は個人・団体含め3連覇と圧倒的な強さを誇って得いました。当時はジャンプで得点をかせぎ、距離で北欧勢の追い上げを逃げ切る、というのが勝ちパターンでしたが、その後、ジャンプの得点を減らすようにルールが改正され、日本は次第に勝てなくなっていました。

 日本に不利なルール改正といえば、この競技では、長野五輪後、スキー板の長さを身長の146%以下に制限することも行われており、これが身長の低い日本人を狙い打ちにしたものと指摘されたこともあります。

 もちろん、国際スキー連盟は、建前では日本つぶしのためのルール改正を否定するでしょうが、結果として、これまでのルール改正が日本にとって不利に働いてきたケースが少なからずあることも事実でしょう。この点について連盟の“ずるさ”に憤ることは簡単なのですが、僕が常々疑問に思っているのは、なぜ、それがやすやすと通ってしまったのか、という点です。

 たしかに、国際的なスポーツ組織の多くは欧米人が牛耳っているというのが事実でしょうが、ルール改正を協議するような重要な会議に日本の代表が出席していないとは考えられません。また、そうした議題であれば、実際の改正までに関係者が何度も集まって検討を重ねているのがフツーでしょうし、国際ルールの変更を迫るほど日本が強いということであれば、当然、連盟内では日本の反対をどうやって抑え込むか、ということも慎重に検討されているはずです。その過程で、いかに“日本つぶし”をやめさせるための工作を行っていくかが、日本の競技団体の腕の見せ所だといっても良いと思います。それが、どうもそういう風になっていないということは、やはり、日本人の“外交下手”の一面がスポーツの世界でも出てしまっているということなんでしょうかねぇ。

 今後、ノルディック競技で“強い日本”が復活すれば、またぞろ日本つぶしのためのルール改正が検討されることになるのでしょうが、その時になって、ただ単に“差別だ!”と感情的に騒ぐのではなく、そうした理不尽のルール改正をさせないだけの政治力・外交力を日ごろから養っておくよう関係各位にはお願いしたいものです。

 
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 世界漫遊記:シビウ(前篇)
2009-02-26 Thu 15:12
  『キュリオマガジン』の2009年3月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、今回と次回の2回に分けて、2007年の欧州文化首都にもなった古都シビウを取り上げます。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 シビウ検閲便

 これは、トランシルヴァニアのルーマニア編入から1年後の1919年11月、シビウから差し出された葉書です。消印はハンガリー時代のナジセベン表記のものが使われていますが、検閲印の地名はルーマニア語のシビウとなっており、過渡期の使用例といえます。

 現在のシビウを中心とするシビウ県の地域は、12世紀半ばにハンガリー王ゲーザ二世が辺境防衛のためにザクセン人(ドイツ人)を招いて入植させたことから拓かれました。なお、シビウというのはルーマニア語の地名ですが、近代以前は、ザクセン人がハンガリー人やセーケイ人とともにトランシルヴァニアの特権階級を構成しており、人口の多数を占めるルーマニア人は小作農として二級市民の地位に甘んじていました。ちなみに、この土地は、ドイツ語ではヘルマンシュタット、ハンガリー語ではナジセベンといいます。

 中央ヨーロッパとバルカン半島を結ぶルートの途中に位置することから、ザクセン人の町、ヘルマンシュタットは商工業の拠点として早くから発達。ルターによる宗教改革の嵐がヨーロッパを吹き荒れるようになると、ドイツからは迫害を逃れてきたプロテスタントがヘルマンシュタット近郊に数多く移住するようになり、1691年以降はハプスブルク家(ドイツ系)の支配下で、ザクセン人の中心都市として繁栄しました。

 1848年、ハプスブルク家の支配に不満を持つハンガリー人は革命を起こしましたが、この地域のルーマニア人とザクセン人はこれに同調せず、ハンガリー革命軍と戦います。その後、衰退著しいハプスブルク家は、1867年、人口の二割を占めるハンガリー人と友好を結び、ドイツ人とハンガリー人によって体制を維持するため、オーストリア・ハンガリー二重帝国体制をスタートさせました。この体制の下では、オーストリア皇帝にしてハンガリー国王におわすハプスブルク家の人物の下、軍事・外交および財政のみは中央政府が担当するものの、その他はオーストリアとハンガリーの両政府がそれぞれ独自に担当することになっていました。このため、ハンガリー政府の担当地域では従来のオーストリア切手に代わって独自のハンガリー切手が発行・使用されています。その際、ヘルマンシュタットはハンガリー王国に編入され、ハンガリー語の“ナジセベン”と表示された消印が使用されるようになりました。

 こうした状況は、1918年に第一次大戦が終結し、敗戦国となったオーストリア・ハンガリーが解体されるまで続きましたが、大戦終結後の1918年12月1日、トランシルヴァニアは戦勝国となったルーマニアに統合され、それまでヘルマンシュタットもしくはナジセベンと呼ばれていた都市は、ようやく、住民の多数を占めるルーマニア人の呼び名である“シビウ”が正式名称となりました。

 今回の記事では、そうしたシビウの歴史的展開をいくつかのカバーを使って概観してみました。機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


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 チベット暦の新年
2009-02-25 Wed 11:34
 きょう(2月25日)はチベット暦の新年(ロサル)です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ソ連・チベット仏

 これは、1969年にソ連が発行した東洋美術の切手のマキシマム・カードで、チベットの菩薩像が取り上げられています。切手には、ロシア語で“チベットの菩薩 7世紀”と記されているものの、具体的な菩薩の名前は記されていませんが、おそらく、六字観音ではないかと思います。

 六字観音というのは、観音菩薩の慈悲をあらわす真言“オーム・マ・ニ・パド・メ・フーム(オーム、宝珠と蓮華よ、幸いなれ)”の六音節を神格化した変化観音で、チベット密教では六道輪廻の衆生を救済するとされています。仏像としては四臂(腕が4本)で宝冠を戴き、頭頂仏として阿弥陀如来がいます。現在見られる像の多くは、合掌し、右上に念珠、左上に蓮華をもつ坐像として表現されることが多いのですが、この像は7世紀と古い時代のモノなので現在とは違った姿になっているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 さて、今年のロサルに関して、ダライラマ法王日本代表事務所では次のような声明を発表しています。

 2009年 ロサル (チベット暦のお正月)
 ― 中止のお知らせ

 ご存知のように2008年3月以降、チベットの首都ラサをはじめ、全国各地で大勢の方々が犠牲になりました。チベット国内では現在も厳しい弾圧が続いており、日々怯えながら生活をしております。

 チベット国内の悲しい現状を共有し、在日チベット人も、2009年のチベットの新年(2月25日)の行事を中止とさせて頂きましたので、何卒ご了承ください。

 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
 代表:ラクパ・ツォコ
(引用終わり)

 チベットの現状を考えれば、そもそも、今年は新年を祝うような気分になれないというのがチベットの人たちの素朴な感情でしょう。同時に、中国のチベット自治政府が“公休日”に定めているロサルをあえて返上することは、それ自体、暴力によらない抵抗運動の一形態として注目すべきものといえます。

 これに対して、中国共産政府は、チベットが“平穏”であることを強調すべく、例年通り、ロサルの祝賀行事を行うよう、チベットの人々にさまざまな圧力をかけています。じっさい、ラサでは、ロサル返上を呼びかけるキャンペーンに加担したとの嫌疑により、数十人のチベット人が逮捕されており、まさに“祝意の強制”(そういえば、日本でも皇室の慶事にクレームをつける人たちは、こういう表現を好んで使いますが、同じことをやっている中国共産政府に対してはなにもいわないんでしょうか)が押し進められています。

 僕も、チベットの人たちを応援すべく、ささやかながら、きょうはこの仏像切手を見ながら祈りをささげることにしました。


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 つみきのいえ
2009-02-24 Tue 17:33
 きのう(23日)はアカデミー賞で『おくりびと』が外国語映画賞を受賞したことにちなんで、“おくりびと”ならぬ“おくりぼとけ”の切手をご紹介しましたが、きょうは、もう一つの日本からの受賞作品、短編アニメ賞を受賞した加藤久仁生監督の「つみきのいえ」にちなんで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 行政相談員制度30年

 これは、1991年11月6日に発行された「行政相談委員制度30周年」の記念切手で、積木で遊ぶ子供が描かれています。

 行政相談委員は、行政相談委員法に基づき、総務大臣から委嘱された民間の有識者で、行政サービスに関連する苦情、行政の仕組みや手続に関する問い合わせなどに対応します。制度の発足当初は、行政苦情相談協力委員と呼ばれていました。相談を受けると、行政相談委員は、相談者に必要な助言を行い、また、関係行政機関に苦情の内容を通知するなどして、解決に努力するほか、相談内容が複雑なものや解決が難しいものについては、行政評価事務所に連絡し、協力して解決の促進に当たることになっています。

 今回ご紹介の切手の図案には「豊かなくらしのお手伝い」という題名が付けられていますが、郵政省によると、これは“明るく豊かなまちづくり”をイメージしたものなんだとか。デザインとしてのよしあしは別にして、ちょっとわかりづらいですな。


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 おくりびと
2009-02-23 Mon 17:14
 映画界最大の祭典、第81回アカデミー賞授賞式が22日(日本時間23日)に行われ、遺体を棺に納める職業・納棺師を題材にした、滝田洋二郎監督の『おくりびと』が外国語映画賞を受賞しました。というわけで、今日はこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 二尊院 二尊院(部分拡大)

 これは、昨年(2008年)9月1日に発行された「旅の風景シリーズ」の第1集で、京都・二尊院の“発遣の釈迦如来”と“来迎の阿弥陀如来”が取り上げられています。発遣というのは、現世から来世へと送り出すこと。したがって、この像は“おくりびと”ならぬ“おくりぼとけ”といってよさそうです。一方、来迎というのは、西方極楽浄土へ迎え入れることです。なお、二尊院という寺の名前は、この2体の仏像を祀っていることによるものです。
 
 2体の仏像は非常によく似ているのですが、印相(手の形)が異なっているので区別がつけられます。すなわち、左側の阿弥陀如来の左手は親指と人差し指で輪を作る阿弥陀定印となっているのに対して、左側の釈迦如来は、手を胸の前に上げ、掌を正面に向けた施無畏印となっています。参考までに、切手の脇に、二体の手の部分を拡大した画像も張り付けておきました。

 さて、現在、“切手に見る仏像”といった趣旨の本を作っています。今回の本はカラーのムック本ですので、今回ご紹介の切手のように、印面の部分拡大図なども積極的に使って、ヴィジュアル的にも楽しんでいただけるようなものを目指しています。本の正式なタイトルや詳細が決まりましたら、またこのブログでもご案内いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

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 竹島の日によせて
2009-02-22 Sun 15:40
 まずはこの切手と写真を見ていただきましょう。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 ソウル中郵  ソウル中郵前にて

 切手は、2007年に韓国が発行した明洞のソウル中央郵便局新庁舎落成記念のもので、右側の写真は昨年末のソウル滞在時に実際に撮影したものです。

 このときはソウルには観光ではなく仕事で行ったのですが、合間を見つけて新装なった中央郵便局と、その地下の展示スペース“切手文化の世界”を覗いてきました。

 新たに作られた展示スペースだけに、規模は小さいのですが、全体的にデザインは洗練されていて、CG映像を使った韓国の切手・郵便史の解説コーナーやクイズ・コーナーなどがあって、切手を集め始めたばかりの人やこれから集めようという人も十分に楽しめるよう工夫されています。場所柄、デートスポットとして使うもよし、社会科見学の小学生を連れてくるもよし、という感じです。

 ただし、ここの展示はただ単に“楽しい切手”というだけではなくって、こんなモノもしっかりありました。

 竹島パズル  竹島パズル(拡大図)

 これは、切手パズルのパネルのうち、2004年に発行の竹島切手バージョンのものです。左はその全体像で、右は拡大図。それぞれの切手の部分がいくつかに分割されていて、回転させて絵合わせとして遊ぶというスタイルになっています。

 また、切手で見る韓国というような地図パネルもあったのですが、こちらも

 ソウル中郵・地図パネル

 こんな感じで、しっかりと竹島は韓国領というような主張が展開されています。

 このように、韓国側はことあるごとに“独島(竹島の韓国名)は韓国領だ”ということを宣伝し、国民にも刷り込んでいるという様子がうかがえます。

 韓国側は“(彼らの言う)独島”を実効支配(我々から見れば単なる不法占拠ですが)しているという実績を踏まえ、その領有権を国際社会に向かって声高に訴え続け、また、国民に対しても徹底して教育しているわけですが、これは、彼らの主張の当否は別として、領土問題を抱える国としては、ある意味で当然の対応といってよいでしょう。少なくとも、国際社会というのは基本的には弱肉強食の世界ですから、沈黙は金という日本的な価値観は全く通用しません。一方が声高に主張し、他方が黙っている(ようにみえる)という状況では、声高に主張している方の言い分は、それがどんなに理不尽なものであろうとも(というよりも、じっさいには、理不尽であるからこそ、彼らは声高に叫ぶのですが)、黙っている(ようにみえる)側を圧倒してしまいます。

 今日(2月22日)は島根県が制定した“竹島の日”ですが、そのことを1面で掲載した全国紙が何紙あったのか、あるいは、トップ(ないしはそれに近い扱い)で報じたニュース番組がいくつあったのか、正確な数字は確認できていないのですが、僕の知る限りでは、そういう報道は全体の中ではごくごく少数派でしかないようです。そもそも、“竹島の日”があるということを認識している日本人がどれだけいるのか、それさえも、かなりお寒い状況じゃないでしょうか。

 国民は無関心、政府もあまりやる気がない(ようにみえる)というような現状では、我々が望むようなかたちでの竹島問題の解決など、夢のまた夢でしかありません。かつてマリー・ローランサンは「いちばん哀れなのは忘れられた女」と詠いましたが、これは領土問題についてもそのまま当てはまるのではないかと思います。


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 2月の黄砂
2009-02-21 Sat 18:15
 きょう(21日)の午前中、東京都内で黄砂が観測されました。黄砂は例年3~4月が多く、都内で2月に観測されるのは1977年以来、32年ぶりなのだとか。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 砂漠緑化

 これは、1994年4月に中国が発行した“砂漠緑化”の切手の1枚で、図案は“砂漠のオアシス”と説明されています。

 黄砂は中国内陸部などの砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂嵐などによって上空に巻き上げられて降り注ぐ現象ですが、近年、中国のみならず広く東アジア諸国では黄砂による被害が深刻になっているといわれています。

 近年の急激な経済成長に伴い、中国内陸部では過剰な放牧や耕地拡大、さらには無計画な森林伐採などが横行しています。また、汚染された排水や廃棄物によって土壌が汚染され、植物が枯れて乾燥化を進めているケースも少なからずあるようで、その結果、現状では、中国の国土の少なくとも18パーセントが砂漠と化しているのだとか。そうして生まれた砂漠地帯や乾燥地帯は、当然、黄砂の新たな発生源となっていきます。

 もちろん、中国政府も国土の砂漠化が進行することには憂慮を示しており、さまざまな緑化キャンペーンを展開しているようですが(この切手の発行もその一環というわけでしょうな)、あまり効果が上がっていないのが実情でしょう。

 気象庁によると、今回の黄砂の飛来は「日本上空を低気圧が通過したことに伴い、強い西風が吹いたためとみられる」とのことですが、2月の黄砂というのはやはり異常で、これからの季節、被害が深刻化していくのではないかと不安になるのは僕だけではないはずです。

 中国の環境汚染は、とにかく、スケールが大きいだけに、周辺諸国へ与える被害や影響も甚大なものがあります。この点について彼らにクレームをつければ、おそらく「日本が中国から木材や農産物を輸入していることが中国の環境破壊の一因だ」という返答が返ってくるでしょう。もちろん、仮に日本が中国からの木材や農産物の輸入をやめたところで、彼らは別の国を対象にそうした商品を輸出し続けるでしょうし、そもそも、中国の環境破壊は一義的には中国政府の責任です。彼らの好きな表現をつかえば、そうした“妄言”は全く相手にする必要はありません。

 その意味では、いわゆる環境保護派の人たちはもっと中国政府の環境無策に対してもっと怒りの声をあげてもいいはずなのですが、どういうわけか、そうならないのが僕には不思議でなりません。


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 大山忠作の「浦島太郎」
2009-02-20 Fri 15:41
 昨日(19日)、日本画家で文化勲章受章者の大山忠作さんが亡くなりました。享年86歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 浦島太郎

 これは、1975年1月28日、昔ばなしシリーズの第6集として発行された「浦島太郎」の1枚で、太郎が玉手箱を開けて白髪の老人になった場面が取り上げられています。この原画を担当したのが、きのう亡くなった大山画伯です。

 画伯は1922年、福島県二本松市生まれ。東京美術学校日本画科に入学するものの、1943年に学徒出陣のため繰り上げ卒業しています。復員後の1946年の第2回日展で「O先生」が初入選。1968年の日展で「岡潔先生」で文部大臣賞を受賞したほか、1973年には前年の日展出品作「五百羅漢」で日本芸術院賞を受賞しました。こうやってみると、この切手のデザインが作られた1974-75年頃は、画家として一番脂がのっていた時期だったといえるでしょう。

 昔ばなしシリーズの当初の発行計画では、第1集として「花さかじいさん」を1973年9月頃に発行するのを皮切りに、第2集の「つる女房」を1974年1~2月頃に発行。その後、第3集の「こぶとりじいさん」と第4集の「一寸法師」を昭和49年度中に発行し、昭和50年度に第5集の「ねずみの浄土」と第6集の「かぐや姫」を発行してシリーズの完結とするということになっていたようで(実際の発行順序は計画と異なっています)、浦島太郎の発行予定もありませんでした。それが、どういう理由で浦島切手の発行ということになったのか、その経緯については現時点では明らかにされていません。

 なお、昔ばなしシリーズ全体については、拙著『沖縄・高松塚の時代』で詳しくまとめておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 いつからロシア領になった?
2009-02-19 Thu 14:24
 昨日(18日)、麻生首相が日本の首相としては戦後初めて樺太(サハリン)を訪問し、ユジノサハリンスク市内でロシアのメドベージェフ大統領と会談しました。というわけで、今日は樺太ネタということで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 樺太守備隊

 これは、日露戦争後の1905年11月、樺太守備隊の兵士が差し出した軍事郵便のカバーで、“樺太守備隊・第一野戦局”の印が押されています。

 日本軍がロシア領であった樺太に侵攻したのは日露戦争末期の1905年7月7日のことで、同月31日には全島を占領し、翌8月1日から軍政を施行しています。樺太占領後の8月10日から開始された日露講和会議(ポーツマス条約)の結果、樺太を東西に横切る北緯50度線以北はロシアに返還され、以南が日本に割譲されました。この間、8月19日には、日本はコルサコフを大泊と改称して民生署を設置して本格的な樺太経営に乗り出しています。今回ご紹介のカバーは、そうした、日本による南樺太経営が始まった初期のものです。

 樺太民生署は、1907年4月1日、発展的に解消されて樺太庁となり、以後、第二次大戦終結まで南樺太は日本の支配下にありました。

 第二次大戦末期、ソ連軍が日本に対して宣戦を布告し、南樺太にも侵攻。南樺太はソ連の占領下に置かれ、日本の行政権が及ばない地域となりました。ただし、1951年に調印のサンフランシスコ講和条約では日本側が南樺太の領有権を放棄したものの、南樺太を実効支配していたソ連はこの条約に調印しておらず、国際法上の南樺太の帰属は宙に浮いた格好になっています。これは、台湾の国際法上の帰属が現在なお未確定(=国際法上は台湾は中国領ではない)であるのと、基本的には同じ構図です。

 たしかに、現在の日本政府は南樺太の領有権を主張していませんが、かといって、ソ連やその継承者であるロシアによる南樺太の領有権を正式に承認しているわけではありません。それにもかかわらず、麻生首相がロシア側の呼びかけに応じて南樺太でロシアの大統領と会談したということは、この地域がロシア領であることを認めたというシグナルと国際的に受け止められても仕方ないでしょう。こうした重要な外交政策の変更が、いついかなる経緯で決められたのか、不勉強にして僕は知りませんでした。

 まぁ、「南樺太では譲歩したのだから、北方4島についてはお前たちも譲歩しろ」といってロシア相手に強談判に臨んだというのなら、麻生閣下の男も上がるというものでしょうが、たぶん、そういうことじゃないんでしょうねぇ。情けないけど。


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 酒で棒に振る
2009-02-18 Wed 18:15
 7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見でろれつの回らない不明瞭な受け答えをした中川昭一財務相兼金融担当相が、きのう(17日)、責任を取って辞任しました。今回の失態に関して、ご本人は「風邪薬を多めに飲んだ」と釈明していますが、過去にも飲酒が原因とみられる失態を度々演じてきたとされる御仁だけに、真偽のほどはともかく、マスコミなどでは飲酒が原因とする論調が主流を占めているようです。

 というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 飲酒運転防止(ドイツ)

 これは、1972年に西ドイツ(当時)が発行した25ペニヒの普通切手で、酒とグラスの下にひっくり返った車のデザインで、飲酒運転の禁止を訴えています。この時期の西ドイツの普通切手は、“事故防止”を統一テーマに、額面ごとに“火の用心”とか“飲酒運転禁止”などを表現したデザインとなっています。日常的に使われている切手を通じて、生活の安全に対する注意を促すというのは、なかなか、良いアイディアなんじゃないかと思います。切手をメディアとして使うというと、すぐに、特定のイデオロギーや国策を宣伝するどぎつい切手を連想しがちですが、こういう内容だったら、反対する人は少ないでしょう。

 国際政治の場において、わざと強い酒を飲ませて判断力を鈍らせるというケースは歴史的にもなかったことではありません。たとえば、第二次大戦後の東西冷戦の枠組みを確定したヤルタ会談では、すでに病身のルーズベルトに対して、スターリンは自らのグラスには水で薄めたウォッカを入れておいて、盛んにウォッカの乾杯構成をかけたことはよく知られています。ルーズベルトがスターリンに対して結果的に大幅に譲歩したと評されるヤルタ会談ですが、その背景には、アルコールが体に残っていたことによる判断力の低下というようなこともあったのかもしれません。

 また、古くはボルジア家から最近ではウクライナのユシチェンコ大統領まで、政治家の世界に置毒はつきものですから、今回のG7に関しても、中川氏の失脚を望む勢力が、彼のグラスに睡眠薬を混ぜるなどの工作をしたという可能性もゼロとは言い切れないでしょう。

 ただ、報じられている範囲では、前大臣が嵌められたという見方はほぼ皆無のようで、むしろ「さもありなん」という声が強いところを見ると、結局、最後の最後は日頃の言動がモノを言ったということなんでしょうね。

 いずれにせよ、国のハンドルを握っている立場の人たちは、くれぐれも、「酒は飲んでも飲まれるな」ということを肝に銘じておいていただきたいものです。


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 ついでの訪日
2009-02-17 Tue 16:42
 アメリカのクリントン国務長官が来日しました。就任後初の訪問国として日本を選んだということですが、どうも、アジア歴訪のメインは訪中で、そのついでに日本にも立ち寄ったというのが正直なところのようです。というわけで、思い出したのがこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 レーガン訪韓

 これは、1983年11月、アメリカのレーガン大統領訪韓を記念して韓国が発行した切手で、国旗を背景に両国の大統領が取り上げられています。

 大統領訪韓直前の1983年9月1日、ニューヨークからアンカレッジ(アラスカ)を経由してソウルへ向けて飛行中だった大韓航空(KAL)007便のボーイング747ジャンボ旅客機がサハリン付近でソ連軍の戦闘機によって撃墜され、乗客乗員あわせて269名が亡くなるという事件がありました。いわゆる大韓航空機撃墜事件です。

 撃墜された大韓航空機は、正規の航路から外れてソ連領内に入り込んでいましたが(その原因は不明)、国際慣例では、他国の民間機が自国の領空を侵犯した場合でも武力行使をしてはならないということになっていたため、ソ連側の行為は非人道的な蛮行として国際社会から激しく非難されています。

 その一方で、事件をきっかけとして、カムチャッカ半島、オホーツク海、サハリンの一帯が米ソ間の熾烈な情報戦の場となっていることも明らかになりました。

 すなわち、この地域を戦略上の要衝と位置づけ、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦の基地をはじめ、地対空ミサイル基地、空軍基地、ミサイル実験場、日米を対象とした電子情報収集施設などの重要な軍事施設を多数、配置していたソ連に対して、アメリカ側は偵察機RC135を使って、1日20回以上、ソ連の軍事施設上空を偵察し、ミサイル実験場の海域に落下するミサイルの性能を探知することに努めていたほか、人工衛星による軍事偵察も行っています。

 こうしたことから、この地域に対するソ連側の警戒も厳重で、西側の民間航空機はこの地域一帯への飛行を避けていたという事情がありました。

 それだけに、撃墜事件は、米ソの関係を一挙に悪化させ、翌月におこったラングーン事件とあわせて、朝鮮半島情勢は大いに緊迫。レーガンは大統領、すなわち、米軍の最高指揮官として、みずから冷戦の最前線である38度線を視察することを決断し、今回の訪韓が行われたというわけです。

 さて、この訪韓にあわせて、レーガンは日本を訪れ、当時の中曽根首相の日の出山荘で首脳会談を行っています。このとき、囲炉裏端でくつろぐレーガンの姿が大々的に報じられたことで話題になりましたが、正直なところ、大統領の訪日は訪韓に比べるとアメリカにとっての政治的な重要度は低く、ついでに立ち寄ったという意味合いが強かったことは否定できません。それでも、当時の中曽根政権は、この機会をとらえてレーガンとの個人的な友情を強調し、政治基盤の強化につなげたわけですから、日本側にとってはレーガン訪日の意味は小さくなかったといえるでしょう。

 一方、今回のクリントン訪日も、訪中の途中で立ち寄った“前座”的なものという色彩が強いものですが、それ以上に、中川財務大臣の“酩酊”問題の陰に隠れてしまい印象が薄いように見えます。大統領と国務長官では格が違うといえばそれまでですが、こうしたチャンスをうまく生かせないところが、麻生政権の低迷しているゆえんなんでしょうなぁ。


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 口号木
2009-02-16 Mon 17:34
  今日(2月16日)は、北朝鮮の“将軍様”こと金正日の誕生日です。まぁ、ネタには事欠かない人物なので何を持ってこようか迷ったのですが、とりあえず、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 抗日スローガンの木

 これは、1989年に北朝鮮が発行した“抗日スローガンの木”(口号木:クホナム)の切手です。

 口号木というのは、日本統治時代の抗日パルチザンが、中朝国境の白頭山中などで抗日スローガンを書いたり彫ったりした樹木のことで、日本の官憲史料にも「日本のファシスト、軍閥を打倒せよ」「朝鮮の青年よ、速やかに来たり、抗日戦に力強く参加しよう」などの文言を記した樹木が存在していたことが記録されています。

 抗日スローガンの木(本物)

 たとえば、1959年に発行された“普天堡戦闘勝利22周年”の記念切手(上)には、「日本のファシスト軍国主義者を打倒するため起ち上がれ!」とするスローガンの書かれた口号木が取り上げられていますが、これなどは、比較的史実に忠実なデザインといってよいでしょう。ちなみに、“普天堡戦闘”というのは、北朝鮮側の説明だと、“首領様”こと金日成が日本側に対して大打撃を与えたゲリラ戦ということになっていますが、その実態は日本側の隙をついて現金・物資・警察駐在所の武器などを強奪し、学校などの施設に火を放って引き上げたというもので、単なる強盗放火事件にすぎません。

 これに対して、1989年の切手に取り上げられている口号木のスローガンは「白頭光明星は朝鮮未来の光輝である」となっています。ここでいう“白頭光明星”とは金正日のことだそうですが、よく知られているように、金正日が生まれたのは白頭山中ではなくソ連領内ですし、彼が生まれた1942年の時点では父親の金日成もソ連軍の一下級将校にすぎません。それに、抗日闘争の時期に士気を鼓舞するために作られたはずの口号木に抗日スローガンの類が出てこないのも、そもそもおかしな話ですね。

 金日成から金正日への権力の世襲が着々と進められていた1980年代、北朝鮮当局は突如として、金日成・金正日父子らを讃える文言の記された口号木が大量に見つかったと発表し、今回ご紹介しているような切手を発行したというわけです。
 
 ちなみに、脱北者等の証言から、これらの口号木は、朝鮮人民軍特殊部隊がひそかに山中に入ってつくっておき、適当に古びてきたところで当局が“新発見”として発表したものであることが明らかになっています。まぁ、常識的に考えれば「そうだろうな」というところですが、生きていくためにはそこまでして忠誠心を表明しなければならない人たちには、心から“お気の毒さま”としかいいようがありませんな。


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 世界のダム:イタリアの国際貢献
2009-02-15 Sun 16:19
  (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の2月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、今回はこんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 イタリアの国際貢献

 これは、1981年にイタリアで発行された切手で、イタリアの民間人技術者が携わった海外のダムのうち、ブラジルのサンシマオ・ダムと香港の萬宜水庫(ハイランド・ダム)が取り上げられています。

 このうち、青い切手に取り上げられたサンシマオ・ダムはブラジル中南部、パラナイーバ川に建造されたもので、幅3600メートル、高さ127メートルで平均貯水量は5億5400万立方メートル。1978年から操業を開始し、6つの発電機で171万メガワットの発電能力を有しています。

 一方、赤い切手は香港の萬宜水庫を取り上げたものです。こちらのダムは、かつては島だった糧船灣洲と九龍半島を二つのダムで繋ぎ、その間の海を淡水湖にしたもので、貯水池の水面は海面より60メートルほど高くなっています。1979年の完成で2億7000万立方メートルという貯水量は香港の全ダムの47%を占めており、香港市民にとっての重要な水がめとなっています。

 ダムの切手というと、多くは、自国のダムの完成記念などで発行されるものですが、このように、国際協力の実績を示すために切手を発行することは“国家のメディア”としての切手の使い方として、とても良いことではないかと思います。

 日本政府はODA事業に莫大な金額を投じており、その結果として完成した世界各地の大型土木プロジェクトは数多くあります。しかしながら、そうしたプロジェクトが日本の支援によって実現されたものであることは、必ずしも、現地の人々にも知られていないことが多いようです。日本人ならではの“謙譲の美徳”は国内では立派なことでしょうが、世界的に見れば、自らの実績をアピールしないのは業績がないのと同じとみなされてしまいます。

 巨額の援助を受け取っておきながら、日本に対して不当な言いがかりをつけてくるような一部アジア諸国の国民の多くは、たとえば政府の情報統制もあって、自分たちが日常使っている道路や橋、工場などが日本の援助の上に成り立っていることを知りません。そうしたことを考えてみても、日本の国際貢献の実績を諸外国にアピールするような切手をきちんと発行してほしいと考えるのは、けっして僕だけではないはずです。


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 ミルクチョコレート
2009-02-14 Sat 11:29
 きょうはバレンタインデーです。というわけで、チョコレート関係の切手の中から、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 スウェーデンのチョコ

 これは、2007年9月27日にスウェーデンで発行されたチョコレートの切手です。

 少し古い数字ですが、2004年の国際菓子協会/欧州製菓協会の統計によると、スウェーデン におけるチョコレートの国内年間消費量は3万9340トンで、人口一人当たりの年間消費量は4.4キロということです。日本の場合、一人当たりの年間消費量は2.2キロですから、スウェーデン人はちょうどその倍、チョコレートを食べていることになります。

 スウェーデンにもチョコレートメーカーはいろいろあるのですが、現在では、地元の大手企業は国内でのチョコレート生産をやめており、ほとんどがベルギーやフィンランドなどからの輸入品になっているそうです。たしかに、さきほどの統計をみると、スウェーデンのチョコレートの国内生産量は2万3720トンですが、これとほぼ同じ2万3180トンが輸出に回されており、実質的に、スウェーデン人が食べているチョコレートは輸入品ばかりといってよさそうです。

 ところで、スウェーデンのチョコはいわゆるミルクチョコレート(純チョコレートにミルクなどを混ぜた甘いチョコレート)で、ベルギーなどが固執するカカオバター100%の純チョコレート(狭義のチョコレート)とは異なります。ちなみに、ヨーロッパでは、ベルギーのほか、フランス、オランダ、スペイン、イタリア、ドイツ、ルクセンブルク、ギリシャの8ヵ国が、伝統的に純チョコレートのみを“チョコレート”としてきたのに対して、スウェーデンのほか、イギリス、アイルランド、デンマーク、ポルトガル、オーストリア、フィンランドなどが、ミルクチョコレートも“チョコレート”であるとしています。

 このため、EUでは、かつて、ミルクチョコレートを“チョコレート”として認めるか否かで長年にわたってもめていた時期があり、最終的に「カカオ豆以外の油脂が5%までの範囲で入っている商品なら“チョコレート”と名づけて売ってもよい」ということで決着しました。ただし、この決定には、「カカオ以外の成分を入れた場合は、商品の外側に明記すること」が義務づけられており、純チョコレート派諸国のメンツを立てた格好になっています。

 そういう目で見ると、今回ご紹介のスウェーデンのチョコは、以前ご紹介したスイスのチョコと色合いなんかが違いますね。まぁ、おいしければどちらでもいいのですが。


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 仏像切手の魅力(前)
2009-02-13 Fri 20:57
 雑誌『大法輪』3月号が発表になりました。今月発売の3月号と来月発売の4月号では、東京・目白の切手の博物館で開催中の「ザ・仏像展」にちなみ、2回に分けて「仏像切手の魅力」と題する僕のエッセイが掲載されています。そこで取り上げたものの中から、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 鎌倉大仏1円

 これは、1939年7月1日に発行された“鎌倉の大仏”(高徳院・銅造阿弥陀如来坐像)を描く1円の通常切手です。

 いわゆる昭和切手は“世界に冠たる神国・日本”をテーマに、当時の大日本帝国を代表する人物や風景、文化遺産などをとりあげていましたが、1円切手に関しては、当初は江戸時代の画家・伊藤若冲による鶏の図を取り上げる方針が立てられていました。ところが、デザインの検討過程で、若冲の描くリアルな鶏はグロテスクに見えるとの反対意見が出され、代わりに、東大寺法華堂の執金剛神や同戒壇院の広目天、法隆寺の吉祥天、法華寺の十一面観音などが候補として挙がります。そして、その中から最終的に、誰にでもわかるものということで“鎌倉の大仏”が切手に取り上げられることになりました。

 『吾妻鏡』によると、鎌倉の大仏は、1238年に建造が開始され、5年後に完成。台座を含む高さは13.35メートル、重量約121トンで、木製の原型をもとに外型と内型を土で造り、その隙間に青銅を溶かして流し込むという手法でつくられました。原型は運慶一派が担当したと考えられていますが、具体的な仏師の名は確認できていません。また、素材となった青銅の組成から、原料には中国からもたらされた宋銭が溶かして用いられた可能性もあるそうです。完成当初の大仏は黄金色に輝き、大仏殿に納められていましたが、室町時代の津波で建物が倒壊した後は現在のように露座となりました。

 切手は茶系統の濃淡二色で印刷されており、素朴な味わいの雰囲気が良い雰囲気です。画面構成の都合から、台座の両脇の灯籠をカットし、松の木を大仏寄りに移動させて描いているほかは、背景は当時の写真をほぼ忠実に再現しています。ただし、切手発行から70年が経過した現在では木立の様子もかなり変わっていますが…。

 なお、今回のエッセイでは、この大仏切手と中宮寺仏像の50円切手の変遷を中心にまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。また、現在、“切手に見る仏像”といった趣旨の本を作っているのですが、この本でも、大仏切手のちょっと面白いマテリアルをご紹介する予定になっています。本の正式なタイトルや詳細が決まりましたら、またこのブログでもご案内いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。


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 イラン革命30年
2009-02-12 Thu 18:05
 きのうは日本の建国記念日であると同時に、イランの革命記念日でした。ことしは1979年のイスラム革命から30周年という節目の年でもありますので、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 イラン革命初期のカバー

 これは、革命直後の1979年6月14日、タブリーズからニューヨーク宛に差し出された書留便で、6月29日付のニューヨークの到着印も押されています。

 1979年2月11日の王制崩壊を受け、同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足。イスラム共和国は、はやくも4月20日には革命の成功を祝う記念切手を発行します。同時に、国王の肖像の入った旧来の切手はその肖像部分が抹消され、王制の崩壊と新政権の樹立が切手上においても高らかに宣言されることになりましたが、それと並行して、公衆手持ち分に関しては、王制時代の切手もしばらくは有効とされていました。今回ご紹介のカバーもそうした過渡期の使用例で、すでに革命政権による肖像抹消切手が発行されいたにもかかわらず、国王の肖像やシルエットの入った切手が堂々と使われています。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきたアメリカへも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目にアメリカに入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生。これを機に、対米関係は修復不可能なものとなりました。

 なお、イラン・イスラム革命と切手や郵便との関係については、拙著『反米の世界史』でもまとめてみたことがあります。同書は現在、版元品切れ・重版未定の状況ですが、機会がありましたらご覧いただけると幸いです。


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 意外な天皇切手
2009-02-11 Wed 17:22
 今日は建国記念日です。というわけで、記紀神話がらみのネタのなかから、こんな1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 加賀起上り

 これは、1955年用の年賀切手として1954年12月20日に発行された“加賀起上り”です。

 “加賀起上り”のルーツについては諸説ありますが、一般に、江戸時代の享保年間(1716-35)の頃、加賀八幡宮の社前に住む老人が“八幡さん(祭神の応神天皇 )”はお誕生のみぎりに緋色の錦に包まれたという故事から着想を得て、それをかたどって張り子の起上りを作り、土産物として参拝客に売ったのが始まりといわれています。したがって、考えようによっては、この切手は天皇を取り上げた1枚ということもできそうです。

 応神天皇は記紀に登場する第15代の天皇で、別名は誉田別尊。神功皇后が三韓征伐から凱旋して帰る途中の201年(仲哀天皇9年)に宇瀰(現・福岡県糟屋郡宇美町)で生まれたとされています。彼の御代には百済から多数の渡来人が日本に学問・技術などを伝えたとされており、のちに、神功皇后とともに八幡神に付会され、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られるようになりました。

 応神天皇は、いわゆる倭の五王のうちの“讃”ではないかとも考えられており(異説もありますが)、実在の天皇としては最古の存在ともいわれています。ただ、伝えられている彼の伝記では、天皇として即位したのが71歳の時で、さらに亡くなったときには100歳を超えていたとされていて、この記述をそのまま信じるというのはなかなか無理がありそうです。その意味では、神話と歴史の境界線上にある人物といってよいでしょう。 
 
 ところで、この切手は、西ドイツ(当時)から輸入したばかりのゲーベル社製の最新鋭グラビア印刷機を使って印刷されています。この印刷機は4色刷の性能を持つものですが、この切手に関しては、試験的な運用ということで2色刷で製造されました。そして、この切手の成功を受けて、以後、日本の切手は本格的なカラー時代に突入していくことになります。

 なお、この切手についての詳細は、拙著『年賀切手』でも詳しくご紹介しています。正月の時季はとっくに過ぎてしまいましたが、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。
 

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 火の用心
2009-02-10 Tue 15:21
 昨年2月10日にソウルの崇禮門(南大門)が放火に遭ってからちょうど1年になります。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国・防災

 これは、1989年11月1日に韓国で発行された“防災”キャンペーンの切手で、家屋に近づく炎を断ち切るハサミが描かれています。

 韓国・消防防災庁の集計結果によると、2008年に発生した火災は4万9000件余りですが、そのうち、放火による火災や放火が疑われる火災は約4200件で、全体の8.5%を占めています。さらに、消防署や警察が放火による火災として断定したのは799件(残りの約3400件は“放火が疑われる火災”ということになります)ですが、これは前年(2007年)比81%増という結果だそうです。

 放火の動機としては、単純偶発が396件で最も多く、不満解消が214件、家庭不和が193件なんだとか。昨年、南大門に火をつけた男は、再開発に伴う立ち退きの補償が少ないとして社会に恨みをうだいていたということですから、上記の項目の中では、“不満解消”に分類されているのでしょう。また、家庭不和で放火してしまうというのは、たとえば、夫婦喧嘩ないしは親子喧嘩の末、自分の住んでいる家に火をつけてしまったというケースが該当するのでしょうが、日本ではあまりないケースじゃないかと思います。

 7日にオーストラリアで発生した大規模な山火事はいまだ鎮火せず被害が拡大していますし、中国では北京の高層ビル火災が発生しています。なんだか、ここのところ火事のニュースばかりという感じがしますが、空気が乾燥している時節柄、くれぐれも火の元にはご用心ください。


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 万仏節
2009-02-09 Mon 14:57
 きょう(2月9日)は、タイの三大仏日のひとつ、“万仏節”です。というわけで、タイの仏教切手の中からこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 遊行仏

 これは、1988年に発行されたプッタ・モントン公園の切手の1枚で、同公園の遊行仏が取り上げられています。プッタ・モントン公園はバンコクの西方約30キロ、ナコン・パトム県にあり、国王陛下の在位50周年(1996年)の記念事業として作られました。園内には仏教に関する建造物があり、各種の仏教行事にも使われています。切手に取り上げられた遊行仏はそのシンボル的な存在で、イタリア人彫刻家のシン・ピーラシーが制作しました。

 遊行仏というのは、諸国を遍歴する釈迦の姿を造形化した仏像で、13世紀から15世紀にかけてタイを支配したスコータイ王朝の時代に生まれました。他の地域では見られない、タイ独自のものです。

 さて、伝承によると、陰暦3月の満月の日に釈迦がウェールワン寺院を訪れた際、悟りの境地に達した1250人の弟子(阿羅漢)が偶然一堂に会したという“奇跡”が起きたそうです。また、その際、釈迦は3ヶ月後の自身の入滅を予見したともいわれています。

 タイの万仏節はこの故事にちなむもので、毎年、彼らの旧暦3月の満月の日に行われています。このため、年によって西暦の日付とはズレが生じるのですが、ことしは、2月9日がその日にあたるというわけです。

 万仏節の伝統的な過ごし方としては、日没後、お寺に行き、ろうそくを持って寺の本堂を3周するのだそうです。おそらく、プッタ・モントン公園でも何かのイベントが行われるのではないかと思います。また、仏日であるがゆえに飲酒は禁じられ、スーパーやコンビニで酒を買うことはできず、飲食店でもアルコール類の販売は停止されます。満月の下で、心静かに過ごしなさいということなのでしょうが、僕なんかは、せっかくの満月なんだから月見酒を楽しみたいとついつい思ってしまいます。

 さて、現在、“切手に見る仏像”といった趣旨の本を作っています。現在、切手の博物館で開催中の「ザ・仏像展」がきっかけになり、昨年末に突如決まった仕事なのですが、なんとか同展の会期中に本を出してしまおうという版元の意向もあって、ここのところ毎日、仏像切手三昧の日々が続いています。本の正式なタイトルや詳細が決まりましたら、またこのブログでもご案内いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。


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 ご難続きの熊野古道
2009-02-08 Sun 17:58
 世界遺産に登録されている熊野古道大辺路・長井坂で、資材を運ぶために、JR西日本が施主の工事を請け負った業者が和深川地区内の古道沿いにある猪垣の一部を壊し、古道を横切ってモノレールを設置していたことが分かりました。というわけで、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 熊野古道・牛馬童子

 これは、2007年3月23日に発行された世界遺産シリーズの「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち“牛馬童子”の切手です。

 牛馬童子像は、熊野古道の中辺路・箸折峠近くにある高さ50cmほどの石像で、922年に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模して明治時代に作られたモノといわれています。ちなみに、像のある箸折峠という地名の由来は、法皇が食事のため休憩をした時に近くの萱を折って箸代わりにしたからといわれています。

 ところで、切手に取り上げられた石像ですが、昨年6月、何者かによって頭部が壊されて亡くなっているのが発見されました。現在なお、頭部は発見されておらず、田辺市では、彫刻家の岡村哲伸に復元を依頼。和歌山県立博物館に展示されているレプリカを作った際の型枠を使用し、石膏で頭部を復元した後、それを参考に胴体と同じ地元産の砂岩を使って頭部を彫るという方法で頭部の複製が作られ、昨年10月、胴体にボルトで取り付けられました。

 その複製が完成した昨年10月、今回のモノレール騒動の舞台となった長井坂では、国土交通省の工事で古道沿いの木が勝手に伐採され、問題になっています。それから、わずか3ヶ月後、今回はJR西日本の工事で問題が起こったわけで、去年から今年にかけて、よくもまぁ、これだけ立て続けに問題が起こるものだと驚いてしまいます。

 一部の心ない人たちの所業で、世界遺産としての古道を保存し、後世に伝えていこうと努力しておられる方々のこれまでの積み重ねが台無しになるようなことは、いい加減、やめにしたもらいたいものです。


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 台湾の独自性⑤
2009-02-07 Sat 12:09
 雑誌『東亜』の2009年2月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、第二次大戦終戦前後の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 台湾数字10銭

 これは、日本の敗戦後、1945年11月に中国側が台湾の郵政を接収するまでの移行期間中の10月下旬、切手の在庫がなくなったために発行された“台湾数字切手”の10銭です。

 日本の敗戦とともに、蒋介石の国民政府(以下、国府)はカイロ宣言にしたがって台湾接収に向けて動き始めます。もっとも、実際に国府の第70軍と行政長官公署官員が台湾に進駐したのは10月17日、日本軍の降伏受理が正式に行われたのは10月25日のことで、それまでの期間は、日本の台湾総督府がそのまま台湾統治の実務を担当していました。

 郵便も例外ではなく、日本側が業務を続けていましたが、当然のことながら、日本本土から、新規に切手が配給されることはなくなっていたため、9月に入ると、各地で一部の切手の在庫が底をつき始めます。

 これに対して、当初、台湾総督府は在庫切れの切手の代わりに暫定的に「郵資已付(郵便料金納付済の意)」のゴム印を押して対応していました。ところが、これらのゴム印は容易に偽造が可能であるうえ、耐久性に乏しく、すぐに傷んで変形してしまうなどの不具合が多かったため、台湾総督府側は、終戦前に用意しながら発行されないままになっていた台湾製の“数字切手”のうち、3銭ならびに5銭の切手を10月21日から、10銭の切手を10月31日から、それぞれ台北郵便局で発売しています。さらに、新竹、台中、台南、南投、大渓、斗六、新化、佳里、竹東などでも、あいついで数字切手が発売されました。

 さて、10銭切手が発行される以前の10月24日には、台湾省行政長官兼台湾省警備総司令となった陳儀が台湾に上陸。翌25日には台北公会堂で台湾受降式典が行われ、陳儀は蒋介石の代理として、台湾総督兼日本軍第10方面軍司令官・安東利吉の投降を受理しています。そして、台湾と澎湖諸島の中華民国領編入を宣言し(ただし、この時点では、台湾の帰属変更に関する正規の条約が調印・批准されているわけではないので、国際法的には、この宣言をもって台湾が正式な中華民国領となったとはいえない)、これを受けて、国府による台湾統治のための機関として台湾行政長官公署が発足しました。

 ところが、国府側による郵政接収はスムースには進まず、その後も住民に対する郵便サービスの提供はしばらく日本側が担当せざるを得ないのが実情でした。10月31日になってから、日本統治時代につくられた数字切手が発行されたのは、そうした事情を何よりも如実に物語っているといってよいでしょう。

 結局、国府側による郵便の接収は11月3日にまでずれ込みます。そして、この日をもって数字切手を含む日本時代の切手は無効となり、翌4日付で国府は、日本時代の数字切手に「中華民國 臺灣省」の文字を加刷した切手を発行しています。こうして、台湾における日本郵便の歴史はようやく幕を閉じることになりました。

 ただし、新たに発足した台湾行政長官公署が台湾で流通させた新通貨・台幣は日本円との交換レートが1:1となっており、大陸とは全く別の通貨体系となっていました。したがって、後に大陸と台湾では同じデザインの切手が発行されるようになっても、対応する通貨が異なっているため、中国本土と台湾で使われている切手は本質的に別物でしかありません。言い換えるなら、切手の面では、台湾は決して(国府のいう)“祖国”に復帰したわけではなかったといってよいでしょう。

 なお、雑誌『東亜』の僕の連載ですが、いよいよ2年間・8回分の予定期間の後半に突入しました。次回は国共内戦の時代を中心にした記事を書くことになると思いますが、連載で書ききれなかった分については、いずれ、台湾をテーマとした単行本を作り機会があれば、その時にたっぷりと書いてみたいものです。

 * 昨晩、カウンターが47万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 国際司法裁判所
2009-02-06 Fri 23:06
 オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が6日の裁判官会議で、皇太子妃殿下のお父上で元国連大使の小和田恒裁判官を所長に選出しました。任期は同日から3年間で、現在のICJ体制での日本人の所長就任は初めてだそうです。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 国際司法裁判所(1940)

 これは、現在の国際司法裁判所の前身にあたる常設国際司法裁判所の公用切手として1940年に発行されたもので、ウィルヘルミナ女王を描く当時のオランダの通常切手に、裁判所名を意味する“COUR PERMANENTE DE JUSTICE INTERNATIONALE”の文字が金色で加刷されています。

 常設国際司法裁判所は、国際連盟における国際司法機関として、1922年に設立されました。本部の所在地は、オランダ・ハーグの平和宮です。第二次大戦の勃発後、1940年5月にドイツがオランダに侵攻したことで活動停止に追い込まれましたが、それまでの間に38の判決と27の勧告的意見を出しています。また、1931–34年には、日本人の安達峰一郎が所長を務めています。

 オランダでは、常設国際司法裁判所の公用便に使用するための切手を1934年から発行しています。いずれも、今回の切手のように金色の文字を加刷したものでしたが、1940年の裁判所の活動停止に伴い、加刷切手の発行も不可能となりました。ちなみに、今回ご紹介のモノは戦前の最終発行のものとなります。

 第二次大戦後の1946年、国際司法裁判所規程に基づいて国際連合の主要な司法機関として現在のICJが設立されると、翌1947年には、オランダは専用の公用切手の発行を再開。1950年からは正刷切手も発行されました。

 ICJといえば、僕なんかは、わが国は竹島の領有権問題をICJに提訴して解決しようと提案しているものの、韓国側がこれを拒否しているために、開廷できない(開廷には当事国双方の同意が必要なため)ということを思い出します。小和田所長の任期中に、なんとか、韓国を法廷に引きずり出して問題の決着をつけられれば良いのでしょうが、まぁ、期待はできないのでしょうね。


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 きょうから札幌雪まつり
2009-02-05 Thu 16:09
 きょう(5日)から恒例の札幌雪まつりがスタートします。ことしは60回目の節目の年でもありますし、今日はこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 札幌時計台

 これは、1982年1月29日、近代洋風建築シリーズの第3集として発行された札幌時計台こと「旧札幌農学校演舞場」です。雪の夜空に浮かび上がる時計台のデザインは、まさに、いまの時季の札幌を象徴するものといってよいでしょう。

 旧札幌農学校演武場は、1878年10月、札幌農学校の第2代教頭ホイラー(ちなみに、初代教頭が「少年よ大志を抱け」の言葉で有名なクラークです)の設計、開拓使工業局(現・北海道庁)の施工により完成しました。切妻造りのトタン葺きで、アメリカ西部開拓時代のバルーン・フレーム構造が採用されており、1階は博物場、同作業場、2階は演武場、体操器械場などとして使用されました。なお、中央の時計塔は完成当時にはなく、1881年に設置されたもので、時計はアメリカから取り寄せられたものです。

 その後、1905年8月、札幌区(現・札幌市)に移管され、北海道教育会、札幌郵便電信局などとして使用され、1950年5月から市立札幌図書館として運営され、1967年からは札幌市教育委員会により永久保存が図られています。

 なお、この切手を含む近代洋風建築シリーズの切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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 フルンゼとビシュケク
2009-02-04 Wed 17:07
 旧ソ連諸国で構成するユーラシア経済共同体(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)と集団安全保障条約機構(上記5カ国とウズベキスタン、アルメニア)の首脳会議に出席するためモスクワを訪問していたキルギスのバキエフ大統領は、2001年9月のアメリカ同時テロ事件後、同国の首都ビシュケク近郊のマナス空港に置かれた米空軍基地の閉鎖を発表しました。というわけで、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 フルンゼ100年

 これは、1985年にソ連が発行したミハイル・フルンゼ生誕100周年の記念切手です。

 フルンゼは1885年、キルギスの首都ビシュケクで生まれました。10代の頃から社会主義者として活動し、1905年の第1次ロシア革命では繊維労働者のデモを組織。その後、逮捕されて死刑宣告を受けたものの、減刑されてシベリア送りとなりました。シベリアへの流刑中、彼はクラウゼヴィッツやジョミニ、孫子らの著作を読んで軍事知識を身に付けてからチタへ逃亡し、ボリシェヴィキの機関誌の編集を担当。1917年に2月革命が勃発すると、赤衛隊の指導者として活躍しました。

 革命後の内戦に際しては、赤軍の指揮官としてオムスクでアレクサンドル・コルチャク率いる白軍を破ったほか、東部戦線全体の総司令官としてトルキスタンの白軍を制圧。1920年11月には、最後まで白軍の支配下にあったクリミア半島を占領したほか、ウクライナのアナーキスト運動も鎮圧しています。こうした功績が認められ、1921年には党の中央委員会委員となり、1925年1月には陸海軍人民委員・革命軍事会議議長に就任しています。しかし、同年10月、腹部手術の失敗により(スターリンによる謀殺説もある)40歳の若さで亡くなり、遺体はクレムリンの城壁に葬られました。

 このように、ソ連建国の軍事的英雄として、ソ連時代のキルギスでは首都のビシュケクは彼にちなんでフルンゼと改称されたほか、モスクワには彼の名にちなんだエリート将校養成機関のフルンゼ総合軍事大学も設けられました。なお、1991年のキルギス独立に伴い、同国の首都はフルンゼからビシュケクへと改称されています。

 さて、今回の米軍基地の閉鎖は、表向き、駐留長期化に伴い、米兵による殺人事件の発生などで国内世論の反発が強まったことが理由となっています。しかし、実際には、アメリカからの経済支援が期待したほどには得られなかったことに不満を持っていたキルギスに対して、旧ソ連圏への影響力の保持を狙うロシアが財政支援(20億ドルの信用枠の提供と1億5000万ドルの金融支援)を持ちかけ、それと引き換えにキルギス側が米軍基地を閉鎖したという構図になっています。

 もちろん、ロシア・キルギス両国は、今後もアフガンでの対テロ作戦で米国と協力を続けると語っていますが、ロシアのメドベージェフ大統領は今回のキルギス支援に対して「同盟的性格を確認するものだ」と強調しています。まぁ、現在ではキルギスもれっきとした独立国ですから、ロシアにおもねってビシュケクが再びフルンゼと呼ばれるようになる日が来るということはないのでしょうが、今後、ロシアの影響力が一段と強まっていくことだけは避けられないでしょうね。


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 鬼が主役
2009-02-03 Tue 22:18
 きょうは節分です。というわけで、そのものズバリ、“鬼”が主役の切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 天灯鬼
 
 これは、1974年9月27日に発行された400円の通常切手で、興福寺の天灯鬼が取り上げられています。

 天灯鬼は、龍燈鬼とともに、仏たちの住む天上界を魔障から守る門番をしている一対の善鬼です。 このうち、天燈鬼は火の守り神で、悪に立ち向かう戦鬼とされており、切手では見づらいのですが、2本の角と額に天眼(全てを見通す真理を見る眼)を持っています。

 切手に取り上げられた興福寺の彫刻は、鎌倉時代の仏師・康弁(運慶の三男)の作品で、もともとは、龍灯鬼と一対で西金堂に安置されていました。仏教彫刻では、邪鬼は仏教の守護者である四天王に踏みつけにされる存在として登場することが多いのですが、この彫刻では、その邪鬼が独立して、仏前を照らす役割を与えられている点がきわめてユニークです。

 口を開き、怒号しながら灯籠を肩に負っている動的な天灯鬼に対して、龍灯鬼は口をしっかりむすび、両手を組んで頭上の灯籠を見上げながらこれを捧げるという静的な姿勢を取っています。両者の動と静のコントラストは金剛力士の阿吽とも対応するもので、空想的な鬼形に人間的な感情を付与したセンスと技術は鎌倉彫刻の傑作として高く評価され、1954年には国宝にも指定されました。

 切手の原画となった写真は仏像写真の大御所・入江泰吉が撮影したものです。国宝シリーズ並の大きな画面だったら、きっと迫力のある切手になったんでしょうねぇ。


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 試験問題の解説(2009年1月)-4
2009-02-02 Mon 14:13
 昨日に引き続き、都内の某大学でやっている「中東郵便学」の試験問題の解説です。今日は、「このラベル(左下の画像:画像はクリックで拡大されます)を作成した組織について説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。なお、試験問題ではスペースの都合からラベルの部分だけでしたが、ここでは、ラベルの貼られたカバーの全体像(右)もお見せしておきます。

 ファタハのラベル  ファタハのラベル貼りカバー

 これは、1970年代前半にパレスチナ解放機構(PLO)傘下のファタハが作ったラベルです。ファタハはこうした切手状のラベルを作り、“イスラエルに対するパレスチナ人の抵抗”をアピールするプロパガンダの媒体として利用するとともに、支援者に販売して資金源の一つとしていました。なお、この種のラベルは、結核予防の複十字シール同様、しばしば郵便物にも貼られましたが、それじたいは郵便料金の支払いとは無関係ですから、このカバーの場合も、別途、郵便料金は差出地のレバノン(当時のPLO本部はレバノンのベイルートにあった)の切手で納付されています。

 ファタハはもともと、1956年の第2次中東戦争にエジプト軍の工兵大尉として従軍したヤーセル・アラファトが、戦後、クウェートで技師として働きながらパレスチナ解放運動を続ける過程で結成した武装組織です。

 1956年の第2次中東戦争では、エジプトは英仏の介入を排してスエズ運河の国有化を達成し政治的勝利を収めたものの、イスラエル軍に簡単にスエズ運河地帯への侵攻をゆるすなど、純軍事的には敗けたも同然でした。このため、イスラエルとの戦争に勝ち目がないことを悟ったナセルは、反イスラエル各派を糾合したPLO(パレスチナ解放機構)結成のお膳立てをします。勇ましいイスラエル打倒の掛け声とは裏腹に、ナセルの本音は、反イスラエル闘争を一括してコントロールすることで、アラブの反イスラエル感情に応えるとともに、反イスラエル闘争の暴発してイスラエルを本気で怒らせることを防止する(=イスラエルとの全面戦争を回避する)ことにありました。

 ファタハも1967年にPLOに参加しましたが、彼らはナセルの微温的な姿勢に反発。PLO最大派閥として、ナセルのコントロールを振り切ってイスラエルへのテロ活動を繰り返します。当時のアラファトは、「反イスラエルのテロ行為を繰り返せばイスラエルはアラブとの全面戦争に踏み切るだろうが、その場合には、全アラブの団結によってイスラエルを粉砕できる」と考えていたわけですが、じっさいに1967年6月に第3次中東戦争が勃発すると、イスラエルの圧倒的な軍事力の前にアラブ側は惨敗してしまいます。

 それでも、PLO(1969年にアラファトが議長に就任)は「パレスチナに世界の注目を集める」ためとして、テロの対象を非イスラエル国民にも拡大。1970年9月には、PLO傘下の武装組織PFLP(パレスチナ民族解放戦線)が4機を同時にハイジャックする事件を起こします。この事件に激怒したヨルダンのフセイン国王は、激しい戦闘の末、PLO本部をアンマンから追放。ベイルートに移駐したPLOは、秘密テロ組織のブラック・セプテンバーを創設し、ミュンヘン・オリンピックの選手村に侵入してイスラエルの選手・コーチ11人を殺害するなど、テロ活動を繰り返しました。

 1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻でベイルートからチュニスに撤退した後も、PLOは反イスラエルのテロ路線を維持していましたが、1987年にPLO不在のパレスチナで反イスラエル暴動の(第1次)インティファーダが発生します。インティファーダに際して、現地のパレスチナ人は、パレスチナから離れた土地で、イスラエル国家の解体という非現実的な主張を展開するPLOの主張に反して、イスラエル国家の存在を認めた上で自分たちの権利を保障するよう要求。このため、パレスチナ人を代表する組織ということになっていたPLOも路線転換を迫られ、アラファトもテロの放棄を公式に宣言しました。

 その後も、PLOをテロ組織とみなしていたイスラエルはアラファトとの対話を長らく拒否していました。しかし、湾岸戦争でアラファトがイラクを支持した結果、PLOは国際的に孤立。アラブ諸国からの経済支援もストップし、その影響力が大きく損なわれてしまいます。

 そうした中で、パレスチナでは、より過激な反イスラエルの“殉教作戦(=自爆テロ)”を展開するハマスが台頭。この頃には、PLOには昔日の勢いは全くなく、彼らは、イスラエルとの対話路線を定着させており、もはやイスラエルにとっての脅威ではなくなっていました。むしろ、PLOとその主流派であるファタハの退潮が進めば、彼らに代わってより過激なハマスがパレスチナ人の代表権を獲得することも危惧されるようになります。

 こうして、ハマスがイスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となったことで、彼らは反ハマス連合として和解に到達。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン側西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意が調印され、アラファトを大統領とするパレスチナ自治政府が発足。かつてはテロリストの頭目として恐れられたファタハのアラファトは、一転して、ノーベル平和賞を授与されました。

 自治政府成立後、ファタハは長らく与党の地位にありましたが、2006年1月のパレスチナ評議会選挙ではハマスに敗れ、少数派に転落します。しかしファタハのマフムード・アッバース(2004年にアラファトが亡くなった後、大統領職を継承)は大統領の職に居座り、少数与党政権となりました。また、イスラエルとアメリカはハマスを相手にせず、引き続き穏健派のファタハを交渉相手にすると宣言し、軍事面を含む援助を行っています。

 その後、2007年6月にハマスがガザ地区を占拠したことで、パレスチナはファタハの支配するヨルダン川西岸地区とハマスの支配するガザ地区に分裂し、事実上の内戦状態に陥ることになりました。
 
 試験の答案としては、①ファタハが第二次中東戦争の産物であること、②当初は対イスラエル強硬派の武装組織で第3次中東戦争の一因となるテロ活動を繰り返していたこと、③対イスラエルのテロ路線を放棄したのは第1次インティファーダ後だったこと、④湾岸戦争後は組織が弱体化し、より過激なハマスが台頭したことで“穏健派”として自治政府の政権を獲得したこと、等に触れられていれば十分です。

 さて、4日間にわたって掲載してきた「中東郵便学」の“試験問題の解説”は、とりあえず、本日で終了です。授業とは関係のない皆様もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。なお、残りの1問は切手とは関係なく、「サダム・フセインの唱えたリンケージ論について説明せよ」というものでしたが、この点については、こちらをご覧ください。

 明日(3日)からは平常通りの内容に戻りますので、また、よろしくお付き合いください。


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 試験問題の解説(2009年1月)-3
2009-02-01 Sun 15:42
 昨日に引き続き、都内の某大学でやっている「中東郵便学」の試験問題の解説です。今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)に描かれた事件について説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。

 UAE・インティファーダ支援

 これは、1988年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した(第一次)インティファーダ支援の切手で、覆面をしてイスラエル軍に投石するパレスチナの若者が描かれています。

 1985年、レバノン南部ではヒズブッラーの“殉教作戦(自爆テロ)”が、部分的ではありますが、イスラエル軍を占領地から撤退させることに成功しました。しかし、1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルが同年12月に採択された国連安保理決議(占領地からのイスラエル軍の撤退条項が含まれていた)を無視して苛酷な占領下に置きつづけてきたヨルダン川西岸とガザ地区では状況は変わらず、パレスチナ住民の不満と閉塞感はピークに達していました。

 こうした状況の下で、1987年12月、ガザで、帰宅途中のパレスチナ人が乗った車が反対車線に乗り入れたイスラエルの軍用トラックと正面衝突し、パレスチナ人4名が死亡し、7名が重軽傷を負う交通事故が発生。これに対して、軍用トラックの乗員は全員無傷でした。

 イスラエルによる理不尽な占領を象徴するかのような事件が発生したことで、ガザ地区の空気は一挙に緊張。事件の翌日、難民キャンプの一パレスチナ人青年が、日頃の鬱積した不満からイスラエル兵に投石したことをきっかけに、パレスチナ住民とイスラエル兵との大規模な衝突が発生します。その際、イスラエル兵が17才のパレスチナ人少年を射殺したことから、パレスチナ人住民は憤激。少年の葬儀は、やがて、自然発生的な暴動となり、大量の石やガラス瓶などがイスラエル兵に向かって投げつけられることになりました。

 こうして、イスラエル軍の催涙ガスやゴム弾に対して、投石と火炎瓶で抵抗する“石の革命”、インティファーダ(アラビア語の原義は蜂起)が始まり、イスラエルの占領下で生まれ育った10代の少年を中心に、ヨルダン側西岸とガザ地区のイスラエル占領地域全域で、老若男女を問わず、パレスチナ住民の抵抗が続けられました。

 インティファーダを鎮圧するための膨大なコストはイスラエル経済を大きく圧迫。さらに、インティファーダに共感するイスラエル本土のパレスチナ人の大規模なストライキが頻発したこともあって、1987年には5.2%だったイスラエルの国内総生産(GDP)は、インティファーダ発生後の1988年には1%台に急落します。また、強圧的な弾圧によってインティファーダを鎮静化できなかったことで、イスラエルは、パレスチナ人による自治権の要求は武力で抑え込めるものであり、考慮の必要はないとするそれまでの前提を再検討せざるを得なくなりました。

 また、インティファーダは、ベイルートを追放されチュニスに本部を置いていたPLOの指導部とは無関係に発生したものである点も重要です。インティファーダの参加者たちは、イスラエルの存在を認めた上で、パレスチナ人としての権利を獲得することを主張しており、イスラエルを破壊してパレスチナ全土を解放するというPLOの非現実的な路線の転換を求めました。このため、インティファーダ発生から約1年後の1988年11月、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会では、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家の独立宣言を採択。イスラエルの存在そのものを否定する従来の路線を放棄する代わりに、インティファーダで獲得した国際的認知を国家樹立がPLOの新たな基本方針となり、翌12月の国連総会に出席したアラファトは、イスラエルの承認とテロの放棄などを明言することになります。

 試験の答案としては、この切手が(第一次)インティファーダを取り上げたものであることを示したうえで、①インティファーダが発生した背景、②インティファーダの経過、③インティファーダによってイスラエルとPLOの双方が従来の路線を再検討ないしは転換せざるを得なくなったこと、などをまとめていればOKです。


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