内藤陽介 Yosuke NAITO
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 きょうから国宝・阿修羅展
2009-03-31 Tue 19:09
 きょうから東京・上野の東京国立博物館で奈良・興福寺の創建1300年を記念した国宝・阿修羅展がスタートしました。となれば、やはりこの1枚でしょう。(画像はクリックで拡大されます)

 阿修羅

 これは、1968年2月1日、国宝シリーズ第2集の1枚として発行された「興福寺阿修羅」の切手です。

 阿修羅の元になったアスラは、インド神話では、もともとは正義をつかさどる神でしたが、インドラ(帝釈天)に娘を奪われたことに怒り、インドラに戦いを挑みます。しかし、アスラの軍はインドラの軍になかなか勝てません。ある時、アスラの軍が優勢となり、インドラ軍が後退していたところへ蟻の行列にさしかかると、インドラは蟻を踏み殺さないようにと軍を止めました。

 このことをもって、アスラは正義ではあるものの、戦いを挑むうちに赦す心を失ったとされ、天界を追われ人間界と餓鬼界の間の修羅界の主となったとされています。まぁ、何事も引き際が肝心ということなのでしょうが、もとはといえば、そもそもの原因はインドラにあったわけで、アスラが気の毒と思えなくもありません。

 アスラは仏教に取り込まれると戦闘神として、仏法の守護者として八部衆のひとつに位置付けられるようになりました。切手に取り上げられた興福寺の像は、もともとは734年に建立された興福寺西金堂に安置されていました。ちなみに、西金堂は、光明皇后が母・橘三千代の1周忌に際して釈迦三尊を安置する堂として創建した建物ですが、江戸時代に火災で焼失しています。

 さて、4月中旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介の興福寺阿修羅をはじめ、さまざまな仏像切手300点以上をカラーでご紹介しております。すでに本文の原稿は完成しており、編集作業が追い込みの段階ですが、正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
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 千葉の名品
2009-03-30 Mon 16:55
 きのう(28日)、任期満了に伴う千葉知事選挙の投票が行われ、森田健作候補が初当選を果たしました。というわけで、きょうは“千葉”にちなむこんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 1974年用年賀

 これは、1973年12月に発行の1974年用の年賀切手で、千葉県千葉市にある千葉寺)の梅竹透釣灯籠が取り上げられています。

 千葉寺は千葉市最古の寺で、709年、行基により開山され、聖武天皇 の勅諚により海照山(現・海上山)千葉寺と称するようになったといわれています。なお、“千葉“という地名の由来については諸説ありますが、この寺にちなむという説もあるようです。

 切手に取り上げられた梅竹透釣灯籠は、1910年1月11日、畑野勇治郎が千葉寺村の竹藪を堀り崩していたところ、深さ2メートルの地中から発掘した六角形の青銅製の灯籠です。

 灯籠の大きさは、総高31センチ、台座の径30センチ。下野・佐野郡天明でつくられた“天明鋳物”の逸品で、火袋の部分は5枚の羽目板と1枚の戸扉で覆われており、1枚の扉を除いて、他はすべて一鋳されています。扉とその右側の羽目板2枚は竹に筍をあしらった文様が、他の羽目板には梅が咲き乱れた文様が透鋳で造られており、これが名前の由来となりました。

 また、笠の部分には「下総国千葉之庄、池田之郷千葉寺、愛染堂之灯爐、太旦主牛尾兵部少輔、天文十九年戊庚七月廿八日」との銘があり、鎌倉・室町時代の千葉の様子を記録した『千学集抜粋』の記述などから、戦国の武将・牛尾兵部少輔が1550年に、自分の息子が修行していた千葉寺愛染堂に奉納したものと推定されています。

 美術的・史料的に重要なものとして、国の重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に保管されていますが、そのレプリカが千葉城跡の千葉市立郷土博物館に展示されているそうです。

 なお、この切手を含む昭和の年賀切手については、拙著『年賀切手』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 モンゴルの勝楽尊
2009-03-29 Sun 18:18
 大相撲春場所は、モンゴル出身の横綱・白鵬の全勝優勝で幕を閉じました。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 モンゴル・勝楽尊(サンバラ)

 これは、1991年にモンゴルが発行した仏像切手の1種で、サンバラ(勝楽尊)が取り上げられています。

 サンバラ(勝楽尊)は密教の典型的な仏像のひとつで、原義は“すぐれた楽しみ”。絶対者と合一する宗教的な法悦の境地を性的な合一の快楽の比喩で表現するため、この切手に取り上げられている像ではヴァジュラヴァーラーヒー妃を抱く姿となっています。

 一方、密教は、仏教がインドの土着文化や宗教を自らのものとして取り込むとともに、ヒンドゥー教に対抗するための理論体系化を試みて生まれてきたことから、その仏像には、怨敵(ヒンドゥーやイスラムなど)降伏を祈願するために憤怒の表情をしているものもすくなくありません。サンバラ(勝楽尊)に関しても、シヴァやブラフマーなど、ヒンドゥーの神を打倒する姿を取り、ヒンドゥーに対する仏教の勝利を象徴しているケースがしばしば見られます。

 モンゴル出身の力士に関しては、先場所優勝した朝青龍がガッツポーズをとって協会幹部から叱られたほか、白鵬に対しても、元横綱・大鵬の納谷幸喜氏が「むやみに相手を投げ捨てるな! 勝ったときに、えらそうにするな! このままでは、大横綱にはなれないぞ」と苦言を呈したことがあるそうですが、怨敵を打倒する仏を拝み続けてきた彼らの文化的背景を考えると、良くも悪くも日本的な“相撲道”を理解しろという方が無理な注文なのかもしれませんな。

 さて、4月中旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介のサンバラ(勝楽尊)をはじめ、さまざまな密教系の仏像の切手も多数カラーでご紹介しております。すでに本文の原稿は完成しており、編集作業が追い込みの段階ですが、正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。


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 日本最初の高速道路切手
2009-03-28 Sat 18:00
 きょう(28日)から“1000円で走り放題”の高速道路料金大幅引き下げがスタートしました。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 名神高速道路

 これは、1963年7月15日に発行された“名神高速道路開通”の記念切手です。日本の高速道路切手としては最初のモノで、図案化された栗東インターチェンジが描かれています。
 
 わが国における高速道路網の整備は、1957年4月、国土開発縦貫自動車道建設法・高速自動車国道法・道路整備特別措置法の3法が施行されたことで本格的にスタートします。

 具体的な高速道路の建設計画としては、同年10月、建設大臣(根本龍太郎)の施行命令により、わが国で最も交通需要の多い東京=神戸間のうち、まず、名古屋=神戸(小牧=西宮)間を貫通する191キロの区間が着工となりました。建設資金は1164億円で、うち、144億円が世界銀行からの借入金でした。

 その後、日本道路公団により建設工事が進められ、1963年7月、栗東(滋賀県)=尼崎(兵庫県)間の71.1キロが開通。これが、日本最初の長距離高速道路となりました。なお、名神高速道路が、小牧=西宮間の全線開通によって完成したのは、2年後の1965年7月のことです。また、切手が発行されたのは1963年7月15日でしたが、この日は開通式などが行われ、一般の利用が可能になったのは翌16日からでした。

 ところで、今回の記念切手が発行される直前の6月23日に発行された東京オリンピックの第4次募金切手は、過熱する切手ブームに対応して、急遽、発行枚数が800万枚にまで増やされましたが、7月4日、郵政省は、さらに今回の切手以降、記念特殊切手の発行枚数を増加する方針を発表 。これにより、今回の記念切手も、発行枚数は当初の1200万枚から1300万枚へと変更されています。

 こうした発行枚数の増加に加え、投機目的で切手を買い占めていた業者が、相場はピークに達したとの判断から一転して在庫の利食い売りに転じたことから、記念切手の市価は一転して下降しはじめました。

 そうした状況の中での発行された今回の切手は、それまでの異様な熱狂が嘘のように、窓口に並んだ人は楽に入手できたそうです。ただし、その理由が、郵政省の政策的措置の結果なのか、それとも、単純に切手そのものに魅力がなかったためなのか、この点についての判断は、収集家の間でも意見が分かれたようです。

 なお、この切手を含めて1960年代前半、切手ブームの時代の記念・特殊切手については拙著『切手バブルの時代』でも詳しくまとめていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 
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 『郵趣』今月の表紙:皇太子ご成婚
2009-03-27 Fri 23:27
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年4月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、巻頭特集の「文化人切手」にちなんで、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 皇太子ご成婚(1959・10円)

 これは、1959年4月10日、皇太子時代の今上陛下のご成婚を記念して発行された切手の1枚で、皇太子ご夫妻の肖像が描かれています。

 1958年11月27日、宮内庁は皇太子妃に日清製粉社長・正田英三郎の長女、美智子さんが内定したと発表しました。お2人の婚約は、年が明けた1959年1月14日付で、宮内庁によって正式に告示され、同年4月10日、婚礼が行われることになりました。彼女の清楚な美しさに加え、民間出身の初の皇太子妃ということもあって、当時の国民は“世紀のご成婚”に熱狂。空前のミッチー・ブームが到来し、列島全体は奉祝ムードに包まれたことは周知のとおりです。

 さて、今回の“ご成婚”に際して、当然のことながら、郵政省は、婚儀当日の記念切手発行を計画。肖像切手の発行を実現すべく、大臣以下、関係方面との調整が開始されることになりました。

 このため、1959年1月11日、千葉県市川市で行われた皇室の鴨猟に際して、郵政大臣・寺尾豊が宮内庁長官・宇佐美毅と会談。その際、寺尾は宇佐美を説得して夫妻の肖像入りの記念切手を発行発行することへの了解を取り付けることに成功します。そして、これを受けて、寺尾は13日の閣議で肖像入りの記念切手発行を提案して、全閣僚の賛成を得て、肖像切手の発行について閣議了承を取り付けました。

 こうして、“ご成婚”の記念切手に皇太子夫妻の肖像を取り上げることは、行政の最高意思決定機関で、日本政府の意思となりました。その結果、行政の組織上は総理府(現・内閣府。内閣総理大臣の管理下に置かれている)の一外局に過ぎない宮内庁が、立太子礼や“ご帰朝”の記念切手のときのように、正当な理由なくして肖像切手の異議を唱えることは、法治国家の組織上、絶対に許容されえないことになり、皇太子(夫妻)の肖像が入りの切手は、実現に向けて大きく動きだすことになりました。

 もっとも、1月13日の閣議から4月10日の婚儀まで、残された時間はわずか3ヶ月弱しかありません。制作実務に着手してから切手の発行まで5ヶ月の余裕があった立太子礼の場合や、おなじく、当初の切手発行予定日まで約半年を見込んでいた“ご外遊”の場合は、いずれも、宮内庁とのやり取りで作業は大幅に遅れ、最後は突貫作業となっています。

 このため、郵政省は、文字どおり総動員体制で今回の記念切手の制作にあたりました。

 しかし、それでも、ことは決して順調には進みませんでした。宮内庁側に悪意があったのかどうかは不明ですが、結果として、今回もやはり、宮内庁の対応が現場の制作サイドを大きく混乱させたからです。

 すなわち、今回の記念切手のハイライトは、皇太子夫妻の肖像を取り上げたことにありましたが、その原画を作成するための資料の写真は、閣議了承後の1月16日、宮内庁から貸し出されました。その際、宮内庁側は、“御貸下”の写真に関してはどれを用いてもよいということが、あらかじめ実務担当者の間での了解事項となっていました。

 このため、担当デザイナーの木村勝は、通常の背広姿の皇太子と洋装の皇太子妃の写真を用いて、切手の制作作業を進めます。

 ところが、下図がおおむね完成した1月27日になって、宮内庁側は、突如、郵政省のデザイナーが作成した肖像にクレームをつけはじめるのです。

 いわく「皇太子殿下の服装は、背広はおかしいからモーニングに改めよ」、いわく「妃殿下の服装は胸が開きすぎている」、いわく「妃殿下の髪のリボンは外せ」、いわく「妃殿下の服装は、通常の洋装ではなく、正装もしくは和服にせよ」などなど…。

 もとより、郵政省のデザイナーが作った下図は、宮内庁から“御貸下”をうけた写真を忠実に再現したものでした。したがって、事前の実務者間の了解事項によれば、印刷作業の日程が切迫している中で、郵政省側が、いまさら、このような修正要求を受けるいわれはまったくありません。宮内庁としては、自らの意に沿わない肖像切手の発行を阻止できないのなら、せめて最後の抵抗を試みようとしたのかもしれませんが、その陰湿さは常人には理解しがたいものがあります。

 結局、郵政省サイドは、肖像切手を実現するという大義の前には、まさに、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、宮内庁の要求を受け入れることとなりました。

 その結果、皇太子の肖像はモーニング姿のものに改められ、皇太子妃の肖像は、リボンを外した顔の部分をそのままに、首から下は別の和服姿の写真から取ったものを合成したものが最終的な原画として制作され、突貫作業で調製が進められます。

 こうして、苦労の末に完成した切手は、和綴じのアルバムに貼られ、そのアルバムを羽二重のふくさに包んで桐箱に収めた状態で、まず3月31日、東宮仮御所で郵政大臣から天皇・皇后・皇太子、そして正田家に献上されました。なかでも皇太子が今回の切手を非常に気に入っている様子がマスコミを通じて報じられると、あらためて、頑迷固陋な宮内庁の姿勢が皇太子本人の意向を無視したものであったことが国民の前に明らかになっています。

 この間の事情については、拙著『皇室切手』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 エジプト・イスラエル和平30年
2009-03-26 Thu 22:26
 1979年3月26日にエジプト・イスラエル和平条約が調印されてから、きょうでちょうど30年になります。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 テルアビブ=カイロFFC

 これは、1977年12月13日のテルアビブ=カイロ間の飛行カバーです。

 1973年10月の第4次中東戦争で、イスラエル軍に打撃を与えたエジプトのサダト政権は、その実績をもとにイスラエルと停戦協定を結び、1967年の第3次中東戦争以来イスラエルに占領されていたシナイ半島の返還交渉に臨みます。

 米ソ両国の主導により、ジュネーブで開催された中東和平会議は、1974年1月、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が成立。部分的にせよ、イスラエル軍撤兵の悲願を実現させたサダトは、さらに同年2月、第3次中東戦争以来途絶していた米国との外交関係を再開し、ニクソンをエジプトに招待。さらに、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第2次兵力分離協定の調印にも成功しました。そして、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問。イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにしています。

 今回ご紹介のカバーは、そうした状況の下で、1977年12月、サダトのイスラエル訪問への答礼として、カイロのメナハウスで行われたエジプトとイスラエルの首脳会談にあわせて、テルアビブからカイロまで運ばれたもので、アラビア語を中心に、英語・ヘブライ語で“平和”の文字が入った印も押されています。また、カバーの余白には、エジプトとイスラエルの国旗とともに星条旗が描かれており、このときの中東和平交渉がアメリカの主導で進められていたことが示されています。

 しかし、サダトの一連の行動は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったものであり、“アラブの大義”という点からは絶対に許容されえないものとして、アラブ諸国から激しい非難を浴びることになりました。そして、シリア、アルジェリア、リビア、南イエメン、リビアがエジプトと断交します。

 エジプトがアラブ諸国で孤立していく中で、1978年9月には、アメリカのカーター大統領がサダトとベギン(イスラエル首相)をキャンプ・デービットの大統領別荘に呼び、両国に対して、巨額の経済援助と引き換えに、キャンプ・デービット合意を成立させます。

 この合意では、シナイ半島の返還に関してはエジプトの主張が大幅に認められており、両国間の平和条約調印も定めていましたが、イスラエル占領下のヨルダン側西岸とガザ地区に関してはイスラエル側の支配を認める内容となっていました。

 結局、1979年3月に調印されたエジプト・イスラエル平和条約では、①相互の国家承認、②1948年以来続く中東戦争の休戦、③シナイ半島からのイスラエル軍及び入植者の撤退、④スエズ運河におけるイスラエル船舶の自由航行、⑤チラン海峡とアカバ湾を国際水路として認めること、が規定されたわけですが、このため、エジプトは自国の利益のためにパレスチナをイスラエルに売り渡したものとして、他のアラブ諸国から激しく非難され、周辺諸国から完全に孤立します。

 こうして、エジプトはイスラエルを正式に承認した最初のアラブ国家となりましたが、イスラエル・ヨルダン平和条約により、ヨルダンがこれに続いたのは、実に15年後の1994年のことでした。

 なお、このあたりの事情については、以前、『中東の誕生』という本でもまとめてみたことがあるのですが、残念ながら、現在、同書は版元品切れ・重版未定という状況です。その後、手持ちのマテリアルもいろいろと増えてきましたし、そろそろ、本気で改訂版を出すことを考えないといけませんね。

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 公共的施設受動喫煙防止条例
2009-03-25 Wed 12:31
 神奈川県議会ではきのう(24日)、公共的施設受動喫煙防止条例案が本会議で可決、成立しました。条例の提出当初に目指された全面禁煙からは大幅に後退する内容となりましたが、屋内での喫煙を規制する条例は全国で初めてのことだそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 チェコ・禁煙切手

 これは、1976年にチェコスロバキアが発行した“禁煙キャンペーン”の切手で、煙草を吸う男女と骸骨が並べて描かれています。いわゆる禁煙キャンペーンの切手は世界各国からいろいろと発行されていますが、その最初の1枚と言われているものです。

 さて、僕自身は煙草を嗜みませんし、煙草を吸う人が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、あたかも禁煙・嫌煙といえばすべてがまかり通ってしまい、問答無用で煙草を悪と決め付け、何が何でもそれを排除しようとする“禁煙活動家”に対しては非常に不快感を感じます。

 たしかに、煙草の煙は人体に有害といわれていますし、においや煙に不快感を感じる人が多いのも事実でしょう。しかし、健康に悪影響を与えるという点でいえば、他人に影響を及ぼさないような環境を作り、その中で個人が自己責任で煙草を吸うというのであれば、誰もそのことについてとやかく言う権利はないはずです。少なくとも、僕は自分の健康状態について、全く見ず知らずの人間からあれこれ文句を言われることは不愉快以外の何物でもありません。

 煙草は現在の日本では合法的な嗜好品であり、税収にも少なからず寄与していることを考えた場合、愛煙家の側から、煙草を吸う権利を維持するためにも密閉式の禁煙ルームを設けてほしいという要求が出され、たとえば煙草の販売会社がそのための費用を負担するということになった場合、それを拒否するということは理屈としては難しいのではないでしょうか。“権利”としての禁煙・嫌煙を主張するのであれば、同じように、喫煙の権利にも一定の配慮がされてしかるべきでしょう。禁煙活動家の人たちが言うように、喫煙が単に反社会的な行為であるのなら、少なくともコロンブス以来、数百年にわたって全世界の少なからぬ人々が煙草を愛好し、それにまつわるさまざまな文化も生み出されてきたということはありえないはずです。

 また、匂いが厭だというのであれば(僕も決して煙草の匂いが好きというわけではないのですが)、香水はどうなのでしょうか。満員電車やエレベーターの中で、臭いの強い香水をつけている女性が乗り込んで来て気分が悪くなったという経験をお持ちの方は少なくないと思います。さらに、いわゆるホームレスと思しき人が電車に乗り込んできたときなど、その悪臭に思わず顔をしかめる経験は誰にでもあると思います。これらは、いずれも、本人の努力や心がけで他人に不快感を与えないで済むようにできるわけで、こういう“匂い”を何ら規制せず、煙草の臭いのみをやり玉にあげるのは、どう考えても不公平なように思えてなりません。

 もちろん、煙草を吸う人たちの中にはマナーの悪い人も少なからずいますし、吸い殻のポイ捨てや煙草の火の不始末による火災などは大いに問題です。しかし、それらは、個別の行動に対してペナルティを課せばいいだけの話で、煙草そのものの罪ではありません。携帯電話を使った犯罪が多いからと言って、携帯電話そのものに罪がないのと同じことです。

 現在、東京や神奈川などではタクシーも全面禁煙になっていますが、どうして、完全禁煙車と喫煙可能な車を別々に走らせ、利用者がそれぞれの価値観に応じて選択するという発想がないのか、非常に奇異なことのように思われます。あるいは、タクシー会社としてはそういう選択肢も考慮した(している)ものの、禁煙活動家の圧力に屈して実現できないということなのでしょうか。仮にそうだとしたら、実に困った話です。


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 祝 WBC連覇!
2009-03-24 Tue 16:28
 野球のWBCは、日本が韓国を下して連覇を果たしました。めでたい限りです。というわけで、野球+優勝にちなみ、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 高校野球

 これは、1968年8月に発行された「第50回全国高等学校野球選手権大会」の記念切手のうち、優勝旗を背景にピッチャーを描いたものです。そういえば、今回のWBCでMVPに選ばれた松坂投手も甲子園の優勝投手でしたな。

 日本の夏の風物詩として定着している“夏の甲子園”こと全国高等学校野球選手権大会は、1915年8月、朝日新聞社が主催して阪急沿線の豊中球場で行われた「第1回中等学校優勝野球大会」がそのルーツです。大会の名称は、全国70余の中等学校(現在の学制でいう高等学校)を集めて地方の予選大会を行い、その10校を招いて開催されたことに由来しており、栄えある最初の優勝校は京都二中でした。ちなみに、同校は1948年の学制改革でいったん廃校となりましたが、1984年、かつての校舎跡に京都府が府立鳥羽高校を新設。現在では、同校が府立二中の後身ということになっています。

 さて、大会は回を追うごとに盛んになり、1924年からは甲子園球場に舞台を移し、順調に発展を続けました。戦争の影響で1941-45年の開催は中断されましたが、戦後すぐに復活。学制改革に伴い、1948年には、大会名称が、現在の「全国高等学校野球選手権大会」に改められて、現在にいたっています。

 なお、この切手を含め、書状基本料金が15円時代の記念・特殊切手については、拙著『一億総切手狂の時代』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
 
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 風神
2009-03-23 Mon 21:04
 きょうは首都圏では風が強くて、成田空港では強風にあおられた貨物飛行機が着陸に失敗して炎上したほか、鉄道も一部で運転見合わせがありました。というわけで、“風”ネタの定番の1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 青風神

 これは、1962年7月2日に発行された通常90円切手で、俵屋宗達の風神雷神図屏風のうち、風神の部分が取り上げられています。風神の90円切手はその後刷色を変えて2種、計3種が発行されていますが、一番最初に発行されたこの切手が一番できが良いのではないかと思います。

 宗達の風神雷神図屏風は17世紀前半の作で、京都の豪商で歌人であった打它公軌が京都妙光寺再興の際に製作を依頼し、その後建仁寺に渡ったといわれています。オリジナルの屏風では、画面の両端ギリギリに配された風神・雷神が画面全体の緊張感をもたらしていますが、切手でもそこのところを意識して、風神の姿は画面ギリギリから下界を見下ろすような位置にトリミングされています。

 風をつかさどる神としての風神は、世界各国の神話や民間伝承に普遍的に登場しますが、宗達の絵のようなスタイルの風神は、もともと、インド神話でヴァーユと呼ばれる北西守護神が仏教にとりこまれたものです。なお、仏教における風神(風天)は雷神とともに、千手観音の眷属として、他の二十八部衆とあわせて祀られました。
 
 4月中旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、三次元の仏像に話を絞っていますので今回ご紹介の宗達の絵は登場しないのですが、風神・雷神を表現した彫刻もしっかりと取り上げています。現在は、すでに本文の原稿は完成しており、編集作業が追い込みの段階ですが、正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 世界漫遊記:シビウ(後篇)
2009-03-22 Sun 22:59
 『キュリオマガジン』の2009年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記:ルーマニア篇」は、前回に引き続き、2007年の欧州文化首都にもなった古都シビウを取り上げます。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 ブルケンタール博物館(切手)  ブルケンタール博物館(写真)

 これは、シビウ旧市街の大広場にあるブルケンタール博物館を取り上げた1970年の切手と、昨年(2008年)6月に撮影した博物館の写真です。

 ブルケンタール博物館は、ハプスブルク帝国の“女帝”マリア・テレジアの顧問で、トランシルヴァニア総督を務めた男爵、ザムエル・フォン・ブルケンタールが1803年に亡くなった後、1817年に彼の邸宅を博物館として一般に開放したもので、現在のルーマニア領内では最古の博物館としての歴史を誇っています。

 実際に総督が生活していた屋敷だけに、まず、建築そのものとして見ごたえがあります。切手に取り上げられた正面からの景観は、オーストリア・バロック様式の威風堂々たるもので、ウィーンから建築家を招き、1778年から85年まで8年の歳月をかけて建造されました。ちなみに、ザムエルのトランシルヴァニア総督としての在任期間は1774年から87年です。

 切手では、若干、建物がくすんでいるように見えますが、昨年、僕が訪れた時には修復されてかなり明るい感じになっていました。また、大広場そのものが芝生を撤去し、全面石畳とするなどの大幅に改修されてしまったため、切手とほぼ同じ角度から眺めて見ても、かなり印象が違って見えます。

 博物館の展示品は、総督一家の生活をしのばせる家具調度や一族の肖像画などと、総督が集めた宗教美術や絵画などに大別されます。後者に関しては、ルーマニアの三大画家とされるグレゴリスク、ルチアン、アンドレスクの作品はもちろん、ファン・アイクやブリューゲルの作品などもあって、なかなか見ごたえがあるのですが、僕の個人的な興味としては、今回ご紹介の切手とセットで発行された絵画切手の実物がどこかに展示されているのではないかと、そちらのほうに関心が行ってしまいます。結局、切手に取り上げられた絵画は博物館の収蔵品ではあるのかもしれないのですが、僕が訪ねた時には残念ながら、展示されておらず、ちょっとがっかりした記憶があります。

 さて、今回の記事では、このブルケンタール博物館をはじめ、シビウ最大の見どころというべき大広場を中心にした“漫郵記”のエッセイを書いてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * きのう(21日)の午後、カウンターが49万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 切手を作った人々:加曾利鼎造 ②
2009-03-21 Sat 11:54
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(3月28日実施)のカタログ第3号ができあがりました。同誌のオマケの読み物として、僕が担当している連載「切手を作った人々」は加曾利鼎造の2回目。今回はこんな切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

 満洲・白塔

 これは、1932年7月26日に発行された満洲国の第一次通常切手のうち、遼陽の白塔を取り上げた1分切手です。

 1932年3月1日、満洲国の建国が宣言されると、さっそく新国家の新しい切手の制作作業が開始されます。原画の制作作業は関東庁逓信局の集めた資料を基に東京の逓信博物館の吉田豊を中心に進められ、最終的に遼陽の白塔を取り上げたものと溥儀の肖像を描いたものが関東軍司令官・本庄繁らの承認を得て採用されたのは広く知られています。

 このうち、溥儀の切手は吉田単独の作品でしたが、白塔の切手は、塔の部分を吉田が担当し、周囲の輪郭を加曾利が担当しています。

 切手の原画作者としての加曾利を評する際、文字や輪郭など、いわばデザイン上の脇役の部分にその才能がいかんなく発揮されていたことが指摘されていますが、それは、彼が画家としてではなく純然たる図案家として出発したことと無関係ではないのかもしれません。

 すなわち、加曾利は1923年に東京美術学校の図案科を卒業し、教師などを経て1925年に逓信博物館図案部員として逓信省に入省しています。美術学校時代の卒業制作は「客室及喫煙室附属装飾図案」で、いわゆる絵画作品ではありません。

 画家の作品がそれ自体独立して完結したものであるのに対して、図案家の作品は、彼の“図面”を元に別の人間が製品化することで初めて現実のものとなります。それはちょうど、建築家の作品(設計図)が職人の手を経ない限り、現実の建物としては存在しえないのと全く同じことです。図案家には単なる画力だけではない、別の能力が必要とされるということは、たとえば、著名画家の作品が切手の原画としてそのまま優れているわけではないというケースがままあることからもお分かりいただけるものと思います。

 さて、今回の切手の輪郭に描かれた高粱は、写実的なものではなく(例えば、写実的な高粱をフレームに描く切手としては、満洲の航空切手があります)、多分にデザイン化・簡略化されたものですが、そこにこそ、図案家としての加曾利の個性を感じ取ることができるのではないかと思います。

 なお、満洲国とその切手については、拙著『満洲切手』でもいろいろとご説明しておりますので、そちらもあわせてご覧いただけると幸いです。

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 古代インドのお墓
2009-03-20 Fri 21:06
  今日は彼岸の中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、日本ではお墓参りの日です。というわけで、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』に掲載予定のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 サーンチー航空書簡  サーンチー(印面拡大)

 これは、インド中央部・サーンチーのストゥーパを描く印面の入ったインドの航空書簡です。拡大しないと画像が見づらいので、右側に印面部分を拡大して貼り付けておきました。

 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の時代のインドでは、そもそも尊像を作って祀る習慣がなかったといわれています。また、釈迦本人は、個人が自らを依り所とし、法を依り所とすべきと考えており、自身が信仰の対象になるとは考えていませんでした。このため、最初期の仏教には仏像は存在しません。

 その後、仏教を一般に伝えるため、さまざまな図像が必要になりましたが、当初は、悟りを開き“仏陀”となった釈迦の姿を人間が再現することは不可能と思われており、釈迦の象徴としてさまざまなものが礼拝の対象とされました。

 その一つが、日本語の卒塔婆の語源にもなっているストゥーパです。ストゥーパは、もともとは饅頭のような形に盛り上げられたインドの墓のことで、仏教徒、または初期ジャイナ教徒の聖骨をおさめるために築かれました。

 今回ご紹介のサーンチーのストゥーパは、2007年5月に発行された日印交流年の切手にも取り上げられていますので、そちらでご存知の方も多いかもしれません。ストゥーパは、紀元前3世紀の創建と考えられており、半球形で高さ16メートルもある巨大なものです。仏陀の遺骨が納められており、世界各地にある仏塔の原型となっています。1989年には周囲の門や僧院跡などともに“サーンチーの仏教建造物”としてユネスコの世界遺産に登録されました。

 さて、4月中旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、こうした仏像以前の仏塔などについてもフォアランナーとしていくばくかのページを割いております。作業的には、すでに本文の原稿は完成しており、編集作業が追い込みの段階です。正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中!
 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
 
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 31年ぶりの国葬
2009-03-19 Thu 14:45
 1978年に左翼クーデターで殺害されたアフガニスタンの初代大統領、ムハンマド・ダーウードの国葬がおととい(17日)、カブールで31年ぶりに営まれたのだそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ムハンマド・ダーウード

 これは、1974年7月25日、“共和国1周年”を記念してアフガニスタンが発行した切手の1枚で、大統領としてのダーウードの肖像が大きく取り上げられています。
 
 ダーウードは国王ザヒル・シャーの従弟にして義弟で、1909年生まれ。1953年に王制下のアフガニスタンで首相に就任しました。

 ダーウードが首相に就任した当時、アフガニスタンは冷戦下での中立を維持すべく、米ソ両国とは等距離を保とうとしていました。このため、ダーウド内閣は、“隣国”であるソ連との従来からの関係を維持しつつも、再三に渡ってアメリカにも軍事援助を要請しましたが、アメリカはこれを拒否しています。対ソ戦略上、イランを「湾岸の憲兵」として取り込んでいたアメリカにとって、アフガニスタンはたいして価値のないものと考えられたためです。

 また、アメリカの支援を得て行われたヘルマンド川(アフガニスタン第一の大河)開発計画が挫折したことも、アフガニスタンにアメリカとの距離を感じさせる原因となりました。さらに、1955年、バグダード条約機構が成立し、パキスタンはその加盟国として西側陣営の反ソ包囲網の一翼を担うようになりましたが、このため、アフガニスタンは、領土問題を抱える敵国・パキスタンへの対抗上、必然的にソ連との関係を強化していかざるを得ませんでした。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収め、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていた)につながることができるようになれば、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達しうるというプランは、非常に魅力的なものでした。

 かくして、ソ連からアフガニスタンへは巨額の援助が流れ込み、その見返りとしてアフガニスタンからは綿花や羊毛、天然ガスなどがソ連領に送られ、アフガニスタン経済はソ連への従属を強めていくことになります。

 このように、関係各国の思惑が交錯する中で、1955年、パキスタンが西北辺境州(パシュトゥン人居住地域)をはじめとする西パキスタン諸州を一州に統合。これに対して、パシュトゥニスタン地域の反パキスタン闘争を画策していたアフガニスタンは異議を唱え、両国関係は極端に悪化。1961年9月、両国は国交断絶・国境閉鎖の事態にまで陥りました。結局、このときは、1963年に対パキスタン強硬派のダーウードが首相を辞任し、イラン国王の仲介により両国の関係が正常化されています。

 しかし、王族出身の宰相・ダーウドが対パキスタン関係改善のために辞任したことは、アフガニスタンにおける王族の権威を大きく損ない、以後、アフガニスタンは平民宰相の下で政治的に不安定な状況が続くようになりました。そして、1971年、イギリスがスエズ以東から撤退したのを機に、アフガニスタンは外交方針を転換。イギリスとイランに接近し、パキスタンとも関係改善を志向するようになりました。

 しかし、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招きます。そして、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行。国王はローマで退位を表明し、ダーウドがアフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任しました。今回ご紹介の切手は、その1周年に際して発行されたものです。

 ところで、共和革命の当時、アフガニスタンは国家収入の40パーセントを外国に依存する状況となっていた。このため、ダーウードは、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を当面は維持するものの、将来的には、経済的な自立(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)を課題として掲げていました。その際、ダーウードが注目したのが、石油収入を増大させた王制イランでした。

 ダーウードの共和国政府はイランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置きはじめるとともに、国内の体制基盤を固めるためにも、1975年以降、革命の際の同志であった親ソ勢力を政権中枢から排除しはじめます。当然のことながら、このことは、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化しました。その結果、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウドのクーデタ(4月革命)が発生。ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立し、ソ連軍のアフガニスタン侵攻への道を開くソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約が締結されることになるのです。

 このあたりの事情については、以前、拙著『中東の誕生』でもまとめてみたことがあるのですが、同書は現在版元品切れ・重版未定の状態です。いずれ、最近の状況も加えた改訂版を出したいところですが…。 
 

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 “裸の王様”の絵葉書
2009-03-18 Wed 22:16
 イタリア・ミラノの証券取引所で、ポルノ女優のラウラ・ペレゴが金融危機に抗議してイタリア国旗の色にペイントした体に下着だけを身につけた姿で、証券取引所の入り口の中にあるテーブルの上に登る騒動を起こして逮捕されたそうです。

 というわけで、今日はこんな絵はがきを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(ヌード絵はがき)

 これは、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の肖像を取り上げた絵葉書ですが、よくよく見ると、裸の女性を組み合わせてポートレイトが構成されています。制作者については調べきれなかったのですが、どんな国であれ、自国の国王をこんなかたちでパロディにしたら問題になるでしょうから、おそらく、フランスあたりで作られたものではなかろうかと思います。なお、国王の元の顔については、こちらをご覧ください。

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は1869年11月生まれ。1900年に父ウンベルト1世の暗殺によりに王位に就き、一次世界大戦では、オーストリアとの対立から三国同盟を破棄して連合国側につきました。しかし、イタリアは第一次大戦で勝利を収めたものの、期待したほどの領土や賠償金は獲得できず、国内経済は低迷。そうした中で、国王は新興勢力のムッソリーニに組閣を命じました。

 ムッソリーニ政権下で、イタリアはエチオピアとアルバニアに侵攻しますが、これに伴い、国王はエチオピア皇帝とアルバニア国王を兼ねることになります。しかし、第二次大戦の戦局が悪化すると、1943年7月、国王は王制護持のためにムッソリーニを解任。同年9月に連合国に降伏しました。

 戦後の1946年5月、国王は第二次大戦の敗戦の責任を取って退位し、息子のウンベルト2世に譲位します。しかし、ファシスト政権への積極的協力や、降伏直後のドイツ軍の侵攻を前に国民を見捨ててローマから逃げだしたことなどが問題視され、退位直後の6月、イタリアの王制は廃止されました。

 さて、今回のミラノ証券所の事件に限らず、欧米などでは、たとえば毛皮反対の女性活動家などが抗議のためにヌードになるという話を時々聞きますが、ヌードで抗議をするという思考回路は僕にはどうも理解できませんねぇ。それだったら、愛国心の表現として、馬の背中に国旗を敷き、その上でヌード写真を撮影したというペルーの女性の方が、まだ、理解できます。もっとも、彼女のヌードを見て愛国心ではなく別の感情が奮い立ってしまうというケースもあったのでしょうけれど…。

 まぁ、今回、逮捕されたイタリアの女性は「多くの人から集めたお金の運用に失敗している人たちに抗議したかった」と話しているそうですから、案外、身ぐるみ全部はがされて自棄になっただけということなのかもしれませんがね。


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 マダガスカルの英領事館郵便
2009-03-17 Tue 21:33
 今年初めから食料価格の高騰などに抗議して数千人がデモを展開していたアフリカの島国マダガスカルの首都、アンタナナリボで国軍兵士が大統領府を占拠。ラバロマナナ大統領は退陣を余儀なくされ、クーデターが成功しました。というわけで、マダガスカルがらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 マダガスカル・領事館郵便切手

 これは、1886年にアンタナナリボでイギリスの領事館郵便に使用するために発行された切手です。

 1880年代、英仏両国は在地の王国が衰退した機をとらえて、マダガスカルを領有しようとしのぎを削っていました。こうした状況の下で、1883年5月以降、アンタナナリボ在住のイギリス人たちは領事館のあるタマタブまで郵便を送り、そこからはフランス局で届けてもらうという方法で海外との通信を行っていました。

 翌1884年、アンタナナリボ在住のイギリス副領事ピッカースギルは、この制度を再編成し、島内および海外宛の郵便料金を徴収するための切手を発行しました。このとき発行された切手は大型で額面数字などを記した枠の上に、副領事の印を押しただけの簡単なもので、裏面のノリは右上ないしは左上にしか引かれていません。これは、海外宛の郵便物の場合、中継地点まで郵便物を運んだら、そこでこの切手を剥がして、そこから先の郵政機関の切手(たとえば、フランスの切手)を貼れるようにするための措置でした。なお、島内のローカル便に関しては、この切手を剥がす必要はないはずなのですが、現実には、切手が貼られた状態で残されたカバーはごくわずかしか残されていません。

 その後、イギリスのザンジバル領有を認める代わりにフランスはマダガスカルを領有することとなったため、この領事館郵便の制度は短命に終わりました。ただし、1895年にはフランスのマダガスカル政府はアンタナナリボのイギリス商人にローカル郵便用の切手を発行することを認めています。

 領事館郵便の切手は、1894年に発行された最初のモノは高価なのですが、1894年に発行されたもののうち、押されている印が黒色のモノのなかには僕でも十分に手の届くモノもいくつかあります。もっとも、印刷方式としては非常に簡単な切手ですから、偽造しようと思えばいくらでも偽造できるでしょうねぇ。この切手もホンモノだろうとは思いたいのですが、さて、どうでしょうかねぇ。


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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
 
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 キューバ+宇宙
2009-03-16 Mon 21:42
 今日は、野球のWBCで日本が強豪キューバを破ったことと、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在に臨む若田光一さんら7人が乗り組んだスペースシャトル“ディスカバリー”が打ち上げられたことのふたつの話題でニュースは持ちきりでした。このブログでもどちらの話題を選ぶか迷ったので、いっそふたつまとめて面倒みてしまえ、ということで、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 キューバのガガーリン

 これは、1963年、ソ連の宇宙飛行士をたたえてキューバが発行した切手の1枚で、ガガーリンとボストーク1号が描かれています。

 1962年の“キューバ危機”は、最終的に、アメリカがキューバに侵攻しないことを保証し、トルコのミサイル基地を撤去する代償として、ソ連はキューバのミサイル基地を撤去することで決着がはかられました。ただし、アメリカ側の譲歩は当時、公表されなかったため、一般には、キューバ危機は、アメリカの毅然たる態度の前に、ソ連が“一方的な譲歩”をしたことで核戦争が避けられたとの印象を与え、このことは社会主義陣営の亀裂を、修復しがたいものとしました。

 すなわち、スターリンの死後、ソ連のフルシチョフ政権は、アメリカとの勝ち目のない全面戦争を回避するために対米宥和路線を打ち出していましたが、このことは、、中国をはじめとするアジアの社会主義諸国からは“変節”ととらえられました。中国にすれば、米軍との死闘が繰り広げられた朝鮮戦争の休戦は、わずか3年前のことでしたし、なによりも、アジアでは北ベトナムや北朝鮮などの友邦が、冷戦の最前線として、“アメリカ帝国主義”の脅威に直接さらされていたからです。

 それゆえ、ミサイル危機の結果を目の当たりにしたアジアの共産主義国家は、ソ連に対する失望感を深め、キューバの反米闘争を支援することが、“修正主義”のソ連とは一線を画すことの裏返しの表現として用いられるようになっていきます。

 もっとも、米ソによるキューバ危機の解決は、キューバにとっても不愉快なものではありましたが、現実の問題として、中国に追随してソ連との関係(特に経済関係)を断ち切ってしまうことは自殺行為でしかありませんでした。このため、彼らは中国との友好関係をうたいあげる切手と並行して、今回ご紹介したような切手も発行して、ソ連とは敵対する意思のないことも表明せざるを得ませんでした。

 こうした微妙な温度差は、1966年、中国が“プロレタリアート文化大革命(文革)”に突入すると、一挙に、両者の蜜月関係を破綻させることになります。すなわち、“修正主義打倒”をスローガンとして掲げていた文革期の中国は、中ソ両国とのバランスを取った外交を目指していたキューバを“修正主義”のソ連と密通するものとして糾弾するのです。この結果、1967年1月、中国はキューバ駐在大使を召還し、キューバ側も中国から大使を引き上げ、両国の関係は急速に冷却化しました。当然、中国との友好関係を謳いあげるような切手が発行される可能性も完全に消滅してしまいます。

 もっとも、キューバ国内でも、東西の冷戦構造の中では経済的にソ連に依存せざるをえないとはいえ、ミサイル危機で見捨てられたことを契機として、ソ連への幻滅が広まっていました。その結果、彼らは、社会主義国というよりも、第三世界諸国の一員という点にみずからのアイデンティティの軸足を置き、世界の民族解放運動の旗手を標榜するようになっていきます。彼らが、アンゴラやエチオピア、グレナダなど、他国の革命政権を支援するために、キューバが独自の判断で軍隊を派遣したのは、そのあらわれといってよいでしょう。

 しかし、こうしたキューバの自主路線は、経済的なスポンサーであったソ連の崩壊により、頓挫。深刻な経済危機に陥ったキューバは、赤い資本主義国となった中国との関係を修復し、中国のキューバへの経済進出も年々拡大する傾向にあるのは広く知られているとおりです。


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 ソマリアの難民救済切手
2009-03-15 Sun 22:06
 昨日の午後、海上自衛隊の護衛艦が海賊対策のため、アフリカ・ソマリア沖にむけて、広島県の海自呉基地を出港しました。というわけで、今日はソマリアの切手の中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ソマリア・難民救済

 これは、1981年にソマリアで発行された難民救済の寄附金つき切手です。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こると、ソマリアはこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、ソマリ社会主義革命党のバーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなりました。今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で難民救済のために発行されたものです。

 その後、1991年1月にモハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されます。しかし、バーレ追放後、USC内部の権力闘争から内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、現在にいたるまで事実上の無政府状態が続き、ソマリア正統政府としての正規の切手発行も事実上ストップしています。

 現在問題となっているソマリアの海賊も、こうしたソマリアの“無政府状態”による治安の空白が背景になっているわけで、事態の根本解決にはまだまだ時間がかかりそうです。なお、ソマリアというのは郵便史的にはなかなか面白い対象でもありますので、このブログでも、自衛隊の皆さんの応援企画として、これから随時、ソマリア関連のマテリアルをご紹介していけたら、と思っています。


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 白衣観音
2009-03-14 Sat 18:09
 きょうは“ホワイト・デイ”。というわけで、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)で使う予定の切手の中から、“白”に絡めてこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 基隆観音

 これは、1974年に台湾で発行された“台湾風景”の1枚で、基隆の中正公園にある高さ22.5mの白衣観音像が取り上げられています。

 『法華経』では、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて33の姿に変化すると説かれています。このため、観音像には基本となる聖観音のほか、6-7世紀頃から変化観音と呼ばれるさまざまなヴァリエーションが発生しました。

 その一つである白衣観音は白処尊・大白衣観音とも呼ばれており、日本でも高崎や大船の大観音が有名です。天変の時に修する天台密教の修法『大白衣法』の本尊とされているほか、観音諸尊を生んだ観音の母にして阿弥陀如来の妻とも考えられています。また、禅宗で好まれた観音でもあります。

 切手に取り上げられた中正公園の観音像は台湾5大仏の3番目で、内部は5階建ての展望台になっており、はしごで登っていくと、基隆港と市街の全景を眺められる観光スポットとなっています。

 さて、僕の次回作、『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)ですが、すでに本文の原稿は完成しており、4月の刊行を目指して、現在、追い込みの作業に入っています。正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 済州島
2009-03-13 Fri 14:11
 民主党の小沢一郎代表が、韓国資本による対馬の不動産買い占めに対抗し「今、円高だから済州島を買ってしまえ」と笹森清・前連合会長に話したとされることが物議をかもしているようです。まぁ、済州島そのものを買い取るということと済州島の土地を買うということは別の次元の話ですが、同じお金を使うのなら、対馬の土地を買い戻した方がいいんじゃないかと僕などはついつい思ってしまいます。
 
 さて、済州島の話題が出たところで、済州島ネタの切手ということで、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 済州島

 これは、2006年1月27日に韓国が“済州・平和の島宣言”にあわせて発行した切手で、島のシンボルである石像などが描かれています。

 伝統的な“朝鮮”の南端とされる済州島は、李氏朝鮮の時代には政治犯の流刑地でした。このため、済州島とその住民は、日本時代を経てアメリカ軍政下でも、朝鮮本土から差別され続けており、島民の間にはさまざまな不満が鬱積していました。こうした背景の下、1947年3月1日、3・1独立運動28周年の記念式典の後のデモに対して軍政庁の警官隊が発砲して6名が死亡すると、3月10日から島内では抗議のゼネストが発生。これを“アカの蠢動”とみなした軍政庁と李承晩ら本土の保守派はゼネストを武力で粉砕します。

 一方、本土に対する島民の不満を背景に、この地での勢力拡大をもくろんだ左翼勢力の南朝鮮労働党済州島委員会は、1948年4月3日、警察支署や右派人士に対する一斉襲撃を開始。これが、いわゆる済州島4・3事件です。

 事件は一般島民や本土から派遣された警官隊の家族らも巻き込んでエスカレートし、次第に、当時の南北朝鮮での左右対立の最大の争点であった5月10日の単独選挙阻止を主張するものへと変質していきます。結局、混乱のために済州島では選挙が実施できませんでしたが、蜂起の指導部は朝鮮国防警備隊(後の韓国軍)や警察、西北青年団(北朝鮮から南朝鮮へ逃れてきた反共・右翼青年の組織)などの治安部隊によって短期間で鎮圧されます。しかし、その後も残存勢力は1957年まで山間部でゲリラ戦を展開して抵抗。最終的に、8万名の島民が犠牲になったといわれています。

 さて、2002年に発足した盧武鉉政権は、民主化運動や学生運動を経験した386世代(1990年代に30歳代を過ごし1980年代に大学に通った1980年代生まれの世代)を支持基盤としていましたが、彼らは、その経歴から“過去清算”に熱心で、盧武鉉政権はこの問題に従来以上に熱心に取り組むことになりました。

 韓国における過去清算というと、日本では「植民地支配による被害を明らかにし、植民地権力に対する協力者を断罪する作業」と考えられがちですが、正確には、その範囲は植民地支配に関する諸問題のみならず、民主化以前の国家権力による暴力・虐殺・人権蹂躙なども対象となっています。じっさい、過去清算に関する最初の法律は、盧泰愚政権下の1990年に制定された「光州民主化運動関連者補償等に関する法律」でした。

 その後、民主化運動の指導者であった金泳三、金大中の両政権下でも過去清算に関する法律がいくつか制定されましたが、いずれも、解放後の政府による弾圧の被害者救済が対象となっており、植民地時代の“親日派”を具体的に処罰しようとするものではありませんでした。

 これに対して、解放後の1946年に生まれた盧武鉉の過去清算は“日帝時代”も対象とした点で従来の政権とは大きく異なっています。すなわち、2004年12月に成立した「日帝強制占領下反民族行為の真相糾明に関する特別法」では、1904年の日露戦争から1945年の解放までの間に、旧日本軍や朝鮮総督府などの行政機関で一定以上の地位に就いていた者や、独立運動家への弾圧や戦時中の戦意高揚のための活動を行った者を調査し、糾弾するというものでした。

 さらに、2005年5月には「真実・和解のための過去事(過去史の字を当てることもある)整理基本法」が成立。対象が日本関連だけでなく、韓国軍、北朝鮮人民軍、国連軍、米軍などが起こした人権侵害事件も含まれるようになります。1948年の済州島4・3事件に関して、2006年1月に政府として、今回の記念切手の題材となった「済州・平和の島宣言」を発し、同年4月の犠牲者慰霊祭に盧武鉉が大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪したのもこの流れに沿ったものといえます。

 もっとも、盧政権の場合、日本との外交関係の悪化もあって、過去清算の主眼は“親日派”への糾弾に置かれていたことは明白で、2005年12月に成立した「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」では“反民族行為認定者”の子孫の土地や財産を国が事実上没収できることになり、2007年5月には、日韓併合条約を締結した李完用の子孫に対して約25万4906平方メートル、36億ウォン(当時のレートだと日本円で約4億8000万円)の土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定も下されています。

 いわゆる“過去清算”は、過去に問われなかった罪を事後法によって裁いてはならないとする法の不遡及の原則に反しているほか、子孫の財産を没収する連座制など、近代法の原則に照らすとおかしなことだらけです。また、日本の植民地時代においては、当時の朝鮮人の多くが何らかのかたちで支配機構とつながりがあったわけで、それを一律に糾弾・処罰しようとするやり方に対しては、韓国内でも批判が強く、社会的な亀裂を深める結果をもたらしたことは否定できません。

 なお、韓国お得意の“過去清算”は切手にもさまざまな形で表れていますが、それらについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』をご覧いただけると幸いです。


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 仏像切手の魅力(後)
2009-03-12 Thu 19:16
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『大法輪』4月号が発表になりました。先月号に続いて、東京・目白の切手の博物館で開催中の「ザ・仏像展」にちなみ、「仏像切手の魅力」と題する僕のエッセイの後編が掲載されています。東大寺のお水取りも今夜が本番ですし、記事で取り上げたものの中から、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 東大寺・月光仏

 これは、1968年2月1日に発行された第1次国宝シリーズ第2集の「東大寺月光仏」です。

 この仏像は天平時代の名品で、一般には“月光菩薩”の名で親しまれていますが、じつは、本来の像の名前はわかっていません。

 一般に、月光菩薩は薬師如来を本尊とし、本尊の右脇に置かれる日光菩薩と対になって薬師三尊を構成しているのですが、この仏像の場合はそうなってはおらず、もともとは別の場所に置かれていたものが、後になって“日光菩薩”とともに東大寺の法華堂(三月堂)の本尊・不空羂索観音像の両脇に配されたと考えられています。

 ちなみに、この仏像はもともとは帝釈天だったのではないかとする説もあります。
 
 古代インド神話の最強の神とされるインドラは、馬車または象に乗り、金剛杵を持って大地に雨を降らせ、恵みを与えるとされていましたが、これが仏教にとりいれられ、釈迦の修業時代から彼を助け、その説法を聴聞していた“帝釈天”と呼ばれるようになりました。帝釈天は、梵天とともに、仏教の二大護法善神として並べて安置されるのが一般的です。

 それが、現在のように日光仏・月光仏と呼ばれるようになったのは、この像を安置している東大寺の法華堂には、すでに、四天王像とそれを統率する梵天・帝釈天像が別に祀られていたため、あえて日光菩薩・月光菩薩として本尊の両脇侍としたのではないか…と和辻哲郎らは主張しています。

 さて、今回の『大法輪』の記事では、第1次及び第2次国宝シリーズを中心に、凹版を活かした日本の仏像切手についてご紹介しています。なお、この切手を含む第1次国宝シリーズについては、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくまとめておりますので、こちらもあわせてお読みいただけると幸いです。 

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 大韓航空機爆破事件と切手
2009-03-11 Wed 17:22
 けさ、北朝鮮による拉致被害者田口八重子さんの親族が、大韓航空機爆破事件の実行犯で北朝鮮の元工作員・金賢姫と韓国・釜山市で面会しました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 金日成モンゴル訪問

 これは、1988年8月30日に北朝鮮が発行した金日成モンゴル訪問の記念切手です。

 韓国の大統領選挙とソウル・オリンピックを目前に控えた1987年11月、北朝鮮工作員の金勝一(日本の偽造パスポートで蜂谷真一と名乗っていた)と金賢姫(同じく蜂谷真由美と名乗っていた)がバクダード発バハレーン経由ソウル行きの大韓航空機858便を爆破しました。いわゆる大韓航空機爆破事件です。

 当初、北朝鮮側は、事件は大統領選挙を控え与党候補・盧泰愚を当選させるための韓国側の自作自演であると主張していましたが、バハレーン当局に身柄を拘束され、韓国に移送された金賢姫(金勝一はバハレーンで取調べ中に服毒自殺)の供述により、事件が金正日の指示によるソウル・オリンピック妨害のための謀略であったことが明らかになりました。

 事件の結果、国際社会は北朝鮮に対してテロ国家との印象を強くし、北朝鮮は国際的な孤立を一層深めます。特に、事件の実行犯がハンガリー経由でバグダードに入ったことから、ハンガリー当局は当初から事件が北朝鮮による謀略であることを察知し、ハンガリーを通じて事件の真相は社会主義諸国にも知れ渡っていました。その結果、北朝鮮は社会主義諸国の反発も招き、事件直後、ソ連と中国もソウル・オリンピックへの参加を正式に表明しています。

 追い詰められた北朝鮮は、米韓合同演習(チームスピリット)をとらえて「朝鮮半島は戦争瀬戸際だ」と主張して戦争の危機を大々的に宣伝を大々的に行い、中国・ソ連に対して有事の際の支援を要請。しかし、当然のことながら、中ソ両国はこうした北朝鮮の主張をまともに相手にせず、かえって、北朝鮮に対する反感を募らせることになりました。

 こうした状況の中で1988年6月、北朝鮮の国家主席であった金日成がモンゴルを訪問します。このモンゴル訪問は大韓航空機爆破事件の以前から計画されていたもので、金は中国経由で二日かけてウランバートルへ到着しましたが、途中の全通過駅で金は中国側の“出迎え”を受け、要人が列車に乗り込んでウランバートルまで同行しています。また、ウランバートル到着時には、ソ連側要人が金を出迎えたほか、帰路、ハバロフスク近郊でのソ連副首相との会談などが行われました。これらの機会をとらえて、中ソ両国は、北朝鮮に対して、これ以上ソウル・オリンピックを妨害するのであれば、平壌で開催予定の世界青年学生祭典(北朝鮮がソウル・オリンピックに対抗して企画したイベント)をボイコットする、として北朝鮮に圧力をかけたといわれています。

 結局、北朝鮮も中ソ両国の説得を受け入れざるをえず、ようやく、ソウル・オリンピックに対する妨害工作は中止されました。その後、北朝鮮は金日成の帰国から2ヶ月も経過した8月30日になって、今回ご紹介の切手を発行しています。上記のような政治的文脈を考えると、この記念切手には、金日成のモンゴル訪問時に中ソ両国の行った説得を北側が受け入れたというシグナルを出すために発行されたという側面もあったのではないかと推測されます。

 ちなみに、ソウル・オリンピックの開幕は、この切手が発行されてから間もない9月17日のことでした。

 なお、このあたりの事情は、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 チベット民族蜂起記念日
2009-03-10 Tue 22:06
 きょう(3月10日)は、チベットの首都ラサで、1959年3月10日に中国共産政府の侵略に対する大規模な抗議行動が起こったチベット民族蜂起記念日です。今年は、事件から50周年の節目の年でもありますので、この切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 チベットの人民

 これは、1961年11月25日、中国が発行した“西蔵人民の再生”と題する記念切手の一枚で、中共支配下の子どもたちが描かれています。いわゆるチベット蜂起の後、中国が発行したチベット関連の最初の切手ですので、切手のタイトルそのものにも大きな意味があるのですが、どういうわけか、日本語版のカタログでは切手の表題は「チベットの人民」と訳されています。(ただし、英訳はオリジナル通り“Rebirth of the Xizang People”となっています)

 1951年4月、チベットに対する軍事侵略を開始した中国共産政府は、5月23日、チベットに対して「中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協定」(いわゆる17条協定)を押し付け、チベットの独立を奪いました。これに対して、チベット側では1956年以降、カムやアムド地方での武装反乱が始まります。抵抗運動を何とか抑え込みたい中国側はチベット東部には人民解放軍を増派するだけでなく、チベットの村や僧院に対して制裁攻撃を実施。人民解放軍の司令官はポタラ宮やダライ・ラマ14世を攻撃するとの恫喝も行っていました。

 こうした状況の中で、1959年3月1日、中国側がダライ・ラマを観劇に招待します。そして、会合の前日の3月9日、人民解放軍陸軍の将校たちは、ダライ・ラマの観劇に際してはボディガードを同行させないことや、ダライ・ラマ14世が宮殿から会見場所の人民解放軍駐屯地に移動する際にも公式な儀式を行わないことを強く要求。これに対して、中国がダライ・ラマの監禁ないしは誘拐をたくらんでいると察知したチベットの人々は、翌10日、ダライ・ラマが宮殿から連れ出されるのを防ごうと宮殿を取り囲みました。

 事態が緊迫する中で、3月12日、チベットの人々は独立を宣言。ラサの通りにはバリケードが築かれるとともに、インドの領事に対してもチベット支援の訴えが行われました。そして、3月17日、ついにダライ・ラマの宮殿の近くに2発の砲弾が着弾したことで、ダライ・ラマは亡命を決断するのです。

 一連の混乱の中で、チベット亡命政府の推定値によると、およそ8万6000人のチベット人が亡くなり、ノルブリンカ宮殿には、約800発の砲弾が打ち込まれました。また、ラサの三大寺院であるサラ、ガンデン、デプンは砲撃によって深刻な損傷を受け、ラサ市周辺の僧院や寺院は略奪もしくは徹底的に破壊されました。ラサに残ったダライ・ラマのボディガードたちは、数千人の僧侶とともに処刑されまています。

 こうした血まみれの虐殺劇の後に、事件が一段落したことを記念して中国側が発行したのが、今回ご紹介の切手です。無邪気に絵を書く子どもたちのほのぼのとしたデザインですが、彼らの傍らのカバンには中国共産党を案じさせる星のマークがしっかりと入っており、彼らに対して“中国人”としての洗脳教育を行っていこうという中国共産政府の意図が透けて見えています。

 それにしても、現実に中国の圧政下で生活していかざるを得ないチベットの子どもたちは、現在なお、なによりもまず“面従腹背”という処世の知恵を覚えなければ生きていけないわけで、そのことを考えるとなんとも胸が痛みます。
 

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 世界のダム:佐久間ダム
2009-03-09 Mon 21:48
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」は、今回が最終回。ということで、今回は日本最初のダム切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 佐久間ダム竣工

 これは、1956年10月15日に発行された“佐久間ダム竣工”の記念切手です。

 戦後復興が急速に進む中で、わが国の電力事情は、慢性的に電力不足の状態が続いていました。こうした状況を打開するため、1952年7月、「電源開発促進法」が成立。この法律にもとづいて同年9月、発電所建設などの電源開発事業を行うための政府系特殊会社として電源開発株式会社が設立されました。

 同社は、まず、大規模水力発電の開発に取り組み、1953年4月、静岡県佐久間町と愛知県豊根村の県境に佐久間ダムの建設を開始。ダムは、320億円の予算をかけ、アメリカ・アトキンソン社の大型建設機械による技術援助と、昼夜を分かたぬハイペースの工事により、1956年10月、当時としては異常なハイペースの3年4ヶ月という工期で完成しました。

 完成したダムの高さ(基礎地盤から堤頂までの高さ)は155.5メートル。重力ダムとしては当時わが国最大のもの で、ダムより下流約4キロメートルの地点には、佐久間発電所と佐久間周波数変換所があります。この発電所は我が国の代表的な水力発電所で、4台の大型水車発電機によって最大出力35万キロワットを発電。東京方面に50サイクルで、中京方面に60サイクルで、それぞれ、送電しています。

 このように、当時としては日本最大級のプロジェクトであった佐久間ダムに関しては、着工当初から、完成時には記念切手の発行を望む声が強くありました。

 電源開発側が記念切手の発行について郵政省と具体的に接触したのは、1955年12月1日が最初で、このとき、電源開発側は記念切手発行の申請のための具体的な手続きについて、切手係長の津留静雄に問い合わせています。

 問い合わせを受けた津留らは、「将来の電力事情は、水力発電から原子力発電へと移ることが予想され、ここ暫く単独でこれほど大規模なものが出現するとは思われず、むしろ佐久間ダムを頂点と見て調査」を開始。所管の通産省も記念切手の発行にきわめて積極的であったことから、切手係では同月8日の郵政審議会専門委員打合会議に佐久間ダムの記念切手発行を提案。これが可決され、記念切手の発行が決定されました。

 切手発行の方針が決定されると、1956年1月9日、原画担当の吉田豊は電源開発本社(東京・八重洲の第二鉄鋼ビル内にあった)を訪ね、参考資料として岩波の記録映画『佐久間ダム』を鑑賞しています。また、同月13日には、電源開発総裁・小坂順造名で郵務局長・松井一郎宛に記念切手発行の申請書が届けられ、あわせて、参考資料として、東海郵趣連盟理事長の和田文平が電源開発に貸与したダムを描く外国切手が吉田に渡されました。こうした資料を踏まえて、吉田らは10月1日を目標に、5月下旬から6月上旬にかけて現地でのスケッチと資料用の写真撮影を行っています。

 とはいえ、未完成の現場を見て、完成後の姿を想像して描くという作業は想像以上に困難だったようで、吉田は、原画の作成に相当苦労したようです。さらに、吉田がダムを左岸からみた下図を作成したところ、電源開発側から、今回のダムは左岸の取水口の2つの塔が特徴だから、その部分がはっきり分るように描いてほしいとの要望が出され、吉田は右岸から見たあらためて、作成することになりました。

 また、今回の記念切手は、その性質上、佐久間ダムの完成にあわせて発行される予定となっていました。このため、前年末に切手の発行が決定された際には、発行日は5月頃と想定されていましたが、完成が10月頃までずれ込んだため、切手の発行日もそれにあわせて延期されています。

 このため、現場の制作サイドは、とりあえず、10月1日の発行を目標に作業を進めていましたが、ダムの竣工式の正式な日程は、電源開発総裁の任期満了に伴う交代もあってなかなか決まらず、各種のメディアでは、10月10日が仮の発行予定日として報じられていました。

 結局、新総裁(内海清温)の人事が発令されたのに伴い、ようやく、竣工式の日程も10月15日に確定となり、ようやく切手の発行日も確定。この間、印刷局での作業日程は相当にタイトでしたが、完成品は9月27日から10月3日まで、毎日100万枚ずつ郵政省に納品され、順次、遠い地方から先に全国へ向けて発送されるという綱渡りの作業が続いたとのことです。

 さて、1年間続いた「世界のダム」は今回で最終回です。ご愛読いただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。4月以降の『しんこう』では、“庭園”を題材にした新連載がスタートしますので、引き続き、ご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。


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 女人成仏
2009-03-08 Sun 16:47
 きょうは国際婦人デーです。というわけで、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)に絡めて、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 普賢菩薩(国宝シリーズ)

 これは、第1次国宝シリーズの第3集(平安時代)として発行された“普賢菩薩”(東京国立博物館)の切手です。

 普賢菩薩は、サンスクリットではサマンタ・バドラ。文殊菩薩とともに釈迦如来の脇に従う菩薩で、法華経を唱えて修行する者があれば、六本の牙をもった白象に乗って現れ、守護するとされています。仏像・仏画としては、蓮華座を乗せた六牙の白象に結跏趺坐して合掌する姿で表現されるのが一般的で、オリジナルの作品でも、舞い落ちる花の下で白い象に乗る普賢菩薩が描かれていますが、切手では、菩薩を除いた上下の部分、特に像を描いた下半部がトリミングで除かれました。

 ところで、仏典が成立した頃のインドでは女性の権利はほとんど顧みられておらず、仏典には女性が成仏できるとの記述は基本的にはありませんでした。唯一の例外が『法華経』で、その第12番「提婆達多品」の章の後半には、「8歳の龍女が素晴らしい宝珠を釈尊に捧げ、男子に変身して成仏した。したがって、すべての人々は、悟りを求める心を発せば、成仏できる」との趣旨の記述があります。光明皇后が、全国の総国分寺の東大寺に対応する総国分尼寺として建立した寺が“法華滅罪之寺”(法華寺)と名づけられているのも、こうしたことを踏まえたものです。

 こうしたことから、法華経の修行者の守護菩薩とされた普賢菩薩は、特に女性の信仰を集めることになりました。まぁ、“男女平等”のもっとも古い実践者の一人ということになるのでしょうね。

 さて、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)は、基本的には、3次元の仏像を扱った本ですので、仏画の切手は基本的には採録していません。ただ、普賢菩薩像の切手というのは少ないので、例外的にこの切手を入れたい誘惑にかられています。ただ、そうすると、他にも数多くある仏画の切手をどうするのか、という問題が出てきてしまって、なかなか頭の痛いところです。もっとも、この切手の単貼外信書状のカバーなんてモノが手に入れば、迷うことなく使ってしまうのでしょうがね。 

 なお、この切手を含む第1次国宝シリーズについては、拙著『一億総切手狂の時代』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ガンディーの遺品
2009-03-07 Sat 11:58
 5日にニューヨークで行われたオークションに、インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの眼鏡や革サンダルなど5点が出品され、インド人実業家マリヤ氏が180万ドル(約1億8000万円)で落札しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ガンジー125年

 これは、1994年にインドが発行したガンディー生誕125年の記念切手で、今回のオークションに出品されたガンディーのメガネ、サンダル、懐中時計の3点が描かれています。

 彼の活動として取り上げられているもののうち、糸車で糸を紡ぐ姿、右上と左側はインド独立運動時の塩の行進の際の写真をもとにしたものです。その足元に懐中時計が見えますが、おそらく、この時計が今回の出品物でしょう。

 この時計は、1910年頃のゼニス社製で、ガンディーが終生愛用していたもの。1948年に彼が暗殺された後は形見分けで姪のアブハ(ガンディーは彼女に看取られて亡くなりました)が引き継いでいました。

 塩の行進というのは1930年3月12日から4月6日まで、ガンディーとその支持者が、イギリスの植民地政府による塩の専売に反対し、グジャラート州のアフマダーバードからダーンディー海岸までの約380kmを行進した抗議行動のことで、ガンディーの非暴力不服従による独立運動の象徴的な出来事とされています。

 切手の元になった写真のうち、左側の立ち姿のものは行進中のもの、右側の腰をかがめた姿のものは1930年4月5日、ダーンディー海岸で泥と塩の塊を持ち上げているようすを撮影したものですが、いずれも、サンダルの鼻緒や甲のひもなどが確認できます。ただし、80kmも徒歩で行進していれば、サンダルもボロボロになってしまい、途中で新しいものに変えている可能性もありますから、これが今回のサンダルそのものかどうかは微妙かもしれません。ちなみに、ガンディーが作った最初の塩につけられた値段は1600ルピー(当時の750ドルに相当)でした。
 
 さて、今回、ガンディーの遺品を落札したマリヤ氏は、その代金をきちんと支払った上で、祖国に寄贈するのだそうです。なんとも太っ腹な話ですが、長距離輸送ビジネスのオーナーでもある同氏にとっては、会社の宣伝費用としてみればそれほど高くはないということなのかもしれません。

 ところで、以前の記事でも少し書きましたが、現在、毎週1回のペースでThe Dairy NNA アジア総合版「切手から読み解くインド」というコラムを連載しています。今回ご紹介のネタの完全版を含め、インド関連のできるだけタイムリーな話題を切手を絡めて書くようにしていますので機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 朝青龍の仏像
2009-03-06 Fri 12:51
 大相撲の横綱・朝青龍関が熊本県玉名市の蓮華院誕生寺の南大門に安置される多聞天像のモデルに決まり、きのう(5日)、京都市左京区で制作資料用の写真撮影が行われたそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 多聞天

 これは、1993年に中国が発行した龍門洞窟の切手のうち、奉先寺洞の多聞天を取り上げた1枚です。

 龍門洞窟は中国河南省洛陽市の南方13キロ、伊河の両岸にある洞窟寺院。「龍門石窟」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 北魏の孝文帝が山西省の大同から洛陽に遷都した494年に建造がはじまりましたが、今回ご紹介の切手に取り上げられた多聞天のある奉先寺洞は龍門最大の石窟で、本尊は毘盧遮那仏(奈良の大仏と同じです)。唐代の675年に完成しました。

 四天王は、バラモン教における方位の守護神が仏教にも取り入れられたもので、仏教では、帝釈天に仕え、四方四州を守る護法神となっています。仏法に帰依した四天王に対し、釈迦は自分の入滅後に仏法を守護するよう託したとされていますが、日本では革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されるのが一般的です。

 このうちの多聞天(サンスクリットではヴァイシュラヴァナ)は、北倶廬洲を守護する天王で、全てを聞き漏らさず釈迦如来の教えに精通することから、漢訳名ではこの名がつけられました。四天王の一体としてまつられるのみならず、単独で祀られる場合もありますが、その場合は、サンスクリット名を音訳した毘沙門天と呼ばれます。手に宝塔を持っているのが特徴で、切手の像でも宝塔がしっかりと確認できます。

 ちなみに、今回、朝青龍を多聞天のモデルに採用した誕生寺では、すでに、同じく横綱の白鵬をモデルに、おなじく四天王の広目天の像を制作中だそうです。広目天像の制作にあたっても、今回同様、モデルの白鵬の写真撮影が行われたと思うのですが、ニュースで報じられた記憶はありませんなぁ。ということは、話題性ということでは、やっぱり、朝青龍の方に軍配が上がるということなんでしょうね。

 さて、現在、“切手に見る仏像”といった趣旨の本を作っています。今回の本はカラーのムック本ですが、すでに本文の原稿はできあがっており(一部、海外から到着待ちの図版もありますが)、現在は編集作業中です。本の正式なタイトルや詳細が決まりましたら、またこのブログでもご案内いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。


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 宙返りじゃないジェニー
2009-03-05 Thu 15:13
 きのう、イギリスのオークションにアメリカの“宙返り”が出品され、18万4000ポンド(約2600万円)で落札されました。というわけで、今日はこの一枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 アメリカ航空24セント

 これは、1918年5月14日に発行されたアメリカ最初の航空切手のうちの24セント切手です。当然のことながら、僕自身は“宙返り“を持っていませんので、今回は正規のモノの画像で勘弁してください。

 切手に描かれているのは、郵便飛行機のカーティスJN-4H“ジェニー”機です。ニューヨー・フィラデルフィア・ワシントンDC間に航空路が開設されたことに対応して、それぞれの料金に合わせた6セント、16セント、24セントの3種が発行されています。いわゆる宙返りは、今回ご紹介の24セントの飛行機を印刷した青い版が逆刷になっているものです。まぁ、ウィキペディアにもスミソニアンの1枚(ただし右辺がストレートエッジになっていて、あまり状態がよくありません)のほか、田型と偽物の画像が出ていますので、ご興味がおありの方はご参照ください。

 さて、“宙返り”のシートは、切手の発行初日にワシントンDCの郵便局で売り出され、アルバイトで新切手の取り次ぎを行っていたウィリアム・ロービィが1シートを額面(24ドル)で入手。1週間後に、1万5000ドルでフィラデルフィアの収集家が購入。これを分割して、1枚250ドル(ストレート・エッジのモノは175ドル)で販売すべく新聞に広告を出したものの、購入希望者がなかったため、ニューヨークの著名な収集家であったグリーン大佐が2万ドル(新聞広告に出した切手の総額は2万3575ドル)で引き取りました。

 その後、グリーンは反番号付きの8枚ブロックを切り取り、3つの田型と単片1枚の計21枚を自分のコレクションとして保存し、残りを販売しました。なお、シートが分割される前に、切手の裏面には鉛筆で1~100のポジションが記されましたが、今回、オークションに出品されたものが何番の切手だったのか、報道だけではわかりません。

 “宙返り”の現存数は80枚強と言われています。現存1桁の珍品も数多く存在しているわけですから、枚数的には極端な珍品とはいえないのですが、飛行機が宙返りしているように見えるというわかりやすさのゆえに人気が高く、オークションに出品されれば、日本円で8ケタ以上で落札されるのが常となっています。

 *“読者”様(そのようなハンドルネームでコメントを頂戴しました)からのご指摘で、記事の一部が誤りだとわかりましたので、該当個所を削除いたしました。当方の調査不足をお詫びいたします。

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 スリランカのクリケット
2009-03-04 Wed 10:58
 きのう(3日)、パキスタン中部パンジャブ州の州都ラホールで、クリケットの国際試合に出場するスリランカ代表チームを乗せたバスが武装集団に銃撃され、警戒中の警察官ら少なくとも8人が死亡、代表選手8人が負傷したそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々のご快癒をお祈り申し上げます。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

 クリケット160年

 これは、1992年にスリランカで発行された同国のクリケット160年の記念切手です。

 インドやパキスタン、スリランカなど南アジアの旧英領地域ではクリケットが盛んですが、この地域にクリケット競技が持ち込まれたのは、1721年、イギリスの船員が上陸した海岸で行ったのが最初といわれています。その後、イギリスのインド支配が拡大していくにつれ、クリケットを楽しむインド駐在のイギリス人も増え、クリケットにはインド亜大陸に広まっていくことになりました。1845年3月には、1857年の大反乱の主役として知られる東インド会社のインド人傭兵、シパーヒー(セポイ)のチームと白人のチームが試合を行ったとの記録もあります。

 クリケット競技がインドでも組織的に行われるようになったのは、1848年にムンバイのパルーシー(ペルシャ起源のゾロアスター教徒)によるパルーシー・オリエンタル・クリケット・クラブを組織してからのことで、1866年にはこれに刺激を受けたムンバイのヒンドゥー教徒がボンベイ・ユニオンを組織しました。

 今回ご紹介のスリランカのクリケット160年の切手では、1832年にスリランカで最初のクリケットが行われたということになっていますが、上記のような経緯を考えると、これは地元住民による試合というよりも、イギリス人による試合が最初に行われたことを意味していると考えた方がよさそうです。

 ちなみに、今回のスリランカチームは、昨年のムンバイのテロ事件を受けて、インドチームの遠征が中止になったため、急遽、代役としてパキスタンに派遣されたのだとか。もちろん、今回の事件によって試合は中止され、スリランカチームは帰国しました。

 インド、パキスタン、スリランカの南アジア3国は緊張関係にありますが、そうした中でも、クリケットはこの地域の人々とって共通の娯楽として、各国の関係改善の糸口となりうるものでもあります。そのクリケットの試合さえ、安心して行われないという現状には、あらためて、事態の深刻さを痛感させられます。


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 ギニアビサウ
2009-03-03 Tue 20:42
 アフリカ西部のギニアビサウでは、今月1日に大統領と対立していた軍司令官が爆殺されたばかりですが、きのう(2日)はその報復とみられるテロが発生し、国軍兵士がヴィエイラ大統領を殺害したそうです。なんだか大変なことになっていますが、とりあえず、ギニアビサウってどんな国?ということでこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ポルトガル領ギニア(1898)

 これは、現在のギニアビサウがポルトガル領だった1898年に発行された切手で、ポルトガル植民地共通のデザインに、発行地名の“ギニア”と額面の200を別途、刷りこんだ形式になっています。

 現在のギニアビサウの一帯は、1446年 ポルトガルが領有を宣言し、1630年に総督府が設置されました。当初、この地域はカーボヴェルデ植民地の一部とされていましたが、1879年に分離さて、“ポルトガル領ギニア”となり、1881年には最初の切手も発行されました。

 第二次大戦後、ポルトガルの植民地でも独立運動が盛んになりましたが、ポルトガル領ギニアとカーボヴェルデでは、1956年以降、アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)の活動が本格化。東西冷戦という国際状況の下で、ソ連やキューバの支援を受けたPAIGCと、アメリカの支援を受けたポルトガル軍事政権の間で植民地戦争が続きます。

 1973年9月24日 領土の大部分を押さえたPAIGCは、東部の町マディナ・ド・ボエでギニアビサウ独立共和国の独立を宣言。翌1974年4月25日 ポルトガル本国の革命で左派政権が誕生すると、同年9月、ギニアビサウの正式独立が承認されました。

 今回暗殺されたジョアン・ヴィエイラはPAIGCのメンバーとして独立戦争を戦ったゲリラ戦の闘士で、1980年の軍事クーデターによって実権を掌握。1990年には複数政党制民主主義への移行を表明し、1994年の建国後初の複数政党制選挙で大統領に当選しました。選挙は一応、公正なものでしたが、それだけに、反ヴィエイラ陣営の力も強く、国内の政治情勢は不安定な状況が続き、1998年にはクーデターをきっかけに内戦が勃発。翌1999年にはヴィエイラ本人もポルトガルへの亡命を余儀なくされました。

 その後も政情不安が続いていましたが、2005年4月、ヴィエイラはギニアビサウに帰国し、同年の大統領選挙で返り咲き当選を果たします。しかし、2008年 11月、議会選挙で多数派与党が勝利したことに不満を持つ軍の一部が大統領官邸を襲撃。このとき、反乱軍は撃退され、大統領警護隊が組織されましたが、軍に対する大統領の影響力拡大をきらった参謀総長のバティステ・タグメ・ナワイは2009年1月に警護隊の解散を命じるなど、軍と大統領の対立が激化していました。参謀総長と大統領が相次いで暗殺されるという今回の事件は、こうした背景のもとで起こったわけです。

 ギニアビサウというと、切手収集家の間では、自国では使用できるのかどうかよくわからない“いかがわしい切手”を濫発する国というイメージがあるのですが、まさか、こんな形でニュースに登場するとは思っても見ませんでした。こうなると、人情としては内戦時の国内便の実逓カバーなんかがほしくなるのですが、やっぱり、入手は難しいのでしょうねぇ。


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 ツタンカーメンの消印
2009-03-02 Mon 14:16
 ツタンカーメンの発掘で知られるイギリスの考古学者ハワード・カーターが1939年3月2日に亡くなってから、きょうでちょうど70年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ツタンカーメン展

 これは、ツタンカーメン発掘から50周年にあたる1972年にイギリスで開催された“ツタンカーメン展”の標語印が押されたカバーです。

 エジプトの王家の谷にあるツタンカーメン王の墓が、イギリスのカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者カーターによって発見、発掘されたのは1922年11月26日のことで、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土したことから、世紀の大発見といわれました。

 ツタンカーメンといえば、よく言われるのが“ファラオの呪い”でしょう。これは、発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死したことに加え、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたと報じられたことからそう言われるようになったものですが、よくよく調べてみると、当時死亡した発掘関係者の多くは高齢者で、実際に不幸な死に方をした人は少数だったそうです。また、真っ先に呪いをかけられていても不思議ではないカーターが、発掘から16年以上も生き延びています。こうしたことから、現在では、呪いの話はマスコミによる創作ということで決着しています。

 まぁ、読者なり視聴者なりの関心を引くためにマスコミがやることというのは、洋の東西を問わず、いまも昔もたいして変わってないということなんでしょうかねぇ。

 
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