内藤陽介 Yosuke NAITO
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  『郵趣』今月の表紙:ストックホルム中央郵便局
2009-04-30 Thu 15:52
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年5月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、巻頭特集の「スウェーデン切手」にちなんで、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 ストックホルム中央郵便局

 これは、1903年に発行されたストックホルム中央郵便局開局の記念切手です。

 1871年にストックホルム中央駅が完成すると、それまでは町はずれとみられていた駅周辺は急速に開発されていきました。

 19世紀後半、鉄道や蒸気船等の輸送機関の発達により郵便物の取扱量が激増し、それまでの中央郵便局が手狭になっていたことから、中央郵便局の建て替え問題が浮上。1896年、スウェーデン郵政は中央駅周辺に新局舎の建設を決定し、5人の建築家のコンペを経て、1898年、フェルディナンド・ボバーグの設計による新局舎の建設工事が開始されました。局舎は1903年10月27日に完成し、その記念式典には国王オスカー2世も出席されたそうです。

 新局舎はインド・ペルシャ風の八角形の時計塔が外観上の特徴となっていますが、内部は当時最新の施設が備えられており、スウェーデン最初の私書箱も設けられた。ちなみに、現在は郵便局としては用いられておらず、歴史的建造物として保存されています。

 今回ご紹介の開局記念の切手は、スウェーデン最初の記念切手として記念式典前日の10月26日に発行されました。当時のスウェーデンでは通常切手の最高額が1クローネでしたが、この切手の額面は5クローネという超高額で、小包用として使用することが想定されていました。

 ちなみに、切手は青色で印刷されていますが、実際の局舎は煉瓦色の外壁に濃緑色の屋根をかぶせたものとなっているため、印象はかなり異なっています。


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 大仏1円切手の昭和史
2009-04-29 Wed 17:30
 きょうは“昭和の日”です。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の中から、昭和史がらみのマテリアルということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 大仏1円(北ボルネオ)

 これは、第二次大戦中の1944年9月30日、日本軍占領下の“北ボルネオ”で発行された切手で、1939年7月1日に発行の鎌倉大仏の1円切手に“北ボルネオ”の文字が加刷されています。

 第二次大戦中、日本軍はボルネオ島全域を占領しましたが、このうち、英領部分のサラワク、ノース・ボルネオ(英領北ボルネオ)、ブルネイは、一括して“北ボルネオ”とされ、陸軍の管轄下に置かれました。ちなみに、現在はインドネシア領となっている旧蘭領部分は、海軍の管轄下です。

 日本占領下の“北ボルネオ”では、旧英領時代の切手に加刷したモノのほか、1943年4月29日の天長節には独自の正刷切手も発行されています。また、無加刷の昭和切手も持ち込まれて使用されています。正刷切手は2種類のみですが、旧英領時代の加刷切手や無加刷の昭和切手は種類が豊富にあり、1945年になっても使用されていますので、なぜ、1944年9月になって“北ボルネオ加刷”の切手が発行されることになったのか、その理由は必ずしも明らかになっていないようです。

 なお、鎌倉大仏の1円切手は、日本内地や植民地の朝鮮、台湾はもとより、今回ご紹介の“北ボルネオ”以外にも、香港、マラヤ、スマトラ、旧蘭印の海軍地区などで無加刷のものが持ち込まれて使用されています。また、戦後は米軍占領下の沖縄で加刷されて使用されているほか、南朝鮮でも暫定加刷切手の台切手として利用される計画があったものの実現に至らなかったこともあります。

 それらをずらっと並べて、それぞれに解説を加えていけば、そのまま「大仏1円切手の昭和史」という読み物ができあがりそうです。この企画に乗ってくれる奇特な版元さんがおられたら、ぜひ、ご一報くださいませ。

 
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 表紙の切手:釈迦2550年
2009-04-28 Tue 17:22
 きょう(4月28日)は拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の奥付上の刊行日です。というわけで、表紙カバーに取り上げたこの切手について、少しご説明しておきましょう。(画像はクリックで拡大されます)

 釈迦2550年(インド)

 これは、2007年にインドが発行した“釈迦2550年”の小型シートで6点の切手が組み合わされています。

 それぞれの切手のデザインを簡単にご説明しておくと、一番左側の白い像は、出家以前の若き日の釈迦の姿を表現したガンダーラ仏です。その右上は釈迦の前世を描いた絵画の一部、右下はサールナート(最初の説法を行った土地)での瞑想を表現した像です。中央下の苦行像(釈迦が悟りを開く前、禁欲修行をしていた時期の像)はミャンマーのもので、右上の仏画は苦行を止めた後に村娘スジャータから牛乳の粥を受けた場面、その下は法輪と蓮華座です。

 拙著の表紙カバーでは、シートの全体をスペース内に収めようとすると小さくなりすぎるため、右側部分をカットして用いました。僕の個人的な好みでいえば、画像はギリギリいっぱいまで拡大して断ち落としのスタイル(たとえば、『近代美術・特殊鳥類の時代』のような雰囲気です)にしたかったのですが、まぁ、シリーズものということになると他との統一もありますからね。また、シート下部の記念文字も途切れてしまうので、この部分もカットしています。

 なお、フロントではシートの完全な姿を見せられなかったので、袖の部分でシートの全体像を掲載しております。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

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 名古屋といえば金鯱
2009-04-27 Mon 14:12
 きのう(26日)、任期満了に伴う名古屋市長選挙が行われ、民主党推薦の前衆院議員、河村たかし氏が初当選を果たしました。というわけで、名古屋ネタといえば、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 名古屋350年

 これは、1959年10月1日に発行された“名古屋開府350年”の記念切手です。

 1958年は近代的商港としての名古屋港の完成から50周年にあたっており、地元の関係者は、記念切手の発行を実現させるため、猛烈な運動を展開していました。しかし、このプランは、日本中のあらゆる港の開港記念行事の代表という意味を込めて、同年5月、“日本開港百年”の記念切手が発行されたことで、陽の目を見ないままに終わってしまいました。

 こうした経緯の後、1958年9月2日、名古屋市役所東京事務所の所長が郵政省を訪問。翌1959年秋に再建が完成予定の名古屋城竣工記念の切手を発行して欲しいと口頭で申し入れました。その後、同月9日には、名古屋市長・小林橘川から郵政大臣(寺尾豊)宛に「名古屋城再建記念、名古屋市制施行70周年および名古屋開府350年記念切手発行申請書」が提出され、さらに13日には、名古屋郵政局長から郵務局長宛に「相当の発行条件をそなえ、かつ意義あるものと思われるので発行方格別の審議をお願いしたい」との公文書が提出されるなど、地元では、今度こそ記念切手の発行を実現するため、ふたたび、積極的な活動を展開しました。

 この結果、小林の申請書に挙げられていた名目の中から、全国的な意義を持ちうるものとして、“名古屋開府350年”が採用され、記念切手の発行が決定されます。発行日は市制施行の記念日であり、名古屋城再建の記念式典が行われる10月1日に設定されました。

 記念切手の具体的な制作作業が開始されたのは6月になってからのことでしたが、その過程で、名古屋郵政局の郵務部周知係長であった伊藤慎一郎の参考原画が郵政省に提出されています。なお、伊藤の原画は、再建された名古屋城天守閣の金鯱(大蔵省造幣局でつくられた)とその背後に名古屋市内の風景を描いたもので、そのまま切手として用いることのできるほど完成度の高いものでした。

 当初、郵政省は、名古屋城が以前切手に登場したことがあるため、今回の切手の原画としては文部省資料館所蔵の「寛永年間びょうぶ絵」を用いる予定だったといわれています。しかし、伊藤の原画の完成度が高かったため、急遽、予定を変更。ただし、伊藤の作品をそのまま図案として採用することはせず、6月15日、デザイナーの久野実らから提出された下図のうち、伊藤の作品とほぼ同じ構成で描かれた久野の作品を原画として採用しています。このため、伊藤の名が報道資料などには登場しなかったこともあって、切手の発行後、伊藤の作品と切手とを見比べた一部の収集家の間から、今回の切手は一種の盗作ではないかとの批判も寄せられました。

 なお、切手の金鯱の部分には金色を用いたいとの郵政省側の希望に対して、印刷局側は、金色は変色しやすく印刷も難しいとの理由で難色を示していましたが、最終的に、郵政省の希望を容れて金色印刷を行っています。なお、日本の切手において、刷色として金色が採用されたのは、今回が最初のことです。

 こうして切手発行の準備が整い、10月1日の発行日を待つだけとなっていたなかで、9月26日、台風十五号が伊勢湾西を通過。5000人を超える死者・行方不明者を出したほか、東海地方に甚大な被害をもたらしました。

 このため、現地での祝賀行事はいっさい中止になりましたが、記念切手そのものは当初の予定通り、10月1日に発行されています。もっとも、名古屋市をはじめとする被災地の惨状が明らかになるにつれ、切手の発行も中止すべきであったとの声も上がるようなり、新聞紙上には「こんな切手は寄附金つきに添加刷して被災者救援資金にでも当てるべきものだろう。何千の死者行方不明者を出した災害騒ぎの最中に、のんきな切手趣味遊びでもあるまい」との投書も寄せられました。
 
 なお、この時代の記念切手については、拙著『ビードロ・写楽の時代』でも詳しくまとめているのですが、同書は現在版元品切れ・重版未定という状況です。アマゾンの古書市場では5000円という高値で取引されていることですし、何とかしてほしいのですが…。


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 世界漫遊記:アルバ・ユリア(前篇)
2009-04-26 Sun 09:46
 『キュリオマガジン』2009年5月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、今回と次回の2回に分けて、1918年のルーマニア統一の舞台となったアルバ・ユリアを取り上げます。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 アルバユリア大聖堂  アルバ・ユリア大聖堂・実物

 画像は、1922年、ルーマニア国王フェルディナンド1世と王妃マリアの戴冠式が行われたルーマニア正教会の聖堂を描く切手と、その実物の写真です。

 第一次大戦勃発後の1914年10月10日に亡くなった国王カロル1世には嫡子がなかったため、甥のフェルディナンド一世が国王として即位します。

 当時のルーマニア王室はホーエンツォレルン家(ドイツ皇室)の血統であったため、先代のカロル1世はドイツ側に立っての参戦を企図していましたが、フェルディナンド1世は「私は善良なルーマニア人として統治する」と宣言し、戦局は英仏側に有利と見極めたうえで1916年8月、ドイツに対して宣戦を布告。オーストリア=ハンガリーの支配下にあったトランシルヴァニアに進攻します。

 しかし、“身内”であるはずのルーマニア王室の裏切りに激昂した同盟国はただちに反撃し、トランシルヴァニアのルーマニア軍は撃破されてしまいます。彼らの反撃はとどまるところを知らず、ドイツ軍やブルガリア軍がルーマニア領内に侵攻し、首都ブカレストを含む国土の半分はドイツ軍に蹂躙され、政府と国王はヤシに避難せざるを得なくなりました。この結果、ルーマニア政府は、1918年4月、ドブロジャのブルガリアへの割譲や東カルパティア山脈でのオーストリア=ハンガリーとの国境線の東側への移動(ルーマニア領土の縮小)、軍隊の縮小などを定めた屈辱的なブカレスト条約を調印します。

 このとき、夫であるフェルディナンド1世を叱咤し、国難を救ったのが、熱烈な愛国者として自らも負傷兵の看護を行っていた王妃マリアでした。

 彼女の説得もあって、国王は政府の調印したブカレスト条約を批准せず、ルーマニア軍を再動員して英仏側に立って再度参戦。この結果、1918年11月、第一次大戦が終結すると、ルーマニアは戦勝国としての立場を確保することになります。

 こうした状況の下で、1918年10月、トランシルヴァニアのルーマニア人たちはアラド(現在のルーマニア=ハンガリー国境に近い都市)を本拠地としてルーマニア民族評議会を結成。12月1日、アルバ・ユリアでトランシルヴァニアのルーマニアとの統一に関する決議を採択しました。

 そして、大戦の戦後処理を決めるヴェルサイユ会議には、“戦士女王”として戦勝国に置いて絶大な人気を誇っていた王妃マリアがルーマニアの顔として参加し、大ルーマニア復活のために尽力。その結果、領土問題に関するルーマニアの主張はほぼ認められ、トランシルヴァニアのルーマニアへの帰属も正式に承認されました。

 これを受けて、1922年10月15日、大戦により行われないままになっていた国王夫妻の戴冠式が、1921年に新築されたばかりのアルバ・ユリアのルーマニア正教会聖堂で行われました。

 かつてアルバ・ユリアの正教会聖堂では、ミハイ勇敢公(中世においてルーマニア統一を果たした国王)によるトランシルヴァニア総督就任の儀式も行われ、この地のルーマニア人にとっての心のよりどころとなっていました。しかし、ハプスブルク体制下では、ルーマニア人の栄光の歴史の一コマは、不愉快な歴史上の汚点でしかありませんでしたから、1713年、正教会の聖堂を完全に破壊されました。彼らは、ハプスブルク体制下のルーマニア人はあくまでも“二級市民”でしかないことを思い知らせたのです。

 このため、戦勝国民となってハンガリー人の圧政から解放されたルーマニア人が、一刻も早くミハイ勇敢公ゆかりの地に正教会の聖堂を再建したいと考えたのも当然のことだったといえましょう。

 さて、今回の記事では、アルバ・ユリアの正教会聖堂についてご紹介しながら、ルーマニア統一の物語についてまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 昨日のスタンプショウ会場内でのトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。悪天候の中、お越しいただきました皆様には、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。

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 大荒れの天気だそうですが…
2009-04-25 Sat 01:00
 以前からご案内のとおり、きょう(25日)11:00から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催のスタンプショウ’09会場内にて拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。天気予報によると今日の東京は雨と風の強い大荒れの天気だとか。何とかならないかと思って、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ラオス・曜日仏(土曜日)

 これは、2005年にラオスが発行した“曜日仏”の切手のうち、土曜日の守護仏像を取り上げたものです。

 タイやラオスなどでは曜日ごとの色と守護仏像が決められており、人々は自分の生まれた曜日の仏を拝んでいます。たとえば、タイの国王陛下は月曜日のお生まれでシンボルカラーは黄色です。昨今、反タクシン派の色として黄色が用いられているのは、国王を象徴とする黄色のシャツを着ることで、タクシン派は国王陛下を蔑にしており、自分たちこそが陛下のご意向を忖度しているのだと暗黙のうちに意思表示をしているためです。ちなみに、タクシン派の赤は日曜日のシンボルカラーですが、タクシンの公表されている誕生日の1949年7月26日は火曜日(シンボルカラーはピンク)です。

 ちなみに、土曜日のシンボルカラーはタイでは紫色なのですが、今回ご紹介の切手ではバックが黒になっています。ということは、ラオスでは黒が土曜日の色ということなんでしょうかね。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられている土曜日の守護仏は、悟りを開いてから42日後、瞑想中に嵐に襲われた釈迦を、龍王ムッチャリンナーガラートが頭を広げ風雨から守っている様子をあらわしたものです。今日はちょうど土曜日でもありますし、荒天の中、会場までお運びいただく皆様方を風雨からお守りする龍王があらわれてくれたらなぁ…と思わずにはいられない内藤でした。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 本日11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料ですので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 仏像切手トーク・予告編
2009-04-24 Fri 11:50
 きょうから東京・浅草の都立産業貿易センター台東館スタンプショウ’09がスタートします。僕は、あす(25日)11時から、会場内にて拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。というわけで、きょうはその予告編として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 バイヨン・カバー

 これは、1931年にフランス領インドシナで発行された5サンチーム切手のカバーで、1932年10月にコンポン・トムからフランス本国宛のものです。

 1931年、フランス領インドシナは、アンコール遺跡バイヨン寺院の4面尊顔塔(観音菩薩の巨大な頭像で構成されている)を取り上げた普通切手4種を発行しました。これが世界最初の仏像切手といわれています。

 この切手は、未使用は1枚数十円程度なのですが、気の利いたカバーを探すとなると、なかなか苦労させられます。今回ご紹介のモノは切手発行翌年の2枚貼りでルックスも良い上に、カンボジア発という点でも気に入っています。いわゆる仏印時代のカバーは、ヴェトナムのものが圧倒的に多く、カンボジアはずっと少なくなるということもあるのですが、切手に取り上げられているバイヨン遺跡はカンボジアにありますからねぇ。“仏像”というくくりでこの切手を使おうというのなら、やはり、ヴェトナムの消印が押されていたのでは興ざめというものでしょう。

 なお、バイヨンの尊顔塔の切手は、最初の1931年の4種に加え、1934年、1938年、1940年、1941年の5次にわたって計11種類が発行されています。今回の拙著では、カラーの特性を生かしてそれらをずらっと並べてみようかとも思ったのですが、“世界最初の仏像切手”ということで、最初の4種とカバーのみのご紹介となりました。

 今日のトークでは、まず、日本最初の仏像切手と世界最初の仏像切手をお見せした後で、国ごとの仏像(切手)の違いなどについて、いろいろとお話ししていくつもりです。スタンプショウは入場無料ですし、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料ですので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 全裸男性の切手
2009-04-23 Thu 19:02
 人気グループSMAPの草剛が酒に酔って公園で全裸になり、逮捕されたというニュースにはビックリしました。というわけで、日本の切手で全裸男性といえば、やはりこの1枚でしょうかねぇ。(画像はクリックで拡大されます)

 医療文化100年

 これは、1979年4月7日に発行された“医療文化100年”の記念切手です。

 “医療文化”とは、なんとも分かりにくい用語ですが、単純化していうと、1879年2月24日に医師試験規則が制定公布されてから100周年ということです。切手発行当時の日本医学会では、医師試験規則の公布により、全国的に統一された医師の開業試験が実施されることになり、医学医術を十分に習得した医師による高い水準の医療を確保できるようになったとして、医師国家試験制度をわが国における医療文化史上の画期的出来事と位置づけていました。そして、医師国家試験制度100周年を記念して、1979年4月7日から「明日の医学を開く」をテーマとして、第20回総会を東京で開催。記念切手もそれにあわせて発行されたというわけです。

 さて、今回の記念切手には、ルネサンスの天才、レオナルド・ダ・ビンチの人体デッサンが採用されましたが、この点について、図案の選定にも関与した厚生省医務局総務課は、以下のように説明しています。

 (ダ・ビンチの人体デッサンが切手に取り上げられたのは)中世ヨーロッパに興った古代の文化、芸術を再評価し、新たな出発点を模索するという文芸復興の思想にならい、現代の医学が直面しているもろもろの課題をこのルネサンス期に模して、医学というものを原点から見直し、過去1世紀における我が国の医学の歴史を踏まえつつ未来の医学の出発点を、創造と実践によって模索しようとする医師達の決意がこのデッサンにこめられているのであります。

 ところで、今回の切手は、医学的な人体デッサンとはいえ、男性の裸体を取り上げたものであったことから、切手発行前の周知宣伝用として郵便局に原画を拡大したポスターが張り出されると、一部のフェミニスト活動家たちが「卑猥な」ポスターの撤去を求めて東京都内の郵便局に押しかけるという騒動もありました。

 もちろん、郵政当局はそうした抗議には屈せず、当初の予定通りポスターを掲示し、切手も発行したわけですが、実際に切手が発行されると、この切手は若い女性の間で人気を集めたと伝えられています。まぁ、現実というのはそんなもんでしょうな。

 ちなみに、全裸の男性が描かれた日本切手としては、今回ご紹介のモノ以前にも第8回国際耳鼻咽喉科学会議・第11回国際小児科学会議というのがありますが、こちらは何分にも赤ちゃんですからねぇ…。

 なお、今回ご紹介のモノを含む1970年代後半の記念切手については、拙著『沖縄・高松塚の時代』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、そちらもご覧いただけると幸いです。

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 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料ですので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 輸出品の象徴
2009-04-22 Wed 14:06
 財務省が22日に発表した2008年度の貿易統計速報(通関ベース)によると、世界的な景気悪化で輸出が減少したことから、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支が第2次石油危機の1980年度以来28年ぶりに7253億円の赤字に転落したそうです。というわけで、“輸出”がらみの切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 日本国際見本市(1954)

 これは、1954年4月10日に発行された“日本国際見本市”の記念切手です。

 新製品や新技術を全世界に向けて発表する場としての国際見本市をわが国でも開催しようという計画は、戦前、1940年の紀元2600年の記念行事として大阪府と大阪市、大阪商工会議所によって立案されたことがありましたが、このプランは、日中戦争の激化により、頓挫してしまいました。

 戦後、欧米諸国では戦争により中断していた各地の国際見本市がいち早く再開され活況を呈するようになると、日本国内でも、戦前には陽の目を見なかった国際見本市を開催しようという機運が盛り上がり、1951年、大阪経済界の宿願だった「国際見本市会館」(第一期建設)が大阪市東区東区内本町橋詰町に完成します。

 これを受けて、大阪府、大阪市、大阪商工会議所ならびに、設立まもない海外市場調査会(現・日本貿易振興会、JETRO、1951年設立)が協調し、大阪での国際見本市開催の計画立案作業が進められていきます。そして、1953年、この4者に国際見本市協会が加わって「日本国際見本市委員会」が正式に発足。一年の準備期間を経て、1954年4月、アジアで初めての「日本国際見本市」が開始されました。

 これが成功を収めたことから、以後、「春の大阪国際見本市」は2年に1度の恒例行事となりました。

 ところで、国際見本市の記念切手は、前年から周到に準備されていたわけではなく、イベント直前の2月になって、急遽、発行が決定されたものです。

 このため、原画の制作も、1月末に大阪郵政局長から本省に対して記念切手発行の申請が行われるのと同時に見切り発車で進められ、紡績のオサ(当時の日本の主力輸出品である綿布にちなむ)、茶の花、コーヒーセット、少女の人形、大阪城(開催地を示す)、船の積荷状況、などを組み合わせた3点の下図がつくられました。

 その後、切手の発行が正式決定となった2月15日、現場の制作サイドは記念切手発行依頼の公文書が届けにきた通産省企業局商務課の事務官に下図を見せて輸出品目などに関する参考意見を聞こうとしましたが、件の事務官は、切手には全く関心がなかったのか、「お任せします」と一言のみいって帰ってしまいます。このため、制作サイドでは、輸出品について正確を期するため、あらためて通産省に照会。ここで、ようやく、通産省側の窓口が通称局経済協力課であることが判明し、翌16日の夕方5時、同課の福田事務官が郵政省を来訪し、デザイナーに対して、①輸出品目は機械が第一である、②輸出先は東南アジア向けが主であるから、相手国の主たる輸出品である茶は題材として不適切である、などの説明を行いました。

 これを受けて、デザイナーの久野実はほぼ完成していた下図を修正し、大阪城に歯車、オサ、コーヒーセット、人形を配した原画を作成しました。このとき、すでに2月18日早朝。印刷局と約束した原画引渡しの期限となっていました。しかし、久野の原画の出来栄えがいまひとつであったことから、部内では、さらに2枚の原画をつくってみることとし、初日の切手発売は大阪に限定してでも、印刷局に対しては原画の引渡しをギリギリまで待ってもらうこととなり、最終的に、切手として採用されたものが印刷局に渡されたのは24日のことでした。
 
 こうして、苦心惨憺の末に久野が作成した今回の切手のデザイン(“輸出品の象徴”と説明されました)は、右側に日本がハイライトを浴びて浮き上がった地球の半分を見せ、上部に真珠貝と真珠、中央に歯車二つ、下部に貝ボタンを描くというものでした。このうち、貝ボタンは、戦前から日本製品が世界的なシェアを誇っていただけでなく、当時の花形産業であった繊維製品を象徴的に示す意図があったと考えられます。

 ただし、このデザインは、郵政省内に事務局を構える全日本郵趣連盟の機関紙『切手』紙が「非常に野心的な図案で、光と影を大いに生かして立体感を強く出そうとした努力の跡がハツキリ認められる」と絶賛した以外には、わかりにくいとの理由から収集家の間では不評でした。
 
 また、切手に描かれた歯車に関して、①歯のアキの部分よりも歯の厚さが厚く、また歯の大きさ及び間隔が一定でない、②このように歯数の少い歯車で、このような歯型では干渉が起こってかみ合わない、として、図案としては不正確ではないかとの指摘もなされています。

 なお、この時代の記念切手については、拙著『ビードロ・写楽の時代』でも詳しくまとめているのですが、同書は現在版元品切れ・重版未定という状況です。アマゾンの古書市場では5000円という高値で取引されていることですし、何とかしてほしいのですが…。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料ですので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 28日の刊行を前に24日からスタンプショウ会場内にて先行発売

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 切手が伝える仏像:意匠と歴史
2009-04-21 Tue 14:33
 以前からこのブログでもご案内しておりましたが、4月28日付で彩流社の<切手で知ろう>シリーズの1冊として拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』が刊行となります。その現物が出来上がってきましたので、あらためてご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

 切手が伝える仏像

 “仏像”とは、厳密には仏の像、すなわち釈迦如来などの如来像に限定されるのですが、じっさいには寺院等に祀られている仏教の尊像一般をさすのが一般的です。そこで、本書では、そうした仏像関連の切手類から300余点を選び、すべてカラーでご紹介することにしました。

 その中には、以下のような切手も含まれています。

世界最初の仏像切手日本最初の仏像切手
・人気の興福寺阿修羅像は日本で発行された全種を載録
・頬づえをつかない中国の弥勒菩薩
・バーミヤンの石仏と、タリバンによる破壊後の洞窟の切手 など

 本書の構成は、まず第1章で、初期の仏教では仏像が作られなかったことを踏まえ、仏像の代わりに崇拝の対象となっていた菩提樹や仏塔などを“仏像以前”としてまとめ、次いで第2章では、仏教の開祖である釈迦に焦点を当て、その生涯の諸相を表現したさまざまな仏像を紹介しています。

 続く第3章では、釈迦如来以外の如来と、如来の下に位置づけられる菩薩について、切手に取り上げられた代表的なものを取り上げました。ただし、大日如来や各種の変化観音など、密教の成立に伴って作られるようになったものについては、明王などとともに、“密教の仏像”として第4章でまとめています。

 そして、最後の第5章では、インド神話の神々が仏教にとりいれられて生まれた“天部諸尊”に関する様々な切手を、適宜、インド神話の像と比較しながら、ご紹介しています。このほか、羅漢や高僧の像および日本独自の神仏習合の像についても、広義の仏像として最後に補遺のかたちでまとめてみました。

 なお、現時点ではbk1など一部のネット書店では本書の予約販売が始まっていますが、配本日の関係から、本書が一般の大型書店の店頭に並ぶのは来週以降のことになると思われます。これに先立ち、4月24日から東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で先行販売を行います。また、25日の11時からは刊行記念のトークも行いますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 * 今回の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、僕にとって25冊目の節目となる本です。これを機会に、テンプレートを変更しました。

  
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 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 
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 仏像趣味週間
2009-04-20 Mon 11:38
 きょう(4月20日)は郵便創業の記念日で、毎年、“切手趣味週間”の特殊切手が発行されます。例年ですと、<解説・戦後記念切手>シリーズの刊行にあわせて、その最新刊の中から何かネタを持ってくるのですが、今年は、間もなく刊行の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 趣味週間切手帳

 これは、1954年11月20日から始まる“切手趣味週間“の初日に発行された切手帳です。

 1954年の切手趣味週間は、前年までと同様、郵政省の主催で行われる予定で、そのための予算も計上されていました。しかし、郵務局長の松井一郎が突然「郵趣のことを郵政が直接行うことは本筋ではない。従来はこのような行事を主催する適当な団体がなかつたので止むをえなかつたが今日では立派に全日本郵趣連盟という外郭団体が結成されているのであるから、この連盟に委すべきである」と主張したことから、事態は急変。郵政省の中村宗文らは在京の全日本郵趣連盟(以下、全郵連)関係者を説得し、全郵連がイニシアティブを取って趣味週間の行事を企画することを承諾させています。

 そのうえで、8月、全郵連は、地方在住の常任理事を招集して緊急常任理事会を開催。郵政側から関係の課長補佐2名と係長2名が同席した上で、今回の趣味週間は全郵連主催・郵政省後援で行うことが正式に決定され、早速、行事についての具体的な協議が開始されました。

 その席上、全郵連側は「このような意義のある趣味週間にはフイリピンその他の國では記念切手を出しているのが通例であり、これに做つて何か出してもらわなければ淋しい」として記念切手の発行を強く主張。趣味週間の主催者を、急に、しかも、半ば強引に全郵連に押し付けていたことに負い目を感じた郵政側は、印刷局と折衝に入りましたが、期日が迫っていることから色好い返事は得られませんでした。

 こうした状況の中で、郵政省の中村宗文は、同年11月20日に発行すべく準備をしていた通常10円切手(法隆寺金堂の壁画)の切手帳に目をつけ、そのタブの部分 の標語を郵趣に関するもの(「切手に学ぶ世界の知識」と「郵便は世界を結ぶ」)に代えることで記念切手として発行するという妥協策を思いつきます。ただし、中村がこのアイディアにたどり着いた時には、すでに、趣味週間を間近に控えた10月に入っていました。

 このため、中村は、切手帳の企画を全郵連関係者に話して賛同を得た後、ただちに省内手続きを進め、印刷局との交渉に入り、十一月中旬までに表紙をつけない切手帳ペーンを5万枚調整するということで話をつけました。そして、その結果、記念切手の調整がギリギリ可能な日程にあわせて、例年どおり11月1日から始まる予定だった趣味週間は11月20日スタートへと延期されることになりました。

 さて、今回の切手帳の発行枚数は5万枚に抑えられましたが、これは、時間的な制約に加え、郵政省側が、「(今回の切手帳は)現行の通常10円切手が10枚続いているだけで、別段新しい意匠ではないから、一般の人は、特殊切手に対するような興味をひかない」、「郵趣家も、売価が高いから、新しい種類としてアルバムに保存する程度で、記念切手のように多くは買はないであろう」と考えていたことによります。

 しかし、5万枚という発行枚数が発表されるや、多くの収集家が入手に不安をおぼえるようになります。さらに、趣味週間の主催者であった全郵連の機関紙『切手』が「現在、全国に散在する切手収集家の実数(推定10万)に比較すれば、遥かに尠い数と思われる」と報じるなど、必要以上に収集家の危機感を煽ったことも、混乱を助長させる結果をもたらしました。

 さて、切手発行日の11月20日、郵政省は、発行枚数が少ないことを理由に、今回の切手帳は全国すべての郵便局に配給することはせず、事実上、趣味週間の行事を行う局に限定して配給するという態勢をとりました。また、切手帳を配給した郵便局に対しては、原則として、一人に一枚の制限販売を行うよう、文書での指示も出しています。

 しかし、郵便局の現場では、必ずしも、そうした制限販売が守られていたわけではなかったようです。さらに、この切手は品薄で値上がりするとの予測が郵便局員にも知れ渡っていたため、関係者による不正な横流しも横行していたようです。

 たとえば、大阪郵政局管内では15の郵便局に対して6000枚が割り当てられました。そのうち、大阪中央局へは1300枚が割り当てられたことになっていますが、発表された内訳は、発行当日の20日と翌21日に各200枚、移動郵便局へ300枚、5ヶ所の分室へ各50枚、郵政相談所へ200枚となっており、この段階ですでに150枚の行方が分からなくなっています。

 その後、この切手帳は1万枚が増刷されたこともあって、当初400円前後で推移していたつけられていた市価は2~3ヶ月もすると、特印付で300円程度、単なる未使用なら200円程度で切手商の店頭でも入手できるようになりました。このため、値上がりをもくろんで買い占めた人々の中には、結果的に、大損するケースも少なくなかったようです。

 さて、間もなく刊行の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、基本的に、3次元の“仏像”を扱った本ですので、今回ご紹介の切手帳に取り上げられている法隆寺金堂壁画は採録していません。ただ、趣味週間切手の中でストレートな仏教美術の切手というと、やはり、この1点ということになるでしょうから、ご紹介してみたという次第です。あしからず、ご了承ください。


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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。

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 万泉河と博鰲
2009-04-19 Sun 23:03
 中国・海南省で16日から開かれていた国際会議「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」が、きょう(19日)閉幕しました。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 万泉河

 これは、1988年、海南島が省に格上げされ、同時に、島全体が5番目の経済特区とされた際に中国が発行した“海南省建設”の切手のうち、万泉河を取り上げた1枚です。

 国際会議の舞台となっている博鰲は、この万泉河の河口に位置しており、今回ご紹介の切手が発行された頃は半漁半農の寒村でした。しかし、1990年代以降、ソフィテルなど複数の国際的なリゾートホテルが建設され、国際会議場や温泉、ゴルフ場等を擁する中国有数の複合リゾート地として開発が進み、特に2001年以降は、毎年、“博鰲アジア・フォーラム”が開催されるようになって世界的にも知られるようになりました。

 博鰲アジア・フォーラムは、スイスで開かれているダボス会議のアジア版を目指し、中国政府の肝いりで毎年、いまの時期に開催されているものです。国際会議の主宰団体としての“博鰲アジア・フォーラム”は非政府・非営利国際組織ということですが、現在の中国で、政府に批判的な組織・団体が大規模な国際的活動を行うことは不可能ですから、結果的に、会議に参加する政治家・財界人・知識人も、中国政府から“友好人士“と認定された人物に限定されることになると思います。

 実際、今回の会議の期間中、“中国映画家協会副会長“という肩書で参加した香港の映画俳優ジャッキー・チェンは、外国記者から文化活動の自由について質問されると「あまりに自由があると今の香港や台湾のように混乱してしまう。中国人は管理しないと、やりたい放題だ」と語っています。僕なんかの感覚からすると、香港や台湾が混乱しているようには見えないのですが、北京の共産党政府の感覚からすると、そうではないということなのでしょうかね。

 なお、1980年代後半に海南島の開発が始まった頃の状況については、拙著『香港歴史漫郵記』でも簡単にではありますが触れています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 迦陵頻伽を見てきました
2009-04-18 Sat 17:59
 僕の本業はあくまでもモノ書きですが、週に何度か、都内の大学でパートタイム講師もやっています。そのついでに、ちょっと足を延ばして、世田谷美術館で開催中の“平泉~みちのくの浄土”展を見に行ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 平泉チラシ  チラシ部分拡大

 今回の展示では、中尊寺金色堂西北壇諸仏のコンプリート(上の右側はチラシの拡大画像です)が最大の呼び物ということなんでしょうけれど、僕の個人的な意識としては、やはり、何といってもいままで3度にわたって切手に取り上げられている“迦陵頻伽の華鬘”の実物を拝みに行くというのが一番の目的でした。(下の切手は、左から順に1962年、1966年、1972年発行のモノ)

 迦陵頻伽(1962)  迦陵頻伽(1966)  迦陵頻伽(1972)

 迦陵頻伽は極楽に住むとされる想像上の動物で、その名はサンスクリットのカラヴィンカの音訳です。一般に、上半身が翼のある菩薩(ただし、迦陵頻伽じたいは菩薩ではありません)で、下半身が鳥の姿をしており、非常に美しい声で鳴くとされています。

 一方、華鬘というのは、仏堂内陣の欄間などにかける荘厳具のこと。仏教発祥の地・インドでは生花の輪を装飾品とする風習があり、それを仏前にも供えるようになったという習慣が中国や日本にももたらされ、仏具として、金・銅・革などを材料に、花鳥・天女などの透かし彫りが華鬘として作られるようになりました。

 切手に取り上げられた迦陵頻伽の華鬘は中尊寺所蔵の国宝です。小学生の頃、上の3種の切手について、カタログによって「迦陵頻伽」と記しているケースと「けまん(かな書でした)」と書いてあるケースがあって、どちらも耳慣れない言葉なので、同じ切手なのにどうして違う名称がついているのか不思議に思ったことがあります。その後、何種類か迦陵頻伽の絵を見ましたが、僕にとっては迦陵頻伽といえば、いまでも、条件反射でこの切手が頭に浮かんできます。

 さて、お目当ての迦陵頻伽は2階の展示スペース入口のすぐそばにありました。会場内での写真撮影は不可でしたので、チラシ裏面の写真を下にアップしてみます。

 迦陵頻伽(実物)

 写真では銅特有の緑青色で、これを見る限り、1972年の切手が実物に近いような感じがします。しかし、僕が実際に見た感じは、照明のせいもあるのかもしれませんが、緑青色というよりも、1972年の切手のバックに見られる濃茶色という感じでした。さすがに国宝だけあって、彫りはシャープで無駄がありません。ちなみに、グッズコーナーではこの迦陵頻伽をモチーフにした土産物も売られていたのですが、実物を見た後だと、どうも作りが稚拙に見えてしまい、買う気にはなりませんでした。まぁ、話の種に一つくらい買ってきても良かったかもしれませんが…。

 さて、まもなく刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、今回ご紹介の迦陵頻伽を含め“仏像”に関する切手類300点以上をフルカラーでご紹介しております。すでに編集作業は完了しており、現在、印刷・製本の作業も順調に進んでおります。実物ができあがり次第、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。


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 タクシンちがい
2009-04-17 Fri 23:21
 タクシン派の反政府デモはとりあえず収まったものの、依然、非常事態宣言下にあるタイのバンコクで、今度は、反タクシン派の指導者ソンティ・リムトンクンの暗殺未遂事件が起きたそうです。物騒な話ですな。ところで、日本語では問題の元首相と同じ“タクシン”と表記されることが多いのですが、タイ語では全く別の発音となるタクシン王(原音はタークシンに近いので、以下、そのように記します)の誕生日は1734年4月17日だということなので、タクシン違いですが、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 タークシン像

 これは、1955年5月1日にタイで発行されたタークシン王の銅像の切手です。

 タークシンはアユタヤ王朝時代の1734年、賭博場の徴税人をしていた潮州華人の父とタイ人の母の間に生まれました。社会的には下層の出身でしたが、才知を見込まれてアユタヤの大臣の養子となり、シンと名づけられ、宮廷に仕えるようになります。1767年にビルマ軍がアユタヤを攻撃してきた時には、タイ北西部のタークの国主の地位にあったことから、プラヤー・タークとよばれるようになり、これが、タークシンという名の由来になりました。

 アユタヤ陥落の際、タークシンはビルマの軍の包囲をかいくぐってタイ東南部のラヨーンに脱出。ここから反撃を開始し、同年10月、チャオプラヤー川西岸にあったトンブリーの要塞を奪還してビルマ軍を撃退し、トンブリーを都としたうえで、翌1768年にトンブリー王として即位しました。ちなみに、チャオプラヤー川をはさんでトンブリーの対岸(ラタナコーシン地区)に建設されたのが、現在のチャクリー王朝の王宮エリアです。

 その後、タークシンは、混乱の中で四分五裂に陥っていた国内の統一に乗り出し、約3年で旧アユタヤ朝の版図を回復。さらに、みずからマレー諸国やカンボジアを服属させたほか、部下のトードワン(後のラーマ1世)ならびにブンマーの兄弟らを遠征させて北方のチェンマイやメコン川岸のラオス諸国を属国としました。また、チャオプラヤー川に面したトンブリーの地の利を生かして清朝との朝貢貿易にも乗り出しています。

 このように、タークシンは救国の英雄にして、一代で王朝を建設した武闘派の傑物だったのですが、社会が安定を回復し、アユタヤ朝時代の名門貴族が復権し始めると、彼らからは“成り上がり者”として軽んじられ、疎外感を味わっていたようです。そのストレスからか、自らを僧侶に跪拝を命じて拒否した者には鞭打ちや重労働の刑を課すなどの偏執的な奇行が目立つようになり、1728年、宮廷クーデターで逮捕され、ベルベットの袋に入れられ白檀の杖で首を折って処刑されるという非業の死を遂げています。

 救国の英雄でありながら悲劇的な死を遂げたタークシンは、いつしか、人々の間でその霊力にあやかってわが身を守ろうとする信仰を生み出すようになり、各地に彼を祀る廟が建てられるようになりました。

 今回ご紹介の像は、1954年、トンブリー地区の繁華街で鉄道のウォンウィエン・ヤイ駅前のロータリーに建てられた像で、イタリア出身の彫刻家シン・ピーラシーの手によるものです。もちろん、銅像の顔などは、後代の想像によるタークシン像なのですが、切手を見る限り、勇猛な武将としての彼の雰囲気は上手く表現できているのではないかと思います。

 なお、最近ニュースに頻出のバンコクに関しては、拙著『タイ三都周郵記』でも、その主要スポットを切手でたどりながらご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 切手が語る宇宙開発史(1)
2009-04-16 Thu 14:12
 雑誌『ハッカージャパン』で、現在発売中の5月号から、「切手が語る宇宙開発史」という新連載を始めました。今回は初回ということで、まずはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ソ連・元世界最大切手

 これは、1962年11月にソ連が発行した宇宙飛行士の切手で、左から、ボストーク1号(人類初の有人宇宙船)に登場したガガーリン、2号のティトフ、3号のニコラエフ、4号のポポビッチの肖像が取り上げられています。

 この切手は、発行当時、世界最大の切手(70×150ミリ)として大いに話題になった1枚ですが、2年後の1964年には、ルーマニアが東京オリンピックの金メダルの切手(110×140ミリ)を発行し、“世界最大”の座を明け渡しています。ただし、昭和40年代の子供向けの切手の本などでは、依然としてこの切手を“世界最大”として紹介していたケースもありましたので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。ちなみに、2009年初の時点で“世界最大”の切手とされているのは、2004年にモンゴルが発行した「世界最大の曼荼羅」の切手(186×135ミリ)です。

 東西冷戦の時代、米ソ両国は自らの宇宙開発がアメリカよりも先んじている、すなわち、相手に対して軍事的に優位に立っていることをアピールするためにさまざまな切手を発行しました。そして、宇宙開発の当事者である米ソ両国のみならず、両陣営に属する国々も、“親分”の宇宙開発を讃える切手を盛んに発行しました。

 今回の連載では、そうした各国の宇宙切手を眺めながら、東西冷戦とその時代についていろいろと考えてみたいと思っています。よろしくお付き合いいただければ幸いです。


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 象供養の日
2009-04-15 Wed 21:56
 4月15日は象供養の日だそうです。というわけで、象がらみのマテリアルの中から、ちょっと毛色の変わったものはないかと思って探してみたら、こんなモノが見つかりました。(画像はクリックで拡大されます)

 インド・アショカ王柱葉書(用紙継目)

 これは、1950年にインドで発行されたアショーカ王柱葉書(額面6NP)ですが、本来は破棄されるべき用紙の継ぎ目部分に印刷されています。この継ぎ目部分に製紙メーカーの商標である象の絵が入っているというのがミソです。

 印面に取り上げられているのは、西暦の紀元前3世紀、歴史上初めてインド亜大陸をほぼ統一したマウリヤ朝のアショーカ王(在位・紀元前268-232頃)が、釈迦が最初の説法(初転法輪)を行ったとされるサールナートの地に建てた柱の先端部分です。

 アショーカ王が仏教の信仰を示すために各地に立てた柱の先端部分には、それぞれ、東西南北に4匹の獅子が配されており、円柱の冠板に帯状装飾として象と駿馬、雄牛と獅子が彫られ、それぞれの間にハスを模した法輪もしくはアショーカ・チャクラの車輪が彫られています。

 現在のインドでは、アショーカ王柱は、仏教のシンボルとしてというよりも、インド統一の象徴として、国章に取り上げられています。また、インド国旗の中央の法輪も、同様の理由から、アショーカ王柱にちなむものとして取り上げられています。

 さて、まもなく刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、仏像に関する切手類300点以上をフルカラーでご紹介しておりますが、あわせて、その“フォアランナー”としてアショーカ王柱についてもいくばくかのページを割いております。すでに編集作業は完了しており、現在、印刷・製本の作業が順調に進んでおります。実物ができあがり次第、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。

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 種痘法100年
2009-04-14 Tue 15:31
 1909年4月14日に「種痘法」が公布されてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、今日はこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 仲地紀仁

 これは、1968年に復帰前の沖縄で発行された「仲地紀仁 牛痘種痘実施120年」の記念切手で、仲地が取り上げられています。

 仲地は、1789年、泊の医学者の長男として生まれました。26才の時、中国に渡り内科、眼科を学び、帰国の時、遭難で漂着した薩摩でさらに外科を覚えて帰国。中国の漂流者の病を完治し、王府から褒章を受けています。その後、仲地は王府から派遣されて二度、宮古島での医療活動に従事したのち、泊と那覇で発生した天然痘の治療に中国で学んだ人痘治療で対応し、ふたたび、王府から褒賞を受けました。

 ところで、1846年、イギリスから布教を目的にベッテルハイムが来琉。医師でもあった彼は琉球語をマスターし、那覇で西洋医学の治療を行うとともに、那覇市内の医師に西洋医学の知識を伝授しています。その際、人痘治療の実績を持つ仲地に注目したベッテルハイムは、仲地に牛痘種痘を伝授することにしました。ただし、当時の琉球では、薩摩が琉球人と西洋人との交流を禁じていたため、仲地は波之上の洞窟の中で教えを受けています。その後、仲地は苦心の末、膿疱を持つ牛を入手し1848年、牛痘種痘法を完成させました。

 ちなみに、日本本土では、ロシアに拉致された中川五郎治が帰国後の1810年に牛痘を用いた種痘法を実践したほか、1814年には安芸国の漂流民・久蔵が種痘法を覚え、牛痘を日本に持ち帰って効果を藩主に進言している例もあります。ただし、一般には、1849年に佐賀藩の医師・楢林宗健と長崎のオランダ人医師・モーニッケが種痘を実施したのが本格的な牛痘種痘のルーツとみられているようで、仲地の実績はそれに先立つものとして、琉球史において特筆大書され、切手にも取り上げられたということのようです。


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 切手で巡る庭園散歩:修学院離宮
2009-04-13 Mon 17:51
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の4月号が出来上がりました。3月までの連載「切手の中の世界のダム」に代わり、今月からは「切手で巡る庭園散歩」という新連載がスタートしました。その記念すべき第1回には、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 修学院

 これは、1994年に発行された「平安建都1200年」の記念切手の1枚で、修学院離宮が取り上げられています。

 京都市左京区の比叡山麓にある修学院離宮は、1653年から59年にかけ、いわゆる紫衣事件で退位した後水尾上皇の指示により江戸幕府が造営した離宮で、総面積は54万㎡。上・中・下の3ヵ所の御茶屋と呼ばれる庭園は細い松の並木道で結ばれ、その間には田畑が広がっています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、そのうちの上御茶屋の景観。御幸門から石段を上り、離宮内の一番高いところに建つ隣雲亭(展望スペースとして設けられた建物で、装飾はほとんどありません)から浴龍池と、京都の北、岩倉からさらに北山の山並を借景に望む壮大な風景です。

 1万1500㎡という巨大な人工池・浴龍池は、比叡山からの伏流水に加え、南に流れる音羽川から水路を引いてつくられました。池の西側には高さ15mの堤が築かれていますが、その人工的な部分を自然に見せるため大刈込などの工夫もなされています。

 さて、今回の連載では、来年3月号まで1年間かけて世界各国の切手に描かれたさまざまな庭園の中から、偶数月は日本の庭園、奇数月は外国の庭園を取り上げていく予定です。よろしくお付き合いください。


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 タイのASEAN切手
2009-04-12 Sun 22:25
 きのう(11日)、タイのパタヤ市内で11日に予定されていた東南アジア諸国連合と日中韓(ASEANプラス3)の首脳会議が、反政府派の激しい抗議行動による混乱を受けて中止に追い込まれ、バンコクには非常事態宣言が出されました。というわけで、タイ切手のうち、ASEANがらみのモノということで、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 アセアン訪問年(タイ)

 これは、1971年にタイで発行されたアセアン訪問年の切手で、タイを代表するものとして水上マーケットが取り上げられています。

 その昔、タイ旅行の定番といえば王宮やワット・アルンワット・プラケオ(エメラルド寺院)と並んで、バンコク周辺で発達した運河網を利用した水上マーケットでした。現在でも、空港の免税店などで売られている土産物のチョコレートの箱には、“水の都”バンコクのシンボルとして水上マーケットの写真がしばしば印刷されています。

 もっとも、現在の水上マーケットはバンコク市内やその近郊ではなく、バンコクから南西に80キロ離れたダムヌン・サドゥアク運河に場所を移して、観光客を対象に行われています。日本では東京から約80キロというと栃木県の足利とか千葉の九十九里などですから、水上マーケットを“バンコク観光”というのはちょっと無理があるでしょうなぁ。もっとも、都心部からこれだけ離れていると、非常事態宣言の範囲外でもあるでしょうけれど…。

 なお、2007年に刊行の拙著『タイ三都周郵記』では、切手や絵はがきに取り上げられたバンコクのさまざまな観光スポットをご紹介しています。非常事態宣言がいつまで続くかはわかりませんが、早く平穏な状況に戻ってほしいですね。ただし、昨年来、タイではいろいろと混乱が続いて旅行しづらいイメージがついてしまいましたから、非常事態宣言が解除された直後なんてのは、考えようによっては、一番割安な旅行を楽しめるチャンスなのかもしれませんね。連休にタイ旅行にお出かけになるご予定の方は、ぜひ、拙著『タイ三都周郵記』をお供に連れて行っていただけると幸いです。


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 50万PV
2009-04-11 Sat 14:00
 先ほど、本日(11日)昼過ぎにカウンターが50万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、今日は近日刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の中から、“50”がらみのこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 セイロン・仏足石

 これは、1968年12月19日にセイロン(現スリランカ)が発行を計画していたものの、不発行に終わった“全セイロン仏教徒会議50周年”の50セント切手です。同時に準備された5セント切手は発行されたものの、この切手に関しては前日の18日に急遽、発売中止が決定されました。しかしながら、この決定は末端まで浸透せず、地方の局では少数が誤って郵便局から発売されました。

 切手に描かれているのは、スリランカで仏教・ヒンドゥー教・キリスト教・イスラムの各宗教共通の聖地とされているスリー・パーダ(英語名:アダムス・ピーク)にある仏足石です。切手が不発行となった理由は明らかにされていませんが、もしかすると、各宗教共通の聖地であるスリー・パーダについて、あたかも、仏教単独の聖地であるかのような印象を与えるような切手を発行するのは問題だとの政治的判断が働いたのかもしれません。

 以前の記事でも少し書きましたが、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の時代のインドでは、そもそも尊像を作って祀る習慣がなかったといわれています。また、釈迦本人は、個人が自らを依り所とし、法を依り所とすべきと考えており、自身が信仰の対象になるとは考えていませんでした。このため、最初期の仏教には仏像は存在しません。

 その後、仏教を一般に伝えるため、さまざまな図像が必要になりましたが、当初は、悟りを開き“仏陀”となった釈迦の姿を人間が再現することは不可能と思われており、釈迦の象徴としてさまざまなものが礼拝の対象とされました。

 その一つが、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象とした仏足石です。その古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられており、古いものは両足を揃えたものが主流ですが、後に、片足だけのスタイルのモノもつくられるようになりました。

 足の裏には凹凸はなく平らで、千輻輪(1000本の幅を持つ車輪)などが刻まれているのが一般的で、今回の切手のものにも、そうした特徴がしっかりと表れています。

 さて、4月中旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、仏像に関する切手類300点以上をフルカラーでご紹介しておりますが、あわせて、こうした仏像以前の“フォアランナー”についてもいくばくかのページを割いております。すでに編集作業は完了しており、奥付上の刊行日である4月28日を目指して、あとは印刷・製本を残すのみという状態です。実物ができあがり次第、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。

 * 昨日のスーパーJチャンネルの放送は、無事に終了いたしました。ご覧いただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。

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 4月25日(土)11:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’09会場内にて、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 
 

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。

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 祝・ご成婚50年
2009-04-10 Fri 09:09
 “世紀のご成婚“と呼ばれた1959年の皇太子ご成婚から、きょう(4月10日)でちょうど50年です。きょうは夕方17:36頃から放送予定の「スーパーJチャンネル」(TV朝日系列)の両陛下大婚50年(金婚式)記念特集に、僕も『皇室切手』の著者として登場しますので、やはり、定番ネタではありますが、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 皇太子ご成婚(1959・30円)

 これは、50年前のご成婚当日に発行された4種セットの記念切手のうち、ご夫妻の肖像を描く30円切手です。同時に発行された10円の肖像切手やその発行にいたる経緯などについては、以前の記事でもご紹介したことがありますので、きょうは、ご成婚そのもののスケジュールについてまとめておきましょう。

 皇太子ご夫妻の婚儀の式次第については、1958年12月7日に設置された御婚儀委員会が中心となって作業が進められ、日本国憲法第7条第10項(天皇の国事行為として各種の儀式を行うことが定められている)の規定に基づき、3つの国の儀式(①結婚の儀、②朝見の儀、③宮中祝宴の儀)と7つの皇室の私儀(①納采の儀:1月14日、②告期の儀:3月16日、③宮中三殿に結婚奉告の儀、④皇霊殿・神殿に謁するの儀、⑤供膳の儀、⑥三箇夜餅の儀、⑦伊勢神宮・神武天皇陵・大正天皇陵・貞明皇后陵に謁するの儀)に分けて行われる ことになりました。

 婚儀の当日(4月10日)は、早朝、東宮使が宮中三殿に結婚式を挙げる旨を奉告するとことから始まり、午前10時から国の儀式としての“結婚の儀”が行われます。

 このとき、皇太子は正装である黄丹御袍、垂纓冠、白綾袴の姿で、また皇太子妃は十二単におすべらかしという服装で式に臨み、賢所内陣で皇太子みずからが結婚する旨の告文を読んだ後、外陣に退き、誓いの神盃を受けます。

 ついで、昭和天皇から皇太子妃への勲章(勲一等宝冠章)の授与を経て、午後2時から国の儀式としての“朝見の儀”が行われました。このとき、皇太子は燕尾服に大勲位菊花大綬章、皇太子妃はローブデコルテに授与されたばかりの勲一等宝冠章を佩用した洋式の礼装で皇居西の間に参入。天皇・皇后に御礼を言上した後、お祝いを受けます。

 2時半頃、皇太子夫妻は皇居を出発して東宮仮御所に戻り、皇族方のお祝いを受けた後、“供膳の儀”(結婚後、はじめて2人で祝膳につく儀式)を、さらに午後9時ごろからは御寝所で古式にのっとった“三箇夜餅の儀(鶴形台と呼ばれる白木の台に盛られ、寝殿に供された餅を、結婚の初夜、次の夜、3日目の夜に箸をつける)”を行い、結婚第一夜をすごします。この鶴形台に餅が盛られた状態は、1900年に発行された皇太子(後の大正天皇)ご成婚の記念切手にも取り上げられています。

 その後、2日をおいて、4月13日から3日間、皇居内に各界代表とその夫人を招いて、国の儀式としての“宮中饗宴の儀”が行われ、参列者には菊花紋章入りの銀製ボンボニエール(菓子器)と銅製の文鎮が下賜されました。このうち、ボンボニエールは、2000年に発行された「20世紀シリーズ」の第12集の1枚として取り上げられたほか、本日発行の天皇皇后両陛下御結婚満五十年記念の1枚にも取り上げられています。

 その後、ご夫妻は伊勢神宮・神武天皇陵・大正天皇陵・貞明皇后陵をそれぞれ参拝し、4月20日、婚儀関連のスケジュールは全て終了となりました。ちなみに、記念の小型シートは婚儀の当日には間に合わなかったため、当初、17日にご夫妻が伊勢神宮参拝に出発するのに合わせて発行することとされていましたが、実際にはさらに遅れて、ご夫妻が大正天皇陵(多摩陵)に参拝した20日の発行、それも、普通局に限定しての発売ということになりました。

 なお、今回ご紹介の“皇太子殿下ご成婚”の記念切手については、拙著『皇室切手』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ☆★☆TV出演の予定☆★☆

 4月10日、「スーパーJチャンネル」(TV朝日系列)の両陛下大婚50年(金婚式)記念特集に、僕も『皇室切手』の著者として登場します。特集は17:36頃からの放送予定です。お時間がありましたら、ぜひ、ご覧ください。なお、放送番組の常として、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。
 

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 大仏の日
2009-04-09 Thu 17:37
 きょうは天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)に奈良の大仏の開眼供養が行われた事にちなみ、“大仏の日”なんだそうです。というわけで、ストレートにこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 奈良の大仏

 これは、今年(2009年)3月に発行された奈良県のふるさと切手の1枚で、奈良の大仏が取り上げられています。

 奈良の大仏は仏の種類としては毘盧遮那仏(盧遮那仏とも)と呼ばれるもので、そのルーツは、古代インドの太陽神・ヴァイローチャナがルーツです。人間界をも包摂する蓮華蔵世界に君臨し、歴史上の人物としての釈迦を超えた存在で、宇宙の真理をすべての人に照らし、悟りに導くとされており、密教の大日如来の原型となりました。

 さて、奈良の大仏は、聖武天皇の発願で745年に制作が開始され、752年に開眼供養会が行われました。ただし、当初の像は855年の地震では首が落ちたほか、源平争乱期と、戦国時代の2回、兵火で焼失したため、現存する像の大部分は鎌倉時代から室町時代に補修されたもので、オリジナルの部分としては、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などがあります。なお、現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルです。

 さて、近刊予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介の切手と中国の毘盧遮那仏を並べてご紹介しています。日本では、鎌倉大仏の切手はあったものの、ながらく、東大寺の大仏本体を取り上げた切手がなかったため、今回の拙著も東大寺大仏は抜きで構成しなければならないかと頭を抱えていたのですが、先月の切手発行で滑り込みセーフとなり、ホッとしているところです。やはり、仏さまのご加護があったということなんでしょうかね。

 なお、『切手が伝える仏像:意匠と歴史』ですが、すでに編集作業は完了しており、奥付上の刊行日である4月28日を目指して、あとは印刷・製本を残すのみという状態です。おそらく、21日前後には実物ができあがってくると思いますので、いましばらく、お待ちください。


 ☆★☆TV出演の予定☆★☆

 4月10日、「スーパーJチャンネル」(TV朝日系列)の両陛下大婚50年(金婚式)記念特集に、僕も『皇室切手』の著者として登場します。特集は17:36頃からの放送予定です。お時間がありましたら、ぜひ、ご覧ください。なお、放送番組の常として、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。
 

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 花まつり
2009-04-08 Wed 14:35
 きょう(8日)は、お釈迦さまの誕生を祝う“花まつり”の日です。というわけで、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ネパール・誕生仏

 これは、昨年(2008年)、ネパールが発行した切手で、デオパタン出土のレリーフが取り上げられています。

 後に仏教の開祖となるゴータマ・シッダールタ(以下、釈迦)は、インド亜大陸北部、現在のインド=ネパール国境地帯を支配していたシャーキャ族の王子として生まれました。母親のマーヤー(麻耶夫人)は白い象が体内に入る夢を見て懐妊し、ルンビニー(現在はネパール領)の庭園で沙羅双樹の枝に触れた時に産気づいて、右わきの下から釈迦を生みました。生まれたばかりの釈迦がいきなり7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言したというエピソードは広く知られています。なお、古代インドのバラモン教では、バラモン(僧)は神の頭から、クシャトリア(貴族)は神の腋から、ヴァイシャ(商工業に携わる平民)は神の股から、シュードラ(奴隷)は神の足首から生まれると考えられており、釈迦の生誕伝説もこれにちなんだものなのでしょう。

 切手に取り上げられているレリーフは8世紀頃のものと考えられており、釈迦が脇の下から生まれてきたことを示すかのように、摩耶夫人は沙羅双樹の枝につかまり、脇を開けた姿勢を取っています。また、釈迦の頭上には、彼の誕生を祝う二天が釈迦に浄水を灌いでいるようすも彫られています。 

 さて、4月下旬に刊行予定の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介のネパールの切手をはじめ、釈迦の生涯のさまざまな場面をあらわした切手を多数、ご紹介しております。奥付上の刊行日は4月28日ですが、21日前後には実物ができあがってくる予定ですので、いましばらく、お待ちください。


 ☆★☆TV出演の予定☆★☆

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 100年前のイタリア大地震
2009-04-07 Tue 21:04
 きのう(6日)、イタリア中部で大規模な地震が発生。現地時間7日朝の時点で死者179人、行方不明34人、負傷者1500人という大きな被害が発生しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 メッシーナ地震

 これは、昨年(2008年)、イタリアが発行したメッシーナ大地震100周年の記念切手で、瓦礫の山と化した市街地がデザインされています。

 メッシーナはシチリア島の北東に位置する港湾都市で、その歴史は紀元前8世紀にまでさかのぼります。

 1908年12月28日未明に発生した地震でメッシーナ市街はほぼ全壊。さらに、続けて発生した津波により多数の人が亡くなりました。マグニチュードや死者数については、資料によってばらつきがありますが、USGS(米国地質調査所)の資料では、マグニチュード7.2、死者7万2000人としています。この数字は、2004年12月26日のスマトラ沖地震(30万人超)、1923年9月1日の関東大震災(14万3000人)に次ぐ史上第3位の規模で(ちなみに、第4位は1970年に発生したペルー・ペルビアン地震の6万7000人)、ヨーロッパ史上最悪の地震といわれています。

 このように悲惨な出来事ではあったのですが、“災い転じて福となす”結果もいくつかもたらされていますたとえば、この地震をきっかけに、欧米諸国では耐震建築の研究が本格的に開始されるようなりましたし、ヨーロッパ各国が協力しての救援活動は欧州連帯の象徴的な出来事とされています。1955年6月、西欧諸国の外務大臣が“メッシーナ会議”を開催し、それが、のちの欧州経済共同体(EEC:現EU)設立の端緒となったというのも、この地がヨーロッパ連帯のシンボルとされていたからとみるのが妥当でしょう。今回ご紹介の切手もまた、そうした歴史的意義を踏まえてのものといえます。

 さて、昨日発生したイタリア中部の地震は、日本時間のきょう(7日)午後6時過ぎにも強い余震が観測されるなど、現在も緊迫した状況が続いているようです。被災地の1日も早い復興をお祈りしております。


 ☆★☆TV出演の予定☆★☆

 4月10日、「スーパーJチャンネル」(TV朝日系列)の両陛下大婚50年(金婚式)記念特集に、僕も『皇室切手』の著者として登場します。特集は17:36頃からの放送予定です。機会がありましたら、ぜひ、ご覧ください。なお、放送番組の常として、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。
 

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。

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 北極の日
2009-04-06 Mon 22:50
 きょうは、いまから100年前の1909年4月6日にアメリカの探検家ロバート・ピアリーが北極点に“到達”したことにちなみ、“北極の日”なんだそうです。というわけで、北極がらみの切手の中から、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 アムンゼンの熊

 これは、1925年、ノルウェーが自国の探検家ロアール・アムンセン(日本では英語読みのアムンゼンと呼ばれることが多いようですが、言語ではアムンセンと濁らないようです)の北極飛行を支援するために発行した切手の1種で、ホッキョクグマと飛行機が描かれています。

 アムンセンといえば、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たしたことで有名ですが、彼のそもそもの目的地は北極点到達でした。ところが、1909年4月のピアリーによる北極点到達の知らせを知り、目標を南極点に変更し、結果的に、偉業を達成することになったというわけです。なお、ピアリーに先を越されたので行き先を変更したというのではスポンサーを納得させるのは難しいと考えたのか、当初、彼は「南極点に到達したのち北極探検」として計画を拡大したと主張しています。ただし、北極点に最初に到達したとされるピアリーですが、実際に彼が到達したのは北極点から6キロの地点だったことが後になって判明。したがって、アムンセンが本当に北極点を目指していたら、ピアリーの業績というのは否定されることになっていたかもしれません。

 南極探検から帰還した後、アムンセンはドルニエ・ワール飛行艇や飛行船ノルゲ号による北極点通過を行い、人類初の両極点到達など精力的に活動しました。しかし、北極を飛行機で探検中の1928年、近くで遭難した飛行船イタリア号によるイタリア探検隊の捜索に向かう途中で行方不明となっています。

 それにしても、この切手は切り絵風のデザインがなんともいい雰囲気ですな。こういう切手を見るにつけ、北欧のデザインセンスには素直に感心させられます。


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 迷惑な祝砲
2009-04-05 Sun 18:21
 きょう(5日)午前11時30分ごろ、北朝鮮が“人工衛星”と主張して準備を進めていた弾道ミサイル1発を発射しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 北朝鮮・2000年用年賀

 これは、北朝鮮が発行した2000年用の年賀切手で、彼らのいう“強盛大国”建設の象徴の一つとして、1998年に打ち上げられたテポドン1号(北朝鮮側の正式名称は光明星1号)が取り上げられています。

 以前の記事でも書きましたが、1998年の打ち上げについて、北朝鮮側は人工衛星(光明星1号)の打ち上げであり、打ち上げには成功し、地球の周回軌道に乗った衛星は「金日成将軍の歌」を地上に向けて発信し続けていると主張していますが、これは事実として確認されていません。おそらく、弾道ミサイルの試射をかねた人工衛星の打ち上げだったが失敗、というのが真相でしょう。なお、この当時の状況については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でも詳しくご説明していますので、機会があったら、ご覧いただけると幸いです。

 ちなみに、“飛び道具”としての広義のミサイルには、いわゆるロケット(狭義には“飛び道具”の推進体を指す)も含まれますが、一般にはロケットの先端部に爆発物を搭載した軍事目的の“飛び道具”をミサイルと呼び、先端部に人工衛星などが搭載されていれば宇宙ロケットと呼ばれます。したがって、宇宙ロケットとミサイルは本質的に同一の技術なわけで、北朝鮮側の主張するように、人工衛星を打ち上げるための平和目的のロケットだから周辺諸国への脅威にはならないという説明はなんら説得力を持ちません。

 さて、テポドン1号は客観的には打ち上げに失敗したと評価されているわけですが、北朝鮮側はそうした事実に目をつぶり、あくまでも、1998年の時点で国産人工衛星の打ち上げに成功したと主張し続けています。今回ご紹介の切手も、西暦2000年の節目を迎えるにあたって、そうした“実績”を強調するために発行されたもので、彼らの思考回路の中では、新世紀に向けての一週の祝砲(客観的には空砲ですが)のつもりということなんでしょう。

 北朝鮮当局によれば、きょう打ち上げられた“人工衛星”は「金日成将軍の歌」および「金正日将軍の歌」のメロディーと測定資料を周波数470メガ・ヘルツで送信し、UHF帯の通信中継を行っているとのことですが、これが事実がどうか、つまり、打ち上げが成功かどうかは、ほどなく明らかになるでしょう。

 なお、一部報道によると、北朝鮮では、来週15日の“太陽節(金日成誕生日)”にあわせて、“平和な人工衛星の打ち上げ”を祝うイベントが企画されているのだとか。なんでも、このイベントは金正日の快気祝いも兼ねたもので、ほぼ同時期に元山付近での中・短距離ミサイルの発射準備も進んでいるそうです。彼らの感覚では景気づけに“祝砲”を撃ちまくっているということなのかもしれませんが、さすが“ならず者国家”。何とも迷惑な話ですな。


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 NATO60年
2009-04-04 Sat 13:42
 1949年4月4日にNATO(北大西洋条約機構)の元になった北大西洋条約が調印されてから今日でちょうど60周年になりました。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 NATO5周年(ギリシャ)

 これは、1954年5月15日にギリシャが発行したNATO5周年の記念切手(航空切手)の1枚で、武装したアテナイの女神が描かれています。航空切手ということで女神の背後には飛行機が飛んでいますが、なかなかカッコいいデザインですな。切手には、条約調印日の4月4日の日付も入っています。

 第2次世界大戦後の東西冷戦の中で、東側の脅威に対抗するための西欧防衛同盟として、1948年3月、イギリス、フランス、ベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の5カ国はブリュッセル条約機構が結成します。ただし、この5カ国だけでは東側の脅威に対抗するには必ずしも十分とはいえませんでした。

 おりしも、1948年6月、ソ連によるベルリン封鎖が行われると、アメリカも西欧防衛の必要性を認識。同年11月、アメリカ上院は西欧諸国への防衛協力を打ち出したバンデンバーグ決議を採択します。

 こうした経緯を経て、1949年4月4日、ブリュッセル条約加盟国を核に、①国連憲章の目的及び諸原則に従い、②自由主義体制を擁護し、③北大西洋地域の安定と福祉を助長し、④集団的防衛並びに平和及び安定の維持のためにその努力を維持すること、目的とする北大西洋条約が調印されました。条約の原加盟国は、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリス、アメリカの12カ国で、今回ご紹介のギリシャは、1952年2月にトルコとともに加盟しました。なお、条約の発効は1949年8月24日のことです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を発行したギリシャですが、実は、1974年に一度NATOを脱退しています。これは、同年7月、いわゆるキプロス内戦が勃発した際、アメリカが核兵器をギリシャやトルコから撤去し、実戦に使用される不安を除去したことに対して、ギリシャ側がこれをNATOによるトルコ擁護策だとして抗議したことによるものです。その後、ギリシャは1980年にNATOに再加盟しますが、それまでの間、ギリシャ軍はNATO軍の指揮下から外れ、独自の防衛路線を取っていました。
  

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 ジブチ
2009-04-03 Fri 23:45
 きょう(3日)、外務省で、来日中のジブチのユスフ外相と日本の中曽根外相との間で、海賊対策としてソマリア沖に派遣した海上自衛隊員の法的地位を確保するための地位協定の署名が行われました。というわけで、こういう機会でもないとなかなかニュースに登場しない国ですので、今日はジブチがらみでこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ジブチ加刷

 これは、1894年、フランスが発行した“ジブチ“加刷の切手です。

 19世紀後半、スエズ運河の建設が始まると、フランスは紅海に連なるタジュラ湾のオボック港を租借。あわせて、周辺への勢力拡大を図ります。

 その過程で、1888年、ジブチ港の建設を開始。オボックが公開を通過するフランス船の寄港地として重要視されていたのに対して、ジブチはエチオピア進出への拠点とみなされていました。

 ジブチで最初の切手が発行されたのは1894年のことで、当初は、オボック切手(1892年から発行開始)に加刷したものでした。今回ご紹介のモノもその一種ですが、ジブチの頭文字にあたるDJの文字を大きく加刷したモノもあります。

 その後、この地域はフランス領ソマリ・コーストとして統合され、1967年にフランス領アファル・イッサと改称されるまで、ソマリ・コースト名義の切手が発行・使用されていました。このフランス領アファル・イッサが1977年に独立して誕生したのが現在のジブチです。

 その昔、NHKアラビア語会話のテキストで「アラブの都市の物語」という連載をやっていたのですが、ジブチに関しては取り上げられないままに終わってしまいました。まぁ、連載で取り上げられなかったのは残念ではあるのですが、フランス領ソマリ・コーストの初期の切手は、なかなか味わいのあるいい感じの切手なので、機会をみつけて、このブログでもご紹介してみたいと思っています。


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 長崎の出世魚
2009-04-02 Thu 22:07
 春の甲子園(選抜高校野球大会)は、長崎県立清峰高校が長崎県勢として初優勝を飾り、幕を閉じました。といわけで、長崎ネタの中から、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブリ

 これは、1967年2月10日に発行された魚介シリーズの第9集として発行された“ブリ”の切手です。

 ブリは、遊泳力が強い回遊魚で、初夏に日本列島に沿って北上し、秋から冬にかけてやや沖合あるいは外洋を南下します。全身がほぼ青白色で、体型は紡錘形。重要な食用魚であるため、大量に養殖されています。また、成長につれて“ハマチ”など、呼び名が変わる出世魚としても知られています。ハマチとして香川県の県魚に、ブリとして富山県・福岡県の県魚に、また石川県の冬の県魚・静岡県の一月の県魚・京都府の冬の府魚・長崎県の冬の県魚・鹿児島県の冬の県魚等にも指定されています。

 そうした各地の中から、今回の切手の初日印適応局は伝統的にブリ漁の盛んな地域ということで、長崎県の福江局が指定されました。一般にブリというと、氷見ブリ、能登ブリ、佐渡ブリなど、北陸が名産地で知られていることもあって、この決定は意外の感をもって受け止められましたが、まぁ、結果的に、この切手は長崎県関連のものということになるんでしょうね。

 ところで、今回の切手の原画は1966年12月6日に発表されましたが、これに対して、一部の収集家の間からクレームがつけられました。この点について、切手発行後の1967年2月16日付『毎日新聞』朝刊は次のように報じています。

 図案と違う切手のブリ:郵政省は間違いないというが
 郵政省が十日発行した魚シリーズの特殊切手「ぶり」が本物と違うのではないかと切手マニアから指摘されている。これに対して同省では「図鑑と多少違うところがあるかもしれないが、間違いではない」と弁解しているものの、この魚シリーズは昨年五月発売の「かつお」でも同じような問題が起きており、郵政省は「どう説明したら」と頭を痛めている。

 問題の切手のブリを描いたのは奥村土牛氏で、金、パール、灰、青緑など五色刷り。図鑑によるとブリには背ビレが二つ、長い尾ヒレがついているが、切手の「ぶり」には背ビレが一つしかなく、しかも三角形に描かれ、口の上にある小さな穴(呼吸をする)もないところから、切手ファンの間から「ブリではない」との声があがっている。
 
 これに対し、同省郵務局は「図ができあがるたびにみてもらっている水産庁淡水区養殖部長の島津忠彦氏にも、ブリに間違いないことを確かめ、印刷した。魚は図鑑でみるのと泳いでいるときの姿はかなり違う。こちらとしては第一線の作家に頼んでいることでもあり、体型など極端な違いがない以上、とくに作家に描き直しなどしてもらっていない」という。

 また魚博士として知られる末広恭雄博士は「切手を見てないので何ともいえないが、魚が泳いでいる姿と図鑑に出てくるものとは違う。ヒレなどは泳ぐ場合ゆれるし、見る場所によっても違う。呼吸する穴も閉じているときは気づかない」といっている。

 魚の切手は各国でも出されており、ほとんどが図鑑に出たものを印刷しているという。当局では日本でも魚シリーズをつくるにあたってありきたりのものでは面白くないから、魚の泳いでいるさまを日本画家に描いてもらうため、これまで前田青邨、橋本明治、杉山寧といった大家を動員している。
 (引用ここまで)

 まぁ、新聞に紹介されたクレームが妥当なものなのかどうかはともかく、ブリといえば出世魚ですからねぇ。今回の優勝メンバーの何人かはプロ入りすることになるのでしょうから、将来的にはどんどん出世して行ってもらいたいものですな。

 なお、この切手を含む「魚介シリーズ」に関しては、拙著『切手バブルの時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 今回の記事の表示に関して、一時、不具合が生じた模様です。ご迷惑をおかけした皆様にはお詫び申し上げます。

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 当世風・景気のいい話
2009-04-01 Wed 23:29
 今日から4月。新年度のスタートです。

 せっかくですから、何か景気のいい話はないかと探していたら、昨日(3月31日)付で発表されたドイツ高級車メーカーのポルシェの2009年1月中間決算の税引き前利益が、前年同期の4.4倍の73億ユーロ(約9500億円)になったというニュースが見つかりました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 Pワーゲン

 これは、1939年、ベルリン・モーターショーに際してドイツが発行した寄附金つき切手の1枚で、後にポルシェの創業者となるフェルディナント・ポルシェ(当時はフリーランス)が設計した、アウトウニオンのPワーゲンが取り上げられています。
 
 アウトウニオン社は1932年、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの4社合併により結成されましたが、早くも1934年から、宣伝のためにグランプリレースに出場しています。

 創業間もなく資金面での余裕がなかったアウトウニオン社はドイツ政府に援助を要請するため、1933年3月、ポルシェともども首相に就任したばかりのアドルフ・ヒトラーと会見。国際モータースポーツでのドイツ車の勝利が国威発揚にもなると考えるヒトラーから、45万マルクの資金援助を獲得しました。

 この資金をもとに開発が進められたPワーゲンは、45度V型16気筒4.35Lエンジンを搭載しているほか、トーションバーを用いたサスペンションなど、画期的なアイディアが満載で、現在のF1マシンの原型となりました。

 最初のモデルであるTypeAのテスト走行が行われたのは1933年末のことでしたが、翌1934年3月にドイツ国内で開催された一般公開日には、250km/hの世界最高記録を含む7つの世界新記録を樹立。以後、改良を重ねながらおびただしい戦績を上げ、第二次大戦以前の欧州レース界を席巻しています。

 Pワーゲンの開発と並行して、ポルシェは国民車としてのフォルクス・ワーゲンの開発も担当しましたが、1939年に第二次大戦が勃発すると、フォルクスワーゲンをベースとした軍用車両(キューベルワーゲン、シュビムワーゲン)やティーガー戦車などの戦闘車両の設計に携わります。このため、第二次大戦後は、“戦犯”としてフランスに逮捕され、1947年7月末まで収監されていました。釈放後のポルシェは健康状態がすぐれず、1951年に亡くなっています。

 さて、今回のポルシェの決算をよくよく見てみると、売上高じたいは前年同期比12.8%減の30億ユーロにとどまっています。ところが、昨年秋以来の金融危機の中で、ヘッジファンドが子会社のフォルクスワーゲン(VW)株の空売り攻勢をかける過程で、ポルシェが将来の取得権利分まで含めてVWの発行済み株式の74%を確保していた事実が判明。このため、残り5%にまで減ったVWの浮動株にヘッジファンドが殺到し、それまで200ユーロ台で推移していたVWの株価は一気に1000ユーロを突破。ヘッジファンドは巨額の損失を出し、ポルシェには売上の倍以上、68億ユーロもの巨額の利益が転がり込んだのだそうです。

 まぁ、株価が下落しているときには空売りで儲けるというのが投機筋の古典的な手法なわけですが、結果的に、投機筋が大損して堅実なモノづくりメーカーが利益を手にしたというのは、庶民感情としては、なんとなく留飲の下がるような話ではありますな。


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