内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学 (1)
2009-05-31 Sun 13:19
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第43巻第2号から、「泰国郵便学」と題する連載を始めました。切手や郵便物を通じてタイの近現代史を見ていこうという企画です。第1回目の今回はタイの最初の切手が発行された当時の話をまとめましたが、そのなかから、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 クダ消印

 これは、1890年10月29日、現在はマレーシア領となっているクダ(日本語ではケダーと表記されることも多いようです)で使用されたラーマ5世の切手です。

 1868年にラーマ5世が即位した頃のタイは、現在の国名でいうラオスのほぼ全域やベトナムの北部、カンボジア西部、さらには、マレーシアの北部までをも勢力下に収めた域内の大国でした。もっとも、チャクリー王朝の直接支配はその全域に及んでいたわけではなく、地方の小領主がバンコクの王室に服属し、結果として緩やかな連合国家を形成されていたというのが実態でした。

 英仏列強はこうしたタイ国家の構造を利用して、周辺の属国をラタナコーシン王朝の支配下から切り離すことで領土を拡大していったわけですが、そのプロセスを、年表風に記すと以下のようになります。

 1888年 シップソーンチュタイ(ベトナム北部)をフランスに割譲
 1892年 シャン族5王国と東カレン族の国をイギリスに割譲
 1893年 シャム危機:砲艦外交に屈して、メコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲
 1904年 シャム危機での賠償金支払い完了までの保障占領としてチャンタブリーとトラートに駐留していたフランス軍の撤退を求めて、メコン川右岸のマノープライ、チャンパーサック、ルアンプラバーン州をフランスに割譲
 1907年 フランスのアジア系保護民の治外法権撤廃軍の代償として、カンボジアのバタンバン、シムエレアプ、シーソーポンをフランスに割譲
 1909年 イギリス保護民の治外法権撤廃の代償として南部のクダ、ペルリス、クランタン、トレンガヌ4州の宗主権をイギリスに割譲

 この年表からもお分かりいただけるように、1909年まではクダはタイ領であり、当然、タイの切手が使われていたということになります。
 
 さて、これら6回にわたる領土の割譲で、タイが失った総面積は30万平方キロにも達しました。タイは、こうした多大なる代償と引き換えに、東南アジアにおける英仏の緩衝国という立場を確保し、独立を保ったといえます。

 もちろん、タイの損失が一部領土の割譲にとどまり、独立国として存続しえた背景には、ラーマ5世による一連のチャクリー改革が一定の成果をあげ、曲がりなりにも“近代国家”の一員として国際社会から認知されていたという事情も見逃してはならないでしょう。1883年に創業したばかりのタイ郵政が、早くも1885年7月1日付で国際的な郵便交換の組織である万国郵便連合に加盟し、それに伴い、前日の6月30日をもってバンコクのイギリス局が撤退していたということは、その象徴的な出来事と見ることができます。

 今回の連載では、次回以降、“周年モノ”の記念切手も使いながら、タイの近現代史を時代順にたどっていこうと思っています。連載終了(いつになるかはわかりませんが)後は、加筆・修正のうえ、単行本化する計画もありますので、よろしくお付きあいいただけると幸いです。


 イベントのご案内 

 下記の日程で、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。いずれも入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。

 6月6日(土) スター☆オークション+バザール 於・全国町村会館 13:00~17:00

 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00
 

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 景福宮と韓国美人
2009-05-30 Sat 13:45
 先日亡くなった韓国の盧武鉉前大統領の“国民葬”が、きのう(29日)、ソウルの景福宮前庭を主会場としてで行われ、李明博大統領や各界代表、福田康夫前首相ら外国弔問使節団など約3000人が参列したほか、ソウル市庁舎前広場には追悼の市民ら約18万人(警察推計)が集まったそうです。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 故宮航空

 これは、1963年2月に韓国で発行された5ウォンの航空切手で、故宮こと景福宮にたたずむチマチョゴリの女性と飛行機が描かれています。ここのところの北朝鮮の挑発行為を見ていると、上空に飛んでいるのがミサイルでなくてよかったなどと、ついつい、不謹慎なことを考えてしまいます。なお、このデザインの航空切手は、1961年12月に額面50ファンのモノが発行されているのですが、1962年6月10日からの通貨改革で10ファンが1ウォンに改められたため、今回ご紹介の切手が発行されました。せっかくなら、50ファン切手を持ってきたかったのですが、どこかに紛れてしまって出てこなかったので、5ウォン切手の方で勘弁してください。

 さて、切手に取り上げられた景福宮は、李氏朝鮮の始祖である李成桂によって建てられたのが最初です。ちなみに、韓国の大統領官邸として知られる青瓦台はその敷地内にあります。

 1392年に開城で王として即位した李成桂は、2年後の1394年に漢陽(漢城、現在のソウル)への遷都を決定。王宮としての景福宮の建設を開始し、1395年から使用を開始しました。東西南北の4大城門を含めて宮城全体が完成したのは、1397年のことです。

 その後、景福宮は朝鮮王朝の正宮として使用されていましたが、1553年に大火によって焼失。さらに、1592年の文禄の役で国王が漢城から逃亡すると、民衆の略奪と放火によって(日本人によってではありません)再び焼失してしまいます。ちなみに、朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録(宣祖修正実録)』25年(1592年)4月晦日条にも、(日本人によってではなく)朝鮮の民衆によって略奪・放火されたとの記述があるのですが、現在の韓国では日本人によって破壊されたと信じ込んでいる人が多いようです。もちろん、秀吉の朝鮮出兵によって朝鮮が大きな被害を受けたことは事実ですが、何でもかんでも日本のせいにされるのも困ったものです。

 さて、“倭乱”の後、景福宮はながらく再建されず、離宮の昌徳宮が正殿として使用されていましたが、1865年、国王・高宗の父親である大院君が再建し、景福宮は1868年から正殿として復活します。ところが、1896年に国王はロシア公使館へ逃げ込み、景福宮は再び主なき宮殿となってしまいました。その後、正殿は慶運宮(現・徳寿宮)、昌徳宮へと移転。1910年の韓国併合後は、景福宮は王宮としての役割を亡くしたとの朝鮮総督府の判断により、その敷地内に、朝鮮総督府の庁舎が建設されることになりました。この結果、敷地内の建物の8割以上が破却されたほか、光化門は正面から移設されています。

 独立後の韓国政府で、景福宮の本格的な復元計画が動き出したのは1990年代に入ってからのことで、1996年、大激論の末に旧朝鮮総督府庁舎(最後は博物館として利用されていました)が破壊され、以後、2025年の完了を目指して、復元工事が進められています。ちなみに、今回、国民葬の主会場となった興礼門とその周辺が再建されたのは、2001年のことです。

 なお、今回ご紹介の切手は、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』では朴正熙時代を扱った第4章の扉のイメージカットとして使ってみました。韓国の現代史というとどうしてもハードな内容になってしまうので、せめて、章扉くらいはソフトなイメージの切手を持ってきたかったからです。もちろん、美女と観光名所を組み合わせたデザインが気に入っているということもあるのですがね。ほかにも、キムチや朝鮮人参、伝統芸能や民画の虎など、韓国を語る上で欠かせないものではあっても“現代史”の文脈では取り上げにくい切手については、同書の各章の扉ページでさりげなくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 イベントのご案内 

 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00

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 切手を作った人々:加曾利鼎造 ③
2009-05-29 Fri 16:14
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(6月6日実施)のカタログ第4号ができあがりました。同誌のオマケの読み物として、僕が担当している連載「切手を作った人々」は加曾利鼎造の3回目。今回はこんなモノを取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

 加曾利・似顔絵

 これは、木村勝の手になる加曾利の似顔絵です。余白には、“逓信省総務局総務課周知係”との肩書の加曾利の名刺が貼られているほか、第2次新昭和の50銭(炭鉱夫・目打アリ)が貼られて、1948年3月18日の欧文印が押されていますが、この切手の原画作者は加曾利ではなく大塚均ですし、切手の発行日は1948年3月16日ですからから、初日印というわけでもありません。このようなものが作られた詳細については調べきれていないのですが、時節柄、送別会か何かで周知係のデザイナーたちが集まった際に作られたものということなのかもしれません。

 木村の描いた加曾利の似顔絵を見ると、不精ひげらしきものも描き込まれていますが、山下武夫の回想によると、「(加曾利は)服装も構わない方で、戦後いつまでも地下足袋をはいていた。いつまでそれをはいていたかおぼえていないが、郵政省に毎日通勤している人の中では一番おそくまでそれを続けていたのではあるまいか」というから、不精ひげもまた、長髪とともに、いかにも加曾利らしい特徴ということだったのでしょう。

 木村が逓信博物館図案部員として逓信省に入省したのは1928年。当時の図案部は主任の吉田豊以下総勢4人。それぞれに個性の強いメンバーでしたが、中でも、1925年入省と年齢の近い先輩だった加曾利は木村に強烈な印象を与えたようで、木村は次のように語っています。

 (図案部のスタッフは)それぞれ一風ある人たちばかりで、はじめて勤めというものをした私にも他とは随分変わつていることが解りました。中にも村夫子然とした長髪の青年、飄飄として把えどころのない応対の青年、酔到れば放歌乱舞するかと思うと晝食には大福餅の十個位一のみにして済ましている青年、それでいて部屋の人気を一人でさらつていた印象的な青年こそ加曾利さんだったのです。

 また、木村は加曾利のことを「生きながらの佛に近かつた」とも評しており、ともかくも、加曾利といえば、世間の常識にはとらわれない浮世離れした人物というイメージが強かったようです。

 なお、今週末、『スター☆オークション』は大阪での下見会を行うそうです。僕自身は大阪へは行きませんが、会場では僕の記事が掲載されたオークション誌もご覧いただけますので、機会がありましたら、ぜひ遊びに来てください。


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 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00

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 屈原の故事
2009-05-28 Thu 22:30
 きょう(28日)は旧暦の5月5日。端午節の日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 屈原

 これは、1953年12月30日に中国が発行した「世界4大文化人」の切手のうち、屈原を取り上げた1枚です。

 屈原は、紀元前343年頃、楚の王族に生れました。

 当時、中国は戦国時代の真只中にあり、楚の国内も、西の強国であった秦との同盟を主張する連衡派と、斉の蘇秦の主張に従い、秦以外の諸国が同盟して秦の脅威に対抗しようとする合縦派に国論が二分されていました。

 こうした状況の下、屈原は、楚の懐王の信任を得て合縦派の大物として活躍していましたが、連衡派の策略で失脚。600里の地を割譲するとの秦の甘言に惑わされた楚は斉との連合を破棄します。しかし、連衡を破るという初期の目的を達した秦は、前言を翻して、楚への割譲は6里のみと主張。怒った懐王は、紀元前313年、大軍をもって秦を攻撃しますが、惨敗を喫してしまいました。

 敗戦後、屈原は政治家として復権を果しますが、懐王はまたも秦の甘言に惑わされ、秦との同盟関係を復活させようとします。結局、紀元前296年、懐王は、屈原の反対を押し切って同盟を結ぶために訪れていた秦の地で客死してしまいました。

 懐王の死後、その子であった頃襄王が楚の王として即位すると、紀元前286年、王は折り合いの悪かった屈原を江南に追放します。そして、失意の日々を送っていた屈原は、紀元前277年、秦の軍勢が南下したとの報に接し、祖国の前途に対する絶望感から汨羅(湖南省北東の川)で投身自殺しました。

 ちなみに、毎年5月5日の端午節(日本では新暦ですが、他のアジア地域では旧暦)にちまきを食べる習慣は、入水した屈原を偲んで、この日にちまきを川に投げるという風習に由来しています。

 屈原の詩文は、前漢末の劉向がまとめた『楚辞』の中に数多く残されていますが、そのうちの代表作「離騒」は、祖国を思いながら理解されなかった自らの心情を歌い上げたものとして、広く知られています。

 このように、悲劇の政治家で、詩人でもあったというところから、屈原や彼の詩文に対しては、その時々の政治的な文脈の中でさまざま意味が付与されることがあり、たとえば、1972年の日中国交正常化交渉の際、毛沢東が田中角栄に対して『楚辞集注』を送ったことに対しても、亡国の悲しみを内容とする書を一国の首相に贈るのは明らかな非礼であり、それによって田中の古典に対する素養を試したとする説から、単純に田中が毛に贈った漢詩が拙劣なものであったため漢詩のテキストとして贈ったという説、さらには、外交交渉において問題となった“迷惑”という語の中国語の用法を示すための例文として贈られたとする説など、さまざまな解釈が試みられています。

 まぁ、いずれにせよ、大国の甘言に惑わされるとロクなことにならないというのは洋の東西を問わず普遍の真理なわけですが、アメリカとの同盟に依存せず自力で核保有国の中国や北朝鮮なんかの脅威から祖国を防衛するためには、結局のところ、わが国も核武装するしかありませんからねぇ。そのためには、国内の“敵”と戦わなければならないところもまた、屈原の時代の楚の国と似たようなものなのかもしれませんな。
 

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 ミャンマーの虜囚
2009-05-27 Wed 19:12
 きのう(26日)、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権は、きょう(27日)期限を迎える民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんへの6年間にわたる自宅軟禁措置の解除を発表しましたが、その一方で、彼女に対しては、自宅で許可なくアメリカ人男性に面会したとして国家防御法違反の罪に問われている裁判のための拘束は継続。これに対して、アメリカのオバマ大統領が、スー・チーさんを「即時に無条件で」釈放するよう求める声明を発表しました。

 というわけで、ビルマの虜囚ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 モーラミャイン→スマトラ   モーラミャイン→スマトラ(裏)

 これは、第二次大戦中、泰緬鉄道の建設工事のため、ビルマのモーラミャイン(モールメン)に置かれていた日本軍の捕虜収容所からスマトラ・メダンの女性抑留施設宛に差し出された捕虜郵便の葉書です。検閲の手間を省くために、あらかじめ、主要な文面が印刷されていますので、その内容を以下に訳してみます。

****(以下、訳文)

 私は現在、ビルマ・モーラミャインの捕虜収容所にいます。捕虜の数は2万人で、オーストラリア人、オランダ人、イギリス人、アメリカ人などがいます。毎日、決められた労働を行う2/3000人の捕虜を収容するいくつかの収容所があります。

 私達は質素な仮小屋に収容されています。天候は良好です。食糧、医薬品、衣服の面では、生活は以前よりも快適です。日本軍の司令官は、捕虜たちを丁重に扱うべく誠実に努力しています。

 将校の給料は日本軍の同階級の将校の給料に基づいています。労働などを行う捕虜には、その階級と仕事に応じて、1日25セント(最低)から45セントまで支払われています。

 酒保もあり、そこでは配給以外の食品やタバコを買うこともできます。日本軍司令官の特別のご配慮により、収容所ではコンサートも行われ、一部の者は月に1度くらい映画を見ています。

****(訳文終わり) 

 モーラミャインの収容所では、今回ご紹介のモノとは別の文面が印刷された葉書も使用されており、そちらについては、以前の記事でもご紹介したことがあります。

 第二次大戦中の泰緬地域の捕虜郵便では、さまざまなタイプの葉書が使われていて(たとえば、こんなのとかこんなのとか)、単純素朴に集めていて楽しめます。ただし、現在残されているマテリアルの大半は、タイ側の収容所発着のモノで、ビルマ側発着のモノとなるとぐんと少なくなります。今回ご紹介のマテリアルは、そのビルマ側のモノで、収容所での検閲印と宛先地のオーストラリアでの検閲印が綺麗に押されているのが嬉しいところです。

 なお、かつての泰緬鉄道が現在はどうなっているかという点については、2007年に現地で“泰緬鉄道”ツアーに参加した時のレポートを拙著『タイ三都周郵記』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 怒りの仏像
2009-05-26 Tue 18:34
 きのう(25日)、地下核実験と短距離ミサイルを3発発射して国際社会の非難を浴びていた北朝鮮が、きょう(26日)もまた、2発の短距離ミサイルを発射したそうです。まったくもってトンでもない話ですな。というわけで、怒りのこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国・金剛力士(赤)

 これは、1980年11月20日に韓国が発行した「韓国美術5000年」シリーズ第5集の1枚で、慶州石窟庵の金剛力士像が取り上げられています。ちなみに、このときには、同じ図案・同じ額面で刷色を黒にしたモノも発行されました。

 金剛力士は、サンスクリットでは“ヴァジュラ(古代インドの武器の一種・金剛杵)を持つ者”という意味で、ヴァジュラダラと呼ばれています。その姿は、仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表すさまを象徴しており、釈迦の傍らでその警護を担当する役目を持っています。このことから、後に、中国などでは金剛神に寺院を守らせるようになり、山門や寺門の護衛役として左右に2体1対で配されて、我々にもなじみの深い“仁王像”がうまれました。 

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、慶州石窟庵で本尊の釈迦如来を守るために置かれているもので、口を開いた阿形の像です。2体1対の金剛力士像には、口を開いた阿形像と口を閉じた吽形像がありますが、どちらも仏敵に対する怒りの表情(憤怒相)が表現されているという点では同じで、前者が怒りをあらわにしたもの、後者が内に秘めた怒りを表現したもの、とされています。

 金剛力士の切手は、日本、韓国、中国などで発行されており、どの国の切手を持ってこようかと迷ったのですが、とりあえず、朝鮮半島ネタということなので今回は韓国の切手を持ってきてみました。

 その韓国ですが、今回の北朝鮮の核実験およびミサイル発射に関しては、先週土曜日(23日)に前大統領の盧武鉉が自殺し、とりあえずはその“喪中”にある中での挑発的な行為だけに、多くの国民は激怒しています。盧武鉉の訃報に際して、北朝鮮は金正日の名前で哀悼の意を表していただけに、彼の“太陽政策”を支持していた左派の連中も、今度という今度は赤っ恥をかかされたことになります。まぁ、「だから言わんこっちゃない」というところでしょうかね。

 わが国でも、きょう(25日)の衆議院本会議で全会一致で北朝鮮に対する抗議決議が採択されました。これまでのような、吽形スタイルの内に秘めた怒りの表現では、かの国はつけ上がるばかりですから、ここはひとつ、国際社会が一丸となって、金剛力士の阿形よろしく、彼らに対する怒りをもっとストレートにぶつけていかないといけませんな。

 なお、今回ご紹介のモノ以外の日本や中国の金剛力士像の切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 モンゴルの弥勒菩薩
2009-05-25 Mon 16:14
 大相撲夏場所はモンゴル出身の大関・日馬富士の優勝で幕を閉じました。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』のなかから、モンゴルのこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 モンゴルの弥勒菩薩

 これは、1988年にモンゴルで発行された弥勒菩薩の切手です。

 菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァを音訳したもので“悟りを求める人々”の意味で、悟りを目指して修行し、仏陀になる以前の者のことです。ただし、大乗仏教の発展に伴い、すでに悟りを得た如来の化身として人々の救済にあたるケースもあります。

 このうち、サンスクリットで“マイトレーヤ”と呼ばれる弥勒菩薩は、釈迦の次に仏陀となることが約束された最高位の菩薩で、釈迦の入滅後、56億7000万年後の未来に姿を現し、多くの人々を救うとされています。

 わが国では弥勒菩薩といえば広隆寺や中宮寺などの半跏思惟像(椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿)のイメージが強いのですが、世界的にみると、必ずしも半跏思惟像ばかりではなく、今回ご紹介のモンゴルの切手のようなどっかりと腰をおろしたモノや立像もあります。拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、そうした弥勒菩薩のさまざまなバリエーションについても、各国の切手を使ってカラーでご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 世界漫遊記:アルバ・ユリア(後篇)
2009-05-24 Sun 18:13
 『キュリオマガジン』2009年6月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、前回に引き続き、1918年のルーマニア統一の舞台となったアルバ・ユリアを取り上げました。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 アルバユリア・オベリスク アルバユリア・オベリスク(全体像) アルバユリア・オベリスク(部分拡大)

 画像左は、1984年にルーマニアで発行された“ホレアの反乱200周年”の記念切手で、アルバユリアにある反乱を記念するオベリスクが描かれています。今回は、トランシルヴァニアの丘陵を背景にしたオベリスクの全体像と、ホレアらの彫刻部分を拡大した写真もあわせてアップしておきます。

 ハプスブルク体制下のトランシルヴァニアでは、ルーマニア人は農奴としてハンガリー人地主の苛烈な支配の下に置かれていました。こうした境遇に対する不満から、1784年、ホレアら3人による大規模な農民反乱がアルバユリアで発生。反乱はほどなく鎮圧され、首謀者のホレアらは残虐な拷問の末に処刑されましたが、この事件は理不尽なハプスブルク体制に対するルーマニア人の民族的自覚を促すことになり、ルーマニアにおける近代ナショナリズムの原点になったと評価されています。

 今回ご紹介のオベリスクは、この反乱を記念して建てられたもので、高さは22メートルあります。城砦地区の高台にあるために見晴らしがよく、裏側に腰を下ろしてぼんやりと遠くの景色を眺めながら、ビールを飲むと実に爽快な気分になれそうです。

 さて、今回の記事は、切手や絵はがきを片手にアルバ・ユリアの城砦とその周辺の史跡を歩き回った“漫郵記”になっています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 盧武鉉の“功績”
2009-05-23 Sat 23:50
 韓国の盧武鉉・前大統領が自殺しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、盧武鉉政権時代の切手の中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 第2次南北頂上会談

 これは、2007年10月、盧武鉉と金正日の南北首脳会談を記念して韓国が発行した切手です。

 2003年に発足した盧武鉉政権は、経済政策の失敗や過去清算をめぐる国内の混乱、対日外交の破綻に見られる外交失策などから、支持率が低迷し、2006年5月31日の統一地方選挙で与党ウリ党は惨敗します。

 追い打ちをかけるかのように、、金大中政権以来の対北朝鮮宥和の“太陽政策”も、巨額の援助の見返りとなるはずだった北朝鮮の非核化は一向に進展しなかったばかりか、2006年7月5日には北朝鮮は国際社会を挑発するかのようにミサイルを発射実験を断行。これに対して、韓国政府は「果たしてわが国の安保上の危機だったか」、「(政府対応が遅れたのは、国民を不安にしないために敢えて)ゆっくり対応した」、「あえて日本のように夜明けからばか騒ぎを起こさなければならない理由は無い」などとする見解を発表し、国際社会を唖然とさせました。さらに、ミサイル発射後の7月13日の南北閣僚級会談では「南は北の先軍政治の恩恵をこうむっている」という北朝鮮側の暴言を浴び、会談は決裂しましたが、それでも盧は北朝鮮が過去に行った戦争や拉致を許すと演説し、同時期に発生した北朝鮮の水害に対する援助として、米、セメント、重機などの支援を行っています。

 こうしたことが重なり、2006年も後半になると政権は完全にレームダック化し、与党ウリ党でも、翌2007年末の大統領選挙をにらんで、金槿泰を中心に、かつて袂を分かった民主党との再統合を模索する動きが活発化。2007年2月28日には、盧はウリ党からの離党を余儀なくされてしまいます。

 四面楚歌となった盧は、残り少なくなった任期中に何とかして業績を残そうと、8月8日、北朝鮮を訪問し、最高権力者の金正日と会談することを発表。会談は当初予定の8月28-30日から延期され、10月2日から行われ、前回の頂上会談同様、会談初日には、今回ご紹介の記念切手も発行されました。

 10月2日、軍事境界線を徒歩で越えて北朝鮮に入るパフォーマンスを行った盧は、4・25文化会館での歓迎式典の後、万寿台議事堂で北朝鮮最高人民会議常任委員長の金永南と会談。翌3日は、百花園招待所で金正日と会談した後、5・1競技場で公演「アリラン」を鑑賞。最終日の4日に平壌で「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」に署名した後、開城工業団地を視察して帰国するという訪朝日程をこなしています。

 共同宣言では、①黄海に平和協力特別地帯を設定する、②11月中に南北の首相、国防相会談を開催する、③朝鮮戦争終結宣言のため、朝鮮半島で関連当事国会議を開催する、④京義線の貨物列車の運行を開始する、などの項目が盛り込まれ、朝鮮半島の経済共同体建設に向け、具体的な協力事業の推進での合意がなされました。

 しかし、肝心の核問題をめぐっては「南北は朝鮮半島核問題解決のために六カ国協議の共同声明と合意文書が順調に履行されるよう努力することにした」と記されただけで北朝鮮側の非核化に向けた意思表示や具体的な行動は盛り込まれなかったばかりか、韓国人や日本人の拉致には触れられていないなど、成果に乏しいものでした。

 結局、盧武鉉による南北首脳会談は客観的に見れば失敗に終わってしまったわけですが、そのことは、少なくとも対北政策に関する韓国の左派政権の無能を内外に強く印象づけることとなりました。そのことが、結果的に、かつての民主化運動の闘士というだけで実力以上に評価されてきた左派政治家に対する韓国民の幻想を打ち砕き、保守政権の復活につながったのだともいってよいでしょう。その意味では、みずから左派勢力(実は、韓国人の伝統的なメンタリティとかなりな部分で合致するものでもあったわけですが)の限界を明らかにしたことこそ、韓国政治史において、盧武鉉の最大の功績として特筆大書されるということになるのかもしれません。

 なお、盧武鉉政権時代の主要な出来事とそれにまつわる切手に関しては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 切手で巡る庭園散歩:プッタモントン公園
2009-05-22 Fri 14:32
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の5月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手で巡る庭園散歩」は、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の刊行にあわせてこんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 プッタモントン公園(仏足石)

 これは、1988年にタイが発行したプッタモントン公園の切のうち、公園内の釈迦の足跡をイメージした仏足石が並ぶ光景を取り上げた1枚です。

 “仏陀の曼荼羅”を意味するプッタモントン公園は、バンコクの西方約30キロ、ナコン・パトム県にあります。西暦1957年がタイの仏教暦2500年にあたることから、プッタガーン(仏教信仰がブッダの死後5000年は続くという伝承)の半分が経過したことを記念して、1955年から造営事業が開始されました。当初は1957年に開園の予定でしたが、内政問題等により工事はたびたび中断され、開園したのは1976年のことでした。

 4万平方キロという広大な敷地は、曼荼羅のように左右対称のレイアウトとなっており、公園の中央にはシンボルとして高さ約16メートルの巨大な遊行仏(諸国を遍歴する釈迦の姿を現した仏像)が建てられています。この像は、イタリア出身で後にタイに帰化した彫刻家、シン・ピーラシーが設計したものです。

 また、中心付近には生老病死を表す像が建ち、菩提樹が植えられているほか、敷地内には仏教会議所、仏教博物館、南伝大蔵経を1418枚の大理石に刻んで展示したスペースなどもあり、各種の仏教行事が行われています。 

 切手に取り上げられている仏足石は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたものです。古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられており、古いものは両足を揃えたものが主流ですが、後に、片足だけのスタイルのモノもつくられるようになりました。なお、仏足石を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 正義の女神
2009-05-21 Thu 19:11
 今日から裁判員制度がスタートしました。というわけで、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 スペイン・正義の女神

 これは、1874年、第一共和政下のスペインで発行された5センティモス切手で、公正な司法の象徴としての“正義の女神”が描かれています。

 切手を発行したスペインの第一共和国は、1868年の9月革命で国王イサベル2世がフランスに亡命した後、サヴォイア家から迎えられたアマデオ1世も泥沼の権力闘争に嫌気がさして1873年に退位したことで、成立しました。もっとも、翌1874年には、イサベル2世の息子アルフォンソ12世によるクーデターで王政復古となり、共和国は1年余りで崩壊してしまいます。

 正義の女神(ギリシア神話のテミス、 ローマ神話のユスティティア)は天秤と剣を持つ姿であらわされますが、これは、天秤によって正邪を測る“正義”を、剣によって法を執行するための“力”を象徴したものです。なお、正義の女神像といえば、現在では、先入観にとらわれず万人に平等に法を適用するものとして目隠しの姿で描かれるのが一般的ですが、これは主として19世紀以降のスタイルで、それ以前は目隠しをせず、目をつぶった姿の像がしばしば作られていました。今回ご紹介の切手も女神は目隠しをしていませんが、目をつぶっているのかどうかは、ちょっと識別困難ですね。

 さて、国民の声を司法に反映させるという趣旨で始まった裁判員制度ですが、専門的な法律教育を受けていない一般国民が裁判に参加することの効果について、僕自身ははなはだ疑わしいと思っています。もちろん、国民が司法に対して関心を持つのは重要なことではありますが、有罪・無罪の判定は専門家でも困難なことが少なくないわけで、素人が下手に口出しすることには大いに不安に感じます。また、裁判員に選ばれれば、仕事や日常生活に支障が出るなどの負担も大きいわけですし、さらには、判決が確定してしまった後でも死ぬまで守秘義務を課せられ、違反すれば懲役もありうるというのも無茶な話です。

 まぁ、現状では、抽選に当たってしまわないよう正義の女神に祈ることぐらいしか僕にはできないわけですが…。

 * きょうの午後、カウンターが52万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。
  
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 韓国の漢字問題
2009-05-20 Wed 11:42
 漢検の前理事長親子が背任の容疑で逮捕されました。というわけで、きょうは漢字ネタのなかから、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国士官学校50年

 これは、1996年5月1日に韓国で発行された陸軍士官学校開校50年の記念切手です。

 韓国の陸軍士官学校は、米軍政時代の1945年12月、韓国軍(当時の名称は警備隊)士官に対して、米軍との連絡調整のために主として英語を教えた軍事英語学校が前身とされています。同校は、1946年5月に朝鮮警備士官学校に再編され、同年9月陸軍士官学校と改称され、現在にいたっています。

 朴正煕・全斗煥・盧泰愚の歴代大統領をはじめ、韓国の各界で活躍する指導者(政界はもちろん、著名な財界人にも士官学校を卒業し、軍のエリート将校から転進した者が多い)を多数輩出してきた教育機関ですから、韓国郵政がその節目の年に記念切手を発行するのも至極当然のことといえるのですが、今回の切手に関しては、“智・仁・勇”という漢字が表示されていることに注目したいところです。

 1910年の韓国併合当時、朝鮮の識字率は非常に低いものでした。このため、朝鮮総督府は、日本語による学校教育と併行して、初等教育でのハングル使用を推進。この結果、漢字とハングルの混用という文体が急速に普及し、朝鮮内の識字率も飛躍的に向上していきます。

 ところが、解放後、日本語が漢字を使用していたことにくわえ、新羅以来の中国への従属の歴史への反発などもあって、漢字を排斥し、国語をハングルのみで表記しようとする機運が盛り上がることになります。この結果、1948年の大韓民国発足と同時に、いわゆるハングル専用法が施行され、制度としての漢字廃止運動が動き始めました。

 その後、李承晩政権下では漢字教育が行われたものの、朴正煕政権は1970年に漢字廃止宣言を発し、普通教育での漢字教育が全廃されます。同宣言は1972年には撤回されますが、中学・高校での漢文教育はあくまでも選択科目となり、受験にもほとんど無関係になったことから、韓国社会における漢字はしだいに“安楽死”の運命をたどっていきます。そして、1980年代も後半になると、新聞・雑誌での漢字使用の頻度は激減。漢字教育をほとんど受けていない世代が多数を占め、漢字を使用した出版物も需要がなくなってしまいました。

 こうした一連の動きのなかで社会的影響力を強めていったのがハングル学会です。1921年に朝鮮研究会として発足したハングル学会は、もともとハングルの普及を目的とした学術団体でしたが、植民地支配下での民族運動とも密接に関わっていたため、解放後は次第に漢字廃止を求める圧力団体へと変質。その過程で、同会の主張は教育界に浸透し、教育部(日本の文部科学省に相当)に大きな影響をあたえるようになったのみならず、全国教職員組合(日本の日教組に相当)にも「漢字教育は児童・生徒の負担を増やすだけであり(まぁ、どこの国でも組合教員というのは似たような発想をするもんですな)、韓国語に漢字は必要ない」と主張させることに成功しています。

 さらに、1987年の民主化宣言とともに、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者を中心に設立された『ハンギョレ新聞』(現『ハンギョレ』)が、民族主義の立場から漢字を一切使わないことを売り物に、統一よりも反共を優先する保守層を批判する論陣で部数を伸ばすなど、ハングル専用派は“革新”勢力と結びついて社会的影響力を強めていきました。

 これに対して、1990年代以降、実際に国民の多くが漢字を知らないという状況になると、保守層の中から、その弊害を指摘する声も少なからず上がるようになります。

 こうした状況の中で、元陸軍参謀総長の李在田やソウル大学教授の鄭秉学を中心とした漢字教育振興会(1998年に現在の全国漢字教育推進総連合会に改組)は、①漢字は東洋の英語である、②朝鮮語でも日本語並みに漢字を使用すべきである、③小学校での漢字教育を義務づける、という3大綱領を掲げて政府に対して漢字復活を求めるための活動を展開しました。

 漢字復活運動の先頭に立っていた李在田は陸軍参謀総長を務めた軍の大物OBで、朝鮮戦争時には自分の部隊で兵士に識字教育を施したことで知られています。すなわち、当時の韓国の教育水準では、そもそも識字率がきわめて低かったため、李は自分の部隊でハングルの読み書きが出来る兵卒と出来ない兵卒とを組ませ、3ヵ月後に学習成果が上がらない場合には処罰するという方式で兵士の識字率を飛躍的に向上させたのです。

 この実績を元に、退役後の李は戦争博物館の館長を務めるかたわら、漢字復活運動を開始。漢字教育の全面復活を最終目標として掲げ、道路標識や鉄道の駅やバス停の看板に漢字を併記させ、住民登録証の氏名欄に漢字を併記させるなどの成果を勝ち取っていきます。

 陸軍士官学校を題材とした今回の切手に漢字が取り上げられているのも、大物OBである李の意向を汲んだ士官学校の関係者が、切手のデザインに漢字を取り込むよう、郵政側に要望した結果と見るのが自然だとおもわれます。

 しかし、李らの漢字復活運動に対しては、ハングル専用派の激しい反発があり、間に挟まれた政府・教育部は、その後も対応に苦慮することになるのですが、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 スリランカ内戦終結
2009-05-19 Tue 13:30
 17日に敗北宣言を発表したスリランカの反政府武装勢力“タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)”の最高指導者・プラバカラン議長が、きのう(18日)、スリランカ政府軍の特殊部隊により殺害され、25年間に及ぶ内戦が完全に終結しました。というわけで、今日はスリランカネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 セイロン・ナーガ(1954)   セイロン・ナーガ(1958)

 これは、独立後のセイロン(現スリランカ)が発行した通常3セント切手ですが、1954年発行の左側の切手が国名表示(上から英語・シンハラ語・タミル語)以外は英語表記になっているのに対して、1958年発行の右側の切手は国名と額面こそシンハラ語・タミル語・英語ですが、それ以外はシンハラ語・タミル語のバイリンガル表示となっています。

 1948年に独立した当時のセイロンでは、人口の約74%がシンハラ人、約13%が古くから住んでいる“スリランカ・タミル人”、約5%がイギリス植民地時代にプランテーションへの労働力として移住させられてきた“インド・タミル人”という構成となっていました。イギリス植民地時代、人口の多数を占めるシンハラ人(主に仏教徒)が独立運動を展開していたのに対して、イギリス当局は、タミル人(主にヒンドゥー教徒)を重用していました。

 このため、独立後の政治体制に関しては、マイノリティのタミル人はシンハラ人と平等の立場を確保するため、一定の優遇措置を求めましたが、これは認められず、独立を控えた1947年の議会選挙の際には純然たる1人1票制が採用され、シンハラ人が政府内で多数派を獲得しました。さらに、インド・タミル人に関しては、1948年の“セイロン市民権法”で公民権が、翌1949年の“国会選挙法”では選挙権がそれぞれ剥奪されています。

 さらに、独立後の経済建設がうまく進まなかったことから、政府は国民の不満をそらすためにシンハラ政策を推進。1956年にはシンハラ・オンリー法を採択。植民地時代とは逆に、シンハラ人を優遇し、タミル人を差別する政策を取り始めます。

 政府のシンハラ人優遇(=タミル人差別)政策を不満とする一部タミル人は、インドのタミル・ナドゥ州及びスリランカのタミル人居住区から成る統一タミル人国家の創設を主張。これに対して、シンハラ人は、反タミル人・キャンペーンを展開し始め、両者の対立は激化していきます。1976年には、ヴェルピライ・プラブハカランにより“タミル・イーラム解放”(LTTE)のトラが設立され、1980年代以降の内戦の時代が始まったというわけです。

 さて、今回ご紹介の切手は、シンハラ人優遇政策が展開されていく過程で、植民地遺制の残滓を一掃することを意図して、左→右の形で図案改正されたわけですが、一応は、シンハラ語とタミル語を併記するというスタイルがとられています。さすがに、国民の2割弱を占めるタミル人の存在を完全に無視してしまうということは、現実的ではないと考えられたためでしょう。

 LTTEの壊滅により、四半世紀にも及ぶ内戦は一応終結はしましたが、タミル人の多くは、LTTEによるテロは是認しないものの、長年にわたってスリランカ政府から不当な差別待遇を受けてきたことについては依然として不満を持ち続けているわけで、問題が根本的に解決されたというわけではありません。今後は、シンハラ人とタミル人の長年の対立を超克した“スリランカ人”アイデンティティを創出することが求められていくわけですが、そのためには、その他の民族や宗教も複雑に絡み合ってくるわけで、道のりは険しそうです。

 なお、切手に取り上げられているのは、スリランカ中北部州・アヌラーダブラのアバヤギリ大塔の入口に建てられた守護石で、仏法の守護者として擬人化されたナーガの像が刻まれています。ナーガの表現方法は時代や地域によってさまざまなバリエーションがありますが、それらについては、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。


 * 昨日(18日)の午後、無事に香港から帰国いたしました。コミッショナーの岩崎善太さんご夫妻、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さんをはじめ、現地でお世話になった皆様には、あらためて、お礼申し上げます。


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 香港滞在最終日
2009-05-18 Mon 02:12
 早いもので、今回の香港滞在も最終日となりました。作品も無事に回収してきましたし、後は午前中の飛行機で日本へ戻るばかりです。というわけで、香港の“最終日”ネタということで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 英領香港最後の切手

 これは、英領香港最終日の1997年6月30日に発行された小型シートで、中央郵便局の局舎と英領香港切手の変遷がまとめられています。

 香港の中央郵便局(小型シート左上)は、アヘン戦争中の1841年、ヴィクトリアピークの中腹に設けられたのが最初です。その後、市街地の開発とともに郵便局も維多利亜の地域に移転し、1846年には畢打街と皇后大道中の交差点に2代目の局舎(小型シート右上)が設けられました。香港最初の切手が発売されたのは、この局舎の時代です。

 古き良き時代の香港の象徴として有名なエドワード様式の重厚な局舎(小型シート右下)は3代目で、1911年、2代目の局舎が手狭になったため、旧局舎から100メートルほど北側の海寄りの場所、つまり、西側を畢打街、北側を干諾道中、南側を輔道中で囲まれた一角に建てられました。ついでですから、当時の絵葉書の画像を下に貼っておきましょう。

 旧香港中央局(絵はがき)

 現在の中央郵便局(小型シート左下)は、そこからさらに北へ200メートル弱動いた場所、つまり、中環の康樂廣場に面したところにあります。中央郵便局が現在の場所に移ったのは、地下鉄の中環駅を建設するためで、かつての郵便局の跡地には27階建ての環球大廈が実質的な駅ビルのような格好で建っています。せっかくですから、現在の局舎が落成した際に発行された記念切手の画像も下に貼っておきます。

 香港中央局

 今回の切手展には、昨日の記事でも触れたテーマティク作品のほか、拙著『香港歴史漫郵記』を文献部門に出品しました。こちらは銀賞という結果でしたが、まぁ、順当なものでしょう。文献部門への出品は初めてだったのですが、これをきっかけに、モノ書きとしての仕事上の人脈も広げることができましたので、こちらは非常に有意義な経験だったと思います。

 なお、末筆ながら、コミッショナーの岩崎善太さん、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さんをはじめ、現地でお世話になった皆様には、あらためて、お礼申し上げます。


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 <HONG KONG 2009>受賞速報
2009-05-17 Sun 07:23
 14日から始まったアジア国際切手展<HONG KONG 2009>もいよいよ最終日です。昨日はパルマレスも行われ、以下のように各賞も決まりました。とりあえず、日本人出品者の受賞速報が出ていないようなので、掲載しておきましょう。受賞者の皆様にはお祝い申し上げます。

 なお、リストに誤りなどがあったらご容赦ください。フレーム番号順にアルファベットで敬称略のお名前(苗字は大文字)、点数:賞、の順です。

 FUKUI Kazuo 83:V
 HAYASHI Kunihhiro 83:V
 IIDA Fumio 83:V
 ITOH Sumihide 83:V
 NISHIKAWA Satoshi 88:LV
 SUDANI Nobuhiro 78:LS
 OHBA Mitsuhiro 85:LV
 INOUE Kazuyuki 96:LG + SP
 KOMIYAMA Satoshi 84:V
 NISHIO Akira 92:G
 NAITO Yosuke 85:LV

 この結果を踏まえて、現在の僕の心境を表す香港がらみのマテリアルとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 自沈するテーマ―号

 これは、1942年12月8日の開戦1周年に際して香港占領地総督部が発行した記念絵葉書の1枚で、香港のイギリス海軍の司令部として用いられていたテーマー号(添馬艦)が自沈する場面が取り上げられており、開戦1周年として非常にわかりやすい内容です。

 太平洋戦争開戦直前の香港では、日本軍がまさか香港を攻撃するはずがないし、仮に攻撃を受けても簡単に一蹴できるだろうという根拠のない楽観論が満ち溢れていました。しかし、実際には開戦からわずか18日で香港は陥落し、以後、3年8ヶ月にわたって日本の占領下に置かれることになります。まぁ、相手を甘く見ていると痛い目にあうのだという自戒の意味をこめて、持ってきました。

 僕個人としては、今回の切手展には過去2回の世界切手展(2001年の東京、2006年のワシントン)で金賞を受賞した作品を出品しましたので、金賞は固いと踏んでいたのですが、まさかの大金銀賞落ち、しかも点数ではワシントンの91点から大幅ダウンの85点という結果になり、正直に言うと、かなりショックでした。

 今回の敗因は、基本的には僕の力不足ですが、それ以外にも、FIPとFIAP(少なくとも今回の担当審査員)との間で、テーマティク・コレクションの概念について根本的な相違があるという面も否定できないようです。このあたりの事情については、いずれ、きちんとしたレポートをまとめるつもりです。

 なお、きょうは16:30に切手展がクローズした後、作品の撤去という大仕事が残っています。まぁ、いつまでも落ち込んでいても仕方ありません。気を取り直して、頑張らないと。 

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 インドの総選挙
2009-05-16 Sat 08:29
 4月16日から1ヶ月にわたり、5回に分けて投票が行われてきたインドの総選挙は、きょう(5月16日)、いよいよ開票です。香港展の会場にも、インド人がちらほらいますし、こんな切手を持ってきてみてもばちは当たらないでしょう。(画像はクリックで拡大されます)

 インド総選挙(1967)

 これは、1967年にインドが発行した“第4回総選挙”の切手です。があります。いわゆる記念切手というよりも、選挙の実施を広く周知し、国民に投票を呼び掛けるためのキャンペーン切手というべき性格のものといえましょう。

 インドは大統領を象徴的な国家元首とする議員内閣制ですから、総選挙の帰趨は政権の行方に直結します。

 インドの議会は連邦議会(上院・下院の2院制)と州議会で構成されており、国民の直接投票によって選ばれるのは各州議会や連邦下院の議員です。上院議員は各州議会から間接選挙で選ばれるほか、大統領の指名枠があります。上院は245議席、議員の任期は6年で、2年ごとに3分の1を改選、下院は545議席で任期5年(ただし、解散される場合もあります)となっています。

 下院の545議席のうち、2議席は大統領の指名枠で、アングロ・インディアン(植民地時代にイギリス人とインド人の間に生まれた人々とその子孫)に割り当てられ、残りの543議席がインド全土28州とデリー首都圏、6直轄領に1議席ずつ、残りは人口比に応じて配分する単純小選挙区制度(1選挙区1議席)となります。

 選挙区の区割りは前回(2004年)までは1977年に画定されたものがそのまま使われていましたが、今回は1票の格差を是正するため、499の選挙区で境界線が変更されました。ちなみに、長年にわたって選挙区の区割りが変更されなかったのは、単純に人口に比例した区割りとすると、連邦政府の方針に反して人口抑制策をとらない州が有利になるとの判断があったためです。

 また、社会的弱者に対する保護規定として、下院の543議席のうち、“指定カースト”に79議席、“指定部族”(山岳地帯などの少数貧困民族)に41議席が割り当てられています。

 なお、インドの識字率は現在でも65%程度にとどまっている(ただし、最も高いケーララ州で90%を超えているのに対して、最も低いビハール州では48%にとどまるなど、地域によって大きな開きがあります)ことに加え、多種多様な言語が用いられていることから、投票に際しては、有権者は支持する政党のシンボルマークにスタンプを押すという仕組みになっています。

 さて、今回ご紹介の切手が発行された1967年の総選挙では、与党の国民会議派が第一党を保ったものの、議席を大きく減らしましたが、今回はどうなりますかねぇ。ちなみに、選挙結果は、コンピューターを駆使して1日で結果が出ることになっているそうです。

 そういや、きょうはアジア国際切手展<HONG KONG 2009>の審査結果が発表される日ですが、僕としては、こちらの結果もかなり気になるところです。

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 ピエール・キュリー150年
2009-05-15 Fri 09:21
 キュリー夫人ことマリ・キュリーの夫で、物理学者のピエール・キュリーが1859年5月15日に生まれてから、きょうでちょうど150年です。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 キュリー夫妻

 これは、1938年にフランスが発行した“がん制圧”の寄附金つき切手で、ピエールとマリーのキュリー夫妻が描かれています。夫妻が放射性元素のラジウムを発見したのは1898年5月12日のことで、彼らはこのほかポロニウムも発見し、1903年にはノーベル物理学賞を受賞しました。なお、切手上には夫妻のラジウム発見は“1898年11月”との表示がありますが、これは、ラジウム発見が論文として発表された日付によるものです。

 ラジウムとポロニウムの発見はキュリー夫妻の共同作業によるものですが、ピエールは個人としても優れた業績を数多く残しています。なかでも、磁性の研究では、彼が、磁性体は温度を上げるとその性質を失うことを発見したしたことにちなみ、強磁性体が常磁性体に変化する転移温度のことを“キュリー温度(キュリー点)”と呼ぶのだそうです。これは、マリーとは無関係に、純粋にピエールの業績によるものです。

 もっとも、妻のマリーが独立以前のポーランド出身で、女性初のノーベル賞受賞者。さらに、夫が亡くなった後の1911年にはノーベル化学賞も受賞する(ちなみに、物理学賞と化学賞のダブル受賞は彼女だけです)など、経歴としてはかなり派手ですからねぇ。起伏に富んだマリーの生涯は伝記として読んでいても面白いでしょうけれど、地道な研究者であるピエールの生涯というのは、たしかに、ドラマ性には乏しいですな。彼の能力や業績というものとは全く無関係に、ピエール先生イコール“キュリー夫人の夫”というイメージが強くなってしまうのも、しかたのないことなのかもしれませんね。

 そういえば、学問・芸術の世界では、夫婦や親子での勲章受賞という例もしばしば見受けられるんですが、切手の世界では、親子で国際展のゴールド・メダリストになったという話は(少なくとも日本人では)あまり聞きませんねぇ。スタートからして2代目というのはかなり有利だと思うのですが、親父の道楽につきあわされてきた家族としては、切手なんかこりごり、というパターンが多いということなんでしょうか。まぁ、我が家もそうなりそうな雰囲気ではありますが…。


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 ファティマ聖母の行列
2009-05-14 Thu 05:10
 昨夜はお目当ての“ファティマ聖母の行列”をマカオで見て、香港のホテルに戻ってきました。というわけで、早速この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 ファティマの聖母(マカオ)

 これは、1949年2月1日、マカオで発行された“ファティマの聖母”の切手で、聖母と3人の子供たちが描かれています。なお、これと同じデザインの切手は、マカオを含むポルトガル領9地域(アンゴラ、カポ・ヴェルデ、マカオ、モザンビーク、ポルトガル領ギニア、ポルトガル領インド、サントメ・プリンシペ、東ティモール)で発行されています。

 1917年5月13日、ポルトガルの農村、ファティマで、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人の子供が羊の番をしているときに、突如“聖母”が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じます。ルシアは急いで両親にその出来事を報告。両親も最初は信じませんでしたが、噂が広がり、ファティマには大勢の参拝客が訪れるようになりました。

 聖母の予言は、第一次世界大戦の終結やロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、核兵器の使用やローマ教皇の暗殺事件などの内容を含んでいたとされています。その後、カトリック教会は聖母の出現を公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされるようになりました。ちなみに、3人の子供のうちのジャシンタとフランシスコは1919年から1920年にかけて流行の病で相次いで亡くなりましたが、その後、調査のために墓が開かれた際、ジャシンタの遺体の顔の部分は腐敗していなかったそうです。一方、残されたルシアは修道女となり、2005年2月13日に97歳で亡くなりました。

 マカオの“ファティマ聖母の行列”は、このエピソードにちなみ、聖職者が祈祷をあげるなか、白い装束に身を包んだ女性達によって聖母の像が掲げられ、聖ドミニコ教会からペンニャ教会まで厳かな行進が行われるというものです。

 ちなみに、行列で使われるマリア像と出発地の聖ドミニコ教会はこんな感じ(↓)です。

 行列で使うマリア像   聖ドミニコ教会(マカオ)

 この像が、こんな感じ(↓)で運ばれていきます。ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人に扮した子供も一緒に像に歩きます。左から、出発時の風景、教会を出るところ、街中の風景(背景にマカオを代表するカジノ、グランド・リスボアが映っています)です。

 聖母の出発   聖母、教会を出る   街中の聖母

 で、下の画像はゴールのペンニャ教会とそこに入っていく場面です。

 ペンニャ教会   ペンニャ教会に入る聖母

 最終的にはこんな感じ(↓)でペンニャ教会に落ち着きます。この間、1時間半弱といったところでしょうか。最後まで付き合うと、記念に白バラをくれます。香港へ帰る時に、カバンその他の荷物あって手に持って行くのが難しかったので、ジャケットの胸にさして持ち帰りました。やっぱり、滅多なところに捨てたりすると、罰が当たりそうですからね。現在、香港のホテルの部屋のコップに水を入れて、テーブルの上に飾ってあります。

 行列完了   行列終了後の筆者

 “ファティマ聖母の行列”はカトリックの重要な宗教行事ということで、マカオのみならず、各国からも大勢の観光客が詰めかけており、大変な混雑でした。僕自身はカトリックの信者ではないのですが、そこは“八百万の神”の国の人間ゆえ、しっかりと拝んできました。さてさて、そのご利益やいかに。
 
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 マカオに来ています
2009-05-13 Wed 08:12
 きのう(12日)、作品の搬入をすませた後、あす(14日)の切手展オープンまではまるまる1日余裕があるので、マカオ1泊旅行にやってきました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 中国ポルトガル共同宣言   媽閣廟  

 これは、1987年に「マカオ問題に関する中葡共同声明」が調印されたことを受けて、中国が発行した記念はがきで、左側にはマカオのシンボルともいうべき媽閣廟の写真が印刷されています。切手と同じような角度から写真を撮ってみたのですが、屋根などが修復されていたり、赤い提灯がぶら下がっていたり(そのため、媽閣廟の文字の一部が見えません)して、20年前とはかなり雰囲気が違っています。

 1984年12月19日、香港返還を決めた英中共同声明が署名されたことを受けて、マカオ問題に関する中国とポルトガルの交渉が開始されたのは1986年のことです。そして、翌1987年4月、マカオは中国の領土であり、ポルトガルは1999年12月19日までマカオの行政管理責任を有し、中国は翌20日にマカオに対し主権を回復することを定めた中葡共同声明が署名されました。中華人民共和国の特別行政区なったマカオが、以後50年間、ポルトガル領時代の社会・経済制度が維持されるとされたのは、香港の場合と同様です。

 さて、葉書の左側に取り上げられている媽閣廟は、中国南部や台湾などで広く信仰されている航海の女神“阿媽”を祀ったマカオ最古の中国寺院です。寺院の由来については、次のような伝説があります。すなわち、その昔、福建から広東に旅立つ船団の一隻が、お金がなく乗船を断られた娘を乗せてやったところ、娘を乗せた船だけが途中の嵐にも遭難せず、無事にマカオにたどり着きました。マカオ到着後、船乗りがふと見ると、娘の姿はそこにはなく、やがて女神の姿となって陸に現れたので、その場所に媽閣廟が建てられたそうです。

 廟の正門をくぐると、階段に沿って、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿、観音閣の4つのお堂が建っており、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿には阿媽と道教の神が、一番上の観音閣は仏教の観音が祀られています。なお、“媽閣廟”を広東語で発音すると「マァコッミュウ」となることから、16世紀にこの地を訪れたポルトガル人が、これを地名と勘違いしたことが、現在のマカオの地名の由来となのだとか。

 さて、きょうはこの後、マカオの世界遺産なんかをのんびり見物した後、夕方からは年に一度のカトリックの宗教行事“ファティマ聖母の行列”(実はこれが見たくて、マカオに来たのです)を見てから香港に戻る予定です。
 
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 切手展の会場今昔
2009-05-12 Tue 12:09
 きのう(11日)23:00前に、無事、香港に到着しました。今日は14:00から会場に行って作品を搬入してきます。というわけで、会場の建物を描くこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
 
 香港会議展覧中心   香港会議展覧中心(2009)

 これは、英領時代の1989年10月5日に発行された“香港の未来のための建設”と題する6種セットのうち、今回の切手展の会場となる香港會議展覧中心(コンベンションセンター)を取り上げた1枚です。切手に取り上げられているのは、新翼棟(後述)ができる前の状態ですので現在とはかなり雰囲気が違っています。参考までに、現在の建物の様子をスターフェリーから撮ってみましたので、隣にならべておきましょう。

 さて、香港会議展覧中心は、香港島北部の灣仔に位置しており、旧翼棟と新翼棟に分かれています。

 このうち、 旧翼棟は1988年11月の完成。地上51階建て、高さ181mの超高層ビルで、劉榮廣と伍振民が設計しました。下層がコンベンション施設、上層がホテル(グランドハイアット香港とルネッサンスハーバービュー香港)になっています。

 一方、1994年から1997年にかけて建設された新翼棟は、ヴィクトリア湾に突き出る灣仔地区の最突端に位置しており、アメリカの設計会社SOMが設計しました。旧翼棟とは空中回廊で結ばれています。1997年7月1日に行われた香港返還の式典会場として用いられたほか、各種フェアや、イベント、国際会議などが頻繁に行われています。

 この切手が発行された1989年は6月にいわゆる天安門事件が起こっており、香港では将来への不安から景気が急速に減速していました。また、1997年の“返還”に対しては、香港内のみならず国際社会からも「イギリスは香港の住民を独裁政権の手に売り渡すのか」という批判が噴出しています。

 こうした状況の中で、香港政庁は1989年10月に総額1270億香港ドルに達する総合的な社会資本整備計画(PADS)と発表。新空港ならびに中心部から空港までアクセスのための道路・鉄道、地下鉄新路線、大規模コンテナターミナルなど、香港の将来に向けた投資計画を前面に押し出すことで、景気を回復させ、香港経済に対する信任を回復しようとしました。今回ご紹介の切手もまた、そうしたタイミングで、返還後の香港の“将来”を強調し、少しでも香港社会の明るさを取り戻そうとの意図をこめて発行されたものです。

 しかし、中国側はPADSに対して、資金の負担が大きすぎ、返還後の香港の財政を悪化させると反発。事前に香港政庁からの説明がなかったこともあって、以後、PADS問題は英中間の懸案事項としてくすぶり続けることになります。

 このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。


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 香港に行ってきます
2009-05-11 Mon 14:08
 きょう(11日)の夕方から18日まで、アジア国際切手展<HONG KONG 2009>(会期は14-17日)に参加のため、香港に行ってきます。今回は、2011年に開催予定の東京での世界切手展のリハーサルのつもりで、“Japan and the 15 years' War 1931-45”を出品します。というわけで、今回の作品の内容に近いところで、”香港宛”のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 香港宛捕虜郵便

 これは、第二次大戦中、日本軍の捕虜になったイギリス側の香港歩兵旅団パンジャブ第14連隊第2大隊(英印軍)の大尉宛の捕虜郵便です。

 第二次大戦中、日本軍の占領下に置かれていた香港では、香港島の七姉妹道(ツァツムイ・ロード)、九龍の深水埗(シャムシュイポ)、亜皆老街(アーガイル・ストリート)の3ヵ所にカナダ軍を含むイギリス軍の捕虜が、赤柱(スタンレー)に香港政庁の文官、一般市民などが、そして九龍の馬頭涌道(マタウチュン・ロード)にインド国籍の兵士が、それぞれ収容されていました。

 このカバーは、1942年12月、イギリスのブリストルから差し出されたもので、まず、イギリス側で開封・検閲を受けています。その後、赤十字経由で東京の捕虜情報局を経て亜皆老街の収容所に送られ、収容所での検閲(カバーの右側には“香港俘虜収容所 檢閲済”の印があります)を受けた後、名宛人に渡されました。カバーの裏面には“1943年12月10日午後6時45分受取”との記述があります。

 戦時下のさまざまな制約の中で、1年間という時間はかかっているものの、ともかくも、このカバーは香港まで到着しています。新型インフルエンザ騒動などもあって、いろいろとややこしいことも多いでしょうが、まずは、僕もコレクションと一緒に無事、現地までたどり着きたいものです。
 
 なお、今回ご紹介のカバーは香港展に出品の作品中に含まれているものではないのですが、日本占領時代の香港については、拙著『香港歴史漫郵記』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 * 香港へは自分のパソコンを持って行き、あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元に、いつもどおり毎日1本ずつ記事を書いていく予定ですが、現地のネット環境等により更新できないことがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 母の日
2009-05-10 Sun 23:43
 きょうは母の日です。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』のなかで“母”の切手といえば、やっぱりこれだろうという定番の1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 法隆寺・摩耶夫人像
 
 これは、1981年に発行されたわが国の通常410円切手で、釈迦の母親である摩耶夫人像が取り上げられています。

 伝説によると、麻耶夫人は白い象が体内に入る夢を見て懐妊し、ルンビニー(現在はネパール領)の庭園で沙羅双樹の枝に触れた時に産気づいて、右わきの下から釈迦を生んだとされています。古代インドのバラモン教では、バラモン(僧)は神の頭から、クシャトリア(貴族)は神の腋から、ヴァイシャ(商工業に携わる平民)は神の股から、シュードラ(奴隷)は神の足首から生まれると考えられていましたので、釈迦の生誕伝説もこれにちなんだものなのでしょう。

 さて、切手に取り上げられた摩耶夫人像は、まさに、釈迦が夫人の脇の下から生まれおちる場面を表現したもので、7世紀の飛鳥時代の作品です。高さ16.6センチの夫人像を中心に、12-13センチの天人像4体が供奉する群像形式となっています。明治維新後の1878年に法隆寺から皇室に献納され、現在は東京国立博物館の法隆寺宝物館に保存されています。

 なお、昨年(2008年)、ネパールが発行した切手には、釈迦誕生の場面を取り上げたデオパタン出土のレリーフが取り上げられていますが、このレリーフに取り上げられている摩耶夫人とくらべると、今回ご紹介の像は、髪型や服装がかなり日本化されています。

 このように、同じ題材を扱っていても、国によって作られる像の姿はずいぶんと違ったものとなることは、各国の仏像切手を並べてみるとはっきりと見えて結果が見えてきます。拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、そうした仏像(切手)の比較もお楽しみいただけるよう、いろいろと工夫しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 ボロブドゥールの釈迦如来
2009-05-09 Sat 14:59
 シンガポール、マレーシア、インドネシアなどでは、今日(9日)が仏誕節です。というわけで、くどいようですが、仏誕節ネタということで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ボロブドゥール(1968)

 これは、1968年にインドネシアが発行したボロブドゥール遺跡保護の寄附金つき切手で、同遺跡の釈迦如来像が描かれています。

 インドネシア・ジャワ島中部にあるボロブドゥール寺院は、仏教を奉じるシャイレーンドラ朝が8世紀から9世紀にかけて建造した大寺院ですが、その構造は密教の曼荼羅を立体的に再現したものと言われています。

 曼荼羅とは、大日如来の説く真理や悟りの境地を視覚的に表現したもので、一般的には絵画など平面に表わされますが、ボロブドゥール遺跡のように諸尊の彫像を立体的に配置する羯麿曼荼羅(立体曼陀羅)と呼ばれるものも存在しています。

 ボロブドゥール寺院は、全体が基壇、方壇、円壇の3段の構成となっていますが、これは、それぞれ欲界、色界、無色界の三界を表現しており、人々はボロブドゥールに登る事で、三界を体験することができる構成になっています。そして、72基のストゥーパは三重円を描くように並び、頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる巨大なストゥーパがあり、天上をめざしています。この中心塔は空洞になっていますが、これは大乗仏教の真髄である“空”の思想を強調しているのだそうです。

 今回ご紹介の切手は、そうしたストゥーパを背景に横向きの釈迦如来像を取り上げたものですが、色合いが石造りの遺跡にぴったりの雰囲気ですな。

 なお、拙著『切手が伝える仏像』でも、ボロブドゥール遺跡については、3ページほど取って、いろいろなマテリアルをご紹介しておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 ラオス仏像切手の名品
2009-05-08 Fri 14:06
 きょう(8日)は、カンボジア、タイ、ラオスなどでは仏誕節の祝日です。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックだ拡大されます)

 ラオス・ブッダ2500年

 これは、1956年5月にラオスで発行された“ブッダ入滅2500年”の記念切手(航空切手)です。

 以前の記事でも書きましたが、歴史上の人物としての釈迦の誕生日は、インド暦の2月に相当するヴァイシャーカ月の満月の日としか記録がないため、中国では旧暦の2月15日が釈迦の誕生日とされていました。わが国の場合は、これをもとに、明治以降の太陽暦の採用で4月8日という日付が設定されましたが、国や地域によって暦が異なるため、西暦での仏誕節の日付も微妙に異なってきます。西暦2009年の場合は、4月8日が日本と台湾、2日が韓国、香港など、8日がカンボジア、タイ、ラオス、9日がシンガポール、マレーシア、インドネシア(10日も)、といった具合です。

 さて、今回ご紹介の切手は5種セット(フツーの記念切手3種、航空切手2種)のうちの最高額の30キップ切手です。デザインはいずれも、瞑想中の釈迦が魔物を調伏した様子を表現した“降魔像”の脇に托鉢を行う僧侶を配したもので、額面ごとに色違いとなっています。ちなみに、他の4種は単色刷ですが、この切手だけは2色刷りとなっており、最高額面としての貫録を示しています。

 独立後初期のラオスの切手は、フランスの政府印刷局による精巧な凹版印刷の綺麗なものが多く、単純素朴に見ていて楽しいのですが、その中でも、今回ご紹介のセットは仏像切手の名品として人気があります。新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介のモノ以外にも、ラオスの仏像切手をいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ボーア戦争の風刺絵葉書
2009-05-07 Thu 22:45
 来年のサッカーW杯開催国の南アフリカで、きのう(6日)、今年4月の総選挙で過半数を制した与党・アフリカ民族会議(ANC)の議長、ジェーコブ・ズマ氏が新大統領に選ばれました。というわけで、南アフリカがらみのネタは何かないかと探してみたところ、こんなモノが見つかりました。(画像はクリックで拡大されます)

 ボーア戦争絵葉書  ボーア戦争絵葉書(裏)

 これは、1900年にドイツで使われた風刺絵葉書で、当時、(第2次)ボーア戦争の泥沼にはまり込んでいたイギリスを皮肉る風刺画が描かれています。

 1886年、ヨハネスブルク近郊で金鉱が発見されると、当時、この地域を支配していたボーア人(オランダ系移民)のトランスヴァール共和国は、多くの企業を誘致し地代を負担させることで大きな利益を上げるようになりました。これに目をつけた大英帝国は、1899年、「ボーア人は黒人奴隷を虐待しているから、ボーア人の専制体制から黒人を救うのだ」との大義面分を掲げて、トランスヴァールと隣接するオレンジ自由国への侵略戦争を開始しました。

 50万もの大軍を投入するイギリスに対して、ボーア人はゲリラ戦術で激しく抵抗。大苦戦を余儀なくされたイギリスは、ボーア人ゲリラに対する食糧補給を断つべく、ボーア人の婦女子を強制収容所に隔離するなど、なりふり構わぬ戦術を展開しました。ちなみに、後にヒトラー政権はユダヤ人の収容所に“強制収容所”との名前を付けていますが、これは、ボーア戦争時のイギリスの先例に倣ったものと言われています。

 イギリスによる“汚い戦争”に対しては、当然のことながら、国際的な非難が集中しました。今回ご紹介の葉書も、そうした状況の下で、トランスヴァールとオレンジ自由国の抵抗で苦戦するイギリスを揶揄する内容のイラストが描かれています。

 最終的に、戦争は1902年にイギリスの勝利で終わり、トランスヴァールとオレンジ自由国はこの世から姿を消すことになります。しかし、戦勝国となったイギリスのダメージも大きく、以後、大英帝国は次第に衰退の道をたどっていくことになるのです。


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 鑑真忌
2009-05-06 Wed 23:42
 きょうは、天平宝字7年5月6日(西暦763年6月25日)に鑑真が亡くなったことにちなみ、“鑑真忌”なのだそうです。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 鑑真和上像

 これは、1980年に中国で発行された“鑑真和上帰国巡回展”の記念切手で、展覧会の主役である唐招提寺の鑑真和上像が取り上げられています。

 鑑真は、688年、唐の揚州江陽県の生まれ。14歳で出家し、律宗・天台宗を学びました。律宗の大家として4万人以上に授戒したとされる鑑真は、742年、日本から唐に渡った栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されると、弟子に問いかけて誰も渡日を希望する者がいなかったため、自ら渡日を決意。5回にわたり渡日を試みたものの失敗し、失明するなどの苦難の後、752年、仏舎利を携えてようやく日本に渡りました。

 その後、754年、平城京に到着した鑑真は、聖武上皇以下の歓待を受け、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けます。これが日本の登壇授戒の始まりとなり、以後、わが国の戒律制度が急速に整備されていったことは広く知られています。

 切手に取り上げられた鑑真和上像は、鑑真が亡くなった後、その死を惜しんだ弟子の忍基よってつくられたもので、わが国最古の肖像彫刻とされています。
 
 さて、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』は、基本的には、如来や菩薩などの仏教の信仰に登場する架空の存在の像についてまとめたものですが、一部、実在の高僧の肖像などの切手も取り上げています。それらについては、すべてをカバーしようとするとキリがないので、かなり対象を絞ったのですが、それでも、この鑑真和上像は不可欠の名品として採録しました。このほかにも、拙著では、仏教関係の肖像彫刻の傑作を取り上げた切手をよりすぐってご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 * 大型連休中、一部ネット書店では品切れとなり、ご迷惑をおかけしておりましたが、アマゾンならびにbk1の2大ネット書店では在庫切れはとりあえず解消されたもようです。今後とも、よろしくお願いいたします。
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 童子の切手
2009-05-05 Tue 21:26
 きょうは“こどもの日”です。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』で取り上げた切手のなかから、“童子”の1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 恵光童子

 これは、1988年2月、第3次国宝シリーズの第3集として発行された“慧光童子”の切手です。

 慧光童子は、不動明王に仕える“八大童子”の一人で、右手に金剛杵、左手に月輪の載った蓮華を持った姿で表現されます。ちなみに、明王とは、大日如来の命を受け、仏教に帰依しない民衆を強制的に帰依させようとする役割を担っており、如来が変化した姿とされていますが、その筆頭が大日如来の化身とされる不動明王です。

 切手に取り上げられているのは、高野山金剛峯寺・不動堂にあるもので、鎌倉時代の仏師・快慶の作品とされています。また、像の眼は水晶がはめ込まれた玉眼となっており、きりっとした表情の美少年にしあがっています。

 ちなみに、高野山の八大童子の中では、今回ご紹介の慧光童子のほかに、慧喜童子、矜羯羅童子、制多迦童子の4体が切手に取り上げられていますが、残りの4体は切手には取り上げられないんでしょうかねぇ。収集家の性としては、ともかくも、コンプリートにしてほしいという気分なんですが…。

 なお、今回ご紹介の慧光童子に関しては、<解説・戦後記念切手>シリーズの次集・第7巻で取り上げることになると思いますが、制多迦童子については、第5巻の『沖縄・高松塚の時代』でもとりあげておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 打破専制枷鎖 争取民主自由
2009-05-04 Mon 21:49
 1919年に中国でいわゆる“五四運動”が起こってから、きょうでちょうど90年です。というわけで、五四運動がらみのモノということでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 五四運動(解放区・タテ目打もれ)

 これは、“五四運動”28周年にあたる1947年5月4日、中国東北部(満洲)における“解放区”(共産党支配地域)の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した記念切手です。このとき発行された切手は10円・30円・50円の3種で、デザインはすべて抑圧の象徴である鎖を断ち切る斧を描くモノで、両脇に「打破専制枷鎖 争取民主自由」(専制の鎖と枷を打破して民主と自由を奪い取ろう)とのスローガンが入っています。まぁ、きょうは“みどりの日”でもありますし、そのうちの10円の切手のタテ目打もれのペアを持ってきました。

 いわゆる“五四運動”は、第一次大戦中、ドイツに宣戦布告した中華民国は“戦勝国”であるにもかかわらず、パリ講和会議において旧山東省の旧ドイツ権益が中国側に返還されず、大戦中の既成事実をもとに日本に譲渡することが認められたことに対して、北京の学生数千人が1919年5月4日、天安門広場からヴェルサイユ条約反対や親日派要人の罷免などを要求してデモ行進をしたり、曹汝霖宅を焼き討ちにしたりした事件です。

 現在の中国共産政府は、中国共産党が五四運動の影響から誕生したこともあって、この事件をナショナリズムが真に大衆化した転機として高く評価しています。しかし、実際に五四運動のときのように、学生たちの矛先が体制批判に向かうことに対しては容赦のない弾圧が繰り返されています。

 たとえば、いまから20年前の1989年5月4日は五四運動の70周年にあたっていましたが、その直前の4月の胡耀邦(元総書記)の死を悼むかたちで、政府・党幹部の腐敗と汚職、小平による人治(超法規的な君臨)への不満から、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生しています。これに対して、中国政府は5月19日に北京に戒厳令を布告。6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲し、民主化運動を力ずくで鎮圧したことはご記憶の方も多いことでしょう。

 いわゆる1989年の天安門事件に限らず、共産党政権の下で自由や民主を求めてきた人々がたどってきた運命を思い起こしてみると、今回ご紹介の切手に印刷されている「打破専制枷鎖 争取民主自由」というスローガが、なんとも強烈なブラック・ジョークにしか思えないのは、決して僕だけではないだろうと思います。


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 台湾の独自性⑥
2009-05-03 Sun 22:24
 雑誌『東亜』の2009年5月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、今回は国共内戦時代の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 旧台幣加刷

 これは、国共内戦下の1949年2月、台湾で発行された加刷切手で、台切手の額面3円が3000円に改定されています。

 中国国民政府(以下、国府)による接収直後の台湾では、当初、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が流通していました。国民党政権は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ぶ)を発行・流通させましたが、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用されていた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情がありました。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 通貨制度が異なれば、当然、切手も別のものとなるわけで、その意味では、1945-49年の国共内戦の時期でさえ、中国中央政府は本土と同一の切手を台湾で使用することができなかったといってよいでしょう。このことは、今回の連載で一貫してお話ししているように、いわゆる“一つの中国”が歴史的には全く根拠のないデタラメでしかなく、台湾が(少なくとも郵便という面では)いままで一度も“中国”に組み込まれたことはなかったことの何よりの証拠といってよいでしょう。

 さて、共産党との内戦に追われていた国府には台湾に良質の人材を配置する余裕はなかったこともあって、台湾に進駐してきた外省人には“十官九貪”とよばれたほど貪官汚吏が多かったようです。じっさい、復興に使われるべき工場施設や備蓄されていた米や砂糖を投機のために上海や南京に売り飛ばすことが横行し、「1年の豊作で3年食べられる」といわれた台湾で、日本統治下では戦争末期にもなかったほどの深刻なコメ不足が発生しています。島から逃げ出す犬(強圧的ではあったが規律のあった日本人)と入ってくる豚(無規律で腐敗・無能が蔓延する外省人)を並べ、「犬は人間を守ることはできるが、豚はただ喰って眠るだけだ」と記した風刺画が各所に貼られたのは、この時期のことです。これに対して、外相人の官吏は本省人(第2次大戦以前からの台湾居住者)の“奴隷根性”を批判。両者の溝は深まるばかりでした。

 こうした状況の中で、本省人の不満が爆発したのが1947年の2・28事件(台湾大虐殺)でした。大陸から大規模な軍隊を投入して3月末までに“暴徒”を鎮圧し、体制に批判的な市民を徹底的に弾圧した国府は、同年7月10日には孫文の肖像を描くオリジナル・デザインの切手を発行しています。切手に描かれている孫文の肖像は、大陸で発行されていた切手と同じですが、周囲のフレームは大陸のものが梅花模様であるのに対して、台湾のものは南洋の植物となっています。こうしたところから、口先でどのように美辞麗句を並べようと、台湾は大陸とは異質の存在であるという認識が透けて見えるように思えるのは僕だけではないでしょう。

 さて、1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行しました。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。

 こうした状況の中で郵便料金も目まぐるしく値上げされ、新料金に対応するために従来の切手に新額面を加刷した切手も盛んに発行されました。今回ご紹介している切手も、そうした状況に対応して発行された1枚です。

 その後、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施します。これが、現在でも台湾で流通しているNTドル(新台幣)のルーツです。ちなみに、国府が正式に台北に移転したのは、それからおよそ2ヵ月後の12月7日のことでした。
 

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 韓国の仏誕節
2009-05-02 Sat 15:03
 きょう(2日)は韓国では仏誕節の祝日です。というわけで、新刊の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックだ拡大されます)

 慶州石窟庵(1977)
 
 これは、1977年に韓国で発行された釈迦生誕2600年記念の小型シートで、慶州石窟庵の釈迦如来像が取り上げられています。

 わが国では、釈迦の誕生日を祝う“花まつり”は毎年、太陽暦の4月8日に固定されていますが、仏誕節については、各国が独自の伝統的な暦で祝うことが多いため、国によって日付が変わってきます。ちなみに、釈迦の誕生日は、インド暦の2月に相当するヴァイシャーカ月の満月の日としか記録がないため、中国では旧暦の2月15日が釈迦の誕生日とされていました。わが国の場合は、これをもとに、明治以降の太陽暦の採用で4月8日という日付が設定されたわけです。

 さて、今回ご紹介の小型シートに取り上げられている石窟庵の仏像は、西暦8世紀頃、新羅の景徳王の時代、宰相の金大城が、当時都の置かれていた慶州近郊に建立したもので、朝鮮美術を代表する傑作とされています。

 像の印相(手の形)は右手指を下に向け地面に触れている降魔印(触地印)の形をとっています。これは悟りを得る前の釈迦がガヤー村(現ブッダガヤー)の菩提樹の下で瞑想にふけっていた際、それを妨害する魔物を調伏した様子を表現したものです。こうしたこともあって、タイなどでは、魔除けのお守りに刻まれる仏像は、このスタイルをとることが多いようです。

 さて、感染の疑いがあるとされていた日本の高校生の病気は新型インフルエンザではなく、旧ソ連型だったことがわかりましたが、昨日の記事で取り上げた香港では、とうとう、アジアで最初の感染者が出てしまいました。しかも、感染者が出て最低7日間の封鎖処分となったホテルというのは、僕が11日からの香港行きにあたって予約を入れていたところなので、さきほど、慌てて別の宿を手配したところです。

 ちなみに、香港でも今年の仏誕節は今日(2日)ですが、新型インフルエンザという現代の魔物も早く調伏していただきたいものですな。


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