内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界漫遊記:5つの修道院②
2009-09-30 Wed 11:32
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2009年10月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、前回に続きルーマニア北東部・南ブコヴィナの“5つの修道院”の2回目。今回は、そのなかから、こんなモノをもってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 モルドヴィツァ修道院   モルドヴィツァ修道院(実物)

 左は、モルドヴィツァ修道院を取り上げた1967年の切手で、右は、切手と同じ角度から撮影した修道院の建物です。

 現在のモルドヴィツァ修道院の場所には、もともと、アレクサンドル善公が1410年に物見の塔のある要塞を兼ねた石造りの教会を建てたといわれています。これをもとに、1532年、モルダヴィア公のペトゥル・ラレシュが要塞としての防御機能を強化して建てたのが現在の修道院の原型です。

 ペトゥル・ラレシュの時代、モルダヴィア公国はオスマン帝国に膝を屈し、その宗主権を認めて貢納を行う属国となりました。その一方で、オスマン帝国はモルダヴィアに対して一定の自治権を与えていたため、ルーマニア人貴族の勢力は温存され、結果的に、公国は平和と繁栄を享受しています。こうした時代環境の下で、モルドヴィツァ修道院では「(626年の)コンスタンティノープル攻防戦」の緻密なフレスコ画が壁に描かれ、史実のペルシャ軍をオスマン帝国風の服装や装備で描くというかたちで表現しています。

 なお、前回の連載記事でご紹介したヴォロネツ修道院の壁画が、ヴォロネツ・ブルーと呼ばれる独特の青色を基調としているのに対して、こちらは赤が印象的な画面構成になっており、両者の対比もなかなか興味深いものです。

 さて、今年はチャウシェスクの処刑で全世界に衝撃を与えたルーマニアの民主革命から20周年にあたります。これにあわせて、彩流社の“切手紀行シリーズ”の第2弾として、ルーマニアを舞台とした拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』を11月5日付で刊行する予定です。192頁のオールカラーで、本体定価は2800円です。すでに、入稿は済ませており、月末には現物ができあがってくると思いますので、何卒よろしくお願いします。

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 イロイロのスタンプレス・カバー
2009-09-29 Tue 22:32
 台風16号がフィリピンを直撃し、首都マニラとその周辺地域に例年の1カ月分以上に相当する雨を24時間で降らした結果、マニラの約80%が洪水被害を受けたほか、きょう(29日)までに死者240人が出たほか、180万人以上が被災し、37万5000人が避難所生活を余儀なくされているそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 イロイロ暫定カバー

 これは、1945年4月19日、フィリピン中部ヴィサヤ諸島のパナイ島南岸にあるイロイロから差し出されたカバーです。

 第2次大戦末期の1944年10月、マッカーサーは“アイ・シャル・リターン”の公約を実現してレイテ島に再上陸。以後、米軍は再占領した地域で郵便業務を再開し、戦前の切手に“VICTORY”と加刷した暫定切手を使用しました。しかし、地域によっては暫定切手の配給が間に合わないケースもままあり、そのような場合には、今回ご紹介しているようなスタンプレス・カバー(切手なしの郵便物)が使用されたというわけです。

 今回のスタンプレス・カバーの場合は、印の横にPaid(支払済み)の書き込みがありますが、災害時などには、洋の東西を問わず、被災者のための無料郵便が行われることがあります。わが国でも、阪神淡路大震災の際にはそうしたサービスが行われていますが、今回のフィリピンでも似たような無料郵便が行われるかもしれません。

 とまれ、一日も早い復興をお祈りしております。

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 朝青龍のお気に入り
2009-09-28 Mon 11:44
 大相撲秋場所は、朝青龍が白鵬とのモンゴル人同士の優勝決定戦を制し、4場所ぶり24度目の優勝を飾って幕を閉じました。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ターラー菩薩(ガンドン寺)

 これは、1988年にモンゴルが発行した多羅菩薩(ターラー)像の切手です。

 ターラーはもともとインドの古代宗教タントラ教の女神でしたが、のちに仏教にとりいれられました。チベット密教では、観音菩薩が衆生の悲しみを取り払えないのに悲嘆し、こぼした涙から生まれたがゆえに、サンスクリットで瞳を意味するターラーの名がついたとされています。右の涙から生まれた白ターラー(長寿の菩薩)、左の涙から生まれた緑ターラー(願望成就の菩薩)の2種類がありますが、今回ご紹介の切手に取り上げられているのは緑ターラーです。

 切手の像は、モンゴルの初代活仏・ジェブツンダンパ・ホトクトで、モンゴル仏教美術の大成者としても知られるザナバザルの最高傑作とされているもので、かつて、朝青龍は、モンゴルの仏教徒としてこの像が一番好きだと話したことがあります。

 なお、ザナバザルの他の作品をとりあげた切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 『郵趣』今月の表紙:紅印花小字1円
2009-09-27 Sun 09:36
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年10月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月はこんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 紅印花

 これは、旧水原コレクションの名品として知られる“紅印花小字1円”です。

 1897年以前の清朝の郵便事情は非常に複雑で、実質的な清朝郵政として機能していた海関にくわえ、政府の公用便を運ぶ駅站、地方の官公署の文書を運ぶ文報局、民間の飛脚に相当する民信(日本の飛脚よりも相当に規模が大きく、シンガポール、マレー、ジャワにまで及ぶ通信網を完備していた業者もありました)、開港地に置かれた列強の郵便局、在住外国人の通信組織である書信館などが、それぞれ、併行して文書の通信を担っていました。
 
 1895年、日清戦争での敗北という事態に直面した清朝では、日本の明治維新をモデルとして立憲君主制を樹立しようとする変法の運動が起こり、科挙の改革、近代的な学校の建設、農工商業の振興、新式陸軍の建設などの詔勅が次々に発布されましたが(ただし、これらの改革は、守旧派の抵抗により、ほとんど実現されずに終わります)、その一環として、四分五裂状態にあった郵便の統一もはかられるようになり、海関総税務司のロバート・ハートは総理各国衙門を通じて「郵政開辨章程」を上奏。国家郵政発足のための具体的なプランを提案しました。ハートの上奏案は、1896年3月20日、皇帝の「覧」を得て、1897年2月の国家郵政(大清郵政局)の開業へ向けての具体的な動きがスタートします。

 この過程で、郵便料金の基準通貨も、海関時代の銀両から、中国自鋳の銀円(当時、民間では「洋銀」と呼ばれていた)に変更され、新通貨に対応した切手を発行する必要が生じました。ちなみに、それまで海関郵政が発行していた切手の額面は、銅銭表示(銅銭16枚で1カンダリン、洋銀1ドルは銅銭1000枚)です。

 当初、ハートらは、切手の製造をロンドンのウォータールー・アンド・サン社(Waterlow & Sons Co. Ltd. 中国語では華徳路公司)に発注する予定でしたが、ロンドンに切手製造を発注していたのでは、1897年2月の開業までに新切手の到着は、とうてい、間に合わいません。このため、応急的な措置として、東京の築地活版製作所(書信館切手を製造した実績がありました)に新切手と消印の製造が発注されました。しかし、それでも、国家郵政の開業に間に合わせて切手と消印を納品することは不可能であったため(ちなみに、築地活版製作所がつくった切手が発行されたのは、1897年8月のことです)、郵政局は、海関時代の切手に「暫作 洋銀 X分」と加刷した切手を暫定的に発行することとし、上海にあった海関の印刷工場(上海海関造冊處)で加刷作業を行うことで対応しました。これらの切手は、その加刷の文字から、「暫作洋銀加蓋票(加蓋は加刷、票は切手の意)」と呼ばれています。

 そうした加刷切手の中で、額面3セントの赤色の印紙に加刷したものが“紅印花”です。紅印花には加刷文字の大小のほか、さまざまなバラエティが存在していますが、その中でもずば抜けて少ないのが額面部分の文字が小さな小字加刷のうちの1円切手で、現在確認されている枚数はわずか32枚とされています。今回、ご紹介の切手は、そのなかでも“dollar”の後のピリオドが漏れたユニークな存在です。

 ちなみに、一般に“紅学”というと、中国の長編白話小説『紅楼夢』の専門研究のことを指しますが、フィラテリーの世界では“紅印花”の専門収集・研究のことを意味しており、“小字1円”については1点ずつ番号がふられており、その所蔵歴なども明らかにされています。

 なお、清朝国家郵政の発足と前後して中国大陸でも活動していた築地活版製作所については、拙著『外国切手に描かれた日本』でもまとめてみたことがありますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 伊勢湾台風50年
2009-09-26 Sat 11:43
 1959年9月26日に伊勢湾台風が日本に上陸してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 桑名

 これは、1959年10月4日に発行された国際文通週間の切手で、広重の『東海道五十三次』のうちの「桑名」が取り上げられています。

 桑名は西暦10世紀に源順によって編纂された『和名抄(倭名類従抄ともいう)』にも登場する古い土地で、室町時代以降、伊勢湾の要港として発展しましたが、1959年の伊勢湾台風では甚大な被害を被りました。

 すなわち、台風により、桑名市は市街地まで床上浸水し、桑名郵便局にいたっては1.5メートルの床上浸水という被害に見舞われたほか、職員の多くも被災者となっており、局としての機能は完全に停止状態に陥ってしまいます。日常業務として取り扱う郵便物の処理もままならないまま、10月4日の切手発行初日の記念押印を求める郵便物が桑名局に殺到。このため、同局では、局長の判断で、やむを得ず記念押印関係の郵便物を名古屋郵政局に送り、しかるべく処理を引き受けてもらうことを検討しはじめました。

 こうした状況の中で、9月30日、地元の収集家・保田泰三が桑名局の状況を心配して同局を訪問。これを好機として局長は保田に善後策を相談します。

 相談を受けた保田は義侠心に駆られ、自分が記念押印の一切を引き受けることを申し出、特印の印顆が同局に到着した10月2日から桑名局2階の1室に陣取って、昼食もろくにとらずに郵頼の処理に邁進しました。当時、保田の自宅は、依然として胸まで水に浸かったままであったにもかかわらず、です。また、この間、やはり収集家の石井澄雄が同局を訪れ、保田の作業を手伝っています。

 さて、郵頼による記念押印のうち、台風の通過以前に桑名局に到着していたものは、10月2日の時点で、すでに泥水に浸って異臭を放っており、水洗乾燥してみても宛名の読めないものが多く、処理作業は難航しました。それでも、保田らは滲んだインクを判読し、依頼者に対して実情を記した照会の文書を返信はがき同封の上で郵送し、その返事を待って指示通りに処理をするという誠意あふれる対応をしています。このうち、そのままのカバーでよいと回答のあったものについては、返送の際、台風のために水濡した旨を記す紙片が同封されたのだそうです。

 あいにく、僕はこの“紙片”の実物を見たことがないのですが、昭和史に残る伊勢湾台風の痕跡が生々しく記録されたマテリアルですからねぇ。いずれは入手したいものです。 

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 きょうからハプスブルク展
2009-09-25 Fri 12:40
 きょう(25日)から東京・六本木の国立新美術館でTHEハプスブルク(ハプスブルク展)がスタートします。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 クローンシュタット消印

 これは、1850年に発行されたオーストリア最初の切手のうちの6クロイツァー切手で、クローンシュタット(現ルーマニア領ブラショフ)の消印が押されています。ハプスブルク家の紋章が消印の文字の隙間に収まっていてハッキリと見えるので、持ってきました。

 首都ブカレストに次ぐルーマニア第2の都市、ブラショフの歴史は12世紀初にハンガリー王グーザ2世がザクセン人(ドイツ人)を入植させたことに始まります。この地のドイツ語名が、国王から与えられた都市ということで、英語のクラウン・シティに相当する“クローンシュタット”となっているのはこのためです。

 その後、1211年にはハンガリー王エンドレ2世の招きに応じて、国境防衛のためにテュートン騎士団(ドイツ騎士団)が“森の彼方の地方”すなわちトランシルヴァニアのブルツェンラント(これが、現在のブラショフ県の範囲にほぼ相当する)を所領として与えられましたが、“クローンシュタット”はその中心都市となりました。

 オスマン帝国との抗争を経て、1691年、トランシルヴァニアはハプスブルクの支配下に入ります。ハプスブルク体制の下、クローンシュタットの中心部は基本的にザクセン人の居住地とされ、人口の多数を占めるルーマニア人は城壁の外側に放逐されていました。彼らは城壁内に住むことを許されず、商売などのために城壁の内側の街区に入るには、特別の許可を得たうえで、城門のところで入場料を支払わなければなりませんでした。

 1850年の時点でも、クローンシュタットはオーストリアの支配下にありましたから、オーストリア切手が使われ、ドイツ語による地名表示の消印が使われていました。その後、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立すると、トランシルヴァニアはハンガリーの支配下に置かれ、ハンガリー切手が使用され、ハンガリー語の消印が使用されるようになります。これに伴い、消印の地名表示も“ブラッソ”と変更されました。

 第一次大戦後、戦勝国となったルーマニアは、ようやく、ルーマニア人が多数を占めるトランシルヴァニアを自国の領土に編入します。それに伴い、クローンシュタットないしはブラッソと呼ばれていたこの地も、ルーマニア語の“ブラショフ”が正式名称となり、ブラショフ表示の消印が使われるようになりました。

 さて、今年はチャウシェスクの処刑で全世界に衝撃を与えたルーマニアの民主革命から20周年にあたります。これにあわせて、11月には、彩流社の“切手紀行シリーズ”の第2弾として、ルーマニアを舞台とした拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』(仮題)を刊行する予定です。すでに、原稿はすべて書きあがっており、現在は編集作業中ですが、発売日や定価などが決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、どうかよろしくお願いします。


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 楽山の巨人
2009-09-24 Thu 09:27
 プロ野球のセリーグは巨人がリーグ優勝しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 樂山大仏

 これは、2003年に発行された楽山大仏の小型シートです。シートの英文表示は“Grand Buddha”ですが、英語版のWikipediaでは“Giant Buddha”となっていますので、まぁ、“ジャイアンツ”ネタとしても許してもらえるでしょう。

 楽山大仏は、唐代の713年、 水害を治めるため、峨眉山地域内の長江の支流である岷江・大渡河・青衣江が合流する地点の崖に、僧・海通が造立を始めました。海通の意図としては、大仏のご加護で水害を治めるということもさることながら、大仏造立の際に出た土砂を用いて治水工事を行うということがありました。

 海通は工事開始から30年後の743年に亡くなりますが、その後も工事は続けられ、803年に像高59.98m(施設全高は約71m)、像幅28.5mの巨大な大仏が完成しました。これは近代以前の仏像としては最大のものです。今回ご紹介の切手は像の完成から1200年を記念して発行されました。

 さて、大仏は弥勒菩薩像です。わが国では弥勒菩薩といえば半跏思惟像(椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿)のイメージが強いのですが、世界的にみると、必ずしも半跏思惟像ばかりではなく、座像や立像もあります。ちなみに、近代以前の仏像として、楽山大仏に次ぐ世界第2位の大きさを誇っていたバーミヤーンの大仏も弥勒菩薩です。これら、さまざまな形態の弥勒菩薩については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 ティミショアラの大聖堂前で
2009-09-23 Wed 15:32
 今日は彼岸の中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、現在制作中の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』(仮題・11月刊行予定)に掲載予定のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ティミショアラ(追悼)

 これは、1990年にルーマニアが発行した民主革命1周年の記念切手で、ティミショアラの大聖堂前で犠牲者を悼む人々が取り上げられています。

 1989年のルーマニア革命は、同年12月16日、チャウシェスク政権がハンガリー系の牧師で人権活動家のラースロー・テケシュをティミショアラから追放しようとしたことに反発した住民が、これを阻止しようとして教会を取り囲み、出動した治安警察部隊と衝突したことから始まりました。

 テケシュを連行しようとする治安警察に対して怒りを爆発させた多くの市民は、市内中心部に集まり、共産党ティミショアラ県委員会本部がある市役所に乱入。書類を破り、チャウシェスクの肖像画を窓から投げ捨て、街路で火をつけるなど、ティミショアラは騒乱状態となりました。

 これに対して、チャウシェスクは“暴徒”の徹底弾圧を指示し、治安警察に対して「党の建物に侵入した者を生きたまま帰すな」と厳命。翌17日には、ティミショアラに内務省秘密警察、国境警備隊、治安警察の応援部隊を派遣し、市内中心部のオペラ劇場付近に集まっていた市民に対して自動小銃や装甲車の車載銃などで発砲します。この結果、多数の死傷者が生じ、大聖堂正面の階段は、堂内に逃げ込もうとしたものの、背後から治安部隊の銃弾を受けた子供たちの鮮血で赤く染まったといわれています。また、鎮圧にあたった治安部隊の装甲車に轢き殺された子供や老人も少なくありませんでした。

 このティミショアラの惨劇が、チャウシェスク政権の圧政に対するルーマニア国民の怒りを爆発させる結果となり、政権の打倒につながっていくのです。ちなみに、ティミショアラの大聖堂前には、革命の犠牲者を悼むためのこんな十字架が立っていました。

 ティミショアラ・十字架 

 さて、今年はチャウシェスクの処刑で全世界に衝撃を与えたルーマニアの民主革命から20周年にあたります。これにあわせて、11月には、彩流社の“切手紀行シリーズ”の第2弾として、ルーマニアを舞台とした拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』(仮題)を刊行する予定です。すでに、原稿はすべて書きあがっており、現在は編集作業を進めているところですが、発売日は定価などが決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、どうかよろしくお願いします。

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 切手を作った人々:加曾利鼎造 ⑤
2009-09-22 Tue 10:13
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(9月26日実施)のカタログ第6号ができあがりました。今回の表紙には、原爆投下直後のエノラ・ゲイ搭乗員の差し出した手紙が取り上げられていますが、オマケの読み物として僕が担当している連載「切手を作った人々」は加曾利鼎造の5回目。今回はこんなモノを取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

 教育勅語2銭   教育勅語下賜(原画)
 
 これは、1940年10月25日に発行された“教育勅語渙発50年”の記念切手のうちの2銭切手で、東京・青山の聖徳記念絵画館に展示されている安宅安五郎の「教育勅語下賜」が取り上げられています。右側がその原画です。

 絵画作品を切手に取り上げる場合に、オリジナルの絵画を写真複製したうえで担当デザイナーが切手として画面構成するというスタイルが採られるようになったのは、わが国の場合、1948年発行の“見返り美人”以降のことで、それ以前は、デザイナーが原画を模写していました。その最初のものが、渡辺崋山の「富嶽図」を取り上げた1936年用の年賀切手ですが、その原画を模写したのも加曾利鼎造でした。

 ところが、この切手に関しては、加曾利は原画を忠実に模写したため、切手の小さな画面では原画の持ち味が上手く再現できていないなどと、印刷局の矢野道也らから酷評されてしまいました。こうした経験を踏まえて、制作されたのが今回ご紹介の切手です。

 加曾利の模写した切手原画では、オリジナルの絵画のうち、首相の山縣有朋が文相の芳川顕正に勅語を捧持させて退出する場面を中心にトリミングされており、建物の2階部分や画面左側の黄葉した樹木などはカットされています。絵画作品として見た場合、黄葉は勅語が発布された10月30日という時期の季節感を表現する上で重要な役割を果たすものなのですが、“崋山の富士”の時の、肝心の部分が小さすぎるとの批判を考慮して、主題をより直接的に表現する山縣と芳川の部分を強調したのでしょう。それでもなお、勅語を捧持して歩く二人の姿は、印面上では、注意してみないと見落としてしまうくらいに小さなものではあるのですが、今回は局式凹版による仕上がりが見事なものであったことに加え、教育勅語という題材もあってか、目立った批判はなかったようです。

 なお、教育勅語と切手との関係については、拙著『皇室切手』でも考察しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 

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 老公といえば
2009-09-21 Mon 14:50
 きょう(21日)は敬老の日です。というわけで、“老”にちなむモノということで、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ミルチャ老公

 これは、1968年にルーマニアが発行した“ミルチャ老公”ことミルチャ1世の切手です。

 ミルチャ老公はワラキア公(在位1386-1394、1397-1418)として、バルカンへの勢力拡大を狙うオスマン帝国との戦いに生涯を費やした人物です。1391年、彼はハンガリー王と結び、いったんはオスマン帝国の侵攻を撃退したものの、1395年にはオスマン帝国に敗北。トランシルヴァニアに逃れます。その後、ワラキアではダン1世がワラキア公となり、オスマン帝国への貢納を約束することになりますが、ハンガリーの支援を得たミルチャ老公はワラキア公として復位しました。ちなみに、当時のワラキアでは、ボイェリと呼ばれる封建貴族たちの中から、代表者をワラキア公として選ぶというシステムになっていたため、ワラキア公が数年で交代したり、間をおいて再選・三選されたりすることも珍しくはありません。

 老公の時代、ワラキアの国力は強まり、一時は史上最大の版図を有して、ドイツの年代記にも“全てのウングロ・ワラキア領、山脈を越えてタタール諸地域に達する領土、さらにアルマシュおよびファガラシュの両地域の大ヴォエヴォド及び君主であり、セヴェリン・バナート、全ポルナヴィアの両側と大洋に達する地域までの大ヴォエヴォおよび君主であり、またデウルストル要塞の支配者である”を記録されています。

 老公は、ハンガリーとの同盟によって、生涯を通じてオスマン帝国への抵抗を続けましたが、1415年、ついにオスマン帝国に屈し、1418年に亡くなりました。ちなみに、ドラキュラのモデルとされるヴラド3世は、老公の孫です。

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 荒船山
2009-09-20 Sun 20:40
  人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人さんが荒船山で遭難し、お亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 荒船山

 これは、1970年9月11日に発行された“妙技荒船佐久国定公園”の切手のうち、荒船山を描く1枚です。

 荒船山は群馬県と長野県の県境に位置し、標高1423m。南北約2km、東西約400mの溶岩台地で平坦な頂上部がある姿が、荒波を割って進む船を思わせることから、その名が付けられたといわれています。

 山の最高点は台地南側の行塚山(経塚山)で、北側には高さ170mに及ぶ大岩壁・艫岩(ともいわ)があります。今回、遺体が発見されたのは、その艫岩の絶壁の真下約100メートルの地点で、遺体は損傷が激しく、衣服も脱げており、身元を特定するような所持品は見当たらなかったのだとか。おそらく、切手では中央の台地の左側の部分なのでしょうが、切手の図案からも急峻な様子がよくわかります。

 それにしても、登山での事故というのはホントに多いですねぇ。秋の行楽シーズンで登山を楽しまれる方も多いと思われますが、くれぐれもお気を付けください。


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 詐欺を撲滅しよう!
2009-09-19 Sat 20:38
 きのう(18日)、鳩山内閣の副大臣ならびに政務官の人事が決まり、詐欺事件で有罪が確定(懲役2年・執行猶予5年。ただし、2009年2月26日に刑の言渡しは失効)した辻元清美元被告(前科1犯)が国土交通副大臣となりました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 詐欺防止

 これはカナダの郵便物に押されていた2009年4月7日付の消印で、“詐欺(被害)を防ごう”との意味の英語・フランス語の標語が入っています。

 近年、携帯電話やインターネットの急速な普及に伴い、振り込め詐欺やネット詐欺などの犯罪も増えており、各国ともその対応に頭を悩ませているのは周知のとおりです。そうしたなかで、こうした標語印を使用し、国民に対して注意を喚起するというのは意義のあることではなかろうかと思います。

 さて、犯罪を犯した人間であっても、刑に服し、罪を償えば社会復帰を果たすのは当然のことであり、そうした人々の更生を社会的にバックアップしていく必要があるのは言うまでもありません。ただし、そうはいっても、その人物が有罪判決を受けた事件と関係するような仕事に再び就くということに対しては、違和感をもつ人の方が多いのではないでしょうか。たとえば、飲酒運転で人を引き殺した元トラック運転手を雇おうというタクシー会社はないでしょうし、横領事件をおこした元銀行員に経理を任せようという会社があるとは思えません。

 この文脈で考えると、辻元が、執行猶予の期間を無事に過ごした後、どこかの会社に勤めるなり、事業を起こすなりすることに対しては応援する人があってもおかしくないと思いますが、臆面もなく国会議員選挙に立候補して当選を果たし、あろうことか、副大臣という政府の要職に就くということに対しては、どうにも納得がいかないという人も多いのではないでしょうか。彼女を選んだのは国民の意思だという人もあるかもしれませんが、日本の国会議員に対しては国民がリコール請求できない以上、それは国民全体の意思ではなく、あくまでも選挙区民の意思でしかありません。

 しかも、辻元は天皇制はなくすべきと主張して政治・言論活動を展開し、天皇陛下に頭を下げるのを拒否して国会開会式もボイコットし続けた人物ですが、その彼女が、副大臣に任命されたらいそいそと皇居「正殿 松の間」に出向き、陛下の御前で認証官任命式に臨むというのは、なんともさもしい感じがしてなりません。まぁ、彼女は護憲派を標榜し、なおかつ、天皇制の廃止を叫んでいるそうですが、天皇は日本国の象徴及び日本国民統合の象徴という憲法の規定についてはどう考えているんでしょうかねぇ。9条以外は“護憲”の対象にならないというのだとしたら、常人には理解しがたい思考回路ですな。

 そういえば、1997年9月の第2次橋本内閣で、ロッキード事件で有罪判決が確定(受託収賄罪で懲役2年執行猶予3年、追徴金200万円)した佐藤孝行が総務庁長官として初入閣を果たした際、前年に初当選を果たした辻元は佐藤に対して辞職を要求していたのではありませんでしたっけ。

 佐藤孝行の入閣が決まった時に大騒ぎしたマスコミが、なぜ、辻元のケースに関しては口をつぐんでいるのか、僕には全く理解できませんねぇ。


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 しまくとぅばの切手
2009-09-18 Fri 09:11
 9月18日は「く(9)とぅ(10)ば(8)」の語呂合せで、沖縄県の言葉「しまくとぅば(島言葉)」を奨励する“しまくとぅばの日”なのだそうです。というわけで、日本切手の中で“しまくとぅば”に関するものがないかと探してみたら、こんなモノが見つかりました。(画像はクリックで拡大されます)

 南波照間

 これは、1986年の“切手趣味週間”の切手で、菊池契月の「南波照間」が取り上げられています。

 南波照間とは、沖縄県八重山諸島最南端の有人島・波照間島のさらに南にあるとされた想像上の島(実在の島とする場合には、台湾島、緑島(火焼島)、蘭嶼島、ルソン島などの諸説があります)のことで、『八重山島年来記』には、1648年に波照間島平田村の農民たちが重税から逃れるために南波照間に渡った(ただし、そのまま帰らなかった)との記録があります。なお、契月は作品の読み方を“はいはてるま”としていますが、地元の八重山方言では南(ぱい)の果て(ぱて)のサンゴ礁(ろーま)の意味で“ぱいぱてぃろーま”という発音になります。

 作者の菊池契月は1879年、長野県下高井郡の出身。四条派の菊池芳文 の門下となり、1906年にはその才能を見込まれて、芳文の長女アキと結婚し婿養子となりました。1922-23年の渡欧を経て、西洋絵画と大和絵を融合した独自の境地を開き、清澄典雅な古典的品格の作品を残しました。切手に取り上げられた「南波照間」は、1928年6月、契月が沖縄を訪問した際に耳にした八重山古謡「南波照間」から想を得て描かれた作品です。
 
 さて、今回ご紹介の切手についての詳細は、この年末年始に刊行予定の解説・戦後記念切手シリーズの第7巻で取り上げる予定です。2001年から刊行してきた戦後記念切手の“読む事典”、解説・戦後記念切手シリーズも、いよいよ、次回の第7巻で昭和末までの切手をカバーし、完結となります。現在、制作作業中ですが、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。

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 甲骨文字
2009-09-17 Thu 11:49
 中国・四川省で、今年6月の大学入試で甲骨文字を用いて論文を書いて不合格となった受験生が、古代文字に関する知識を高く評価され、件の大学に入学することになったのだそうです。というわけで、甲骨文字の切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 甲骨文字・丑

 これは、昨年(2008年)11月20日に発行された、今年(2009年)の干支文字グリーティング切手の一枚で、書家・小林抱牛による甲骨文字の“牛”の字が取り上げられています。

 殷代(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)の中国では、骨や甲羅などに占うべき内容の文章を刻んでおき、その裏側に小さな穴をあけ、熱した青銅の棒を穴に差し込み、表面にできたひび割れの形で吉凶を占っていました。このとき用いられていたのが 甲骨文字(亀甲獣骨文字)で、知られる限り最古の漢字とされています。

 甲骨文字の存在が知られるようになったのは清末のことで、1899年、国子監祭酒(現在でいう大学総長)であった王懿栄は持病のマラリアの治療薬として竜骨と呼ばれていた骨を薬剤店から購入していましたが、粉にする前のその骨に何か文字が書いてあることに気付き、驚いて薬剤店から竜骨を大量に買い集めたといわれています。以後、他の学者たちも竜骨を買い集め、甲骨文字の研究が始まりました。

 ちなみに、甲骨文字で記されている占いの内容は、癸の日に以後10日間の吉凶を判断する定期的な占いと、開戦・豊作・異常気象の終わりを祈願する不定期的な占いに分けられるそうです。

 さて、今回問題となった学生は、大学入試の論文を甲骨文字や青銅器銘文体、篆書体などの古代文字で書いて提出したものの、「タイトルと内容があっていない」「支離滅裂」など理由で60点満点中わずか6点しか得点できず、総合得点も750点中428点という散々な成績だったそうです。まぁ、答案というのは、そもそも、採点者に読んでもらえなければ全く意味がないわけですから、一般人には解読の難しい甲骨文字で答案を書くことじたい、どうかとも思いますが…。

 それにしても、試験の得点やその理由がきちんと開示されるというのは、中国の入試制度というのは意外と透明性が高いものなんですね。もっとも、いったん試験で不合格になった学生を特別枠で入学させてしまうというあたりは、やはり、法治ではなく人治の国というべきなんでしょうが…。

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 北海道出身の新総理・新議長
2009-09-16 Wed 17:22
 民主党の鳩山由紀夫代表が衆参両院で過半数の票を獲得し、首相に指名されました。北海道選出の首相は初めてです。ちなみに、横路孝弘・新衆議院議長も北海道選出ですから、きょうは北海道ネタでいきましょう。この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 北海道100年

 これは、1968年に発行された“北海道100年”の記念切手です。

 江戸時代以前の“蝦夷地”は、日露雑居の北蝦夷地(樺太)が幕府直轄の天領で、現在の行政区域でいう北海道にあたる東蝦夷地と西蝦夷地は、天領と松前・南部・仙台・会津・津軽・庄内の各藩の領土が入り組んだ構成となっていました。

 戊辰戦争が始まると、1868年4月、新政府は蝦夷地に対する旧江戸幕府の支配権を吸収するため、箱館(現・函館)に旧幕府の箱館奉行所を引き継ぐ機関として箱館裁判所を設置。開拓のための調査が開始されます。同年閏4月、新政府が政体書を発して各地の裁判所を府ないしは県に改変すると、箱館裁判所は箱館府に改組されました。

 その後、1869年になって、蝦夷地は“北海道”と改められ、域内11ヵ国86郡が設置され、開拓使(翌年、北海道開拓使に改称)が設置され、北海道の開発が本格的に開始されます。その後、北海道開拓使は1882年に廃止され、北海道には函館・札幌・根室の3県が置かれます。そして、1886年1月、これら3県が廃止されて北海道庁が設置され、現在の自治体としての北海道の原型が作られました。

 1968年は“明治100年”であると同時に、蝦夷地が北海道と改められてから100年目に当たっていました。

 このため、地元では早くから1968年に“北海道百年”の記念イベントを行うことを計画し、1967年7月末までに、自治省を通じて記念切手の発行申請が行われていました。また、これと時を同じくして、地元収集家の団体である北海道郵趣連合も記念切手発行のために全国規模の署名運動を展開しています。

 その結果、昭和43年度の記念切手発行計画のなかに“北海道100年”の記念切手が含まれることになりましたが、その発行日に関しては、当初、北海道改名の布告が行われた9月2日(この日にあわせて道庁では記念式典が行われた)と北海道大博覧会の開会式に当たる6月14日の2案が候補として挙げられていました。結局、国宝シリーズ第4集の発行日が9月2日に設定されていたこともあり、発行日は6月14日となりました。

 記念切手のデザインは大塚均が担当し、北海道100年記念塔(以下、記念塔)と北海道章を描く原画が作られました。

 このうち、記念塔は、北海道の開拓に尽くした先人の苦労への感謝と、未来を創造する道民の決意を示すために、北海道開道100周年記念事業の一つとして野幌森林公園内に建てられたもので、高さは100メートル(100年にちなんでいる)。8階の展望台からは札幌の市街地が一望できます。ただし、この塔の建設工事が始まったのは切手発行後の1968年9月のことで、完成は1970年9月のことでしたから、切手は井口健の設計図をもとに原画が作られました。

 一方、北海道章は1967年5月に制定されたもので、そのデザインは「開拓史時代の旗章のイメージを七光星として現代的に表現したもので、きびしい風雪に耐え抜いた先人の開拓者精神と、雄々しく伸びる北海道の未来を象徴したもの」と説明されています。

 ところで、今回の記念切手発行に際しては、当初、郵政省は、切手の発行日に初日を迎える“北海道大博覧会”の小型印をもって特印に代える意図があったようです。このため、問題の小型印は、会期直前になって記念事項を“北海道大博覧会”から“北海道百年記念大博覧会”に変更することが発表され、記念切手の初日印押印には風景印で対応するものとされていました。

 ところが、切手の発行直前になって、今回の記念切手に限って特印を使用しないのは好ましくないとされたのか、突如、北海道百年のシンボルマークを描いた特印(デザインは大塚均が担当)が使用されることになります。

 こうしたこともあって、札幌の大通局と豊平局(北海道博覧会場を担当)には印顆が間に合ったものの、札幌中央局には切手発行の初日に印顆の配給が間に合いませんでした。このため、札幌中央局では、郵頼を申し込んだ利用者に、以下のような文面の詫び状をつけて初日カバーを返送しています。

 昭和43年6月14日
 切手収集家各位殿
 札幌中央郵便局

 このたびは開道百年切手の発行に際して初日印押なつのご利用をいただきありがとうございました。
 当局では、初日押印局の指定とともにその準備に万全を期しましたが、さきに五月十六日の十勝沖地震の際、青森鉄道郵便局舎の損傷と函館港岸壁の一部崩壊により最近でも、小包郵便物の遅延が生じ、特に初日押印に使用する特殊日付印(特印)が未着であり、とりあえず琴似、札幌大通の各局から一本ずつ借用し作業をすすめている始末で、押なつ作業に支障をきたしております。実逓便だけは抽出のうえ送付ずみのところでありますが、このような事情で遅延していますのでよろしくご了承ねがいます。

 このため、切手の発行日の6月14日に、記念押印のため、本州から札幌中央局に訪れた収集家・切手商は、同局では開局から30分で切手が完売となったこととあわせて、大いに困惑したといわれています。

 なお、この切手を含む15円時代の記念切手については、拙著『一億総切手狂の時代』で詳しく説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 リーマン・ショックから1年
2009-09-15 Tue 22:45
 世界的な金融危機の引き金となったリーマン・ブラザースが2008年9月15日に破綻してから、きょうでちょうど1年になりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 貯蓄貸付組合

 これは、1981年にアメリカで発行された“貯蓄貸付組合150年”の記念切手です。日本語版の某カタログでは、“貯蓄ローン協会”という訳語がつけられています。まぁ、“Savings and Loan Association”をそのまま訳せば間違いではないのでしょうが、ほかではちょっと見ない例ですな。

 貯蓄貸付組合というのは、アメリカで貯蓄と住宅ローンに特化した貯蓄金融機関のことで、預金者と借主の代表によって経営方針が決められるという点で、協同組合に近い性質のものといってよいかもしれません。

 19世紀のアメリカでは、住宅ローンは銀行では無く保険会社が貸付を行っており、ほとんどのローンが短期で一括返済するか、満期までは利子のみの支払い、満期時に一括返済するといういうシステムになっていました。このため、満期でローンを返済しきれない借主は、そのたびに借り替えを続けて借金を増やすか、あるいは、それができなければ競売にかけられて家を失うケースが続発しました。

 当然、こうした状況は社会的に問題となったため、アメリカ政府は連邦住宅貸付銀行を作り、他の銀行に対し長期の償還型のローンを提供するための資金を提供することになりました。そして、その担い手として急成長を遂げたのが、貯蓄貸付組合でした。

 かつてのアメリカの連邦準備制度では、貯蓄貸付組合は預金の利息が高く付けることが認められており、それにより、貯蓄貸付組合に資金を集め、住宅ローンの貸し出しを容易にするという方針がとられていました。“3%の利子で貯金を集め、6 %の利子で融資し、 3時にゴルフ場で営業活動を行う”という3-6-3が貯蓄貸付組合のビジネス・モデルといわれたこともありました。

 ところが、1980年代の規制緩和により、貯蓄貸付組合は不動産関連融資やジャンクボンド投資を積極的に乗り出すようになります。結果的に、これらの投資は失敗に終わり、多くの組合が経営危機に陥りました。1988年には229社が倒産し、預金保険機関による支援合併や清算措置を受けています。このため、アメリカ政府は破綻処理のため整理信託公社を設立し、不良債権を買い取り、1995年末ごろまでに、約1300億ドルの公的資金を投入せざるをえませんでした。

 その後、2000年代に入り、金利が引き下げられるとカネ余りが生じ、この資金が住宅市場に流れ込み、住宅価格が上昇。こうした状況の中で、住宅価格の値上がりを前提に、信用度の低い人々を対象としたサブプライムローンの利用が急増し、住宅バブルの破綻とともにそれらが不良債権化したことで、深刻な経済危機をもたらしたというわけです。

 まぁ、貯蓄貸付組合は、かならずしもサブプライムローン問題の主役というわけではないのですが(もちろん、一連の金融危機で破綻した組合はあります)、今回ご紹介の切手は、貯蓄とローンという単語が非常に目立っているので、持ってきてみました。
 
 * 昨晩、カウンターが58万PVを超えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 ノルウェーの総選挙
2009-09-14 Mon 22:31
 任期満了に伴うノルウェー議会(定数169)選挙の投票が、一部を除き、きょう(14日)行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

 ノルウェー議会100年

 これは、1984年11月15日にノルウェーが発行した“議会制度100年”の記念切手で(ということは、今年はノルウェー議会125周年ということになりますな)、第1回議会開会の時のようすが取り上げられています。

 立憲君主国のノルウェーでは、1814年憲法では「議会または首相を含む内閣は国王により任命される」とされていましたが、1884年の憲法改正で、内閣の発足には議会の承認が必要とされるようになり、議院内閣制が成立して、国王による内閣の任命は形式的なものとなりました。今回ご紹介の切手の場合も、議院内閣制100年というほうがしっくりくるかもしれません。

 ノルウェーの国会は2院制なのですが、4年に1度、全議員165名を19の州から比例代表制選挙で選び、選挙後、当選議員を両院に割り振るという変則的な制度となっています。わが国でいうと、衆参ダブル選挙をやって当選するまでは、衆議院議員になるのか参議院議員になるのかわからない、という感じですな。まぁ、真に両院が対等で、議員は国家全体のために働くというのであれば、それでも問題がないような気もしますが…。

 改選以前の議席数は、ストルテンベルグ首相率いる労働・左派社会・中央3党による中道左派連立政権が87に対して、保守・キリスト教民主・自由・進歩の野党4党が82となっていますが、各種世論調査による予想だと、与党3党が84、野党4党が85と両者は完全に伯仲しています。

 ところで、福祉国家として名高い北欧諸国でも、高福祉を維持するための過重な負担に反発する国民が福祉政策の見直しを求めることが多く、主要国で唯一左派政権が残っているのがノルウェーだけなのだとか。 わが国では、あさって(16日)にも“中道左派”の民主党政権が発足しようかという状況ですが、次の選挙では与野党伯仲という状況になるのかどうか…。


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 切手で巡る庭園散歩:秘苑
2009-09-13 Sun 10:36
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の9月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手で巡る庭園散歩」では、今月はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 秘苑

 これは、1964年5月25日、韓国が発行した“観光シリーズ”の1枚で、ソウルの秘苑が取り上げられています。

 韓国・ソウルの昌徳宮は李王朝時代の1405年、正宮である景福宮の離宮として建てられましたが、その北側に広がる広大な庭園・秘苑は朝鮮式庭園の最高峰として知られています。

 庭園はもともと、離宮の後ろにあることから後苑と呼ばれていましたが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱)の時代にソウルの宮殿がすべて焼失。1865年に景福宮が再建されるまで、昌徳宮(1615年に再建)が王の在所となると、1623年に再建された後苑も禁裏の庭園を意味する秘苑と呼ばれるようになりました。

 広大な園内には自然の地形にあわせて多くの東屋や人工池などがありますが、今回ご紹介の切手に取り上げられているのは芙蓉池と宙合楼。宙合楼は、国の将来を担う人材を育てるために学問を研究し、書籍を出版していた2階建ての楼閣で、1階部分は本の収蔵場所として、2階は読書室として使われていました。切手のデザインは、しばしば観光パンフレットの写真などにも用いられている構図ですので、見おぼえがあるという方もあるかもしれませんね。

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 旭岳で初冠雪
2009-09-12 Sat 21:27
 北海道・大雪山系の旭岳(北海道東川町、2291m)でけさ(12日)、初冠雪が観測されました。道内の初冠雪は旭岳が今季初で、平年と12日早いそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 旭岳

 これは、1940年4月20日に発行された「大雪山国立公園」の切手のうち、旭岳取り上げた1枚です。旭岳は大雪山連峰の主峰で、北海道の最高峰です。現在の標高は2291mtなっていますが、これは、2008年の調査により改訂されたもので、それ以前は、2290mとされていました。

 切手のもとになった写真は、1939年7月20日の午後、印刷局の松浦竹治が沼の平湿原から撮影しました。なお、逓信省では、当初、阿寒国立公園と大雪山国立公園を1回にまとめて発行する予定でしたが、現地調査の結果、別々に発行することになりました。この結果、阿寒国立公園の切手は戦後の1950年に発行されています。

 それにしても、早くも初冠雪というニュースが聞かれる時期になったのですねぇ。季節の変わり目ゆえ、風邪などひかぬよう、皆様もご注意ください。

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 南アの鳩
2009-09-11 Fri 13:43
 南アフリカで、通信会社大手テルコムのインターネットの遅さにいら立ったIT企業が、データカードを伝書鳩の脚に付け送ってみたところ、先方に到着してからデータをダウンロードする時間を含めても2時間6分57秒だったのに対して、テルコムを使った伝送では、この間にデータの4%しか送ることができなかったのだそうです。というわけで、南アの鳩切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 ソウェト蜂起25年

 これは、2001年に発行された“ソウェト蜂起25年”の記念切手で、犠牲者の少年を背景に平和のシンボルとしての鳩が描かれています。

 1976年、当時、アパルトヘイト政策を展開していた南アフリカ政府は、学校でアフリカーンス語(オランダ系白人の言語)の授業の導入を決定。これに対して、アフリカーンス語を“白人支配の象徴”と見なす黒人たちが激しく反発し、同年4月30日、ソウェト地区(ヨハネスブルグ南東部)のオーランドウエスト小学校の子供たちが学校へ行くことを拒否してストライキに突入しました。その後、抗議行動はソウェト地区の多くの他の学校に広がり、6月16日、学生たちが抗議集会とデモを展開。それに対し警察隊が出動、催涙ガスなどを使用して鎮圧を試みると、デモ隊は投石で応酬し、黒人学生1万人と警察隊300人が衝突し、6人が死亡、約300人が負傷する流血の惨事が発生しました。

 その後も暴動は治まらず、6月25日までに死者176人、負傷者1139人、逮捕者1298人(警察発表による)が発生。事態を憂慮した国連安保理は南アフリカを非難する決議案を全会一致で可決し、南アフリカのアパルトヘイト体制は国際的に孤立していくことになります。

 その後、1990年から1994年の間の交渉を経てアパルトヘイトは終わり、1994年4月の全人種が参加する選挙を経て、5月にネルソン・マンデラを大統領とする新政権が樹立されました。マンデラ政権は、民族の和解と協調を呼びかけ、アパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済制裁による経済不況からの回復に努めたものの、現実には、システム整備の遅れや財源・人材の不足などから理想の実現にはほど遠く、黒人のなかから200万人規模の富裕層が生まれる一方で、失業率は3割を超え、犯罪率も高く、エイズが蔓延しているという惨憺たる状況です。

 こうした状況ですから、来年のサッカーW杯がほんとうに南アフリカで開催できるのかどうか危ぶむ声が多いのも当然といえば当然なわけですが、今回のインターネットが伝書鳩に負けたという一件も、そうした国情を如実に表したものといってよさそうです。

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 オスマン艦隊の山越え
2009-09-10 Thu 21:52
 トルコのイスタンブール(イスタンブル)周辺で8、9の両日に集中豪雨があり、洪水などできょうまでに31人が死亡、9人が行方不明となったそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

イスタンブル500年

 これは、1953年にトルコが発行した“コンスタンティノープル陥落500年”の記念切手のうち、スルタン・メフメト2世の肖像を描く2.5リラ切手を収めた小型シートです。

 オスマン帝国による東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの攻略戦は、1452年、メフメト2世がコンスタンティノープルの城壁の外側に城を建て、都市を陥落させるための拠点としたところから始まります。

 東ローマ側は、ヴェネツィアとジェノヴァからの援軍を得て、2000人の外国人傭兵を含む7000人体制と総延長約26kmという堅固な城壁で防衛体制を固めており、1453年4月2日以降、オスマン帝国は7週間にわたって大砲で城壁を攻撃しましたが、都市を陥落させることはできませんでした。また、金角湾の入り口は東ローマ側により鎖で閉鎖されていたため、オスマン帝国側は湾内に侵入することができませんでした。

 このため、オスマン帝国側は金角湾の北側の陸地に油を塗った木の道を造り、70隻の船を金閣湾に移しました。いわゆるオスマン艦隊の山越えです。まぁ、こんかいのような大洪水のときらともかく、フツーは陸地を船が走るとはだれも思いませんからねぇ。さぞや、当時の人は驚いたことでしょう、

 結局、この奇策が成功し、1453年5月29日、オスマン帝国側の総攻撃によりコンスタンティノープルは陥落。 東ローマ帝国は滅亡しました。

 ちなみに、コンスタンティノープルという地名の、オスマン語での正式名称は“コンスタンティニエ”でした。イスタンブールという呼び名は、東ローマ帝国時代から使われていましたが、あくまでも俗称で、これが公式の名称となるのはムスタファ・ケマルによる革命を経た後の1930年のことです。

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 サモアのバス
2009-09-09 Wed 20:49
 南太平洋の島国サモアで、きのう(日本時間8日未明)から、道路の通行車線が右側から左側に一斉に変更されました。車線変更を全国一律で実施したのは、1977年の南イエメン(当時)以来32年ぶりのこと。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 サモア・バス

 これは、2003年1月にサモアで発行されたバス切手の1枚で、ライフォニ社の赤いバスが取り上げられています。裏ノリはシール式で、切手本体はバスの形に型抜きされています。

 サモア諸島は1722年にオランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが“発見”した後、19世紀半ばには捕鯨基地として繁栄。1899年にドイツが西サモアを、アメリカが東サモアを領有しました。第一次大戦でドイツが敗れた後、西サモアはニュージーランドの委任統治領となり、1962年に立憲君主国(4つの大首長家から国家元首の大首長を選挙で選ぶ選挙王制)として独立しました。当初の国名は“西サモア”でしたが、1997年、現在の“サモア独立国”に改称されています。

 さて、今回の車線変更は、地理的に近く、左側通行のオーストラリアとニュージーランド両国からの右ハンドル車(主として日本車)の輸入が、左ハンドルの米国車に比べて約3分の1の輸入コストで済むことが大きな理由とされています。おそらく、ドイツ時代の名残なのでしょうが、長年、ニュージーランドの委任統治下にあったにもかかわらず、右側通行となっていたのは、ちょっと驚きです。

 人口約18万人のサモアの自動車数は約1万6000台だそうで、政府は7~8日(現地時間)を休日としたうえで、9日までは酒類販売を禁止するなどして、混乱防止策を講じているそうですが、長年の習慣というのはそうそう簡単に変えられるものではないですからねぇ。しばらくは交通事故が多発するんじゃないでしょうか。なお、今回の車線変更に伴い、バス会社ではドアの位置を変えなければならなくなりましたので、何年か後には、今回ご紹介の切手とは逆向きの切手が発行されることになるかもしれませんね。


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 猪木訪朝
2009-09-08 Tue 12:39
 9日に行われる北朝鮮の建国記念日の式典に出席するため、きのう(7日)、猪木寛至(アントニオ猪木)が平壌入りしました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 猪木訪朝

 これは、1995年4月に平壌で行われた“平和のためのスポーツ祭典”を記念して北朝鮮が発行した切手で、猪木が描かれています。

 “平和のためのスポーツ祭典”は、日本プロレス界の父とされる力道山の出身地が、現在は北朝鮮領となっている咸鏡南道洪原郡新豐里とされていることにちなみ、1995年、力の弟子だった猪木が企画し、開催されたものです。ちなみに、当時、猪木は現職の参議院議員(スポーツ平和党)でしたが、政治資金をめぐるスキャンダルもあって、同年6月の参院選では落選。一九九八年には本業のプロレスからも引退しています。

 ちなみに、猪木は過去にも、1995年2月の金正日誕生日関連行事、同年4月の“平和のためのスポーツ祭典”、2004年9月の第1回国際武道競技大会などで訪朝していますが、今回、どういう経緯で建国記念日の式典に出席することになったのか、いまいちよくわかりません。まぁ、猪木といえば、湾岸危機さなかの1990年12月1日、バグダードで“平和の祭典”を行い、イベントの開催後に、人質状態にあった在留日本人と全人質を解放したという武勇伝がありますので、今回の訪朝でも、拉致被害者が彼と一緒に帰ってくるということにでもなればメデタシメデタシということになるのですが、まぁ、現実にはちょっと難しいでしょうな。

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 ドイツ連邦議会60年
2009-09-07 Mon 17:13
 1949年9月7日にドイツの第1回連邦議会が開催されてから、きょうでちょうど60年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 西ドイツ・第1回連邦議会

 これは、1949年9月7日にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が発行した第1回連邦議会開会の記念切手で、復興のための建設を象徴するデザインが描かれています。

 1945年5月、第二次大戦に敗れたドイツは、米ソ英仏の四カ国によって分割占領されました。その後、東西冷戦の進行とともに、米軍占領地区と英軍占領地区は占領円滑化のため合同してバイゾーンを形成。さらにこれにフランス軍占領地区が加わってトライゾーンを形成し、ソ連軍占領地区との亀裂が深まっていきます。

 ところで、占領下のドイツではハイパー・インフレが進行していたため、1948年6月20日、米英仏の3国は、英米仏各占領地区で独自に発行されていた通貨を統合してトライゾーンでの統一通貨(ドイツマルク)を発行。これに対して、ソ連側も6月24日に東ドイツマルクを発行するとともに、ドイツマルクを使用する西ベルリンを経済封鎖することで対抗しました。いわゆるベルリン封鎖です。

 しかし、アメリカを中心とする西側占領軍当局が、西ベルリン地区住民を救済するため、大規模な空輸作戦を展開したため、最終的にソ連も妥協を余儀なくされ、1949年5月、ベルリン封鎖は解除されました。

 一連のベルリン危機を通じて、ソ連と西側諸国との対立は決定的なものとなり、1949年5月8日、西ドイツの憲法制定会議がドイツ連邦共和国基本法を可決し、同月23日、米英仏の西側統治諸州にボンを首府とする連邦共和国臨時政府が発足します。そして、9月7日の連邦議会開会、9月13日のテオドール・ホイス大統領就任、9月15日のコンラート・アデナウアー首相就任を経て、ドイツ連邦共和国が正式に発足しました。これに対抗して、ソ連が占領地域でドイツ民主共和国を成立させたのは、同年10月7日のことです。

 こうして、1990年のドイツ統一にいたるまで東西ドイツが併存することになるのですが、現在のドイツは、旧東ドイツの各州がドイツ連邦共和国に加入するという形式で行なわれたため、建前としては、新国家ではなく、旧西ドイツが東側へも領域を拡大したものということになっています。

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 黒の教会
2009-09-06 Sun 14:10
 きょう(9月6日)はごろ合わせで“黒の日”だそうです。というわけで、黒にちなむモノということで、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 黒の教会   黒の教会(実物)

 これは、1972年にルーマニアが発行した7.05レイの通常切手で、ブラショフの“黒の教会”が取り上げられています。ちなみに、切手とは構図が違うのですが、隣に実際の“黒の教会”の画像を貼っておきましょう。

 ブラショフのランドマークとなっている“黒の教会”は、尖塔の高さが65メートルもあり、ウィーンとイスタンブールの間にあるゴシック教会としては最大のものです。1385年から1477年まで、主としてこの地のブルガリア人を動員して建てられました。なお、カトリックの聖マリア教会でしたが、現在ではプロテスタントのルター派教会となっています。

 17世紀のトランシルヴァニアは、オスマン帝国とキリスト教世界の勢力角逐の場となっていましたが、1662年から1699年まで断続的に続いた“大トルコ戦争”さなかの1689年、オスマン帝国とハプスブルク軍の戦闘により、教会は炎上し、外壁が黒こげになりました。これが“黒の教会”という名の由来です。

 その後も、教会は無傷で現在まで残ってきたわけではなく、第2次大戦中には、ブラショフに対ソ戦用の軍用機工場IARブラショフがあったこともあって(大戦末期には、かのメッサーシュミットBf109が作られていたという)、教会の建物も攻撃を受け、被害を受けました。さらに、1989年の民主革命の際には、ブラショフでも激しい銃撃戦が展開されましたが、その時の弾痕は現在なお教会の壁に残っています。

 さて、今年はチャウシェスクの処刑で全世界に衝撃を与えたルーマニアの民主革命から20周年にあたります。これにあわせて、現在、11月にルーマニアがらみの本を刊行すべく準備を進めているところです。正式タイトルや内容の詳細などが決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、どうかよろしくお願いします。
 

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 「タイ」フェスティバル
2009-09-05 Sat 14:07
 きのう(4日)は、東京・丸の内の三井住友銀行丸ノ内クラブで、タイ王国大使館、財団法人日本タイ協会、日本タイクラブ主催、日本経済新聞社 日メコン交流年2009事業後援の「タイ」フォーラム<タイの魅力-タイは私をなぜ虜にしたのか?>が開催され、僕もパネラーの一人として参加してきました。関係の皆様には、あらためてお礼申し上げます。(下の画像はパネルトークの風景。以下、画像はクリックで拡大されます)

 「タイ」フォーラム   キンナリー

 * 左から、タイ研究の大御所・赤木攻先生、学習院大学の川嶋辰彦先生(紀子妃殿下のお父上)、日本・タイ教育交流協会代表の木村滋世さん、タレントのいとうまい子さん、そして内藤です。

 パネル・トークではいろいろな話が出たのですが、タイ語について日本人はどんな印象をもっているかという話題も出ましたので、僕は、右側の画像の切手に取り上げられているキンナリーをイメージするという趣旨のことをお話ししました。

 キンナリーは、もとはヒマラヤに住む精霊の一種で、上半身が人間で下半身が鳥という架空の動物です。歌と踊りで神々に仕える半神で、古典文学では美人の象徴として女性の姿で登場しますが、単語としては男性形のキンナラ(タイ語ではキンノーン)もあります。仏の前で、美しい声で音楽を奏でるという意味では、日本の迦陵頻伽に近いところがあるかもしれません。今回ご紹介の切手は、1976年にタイで発行された“国際文通週間”の1枚ですが、ここで取り上げられたキンナリーのような顔立ちが、タイでは伝統的な美女のタイプということになるのかもしれません。

 タイ語の音声的な美しさは、しばしば、小鳥のさえずりにたとえられますが、それを人間が話すとなると、キンナリーの声というイメージになるんじゃなかろうかと咄嗟に思ったわけですが、いかがでしょうか。

 タイ語は典型的な声調言語ですが、そのことが、あの独特の柔らかな感じにつながっているのではということも考えてみましたが、同じく声調言語である中国語を聞いても(僕個人の印象としては)けっして柔らかな印象をもつことはありません。やはり、タイ語の雰囲気は、(したたかではあるけれども)穏やかで、争いごとを好まないとされるタイ人のメンタリティを反映したものなのでしょう。

 なお、仏教美術に登場するキンナリーの切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

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 くしの日
2009-09-04 Fri 10:51
 9月4日はごろ合わせで“くしの日”だそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 橋口五葉(髪梳ける女)

 これは、1987年の切手趣味週間の切手で、橋口五葉の「髪梳ける女」が取り上げられています。この切手は、同じく五葉の「化粧の女」の2種連刷だったのですが、全く別の作品ですので、今回は切り離してこちらの切手だけをもってきました。

  橋口五葉は、1880年、鹿児島の出身。本名は清ですが、生家の庭の五葉松にちなんで東京美術学校時代から五葉の号を使っていました。

 当初は狩野派の絵を習い、橋本雅邦に入門しましたが、同郷の黒田清輝から洋画を学ぶべきとすすめられ、1899年、白馬会研究所で洋画を学び、翌1900年、東京美術学校西洋画科に入学します。兄の貢は、夏目漱石が熊本の第五高等学校時代の教え子だった縁から、「ホトトギス」にカットを描き、さらに、1905年、『吾輩ハ猫デアル』上巻の装丁を担当。以後、漱石の単行本の想定を数多く手がけました。

 1911年、三越百貨店のポスターが一等になり一躍有名になると、この頃から油絵をやめて浮世絵研究を始め、渡辺庄三郎を版元とする伝統的浮世絵版画制作法による新版画の創作を開始。1915年の「浴場の女」を皮切りに、五葉美人と呼ばれる独自の版画を制作しました。今回ご紹介の「髪梳ける女」は、1920年に制作された木版画で、現在、鹿児島市立美術館、町田市立国際版画美術館などが所蔵しています。

 さて、今回ご紹介の切手についての詳細は、年末刊行予定の解説・戦後記念切手シリーズの第7巻で取り上げる予定です。2001年から刊行してきた戦後記念切手の“読む事典”、解説・戦後記念切手シリーズも、いよいよ、次回の第7巻で昭和末までの切手をカバーし、完結となります。現在、11月刊行予定のルーマニア本と並行して制作作業を進めているところですが、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。

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 ジャワ島沖地震
2009-09-03 Thu 22:04
 きのう(2日)、インドネシア中部ジャワ島沖でマグニチュード7.0の地震が発生し、きょう(3日)の午後の時点で、死者が少なくとも57人に達したのだそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ボロブドゥール(フランス)

 これは、1979年にフランスが発行したボロブドゥール遺跡保護の切手です。

 インドネシア・ジャワ島中部にあるボロブドゥール寺院は、仏教を奉じるシャイレーンドラ朝が8世紀から9世紀にかけて建造した大寺院で、切手の右側に示されているように、全体が基壇、方壇、円壇の3段の構成となっています。これは、それぞれ欲界、色界、無色界の三界を表現しており、人々はボロブドゥールに登る事で、三界を体験することができる構成になっています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられている仏像は、宝生如来ではないかと思われます。宝生如来は、全ての存在には絶対の価値があるということを示し、 総ての民の利益を本願とする平等性智を持つとされています。仏像としては左手で衣の端をにぎり、右手の掌を前側に向けて下げる与願印の姿で表現されることが多く、人々の願いを聞き入れ望むものを与えようとする宝生如来の深い慈悲を表わしています。 被災地の皆様にも、必要な支援の手が行き届きますように思いを込めて、この1枚をもってきました。

 なお、ボロブドゥール遺跡の切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 リビア革命40年
2009-09-02 Wed 15:00
 1969年9月1日にカダフィ大佐が無血クーデターでリビアの権力を握ってから40周年になるのを記念して、きのう(1日)、首都トリポリで大々的な式典や軍事パレードなどが行われました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 リビア革命直後のカバー

 これは、リビア革命直後の1969年10月17日、トリポリからアメリカのニューヨーク宛てに差し出されたカバーです。貼られている切手は王制時代に発行されたもの(KINGDOM OF LIBYA としっかり表示されています)ですが、特に加刷などはされていません。その代わりに、“リビア・アラブ共和国 郵便”との表示の入った大型の円形印が切手の上にべっとりと押されています。

 1951年にイタリアの植民地支配から独立したリビアは、イドリース1世を国王とする連合王国としてスタートしました。国王は、親西側政策を採り、1955年から国際石油資本によって石油開発が進められ、産油国として莫大な石油収入が流入しましたが、一部の特権階級に富が集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、国民の不満が高まっていました。

 こうした状況の下で、エジプト革命に感化された陸軍のカダフィ大尉ひきいる自由将校団が、1969年9月1日、クーデターを起こし、トルコに滞在中だった国王イドリース1世が退位。カダフィ大佐を事実上の元首とする革命政府が誕生しました。ちなみに、カダフィの陸軍での階級は大尉でしたが、尊敬するナセルが大佐を自称(実際は少佐)していたのを真似て、彼も“大佐”を自称したのが、現在の“カダフィ大佐”という呼称のもとになりました。

 さて、ことしの6月、大統領在職41年半という超長期政権だったガボンのボンゴ大統領がなくなったため、現在は、カダフィ大佐が共和体制下の最長政権を維持している人物ということになります。カダフィが革命を起こした時は27歳でしたから、まだまだ67歳。同い年の“将軍様”は病に倒れてふらふらですが、大佐の方はまだまだ在職記録を伸ばしそうですな。


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 第二次欧州大戦70年
2009-09-01 Tue 13:32
 1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、第二次欧州大戦が勃発してからきょうでちょうど70年です。というわけで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 欧州大戦開戦返戻カバー

 これは、ドイツ軍がポーランドに侵攻した1939年9月1日にロンドンからドイツ宛てに差し出されたものの、郵便業務が停止されたため、差出人戻しとなったカバーです。

 1935年にヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言したドイツは、1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させたのを皮切りに、1938年3月にはオーストリアを併合。 同年9月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテン地方の獲得を英仏に呑ませ、翌1939年3月にはプラハを占領し、チェコを保護国とし、リトアニアからメーメル地方を割譲させています。

 こうした経緯を踏まえて実行に移されたドイツ軍のポーランド侵攻に対して、英仏両国は、9月3日、ポーランドとの援助協約に基づきドイツに宣戦布告しましたが、この時点ではポーランドに派兵してドイツ軍と戦ってはいません。また、9月17日には、ソ連が独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、9月17日、ポーランドへ東から侵攻しましたが、英仏両国はソ連に対しては宣戦布告をしていません。

 ところで、イギリスはポーランドとの条約上、ドイツに対して宣戦布告をしたものの、「宣戦布告が即戦闘を意味するわけではない」として、早々にドイツとの和平交渉を開始しています。この時点でのイギリス政府内ではナチス・ドイツよりもソ連の共産主義の方が深刻な脅威であるとの考え方が支配的で、イギリス側はヒトラーが下野し、ドイツがポーランドならびにズデーテン地方を除くチェコスロヴァキアから撤退すれば、和平に応じる用意があるとしていました。このため、クリスマスまでには停戦だろうと楽観視するイギリス国民も少なくなかったようです。

 しかし、最終的にはヒトラーの排除という一点で両者の妥協は成立せず、さらに、反ナチス強硬派のチャーチルが熾烈な権力闘争の末に権力を掌握したことで、両国の亀裂は修復不能となり、1940年5月以降、ドイツ軍が西欧諸国に本格的に侵攻していくことになります。

 ドイツ軍のポーランド侵攻は、イギリス・チェンバレン政権時代の対独宥和政策が、結果的にドイツの拡大を追認し、ドイツをつけあがらせたことが最大の原因です。実際、ヒトラーは、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が宣戦布告してくるとは想定していなかったといわれています。

 古今東西を問わず、国家間の関係では、とにかく相手になめられてはいけないのが鉄則であることは、いまさら言うまでもありません。“友愛”というスローガンを掲げて近々発足する予定の新政権は、70年前の欧州の教訓をどう考えているのか、お考えをうかがってみたいものです。

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