内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 切手を作った人々:加曾利鼎造 ⑥
2010-01-31 Sun 10:38
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(2月6日実施)のカタログ第8号ができあがりました。オマケの読み物として僕が担当している連載「切手を作った人々」は加曾利鼎造の6回目。今回はこんなモノを取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      加曾利・富士と桜

 これは、1948年3月、加曾利が描いた「富士と桜」の絵の余白に、第3次昭和切手の富士桜20銭と日本国憲法施行記念の50銭切手を貼って消印を押したものです。

 1937年から発行が始まった第一次昭和切手は、加曾利の考案した基本的なプランに沿って木村勝が切手の中心的な題材を描き、加曾利が周囲の輪郭や“大日本帝國郵便”の文字、額面数字などを手掛けることによって出来上がった2人の“合作”でした。

 これに対して、いわゆる太平洋戦争の開戦後に発行が始まった第2次昭和切手は、戦意昂揚の一手段という面もあって、原画は一般から懸賞公募が行われました。ここで入選した画家たちの作品は、勅額10銭という例外を除き、図案家である加曾利の手を経て、切手として世に出ることになります。その意味では、第一次昭和切手の際の木村の役回りが、他の画家たちに代わっただけということも可能かもしれません。

 しかし、第2次昭和切手に関しては、それ以上に注目したい点があります。それは、戦況の悪化に伴い、第1次昭和切手の一部額面の版式が凹版から凸版へと簡略化された際、凹版向きの原画を凸版向きのものへと改描したのが加曾利だったということです。

 すなわち、『日専』では20銭の「富士と桜」、30銭の「厳島神社」、40銭の「オーロワンピ燈台」(凸版)の原画作者はいずれも加曾利ということになっていますが、その本質は、第一次昭和時代の木村の原画が加曾利の手によって簡略化されたということに他なりません。

 加曾利にしてみれば、木村とともに精力を傾けて造り上げた“美しい切手”の品質を、みずからの手で劣化させなければならなかったのは身を切られる思いであったでしょう。しかし、時局は、戦前のような“美しい切手”をつくることはおろか、簡素化された切手でさえも必要量を調達することさえ難しくしていきました。加曾利の手によって簡素化されたデザインの「富士と桜」と「厳島神社」は、終戦前後には、さらに凸版から平版へと簡素化されてしまいます。はたして、加曾利がまだ存命であった戦後の1951年、木村は「十円の梅花文様の切手、あれの最初の版のものが私は好きだ、あとのはオフセツトに改めるため描き直してゐるので、コクのある味がサツパリ出ていなくて駄目だ」と述懐しているが、その改描を直接手掛けざるを得なかった加曾利は、木村のこうした声をどのように聞いたのでしょうか。

 今回ご紹介の加曾利の絵には“切手の図案”との副題がつけられています。その余白に貼られた第3次昭和切手の20銭「富士と桜」と比べてみると、第2次ないしは第3次昭和切手を手掛けたときの図案家としての苦渋や、曲がりなりにも平和が回復した後の解放感などが、加曾利の時代に対する心情の何某かが透けてみえるような気がするのは、僕だけではないでしょう。
 
 なお、「切手を作った人々:加曾利鼎造(第1部・戦前編)」は、今回でひとまず終了します。第2部の“戦後編”は、必要な調査・取材の後、再開することにしたいと思いますので、ご了承ください。


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 日本海は日本海
2010-01-30 Sat 12:05
 韓国が日本海を“東海”と呼び、その呼称を世界的に広げようとしている問題で、遅ればせながら、日本政府は「日本海の名称は国際的に確立した唯一の名称であり、断固反駁するとともに、国際社会に対し、わが国の立場への理解を支持を求めてきている」とする答弁書を決定しました。というわけで、“日本海”の文字の入った切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本海ケーブル開通

 これは、1969年6月25日に発行された「日本海いケーブル開通」の記念切手で、ケーブル敷設船(KDD丸)と日本海の略図が描かれています。ソ連側へ“配慮”したためか、日本地図に北方領土の部分が全く描かれていないのは残念なことです。

 四方を海に囲まれたわが国にとって、衛星通信と並んで、海底ケーブルは重要な国際通信の手段となっています。

 このうち、太平洋地域との通信に関しては、1964年6月に日本=ハワイ間に太平洋横断ケーブル9800キロが敷設された ことに加え、1967年からは衛星通信も行われるようになるなど、比較的早くから環境が整備されていました。

 これに対して、西方のヨーロッパ、中東、アフリカ方面の通信環境の整備は大幅に遅れており、日本の経済発展に伴い日欧間の通信需要が急増すると、その改善を求める声が高まっていました。

 このため、1966年8月、グレート・ノーザン電信会社 と日本の国際電信電話会社(KDD)との間で「日本海ケーブル建設保守協定」が結ばれ、両社が共同して直江津=ナホトカ間の890キロに海底ケーブルを敷設し、日欧間に高品質・大容量の通信幹線を建設することになりました。

 これを受けて、1968年10月12日、KDDが直江津市五智海岸沖から日本側敷設工事を開始。一方、ナホトカ近海48キロの部分については、グレート・ノーザン電信会社が同年11月中旬までに敷設工事を完了しました。その後、1969年4月3日、ナホトカ近海から日本に向けて残された深海部分の敷設工事が開始され、同月12日、直江津沖合で最終の接続が完了。これにより、日欧間の通信能力は飛躍的に向上し、アジアの国際通信センターとしてのわが国の地位がいっそう向上することになりました。

 当初、今回の記念切手は、6月11日に行われる予定であったケーブルの開通記念式典にあわせて発行されることになっていましたが、ソ連側の事情で開通式の日程はたびたび延期され(4月12日に敷設工事を完了していた日本側には延期の理由はありません)、なかなか切手の発行日も確定しませんでした。ソ連側は開通式の日程を延期した理由を明らかにしていませんが、この年3月に中国との間で発生した国境紛争(ダマンスキー島事件)の影響で極東情勢が緊迫していたことが背景にあったのかもしれません。

 いずれにせよ、ソ連側との日程の調整はなかなかつかなかったため、切手の発行日を“6月(日付未定)”として周知していた郵政省は、工事が完了していたこともあり、記念式典を待たずに6月25日に切手を発行しています。ちなみに、最終的に東京・大手町の経団連会館で開通記念式典が行われたのは、切手の発行から1ヵ月後の7月25日のことでした。

 さて、この切手の地図を見ればわかるように、日本海は日本列島があることによってできた内海で、日本列島がなければ、その部分は単に太平洋の沿岸部というにすぎません。そういえば、韓国の前大統領は、日本海を“平和の海”と改称しようと提案したことがありますが、それって、日本(列島)の存在そのものを無視して、日本海の部分を太平洋の一部とみなすって意味だったんでしょうかねぇ。いずれにせよ、この部分を太平洋の延長ととらえるのではなく、独自の呼称をあてるのであれば、やはり、日本海以外の名称は考えにくいでしょう。これは、僕が日本人だから言うわけでなく、(韓国人を除く)世界中の人々が認めることと思います。

 なお、今回ご紹介の切手を含む書状料金15円時代の記念・特殊切手については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ライ麦畑の子供
2010-01-29 Fri 18:00
 1951年に発表された小説『ライ麦畑でつかまえて』で知られるアメリカの作家J・D・サリンジャーがきのう(現地時間27日)、ニューハンプシャー州の自宅で老衰のため91歳で亡くなりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ベルギー・平和18年

 これは、1963年5月8日(第二次大戦での対独戦勝利の日)にベルギーが発行した“平和記念日”の切手で、ライ麦畑の中にいる子供が描かれています。文字通り、“ライ麦畑でつかまえて”といった光景でしょうか。

 サリンジャーは、1919年1月1日、ニューヨークで生まれました。1940年、雑誌『ストーリー』に処女作『若者たち』を発表し、作家としてデビューしました。1941年、『ザ・ニューヨーカー』誌に『マディソン街のはずれの小さな反抗』の掲載が決まっていましたが、太平洋戦争の開戦により無期延期となってしまいます。このことに腹を立てたのかどうかは知りませんが、翌1942年、志願して米軍に入隊。2年間の訓練を経て1944年3月、イギリスに派遣され、同年6月のノルマンディー上陸作戦に参加しました。

 その後、ドイツとの激しい戦闘体験から精神を消耗し、ドイツ降伏後は神経衰弱と診断されニュルンベルクの陸軍総合病院に入院。1945年11月に軍を除隊となって帰国し、翌12月に『ライ麦畑でつかまえて』の原型となる作品『僕は狂ってる』を雑誌『コリアーズ』に発表しています。

 ところで、二度にわたる大戦に際して、ベルギーはいずれも中立を宣言していたにもかかわらず、ドイツ軍に蹂躙されています。その理由はベルギーがドイツに対して積極的に敵対していたからではなく、ドイツ軍がフランスに侵攻する際の通り道にベルギーが位置していたためです。そして、こうした経験から、中立政策では国家の安全が保障されないと判断したベルギーは、戦後NATO軍に参加し、集団安全保障を国策の基本に据えることになります。

 ちなみに、通り道に位置しているといえば、わが国も、とくに沖縄などの南西地域に関しては、まさに中国大陸から太平洋に抜ける通り道に位置しているのですが、どうもそのあたりには無自覚な人が多いように思われてなりません。少なくとも、大陸からの通り道にある沖縄の問題をめぐって、わが国の集団安全保障体制が揺らいでいる(ようにみえる)ことに不安を覚えるのは僕だけではないはずです。


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 スリランカの涅槃仏
2010-01-28 Thu 14:53
 26日に投開票が行われた内戦終結後初のスリランカ大統領選挙で、同国選管は、きのう(27日)、現職のラジャパクサ大統領が再選を果たしたと発表しました。というわけで、きょうはスリランカ関連の1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ガル・ヴィハーラの涅槃仏

 これは、1997年にベトナムが発行した文化遺産の切手の1枚で、スリランカのガル・ヴィハーラの涅槃仏が取り上げられています。

 ガル・ヴィハーラ寺院はスリランカ中部の古都・ポロンナルワの北にあり、かつては“北の僧院”を意味するウッタララーマと呼ばれていました。寺院を建立したのはシンハラ王朝のパラークマ・バーフ王(在位1153~86)で、岩盤に4体の巨大仏が刻まれています。

 今回ご紹介した切手に取り上げられた涅槃仏は約14メートル。ガル・ヴィハーラでは最大の像です。なお、奥に見える立像は、釈迦の死を悲しむ弟子のアーナンダではないかと考えられています。なお、切手の仏像は赤茶色になっていますが、実際の石仏はグレイっぽい色なので、ちょっとイメージが違います。まぁ、涅槃仏は、頭を北向き、顔を西向きとしていますから、夕日があたればこのような光景も見られるのかもしれません。

 なお、昨年刊行の拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』では、今回ご紹介のモノ以外にもさまざまな涅槃仏の切手を御紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ハワイ官約移住125年
2010-01-27 Wed 13:41
 1885年1月27日、ハワイへの“官約移民”第1号の船が横浜を出航してから、きょうでちょうど125年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ハワイ官約移住75年

 これは、1960年8月20日に発行された「ハワイ官約移住75年」の記念切手です。

 19世紀のハワイには、白人が大量に流入しましたが、その結果、さまざまな疫病がもたらされ、ハワイの人口は激減(推定人口15~25万人が4万人にまで減少したといわれている)します。このため、労働力不足に悩んだハワイは、1852年、中国からの移民を受け入れはじめました。さらに、1868年、日本からも“元年者”とよばれる153名の移民(ただし、彼らは正規の渡航手続を経ない“不法移民”)が英国帆船サイオト号で来航。ハワイを媒介に、アメリカ系資本と日本人労働者が出会うことになりました。

 ハワイにおけるアメリカのプレゼンスはその後も増大し続け、1876年には米・ハワイ互恵条約が調印されます。これにより、アメリカはオアフ島の真珠湾を軍事目的で利用する権利を獲得し、ハワイの軍事基地化を開始。その代償として、ハワイ産の砂糖は無関税でアメリカに輸出できるようになりました。

 この結果、ハワイの砂糖産業は急激に発展を遂げますが、同時に、労働力不足もより深刻になります。

 このため、1884年、太平洋諸国歴訪の一環として日本を訪れたハワイ国王カラカウアは、日本政府に移民の送り出しを要請。これに応え、1886年、「日本人民布哇国渡航条約」が両国の間で調印され、前年の1885年以降の移民が、この条約に基づく移民ということで“官約移民”と称されるようになりました。そして、日本政府は、公式には、この官約移民をもって日本からハワイへの正規の移民が始まったとの立場をとっています。
なお、最初の官約移民948名は、1885年1月27日に太平洋郵船会社の東京号で日本を出帆し、2月8日、ハワイに入港しています。

 こうした日系の官約移民は、当時のハワイ社会を牛耳っていたアメリカ系資本家のクーデタで、王国が滅亡に追い込まれる1893年まで続き、約3万人の日本人がハワイに渡りました。これは、当時のハワイ在住者の約4割にも相当しまています。

 なお、ハワイ王国の滅亡後、現地では“米国が正式にハワイを併合するまでの暫定政府”を経て、1894年(明治二十七)年に“ハワイ共和国”が成立します。そして、1898年年に米西戦争が勃発すると、真珠湾の重要性に着目したアメリカはハワイの領有を宣言。1900年にハワイを準州として正式な属領に編入しました。

 こうした混乱の中で、ハワイ王国と日本との間で結ばれた条約による官約移民の制度は自然消滅し、以後、移民個人とプランテーション会社が直接契約を結ぶ私的移民が行われるようになりました。そして、1924年に日系移民の受け入れが禁止されるまで、20万人の移民がハワイに渡りました。

 今回ご紹介の切手が発行された8月20日というのは、移民第1号の出発日でもなければ到着日でもなく、現地で高松宮夫妻を招待して行われた“ハワイ官約移住75七十五年祭”の開催初日にあわせたものです。記念名称の“官約”の字句については、一般人にはわかりにくいので、切手上では使いたくないとする郵政省に対して、1960年という年に記念行事を行うためには“官約”の文字が絶対必要とする外務省が対立しましたが、結局、外務省側の意見がとおり、記念名称には“官約”の文字が入っています。

 また、切手にはハワイの象徴としてパイナップルが描かれていますが、当初のデザイン案ではパイナップルではなくヤシの木となっていました。ただし、ハワイでパイナップルのプランテーション栽培がはじまったのは1901年のことで、このとき、すでにアメリカ領に編入されていたハワイと日本との間の“官約移住”は終了しており、今回の切手の題材として取り上げることが適切だったかどうか、疑問がないわけではありません。


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 インドの共和国記念日
2010-01-26 Tue 10:05
 インドでは、独立後の1950年1月26日に憲法が施行され、正式に共和制が発足したことを受けて、毎年1月26日は“共和国記念日”になっています。今年は、60周年の節目の年でもありますし、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド共和国記念日12アンナ

 これは、1950年1月26日にインドで発行された共和国成立の記念切手のうち、最高額の12アンナ切手で、ガンジーの指導した独立運動のシンボル、糸車とそこから生み出される布が描かれています。

 インドの憲法は、1947年8月の独立に伴い法務大臣に就任したアンベードカルが取りまとめたもので、全395条からなっています。憲法起草の中心人物であったアンベードカルがいわゆる不可蝕民階層の出身であったこともあり、社会的弱者を保護するための条項が、憲法の随所に設けられていることが特徴的とされています。

 また、憲法の規定では、国権の最高機関は国会(議会)ではなく裁判所であり、裁判所には議会の動きを監視できる権限が与えられているのも大きな特徴です。裁判所が選挙の際の一票の格差を是正するように求めても、国会がなかなか動かないどこかの国とは大違いですな。

 ちなみに、インドでは独立以来現在にいたるまで100回以上も憲法を改正しており、必要に応じて憲法を社会の実態に沿うように修正するという姿勢は徹底しています。そういうインド人の目から見れば、現実との乖離が大きくなっているにもかかわらず、60年間、まったく憲法を変えてこなかった日本人というのはさぞかし不思議な国民に見えるんでしょうねぇ。

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 世界漫郵記:媽閣廟(後篇)
2010-01-25 Mon 13:43
 『キュリオマガジン』2010年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続き、“マカオ”の地名の由来となった媽閣廟を取り上げました。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      媽閣廟(1997・連刷)

 これは、ポルトガル領時代の1997年に発行された“媽閣廟”の連刷切手です。媽閣廟といえば、門のところを取り上げる構図の切手などが多いのですが、今回ご紹介のものは連刷形式で廟の全体像が分かるようになっています。

 媽閣廟の境内には階段に沿って、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿、観音閣の4つのお堂が建っており、正殿、正覚禅林殿、弘仁殿には媽祖と道教の神が、観音閣には仏教の観音菩薩が、それぞれ祀られています。今回ご紹介の切手では、右から2枚目の丸窓の奥に正殿があるのですが、画面には描かれていませんので、その正殿の額をバラ広場側からの窓越しに見た写真と、本尊の媽祖像の写真を貼っておきましょう。

      媽閣廟(正殿額)     媽祖像(媽閣廟)

 正殿に掲げられた「后汪洋」の額は「天后の徳は限りなく大きい」との意味。もともと、海の女神だった媽祖だが、次第に万物にご利益のある神とされるようになり、元代の1281年には護國明著天妃に、清代の1684年には天后とされました。以来、媽祖を祀った廟の中には“天后”の名を冠するものも出てきたが、この額もそうした事情を踏まえたものです。

 「世界漫郵記・マカオ篇」は、マカオ南端の媽閣廟から中国との国境の関門まで、マカオ半島を北上しながら、世界遺産に取り上げられた建造物などをまわりながら、カジノだけではないマカオの魅力をご紹介していこうという企画です。機会がありましたら、ぜひ、ご覧ください。

 * 今年頂戴した賀状のうち、大川玲子さん、藤平歩さん、渡邉直樹さんの3名の方々(50音順)から頂戴した分がアタリでした。この場をお借りして、お礼申し上げます。


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 ジュゴン
2010-01-24 Sun 22:36
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設受け入れの是非を争点にした沖縄県名護市長選の投開票が今日(24日)行われ、受け入れに反対する前市教育長の稲嶺進が初当選しました。というわけで、きょうはこの1枚です。

      琉球・ジュゴン

 これは、1966年4月20日、アメリカ施政権下の沖縄で発行された天然記念物シリーズの“ジュゴン”の切手です。

 ジュゴンは海牛目ジュゴン科の海獣で、体長は2.4-3.0m、体重は250-400kg。沖縄方言ではザンもしくははザンノイオと呼ばれます。南太平洋からインド洋の熱帯及び亜熱帯の浅海域に生息しており、西太平洋では沖縄県の周辺海域が生息地の北限です。なお、ジュゴンの分布は広い範囲に及んでいますが、生息域が不連続で、沖縄のジュゴンはフィリピン、オーストラリアのジュゴンとは交流がないと考えられています。

 さて、今回の選挙の争点になった米軍基地の受け入れ問題に関して、反対派は「建設予定地に生息する国の天然記念物ジュゴンやサンゴ礁を守れ!」ということを論拠の一つとしています。たしかに、絶滅の恐れがあるとされるジュゴンの保護というのは重要な問題だとは思いますが、ジュゴンやサンゴ礁の保護を訴えて反基地闘争を展開している人たちに対しては、どうも胡散臭さを感じてしまうのは僕だけではないでしょう。

 たとえば、地元の漁業関係者の中には、長年、毎日のように漁をしていてもジュゴンを見たことがないという人が少なからずいます。それにもかかわらず、ある平和運動家(本土出身)は本土からの観光客が辺野古に来ると、金を取ってグラスボートに乗せ、「ここがジュゴンのいる海です」と案内しているそうです。ちなみに、その地域で船を出すには、地元の漁協に属さなければいけないのですが、漁業関係者はとりあえず黙認しているというのが実情です。

 また、辺野古周辺は伝統的にイルカ料理が名物になっていますが、そうしたイルカ料理を出す店は、ジュゴンの保護を訴えて基地反対運動を展開する人々の溜まり場になっているということも報告されています。

 さらに、ジュゴンとは関係ないのですが、たとえば、基地反対運動の指導者の一人である“東門みつこ”なる人物は、もともと、基地内のアメリカンハイスクールの教員で、定年まで働いて退職金を貰った後に反米に転じた経歴の持ち主です。さらに、普天間基地のすぐ側にある小学校は騒音がうるさいと子供たちが耳を塞いでいるようすがしばしば報じられますが、実際は米軍側から、これまでにも何度か代替地の提示があったにもかかわらず、基地反対派があえて子供たちを人身御供にして、“基地周辺の悲惨さ”を訴える材料とするために、学校の移転に反対し続けているという驚くべき実態もあります。(そういえば、新市長も市の教育長を務めた方でしたな)

 もちろん、在日米軍基地の周辺に住む人たちには騒音その他のさまざまな負担がかかっていることは事実ですし、日本の安全保障上、少なくとも現状では米軍基地の“恩恵”というのは全国民が享受しているわけですから、特定の地域に負担が集中することは望ましいことではないのは言うまでもありません。ただ、本土から沖縄に押しかけてジュゴン等をだしにして反基地闘争を展開する連中はどうにも信用することはできませんねぇ。

 すくなくとも、沖縄・西表島で珊瑚に傷をつけ、その写真を基に捏造記事をした掲載した新聞に、「沖縄の自然を守るため、辺野古への米軍基地反対」と書かれていても、全く説得力はありませんな。くれぐれも、ジュゴンが生き残って国が滅ぶというような事態は勘弁してほしいものです。


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 モンゴルの無量寿如来
2010-01-23 Sat 20:30
 大相撲初場所は、モンゴル出身の横綱・朝青龍が千秋楽を待たずに2場所ぶりの優勝を決めました。これで、朝青龍の優勝回数は、北の湖を抜き、大鵬の32回、千代の富士の31回に次いで歴代3位の25回目の優勝だそうです。というわけで、恒例の(?)モンゴル仏像ネタの中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・長寿仏

 これは、1988年にモンゴルが発行した無量寿如来像の切手です。

 無量寿如来は、チベット密教では阿弥陀如来の化身とされるもので、阿弥陀如来の語源と同じアミターユス(無限の寿命を持つ者)と呼ばれ、衆生を救済することになっています。像としては、定印を結び、長寿不死をシンボル化した甘露瓶をその手に乗せた姿が一般的です。

 密教では、大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現するものとして、胎蔵(界)曼荼羅と金剛界曼荼羅の両界曼荼羅がつくられますが、このうち胎蔵曼荼羅では、8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に大日如来を配し、周囲に宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音の各如来を配する構成をとっており、無量寿如来も重要な位置を占めていることが分かります。

 それはそうと、昨年、『切手が伝える仏像:意匠と歴史』を刊行して以来、大相撲でモンゴル人力士が優勝するたびにモンゴルの仏像切手を紹介しているのですが、そろそろネタ切れが近くなってきました。いいかげん、日本人力士にも意地を見せてもらわないと、ちょっと困るなぁ。


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 43歳になりました
2010-01-22 Fri 10:07
 私事ながら、本日をもって43歳になりました。まぁ、だからどうしたといわれればそれまでなのですが、せっかくの機会ですから、昨年末に刊行の拙著『昭和終焉の時代』のなかから、“43”がらみの1枚をもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      43回国体

 これは、1988年10月14日に発行された“第43回国民体育大会(国体)”の記念切手で、京都の象徴としての金閣寺を背景に男子の平行棒競技が描かれています。

 昭和最後の開催となった1988年の国体・秋季大会は、10月15日から20日まで、京都府京都市右京区の京都市西京極総合運動公園を主会場として行われました。大会スローガンは「新しい歴史に向かって走ろう」で、参加人数は二万九七六一人です。天皇杯・皇后杯はともに開催地の京都府でした。

 今回の国体では、成年競技を2部にし、デモンストレーションとしてのスポーツ行事も初めて実施されるなどの改革が行われています。なお、昭和天皇の容態悪化のため、秋季大会の開会式には当時の皇太子ご夫妻が臨席されました。

 さて、国体切手の発行については、1987年に沖縄県で開催された海邦国体で全国の開催地を一巡したことで、1988年以降も従来通りのスタイル(スポーツと開催地の名所を組み合わせて外側に色枠をつける形式)で発行を継続するか否かについては、郵政省の部内でも議論があったようです。この点について、昭和62年度の切手発行計画に関する雑誌『郵趣』のインタビューに対して、当時の切手室長・小椋嘉昭は次のように語っています。

 確かに一巡ということはあるのですが、最初に国体の行われた京都のときは(引用者註:正確には京阪神地域)、切手を発行していませんし、いろいろ難しいところです。一つの考え方ですが、今はスポーツの時代ですから、純粋にスポーツ切手とする考え方もあります。純粋にスポーツ切手とする考え方もあります。たとえば卓なしで、球とか、同じスポーツの切手を2種類、あるいは3種類出すとか、そういう方法もどうかなどと、いくつも話し合っていますが、ただ、それは来年以降の話で、今年は今までどおりです。

 その後、この件については、翌昭和63年度の切手発行計画に関する雑誌『郵趣』のインタビューに対して、切手文通室長の石本宏之が「国体の開催は2巡目に入りますが、記念切手の方は、今度の京都国体で一回りですので、従来のパターンで発行するのが常識的かと思います」と述べており、今回の国体切手に関しては、従来の形式が踏襲されています。ただし、翌1989年の国体切手は“ふるさと切手(北海道版)”として発行されており、デザイン的にも従来とは異なるパターンとなりました。

 昭和から平成への身世代わりに際しては、日本の切手と郵便の歴史においてもいくつかの点で画期となっていますが、この国体切手もその1例といってよいでしょう。このあたりについては、拙著『昭和終焉の時代』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 昨晩、カウンターが64万PVを超えました。いつも遊びに来ていただいてる皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 憲法違反の神社?
2010-01-21 Thu 11:48
 北海道砂川市が市有地を無償で空知太神社に使わせていることは、政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、きのう(20日)、最高裁大法廷は「憲法が禁じた宗教団体に公の財産を提供する行為」と述べ、市の土地提供を違憲と判断し、「違憲性を解消する他の手段について審理が必要」として審理を札幌高裁に差し戻しました。政教分離訴訟で最高裁が違憲判断を示すのは、1997年の愛媛玉ぐし料訴訟判決に続き2例目です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       こぶとりじいさん(鳥居)

 これは、1974年9月9日に昔ばなしシリーズの第5集として発行された「こぶとりじいさん」のうち「鳥居」と題する一枚です。

 切手の原画を担当したのは日本画家の片岡球子です。片岡は、今日伝えられている「こぶとりじいさん」の物語のさまざまなバージョンのなかから、岩手県和賀郡黒沢尻町に伝わるものに独自の解釈を付け加えて、以下の三点の原画を作成しました。このうち、今回ご紹介の「鳥居」については、「裕福な爺さんは長寿を望むがコブが唯一の悩みで、貧しい爺さんはコブを取って働きやすくしたいと願っており、2人が願いごとが良くかなうとされる八幡様に願掛けに出かけた場面」と説明されています。

 これに対して、切手の発行当時、三重県の関口精一は「八幡宮という名称と鳥居を切手に印刷しているのは特定の宗教法人に利益を与えるもので、宗教の自由を定めた憲法に反する」として、三重行政監察局に切手の発売禁止勧告を求める申し立てを行っています。ただし、その後この切手が発売中止になったという話は聞いたことがありませんので、おそらく、申し立てはあっさり却下されたのでしょう。

 神社や神道の行事に関しては、しばしば、ある種の市民団体が政教分離を定めた憲法に違反するとして裁判を起こしていますが、その他の宗教の施設や行事が同様の裁判の対象となった事例というのはあまり聞きませんねぇ。そういう人たちは、宗教団体が政党を組織して国会議員を送り込んでいることや、公の施設でクリスマスの行事を行うこと、中学・高校の古文の授業で仏教説話を教えたり、歴史の授業で仏像の素晴らしさを語ったりすること、さらには、キリスト教に基づく“西暦”を使用していることなどについても、バンバン訴訟を起こしていてもよさそうなものなのですが…。どうも、彼らには神道だけを狙い撃ちにしたい別の理由があるんでしょうな。

 いわゆる政教分離訴訟の多くは“社会通念の範囲内”として原告の訴えが退けられる結果となっていますし、“こぶとりおじさん”の僕もそれが妥当な判断だと思いますが、ときどき“社会通念”にクレームをつけてくる人がいるのは、どうにも疲れますな。

 なお、この切手を含む「昔ばなしシリーズ」については、拙著『沖縄・高松塚の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 あの飛行機も日航機だった
2010-01-20 Wed 10:01
 きのう(19日)、日本航空と子会社の日本航空インターナショナル、ジャルキャピタルの3社が会社更生法を申請し、経営破綻しました。負債総額は負債は日本航空が約6715億7800万円など、3社合計で約2兆3221億8100万円。金融機関を含めても戦後4番目の大型倒産で、一般の事業会社としては、2000年のそごうの1兆8700億円を抜いて最大規模の倒産となりました。というわけで、きょうは日航ネタということでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      よど号カバー

 これは、1970年3月の日航機“よど号”のハイジャック事件(よど号事件)の際、よど号に搭載されていたカバーです。

 1960年代末、日本では吹き荒れていた学園紛争の嵐は、1969年1月の東大・安田講堂の攻防戦を機に退潮していきましたが、一部の活動家は、“赤軍派”を称して革命を夢想し、テロ活動を展開するなど先鋭化していきました。

 そうした中で、田宮高麿を中心とする9人の赤軍派学生らは、日本に共産主義革命を起こすために海外で軍事訓練を受けることを企図。1970年3月31日、東京(羽田)発福岡行の日航機よど号をハイジャックして、平壌へ行くことを機長に要求しました。もっとも、犯人グループの行動は場当たり的で、事前に北朝鮮側と打ち合わせを行っていたわけではなく、北朝鮮への入国に対しても北朝鮮当局の了承も得ていませんでした。

 このため、よど号は、給油のために福岡空港に着陸して人質のうちの老人・婦女子を解放した後、いったん、北朝鮮の領空に入ったものの、北朝鮮側から着陸の許可が下りない可能性が高かったため、ソウル近郊の金浦空港に偽装着陸。日・米・韓三国の警察当局は、共同作戦で犯人たちを逮捕しようとします。

 しかし、偽装着陸を察知した犯人側は、「ここは北朝鮮だ」と説得する空港職員(に変装した警察官)に対して、金日成の巨大な肖像を持参するよう要求。当時の韓国内にそのようなものがあるはずもなく、警察当局のもくろみは頓挫してしまいます。

 結局、犯人側は、人質とともによど号内に篭城。騒ぎが大きくなるにつれ、北朝鮮側も、犯人たちを受け入れることが、自国の政治宣伝に有益であると判断するようになり、田宮らの受入れを承諾し、最終的に、運輸政務次官の山村新次郎が人質となることで一般の乗客が解放され、4月3日、犯人グループは北朝鮮に亡命し、山村も解放されました。

 その後、よど号グループのメンバーは、ながらく、北朝鮮内で生活しているものとされていましたが、現在では、北朝鮮当局の意を受けて、彼らが海外での日本人拉致事件に関与していたことが明らかになっています。北朝鮮が国際社会から“テロリスト支援国家”とされているのは、こうしたよど号グループの亡命受入や、その後の彼らの活動なども、その根拠の一つとなっています。

 さて、事件当時、よど号には少なからぬ郵便物が搭載されていましたが、4日間にも及んだ事件の影響により、そうした郵便物の配達は通常よりも大幅に遅れることになりました。このため、事件後、よど号から回収された郵便物には、「この郵便物は乗取り事故の日航機に搭載されていたため遅延しました」との事情説明の付箋が貼られ、名宛人に配達されています。今回ご紹介のカバーもその一例です。

 なお、よど号事件と事件が日韓関係に与えた影響などについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 安保改定50年
2010-01-19 Tue 11:40
 1960年1月19日にワシントンで新「日米安全保障条約」(60年安保)が調印されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      日米修好通商100年(大統領の会見)

 これは、1960年5月17日、日米修好100年の名目で発行された記念切手の1枚で、“遣米使節がアメリカ大統領ブキャナンと会見する場面”が取り上げられています。切手の元ネタは、1860年5月26日付の米紙HARPER’S WEEKLYのイラストで 、中央左側の人物が大統領のブキャナンです。描かれている日本人は、(画面中央から右へ順に)名村五八郎(通訳)、新見豊前守正興(正使)、村垣淡路守範正(副使)、小栗豊後守忠順(一般には上野介の名で知られる。使節団監察)、成瀬善四郎(外国奉行組頭)です。

 1951年、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安保条約(旧安保条約)は、日本側から見ると、基地を貸して安全保障を得るという「モノと人との協力」を前提にしたものでしたが、その内容は、アメリカの日本防衛義務が明文化されていなかったばかりでなく、日本はアメリカの同意なしに第三国に基地を提供できず(第三国の駐留権禁止条項)、日本国内の内乱に際しては米軍が出動できる(内乱条項)など、あまりにも片務性と不平等性が強いものでした。

 このため、日本側には、アメリカによる日本防衛の義務を明文化し、その義務と日本がアメリカに基地を提供することの義務との間の双務性を明確にすると同時に、内乱条項をはじめとする旧安保条約の不平等な部分を改定したいという希望がありました。

 しかし、鳩山一郎内閣による日ソ国交回復や、病気により2ヶ月で退陣したとはいえ、鳩山の後を継いだ石橋湛山内閣の対中国宥和方針などの自主外交路線に対して、アメリカは東西冷戦という国際秩序に照らして強い警戒感を抱き、日本側の安保改定の要求を時期尚早として斥けていました。

 これに対して、1957年2月、強硬な反共主義者で、保守合同に手腕を発揮した岸信介が安定政権を成立されると、アメリカもようやく安堵します。そして、同年6月、訪米した岸が旧安保条約の再検討をアメリカ側に申し入れると、アメリカ側もこれに同意します。

 さらに、1958年、アメリカ統治下の沖縄で“反米的”な民主主義擁護連絡協議会の兼次佐一が那覇市長に当選したことも、世界各地で反植民地闘争が展開されているなかで、対日関係を改善する必要をアメリカに痛感させることになりました。

 この結果、1959年10月から、安保改定のための具体的な交渉が開始され、1960年1月19日、それまでの行政協定に代わる地位協定や事前協議に関する交換公文とともに、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約(新安保条約)」がワシントンで調印されました。もちろん、新安保条約も、本質的には、日本がアメリカに基地を貸して安全保障を得るという旧安保条約の構造を継承したものであり、その意味では対等の相互防衛条約ではありませんでしたが、それでも、形式的には、新条約は旧条約に比して、はるかに、日米の関係は“平等”なものでした。

 新条約の調印を受け、アメリカ大統領アイゼンハワーの訪日が正式に決定され、アメリカ側は返礼として皇太子ご夫妻の訪米を要請します。

 もっとも、新安保条約の成立を記念して皇太子ご夫妻が訪米するというのは、条約そのものへの賛否とは別に、皇室の政治利用であるとして国内世論の強い反発を招くことが予想されました。そこで、名目として考え出されたのが“日米修好100年”でした。

 日米修好通商条約の調印は1858年ですから、一般には、その100周年は1958年とするのが自然でしょう。実際、1958年には、同条約によってもたらされた開港100年の各種記念行事が行われ、記念切手も発行されています。

 これに対して、日本政府は、条約の批准書をアメリカに届けたのは1860年であり、批准書の交換なくして条約が発効しない以上、1960年こそが条約の100周年としてふさわしいとして、各種記念行事を1960年に実施したわけですが、そこには、同年の安保改定を祝う意味が込められていたとみるのが自然でしょう。

 なお、1960年の安保改定と、それに伴う日米修好通商100年の記念イベント、さらにはその一環として行われた皇太子ご夫妻の訪米については、拙著『皇室切手』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 切手で巡る庭園散歩:虎豹別墅
2010-01-18 Mon 11:57
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の1月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手で巡る庭園散歩」では、今月は、新年でもありますし、干支のトラにちなんで、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイガーバームガーデン

 これは、“返還”後の1999年に香港で発行された5ドル切手で、タイガーバームガーデンが描かれています。1999年に発行された香港の普通切手“新風景シリーズ”は、その名の通り、香港各地の名所を取り上げたもので、それらを組み合わせて地図上の場所を示した小型シートも発行されています。単片切手がどこかにあったはずなのですが、整理が悪くて出てこないので、小型シートの該当部分をトリミングしたモノをお見せします。

 香港にはかつてタイガーバームガーデン(中国語では“虎豹別墅”または設立者の名を冠した“胡文虎花園”)と呼ばれる庭園がありました。

 虎豹別墅は、万能軟膏薬として“タイガーバーム”こと“萬金油”を売り出し一代で財をなした胡文虎が、1935年、一族の私的な別荘として建設したもの。園内には、高さ44メートル、7層構造のパゴダを中心に、仏教や中国の故事・説話などから採った多種多様な像が所狭しと配されていました。いずれも極彩色でキッチュな庭園として観光客の人気を集めていたが、もともとは地獄と極楽のジオラマを通じて道徳や人の道を考える構成だったのだそうです。

 創立者の胡文虎は1954年に亡くなりましたが、その後、敷地は少しずつ切り売りされて高層マンション等が建てられていき、香港が中国に返還された後の2000年、老朽化のため完全に閉鎖され、一般の立ち入りは禁止されてしまいます。ただし、施設の一部は香港の二級歴史建築に指定されて保護の対象となっているため、現在でも取り壊されてはいません。

 切手は、閉鎖前年の発行ですが、園の外側からの眺めをとりあげており、公園の最大のウリとなっていた極彩色の像が見えないのは少し残念です。ちなみに、切手上の表示は、虎豹別墅ではなく胡文虎花園となっていますが、やはり、“タイガーバーム”という商品名につながる虎豹別墅よりは、創立者の名前の方が適切と判断されたのかもしれません。

 なお、香港返還前後の切手とその社会的な背景については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 第1回“テーマティク出品者の会”切手展は、昨日(17日)、盛況のうちに無事終了いたしました。御参観いただきました皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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 大震災から15年
2010-01-17 Sun 10:17
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災からきょうで15年です。というわけで、きょうは、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      趣味週間(震災募金つき)

 これは、金島桂華の「画室の客」を取り上げた1995年の切手趣味週間の切手で、額面80円に対して阪神・淡路大震災の災害復興のための募金20円がつけられています。

 金島は1892年、広島県の出身。14歳から本格的な絵画の修業を始め、1911年、京都の竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入塾。花鳥画を基本に修行しました。1918年の第12回文展で初入選した後、1925年帝展に出品した「芥子」が特選となり、画家としての地位を確立しました。写実に徹しながらも、新しい感覚と豊かな色彩による花鳥作品に挑み続け、1953年に日本芸術院賞受賞。1954年には日本芸術院会員となり、京都画壇の重鎮として活躍した後、1974年に亡くなりました。切手に取り上げられた「画質の客」は1954年の作品です。 

 さて、阪神・淡路大震災の時は、社会党の村山富市が首相でした。長年、自衛隊は違憲であると主張し続けてきた村山ら社会党の面々は、政権をとると自衛隊の存在を認めたものの、震災時には自衛隊の出動に逡巡し、結果的に被害を拡大させています。また、社会党議員の中には、ともかくも被災地救援のために自衛隊を出動させてほしいと国会で要請した地元議員に対して口汚いヤジを飛ばした者もありました。

 現在、わが国の政権は、保守系の国民新党も加わっているものの、社会党の直系の社民党と旧社会党系の議員を少なからず抱えている民主党をあわせた勢力が圧倒的多数を占めています。「三つ子の魂百まで」ではありませんが、大人になった人間の本質が15年やそこらでそうそう変わることはないでしょう。そう考えると、大いに不安に感じるのは僕だけではないと思います。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 本日(17日)最終日! 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 十勝の天然記念物
2010-01-16 Sat 12:10
 民主党幹事長・小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる事件で、小沢の元秘書で民主党の衆議院議員・石川知裕(北海道11区)が逮捕されました。というわけで、石川の選挙区である十勝がらみの1枚です。

      ウスバキチョウ

 これは、1986年7月30日、「昆虫シリーズ」の第1集として発行されたウスバキチョウ(薄羽黄蝶)の切手です。

 ウスバキチョウは、鱗翅目アゲハチョウ科の一種で、北海道の大雪山系および十勝山系の高山帯のみ分布しています。アゲハチョウの中でも原始的な種類で、氷河時代からの生き残りともいわれており、約11ヵ月間、卵の状態で越冬し、3ヵ月の幼虫期間を経て、蛹の状態でおよそ10ヵ月間越冬し、2年かかってようやく成虫になります。幼虫の食草は天然記念物のコマクサで、絶滅の危機に瀕しているとして国の天然記念物に指定されています。

 「昆虫シリーズ」は、郵政省が環境庁自然保護局や国立科学博物館などとも打ち合わせ、①日本の固有種またはそれに近いものの中で色、形が美しく変化に富んでいるもの、②日本の固有種として貴重であり、天然記念物等の指定を受けているか、又はそれに近いもの、などの基準によって切手に取り上げる昆虫を選定しました。今回ご紹介のウスバキチョウは、その典型例の一つとしてシリーズ第1集に取り上げられたほか、1987年3月12日に発行の小型シートや同年8月11日発行のゆうペーンに取り上げられたほか、1989年4月6日発行の「おもしろ切手帳」にもオーダーキャンセル切手として収録されています。

 さて、きのう逮捕された石川は、ウスバキチョウの生息地である十勝地方を選挙区としていたわけですが、この選挙区では、長年、元財務相の中川昭一が圧倒的な強さを誇っていました。その中川は保守派の有力政治家として将来の総理候補ともいわれていながら、いわゆる“酩酊会見”で一挙に国民の信頼を失い、落選してしまったわけですが、彼ではなく石川を選んだ選挙民の選択が妥当なものだったのかどうか、大いに疑問が残りますな。この点は、同選挙区での投票の権利がない僕にはどうしようもない話なのですが…。

 いずれにせよ、選挙区内だけではなく、全国民的に信頼を勝ち得られる国会議員というのは、天然記念物並みの存在でしかないのかもしれません。

 なお、今回ご紹介の切手を含む「昆虫シリーズ」の詳細については、拙著『昭和終焉の時代』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 あす(17日)まで開催中! 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 きょうからJTPC展です
2010-01-15 Fri 13:16
 きょう(15日)から、東京・目白の切手の博物館でテーマティク出品者の会(JTPC:Japan Thematic Philatelists Club)の切手展がスタートしました。僕も、「マシュリク近現代史」と題して、3フレーム(48リーフ)の作品を出品しています。その中から、こんなモノを御紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・パレスチナ加刷     ヨルダン・パレスチナ逆加刷     

 これは、1948年にトランスヨルダンが発行したパレスチナ加刷切手(左)と、その逆加刷(右)です。僕のコレクションは、“歴史”を扱っている関係から、どうしてもカバーが中心になってしまうのですが、少ないながらも、単片のバラエティも使っているので、持ってきてみたという次第です。

 第一次大戦後の旧オスマン帝国領の分割の過程で、1921年、イギリスはヨルダン川東岸地域に委任統治領としての“トランスヨルダン(ヨルダン川東岸を意味する)”を創設。大戦中、いわゆるアラブ叛乱でオスマン帝国との戦いで重要な役割を果たしたハーシム家のアブドゥッラー(切手の人物です)をアミール(首長)として、アンマンに政府を樹立しました。

 その後、トランスヨルダンは1946年にイギリスから独立。1948年5月に第一次中東戦争が勃発すると、イスラエルの独立を阻止するとして参戦し、イギリス撤退後のヨルダン川西岸地区を占領しました。今回ご紹介の切手は、これに伴い発行されたものです。

 第一次中東戦争は、結局、イスラエル側の勝利に終わりましたが、トランスヨルダンのアラブ軍団は1949年4月の休戦までエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区を維持します。そして、イスラエルとの休戦協定成立後の1949年6月、トランスヨルダンはヨルダン川西岸地区と東エルサレムを併合し、新国家“ヨルダン・ハシミテ王国”の建国を宣言し、ここに、現在のヨルダン国家が誕生しました。エジプトによるガザ地区の占領と同様、“パレスチナ解放”の大義とは裏腹に、アラブ諸国が混乱に乗じてパレスチナの犠牲の上に自国の権益を拡大しようという意図をもって参戦していたことを象徴的に示している事例といってよいでしょう。
 
 さて、今回の作品のタイトルになっているマシュリクというのは、もともとはアラビア語で“日が昇るところ”の意味で、“日の没するところ”としての西方アラブ世界のマグレブに対する東方アラブ世界のことで、その範囲としては、エジプト以東の地中海東岸からイラクを指すのが一般的です。僕の今回の作品では、現在の国名でいうと、シリア・レバノン・パレスチナ・ヨルダン・イラク・アラビア半島を扱いました。将来的には、エジプト近現代史、マグレブ近現代史のコレクションも作ってアラブ世界全体をカバーしたいのですが、今回の作品は、その第1歩としてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 ゾルゲと勲章
2010-01-14 Thu 13:40
 ゾルゲ事件で逮捕された画家の宮城与徳に対して、旧ソ連が1965年に授与を決めた勲章が、きのう(13日)45年ぶりに東京・港区のロシア大使館で遺族に贈られたそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ゾルゲ(ソ連1965)

 これは、ゾルゲ事件の首謀者、リヒャルト・ゾルゲの生誕70年にあたる1965年にソ連が発行した切手です。
 
 ゾルゲは、1895年、ソ連支配下のアゼルバイジャンの首都、バクーでドイツ人鉱山技師の家に生まれました。

 3歳の時、家族とともにベルリンに帰国した彼は、第一次大戦が勃発すると、1914年10月、ドイツ陸軍に志願しましたが、西部戦線で両足を負傷。入院中に社会主義思想を学び、終戦後はベルリン、キールの大学を経て、1919年にハンブルク大学で政治学の博士号を取取得しました。1919年、ドイツ共産党が結成されるとハンブルク支部に加入し、1924年にはモスクワに渡ってソ連共産党に加入し、軍事諜報部門である労農赤軍参謀本部第4局に配属されました。

 1930年代には、ドイツの有力紙「フランクフルター・ツァイトゥング」の記者という身分を隠れ蓑として、上海で諜報活動を行い、中国各地に情報網を築くことに成功します。朝日新聞記者だった尾崎秀実と知り合ったのは、この時代のことです。

 1932年の第一次上海事変を報道した後、ゾルゲはいったんモスクワに戻りましたが、1933年9月、日本やドイツの動きを探るために「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員にしてナチス党員として日本に赴任。駐日ドイツ大使を務めたオイゲン・オットの信頼を勝ち取り、最終的に大使の私的顧問の地位を獲得し、近衛内閣のブレーンであった尾崎を通じて収集した日本の情報をモスクワに送っていました。

 スパイとしてのからの最大の“業績”は、①駐日ドイツ大使との関係を利用して、ドイツのソ連侵攻の正確な開始日時を事前に察知し、モスクワに報告したこと、②独ソ戦開始後、日本軍の矛先が同盟国のドイツが求める対ソ参戦に向かうのか、仏領インドシナやイギリス領マレー、フィリピンなどの南方へ向かうのかという点について、日本が南進を決定したことを、いわゆる太平洋戦争の開戦以前にモスクワに報告したこと、の2点となりましょう。このほかにも、日本の武器弾薬、航空機、輸送船などのための工場設備や生産量、鉄鋼の生産量、石油の備蓄量などについて、彼は正確な情報を探知して、モスクワに報告しています。

 ゾルゲのスパイ活動が発覚した発端は、1941年6月に逮捕された日本共産党員の伊藤律が、アメリカ共産党員で当時日本に住んでいた北林トモの名を自供したことで、そこから北林の同志である宮城与徳が逮捕され、芋づる式にゾルゲや尾崎の逮捕につながりました。逮捕されたゾルゲは、1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴され、一審によって死刑が確定し、1944年11月7日のロシア革命記念日に巣鴨拘置所にて処刑されました。

 ゾルゲの逮捕後、ソ連政府はゾルゲが自国のスパイであることを否定し続けていました。しかし、スターリン批判を行ったフルシチョフが失脚した直後の1964年11月5日、ソ連政府はゾルゲに対して“ソ連邦英雄勲章”を授与しました。今回ご紹介の切手も、こうした文脈に沿って発行されたものです。なお、印面の下部に描かれている勲章の実物は金星なのですが、切手ではグレーで印刷されています。


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 ハイチで大地震
2010-01-13 Wed 13:43
 カリブ海の島国ハイチで、現地時間12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)、マグニチュード7の大地震があり、首都ポルトープランスなどで病院や民家などが倒壊し(一部報道によると大統領府の建物も倒壊したそうです)、数千人とも言われる多数の死傷者が出ているとのことです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ最初の切手

 これは、1881年に発行されたハイチ最初の切手のうちの3セント切手で“自由の女神”が描かれています。

 ハイチのある西インド諸島のイスパニョラ島は、1492年のコロンブスによる“発見”いらい、スペインが占領していましたが、1697年のライスワイク条約で島の西側3分の1はフランス領となります。1789年、フランス本国で革命が勃発すると、イスパニョラ島のフランス領地域の黒人奴隷とムラート(混血の自由黒人)たちは1791年に蜂起。イギリスの支援を得て、1804年にハイチ共和国として独立を宣言しました。

 最初の切手が発行されたのは1881年のことでしたが、当時のハイチは、フランスに対する巨額の賠償金(独立時にフランス系植民者たちから接収した農園や奴隷などに対して請求されました)による経済の崩壊、小作農たちの没落、列強の圧迫、相次ぐ大統領の交代や内戦、国家分裂で混乱状態が続いていました。このため、近隣地域の不安定化を恐れたアメリカは1915年、ハイチに海兵隊を上陸させて占領し、1941年まで(軍事駐留は1934年まで)この地を支配します。しかし、アメリカの撤退後、ハイチ国内は再び混乱に陥り、1957年から1986年までは悪名高きデュヴァリエ独裁政権の時代に突入します。1986年、デュヴァリエは国家財政破綻の責任を問われ、クーデターで失脚。その後も、左派のアリスディドと反対派による激しい対立によって国内状況は安定せず、2004年にアリスディドが亡命した後も、現在に至るまで混乱が続いています。

 なお、切手収集家としては、ハイチそのものというよりも、隣国のドミニカ共和国が1901年に発行した切手の地図をめぐって、両国の間で戦争が勃発したということのほうが有名だろうと思います。

 とまれ、なかなか、日本ではニュースに登場することのない国でありますので、今回、取り上げてみたという次第です。
 

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 この鞍の乗り心地は?
2010-01-12 Tue 11:33
 きのう(11日)、日本中央競馬会(JRA)の中山4R新馬戦(中山競馬場、ダート1800メートル)で、出走16頭中、9頭が落馬、6騎手がけがをする大事故が起きました。1レースで9頭落馬は史上最多だそうです。というわけで、きょうは年末に刊行の拙著『昭和終焉の時代』のなかから、馬具に関するこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      金堂透彫鞍金具

 これは、1989年6月30日に発行された「第3次国宝シリーズ」第7集の1枚で、「金銅透彫鞍金具」が取り上げられています。

 切手に取り上げられた金堂透彫鞍金具は、1848年8月、応神天皇の陵墓とされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)の陪墳、古市丸山古墳から、2具の鞍金具と、金銅轡鏡板、金銅花形辻金具、鹿角装刀残闕、鉄鏃、鎧等残闕などとともに出土したもので、古墳出土の鞍の中でも最も優れたものとして国宝に指定されています。

 竜の文様が唐草ふうに透彫りされており、それぞれの竜が中央に向かう形で連続して配列されて鞍橋の表面全体を覆うデザインは、朝鮮半島・伽耶の古墳から出土した副葬品の文様とも酷似しています。大陸・朝鮮半島との交渉を物語る史料として価値が高いだけでなく、製法手法の精巧さや意匠の壮麗な点で古代美術工芸の面からも重要な一品で、現在は、誉田御廟山古墳のすぐ南側に鎮座する誉田八幡宮(祭神は応神天皇)の所蔵品です。

 なお、過去2回の国宝シリーズでは、考古資料は切手の題材選定に際して対象外とされていましたが、第3次シリーズでは、絵巻物などの絵画が最初から対象外とされ、代わりに、“考古”が含まれることになりました。今回ご紹介の金銅透彫鞍金具や第8集の金印ならびに神人車馬画象鏡などは、これに伴い切手に取り上げられたものです。

 ちなみに、1987年5月に発行が始まった「第3次国宝シリーズ」のうち、国内書状料金用の切手は、第6集までは額面60円でしたが、1989年4月1日の消費税導入に伴う郵便料金改正により、今回の第7集と次の第8集は額面が62円になりました。そういえば、きのうは成人の日で、テレビのニュースでも「20年前の出来事」として消費税導入の時のようすが取り上げられていましたな。

 余談ですが、きのうの大落馬事故は、ノボプロジェクトに騎乗していた三浦皇成騎手が、第4コーナーで斜行し、隣の馬を転倒させたのが原因でしたが、三浦騎手は1989年12月19日生まれですから、今回ご紹介の切手が発行されたときには、まだ生まれてなかったんですねえ。時代を感じるなぁ。

 
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 原因が販売元にあるのか、流通にあるのか、著者である僕にはよくわからないのですが、年末以来、問題が全く解消されず、僕としてもほとほと弱り切っております。ただし、これ以上、皆様にご眼枠をおかけするわけにもいきませんので、お急ぎの方は、このブログ経由でメッセージ(右側・下の方にメールフォームがあります)をお送りいただければ、内藤が個人として対応いたしますので、遠慮なくお申し付けください。
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 わけのわからん若者の切手
2010-01-11 Mon 12:41
 きょう(11日)は成人の日です。というわけで、昨年末に刊行の拙著『昭和終焉の時代』のなかから“若者”ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国際青年年

 これは、1985年7月20日に発行された“国際青年年”の記念切手です。

 1979年の第34回国連総会で、“参加・発展・平和”のテーマの下、1985年を“国際青年年”(International Youth Year)とすることが決定されました。その背景には、地球上には絶えることのない争いと、飢え、貧困が存在し、人類の未来に大きな影を落としているという状況認識があり、そうした厳しい状況を見すえ、反省を促し、明日を築く青年を守り育て、ひいては世界平和の建設をめざすことが「国際青年年」にこめられた願いであるというのが、事業としての国際青年年の趣旨だそうです。

 国際青年年実施の決定を受けて、わが国でも1984年2月、内閣総理大臣(当時は中曽根康弘)を議長とする国際青年年事業推進会議が設立され、1985年1月15日の“成人の日”に国際青年年の開幕が宣言されました。その後、4月から各種のイベントが行われましたが、7月19日から27日にかけて“国際青年年の村”が東京で開催され、期間中の21日には東京・北の丸公園の日本武道館で中央記念式典として「21世紀へ 躍動の祭典」が実施されています。なお、切手の発行は20日ですが、これは、式典当日の21日が日曜日だったためです。

 さて、切手は青年男女のシルエットにシンボルマークを配したものということですが、どうもよくわからんデザインですな。まぁ、“国際青年年”の趣旨そのものが、いまいち抽象的でよくわからないので、原画を担当した武荒勧嗣も相当苦労したのだろうとは思いますが…。

 僕を含めて、40歳を超えたオジサン連中はえてして、20代の人たちのことを“わけのわからん若者”とひとくくりにして文句を言ってしまいがちですが、今回ご紹介の1枚は、“わけのわからん若者”の切手というより、「若者を題材としたものの、わけのわからん切手」という意味で、“わけのわからん若者の切手”といえそうですな。


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 ハワイ切手のバッグ
2010-01-10 Sun 21:08
 きょう(10日)は、東京・池袋の桐杏学園で行われた切手市場で、拙著『昭和終焉の時代』行商即売・サイン会を行ってきました。大勢の方にお集まりいただき、また、予想以上に売り上げも上がり、あらためてお礼申し上げます。

 さて、僕は普段、著書の行商即売・サイン会に出かける場合、和装で行くことが多いのですが、今回はカジュアルな洋装で行きました。昨年末に入手した下の画像の鞄を持って行きたかったからです。

      レスポートサック(ハワイ)

 これは、カラフルなナイロン鞄で知られるアメリカのブランド、レスポートサックのショルダーバッグ(ハワイ限定商品だと都内のディスカウントショップの店員は言っていましたが、真偽のほどは定かではありません)で、ハワイを題材とした切手柄がちりばめられています。レスポートサックといえば、女性に人気のあるブランドですので、スーツ姿の男が持ち歩くのは抵抗があるのですが、このかばんの場合、茶系のカジュアルな格好なら、まぁ許容範囲かなと思ったわけです。で、鞄にプリントされている“切手”の大半は架空のものですが、なかには、実際の切手を取り上げたモノもありました。その部分と、オリジナルの切手の画像をお見せしましょう。

      レスポートサック(ハワイ・部分)     ハワイ・紋章1セント

 画像右の切手は、1894年に“ハワイ共和国“が発行した1セント切手です。

 1820年代以降、ハワイでは白人(その中心はアメリカ人)による捕鯨や白檀貿易などが行われるようになり、1835年からサトウキビのプランテーション栽培も始まりました。白人たちが上陸するようになると、ハワイには外来の疫病が蔓延し、ネイティヴ・ハワイアンの人口は激減。あわせて、アメリカ人によるプランテーション経営の規模は拡大の一途をたどり、ハワイにおけるアメリカのプレゼンスはますます増大していくことになります。

 こうした状況の中で、近代化の推進に伴うハワイ人の民族意識の高まりを背景に、ハワイ人による王制の強化を求める王制派と、アメリカ人資本家を中心に、王制を打倒しアメリカへの併合をめざす共和派の対立が深刻化。1887年、共和派はクーデタを敢行し、国王カラカウアに新憲法への署名を強要します。この新憲法は、国王の権限を大幅に制限して議会へ委譲するものでしたが、参政権が一部の富裕層にしか与えられていなかったため、実質的に、ハワイ人とアジア系移民の参政権を排除するものとなっていました。

 1891年、失意の中でカラカウアが渡米先のサンフランシスコで客死すると、後継女王として即位した妹のリリウオカラニは共和派との対決姿勢を強め、1893年1月14日、国王の権限強化を盛り込んだ憲法草案を閣議に提出します。これに対して、アメリカ公使のスティーヴンスは社会不安を理由に、1月16日、アメリカ海兵隊の“応援”を要請。海兵隊はイオラニ宮殿を包囲し、翌17日には共和派が政府庁舎を占拠し、王政廃止と“アメリカが正式にハワイを併合するまでの臨時政府(以下、臨時政府)”の樹立を宣言しました。これが、いわゆるハワイ革命です。

 共和派のクーデタによって臨時政府が発足したことに対して、当初、アメリカ政府は現地のアメリカ系財閥の暴走を苦々しく見ており、“革命”を不法なものとして、ハワイ併合を拒否。スティーブンス公使を更迭し、調査団を派遣しました。このため、臨時政府側は、1894年7月4日(アメリカ独立記念日)、ハワイ共和国の独立を宣言しました。

 今回、ご紹介の切手はそのハワイ共和国の切手の1枚で、共和国の国章が取り上げられています。国章のデザインが星条旗を意識して作られていることは明らかで、アメリカ本国への統合を求める共和国首脳部の意識がうかがえます。

 その後、1895年1月、王制派は反共和制の反乱を起こすものの失敗。リリウオカラニは逮捕され、女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は完全に滅亡しました。

 このハワイ王国の事例を思い起こすたびに、現在の民主党政権が導入を目指そうとしている外国人の地方参政権に対して大いに不安を感じるのは僕だけではないはずです。まぁ、この問題については、今後もこのブログで取り上げる機会があると思いますので、きょうのところはこのくらいで。


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 テロ支援国家の発想
2010-01-09 Sat 10:53
 さきごろ、日本の調査捕鯨船・第2昭南丸に体当たり攻撃を仕掛けてきたテロリスト団体“シー・シェパード”が、テロ攻撃に用いた船を放置し、重油のようなものを垂れ流しにして放置しているばかりか、被害者である第2昭南丸の船長と乗組員を“海賊行為”でオランダの検察当局に告訴したそうです。まさに、盗人猛々しいとはこのことですな。で、こうした連中を擁護して恥じることのないオーストラリア人というのは、いったい、何を考えているのかと思っていたら、こんなマテリアルが出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ネッドケリー(1980)

 これは、1980年にオーストラリアで発行されたネッド・ケリー処刑100周年の切手つき封筒です。

 エドワード(ネッド)・ケリーは1855年、アイルランドで生まれました。父親は犯罪者で、オーストラリアに流刑されてきた人物。母親も無法者ぞろいだと評判の悪いクイン一家の出身で、一家は、家畜泥棒として常に警察にマークされている存在でした。

 こうした犯罪者一家に育ったネッドは、10代になるとすぐに窃盗に手を染め、14歳で初めて起訴され、15歳の時、3度目の逮捕で有罪宣告を受けています。さらに、16歳の時には馬の窃盗で重労働3年の判決を受けて服役し、19歳の時に釈放されますが、出所後、母親の再婚相手ジョージ・キングが企てた馬の窃盗に加担して、さらに大規模な家畜の窃盗を繰り返します。

 1878年4月、ネッドと母親のエレン、弟のダンらは警察官暴行を加え、射殺しようとしたものの失敗。母親は逮捕されましたが、ネッドとダンは逃走し、仲間のジョー・バイアン、スティーブ・ハートとともに“ケリー・ギャング”を構成。以後、彼らを逮捕しようとする警察をあざわらうかのように、数々の犯罪行為を行いました。

 その代表的な事例だけでも、1878年の騎馬警官3人の襲撃・殺害、 ヴィクトリアでの銀行強盗、1879年のニューサウスウェールズでの2度目の銀行強盗等があり、1880年の列車強盗などがあります。1880年の列車強盗に際しては軍隊までをも動員した大規模な銃撃戦の末、ようやく、ネッドは逮捕され、死刑判決を受けて同年11月11日に処刑されました。今回ご紹介の切手つき封筒は、その100周年を記念して発行されたものです。

 このように、ネッド・ケリーは極悪非道な犯罪者でしかないのですが、オーストラリアでは貧しく、虐げられた移民たちの中から現れた“義賊”に祭り上げられ、権威に反抗した英雄として人気が高いのだそうです。まぁ、文学や映画などの世界では“犯罪(者)の美学”が語られることは少なくありませんので、ネッド・ケリーを題材にした小説や映画が人気を集めることはあるでしょうし、中には、芸術的にも価値の高いものもあるかもしれません。ただ、そうした作品ではなく、単なる犯罪者そのものを顕彰する切手を、国家の名において発行というのはどうなんでしょうねぇ。

 たとえば、韓国で切手に取り上げられた“抗日義士”の李奉昌などは、日本人から見れば、単なるろくでなしの犯罪者に過ぎないのですが、それでも、彼らの歴史観からすれば、(僕自身は決して支持しませんが)抗日闘争の英雄という大義名分がたつであろうことは理解できますが、今回ご紹介のネッド・ケリーについては、なかなか理解しがたいものがありますな。

 まぁ、こうした土壌があればこそ、オーストラリアという国はシー・シェパードのようなテロリストを英雄視してなんら恥じることがないのでしょう。一昨日の記事でも書きましたが、。“テロとの戦争”が世界的な課題であるのなら、テロ支援国家に対しては国際社会が一致団結して経済制裁を行い、必要とあらば軍事制裁を行うぐらいのことをしなければ、同じような理由で軍事攻撃を受けたアフガニスタンやイラクの国民は納得できないはずです。


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 スマトラトラ
2010-01-08 Fri 22:49
 世界自然保護基金(WWF)インドネシア支部が、絶滅危惧種のスマトラトラの野生の母子のビデオ撮影に初めて成功したそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラトラ

 これは、1977年にインドネシアが発行した同国内の絶滅危惧種を取り上げた切手の1枚で、スマトラトラが取り上げられています。

 スマトラトラはトラの中でも最小の亜種で、生息域のインドネシア・スマトラ島はトラの生息域としては最も南に位置しています。また、野生のトラの中で、アジア大陸ではなく、島に生息しているのはスマトラトラのみだそうです。他のトラに比べて、縞模様は多く、かつ幅広く、肩部より後は2本ずつの束になってるのが特徴で、オスは頬の毛や首筋のタテガミが長く伸びています。

 現在、野生のスマトラトラの生息数は300~500頭と推測されていますが、詳しいことは不明です。個体数が減少している主な原因としては、毛皮などを取るための密漁にくわえ、森林の乱伐や火災などによる生息地の減少もあるとされており、インドネシアでは絶滅の危機から守るため、1995年からスマトラトラプロジェクトが開始され、野生での研究や保護活動などが行われています。

 それにしても、今回のビデオ撮影の成功は偶然のタイミングなのでしょうが、トラ年の年頭を飾るのにふさわしい話題ですな。おなじ自然保護でも、昨日の記事で取り上げたようないかがわしい連中と違って、世の中のためになる活動を地道に続けておられる方々には、素直に敬意を表したいと思います。


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 ニュージーランドの捕鯨
2010-01-07 Thu 21:50
 昨日(6日)、環境テロリスト団体“シー・シェパード”の妨害船アディ・ギル号が、南極海で日本の調査捕鯨団に対して、薬品入りのボールのようなものをぶつけたり、船団に異常接近するなどの妨害行為を行ったうえ、日本側が警告のために行った放水を無視して監視船・第2昭南丸に体当たり攻撃を仕掛け、大破する事件がありました。この件に関して、日本政府はテロリスト船の船籍国であるニュージーランド政府に対して厳重に抗議をしています。というわけで、きょうはこの1枚です。

      サウスランド100年

 これは、1956年にニュージーランドで発行されたサウスランド100年の記念切手で、19世紀の捕鯨のようすが描かれています。

 サウスランドはニュージーランド南島の最南端で、1861年から1870年までは、行政的にもニュージーランドの1州を構成していました。その地理的な位置から、かつては南氷洋の捕鯨基地として利用されました。今回ご紹介の切手もそうした歴史的経緯を踏まえて発行されたものですが、反捕鯨を唱えるニュージーランド人やオーストラリア人には、この切手をよく見てみろと言ってやりたいですな。

 さて、たびたびニュースをにぎわすテロリスト団体シー・シェパードですが、彼らの実態は、環境保護を口にして派手なテロ活動を展開することによって、“環境保護派”としてイメージ向上を図りたい人々や企業にたかって活動資金を集めているにすぎません。したがって、その本質は、エセ同和やエセ右翼と同様の反社会的集団となんら変わりないといってよいでしょう。ちなみに、日本の捕鯨文化を全く理解しようとしない国際捕鯨委員会は2008年3月、彼らを名指しで非難する決議を全会一致で採択していますし、わが国の水産庁も彼らを正式に“(エコ)テロリスト”に認定しています。

 今回の一件に関して、シー・シェパード側はオーストラリア海軍の保護を求めているそうですが、ここでオーストラリアや船籍国のニュージーランドが彼らに手を貸すようなことがあれば、それこそ、テロリスト支援国家でしかありません。“テロとの戦争”が世界的な課題であるのなら、テロ支援国家に対しては国際社会が一致団結して経済制裁を行い、必要とあらば軍事制裁を行うぐらいのことをしなければ、同じような理由で軍事攻撃を受けたアフガニスタンやイラクの国民は納得しないでしょう。

 環境保護というのは誰もが反対しにくいテーマであるだけに、“環境”を隠れ蓑にした怪しげな組織・団体は後を絶たないのが実情です。環境保護のお題目を持ち出せばすべてが許されるかのような風潮は、絶対に認めてはなりません。


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 サヌアの消印
2010-01-06 Wed 15:23
 アルカイダ系組織の活動が活発化し、イエメンの治安悪化が懸念される中、サッカーのアジア杯最終予選の日本×イエメン戦が、こんや(6日)首都のサヌアで行われます。というわけで、きょうはイエメンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      サヌア消印

 これは、サヌアで使用されたオスマン帝国の1ピアストル切手です。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 さて、オスマン帝国時代の(北)イエメンに近代郵便制度が導入されたのは、1868年、サヌアにオスマン帝国の郵便局が設けられたのが最初です。当時の消印は、ここに示すように、二重の円の中にアラビア語で地名が入っているもので、日付の表示はありません。なお、主要都市での郵便局の開局は、タイズが1871年、フダイダが1873年、モカが1895年です。

 サヌアは、『旧約聖書』の「ノアの方舟」の物語の故地ともされる歴史都市で、現在でも、旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んでおり、数百年前から変わらぬままの古い街並は“生きた博物館”とも称されています。旧市街全体がユネスコの世界文化遺産にも認定されているため、フツーであれば世界中から観光客が訪れているのですが、現在はどうなんでしょうかねぇ。

 ちなみに、サヌアの治安悪化に伴い、今月3日にはアメリカ、イギリス、フランス等が大使館を閉鎖したため、わが国も4日に大使館での領事業務の対外窓口を閉鎖しています。ところが、きのう(5日)になって、イエメン北部でのテロ掃討作戦が一定の成果を上げたことを受けて、アメリカ、イギリス、フランスが業務を再開。日本大使館も近々に業務を再開するとのことですが、なんとなく、対応が後手後手に回っている印象は否めませんな。まぁ、日本代表が6日にサヌアで試合をやることは、かなり前からわかっていたわけですから、彼らが無事に帰国するまでは日本大使館も通常業務を続けていれば、こういう格好の悪いことにはならなかったのでしょうが、そこまで要求するのは酷なのかもしれませんな。


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 ソウルの大雪
2010-01-05 Tue 12:23
 きのう(4日)、韓国のソウルで気象観測が始まった1937年以来最高(事実上、100年ぶりの大雪だそうです)という25.8cmの積雪があり、交通網などが大混乱に陥ったそうです。というわけで、きょうは韓国切手の中から雪景色を描いたものを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・82年用年賀

 これは、1981年末に発行された1982年用の年賀切手で、雪の中で凧揚げを楽しむ子供たちが描かれています。

 伝統的な韓国の凧は、長方形で、中央に風を受けるための丸い穴が開いているのが特徴です。ちなみに、穴を開けたときに切り取った紙は色を塗って穴の上下に貼ります。この紙をコクチといいますが、その色によって凧の名は赤コクチ、青コクチなどと呼ばれます。

 韓国の凧上げには、もともと、厄除けの意味があり、正月(旧暦)15日には、凧に“厄”、“送厄”、“送厄迎福”などと書き、夕方、日没の頃に揚げた凧の糸を切って遠くに飛ばします。このため、凧揚げの時期は正月15日までとされ、15日を過ぎても凧を揚げている人は“行李づくり”(期日があてにならない人)と笑われてしまいます。ということは、今年の旧正月は2月14日ですから、2月の後半が韓国の凧揚げシーズンということになりますな。

 なお、他人の凧を自分の凧糸で切って飛ばしてしまう喧嘩凧は“クノモッキ”とよばれ、かつての李王朝時代のソウルでは、喧嘩凧の上手な子供は両班や富者の家に時々呼ばれたほか、水標橋周辺では子供たちの“試合”を見物する人々でごった返すこともあったそうです。

 今回ご紹介の切手では、降り積もった雪の中で凧揚げを楽しむ子供たちの姿が描かれていますが、昨日の記録的な大雪の中では、「のんきに凧あげなどしてないで雪かきを手伝え!」と叱られる子もいたのかもしれませんね。


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 一番高いのはドバイ?
2010-01-04 Mon 23:10
 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、現地時間のきょう(4日)、高さ世界一の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」が開業します。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ラサールハイマ・ヤシの木カバー

 これは、現在、UAEの構成国となっているラサールハイマから、UAE成立直前の1971年7月31日、ニューヨーク宛てに差し出された商用便です。

 ラサールカイマは現在のUAEの領域の最北に位置しています。面積は1684平方キロ、人口も10万人以下の小国です。かつては、やはり現在UAEメンバーとなっているシャルジャーとともに、ペルシァ湾岸で大きな勢力を保持していたカワーシム族の拠点となっていました。特に、領内のジュルファルは、19世紀半ばにいたるまでペルシァ湾屈指の港湾都市として繁栄を誇っていました。

 しかし、イギリスがペルシャ湾岸の覇権を掌握し、カワーシム族を討伐したことや、イギリスと結託した部族連合バニー・ヤースの台頭などにより、カワーシム族の勢力はしだいに衰退。さらに、1869年、カワーシム族の支配地域はシャルジャーとラサールカイマに分裂し、単なる小首長国のひとつに転落しました。こうしたこともあって、1960年代には、いわゆるアラブ土侯国の一つとして、海外の収集家目当ての切手を乱発していたことでも知られています。
 
 ところで、現在のUAEの領域には、当初、ドバイにしか郵便局がありませんでしたが、第二次大戦後の石油開発に伴い、イギリスはこの地に郵便網を設けることを計画します。そして、休戦協定諸国(UAEを構成する首長国は、それぞれ、イギリスと“休戦協定”を結んでいたため、こう総称される)で共通に使うための切手として、1961年1月、7本のナツメヤシを取り上げた切手を発行します。これは、7つの首長国を象徴するもので、ドバイの郵便局で使われた後、順次、他の首長国で解説される郵便局でも使われる予定となっていました。

 ところが、長年にわたってドバイとライバル関係にあったアブダビが、「7本のナツメヤシの大きさに大小があるのは、休戦協定諸国間の平等という原則に反している」として切手のデザインにクレームをつけてきました。アブダビにしてみれば、切手のデザインでは一番大きな木がドバイで、自分たちは格下に描かれていると理解したのでしょう。そして、1960年末に解説された油田地帯のダス島の郵便局でこの切手を使うことを拒絶しました。(ちなみに、ダス島の郵便局はアブダビ内に設けられた最初の郵便局です)

 この結果、7本のナツメヤシのデザインの切手は、ドバイでしか使われなかったとされています。また、切手にクレームをつけたアブダビは、1964年3月、自分たち独自の切手を発行し始め、後にその他の首長国もこれに続いたことから、いわゆるアラブ土侯国の切手濫発が始まることになりました。

 ところが、7本のナツメヤシの切手は完全に廃されたわけではなく、一部の首長国に対しては、外貨獲得のための輸出用ではなく、実際に郵便に使うためのものとして、“休戦協定諸国”との表示を抜き、首長国名を加刷した状態で配給されることもあり、それが、今回ご紹介のカバーのような使用例として残されることにもなったというわけです。ドバイと肩を並べるアブダビならともかく、貧しいラサールハイマとしては、どう考えても自分たちが一番高い木ではないことは百も承知でしょうから、アブダビのように頭にくるということもなかったのでしょうな。

 もっとも、現在であれば、ドバイにはブルジュ・ドバイという世界一の超高層ビルがありますからねぇ。アブダビだって、切手の中の一番高い木をドバイに見立てることへの抵抗も薄いのではないかと思います。とはいえ、ドバイ救済のために多額の資金を提供することになっているアブダビにしてみれば、「ったく、馬鹿と煙は…」と言いたい心境なのかもしれませんがね。


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

 * おかげさまで大変ご好評をいただいており、ネット書店でも在庫切れの場合が多く、皆様にご迷惑をおかけしております。正月休み明け(5日頃)には問題が解決されると思いますので、いましばらく、ご容赦ください。
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 年賀状の切手
2010-01-03 Sun 18:18
 例年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、というふたつの基準で切手を選んでいます。で、今年はこんな切手を選んでみました。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ年賀(1986)

 これは、1986年の“虎年”用として、ポルトガル領時代のマカオで発行された年賀切手です。日本では寅年と表記するところを、“虎年”と表示されているのが、ちょっと面白いですな。

 ちなみに、1986年という年は、1984年12月に香港返還を決めた英中共同声明が署名されたことを受けて、マカオ問題に関する中国とポルトガルの交渉が開始された年にあたっており、ポルトガルが1999年12月19日までマカオの行政管理責任を有し、中国は翌20日にマカオの主権を回復することを定めた中葡共同声明が署名されたのは、交渉開始の翌年にあたる1987年のことでした。

 さて、昨年は雑誌『キュリオマガジン』に「郵便学者の世界漫遊記:ルーマニア篇」を連載し、それをもとに『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』を刊行いたしましたが、今年も、このパターンを踏襲して、マカオについての連載を1年続け、11月をめどに<切手紀行シリーズ>の1冊として書籍を刊行する予定です。昨年までは、2001年にスタートした<解説・戦後記念切手>シリーズの刊行が一種の年間恒例行事として生活のペースメーカーになっていたのですが、昨年刊行の『昭和終焉の時代』で同シリーズも完結してしまいましたので、これからしばらくは、『キュリオマガジン』の連載と<切手紀行シリーズ>の刊行を年間スケジュールの一つの軸になるでしょう。

 『キュリオマガジン』の「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、マカオ半島南端の媽閣廟を最初に取り上げましたので、今後は、同半島を中国本土との国境に向かって北上しながら、“マカオ歴史市街地区”として世界遺産に指定された史跡等を中心にご紹介していこうかと思っています。もちろん、雑誌のスペースというのは非常に限られていますので、<切手紀行シリーズ>の1冊として書籍化する場合には、大幅な加筆が必要ですし、その過程で、おそらく、あらためて現地取材に行くことになりそうです。

 というわけで、2010年は、僕にとって、マカオとじっくり付き合う1年になりそうなので、賀状の切手も、マカオのトラ切手を持ってきたという次第です。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方も多いのではないかと思います。早々に賀状をお送りいただきました皆様方におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。
 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月10日(日) 切手市場 
 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:30
 拙著『昭和終焉の時代』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。

 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

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 皇居正殿の瑞鳥
2010-01-02 Sat 11:46
 正月2日といえば、初夢、書き初めなど、いろいろとネタがありますが、皇居の一般参賀の日でもありますな。というわけで、昨年暮れに刊行の拙著『昭和終焉の時代』のなかから、皇居にちなむものが何かないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

      在位60年(鳳凰)

 これは、1986年4月28日に発行された昭和天皇の「御在位60年」の記念切手のうち、皇居の宮殿正殿の棟飾りと菊花紋章を組み合わせた1枚です。

 一般参賀で二重橋を渡り、皇居中門をくぐると、すぐに宮殿の長和殿と宮殿東庭があります。両陛下はじめ皇族方がお出ましになるのはこの長和殿のバルコニーですが、その奥にあるのが正殿です。正殿の棟高は東庭より約20メートルあり、宮殿の中で最も高くなっていますが、切手に取り上げられているのはその屋根に付けられている棟飾りです。なお、切手のデザインではイメージしにくいのですが、この棟飾りは高さ2.3メートルもあります。

 棟飾りを制作した佐々木象堂は、1882年、佐渡旧佐和田町に生まれました。本名は文蔵。貧窮のうちに育ち、11歳の頃から奉公をし高等学校を卒業しました。当初は画家を志していましたが、極度の近視のため断念。20歳の初夏、宮田藍堂に入門し、一つの鋳型から一つの鋳物を造る伝統工芸・蝋型鋳金を極め、1960年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 代表作の一つである「瑞鳥」は、1958年の日本工芸展で最高賞を受賞した作品。鳳凰を表現したもので、皇居新宮殿造営にあたり、その棟飾りのデザインに採用されました。ただし、皇居新宮殿の完成は1968年のことで、1961年に亡くなった象堂は、自らの作品が皇居正殿を飾るのを目にしていません。

 なお、昭和天皇の“御在位60年”の記念式典は、天皇が践祚された12月でもなければ、1928年に即位の大礼が行われた11月でもなく、天皇誕生日の4月29日に設定されました。その背景には、当時の中曽根康弘内閣の政治的な意図があったといわれています。このあたりの事情については、上記の『昭和終焉の時代』のほか、拙著『皇室切手』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 * 元旦にアクセスカウンターが63万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月10日(日) 切手市場 
 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:30
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 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
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