内藤陽介 Yosuke NAITO
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 把瑠都の大関昇進
2010-03-31 Wed 13:05
 大相撲のエストニア出身力士、把瑠都が大関に昇進しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・レスリング

 これは、1993年にエストニアが発行した第1回バルト海競技大会の記念切手で、レスリングの選手が描かれています。

 バルト海競技大会は、アジア競技大会などと同様の総合地域競技大会で、第1回大会は1993年にエストニアのタリンで、第2回大会はリトアニアのカウナスで開かれましたが、2001年の第3回大会は開催国が決まらず、中断してしまいました。参加国は、いわゆるバルト三国に加え、ポーランド、ロシア、ベラルーシ、フィンランド、スウェーデンなどです。

 切手に取り上げられたレスリングは、エストニアのお家芸ともいうべきもので、過去、同国が獲得したオリンピックのメダル31(金9、銀8、銅14)のうち、10(金5、銀1、銅4)を占めています。かつて、エストニアのレスリング選手が、日本の国体切手のモデルにもなったというのも頷ける話です。

 ちなみに、今回、大関昇進を果たした把瑠都はレスリングではなく柔道の経験者だそうですから、日本の武道独特の礼や品格などの考え方にもなじんでいることでしょう。とまれ、今後の活躍に期待したいところですな。
  
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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2010-03-30 Tue 10:47
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓会社(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャルウィロッテ)』の第8号(2010年冬号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回はハーシーのチョコの話題を取り上げたのですが、キスチョコの切手は以前にもこのブログでご紹介しましたので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハーシー肖像

 これは、1995年にアメリカで発行された32セントの通常切手で、アメリカ最大のチョコレート会社、ザ・ハーシー・カンパニーの創業者、ミルトン・ハーシーの肖像が取り上げられています。

 ミルトン・ハーシーは1857年にペンシルバニア州のデリー・チャーチで生まれました。小学校卒業後、印刷工の見習いとなりましたが、印刷業になじめず、菓子職人の見習いに転職。1876年に独立し、フィラデルフィアに菓子店を設立しました。しかし、この菓子店は6年後に倒産。その後、ハーシーはニューヨークに進出しますが、うまくいかず、故郷のペンシルバニアに戻り、ランカスター・キャラメル社を設立し、成功を収めました。

 1894年、ハーシーは博覧会でドイツ製のチョコレート製造機を見て興味を持ち、さっそくこれを購入。チョコレートでコーティングしたキャラメルを売り出します。チョコレートの魅力に取りつかれたハーシーは、1900年、キャラメル会社を売却し、チョコレート会社を設立。1903年には、大規模なチョコレート施設の建設を始め、この施設で製造されたミルクチョコレートバーの大ヒットにより、アメリカを代表する製菓会社としての地位を確立しました。ちなみに、キスチョコの発売開始は1907年のことで、以前にご紹介して切手は、その100周年に発行されたものです。

 さて、「小さな世界のお菓子たち」では、当初、チョコレート→ビスケット→キャンディ→アイスクリームのローテーションで回す予定だったのですが、今回は、編集部からの要望でチョコレートが再登場となりました。次回は、夏号ということもあって、アイスクリームの話題が外せませんので、初年度にはキャンディの切手を登場させられませんでした。もっとも、連載は数年間にわたって続ける予定ですので、いずれ、キャンディも取り上げることもあるでしょうから、ご理解いただけると幸いです。


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 上海租界のノスタルジー
2010-03-29 Mon 13:40
 上海万博を前にリニューアル工事中だった上海のバンド(外灘)の工事が完了し、きのう(28日)から一般に開放されました。というわけで、きょうは、上海の租界を偲ばせるマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      清仏コンビネーション

 これは、清代の1900年1月、上海のフランス局を経て運ばれた清仏コンビネーションの葉書です。

 清朝が国家として郵政事業をスタートさせたのは、1897年2月20日のことでしたが、当時の清朝郵政は万国郵便連合への加盟を認められませんでした。列強に蚕食されていた清朝の郵政は、国際社会からは自立した独立国の行政機関とはみなされなかったためです。

 このため、外国宛の郵便物に関しては、清朝側は全国の主要な郵便局に外国の切手を備え付け、外国宛の郵便物には、料金分の中国切手とは別に、用意した外国切手を貼り、それを開港地の外国郵便局(列強諸国は、中国進出の過程で、主要都市に自国の郵便局を開設し、郵政業務を取り扱う権利を獲得していた)に持ち込んで郵便物の差立を依頼しなければなりませんでした。

 今回ご紹介している葉書は、そうしたスタイルで差し出されたもので、1900年1月6日、揚子江沿岸の都市、鎮江からロンドン宛に差し出されました。清朝郵政のものとしては、1897年8月に発行された額面1分の葉書に、1898年に発行され1分および2分の切手が貼られています。これは、当時の外国宛葉書の料金4分に相当しています。

 一方、葉書の左側にはフランスが中国に設けていた郵便局で使用するために発行した切手(本国切手に中国を意味するChineの文字が加刷されている)が貼られています。

 20世紀初頭、フランスは清朝の領域内のうち、上海、天津、漢口、煙台、北京、厦門、福州、寧波、羅星塔(福州の分局)に郵便局を設置し、郵便活動を行っていました。

 フランス側の切手に押されている消印を見ると、この葉書は、1月8日、上海の租界内にあったフランス郵便局に持ち込まれ、そこからイギリス宛に逓送されたことがわかります。この葉書の宛先地がイギリスであるにもかかわらず、フランスの郵便局を経由して逓送されているのは、おそらく、船便の都合によるもので、それじたいは特に珍しいことではありません。

 その後、清朝は、1902年にはフランスと、1903年には日本と、1904年には香港(イギリス)と、1905年にはドイツと、それぞれ、個別の郵便協定を結び、それぞれの列強が中国に設けていた郵便局を経由しなければならないという制約はあったものの、ようやく自国の切手をそのまま外国郵便にも使える状況を勝ち取ります。そして、それに伴い、コンビネーション・カバーもその役割を終えることになりました。

 とはいえ、中国が万国郵便連合への正式加盟を達成するのは、辛亥革命により中華民国が成立した後の1914年3月1日のことで、清朝国家郵政は自立した郵政機関として国際社会から認知されぬまま消滅してしまいました。

 さて、今回リニューアル工事の終わった上海の外灘地区は、かつて欧米列強の租界地区だった面影を色濃く残すエリアで、写真や映像で見るだけでも、なんとも言えない風情があり、個人的にもいずれは行ってみたいエリアのひとつです。そのときは、一日かけて、かつての外国局の跡をたどってみたいものですな。


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 ロシアの時間帯が11から9に 
2010-03-28 Sun 19:33
 ヨーロッパやロシアでは、きょう(28日)から夏時間に移行しますが、これに伴い、ロシアでは、政治・経済面での効率化を目的として、国土の東西で11あった時間帯が9に減らされました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・1963年用年賀

 これは、ソ連が発行した1963年新年用の年賀ステーショナリー(切手つき封筒)です。

 ソ連時代から現在のロシアにいたるまで、かの国では年賀切手・ステーショナリーを発行しています。年賀といえば、我々の感覚ではなんといっても干支ですが、ソ連やロシアのデザインとしては、時計が好んで用いられています。まぁ、かつての共産主義体制下では、干支は迷信ないしは民族主義的偏向としてネガティヴな評価を下されていたのでしょうし、そもそも、中国系・朝鮮系等を除くと、干支というものがなんであるか知らないという人々も多かったからでしょう。その点、時報に合わせて新年のカウントダウンを行うのは、洋の東西を問わずに行われていることですから、無難といえば無難といえそうです。

 今回ご紹介の切手つき封筒では、表示にアルメニア語も印刷されている点がミソです。現在、アルメニアは独立国ですが、当時はソ連を構成する共和国の一つで、いまもむかしもモスクワ時間とは+1の時差があります。ということは、このステーショナリーの時計塔がアルメニアのものだとすると、この時計が元日の0時を指しているときには、モスクワはまだ大晦日の23時ということになります。

 さて、今回の時間帯変更では、ロシア最東部のカムチャツカ地方(モスクワから+9)の時間帯を隣接するマガダン地方(+8)に、中西部のサマラとイジェフスク(+1)をモスクワに、中部のケメロボ(+4)をオムスク(+3)に、それぞれ統合するというもので、サマータイムの施行後も、時計の針を進めないことによって新時間帯への移行が実施されたということです。

 メドベージェフ大統領は、最終的に全土の時間帯を5つ程度まで減らすことを検討しているとのことですが、こういうことは上からの命令ですぐに現場が対応できるというものでもありませんからねぇ。たとえば、今回、モスクワ時間に統合される西部サマーラ州では、かつて1989年にも同様の試みをしたものの、午後3時には暗くなることへの不満や消費電力の増加から1991年に再び時差が設けられたこともあり、大規模な抗議デモも予定されているようです。

 もっとも、時間厳守を旨とする(僕以外の)日本人の感覚からすると、ロシア人には時間感覚のルーズな人も少なくありませんからねぇ。一部の地域とはいえ、今回の時間帯の変更で、従来よりも1時間早く行動してもらう位がちょうど良いのかもしれませんな。

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 ビルマの国軍記念日
2010-03-27 Sat 23:32
 きょう(27日)は、1945年3月27日にビルマ国軍の対日蜂起を記念してビルマ(ミャンマー)では国軍記念日とのことで、軍事政権は建設中の新首都・ネピドーを3年ぶりに外国メディアに公開し、記念式典と軍事パレードを行ったそうです。というわけで、ビルマがらみの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      ビルマ戦勝記念(最終校正)

 これは、1946年5月に英領ビルマで発行された“戦勝記念切手”の校正刷りです。

 第二次大戦中、日本軍の占領下にあったビルマでは、1943年8月に親日派のバーモ(バモオ)政権が独立を宣言しました。しかし、インパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色濃厚とみるや、アウンサン将軍(スーチーさんのお父上ですな)が指揮するビルマ国民軍は、1945年3月27日、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返り、5月1日にはラングーンに進駐します。

 イギリスは再占領した地域で軍政を施行したばかりか、同年10月には、インドのシムラに避難していたイギリス・ビルマ政庁を復帰させ、植民地支配を再開します。

 これに対して、日本の占領下で(形式的にせよ)“独立”を得ていたビルマの人々は、当然のことながらこれに反発。このため、イギリスは1946年1月1日には民政移管も行いましたが、独立運動はおさまらず、アウンサンを総裁とするパサパラ(反ファシスト人民自由連盟、AFPFL)との交渉の結果、1947年1月、ロンドンでのアウンサン=アトリー協定が締結され、イギリス政府にビルマ独立を認めさせました。そして、最終的に、過渡期の独立準備政府を経て、1948年1月、ビルマは正式に独立します。

 今回ご紹介のマテリアルは、イギリスによる植民地支配再開後間もなく、戦勝記念切手の発行準備の過程で作られたもので、担当者のサインのほか、1945年8月21日との書き込みもあり、決済のためにイギリス・ビルマ政庁の幹部に提出されたものではないかと思われます。おそらく、イギリス当局としては、1945年中か、おそくとも1946年早々にこの切手を発行しようと考えていたのでしょう。しかし、上述のような混乱のために、実際には切手の発行は1946年5月にずれこんだため、戦勝記念切手は、イギリス支配下での民政移管後の最初の切手となりました。

 さて、現在のビルマの軍政(軍事政権)は、年内に総選挙を行い、民政(文民政権)に移行するとしていますが、軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長は、今回の国軍記念日の演説で「われわれ軍人は必要が生じればいつでも政治に参加する」と述べ、民政移管後も国内の安定を最優先し、軍が政治への関与を続ける必要性を強調しています。どうやら、軍政から民政に移管しても大差ないという状況は、この国では、65年前も現在も、あまり変わらないということのようですな。


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 世界漫郵記:ペンニャの丘周辺(後篇)
2010-03-26 Fri 22:04
 『キュリオマガジン』2010年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、前回に引き続き、ペンニャの丘周辺を取り上げています。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ペンニャの丘     ペンニャの丘(実物)
 
 画像左は、1995年にマカオで発行された“廖文鴨の見たマカオ”の1枚で、南湾側から見たペンニャの丘(主教山)が取り上げられています。切手では丘の上の教会がシルエットしか見えていませんので、右側に、丘の下から丘の上の教会を見上げた写真を貼っておきましょう。

 日本語でマカオと呼ばれている地域は、中国語では“澳門”と呼ばれるのが一般的ですが、これは、マカオ半島南側のペンニャの丘と北側のギアの丘のふたつの丘を門柱に見立て、その間にある“澳”(入江)という意味でつけられた名前です。

 ペンニャの丘の頂にあるペンニャ教会は中国名で“西望洋主教会”もしくは“西望洋聖堂”とも呼ばれていますが、このうちの前者は、歴代の主教がこの教会に居住していたことに由来するものです。逆に、そこから、ペンニャの丘のことを“主教山”と呼ぶこともあります。

 1602年に東インド会社を設立したオランダは、極東の拠点としてすでにポルトガル人が居住していたマカオを奪取すべく、しばしば海上封鎖や砲撃を行いました。そうした状況の中で、1622年、オランダの攻撃を逃れた船員と乗客が丘の上に最初の教会を建て、海の守り神としてのノートル・ダム・ド・フランスを祀ったのが、ペンニャ教会のルーツとなりました。現在の建物は、1837年の再建の後、1935年に大規模な修復工事を行ったものだそうです。

 毎年5月13日、マカオではマリア像を載せた輿が聖ドミニコ教会からマカオ市内を約1時間半練り歩いてペンニャ教会まで運び込まれる“ファティマ聖母の行進”と呼ばれる祭礼が行われます。その出発地の聖ドミニコ教会は華やかで色鮮やかな建築ですが、ゴールにあたるペンニャ教会は堅牢でシンプルな美しさがあり、その対照の妙もまた、行列に参加した信徒たちの目を楽しませるものとなっています。

 さて、ペンニャの丘とその教会は世界遺産ではありませんが、今回の記事では、周辺の世界遺産としてリラウ広場や鄭観応の旧宅などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 小さな親切/大きなお世話
2010-03-25 Thu 19:21
 きょう(25日)発売の『週刊新潮』によると、中井洽国家公安委員長が知人女性に赤坂議員宿舎のカードキーを渡し、出入りさせていたとのこと。これに対して、中井委員長は“掃除にきてもらう”ために鍵を貸していると釈明したそうです。というわけで、きょうはお掃除ネタのこの1枚です。(画像はクリックっで拡大されます)

      日本列島クリーン運動

 これは、1983年6月13日に発行された“日本列島クリーン運動”の切手で、空き缶と掃除するウサギが描かれています。切手は、1983年が“小さな親切”運動本部の創立20周年にあたっていたことから、その記念の意味を込めて、小さな親切運動そのものを広めるためのキャンペーン切手として発行されました。

 “小さな親切”運動とは、毎年6月13日に一日一善をしようという運動で、日常生活の中での善意を広める事に重点を置き、個人や団体の顕彰、各種コンクールの実施、清掃活動の実施などが行われています。

 運動のきっかけは、1963年3月の東京大学卒業式で、総長の茅誠司が“小さな親切”の重要性を訴える告辞を行ったことで、その後、新聞などでその実践例が報じられて社会的な共感を呼び、同年6月13日、社団法人として「小さな親切」運動本部が設立され、茅が初代代表に就任しました。

 日本列島クリーン大作戦は、日本の社会に美しい自然環境を取り戻すとともに、社会的モラルの向上をはかることを目的として、“小さな親切”運動本部が主体となって行われたものです。運動期間は、1983年6-7月の2ヵ月間で、期間中は「わが日本を美しく」をテーマに、テレビ、ラジオ、新聞等の報道機関の協力の下、各種団体、地域住民の参加により、全国規模での環境美化運動が行われました。

 なお、“小さな親切”運動本部が行っていた運動の正式名称は日本列島クリーン大作戦でしたが、郵政省は“作戦”が軍事擁護で国民生活に溶け込んでいないとの判断し、切手の名称は“運動”に変更しています。
 
 今回報道された中井委員長は、すでに夫人とは死別しており、「俺が誰と付き合おうが大きなお世話だ」という心境なのかもしれませんが、やはり、国会議員にして閣僚という公人としての立場があるのですから、物理的な掃除云々ということではなく、ご自身の身辺もクリーンにしておいていただかないと困りますな。もっとも、“小さな親切”と“大きなお世話”は一対のものだといわれてしまえば、それまでですが…。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を含む1980年代前半の記念・特殊切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 目打があってもなくても①
2010-03-24 Wed 09:47
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(3月27日実施)のカタログ第9号ができあがりました。僕が担当しているオマケの読み物ですが、今回からは、ジョルジュ・バルトーリの郵趣コラム集 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)に所収のコラムをご紹介することにしました。その第1回目は「パナマ運河の運命を決めた切手」。下の切手にまつわるエピソードが取り上げられています。(画像はクリックで拡大されます)

      ニカラグア・火山

 これは、1878年に発行されたニカラグアの5センタボ切手で、同国の国章に取り上げられているモモトンボ火山が描かれています。このデザインは、1862年に発行のニカラグア最初の切手から1880年発行の切手まで用いられましたが、今回は、白黒の雑誌でも図案がよくわかるようにと思い、黒の切手を持ってきました。なお、切手は無目打のようにも見えますが、ルレット目打が施されています。

 さて、1889年にフェルディナン・ドゥ・レセップスによるパナマでの運河掘削工事が頓挫した後、太平洋と大西洋を結ぶ運河の建設予定地としては、パナマ地峡のほかに、ニカラグア地峡も検討されるようになっていました。

 地図を見ると、ニカラグアの地峡はパナマよりも幅が広く、それゆえ、掘削工事もより大掛かりなものとなることが予想されましたが、ニカラグアの地峡ではマナグア湖が大きな面積を占めており、明らかに掘削工事の距離は少なくて済むと予想されていました。このため、米国政府内では、日々、ニカラグアに運河を建設すべしとする意見が勢いを得ていくことになります。

 パナマ派とニカラグア派の勢力が拮抗するなかで、レセップスの遺志をついでパナマでの運河建設を実現しようと考えたフィリップ・ビュノー・ヴァリーヤは、ニカラグアでは火山活動が活発で、しばしば地震が起きていることに着目。ニカラグアに運河を建設すれば、将来的に地震によって運河の交通に支障が出るであろうということを、ニカラグア派への有力な反論としようと考えます。その背景には、マルティニク島のプレ火山の噴火で4万人もの死者が生じた事件の記憶から、火山は危険だと考える人々が多かったという事情がありました。

 このため、ヴァリーヤは、ニカラグアに活火山があることの動かぬ証拠として、ニカラグアの切手に注目します。切手には、噴煙を上げるモモトンボ火山の風景が誇らしげに描かれていたからです。かくして、ヴァリーヤは、運河建設地を決める米議会の議員90人に資料として提出するため、モモトンボ火山の切手を90枚調達すべく奔走します。

 ヴァリーヤが切手の調達を始めた時、すでに、議会の開会までは残り48時間となっていました。しかし、ワシントンでは7枚しか切手を入手できなかったため、彼はニューヨークへと走り、ともかくも90枚を確保します。時間内に枚数を確保することが最優先でしたから、文字通り、札束でかき集める手法がとられ、最後の5枚に関して、ヴァリーヤが支払った金額は、この切手の相場から考えると、異常な高値だったそうです。

 審議当日、議員たちの机の上には、台紙にマウントされた切手が配られます。そして、その下には「ニカラグアの火山が現在活動中であることの公的な記録」との文言が付け加えられていました。

 かくして、投票の結果、わずか4票差でパナマ案が採択され、パナマ運河建設が実現に向かって動き出すことになりました。後に何人かの議員が告白したところによると、最後の最後で、彼らの態度を決めたのは、ニカラグアの切手だったとのことです。

 なお、『スター☆オークション』の新連載では、 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)の中から、いくつかのコラムを選んでご紹介していきますが、ページ数の関係もありますので、原文の逐語訳ではなく、適宜、原文の大意を損なわない程度に省略や要約を行った個所もありますので、ご了承いただけると幸いです。


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 無事帰国しました
2010-03-23 Tue 09:35
 おかげさまで、昨日(22日)16時過ぎ、ハバロフスクから無事帰国しました。滞在中、お世話になりました皆様には、改めてこの場をお借りしてお礼申し上げます。というわけで、ハバロフスクから日本に到着したマテリアルということで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハバロフスク→日本

 これは、1907年5月29日にハバロフスクから差し出された外信葉書で、6月17日に長崎、同19日に大阪を経て、同日午後に宛先の奈良に到着しています。

 時代は若干ずれますが、明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した石光真清の手記、『曠野の花』には、1901年9月25日、ハルピンを船で出て4日でハバロフスクに到着。2日滞在した後、10月1日にウラジオストクに到着し、1週間静養した後、ウラジオストク発長崎行きの義勇艦隊汽船アムール号で同行の女性を送ったとの記述があります。この葉書の場合も、ウラジオストクに1週間とどまっていたかどうかはともかく、似たような日で長崎まで運ばれたのでしょう。

 今回のハバロフスク滞在中、下の画像のようにアムール川は凍結していました。比較のため、同じような構図で撮影された夏のアムール川を取り上げたロシアの官製絵葉書を右側に並べてみます。

     凍結したアムール川      夏のアムール川

 次回は、上の絵葉書のように、アムール川にとうとうと水が流れる夏の時季に訪れ、冒頭ご紹介した葉書のようにウラジオストクまでとはいかないまでも、船に乗ってみたいものですな。

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 ウスペンスキー教会
2010-03-22 Mon 08:30
 早いもので、ハバロフスク滞在も今日が最終日です。というわけで、せっかくですので、滞在中1回くらいは、郵趣マテリアルと実際の風景を比較する“漫郵記”の定番スタイルの記事を書いておきましょうか。というわけで、こんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ウスペンスキー教会・切手つき封筒     ウスペンスキー教会(実物)

 左の画像は、昨年(2009年)、ロシアが発行した切手つき封筒で、アムール川沿いの遊歩道からウスペンスキー教会を見上げた風景が取り上げられています。切手つき封筒では、階段の脇は青々と緑(芝生でしょうな)が茂っていますが、現在では、右の画像のように雪に覆われており、ずいぶんと印象が違います。

 ウスペンスキーは、日本正教会では“生神女就寝”と訳されています。これは、生神女(=聖母マリア)が、カトリックでいうところの昇天したことを意味する用語で、それにちなんで建てられたウスペンスキー教会(寺院)というのは、正教会文化圏では至る所に建てられています。

 ハバロフスクのウスペンスキー教会は、スターリン時代に取り壊されましたが、2001年に、昔の設計図を基に再建されました。青と白が印象的な美しい教会です。正面の全体像を下に貼っておきましょう。

      ウスペンスキー教会(正面)

 教会は、現在、ハバロフスクのランドマークの一つになっていて、夜にはライトアップされ、夜が明けると灯りが消されます。ホテルの部屋から教会のほうを眺めていて、ライトアップ終了の瞬間を見たときには、ちょっと感動してしまいました。(下の画像は消灯前→消灯後です)

      ウスペンスキー教会・夜明け     ウスペンスキー教会・夜明け後

 教会前の広場には、シベリア出兵の干渉戦争を打ち破った記念碑が建てられています。(下の画像では、左側に記念碑が立っています)

      ウスペンスキー教会前広場

 旧ソ連によって弾圧された教会と、赤軍の栄光をたたえる記念碑が同居しているさまは、なんとも不思議な雰囲気ですが、そのあたりのことは、いずれ、ハバロフスクを舞台にした漫郵記を書く機会があれば、きちんと整理してまとめてみたいと思っています。
      
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 餅とみそ汁
2010-03-21 Sun 08:06
 きのうは、ハバロフスク市内をいろいろと回ったのですが、やはり、赤軍博物館(下の画像左。以下、画像はクリックで拡大されます)や日本人抑留者が建設した建物(下の画像右:公務員大学)等を見ると、どうしてもシベリア抑留のことを思い出します。

      赤軍博物館     ハバロフスク公務員大学

 となれば、このマテリアルを持ってこないわけにはいかないでしょう。(画像はクリックで拡大されます)

      シベリア抑留(表)     シベリア抑留(裏)

 これは、いわゆるシベリア抑留者が差し出した葉書です。差出人の書込によれば、葉書の文面は1948年1月13日に書かれ、収容所側の検閲を受けた後、2月27日にウラジオストク局を経て、4月18日に宛先の香川県に届いたもののようです。シベリア抑留者用の葉書にはいくつかのタイプがありますが、これはそのうちの用紙が白紙で、上部に赤十字のマークが入っていないものです。

 1945年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に対して宣戦布告を行ったソ連は、満洲や北朝鮮、千島・樺太に侵攻し、武装解除した旧日本軍将兵のみならず、名目をつけて逮捕した日本人男性の多くをシベリアに連行して強制労働に従事させました。

 ドイツとの死闘で2000万人以上の犠牲者を出し、経済的に疲弊しきっていたソ連にとって、占領地域の日本人は、戦後復興のための最も安価な労働力としてきわめて便利な存在とみなされ、それゆえ、彼らは、あらゆる国際法規・条約を無視して、日本人をシベリアの奥深くに連行し、2年から4年、長い人では11年にわたって奴隷さながらの重労働に従事させました。

 終戦後、日本政府は連合国側の指示を待つまでもなく、ただちに、復員・引揚事業に着手しました。ソ連を除く連合諸国も、迅速な在外邦人の復員・引揚を希望し、1946年3月16日に“引揚に関する基本指令”が発せられたときには、中国・東南アジア・南洋諸島などでは既に大規模な引揚が行われました。しかし、この基本指令では、ソ連の占領地域(旧満州・北朝鮮・千島・樺太)からの引揚に関しては“適当な協定が成立した場合”と規定されているのみで、引揚の基礎となる法的文書さえもできていない状態でした。

 1946年9月になって、ようやく、ソ連当局は捕虜が各自の家族に通信することを許可すると発表します。ただし、これは抑留者全員に許可されたわけではなく、ソ連側の基準で“(労働などの)成績の良好な者”に限られていたといわれています。ちなみに、今回ご紹介の葉書の文面には「皆1通しか出せんのですが、組長や新聞解説員をしておりますから2通出せるのです」とあり(原文は検閲の都合で全文カタカナ書きです)、差出人もそうした“成績の良好な者”のひとりであったことがうかがえます。

 抑留者たちは専用の往復葉書を支給され、往片に家族宛の便りを書き、復片には自分の住所・氏名を書き込んだ。復片には、「本ハガキに記入すること。本ハガキでなければ受信人に届きません。文言は裏面に記入されたし」との注意書きが印刷されており、料金は往復ともに無料でした。

 抑留者たちが書いたハガキは、収容所司令部の下部組織である分所ごとにまとめて収容所司令部に集められ、そこで検閲を受けてから、ウラジオストック郵便局経由で日本宛に逓送されています。その第一便は、1946年11月25日、東京湾に入港したソビエト船“スモーリィ”号で届けられました。その数は、およそ8万通だったそうです。

 なお、今回の葉書の後半、検閲で塗りつぶされた部分のすぐ後ろには、次のような記述もあります。

 今年の正月は善哉飯盒に半分で終わりました。昨年はジャガイモきんとんの側にエンドウのあんこを入れた代用餅1、一昨年は3等メリケン粉の側にもち米のあんこを入れ代用餅2つで済ましました。早く餅とみそ汁が食べたいものです。

 この葉書の差出人が、無事に帰国して日本の餅とみそ汁を食べることができたのかどうか、確認していないのですが、シベリアの凍土で二度と餅とみそ汁を食べることなく亡くなっていった方々も少なくなかったことでしょう。

 そういえば、きょうはお彼岸の中日でしたね。空港の近くには日本人墓地もありますので、明日は帰国前に空港に立ち寄り、日本から持参した真空パックの餅とインスタントのみそ汁の素、それに、日本酒をお供えして、この地で亡くなった英霊の皆様に黙祷をささげてくるつもりです。これもまた、“漫郵記”の一つのスタイルとご理解いただけると幸いです。
 

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 ハバロフスクに来ています
2010-03-20 Sat 06:48
 昨日の記事にも少し書きましたが、昨晩からロシアのハバロフスクに来ています。現在、ホテルの部屋から、アムール川(以下、画像はクリックで拡大されます)を見ながら、このブログを更新しています。

      アムール川(ホテルからの眺め)

 というわけで、アムール川沿いの町・ハバロフスクということで、きょうはこの1点を持ってきました。

      アムール造船所

 これは、1967年にソ連で発行されたアムール造船所35周年の記念切手です。左側の極東ロシアの地図のうち、アムール川沿いの旗が立っている場所が造船所の所在地ですが、その南にはハバロフスク(ХAБAPOBCK)との表示もあり、ハバロフスクのおよその位置がお分かりになると思います。

 切手に取り上げられたアムール造船所(第199造船所)は極東地域コムソモリスク・ナ・アムーレ市にあります。

 同市は、ハバロフスクから北北東へ356km離れたアムール川の左岸に位置しており、もともとは、1860年にペルミ県出身の開拓移住農民によって開かれたことから、ペルムスコエ村と呼ばれていました。1932年2月に、この場所に重工業分野の諸工場が建設されることになり、ペルムスコエ村はコムソモリスク・ナ・アムーレ市と改称されました。なお、実際に街の建設にあたったのは主に囚人でしたが、コムソモール(共産主義青年同盟)が街を建設したということにして(右側のタブはそのイメージでしょうな)、この名がつけられました。ソ連時代、この造船所が“レーニン共産党青年団記念工廠”と呼ばれていたのも、こうした事情によるものです。

 第二次大戦中、造船所は太平洋艦隊向けの巡洋艦や駆逐艦、護衛艦などを建造し、1944年には巡洋艦ガガノヴィッチならびにカリーニンを竣工させています。1950年以降は主に潜水艦を建造する造船所となり、原子力潜水艦も多数建造されています。

 さて、ハバロフスク滞在中も、持参したパソコンを使い、あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元に、いつもどおり毎日1本ずつ記事を書いていく予定です。しかし、なにぶんにも海外のことゆえ、22日夜に帰国するまでは、ネット環境等により更新できないことがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 等伯400年
2010-03-19 Fri 08:03
 室町時代の絵師・長谷川等伯が1610年3月19日(慶長15年2月24日)に亡くなってから、きょうでちょうど400年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      等伯・松林図

 これは、1969年7月21日に発行の(第1次)国宝シリーズ第6集の1枚で、等伯の代表作「松林図(松林図屏風)」の一部が取り上げられています。

 等伯は、1539年、能登(現・石川県七尾市)に生まれました。はじめ長谷川信春を名乗り、仏画などを描いていましたが、30歳を過ぎて上京。豊臣秀吉が建立した祥雲寺の金碧障壁画(その一部が京都・智積院に伝存)をはじめ、金碧障壁画を制作するかたわら、1610年に亡くなるまで、中国・宋元の影響を受けた水墨画も多数残しました。

 切手に取り上げられた「松林図屏風」は、等伯53歳のときの作品で、盟友の千利休が自刃し、息子の久蔵(画業でも等伯のパートナーをつとめていた)が26歳の若さで急逝するなどの逆境の中で生まれた作品です。煙雨にかすむ松林の景色を描いたこの作品は、一切の無駄な描写を省き、無限の自由を描いたものとして、日本の水墨画の最高傑作と評価されています。切手には、6曲1双の屏風のうち、右から第4扇のほぼ全面と第5扇の一部が採用されました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む第1次国宝シリーズについては、拙著『一億総切手狂の時代』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 
 * 本日(19日)午後、新潟空港を発ち、ロシアのハバロフスクに行ってきます。帰国は22日夜の予定です。ホテルはインターネットの接続が可能とのことですので、現地へは自分のパソコンを持って行きます。あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元にブログも毎日更新する予定ですし、メール等でのご連絡にも対応可能なはずですが、なにぶんにも海外のことゆえ、いろいろとご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 白熱電球の製造中止
2010-03-18 Thu 15:05
 東芝はきのう(17日)、家庭で広く使われてきた白熱電球の製造を打ち切りました。というわけで、きょうはこの1枚です。

      エジソンの電球

 これは、1929年にアメリカで発行されたエジソンの白熱電球50周年の記念切手です。図案はもちろん、エジソンの電球です。

 白熱電球というとエジソンの発明というイメージが強いのですが、実際の発明者はイギリスの物理学者、ジョゼフ・スワンでした。

 減圧したガラス球の中に炭化した紙製のフィラメントを入れて発光させる電球を考案したスワンは、1860年までに試作品を完成させ、不完全真空・炭素フィラメント・白熱電球の特許をイギリスで取得します。その後、1875年には、スワンは、より優れた真空引き技術と炭素フィラメント(木綿糸を苛性ソーダで処理したのち炭化させたもの)を使った電球を開発し、1878年12月には40時間の寿命を達成します。

 このことを知ったエジソンは、翌1879年、類似の電球を製造。折からの東洋神秘ブームを利用し、「最初にフィラメントの原料として使われたのは、たまたま部屋にあった扇の竹の骨であった」というエピソードで発表し(実際には、各種の素材を試したうえで京都八幡男山の竹が選ばれた)、注目を集めました。この竹を使ったフィラメントにより、電球の寿命はそれまでの10時間程度から1200時間以上にまで延び、翌1880年、ゼネラル・エレクトリック (GE) は直流配電による電灯事業を展開しました。その意味では、エジソンは電球の発明者ではなく、電灯の実用化に成功した人物と評価すべきでしょう。

 ちなみに、今回製造中止となった東芝の白熱電球は、白熱舎(東芝の前身)創業者の藤岡市助がエジソンに教えを請い、1890年に日本で製造を開始したものだそうです。


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 つくば博25年
2010-03-17 Wed 17:14
 ことしは、上海万博に絡めて、大阪万博40周年ということが盛んに言われますが、国際科学技術博覧会(つくば博)の25周年でもあります。つくば博の開幕は1985年3月17日でしたから、きょうはちょうど25周年。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      つくば博募金

 これは、1984年2月10日に発行された“つくば博募金”の切手です。

 高度経済成長に伴い、東京の過密状態を緩和させるための具体的な措置として、1963年9月、筑波山麓(現・つくば市および牛久市)に研究学園都市を建設する計画が決定され、1967年、6省庁36機関の移転が閣議了解されます。そして、1970年5月の筑波研究学園都市建設法の施行を機に都市建設と各機関の移転が進むことになりました。

 しかし、筑波研究学園都市には新たな庁舎等が建設され、各機関が移転はしたものの、当初は都市としてのインフラ整備は未整備のままの状態が続き、人口もなかなか増加しませんでした。そこで、新たな研究学園都市のお披露目とあわせて、東京から研究学園都市へのアクセスを改善し、あわせて国際会議場、宿泊施設等を建設する契機として、国際科学技術博覧会を開催する案が、1977年、科学技術庁内で浮上。これに国土庁と建設省、通産省が賛意を示したことで、1978年から具体的なプランの検討が開始されます。科学技術庁以外の省庁がつくば博の開催に協力的だった背景には、1984年の冬季オリンピック大会の開催地として札幌市が有力視されていながら、最終段階でサラエボ市が開催地に決まったことから、東京より北の地域で大型公共事業を展開する契機が別途必要となったとの事情がありました。このため、当初の計画では、つくば博は1984年の開催予定とされていました。

 その後、地元との調整を経て、1978年9月30日、茨城県議会がつくば博誘致を決議。10月5日には筑波六町村が国際科学技術博誘致委員会を設置したほか、11月には国際科学技術博覧会開催促進議員連盟が発足し、当初のプランより一年おくらせて1985年のつくば博開催を目指す動きが本格化していきました。

 これに対して、大蔵省は、巨額の経費が必要な博覧会の実施に否定的な立場でしたが、科学技術庁の担当課長であった福島公夫が同年11月、博覧会国際事務局(BIE)のリード議長に直接接触し、つくば博の構想を相談して好感触を得ると、科学技術庁は、自民党国会議員の後押しもあって大蔵省との折衝で国際的科学技術博覧会調査費の名目での予算獲得に成功し、翌1979年3月、土光敏夫を会長とする国際科学技術博覧会推進協議会を発足させ、つくば博開催は実現に向けて大きく前進します。

 こうして、つくば博の開催は1979年11月27日に閣議で了解事項となり、翌28日のBIE総会において日本政府としての正式開催通告がなされたのを受け、1980年9月のBIE調査団が来日。1981年4月22日の総会での正式承認により、“人間・居住・環境と科学技術”(BIEに提出された“Dwellings and Surroundings ―Science and Technology for Man at Home”を日本語訳したもの)をテーマとする国際科学博覧会の開催が決まりました。

 つくば博の開催に際しては、大阪万博ならびに沖縄海洋博の先例に倣い、開催費用を集めるための附加金つき切手が発行されました。

 前2回の国際博覧会の附加金つき切手は、いずれも開会予定日の1年前の発行でしたが、今回は開会予定日(1985年3月17日)よりも1年以上前の2月10日に切手が発行されています。図案は、つくば博のシンボルマークとマスコットの“コスモ星丸”(一宮市の高垣真紀が作成)を二重の輪の上に構成したもので、二重の輪は世界を結び宇宙へ広がる科学の象徴として考えられたものです。

 なお、つくば博の切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 44年ぶりの準優勝
2010-03-16 Tue 15:11
 14日にイギリス・バーミンガムで行われたバドミントンの全英オープン男子シングルス決勝で、日本勢として44年ぶりに決勝に進出した田児賢一が、第1シードで世界ランク1位のリー・チョンウェイ(マレーシア)に敗れたものの、みごと準優勝となりました。というわけで、バドミントンの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      第36回国体

 これは、1981年10月13日に発行された第36回国民体育大会(国体)の記念切手で、琵琶湖大橋を背景にバドミントンの男子選手が描かれています。バドミントンは、1958年の第13回国体の記念切手にも取り上げられていますが、そちらは女子選手でしたので、今回は男子選手の切手を持ってきました。

 1981年の国体・秋季大会は、10月13日から18日まで、“びわこ国体”の名の下、滋賀県大津市の皇子山運動公園をメイン会場として、県下24市町村の各会場で開催されました。参加者は31競技で1万9274名です。大会のスローガンは「水と緑にあふれる若さ」でした。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、1980年代前半の記念特殊切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 taxa
2010-03-15 Mon 13:57
 所得税の確定申告は今日まででしたが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ましたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリの提出で、ようやくホッと一息ついたというところです。というわけで、今日は“tax”ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・未納便

 これは、1911年、フランスのエクサン・プロヴァンスからブカレスト宛に差し出されたものの、切手が貼られていなかったため、到着地のブカレストでルーマニアの不足料切手を貼って料金を徴収した葉書です。

 葉書の右側に押されているTの印は、万国郵便連合の公用語・フランス語で郵便料金(=郵税)を意味する“taxe”の略で、郵便物の上にTの表示がある場合には、不足料を徴収すべきであることを意味しています。ちなみに、今回ご紹介しているルーマニアの不足料切手には“TAXA”の表示がありますが、これが、フランス語の“taxe”に対応するルーマニア語の単語ということになります。

 近代郵便が料金の前納制を原則としている以上、料金の未納・不足というのは一定の割合で必ず発生します。そうした場合、郵便サービスを提供する側としては、不足分+ペナルティを受取人から徴収しようとするわけですが、そうしたペナルティ込みの料金を徴収するための切手、すなわち不足料切手を発行している国というのは少なからずあります。(日本では発行されたことがありません)

 今年の申告では、昨年刊行の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』からの収入も課税対象になっていますので、今回はルーマニアの不足料切手を持ってきてみました。来年の確定申告の日にも、今年の仕事に絡めた“tax"ネタの切手を持ってきて、シリーズ化するのも悪くないかもしれませんね。
 

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 バンコクの王宮前広場
2010-03-14 Sun 21:17
 タイのタクシン元首相の支持団体「反独裁民主統一戦線(UDD)」は、きょう(14日)、首都バンコクの王宮前広場を中心に大規模な反政府集会を開き、約10万人(UDD発表)の参加者がアピシット内閣の退陣と総選挙の実施を要求して気勢を上げました。というわけで、王宮前広場(サナーム・ルアン)を取り上げた切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       バンコク・王宮前広場(始耕祭)

 これは、1992年4月1日に発行された“農業省100年”の記念切手で、“農業の日”に王宮前広場で行われる始耕祭の様子が取り上げられています。

 バンコクのチャクリー宮殿の北側に位置する広場は、もともと、国王と王族の葬儀場だったという特殊な事情がありました。このため、この広場は王が亡くなると須弥山に住む神に戻るとのヒンドゥー神話に基づき、“須弥山の広場”を意味する“トゥン・プラーメン”と呼ばれていました。現在のように“サナーム・ルアン”と呼ばれるようになったのは、1855年、ラーマ4世が布告を発したことによります。

 この広場がまだ“トゥン・プラーメン”と呼ばれていたラーマ3世の時代、ここは一時的に田圃でした。国境地域の領有をめぐって、ベトナムがタイに宣戦を布告しようと使者をバンコクに遣わした際、国王が広場に稲を植えて迎え入れたためです。ベトナムの使者は、王宮の前でも食糧が作られているほどだからタイには兵糧の備えが十分あるはずだと報告し、本国はタイ領への出兵を断念したのだといわれています。

 この故事にちなみ、ラーマ4世の時代以降、王宮前広場では国王臨席の下、旧暦6月の上弦の月の日、牛の選ぶ餌によって稲の作柄を行う始耕祭が行われるようになりました。この祭りは、1932年の立憲革命の後、一時中断されたものの、1960年に復活しました。また、1980年以降、始耕祭の日は“農業の日”に指定されています。

 さて、今回のUDDによるデモに対して、アピシット首相は同日朝、デモ隊に秩序を呼びかける一方、バンコクや周辺地域に治安維持法を発令、約5万人の治安部隊を出動させ、不測の事態に備えています。日没までの時点では、デモ隊と当局との間の衝突は起こっていないようですが、UDDは明日(15日)正午を期限として要求が受け入れられなければ活動を激化させるとしており、緊張状態が続いているのが気がかりなところです。

 なお、切手に取り上げられたバンコク内の主なスポットについては、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。


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 切手で巡る庭園散歩:ロック・ガーデン
2010-03-13 Sat 21:29
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手で巡る庭園散歩」では、今月はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロックガーデン

 これは、1983年にインドで発行されたロック・ガーデンの切手です。

 インド北部のパンジャブ州は1947年にインドとパキスタンが分離独立したことで分断され、英領時代の州都ラホールはパキスタン領となりました。このため、インド側はフランスの建築家ル・コルビジェに依頼して新州都チャンディーガルを建設します。

 この地の交通局員だったネック・チャンドは、1951年から、新州都の建設に際して生じた大量の廃材を拾い集めて大量のオブジェを造り、それらを公有地に無断で配置。木を植え、水を引いて広大な庭園をひそかに造っていました。これが、ロック・ガーデンです。

 1975年、“秘密庭園”を発見した市当局は、公有地を不法占拠したかどでチャンドを処罰しようとしましたが、あまりにも壮大なスケールのオブジェと造園に驚嘆した市民の多くがチャンドを支持。このため、当局もロック・ガーデンを正式に認可せざるを得なくなりました。

 現在、ロック・ガーデンは観光名所となり、その独特の景観を楽しみにやってくる観光客は、市の財政に大いに寄与しています。今回ご紹介の切手では、園内の彫刻の一部が取り上げられただけですが、その独特の雰囲気は十分に伝わってきます。

 さて、1年間続いた「切手で巡る庭園散歩」は今回で最終回です。ご愛読いただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。4月以降の『しんこう』では、別のテーマでの新連載がスタートしますので、引き続き、ご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。


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 逮捕から始めよう
2010-03-12 Fri 14:18
 環境保護を騙る国際テロリスト団体シーシェパードのメンバーでニュージーランド人のピーター・ベスーンが、南極海の調査捕鯨船の監視船に不法侵入した問題で、船員法に基づきベスーンを保護した同船がきょう(12日)午前11時ごろ東京・晴海に入港し、海上保安庁はベスーンを艦船侵入容疑で逮捕しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニュージーランドの遺産(捕鯨)

 これは、1989年にニュージーランドで発行された“ニュージーランドの遺産”と題するシリーズの1枚で、捕鯨を取り上げた切手です。

 現在でこそ反捕鯨の急先鋒といわれるニュージーランドですが、歴史的にみると、同国が反捕鯨の立場を採るようになったのは、必ずしも古い時代の話ではありません。

 もともと、ニュージーランドは多くの大型鯨類の回遊ルート上にあり、鯨が北上又は南下する際に沿岸近くに来遊することから、先住民のマオリ族は沿岸に打ち上げられた座礁鯨を重要な資源として活用していましたし、そもそも、ニュージーランドにやってきた初期の白人たちの中には捕鯨を生業とする者も少なくありませんでした。

 また、そもそも、1960年代以前の“鯨の保護”は、現在の環境保護派とはその動機が根本的に異なっています。

 日本以外の国は鯨肉を食用としていませんでしたから、彼らにとっては、捕鯨とはあくまでも鯨油を採取するための手段でしかなく、鯨油価格の動向こそが最大の関心事でした。それゆえ、“鯨の保護”には、捕鯨産業を維持するために鯨の乱獲を制限すると同時に、鯨油の生産過剰による値崩れを防ぐという意味もありました。じっさい、1948年に発足した国際捕鯨委員会(IWC)も、当初は、鯨油価格維持のための国際カルテルという性格が強かったのです。ちなみに、19世紀には主として照明用に用いられていた鯨油は、第二次大戦後は、低温でも凍らず、高温でも粘性を失わない特性を活かして、自動車や飛行機の潤滑油あるいは潜水艦用の不凍液が主たる用途になりました。アメリカがながらく世界一の捕鯨国であったのも、このためです。

 しかし、1960年前後から、潤滑油や不凍液は化学合成によって安価で高性能の商品がつくられるようになり、西側世界での鯨油価格は暴落。鯨油採取のみを目的とした捕鯨業者は相次いで廃業に追い込まれることになりました。

 その間隙をぬって、鯨油に代わる化学製品を生産できなかったソ連の遠洋捕鯨船団がニュージーランド近海での操業を本格的に開始し、この地域での鯨資源が枯渇したこともあって、1964年、ついにニュージーランドの捕鯨産業は崩壊。1968年、ニュージーランドはIWCから脱退します。ただし、この時点では、ニュージーランド政府は、将来的に鯨の個体数が回復すれば、商業捕鯨の復活や捕鯨権の販売もありうると考えていました。

 ところが、1970年代に入ると、ニュージーランドでも、いわゆる環境保護運動が社会的な影響力を持つようになってきます。彼らは、鯨類資源の枯渇した状況を“人類による環境破壊のシンボル”として、「鯨を救え」とする運動を展開。このため、アメリカに倣い、ニュージーランドでも国内法で鯨類製品の輸入を禁止する規制が導入されました。ただし、鯨肉を食用としないニュージーランドでは、この規制は国内産業になんら影響を及ばすものではなく、あくまでも象徴的なものでした。

 一方、1972年にストックホルムで開催された国連人間環境会議で、商業捕鯨の10年モラトリアムが提案されたことで、日本の食糧市場がにわかに注目を集めます。それまでのように、日本が鯨肉で国民の蛋白源をまかなえなくなれば、その代わりの蛋白源の市場が経済大国・日本に生まれるからで、この市場は、ニュージーランドの牛肉や羊肉の生産者にとって非常に魅力的なものと映りました。

 かくして、鯨が以前とは全く異なる政治的・経済的な意味を持つようになると、1976年、ニュージーランドはIWCに再加盟します。ただし、この時点では、世界有数の畜産国として、捕鯨は残酷だが、牛や羊の屠殺は認められるという荒唐無稽な主張をニュージーランド政府が支持したわけではありません。

 ところで、この頃、それまで反核運動を活動の中心に据えていたグリーンピースは“広くさまざまな自然保護問題について行動する組織”へと脱皮すべく、反捕鯨運動に接近。1975年以降、捕鯨船の前にゴムボートを繰り出して捕鯨を妨害するというキャンペーンを開始します。環境NGOの活動はエスカレートし、農水産省や政府関係者に対して、左派系の教員や活動家が児童生徒を動員して「鯨を救え」と題する抗議文書を大量に送り付け、業務を妨害するという戦術を展開。もはや非捕鯨国となったニュージーランド政府にとっては、反捕鯨の立場を採らずにいることのメリットは急速に失われていきました。

 かくして、1979年、ニュージーランド政府はIWCにおいて、反捕鯨国へと立場を完全に転換。1987年に設立された自然保護省にグリーンピース関係者が政策担当者として加わり、以後、反捕鯨国の急先鋒という現在のスタンスが確定することになりました。

 こうして反捕鯨国となったニュージーランドですが、その強硬な反捕鯨政策には、実は国家存立の基盤を脅かす要素が含まれていることは意外と知られていません。

 すなわち、1840年、ニュージーランド建国の礎としてマオリ族とイギリスとの間で締結されたワイタンギ条約では、イギリスに国の統治を任せる一方で、マオリ族に「彼らが共同または個人で所有する土地、財産、森林、漁業や他の所有物を彼らが所有したいと望む限り、その独占的所有権を認める」ことが規定されています。マオリ族による条文解釈では、鯨もまた彼らの“所有物”であり、座礁鯨の利用は民族固有の文化にして権利であるとして、反捕鯨政策は国家存立の前提に違反するとの反発も強いのです。

 今回ご紹介の切手は、ワイタンギ条約150年を控えて、1989年に発行されたものですが、環境テロリストたちが主張するように、捕鯨が真に恥ずべき行為であるのなら、ニュージーランド国家の名において発行される切手に、いくら過去の出来事とはいえ、このようなデザインが採用されるはずはありません。したがって、こうした切手が発行されることじたい、彼らの反捕鯨論には、感情論はともかく、客観的で説得力のある根拠がなにもないことを、彼ら自身も内心では分かっていることの証左といってよいでしょう。

 今回のベスーンの逮捕は、まずは艦船侵入容疑だそうですが、当然のことながら、威力業務妨害や器物損壊、傷害などの容疑は立件可能でしょう。また、連中は自らの船を日本の監視船にぶつけて、賠償金を要求してきたそうですから、典型的な“当たり屋”行為として、恐喝の罪にも問えるはずです。

 いずれにせよ、ベスーンを逮捕し、可能な限りの厳罰に処することを足掛かりとして、わが国が率先して卑劣な環境テロリストの撲滅に乗り出していくことが期待されます。

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 伝頼朝像
2010-03-11 Thu 13:52
 きのう(10日)午前4時40分ごろ、神奈川・鎌倉市の鶴岡八幡宮敷地内にある天然記念物の大銀杏が低気圧による北風の影響で倒れました。樹齢は推定1000年だったそうです。というわけで、今日はこの1枚です(画像はクリックで拡大されます)

      伝・源頼朝像

 これは、1968年9月2日に発行の「(第1次)国宝シリーズ」第4集に取り上げられた“神護寺 源頼朝像”の切手です。

 鶴岡八幡宮は、1063年、源頼義が、京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現・材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされています。

 八幡宮が現在の場所に映ったのは、1180年、源頼朝が平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入ってからのことで、以後、社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設が整備され、1191年、社殿の焼失を機に、上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺として勧請されました。その意味では、頼朝こそが現在の八幡宮の事実上の祖といってもよいでしょう。

 さて、切手に取り上げられた肖像画は、 京都市右京区高雄にある高野山真言宗別格本山の神護寺が所蔵(京都国立博物館に寄託)しているもので、中世肖像画の傑作の一つにあげられています。

 作品のデータとしては、寺の根本史料として14世紀半ばの南北朝時代に成立したとされる『神護寺略記』に「神護寺には後白河上皇、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房等の肖像があり、それらは藤原隆信の作品である」との記述があることから、ながらく似絵(肖像画)の名手である藤原隆信が源頼朝を描いた作品とされてきました。ただし、作品には画讃などがなく、これはあくまでも伝聞に基づく推定であったため、1951年の国宝指定の際には、名称を“伝源頼朝像”とするなどの措置が取られていました。ただし、一般にはこの絵は源頼朝の像として知られており、中学・高校の歴史教科書でもそのように記述されていたため、切手上の表示も“神護寺 源頼朝像”となっています。

 しかし、1990年代に入って、美術史家の米倉迪夫がこの絵を詳細に分析することによって、絵のモデルは源頼朝ではなく足利直義(尊氏の弟)の肖像ではないかとする新説を発表。それが一定の説得力あるものとして受け入れられたため、現行の歴史教科書では、この絵の題名には必ず“伝”の一字が付け加えられるようになりました。

 なお、この切手を含む第1次国宝シリーズの切手については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 ノーベル平和賞と密約
2010-03-10 Wed 11:50
 いわゆる日米密約問題を検証してきた外務省の有識者委員会はきのう(9日)、岡田克也外相に報告書を提出。報告書は、最大の焦点だった“核持ち込み”に関しては、日米両国の間に解釈のずれがあり明確な合意は確認できなかったものの、後に核搭載艦船の日本寄港を事実上黙認する“暗黙の合意”が形成されたと判断し、広義の密約に該当すると結論づけました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      佐藤B作

 これは、アフリカの小国・ガンビアが発行した“ノーベル賞受賞者”の切手の1枚で、1974年の平和賞受賞者として佐藤栄作が取り上げられています。ただし、名前のローマ字表記は“Eisaku”のEがBの誤植になっており、結果として佐藤B作の切手となってしまったという間抜けな1枚です。

 さて、佐藤栄作は、1901年、山口県に生まれました。同じく戦後に首相を務めた岸信介は次兄(養子縁組で岸姓を名乗る)です。

 1924年に東大法学部を卒業後、鉄道省に入省。1947年に運輸次官なり、翌1948年に退官して民主自由党に入党し、第2次吉田茂内閣の官房長官となりました。翌1949年の衆院選で初当選し、党の政務調査会長、幹事長のほか、吉田政権下で郵政相、建設相を歴任しました。1954年に発覚した造船疑獄事件では、与党幹事長時代の汚職で逮捕必至の状右京に追い込まれましたが、法相・犬養健の指揮権の発動により免れたことは有名です。

 1955年の保守合同で自由民主党が発足した際には、吉田茂に殉じて入党を拒否しましたが、吉田の政敵であった鳩山一郎(初代自民党総裁)が引退した後の1957年に自民党に入党し、第2次岸内閣で蔵相、第2次池田勇人内閣で通産相を歴任しています。

 1964年7月の自民党総裁選では池田と争い敗れましたが、同年11月、池田の病気による引退のあとを受けて首相に就任。1972年7月まで3期・7年8ヶ月にわたる長期政権を担当しました。総理としての業績としては、アメリカとの沖縄返還交渉をはじめ日韓基本条約締結、大学紛争や公害への対策などが挙げられます。

 1972年の沖縄返還を花道に政界を引退した後、1974年、首相在任中に非核三原則を提唱するなど太平洋地域の平和に貢献したとして、ノーベル平和賞を受賞しましたが、翌1975年6月、脳卒中で亡くなりました。

 今回の報告書は、佐藤のノーベル平和賞の受賞理由の大きなポイントとなった非核三原則のうち、“持ち込ませず”の部分が早い段階から空文化していたことを明らかにしたわけですが、それでは、当時の時代状況の中で、本当にアメリカに核を持ち込ませずに同盟関係を破棄する(もちろん、沖縄は帰ってきません)という選択や、現在とは比べ物にならないほど国民の核アレルギーが強い中で米軍による核の持ち込みを容認するという選択肢を取りえたかというと、そのどちらも現実的ではなかったと思います。

 したがって、今回問題となっている“密約”は政治的にやむを得ない措置であったと評価すべきで、その結果として、佐藤のノーベル平和賞の権威が失われても、佐藤の政治的業績にまで傷がつくということにはならないでしょう。このあたりは、金正日との“頂上会談”を金で買ったと非難された金大中のノーベル平和賞と同列に扱うのは気の毒というものです。もっとも、ノーベル賞を受賞しても、名前の間違った切手しか発行されないという点では、佐藤のノーベル賞の権威など、外国人の目から見れば、そもそも、あってなきが如しということだったのかもしれませんがね。


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 イルカの食文化
2010-03-09 Tue 22:34
 きのう(8日)発表された第82回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞は、和歌山県太地町の伝統イルカ漁を隠し撮りした作品「The Cove」が受賞しました。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英領南極・イルカ

 これは、1985年に英領南極で発行された“初期の自然学者”の27ペンス切手で、ダンダラカマイルカとジャン・ルネ・クォワの肖像が描かれています。

 ダンダラカマイルカはカマイルカ属の一種で、南極圏から亜南極圏にかけての南の冷たい海域で生息しています。1820年に描かれた図版に基づき、1824年、クォワらによって新種であることが確認されましたが、現在まででもたった6体の完全な標本と14個体分の部分標本が調べられているだけという珍獣です。

 さて、中世ヨーロッパでは、イルカの肉は食用として好まれ、串焼きやプディング、パイなどに用いられてきました。特に、イングランドの宮廷では17世紀頃まで、イルカの肉が供されていたという記録もあります。また、メルヴィルの『白鯨』にも「イルカの美味はよく知られている」との記述がありますし、19世紀のアメリカの捕鯨船の船員もイルカの肉を食べていたという記録があります。おそらく、切手に取り上げられたクォワも、イルカを食べたことはなくても、イルカを食べる習慣については知っていたでしょうし、そのことについて何もネガティヴな感情は持っていなかったと思われます。

 したがって、今回のアカデミー賞受賞作「The Cove」で問題とされた和歌山県太地町の伝統イルカ漁も、世界の各地で見られたイルカの食文化の一つであり、適正に行われている限りにおいて、なんら非難されるべき筋合いのものではありません。それゆえ、イルカ漁を正面から真摯に取り上げたドキュメンタリー映画を作るのであれば、そもそも隠し取りなどという卑劣な手段をとる必要などないはずです。また、問題となった映画では、ドキュメンタリーには不可欠の冷静かつ客観的な視点は微塵も感じられず、あらかじめ、日本のイルカ漁は悪であるという先入観の下、「年2万3千頭が不必要に殺される」「水銀で汚染されたイルカ肉が学校給食に使われている」といった悪意に満ちた表現(しかも、事実誤認の部分も少なくない)が随所に挿入されています。

 さらに、この映画の背後には、環境テロリスト団体のシー・シェパードが関与しており、問題はきわめて深刻です。

 たとえば、シー・シェパードのポール・ワトソンは「The Cove」について「シー・シェパードが、日本のイルカの大量殺戮について、一緒に関われたことは誇りに思う」と公にコメントしています。これが、彼らの一方的な法螺ではないことは、たとえば、シーシェパードは2003年に太地町に活動家を送り込み、イルカ漁の撮影や漁の妨害を行っていたことからもあきらかでしょう。ちなみに、このとき、一味は沖合にある網を刃物で切り、15頭のイルカを逃がしたことで、和歌山県警に威力業務妨害容疑で逮捕されましたが、裁判の判決は罰金刑というあまりにも軽いものでした。釈放に際して、犯人たちは「3週間の拘束で、イルカの命が救われるのなら、私たちは幸せだ」などとうそぶいたのだそうです。

 いわゆる911事件の後、“テロとの戦争”を言い出したのは、アカデミー賞の開催国であるアメリカです。そのアメリカの映画人たちが、率先してテロリストとつながりのある映画に賞を与え、ほめたたえるとは、いったい、どういう神経をしているのでしょうか。テロないしはテロ支援国家という理由で、軍事攻撃を受けたアフガニスタンやイラクの国民に対して、このことをどのように説明するのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。

* 昨日、カウンターが66万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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 ミツバチの日
2010-03-08 Mon 10:50
 きょう(3月8日)は、ごろ合わせでミツバチの日です。というわけで、ストレートにこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      国際養蜂会議

 これは、1985年10月9日に発行された“第30回国際養蜂会議”の記念切手です。

 養蜂産業の国際組織である国際養蜂協会連合(APIMONDIA)は本部をルーマニアに、事務局をイタリアに置いており、2年に1度、総会として国際養蜂会議を各国持ち回りで開催しています。同会議は1897年の第1回会議がベルギーで開催されて以来、ヨーロッパを中心に開催されてきましたが、1985年の第30回会議は10月10日から16日まで、アジアで初めて愛知県の名古屋市公会堂で開催されました。

 主催は第30回国際養蜂会議組織委員会と社団法人・日本養蜂はちみつ協会で、65ヵ国から3400名(うち国内2200名、国外1200名)の養蜂業者や研究者が参加し、養蜂技術などについての情報交換が行われたほか、器具や書籍、はちみつやローヤルゼリーなどの製品の展示も行われました。

 わが国初の国際養蜂会議の開催を受けて、日本養蜂はちみつ協会は、これまで日本ではミツバチ切手が発行されていなかったこともあり、ミツバチ切手の発行を農林水産省(以下、農水省)に請願。これを受けて、農水省が郵政省に記念切手の発行を申請し、会期前日(会期初日の10月10日は体育の日で祝日にあたっていたため)の10月9日に記念切手が発行されることになりました。

 切手は、左にイチゴとミツバチを描き、右側に巣をイメージ化したもの。手に取り上げられているミツバチは、世界で最も多く飼育されているイタリアン種のセイヨウミツバチの働きバチ(実物の体長はおよそ14ミリ)で、イチゴの花を受粉させている場面が描かれています。ハチの後脚にある黄色いものはいわゆる“花粉ダンゴ”で、これが六角形で表現された右側の巣に貯蔵され、幼虫や冬の間の食糧となります。一方、ミツバチが受粉している傍らには、青い実(受精果)と赤い実(熟果)が描かれ、受粉以降のプロセスが表現されています。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 イラク議会選挙
2010-03-07 Sun 17:37
 イラク連邦議会選挙の投票が現地時間7日午前7時から始まりました。イラクで全国規模の選挙が行われるのは2003年以来5度目のことです。というわけで、きょうは最近のイラク切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・反テロ

 これは、2008年にイラクで発行された“反テロ”宣伝の切手です。アラビア語で“No”を意味する“la”(印面中央右のXに見えるような文字です)の文字の間から、しゃれこうべを持つ手がにゅっと出ていて、左側におびえて泣く子の写真が取り上げられているのが印象的なデザインです。

 2003年の“イラク戦争”によってサダム・フセイン政権が崩壊した後、イラクはアメリカ・イギリスを中心とする有志連合の軍事占領下に置かれ、連合国暫定当局(CPA)によって統治されていましたが、2004年6月28日、国家の主権は暫定政権に移譲されました。これに伴い、有志連合軍は国際連合の多国籍軍となり、治安維持などに従事することになります。

 2005年1月30日に行われた議会選挙の結果、3月16日に国民議会が召集され、10月25日、新憲法が可決承認されます。これに伴い、12月15日、新生イラクの正式政府発足に向けた議会選挙が行われましたが、政権を巡りスンニ派とシーア派、クルド人勢力の対立から治安が極端に悪化し、イラク国内は実質的に内戦状態に突入しました。

 バグダードを始め都市部では自爆テロが相次ぎ、治安を維持するために米軍とイラク国防軍が介入したことで、これに反発するテロが発生するという悪循環で犠牲者は増大していったことは周知のとおりです。今回の議会選挙に際しても、反政府勢力は投票妨害を狙った攻撃を予告していましたが、はたしてバグダード市内では投票開始から数時間の内に30発以上の迫撃砲が発射され、うち3発は官庁や米大使館、軍施設などが集中する旧米軍管理区域(グリーンゾーン)に着弾。またバグダッド北東ではロケット弾で12人が死亡、8人が負傷する事態となっています。

 選挙後の新体制がどのようなものになったにせよ、イラクの治安を回復できるかどうかは甚だ心もとないというのが実情でしょう。“民主化”によって国民の言論の自由は保障されたものの、人々が生命の危険を身近に感じるようになっている状態と、秘密警察による監視の目が張りめぐらされた恐怖支配ではあっても、宗派対立が抑え込まれて治安はよい状態では、はたして、どちらの方が国民にとって幸福であるのか、なかなか判断に苦しむところですな。


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 阿蘇に春の訪れ
2010-03-06 Sat 21:22
 春の観光シーズンを前にした啓蟄のきょう(6日)から、熊本の阿蘇市でトロッコ列車の運行が始まりました。というわけで、きょうは阿蘇ネタの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国土緑化・国際森林年(1985)

 これは、1985年5月10日に発行された“国土緑化・国際森林年”の切手で、阿蘇山の風景が描かれています。

 1984年11月30日に開催された国際食糧農業機関(FAO)の理事会は、1985年を“国際森林年”とし、開発途上国における焼畑移動耕作や乱伐による熱帯雨林の急激な減少、先進国における酸性雨による森林の荒廃等、世界的な規模での森林の減少・劣化に対する人々の認識を高めるための啓発運動を展開することを決定。加盟国に対して、①森林に特別の認識を示し、国内的・世界的関心事として各国の森林資源保全について検討すること、②国民生活、環境保全、社会経済の発展のための森林の重要性について国民の認識を高めること、③植林および森林の保全に青年が参加するプログラムを実施すること、が要請されました。

 これを受けて、わが国では農林水産省(以下、農水省)が中心となって国際森林年事業推進会議とその下部組織として林野庁に実行委員会を、民間側ではこれに協力するため事業推進協議会をそれぞれ設けて各種の事業が展開されました。

 具体的な事業内容としては、国際的には①海外林業協力事業を拡充、②外国での記念の森の造成、国内的には①国際森林年記念シンポジウムの開催、②森林・林業展としての<フォレスポ’85>の開催、③記念論文の募集と表彰、④“国際森林年記念の森”の造成、⑤ビデオ教材および副読本『森林とみんなのくらし』の作成と全国中学校への配布、などが挙げられます。なお、これらの記念事業と並行して、従来から実施されている森林・林業関連の事業についても、1985年実施分に関しては、“国際森林年”との意味づけを付与することとされました。

 こうした背景の下で、1985年5月12日、熊本県北東部の“阿蘇みんなの森”を会場として、第36回全国植樹祭が行われました。主催は国土緑化推進委員会と熊本県で、大会テーマは「ひろげよう緑の文化」です。参加者は約1万2000名で、昭和天皇のお手植えは熊本県人工造林の代表樹植である杉苗3本、お手まきは国の天然記念物に指定されている熊本城内・藤崎台の樟群から採取されたクスノキの種子でした。

 さて、1985年の国土緑化運動の切手は、例年同様、全国植樹祭の開催に合わせて発行されました。ただし、植樹祭当日の5月12日は日曜日であったため、切手が発行されたのは前々日(金曜日)の10日です。

 切手は、植樹祭開催県の熊本県を代表する阿蘇山の根子岳、高岳、中岳を背景に、県木クスノキと県花リンドウの花を前景に配しています。その中間には、阿蘇山八合目の草千里と放牧されている肥後の赤牛が描かれています。ちなみに、初日印の指定局は熊本県の坊中局でしたが、同局は集配特定局で手狭なため、熊本東局が初日押印の郵頼受付局となりました。

 また、植樹祭当日の5月12日には、式典行事の一つとして、郵政大臣・佐藤恵 から、地元出身の国土緑化推進委員会委員長(衆議院議長)の坂田道太 および熊本県知事の細川護煕(後に首相)に対して記念切手贈呈のセレモニーも行われています。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、昭和末期の記念・特殊切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 日本最初の恐竜切手
2010-03-05 Fri 10:49
約6550万年前の白亜紀末に起きた恐竜や海洋生物など生物の大量絶滅は、メキシコ・ユカタン半島付近に直径10~15キロの小惑星が衝突したことが原因とする“天体衝突説”が正しいと結論づける論文が、4日付の米科学誌サイエンス(Science)に掲載されました。恐竜絶滅の原因に関する長い論争は、ひとまず、決着することになります。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国立科学博物館100年

 これは、1977年11月2日に発行された「国立科学博物館100年」の記念切手で、フタバスズキリュウの骨格復元図と星座(カシオペアと北極星)を描き、博物館を配したデザインとなっています。

 さて、わが国における博物館は、1871年、東京・御茶ノ水の湯島聖堂大成殿で、文部省博物館の名で、動植物、鉱物、化石等の標本資料を一般公開したのが最初とされています。その後、文部省博物館は1875年に東京博物館と改称され、1877年に東京・上野に新館の一部が竣工したのを機に、主として学校教育に資するための博物館として教育博物館と改称して発足しました。その際、科学部門が内容的にも充実されたため、この年が科学博物館の創立の年とされています。

 切手に描かれているフタバスズキリュウは、1968年10月に福島県いわき市で高校生の鈴木直によって発見されたわが国最初のクビナガリュウです。種や属の特徴を比較研究する上で必要となるクビナガリュウの資料や情報の蓄積が十分ではなかったため、新種のクビナガリュウとして「Futabasaurus suzukii (フタバサウルス・スズキイ)」という学名で正式に記載されたのは、発見から38年が経った2006年5月のことでした。このため、切手発行時にはフタバスズキリュウとの名は通称として、郵政省の資料では「フタバスズキリュウ(クビナガリュウ)」と記されています。

 フタバスズキリュウの整型復元は、国立科学博物館の創立100年の記念事業として行われ、切手の発行日でもある1977年11月2日から特別展示されたことから、切手にも取り上げられたものと思われます。なお、日本での恐竜切手の発行はこれが最初のことで、1958年に発行の世界最初の恐竜切手から20年おくれの登場となりました。

 なお、この切手を含む1970年代後半の記念・特殊切手については、拙著『沖縄・高松塚の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 オレンジ革命の完全なる終焉
2010-03-04 Thu 18:49
 きのう(3日)、ウクライナ最高会議(議会)はヤヌコーヴィッチ新大統領と対立しているティモシェンコ首相の内閣不信任案を可決し、同首相ら全閣僚が解任されました。不信任案には、ユシチェンコ前大統領が代表の「われらのウクライナ」や、「ティモシェンコ連合」からも一部議員が賛成に回り、2004年の“オレンジ革命”を主導した民主派勢力は、これで完全に四散したことになります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オレンジ革命

 これは、2005年1月に発行されたオレンジ革命の記念切手を収めた小型シートです。この小型シートには、2005年1月の初版と2月発行の再版があり、両者は右下の切手の耳紙に印刷されている日付で区別できます。今回ご紹介のものは初版のものです。

 2004年11月、ウクライナでは、レオニード・クチマ大統領の任期満了に伴い、大統領選挙が行われました。選挙戦は、従来通りロシアとの密接な関係を維持するのか、それとも、ロシアとは距離を置き将来のEU加盟を目指すのか、という点が争点となり、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチと、親西欧派の野党代表、ヴィクトル・ユシチェンコが激しい選挙戦を展開。上位2名による決選投票の結果、2004年11月21日、ヤヌコーヴィチの当選が発表されます。

 ところが、選挙期間中の9月、ユシチェンコがダイオキシン中毒によるとみられる重病にかかる事件が起きていたこともあり(ユシチェンコ陣営は反対陣営に毒を盛られたと主張します)、ユシチェンコ陣営は選挙に不正があったと主張。再選挙を求めて、首都キエフを中心にさまざまな抗議活動を展開しました。これが欧米のメディアで大々的に報じられて国際世論の関心を呼び、最終的にはEUとアメリカの圧力もあって3度目の投票(決選投票のやり直し)が行われ、12月28日、親西欧派のユシチェンコが当選を果たしました。

 この間、“ユシチェンコにイエス!” のスローガンを掲げたユシチェンコ支持派は、オレンジ色を陣営のシンボル・カラーとして用いたため、一連の動きは“オレンジ革命”と呼ばれています。

 “革命”が成就したことを受けて、ウクライナ郵政は2005年1月19日、記念切手を発行しました。

 切手はウクライナ国旗を持ち、シンボル・カラーのオレンジ色を身につけてユシチェンコの写真を掲げる市民を取り上げたもので、切手の周囲もオレンジ色になっている。7枚の切手を収めたシート(1枚はスローガンの入ったタブ)の余白には、ウクライナ語で“(ユシチェンコに)イエス”の文字も大きく印刷されており、切手に取り上げられたユシチェンコの写真とあわせて、「ユシチェンコにイエス!」のスローガンを連想させる構成となっています。

 ロシアからの天然ガスの輸入・卸売で巨額の利益を上げ、豊富な資金力を背景に政界の実力者にのし上がっていたティモシェンコは、選挙戦を通じ、一貫してユシチェンコを支持。再選挙を求めて獅子吼する美女の姿をメディアは“オレンジ革命のジャンヌダルク”と名付け、世界的なヒロインとなった彼女は“革命”の成就に大きく貢献しました。そして、その論功行賞として、ユシチェンコ政権発足後の2005年2月、彼女は首相に就任しています。

 しかし、新政権は“革命”の果実の分配をめぐって発足当初から内紛が絶えず、早くも2005年9月8日にはティモシェンコ以下の全閣僚が解任されました。その後も、仇敵ヤヌコーヴィチが首相に就任したり、ティモシェンコが首相に返り咲いたりするなど、権力闘争による混乱が繰り返され、“オレンジ革命”に熱狂した市民の期待も急速にしぼんでいくことになります。

 一方、ロシアは自らの裏庭である隣国ウクライナに“ロシア離れ”を公言する新政権が発足したことに対して不快感を隠そうとはせず、ウクライナの生命線ともいうべき石油・天然ガスを大幅に値上げしたり、供給を一時的にストップしたりするなどしてウクライナ経済に揺さぶりをかけ続けました。さらに、2008年9月、リーマン・ショックから世界金融危機が発生。ウクライナ経済も甚大な打撃を被り、もはや、欧米諸国の経済支援もあてにできない状況となり、ウクライナ国民の間にもロシアと妥協し経済を立て直すべきだとの声が大勢を占めるようになります。
 
 結局、2010年1-2月に行われた大統領選挙(第1回投票は1月17日、決選投票は2月7日)では、親ロシア派ヤヌーコヴィッチがティモシェンコを抑えて当選。現職のユシチェンコは第1回で5位に終わり、決選投票にも残れない惨敗を喫しました。

 現在、ティモシェンコは49歳。年齢的にも、将来の大統領になる可能性は十分に残されてはいますが、そのときには、“オレンジ革命のジャンヌダルク”に代わって、どんなニックネームで呼ばれるのでしょうか。


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 ルワンダ大虐殺の首謀者逮捕
2010-03-03 Wed 17:56
 アフリカ中部ルワンダのハビャリマナ元大統領の妻で、1994年に同国で起きた多数派フツによる少数派ツチ大虐殺の首謀者の一人とされるアガテ・ハビャリマナが、きのう(2日)、パリ郊外クルクロンヌの自宅で逮捕されました。(すぐに釈放されたそうですが)というわけで、きょうはこの1枚です。

      ルワンダ・ジェノサイド追悼

 これは、1999年にルワンダで発行された大虐殺の犠牲者追悼の切手です。

 大虐殺以前のルワンダでは、人口の85%がフツ族、14%がツチ族、トゥワ族(ピグミー)が人口の1%という構成になっていました。このうちのツチ族は、ドイツ(第一次大戦まで)およびベルギー(第一次大戦後)の植民地時代に植民地支配の末端を担う首長を輩出し、多数派のフツ族を支配していました。1962年の独立の前にツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギー当局は社会革命としてフツ族による体制転覆を支援。このため、報復を恐れた多数のツチ族が難民としては近隣諸国に脱出しました。

 1973年、クーデターで政権を掌握したジュベナール・ハビャリマナは、当初は民族和解政策をとりましたが、その独裁大勢に対する国民の批判が強まると反ツチ傾向を強めます。このため、ウガンダのツチ系難民はルワンダ愛国戦線 (RPF) を結成。ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させるとともに、1990年10月には、ルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発しました。

 内戦は、1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ジュベナール・ハビャリマナ大統領(フツ族)とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されると、フツ族によるツチ族への大量虐殺(ジェノサイド)が始まりました。

 その後、1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧。フツ族のパステール・ビジムングを大統領、ツチ族のポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、紛争は終結しましたが、この間、ラジオ放送がツチ族への敵愾心を煽る放送を流したことで、一般人までもが虐殺に荷担し、100万人ともいわれる犠牲者が生じました。

 今回逮捕されたアガテに対しては、ツチ族主体の現政権は彼女が虐殺を企てたグループの一員だとして国際手配していましたが、夫の死後、拘束されることなくフランスに住んでいました。これは、大虐殺後、ルワンダ政府がフランス政府の関与を批判したことに対して、フランス当局が元大統領の飛行機撃墜は「(現大統領の)カガメの側近が行った」と断定し、両国関係が断絶していたため、フランス側がアガテの逮捕を拒否していたためです。

 それが、一転して今回の逮捕となった背景には、先月25日、サルコジ大統領がルワンダを訪問し、「フランスを含め国際社会が大虐殺を防止できなかった」ことを認め、両国関係が改善されることになったという事情があります。
 
 いずれにせよ、今後、国連のルワンダ国際犯罪法廷で大虐殺発生の経緯などが明らかになるものと思われますが、その成り行きが注目されるところです。


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 北海道のデタラメ
2010-03-02 Tue 14:53
 北教組(=北海道教職員組合)が民主党衆議院議員・小林千代美の陣営に対して1600万円を違法に資金提供したとして、札幌地検は1日、北教組幹部4人を逮捕しました。小林の選挙区である北海道5区には、札幌市の一部も含まれるということですので、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      札幌切手展

 これは、1947年11月27日に発行された“札幌切手展”の小型シートです。

 1947年5月に東京で開催された「郵便切手を知る展覧会」は、その後、8月の京都を皮切りに、広島・福岡で巡回展を行い 、同年11月の札幌巡回展(以下、札幌展)で幕を閉じることになりました。

 札幌展の会期は11月27日から12月2日までの1週間 で、会場は同市中心部の南一條西4丁目の今井百貨店4階。主催は札幌逓信局主催でした。

 展示内容は、他の巡回展同様、原則として京都展と同内容でしたが、龍48文のシートやキ半銭のシートに加え、北大医学部教授・児玉作左ヱ門の所蔵していた土佐村送切手(十二里己下)の原版が展示され、注目を集めました。

 今回の切手展は、広島展や福岡展に比べて準備期間に余裕があったため、逓信省では記念小型シートの発行を計画。京都展同様、日置勝俊が構成を担当し、北海道にゆかりのあるものとして炭鉱夫50銭の普通切手5枚を組み合わせ、周囲にスズランの花模様を配した小型シート10万枚が製造されました。

 小型シートは11月14日に逓信省へ納品され、19日にはそのうちの4万枚が社会事業共同募金の慈善切手とともに会場宛に発送されました。

 しかし、これらの切手のうち3万5000枚は途中、青函連絡船の中継地である青森で滞貨の下に紛れ込み、会期初日には現地へ到着しませんでした。

 このため、展覧会直前の11月24日、札幌逓信局は本省に対して切手未着を打電し、逓信省は、急遽、5000枚を書留速達で送っています。それらは会期初日の11月27日午後にようやく現地に到着したものの、実際に会場内の札幌郵便局臨時出張所で発売が開始されたのは会期2日目の28日のことでした。

 この結果、現地では1人1枚という極端な制限販売を余儀なくされ、品薄を理由に小型シートの市価はたちまち急騰します。

 結局、行方不明となっていた小型シートは、会期終了後1ヶ月以上もたった1948年1月中旬になってようやく発見され、札幌郵便局へと届けられましたが、小型シートが高値で取引される状況はしばらく続き、一時は横流しされた切手用紙の上にオフセット印刷で刷られた精巧なニセモノが出回るほどの騒ぎとなりました。

 なお、展覧会の開催にあわせて、地球を背景に北海道を表現する架空の切手を組み合わせたデザインの小型印(渡邉三郎が作成)が会期初日から使用されましたが、上記のような事情から、11月27日の消印が押されたものは後から押されたものと考えるのが妥当と思われます。

 この小型シートに関する一連の混乱は、終戦直後という時代状況を割り引いても、なんともデタラメな話としかいいようがありませんな。もっとも、こちらは故意ではなく重過失という性格のものでしょうから、今回の北教組の意図的な不正資金事件にくらべれば、はるかに罪は軽いといえますが…。

 なお、終戦直後の占領時代の記念・特殊切手については、拙著『濫造・濫発の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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別窓 | 日本:昭和・1945~1952 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
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