内藤陽介 Yosuke NAITO
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 南アフリカ連邦100年
2010-05-31 Mon 15:31
 1910年5月31日に、現在の南アフリカ共和国の前身、南アフリカ連邦が発足して、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア連邦最初の切手

 これは、1910年11月4日に発行された南アフリカ連邦最初の切手(連邦議会開会の記念切手)です。

 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のボーア人と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。
 
 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入。ボーア人は自らを“アフリカーナー”と称して、イギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。これに対して、イギリスは2度にわたるボーア戦争を起こして、1902年までに、南アフリカ全土を制圧しました。

 1910年に発足の南アフリカ連邦は、こうした経緯の下に、ケープ植民地・トランスヴァール共和国・オレンジ自由国・ナタール共和国の4州を統合して組織されたもので、大英帝国内のドミニオン(自治領)としてアフリカーナーの自治は保障されました。今回ご紹介の切手は、国王の肖像を中心に、4州の紋章が配されたデザインとなっています。

 郵便に関していうと、1910年5月31日に連邦が発足した後も、旧4州の切手は1913年8月末まで有効とされていました。なお、当初、旧4州の切手は従来通り各州内で有効とされていましたが、1910年8月19日以降は、連邦全域で有効となっています。

 ことしは、サッカーのW杯のほか、秋にはヨハネスブルグで国際切手展も開かれるなど、妙に南アフリカが目立つ年だと思っていましたが、なるほど、南ア連邦の100周年だったのですね。


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 男女ともに銅
2010-05-30 Sun 11:31
 モスクワで開かれていた世界卓球選手権は、きのう(29日)団体戦の男女準決勝が行われ、日本は男女とも中国に0―3で敗れ、女子は5大会、男子は2大会連続の銅メダル(3位決定戦がないため)が決まりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      世界卓球

 これは、1956年4月2日に発行された“第23回世界卓球選手権大会”の記念切手です。

 卓球の世界選手権大会は、1927年の第1回大会以来、戦争中の中断を除いて毎年各国で開かれていますが、1956年の第23回大会は、4月2日から11日まで、世界23ヶ国の選手を集めて東京都体育館で開催されました。

 この大会では、荻村伊知朗 が1954年に続いて2度目の世界チャンピオンとなったほか、男子団体準決勝の対ルーマニア戦で田中利明 が“奇跡の大逆転”を収めるなど、最終的に日本勢は男子団体3連覇を含む4種目制覇を果しました。まぁ、いまでいう中国並みの強さを誇っていたということでしょうな。その結果、卓球は名実ともに日本の“お家芸”となり、国内では第一期卓球ブームが到来します。

 その後、日本では、1971年の名古屋大会、1983年の東京大会、1991年の千葉大会、2001年の大阪大会と4回、卓球の世界選手権大会が行われています。

 さて、日本で最初の卓球の世界選手権に際して記念切手を発行して欲しいという要請が、日本体育協会から郵政省に対してなされたのは、1955年11月下旬のことでした。

 申請を受けた郵政省では、1954年のスピードスケートフリースタイル・レスリングの先例を踏まえて、記念切手の発行が妥当であると判断。12月8日の郵政審議会専門委員の打合会において、記念切手の発行を正式に決定します。

 切手発行の決定を受けて、担当デザイナーの久野実が年内中に原画を作成することとなりました。このため、久野は、日本卓球連盟の紹介で日本大学卓球部の練習風景を写真に撮ったり、関連の写真資料を借り受けたりするなどして、1955年の年頭までに男子シングルスを題材とする原画を作成しています。

 久野の原画は、郵政部内の手続きと卓球連盟の校閲を受けた上で、1月14日、印刷局に渡され、同月21日には新聞でも発表されました。

 しかし、原画が発表されると、手前の選手のラケットの持ち方が不自然であるとの指摘が一般読者からなされたこともあり、その部分が修正されました。また、この修正にあわせて、当初、“世界卓球選手権大会記念”となっていた記念銘も“第23回世界卓球選手権大会記念”と変更されました。

 なお、卓球選手のラケット(当時は“バット”と呼んでいた)の持ち方は、手前側の選手が、当時としては日本独特の“ペンホルダー”と呼ばれる握りになっているのに対して、相手側の選手はシェイク・ハンドと呼ばれる握りとなっていることから、このデザインは日本選手と外国人選手の対戦を念頭に作られたものと推測されます。
 

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 目打があってもなくても②
2010-05-29 Sat 17:24
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(6月5日実施)のカタログ第10号ができあがりました。僕が担当しているオマケの読み物は、ジョルジュ・バルトーリの郵趣コラム集 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)に所収のコラムをご紹介する第2回目。今回は、下の切手にまつわるエピソードが取り上げらました。(画像はクリックで拡大されます)

      フェロー諸島・ヨーロッパ(有名人)      フェロー諸島・ヨーロッパ(有名人)-2

 1975年までは、フェロー諸島に関する収集家の関心は、この地域で使うためにデンマーク切手に加刷した高価な切手と、1940年に対独戦の戦略上の要衝としてイギリスが占領した際に発行した5種類の加刷切手にしか向いていませんでした。

 スコットランドの北方350キロ、ノルウェーとアイスランドの間にあるフェロー諸島はデンマーク領ですが、比較的自治が認められています。つまり、彼らは独自の通貨を持ち、独自の国旗を掲げ、サッカーのヨーロッパ杯に代表チームを送り、独自の切手を発行しています。

 さて、1980年のヨーロッパ切手のテーマは独創性に富んだ偉人と決まり、各国はそうした偉人の切手を発行しました。たとえば、フランスはアリスティド・ブリアンとヨーロッパの守護聖人・聖ベネディクトゥスを取り上げました。モナコは、作家コレットと戯曲家のマルセル・パニョールを取り上げ、西ドイツはキリスト教神学者のアルベルトゥス・マグヌスと哲学者のライプニッツを取り上げました。ベルギーも聖ベネディクトゥスとオーストリア女公マルガレーテを無名の画家の絵画を取り上げるという間接的な方法で取り上げました。スイスは政治家J.H.カーンと発明家ホスラーを、イタリアはマゼランの世界一周に同行したピガフェッタと地理学者のA.ロ・スルドを取り上げ、イギリスは文学者のシャルロッテ・ブロンテとジョージ・エリオットを取り上げました。いずれの国も、この機会を利用して、多くの偉人の中から二人を選んでいます。

 ところが、フェロー諸島は人口が非常に少ないので、人物の選定には大いに苦労し、最終的に、フィル・ヤコブ・ヤコブセン(1864-1918)とヴェンゼル・ウルリッヒ・ハンメルスハイムブ(1819-1909)の2人を切手に取り上げることにしました。いずれも、言語学者にして民間伝承の記録に努めた人物ですが、ヨーロッパ切手の題材として取り上げられるにはほとんど無名の存在でした。

 フェロー諸島の政府は2人の偉人の肖像切手の製造を発注し、発行予定日のかなり前に現物を受け取りました。ところが、黒色で刷られた切手は部内の評判が悪く、廃棄処分とすることとなり、すぐに、切手の作り直しが命じられます。こうして、青緑と赤茶色の単色の切手2種が製造された。この新たな2種は適切なものとされ、実際に発行されています。(画像は、その実際に発行された切手2種です)

 さて、廃棄処分が決まった切手に対する炎による“ホロコースト”は、首都トースハウンの公共のゴミ処理施設で、当局者立ち会いの下に行われました。

 しかし、当局者による廃棄処分の途中で、フェロー諸島の住民が誰も知らないうちに、滝のような雷雨に見舞われて作業が中断されたものの、関係者はそれぞれ、自分の義務を果たしたと自覚したと推測することは可能かもしれません。あいにく、いや、収集家の視点からいえば幸運にもというべきかもしれませんが、雷雨(もし、本当に雷雨があったとすれば、ですが)は炎を消し、薪の山の上で火葬されるのを待っていた切手のいくつかを救い出したのです。

 たしかに、消却を免れた切手の状態は決して良くないが、一躍、珍品切手の仲間入りを果たし、そうした欠点は許容しうるものとみなされるようになりました。焼け焦げの跡とか、目打欠け、褪色などにもかかわらず、件の切手は、現在、1枚1500ユーロの値がついているのですから。

 しかし、廃棄されたはずの切手が再び郵趣界に姿をあらわすようになるまでの過程は、語るべき価値があります。それは、まるでおとぎ話のような実話なのです。

 いたずら小僧のグループは遊び場としてゴミ捨て場を選び、いつも宝探しをしていました。ある5月の土曜日のことだった。1人の子供が、問題の切手の半ば焼け焦げた紙片数点を手にします。その子の貯金箱は絶望的なまでに空っぽで、彼を助けてくれそうな父親は何日も漁に出たまま帰ってきませんでしたから、母の日の夕食時に、彼はごくごくささやかなプレゼントさえも母親にあげられないというみじめな思いをするところでした。

 「やった。ママのプレゼントを見つけたぞ!」彼は、何枚かの切手の汚れをどうにかこうにか落とし、小さなストックブックに入れ、翌日、暗唱したお祝いの言葉とともに母親に渡した。母親は、息子が自分の趣味に合ったプレゼントを選んでくれたことにとても喜び、感動は涙を流しました。

 その場では、彼女は息子のプレゼントと、彼女が郵便局で買ったばかりの切手との違いがわかりませんでした。その晩、もらった切手を整理しながら、彼女は仰天。なるほど、図案は同じだが色が違うのです。2枚の切手はただちに、彼女の収集家としての本能を呼び覚ましました。

 「これ、どこで買ったの?」彼女はあせらずに息子に訊きます。息子はすぐに白状しました。叱られると思っていたのに(母親へのプレゼントをゴミ捨て場から拾ってくるなんて!)、母親は有頂天になって抱きしめ、ランプを手に取り、彼を連れて、お宝が眠るゴミ捨て場へと走っていきました。

 ゴミの山を掘り返してみると、最終的に、今日認定されている、フェロー諸島の不発行御ヨーロッパ切手が出てきました。その後、この幸運な母子の物語は、フェロー諸島の人々の間で語り継がれていくことになるのです。


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 キューバの仏頭
2010-05-28 Fri 23:49
 自民・公明・みんな・たちあがれ日本の4野党が、きょう(28日)、農林水産相・赤松広隆の不信任決議案を衆院に提出しました。牛や豚などの伝染病・口蹄疫の感染拡大を早期に抑えるとともに、農家を支援するための法律が成立したことを受けて、事態の深刻化を招いた責任を問うものです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      興福寺仏頭(キューバ)

 これは、1998年にキューバが発行した日本人移民100年の記念切手で、日本を象徴する文化財として興福寺仏頭が取り上げられています。

 現在、“興福寺仏頭”として知られている仏像(の一部)は、もともとは、飛鳥山田寺(現在の奈良県桜井市にあった古代寺院)の講堂本尊として、同寺を創建した蘇我倉山田石川麿の追福のため、685に造立された薬師三尊像の中尊(薬師如来像)の頭部でした。

 一方、仏頭が現在安置されている奈良・興福寺の東金堂は、726年、薬師三尊を安置する堂として聖武天皇が創建。創建当初の堂宇は源平争乱期の1180年、兵火によって焼失しましたが、1187年、興福寺の僧兵が山田寺講堂の薬師三尊像を強奪し、再建された東金堂本尊に安置しました。

 こうして、もと山田寺にあった薬師三尊像は興福寺のものとなりましたが、1411年、東金堂は五重塔とともに火災に遭い、薬師三尊像も如来の頭部を残して焼失してしまいました。ちなみに、現存する頭部のみで1メートル以上あることから、もともとの像の大きさは少なくとも2メートルは超えていたと推定されています。これが、現在の“興福寺仏頭”です。

 その後、東金堂は1415年に再建され、仏頭は新しく作られた本尊像の台座内に納められましたが、以後、仏頭の存在はながらく忘れられていました。それが、1937年、東金堂の修理に際して再発見され、1967年、国宝に指定され、現在にいたっています。

 さて、今回の不信任案の対象となった赤松ですが、すでに口蹄疫が問題となっていた5月初めに、緊急の案件があるわけでもないキューバとコロンビアに外遊に出かけたうえ(客観的に見れば、まぁ物見遊山の大名旅行に見えるでしょうなぁ)、当初は、今回の感染拡大に関して「反省すべきところは何もない」とうそぶいていた人物です。(その後、国民世論の轟々たる非難を受け、形式的な陳謝はしたようですが)

 ちなみに、今日のニュースとしては、普天間基地の移設問題に関して、日米共同声明を受けた政府方針への署名を拒否した社民党党首の福島瑞穂(閣僚としては、消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当の特命担当大臣)が罷免されたことがトップ扱いですが、この福島は、口蹄疫被害の深刻な宮崎県の出身で、赤松の外遊中に食品安全担当大臣として、農林水産大臣臨時代理をつとめていますから、口蹄疫問題に関する初動の遅れに対して一定の責任を追及されるべき人物であることを忘れてはなりません。

 まぁ、我らがルーピー総理は、福島のクビは切ったものの、赤松のクビは切るつもりはないようですが、素朴な国民感情からすると、キューバの切手に取り上げられた仏頭同様、どちらも首を切り落として箱の中にしまって、500年ぐらい塩漬けにしてやりたいものですな。

 なお、興福寺仏頭を取り上げた日本の切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 アヘンのけし印
2010-05-27 Thu 12:24
 アヘンの原料となる不正なケシ約400株が、今月上旬に都内や神奈川県内などの生花店で販売されていたことがわかりました。ケシ属の花には、園芸用のものと、アヘンの原料になるため栽培が禁止されているものがありますが、今回のものについて、県職員は栽培農家に「栽培してもいい種類だ」と説明していたそうです。というわけで、アヘンがらみのこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハワイ・アヘン消し

 これは、1883年に当時のハワイ王国が発行した1ドル切手ですが、郵便使用ではなく、アヘン貿易の印紙として使われたものです。

 郵便切手と収入印紙が兼用という例は諸外国ではまま見られますが、ハワイ王国の場合、1ドル切手はアヘン貿易の際の関税支払いにも用いられています。その場合、通常の郵便印ではなく、ここにご紹介しているようなマルタ十字の専用消印(大きさや印色にバラエティがあります)が押されるか、税関担当者のサインで印面が抹消されるため、郵便使用のモノとは簡単に区別できます。

 1820年代以降、ハワイでは白人(その中心はアメリカ人)による捕鯨や白檀貿易などが行われるようになり、1835年からはサトウキビのプランテーション栽培も始まりました。

 しかし、白人たちが上陸するようになると、ハワイには外来の疫病が蔓延し、ハワイの人口は激減。15~25万人いたとされるハワイ人は一挙に4万人にまで減少してしまいます。その一方で、白人によるプランテーション経営の規模は拡大していったため、労働力の不足を補うため、1852年以降、中国人労働者が移民としてやってくることになります。

 当時、中国大陸ではアヘン吸引の習慣が蔓延していましたが、ハワイにわたった中国人移民はハワイにアヘンを持ち込みました。このため、ハワイ政府は輸入アヘンに課税することになり、今回ご紹介したようなマテリアルが生まれたというわけです。

 なお、かつてのハワイ王国は、曲がりなりにも憲法と議会を備えた近代国家の体裁を整えていましたが、移民の急増によりネイティヴ・ハワイアンの社会的なプレゼンスが低下。議会は外国人(アメリカ人)に牛耳られ、軍事的に弱体であったことから、アメリカ人の起こした“革命”によって滅亡に追い込まれています。一概に比定することはできないとはいえ、防衛予算はどんどん削減したうえで、移民をどんどん受け入れて、外国人にも(地方)参政権を与えようと主張する人たちには、ぜひとも、ハワイ王国の先例を学んでいただかないと困りますな。


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 板門店の切手
2010-05-26 Wed 16:13
 きのう(25日)、哨戒艦沈没をめぐる韓国政府の対抗策に反発し、すべての南北関係を断絶すると発表した北朝鮮が、板門店の赤十字連絡代表部事業を中止し、同代表部を通じた通信を断絶すると通知してきたと発表してきました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      板門店

 これは、1959年6月25日(朝鮮戦争の開戦記念日)に発行された北朝鮮の「米軍撤退闘争の日」の記念切手です。板門店は南北双方の切手に取り上げられていますが、今回ご紹介のモノが、板門店を取り上げた最初の1枚になります。

 朝鮮戦争の休戦交渉(朝鮮軍事会談)は、1951年7月10日、開城ではじまりました。

 当初、国連軍側は、1ヵ月程度で交渉は妥結するものと楽観視していましたが、会談は議題の設定をめぐって最初から難航。①議題の採択、②非武装地帯の設定と軍事境界線の確定、③停戦と休戦のための具体的取り決め、④捕虜に対する取り決め、⑤双方の関係各国政府に対する通告、という5項目を議題とすることが決定されたのは7月26日のことでした。

 しかし、その後も、軍事境界線は、現在の勢力圏の北側にすべきとする国連側と、あくまでも38度線にすべきとする共産側との溝は埋まらず、交渉はただちに暗礁に乗り上げます。そして、8月22日、共産側は、国連軍機による開城上空の侵犯を理由に会談の打ち切りを通告。その後、会談は10月25日に板門店に場所を移して再開されました。

 中国・北朝鮮側が会談の再開に応じた理由は定かではありませんが、10月初旬から行われていた国連軍の攻勢に対して、中国・北朝鮮側が時間を稼ぐため、との見方もなされています。

 新たに会談場となった板門店は、ソウルと新義州(朝鮮半島北西部の中朝国境の都市)を結ぶ京義街道の一寒村で、北緯38度線の南方5キロ、北朝鮮・開城市の東方9キロの地点、現在の休戦ライン上の西端に位置しています。ちなみに、ソウルからは北西に62キロ、平壤からは南方に215キロの距離にあります。

 休戦会談が行われるようになった当初、この地は、パンムンジョムではなく、ノルムンリ(板門里)と呼ばれていました。当初の会談場所は、現在、テレビなどでおなじみの“板門店”と呼ばれている場所から約1キロ北側で、周辺には、草屋4棟の他は、会談場として使われたプレハブ2棟、簡易式の宿舎3棟しかなかったといわれています。

 その後、会談場が現在の地点に移された際、この会談に参加する中国の代表の便宜をはかり、会談場近くの雑貨店を漢字で「板門店」と表記したことから、この名が定着することになりました。

 1953年7月に休戦協定が調印されるまで、板門店では1076回にも及ぶ会談が延々と繰り返されました。その後も、板門店は南北間唯一の公式の接点として、南北間の軍事連絡特別委員会や南北赤十字会談所が置かれてきました。また、北朝鮮側には「板門閣」が、韓国側には「自由の家」が、それぞれ設置され、報道関係者や観光客(団体のみ)が訪れています。

 なお、朝鮮戦争やそれにまつわる切手・郵便物については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 アフリカデー
2010-05-25 Tue 09:45
 きょう(25日)は、1963年5月25日にアフリカ統一機構(OAU。現アフリカ連合:AU)が発足したことにちなみ、アフリカデーです。というわけで、アフリカがらみの1枚ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      青年海外協力隊20年

 これは、1985年10月9日に発行された“青年海外協力隊創設20年”の記念切手です。

 切手は、西アフリカ地方で協力隊員が野菜作りの指導にあたっている場面を描くもので、原画作者は菊池吉晃です。右側に描かれている現地の男性は西アフリカ地方一般にみられる民族衣装姿で、奥に見える“じょうろ”はフランス式のものです。郵政省の発表では、“西アフリカ”の国名は明らかにされていませんが、当時、協力隊が派遣されていた国のうち、西アフリカでなおかつ旧仏領(フランス式の“じょうろ”を使っていると思われる国)は、ニジェールとセネガルだけですので、切手の図案はこのいずれかの地域で撮影された写真を基に作成されたものと考えられます。  

 戦後日本の国際協力のスタートは、1954年10月6日、コロンボ・プランに加盟したことから始まるとされています。

 時あたかも、戦没遺族や引揚者の擁護、抑留者の引揚げ促進、戦犯釈放などの戦後処理に尽力していた日本健青会の末次一郎 は、それまでの直接的な戦後処理の活動が一段落したことから、今度は“国づくり運動”として憲法改正や国旗掲揚運動、沖縄ならびに北方領土の返還運動などを展開するようになりました。その一環として、青少年運動にも力を入れていた末次は、1959年、青少年を東南アジア諸国等の途上国に派遣し、開発への協力をさせる“新興地域開発青年隊”の構想を打ち出します。

 末次の提案は、東南アジア諸国への経済進出を進めたい岸信介政権の意向とも合致していたことや、1961年にアメリカで発足したジョン・F・ケネディ政権が“平和部隊(ボランティアのアメリカ青年が支援対象国に住み込んで開発援助を行う活動)”を実施して成果を収めたこともあって、自由民主党(以下、自民党)青年局長の竹下昇や青年部長の宇野宗佑、学生部長の海部俊樹らの支持を獲得。“海外産業開発協力隊(日本平和部隊)”の具体的な構想がまとめられました。

 これを受けて、1962年、特殊法人・海外技術協力事業団(現・独立行政法人国際協力機構:JICA)が発足。翌1963年には自民党全国組織委員会青年局の呼び掛けで、日本青年奉仕隊推進協議会が発足しました。

 そして、1964年、池田勇人首相が施政方針演説で青年技術者海外派遣の方針を明言。調査団の派遣を経て、1965年1月、外務省が「日本青年海外協力隊要綱」を策定し、同年4月20日、海外技術協力事業団内に協力隊事務局が開設され、本格的な活動を開始しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して20年になるのを記念して発行されたものです。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 世界漫郵記:崗頂前地
2010-05-24 Mon 23:10
 きのうの記事でも書きましたが、『キュリオマガジン』2010年6月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」では、今回は「崗頂前地」と題して、世界遺産に指定されている“ドン・ペドロ5世劇場”と“聖ヨゼフ修道院・聖堂”(三巴仔)を中心に取り上げました。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ドンペドロ5世劇場    ドンペドロ5世劇場(実物)

 左は、1972年に発行されたドン・ペドロ5世劇場100年の記念切手です。右側には、切手に取り上げられた劇場正面の実際の写真です。

 前回の連載で取り上げた聖ヨゼフ修道院・聖堂の裏手は聖オーガスティン広場(崗頂前地)と呼ばれる石畳の一角になっていて、聖オーガスティン教会、ドン・ペドロ5世劇場、ロバート・ホー・トン図書館とあわせて4つの世界遺産が取り囲んでいます。

 このうち、ドン・ペドロ5世劇場は、1860年にマカオ在住ポルトガル人の男性専用社交クラブだったマカオ・クラブが、中国初のオペラハウスとして建設しました。

 劇場の名前の由来となったペドロ5世は1837年生まれで、1853年、母王マリア2世の崩御を受けて、16歳でポルトガル国王となりました。若年ゆえ、摂政となった父親のフェルナンド2世の後見の下、道路・電信・鉄道などのインフラ整備を推進した王として知られています。また、公衆衛生の改善にも力を注ぎましたが、皮肉なことに、国王ご本人はコレラに罹り、マカオの劇場が完成した翌年の1861年、わずか24歳で崩御しました。

 劇場は、当初、建物本体のみでしたが、ペドロ5世の死後10年以上が過ぎた1872年から1873年にかけて、ハープの装飾のあるペディメント(日本建築の破風に相当する三角形の部分)やイオニア式の円柱が印象的なファサードが付け加えられ、現在のような外観になりました。今回ご紹介の切手が、1972年に“劇場100年記念”として発行されているのは、ここから起算してのことです。

 内部の座席数は300。かつては、劇場としてコンサートやオペラが上演されていたほか、マカオのポルトガル人社会を象徴する場として各種の記念行事なども行われていました。また、第二次大戦中は、中立国ポルトガルの領土であるマカオに逃れた難民の収容施設として用いられたこともあったそうです。

 1970年代以降、建物は老朽化とシロアリの害が目立つようになり、ながらく閉鎖されていましたが、1993年から2001年にかけて修復工事が行われました。1972年の切手では、建物の色が、現在の緑色と異なり、何となくくすんだ感じになっていますが、これは、切手発行時の状況をそのまま表現したからなのだと思われます。

 今回の連載記事では、ドン・ペドロ5世劇場と聖オーガスティン教会を中心に話をまとめてみました。なお、紙幅の関係で触れられなかったロバート・ホー・トン図書館については、連載をまとめて<切手紀行シリーズ>の第3巻として刊行する際には必ず取り上げますので、ご期待下さい。


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 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 捕鯨浪漫主義
2010-05-23 Sun 11:33
 雑誌『キュリオマガジン』の6月号ができあがりました。(下の画像は表紙のイメージ。クリックで拡大されます)

      捕鯨浪漫主義

 今月は、“捕鯨浪漫主義”と題して、欧米のコレクターズ・アイテムのうち、鯨と戦う男たちのカッコよさを表現したモノを集めた特集(文章はすべて僕が書きました)を組みました。具体的には、19世紀の捕鯨船から差し出されたカバーのほか、ナイフやライター、シガレット・カード、昔の雑誌広告などを取り上げています。一人でも多くの方にご覧いただきたいので、ご紹介する次第です。

 まずは、企画の趣旨をご理解いただくために、特集の“まえがき”に相当する文章を引用してみます。

*****

 欧米の環境保護団体は日本の捕鯨を野蛮で残酷だと非難する。これに対して、日本人は捕鯨が日本の文化・伝統だと主張し、それを理解しようとしない白人に対して不満を募らせる。この何十年もの間、うんざりするほど繰り返されてきた構図だ。

 しかし、ちょっと待って欲しい。

 本当に捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。

 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。いずれも、現在の視点からすれば、野蛮で残酷な面があるのは承知している。しかし、それでもなお、知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。

 強い男は、顔の造作がどうあろうと、良い女を惹きつける。そのことはモデル風の優男よりも、武骨な格闘家の方が、概して美人の嫁さんを娶っていることからも明らかだ。

      捕鯨浪漫主義・扉絵

 1884年にアメリカで発行された少年向け雑誌の表紙には、鯨に向かって銛を打ち込もうとする少年の脇で、手に汗握り、彼をはげます少女の絵(上の画像)が印刷されている。もちろん、こんな遊園地の射撃まがいの捕鯨なんてありえないのだが、少年は少女の存在があればこそ強くなれるし、実際そうあってほしいと願う大人たちの自然な感情は伝わってくる。

 捕鯨は文化だった。ただし、それは日本だけではなく、人類全体(少なくとも海のある地域では)普遍的な現象だ。

*****(引用終わり)

 いわゆる反捕鯨論者の主張は、基本的には、数値的な裏付けは何もない感情論でしかなく、論理的な整合性は微塵もありません。もちろん、僕も言論人のはしくれですから、言論ならびに思想信条の自由は尊重しますし、その意味において反捕鯨論者がどのような発言をしようと、そのこと自体は否定しません。しかし、環境保護を騙り、多くの人から巨額の資金を集めて日本の捕鯨船に対する暴力行為を繰り返す極悪非道なテロリスト集団シーシェパードや、鯨肉の窃盗をあたかも正義の行動であるかのように主張するグリーンのような犯罪者集団は断じて許すことはできません。

 さて、連中のデタラメな主張を論理的に粉砕することは、健全な思考力の持ち主であれば容易なことです。しかし、彼らの議論は単なる感情論でしかないからこそ、客観的なデータを用いての実証的な説明を拒絶するという傾向が非常に強いのも事実です。特に、欧米の環境テロリストたちの言動からは、そもそも非白人である日本人に対する人種的な偏見が濃厚に感じられます。こういう輩やそのシンパに対して、捕鯨が日本の文化的伝統であると主張しても、おそらく連中は聞く耳を持たないでしょう。

 それゆえ、捕鯨が日本の歴史や伝統と深くかかわってきたことを内外に広く紹介し、理解を求めていくことが重要であるにしても、それだけでは、いかがわしい反捕鯨論者と戦っていくのは不十分ではないかと思います。

 そこで、環境テロリスト・犯罪者集団と彼らを支持する人たちへの異議申し立ての手法として、捕鯨というのは欧米でも文化として高い評価を得て来たじゃないか、という点を強調することにしました。この点で、コレクターズ・アイテム全般を扱う『キュリオマガジン』は、まさにうってつけの媒体です。

 現在でも、インターネットオークションの eBay などを見れば、環境保護の象徴としての鯨ではなく、鯨と戦う男たちのカッコよさを表現した捕鯨関連のグッズが人気を集めていることがわかります。このことからも、欧米人、特にアメリカ人の心の奥底に、“捕鯨へのあこがれ”が残っているという面は否定できないのは明らかです。こうした彼らの感情を掘り起こしたうえで、すべての鯨が絶滅危惧種なのではないという実証的なデータを示してやれば、反捕鯨派に対して、効果的な一撃を打ち込むことが可能となるでしょう。

 雑誌『キュリオマガジン』はモノ雑誌ですから、誌面では、あえて、捕鯨・反捕鯨の議論はしていません。あくまでも、モノを通じて“捕鯨のカッコよさ”を皆さんに見てもらうだけという構成を取りました。ただし、ご覧いただければ、おのずと、その意図はお分かりいただけるものと信じています。

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 イエメン統一20年
2010-05-22 Sat 21:44
 1990年5月22日に南北イエメンが統一されて、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イエメン統一

 これは、1990年5月22日に発足した統一イエメンが発行した統一の記念切手です。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 その後、1962年9月、北イエメンで共和革命が発生し、イエメン・アラブ共和国の樹立が宣言されました。これに抵抗する王党派が山岳地帯に逃れ、いわゆるイエメン内戦が勃発します。

 イエメン内戦は、そのまま放置しておけば、いずれ王党派が投降して終わりという雰囲気が強かったのですが、革命政権がエジプトに支援を要請したことから事態は一転します。保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援したからです。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになり、1970年まで続きました。

 一方、イギリスの支配下に置かれていたイエメン南部では、1967年、ソ連の支援の下、南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国に改称)が独立。イエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国として、中東やインド洋におけるソビエト連邦の拠点となっていましたが、ソ連崩壊で経済的に行き詰まり、1990年5月22日、北のイエメン・アラブ共和国に吸収される形で、現在のイエメン共和国が誕生しました。
 
 イエメンといえば、今年(2010)年1月、アルカイダ系組織の活動が活発化して治安の悪化が懸念され、一時、日本を含む西側諸国の大使館が領事業務を停止したことが記憶に新しいところですが、首都サヌアは、『旧約聖書』の「ノアの方舟」の物語の故地ともされる歴史都市で、現在でも、旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んぶ世界遺産の都市としても有名です。かつて、治安が比較的良かったころにイエメンを訪れた友人たちは、口々に、のんびりしていて良いところだといっていましたので、一度は訪ねてみたい場所です。

 ちなみに、首都サヌアに関しては外務省の危険情報は「十分注意してください。」のレベルですが、地域によっては、「渡航の延期をお勧めします。」となっています。これは、騒乱時のバンコクと同レベルですから、残念ながら、漫郵記の取材でイエメン国内をぶらぶらしてみるというのは、現状ではちょっと難しいでしょうねぇ。

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 エポックメイキング・プロジェクト②
2010-05-21 Fri 16:27
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の5月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます) 

      富士山レーダー

 これは、1965年3月10日に発行された“富士山頂気象レーダー完成”の切手です。

 日本最高峰の富士山での気象観測は、1895年に野中到が富士山頂剣ヶ峰に観測小屋を私費で建設し、越冬観測に挑戦したのが最初のことです。

 その後、富士山への観測所設置は国家事業となり、1932年には東安河原に中央気象台臨時富士山頂観測所が開設。観測所は1936年に現在の剣ヶ峰に移転して“中央気象台富士山頂観測所”と改称し、1950年には東京管区気象台富士山測候所となりました。

 1958年から1959年にかけて、狩野川台風や伊勢湾台風が発生し、台風の早期発見・予報精度の向上による気象災害防止が国家的な急務と考えられるようになりました。このため、1960年7月、富士山頂にレーダーを設置し、約800キロ先を進行中の台風も捕捉しようという気象レーダ-設置構想が公表され、1963年に建設工事が着工となります。

 しかし、富士山の厳しい気象条件から、屋外で工事ができるのは7月中旬から9月中旬までしかなかったことに加え、実際に工事を開始すると、平地の3分の2という低気圧と酸素不足から高山病にかかる作業員が続出。ヘリコプターによる物資の運搬も悪天候にはばまれ、初年度の稼働日数は3ヶ月で39日に留まりました。さらに、当時の日本は五輪に伴う好景気で建設工事が多かったため、作業員の確保も難航しました。

 このため、当時の気象庁測器課長だった藤原寛人(作家・新田次郎)は工事に携わった人の名前を銅製プレートに刻んで測候所の壁面に残すことを提案し、作業員の士気を鼓舞。また、1964年は好天が続いたこともあって作業は順調に進み、8月31日に建物関係の工事が完成。9月5日にはレーダー装置の組立・配線も完了し、10月2日からレーダーの試験的な運用が開始されました。

 その後、富士山レーダーは陸上標定局の正式承認を受け、1965年3月10日、東京で完成式が行われ、正式な運用が開始されました。

 完成したレーダーは、当時としては世界最高所にありました。また、東京からの無線によるリモートコントロールが可能なことに加え、気象用レーダーとしては他に例のない二メガワットもの出力をもつなど、当時としては最新鋭の設備を誇っていました。

 その後、富士山頂の気象レーダーは、我が国の気象観測(特に台風観測)の最前線で活用されてきましたが、1999年、台風の早期探知が静止気象衛星「ひまわり」によって可能となったことなどから、その役割を終え、閉鎖されました。

 * 本日午前中、カウンターが69万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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 北朝鮮の字体
2010-05-20 Thu 11:44
 黄海で3月下旬に起きた韓国海軍哨戒艦沈没について原因を究明してきた韓国の軍民合同調査団(米・英・豪の専門家も参加)は、きょう(20日)午前、北朝鮮の魚雷攻撃と断定する調査結果を発表しました。決め手の一つは、沈没現場から回収した魚雷後部スクリュー内部にあったハングルの表記が北朝鮮の字体と一致したことだそうです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      平壌新聞社宛カバー2001

 これは、2001年(消印の年号は金日成誕生の1912年を紀元とする主体暦のため90年)3月、平壌新聞社宛の郵便物です。貼られている切手は、1997年に発行の“南北共同声明25周年”の切手ですが、この切手については、以前の記事でもご紹介したことがあるので、今回は割愛します。

 さて、今回ご注目いただきたいのは、封筒に印刷されている文字のフォントです。

 ハングルでは、基本的に、子音+母音、ないしは子音+母音+子音(+子音)をひと塊りとして表記しますが、子音+母音+子音の3文字の組み合わせの場合は、左上が子音、右上が母音、下に2番目の子音という配列になります。

 さて、この2番目の子音にnの音をあらわすㄴ(ニウン)の文字が来る場合、ㄴの文字の横幅はその上の子音+母音の幅に収まるように表示するのが一般的ですが、北朝鮮では、時として、ㄴの文字の縦棒が上の段の子音の右端に置かれ、横棒が上段右の母音を飛び出して右につきぬけている字体が使われることがあります。たとえば、上のカバーから文字を拾ってみましょう。

      シンA     シンB

 これは、どちらも“シン”という音の表記ですが、左は、カバーの上から2段目のゴチックで記された行の左から3番目の部分と、右は、その下の縦書きの一番上の部分です。右側のㄴの位置が、明らかに右寄りになっているのがお分かりいただけると思います。

 ちなみに、今回公表された魚雷の文字は、こんな感じでした。

      北朝鮮魚雷の文字

 この写真でもやはり、ㄴの文字は右寄りに書かれており、上段の母音字よりも右にはみ出しています。また、上段の母音字の縦棒も、ㄴの文字の下辺近くまでぐっと伸びています。おそらく、“北朝鮮の字体”というのも、このことを言っているのではないかと思います。

 ちなみに、表音文字としてのハングルはデザイン的にさまざまなアレンジが可能ですので、韓国でもㄴの字をこうした位置に書くこともあるのではないかと思って、最近の切手を探してみたところ、2009年用の年賀切手のシート余白・上段左側の部分ㄴの文字が比較的これに近い雰囲気でした。(下の画像)

      韓国・2009年用年賀     韓国2009年用年賀・シート文字

 ただし、韓国の字体では、上段右側の母音字の縦棒はㄴの字の上の部分で止まっており、北朝鮮のようにㄴの下辺の横棒近くまでぐっと下につきだしてはいるわけではありませんから、やはり、北朝鮮とはスタイルが違うとみてよいと思います。

 いずれにせよ、字体のヴァリエーションというのは、切手や消印に興味を持っている者として、いろいろと興味をそそられる問題でありますから、ついつい、事件の本質から外れて反応してしまいました。とはいえ、僕の韓国語の知識というのは旅行会話の域を出ませんし、あくまでも、今日書いてみたことは素人の推測ですので、頓珍漢な事を書いているのかもしれません。間違い等がありましたら、メールフォーム経由でご教示いただけると幸いです。

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 タクシン(派)の背景
2010-05-19 Wed 23:19
 タイの首都バンコクでのタクシン元首相支持派団体・反独裁民主統一戦線(UDD)による市街地の占拠は、きょう(19日)の午前中、治安部隊がデモ隊の前線拠点であるルンピニ公園を制圧してデモ隊を強制排除。UDDの主要幹部が投降し、2ヶ月以上にわたったタクシン派の市街地占拠はいちおう終結しました。というわけで、きょうは、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリキットと江沢民

 これは、2001年に発行されたシリキット王妃訪中の記念切手で、万里の長城を背景に、王妃と握手する江沢民が取り上げられています。

 1990年代以降、中国は対タイ関係の強化を東南アジア政策の重要なポイントとしてきました。その背景には、タイが東南アジアでの地域大国であることに加えて、アセアン主要国の中では、例外的に、南沙諸島問題と無関係であるという事情がありました。

 そこで、中国は経済的な協力関係を人質にとりつつ、まずは、台湾問題でタイを取り込もうという戦略に出ます。たとえば、1994年、当時の台湾総統・李登輝が訪タイした際、中国政府がタイ政府に対して強硬な抗議を行い、以後、タイは台湾問題に対して慎重な姿勢をとらざるをえなくなっています。また、台湾では約13万人ものタイ人労働者が働いており、1997年の通貨危機に際してタイは台湾から巨額の経済協力を受けたという実績がありながら、2002年8月と2003年1月にタイ政府が台湾要人への査証の発給を差し止め(ざるをえなくなっ)たのは、その典型的な例といえましょう。

 その後も、中国はタイを“友好国”として取り込むべく、積極的な外交攻勢を展開。1999年には中国外相の唐家璇の訪タイと「中・タイ21世紀行動計画」の署名、チュアン(当時のタイ首相)の訪中、江沢民(中国国家主席)の訪タイといった重要な外交行事が立て続けに行われています。

 このうち、江沢民の訪タイ時には、国王夫妻が江を空港に出迎えただけではなく、国民的信頼が高く、中国との関係の深いシリントーン王女(タイの皇族の中では中国訪問の回数が断然多いだけでなく、彼女の小説、童話、詩などは中国語に翻訳され、中国で出版されるなど、両国友好の象徴的な存在とされています)が、江沢民夫妻をみずからバンコク市内観光に案内するなど、タイ側は江を最高の賓客として遇しました。

 こうした経緯を経て、2001年2月に首相に就任したタクシン・チナワットは、客家系の華人という出自のせいもあって中国との関係緊密化に非常に熱心で、就任早々の4月には香港で江沢民と会談したほか、翌5月には朱熔基(中国首相)とバンコクで会談。さらに、同年8月にはシリキット王妃の訪中(今回ご紹介の切手の訪中です)に随行するというかたちで、アセアン域外への初の外遊先に中国を選ぶなど、対中関係をいっそう緊密化させることに熱心に取り組んでいました。

 一方、中国側もタイを取り込む上でタクシンは重要な手ゴマと考えていましたから、タクシン政権を側面から支えていました。彼の故郷であるチェンマイの動物園に中国からパンダがレンタルされたのも、その一環として行われたものです。

 それゆえ、2006年にタクシンが政権を追われ、反タクシン派が政権を掌握し、行きすぎた対中傾斜路線を見直すようになったのは、中国の対タイ外交、ひいては東南アジア外交にとって大きな打撃となりました。UDDなどタクシン派による反政府行動の背景には中国の影がちらついているとの噂が絶えないのも、こうした経緯によるものです。特に、UDDが問題解決の仲裁を国連に持ち込もうとしたことは、国連の常任理事国として拒否権を持つ中国の介入にお墨付きを与える結果になりかねないもので、現政権が拒否したのは当然のことです。

 わが国のメディアでは、従来のタイのエスタブリッシュメントと、圧倒的多数の貧しい国民との格差が今回の騒乱の根本原因だとさかんに報じていますが、タクシン派がなぜ、これだけの長期間にわたって多くの人々を動員し続けることが可能なのか、例えばその資金の出所(市街地封鎖の参加者に支払われている“日当”だけでも巨額なもので、タクシンの個人資産では賄いきれるものではありません)について、何の疑問の声も出てこないのはおかしな話です。たしかに、タイ国内の格差の問題というのは深刻ですが、そこにつけこんで外国勢力が国内対立をあおり、影響力を行使しようとするのは、それが事実であるなら、決して許されることではありません。

 まぁ、“噂”の真偽が明らかになるのはしばらく後のことになるのでしょうが、南西方面で中国の直接的な脅威にさらされているわが国としても、タイの動向と中国の動きについては、今後も注視していく必要があると思います。


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 国民投票法施行
2010-05-18 Tue 12:06
 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が、きょう(18日)付で施行となりました。というわけで、国民投票がらみの1枚です。(画像はクリックで確認されます)

      アルジェリア・国民投票

 これは、1999年9月、アルジェリアで発行された国民投票の記念切手です。

 1962年の独立後、アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN)の一党独裁による社会主義体制が敷かれていましたが、1970年代末期になると、その矛盾が次第に明らかになってきました。1979年に発足したシャドリ政権は、経済再建を目指して主要国営企業の分割と地方分散化を決定したものの、結果的に非効率的な国営企業が増やすだけに終わり、稼働率は大幅に低下。従業員の給与支払も滞るようになります。

 さらに、独立時1000万人だった人口は1988年には2220万人にまで膨れ上がったため、失業問題が慢性化し、国民の生活インフラも追い付かない状況の中で、1985年になると、アルジェリアの主要輸出品である原油と天然ガスの価格が下落。アルジェリア経済は急速に悪化し、デフォルトに陥りましたが、これに対して、シャドリ政権は輸入抑制政策で対応しようとしたため、輸入に頼っていた食糧の供給が大幅に不足するようになり、国民生活は悪化しました。

 こうしたことから、長年の一党独裁に対する国民の不満が爆発。1988年10月、自然発生的に大規模な食糧暴動が発生し、2万人のデモが軍と衝突し数十人の死者を発生します。これに対して、シャドリ政権は戒厳令を施行する一方、市民による政治改革・民主化要求に対して、党機構改革と集会・結社の自由、言論の自由を保証する憲法改正を決定。この憲法改正案は、1989年2月の国民投票によって採択されました。

 憲法改正後の1990年6月、独立後初めて行われた地方選挙で、独立以来一党支配体制を敷いてきたFLNが惨敗し、イスラム原理主義運動を母体とするイスラム救国戦線(FIS)が圧勝。さらに、翌1991年12月の国民議会選挙でも、FLNが惨敗し、FISが圧勝しましたが、軍部は、イスラム原理主義政権の樹立を防ぐため、1992年1月にシャドリ大統領を辞任に追い込むとともに、新設した国家安全最高評議会(HCE)へ統治権限を移行したうえで、行政命令によりFISを非合法化しました。この結果、HCEに反発するイスラム原理主義過激派のテロが活発化し、アルジェリアは内戦状態に突入します。

 その後、軍部の主導により、1996年に国民投票が行われ、宗教に基づく政党を禁止する憲法改正が行われます。これを受けて、1999年4月、大統領選挙が行われ、34年ぶりの文民大統領として、元外相のブーテフリカが当選。ブーテフリカは、内戦を収束させるべく、イスラム過激派との対話を進め、1999年9月、国民投票により、イスラム過激派に恩赦を与える「国民和解法」を成立させました。今回ご紹介の切手は、このときの国民投票を記念して発行されたものです。そして、国民和解法の成立後の2000年1月、FISの軍事部門であるイスラム救国軍(AIS)が大統領による恩赦を受けて解散し、ようやく、アルジェリアの内戦も終結することになりました。

 さて、わが国でも今回の国民投票法の施行により、ようやく、衆院では議員100人以上、参院では同50人以上の賛成で憲法改正原案の国会提出が可能となりました。まぁ、原案を審査する衆参両院の憲法審査会は委員が選任されない状態が続いており、現状で原案が提出されてもたなざらしの状態となりそうですが…。

 憲法改正といえば、なによりもまず、9条が問題となることでしょう。最近問題になっている沖縄の普天間問題にしても、結局のところは、憲法9条の制約により、わが国が自ら祖国を防衛するだけの軍事力を保持できないがゆえに、日米同盟に頼らざるを得ないことが根本の原因なわけですから、早急に憲法を改正して戦闘能力のある国軍を組織し、沖縄をはじめとする南西諸島の防衛を自ら固めることによって、米軍にはお引き取りをいただくというのが、ベストな解決方法であることはいうまでもありません。その意味では、沖縄からこそ、憲法9条を改正すべしという議論が出てきてもよさそうなものなのですが、そうならないのが不思議な話です。

 このほかにも、施行から60年を経てば、憲法と現実のズレが大きくなってくるのは当然で、改正すべき点は多々あるわけですが、アルジェリアに倣って、信教の自由の部分に“宗教に基づく政党の禁止”という条項を新たに加えるというのも、個人的には悪くはないと思いますねぇ。

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 バンコクからの来信
2010-05-17 Mon 21:34
 騒乱の続くタイ・バンコクから、きょう(17日)、僕宛にこんな郵便物が届きましたので、ご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      バンコクからのカバー(2010年5月)

 カバーは、バンコク・ドゥシット地区にオフィスを構える切手・コイン商からのもので、先週水曜日、12日のドゥシット局の消印が押されています。週末を挟んでいますので、中4日での到着は、まぁ、平常通りとみてよいでしょう。

 カバーが差し出されたドゥシット地区は、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)や王宮のあるエリアから3キロほど東北方向にあり、実際に国王がお住まいのチットラダー宮殿(1913年建設)ほか、ウィマンメーク宮殿、アナンタ・サマーコム宮殿、チャンカセーム宮殿などの諸宮殿に動物園や競馬場などがあるエリアです。

 カバーが差し出された翌日、5月13日付でバンコクの日本大使館が作成した「バンコク都心の主要集会・デモ活動場所」の地図によると、とりあえず、ドゥシット地区には騒乱は及んでいないようですので、このカバーも無事に届けられたのでしょうが、場所によってはどうなっていたかわかりません。

 きょうの20時06分付で配信されたMSN産経ニュースによると、タクシン元首相の支持団体「反独裁民主統一戦線(UDD)」のデモ隊と治安部隊の衝突が本格化した13日以降の死者は37人、負傷者は約270人に上っているとのこと。特に、タクシン派の軍事顧問で、13日に銃撃され重体だったカティヤ陸軍少将が、きょうになって死亡したことから、反発したタクシン派の武装組織によるものとみられる爆発が、封鎖地域近くの高級ホテルやチュラロンコン大学病院でも起こり、治安部隊にも初めて死者が出たそうです。

 デモ隊に対して、タイ政府は17日午後3時(日本時間同5時)までに退避するよう勧告したものの、警察発表によれば、依然として、“人間の盾”となっている女性や子供、高齢者を含む約500人が座り込みを続けているほか、封鎖地域外の市内各所にはUDD支持者が終結。情勢は緊迫の度を増しており、治安部隊が突入すれば、騒乱が各地に広がるのは必至とみられています。そうなると、今回のカバーが差し出されたドゥシット地区についても、決して事態は楽観視できないということになるのでしょうか。

 ちなみに、今回のカバーに同封されていたのは、8月に行われる予定のアジア国際切手展にあわせてのオークション開催の案内状でした。その画像を下に貼っておきます。

      バンコク・オークション(タイ語)     バンコク・オークション(英語)

 このチラシを見る限り、現時点では、8月の切手展とオークションは中止せずに予定通り開催ということのようです。このタイミングで、こうした案内状を送ってきたところをみると、主催者側は、騒乱は8月までは続かないと考えているのでしょうが、そのことは、逆に、近日中に何らかの決着がつくものと彼らが予測していることの裏返しといえるのかもしれません。

 いずれにせよ、僕にとって、タイは、2007年に拙著『タイ三都周郵記』を刊行したばかりでなく、現在進行形で雑誌『タイ国情報』で「泰国郵便学」の連載をしていることもあり、非常に愛着を感じている国のひとつです。特に、今回の騒乱の中心地は、2007年のバンコク滞在時の宿からも近い場所だけに、テレビのニュースを見るたびに胸が痛みます。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早く、騒乱が収まり、バンコクの社会秩序が回復されることを願ってやみません。

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 旅の日
2010-05-16 Sun 10:58
 きょう(16日)は、1689年5月16日(元禄2年3月27日)、俳人・松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴って江戸深川の採荼庵を出発し、「おくのほそ道」の旅に出たことにちなみ、“旅の日”とされているそうです。というわけで、この切手を持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

      奥の細道・芭蕉

 これは、1987年2月26日に「奥の細道シリーズ」の第1集として発行された切手で、「行春や鳥啼魚の目は泪」の句の書と、芭蕉の肖像画の切手の連刷になっています。

 『おくのほそ道』は、1689年5月16日、芭蕉が江戸深川を出発し、東北・北陸をめぐって江戸に帰るまでの、約半年間・全行程約600里(2400キロ)の旅のうち、旧暦8月21日頃、大垣に到着するまでを記したものです。

 「奥の細道シリーズ」は、1989年に芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発してから300年を迎えるのを機に、これにあわせてシリーズが完結するよう企画されたものです。なお、書名の原題はかな書きですが、切手としてのシリーズ名は“奥の細道”となっています。

 シリーズは、『おくのほそ道』に記された俳句を、その足跡に沿って紹介するもので1回の発行が2種連刷2組ずつの計4種、1組の連刷で俳句を1句取り上げています。シリーズ本体第10集までの合計40種という規模は、いわゆる公園切手を除くと、「近代美術シリーズ」 の32種を上回り、シリーズ切手として過去最大のものとなりました。

 連刷切手は、左側に吟詠地(俳句の詠まれた土地)の風物などの絵を、右側に俳句そのものの書を取り上げる構成となっています。書家による書が切手になるのは、日本切手としては今回のシリーズが最初のことで、切手としての原画構成は、すべて青木義照が担当しています。なお、『おくのほそ道』に収められている俳句は51句ですが、この中から約4割の20句が、実践女子大学学長で芭蕉研究者の井上農一の監修の下、地域的なバランスなども考慮したうえで切手に取り上げられました。

 今回ご紹介の「行春や鳥啼魚の目は泪」の句は、『おくのほそ道』では、江戸からの出立のおり、見送りの人々へ留別の句として詠まれたように置かれている句ですが、実際はのちに「おくのほそ道」の執筆に際して作られた句と考えられています。

 切手に取り上げられた芭蕉の肖像は、芭蕉の弟子で江戸中期の漆芸家・小川破笠による「芭蕉像」の一部です。また、書を担当した青山杉雨は、1912年、愛知県葉栗郡草井村大字村久野(現・江南市)出身で、篆書、隷書、古文等の書体を研究し、清朝の書体より新しい表現方式を生み出して書の世界に一時代を築き、1992年、文化勲章受章を受賞しました。

 なお、「奥の細道シリーズ」については、拙著『昭和終焉の時代』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 LONDON 2010
2010-05-15 Sat 23:32
 5月8日からきょう(15日)まで、ロンドンのデザインセンターでは、国際切手展“LONDON 2010”が開催されていましたが、その会場から送っていただいたグリーティング・カードが、本日、到着しましたので、ご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ロンドン2010・葉書1     ロンドン2010・葉書2

 ご紹介している葉書は、いずれも、今回の切手展にあわせて発行された記念切手を拡大したもので、ロイヤル・メイルが作成した公式のマキシマム・カード(MC)です。

 今回の国際切手展は、1907年5月6日にジョージ5世がイギリス国王として即位してから100年という節目の年にあたっていたこともあり、記念切手は、ジョージ5世の肖像が入った切手のうち、イギリス最初の記念切手である1924年の“英国博覧会”(左)と、イギリス切手の名品とされる“シーホース”(右)を取り上げた“切手の切手”というかたちで発行されました。今回ご紹介のMCは、それらを拡大したものですが、こうやってみると、あらためて元の切手の良さがわかりますね。ちなみに、葉書には、下の画像のような消印が押されていました。

      ロンドン2010・消印

 今回のロンドン展には、日本からも少なからぬ出品者が参加されたようですし、会期2日目の9日に、来年(2011年)、横浜で開催予定の国際切手展<PHILANIPPON 2001>の事前PRのためのレセプションも行われていますので、追って、さまざまな雑誌やウェブなどで報告記事が掲載されるでしょうから、楽しみに待つことにしましょうか。

 なお、末筆ながら、グリーティング・カードをお送りいただきました皆様には、この場をお借りしてあらためてお礼申し上げます。

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 100年前の日英博覧会
2010-05-14 Fri 23:17
 大英帝国と大日本帝国の共催で行われた日英博覧会が、1910年5月14日に開幕してから、きょうでちょうど100年になりました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日英博覧会(時代風俗絵)

 これは、日英博覧会の会期初日にあわせて発行された完成記念絵葉書の1枚で、伝統的な馬追いの場面を描く時代風俗絵が取り上げられています。画面の一部にさりげなくユニオンジャックが入っているのが良い感じです。

 1902年に結ばれた日英同盟に基き、1904-05年の日露戦争中、イギリスは日本に対して好意的な中立を保っていました。このことが、日本の勝利につながったことは周知のとおりです。

 こうしたことを踏まえ、日露戦争後、イギリスに感謝し、イギリスとの友好親善を促進するためのイベントとして、ロンドンのホワイトシティで日英共催の日英博覧会が開催されました。あいにく、会期直前の5月6日に、イギリス国王エドワード7世が崩御したため、一時は開催が危ぶまれましたが、開会式を行わず、新聞なども奉祝報道を控えるなどして、イベントそのものは予定通り、5月14日から10月29日まで行われました。

 会場の敷地面積は2万2550平米で、歴史宮・産業宮・芸術宮などに加え、東洋宮では、台湾・朝鮮・満州など植民地経営についての展示も大々的に行われています。また、公式展示とは別に、数十人の力士団による相撲の取り組みが行われたほか、日本と植民地の人々が実際に敷地内のスペースで伝統的な生活様式を披露し、民族舞踊を実演することなども行われ、好評を博しました。

 ちなみに、このときのパイワン族(台湾原住民の一つ)の人々の参加に関して、昨年(2009年)4月に放送された「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの“アジアの一等国”」において、「日本人が日英博覧会において台湾の原住民であるパイワン族を人間動物園として展示し、世界に一等国であることを認めさせようとした」となどと強調する内容を放送しましたが、その後の調査で、当時の日本人が“人間動物園”という用語や概念を用いていた証拠はないことが明らかになりました。このため、NHKの報道は、かえって、事実を捏造し、パイワン族の名誉を棄損するものとして、批判を浴びたことは記憶に新しいところです。

 さて、日英同盟を継続できなかったことが大日本帝国の蹉跌の第一歩だったとはしばしばいわれることですが、その先例からすると、戦後の日本を支えてきた日米同盟は、日本が自力で周辺諸国の脅威に立ち向かえるだけの軍事力を持たない限り、なんとしても維持しなくてはならないのはいうまでもありません。まぁ、現政権が憲法9条を改正して徴兵制を復活し、核武装を目指すというのであれば、日米同盟の破棄という選択肢もありうるのでしょうが、そうした覚悟もないまま、沖縄問題で迷走し、いたずらに同盟国の信頼を損なうだけというのは、ホント、勘弁してもらいたいものです。

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 ジェイウォーキング
2010-05-13 Thu 08:37
 覚せい剤取締法違反(所持、使用)および麻薬取締法違反(所持)の罪に問われたバンド、JAYWALKのボーカル・中村耕一の判決公判が、きのう(12日)、東京地裁で開かれ、懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡されました。中村は音楽活動に「一度けじめをつけたい」として、バンドからの脱退を示唆しているそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・交通安全

 これは、昨年(2009年)、ロシアで発行された交通安全のキャンペーン切手で、横断歩道を渡らずに事故に遭った人を象徴的に表現しています。

 さて、中村のバンド名の“jaywalk”の語ですが、これは動詞で、一般には“横断歩道を歩行せず、(横断禁止となっている)道路の真ん中を横断する”という意味のスラングです。もともとは、“jay”がマリファナや薬物一般を意味するスラングであったところから“危ない橋を渡る”をいう意味で使われていたのが、日常的には、“交通違反をする”という意味に転じて使われるようになったのだそうです。まぁ、中村もバンドを結成した時はまさかこうなるとは思っていなかったのでしょうけど、なんだか、因縁めいたものを感じますね。

 さて、今回ご紹介の切手では、現在の一般的な意味での“ジェイウォーク”禁止が呼び掛けられているわけですが、国や地域によっては、ジェイウィークに対して、(日本人の感覚からすると)かなり厳しい罰則が設けられている例もあります。

 たとえば、日本人観光客の多いハワイでは、ジェイウォーキングは交通違反として取り締まりの対象となっていて、日本のスピード違反やシートベルト同様、主要道路なっでは、警察官が見張っていて違反者に切符を切っています。その罰金は、基本的に130ドルですが、悪質な違反者には180ドルが科されることもあるのだとか。実際、こうした事情を知らずにジェイウォーキングをしてしまい、罰金を支払う羽目になった日本人旅行者も多いようですから、ハワイへお出かけの方は、注意が必要です。

 まぁ、何事によらず、ルールというのは守らなければならないわけで、気軽な気持ちで破ったりすると、その代償は思いのほか大きいということですな。 


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 チャーチル以来
2010-05-12 Wed 12:14
 6日に投票が行われたイギリスの総選挙で第1党になった保守党のキャメロン党首が、きのう(11日)、エリザベス女王から首相に任命され、第3党の中道左派・自由民主党と連立政権を樹立することになりました。イギリスでの連立政権は、第2次大戦中のチャーチルの挙国一致内閣以来だそうです。というわけで、第2次大戦中のチャーチル関連のマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      チャーチル・プロパガンダ葉書

 これは、第2次大戦中の1940年にベルリンから差し出された軍事郵便用の葉書で、額面部分にチャーチルのカリカテュアが描かれています。

 1939年9月に第2次欧州大戦が勃発し、イギリスがドイツに対して宣戦布告した時の首相はネヴィル・チェンバレンで、チャーチルは海軍大臣でした。もっとも、開戦からしばらくの間、西部戦線ではほとんど戦闘が行われていなかったことから、チェンバレンは秘密裏にドイツと交渉を続け、ドイツの目をソ連に向けさせようとしていました。

 ところが、秘密交渉は決裂し、1940年4月にドイツ軍はノルウェー作戦を発動。さらに、5月10日にはベルクス3国へ侵攻したことで、チェンバレンの宥和政策は破綻し、同日、彼の内閣は退陣を余儀なくされます。後継首相には、対独強硬派のチャーチルがただちに就任し、自由党・保守党・労働党を中心とする挙国一致内閣が組織されました。これが、前回のイギリスの連立政権です。

 今回ご紹介の葉書の“印面”下部には、ドイツ語で“1ペニヒの価値もない(WERT KEINEN PFENNIG)”との表記があり、右上には数字の1が×で抹消されています。

 多くの国では、祖国のために戦う将兵が差し出す軍事郵便は、(たいていは数量的な制限がありますが)無料で差し出せます。ドイツも例外ではありません。この葉書では、こうした軍事郵便の性質を利用して、郵便料金が無料であることと、敵国の首相は人間として無価値であることをかけて、こうしたイラストを印刷しています。なお、チャーチルの帽子のように見えるのは大破した軍艦で、そこには、ドイツ軍が圧倒的に優位という当時の状況の中で、押されっぱなしの海軍国・イギリスを揶揄する意図が込められているとみてよいでしょう。

 さて、現在、ヨーロッパの経済危機といえば、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインのPIIGS諸国が問題視されていますが、GDP比の借金割合という点では、イギリスは、これら5ヵ国と同等以上に悪い状態とされており、イギリス経済はこの30年間で最悪の状況といわれています。今回発足した連立政権がこの国難を無事に乗り切れば、まさに、キャメロンはチャーチル以来の英雄ともてはやされることになるのでしょうが、ぜひとも、そうなってほしいものです。イギリス経済が破綻すれば、その世界的な影響が極めて甚大なものとなるのは明中のですから、くれぐれも、経済再建に失敗し、“1ペニヒーの価値もない首相”と呼ばれることのないよう、頑張ってほしいものです。

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 ベニグノ・アキノ
2010-05-11 Tue 09:47
 きのう(10日)、アロヨ大統領の任期満了に伴い、投開票が行われたフィリピンの大統領選挙で、マルコス政権時代に暗殺されたベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員とコラソン・アキノ元大統領の長男、ベニグノ・アキノ3世上院議員が当選しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ベニグノ・アキノ・ジュニア

 これは、1986年に発行されたベニグノ・アキノ・ジュニア(ニノイ)の追悼切手です。

 ベニグノ・アキノ・ジュニアは、1932年、タルラック州コンセプシオンで生まれました。祖父はエミリオ・アギナルドの側近で、父のベニグノ・アキノ・シニアもホセ・ラウレル政権下で活躍し、上院議長を務めるという政治家一家でした。

 マグサイサイ政権下の1954年、反政府グループであるフクバラハップのリーダー、ルイス・タルクを説得して投降させることに成功して名声を博し、22歳にしてコンセプシオン市の市長に就任しました。また、同年、後に大統領となるコラソン・コファンコ(コリー)と結婚しています。

 その後、政治家として順調にキャリアを重ね、1961年、タルラック州の知事に当選。1966年には自由党の官房長官に就任し、1967年には35歳で上院議員に当選しました。これは、フィリピン史上最年少での上院議員当選記録です。

 この間、1965年の大統領選挙では、自由党を離党してフィリピン国民党から立候補したフェルディナンド・マルコスが当選します。マルコスは長期独裁政権の樹立を目指し、1972年、全土に戒厳令を施行。あわせて、野党の有力政治家だったニノイは、政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人などで逮捕され、1977年に死刑宣告を受けています。ただし、マルコス政権も、国民的な人気のあったニノイを実際に処刑することはできず、1980年、アメリカで手術を受けさせるとの名目で、彼を国外追放処分にしています。韓国の金大中を連想させるエピソードですな。

 アメリカでも、ニノイはフィリピン民主化運動の闘士として反マルコス運動の先頭に立っていましたが、1983年8月21日、逮捕覚悟で帰国したところ、飛行機を降りた直後に暗殺されました。

 ニノイの暗殺をきっかけに、フィリピン国内では一挙に反マルコスの空気が広がります。ニノイの未亡人、コリーは1986年の大統領選挙で反マルコスを訴え、多くの国民の支持を得ましたが、選管はマルコスの当選を発表。明らかな不正に対して国民は激高し、軍も国民の側に立ったことで、マルコス政権は崩壊し、マルコス夫妻はハワイへ亡命しました。

 コリーを大統領とするアキノ政権発足後、ニノイはフィリピン民主化の殉教者に祭り上げられ、彼が暗殺されたマニラ国際空港はニノイ・アキノ国際空港と改称され、その肖像は500ペソ紙幣にも取り上げられています。
 
 今回、フィリピンの大統領に当選したベニグノ・アキノ3世上院議員は、こうした両親の下で1960年に生まれ、1998年の選挙でタルラック州選出の下院議員に当選。2007年には上院議員に転じ、2009年に母親のコリーが亡くなると、母の跡をついで大統領を目指すよう、周囲から期待されるようになったとのことです。もっとも、彼には、下院議員9年間、上院議員3年間というキャリアがありながら、この間、ただ一つの法案も通すことができなかったということには、一抹の不安を覚えますな。

 まぁ、一国会議員としてはともかく、一国の長となると、毛並みの良さだけではどうにもならないということは、近年の日本の政治状況を見ていれば十分にわかるだけに、新大統領には一刻も早く“ニノイとコリーの息子”ではなく、自らの実績で評価されるようになってほしいものですな。

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 ノルトライン・ヴェストファーレン
2010-05-10 Mon 19:50
 きのう(9日)、ドイツ最大の地方選挙である西部ノルトライン・ヴェストファーレン州(NRW)の議会選挙の投開票が行われ、右派連立与党が議席の過半数を獲得できずに敗北しました。メルケル政権は州代表で構成される連邦参議院(上院)で過半数を失い、今後、難しい政権運営を迫られることになりそうです。というわけで、問題のノルトライン・ヴェストファーレンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ノルトライン・ヴェストファーレン州

 これは、1992-94年にドイツで発行された各州の地図と紋章シリーズのうち、1993年に発行されたNRWの切手です。

 第二次大戦の終結後、ドイツは米英4ヵ国によって分割占領されましたが、旧ラインラント州は北部がイギリスの、南部がフランスの占領地区となりました。この北部ラインラント(ノルトライン)と、その東側のヴェストファーレン州を合併させて、1946年8月にNRWを発足させました。現在のNRWは、これにリッペ州を付け加えたもので、1947年1月に発足したものです。

 NRWというと、日本ではあまりなじみのない地名ですが、州の西部にルール工業地帯があり、州内には、州都デュッセルドルフをはじめ、ケルン、ドルトムント、エッセン、デュースブルクという人口50万人以上の都市が5つ集まっているというと、イメージがわきやすいかもしれません。

 そういえば、このブログを書きながら思い出したのですが、いまから20年前の学生時代、デュッセルドルフで開かれた国際ユース切手展にあわせて友人と一緒に、ケルン、ボン。ハノーファー、ベルリンをまわったことがあります。家の中を捜せば、どこかにその時の写真があると思うのですが、20年の歳月を経て我が身に起こった変化を見せつけられるのが怖いので、探さずにいます。(笑

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 母の日
2010-05-09 Sun 23:04
 きょう(9日)は母の日です。というわけで、“母”にちなんだこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      岩井粂三郎の千代

 これは、1988年の国際文通週間切手で、初代歌川国政の浮世絵「岩井粂三郎の千代」が取り上げられています。

 初代国政は会津の出身。初めは紺屋の染物職人でしたが、初代歌川豊国に入門し、役者似顔絵にすぐれた才能を発揮しました。

 切手に取り上げられた作品は、『菅原伝授手習鑑』の登場人物・千代を演じる女形の岩井粂三郎を描いたもので、東京都中央区のリッカー美術館(当時)の所蔵品でした。

 千代の夫・松王丸は、物語の主人公・菅丞相(菅原道真)の政敵、藤原時平の舎人となっていましたが、もとは菅丞相ともゆかりがありました。菅丞相が時平の讒言で流罪になった後、菅丞相の息子・菅秀才は寺子屋を開いていた武部夫婦の元にかくまわれていました。ところが、このことが露見し、首を打って差し出すように命じられます。困った2人は、入門したばかりの上品な少年、小太郎を身代わりにして殺し、首を差し出しました。

 そこへ、管秀才の顔を知っているということで、松王丸が検分に来ます。彼は、小太郎の首を管秀才の首に違いないと確認するのですが、実は、小太郎は松王丸と千代の息子だったのです。その後、時平に仕えていながらもかわらない管丞相への忠義のために、大事な一人息子を身代わりに差し出した事を知った武部夫婦は、松王丸夫婦とともに涙にくれるのですが、芝居では、息子を失った千代の嘆きの場面が見どころの一つとなっています。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 VEデイ
2010-05-08 Sat 23:20
 きょう(8日)は、第二次欧州大戦の対独戦勝記念日(VEデイ)です。というわけで、ナチス打倒のプロパガンダ関連マテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・ソ連軍のナチス打倒

 これは、大戦末期にルーマニアで発行された軍事絵葉書で、ソ連軍とともにナチス・ドイツを打倒するルーマニア兵が描かれています。

 第二次欧州大戦直前の1939年8月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の付属秘密議定書において、ベッサラビアの割譲をドイツに認めさせ、翌1940年6月26日、議定書に含まれていなかった北ブコヴィナとともにベッサラビアを併合し、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を樹立します。

 これに対して、1941年6月22日、独ソ戦が勃発すると、ルーマニアはソ連によって奪われた土地を奪還すべく、事実上の最高権力者であったイオン・アントネスク元帥の下、ドイツ軍とともに参戦。ルーマニア軍はソ連によって押しつけられた国境であるプルート川を越え、7月16日にキシナウを解放。26日までにベッサラビアを解放しました。

 失地の回復という民族の悲願を果たしたアントネスクの声望は否が応でも高まりましたが、ドイツ側は、ルーマニアに対してここで戦線を離脱することを許しませんでした。このため、彼らはドイツの要求に従い、さらにドニエストル川を越えてオデッサ占領作戦に参加。さらに、ドイツ軍とともにクリミア半島やスターリングラードでも戦い、ヴォルガ川にまで到達しています。

 しかし、1943年以降のソ連軍の攻勢により、しだいに枢軸側は追い詰められ、1944年にはベッサラビアは再び、ソ連の支配下に組み込まれ、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国が復活することになりました。
 
 ソ連軍によるルーマニア占領が現実のものとなりつつある中で、劣勢のドイツ軍とともに対ソ戦を続けることに対して、国王以下、ルーマニア国内では不安が高まり、1944年8月22日、遂にクーデターが発生して、アントネスクは逮捕されます。国王は一転してドイツに対して宣戦を布告し、同年9月には連合諸国との休戦協定も結ばれました。

 この結果、ルーマニアは“敵国”としてソ連に占領されるという最悪の事態は免れます。そして、枢軸国のハンガリーに占領されていた北トランシルヴァニアの回復を目指すことになります。

 第一次大戦終結後の1918年12月1日、トランシルヴァニアは、ハプスブルク帝国と戦い戦勝国となったルーマニアに統合されました。このとき、ルーマニア領となったトランシルヴァニアの面積は約10万3000平方キロ。旧ハンガリー政府の支配地域の31.7%を占める広大なものでした。このため、ハンガリーの親独政権は、ナチス・ドイツの支援を得て失地の回復を目指すようになり、北トランシルヴァニアをルーマニアから奪還していました。

 アントネスク体制下のルーマニアは、ドイツとの同盟関係から、北トランシルヴァニアのハンガリーへの割譲を容認せざるを得なかったわけですが、対独宣戦後は、ソ連によるベッサラビア支配を認める代償として、北トランシルヴァニアの回復が目指されるようになったというわけです。

 結局、ルーマニアは北トランシルヴァニアを回復したものの、戦勝国としての地位は認められず、1947年の講和条約では、北ブコヴィナおよびベッサラビアのソ連への割譲と賠償金の支払いを認めざるを得ませんでした。なお、ソ連のトランシルヴァニア侵攻を前に、ドイツ軍はトランシルヴァニアからおよそ10万人のドイツ系住民(ザクセン人)をソ連軍から守るため引き上げさせましたが、大戦後、ルーマニアに進駐したソ連軍は8万人以上ものザクセン人たちに“ナチスの手先”との嫌疑をかけてシベリアへ連行し、強制収容所での過酷な労働を課しています。

 ちなみに、第二次大戦時の大国に翻弄されたルーマニアの姿については、拙著『トランシルヴァニ/モルダヴィア歴史紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧板いただけると幸いです。

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 クレタ臨時政府の切手
2010-05-07 Fri 09:16
 経済危機に陥っているギリシャで、政府の財政赤字削減計画に対する抗議行動が暴動に発展するとともに、大規模なストライキが発生。これをきっかけに世界同時株安という状況になっています。というわけで、ギリシャがらみの暴動・叛乱ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェニゼロス切手カバー

 これは、1905年10月に発行されたヴェニゼロス切手のカバーです。

 オスマン帝国の支配下に置かれていたクレタ島では、1830年のギリシャ独立以来、ギリシャ本土への統合(エノシス)を求めてオスマン帝国に対してしばしば反乱が起こっていました。1897年2月、エノシスを求めるギリシャ正教徒の反乱がおこると、かねてからクレタ島に対する領土的な野心を抱いていたギリシャは、総動員を下令。テッサリアに軍を集中するとともに、クレタ島に艦隊を派遣し、同月14日、クレタ島の併合を宣言します。

 これに対して、バルカンの安定を求める6大国(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、オーストリア)は反発。英仏伊三国が地中海艦隊を派遣してクレタ島を封鎖し、6大国が共同でハニアを占領し反乱を鎮圧。その一方で、6大国は、ギリシャ系住民に対して、オスマン帝国の援軍を排除することを約束し、列強の監督下での“クレタ自治政府(以下、自治政府)”の樹立を約束し、1899年3月、ギリシャ国王の次男・ゲオルギオスを高等弁務官とするクレタ自治政府が、イギリス、フランス、ロシア、イタリアの4ヶ国の占領下で発足します。これは、もともとは、この地域の不安定要因となっていたクレタ島を、いったん、オスマン帝国とギリシャの双方から切り離すことによって、バルカン地域の勢力均衡を維持しようという発想に基づくものでした。

 こうした状況の下で、1905年3月、ギリシャの政治家でクレタ島出身のヴェニゼロスは、列強諸国との摩擦を恐れてエノシスに消極的であった高等弁務官ゲオルギオスに抗議して蜂起し、テリソンを拠点に、イタリア占領地域において、“クレタ臨時政府(以下、臨時政府)”の樹立を宣言。そして、同年8月頃(正確な日付に関しては諸説あります)から、テリソン、ヴァモス、マラクサなど島内西部の支配地域内の8ヶ所に郵便局を設置し、独自の切手を発行して郵便サービスを提供しはじめました。

 今回ご紹介のカバーに貼られている切手は、その臨時政府が1905年10月に発行したもので、ヴェニゼロスの支援者であった、アテネの印刷会社・グルントマン・シュタンゲル社によって製造されました。

 このとき発行された切手は全部で6額面ありますが、このうち、5~50レプタの低額4種の切手に描かれているのは“囚われのクレタ”を象徴する女性像で、これは、エノシスが認められない現状は牢獄にいるようなものであるという臨時政府の政治的主張を表現したものです。一方、1ドラクマおよび2ドラクマの高額切手に取り上げられているのは、ギリシャ国王ゲオルギオス1世です。これは、エノシスに消極的な高等弁務官に対してではなく、ギリシャ国王への忠誠を示すことによって、エノシスの実現を強く求める臨時政府の姿勢を表現したものと考えてよいでしょう。

 その後、ヴェニゼロスの臨時政府は、1906年11月頃までに、隣接地域を占領していたロシア軍によって鎮圧され、以後、これらの地域では、ふたたび、クレタ自治政府の切手が使われるようになります。


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 英王・愛華七世
2010-05-06 Thu 09:53
 1910年5月6日にイギリスのエドワード7世(漢字で書くと愛華七世)が亡くなってから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・エドワード7世

 これは、1903年1月に香港で発行された1セント切手で、国王エドワード7世の肖像が取り上げられています。

 19世紀の大英帝国を象徴する存在であったヴィクトリア女王は、20世紀が幕を開けて間もなくの1901年1月22日に崩御し、イギリス王室で最も長きにわたって皇太子であり続けたエドワード7世がようやく国王の座に就きます。

 新国王の即位後も、香港ではしばらくの間、女王の肖像を描いた切手が使われていましたが、今回ご紹介の切手を皮切りに、新国王エドワード7世の肖像を取り上げた切手が登場します。新国王の切手は、大英帝国の威光を誇示するかのように、少なからぬ額面で肖像部分と周囲の枠の色を変えた二色刷という豪華なものでした。

 エドワード7世は1910年5月6日に亡くなり、息子のジョージ5世が後を継いだため、エドワード朝と呼ばれた彼の治世はわずか一〇年で幕を閉じることになります。しかし、先代のヴィクトリア朝の時代が、大英帝国の栄華と引き換えに、生真面目かつ抑圧的で“切り裂きジャック”などのネガティヴなイメージも強いのに比べると、20世紀初頭のエドワード朝の時代の空気は、はるかに明るいイメージがあるとされています。ちょうど、日本でも明治の後の大正という感じでしょうか。

 香港に関していうと、エドワード朝の時代は、コロニアルな雰囲気の優美な建造物が多数建てられた時代として知られています。

 たとえば、絵葉書などにも取り上げられることの多い旧香港中央郵便局の庁舎や、旧灣仔郵便局の局舎香港大学本館のほか、1996年に発行された“香港市區傳統建築物”の切手にも取り上げられた上環街市(ウェスタン・マーケット)や舊醫理學院などは、いずれも、香港におけるエドワード様式の代表的建造物です。

 2007年に刊行の拙著『香港歴史漫郵記』では、そうしたエドワード朝の歴史的建造物をめぐる歴史散歩についても記していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 こどもの日
2010-05-05 Wed 19:08
 きょうは“こどもの日”です。というわけで、子供たちを描いたこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      国際平和年(子供)

 これは、1986年11月28日に発行された“国際平和年”の記念切手です。

 1986年を“国際平和年”とすることは、1982年の第37回国連総会において決議され、1985年10月24日の国連創立40周年の記念日に正式に宣言されました。その目的は、①国連憲章に基づく国際安全保障および平和的手段による紛争解決を促進するため、国連加盟国、政府間団体、マスメディア等による効果的な活動をすること、②平和の維持促進のための主要な国際機関としての国連の強化、③世界における平和のための基本条件、すなわち、軍縮と核による破局の防止、人権と自由の実践等についての注意を喚起すること、です。

 国連での決定を受けて、わが国でも国際平和年の各種行事が行われることになりましたが、わが国にとっては、1986年は国連加盟30周年にあたっていたこともあり、その記念行事の一環として、郵政省・外務省・財団法人日本国際連合協会の共催により、国際平和年切手の図案公募が行われました。

 審査の結果、40円切手には川端有による「鳩」が、60円切手には辻井倫夫による「手をつなぐ子供たち」が採用されました。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 牛に注意!
2010-05-04 Tue 18:18
 きのう(3日)未明、茨城県那珂市田崎の市道で軽乗用車が大破して止まっているのを通行人が見つけ、110番通報しました。運転していた男性は首の骨を折る重傷で「牛とぶつかった」と話しているほか、現場周辺には牧場があり、車にも牛のものとみられる白い体毛が多数付着していたそうです。で、このニュースを聞いて、ふとこんな写真を思い出しました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      牛に注意・標識

 これは、2008年にルーマニア・モルダヴィア地方の修道院めぐりをした際に、チューミルナ峠付近で見かけた“牛に注意”の道路標識の写真です。運転手の話によると、モルダヴィアの田舎では、どこの家でも最低1頭、たいていは3-4頭の牛を飼っているのだそうです。当然、牧場も多いので、柵を超えて道路に飛び出してくる牛も多く、ドライバーに注意を喚起する必要があるのでしょう。今回のような事故が続くようだと、日本でも、類似の道路標識を立てなければならなくなるかもしれませんね。

 さて、“モルダヴィアの牛”については、このブログでもいままで何度か取り上げてきましたが、こんなデザインのモノもあります。

      モルダヴィアの牛(スチャヴァ民俗博物館)     ブコヴィナ解放1周年(牛)

 左は、スチャヴァの民俗博物館の看板の紋章、右は1942年11月1日に発行された“ブコヴィナ解放1周年”の切手に描かれた“モルダビアの牛”です。いわゆる“モルダヴィアの牛”の切手の牛は、どことなく丸みを帯びた愛嬌のある顔をしていますが、今回ご紹介のものはリアルな雰囲気の精悍な顔つきです。

 さて、切手の発行の名目となった“ブコヴィナ解放1周年”についてもご説明しておきましょう。

 第1次大戦以前のブコヴィナはハプスブルク帝国の支配下に置かれていましたが、ルーマニア人が多く居住していたこともあり、第1次大戦後はルーマニア領に編入されました。

 これに対して、1939年8月23日に結ばれた独ソ不可侵条約と、9月1日の開戦を経て同月28日に結ばれた独ソ境界・友好条約を経て、ソ連はルーマニア東部、ベッサラビアを勢力圏とすることが密約されます。そして、フランス降伏翌日の1940年6月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の密約に基づいてルーマニア領ベッサラビアを併合するとともに、突如、ブコヴィナの割譲も要求しました。

 ブコヴィナは帝政ロシアの時代にもロシア領となったことはなく、密約の範囲を超えたソ連の要求に対してはドイツも抗議したましが、結局、ブコヴィナ地方のうちウクライナ系住民の多い北ブコヴィナ(チェルナウツィ県)のみをソ連に割譲することで独ソの妥協が成立。同月28日にはソ連軍が北ブコヴィナに進駐し、8月2日、ソ連は北ブコヴィナを南部ベッサラビアと合わせて、連邦を構成するウクライナに割譲しました。このときひかれた境界線が現在のルーマニアとウクライナとの国境となります。

 その後、1941年6月に独ソ戦が勃発すると、ルーマニアはベッサラビアと北ブコヴィナの失地を回復するためにドイツ側に立って参戦し、一時は北ブコヴィナを回復します。今回ご紹介の切手は、その1周年記念として発行されたもので、国防献金を上乗せして発売されているのが、戦時下の緊迫した空気を良く伝えています。

 しかし、スターリングラードの戦い以降、独ソ戦の戦局は急速にドイツ不利に傾き、ルーマニアでも1944年8月23日、クーデターが発生して親独派政権は崩壊。新政権はドイツに対して宣戦を布告し、同年9月には連合諸国との休戦協定を調印しました。その結果、ルーマニアは1940年6月の国境を受け入れ、北ブコヴィナはルーマニアから切り離され、ソ連領に編入されることになります。そして、1991年のソ連崩壊により、この地は現在、ウクライナ領になったというわけです。

 なお、このあたりの事情については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 亀戸天神社・藤まつり
2010-05-03 Mon 18:30
 私事ですが、きょうは亀戸天神社の藤まつりに行ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      藤まつり(本殿)      藤まつり(スカイツリー)
 
 上の画像の左側は、藤棚の向こう側に見える本殿です。右側の画像のように、境内からは建設中の東京スカイツリーも見えます。連休中ということに加え、スカイツリー人気もあって、境内は相当な人出でした。

 亀戸天神の藤は、約350年前の神社創建当時から植えられていたそうで、江戸を代表する藤として“亀戸の五尺藤”、“亀戸の藤浪”と称され、歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天満宮境内」にも取り上げられています。また、1982年には、都内随一の藤の名所として、新東京百景にも選ばれました。

 さて、フジの花といえば、収集家にとっては、やはり、この2枚でしょうか。

      旧フジ     新フジ

 画像はいずれも、フジの花を描く20円の通常切手ですが、左は1967年5月1日の発行のいわゆる“旧フジ”、右は1969年4月1日の発行の“新フジ”です。

 郵便物処理の機械化・自動化の一環として、1967年7月以降、日常的に使用される通常切手に関しては、印面の周囲に特定の色の枠を印刷し、その色によって郵便物の種別を機械で読み取る色検知システムが導入されました。これにあわせて、通常切手のデザインも色検知システムに対応するものに改められることになりました。フジの花を描く20円切手に関しては、1967年5月発行のモノが印面の上端・左端まで枝が伸びていたので、枝を少し縮めるかたちで、周囲に紫色の枠を作った切手が1969年4月に発行されたというわけです。

 ちなみに、日本の色検知システムを導入した韓国でも、今回ご紹介の旧フジ→新フジの場合と同様、色検知枠を作るために図案の一部を修正した通常切手があります。機会があれば、いずれ、そうした切手もご紹介したいところですが、“漢江の奇跡”と呼ばれた韓国の経済成長は、日本の経済的・技術的支援が支えていたことを物語るエピソードとして記憶しておいてもよいのではないかと思います。このあたりの事情については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 国旗を掲げない“友好”
2010-05-02 Sun 16:15
 きのう(1日)開幕した上海万博で、多くの国のパビリオンが国旗を掲げる中、日本館が国旗(日章旗)の掲揚を見送っていたことがわかりました。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日中青年友好大交流

 これは、1965年に中国で発行された“中日青年友好大交流”の記念切手の1枚です。両国青年の団結を示す1枚とのことですが、中国の青年が赤旗(もしかしたら、中国の五星紅旗なのかもしれません)を振っているのに対して、日本の青年は旗を持っていません。両国の友好というのなら、両国の国旗を描くのがフツーの発想でしょうし、実際、当時の中国でも、他の社会主義国との友好関係をうたいあげるような切手には両国の国旗が描かれている例はあります。それが、先方のいう“中日友好”に関してのみ、日本の国旗を掲げないというのは、どうにも理屈が通りませんな。まぁ、中国側が“友好人士”と考えているのは、日本国内で日の丸・君が代に反対する日本人だけだということなのかもしれませんがね。

 さて、切手の題材となった“日中青年友好大交流”というのは、1965年の8月と11月の2陣に分かれて、日本の青年約500人が訪中し、毛沢東や周恩来と会見するなどの“熱烈歓迎”を受けたというもので、これが、中華人民共和国の成立後、日本と中国大陸との最初の大規模な青年交流となりました。切手に描かれている日本人青年が「(当時はアメリカの施政権下に置かれていた)沖縄をかえせ!」との日本語の入ったたすきを掲げているのは良いとして、背後には「中日両国人民は団結して、アメリカ帝国主義に反対しよう」といった内容の標語が入っていますから、彼がどういう思想傾向の持ち主かはわかろうというものです。もっとも、こういう青年とこそ、中国は友好交流をしたいということなんでしょうけれども。

 それにしても、今回の日本館での国旗不掲揚は、中国側からの“要望”なり圧力なりがあったということではなく、日本側が中国の反日感情に配慮して自粛したのだとか。これが事実であるのなら、そこまでして、巨額の経費をつぎ込み、チベットやウイグルで人権弾圧を続ける一党独裁国家のイベントに参加する必要があったのかどうか、大いに疑問を感じますな。

 本来ならば、こういうところこそ、事業仕分けで突っ込んでほしいものですが、昨年、民主党政権が行った第一次事業仕分けでは、南西諸島近海での中国の脅威が高まる中で、この地域の島嶼防衛に重点配分すべく防衛省が求めていた自衛官の3498人増員(要求額は約72億円)について、事実上の予算計上見送りという結論が出されています。中国から見て太平洋の出口にあたる地域の守りを緩め、中国に媚びるようなかたちで万博に参加することが友愛なり友好だというのなら、ホント、勘弁してほしいものです。

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