内藤陽介 Yosuke NAITO
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 明治大帝の生まれ変わり
2010-06-30 Wed 11:53
 サッカーのW杯の決勝トーナメントで、日本はパラグアイに惜敗しました。残念ですが、まぁ、世界ランキング等を勘案すれば、決勝まで残れたことだけでも十分に満足できる結果ではなかろうかと思います。というわけで、なかなか取り上げる機会のないパラグアイのネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ストロエスネル

 これは、1963年に発行された大統領就任の記念切手のマキシマム・カードで、アルフレド・ストロエスネル大統領の肖像の下に任期にあたる1963-1968の年号が入っています。

 ストロエスネルは、1912年11月3日、パラグアイ南部のエンカルナシオンの生まれで、17歳で陸軍に入り、1932年にボリビアとの間に闘われたチャコ戦争で軍功を立てて一躍有名になりました。1951年に陸軍総司令官に就任。1954年5月に軍事クーデターを起こして実権を掌握し、1954年から1989年まで、通算8期35年間大統領を務めました。

 ストロエスネル政権は、典型的な軍人出身の独裁政権でしたが、東西冷戦という国際環境の下で反共の旗幟を鮮明にしていたため、アメリカをはじめとする西側諸国の支援を得ることに成功し、経済の安定化には成功しました。しかし、1989年に、アンドレス・ロドリゲス(後に大統領)のクーデターによって政権の座から追われ、ブラジルに亡命。2006年にブラジリアで亡くなりました。享年93歳。

 さて、ストロエスネルは大の親日家として知られていましたが、生年が明治天皇崩御の1912年、誕生日が旧明治節の11月3日ということから、みずからを“明治大帝の生まれ変わり”と信じていたのだとか。1972年には来日して昭和天皇にも拝謁しているストロエスネルですが、自分よりも年上の“孫”にあったときはどんな気分だったのでしょうかね。

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 小さな世界のお菓子たち:ソフトクリームの切手
2010-06-29 Tue 08:30
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第9号(2010年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は夏にあわせて、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      イギリス・ソフトクリーム

 これは、2007年にイギリスで発行された「海辺の風景」の切手のうち、ソフトクリームを描く1枚です。

 1846年、アメリカの主婦、ナンシー・ジョンソンは樽の中に氷と塩を入れて牛乳を攪拌する手回し式のアイスクリーム・フリーザーを発明します。この機械では、現在のアイスクリームのようにしっかりと凍らせることは無理で、むしろ、現在のソフトクリームに近い食感のものが作られていました。

 その後、冷凍技術の進歩により、工場でしっかりと固めたハードアイスクリーム(現在の一般的なアイスクリーム)が作られるようになりましたが、作りたての柔らかいアイスクリームの人気も衰えることはなく、1931年、掃除機のモーターを流用し、原料の中に空気を混ぜながら攪拌し、絞り出す“オートマティック・ソフトサーブ・マシン”がアメリカで発明されます。これにより、現在のようなソフトクリームが製造・販売されるようになりました。ちなみに、ソフトクリームは和製英語で、英語本来の表現では“ソフトサーブ・アイスクリーム”といいます。

 なお、コーンの上にアイスクリームを載せるのは、これよりも古く、1904年にセントルイスで開催された万国博の会場で、ワッフルを販売していたアーネスト・A・ハムウィが、隣のアイスクリームスタンドに、ワッフルを円錐状に巻いて容器の代用とすることを提案したのが始まりとされています。

 2007年にイギリスが発行した「海辺の風景」の6枚組は、海水浴場のさまざまな風景を取り上げた夏らしい切手ですが、そのうちの1枚には、海岸に立つ巨大なソフトクリームのオブジェが取り上げられています。こんな切手が貼られた手紙をもらったら、燦々たる太陽の光を浴び、青い海を眺めながら味わったソフトクリームの、ひんやりとした心地よさがよみがえってくるようです。ここのところ、梅雨空の蒸し暑い日が続くだけに、余計に、こういうお天気にはあこがれますね。

 なお、切手には額面数字の代わりに“1st”と入っていますが、これはファースト・クラス(優先配達:日本の速達に近い制度)の郵便料金相当を意味していて、料金が値上げされても、永久にファースト・クラスの郵便に使えることを意味しています。また、2008年には、この切手2枚と通常切手を組み合わせた切手帖も作られています。

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 ソウルの北朝鮮国旗
2010-06-28 Mon 09:55
 おかげさまで、東京・目白の切手の博物館で行われた“郵便でつづる朝鮮戦争”展は、きのう(26日)、無事に閉幕いたしました。ご来場の皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。さて、きょうは1950年6月28日に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)がソウルを占領して60年という節目の日でもありますので、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソウルの赤旗     ソウルの赤旗(写真)

 左の切手は、1950年7月10日に北朝鮮が発行した“ソウル解放”の記念切手で、北朝鮮国旗の翻る韓国政庁(旧朝鮮総督府の建物)が描かれています。右側の写真は、ソウルの戦争記念館での“625戦争60周年”の特別展示で飾られていた写真で、実際に、当時の政庁に翻っていた北朝鮮国旗を撮影したものです。

 1950年6月25日に南侵を開始した朝鮮人民軍は、奇襲攻撃の利を活かして進撃を進め、同月28日、ついにソウル市街の一角に突入します。

 当時、朝鮮人民軍の首都(当時は、北朝鮮側も建前としてはソウルを首都としていました)侵攻に対して、韓国軍の蔡秉徳参謀総長は、漢江に架かっていた漢江大橋と広壮橋、それに複線2本・単線1本の鉄道橋の爆破を命令。朝鮮人民軍の進撃を少しでも遅延させようとしました。

 しかし、このプランには、ソウル以北の韓国軍部隊の撤退やソウル市民の避難をどうするのかという視点が欠落していました。このため、蔡は、いったん、爆破の延期を決定したものの、混乱の中で司令部と現場との連絡が不首尾に終わり、漢江大橋と2本の鉄道橋が予定通り爆破されてしまいます。この爆破により、橋の上にいた数百人の将兵・市民等が犠牲になったほか、ソウルの外郭を防衛していた韓国軍主力も士気を失い、なだれをうって崩壊。韓国側の極度の混乱状況の中で、開戦からわずか3日で、ソウルは朝鮮人民軍の前に陥落しました。

 当時、大方の予想では、ソウル陥落後、朝鮮人民軍はただちに漢江を渡河し、一挙に南下するものと見られていましたが、朝鮮人民軍は6月28-30日の3日間、政治犯の逮捕や囚人の解放、ソウル政庁での戦勝祝賀会などを開催して時間を空費。さらに、7月1・2日の両日は漢江鉄橋の修復・確保に時間を取られたこともあり、5日間の時間的な猶予を韓国側に与えることになります。それゆえ、北朝鮮が進軍を停止したこの3日間は、“謎の3日間”とよばれ、その理由をめぐっては、専門家の間でも意見が分かれています。

 すなわち、南朝鮮労働党の呼応蜂起(北朝鮮側は、開戦にあたって、南側の人民が南侵に呼応して反李承晩の一斉蜂起に立ち上がるだろうと喧伝していた)を待っていたという説や、韓国側には漢江南岸での迎撃準備が整っていたと北朝鮮側が誤解したという説、またソウル占領があまりにも順調に進み、他の作戦との足並みをそろえるため、時間調整が行われたとする説、などがその主なものです。

 もっとも、作戦上の判断は別にして、当時の朝鮮人民軍の間には、ソウルの占領によって戦争は実質的に終結するとの楽観的な空気が強かったことも事実で、北朝鮮の首脳部はソウル占領後すぐさま戦勝祝賀会を開催しています。このように、ソウルの解放イコール“祖国解放戦争(朝鮮戦争の北朝鮮での呼称)”の勝利との認識から、彼らが発行したのが、今回ご紹介の切手です。

 ところで、この切手は、ソウル陥落からわずか12日後の7月10日に発行されました。オリジナル・デザインの切手の制作には、最低でも1ヵ月以上はかかるがフツーです。このことは、1946年2月に、ソ連占領下で事実上の北朝鮮政府ともいうべき北朝鮮臨時人民委員会が発足したのに対して、同委員会の下で最初の切手が発行されたのは同年3月であったことからもお分かりいただけるものと思います。したがって、今回ご紹介の切手に関しても、“1950年6月28日”というソウル陥落の日付部分を除き、原画の制作など、開戦前から制作作業がはじめられていたものと考えるのが妥当でしょう。

 いずれにせよ、開戦前から記念切手の発行を準備していたということは、北朝鮮側が南侵の準備を周到に進めていたことをうかがわせるもので、結果的に、北朝鮮は自ら発行した切手によって、「朝鮮戦争は南からの挑発だ」という自分たちの主張が根拠薄弱なものであることを自ら吐露してしまったといえます。

 なお、朝鮮戦争と切手・郵便については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
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 世界漫郵記:セナド広場(前篇)
2010-06-27 Sun 14:26
 『キュリオマガジン』2010年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、今回と次回の2回に分けてセナド広場周辺を取り上げています。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      民政総署(俯瞰)     民政総署(ブログ用)

 左は、1995年に発行されたセナド広場を描く切手で、一番左側の切手の民政総署のファサードには“LEAL SENADO”と表示されています。右側は現在の民政総署で、ファサードの文字は“民政總署”の中国語をメインに、その下にポルトガル語の訳“INSTITUO PARA ASSUNTOS CIVICOS E MUNICIPAIS”を配する表示に変えられています。

 現在の民政総署の場所には、明代の嘉靖年間(1522-66)にポルトガル商人と明朝の官吏との会談や交渉を行うための簡単な東屋が建てられていました。この場所が選ばれたのは、明朝の役所や軍營地などから近かったためといわれています。

 1583年、マカオ在住のポルトガル人たちはマカオの自治のために議会を開くことを決め、翌1584年、明朝との会見に使っていた東屋の場所にレンガ造りで中国式庭園を備えた最初の建物を建てました。これが、現在の民政総署の直接のルーツです。なお、民政総署が“議事亭”と呼ばれているのは、それがマカオ市会として出発したことによるもので、セナド広場(議事亭前地)の名前もそこに由来しています。

 ポルトガル本国では、1580年1月、アントニオ1世が国王として即位したものの、これを不服とするスペイン国王のフェリペ2世が同年11月、アントニオ討伐の兵を挙げ、アントニオの軍を撃破。フェリペ二世は、ポルトガルとスペインを合同しないという条件の下、ポルトガル国王フィリーペ一世として即位し、スペイン・ポルトガルの同君連合の時代を迎えます。

 スペインとの同君連合の時代、マカオのポルトガル人たちは、自治の証として、議事亭にポルトガル国旗を掲げ続け、アジアに進出してきた新興勢力、オランダの攻撃を受けた際にも、マカオは自力でこれを撃退しました。

 こうした経緯を踏まえて、1640年、王政復古を果たしたジョアン4世は、マカオに対して“比類なき忠実な神の御名の都市:Cidade do Nome de Deus, Não Ha Outra Mais Leal”の称号を与えるとともに、マカオ市会に対しても“忠実なる市会(Leal Senadoレアル・セナード)”の賛辞が送りました。ポルトガル時代の切手に描かれた民政総署には、この賛辞が掲げられていたというわけです。

 今回の記事では、この民政総署を中心にご紹介してみました。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨日のトークは無事、終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展     朝鮮戦争60年(単片)


 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。また、会場では、韓国で発行された“朝鮮戦争60年”の記念切手も、韓国と同時に発売されます。

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 ソウルの戦争記念館
2010-06-26 Sat 10:42
 きのう(25日)から、東京・目白の切手の博物館(地図はこちら)で、“郵便でつづる朝鮮戦争”展がスタートしましたが、今回の朝鮮戦争60年がらみのイベントの中で最大規模のものといえば、やはり、ソウルの戦争記念館で開催中の特別展でしょう。今月10-12日にソウルに行ったとき、短時間ですが時間を見つけて戦争記念館にも行ってきましたので、きょうは、そのご報告を兼ねた記事を書いてみたいと思います。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      戦争記念館     戦争記念館正面

 切手は、1994年に発行された戦争記念館開館の記念切手で、記念館の全景が取り上げられています。切手と同じ構図の写真を撮ろうとしたのですが、記念館そのものがあまりにも大きくて画面に収まりませんでしたので、右側に、正面から撮影した写真を貼っておきます。

 戦争記念館は、1994年6月、竜山洞の漢江と臨津江が合流する地点、旧大韓民国陸軍本部跡にオープンしました。祖国のために闘って亡くなった兵士たち讃えるために作られたもので、展示の内容は、当然のことながら、朝鮮戦争に関するものが主流となっています。

 写真を見ていただくとお分かりかと思いますが、現在、同館では“625(朝鮮戦争開戦の日付で、ここでは、戦争そのものを意味しています)”の特別展が大々的に開催されており、正門前には、“60”をかたどったオブジェもありました。

       戦争記念館・ユギオ展オブジェ

 特別展の入り口には、60をかたどったオブジェの前に当時の戦車や飛行機の実物がおかれ、その後、朝鮮戦争を中心に南北分断の歴史をたどる第1部の展示が始まります。とはいえ、朝鮮戦争後の韓国の復興・経済成長や、北朝鮮の現状などにも相応のスペースが割かれています。なお、北朝鮮に関しては、昨年のデノミ失敗は展示にありましたが、天安事件についての展示はありませんでした。単純に、間にあわなかったということなのでしょう。

           ユギオ展A      ユギオ展B

       ユギオ展C     ユギオ展D

 画像は左上から特別展入口部分、開戦前の状況を説明した部分、戦時下の生活を表現したジオラマ、北朝鮮の現状のパネル、です。

 続いて、非武装地帯(DMZ)の現状を紹介する第2部では、韓国軍の活動を紹介するコーナーとあわせて、DMZ地域の自然を紹介する展示もありました。

       ユギオ展E     ユギオ展F

 特別展示のほかに、常設展示でも朝鮮戦争については詳細な展示がありますので、かなり見ごたえがあります。なお、今回の特別展の会場には、中国からの団体客がかなりいたことに加え、兵器の展示の前で、中国語を話す若い女性が記念写真に興じていたのが印象的でした。

       ユギオ展G

 おそらく、彼女たちには、朝鮮戦争に際して、中国が北朝鮮支援のために人民志願軍を派遣し、韓国・国連軍と戦ったということについてのこだわりはほとんどないのでしょう。そういえば、25日付の中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介したそうです。人民志願軍を派遣した中国は、公式には開戦の発端が“北朝鮮の南侵”だったとは認めてきませんでしたが、そろそろ、歴史的事実を直視しても問題ないとはんだんされたということなのでしょうか。だったら、いいかげん、日本との戦争についてもそうしてくれればいいのに…。
       
 さて、戦争記念館がオープンした前後は、いわゆる1994年危機で、朝鮮半島は一触即発の状態にあるとみられていました。

 これは、1994年4月の米韓合同軍事演習(チーム・スピリット)再開に対抗しての「準戦時体制」の宣布、核拡散防止条約(NPT)からの脱退、同年5月の「ノドン一号」ミサイルの日本海能登半島沖への発射実験など、北朝鮮が展開した“瀬戸際外交”が、その原因です。こうした北朝鮮側の攻勢は、“事態打開のため”との名目でアメリカとの直接対話(その最終的な目的が経済支援の獲得にあることはいうまでもない)の糸口を得ようというものでしたのだが、アメリカは朝鮮有事に向けた対応を急ぐことになります。

 このため、1994年4月中旬に再開されたチーム・スピリットは、パトリオット・ミサイルが釜山に揚陸されたほか、兵員は枠ぎりぎりの3万7000人にまで増員され、さらにアメリカ第7艦隊が海上に待機するなど、実戦を想定した大規模なものとなりました。ちなみに、今回のチーム・スピリットにあわせて、アメリカは1900項目にのぼる支援要請のリストを作成し、日本政府に対して後方支援を要求しています。これに対して、当時、社会党や新党さきがけを含む連立政権を構成していた細川内閣は、北朝鮮有事への対応を巡る閣内不一致でどうにも身動きが取れなくなり、そのことが退陣の一因になったともいわれています。

 さらに、5月になると、在韓米軍総司令官ゲーリー・ラック大将が、「北朝鮮は国境地帯に8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台をすえており、ソウルに向けて最初の12時間に5000発の砲弾を浴びせる能力がある。もし戦争となれば、半年がかりとなり、米軍に10万人の犠牲者が出るだろう」との分析を発表。アメリカ本国政府も“第二次朝鮮戦争”勃発による被害予想(最初の3ヶ月で米軍5万人と韓国軍50万人が死傷し、全面戦争になれば死者は100万人に達するとされる)を検討するなど、朝鮮有事は現実のものと考えられるようになりました。

 緊張した状況が続く中で、アメリカのクリントン政権は戦争回避のためのギリギリの外交交渉として、6月15日、カーター元大統領を平壌に派遣。事前の予想では、カーター訪朝には成果があまり期待されていませんでしたが、アメリカとの対話再開のきっかけをつくるという“瀬戸際外交”本来の目的を達した北朝鮮は、各国の予想に反して、金日成みずからがカーター斡旋を受け入れて、寧辺の核開発関連の複合施設の全面凍結と対米交渉再開に応じることを発表。第2次朝鮮戦争が回避されたことに世界はいったん安堵します。

 しかし、カーター訪朝から1ヶ月と経たない7月8日、金日成が急死し、事態は再び不透明化していくことになりました。

 それにしても、ことし3月の北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安」攻撃いらい、南北関係が極端に緊張し、北朝鮮有事に備えて沖縄の米軍基地の重要性が高まっていく中で、普天間基地の県外移設を主張して社民党が連立政権を離脱、鳩山内閣が崩壊するという構図は、1994年危機の中で日本の政治が迷走していたときのことと妙にダブって見えますな。前回は事なきを得たからといって、今回も無事である保証は何もありません。

 今回ご紹介した戦争記念館の前庭には戦没者慰霊碑が立っていますが、その台座には“自由はただではない”と刻まれています。

      戦争記念館・碑文

 我々は、この言葉を決して忘れてはなりません。

 なお、1994年危機とその前後については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展     朝鮮戦争60年(単片)


 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。また、会場では、韓国で発行された“朝鮮戦争60年”の記念切手も、韓国と同時に発売されます。

 なお、26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


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 ユギオとデンマーク
2010-06-25 Fri 08:13
 サッカーW杯は日本がデンマークを下して決勝トーナメント進出を決めました。まずはめでたい限りです。一方、きょうは朝鮮戦争の勃発した“ユギオ(韓国語で625の意)”の日で、“郵便でつづる朝鮮戦争”展の初日でもあります。というわけで、ユギオ+デンマークということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国連軍・デンマーク

 これは、1951年10月25日、韓国が国連軍参加各国に感謝して発行した“国連軍感謝シリーズ”の1枚で、国連マークとハトを中心に太極旗とデンマーク国旗が並べられています。

 “国連軍感謝シリーズ”は、1951年9月15日と同年10月25日の2回に分けて、国連軍参加21ヵ国の国旗と太極旗を並べて発行したもので、両国国旗の間には、今回ご紹介しているモノのように国連マークと鳩を配したものと、自由の女神を配したものの2パターンがあります。また、“イタリア“に関しては、当初、誤って旧王制時代の国旗を取り上げた切手を発行してしまったため、1952年2月10日に共和国の国旗を取り上げたものも改めて発行されました。この結果、シリーズ全体の構成は、(21+1)×2=44種類という勘定になっています。

 1950年6月25日に北朝鮮・朝鮮人民軍の奇襲攻撃により朝鮮戦争が始まると、国連安全保障理事会は北朝鮮の南侵を侵略行為と規定し、北朝鮮に対して38度線以北への撤兵を要求します。しかし、朝鮮人民軍はこの安保理決議を無視してさらに南侵を続け、6月28日にはソウルを占領してしまいました。

 このため、アメリカ大統領・トルーマンは、極東海・空軍に対して、38度線以南の朝鮮人民軍への攻撃を指令。国連安保理も、「北朝鮮の侵攻を撃退するため、加盟国は韓国が必要とする軍事援助を与える」との決議を採択して、アメリカの軍事介入を追認しました。

 その後、7月7日になって、国連安保理は北朝鮮の南侵を食い止めるべく、国連軍の創設を決議し、その司令官の任命をトルーマンに委任。これを受けて、翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しています。

 これら一連の安保理決議は、当時、ソ連が欠席した安保理(ソ連は、中華人民共和国を中国の正統政府として国連への代表権を与えるように主張し、それが否決されたことに抗議して安保理への出席を拒否していました)で採択されたため、後に、いわゆる“進歩的知識人”たちは、国連軍の創設は国際世論を反映したものではないと批判する余地を残すことになったとされています。

 しかし、当時の国連加盟59ヵ国のうち、国連軍の派遣に賛成したのは52ヵ国と圧倒的多数を占めていました。また、アメリカ以外にも、英連邦5ヵ国を含む総計21ヵ国が兵員を派遣していたことを考えると、国連軍の派遣は、やはり、当時の国際世論を反映したものとみなすのが自然といえるでしょう。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられているデンマークは、病院船のみの派遣です。

 なお、“国連軍感謝シリーズ”は製造面にさまざまなバラエティがあり、収集対象としては人気があります。本日から27日まで(各日10:30-17:00) 、東京・目白の切手の博物館(地図はこちら)で開催の“郵便でつづる朝鮮戦争”展でも、鈴木康嗣さんによる専門コレクションが展示されておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展     朝鮮戦争60年(単片)


 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。また、会場では、韓国で発行された“朝鮮戦争60年”の記念切手も、韓国と同時に発売されます。

 なお、26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 あすから“郵便でつづる朝鮮戦争”展
2010-06-24 Thu 17:40
 かねてご案内のとおり、あす(25日)から27日まで(各日10:30-17:00) 、東京・目白の切手の博物館(地図はこちら)で、“郵便でつづる朝鮮戦争”展が開催されます。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像は、クリックで拡大されます)

      朝鮮戦争60年     朝鮮戦争60年(単片)

 これは、あす、韓国で発行予定の“6・25戦争60周年”の記念切手です。日本では一般に“朝鮮戦争”と呼ばれている戦争については、北朝鮮側は祖国解放戦争という呼称が定着していますが、韓国では、韓国動乱、韓国戦争、6・25(戦争)などのさまざまな呼び名があります。このうち、動乱という語は、北朝鮮を正規の国家として認めていないため、国家間の戦争ではなく、あくまでも内戦であるという立場によるものです。

 切手には、鉄条網の上を飛ぶアゲハ蝶が描かれています。韓国では、毎年6月6日の顕忠日の日に、国家のために亡くなった人々を悼む式典が行われていますが、その最後に、蝶が放たれることがあります。これは、死者の魂が蝶に転生するという朝鮮古来の言い伝えを踏まえたパフォーマンスで、今回の切手に蝶が取り上げられているのも、それに倣ったものではないかと思います。なお、切手展の会場では、あすから、今回ご紹介の切手を日韓同時発売する予定です。

 さて、今回の展覧会は、1950年6月25日に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の南侵により朝鮮戦争が勃発してからちょうど60年という機会をとらえて、朝鮮戦争に関する切手や郵便物を網羅的に展示しようというもので、以下のような作品が展示されます。

 内藤陽介:朝鮮半島現代史 1943-1953
 キム・ジョンウ:韓国戦時加刷切手
 前田泰三:DPRK 北朝鮮 1945-1951
 JPSコーリア切手部会共同作品:国連軍として参戦した各国軍事郵便局の日付印
 川上弘:インド管理軍の軍事郵便局
 鈴木康嗣:6・25参戦友邦感謝記念郵票
 高塚純一:朝鮮戦争
 前田泰三:北朝鮮の葉書 ~1950 (以上、目録掲載順)

 僕の作品は、1943年のカイロ宣言から1953年の朝鮮戦争休戦までの概説的な展示となっておりますので、まずはこちらをご覧いただき、背景となる歴史的経緯を御理解いただいたうえで、それぞれの専門コレクションをご覧いただくとわかりやすいのではないかと思います。

 また、会期2日目の26日(土)の午後1時からは、切手や郵便から見た朝鮮戦争について、僕が30-40分程度のトークを行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展     朝鮮戦争60年(単片)


 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。

 26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 日米安保50年
2010-06-23 Wed 12:44
 1960年6月23日に現行の日米安全保障条約(新安保条約)が発効してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      黒枠FDC

 これは、1960年9月27日に発行された“日米修好通商100年”の小型シートの初日カバーです。

 1960年1月に新安保条約が調印されると、その記念イベントの一環として、アメリカ大統領アイゼンハワーの訪日が正式に決定され、アメリカ側は返礼として明仁皇太子夫妻の訪米を要請します。もっとも、新安保条約の成立を記念して皇太子が訪米するというのは、条約そのものへの賛否とは別に、皇室の政治利用であるとして国内世論の強い反発を招くことが予想されました。そこで、名目として考え出されたのが“日米修好100年”でした。

 ところで、日米修好通商条約の調印は1858年ですから、通常の感覚でいえば、その百周年は1958年とするのが自然なことでしょう。実際、1958年には、同条約によってもたらされた開港100年の各種記念行事が行われ、記念切手も発行されています。

 これに対して、日本政府は、条約の批准書をアメリカに届けたのは1860年であり、批准書の交換なくして条約が発効しない以上、1960年こそが条約の100周年としてふさわしいと主張。各種記念行事を1960年に実施したのです。

 しかし、実際には、この種のイベントは、条約の発効よりも、調印を起点に考えることのほうが多く、記念切手の発行もそれにあわせて行われるのが通例ですし、そもそも、典型的な不平等条約であった日米修好通商条約が、日本側で記念行事を行うに値するものであったか否かという点も、当時、大いに問題視されました。したがって、日本側が、あえて1960年を選んで日米修好100年の各種記念行事を行うことをアメリカ側に申し入れたのは、日米修好百年の名の下に、安保改定を祝うことにあったと考えるのが自然なことと思われます。

 さて、安保改定をめぐっては、大規模な反対運動がおこり、アイゼンハワー訪日は中止され、新安保条約の自然成立を受けて、岸信介内閣は退陣しましたが、皇太子(明仁)ご夫妻の訪米は、予定通り、同年9月に行われました。

 ご夫妻は9月22日に羽田を出発し、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン、シカゴ、シアトル、ポートランドの各都市を訪問し、各種の記念行事に参加した後、10月7日、羽田に帰着しています。

 アメリカ側は、日本側の強い希望を容れるかたちで、この皇太子の訪米にあわせて、“日米百年(切手上の表記は、UNITED STATES ・ JAPAN 1860-1960)”の記念切手の発行を決定し、準備を進めていました。

 アメリカ側が記念切手を発行するという情報は、すでに、1960年2~3月に郵政政務次官が欧米諸国を視察に訪れた際、内々にアメリカ側から伝えられていました。ただし、アメリカ側は日本から外部に情報が漏れることを警戒し、日本側の担当者に対して、厳重に口止めをしていたため、この情報は、単片の記念切手発行時には伏せられていました。

 こうした状況の中で、郵政省は、アメリカでの記念切手発行にあわせて、日本では、単片の記念切手を収めた小型シートを同日に発行することを計画。4月21日までに、単片切手の原画作者である山野内孝夫が小型シートの原画とレイアウトを作成しています。

 さて、単片の記念切手が発行されてから6日後の5月23二日、安保闘争で世情が騒然としていたなかで、東京の日比谷公会堂では、日米修好通商百年記念式典が行われました。そして、その席上、駐日アメリカ大使のダグラス・マッカーサー二世(同名の元GHQ最高司令官の甥)とホノルル郵便局長のジョージ・ハラが、皇太子が訪米し、ワシントンの到着する9月26日(現地時間)に、アメリカ郵政は日米100年の記念切手1億2000万枚を発行すると発表します。アメリカの記念切手はワシントンにあるワシントン記念碑に桜を配したもので、原画はニューヨーク在住の日系二世の画家、ギヨウ・フジカワが担当しました。

 さて、この間に日本側の小型シート発行の準備も着々と進められ、6月2日に提出された試刷をもとに、シート・マージンの刷色も正式に決定されています。そして、6月10日、皇太子がワシントンに到着する9月27日(日本時間、現地時間は26日)に小型シートを発行すると発表しました。

 ところが、郵政省が小型シートの発行を発表した6月10日は、新安保条約の自然成立予定日6月19日の直前であり、安保闘争が最も激しかった時期に当っていました。

 このため、安保改定に反対し、単片の記念切手発行さえをも“国辱”として批判していた人々は激昂。雑誌『郵趣』は、京都大学教授・井上清の論文「なにを記念すべきだろうか?:日米修好の『百年』によせて」を3頁にわたって掲載しています。今回ご紹介のカバーも、そうした文脈にそって、日本郵趣協会が作ったもので、“国辱”的な記念切手の発行に抗議するとして、周囲が黒枠で囲われています。

 また、『郵趣』ほど激しい批判を展開しなくとも、「例年以上に切手の乱発が続く中で、無理に小型シートを出さなくとも良いのではないか」、「どうして、皇太子訪米という本来の記念事項で切手を出さない(出せない)のか」等といった批判も収集家の間では少なくなかったようです。

 とはいえ、小型シートの発行された9月27日なると、岸信介内閣はすでに退陣していたこともあって、安保をめぐる国民の興奮も大分おさまっていましたし、小型シートそのものの出来栄えが近年にない立派なものであったことともあいまって、発行初日の9月27日には久しぶりに郵便局に行列ができたと報告されています。

 さて、小型シートの発行にあわせて、“日米修好通商百年”の特印が用いられましたが、そのデザインは日米両国の飾り国旗を描いた5月のものとは異なり、今回は、条約批准書のシールを描いたものとなっています。また、皇太子夫妻が訪米に出発した9月22日から1週間は、オシドリと地図を描いた“皇太子同妃両殿下御訪米記念”も使われていましたので、修好百年の特印とあわせて、この印を押した初日カバーも多数作られました。

 なお、今上天皇の皇太子時代のご外遊とそれに関係する切手に関しては、拙著『皇室切手』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展

 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。

 26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


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      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 韓国と捕鯨
2010-06-22 Tue 10:51
 きのう(21日)、モロッコのアガディールで国際捕鯨委員会(IWC)の第62回年次総会が始まりました。というわけで、きょうはIWC関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・IWC総会

 これは、2005年6月20日から5日間、韓国の蔚山広域市で開催された“第57回国際捕鯨委員会年次総会”に際して、韓国が発行した記念切手です。

 韓国でも、日本同様、古くから沿岸捕鯨が行われ、鯨肉は食用とされてきました。特に、IWC年次総会の行われた蔚山市の長生浦は、1899年以降、韓国の捕鯨基地として発展。かつては鯨の町として知られていました。

 その後、1986年にIWCの捕鯨猶予措置により、韓国での捕鯨は表向き禁じられましたが、定置網などに偶然掛かって死んだクジラに限り、販売が許可されているということになっており、鯨料理店などの営業も続いています。もっとも、“偶然網にかかった”ことになっている鯨の数は、毎年、ほぼ600頭と決まっているのだとか。まぁ、彼らのいう“偶然”というのも、実際にはかなり怪しげですな。そういえば、やはりきのうのニュースでは、ソウルの日本料理店の経営者が、2006年11月からことし4月にかけ、和歌山県の鯨肉専門店から鯨肉を密輸して摘発されたと報じられていましたっけ。

 また、鯨肉が“貴重品”となったせいか、韓国の飲食店ではクジラとイルカを(故意かどうかは別として)混同して客に出しているケースも少なくないといわれています。ちなみに、かつてソウルには鯨料理で有名な“蔚山トルコレ”という店がありましたが、この“トルコレ”というのはイルカのことです。

 さて、今回のIWC総会では、捕鯨国、反捕鯨国の対立で機能不全に陥っているIWCを立て直すため、日本が行う南極海での調査捕鯨を縮小する代わりに、日本の沿岸捕鯨を容認することを柱とした議長提案が議論されることになっていますが、オーストラリアなど反捕鯨国は南極海での捕鯨廃止を求めて反対しており、話が上手くまとまるかどうか、先行きは不透明です。

 ところで、従来、日本の調査捕鯨に対して反対の立場をとっていた韓国が、沿岸捕鯨再開の可能性が出て来た途端に、日本・ノルウェー・アイスランドの捕鯨3ヵ国に賛同し、自分たちも捕鯨が再開できるよう、今回の総会に修正を求める文書を提出しています。文書は「捕鯨は韓国の歴史と伝統の欠かせない一部」とした上で、日本やノルウェーなど現在捕鯨を行う3ヵ国にのみ今後10年間、限定的な捕鯨を認めるという議長提案は「事実上、韓国の捕鯨再開の機会を閉ざす」ものとして、3ヵ国以外にも捕鯨を認めるよう修正を求めたものです。

 まぁ、かの国らしいご都合主義と逝ってしまえばそれまでですが、韓国が捕鯨国に復帰し、わが国と共同歩調を取ってくれるのであれば、それはそれで歓迎すべきことなのでしょうね。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』2010年6月号では、“捕鯨浪漫主義”と題して、捕鯨文化のカッコ良さを伝える欧米のコレクターズ・アイテムを特集しています。この機会にぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 夏至
2010-06-21 Mon 10:53
 きょう(21日)は夏至です。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      二見浦

 これは、1937年用の年賀切手で、二見浦の夫婦岩が描かれています。

 二見浦は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸で、伊勢志摩国立公園に属しています。古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしでした。

 切手に取り上げられた夫婦岩は、立石崎の二見興玉神社内にあり、沖合700メートルの海中にある興玉神石(猿田彦大神にゆかりの霊石)を拝むための鳥居のような役割を果たしています。

 もともと、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていましたが、現在では両者を合わせて夫婦岩と呼ばれるのが一般的です。なお、女岩は、1918年の台風で根元から折れてしまったため修復され、以前とは角度が若干変わっています。

 現在の二見興玉神社は、1910年に猿田彦大神を祀る興玉社と宇迦御魂大神を祀る三宮神社を合祀してできたものですが、このうちの興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるとされています。

 二見浦の初日の出というと正月の定番というイメージが強いのですが、実際に夫婦岩の間から日の出のご来光が拝めるのは夏至の前後約2ヶ月(計4ヶ月)しかありません。このため、二見浦では毎年“夏至祭”が行われ、白装束に身を包んだ300人近くの善男善女が、天照大神を迎えるために、祝詞を唱え気合いを入れつつ海に入り、朝日に向かって国歌を合唱をするのだそうです。

 さて、この年の年賀切手に関しては、図案の懸賞公募が行われ、1481点の応募作品の中から、1等は該当作なし、2等2点、3等3点が選ばれました。このうち、最上位の2等1席の「初日の出に耕牛」は、結果として採用されず、2等2席の「二見浦の初日の出」にちなみ、逓信博物館所蔵の二見浦夫婦岩の写真に輪郭部分を加えた切手が作られました。ただし、前年の年賀切手をめぐる座談会の席上、年賀切手の発案者であった日名子実蔵は「來年は二見ヶ浦ですよ」と発言していますので、逓信省の関係者の間では、年賀切手の画題としては二見浦を採用したいという意向がもともとあったのかもしれません。

 なお、年賀切手に関しては、拙著『年賀切手』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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      朝鮮戦争展

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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 マリ連邦50年
2010-06-20 Sun 17:15
 わずか2ヶ月しか存在しなかった超短命国家・マリ連邦が1960年6月20日フランスから独立して、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マリ連邦発足

 これは、1959年11月7日に発行されたマリ連邦発足の記念切手です。

 1958年、フランス植民地の再編がすすめられていく中で、西アフリカでは、フランス共同体内の自治権を持つ国として、スーダン(以下、今回の記事で“スーダン”という場合は、エジプトの南にある旧英領の国ではなく、旧仏領スーダンのことです)、セネガル、オートボルタ(現ブルキナファソ)、ダオメー(現ベニン)、ニジェール、トーゴ、象牙海岸(現コートジボワール)などの自治共和国がつくられました。このうちスーダンとセネガル、オートボルタ、ダオメーの4ヵ国は1959年1月、14世紀にニジェール川流域で繁栄した黄金の帝国“マリ”にちなみ、マリ連邦を結成することになりました。

 ところが、連邦のあり方をめぐっては、完全な独立国家を目指すスーダンおよびセネガルと、フランス共同体の中で対等な地位を目指そうとするオートボルタおよびダオメーが対立。1959年4月には、スーダンとセネガルだけでフランス共同体内のマリ連邦を結成し、翌1960年6月20日、同連邦として完全独立を達成します。今回ご紹介の切手が、1959年1月と表示されていながら、実際には、11月になってからの発行となったのも、こうしたごたごたがあったためでしょう。

 さて、連邦の首都はセネガルのダカールに置かれ、大統領にはとりあえずスーダン首相のモディボ・ケイタが、副大統領にはセネガル首相のママドゥ・ディアが就任しましたが、2ヶ月後の8月20日、セネガルが突如、連邦からの分離独立を宣言してしまいます。その背景には、両者のうち、人口・面積ともに少ないセネガルが経済的にはスーダンを圧倒しており、両者の政治的バランスをとることが困難だったという事情がありました。

 結局、マリ連邦の残った部分、すなわち、旧スーダン側は、連邦としてではなく、単独のマリ共和国として9月にあらためて独立。マリ連邦は、独立国としてはわずか2ヶ月という超短命国家に終わりました。

 そういえば、この記事を書いていて気がついたのですが、今年は、アフリカ大陸で多くの新興独立国が誕生し、“アフリカの年”とも呼ばれた1960年からちょうど50年ですな。これを機に、当時の独立国の事情などを、切手を通して眺めてみたりすると、いろいろと面白いことが見えてくるかもしれません。2010年も半分を過ぎようというところで“いまさら”感は強いのですが、どこかで、そういう企画を引き受けてくれないかなぁ。

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展

 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。

 26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 南アとオランダ
2010-06-19 Sat 11:11
  南アフリカで開催中のサッカーW杯で、今夜、日本代表はオランダと試合があります。というわけで、きょうは南アとオランダの両方に絡むモノということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      リーベック

 これは、1952年にオランダで発行された“ヤン・ファン・リーベックのケープタウン上陸300年記念”の寄付金付き切手です。

 オランダ東インド会社の商社マンだったファン・リーベックは、1651年、南アフリカにオランダ入植地の建設を命じられ、東インド会社のケープタウン補給基地建設の指導官として海外へ派遣されました。そして、1652年4月6日、ケープタウンの上陸。オランダ領東インド(現インドネシア)とオランダの貿易航路の中継地を築きました。

 これを契機に、ケープタウンにはオランダ系移民の入植が進められ、オランダ東インド会社によるケープ植民地が成立。オランダ東インド会社が解散した後も、ケープ植民地の植民者たちは帰国せず、自ら“アフリカ人”を意味するアフリカーナーと称するようになりました。アフリカーナーの中心はオランダ系でしたが、その他の国々からもプロテスタント系の移民が入植してオランダ系と同化して、独自の民族集団を構成しています。なお、アフリカーナーのことをブール人(英語読みだとボーア人)と呼ぶのは、オランダ語で農民を意味するboerに由来するものです。

 なお、アパルトヘイト時代の南アフリカでは、アフリカーナーの祖ともいうべきファン・リーベックは、長年にわたって紙幣にも肖像が使われてきましたが、1994年4月に全人種参加の総選挙が実施され、マンデラ政権が発足すると、ファン・リーベックの肖像が入らない新紙幣が使われるようになりました。
 
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 アフガニスタンの観光地
2010-06-18 Fri 12:19
 アフガニスタンのカルザイ大統領が来日し、きのう(17日)、菅首相と会談しました。首相が就任後、他国の首脳と会うのは、これが初めてだそうです。というわけで、アフガニスタン切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      南アジア観光年

 これは、1975年に発行された南アジア観光年の小型シートで、左からジャムのミナレット(尖塔)、バグラムから出土したグリフォンに乗る黄金の女性像、ハッダの仏頭の切手が収められています。

 ジャムのミナレットは、アフガニスタン西部、ハリ・ルド川の南の堤防に位置しており、高さは65m。ゴール朝のスルタン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位1163-1202)が、12世紀末に築いたとされています。ゴール朝建築の最高峰とされていますが、アフガニスタンの混乱が続く中で、長年、放置されてきたために痛みがひどく、2002年には遺跡保護のためユネスコの世界遺産に登録されるとともに、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定されました。

 黄金の女性像が出土したバグラムは、首都カブールの北側にあり、現在では米軍基地がある町として知られています。切手に取り上げられた女性像は西暦2世紀頃のモノです。

 仏頭が出土したハッダは、アフガニスタン東部、ジャラーラーバードの南東10キロ弱の場所にあり、玄奘の『大唐西域記』には那掲羅曷国の醯羅城として記録されています。釈迦が生前に訪れたとされる場所の一つでもあり、2世紀から7世紀にかけては巨大な僧院があり、多くの巡礼者が訪れて仏教と市として繁栄しました。切手に取り上げられた仏頭は4-5世紀頃のモノです。

 東西交流の要衝であったアフガニスタンの地は、今回ご紹介の小型シートを見てもお分かりのように、さまざまな民俗・宗教の文化遺産の宝庫となっており、情勢が安定していれば、世界各地から多数の観光客が訪れても不思議はありません。しかし、現実には、先日も日本人ジャーナリストが、身代金目的の山賊と思われる集団に拘束されるなど、観光客が気軽に訪れることができる状況ではありません。

 日本を含む世界各国は、アフガニスタンの復興を支援することはできても、アフガニスタンの治安を回復し、旅行者が安心して訪れることができる、すなわち、麻薬に代わる外貨収入の重要な手段として観光業がなりたつような環境を整えるのは、なによりも先ず彼ら自身の努力が必要なことはいうまでもありません。

 なお、バーミヤンの大仏を始め、アフガニスタンに残る仏像を取り上げた切手については、拙著『切手が語る仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 シベリア特措法
2010-06-17 Thu 22:04
 きのう(16日)閉会となった国会で、第2次大戦後、旧満州から旧ソ連に連行され、シベリアやモンゴルで強制労働に従事させられた日本人の元抑留者に特別給付金を支給する特別措置法(シベリア特措法)が成立しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      41接収(遼寧加刷)

 これは、1946年4月1日、ソ連軍占領下の旅大地区(旧関東州)で、ソ連側が正式に旅大地区の日本郵政を接収したことと5月1日のメーデーを一括して記念するために発行された切手を台紙に貼って、大連郵政局の記念印を押したものです。

 1945年8月9日、日本に対して宣戦布告を行ったソ連は、8月14日、中国国民政府(国府)との間に、①対日戦遂行に関する相互援助(降伏文書の調印によって戦闘が正式に停止となるのは9月2日のことです)、②単独不休戦・不講和、③日本の再侵略を防止するためのあらゆる措置の共同での行使、④相互の主権と領土保全の尊重、などを規定した中ソ友好同盟条約を調印(同24日から発効)。条約本文とあわせて、中ソ両国は、ソヴィエト政府が中華民国に対する援助を(すべて中華民国の中央政府たる国民政府に対して)与えることを誓約した交換公文、長春鉄道に関する協定、旅順口に関する協定、東三省に関する協定を調印。その結果、ソ連はいわゆるヤルタ協定の密約を国府に認めさせることに成功します。ちなみに、国府の代表が参加していなかったヤルタ協定では、米英ソ三国の間で、中ソ関係に関しては、①外蒙古の現状維持=モンゴルの独立承認、②大連港の国際化とソ連の海軍基地としての旅順口の租借権回復、③中ソ合同会社の設立による東支鉄道と南満洲鉄道の共同運営、④満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護、が決められていました。

 中ソ友好同盟条約の締結交渉の際、ソ連は日本降伏後3週間以内に東三省から撤兵を開始し、3ヵ月以内に撤退を完了するとのスターリン声明を出していました。具体的には、1945年11月14日までに南部満洲、同20日までに中部満洲、そして、12月3日までには全満洲から撤退するというスケジュールです。

 しかし、実際にはソ連軍はさまざまな口実を設けて、1946年4月まで満洲に居座り続けました。この間、多くの日本人男性が名目をつけて連行され、シベリアでの強制労働に従事させられたことは周知のとおりです。

 こうした“人狩り”と併行して、ソ連軍は各地で略奪を働きました。

 まず、新京の満洲中央銀行の金庫から、旧満洲国の紙幣である満銀券約7億円(1945年8月の時点での通貨発行高は81億5750万円)、有価証券75億円、金塊36キロ、白金31キロ、銀塊66キロ、ダイヤモンド計3705カラットが持ち出されたのをはじめ、各地の金融機関では、現金・有価証券・貴金属類が根こそぎ“没収”されたほか、日本人の民家に押し入り金品を強奪する事件(時計と万年筆は例外なく没収されたといわれています)が横行しました。

 郵便に関しては、占領ソ連軍は郵便局から旧満洲国の切手類を接収し、その一部は、1946年4月にソ連軍が旧満洲国の領域から撤退した後もソ連側が管理し続けていた旅大地区(旧関東州)に持ち込まれ、現地で接収された日本切手とともに、さまざまな加刷を施して使用されています。今回ご紹介している切手と記念印も、そうした事情によるものです。

 記念印は、記念銘を周囲にめぐらした中に、旅大区の地図と国府の旗である晴天白日旗を配したデザインとなっており、ソ連側は国府の主権を尊重するという建前が守られています。また、地図の部分を良く見ると、耕作する農民の姿が小さく描かれているが、これは共産主義政権下で行われる土地改革(地主・富農の土地を没収して貧農・小作人に分配すること)が旅大地区でも進行していることを表現しようとしたものでしょう。

 もっとも、本国へと持ち去ることのできない土地に関しては貧農・小作人に分配することもあったソ連占領当局でしたが、略奪の可能な鉱工業の機械設備類に関しては、彼らは、旧満洲国ならびに関東州の各都市の工場施設からは、膨大な“戦利品”を持ち去っていきました。

 1946年6月に派遣されたアメリカのポーレー委員会によると、全満洲でのソ連軍の撤去または破壊による工業別の被害は、電力:71%、炭鉱:90%、鉄鋼:50%以上、鉄道:80%、機械:75%、液体燃料:50%、化学:50%、洋炭:50%、非鉄金属:75%、繊維:75%、パルプ:30%、電信電話:20%以上、であり、被害総額は1ドル=4円20銭のレートで計算して8億9350万ドルにも達したといわれています。

 今回、シベリア特措法が成立したことによって、酷寒の地で理不尽な苦難を強いられた元抑留者の方々に対する事実上の補償の道が開かれたことは、それなりに評価すべきことだと思います。ただし、“史上最大規模の拉致事件”ともいうべきシベリア抑留の加害者は、日本政府ではなく、ソ連であったことは忘れてはなりません。したがって、恒例となった元抑留者に支援の手を差し伸べ、彼らの労苦に報いるのと同時に、シベリア抑留の全容と真相の解明をロシア側に求め、彼らの責任を明らかにする努力を怠ってはなりません。特に、故国の地を踏めずに命を落とした方々や遺族の無念に報いるためにも、誰が、いつ、どこに埋葬されたか、消息不明者を含めての調査は急務といえましょう。

 なお、旧満洲国崩壊後の切手や郵便については、拙著『満洲切手』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 70万PV
2010-06-16 Wed 12:15
 昨晩(15日)カウンターが70万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、今日は額面“70”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      法隆寺・金銅小幡

 これは、1980年11月25日に発行された通常70円切手で、法隆寺金銅小幡の笛吹飛天が取り上げられています。

 法隆寺金銅小幡は、東京国立博物館の法隆寺献納宝物を代表する名品のひとつで、国の重要文化財に指定されています。1950年以降のわが国の通常切手のシリーズ名としては、しばしば“(新)動植物国宝”との呼称がつかわれていますが、厳密に言うと、今回の切手に取り上げられている文化財は、このシリーズ名から外れてしまうということになりますな。

 さて、金銅小幡は、如来座像、菩薩立像、飛天、獅子などを切り透かした長方形の金銅板をちょうつがいでつないだもので、2点が伝えられています。仏や菩薩の威徳を示す荘厳具として、7世紀後半に造られ、法隆寺につりさげられていました。連なった金銅板には、それぞれ忍冬唐草文の外縁の中に飛天、獅子などが切り透かされ、両面の輪郭や細部に線刻が加えられています。切手には、7枚の金銅板うち上から5番目の金銅板の笛吹飛天の部分が取り上げられました。

 ところで、諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人・天女のルーツは、インド神話に登場する女の水精アプサラスであるといわれています。もともと、アプサラスとは“水のなかで動くもの、雲の海のあいだを行くもの”の意味を持っていましたが、仏教を通じて中国へと伝わり、天女、天人、飛天と漢訳されるにつれ水の属性は薄れ、空の属性が強調されていったと考えられています。オリエントの天使・天神とは異なり翼を持たず、天衣をまとった女性像として描かれることが多いのが特徴です。

 なお、拙著『切手が伝える仏像』では、国や地域によって異なる飛天のさまざまな姿をご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 カメルーンに勝利
2010-06-15 Tue 01:45
 きょう(15日)の日付変更線をまたいで行われたサッカーW杯の日本対カメルーン戦で、日本代表が1-0で勝利を収めました。というわけで、きょうはカメルーンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      カメルーン加刷
 
 これは、1897年にドイツ支配下のカメルーンで発行された加刷切手です。

 カメルーンは中部アフリカのギニア湾に面した国で、その名は、1470年にこの地を訪れたポルトガル人がエビの多いことから“カマラウン”と名付けたことに由来しています。

 列強諸国によるアフリカ分割が進められていく過程で、1868年、ハンブルクのカール・ヴェールマン商会がカメルーンに拠点を構えます。その後、ドイツは、カメルーン南西部を拠点とするドゥアラ人と保護条約を結び、ギニア湾東部を勢力圏内に置くことに成功。さらに、1884年7月、カメルーン全土を支配下に置きました。

 これを受けて、1887年2月1日、ドゥアラに最初のドイツ局(当時の局名は“カメルーン”でした)が設けられます。当初、カメルーンのドイツ局では、本国の切手が無加刷のまま使われていましたが、1897年以降、“Kamerun”表示の加刷切手が使用されるようになり、1900年からは皇帝の御用戦艦を描く、植民地共通図案の“カイザーヨット”切手が使用されました。

 第一次大戦で、カメルーンは英仏軍によって占領され、戦後、領域の約8割が仏領に、ナイジェリアとの国境沿いの残り2割が英領に分割されます。第二次大戦後の1960年、仏領カメルーンは独立を達成しますが、英領地域では旧仏領地域との統合を巡って対立がおこり、最終的に、1961年、英領カメルーンの南部が旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国を結成。旧英領カメルーンの北部はナイジェリアへ統合されることで決着しました。これが、現在のカメルーン国家の直接のルーツとなります。

 まぁ、カメルーンというのは切手収集の世界では比較的知られた名前ですが、こういう機会でもないと、なかなか一般のメディアでは取り上げられることのない国だと思いますので、簡単にご紹介してみました。


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 切手が語る宇宙開発史(8)
2010-06-14 Mon 10:52
 日本の小惑星探査機“はやぶさ”が、7年にわたる往復60億キロの宇宙の旅を終え、日本時間のきのう(13日)午後11時過ぎに帰還しました。ちょうどタイミング良く、僕の連載「切手が語る宇宙開発史」が掲載された雑誌『ハッカージャパン』の2010年7月号も出来上がりましたので、今回は、その中からこんな切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      スプートニク3号

 これは、1958年6月16日にソ連が発行したスプートニク3号打ち上げの記念切手です。

 後にスプートニク3号として打ち上げられた衛星の設計は1956年7月に始められており、当初は、この衛星が世界最初の人工衛星となるはずでした。ところが、衛星の開発に手間取っているうちに打ち上げロケットが先に完成してしまったため、急遽、簡素化された衛星が製造されて、1957年10月に打ち上げられます。これがスプートニク1号です。

 その後、1956年から開発が進められていた衛星は、1958年2月3日、スプートニク3号として打ち上げられることになりましたが、このときの打ち上げは失敗。同年5月15日に再度、打ち上げが行われ、ようやく衛星は近地点217km、遠地点1864kmの楕円軌道に投入されました。ただし、肝心の観測機器には不具合が生じたため、スプートニク3号が期待されていた成果を挙げることはできませんでした。

 さて、ソビエト郵政がスプートニク3号の記念切手を発行したのは、打ち上げから1ヶ月後の1958年6月16日のことです。スプートニク1号・2号の記念切手が打ち上げとほぼ同時に発行されたのに対して、3号の記念切手の発行に時間がかかったのは、実際に打ち上げが成功するかどうか、ソ連当局としても不安があり、打ち上げの成功を確認してからでないと切手の製造ができなかったためではないかと思われます。

 われらが“はやぶさ”もエンジン停止や燃料漏れなどのトラブルが相次ぎ、地球への帰還が危ぶまれていたわけですが、こうして無事に帰還できたわけですから、いまからでも記念切手の追加発行をすればいいのに…。


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 帰国しました
2010-06-13 Sun 16:33
 きのう(12日)、無事に帰国しました。今回は、マカオとソウルに行ってきましたが、日本から遠いマカオの方に滞在していた日数も多かったので、やはり、ソウルから、というよりも、マカオから帰ってきたという気分を強く感じています。というわけで、マカオから日本に到着ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル人の日本到着450年

 これは、1993年にマカオで発行された「ポルトガル人の日本到着450年」のひとつで、日本人、ポルトガル人、それに従僕の黒人が描かれています。

 ポルトガル人が日本に初めて上陸した年代については、資料によって、1542年説と1543年説がありますが、この点については、①1542年に3人のポルトガル人が中国船に乗って、明の港町リヤンポーへ向かう途中、台風に襲われて、種子島に漂着、②日本を“発見”したという情報を、ポルトガル人のアジア貿易の拠点となっていたマラッカへ報告、③情報を得たポルトガル人は、1543年、貿易を行うために、あらためて中国船に乗って種子島を訪れ、鉄砲を伝えた、と説明されているようです。

 たしかに、1543年に種子島にやってきたポルトガル人たちは、中国沿岸を拠点としていた倭寇の王直の船に乗っているところなどからすると、マカオから別の土地へ向かう途中に偶然、種子島に漂着したというよりも、当初から日本も目的地(の一つ)と考えていたともるのが自然なようにも思えます。ちなみに、学校の教科書等で、ポルトガル人の来航と鉄砲伝来を1543年としているのは、1606年に執筆された「鉄炮記」の記述が根拠で、今回ご紹介の切手も、1543年から起算して発行されたものです。

 今回のマカオ取材では、ポルトガル人による南蛮貿易の時代をしのばせる場所も訪れ、いろいろと取材をしてきましたが、それらについては、雑誌『キュリオマガジン』で連載中の「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」や、連載終了後に刊行予定の単行本でもいろいろとご紹介していきたいと思います。これから夏場にかけては、今回の取材で得られた情報・資料などをもとに、マカオ三昧の日々を送ることになりそうで、ブログの記事にもマカオがらみのネタが増えてくると思いますが、よろしくお付き合いいただけると幸いです。


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 続・W杯開幕
2010-06-12 Sat 08:39
 きのう(11日)、サッカーのFIFAワールドカップ南アフリカ大会が開幕しました。きのうは、ソウル中央郵便局の近くで朝から仕事が入っていましたので、仕事の前に郵便局に寄って、きのう発行されたワールドカップの記念切手を買い、記念印を押印してみました。(画像はクリックで拡大されます。海外でスキャナーが使えないので、デジカメの画像です)

      ワールドカップ記念切手(2010・韓国)

 さて、僕が郵便局に行ったのは午前9時を少し回った時点でしたが、行列はなしで、僕以外には2人のオジサンが記念押印をしていただけでした。韓国でワールドカップが盛り上がっているかどうかは別として、ワールドカップの記念切手が盛り上がっていなかったことはたしかなようです。やはり、抽象的な図案では人気が出ないということでしょうか。

 さて、街中を歩いていて、こんな広告を見かけました。

      現代広告1      現代広告3

 これは、現代グループの広告で、韓国代表を応援しようという趣旨でシャウティング・コリアというフレーズの下、熱烈に応援する韓国人とその熱気に押されて耳をふさぐ世界の人々というイメージになっています。ただ、現代といえば、自動車の輸出がドル箱の企業。そもそも、韓国じたいが輸出依存の経済構造となっているわけで、こんな風に世界が顔をしかめるようなことを得々と表現していていいのか、ちょっと心配になるのは日本人の感覚なのでしょうかねぇ…


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 W杯開幕
2010-06-11 Fri 07:39
 きょう(11日)から、サッカーのFIFAワールドカップ南アフリカ大会が開幕します。きのうから滞在中のソウルでも、さすがにワールドカップ一色という雰囲気ではないのですが、そこそこ、関連の広告や赤いシャツを着た人たちの姿なども見られます。というわけで、韓国のサッカー切手の中から赤シャツが目立つこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第10回大統領杯サッカー

 これは、1980年8月に発行された“第10回大統領杯サッカー”の記念切手です。

 韓国の大統領杯サッカーは、もともと、朴正煕政権下の1971年、“朴大統領杯争奪アジアサッカー大会”との名称でスタートしました。世界的に見れば、故人の名を冠したスポーツイベントは珍しいものではありませんので、“朴大統領杯”の名称がそのまま続いても問題はなさそうなのですが、朴の名前は削除されています。それなら、朴の後継大統領となった崔圭夏にちなんで“崔大統領杯”となってもよさそうなものだが、実際にはそうなってもいません。

 1979年12月、いわゆる粛軍クーデターで軍の実権を掌握した全斗煥は、1980年5月17日の非常戒厳令の布告と翌18日から27日にかけての光州事件を経て、軍と政府における最高実力者としての地位を実質的に確保しました。こうした状況を受けて、5月31日に設置されたのが国家保衛非常対策委員会(以下、国保委)です。

 国保委は、本来、非常戒厳下で国家を保衛するための国策事項を審議し・議決するとともに、大統領の諮問に応じて、大統領を補佐するための機関で、重要閣僚10名、軍幹部14名の計24名で構成されていましたが、行政・司法の全般にわたって指揮・監督・統制・調整の機能を持っており、実質的には国政の最高機関となっていました。その中核を担っていたのが常任委員会で、中央情報部長代理だった全は、大統領の崔からその委員長に任じられます。これにより、全斗煥の権力は制度的にも担保されることになりました。

 さて、国保委は、6月13日、“権力型不正蓄財者”への処罰を行い、金鐘泌(前共和党総裁・元国務総理)や李厚洛(元中央情報部長)など、朴政権時代の実力者たちをあいついでパージ。すでに、金大中ら民主運動家は、5月17日の非常戒厳令の布告と同時に、内乱陰謀を企てたとして逮捕されていましたから、これにより、全が大統領に就任する上での障害は完全に除去されたことになります。

 はたして、8月5日、大将に昇格した全は、「困難な国運を切り開き、福祉国家を子孫に残すべきだ」と演説し、政界進出への意欲を正式に表明しました。

 これに対して、8日には、在韓米軍の司令官ウィッカムが「全斗煥将軍が大統領に就任した場合、アメリカはこれを支持する用意がある」と発言。さらに、8月16日、「この国における平和的な政権交代の模範を示すため、大統領を辞任する」として崔圭夏が大統領を辞任。つづけて、崔は、21日、「全斗煥国保委常任委員長の大統領就任を支持する」と表明します。こうしてお膳立てが整ったところで、翌22日、全は軍を退役し、27日の統一主体国民会議による大統領選挙によって、正式に第11代大統領に選出されました。

 こうした経緯があったため、全の大統領就任が時間の問題となっていた6月以降、大会の主催者と韓国郵政は、8月の大会当日までには、いつ大統領の交代があってもおかしくないと考え、大統領の個人名を大会から外したのではないかと考えられます。

 なお、朴正熙の暗殺から全斗煥時代にいたるさまざまな動きは、切手や郵便物にもいろいろな痕跡を残しています。それらについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 路面電車の日
2010-06-10 Thu 13:09
 きのうの記事にも書きましたが、きのうの夕方、マカオから香港に移動し、けさ未明の飛行機で香港からソウルに移動しました。せっかく、数時間だけとはいえ、香港にいたのですから、なにか香港がらみの話はないかと探してみたところ、きょう(10日)は、路(6)電(10:ten)のごろ合わせで、路面電車の日だそうです。そういうことなら、というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港トラム     香港トラムブログ用


 これは、2004年に香港で発行された香港電車(トラム)100周年の小型シートです。隣には、昨日、畢打街と輔道中のあたり(昔の中央郵便局があった場所です)で撮影したトラムの写真を貼っておきました。

 さて、香港島市街地の交通手段として路面電車を走らせようというプランが最初に提案されたのは1881年のことでしたが、このときには資金が集まらずに計画はあっさり頓挫しています。

 その後、ピークトラムが開通した後の1901年8月になって、あらためて路面電車建設のための公債が始められ、翌1902年2月7日、香港の路面電車の建設と管理を行うための香港電車電力有限公司がロンドンで設立されます。ちなみに、同社は同年末には香港電力牽引有限公司となりますが、1910年に現在の香港電車公司に改称されました。

 実際の建設工事は、堅尼地城(ケネディ・タウン)から銅鑼灣(コーズウェイ・ベイ)までの区間での単線の建設工事が1903年に始まり、翌1904年7月2日からの試運転を経て、同月30日午前10時、ようやく堅尼地域から筲箕湾(ショウケイワン)までの路線が開通しました。

 主なターミナル駅は、堅尼地城、屈地街(ホイッティ・ストリート)、上環街市(ウェスタン・マーケット)、中環(セントラス)、金鐘(アドミラリティ)、湾仔(ワンチャイ)、銅鑼灣、天后(ティンハウ)、北角(ノース・ポイント)、西灣河(サイワンホ)、筲箕灣で、一九一四年には湾仔=銅鑼灣間に跑馬地(ハッピー・ヴァレー)行きの支線が開通しています。

 開通時に用いられていた車輌はイギリス製で、分解して香港まで運ばれた後、あらためて組み立てられました。車輌は、現在のような2階建てではなく、32人乗りの1等車と48人乗りの3等車がありました。料金は、1等車が10セント、3等車が5セントです。会社側は、当初、2等車も走らせる予定でしたが、ヨーロッパ人用と中国人用の車輌の差異を明確にするため(制度的には誰でもどちらの車輌にも乗れましたが、実際には、両者の間には厳然たる区別がありました)、2等車の計画は取り止めとなったといわれています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 きょう出境します
2010-06-09 Wed 01:38
 早いもので、今回のマカオ滞在もいよいよ最終日となりました。きょうは昼食を取ってからマカオを出て香港にわたり、日付が変わった10日の0時25分の飛行機で香港から韓国・仁川に向かう予定です。というわけで、マカオ出境(出国)前にこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      関門(1次)     マカオ・関門(現状)

 これは、1948年に発行された“第1次風景シリーズ”の通常切手のうち、中国=マカオの境界の“關閘”(関門)を取り上げた1パタカ切手です。今回のマカオ滞在では、到着時にも“第1次風景シリーズ”の切手の中から、50アボス切手を持ってきましたので、最後も同じシリーズで締めることにしたというわけです。ちなみに、右側が現在の關閘の状況です。

 さて、中国=マカオの境界に最初の關閘が建てられたのは1574年のことです。当時の關閘は中国式の3階建てで、現在の場所よりも500メートルほど南側にありました。

 アヘン戦争以前、關閘の北側はポルトガル人の手が出せない場所であり、ここをポルトガル人が通過するためには清朝の許可が必要でした。また、ポルトガル人の奴隷となっていた中国人は、關閘を越えると自由の身になれたといわれています。

 しかし、アヘン戦争によって清朝の弱体化が明らかになると、1845年にポルトガルはマカオが自由港であると宣言。マカオに駐留していた清朝の海関職員を追放して海関を閉鎖し、1849年には清朝に対するマカオの地代支払いを停止するとともに、それまで清朝が管理していた關閘を占領しました。

 その後、1887年、ポルトガルはマカオの正式な領有を清朝に認めさせますが、それに先立ち、1867年に關閘は現在に位置に移動させられ、1871年に凱旋門を意識した現在の門に建て替えられました。現在、中国=マカオの境界でパスポートコントロールを行うための關閘邉検大楼は、この關閘を保存したままで、その背後に2004年1月15日に建てられたものです。ちなみに、現在の關閘で実際の人々の出入口はこんな感じになっています。

      マカオ・実際の国境出入り口

 現在、マカオは中国へ返還され、中国=マカオの境界は“国境”ではなくなりましたが、50年間はポルトガル時代の制度が維持されるため、現在でも、關閘を越えたところにパスポート・コントロールがあります。中国語では出入国のことを出入境といいますが、たしかに中国=マカオの境界をまたぐような場合は、出入境といったほうがしっくりきますな。

 余談ですが、出入境という言葉を見るたびに、中国人が世界各国へ移民として出かけて、全世界にチャイナタウンを作る背景には、経済的な動機もさることながら、彼らには“国家”に属しているというイメージが希薄で、外国人として他国に入国するというより、中国人のまま単に関門を越えているだけ、という感覚が彼らのDNAに抜きがたく染みついているからではないか、などと考えてしまいます。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』の連載記事では、スペースと回数の関係上、世界遺産に話題を絞らざるを得ないのですが、11月に刊行予定の単行本では、今回ご紹介の“関門”も含め、より幅広くマカオの魅力を切手と写真でご紹介する予定です。詳細等が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 エポックメイキング・プロジェクト③
2010-06-08 Tue 09:31
 大鳴門橋が1985年6月8日に開通してから、きょうでちょうど25年です。これにちなみ、近日刊行の(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』6月号の「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、この切手を取り上げました。雑誌の刊行日前ですが、記念日ということでご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      大鳴門橋開通

 これは、1985年6月7日に発行された大鳴門橋開通の記念切手です。

 兵庫県淡路島の南西端・門崎と徳島県鳴門市大毛島の北東端・孫崎の間の鳴門海峡に架橋する構想は、1889年、香川県会議員の大久保之丞が讃岐鉄道の開通式での祝辞で「塩飽諸島ヲ橋台トシ、架橋連絡セシメバ、常時風波ノ憂ヒナク、南来北向東奔西走瞬時ヲ費ヤサズ、ソレ国利民福是ヨリ大ナアルハナシ」と発言したのが最初とされています。

 大正年間に入ると、1914年3月、中川虎之助 が第31回帝国議会(衆議院)予算委員会に「鳴門架橋及潮流利用發電調査ニ關スル建議案」を提出。「阿淡海峡ノ鳴門ニ橋梁ヲ架設シ、本土ト四国ノ間ノ交通ヲ完全ナラシムルノ目的ヲ以テ、政府ハ之ニ關スル諸般ノ調査及ビ工費ノ算出等ヲ為シ、且ツ阿淡海峡ノ鳴門潮流ヲ利用シテ電力ヲ起シ得ルヤ否ヤ調査研究セラレンコトヲ望ム」と主張し、鳴門海峡に橋を架けることのみならず、その潮流のエネルギーを利用して発電も行うよう提案をしましたが、当時の技術水準では実現不可能な空想としてわずか30分で否決されています。

 その後、1940年には、内務省神戸土木出張所長の原口忠次郎 が「鳴門海峡架橋構想」を策定し、神戸側からの架橋を提案しましたが、海峡への架橋は軍艦航行の妨げになるとの海軍の反対や、日中戦争による資材調達難などのため、実現はしませんでした。

 第2次大戦後の1949年に原口は神戸市長に初当選を果たしますが、1953年、国鉄の鉄道整備計画を定めた改正鉄道敷設法別表に“兵庫縣須磨附近ヨリ淡路國岩鼻附近ニ至ル鐡道及福良ヨリ徳島縣鳴門附近ニ至ル鐡道”ならびに“淡路國岩鼻ヨリ洲本ヲ經テ福良ニ至ル鐡道”がリストされたこと、さらに、1955年の紫雲丸事故を経て本四架橋の必要性を求める声が高まったことを受けて、1957年の神戸市議会に鳴門架橋の建設調査費350万円を含む予算案を提出。成立させました。これが、鳴門架橋実現への第一歩となります。

 その後、1969年に策定された新全国総合開発計画には、本州四国連絡橋として、神戸=鳴門ルート(通称:大鳴門橋)、児島=坂出ルート(通称:瀬戸大橋)、尾道=今治ルート(通称:瀬戸内しまなみ海道)の基本計画が記載され、工事実施のため、翌1970年7月、本州四国連絡橋公団が設立されました。そして、1973年9月には、3ルート同時着工が決定したものの、同年10月の第一次オイルショックにより、本州四国連絡橋の工事計画はいったんすべて凍結。1975年に、あらためて瀬戸大橋以外での工事凍結の解除が決定され、翌1976年7月2日、着工となりました。

 その後、総工費1650億円と9年の歳月をかけた工事の結果、1985年6月8日、全長1629メートルの大鳴門橋が開通しました。

 完成した橋は2階建ての道路・鉄道併用橋で、主塔の高さは144.3メートル。橋の構造はプレハブ・パラレルワイヤストランド方式と呼ばれ、細いワイヤを多数束ねたケーブル2本で橋を吊っており、150年に1度といわれる瞬間風速50メートルの強風と関東大震災並みのマグニチュード八の地震にも耐えられるように設計されています。

 完成当時、道路・鉄道併用橋としては世界最長の長大橋梁であった大鳴門橋の開通に際しては、すでに、1985年5月1日、開通記念イベントとしての“85鳴門ピア”(正式開通前の大鳴門橋を1万7200人が歩いて渡ったイベント)等の名で開通記念の広告つき葉書が発行されていましたが、開通式典前日の6月7日(式典当日の8日は土曜日だったため)には建設省の申請による記念切手も発行されました。

 切手は、徳島県側から見た大橋と鳴門の渦潮を組み合わせたもので、原画作者は大塚均です。

 鳴門海峡には、1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出しますが、海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、その潮流は毎時13-15キロ(大潮のときは毎時20キロになることもある)の速度になります。これは日本で一番速く、“世界三大潮流”にも数えられるほどですが、この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、発生するのが切手にも取り上げられた渦潮で、その直径は最大で20メートルにも及びます。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 お遍路総理
2010-06-07 Mon 09:17
 菅直人首相は、明日(8日)組閣を行い、菅政権が本格的にスタートだそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      足摺国定公園

 これは、1960年8月1日に発行された“足摺国定公園”の切手で、足摺岬灯台と巡礼の母娘が描かれています。

 切手発行時の足摺国定公園は、1972年、宇和海地域を追加したうえで国立公園に変更され、現在は“足摺宇和海国立公園”となっています。切手に取り上げられた足摺岬は、南方にある浄土へ渡るという“補陀洛信仰”の舞台として、かつては紀伊の那智勝浦と並び、「補陀落渡海」の船の有名な出発地とされていました。また、四国霊場第38番札所の金剛福寺があり、切手にも“お遍路さん”が描かれています。

 さて、新総理になった管といえば、2004年春、当時の小泉内閣の閣僚の国民年金未納が相次いで発覚した際、民主党代表として自民党議員を“未納三兄弟”と批判していながら、自身も厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなり、その責任をとるとして辞職。“お遍路さん”の格好をして四国八十八カ所巡りを行ったことが記憶に新しいところです。

 そういえば、鳩山前総理も、野党時代は「秘書の責任は政治家本人の責任」と批判していながら、総理就任後は自身の政治資金疑惑を秘書のせいにしていましたし、そもそも、民主党自体が、自民党政権末期の総理・総裁の首のすげ替えに対して衆議院を解散して国民の信を問えと追及していたにもかかわらず、今回は衆議院を解散する気配がありません。まぁ、新政権の面々には、せいぜい、野党時代のお気楽な政権批判が、ブーメランとなってみずからに跳ね返ってくることのないよう、頑張っていただくしかありませんな。


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 マカオ到着
2010-06-06 Sun 03:43
 本日午前2時(現地時間)少し前、無事、香港経由でマカオに到着しました。先ほど、ホテルにチェックインし、パソコンもなんとかネットにつながりましたので、さっそく、この記事を書いています。というわけで、まずは、フェリーでのマカオ到着にちなみ、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      媽閣廟の岩     媽閣廟の岩

 これは、1948年に発行されたマカオの通常切手“澳門風景郵票第一組”(第一次風景シリーズ)のうち、媽閣廟にある船の絵を取り上げた50アヴォス切手です。切手の隣には、岩に描かれている絵の実物の画像(さすがに去年、さつえいしたものです)を貼っておきました。

 媽閣廟は、中国南部や台湾などで広く信仰されている航海の女神“阿媽”を祀ったマカオ最古の中国寺院で、広東語で発音すると“マァコッミュウ”となることから、16世紀にこの地を訪れたポルトガル人が、これを地名と勘違いしたことが、現在のマカオの地名の由来になったともいわれています。

 寺院の由来については、次のような伝説があります。すなわち、その昔、福建から広東に旅立つ船団の一隻が、お金がなく乗船を断られた娘を乗せてやったところ、娘を乗せた船だけが途中の嵐にも遭難せず、無事にマカオにたどり着きました。マカオ到着後、船乗りがふと見ると、娘の姿はそこにはなく、やがて女神の姿となって陸に現れたので、その場所に媽閣廟が建てられたそうです。今回ご紹介の切手は、その彼女が乗せられてきたという船を描いた岩を取り上げたもので、清朝・道光帝の時代の1828年に廟の大規模な修復が行われた際に作られたのではないかと思います。

 さて、昨年の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』と同じパターンで、今年も、雑誌『キュリオマガジン』に連載中の「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」も、11月を目途に切手紀行シリーズの1冊として刊行する予定になっています。今回のマカオ滞在はその追加取材が目的で、9日までの4日間、今後の連載記事と書籍の内容をできる限り充実したものにすべく、奮闘してくるつもりです。


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 財務相の欠席
2010-06-05 Sat 00:30
 きのう・きょう(4・5日)の2日間、韓国・釜山で主要20ヵ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が開かれています。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      釜山APEC

 これは、2005年11月18日に韓国で発行された“アジア太平洋経済協力(APEC:Asia-Pacific Economic Cooperation)釜山首脳会議”の記念切手です。切手は、会議場となった冬栢島の会議場・ヌリマルAPECハウスを描いたものと、松の木と水、5つの嶺と太陽と月を組み合わせた伝統的な朝鮮絵画を取り上げたものの2種連刷です。ヌリマルAPECハウスは、今回のG20会議の会議場となった建物で、朝鮮絵画は、伝統的な王権のシンボルを表現したもので、各国首脳が一堂に会することにちなんだものということですから、そのまま、記念名を変えれば今回の会議の記念切手としても通用しそうな内容です。なお、今回の会議に際しての記念切手の発行はありません

 さて、今回の会議は、ギリシャ危機後の状況を踏まえて、①世界経済、②強くて持続可能な均衡成長に向けた協力体制、③金融規制改革、④国際金融機関の改革とグローバル金融安定網、⑤その他イシュー――の5セッションに分けて進められ、参加国の財務相と中央銀行総裁は、4日午後7時から2時間にわたり夕食を交えながら、南欧財政危機のあおりを受けた世界経済の現況について討論されました。この夕食会合は、各国の財務相と中央銀行総裁が同席者なく懸案を虚心坦懐に話し合えるようにと、企画されたものだそうです。

 ということは、当然のことながら、わが国からも財務相が出席していなければならなかったはずなのですが、(8日に新内閣の任命式が行われるまでは)現職の財務相である管直人は、民主党の代表選挙と首班指名を理由に欠席しました。ちなみに、政権交代直前の昨年9月のロンドンG20、同昨年11月のスコットランドG20は、いずれも、日本の財務相(ロンドンの際は与謝野馨、スコットランドは藤井裕久)は欠席しています。今回を含めて3回続けての欠席というのは、さすがに、“経済大国”としての立場をわきまえないものとして、国際社会から顰蹙を買うのではないかと心配です。

 まぁ、与謝野や藤井と違って、管は国会で消費性向と乗数効果の違いを答えられず、官僚のレクチャー受けるという醜態をさらした人物で、彼がなぜ財務相をやっているか理解に苦しむと評されるほどですから、出席して無能ぶりをさらすよりは、欠席した方が国益にかなうという見方もありうるかもしれません。しかし、それなら、より適切な人物を財務大臣に当てるのが筋であって、各国の財務相が集まる中で日本だけが欠席して良いということにはならないはずです。

 少なくとも、管が真に国家・国民のことを考えて新総理に就任するというのなら、新内閣の財務相が決まるまでは、現職の財務相としての責任を全うしないのは、非常識のそしりをまぬかれません。少なくとも、18:00の時点で記者会見に応じている暇があるのなら、特別機をチャーターしてでも釜山へ駆けつけるのが筋ではないでしょうか。あるいは、民主党政権がことの重要性を理解しているなら、鳩山内閣の総辞職と新総理の首班指名を週明けにずらすという選択肢もあったはずです。もっとも、今回の一件は、管本人が、釜山へ行ってまじめに仕事をするのが嫌で、あえて、その時間に記者会見を設定したというのなら、話は別ですが、そういう人物が日本の最高指導者になるという現実はなんともおぞましい限りですな。


 *本日(5日)午後から12日まで、マカオとソウルに行ってきます。ホテルはいずれもインターネットの接続が可能とのことですので、現地へはパソコンを持って行き、あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元にブログも毎日更新する予定です。メール等でのご連絡にも対応可能なはずですが、なにぶんにも海外のことゆえ、いろいろとご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 トンガ独立40年
2010-06-04 Fri 09:26
 1970年6月4日にトンガがイギリス連邦内の独立国となってから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      トンガ最初の切手

 これは、1886年8月27日に発行されたトンガ最初の切手です。なお、トンガでは切手発行以前の1885年に西洋式の郵便局が設けられ、フィジー切手が持ち込まれて使用された記録があります。

 19世紀諸島のトンガは3つに分かれていましたが、これを統一したのがタウファアフ・トゥポウ王です。王は1831年に洗礼を受け、ジョージ・トゥポウと改名。1845年にジョージ・トゥポウ1世として、正式に統一トンガの国王となりました。国王は、メソジストの牧師であるシャーリー・ベイカーを王国顧問として近代化政策を進め、1875年にはハワイ憲法とニュージーランド憲法を参考にした新憲法を導入します。これは、わが国の大日本帝国憲法よりも早く、現在でも、当時の憲法を改訂したものが使われています。

 その後、1900年にトンガはイギリスと友好条約を結び、外交権を放棄して保護領となりますが、内政の自治は保証されており、いわゆる植民地とは一線を画していたというのがトンガ人の理解です。

 トンガというと、郵便史的には、トンガ北部の離島ニウア・フォー島まで、沖合に停泊している船からブリキ缶に入れた郵便物を泳いで(またはカヌーで)島に届けていたという“ティン・キャン・メール”が有名です。ティン・キャン・メイルの大半はフィラテリックなもので入手も困難ではないのですが、それだけにかえって、いままで買わずに済ませて来てしまいました。今後、このブログでトンガのことを取り上げるかどうかは別として、やはり、話のタネに1通くらいは持っていたほうがよさそうですな。

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 樽床にちなんで
2010-06-03 Thu 21:00
 鳩山総理の辞任表明を受けて、民主党の次期代表の本命とみられている菅直人副総理・財務相の対抗馬として、樽床伸二衆院環境委員長が立候補を表明しました。樽床というのは珍しい姓だと思って、何か関連の切手がないかと調べてみたら、こんなモノが出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

      西中国山地国定公園(三段滝)

 これは、1973年8月28日に発行された「西中国山地国定公園」の記念切手の1枚で、三段滝が描かれています。

 西中国山地国定公園は、中国山地の西部、島根県、広島県、山口県にわたる山岳公園で、恐羅漢山、寂地山、冠山、阿佐山など高さ1200-1300mの山々が連続し、急斜面から無数の渓谷を生み出していることで知られています。このうち、切手に取り上げられた三段滝のある三段峡は、広島県山県郡安芸太田町の太田川上流の支流・柴木川にある長さ約16kmの大峡谷で、西中国山地国定公園のハイライトとされています。

 この柴木川の最上流部に発電専用ダムとして建設されたのが樽床ダム(1957年完成)で、その名の由来は、ダムによる人造湖・聖湖の底に沈んだ樽床集落にちなんでいます。なお、ダムの傍らには、樽床集落の山村生活を紹介する「芸北民俗博物館」が建設されており、農機具や生活用具のほか、湖底より移築された芸北地方の伝統的建築・中門造り家屋が展示されています。もっとも、この種の博物館は資料的・学術的な価値がいかに高かろうとも、入場者数という点では多くを望めないでしょうから、民主党が政権を担当し続ける限り、いつ“事業仕分け”のやり玉にあげられるかわかりませんが…。

 ちなみに、樽床ダムの完成により柴木川の水量が減少し、以前ほど滝の迫力がなくなったのだとか。切手の発行はダムが完成した後のことですから、ダムがなければ切手のデザインも、もっと迫力のあるものになっていたということなのかもしれません。

 さて、話題の樽床氏ですが、選挙区は大阪というものの、出身は島根県だそうです。漢字の読み方としては、ダムないしは集落が“たるどこ”、議員が“たるとこ”で違っていますが、地理的にもそう遠くはないわけですし、両者の間に何らかの関係があるのかもしれません。いずれにせよ、客観的に見れば、樽床氏の立候補は、無投票での新代表選出を避けるため、落選することを前提とした“自殺候補”でしかないように思えるのですが、まぁ、こういうことでもないと“樽床”という文字が新聞の一面を飾る機会もそうそうないでしょうから、きょうの話題として取り上げてみました。


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 さらばハトよ
2010-06-02 Wed 21:49
 鳩山総理が辞任を表明しました。というわけで、きょうはハト切手のなかから、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国際平和年・ハト     国際平和年・原畫

 これは、1986年11月28日に発行された“国際平和年”の記念切手のうち、ハトを描く40円切手です。国際平和年そのものについては、以前の記事でもご説明しましたので、ご参照いただけると幸いです。

 国際平和年の記念切手については図案公募が行われ、小・中学生の部の特賞には兵庫県・神戸市立生田中学校の川端有の作品「鳩」が選ばれました。川端の作品は、貼り絵で表現したハトの右下に地球を配した横型のものでしたが、切手は原画の左側半分をトリミングして縦型のものとなっています。参考までに、その原画写真(モノクロですが)を切手の隣に貼っておきました。

 さて、昨年9月の発足以来、鳩山政権は迷走に迷走を重ね、ほとんど実績らしい実績をあげぬままに退陣となりました。それどころか、この9ヶ月間に彼らがやってきたことは、文字通り、日本の国家的基盤をズタズタにすることばかりでした。

 たとえば、普天間問題の混乱でアメリカとの信頼関係を損ねた結果、南西諸島の領海内では中国人民解放軍がわがもの顔で跋扈する状況を招いただけでも、一国の総理として、安全保障の危機を招いたという点で万死に値する罪といえましょう。また、世紀の愚策ともいうべき子供手当の支給をはじめとする無定見なバラマキ(その中には、旧国労に対する“盗人に追い銭”に等しい和解金の支払いも含めて良いでしょう)は財政悪化の置き土産を作っただけで、なんら景気浮揚につながらなかったという点で、そのツケを払わされることになる後世の人々から指弾されることはまちがいありません。さらに、タレント上りの女性議員が文革時代の紅衛兵よろしく、事業仕分けなるパフォーマンスによって、研究開発費を大幅に削減して科学技術立国としての基盤を危うくしたことも忘れてはなりません。

 まぁ、「日本は日本人だけのものではない」等の突飛な発言を繰り返し、しばしば“宇宙人”と称されてきた鳩山総理のことですから、この際、地球を出て宇宙へお帰りになるのがよろしいのではないでしょうか。その意味では、原画に描かれていた地球の部分を切り落とした、今回のハトの切手は、われらがルーピー総理(もうじき前総理)にもっともふさわしい1枚でしょうな。

 なお、国際平和年の切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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別窓 | 日本:昭和・1985~1989 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 おかげさまで5周年
2010-06-01 Tue 09:49
 おかげさまで、2005年6月1日にブログをスタートさせてから、きょうでちょうど5周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは“5”がらみのマテリアルとして、こんなモノを引っ張り出してきました。(画像はクリックで拡大されます)

      捕鯨5円

 これは、1947年6月10日に発行された通常5円切手で、捕鯨が描かれています。

 終戦直後の食糧難のなかで、蛋白源として最も期待されていたのが鯨でした。

 しかし、戦時中、わが国の捕鯨船やトロール船のほとんどが特設艦艇として徴用されて壊滅的な打撃を受けていたことに加え、1945年9月にGHQが発した「日本の漁業、捕鯨業の認可された区域に関する覚書」では、いわゆる“マッカーサー・ライン”が設定され、日本漁船には日本近海の一定水域内における操業のみしか許可されず、遠洋漁業は事実上不可能となっていました。

 こうした状況の中で、大洋漁業は戦前の実績と経験をもとに、小笠原捕鯨の基地捕鯨の許可をGHQに申請。これに対して、GHQは1945年11月3付で日本本土の捕鯨基地を利用した近海捕鯨を許可。さらに、同月30日には、小笠原諸島を含む3万平方海里において操業する特別許可を与えました。ただし、このときは捕鯨海域のみならず、そこにいたるまでの航行区域もGHQに指定されており、日本の領土から切り離された小笠原諸島に領海3海里以内には日本漁船は入ってはならない等の制約もありました。

 このため、大洋漁業は、戦前に使用していた母島の漁業基地は利用できず、また、捕獲したクジラを処理するための捕鯨母船が戦争によって失われていたこともあって、捕獲したクジラの処理方法に頭を悩ませていましたが、最終的に、GHQに接収されていた軍艦を母船として借り受けることになります。ちなみに、GHQが貸出対象の軍艦として示したリストの筆頭には戦艦・長門が挙げられていたそうですが、実際に彼らが借り受けたのは、特別輸送艦第19号(元一等輸送艦第19号)でした。

 第19号は、1945年5月16日に竣工。戦争中は瀬戸内海で回天の輸送、戦後は武装を撤去して復員輸送に従事していましたが、大洋漁業からの申し出を受けて捕鯨母船として改修され、元海軍軍人の艦長以下全乗組員80名が、艦もろとも大洋漁業に貸与されるかたちで、1946年2月24日、マストに大洋の社旗と軍艦旗を掲げて下関を出航し、さまざまなトラブルを乗り越え、4月18日、捕獲頭数113頭、油肉その他の生産量1005トンをもって操業を切り揚げ、4月23日に東京に寄港しました。第19号によってもたらされた塩蔵鯨肉は、臨時配給され、食糧不足の中では貴重な蛋白源となっています。

 この実績を踏まえて、大洋漁業と日本水産による南氷洋での捕鯨許可がGHQに申請されます。GHQが早くも5月に内諾を出したことを受けて、出漁に必要な資金は大蔵省が斡旋し、農林省は鯨肉の公定価格を引き上げて漁業会社に“損はさせない”ことを約束するなど、文字通り国家的プロジェクトとして準備が進められ、8月8日に正式な出漁許可を受け取ります。

 こうして、1946年11月に出航した戦後最初の南氷洋捕鯨船団は、1947年3月中旬までに、日本水産の橋立丸船団が捕獲頭数シロナガス換算(BWU)6391.5頭、生産量は鯨油3700t、鯨肉10557t。大洋漁業の第一日新丸船団が捕獲頭数540.5頭、生産量は鯨油8560t、鯨肉11609.8tを得て、日本人にとって貴重なタンパク源となりました。

 このように、当時の日本にとって捕鯨の持っていた意味はきわめて重要であり、そのことが、今回ご紹介した切手の発行につながったといってよいでしょう。
  
 ちなみに、日本の南氷洋出漁にあたっては、「敗戦国が負けて1年も経たないのに1万トン以上の大型船を建造するのは早すぎる」との反対意見がオーストラリアやノルウェー、イギリス、ニュージーランドなどから出されました。なかでも、イギリスとノルウェーは1951年の平和条約締結まで毎年抗議を行い、オーストラリアは第一次南氷洋捕鯨に出漁した2隻の捕鯨母船を戦時賠償として要求して物理的に日本の捕鯨を妨害しようとさえしています。これに対し、アメリカは「反対する国は日本向けに1000万ドルの食糧援助をしてもらいたい」と一喝。日本の南氷洋での捕鯨再開を後押ししました。

 そういえば、きのう(31日)オーストラリア政府は南極海での日本の調査捕鯨廃止を求め、国際司法裁判所に日本を提訴したそうですが、日本の捕鯨を目の敵にする姿勢は、彼らが捕鯨国だった65年前から何も変わっていないということのようですな。一方、現在でこそ反捕鯨国となってしまったアメリカですが、当時は、世界最大の捕鯨国として戦後日本の捕鯨再開に温かい手を差し伸べています。そうした彼らの捕鯨文化については、雑誌『キュリオマガジン』最新号の特集“捕鯨浪漫主義”でもさまざまな角度からご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 * 2010年5月に頂戴した拍手の数の多かった記事のベスト3は以下のとおりです。ありがとうございました。
 1位(15票):国旗を掲げない“友好”
 2位(14票):国労のゴネ得
 3位(6票):国民投票法施行
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