内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 スワロフスキーの花火
2010-07-31 Sat 13:12
 きょう(31日)は隅田川の花火の日です。というわけで、花火切手のなかから、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・オーストリア花火

 これは、2006年8月22日に中国香港が発行した“花火”切手の小型シートが貼られた郵便物(部分)です。

 このとき発行された花火切手は、中国香港とオーストリアの共同発行で、左側の切手は香港島側から見たヴィクトリア湾の花火、右側は映画「第三の男」で有名なウィーン・プラター公園の花火を取り上げています。また、通常のシート切手は額面が5香港ドルですが、小型シートの切手には花火の部分にスワロフスキーのクリスタル・ガラスが接着されているため、額面も50香港ドルと高額です。クリスタル・ガラスの部分は、肉眼で見ているよりも、スキャナーの光を当てた画像の方が綺麗に見えるような気がします。なお、シート地は、切手とは逆に、九龍側から見たヴィクトリア湾の風景が取り上げられています。

 小型シートの額面は100ドルですが、タトウに入れて120ドルで販売されました。シートのみでの販売はされませんでしたので、20ドルの差額分を捨ててまで郵便に使ったケースはおそらく多くはないのではないかと思います。今回ご紹介のマテリアルは香港の切手商から僕宛の郵便物に貼られていたもので、左下がちょっと擦れてしまっているのが残念ですが、それゆえ、売り物にならないので、郵便に貼って使ってくれたということなのかもしれません。ちょっぴり得した気分ですな。


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 チャーチルの入歯
2010-07-30 Fri 15:13
 きのう(29日)、ロンドンで行われたオークションにウィンストン・チャーチルの入歯が出品され、予想の3倍を超える1万5200ポンド(約205万円)で落札されたそうです。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されtます)

      チャーチル・名言

 これは、1998年にジブラルタルで発行された“著名人の名言”の切手の1枚で、チャーチルと彼の言葉「偉大さの対価は責任である」が記されています。この言葉に関しては、主語と補語が逆で「責任は偉大さの対価である」というバージョンもあるようです。

 チャーチルの切手は世界各国から山のように発行されていますが、その肖像の多くは口を結んだ状態のモノか葉巻をくわえたもので、口を開けた表情のモノはごく稀です。その中でも、この切手は口の開き具合が一番大きいのではないかとおもいますが、口のところに文字がのっかっているため、今回、話題となった入歯を見ることができないのが残念です。

 さて、きのうは民主党の両院議員総会があって、菅総理以下執行部に対して参院選敗北の“責任”を問う声が多く出され、大荒れのようすだったそうです。もっとも、民主党が議席を大きく減らしたのは、昨年8月の政権交代以来、彼らがやってきた迷走とデタラメの必然的な結果であって、その責任を6月に発足した現執行部にのみ押しつけてみても問題はなんら解決しないことは明らかです。じっさい、鳩山から菅に首相が代わってみたところで、普天間問題はなんら前に進んだわけでもなければ、景気や雇用の問題が改善されたわけではありません。共産中国の脅威が日に日に深刻化し、朝鮮半島情勢が不透明の度合いを増す中で、国防・安全保障については相変わらず無為無策のまま、そのことについて責任のある議論をしようとしない姿勢は、まさに国家を預かる立場の人間としては無責任の極みであり、そうした連中が選挙敗北の責任のなすり合いをしている様は見苦しい限りです。

 まぁ、責任が偉大さの対価であるとするチャーチルの言に従うのなら、偉大さの微塵も感じられない人々が無責任極まりないというのも十分に納得のいく話ではあるのですが、曲がりなりにも、昨年の総選挙で彼らに一票を投じてしまった国民の責任というものも、そろそろ深刻にかみしめてみないといけないでしょうな。

 * 本日未明、アクセスカウンターが72万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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 闘牛禁止のカタルーニャ
2010-07-29 Thu 22:18
 スペイン北東部のカタルーニャ自治州(州都バルセロナ)の議会は、きのう(29日)、「闘牛は動物虐待にあたる」として、2012年1月1日以降、州内での闘牛を禁止する条例を可決しました。スペインを代表する伝統文化の「闘牛」を禁止する条例がスペイン本土で可決されたのは、これが初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン・闘牛

 これは、1960年2月29日にスペインで発行された闘牛の切手の1枚です。切手には2人の闘牛士が描かれていますが、奥の方で牛と格闘しているのが、カポーテ(ケープ)を使って牛を誘導している助手のバンデリジェーロで、手前にいるのが、最後に止めをさす正闘牛士のマタドールではないかと思います。なお、バンデリジェーロは槍士のピカドールのもとへと牛を誘導し、ピカドールが馬上から牛の肩の瘤に槍を突き刺し牛を弱らせ、頭を下げさせたところで、マタドールが止めを刺すというのが一般的な流れだそうです。

 さて、スペインの国技とも称される闘牛ですが、近年、サッカーの人気に押されて観客が激減。特に、2007年8月に国営放送が闘牛の生放送を中止してからは、急激に衰退していったといわれています。(NHKが生中継を止めてしまった大相撲も、これからその轍を踏むということになるんでしょうかね。)

 これに追い打ちをかけるように、動物愛護団体による“動物虐待”との批判が強まり、今回の事態にいたったということなのでしょうが、スペインを代表する伝統文化をスペイン人自らが否定してしまうという状況にはなんとも言えない寂しさを感じますな。

 もっとも、今回の闘牛禁止は、スペインからの独立志向が強く、独自の文化をもつカタルーニャ地域主義が背景にあるとも指摘されています。そういえば、我々になじみのあるところでも、環境保護を騙るテロリスト集団のシーシェパードはいうに及ばず、ジュゴンの保護を大義名分に反基地闘争を展開している輩のように、自然保護や動物愛護を隠れ蓑にした活動家というのがいますからねぇ。マドリードでは闘牛禁止を求める動きが盛んということではないようですし、カタルーニャの場合も、単純に、動物保護云々で片づけられる問題ではないのかもしれません。

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 朝鮮人参285年分
2010-07-28 Wed 20:25
 複数の韓国メディアによると、北朝鮮がチェコに対し、負債1000万ドル(約8億7000万円。旧チェコスロヴァキア時代に電車と車などの輸入代金を返せずに生じたものとされる)の5%を朝鮮人参で返したいと提案してきたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮人参(栽培物)

 これは、1961年に北朝鮮が発行した朝鮮人参の切手です。

 朝鮮人参は、ウコギ科の多年草で、薬用人参、高麗人参、御種人参(江戸幕府の薬園で栽培したことに由来する)などの別名で呼ばれることもあります。

 古来より根は薬用とされ、漢方では新陳代謝の衰え・神経衰弱・糖尿病の口渇などの治療に用いられます。沿海州・朝鮮半島・中国東北部に分布していますが、野生のものは量が少なくきわめて高価なため、栽培が盛んに行われています。

 朝鮮では、李朝時代の14世紀末、開城で人工栽培が本格的に行われるようになったことから、開城人参が有名になりました。現在でも、開城人参は北朝鮮の特産品として、主要な輸出品のひとつに挙げられています。

 さて、今回の北朝鮮側の提案に対して、チェコのトーマス・ジデク財務副大臣は「われわれは現物償還として、高麗人参ではなく、亜鉛など国際市場で現金化できる物品がよいという考えを北朝鮮に伝え、説得作業を始めている」と説明したものの、北朝鮮側は、一方的に高麗人参のサンプルを持った代表団をチェコに派遣するなど、高麗人参での現物償還を押し通すつもりのようです。まぁ、北朝鮮国内の鉱産資源の類は、実質的に中国のモノとなっているみたいですからねぇ。亜鉛で支払いたいといっても現実には無理ということなんでしょう。

 ちなみに、チェコが昨年、中国などから輸入した朝鮮人参は1.4トン。50万ドル相当の朝鮮人参というと400トンという量になるそうですから、単純計算で285-6年分という勘定ですな。朝鮮人参がその時代まで保存できるのかどうかはともかくとして、そのときまでに、北朝鮮国家そのものが影も形もなくなっていることはまちがいなさそうです。

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 広東語を守れ!
2010-07-27 Tue 10:16
 きのう(26日)付の中国紙『経済観察報(電子版)』によると、25日、広東省広州市内で「広東語を守れ!」と呼びかける地元住民2000人以上の抗議集会が開かれたものの、出動した警察隊に解散させられる事件があったそうです。というわけで、きょうは広東語がらみのネタということで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      任劍輝

 これは、1995年に香港で発行された“香港影星”(映画スター)の切手の1枚で、男装の麗人として知られる粤劇出身の女優・任劍輝が取り上げられています。

 香港への映画の伝来は、1896年に中国大陸からオペラ劇の映画が持ち込まれたのが最初と言われています。一方、香港で最初に作られた映画は、1909年の梁小波によるサイレント作品、『偸焼鴨』でした。その後、1922年に黎民偉が香港初の映画制作会社“民新製造影畫公司を設立し、『聊斎志異』に題材をとった香港最初の長編映画『胭脂』を制作したのを皮切りに、10あまりの映画会社が作られ、香港でも本格的な映画制作時代が開幕します。

 1925~26年にかけての“省港罷工”(広州と香港を中心に行われた大規模なストライキ)の際には、映画の制作も一時中断しましたが、1930年代に入ると復活。1933年の『白金龍』を皮切りにトーキーの制作も始まりました。『白金龍』は、同名の粤劇(広東・広西地方に伝わる伝統的な広東語による歌舞劇。京劇の広東語バージョンともいわれる)を下敷きにした中国初の広東語映画で、観客動員数十数万人、興行収入10万香港ドル以上という記録的なヒットとなり、これをきっかけに、粤語片(広東語映画)の時代が開幕します。

 1930年代というのは中国にとっては抗日戦争の時代で、その余波は、当然、香港にも及び、1935年以降は抗日映画が作られるようになります。さらに、1941-45年の日本占領時代、日本軍への協力を潔しとしない香港映画人たちは映画制作を拒絶し、香港映画は省港大罷工時代に続き、2度目の中断期を迎えましたが、戦後すぐに香港映画は復活しました。

 戦後まもなくの香港映画は上海系の資本によって大陸への輸出を目的とした官話片(普通話映画)の制作から始まりましたが、じきに粤語片も巻き返し、1950年代には両者入り乱れての香港映画のひとつのピークを迎えることになります。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた任劍輝は、この時期の粤語片を代表する女優です。

 任劍輝は、1911年、広州生まれ。幼少時からの粤劇好きが昂じて、小学校卒業後から女優としての修業を積み、広州で初舞台を踏みました。男役として活躍し、1935年からはマカオを拠点に活動していましたが、戦後、香港に移って白雪仙とともに粤劇劇団の「仙鳳鳴劇團」を結成し、一世を風靡します。映画出演は1934年の『神秘之夜』が最初ですが、彼女の舞台が本格的に映画化されるようになったのは1951年からです。

 日本映画が、当初、伝統的な歌舞伎の大きな影響を受けて発達したのと同様に、粤語片の発達において粤劇が果たした役割も大きなものがありました。それゆえ、粤劇映画最大のスターである彼女が切手に取り上げられたのも、当然の選択といえましょう。

 さて、1950年代半ばまで、香港映画界では官話片と粤語片が勢力拮抗していましたが、1956年に陸運濤ひきいる國泰機構を母体とする國際電影懋業公司(MP & GI)が設立され、1959年に邵逸夫の邵氏兄弟香港有限公司(ショウ・ブラザーズ)が設立されると、状況は次第に変わっていきます。すなわち、この両社は、従来の香港映画界には例のない大規模な撮影所を建設し、官話片を中心とした娯楽映画を制作。弱小の粤語片勢力を追い込んでいったのです。

 この結果、一時的に粤語片は絶滅寸前にまで追い込まれ、広東語を母語とする香港の大多数の観客は中文字幕を読むことで作品の内容を把握せざるを得ない状況になっていました。

 こうした中で、1969年に発足した新会社・嘉禾影片公司(ゴールデン・ハーベスト)が、1971年に李小龍(ブルース・リー)と契約し、「唐山大兄(ドラゴン危機一発)」を大ヒットさせると、ショウ・ブラザーズはこれに対抗するため、従来の官話片中心路線を転換して、1973年に広東語のコメディー「七十二家房客」を制作。「龍爭虎門(燃えよドラゴン)」を押さえて堂々の年間興収第1位を獲得します。

 さらに、李小龍がなくなると、ショウ・ブラザーズはテレビで人気のあった許冠文(マイケル・ホイ)と歌手の許冠傑(サミュエル・ホイ)兄弟を引き抜き、1974年の「鬼馬雙星(Mr.BOO!ギャンブル大将)」を皮切りに「天才與白痴」、「半斤八兩(Mr.BOO!)」と3本の広東語コメディーを制作。その広東語でのテンポの良いやりとりが評判となり、以後、香港では広東語での映画製作が主流となり現在にいたっています。なお、許兄弟のシリーズ3部作は、日本では「Mr.BOO!」のシリーズとして公開されましたが、「Mr.BOO!」というタイトルは日本での配給会社、東宝東和が勝手につけたもので原題とは無関係ですし、3作品は独立した別個の作品で内容に関連性はありません。

 さて、今回の広州での騒動は、広州市の政治諮問機関・人民政治協商会議(政協)の委員が今月初め、同市で11月にアジア競技大会が開催され、他省から多くの人が来訪することなどを理由に、地元テレビの広東語チャンネルを標準語に改めるよう提案したことに地元住民が反発し、インターネットで呼びかけて自然発生的に起こったものとされています。

 中国の少数民族地域では言語や宗教に起因する民族問題で抗議行動がたびたび発生しているのに対して、漢族の方言をめぐる大規模な住民運動は珍しいとされていますが、言語は人間の根本ですからねぇ。北京政府やその意を汲んだ人々による普通話の横暴に対して、苦々しく思っている広東語ネイティヴは少なくないはずです。特に、広東語は中国のみならず、香港やマカオ、さらには東南アジアの華僑の間でも広く用いられていますから、この問題は案外、長引くかもしれません。

 なお、香港の映画史については、拙著『香港歴史漫郵記』でも若干ではありますが触れていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 ロシアのウナギ
2010-07-26 Mon 13:53
 きょう(26日)は土用の丑の日です。というわけで、ストレートにこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシアのウナギ

 これは、1986年にソ連で発行された切手つき封筒で、カシェに2匹のウナギが描かれています。

 近年、ロシアでは日本食が人気を集めており、2009年の時点で、モスクワにはおよそ600点もの(自称)日本食レストランがあるそうです。その結果、寿司など魚を中心とした料理が注目されるようになっているわけですが、その内実は、腐りかけたマグロでも新鮮なマグロに見せかけるために一酸化炭素ガスで処理する“ガスマグロ”が横行するなど、かなり厄介な状況です。

 ウナギに関しても、養殖に際して、発癌性の疑いのある防腐剤・マラカイトグリーンを使用した市場に氾濫していることが問題視されています。というのも、日本やアメリカ、EUではマラカイトグリーンを使って育てたウナギを販売することは違法ですが、ロシアではそうしたウナギを規制する法律がないため、他の市場では売れなくなったマラカイトグリーン入りのウナギがモスクワ市場に殺到しているためです。このため、ロシアのウナギ市場は“ウナギの墓場”とまで言われているのだとか…。なんとも恐ろしい話ですな。

 養殖モノの輸入ウナギがダメなら、アムール川あたりであがってくる天然物を食べられれば良いのですが、近年、アムール川は対岸の中国側から垂れ流される工場排水の影響で汚染が深刻となっていますので、こちらも安心して食べるというわけにはいかなさそうです。

 やっぱり、ウナギは国産のモノに限るということなんでしょう。まぁ、安物に飛びついて産地偽装ウナギをつかまされるのも癪ですし、年に一度のことですから、今夜は少し奮発して、神田か日本橋あたりの老舗の鰻屋に行ってみますかね。

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 世界漫郵記:セナド広場(後篇)
2010-07-25 Sun 23:09
 『キュリオマガジン』2010年8月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、前回に引き続き、セナド広場周辺を取り上げました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      カルネイロ     カルネイロ肖像画

 左側は、1969年に発行の仁慈堂400年の記念切手で、ドン・ベルキオール・カルネイロの肖像が取り上げられています。この切手の元ネタとなった肖像画は、仁慈堂2階の会議室に飾られていますが、その様子を撮影したのが右側の画像です。

 仁慈堂は、1498年にポルトガル国王ジョアン2世の妃レオノール・デ・ヴィゼウが創設した慈善団体で、ポルトガル国内で急速に組織を拡大した後、1569年にはマカオにも支部がつくられました。

 一方、マカオにおける仁慈堂設立の立役者であるカルネイロは、1516年、コインブラの有力者の家に生まれ、1543年には、1534年に創設されたばかりのイエズス会に入信。スペイン国境にも近いエヴォラや首都リスボンで修道院の院長を務めました。

 1553年、ポルトガル国王ジョアン三世は、ローマ教皇ユリウス三世とイエズス会にエチオピアへのイエズス会士派遣を提言。このとき、カルネイロもエチオピアへの布教に赴くことになりましたたが、エチオピアに入国できなかったため、インドへ渡り、ゴアに上陸し、インド大陸西岸のマラバル海岸で布教活動を行っています。

 こうした実績により、1567年、カルネイロは日本と中国を管轄するマカオ管区の初代司教に叙せられ、翌1568年5月、マカオに赴任。貧民救済のための病院や孤児院、養老院等を運営する慈善団体として、仁慈堂マカオ支部を設立しました。

 現在の仁慈堂の建物は18世紀に建てられ、1905年に改修されたもので、現在、2階は博物館として利用されています。展示スペースに入ると、ポルトガル、インド、中国、日本の陶磁器のほか各種の宗教芸術や古文書などがガラスケースにずらりと並んでおり、その奥はシャンデリアの下がった会議室になっています。部屋の中央には、上の画像のように、ポルトガルの国旗と大きなカルネイロの肖像画が架けられており、肖像画の下には、カルネイロ本人のモノと思しき頭蓋骨も置かれています。

 会議室を抜けたベランダからは、セナド広場が一望できるのですが、その眺めは、前回の記事でご紹介した切手とは若干異なります。切手のような眺めは、仁慈堂のベランダからではなく、屋上からでないと見えないと思いますが、残念ながら、一般の観光客は屋上には上れないので、実際にこの目で確認することはできませんでした。

 なお、セナド広場周辺ということであれば、中央郵便局のこともご紹介したかったのですが、雑誌の記事ではスペースの関係で、割愛せざるをえませんでした。今秋、<切手紀行シリーズ>の第3巻として書籍化する時にはしっかりとご紹介する予定ですので、いましばらくお待ちください。


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 お手頃なミュシャ作品
2010-07-24 Sat 23:09
 アール・ヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャが1860年7月24日に生まれてから、きょうでちょうど150年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      プラハ城

 これは、ミュシャのデザインによる“プラハ城”切手のうち、1918年に発行された10へラー切手です。

 1918年10月18日に独立を宣言したチェコスロバキアでは、当初、オーストリア時代の切手を接収し、“チェコスロバキア共和国”などの文字を上から印刷するなどの暫定的な処置で急場をしのいでいましたが、これと併行して、独立国としてオリジナル・デザインの新切手を発行すべく準備を進めました。

 新国家は自国出身の巨匠であったミュシャ(チェコ語の発音だと“ムハ”ですが)に切手のデザインを依頼。これを受けて、ミュシャは、独立後まもない祖国のためにプラハ城を大きく描き、右手に小さく聖ミクラーシュ教会を配した切手のデザインを無償で作成します。これが、1918年から1920年まで使われた、いわゆる“プラハ城切手”です。

 カタログ評価で1枚数十円というモノも少なくありませんので、ミュシャのお好きな方は、ぜひ、ホンモノのミュシャ作品ということで手に入れてみたら良いのではないでしょうか。
 
 なお、プラハ城切手は、当時の混乱した状況の中で製造されたことから、一見、同じに見える切手でもさまざまなバラエティに分類することができます。また、当時は、わずか2年5ヶ月の間に3回の郵便料金の値上げがあったため、さまざまな種類の郵便物が残されることになりました。これらを専門的に追いかけていくと、時間もお金も相当かかるのですが、それだけに、チャレンジしがいのある分野として収集家の間では人気があります。

 ミュシャ好きの人が最初、1000円でごそっとプラハ城切手を買ってきて、それをいろいろといじっているうちに、切手の魅力に取りつかれていく、というケースが少しでも出てくると良いですな。
 
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 コソヴォの独立は合法
2010-07-23 Fri 21:00
 ハーグの国際司法裁判所は、きのう(22日)、2008年のコソヴォ独立宣言が国際法に違反しないとの判断を示しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

           コソヴォ独立1周年

 これは、昨年(2009年)2月に発行されたコソヴォ独立1周年の記念切手です。

 セルビア民族の揺籃の地とされるコソヴォは、12世紀末には中世セルビア王国・セルビア正教会の中心でしたが、14世紀末にオスマン帝国に占領され、それ以後、多くのセルビア人は北方に移住。代わりに、オスマン帝国支配下のアルバニアからイスラム教に改宗したアルバニア系が入植が進みます。

 20世紀初頭のバルカン戦争の後、1912年に独立を宣言したアルバニアはコソヴォの領有を主張しますが、列強が介入した1913年の国境画定でコソボはアルバニアではなく、セルビアに組み込まれます。その後、第一次世界大戦中のオーストリア・ハンガリー帝国、ブルガリア王国の占領時代を経て、大戦後にユーゴスラビア王国が成立しましたが、第2次大戦中、コソヴォ地域はブルガリアに併合されていました。

 第2次大戦後、第2のユーゴとなるユーゴスラビア連邦共和国が成立すると、コソヴォ一帯はアルバニア人が多数を占めていたことから、セルビア共和国内の自治区とされました。しかし、欧州一の出生率を誇るアルバニア人の急激な人口増加や、強烈なカリスマを持った建国の父、ティトーが亡くなり、連邦の分裂傾向が強まる中で、次第に、コソヴォのアルバニア系住民の間では自治州から共和国への格上げを求める声が高まっていきました。

 これに対して、なんとしても“ユーゴスラビア”の枠組を維持したかったミロシェビッチ政権は、コソボでは少数派のセルビア系住民が抑圧を受けるようになったこともあり、1989年、コソヴォの自治権を縮小。さらに、翌1990年、アルバニア系住民が住民投票を経て“コソヴォ共和国”の独立を宣言すると、コソヴォ議会を解散して自治権を剥奪し、独立運動に対する弾圧を本格化します。

 その後、コソボ民主同盟代表のルゴバらが平和的手段によるコソボの独立運動を展開したものの、事態の進展はなく、1998年2月にアルバニア系のコソヴォ解放軍(KLA)とセルビア治安部隊との間に武力衝突が発生。これにユーゴ連邦軍が介入し、コソヴォ紛争は本格化しました。

 武力紛争は、1999年5月にG8外相間で合意された和平案をもとに、同年6月10日、国連安保理決議1244が採択されて終結。セルビア人部隊は撤退し、コソヴォは国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下、すなわち、“独立国ではない”ものの“特定国家の実効支配下にない”という微妙な立場におかれることになります。

 なお、切手に関しては、2000年3月15日、UNMIKの名の下にドイツマルク額面の切手が発行され、以後、2002年5月からは額面をユーロに変更して、UNMIK名での独自の切手発行が続けられてきましたが、2008年の独立宣言とともに、今回ご紹介しているようなコソヴォ共和国名での切手が発行されるようになりました。

 2008年の独立宣言は、セルビアやロシアが主張していたコソヴォの“現状維持”を廃して、コソヴォを正規の独立国家とすることで問題の決着を図ろうとするもので、現在までに、米英やわが国をはじめ西側諸国を中心に69ヵ国が独立を承認しています。今回の国際司法裁判所の判断に法的拘束力はないものの、これによりコソヴォを承認する国が増えることは確実で、今後、独立を認めないセルビアへの圧力も強まることでしょう。

 なお、いままでコソヴォ独立を一貫して否定してきたロシアは、今回の決定後も独立不承認の姿勢を変えないとする声明を発表しましたが、コソヴォ独立の承認と引き換えに、グルジアからの独立を承認した南オセチアやアブハジアの独立の正当性を国際社会にさらに強く訴えていく可能性が強いとみられており、この問題は、今後ともしばらく尾を引きそうです。

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 目打があってもなくても③
2010-07-22 Thu 21:04
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(7月31日実施)のカタログ第11号ができあがりました。僕が担当しているオマケの読み物は、ジョルジュ・バルトーリの郵趣コラム集 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)に所収のコラムをご紹介する第3回目。今回は、下の切手にまつわるエピソードが取り上げらました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハト郵便100年

 これは、1997年にニュージーランドで発行された<AUPEX 97(切手展)>の小型シートで、ハト郵便100年の記念切手が収められています。記念切手は、100年前のハト郵便で使用されていた切手を模したもので、本来なら、ホンモノの方を持ってくるべきなのでしょうが、まぁ、1997年の切手で勘弁してください。

 ニュージーランドの首都オークランドから100キロほどの距離にあるグレート・バリア島は無人島ではありませんでしたが、かつての島民は島外との通信にほとんど関心を持っていませんでした。しかし、同島で銅、銀、さらには金の鉱脈が発見されると、多くの人々が島を訪れるようになり、通信手段が必要となります。

 こうして、1897年、オークランドで熱心に伝書鳩を飼っていたW.W.フリッカーは、伝書鳩による島民との通信を思いつき、“グレート・バリア鳩郵便サービス”を創業しました。

 当初の通信はグレート・バリア島からオークランドへの片道しかなく、伝書鳩は船のところまで飛んでいき、そこで手紙を受け取った配達員が鳩を放し、鳩は鳩舎にもどるという仕組みでした。手紙はインディアン・ペーパーの紙片に書かれ、鳩の足に巻きつけられた後、防水用の油紙で再び被われましたが、これは、悪天候や湿気から手紙を守るということもさることながら、鳩にとっては邪魔者の手紙をほどいてしまわないようにするためでもありました。

 創業時の料金は2シリングで、これに対応する切手も発行されています。後に、1羽の鳩で4通までの手紙を運べるようになると、料金も6ペンスに値下げされ、新たな切手も発行されました。

 その後、フリッカーの成功に刺激を受けて、ライバル会社の“グレート・バリア鳩郵便エージェンシー”が創業されます。フリッカーは他社の参入に納得せず、自社が“元祖”であるとして、マーケットでの優先権を主張しましたが、最高裁の下した判決は彼にとって不利なものでした。

 このため、フリッカーは、1898年、グレート・バリア=オークランド間の往復便を実施することで対抗。日々、配達時間は短縮され、1898年5月23日には、グレート・バリア=オークランド間の100Kmを50分でハト郵便が連絡し、重傷を負った若者の命を救ったことで注目を集めます。さらに、1899年5月、マロティリ諸島で銅の大鉱脈が発見されると、同諸島とのハト郵便のために、“Mines Cooper-Marotiri Island Pigeon-gram”と加刷した切手も発行されました。

 こうして一時代をきずいたハト郵便でしたが、1908年、オークランドとグレート・バリア島の間に電報が敷設されると、一挙に衰退してしまいます。しかし、このハト郵便によって、ニュージーランドは「航空ではない、空の郵便のパイオニア」の称号を得ることになりました。


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 軽井沢の鳩山邸
2010-07-21 Wed 15:10
 きのう(20日)、北朝鮮の元工作員で大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯・金賢姫が日本政府の招待で来日しました。彼女の滞在先は、軽井沢にある鳩山前総理の別荘だそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     鳩山・軽井沢(裏)   鳩山・軽井沢(表)

 これは、1953年9月、鳩山一郎(前総理の祖父)が差し出した葉書で、軽井沢の消印が押されています。当然、いま話題となっている別荘に滞在中に差し出されたものとみて良いでしょう。

 葉書が差し出された時期の鳩山は、吉田一郎の自由党と袂をわかって“鳩山自由党(分党派自由党)”を結成しており、同年4月の選挙(有名なバカヤロー解散に伴う選挙です)では吉田の自由党と戦いました。

 鳩山と吉田の確執のルーツは、1946年の戦後最初の総選挙で日本自由党総裁の鳩山が組閣目前で公職追放になった際、追放解除となった暁には鳩山が総裁に復帰するという約束をしたうえで、吉田が自由党総裁に就任し、首相になったことにあります。その後、1951年に鳩山の追放は解除されますが、彼はその直前に脳梗塞で倒れ(葉書の文字が震えているのは、その後遺症のためかもしれません)、吉田がそのまま総裁・首相の座にとどまったことから、鳩山周辺のグループの反吉田感情が沸騰。両者の対立は、講和条約の発効に伴い、戦前からの大物政治家が続々と政界に復帰を果たしていく中で、憲法改正問題や外交路線、政治的背景の対立なども絡んで、泥沼の抗争へとつながっていきました。

 葉書の文面には「十月初旬には帰京の予定ですが、何か騒々しいので遅れるかも知れません」とあります。もちろん、当時の政局がらみのことを指しているわけですが、現在の軽井沢もマスコミが殺到していてかなり騒々しいんでしょうねぇ。

 さて、金賢姫については、個人としては気の毒に思いますが、事情はどうあれ、大韓航空機事件というテロ事件の実行犯であることに変わりはありません。また、彼女が北朝鮮を出国してから20年以上が経過している上に、すでに彼女はさまざまな場所で北朝鮮時代のことを繰り返し話しているわけですから、いまさら、新たな情報が出てくることはほとんど期待できないでしょう。仮に、元工作員にあって情報を収集するというのであれば、彼女を日本に呼ぶのではなく、日本側の関係者が訪韓し、彼女だけではなく別の元工作員たちとも会ってきた方が、情報収集という点ではより効率的なはずです。

 金賢姫を日本に呼ぶということであれば、本来、まずは日本国籍の偽造パスポートを用いた罪で逮捕し、しかるべき施設に留置して取り調べを行うべきでしょう。拉致被害者の家族との面接・面談は、その際にあわせて行えばいいのであって、彼女が被害者の家族に手料理をふるまいたいと言ったことに配慮して、前総理の別荘を宿泊先として使ったりするなどの厚遇は、本末転倒産も甚だしいように思います。

 まぁ、お遍路総理の菅直人も、落選後も民間人として閣僚の座に居座り続ける法相・千葉景子も、どちらも、北朝鮮による拉致事件の実行犯で、韓国で逮捕され、死刑判決を受けて服役していた辛光洙の釈放嘆願書に署名した人物ですからねぇ。北朝鮮の元テロリストにVIP待遇を与えることには、なんら疑問を感じないのかもしれませんな。


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 間違った列車
2010-07-20 Tue 12:10
 きのう(19日)未明、インド東部・西ベンガル州サインティア(州都コルカタの北約200キロ)で、駅に停車中の夜行列車に別の夜行列車が衝突し、少なくとも乗客ら60人が死亡、170人以上が負傷する大事故がありました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方にはお見舞い申し上げます。というわけで、きょうは、インドの鉄道がらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      wrong train(表)     wrong train

 これは、1901年5月にバハワルプール(現在のパキスタン・パンジャブ州の南東)宛に差し出された英領インドの切手つき封筒ですが、宛先とは別方向行きの列車の中から差し出されたため、“POSTED IN WRONG TRAIN”(間違った列車で投函された)との三角形の印を押して途中でおろされ、あらためて、正しいバハワルプール宛に運ばれたものです。左の画像が表面の全体像、右が裏面に押された印の部分の切り抜き画像です。日付を見ると、5月10日の投函で12日にはバハワルプールに到着していますから、列車を“間違った”ことによる影響は大したことはなかったといえそうです。

 インドはアジア最古の鉄道国ですが、現在でも世界有数の鉄道大国として知られています。1951年以降、インドの全鉄道は国有化され、現在はインド政府の鉄道省の監督下に置かれていますが、その総延長は6万3327キロ(米露加中に次いで世界5位)、駅の数は6909にも及んでいます。1日あたりの乗客は約1800万人、貨物は200万トンというのも相当な規模で、160万人が働いています。

 これだけ規模が大きくなれば、その分、事故の件数が増えるのもある程度はやむを得ないのでしょうが、インドではしばしば大きな鉄道事故が起きています。すなわち、当局の発表した大規模鉄道事故の件数は、2009-10年度には少なくとも100件、2008-09年度には115件となっており、鉄道の安全性という点では大いに不安が残ります。この中には、ことし5月、やはり西ベンガル州で反政府極左勢力によるテロとみられる列車事故で約140人が亡くなったというようなケースもありますが、事故の大半は、テロではなく、鉄道側の人為的ミスによるものが大半なのだとか。

 インドの鉄道職員の方には、乗客の命を預かっているという自覚を持って、利用者が“間違った列車”に乗って後悔することのないよう、くれぐれも安全運行をお願いしたいものですな。

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 海の日
2010-07-19 Mon 22:09
 きょうは海の日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・海洋      マカオ・海洋小型シート

 これは、1998年5月22日にマカオで発行された“海洋”の切手とその小型シートです。小型シートの右上には、海洋神話・生態・資源・歴程の文字が入っており、海と人間の多様な関わり合いを表現しようというのが切手の趣旨のようです。なお、切手の図案をチェックしてみると、人魚が神話を、イルカが生態を、海底油田の油井が資源を、帆船が歴程(歴史)を、それぞれ意味しているものと思われます。なお、小型シートは切手に取り上げられた人魚やイルカなどをコラージュしなおしたものですが、油井は取り上げられていません。

 ところで、マカオは1999年までポルトガル領でしたので、現在でもポルトガル語を自由に操れるビジネスマンは少なくありません。こうした特性を生かして、北京政府はマカオをポルトガル語諸国共同体との窓口として活用しようとしています。

 というのも、リスボンに本部を置くポルトガル語諸国共同体は、ポルトガルとブラジル以下の旧ポルトガル領諸国で構成されていますが、加盟国には地下資源の豊富な国が少なくないからです。特に、アンゴラや赤道ギニアの石油、モザンビークの天然ガスなどに関しては、中国は他国に先駆けての権益確保を狙っていますが、その際、ポルトガル語という共通言語を持つマカオの存在は、中国にとって有効な切り札となるわけです。

 昨年末にマカオ特別行政区の行政長官に就任した崔世安は、最近、ポルトガルを訪問し、1999年の中国返還以来廃止されていたマカオ=リスボン直行便の再開を要請しました。純粋な収益という点では、マカオ=リスボン線はまず黒字は見込めないのですが、それにもかかわらず、崔が直行便の再開を要請した背景には、北京の意向を汲んで、マカオが“世界のポルトガル語圏と中国のゲートウェーをめざす”との方針を打ち出しているという事情があります。

 この切手が発行されたのは、マカオがまだポルトガル領だった1998年のことでした。“資源”の文字の入った小型シートから、単片には入っている油井が外されているのは、当時のポルトガル当局者が、いずれ、マカオがポルトガル語を媒介に中国の資源戦略の尖兵となることを予想していたからじゃないかと勘繰りたくもなりますな。


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 知床と北方4島
2010-07-18 Sun 15:15
 きのう(17日)は、2005年7月17日に知床が世界自然遺産に登録されてから5周年ということで、オホーツク管内斜里町ウトロの知床世界遺産センターで記念式典が開かれました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      羅臼岳

 これは、1965年11月1日に発行された“知床国立公園”のうち、羅臼湖畔からの羅臼岳を取り上げた10円切手です。

 知床国立公園は、北海道東部の知床半島周辺、斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがる国立公園で、1964年6月1日に国立公園の指定を受けました。面積は3万8633ヘクタールで、知床五湖や知床岬のほか、周辺の海岸が流氷で埋め尽くされることで有名です。また、地域全体がほぼ手付かずの原生林に覆われており、エゾシカ、キタキツネ、ヒグマなどの獣、オオワシ、オジロワシ、シマフクロウなどの野鳥、シロザケなどの川魚、ゴマフアザラシ、トド、マッコウクジラ、シャチなどの海獣の生息地でもあります。世界遺産としての知床は、国立公園にその周辺561平方キロ(海岸線から約3キロ沖までを含む)を含めた地域が対象となっており、わが国で初めて海洋を含む自然遺産登録物件となりました。

 さて、知床国立公園のうち、羅臼側は根室海峡をはさんで北方4島の国後島と面しています。こうしたこともあって、知床半島と北方4島の自然環境は酷似しており、知床の世界自然遺産を審査した国際自然保護連合(IUCN)も「知床と隣接するロシアのクリル諸島(その後、読売新聞の取材に応じたIUCNのデビッド・シェパード保護地域事業部長は、その範囲を“南クリル諸島”として、北方領土であることを明言したそうです)には明白な類似性が認められる。この地域の生態に関しては、日露の非公式な接点がある」との評価を下しています。

 ちなみに、2000年頃、ロシアは彼らが不法占拠している北方4島からウルップ島の自然保護区を世界自然遺産に登録しようとしていたことがありましたが、領土問題から実現しませんでした。また、北方4島では旧ソ連崩壊後、急速に開発がすすめられただけでなく、密猟なども行われており、環境保護対策の遅れが問題になっています。なお、IUCNは、スケソウダラの資源回復を求めていますが、ロシア側は現在なお世界的に禁止の動きがあるトロール船によるスケソウダラ漁業を継続して行っています。

 また、IUCNの評価書では、知床の地名はアイヌ語に由来していることからしても、この地域が先住民の地であることが重要視されており、世界自然遺産管理計画に北海道ウタリ協会など、アイヌ民族が参画していくべきとしています。この議論を敷衍していけば、知床と一体ともいうべき北方4島に関しても、やはり、アイヌの権利があるということになりますから、“アイヌ民族”の大多数が所属してる日本国家がこの地域の自然環境保護にイニシアティヴをとるべきだということになりましょう。

 したがって、過去の歴史的経緯や国際法の論点のみならず、自然保護という観点からも、北方4島は知床と一体のものとして日本が責任を持って統治すべきという立論は可能だと思います。その意味でも、いわゆる環境保護派の人たちは、もっと熱心に北方領土問題に取り組んでも良いと思うのですが、彼らの間からそういう声がほとんど聞かれないのは一体どういうことなんでしょうかねぇ。

 いずれにせよ、次に知床の切手を発行する時には、ただ単に動植物を取り上げるだけではなく、ぜひとも、羅臼側から見た国後島を背景に入れたデザインにするなどして、知床と北方4島の一体性をアピールしていただきたいものです。領土問題では、こういう地道な積み重ねが重要だということを忘れてはなりません。
 
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 直木賞は『小さなおうち』
2010-07-17 Sat 11:27
 きのうの記事では、芥川賞作品の『乙女の密告』について触れましたので、きょうは、直木賞を受賞した中島京子さんの『小さいおうち』にちなんで、“おうち”の切手を持ってきました。

      国際居住年60円

 これは、1987年11月25日に発行された「国際居住年」の記念切手の1枚で、“家のイメージ”がデザインされています。

 1982年に開催された第27回国連総会において、スリランカ代表が1987年を“国際居住年”とし、西暦2000年までに、世界各国、なかでも開発途上国が直面している劣悪な住居・居住環境の改善を図るための長期計画をたて、それを実現することを提案しました。なお、国際居住年の英文名称は“International year of Shelter for the Homeless”となっており、住む家のない人々への住宅支援という意味合いが強調されています。

 これが採択され、わが国でも、1986年に内閣総理大臣(中曽根康弘)を本部長とする国際居住年推進本部が設置され、建設省ならびに国土省を窓口としてさまざまな展示会やシンポジウムなどが行われています。

 国際居住年の記念行事の一環として、郵政省は11月に記念切手を発行することを決定し、図案を一般から公募。審査の結果、4693点の応募作品の中から、特賞(郵政大臣・建設大臣・国土庁長官賞、一般の部と小・中学生の部から各1点ずつ)、入賞(国際居住年推進協議会会長賞、一般の部と小・中学生の部から各1点ずつ)、佳作(一般の部と小・中学生の部あわせて計5点)が決定され、7月31日付で発表されました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、一般の部の特賞、宮城県仙台市のグラフィックデザイナー、佐々木洋子による「家のイメージ」です。佐々木の作品は、オリンピックの五輪を描く5色を使って、国際年と家のイメージを単純でわかりやすく表現したものとして、高い評価を得ました。なお、東北郵政局では、地元のデザイナーの作品が切手として採用されたことを記念して、佐々木のデザインによる表紙をつけた“国際居住年切手ゆうペーン”を地方版ゆうペーンとして、切手発行日の11月25日から発売しました。

 なお、国際居住年のもう1枚の切手(小中学生の部の特賞作品が取り上げられています)については、拙著『昭和終焉の時代』で解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 芥川賞は『乙女の密告』
2010-07-16 Fri 23:38
 第143回芥川賞は、赤染晶子さんの『乙女の密告』に決まりました。京都の外国語大学の女子学生たちが、外国人教授の指導の下、「アンネの日記」のドイツ語訳の暗唱に取り組み、アンネ・フランクに心情を通い合わせる姿を描いた作品とのことなので、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      アンネ・フランク

 これは、1979年、西ドイツで発行されたアンネ・フランク生誕50年の記念切手です。彼女の写真は有名なものがいくつかありますが、日記を広げた写真としては、切手に取り上げられているモノが一番有名なのではないかと思います。

 アンネ・フランクは、1929年6月、ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれました。1933年、ナチス政権が成立すると、一家はドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月以降、一家は、アムステルダムでの潜行生活を余儀なくされます。隠れ家での生活は約2年間に及び、その間、アンネがつけていた日記が有名な『アンネの日記』です。

 1944年8月4日、一家の隠れ家はゲシュタポに発見され、全員が強制収容所へと移送。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送され、1945年3月頃、チフスにかかって亡くなりました。享年15歳。

 さて、今回の芥川賞を受賞した赤染さんは受賞後の記者会見で「日本人の私がこのテーマ(ユダヤ問題)に取り組むということは、十分に意義があると思います」と述べたとの記事がネットのニュースに出ていました。フィラテリーの世界では、ユダヤ関連マテリアルを集める“ジュダイカ”というジャンルがあって、世界的には人気が高いので、本腰を入れてチャレンジしてみると、赤染さんとはまた違った角度から、日本人ならではのユダヤ論を作れそうです。いずれ、チャレンジしてみたい題材ですな。


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 エポックメイキング・プロジェクト④
2010-07-15 Thu 13:19
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の7月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は、首里城正殿の修復工事を取り上げましたが、記事で使った中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

      琉球大学開学

 これは、1951年2月12日にアメリカ施政権下の沖縄で発行された“琉球大学開校”の記念切手で、琉球大の校舎と首里城のシルエットが描かれています。

 琉球王朝の王城であった首里城は、戦前の1933年に正殿の改修工事が行われて国宝に指定されていましたが、1945年5月、沖縄戦で米軍艦の砲撃等により焼失しました。

 戦後、沖縄の住民は首里城の再建を強く望んでいましたが、沖縄を統治していた米当局は、首里城跡地に琉球大学を設立してしまいます。今回ご紹介の切手は、琉球大の校舎が首里城の跡地に建てられたことを表現したもので、画面の左側には、首里城正殿入口に建てられていた龍柱の一体(これも沖縄戦で破壊されました)が描かれています。

 1958年に琉球建築の華と謳われた守礼門が再建されると、ようやく沖縄戦で焼失した歴史的建造物の再建がスタート。首里城に関しては、1970年、琉球政府文化財保護委員会(首里城復元期成会の前身)が首里城及びその周辺戦災文化財の復元計画を策定し、日本政府へ正式に要請。復帰後の1972年から1974年にかけて、まず、歓会門(城の入口)と周囲の城郭が再建されました。

 1979年、琉球大学が首里城跡から移転したことを受けて、1980年代に入ると首里城再建計画が本格的に進められるようになり、1989年からは正殿の再建が開始されます。その後、再建工事は1992年に沖縄復帰20周年記念事業の一環として完成し、正殿を中心とした首里城公園が開園。2000年には“首里城跡”としてユネスコの世界遺産にも登録されました。

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 パリへ帰った涅槃仏
2010-07-14 Wed 22:43
 今日はパリ祭の日です。というわけで、昨年に続き“仏”の掛詞で、フランスがらみの仏像切手のなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ラオス・涅槃仏カバー

 これは、1958年にラオスの首都・ビエンチャンからパリ宛に差し出された航空便で、1953年に発行の涅槃仏の切手が貼られています。ラオスが1953年に発行した航空切手の6種セットはいずれも仏像を取り上げており、パリで印刷されました。したがって、今回のカバーに貼られている切手は、パリからビエンチャンに運ばれた後、パリへと里帰りしてきたといってよいでしょう。

 ブッダガヤで悟りを得た釈迦は、古代インドの最高神ブラフマーの勧め(梵天勧請)により、自らの悟りを人々に説いて回ることを決意。各地で説法を行って多くの弟子たちを獲得していきました。

 しかし、80歳を過ぎた釈迦は旅の途中で病に倒れ、沙羅双樹の下で入滅。これにより、彼は、生死の輪廻から解放(解脱)された、完全な涅槃の境地に入ったとされました。

 涅槃像は釈迦入滅の状態を表現したもので、“寝釈迦”、“寝仏”などとも呼ばれることもあります。右手を枕とするか、もしくは頭を支える姿で、頭は北向き、顔は西向きとされるのが一般的です。

 なお、今回ご紹介のマテリアルをはじめ、涅槃仏を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
      
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 目隠しで居座り
2010-07-13 Tue 10:36
 おととい(11日)の参議院選挙で落選した法務大臣の千葉景子が、議員としての身分を失った後も“民間人”として閣僚の座に居座り続けるのだそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      裁判所制度100年

 これは、1990年11月1日に発行された“裁判所制度100年”の記念切手で、最高裁に置かれている“正義(の女神)像”が描かれています。

 正義の女神(ギリシア神話のテミス、 ローマ神話のユスティティア)は天秤と剣を持つ姿であらわされますが、これは、天秤によって正邪を測る“正義”を、剣によって法を執行するための“力”を象徴したものです。なお、正義の女神像といえば、現在では、先入観にとらわれず万人に平等に法を適用するものとして目隠しの姿で描かれるのが一般的ですが、これは主として19世紀以降のスタイルで、それ以前は目隠しをせず、目をつぶった姿の像がしばしば作られていました。今回ご紹介の切手も女神は目隠しをしていませんので、古いスタイルを踏襲したものといえそうです。ちなみに、正義の女神像は法務大臣室にも飾られています

 さて、落選後も、正義の女神像のある大臣室に居座り続ける千葉ですが、彼女の過去の経歴や政治活動、特に、法相としてやってきたことなどを見ると、有権者が彼女にNOを突きつけたのは当然なことのようにも思われます。

 千葉については、学生時代に成田闘争の女性闘士として火炎瓶を機動隊へ投げつけ、数名の警察官を死傷させたという噂が広く人口に膾炙しています。その真偽はともかく、彼女が北朝鮮による拉致事件の実行犯で、韓国で逮捕され、死刑判決を受けて服役していた辛光洙の釈放嘆願書に署名したことはまぎれもない事実であり、彼女が左翼過激派集団に対して甘い傾向を持っているのは間違いなさそうです。もちろん、そうした彼女のことですから、1999年の「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律(国旗及び国歌に関する法律)」には反対票を投じています。現在、法務省には日章旗は掲げられていないのでしょうか。

 また、前回、彼女が議席を獲得した2004年7月の1参院選では、選挙運動の過程で、労働組合による票のとりまとめのための買収工作があったとして、関係者が逮捕され、懲役1年6月・執行猶予5年の有罪判決を受けていますから、政治と金の問題に関しても、相当胡散臭い人物であるといってよいでしょう。

 さらに、法相就任後は、死刑制度に反対の立場から死刑の執行を停止しています。彼女が個人的にどのような思想信条をもっていようと、そのことじたいは勝手でしょうが、死刑制度が現実に存在している以上、制度の存在意義をその責任者たる法相自らが否定するような言動をとるというのは、職務放棄以外の何物でもありません。

 くわえて、千葉は、いわゆる従軍慰安婦問題では、すでに1965年の日韓基本条約で解決済みの個人補償問題を蒸し返して元慰安婦と称する女性への補償を求めており、じっさい、2002年には国会の場でも、日本政府の『従軍慰安婦への賠償並びに財産及び請求権の問題は日韓基本条約とサンフランシスコ平和条約で法的に解決している』という見解に強い憤りを表明し、慰安婦の名誉と尊厳の回復を政府が積極的に行うべきだと主張しています。

 このほか、最高裁で憲法違反と判断された外国人地方参政権の実現には異常なまでに熱意を示し、不法入国・不法滞在の外国人には寛大な姿勢をとることでも知られています。たとえば、野党議員時代の2009年3月には、参議院法務委員会において、他人名義のパスポートにより日本に不法入国した家族に対して、強制送還をせずに、一家全員を日本に在留させる特別措置をするよう森英介法相に求めているほか、法相就任後の同年10月には、最高裁から中国残留孤児と血縁関係がないと判断され、大阪入国管理局から国外退去を命じられていた姉妹に対して、法相の権限で在留特別許可を認めています。そうした不法入国・不法滞在者の一部が、生活保護を詐取して問題となっていることは広く知られているとおりです。

 これだけ見ても、彼女が法相として不適格であることは明らかなわけで、有権者が彼女に対する不信任を突きつけたのも当然のことといえます。もちろん、制度上、民間人が閣僚を務めることは可能なわけですが、現職閣僚の落選というのは、閣僚に対するリコール制度のないわが国では、その閣僚に対する国民の不信任の意思を示したものとして、重く受け止めるべきものではないでしょうか。

 そういえば、最高裁に飾られている正義の女神像は目をつぶっただけですが、法務大臣室の女神像にはしっかりと目隠しがされているそうです。その目隠しが、先入観や偏見を排するとの美名の下、民意を無視し、大臣の椅子に居座り続けるためのものになっているというのは、なんとも困った話です。


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 W杯はスペインが優勝
2010-07-12 Mon 10:13
 南アフリカで開催されていたサッカーのW杯は、スペインの優勝で幕を閉じました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン・サッカー(1960)

 これは、1960年10月にスペインが発行したスポーツ切手のうち、サッカー選手を描く70センティモス切手のマキシマムカードです。ちなみに、同時に発行されたセットでは、他に、自転車、ランナー、体操選手、ホッケーなどが取り上げられています。

 1960年のスペイン・サッカーの話題としては、まず、5月に、チャンピオン・クラブズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)でレアル・マドリードが5年連続5回目の優勝を果たしたことが挙げられます。このときの決勝戦では、マドリードは7対3でアイントラハト・フランクフルトを下しましたが、このうち、このうち、4本のゴールはブスカスが決めるという大活躍でした。

 また、クラブ単位での世界一を決める大会として、インターコンチネンタル・カップの第1回大会がこの年の9月に行われ、チャンピオン・クラブズ・カップ優勝のマドリードは、南米のリベルタドーレス・カップ優勝のペニャロール(ウルグアイ)を下し、インターコンチネンタル・カップの最初の優勝チームとなっています。

 今回のW杯優勝という結果を受けて、おそらく、スペイン郵政は記念切手を発行することになるのでしょうが、さて、どんなデザインになるんでしょうかね。 

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 国民参政120年の参院選
2010-07-11 Sun 07:17
 きょう(11日)は、参議院選挙の投票日です。僕は、先週のうちに不在者投票を済ませましたが、皆様もぜひ、貴重な一票を無駄にしないよう、お出かけください。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国民参政75年

 これは、1965年10月15日に発行された“国民参政75年”の記念切手です。1965年に75年ということは、今年は、120周年の節目にあたるわけで、11月には“議会開設120年”の記念切手発行も計画されています。もっとも、後述するように、最初の選挙が行われたのは参院選投票前の7月1日ですから、こちらのタイミングにあわせて、投票率アップを呼びかけるキャンペーンの性格も兼ねた切手を発行した方が良かったようにも思います。

 さて、わが国における最初の国政選挙は、1890年7月1日に行われましたが、このときの有権者は、満25歳以上の男性のうち、直接国税15円以上を納めた者に限られており、人口の1.1%(45万人)でしかありませんでした。

 このため、衆議院選挙における制限をはずし、国民一般に平等の選挙権と被選挙権を与えようという普通選挙(普選)運動が展開されていくことになります。

 すなわち、1892年に大井憲太郎が結成した東洋自由党内に普通選挙期成同盟が設立されたのを皮切りに、各種の団体が普選運動を展開。中村弥六らは、1902年の第16帝国議会以降、断続的に普通選挙法案を提出し、1911年には同法案を衆議院で可決させる(ただし、貴族院で否決されたため、法律としては不成立)ところまでこぎつけました。

 大正時代に入ると、吉野作造の唱えた「民本主義(天皇主権を否定しないものの、国家権力の運用に際しては民意を尊重すべきとし、国民のための国民自体による政治を主張した)」が大正デモクラシーの理論的基盤となり、普選運動は盛んになります。そして、1924年、貴族院中心に組織された清浦奎吾内閣に反対して起こった第二次護憲運動の結果、1925年3月、治安維持法と抱き合わせで普通選挙法が成立しました。この結果、満25歳以上の男性の普通選挙が実現し、有権者数はそれまでの330万人から4倍の1241万人へと拡大します。

 一方、婦人参政権については、戦前の大日本帝国憲法下では認められず、第2次大戦後の1945年12月17日の衆議院議員選挙法改正によって、ようやく認められました。この結果、1946年の衆議院議員総選挙が、日本で初めての完全普通選挙となりました。

 今回ご紹介の切手は、上記のような経緯を踏まえて、1965年が最初の衆議院議員選挙の実施(国民の政治参加の最初)から75周年、普通選挙法の成立から40周年、婦人参政権が認められてから20周年という節目の年にあたっていたことを踏まえて発行されたもので、切手の発行日となった10月15日には、日本武道館で政府主催の“国民参政75周年、普通選挙40年、婦人参政20年”の記念式典が行われたほか、全国各地でも選挙管理委員会を中心にさまざまな記念行事が行われています。記念切手の発行も、そうした記念行事の一環として計画されたもので、郵政省の発表した記念切手の発行題目は“国民参政75周年”となっていますが、式典の性格を考慮して、切手上には“普通選挙40周年 婦人参政20年”の文字も入れられました。

 切手は、国会の議席と衆参両院議員のバッジを描いたものです。バッジは、国会議事堂庁舎の配列にならい、右側(暗い青)が参議院議員用、左側(暗い茶紫)が衆議院議員用のものとなっています。明日以降、誰が新たに(または継続して)青いバッジをつけることになるのか、今夜の開票速報から目が離せませんな。

 * 昨日開催の第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催は、盛況のうち、無事終了いたしました。参加者・関係者の皆様にはこの場をお借りして、あらためて、お礼申し上げます。なお、本日も僕はキュリオのブースに詰めている予定でしたが、事情により、本日は会場には行けなくなりました。あしからずご了承ください。


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 今週末はぜひTIBFへ
2010-07-10 Sat 00:16
 8日から東京ビッグサイトで開催中の東京国際ブックフェア(TIBF。地図はこちら)は、きょう・あすが一般公開日です。僕も、顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』のプロモーションのため、2日間、会場に詰めている予定です。というわけで、『キュリオマガジン』に連載中の「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」にちなみ、マカオの切手の中から“読書”にちなむ1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・紅楼夢

 これは、2002年にマカオで発行された『紅楼夢』の小型シートです。

 『紅楼夢』は中国古典小説の最高傑作として、“四大奇書”の一つにも挙げられています。清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に、曹雪芹によって書かれました。

 物語は、代々高官を出し、皇室の姻戚でもある賈氏一族の貴公子・賈宝玉を主人公に、繊細でプライドの高い美少女の林黛玉、良妻賢母型の薛宝釵の三角関係を軸に展開されます。宝玉と黛玉は相思相愛の関係でしたが、お互いの気持ちをうまく伝えられず、最終的に、宝玉は宝釵と結婚します。黛玉は恨みを抱いて死に、宝玉は科挙に合格するものの、無常を感じて出家し行方不明となり、賈家は権勢を嵩に民衆を苦しめた罪で家産を没収され没落していきます。全120巻にわたり、400人以上もの人物が登場する大河小説で、岩波文庫版の邦訳では全13巻というボリュームです。

 切手に取り上げられたのは、第5巻の中から、宝玉が昼寝をしていたとき、夢の中で警幻仙姑に導かれて太虚幻境を訪れ、薄命司に納められている『金陵十二釵正冊』を目にしている場面です。『金陵十二釵正冊』は、黛玉や宝釵など、宝玉の周りの12人の美女の運命が克明に記された帳簿ですが、この時点では、宝玉は書かれている内容を理解できませんでした。しかし、宝釵との結婚と黛玉の死、科挙への合格などを経て、再び、太虚幻境を訪ね『金陵十二釵正冊』を目にした彼は、因果を悟り、出家をしてしまいます。したがって、『金陵十二釵正冊』は物語の展開にとって重要なカギとなる書物といえましょう。

 なお、マカオと書物の組み合わせという点でいうと、世界遺産にもなった何東図書館をはじめ、いくつかの図書館は切手にも取り上げられています。それらについては、「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」の雑誌連載では触れる余裕はないと思いますが、今秋、<切手紀行シリーズ>の第3巻として書籍化する時にはしっかりとご紹介する予定です。タイトルや発売日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いいたします。

 * 昨日午後、アクセスカウンターが71万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 第17回東京国際ブックフェアにて第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催

 僕が顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』は、彩流社および版元ドットコムの協力を得て今年は全国書店の取り扱いがグンと増えました。そこで、7月8-11日、東京ビッグサイトで開催の東京国際ブックフェア(地図はこちら)会場内特設スペースにて、7月10日(土)14時から、雑誌の内容をより多くの皆様に知っていただけるよう、フロア・オークションを開催いたします。(内藤はハンマーの担当です)

 皆様のご来場・ご参加を心よりお待ちしております。なお、オークションについてのお問い合わせ、カタログの入手方法などにつきましては、こちらまで、お問い合わせください。

 また、東京国際ブックフェアには入場料が必要ですが、事前にこちらまでお申し込みをいただくと、主催者側から入場無料となる招待券をお送りいたしますので、よろしくご活用ください。
 

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 時節柄ご注意を
2010-07-09 Fri 14:15
 1850年7月9日、当時のアメリカ大統領ザカリー・テイラーが現職のまま亡くなってきょうで160年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ザカリー・テイラー

 これは、1870年にアメリカで発行された5セントの通常切手で、ザカリー・テイラーが描かれています。

 テイラーは1784年、バージニア州生まれ。1812-15年の米英戦争に参加した後、ネイティブ・アメリカンの“討伐戦”で軍功をあげ、軍人としての昇進を重ねました。1846年には、当時のメキシコとの国境だったリオグランデ砦の攻防線で数に勝るメキシコ軍を撃破。これを機に米墨戦争がはじまるとリオグランデ川を渡り、メキシコ軍に大打撃を与えて、アメリカに勝利をもたらしました。この結果、新たにアメリカの版図に加えられたのが、カリフォルニアやネバダやユタなどです。

 こうして、米墨戦争の英雄となった彼は、1848年の大統領選挙でホイッグ党に担がれるかたちで立候補し、当選しましたが、1850年7月4日、独立記念日の式典の後、猛暑の中で、サクランボと牛乳を食べ過ぎて体調を崩し、同月9日、重度の消化不良で亡くなりました。

 生粋の軍人として鍛え上げられた肉体を持ち、現職の大統領として健康管理に関しては周囲が万全の態勢を取っていても、食あたりになり、命を落としてしまうこともあるんですねぇ。食中毒が発生しやすい時期でもありますし、皆さんもお気を付け下さい。

 なお、テイラーをはじめ、米墨戦争の英雄たちについては、拙著『大統領になりそこなった男たち』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 第17回東京国際ブックフェアにて第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催

 僕が顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』は、彩流社および版元ドットコムの協力を得て今年は全国書店の取り扱いがグンと増えました。そこで、7月8-11日、東京ビッグサイトで開催の東京国際ブックフェア(地図はこちら)会場内特設スペースにて、7月10日(土)14時から、雑誌の内容をより多くの皆様に知っていただけるよう、フロア・オークションを開催いたします。(内藤はハンマーの担当です)

 皆様のご来場・ご参加を心よりお待ちしております。なお、オークションについてのお問い合わせ、カタログの入手方法などにつきましては、こちらまで、お問い合わせください。

 また、東京国際ブックフェアには入場料が必要ですが、事前にこちらまでお申し込みをいただくと、主催者側から入場無料となる招待券をお送りいたしますので、よろしくご活用ください。
 

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 “漢江の奇跡”の原資
2010-07-08 Thu 09:05
 きのう(7日)、仙谷由人官房長官が記者会見で、日韓基本条約(1965年締結)で韓国政府が日本の植民地をめぐる個人補償の請求権を放棄したことについて「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。(日韓関係の)改善方向に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もある」と述べ、政府として新たに個人補償を検討していく考えを示したそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第2次五カ年計画(インターチェンジ)

 これは、韓国が第2次5ヶ年計画(1967-71)宣伝のために計画期間中の1968年に発行した切手で、インターチェンジが描かれています。

 1961年の“5・16革命”で政権を掌握した朴正熙は、政権掌握以前から日本との国交正常化の必要性を痛感していました。それは、経済開発のためには外資が必要であり、そのためには、アメリカに次ぐ大口の出資者として日本を引き寄せなければならなかったためです。

 このため、朴は政権掌握早々、日本との関係改善にむけて積極的に動き出し、はやくも1961年11月には、社会的な混乱が続く中、訪米の途上でみずから日本に立ち寄り、日本の首相・池田勇人と会談して日本との国交正常化に意欲を示しています。

 両国の国交正常化交渉の最大の難所は、いわゆる賠償問題でした。すなわち、自らを“対日戦勝国”であるとして、戦争賠償金を求める韓国側に対して、日本側は「韓国は合法的に日本の領土であったのであり、韓国と日本が交戦状態にあったことはない」としたうえで、韓国に対しては賠償を支払う義務は全くなく、むしろ、韓国独立に伴って放棄せざるを得なかった日本資産の補償を求める権利があると反論。李承晩の時代には、両国の主張は平行線をたどっていました。

 ところで、1963年に朴正熙政権が軍事政権から第3共和国に移転した時点で、韓国経済は危機的な状況にありました。すなわち、軍政時代の1962年度にスタートした経済開発5ヵ年計画(第1次5ヶ年計画)は、年平均7.1%の経済成長を目標としていたものの、実際には資金の不足とインフレの進行により目標を達成できずにいたばかりか、1963年は凶作のため米価が高騰し、これに引きずられるかたちでインフレが増進し、対外収支も悪化していたためです。

 このため、朴政権は、外資導入の手段として日本との国交正常化を何にもまして急ぎ、ともかくも日本からの資金援助を得るため、賠償問題を、韓国側の“請求権”に応じ、無償経済協力3億ドル、政府借款2億ドル等を日本側が支払うという形式をとることで、大筋での決着にこぎつけます。賠償ではなく請求権という語が用いられたのは、戦争による被害の賠償ではなく、植民地時代に累積した債権を韓国側が請求するということで政治決着がはかられたためでした。なお、この中には、いわゆる従軍慰安婦を含め民間人への補償も全て含まれています。じっさい、解放後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らは補償対象から除外したのは、ほかならぬ韓国政府です。

 ちなみに、当時の韓国の国家予算は約3.5億ドルですから、“請求権”によって得られた資金が、韓国にとっていかに巨額のものであったか、お分かりいただけると思います。こうした日本からの資金と、ベトナム戦争に派兵したことによって得られたアメリカからの経済援助をもとに、韓国政府は道路やダム・工場の建設などインフラや企業に集中的な投資を行い、“漢江の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を実現しました。それゆえ、“漢江の奇跡”の象徴して、しばしば切手にも取り上げられた高速道路やインターチェンジなども、もとをただせば、そのかなりの部分が日本からの資金によるものといえます。

 こうした経緯を考えれば、日韓基本条約に伴って日本から得た資金を、当時の韓国政府が個人補償に使わなかったからといって、それは韓国政府の判断(その判断が大局的にみれば誤っていなかったことは、その後の歴史が証明しています)によるもので、わが国がとやかく言うべき筋合いのものではありません。ましてや、韓国側から何らかの具体的な援助の要請があり(そういえば、ワールドカップのスタジアム建設費用も、最終的には日本がかなりの金額を援助しましたね)、その是非を議論をするというのならともかく、国際法上は完全に決着した“個人補償”の問題を、わざわざ、日本側が蒸し返すというのもおかしな話です。にもかかわらず、財政状況が厳しく、消費税の増税がホット・イッシューとなっている中で、あえて我々の血税を投入して新たな“個人補償”を検討するということは、そのことによって、よっぽどおいしい思いをする政治家がわが国には少なからずいるんでしょうな。やっぱり。


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 芭蕉は天の川を見たか?
2010-07-07 Wed 10:16
 きょうは七夕です。というわけで、天の川関連の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      荒海や~

 これは、1988年8月23日、「奥の細道」シリーズの第7集として発行された「荒海やら 佐渡によこたふ 天河」の切手です。天の川に関する俳句としては、おそらく、この句が一番有名なものでしょう。

 さて、この句は、元禄2年7月7日、新潟県直江津での佐藤元仙宅での句会での発句として掲出されたものですから、七夕がらみの句と言ってもよいでしょう。ただし、当日の直江津界周辺は朝から雨で、夜になっても降り止まなかったとされており、実際には、芭蕉は天の川を見ていないと考えられています。前日の6日、前々日の5日も雨で、星が見えたのは4日の夜ということですので、おそらく、芭蕉がこの句を思いついたのは、そのときのことと推測されます。ただし、7月4日の時点では、芭蕉は出雲崎におり、まだ直江津には入っていません。

 ちなみに、シリーズ監修者として、切手に取り上げる句の選定にあたった井本農一は、この句について次のように解説しています。

 出雲崎から眺めやる日本海の荒海のかなたに佐渡が島がある。そこは古来多くの人々が流罪にあって悲運を嘆いたり、また黄金が掘られたりして、人間の喜怒哀楽が渦巻いてきた島である。しかし今、夜空を仰ぎみると、そんな人間の些事とは無関係に、広々と澄んだ秋の夜空をかぎって、天の川が佐渡が島にかけて大きく横たわっている。地上には激しい波音を立てる荒海が広がっている。蒼古悠大な、古典的味わいのある句です。

 なお、この切手を含む「奥の細道」シリーズについては、拙著『昭和終焉の時代』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ポーランドのラクダ
2010-07-06 Tue 11:39
 4日(現地時間)に投票が行われたポーランドの大統領選挙は、与党「市民プラットフォーム」のコモロフスキ下院議長が当選を決めました。新大統領は、前政権の“愛国主義”を排して国際協調路線をとるのだそうです。というわけで、きょうはポーランドの国際協力にからんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シナイ半島PKO(ポーランド)

 これは、1977年、シナイ半島のPKOに参加したポーランド軍の野戦局から差し出されたカバーです。エジプトをイメージしたピラミッドとラクダのカシェが、なんともユーモラスで良い感じです。

 1967年の第3次中東戦争でエジプトはイスラエル相手に大敗を喫し、シナイ半島を失います。このため、1970年に発足したサダト政権は、短期決戦でイスラエルに軍事的な大打撃を与えて大国による和平の仲介を引き出し、シナイ半島を奪還するというプランを立てます。

 こうして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍がイスラエルに対して総攻撃を開始し、第4次中東戦争が勃発。開戦当初の三日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。

 アラブ側の優位は長くは続きませんでしたが、サダトの思惑通り、米ソが介入して10月22日には国連安保理で停戦決議(決議第338号)が採択されます。そして、停戦決議を受けて、12月22日、米ソ両国の主導により、ジュネーブで中東和平会議が開かれ、アメリカの国務長官だったキッシンジャーは、スエズ運河周辺とゴラン高原でアラブ、イスラエル両軍の兵力を引き離すための協定締結に向けて合同委員会を設置することを提案しました。

 これを受けて、1974年1月18日、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が調印されました。今回ご紹介のカバーのポーランドPKO部隊は、こうした状況の下で派遣されたものです。

 こうして、外交努力によるシナイ半島の奪還という目標が徐々に達成されつつあるのを確認したサダトは、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1978年9月、イスラエル首相のベギンとキャンプデービッド合意を結び、シナイ半島回復の悲願を達成しました。しかし、第3次中東戦争以来、イスラエルの占領下に置かれていたヨルダン側西岸とガザ地区に関してはイスラエル側の主張を追認せざるを得なかったことで、サダトは、自国の利益のためにパレスチナをイスラエルに売り渡したものとして、エジプトを除く全アラブ諸国から激しく非難され、周辺諸国から完全に孤立してしまいます。そして、1981年10月6日、第4次中東戦争の戦勝八周年記念式典で軍事パレードを閲兵中、イスラム原理主義運動の信奉者によって暗殺されるという悲劇的な結末を迎えることになりました。


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 ウイグル騒乱から1年
2010-07-05 Mon 16:47
 昨年7月5日に中国・新疆ウイグル自治区(中国領トルキスタン)で、いわゆる“ウイグル騒乱”(中国当局から見れば“暴動”でしょうが、ウイグル側から見れば、南京虐殺事件ならぬ“ウルムチ虐殺事件”ですな)から1年が過ぎました。というわけで、きょうはウイグルがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      新疆ウイグル自治区30年

 これは、1985年に中国が発行した“新疆ウイグル自治区30年”の記念切手の1枚で、油田と天池が描かれています。このうち、天池は有名な景勝地ですが、油田の方は特定の風景ではなく、一般的な油田のイメージとして描かれているのではないかともいます。

 さて、現在、中国の新疆ウイグル自治区となっている地域は、天然地下資源が豊かなことで知られています。

 たとえば、天山山脈とチベットとの境界の崑崙山脈に挟まれたタリム盆地の石油埋蔵量は10億トン、天然ガスは520億立方メートル、モンゴル国境のアルタイ山脈と天山山脈に挟まれたジュンガル盆地の石油埋蔵量は13億7000万トン、天然ガスは4100万立方メートルの埋蔵量にも達しています。また、アルタイ山系には銅、ニッケル、錫、鉛、亜鉛、アルミニウム、モリブデン、天山山系には石炭、鉄鉱石、盆地部分には石油・天然ガスのほか、金、銀、白金、パラジウム、ルテニウム、イリジウムなどの鉱産資源が豊富に埋蔵されています。

 さらに、トルクメニスタンの天然ガスやカザフスタンの原油は、いずれも、新疆ウイグル自治区のパイプラインを通じて中国沿岸部の工業地帯に運ばれることもあり、この地域の戦略的な重要性は中国にとって計り知れないものがあります。

 こうしたこともあって、中国側は新疆ウイグル自治区への漢族の移住を強く奨励し、ウイグルの漢族化を強烈に推し進めています。特に、近年、地下資源の開発ラッシュによって毎年2ケタの経済成長が記録されるようになると、ウイグルには多くの漢族企業が進出。自治区経済の9割以上をウイグル人ではなく漢族が握るようになっており、漢族とウイグル人の格差は拡大の一途をたどるばかりです。そのことが、ウイグル人の不満を増幅させ、昨年の騒乱の大きな要因の一つとなったことはいうまでもありません。

 今回ご紹介の切手は、まさに、ウイグルの石油は中国のものであることを高らかに宣言する内容となっているわけで、それだけに、ウイグルの民族主義者たちからすれば、許しがたいデザインの1枚といえそうです。

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 ルーマニアとアポロ計画
2010-07-04 Sun 12:49
 きょう(4日)はアメリカの独立記念日です。毎年、7月4日にはその時点での僕の最新作の中からアメリカがらみの切手を持ってくるのですが、『昭和終焉の時代』にはアメリカとストレートに結びつく切手がないので、その前の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』のなかから、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・アポロ

 これは、1972年にルーマニアで発行されたアポロ計画シリーズの1枚で、1969年の出来事としてアポロ11・12号を取り上げています。シリーズは、全9種で1972年までのアポロ計画の歴史をまとめられたもの。額面ごとの内容は、10バニ:アポロ1-3号(1967年)、35バニ:1967年の訓練中に亡くなった3人の飛行士、40バニ:アポロ4-6号(1967-68年)、55バニ:アポロ7-8号(1968年)、1レウ(=100バニ):9-10号(1969年)、1レウ20バニ:アポロ11-12号(1969年)、1レウ85バニ:アポロ13-14号(1970-71年)、2レイ(レイはレウの複数形)75バニ:アポロ15-16号(1971-72年)、3レイ60バニ:アポロ17号(1972年)となっています。

 東西冷戦下、ソ連とは距離があったとはいえ、東側諸国の一員であったルーマニアが、さかんにアポロ計画に関する切手を発行している背景には、ただ単に、宇宙切手が全世界的に人気のある、すなわち、外貨獲得のための輸出商品として利用価値があったからというだけではなく、アポロ計画の基礎を築いたのが“ルーマニア出身”のヘルマン・オベルトであったことも大いに関係しているものと思われます。

 オベルトはオベルトは1894年6月25日、当時はオーストリア・ハンガリー支配下にあったシギショアラ近郊のメディアスで生まれ、少年時代をシギショアラで過ごしました。11歳の頃、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』と『月世界へ行く』を読んで大いに感銘を受け、14歳の時には宇宙ロケットの模型を作り、独自に多段式ロケットを着想したそうです。

 1912年、医学を学ぶためにミュンヘン大学に進学しましたが、第一次大戦にぶつかり、東部戦線に送られます。1915年、彼は軍医としてシギショアラの病院勤務となりましたが、軍務のかたわら、無重力状態に関する実験を行うとともに、ロケット研究を再開。独自のミサイル構想を軍部に提案しています。

 第一次大戦後の1919年、オベルトはドイツに戻って物理学を学び直し、1922年にはロケット科学に関する博士論文を提出しましたが、内容が空想的として退けられてしまいます。当時の技術では、オベルトの理論はとても実現できないと考えられていたため、アカデミックな世界では彼の議論はほとんど無視されてしまうのですが、1928~29年にはベルリンで映画『月の女』に登場するロケットについての技術顧問に就任。この映画によって、ロケット科学の考え方は一般に広まり、オベルトも映画のプロモーション活動の一環として小型のロケットを作り、打ち上げています。そして、これを機に、オベルトの研究は一躍脚光を浴びるようになりました。

 第二次大戦中、オベルトはドイツ軍のためのロケット開発に尽力しましたが、戦後はその技術力が評価されてアメリカに渡り、1962年に引退するまで研究活動を続け、アポロ計画の礎を築きました。

 シギショアラのランドマークとなっている時計塔の内部は歴史博物館になっており、古代の生活用品、ルネサンス時代の家具、17世紀のガラス、18世紀の手術道具などとならんで、“ロケットの父”であるオベルトのコーナーもあります。また、街の中心部には“地元の名士”オベルトの名を冠したヘルマン・オベルト広場もあり、オベルトがドラキュラ同様、シギショアラの街にとって重要な人物であることがわかります。

 オベルトがドイツのニュルンベルクで93歳の天寿を全うしたのは1989年12月28日のことでしたが、独裁者チャウシェスクが銃殺されたのは、そのわずか3日前の12月25日でした。歴史にifは禁物とはいえ、もし、オベルトがあと数年、健康で生きながらえていたとしたら、彼が自由を取り戻した“故郷”に錦を飾るということもありえたかもしれません。

 なお、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』では、そうしたオベルトを狂言回しとしたルーマニア現代史の知られざる一面もご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 泰国郵便学(8)
2010-07-03 Sat 17:22
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第44巻第3号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回はラーマ6世(ワチラーウット)からラーマ7世(プラチャーティポック)への代替わりを中心に取り上げました。その中からこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ラーマ6世15年

 これは、1926年3月に発行されたワチラーウット即位15周年の記念切手で、国王の玉座が描かれています。本来なら未使用切手を持ってきたかったのですが、残念ながら、原稿の締め切りまでに間に合いませんでしたので、手持ちの使用済みを使いました。連載終了後に予定されている単行本化の際には、きちんと未使用切手に差し替えたいと思います。

 さて、ワチラーウットは、1925年10月、即位15周年を迎えました。これを記念して、翌1926年には即位15周年の記念式典が計画されていましたが、1925年11月26日、国王が突如崩御してしまいます。直接の死因は腸閉塞でしたが、もともと国王は糖尿病と腎臓病を抱えていたほか、ロンドン留学時代に盲腸炎をこじらせて数回にわたり開腹手術を受けた後遺症もあったといわれています。

 ワチラーウットには王位を継承できる子がなく、王位は弟のプラチャーティポックが継承します。

 プラチャーティポックは、1893年11月7日、チュラーロンコーン(ラーマ5世)と皇后サオワパーポーンシーの5男として生まれました。

 1906年、13歳でイギリスに留学し、イートン校で中等教育を終えた後、ウールウィッチ士官学校で軍事学を学び、1915年に帰国した後は陸軍に勤務し、兄で参謀総長のピサヌローク親王の副官などを務めた。ピサヌローク親王はワチラーウットのすぐ下の弟で、ワチラーウットは彼を後継者と考えていましたが、同親王は1920年に37歳で亡くなっています。

 1921年2月、病気療養のため欧州に出かけ、健康が回復すると、1921年末から1924年にかけてフランス陸軍大学に留学し、アメリカ、日本を経て帰国。バンコクの第2師団長に任じられました。

 しかし、留学中の1923年にはすぐ上の兄のペッチャブーン親王が、1925年には3番目の兄であるナコンラーチャシーマー親王があいついで亡くなったため、急遽、1925年2月に王位継承順位の第1位に昇格します。

 死の床にあったワチラーウットは、①生まれてくる子供が男子であれば、その子に王位を継承させ、プラチャーティポックが摂政として国王を補佐する、②女子であればプラチャーティポックが王位を継承する、との遺言を残していました。はたして、崩御の37時間前に生まれたワチラーウットの一粒種は、ペチャラットラーチャスダー王女であったため、プラチャーティポックがラーマ7世として王位を継承することになりました。

 ところで、ワチラーウット時代の末期、国王の濫費が原因で巨額の財政赤字が累積し、タイは財政危機に陥っていました。また、国王に取り入ることだけは巧みな侫臣・奸臣が少なからず大臣に就任した結果、大臣の任命者である国王に対する国民の非難は黙過できないレベルに達していました。

 こうした現状を打破するためにも、プラチャーティポックは、即位早々、5人の有力親王を最高顧問官に任命し、前国王ワチラーウットの治世下で極端に悪化した国家財政の再建に乗り出します。

 すなわち、具体的には、財政均衡が重視されて経費が削減され、1926年から28年にかけて、官庁組織の整理統合が進められ、陸軍の10師団は4師団に再編成されました。こうした財政再建策は一定の成果を収め、1926年から5年間、タイの国家財政は黒字となり、歳入もワチラーウット時代より増大しています。

 ところで、ワチラーウットの場合、即位戴冠式が行われたのは1911年12月2日のことで、1912年10月15日に彼の肖像を取り上げた最初の切手が発行されるまでの期間は11ヵ月弱です。この間、チュラーロンコーン時代の切手がそのまま使われていましたが、大量に発行されたチュラーロンコーンの肖像切手は、1912年10月までにすべてが消化されたわけではなく、その一部はプラチャーティポック治世下の1930年に加刷の台切手として用いられることさえありました。

 これに対して、プラチャーティポックの場合は、1926年2月25日に即位戴冠式が行われてから、1928年4月1日に最初の肖像切手が発行されるまでに2年以上の年月が経過しています。

 もちろん、この間に前国王・ワチラーウットの肖像切手がすべて消化されたわけではありませんが、在庫の処理は相当に進んだものと考えるのが自然でしょう。また、ワチラーウットの急死によって宙に浮いてしまったかたちの“国王即位15周年”の記念切手(本稿の冒頭で紹介した切手)に関しても、廃棄することなく、そのまま発行されています。これらもまた、緊縮財政と倹約の成果とみることも可能かもしれません。
 

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 パキスタンで連続自爆テロ
2010-07-02 Fri 21:17
 パキスタン東部ラホールで、現地時間の1日夜(日本時間けさ未明)、イスラムの聖者廟に集まっていた数百人の信者を狙った3件の自爆テロが相次いで発生し、少なくとも42人が死亡、170人以上が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方にはお見舞い申し上げます。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブット追悼カバー

 これは、2008年にパキスタンで発行されたベーナズィール・ブットーの没後1周年の切手と彼女の国連人権賞受賞の記念切手が貼られたカバーです。

 近代以降のイスラム世界初の女性首相となったブットーは、2007年12月、首都イスラマバード郊外のラーワルピンディーで開催された選挙集会で、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺されました。その意味では、パキスタンにおけるテロの深刻さを象徴するような人物といってよいかもしれません。

 ただし、ブットーは必ずしも一貫して反原理主義・反テロの立場をとっていたわけではなく、1990年から1993年にかけての第2次政権期に、アフガニスタンのタリバン勢力を支援していたことがあります。当時、隣国のアフガニスタンは内戦状態でしたから、ブット政権としては、タリバンがアフガニスタンを安定させ、それにより、パキスタンと中央アジアとを結ぶ通商ルートが開かれることを期待していたようです。また、内戦を通じてアフガニスタンにイランの影響力が扶植されるのを防ぐためにも、パキスタンから見れば、親イラン派への対抗勢力としてタリバンを支援することは十分に意味のあることでした。

 こうしたことから、ブット政権はタリバンに軍事的・経済的支援を与え、タリバンは急速に勢力を拡大していきます。しかし、タリバンが支配地域であまりにも原理主義的な政策を展開していることが世界的に知られるようになると、ベナズィール側はタリバン非難を始めます。これに対して、タリバン側も女性政治家であるベナズィールを非難。こうして、ベナズィールとタリバンの関係は決定的に悪化しましたが、ベナズィールの退陣後も、パキスタンによるタリバン支援は継続され、1996年9月、タリバンはカブールに入城することになります。

 さて、ベナズィール暗殺後の選挙は、彼女の弔い合戦の様相を呈し、2008年1月の投票では、彼女の長男で当時19歳のビラーワルを新総裁に、その父親(つまり、ベーナズィールの夫)のザルダーリーを総裁代行に据えたパキスタン人民党が第一党を獲得し、同年7月、ザルダーリーが大統領に就任します。ちなみに、ザルダーリーは、ベーナズィール内閣で閣僚を務めましたが、関連予算の10%を常に着服しているとされ、“ミスター10%”と呼ばれていた人物。汚職で有罪判決を受け、1996~2004年まで8年にわたって獄中生活を送っていたこともあります。

 その彼が、ベーナズィールを“殉教者”に仕立て上げ、大統領のイスに座っていることに対しては、当然のことながら、パキスタン国内でも根強い批判があるわけで、そのことがますますパキスタン情勢を不安定しにているという面は否定できないと思います。

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