内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 目打があってもなくても④
2010-09-30 Thu 11:28
 ご報告が遅くなりましたが、東京郵便切手類取引所(TOPHEX)による『スター☆オークション』(10月2日実施)のカタログ第12号ができあがりました。僕が担当しているオマケの読み物は、ジョルジュ・バルトーリの郵趣コラム集 Avec ou sans dents (邦題『目打があってもなくても』)に所収のコラムをご紹介する第4回目。今回は、下の切手にまつわるエピソードを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ボヘミア・モラビア1     ボヘミア・モラビア2

        ボヘミア・モラビア3     ボヘミア・モラビア4

 ドイツとオーストリアに隣接したズデーテンラントはドイツ系住民が多く、ドイツによる領土要求の結果、1938年9月30日に行われたミュンヘン会談によって、ドイツへの割譲が決定されます。ミュンヘン会談ではハンガリー王国やポーランドへの係争地域の割譲も求められたため、チェコスロヴァキア国内の民族運動は激化。5ヵ月後、チェコスロバキア東部のスロヴァキアとカルパティア・ルテニアが独立を宣言し、スロヴァキア共和国とカルパト・ウクライナ共和国が成立。さらに、残ったチェコ地域に関しては、ドイツがこれを併合し、1939年3月15日、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置しました。

 こうして、チェコスロヴァキアが解体されるなかで、占領当局は新たに発足した保護領の正刷切手制作をチェコ人に命じます。命令を受けたデザイナーと彫刻家は、おとなしく占領当局の命令に従うふりをして、チェコスロヴァキアの復活を願う意図を込めて、さまざまな仕掛けを施しました。たとえば。上の4枚の切手の雲や林の輪郭を左下のようにつなげると、ドイツによって消滅させられたチェコスロヴァキア地図の輪郭が浮かび上がるようになっています。また、切手の随所には、チェコスロヴァキア共和国初代大統領のマサリクや後継大統領のベネシュ、国民的英雄であったミラン・シュテファニク将軍の肖像なども隠されています。(右下は、その一例で、50K切手に隠されている“顔”の部分です)

        チェコスロヴァキア地図     50Kの顔

 ボヘミア・モラビアの切手は未使用は大量に残されており、安価に入手できますので、チェコ・レジスタンスの隠された痕跡を探して遊んでみるのも面白いかもしれません。

 それにしても、わが日本政府は、北方領土や竹島、尖閣諸島など、領土問題で弱腰の姿勢を取り続けており、切手というメディアを通じて自国の領土を内外に宣伝するという、当たり前のことができない状況が何十年も続いています。こういう情けない状況に対して、切手デザイナー諸氏は、今回ご紹介したボヘミア・モラビアの事例を見習って、せめて、切手の中に他国の侵略を受けている地域の地図のシルエットなどを入れてくれると良いんですがねぇ。まぁ、デザイン上の理由か何か知りませんが、択捉島を外した日本地図の切手を何度も発行してきたような人たちに、あまり期待はできんでしょうな。

 なお、そうした日本の領土問題と切手政策については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 切手収集の労働者への支援
2010-09-29 Wed 17:43
 きのう(28日)、ロシアのメドベージェフ大統領は“信頼できなくなった”として、モスクワのユーリー・ルシコフ市長の更迭を決定しました。経済無策と尖閣問題で“信頼できなくなった”政府が居座り続けている国の国民としては、ある種のうらやましささえ感じますな。もっとも、こういう独裁的な政権の主を国民が真に信頼しているかどうかは全く別の問題ですが…。というわけで、きょうはロシア切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         切手収集の労働者への支援

 これは、ソ連発足直後の1923年に発行された“切手収集の労働者への支援”の加刷切手です。

 1917年11月、ロシアで社会主義革命が勃発し、ソヴィエト労農臨時政府(ボリシェヴィキ政権)が誕生します。

 そもそも、私有財産制度と階級秩序を否定し、無神論を掲げる社会主義・共産主義とその信奉者は多くの国々で既存の体制と衝突しており、ロシア国内でもボリシェヴィキ政権に抵抗する白軍がシベリア各地で蜂起し、ロシアは内戦状態に陥りました。

 一方、ボリシェヴィキ政権が、1917年12月、帝政時代の債務を一方的に破棄し、外交上の密約を曝露したうえ、翌1918年3月、無併合・無賠償の原則を掲げてドイツと単独講和を結んだことで、列強諸国は激怒。ボルシェヴィキ政権に対する敵意をあらわにし、白軍を支援する干渉出兵を行うとともに、同政権に対する経済封鎖を発動します。

 こうした状況の下で、ボリシェヴィキ政権は、戦時共産主義と称して、あらゆる企業を国営化するとともに、農民から“余剰”農産物を強制的に徴発。私企業を禁止して、国民に対しては食糧・日用品を配給し、反対者は容赦なく処罰してました。しかし、強引な社会主義化政策は既存の社会を疲弊させ、貨幣は事実上無価値となり、経済は停止状態に陥ります。このため、1921年3月21日には、穀物の強制徴発を廃し、中小企業の民営化を認めるなど、市場原理を部分的に許容する新経済政策(ネップ)が導入されました。

 ネップの実施による経済再建政策の一環として、ボリシェヴィキ政権は、飢餓救済などの名目でさかんに寄付金つき切手を発行しましたが、内戦に勝利を収め、1922年12月にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立を宣言した後の1923年5月1日には、今回ご紹介しているような“切手収集の労働者への支援”と題する寄付金つき切手も発行しています。

 切手は、既存の切手に発行日の日付と“切手収集の労働者への支援”の文字、さらに、額面と寄付金(額面と同額)を加刷したもので、モスクワのみで5月1日に限って発売されました。

 ソ連に限らず、共産主義諸国における切手収集家の立場には微妙なものがありました。というのも、彼らは、切手を政治宣伝(および資金獲得)の手段としてとらえ、自国の切手の収集を国民に奨励する一方で、切手の売買や交換などにより収集家が海外と接触したり、入手した外国切手を通じて当局が秘匿している情報を得たりすることに対しては強い警戒感を抱いていたためです。

 したがって、“切手収集の労働者への支援”の切手には、切手を通じた寄付金の献納というかたちで、一般国民に対して切手収集が国策に適うものであることを示すとともに、切手収集家に対して国家に対する忠誠と協力を要求するという意味が込められていたとみることもできます。

 さて、ロシアではプーチン前政権時代の2004年以来、自治体の首長が公選制から大統領による事実上の任命制となっており、2012年の大統領選に向けて、メドベージェフ大統領は最近、ベテラン首長を相次ぎ辞任に追い込むことで、地方に忠誠を誓わせようとしているとされています。どうやら、体制が代わっても、上の者が下の者に忠誠と協力を露骨に要求するといのが、ロシア人の気質のようですな。

 なお、この切手を含め、旧ソ連の切手政策の一端は、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 高祖父と玄孫
2010-09-28 Tue 20:58
 北朝鮮の金正日・労働党総書記が、きのう(27日)、三男のジョンウン(漢字表記だと正銀か?)らに人民軍大将の称号を与える命令を下しました。北朝鮮の公式報道に金正銀の名が登場したのは初めてで、彼が金正日の後継者になることが事実上確定しました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         金輔鉉

 これは、2001年に北朝鮮が発行した金輔鉉生誕130年の記念切手(小型シート)です。

 今回、金正日の後継者となることが確定した金正銀にとって、建国の父である“首領様”こと金日成(本名:金成柱)は祖父にあたりますが、その金日成の祖父が金輔鉉です。したがって、金正銀と金輔鉉の関係は、曾祖父と曾孫よりさらに一代離れた高祖父と玄孫ということになります。

 さて、金輔鉉は、1871年、朝鮮平安南道大同郡で、小作農の金膺禹の長男として生まれました。生家は非常に貧しく、父親は生活は1860年代に平壌在住の大地主・李平澤の家の墓守になり、墓所近くの高台の一軒家を借りて生活していました。ちなみに、当時の朝鮮では墓守は賤業とみなされていました。

 父親は輔鉉が7歳のときに亡くなったため、彼は父の後を継いで墓守を兼ねた小作人として生計を立てることになり、李寶益と結婚して、長男の亨稷(金日成の父)、二男の金亨禄、三男の金亨権などの3男3女をもうけています。ちなみに、北朝鮮の公式見解では、輔鉉は“小作農として生まれ、数々の苦心の中で生きながら、子や孫たちに愛国心を教えその活動を熱烈に支援した人物”ということになっていますが、妻の李寶益は、金日成が抗日闘争の名目で強盗放火殺人事件(北朝鮮側の表現でいう普天堡戦闘)を起こした際には、日成の弟にあたる孫の英柱とともに、日成に日満側への投降を呼びかけていますから、どちらかといえば、孫の行状には批判的だったのではないかと思います。

 大戦後のソ連軍占領下で、ソ連に逃れていた彼の孫“抗日の英雄・金日成”将軍として平壌に姿を現しますが、朝鮮語が下手くそだったことにくわえ、“伝説の抗日英雄”にしては年齢があまりにも若すぎる(当時“金日成”は33歳)だったことで、人々の間に偽者説が広がります。このため、あわてたソ連占領当局は、1945年10月15日に金日成を万景台に住んでいた実家に訪問させ、抗日として戦っていた戦歴の口裏を合わす工作を行ったことが明らかになっています。

 ところが、祖父の輔鉉は誠実な人であったため欺瞞に耐えられず、後日、平壌で行われた金日成将軍の凱旋祝賀会には欠席。孫が北朝鮮国家を建設し、親族を要職に登用したことに対しても批判的で、みずからは生涯、万景台で農夫として生活し、1955年9月に亡くなりました。

 金輔鉉はこういう人物でしたから、存命であれば、自分の孫だけでなく、その孫までもが権力を世襲する金王朝のあり方には、草葉の陰から苦々しく思っていることでしょうし、そもそも、自分の切手が発行されることさえ喜ばなかったに違いありません。金王朝の当主である曾孫や、その後継者となるであろう玄孫の枕元に立って、3代にわたって人民の膏血を絞りとって蓄えた財産を返還し、一介の農夫兼墓守に戻れと説教してほしいものです。

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 マカオ消防局の飛鷹
2010-09-27 Mon 23:13
 プロ野球のパリーグはソフトバンクが優勝しました。というわけで、きょうは、現在制作中の『マカオ紀行』(仮題)の中から、鷹がらみの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     澳門消防局

 これは、2001年に発行されたマカオ消防局の小型シートで、シートの左側には“飛鷹”の紋章が描かれています。

 マカオにおける近代消防制度は、1883年、澳門消防隊が発足したことに始まります。それ以前のマカオの消防は、民間で臨時に消防隊が組織されるほか、兵士が臨時に駆り出され水車(消火ポンプを積んだ大八車)を使って消火にあたる消防督察があるのみでした。

 消防隊の長官にあたる初代の督察には、ポルトガル軍の将校、コンスタンティーノ・ジョゼ・デ・ブリトーが就任。1915年12月、本格的な消防署として救火館が聖ドミニコ教会の近くに設けられ、1917年には最初の消防自動車がイギリスから輸入されています。さらに、1923年10月3日にはプロテスタント墓地近くの連勝馬路に3階建ての消防總局指揮大楼が建てられました。この建物は、1938年にシロアリの害によって床が崩れおちましたが、内部は改修され、現在では消防博物館として用いられています。

 博物館内には、1949年製ならびに1950年製のクラシックな消防車(下の画像左)のほか、消防士の制服や装備、消火器具・技術の変遷などを紹介した展示があり、天井からはポルトガル時代と返還後の消防隊旗(いずれも飛鷹ですが、抱えている紋章が変えられています)が下げられていて(下の画像右)、なかなか見ごたえがあります。

      マカオ・消防車     澳門消防博物館

 なお、マカオでは、かつて毎年8月18日の消防隊設立記念日を“消防隊日”として記念行事を行ってきましたが、返還直前の1999年8月、北京政府は、消防隊設置の根拠となった消防法の規定に「ポルトガル王の詔勅によって」という一節があるのを“植民地主義”としてマカオ側に圧力をかけ、返還後に記念日を廃止させています。

 たしかに、マカオを取り戻した北京政府としてはポルトガル時代の残滓はできる限り排除したいのでしょうが、“捨己救人”をスローガンに日夜頑張っている消防隊員にしてみれば、新たな支配者によって一方的に記念日を剥奪されるというのは内心、納得できなかったのではないかと思います。もっとも、昨今の尖閣の事例を見るまでもなく、“捨人救己”をモットーとしてきた北京政府に、そのあたりの配慮を求めるのは無理なことなのでしょうがね。


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 函館で思ったこと
2010-09-26 Sun 23:14
 さきほど、無事に函館から戻りました。現地でお世話になった方々には、あらためてお礼申し上げます。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      函館の夜景(切手)     函館の夜景

 さて、上の画像左側は、昨年(2009年)発行された函館開港150年の記念切手のうち、函館山から見た夜景を取り上げた切手で、右は、実際にきのう(25日)、切手とほぼ同じ構図で撮影した夜景です。素人写真では、なかなか夜景の美しさが上手く再現できないのが残念なのですが、ご容赦ください。

 函館山の夜景見物へは、知人と一緒にタクシーで行ったのですが、途中、タクシーの運転手さんが函館の街の歴史を説明してくれるのを聞いていて、あらためて、かつての国防の拠点として函館が持っていた重要性を再認識させられました。
 
 すなわち、18世紀中頃からロシア人が蝦夷地に現れるようになると、幕府は、それまで松前藩領だった蝦夷地の大半を直轄地とし、函館に箱館奉行、松前に松前奉行を置き、東北6藩から出兵させて蝦夷地を警備させています。その後、蝦夷地は松前藩の支配下に戻されますが、松前城下に6ヶ所、箱館6ヶ所、江差2ヵ所のほか、白神岬・吉岡村・矢不来・汐首岬にも砲台を設け、各地に勤番所を設置するなど警備を充実させました。

 1854年に日米和親条約が締結し、箱館が補給港として開港されると、箱館を含む渡島半島東部は再び幕府の直轄領となり、1866年には箱館に洋式の城郭である五稜郭を完成させています。

 さて、わが国の領土である沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国“漁船”による領海侵犯と海上保安庁への攻撃事件で、金曜日の夕方、逮捕されていた中国船の船長が釈放されました。金曜日の夕方から土曜日の午後まで、函館への移動その他で、まったく報道に触れられなかったため、土曜日の午後になってようやくこの話を知ったわけですが、心底、暗澹たる思いです。

 かつての江戸幕府が不平等条約を押しつけられたり、日清戦争後の三国干渉で遼東半島の領有権を放棄させられたりした事例にみるように、わが国の国力が欧米列強に比して劣っているがゆえに、屈辱的な条件を呑まざるを得ないということは、過去においてもありました。残念ながら、アジアの狂犬ともいうべき侵略国家、中華人民共和国とわが国の軍事力を冷静に比較した場合、わが国が劣勢におかれているのは否定できないでしょうから、彼らの横暴も甘受せざるを得ないという意見もありうるかもしれません。(僕はそうした考え方には決して与しませんが)

 しかし、仮に、一時的に屈服を余儀なくされたとしても、それ以上の侮りを防ぎ、国家として雪辱を果たすための努力が行われているというのであればいいのですが、現在の日本国政府は、無為無策のまま、侵略国家の恫喝におびえて右往左往しているだけにしか見えないのがなんとも口惜しいかぎりです。かつての江戸幕府がロシアに備えて(決して十分ではなかったかもしれませんが)函館の守りを強化したように、かなり前から中国による尖閣周辺の侵略が懸念されていたのであれば、石垣島に自衛隊を配備するのはもちろん、周辺海域で中国を仮想敵国とした日米共同軍事演習を実施し、景気対策も兼ねて防衛関連予算を倍増させるくらいのことをやるべきだったと思っているのは僕だけではないはずです。

 そもそも、隣国同志の国益は基本的に対立しているわけで、彼らが国益を追求すればするほど、わが国の国益が損なわれるのは自明のことです。わが国の現憲法は諸外国の“善意”に自国の存立基盤を置いていますが、少なくとも、すぐ近くにある侵略国家がそうした善意を微塵も持ち合わせていないことに、いい加減、気がつくべきではないでしょうか。予想通り、わが国領土への侵略の尖兵となった船長をむざむざ釈放してしまった結果、中国側は謝罪と賠償を要求してきています。

 こうした相手に対しては、江戸幕府の無二念打払令を復活させ、領海侵犯に対しては問答無用で撃沈するくらいのことをやって見せないといけないと思うのですが、そのために各種の法改正をし、防衛力を増強して…と必要なことをやっていると、いまのペースでは気の遠くなるような時間がかかりそうです。その頃には、尖閣諸島はおろか、沖縄までも失うということになっていなければ良いのですが…。


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 函館に来ています
2010-09-25 Sat 12:40
 きょう(25日)は、(財)日本郵趣協会の会員大会で函館に来ています。おかげさまで、昨年完結した拙著<解説・戦後記念切手>シリーズ(全7巻+別冊1)が郵趣文献賞を受賞いたしましたので、大会で行われる授賞式に参加するのが最大の目的です。というわけで、戦後の記念切手の中から、函館がらみのこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         青函トンネル切手帖

 これは、1988年7月8日に発行された“青函トンネル開通”のゆうペーンです。

 在来線の津軽線中小国駅と江差線木古内駅を結ぶ津軽海峡線として、青函トンネルが開業したのは1988年3月13日のことでしたが、当日は日曜日だったため、記念切手は前々日の11日に発行されました。

 この記念切手は、トンネルに対する国民的な関心の高さもあって、当初から人気を集めていたため、東北郵政局では、青函連絡船の廃止と津軽海峡線の開業(青函トンネルの開通)にちなんで、青函トンネル開通の記念切手五枚に表紙をつけた16頁の「青函切手帳」1部500円で3万部発売しています。

 こうした事情に加えて、オリジナルゆうペーン用のペーンをバラエティ豊かなものとしたいという郵政省の意図もあって、7月8日、青函トンネル開通記念の切手十枚を組み合わせた“青函トンネル”ペーンが発行されたわけです。なお、ペーンの発行日は青森市と函館市で開かれる青函トンネル開通記念博覧会(青森EXPO’88ならびに函館EXPO’88)の会期初日で、ペーンは実質的に同博覧会の記念ペーンという位置づけでした。

 さて、今回の函館行きですが、市民マラソンと重なったとのことで、ちょうどいい時間帯の飛行機のチケットが取れなかったため、東京から寝台車を使いました。当然のことながら、青函トンネルも通ってきたはずなのですが、列車が函館に着く直前まで爆睡していましたので、残念ながら、トンネルの出入り口を見逃してしまいました。帰りは昼前に函館を発ちますので、今度はしっかりとトンネルを拝んでくるつもりです。


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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2010-09-24 Fri 12:41
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第10号(2010年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

         チョコ(ベルギー)

 これは、1999年にベルギーで発行された“ベルギーのチョコレート”の切手の1枚です。

 ヨーロッパ諸国の中で、チョコレートが重要な輸出産業となっている国は、たいてい、自国のチョコレートを広く諸外国に宣伝するための切手を発行しています。数多くの高級ショコラティエ(チョコレート工房)を有するベルギーの場合も例外ではなく、1999年には“ベルギーのチョコレート”と題して、今回ご紹介のモノに加え、チョコレートの主原料となるカカオの収穫場面の切手とチョコレートを作る女性職人を描く切手の計3種セットを発行しています。

 ところで、今回ご紹介の切手に描かれているチョコレートが板チョコではなく、一口サイズのものになっているのにお気づきでしょうか。

 現在でこそ、一口サイズで中にクリームやリキュール、マジパンなどを詰めたプラリーヌ(日本ではプラリネと呼ばれることが多いようです)チョコレートは世界中どこでも見られますが、このタイプのものは、1913年にベルギーのジャン・ノイハウスが、ナッツ類に飴をからませ、ペースト状にしたものをチョコレートの中に包み込んだのが始まりです。

 もともと、プラリーヌとは焙煎したナッツに砂糖がけしたもののことで、17世紀フランスの貴族セザール・ガブリエル・ド・ショワズール=プラズランの料理人、クレマン・ラサーニュが考案し、雇い主にちなんでプラズリーヌと名付けたのが、プラリーヌとして広まったとされています。ノイハウスのプラリーヌは、それをチョコレートに応用したものといえましょう。

 プラリーヌは外側からだけでは中身がわからないため、中身に応じて色や形を変えています。今回ご紹介の切手のトレイに載せられているプラリーヌもさまざまな色や形のモノがあり、ベルギーチョコの視覚的な楽しさを見る者に訴えています

 ところで、切手の説明文は“Belgian Chocolate”と英語表記になっていますが、これは、同国が抱える深刻な言語間対立のため、中立的な言語として英語表記を用いざるを得ないためです。このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 マカオで亡くなった英国人画家
2010-09-23 Thu 22:01
 今日は彼岸の中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。1週間ほど前、マカオのプロテスタント墓地の話を書きましたが、この墓地の中で一番目立っていたのが、下の画像のジョージ・チネリー(イギリス人画家)の墓でした。

         ジョージ・チネリーの墓

 で、その“チネリーの見たマカオ”と題して1994年に発行されたのが、下の切手(小型シート)です。

         ジョージ・チネリー

 チネリーは1774年、ロンドン生まれ。イングランドで修業を積み、アイルランドでは肖像画家として人気を博したが、借金ゆえに1802年にカルカッタに渡りました。その後、彼の地のイギリス人社会で最も人気のある肖像画家としての地位を確立したのですが、生来の浪費癖のゆえか、ふたたび借金まみれになり、1825年に広州に逃れてきます。その後、拠点をマカオに移し、1852年に亡くなるまで、香港、マカオ、広州など華南地域の風景画を数多く残しました。その中には、大火に遭う前の聖ポール天主堂を描くものもあるなど、芸術性のみならず、史料的に価値の高いものも含まれています。

 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、そうしたチネリーの作品を取り上げた切手もご紹介しながら、マカオの歴史散歩を試みています。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 日付の改竄
2010-09-22 Wed 09:50
 郵便不正事件に絡み、厚労省・村木厚子元局長が偽の証明書を発行した罪などに問われ、無罪判決を受けた事件で、大阪地検特捜部の主任検事・前田恒彦が証拠となるフロッピー・ディスク内の文書の日付を改竄していたことが発覚し、逮捕されました。なんともひどい話ですが、困ったことに“日付の改竄”は切手の世界ではしばしばあります。というわけで、きょうはその一例を御紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         軍政庁時代・後押しカバー     後押し部分拡大

 これは、1946年5月1日に、米軍政下の南朝鮮(大韓民国はまだ発足していません)で発行された“解放切手”が貼られた封筒とその部分拡大で、京城中央(現ソウル中央)の初日印が押された格好になっています。念のために申し上げておきますが、切手・消印・封筒はいずれも当時のホンモノで、ニセモノではありません。

 もっとも、これが実際に郵便物として差し出され、配達されたかというと、かなり疑わしいところがあります。まず、使われている封筒は“朝鮮総督府逓信局”の通信事務用のものですが、すでに朝鮮総督府は消滅していますので、当時の朝鮮人がこの封筒を使ったのであれば、“朝鮮総督府”の表示を消して、新たな部署の名前で差し出すのが自然でしょう。担当者の個人名が書いていないのも不自然です。

 ついで考えられるのが、朝鮮総督府時代の封筒を利用し、切手発行当日に切手を貼って消印を押し、後から宛名だけ書いたというケースですが、それにしては宛名の文字と消印が近寄りすぎています。すでに消印が押されているところに宛名を書くのであれば、もう少し、両者の距離は離れているのが自然ではないでしょうか。それに、封筒の下部に押されている紫色のカシェは、宛名の上から押されていますので、宛名を書いてから切手を貼り、消印を押したと考えるのが自然なように思われます。

 このようなカバーが生まれるようになった背景には、1950-60年代にかけて、韓国では郵便局側が切手商や収集家に対して、レンタル料を取って消印の印顆を貸し出していたという事情があります。当時、韓国国内では、日本時代に使われていた昭和切手(解放後の南朝鮮でも使われていた時期があります)ハングル加刷切手、解放切手の未使用は大量に余っていて、なおかつ、1950-53年の朝鮮戦争によるインフレで額面上の価値が紙クズ同然となっていました。これに対して、それらの切手のきちんとした使用済みやカバーは非常に少なく、未使用に比べてはるかに高値で取引されています。

 そうなると、当然のことながら、安い未使用切手に、発行当時に日付を戻した消印を押して使用済みやカバーを作ってひと儲けしようと考える輩が出てきます。当時の韓国の郵便局では、おそらく、こうした連中から“袖の下”をもらって消印の印顆を貸し出していたのでしょう。あるいは、「消印を貸し出すだけでなにがしかの収入が得られるのなら、お安い御用だ」とばかりに、郵便局側があまり深く考えずに組織として消印を貸し出していたということなのかもしれません。

 いずれにせよ、解放直後の京城中央や光化門の消印が押されたカバーは、局内使用の料金受領証原符や逓送途中の中継印や到着印、占領当局の検閲の痕跡などが残っていないモノに高いお金を払うのは止めておいた無難です。

 それにしても、香港のルース・カバーもそうですが、切手も消印もホンモノだけれど、カバーとしては“ホンモノではない”というケースは非常に厄介です。検事による証拠の日付改竄に比べれば罪が軽いといわれればそれまでですが、実に頭の痛い問題ですな。
 

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 切手に描かれたソウル:弥勒菩薩像
2010-09-21 Tue 11:45
 『東洋経済日報』9月17日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は国立中央博物館の弥勒菩薩像を取り上げましたが、きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         韓国国立中央博物館開館

 これは、2005年に発行された“韓国国立中央博物館移転開館記念”の切手で、博物館の新庁舎を背景に国宝第83号の弥勒菩薩像が取り上げられています。

 韓国には著名な金銅弥勒菩薩半跏思惟像(椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿)として、国宝第78号と同83号があります。最初に切手に取り上げられたのは、第78号のほうで、朴正熙政権発足間もない1962年に50チョン切手に取り上げられています。一方、第83号を取り上げた最初の切手が発行されたのは、書状の基本料金が10ウォンだった1969年のことでした。

 第83号については、わが国の奈良・広隆寺の弥勒菩薩像と①宝冠が無紋で王冠形、②右膝を大きく誇張し、裳が二重に巻かれている、③左脛に衣紋が無い、などの類似点があるため、第83号が広隆寺の像のルーツだと主張する韓国人が多いのですが、そもそも、韓国の国宝第83号の制作年代が特定できておらず、広隆寺の像が第83号そのものを模倣して作られたと断定するのは無理があります。ちなみに、第83号は金銅像ですが、広隆寺の像は木造で、韓国には818年以前の木造仏は残されていません。

 さて、第83号の仏像は博物館3階の彫刻・工芸館の一番奥の仏教彫刻の展示室で拝めます。暗い室内にスポットライトで浮かび上がる仏像は、なんともいえない神秘的な姿で、さすがに、博物館のホームページで“世界最高傑作の一つとして挙げられる”との形容詞がつけられているのもうなずけます。ただし、像の撮影はOKなのですが、フラッシュを使用してはいけないということで、僕が使っている安物のデジカメでは綺麗な写真が撮れないのが残念です。第83号の切手は、このブログでご紹介していないモノもまだありますので、いずれ実物の写真を取ってきて並べてご紹介したいところです。

 なお、今回ご紹介の第83号をはじめとする弥勒菩薩像の切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 鄭觀應と鄭家大家
2010-09-20 Mon 22:15
 昨日の記事では、リビアのカダフィ大佐を取り上げたのですが、どうも“老人”っぽくありませんでしたね。というわけで、きょうは、“敬老の日”特集の仕切り直しということで、現在制作中の『マカオ紀行』(仮題)の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
         
         鄭觀應

 これは、2002年にマカオで発行された鄭觀應生誕160年記念の小型シートです。切手に描かれている肖像のヒゲはしっかりと白くなっており、老思想家の風格が伝わってきます。

 鄭觀應は1842年にマカオで生まれた開明思想家で、清末の洋務運動(西洋近代の科学技術の導入による国力増強を目指した改革運動)の中心人物として知られる李鴻章の側近として活躍しました。その著書『盛世危言』「練兵」では、清朝が西洋式の軍事訓練を導入して10年経ってもその効果が出ないのは、指揮官に軍事諸学についての理解がなく、ただ西洋人を招いて教習し、歩伐整斉・槍炮命中をスローガンにしているだけだからだと指摘するなど、“近代”に適応するためには中国社会の本質的な変革が必要だと主張し、孫文や毛沢東にも大きな影響を与えたとされています。

 マカオ半島南西部、リラウ広場近くにある彼の旧宅・鄭家大屋は、1869年、父親の鄭文瑞によって建てられ、鄭觀應とその兄弟たちによって規模が拡大され、敷地の総面積約4000平方メートルの大邸宅となりました。

 建物はふたつの四合院(真中の庭を囲んだ四棟からなる中国の伝統的な住宅)と召し使いの居住スペース、正門建築物などが建てられており、最大で300人が起居できたといます。また、黒レンガが主な建材としてつかわれており、中国の伝統的な住宅の中に、西洋的な要素も随所に加味されています。

 2001年にマカオ政庁が買い取ったときには痛みが激しかったのですが、鄭觀應の生誕160周年にあたる翌2002年(今回ご紹介のシートが発行された年ですな)から大規模な修復工事が行われ、その完成を待って、2010年から一般公開されています。

 切手では、背景にメインの建物である餘慶堂が描かれています。“餘慶”とは鄭觀應の父・文瑞の号で、建立者である彼をたたえて建物の名前とされました。ただし、正面に掲げられている扁額にちなんで、この建物のことを“通奉第”と呼ばれることもあります。切手では省略されていますが、建物の上部には絵画風の装飾が施されているのがよくわかります。切手に描かれているように、在りし日の鄭觀應も木陰の円卓に座って屋敷を眺めながら、茶を味わっていたのでしょう。(下の画像は、餘慶堂正面の実際の画像です)

          鄭家大屋(実物)
 
 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、鄭觀應と鄭家大家についても、詳しくご紹介しています。特に、修復後の鄭家大家については、日本語の紙媒体での詳細なご紹介は、おそらく、拙著が初めてではないかと思います。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 “将軍様”と同い年
2010-09-19 Sun 20:10
 あす(20日)は敬老の日です。先日刊行した拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、この切手をご紹介しつつカストロの老いの問題を取り上げましたが、もうひとつ高齢者(65歳以上)の独裁者といえば、この人のことも取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

         カダフィ(アフリカ連合)

 これは、2008年、アフリカ連合の指導者としてのカダフィをたたえるためにリビアが発行した切手です。

 1951年にイタリアの植民地支配から独立したリビアは、イドリース1世を国王とする連合王国としてスタートしました。国王は、親西側政策を採り、1955年から国際石油資本によって石油開発が進められ、産油国として莫大な石油収入が流入しましたが、一部の特権階級に富が集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、国民の不満が高まっていました。

 こうした状況の下で、エジプト革命に感化された陸軍のカダフィ大尉ひきいる自由将校団が、1969年9月1日、クーデターを起こし、トルコに滞在中だった国王イドリース1世が退位。カダフィを事実上の国家元首とする革命政府が誕生しました。ちなみに、カダフィの陸軍での階級は大尉でしたが、尊敬するナセルが大佐を自称(実際は少佐)していたのを真似て、彼も“大佐”を自称したのが、現在の“カダフィ大佐”という呼称のもとになったといわれています。

 かくして誕生したカダフィの独裁政権は、2009年6月、大統領在職41年半という超長期政権だったガボンのボンゴ大統領がなくなったため、現在は共和体制下の最長政権のレコード・ホルダーになっています。

 権力を掌握したカダフィは、1970年に亡くなったナセルの汎アラブ主義の後継者を自任し、PLO(パレスチナ解放機構)を支援し、反イスラエルの旗印の下でアラブ諸国を糾合しようとしました。特に、1973年にエジプトを訪問した際には、当時のエジプト大統領だったサダトに対して、両国の国家統合を執拗に迫り、「サダトが合併に合意するまで帰国しない」と主張し、エジプト側を大いに困惑させています。

 ところが、1977年にエジプト=イスラエルの和解が成立すると、カダフィは即座にエジプトとの国交を断絶し、エジプトをアラブ連盟から追放。1981年、サダトが暗殺されると「いかなる暴君にも必ず終りがある。自由の戦士たちよ、おめでとう」と祝福の声明を出したほどです。

 一方、反イスラエル闘争への支援と並行して、カダフィは反米・反西側の姿勢を鮮明に掲げ、欧米諸国に対抗するテロ組織を支援してきました。そうしたなかで、1986年、西ベルリン(当時)で、米軍関係者が多数出入りしているディスコでの爆破事件が起きると、リビア政府が事件の黒幕であると断定したアメリカは、報復として、カダフィの暗殺を目的に、首都トリポリへの大規模な空爆を敢行。空爆の結果、トリポリ市内は破壊され、多数の民間人が犠牲になりましたが、カダフィ本人は逃げ延びました。これに対して、1988年、リビアは空爆への報復として米パンナム航空機爆破事件を起こし、270人もの死者がでています。

 このように、過激な言動から“砂漠の狂犬”、“アラブの暴れん坊”などとも呼ばれていたカダフィでしたが、1988年のパンナム機爆破事件の容疑者らの引き渡しを拒否したことで、1992年、国連安保理は制裁決議を採択。国内経済が疲弊してきたため、1999年4月、容疑者の引き渡しに応じるとともに、2003年には、リビアの国家としての事件への関与は否定しつつも、リビア人公務員(容疑者はリビアの情報機関に籍を置く人物だった)が起こした事件の責任を負うとして総額27億ドルの補償に合意しています。

 この間、2001年にアメリカで同時多発テロ事件が起こると、カダフィは、世界的なアル・カーイダ非難の論調を背景として、国内の反体制派イスラム組織“リビア・イスラム戦闘団”を徹底的に弾圧。また、2003年にアメリカがイラク戦争を起こし、サダム・フセイン政権が崩壊すると、カダフィは“次の標的”にされるのを恐れてか、核放棄を宣言。さらに、2009年にアメリカでオバマ政権が発足すると、パンナム機爆破事件などの遺族補償として15億ドルをアメリカに支払い、アメリカとの国交正常化を実現しました。

 もっとも、カダフィの対外姿勢がこのように軟化したからといって、彼の“狂犬”としての資質が緩和されたということではないようで、その奇矯な言動はあいかわらず世界のメディアに格好の話題を提供し続けています。

 たとえば、2009年の国連総会に出席したカダフィは、ホテルに宿泊せず、ニューヨーク郊外に伝統的なテントを張って野営。一般演説では、国連安保理を“テロ理事会”と批判して、演壇から国連憲章を投げ捨てて見せたほか、「オバマがずっとアメリカ大統領であれば良い。オバマはアフリカの息子であり私の息子でもある」、「ケネディ元大統領の暗殺はイスラエルの陰謀だ」、「新型インフルエンザは細菌兵器として軍事目的で作り出されたもの」などと主張。出席者はこれをまともに取り合わず、一種のジョークとして、会場は笑いに包まれたそうです。ちなみに、演説時間は1時間36分でしたが、オバマ以下、超多忙なアメリカ代表団は演説の始まる前に退席しています。

 1942年生まれのカダフィは、ことし68歳になります。同い年の“将軍様”こと金正日は病に倒れて健康不安説が飛び交っているのと比べると、「老いてますます…」というそのエネルギーには驚かされます。


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 禦侮救國 誓復失地
2010-09-18 Sat 22:18
 きょう(9月18日)は、1931年に、いわゆる満洲事変の発端となった柳条湖事件が起きた日です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         反日スローガン印(満州事変・南京)

 これは、柳条湖事件1周年の1932年9月18日に南京から差し出されたカバーで、“禦侮救國 誓復失地”のスローガン印が押されています。

 満洲事変が起こると、中国では抗日の機運が盛り上がり、各地の郵便局では、通常の消印とは別に、郵便物の上に抗日スローガンの入った印を押すことで、世論を喚起することも行われました。特に、柳条湖事件1周年にあたる1932年9月18日前後には、ここに示したような「禦侮救國 誓復失地(侮りをふせいで國を救い、失地の回復を誓う)」のスローガン印が中国各地で用いられました。これらの印にはいくつかのタイプがあります。

 さて、中国各地では、きょう、防空警報を鳴らすなどの記念活動が行われ、「国恥を忘れない」とのスローガンで愛国精神を発揚する各種イベントが行われましたが、それにあわせて、いわゆる尖閣問題をとらえての反日行動も各地で行われています。まぁ、曲がりになりにも中華民国の領土であった東北部(満洲)での日本の軍事行動に対して中国人が抗議するのはいたしかたないにしても、尖閣諸島ではどこからどう見てもわが国の領土です。そこに“漁船”と称する船を送りこんで領海を侵犯し、海上保安庁の巡視船に見つかると巡視船に体当たり攻撃をくらわして逃走を図って捕えられるというのは、中国に非があるのは明々白々であり、それを反日行動に結びつけるというのは“盗人猛々しい”としか言いようがありません。

 こういう相手に妙な譲歩を行えば、その要求がエスカレートするのは目に見えています。それにしても、こういうときに、わが国の国会議員としてソウルの反日デモに参加した岡崎トミ子を、警察行政のトップである国家公安委員長に任命する菅総理の感覚ってのは、いったい、どうなってるんでしょうかねぇ。まさか、「中国や韓国の反日デモはどうぞおやりください。悪いのは日本ですから」というメッセージのつもりじゃないでしょうね。

 そう遠からず、今度はわが国が“禦侮救國 誓復失地”のスローガン印を使わざるを得なくなる日が来るのではないかと、深刻な危機感を持っている日本人は多いはずです。

 なお、満洲事変から満洲国の建国、そして崩壊にいたるプロセスと関連する切手や郵便物については、拙著『満洲切手』でもいろいろと取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 エポックメイキング・プロジェクト⑥
2010-09-17 Fri 11:13
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の9月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は、東海村の原子炉建設を取り上げましたが、記事で使った中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         原子炉竣工

 これは、1957年9月18日に発行された「原子炉竣工」の記念切手です。

 わが国における原子力の本格的な活用は、1955年12月、原子力に関する最も基本的な法律として「原子力基本法」が公布されたところからはじまりました。同法は、「原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与すること」を目的としたもので、原子力の研究開発と利用は平和目的に限り、安全の確保を旨とするといった基本方針、「原子力」・「原子炉」等の用語の定義、原子力委員会・原子力安全委員会の設置、原子力の開発機関、核燃料物質や原子炉の管理などを定められています。

 この原子力基本法に基づき、原子力の開発に関する研究等を総合的・効率的に行う機関として、1956年6月、特殊法人・日本原子力研究所が設立されます。同研究所は、同年八月から茨城県那珂郡東海村(以下、東海村)での東海研究所建設に着手し、翌1957年6月を目途に、研究用(実験用)原子炉を稼動させるべく準備を進めました。この結果、当初の予定よりも工事は遅れたものの、同年8月27日、日本最初の原子炉JRR-1が運転を開始し、日本における原子力の平和利用がスタートしました。

 なお、このJRR-1は、濃縮ウランを燃料とする沸騰水型で、アメリカのアトミクス・インターナショナル(Atomics International)社製。出力は50キロワットでした。JRRとは、Japan Research Reactor(日本原子力研究所・研究・原子炉)の略で、1970年にいたるまで、11年間にわたり、研究用原子炉、技術者訓練用原子炉として運転されたあと停止され、現在では、歴史的な遺物として、永久保存・展示されています。

 さて、原子炉を描く木村の下図は1957年4月18日には完成し、26日には郵務局長決裁を経て5月上旬には印刷局での作業が開始されました。ところが、当初の予定では、原子炉は4月に燃料のウランを入れ、7月10日頃、竣工式を行うことになっていましたが、工事が遅れて竣工式の日程も未定、これに伴い、記念切手の発行日も未定という状況になります。

 そうしているうちに、6月末までに記念切手の現物600万枚(のち、100万枚が増刷され、最終的な発行枚数は700万枚となりました)が完成しましたが、それらは、発行日がなかなか決まらないまま、金庫の中でむなしく眠りつづけていました。

 結局、8月27日に原子炉が運転を開始したのを受けて、翌28日、日本原子力研究所ではようやく、竣工式典を9月18日に行うと決定。これを受けて、切手も9月18日に発行するということで、ようやく、問題も決着したというわけです。


 * 昨晩9時からTOKYO MXテレビで放送の番組ザ・ゴールデンアワーへの生出演は、無事、終了いたしました。ご視聴いただきました皆様ならびに関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます


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 ロバート・モリソン
2010-09-16 Thu 14:09
 ローマ法王ベネディクト16世が、きょう(16日)から4日間の日程で英国を公式訪問します。今回の訪英は、英国国教会の最高権威であるエリザベス女王が1980年に英国家元首として初めてバチカンを公式訪問してから30年ぶりの返礼で、16世紀に英国王ヘンリー8世が離婚問題でバチカンと決別し、英国国教会が設立されて以来、法王の英国公式訪問は初めてだとか。というわけで、カトリックと国教会にからめて、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         モリソン

 これは、2007年にマカオで発行された「モリソン来華200年」の記念切手の1枚で、イギリス人宣教師ロバート・モリソンの若き日の肖像が描かれています。

 モリソンは1872年、スコットランド生まれ。ロンドン伝道会によって中国へ派遣され、1807年、広州に入ってアメリカ商館で密かに中国語(北京官話と広東語)を学び、当時の中国の政治経済状況の把握と風俗習慣への理解に努めました。

 当時の清朝は、中国本土において外国人宣教師による自由な布教活動を認めていなかったため、布教の準備段階として聖書の漢訳に着手。1813年には『新遺詔書』(新約聖書)、1815年頃からはウィリアム・ミルンの協力を得て、1823年に『旧遺詔書』(旧約聖書)ならびに『神天聖書』(『新遺詔書』改訂版)をマカオで出版しました。これが世界最初の漢訳聖書です。さらに、華英字典の編纂にも着手し、1823年、世界最初の英漢-漢英対照の字典として3部6巻の『華英字典』を刊行。1834年に亡くなりました。
 
 ちなみに、1837年、江戸幕府が異国船打ち払い令を理由に日本人漂流民7人を乗せて浦賀沖に現れたアメリカ商船の“モリソン号”を砲撃する“モリソン号事件”が起こりましたが、この“モリソン号”は、モリソンにちなんで命名されたものです。

 マカオには、現在、モリソンの名を冠したモリソン教会(聖公會馬禮遜堂)と隣接して世界遺産のプロテスタント墓地(基督教墳場)があります。なお、教会そのものは世界遺産ではありませんが、内部には下の画像のように「有道太初」の文字が入った聖書のステンドグラスがあります。『新約聖書』の「ヨハネによる福音書第1章」の有名な一節、「はじめに言葉ありき」をイメージしたものでしょう。当時の欧米人からは不可能と思われていた聖書の漢訳を成し遂げたモリソンにふさわしいデザインといえましょう。

         モリソン教会 

 カトリックの牙城であったマカオでは、国教会を含むプロテスタントは何かと圧迫を受けており(モリソンの書いた布教文書がカトリック教会から焼却命令を受けることもありました)、ながらく、城壁内の市街地ではプロテスタントの遺体を埋葬することは認められていませんでした。

 このため、1821年、モリソンの妻であったメアリーが亡くなったのを機に、イギリス東インド会社(モリソンはその通訳官も務めていました)は土地を購入し、プロテスタントの墓地をつくることをマカオ政庁に認めさせます。以後、城壁の外に埋葬されていた遺骨もこの墓地に集められ、1858年まで、マカオで亡くなったプロテスタントの埋葬が行われるようになりました。ちなみに、モリソンとその家族の墓は下の画像のような感じで、墓地の一番奥の右側にありますが、墓石そのものは特に装飾もない地味なものです。

         モリソンの墓

 さて、今秋、彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、モリソンとプロテスタント墓地についてもいろいろとご紹介する予定です。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。

  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 お遍路総理の続投
2010-09-15 Wed 23:15
 きのう(14日)に投開票が行われた民主党の代表選挙は、菅直人が圧勝し、党代表ならびに首相の続投を決めました。というわけで、お遍路総理の続投にちなみ、お遍路がらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         志度寺・仁王門

 これは、2007年8月1日にふるさと切手・四国4県版として発行された「四国八十八ヶ所の文化遺産」のうち、香川県の志度寺の仁王門を取り上げた1枚で、門をくぐる巡礼者の姿も取り上げられています。

 志度寺は、香川県さぬき市志度にあり、四国八十八箇所霊場の第八十六番札所。謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」があります。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段)などの舞台にもなっています。

 切手に取り上げられた仁王門は国の重要文化財ですが、金剛力士像の脇には巨大な草鞋が奉納されています。これは、巨大なわらじが掲げられているのは金剛力士が健脚のご利益をもたらすと考えられていることによるものです。

 金剛力士は、サンスクリットではヴァジュラダラと呼ばれていますが、これは“ヴァジュラ(古代インドの武器の一種・金剛杵)を持つ者”という意味です。その姿は、仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表すさまを象徴しており、釈迦の傍らでその警護を担当する役目を持っています。このことから、後に、中国などでは金剛神に寺院を守らせるようになり、山門や寺門の護衛役として左右に2体1対で配されて、我々にもなじみの深い“仁王像”がうまれました。 

 2体1対の金剛力士像には、口を開いた阿形像と口を閉じた吽形像がありますが、どちらも仏敵に対する怒りの表情(憤怒相)が表現されているという点では同じで、前者が怒りをあらわにしたもの、後者が内に秘めた怒りを表現したもの、とされています。

 さて、日本の政界が民主党の代表選挙に振り回されている間にも、共産中国はわが国の領土である尖閣諸島周辺に“漁船”と称する船を送りこんで領海侵犯を行い、海上保安庁の巡視船に見つかると巡視船に体当たり攻撃をくらわして逃走を図るというとんでもないことをやらかしています。これに対して、わが国は船長こそ逮捕したものの、他の乗員は早々に帰国させ、“漁船”も中国側に返還。中国側は国内で「外交的勝利」を喧伝する始末です。

 多くの国では、こういうときには軍が出動して“漁船”を撃沈し、生き残った乗員は全員逮捕して長期間拘束し、“漁船”を押収して徹底的に調べ上げ、相手国の軍や情報機関の関与の有無を洗い出すのが、当たり前の対応です。当然、拿捕された乗員は“人質”ですから、外交カードとして最大限有効に活用しなくてはなりません。中国側が騒いだら、1年に1人解放してやるくらいでちょうどいいでしょう。ロシアや韓国、中国が日本漁船を拿捕した場合、どのような対応をしたきたかを考えてみれば、今回のわが国の対応が、中国側の侵略行為に対して、いかに生ぬるいものであるか、容易に想像がつくでしょう。

 続投を決めた菅総理が、まずなすべきことは、わが国の国家主権を脅かす共産中国に対して、仁王像のごとく、きちんと怒りを表明することのはずです。もはや自分は誰かに救いを求める巡礼者ではなく、衆生を外敵から守る金剛力士の立場に立たなければならないことを自覚していただかないと困りますな。

 なお、金剛力士像を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 現代版“赤と黒”
2010-09-14 Tue 10:26
 きょう(14日)の午後には民主党代表選挙の結果が出ます。政権与党トップを選ぶ選挙だけに、事実上、総理大臣を選ぶ選挙でもあるわけですが、どちらが選ばれても明るい展望が開けるわけではなさそうで、どうにもパッとしませんな。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         スタンダール

 これは、1942年にフランスで発行されたスタンダールの切手で、彼の代表作『赤と黒』にちなみ、赤と黒の二色刷りになっています。

 スタンダールは、1783年、グルノーブル高等法院の弁護士の子として生まれました。1799年、優秀な成績で理工科学校の入学試験に合格。親戚の口利きで陸軍少尉に任官し、イタリア遠征に参加したましたが、実際には軍務はさっぱりで、もっぱら女遊びと観劇にうつつをぬかしていたといわれています。1802年、軍を辞めて輸入問屋に勤めたものの、ナポレオンの大陸封鎖令によって海外貿易が途絶してしまったため、1806年、陸軍主計官補となり、1810年には帝室財務監査官にまで昇進しました。

 ナポレオン・ボナパルトの没落後はフリーのジャーナリストとして活躍。自由主義者であったため、王政復古の時代は不遇でしたが、1830年の7月革命後は政治的にも復権を果たし、ローマ教皇領チヴィタヴェッキア駐在フランス領事にも任じられています。1842年没。代表作は『恋愛論』『赤と黒』『パルムの僧院』などです。

 代表作の『赤と黒』の主人公、ジュリアン・ソレルは、貧しい木こりの子ですが、ナポレオンを崇拝し、野心に満ちた美しい青年でした。初めはナポレオンのように軍人としての栄達を目指していたものの、王政復古の世の中ではその願いもままならないため、当時、羽振りの良かった聖職者を目指すことになります。その過程で、最初はレナール夫人(夫は町長)との不倫の情事に溺れ、後に、ラ・モル侯爵家令嬢のマチルドと“できちゃった結婚”寸前にまでいきます。しかし、侯爵からの身元照会に対して、レナール夫人は「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」と返信したため、婚約は解消。激怒したジュリアンは夫人を射殺しようとして捕えられ、裁判で死刑となるというのが、おおよそのあらすじです。

 作品については、「野心的な青年、ジュリアン・ソレルの目を通して来るべき革命(七月革命)を恐れながら堕落した生活を送る、王政復古下の聖職者・貴族階級の姿をあますところなく表し支配階級の腐敗を鋭くついている」と評されています。なお、スタンダール本人は題名の由来について何も説明していないのですが、一般には“赤と黒”は主人公のジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表していると考えられているようです。

 さて、今回の民主党の代表選挙に関しては、左翼市民運動家あがりの現代表(赤)と金銭スキャンダルまみれの前幹事長(黒)の争いであることから、“赤と黒”の代表選という人もあるようです。スタンダールの『赤と黒』は、時代の変化を直視せず、革命を恐れながらも無為に過ごしてきた“赤”と“黒”が結局は破綻するという大枠があるわけですが、急激な円高の進行や共産中国による我が国への相次ぐ侵略行為など、山積する難問に対して、現代日本の“赤”と“黒”もまた、権力闘争にうつつを抜かし、あまりにも無為無策であるのが頭の痛い限りです。ホント、早く“革命”(=政権交代)が起こって、“赤”も“黒”も一掃してほしいですわ。


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 トルコの憲法改正
2010-09-13 Mon 22:28
 きのう(12日)、トルコで軍や司法の権限を縮小する憲法改正案の是非を問う国民投票が行われ、賛成多数で承認されました。今回の改憲は、イスラムの伝統と民主主義の重視を掲げる与党・公正発展党(AKP)が主導してきたもので、1923年のトルコ共和国発足以来の“政教分離“原則にも、大きな影響を与えることは確実です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         トルコ共和国最初の切手

 これは、1923年のトルコ共和国発足後最初に発行された通常切手のうち、最高額の500ピアストル切手です。デザインは、三日月と星の国章を中心に据えたもので、切手の国名表示は“トルコ郵政”となっています。

 1918年、オスマン帝国は第一次世界大戦に敗北しましたが、その時点では、アラブ地域の大半は連合国によって占領されていたものの、アナトリアの全域と東トラキア(ルメリアの一部)、北シリアのアレッポ、イラク北部のモースルは依然としてオスマン帝国が維持していました。しかし、休戦協定が発効すると連合国はオスマン帝国の領土に進駐。アナトリアはイギリス、フランス、イタリア、ギリシャによって分割占領されてしまいます。

 これに対して、アナトリア各地でも分割に反対する抵抗運動が発生。このため、各地の反乱を恐れたオスマン帝国政府は大規模な反乱の発生を抑えるためにムスタファ・ケマルを派遣しましたが、1919年5月、黒海沿岸のサムスンに上陸したケマルは、現地に駐留する帝国軍や活動家を結集して“アナトリア・ルメリア権利擁護委員会”を設立。同年末にはイスタンブルにおける帝国議会を事実上掌握し、翌1920年1月、帝国領のうちトルコ人が多数を占める地域は不可分であるとする国民誓約を採択しました。

 これに対して、イギリスを中心とする連合国は同年3月、イスタンブルを占領。8月に帝国政府とセーヴル条約を締結します。この条約では、トルコ国家に残されるのはアナトリア北部の3分の2に過ぎず、アナトリア東部にはアルメニア人の国家が建設されることになっていました。

 このため、権利擁護委員会はアンカラで“大国民議会”を開催。大国民議会はケマルを議長に選出し、オスマン帝国とは別の内閣と政府を持つ抵抗運動政権が誕生します。その後、大国民議会政府はロシアのソビエト政権と連絡をとり、アルメニア軍を撃退して東部アナトリアを確保するとともに、西部戦線では、1921年にギリシャ軍を撃退。この結果、連合国はセーヴル条約を放棄し、ローザンヌであらためて大国民会議政府と講和会議を行うことになりました。

 これを受けて、1922年11月1日、ケマルらのアンカラ政府は、世俗の権力としてのスルタンと宗教的権威としてのカリフを分離したうえで、スルタン制を廃止。これにより、オスマン帝国は滅亡し、最後の皇帝となったメフメト6世は亡命しました。そして、1923年、アンカラ政府は連合国との間にローザンヌ条約を締結し、トルコ国家の独立承認とともに関税自主権回復、治外法権撤廃など不平等な国際関係を廃止することに成功。一連の成功により、救国の英雄としての地位を確立したケマルは、同年10月29日、トルコ共和国の成立を宣言し、自らは大統領に就任しました。今回ご紹介の切手は、こうした経緯によって発行されたものです。

 その後、ケマルは、独裁的な指導力を行使して大胆な欧化政策を断行。イスラム勢力を一掃し、1928年には憲法からイスラムを国教と定める条文を削除することに成功します。そして、その一環として行われた言語純化政策では、アラビア文字はイスラムと結びつきやすいとして廃止されてしまいました。

 もっとも、トルコ国民の99%はイスラム教徒なわけで、そういう国でイスラムを問答無用で公の場から排除してしまうことが妥当なことなのか、疑問がないわけではありません。今回の憲法改正にも、そうした現状への不満があったわけですが、イスラムの伝統的な価値観と西側風の民主主義では少なからぬ摩擦が生じているのが現実ですからねぇ。いずれにせよ、“政教分離”をめぐる議論というのは、どの国においても一筋縄では行かないものですが、切手を通して各国の事例を眺めていくと、いろいろと面白いことが浮かび上がってきそうなので、いずれ、そのあたりを1冊の本としてまとめられたらなぁ…と漠然と考えています。


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 ラスコー洞窟の壁画
2010-09-12 Sun 23:17
 フランスでラスコーの壁画が1940年9月12日に発見されてから、きょうで70年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ラスコー

 これは、1968年にフランスが発行したラスコー洞窟の切手です。

 ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟で、その壁画はスペインのアルタミラ洞窟壁画と並び称されています。

 洞窟の壁画は、第二次大戦中の1940年9月、付近で遊んでいた4人の少年が、 一匹の犬が落ちた穴に入り込んで発見。彼らは仲間内の秘密にしようとしていたようですが、3日後には地元で噂になったそうです。

 地下に長く伸びる洞窟は枝分かれしており、洞窟の側面と天井には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が約500点あります。これを描いたのは、1万5000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人です。

 第二次大戦後、ラスコーへは大勢の観光客が訪れるようになりましたが、彼らの吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化。このため、1963年以降、壁画の外傷と損傷を防ぐために洞窟は閉鎖され、限られた専門家以外には非公開とされました。なお、一般の観光客向けには、11年の歳月をかけて、ほぼ完璧にコピーされた洞窟“ラスコーⅡ” が公開されています。

* 本日お昼過ぎ、アクセスカウンターが74万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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 コーラン学校の生徒
2010-09-11 Sat 14:02
 アメリカ・フロリダ州の牧師テリー・ジョーンズが、同時テロ9年に当たる11日に計画していたコーラン焼却を行わない考えを改めて表明。とりあえず、最悪の事態はとりあえず回避される見通しとなりました。というわけで、昨日に引き続き、今日もコーランがらみの切手でいきましょう。(画像はクリックで拡大されます)

         コーラン学校

 これは、2008年にモロッコが発行した“芸術と文化”の切手の1枚で、コーラン学校で学ぶ少年を描いた絵が取り上げられています。

 さて、ムスリム(イスラム教徒)の理解では、コーランは預言者ムハンマドの口を通じて直接人間に下された神の言葉をまとめたものということになっており、その韻律的な美しさは人間では再現できないとされています。このため、ムスリムである以上は、アラビア語を学んで直接神の言葉に触れるべきだということになるのですが、教育もそうした考え方を反映して、子供たちはコーランの章句を徹底的に暗記させるのが伝統的なスタイルとなっています。

 今回ご紹介の切手に描かれている少年は、おそらく、コーランの一節を必死になって覚えているところだと思います。その背景には、ムスリムとしての信仰心ということもさることながら、暗誦で間違えると教師から容赦なくたたかれるので、それがいやで必死になっているという面も否定できないでしょう。

 やはり、教育というのは(初等教育の場合は特に)、一定の強制力をもって知識を身につけさせなければならない面がありますからねぇ。感情に任せて理不尽な暴力をふるう教師は厳重に処罰されるべきですが、教育の一環として、一定の課題をこなせない生徒に対しては、彼らが恐れるような罰を与えるということも必要でしょうな。その意味では、コーランを徹底的に暗誦させるという、伝統的なコーラン学校のやり方というのは、決して間違ったものではなかろうと思います。

 日本の古典や漢籍の素養がないために、しばしば恥ずかしい思いをする僕としては、いまさらながら、幼少時にそうした教育を受けていれば…と思うことがしばしばです。もっとも、へそ曲がりで、とにかくお手本通りにやることが大の苦手という自分の性格を考えると、仮にそういう教育の機会があっても、やっぱり駄目だったかもしれませんがね。


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 吉報が来る日はいつか
2010-09-10 Fri 19:19
 アメリカ・フロリダ州の牧師テリー・ジョーンズが、同時多発テロ9周年の今月11日にコーランを焼却すると宣言し、世界的な非難を集めていた問題は、ジョーンズが計画の中止を一度発表した後、さらに「中止ではなく保留」として決断の再考をほのめかすなど、迷走に迷走を重ねています。というわけで、今日はコーランがらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         コーラン第61章第13節

 これは、イラン・イラク戦争中の1983年にイランが発行した“戦争週間”の切手で、振り上げたこぶしとチューリップ、銃弾を包むように、コーラン第61章第13節の一部がデザインされています。

 コーラン第61章第13節は、日本ムスリム協会発行『日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)』の日本語訳によると、「またあなたがたが好む、外(の恩恵)を与えられる。アッラーの御助けと、速かな勝利である。だからこの吉報を信者たちに伝えなさい。」となっていますが、切手に取り上げられているのは、このうちの「アッラーの御助けと、速やかな勝利(である)」の部分です。戦時下において、神の御加護によってすみやかな勝利を求めるという点で、“戦争週間”の題材にふさわしいデザインだといえましょう。

 さて、今回のコーラン焼却問題は、もともと非常に強い反イスラム感情を持っていたジョーンズが、テロ現場の世界貿易センタービル跡地(グラウンド・ゼロ)近くでのモスク建設計画が明らかになったことをきっかけに起こしたものです。このため、計画の中止を発表するにあたって、ジョーンズは記者会見で「(イスラム教徒側が)予定地を移転することに合意し、(その結果)われわれはコーランの焼却を中止した」と表明したわけですが、どうやら、これはジョーンズ側がメンツを保つための嘘だったようです。

 このため、ジョーンズの記者会見直後、フロリダ州で活動するイスラム法学者のムハンマド・ムスリ師が「合意に達したのは11日のニューヨークでの会談だけで、ニューヨーク側から移転の申し出はない」と説明。建設計画を主導しているニューヨークのイスラム教聖職者、ファイサル・ラウフ師も声明を出し、「発表内容に驚いている。コーラン焼却の中止は喜ばしいが、交換取引はしない」と述べています。

 これに対して、ジョーンズは「ムスリ師はうそをついた」と激怒。「焼却を中止したわけではなく、一時保留としているだけだ」とした上で、中止の決断を「再考する」と述べ、事態は泥沼化しています。

 ジョーンズがコーラン焼却を完全に断念し、ムスリムにとって、切手では省略されている「だからこの吉報を信者たちに伝えなさい」というような状況が来るのかどうか、しばらく、この問題からは目が離せませんな。


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 さくらんぼと小学生
2010-09-09 Thu 23:42
 山形県東根市で来春開校予定の市立“さくらんぼ小学校”について、同名のアダルトサイトが存在していることかた改名を求める声が上がっていた問題で、土田正剛市長はきょう(9日)の記者会見で「児童の登下校時に不審者が現れる可能性がある」として、校名を変更する方針を明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         オランダ児童福祉1994

 これは、1994年にオランダが発行した児童福祉切手3種を収めた小型シートで、右側の3枚に、さくらんぼ取りに興じる子供たちが描かれています。ちなみに、左の上2枚はペンキ塗りを手伝って梯子をもつ子どもが、下1枚はおもちゃの家で遊ぶ子供たちで、どれもかわいらしいデザインです。やはり、子供とさくらんぼという組み合わせは相性が良いですね。

 さて、今回問題となった校名は、東根市がさくらんぼの名産地であることに加え、昨年12月に行われた市民からの公募で決定されたもので、校歌の作詞・作曲を担当した作曲家の服部公一さん(山形県出身)も「これ以上、良い名前はない。改名に反対したが、子供の安全ということならば、仕方がない」とがっかりしているのだとか。

 もっとも、“さくらんぼ”という単語は、その昔の「黄色いサクランボ」以来、お色気イメージと重なる用例がいくつもありますから、当然、“さくらんぼ××”という風俗店やアダルトサイトが少なからず存在していることも、十分に予想できたような気もします。その点で、市当局の判断は、やはり甘かったといわれてもしかたのない面はあるでしょうな。ただし、問題のアダルトサイトは今回の一件でいちやく全国にその名をとどろかすことになり、結果的に、宣伝効果という点で彼らが一番得をしたというのも、納得できない話ですが…。

 ところで、校名変更の理由が理由だけに関係者の無念は十分にわかりますが、そもそも、実際にその学校に通う子供たちは“さくらんぼ小学校”という名前をどういう風に感じていたんでしょうか?低学年や高学年でも女子児童は抵抗なく受け入れらるのでしょうが、思春期にさしかかった高学年の男子児童にとっては、「さくらんぼ小学校6年生の●野×夫です」などと自己紹介するのは、かなり恥ずかしいんじゃないかなぁ。

 その意味では、今回の一件で、“さくらんぼ小学校”に通えなくなった生徒たちの中には、案外、ホッとしている子も多いのかもしれませんがね。

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 聖母マリア誕生の祝日
2010-09-08 Wed 22:58
 きょう(8日)は、キリスト教会では、聖母マリア誕生の祝日(要するにマリア様のお誕生日ですな)です。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      大三巴400年小型シート     大三巴・聖母像

 これは、2002年にマカオで発行された“聖ポール大聖堂400年”の小型シートで、切手部分には大聖堂前壁の聖母像が取り上げられています。右側は、その実物の像の写真です。

 マカオのランドマークともいうべき聖ポール天主堂(跡)は、入口の上部にラテン語で“聖母”を意味する“MATER DEI”と刻まれていることからもわかるように、そのポルトガル語訳に相当するマードレ・デ・デウス教会(聖母教会)というのが正式名称です。

 1563年、マカオに上陸したイエズス会士のフランシスコ・ペレスとマヌエル・ティシェイラ、アンドレ・ピントの3人は、1565年12月、現在の聖アントニオ教会のある場所に藁葺きの小屋を建てました。これが、マカオにおける最初の教会建築とされています。

 1574年、ポルトガル国王セバスティアン1世は、この教会に対してマラッカの関税から毎年1000クルザードを寄進することを決定。これを受けて、翌1575年、木刷漆喰塗り(木刷と呼ばれる幅約3センチの木片を組み合わせた壁の上に漆喰を塗りあげる工法)の教会が新築され、マードレ・デ・デウス教会と命名されました。

 1579年、このマードレ・デ・デウス教会の南側の丘、すなわち、現在の聖ポール天主堂跡のある場所に修道院が建てられ、さらに、1582年、教会の付属礼拝堂が建てられましたが、この修道院と礼拝堂は1601年の火災で焼失してしまいます。

 そこで、マカオ市民が委員会を組織して、イエズス会の修道院に多額の献金を行い、1602年、イタリア人宣教師カルロ・スピノラの設計による教会の再建工事がスタート。教会本体のは翌1603年に竣工しましたが、前壁の工事はその後も続けられ、1640年代に入ってようやく完成しました。

 その後、聖ポール教会は東洋随一の規模を誇るものとして広くヨーロッパ中に知られていましたが、1835年1月26日、前壁と石段のみを残して全焼。1838年、焼け残った他の壁も危険防止のために取り壊され、現在の姿になりました。

 前壁は5層構造になっていて、各層にはさまざまな彫刻が施されていますが、切手に取り上げられた聖母像は上から3層目の中央に安置されているモノです。なお、シート上部の太陽と月は最上段の彫刻、その下には「礎石を偉大な聖母に捧げて置く」と記された前壁礎石の銘文が置かれています。また、切手の右側には前壁の全景が、左側には付属博物館の聖オーガスティン(アゴスティーニョ)像が取り上げられています。

 さて、今秋、彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ歴史漫郵記』(仮題)では、聖ポール天主堂(跡)についても、いろいろとご紹介する予定です。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。

  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 深圳今昔
2010-09-07 Tue 11:37
 きのう(6日)、中国広東省の深圳市で経済特区成立30周年の記念式典が行われ、中国国家主席の胡錦濤が基調講演を行い、中国の改革開放の牽引役として深圳経済特区が果たしてきた貢献を評価するとともに、市幹部を複数の立候補者から選ぶことなど、深圳市が2008年から検討している政治改革の試みを、支持する考えを明らかにしたそうです。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         深圳葉書

 これは、1990年に広東省の風景を題材に中国郵政が発行した絵葉書で、当時の深圳の遠景が取り上げられています。

 深圳は、もともと、ほとんど何もない国境の漁村でしたが、1979年7月、毛沢東亡き後の権力闘争を制した小平が改革開放路線の一環として広東省の深圳、珠海、汕頭ならびに福建省の厦門の華南四都市を“輸出特別区”に指定したことが発端です。その後、1980年8月26日、広東省経済特区条例が公布され、深圳は珠海、汕頭とともに経済特区になります。

 これらの経済特区では、外国との合弁事業を誘致するため、関税の免除をはじめ、外国企業に対して各種の優遇措置が講じられたほか、それまでの中国では認められていなかった100%の外資企業設立も認められました。

 かくして、1980年代はじめに2万人程度だった深圳の人口は、1980年代末には60万人を越えるほどに急成長を遂げました。今回ご紹介の葉書は、経済特区成立から10年後の1990年の深圳の遠景を取り上げたもので、画面の手前には花が配されているので少しわかりにくいのですが、高層ビル群の手前には“空き地”のように見える広大な土地が広がっており、この時点では、急速に進んだ開発は深圳市内でもごく一部の限られた地域にしか及んでいなかった様子がよくわかります。

 一方、急激に外国資本が流入したことによる成長のひずみは、深圳にさまざまな弊害をもたらした。たとえば、2005年8月の時点で、深圳には1年以上の居住者が700万人、短期滞在者が1071万人住んでいると推定されていましたが、深圳に戸籍を持つのは165万人しかおらず、圧倒的多数は出稼ぎ労働者(民工)などの“外地人”でした。中国政府は、農村から都市への人口の流入を統制するため、戸籍の移動を厳しく制限しており、住民は深圳の戸籍がないと“深圳市民”として税負担に見合った社会福祉を受けられません。

 彼らがこうした境遇に不満を持ち、社会的にドロップアウトしていく者が少なからず現れるのも自然な流れなわけで、深圳では凶悪犯罪が多発しており、環境汚染や交通渋滞、劣悪な住環境、官僚の腐敗などともに深刻な問題となっています。じっさい、中国の国務院研究室、公安部、中国社会科学院、労働・社会保障部、監察部などが2004年末に行った調査では、中国の都市のうち、「行政の腐敗」、「治安」、「コピー商品の氾濫」、「貧富の差」という4項目で深圳市が最悪との調査結果が出ています。

 ちなみに、2005年4月に深圳で発生した大規模な反日デモは、共産党の一党独裁体制の下で、自由な体制批判が許されていない深圳市民が、“愛国”と表裏一体になった“反日”という形式をとって、現状に対する市民の不満が爆発したものと考えられています。

 こうしたこともあって、2008年5月以降、胡錦濤側近の一人で広東省党委書記の汪洋が中心となり、政治改革に関する世論調査を行い、市長や区長を、複数の立候補者の中から人民代表大会(議会)で選ぶ方法や、メディアの報道規制の緩和、幹部の資産公開制度などが検討されています。これらを“民主化”といえるかどうかはともかく、それが実現されれば、多少は民意が反映されるようになるわけで、中国各地の共産党委員会がすべての人事権を握っている現状は改善されることになるのでしょう。

 とはいえ、中華人民共和国という国は、そもそも共産党の一党独裁体制でなければ維持できないシステムになっているわけですからねぇ。体制にとって“蟻の一穴”となりかねない深圳の“政治特区”化は、仮に、胡錦濤が支持を表明したとしても、その実現はかなり難しいんじゃないでしょうかねぇ。

 なお、深圳経済特区に関しては、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 あるバスク人の右腕
2010-09-06 Mon 15:38
 スペイン北部バスク地方の分離・独立を目指す非合法過激派組織「バスク祖国と自由(ETA)」が、きのう(5日)、“停戦”のビデオ声明を地元紙と英BBCテレビに送ってきたそうです。というわけで、バスク出身の有名人にまつわる切手ということで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         ザビエルの腕     ザビエルの腕(実物)

 左は、1952年にマカオで発行された「フランシスコ・ザビエル没後400周年」の記念切手の1枚で、ザビエルの右腕の骨が取り上げられています。右側は、現在、聖ヨゼフ聖堂に収められているその実物の写真です。

 バスクの中心都市パンプローナ近郊で生まれたザビエルは、日本にキリスト教をもたらした後、1552年に中国の上川島で亡くなり、遺体はインドのゴアに埋葬されました。

 その後、遺体は分割されて各地で祀られ、そのうちの右腕は、当初、日本に運ばれる予定でした。しかし、1619年に右腕が日本に持ち込まれた時には、すでに、徳川幕府の下でキリシタンの弾圧が本格化していたため、マカオに戻され、以後約200年間は聖ポール天主堂に保管されます。そして、1835年に聖ポール天主堂が焼失した際にはからくも持ち出されて難を逃れ、聖アントニオ教会に移されます。1928年、南のコロアネに聖フランシスコ・ザビエル教会が建立されるとそこに移されましたが、その後、現在の聖ヨゼフ聖堂に収められています。

 ザビエルの骨は、マカオにとっての重要な聖遺物として、今回ご紹介の切手にも取り上げられたわけですが、やはり、骨片というのは切手向きの題材ではありませんから、切手のデザインもいまいちわかりづらいように思います。ちなみに、この切手が発行された時点では、ザビエルの骨は聖ヨゼフ聖堂にではなく、まだ、コロアネの聖フランシスコ・ザビエル教会に安置されていました。

 ザビエルの骨は聖ヨゼフ聖堂の最大の目玉ですから、骨が収められているガラスケースはしっかりとライトアップされており、観光客にもすぐにわかるように工夫がなされています。もっとも、時々、ガラスケースのふたが閉められていることもあり、タイミングが悪いとせっかくの骨も拝めないこともあるので、注意が必要です。

 さて、今秋、彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ歴史漫郵記』(仮題)では、マカオに残るザビエル関連のさまざまな地名や遺物についてもいろいろとご紹介する予定です。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 バーミヤーンの大仏(カラー版)
2010-09-05 Sun 21:15
 アフガニスタンで取材中に反政府武装勢力タリバンに誘拐されていたフリージャーナリスト常岡浩介さんが、きょう(5日)までに解放されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         バーミヤン(1985)

 これは、1985年に共産主義政権下のアフガニスタンで発行されたバーミヤーンの大仏の切手です。

 バーミヤーンの大仏の切手といえば、王制時代の1951年に発行のモノが有名ですが、今回ご紹介のモノは世界観光機関10周年として1985年に発行されました。

 世界観光機関は、その名の通り、観光に関する国際機関で、本部はスペインのマドリードにあります。前身は、1925年にハーグで設立された公的旅行機関国際連盟で、現在の組織になった1975年です。2003年12月に国際連合の専門機関となりました。

 さて、バーミヤーンはアフガニスタンのほぼ中央に位置していますが、常岡さんが誘拐・監禁されていたクンドゥズはアフガニスタンの北部、タジキスタンと国境を接しています。タジキスタンには、現在でも中央アジア最大の涅槃仏が残されているのですが、国境を越えたクンドゥズはターリバーンの拠点の一つで、2001年のいわゆるアフガニスタン戦争の際には彼らが最後まで守っていた地域ですから、現在では、主だった仏像はあらかた破壊されてしまっているのかもしれません。

 なお、アフガニスタンでは、ターリバーンの蛮行を非難するため、バーミヤーンの大仏が破壊された後の岩窟を取り上げた切手も発行されています。先日刊行の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、バーミヤーンの破壊前・破壊後の切手を並べながら、ターリバーンとアフガニスタンの話についてもまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 *昨日の切手市場は、無事、盛況のうちに終了いたしました。会場にお越しいただきました皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 日豪戦争②
2010-09-04 Sat 09:02
 ご報告が遅くなりましたが、本のメルマガ403号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」は、今回からが事実上のスタートですが、今回は、歴史的背景の説明として、第一次大戦以前の日豪関係についてまとめてみました。そのなかから、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         白船歓迎絵葉書(ヴィクトリア)

 これは、1908年、ヴィクトリア州で作られたアメリカ大西洋艦隊歓迎の絵葉書です。

 1901年、白豪主義(白人最優先主義)を国是として発足したオーストラリア連邦は、最初の重要な連邦法として「移民制限法」を成立させました。同法は入国審査官が必要と認める場合、審査官が指定するヨーロッパ言語で50語の長さの書取を行わせ、合格点に達しなかった人物は排斥できるというもの。実際の運用においては、非白人の入国希望者が理解できないであろう言語を選んで出題されたため、非白人を排除するための露骨な手段でした。

 1901年の時点でオーストラリア在住の日本人は約3600人。1880年代のピーク時にオーストラリア在住の中国人が約4万人いたことを考えると、決して多いとはいえない数字ですが、オーストラリアの白人社会は、ある面では、中国人以上に日本人を潜在的な脅威とみなしていました。

 すなわち、1853年にペリーの黒船に開国を迫られてからわずか半世紀ほどの間に、日本は議会と憲法を備えた近代国家を作り上げ、1895年には日清戦争で“眠れる獅子”といわれた清朝を破り、台湾を植民地化しています。この事実にオーストラリアは驚き、連邦の初代法務長官となったアルフレッド・ディーキンは「日本人は彼らの高い能力ゆえに排除される必要がある」と公言してはばからなかったほどです。

 ロシアの南下を抑えたい英本国は、“極東の憲兵”として日本を活用することを考え、1902年に日英同盟を結びました。日本が英本国の同盟国となったことは、冷静に考えれば、オーストラリアにとって日本の脅威が減じられたことを意味するものでしたが、むしろ、同盟に伴う日本の役割分担によって、イギリスの太平洋艦隊が削減されたことに不安を感じるオーストラリア人も少なくありませんでした。

 こうした状況の中で1904年、日露戦争が勃発します。

 諸外国にとっての日露戦争のベスト・シナリオは、日本がロシアに辛勝することで、ロシアの南下を抑えるとともに、日本じたいも急速に勢力を拡大しないというものでした。ところが、海軍力に関していえば、1905年5月27-28日の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊が全滅。太平洋の軍事バランスが崩れ、日本の海軍力が突出したものとなってしまいます。

 この事態に最も慌てたのが、1898年の米西戦争でフィリピンを領有したばかりのアメリカです。

 当時の日本領の最南端は台湾の鵞鑾鼻岬ですが、この岬からは天気が良ければバシー海峡を挟んでフィリピン最北端のマヴディス島が見えます。したがって、日本が台湾の基地からフィリピンへ向けて本気で南進してきた場合、最終的には米軍が日本軍を駆逐することになるものの、一時的にせよ、フィリピンが日本軍の手に落ちるのは必至というのがアメリカの理解でした。

 このため、1905年6月9日、アメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトが日露両国に対して講和を勧告。さらに、7月、陸軍長官のウィリアム・タフト(ローズヴェルトの後継大統領になる)が東京で日本の首相・桂太郎と極秘に会談し、アメリカのフィリピン統治と日本の韓国支配を相互に承認する協定(桂=タフト協定)を締結し、日露戦争後に備えようとします。

 日露戦争は、同年9月、ニューハンプシャー州ポーツマスで講和条約が調印され、とりあえずは日本の勝利というかたちで決着。しかし、東洋人が白人を破った戦争は、アジアの人々に勇気を与えた一方で、白人社会では黄禍論を巻き起こしました。オーストラリアも例外ではありません。

 こうした状況の中で、アメリカ政府は、西海岸の人心を安定させるとともに、海軍拡張政策への国民への支持を取り付けるべく、1907年12月、大西洋艦隊をサンフランシスコへ向けて出航させました。なお、艦隊は船体の色からグレイト・ホワイト・フリートと呼ばれており、これが日本語では白船と訳されています。

 無責任な大衆紙は「アメリカ海軍は日本と戦うために太平洋へ出発!」と報じていましたが、当初、政府は沈黙を守っていました。しかし、艦隊が南米最南端のマゼラン海峡を廻って太平洋を北上し、1908年3月、メキシコのマグダレナ湾に到着すると、ローズヴェルトは、突如、大西洋艦隊の目的地はサンフランシスコではなく“世界一周”であると発表。艦隊が日本を威嚇するために太平洋を渡ろうとしていることは、もはや、誰の目にも明白となります。

 ローズヴェルトの発表に全世界は驚愕。フランスでは日米開戦必至と見て日本国債が暴落。米西戦争の記憶が生々しいスペインでは、日本への資金援助を申し出る貴族や資本家が続出しました。

 5月6日、サンフランシスコに入港した白船艦隊は、7月16日、ハワイの真珠湾に入港。そして、8月オーストラリアのシドニーとメルボルンに相次いで入港しました。

 南太平洋最大の白人国家として、日本の南進を恐れていたオーストラリアは、25万人が艦隊を出迎えたほか、ヴィクトリア州では、今回ご紹介しているような白船歓迎の記念絵葉書まで作られています。彼らの中には、いよいよ米軍が日本を懲らしめ、頼りにならない英本国の代わりに自国の危機を救ってくれるものと期待していた者も多かったことでしょう。

 こうして、マニラを経て10月18日、白船はついに横浜に入港しました。

 しかし、白船艦隊は日本国内で朝野をあげての歓待を受け、10月25日、無事、横浜を出航。欧米で予想されていた日米戦争は起こらず、オーストラリアの善男善女たちは“期待”を裏切られることになります。

 このため、オーストラリアは、1909年、本格的な連邦海軍の構築に着手する。その本音は、日英同盟のゆえに日本とは戦わない本国海軍に代わり、日本を仮想敵国とした国防力の再編を図りたいというものでした。

 こうして、1910年11月、最初の駆逐艦としてヤラとパッラマッタが本国から到着。翌1911年7月10日、イギリス国王ジョージ5世が連邦海軍を“ロイヤル・オーストラリアン・ネイヴィ”と命名します。これが、現在のオーストラリアの海軍創立記念日となりました。さらに、同じく1911年には、12歳から18歳までの男子に対する軍事教練も義務化されました。当時の日本にオーストラリアを攻撃する意図があったわけではありませんが、オーストラリア側は、日本の“脅威”を深刻に受け止め、なんとかしてこれを排除しようと躍起になっていたのです。

 これに対して、英本国は太平洋上での脅威は、日本ではなくドイツだと考えていました。両者の認識のズレは、やがて、1914年の第一次大戦勃発という事態で深刻なものとなるのですが、そのあたりの事情については、次回(9月25日)配信予定の記事でご紹介する予定です。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

  9月4日(土) 切手市場  
  於・東京・浅草 台東区民会館 10:30~20:00 
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 パレスチナ独立国家のラベル
2010-09-03 Fri 14:38
 きのう(2日)、米国務省でアメリカのクリントン国務長官、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長による3者会談が開かれ、中東和平に向けた直接交渉が1年8か月ぶりに再開されました。というわけで、きょうはパレスチナがらみのこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         パレスチナ独立ラベル

 これは、1988年11月にアルジェで開催されたパレスチナ国民評議会にあわせて作られた切手状のラベルの“カバー”で、ラベルにはパレスチナ国旗を背景に、東エルサレムの市街地とインティファーダの少年が描かれています。押されているスタンプには“アラブパレスチナ国家”の文字と会議の行われた88年11月15日の日付が入っています。また、余白のカシェには、“パレスチナ国家独立”の文字を覆うように、銃とオリーブが描かれています。

 正規の切手ではないので額面は入っていないのですが、パレスチナ側は切手状のラベルを作って支援者の郵便物に貼ってもらうということを過去にも何度かやっていますので、このラベルもそうした性格のものだったのかもしれません。ただし、僕自身は、このラベルが実際に貼られた郵便物を見たことがないのですが…。

 1987年12月、ガザで、帰宅途中のパレスチナ人が乗った車が反対車線に乗り入れたイスラエルの軍用トラックと正面衝突し、パレスチナ人4名が死亡し、7名が重軽傷を負う交通事故が発生。これに対して、軍用トラックの乗員は全員無傷でした。この事件をきっかけに、こうして、イスラエル軍の催涙ガスやゴム弾に対して、投石と火炎瓶で抵抗する“石の革命”、インティファーダ(アラビア語の原義は蜂起)が始まり、ヨルダン側西岸とガザ地区のイスラエル占領地域全域でパレスチナ住民の抵抗が続けられました。

 インティファーダを鎮圧するための膨大なコストはイスラエル経済を大きく圧迫。さらに、インティファーダに共感するイスラエル本土のパレスチナ人の大規模なストライキが頻発したこともあって、1987年には5.2%だったイスラエルの国内総生産(GDP)は、インティファーダ発生後の1988年には1%台に急落します。また、強圧的な弾圧によってインティファーダを鎮静化できなかったことで、イスラエルは、パレスチナ人による自治権の要求は武力で抑え込めるものであり、考慮の必要はないとするそれまでの前提を再検討せざるを得なくなりました。

 一方、インティファーダは、ベイルートを追放されチュニスに本部を置いていたPLOの指導部とは無関係に発生したものでした。インティファーダの参加者たちは、イスラエルの存在を認めた上で、パレスチナ人としての権利を獲得することを主張しており、イスラエルを破壊してパレスチナ全土を解放するというPLOの非現実的な路線の転換を求めました。

 このため、インティファーダ発生から約1年後の1988年11月、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会では、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家の独立宣言を採択。イスラエルの存在そのものを否定する従来の路線を放棄する代わりに、インティファーダで獲得した国際的認知を国家樹立がPLOの新たな基本方針となり、翌12月の国連総会に出席したアラファトは、イスラエルの承認とテロの放棄などを明言することになります。

 さて、今回の交渉を通じ、アメリカのオバマ大統領は、1年以内にパレスチナ独立国家の樹立で合意にこぎつけたい考えだそうですが、聖地エルサレムの帰属をめぐってはイスラエルとパレスチナ側の意見の隔たりが大きい(1997年にパレスチナ自治政府のアラファトがエルサレムをパレスチナとイスラエルの共同首都とすることを提案すると、ネタニヤフはこれを即座に拒否し、エルサレムがイスラエルの首都であることを示すため、同年3月からユダヤ人の大規模住宅地の建設を開始しています)ことに加え、ガザ地区を事実上支配しているハマスは、かつてのPLO同様、イスラエル国家の存在そのものを認めないという立場ですからねぇ。

 1988年の“独立宣言”からでも20年以上、イスラエルの建国から数えると60年以上も解決できなかった問題が、こんごわずか1年で解決できるとはとうてい思えないのですが、とりあえずは、交渉の成り行きを見守らざるを得ないでしょうな。

  ★★★ イベントのご案内 ★★★

  9月4日(土) 切手市場  
  於・東京・浅草 台東区民会館 10:30~20:00 
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 ロシアの対日戦勝記念日
2010-09-02 Thu 12:48
 きょう(2日)は、1945年に日本と連合諸国の間で降伏文書の調印が行われた日です。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ロシア・大戦50年

 これは、1995年にロシアが発行した“大祖国戦争(第2次大戦)50年”の記念切手の1枚で、満洲上空を飛ぶソ連軍機が描かれています。切手には、ソ連の対日戦の期間である1945年8月9日から9月2日という日付も入れられています。

 1945年2月、米英ソ3国のヤルタ会談では、ドイツ降伏の90日後にソ連が対日参戦する代償として、日本の降伏後、ソ連に対して南樺太を返還し、千島列島を引き渡すことが秘密裏に決定されます。そして、この密約を受けて、1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し対日宣戦布告。満洲国領内への侵攻を開始するとともに、11日には日本との国境を侵犯し南樺太に侵攻します。15日の玉音放送後も戦闘を続けて25日に南樺太を占領し、さらに、8月28日から9月1日までに北方領土の択捉・国後・色丹島を占領、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領しました。また、得撫島以北の北千島も8月31日までに占領されています。

 侵攻してきたソ連軍は、日本人に対して暴行・強姦・略奪の限りを尽くし、口実を設けて多くの日本人男性をシベリアに連行し、抑留して強制労働に従事させました。このような、あらゆる国際法を無視したソ連の非道は、日本人として決して忘れてはなりません。

 現在のロシア政府は、ソ連の対日参戦に関して「ソ連軍は極東で日本の関東軍を粉砕し、中国東北部と北朝鮮、南サハリン(樺太)とクリール諸島(日本の北方四島と千島列島)を解放し、それによって第二次大戦の終結を早めた」と主張し、明らかな侵略行為であったという歴史的事実を捏造し、これを正当化しようとしています。その一環として、今年7月には、事実上の対日戦勝記念日として9月2日を“第二次大戦終結の日”と定め、北方領土問題をめぐる日本の主張を封じ込めようとしています。

 もっとも、歴史的事実でいえば、ソ連が歯舞群島を占領したのは1945年9月2日以降のことです。仮に9月2日が彼らのいうとおり“第二次大戦終結の日”であるのなら、ソ連軍は戦争終結後に他国の領土を不法に侵略したことを、彼ら自身も認めないわけにはいかなくなりますな。馬脚を現すとは、まさにこのことです。

 報道によれば、今回の新記念日に関して、日本外交筋は「日本の立場を理解してもらうため、あらゆる方面に働きかけた」とし、「新記念日は日本を標的としたものではない」との認識を示しているそうですが、こうした姿勢が、結果的に、ロシア側に彼らの歴史認識を日本も追認しているとの誤解を与え、領土問題にも悪影響を与えることは必至です。

 本来であれば、こういう時こそ、北方領土が日本固有の領土であることをきちんと主張するような切手を発行し、世界の世論を喚起することが重要になってくるわけですが、ことし6月に発行された「ふるさと心の風景第7集」では、北海道地図から択捉島を除外して描き、それが問題になるとシートを回収するという体たらく。日本人として、ホント、情けなくなりますな。

 なお、北方領土と切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

  9月4日(土) 切手市場  
  於・東京・浅草 台東区民会館 10:30~20:00 
 拙著『事情のある国の切手ほど面白い』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。僕は午前中から午後の早い時間まで会場にいる予定です。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。


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    事情のある国の切手ほど面白い
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 イラク戦争終結
2010-09-01 Wed 22:34
 アメリカのオバマ大統領が31日夜(日本時間1日朝)、2003年3月に始まったイラク戦争の終結を宣言しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         コート・ディヴォワール:イラク戦争勝利

 これは、2003年に西アフリカのコート・ディヴォワールが発行した「世界の航空機の歴史」と題する小型シートの一つですが、左上には“イラクでの勝利”を宣言するイギリスのトニー・ブレア首相とアメリカのブッシュJr大統領の写真が取り上げられています。

 イラク戦争は、2003年3月19日、米英軍による空襲“イラクの自由作戦”が開始されたことで勃発。4月7日、米軍がバグダードの宮殿の一つを占拠します。同月11日、アメリカ政府が、サッダーム・フセイン政権は事実上崩壊したと発表するとともに、モースルを防衛していたイラク陸軍・第5軍団が米軍との交渉により投降。15日には西部軍管区司令官のムハンマド・ジャラーウィー将軍がラマーディーで米軍との降伏文書に署名し、5月1日には、ブッシュJrが“大規模戦闘終結”を宣言しました。そして、同月22日、国連安保理でアメリカとイギリスによるイラクの統治権限の承認、経済制裁の解除などを盛込んだ国際連合安全保障理事会決議1483が採択され、イラクの占領統治がはじまりました。

 さて、イラク戦争の開戦時に掲げられた大義は「大量破壊兵器を開発している独裁者サダム・フセインを打倒してイラクを“民主化”し、中東全体の“民主化”の先鞭をつける」というものでしたが、大量破壊兵器は結局見つからず、フセイン政権は打倒されたものの、アラブ世界の民主化は依然として達せられたとはいいがたい状況です。

 そもそも、現在のアラブ地域で西側風の民主主義を制度として根付かせることは、きわめて困難でしょう。

 まず、この地域の圧倒的多数を占めているムスリムの世界観では“国民主権”の概念は認められていません。イスラムにおける主権者、立法者は神のみであり、人間にできるのはただ神の命令(イスラム法)を解釈・実行することだけだという原則があるからです。もちろん、現実にはイスラム法の解釈という建前で議会が実質的な立法行為を行ってはいますが、それでも西側風の“国民主権”や基本的人権という発想に対してアレルギーを持つ人は少なくありません。

 そうした思想的な背景にくわえて、この地域の多くの国が産油国であり、政府が石油利権を独占的に掌握しているという事情も見逃せません。

 アメリカ独立戦争時の“代表なくして課税なし”という決議を持ち出すまでもなく、議会というものは、本来、納税者たる国民の代表が集まって予算の使い道を決定し、それが適正に使われているか否かを監視するための機関です。逆にいえば、国民の納税によって支えられているからこそ、政府は民意を斟酌した政治を行わなければならないというロジックになります。

 ところが、国民の納める税金よりも、オイルマネーによって支えられている国の場合、国民が納税者として国家を支えるというよりも、石油収入を元手にした政府が国民に利権をばら撒くという構図になりがちです。当然のことながら、政府や国家指導者に対する批判はタブー視されますし、公正な選挙によって政府の実績を評価し、必要な場合には政権交代を実現するということは起こりにくいのが実情です。

 たとえば、内閣も国会も存在しないサウジアラビアは極端な事例ですが、クウェートやアラブ首長国連邦、カタールなどの湾岸首長国は、三権分立という制度上の建前はあっても、実質的には王族が権力を独占する体制が続いています。いやしくも中東の“民主化”を主張するのであれば、アメリカは、曲がりなりにも議会が存在していたイラクではなく、まずサウジアラビアに乗り込んで“民主化”を要求すべきなのですが、“親米国”とされているサウジアラビアの内政に関してアメリカが本格的に干渉したことはありません。

 それゆえ、イラク戦争というのは、結果的に、大義なき戦争、つまりは大量虐殺でしかなかったのではないかという批判があるのも無理からぬところです。

 さて、今回ご紹介の「世界の航空機の歴史」のシートは、世界各国の航空機が取り上げられた数種類のシートの1種で、実際に現地の郵便で使うためというよりも、海外に輸出して外貨を稼ぐためのものであるのは明らかです。なかでも、今回ご紹介の1枚は、ナチス・ドイツの航空機が取り上げられているという点で、①単純にイラク戦争勝利の切手としてイラク戦争支持者に売る、②イラク戦争反対派に対してはブッシュとブレアの行為をナチス並みの大量虐殺として非難する材料として売る、③イラク戦争とは無関係に、純粋な航空ファンに売る、という3種類のマーケットに対応するもので、なかなか、売り手としては知恵を絞った1点ということなのでしょう。

 なお、コート・ディヴォワールそのものについては触れていないのですが、こうした切手を売って外貨を稼ぐビジネス・モデルについては、新刊の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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* 2010年8月に頂戴した拍手の数の多かった記事のベスト3は以下のとおりです。ありがとうございました。
 1位(11票):アーリントンと靖国
 2位(8票):“日韓併合”の切手
 3位(7票):日豪戦争①
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