内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 泰国郵便学(10)
2010-10-31 Sun 13:25
 まずは速報から。

 ヨハネスブルグで開催中のアジア国際切手展<JOBURG 2010>ですが、きのう(30日)行われたパルマレス(受賞パーティー)の席上、28日の審査委員会で行われた投票の結果が開票され、3賞は以下のように決まりました。

・グランプリ・ドヌール
 Que, Mr. Mario(フィリピン) Philippines- King Alfonso VIII ‘Baby’Issues
・グランプリ・インターナショナル
 Euarchukiati, Mr. Nuntawat(タイ) Thailand: King Rama VIII and the World War II
・グランプリ・ナショナル
 Klugman, Mr. Keith(米国) Classic Vistorian Natal (1836-1879)

 今回の切手展はアジア展ですが、ドイツ、イタリア、英国、米国など、一部欧米諸国も招待されており、その中から米国の作品がグランプリ・ナショナルとなりました。

 なお、日本からは文献2点のエントリーがありましたが、1点は未着で、正田幸弘さん御出品の KEIO Philatelist 35 が銀銅賞(66点)という結果になりました。

 受賞者の皆様、おめでとうございます。

 さて、日本を出発する直前に財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第44巻第5号ができあがってきたのですが、僕が担当している連載「泰国郵便学」では、今回は1939年の第2次大戦勃発から1941年の“大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争に相当するタイ語の直訳は大東亜戦争です)”開戦までを取り上げました。偶然ですが、今回のグランプリ・インターナショナルの題材と重なっておりますので、きょうは、その中からこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         1941年シリーズ・農構図

 これは、1941年シリーズの通常切手のうち、水牛による農耕の場面を取り上げた50サタン切手です。

 1939年9月、第2次欧州大戦が勃発すると、タイはただちに中立を宣言します。第一次大戦の際と同様、とりあえずは中立を維持しておき、戦局の帰趨をしっかりと見極めたうえで勝ち馬に乗ろうという戦略です。このため、1940年6月12日、タイは英仏日の主要3ヵ国と不可侵条約(ないしはそれに相当する条約)を締結しました。

 ところが、3日後の6月15日にパリが陥落。同月22日、フランスはドイツに降伏し、パリを含むフランス北部はドイツの占領下に置かれ、南部はイタリアの占領地域を除く部分は実質的なドイツの傀儡政権の支配下に置かれることになりました。

 これに伴い、日中戦争を戦っていた日本は、同年9月、中国との国境封鎖を求めてフランス領インドシナ(仏印)の北部に軍事進駐するとともに、日独伊三国軍事同盟を締結。19世紀以来、英仏の圧迫によって広大な領土を失ってきたタイは、これを失地回復の好機が到来したものと受け止めます。

 ナショナリズムを前面に掲げ、ラッタニヨム政策を発動したピブーン政権としては、フランスが弱体化したのを好機ととらえ、メコン川右岸をはじめ、失地の返還を要求。当然のことながら、フランス側はタイの要求を一蹴しましたが、ピブーンは大タイ主義を唱えて国民の領土返還要求を喚起していきます。

 こうして両者の緊張が高まる中、1940年11月、フランスがタイを空爆することで国境紛争が勃発。翌1941年1月5日、タイ陸軍はフランス領カンボジアに進攻しました。海軍と創立から日の浅かった空軍もフランスと交戦し、大きな犠牲を出しながらも、「タイの失地回復に協力することにより日泰緊密関係を確立するとともに、仏印を利導して仏印に対する帝国勢力の進出拡充を図り、以って帝国の大東亜における指導的地位の確立に資せんとす」とする日本の調停により、5月には東京で両国の条約が調印され、タイがラオスの一部とカンボジアの北西部を領土として回復することで紛争は決着しました。

 ピブーン政権は、この結果を、日本以外のアジアの国が欧米と戦って得た初めての勝利と大々的に宣伝し、一連の紛争で亡くなった陸海空軍将兵と警察官583名を慰霊する記念塔をバンコク市内に建立。これが、現在、バンコクから北部のチェンライへ伸びる国道一号線、パホンヨーティン道路の起点とされている“戦勝記念塔”です。

 日本の調停によってタイが失地を回復したことで、日本はタイが親日国となり、来るべき米英との戦争に際して日本に協力的な態度を取るものと期待しましたが、失地の回復という果実を得たタイは再び中立政策に回帰し、米英と日本のパワーバランスを均衡させ、勝ち馬に乗る道を模索するようになります。

 すでに、仏印との国境紛争の最中からタイは、日本のほか、イギリスに対しても支援を求めており、イギリスもこれに応える用意があったとされる。ただし、このときはアメリカがタイと日本の関係を疑ったため、イギリスはタイに対する積極的な支援は控えざるを得ませんでした。

 それでも、1941年4月17日から、ロンドンのウォータールー・アンド・サン社で製造された新たな通常切手がタイで発行されるようになったのは、タイとイギリスの良好な関係が維持されていたことの証拠といってよいでしょう。

 新たな通常切手は、1935年に新国王としてアーナンタマヒドン(ラーマ8世)が即位したことを受けて、従来のプラチャーティポック王の切手に代わるものとして発行されたものですが、国王の肖像が取り上げられているのは、全12種のうち、低額面の4種類(2サタン、3サタン、5サタン、10サタン)のみで、中額面の15サタン、25サタン、50サタンには水牛を使った農構図が、高額面の1バーツ、2バーツ、3バーツ、5バーツ、10バーツにはアユッタヤー郊外にあるバーンパイン離宮のアイサワン亭が取り上げられています。

 1883年に発行された最初の切手以来、タイの通常切手は国王の肖像を描くものだけでしたから、国王の肖像以外のデザインの通常切手が発行されたのは、タイの切手史においては画期的なことであったといえます。

 1932年の立憲革命の後、革命を主導した人民党政権はプラチャーティポック王と対立を深め、1934年、国王は眼病治療の名目でイギリスに渡ったまま、1935年3月2日に退位してしまいました。その後、幼少の甥、アーナンタマヒドンが即位するものの、新国王は第二次大戦の終結までスイスにとどまり、タイは実質的に国王不在の状態となっています。

 こうした状況の下で、ラッタニヨム政策を発動してタイのナショナリズムを宣揚しようとしたピブーン政権にとっては、国号をタイと改めた新たな体制が国王の占有物ではなく、近代的な国民国家であることを内外に示す必要がありました。国王の肖像以外にも“タイ”を象徴するデザインの切手が発行されたこと、特に、外国郵便にも使用される可能性の高い中・高額面の切手に国王の肖像が登場していないのは、そうした政権の意思の表れとみなすことができます。

 特に、中額面のデザインとなった農耕作業は、タイが東南アジア有数のコメの生産国であるということもさることながら、中国人による経済活動の独占状況を打破するため、政権が積極的に経済活動に介入し、国営企業としてのタイ米穀社を設立し、コメの流通や精米などの業務に乗り出したこととも無縁ではないでしょう。

 今回の連載記事では、こうした“大東亜戦争”直前のタイが置かれていた微妙な状況を切手や郵便物を使ってご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月13日(土)13:00から、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く』刊行記念のトークイベントを予定しております。一般書店での販売は11月25日以降の予定ですが、今回は会場限定での先行発売も行いますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。

 
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 上海万博も明日終了
2010-10-30 Sat 13:55
 早いもので、アジア国際切手展<JOBURG 2010>も明日(31日)までとなりました。もっとも、世間一般では上海万博も明日までということの方が大事でしょうね。思えば、5月1日の開幕以来、上海万博に直接関連するマテリアルは取り上げてきませんでしたので、会期ギリギリ、滑り込みでこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         上海万博・キティー

 これは、ことし5月6日に発行されたハロー・キティーのグリーティング切手で、核切手が中国・上海をイメージしたデザインとなっているほか、シートの上部には“祝・中国2010上海万国博覧会”の文字まで入っています。外国で行われる大規模イベントで、日本が参加している場合に記念切手を発行する事例はこれまでにもありましたが、“XX記念”ではなく、“祝XX”の文字がここまではっきりと表示された例は、この記事を書いていた時点ではほかに記憶がありませんでした。

 なお、読者の方からご指摘をいただいたのですが、そういえば、昨年(2009年)4月20日発行の「切手趣味週間」の切手シートにも“祝・中国 2009 世界切手展”の文字が小さく入っていましたね。まぁ、これでどこからもクレームが来なかったので、関係者としては、OKだと思って堂々と祝意を表するようになったということなのかもしれません。2002年8月、韓国郵政は「我が故郷」と題して、韓国各地の風景や史跡、風俗などを紹介する切手32種類を発行した際、日本からの本格的な抗議がなかったことで、韓国側は、日本が韓国による“独島”の領有を黙認していると“誤解”し、2004年の竹島切手発行につながったという事例がありましたが、何もそんなことをまねなくても…。ちなみに、5月31日に発行されたサッカーW杯の切手は、あくまでもW杯の“記念切手”であり、W杯の開催を寿ぐ“祝”という表記にはなっていません。

 考えてみれば、上海万博の開催当初、多くの国の自国のパビリオンが国旗を掲げる中、日本館が国旗(日章旗)の掲揚を見送っていたこともありましたねぇ。しかも、日本館が国旗を掲げなかったのは、中国側からの“要望”なり圧力なりがあったということではなく、日本側が中国の反日感情に配慮して自粛したということでしたね。これが事実であるのなら、そこまでして、巨額の経費をつぎ込み、チベットやウイグルで人権弾圧を続ける一党独裁国家のイベントに参加し、“祝・中国2010上海万国博覧会”の切手まで発行する必要があったのか、あらためて、疑問に思いますな。

 まぁ、最近の日本経済は少なからず中国によって支えられている面がありますので、“お得意様”である中国の機嫌を損ねたくないという人が一定の割合で存在するのも無理からぬことかもしれません。また、中国人に売れる切手を作るということは、ビジネスとしては重要なことなのでしょう。

 かつては、カリブ海の小国などがジャパン・マネーをあてにして、“日本”を題材としたジャポニカ切手を濫発していましたが、彼らのターゲットも、もはや、完全にチャイナ・マネー目当てにシフトしていますからねぇ。“良い切手”を発行しようとする矜持など微塵もなく、ひたすら“売れる切手”さえ作ればいいのだという発想の人たちは、ある意味で非常にドライですから、彼らの関心の所在は、そのまま、現実の国際社会の力学を反映したものとなるのはやむをえません。それゆえ、いわゆる“いかがわしい切手”のなかに中国ネタのものがどれほど増えようと、そのことじたいは構わないのですが、曲がりなりにも先進国の一角を占めているはずの日本までもが、中国に媚び、チャイナ・マネーを目当てにしていると取られかねない切手を発行してしまうとは…orz。ついに、堕ちるところまで堕ちてしまったということなのでしょうか。

 相手への配慮から国旗形容すら自粛して上海万博を祝ったことの返答が、中国船によるわが国固有の領土への侵略行為であったという、この半年間の経験から、我々はそろそろ本気で学ぶべき時機に来ているのではないかと思います。

 なお、チャイナ・マネーをターゲットにした“いかがわしい切手”の流れについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも概観しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 2011年の無錫展
2010-10-29 Fri 14:53
 南アフリカのヨハネスブルグで開催中の<JOBURG 2010>は中日となりました。きのうは、来年(2011年)秋(日付は未定のようです)に無錫で開催予定のアジア展のレセプションがあり、僕も招待されて出席してきました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        太湖

 これは、1995年に中国が発行した太湖の小型シートです。切手展の宣伝用に作られたプレゼンテーションパックの中に収められていた1枚ですが、後に、香港返還記念切手展の加刷が施されたものが発行されていますので、来年の切手展でも加刷切手が発行されることになるのかもしれません。

 太湖は中国の長江デルタ、江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖で、切手展の開かれる無錫はその北岸にあります。湖には大小約48の島と多くの半島が連なり、周囲には72の峰があり、中国有数の景勝地となっていますが、なかでも無錫側からの眺めがもっとも美しいとされています。

 さて、今回のヨハネスブルグ展では、僕はアジア切手展のアプレンティス・ジュリー(見習い審査員)として参加しました。アプレンティスは2回経験して、試験に合格すると正審査員になるのですが、今回の試験には無事に合格しましたので、あと1回、アジア展にアプレンティスとして参加しないといけません。まぁ、中国で開催の切手展というのは積極的に参加する気にはなれないのですが、切手にも“包孕呉越”の表示があるように、無錫のシンボルともいうべき太湖は“呉越同舟”の舞台になった土地でもありますからねぇ。先方が受け入れてくれるかどうか、また、国内の調整が上手く行くかどうかはともかく、アプライする意思表示だけは示しておいたほうがよさそうですな。


 オマケ
        無錫パーティー

 きのうのパーティーでのスナップです。会場内で視覚的に“中国らしさ”を感じさせる唯一の要素だった生演奏のミュージシャンをバックに撮影しました。

 今回の切手展では、僕が“現在までのところ存在が確認されている唯一の(作品の書き込み風の表現)”日本人ということもあって、審査の時もすべて和装で通しました。会場では、中国側のお偉いさんの通訳から「中国語がわかるか?」と訊かれましたが、「日本人のたしなみとして論語や漢詩などの古典はある程度読めるが、現代語はさっぱりわからん」と返答しました。あとで、タイ人の友人たちからは「どうせなら『なんであなたは日本語ができないんですか?』くらい言ってやればよかったのに…」と散々言われました。なるほど、さすが外交巧者の国として知られるタイ人は違いますね。

 
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 世界漫郵記:聖ポール天主堂跡
2010-10-28 Thu 13:53
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2010年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」ですが、今回はマカオ篇の最終回ということで聖ポール天主堂跡(大三巴)を取り上げました。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      チネリーの大三巴     現在の大三巴


 これは、2003年12月に発行された“マカオ芸術博物館”の切手のうち、ジョージ・チネリーの描いた聖ポール天主堂を取り上げた切手です。参考までに、右側に現在の聖ポール天主堂跡の画像を貼っておきます。

 1563年、マカオに上陸したイエズス会士のフランシスコ・ペレスとマヌエル・ティシェイラ、アンドレ・ピントの3人は、1565年12月、現在の聖アントニオ教会のある場所に藁葺きの小屋を建てました。これが、マカオにおける最初の教会建築とされています。

 1574年、ポルトガル国王セバスティアン1世は、この教会に対してマラッカの関税から毎年1000クルザードを寄進することを決定。これを受けて、翌1575年、木刷漆喰塗り(木刷と呼ばれる幅約3センチの木片を組み合わせた壁の上に漆喰を塗りあげる工法)の教会が新築され、マードレ・デ・デウス教会と命名されます。

 1579年、このマードレ・デ・デウス教会の南側の丘、すなわち、現在の聖ポール天主堂跡のある場所に修道院が立てられ、さらに、1582年、教会の付属礼拝堂が建てられましたが、この修道院と礼拝堂は1601年の火災で焼失してしまいます。

 そこで、マカオ市民が委員会を組織して、イエズス会の修道院に多額の献金を行い、1602年、イタリア人宣教師カルロ・スピノラの設計による教会の再建工事が始まりました。

 教会本体の建物は、とりあえず、翌1603年に竣工。その大きさは奥行き約35メートル、幅約18.5メートルあったと推測されていますが、前壁の工事はその後も続けられ、1640年代に入ってようやく完成しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、1834年にジョージ・チネリーが描いたスケッチで、前壁と並んで教会本体の一部とみられる巨大な建物が描かれており、往時の威容が偲ばれます。

 1759年、ポルトガル本国で宰相ボンパル侯が自身の暗殺未遂事件を理由としてイエズス会を追放すると、1762年に聖ポール天主堂も本国の司教直轄とされ、併設の学院はマカオ市議会の管理下に置かれます。その後、チネリーの絵が描かれた翌年の1835年1月26日、学院の台所から出火し、天主堂は前壁と石段のみを残して全焼。前壁以外にも一部の壁が焼け残りましたが、1838年、危険防止のために取り壊され、現在のような“壁のみの教会”になりました。

 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として拙著『マカオ紀行』が刊行となります。このため、雑誌『キュリオマガジン』の連載「郵便学者の世界漫郵記」もマカオ篇は今回が最終回です。次号の“番外編”につづき、2011年1月号からの「郵便学者の世界漫郵記」は、新たに“極東ロシア篇(仮題)”がスタートする予定です。ご期待ください。
 

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 <JOBURG 2010>開幕
2010-10-27 Wed 14:52
 きょう(27日)現地時間の午前9時半から、アジア国際切手展<JOBURG>がスタートします。僕も、これから朝食を済ませたら、その足で早目に会場入りしてオープニング・セレモニーに参加します。というわけで、ストレートにこの1枚です。

     JOBURGロゴ     ネルソン・マンデラ橋

 これは、今回の切手展を記念して、昨年(2009年)、南アフリカで発行された小型シートのうちの1種で、切手展のロゴマークを大きく取り上げた切手が1枚収められています。右側の写真は、ロゴマークに取り上げられたニュータウンと中心部を結ぶネルソン・マンデラ橋(2003年に開通。ヨハネスブルグのシンボルといわれている)の実際の写真です。きのう(26日)、ソウェトに行く途中の車内から撮りました。

 切手には、額面数字の代わりに、“国際小型郵便物”用(50グラムまで)と表示されていますが、現時点では、エアメールで5.4ランド(1ランドは約12円)、SAL便で4.55ランドです。隣国のジンバブエでは、ハイパー・インフレのために額面を表示できず、使用目的を表示した切手が用いられていますが、南アフリカの場合は、ヨーロッパ諸国同様、料金が値上げされてもそのまま利用できるというメリットを強調して、切手の販売につなげたいという意図のもとに発行されたとみてよいでしょう。なお、ジンバブエの無額面切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 今回の切手展は、きょうから31日まで、ヨハネスブルグ・サントン地区のサントン国際コンベンションセンターで開催され、約1500フレームが展示されます。残念ながら、日本からのコレクションの出品はないのですが、英領切手、特に、地元のケープ植民地関連では、フツーは1枚だけでも持っていれば御の字という“ウッドブロック”やマフェキング(現地語ではマフィケングと発音するそうです)のスカウト切手なども、かなりの数が並ぶのではないかと期待しています。もっとも、珍品もあまりたくさん展示されていると、有難味が薄れて、ありふれた切手のように錯覚してしまうかもしれませんが…。

 とまれ、関係者の話によると、今回の切手展では、僕が“現在までのところ存在が確認されている唯一の(作品の書き込み風の表現)”日本人だそうですから、これから最終日まで、頑張ってきたいと思います。

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 ソウェトへ
2010-10-26 Tue 12:32
 ヨハネスブルグ滞在2日目になりました。きょう(26日)は、夕方4時からミーティングがあるのですが、それまでは時間が空いているので、朝食を取ったら、午前中、ヨハネスブルグ南西部のソウェトへのツアーに参加してきます。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ソウェト5周年

 これは、1981年にアンゴラが発行したソウェト蜂起5周年の切手です。

 ソウェト(SOWETO)は“South Western Townships(南西居住地区)”の短縮形で、1904年、ヨハネスブルグ郊外ブリックフィールズの黒人居住地区で疫病が発生したため、アフリカ系住民とインド系住民を移動させてつくった居住地区がルーツとされており、アパルトヘイト政策によって迫害されたアフリカ系住民の象徴の地とされてきました。

 1976年、当時の南アフリカ政府は、学校でアフリカーンス語(オランダ系白人の言語)の授業の導入を決定。これに対して、アフリカーンス語を“白人支配の象徴”と見なす黒人たちが激しく反発し、同年4月30日、ソウェト地区のオーランドウエスト小学校の子供たちが学校へ行くことを拒否してストライキに突入しました。その後、抗議行動はソウェト地区の多くの他の学校に広がり、6月16日、学生たちが抗議集会とデモを展開。それに対し警察隊が出動、催涙ガスなどを使用して鎮圧を試みると、デモ隊は投石で応酬し、黒人学生1万人と警察隊300人が衝突し、6人が死亡、約300人が負傷する流血の惨事が発生しました。

 その後も暴動は治まらず、6月25日までに死者176人、負傷者1139人、逮捕者1298人(警察発表による)が発生。事態を憂慮した国連安保理は南アフリカを非難する決議案を全会一致で可決し、南アフリカのアパルトヘイト体制はさらに国際的孤立を深めていくことになります。

 さて、今回ご紹介の切手が発行された1981年の時点では、南アフリカは依然としてアパルトヘイト体制でしたから、当然のことながら、ソウェト蜂起の記念切手など発行されるはずもなかったのですが、切手を発行したアンゴラも内戦のさなかにありました。当然、切手発行の背景にはアンゴラ内戦の影響があります。

 ポルトガルの植民地だったアンゴラでは、1975年3月、アンゴラ解放人民運動 (MPLA)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) の独立運動の主要3組織がポルトガルと休戦協定を調印し、独立が達せられました。当初、MPLAはソ連とキューバの、FNLAはザイールの支援を受けており、最大勢力で首都ルアンダを掌握していたMPLA主体の政権が樹立されるものとみられていました。

 ところが、親ソ政権の発足を嫌ったアメリカがFNLAを支援したことで内戦が勃発。さらに、アメリカは、ともかくもMPLAを打倒するため、UNITAに対しても支援を行います。その際、アメリカとUNITAの窓口になったのが、反アパルトヘイトを唱えるMPLAに危機感を抱いていた南アフリカで、反ソという観点から、中国もUNITAへの支援に加わりました。

 その後、FNLAは首都進攻を試みたものの、キューバ軍事顧問団が指揮するMPLAに大敗。さらに、キューバ軍は、ナミビア(当時は南アフリカが実質的な支配下においていた)からアンゴラに侵攻した南アフリカ軍を撃退。戦闘の続く中で、1975年11月11日、MPLAが“アンゴラ人民共和国”の、UNITAとFNLAが“アンゴラ人民民主共和国”の独立を宣言しましたが、国際的には、MPLA政権がアンゴラの正統政府とみなされていました。今回ご紹介の切手も、そうした文脈の下でMPLAが発行したもので、アパルトヘイト政策を展開するのみならず、UNITAを支援して内戦に干渉する南アフリカに対する強い抗議の意思が表されたものといえます。

 その後、UNITAはゲリラ化し、アメリカと南アフリカの支援を受け続け闘争を継続しましたが、FNLAは1984年に降伏し、1988年に国外へ撤退。冷戦終結後の1991年、MPLAとUNITAは包括和平協定に調印し、翌1992年の選挙ではMPLAが勝利し新政府が樹立されたものの、UNITAはこれを認めず、最終的に、2002年まで内戦が続きました。
 
 なお、アンゴラの内戦が終結する前年の2001年、すでに黒人政権が発足していた南アフリカでは、ソウェト蜂起25周年の記念切手が発行されています。ソウェト地区には関連の博物館もあり、切手に取り上げられたのと同じ写真を用いたモニュメントもあるそうなので、しっかりと拝んでくるつもりです。


 (追記)

 で、先ほどホテルに戻ってきました。モニュメントは博物館前庭の噴水の中にこんな感じで立っていました。忘れないうちに、アップしておきます。

         へクター・ピーターソンのモニュメント


 ★★ 突然ですが、テレビに出ます ★★

 きょう(あす?)10月27日深夜00:20~01:15、テレビ朝日系の「お願い!ランキング」という番組の「怪しい本の集まる図書館」というコーナーにて、おなじみの佐藤B作切手の話とともに、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』が登場します。もちろん、すでに収録済みのVTR放送で、南アからの衛星生中継ではありません。

 当初の予定では、11月3日放送の「スマステーション」に登場の予定だったのですが、急遽、前倒しになりましたので、ご案内いたします。

 よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 ヨハネスブルグ到着
2010-10-25 Mon 18:50
 きょう(25日、以下、時刻はすべて現地時間)は日付変更線をまたいですぐにバンコクを発ち、現地時間の朝8時前に無事、ヨハネスブルグに到着しました。先ほど、ホテルへのチェックインも済ませ、ネットへの接続の確認を兼ねて、部屋でこの記事を書いているところです。というわけで、まずはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア宛未納葉書

 これは、1917年1月22日にバンコクからヨハネスブルグ宛の葉書ですが、切手が貼られていなかったため、未納扱いとして南アフリカの不足料切手で料金が徴収されています。経由地のシンガポールの中継印が1月30日、到着地のヨハネスブルグの着印はよく読めませんが、左上に2月23日の書き込みがあります。この葉書が到着するまでに約1ヶ月がかかっていることを考えると、きのう(24日)成田を発って、きょうにはヨハネスブルグ入りしている僕が長旅で疲れたと文句を言ったら罰が当たりますな。

 実は、1月22日というのは僕の誕生日なので、生まれ年の1967年のみならず、できるだけ多くの年の消印のカバーをお遊びで集めています。今回のカバーもそうしたもののひとつなわけですが、今回、こうしたかたちで皆様にお見せする機会が来るとは、購入時には予想だにしていませんでした。

 さて、今回の南ア行きの主目的であるアジア国際切手展<JOBURG 2010>の開幕は明後日27日からですが、僕の仕事は26日夕方からスタートです。足りないところがあっても無事に目的地に到着したこの葉書にあやかって、僕も、ともかくも無事にお役目を果たせるよう、頑張りたいと思います。


 * オマケの画像

 きのう(24日)、経由地のバンコクで降りて市内をぶらぶらしているときに撮影した風景です。前日の23日がラーマ5世の崩御100周年の記念日ということで、市内では各種の記念イベントをやっていました。画像左は、花で飾りつけられたラーマ5世騎馬像(この切手で有名な像です。切手と同じ向きで取りました)、右はワット・ベンチャマボーピットで夕方5時半ごろから行われたの古典音楽のパフォーマンスの模様です。(大理石の壁面がライトアップで青色になっています)

         ラーマ5世騎馬像(100周年)     大理石寺院・パフォーマンス


 ★★ 突然ですが、テレビに出ます ★★

 あす(明後日というべきか)10月27日深夜24:20~25:15、テレビ朝日系の「お願い!ランキング」という番組の「怪しい本の集まる図書館」というコーナーにて、おなじみの佐藤B作切手の話とともに、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』が登場します。もちろん、すでに収録済みのVTR放送で、南アからの衛星生中継ではありません。

 当初は、11月3日放送の「スマステーション」に登場の予定だったのですが、急遽、前倒しになりましたので、ご案内いたします。

 よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 いざ南アフリカへ!
2010-10-24 Sun 05:29
         ワールドカップ2010(日本)


 私事で恐縮ですが、南アフリカ共和国のヨハネスブルグで開催されるアジア国際切手展<JOBURG 2010>に参加するため、この記事を書いたら、ヨハネスブルグに行ってきます。

 展覧会の会期は27日から31日までなのですが、前日の26日夕方には参加しなければならないミーティングがあり、それに間に合うチケットは、きょう(24日)午前10時に成田を発ち、バンコク経由であす(25日)現地入りする便のものしか手配できませんでしたので、ちょっと早目の出発となりました。なお、せっかく南アフリカまで行くのに、展覧会終了と同時に帰ってきてはもったいないので、会期終了後はヨハネスブルグを離れ、ケープタウンほか各地をまわり、11月9日夕方、帰国する予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、今年のサッカーW杯に際して日本で発行された記念切手です。W杯の日本代表同様、無事に笑顔で帰国できれば良いなという思いを込めて取り上げました。

 それでは、行ってまいります!

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 ラーマ5世100年
2010-10-23 Sat 14:58
 1910年10月23日にタイ国王ラーマ5世(チュラーロンコーン)が崩御されて、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         タイ・1910年シリーズ

 これは、ラーマ5世崩御に先立つこと半年ほど前の1910年5月5日に発行された新図案の通常切手で、国王の肖像と神鳥ガルーダが組み合わされています。

 タイの1910年シリーズが発行された背景には、長年の懸案であった通貨改革が一応の決着を見たという事情がありました。

 19世紀以前のタイの通貨制度は10進法ではなく、複雑な単位計算となっていました。

 すなわち、基準となる通貨単位の名称としては、もともとは重量単位であったバーツとティカル(マレー・ティカルに由来するポルトガル語が語源とされる)が混用されており、両者は基本的に等価であったものの、用語としては、タイ人はバーツ、外国人(西洋人)はティカルの呼称を用いるのが一般的でした。そして、このバーツ(ないしはティカル)を基準に、2分ないしは4分を繰り返した補助貨幣が鋳造されるという形式を取っており、1883年に発行されたタイ最初の切手では、各切手の額面の対応関係は以下のようになっていました。

 1ソロ  128分の1バーツ
 1アット 64分の1バーツ(=2ソロ)
 1スィオ 32分の1バーツ(=2アット=4ソロ)
 1スィク 16分の1バーツ(2スィオ=4アット=8ソロ)
 1サルン 4分の1バーツ(4スィク=8スィオ=16アット=32ソロ)

 若干の補足をしておくと、当初は1バーツ(ティカル)切手の発行はありません。このほか、1ファン(8分の1バーツ=2分の1サルン=2スィク=4スィオ=8アット=16ソロ)の切手も準備されましたが、実際には発行されませんでした。

 これらタイ最初の切手では、額面を含めタイ語の表示のみで、ローマ字や算用数字の表示はなく、同一のデザインで額面ごとに刷色を変えただけでしたから、外国人がタイ国内で使用したり、外国宛の郵便物に使用したりする際には料金を識別しにくいとして、きわめて不評でした。

 このため、タイ郵政は、1885年、とりあえず、1アット切手に“1Tical”の額面を加刷した切手が発行するとともに、1887年4月、額面の通貨単位をアットに統一した切手(たとえば、1バーツ切手は64アット、1ファン1スィクは12アットと表示された)を発行します。

 その後、1897年にいわゆるチャックリー改革の一環として、1バーツを100サタンとする幣制改革が実施されましたが、この10進法に対応する新通貨は発行されず、その後も、旧来のアット貨が流通していました。

 これに対して、1902年に金本位制が導入され、それまで、香港上海銀行などが行っていたタイでの銀行券発券業務がタイ大蔵省の管轄となったのを経て、1910年、ようやく、ティカル/バーツ表示による新通貨が発行され、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。ちなみに、新通貨・新切手の発行に先立ち、1909年8月15日、サタン表示の額面を加刷した切手が発行されています。

 なお、ラーマ5世時代の1883年にタイ最初の切手が発行されるまでのいきさつについては、拙著『タイ三都周郵記』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日午前中、にカウンターが76万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 エポックメイキング・プロジェクト⑦
2010-10-22 Fri 09:47
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の10月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は、伊勢神宮を取り上げました。で、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         神宮式年遷宮

 これは、1929年10月2日に発行された神宮式年遷宮の記念切手です。

 神道の世界では、単に“神宮”というと三重県伊勢の大神宮(いわゆる伊勢神宮)のことをいいます。

 神宮は内宮と外宮に分かれており、内宮の皇大神宮には皇室の祖先とされる天照大神が、外宮の豊受大神宮には、五穀の神である豊受大神が祀られていいます。この両宮では、7世紀末の持統天皇の時代から、20年ごとに新しく社殿をつくり、御神体を奉遷する儀式が行われてきました。これが、いわゆる式年遷宮です。

 今回ご紹介の切手は、1929年(昭和4)10月に行われた第58回の式年遷宮に際して発行されたもので、杉の木立の間から内宮の側面を望んだ景観が取り上げられています。

 この構図では、本来、中心的な題材として取り上げられてしかるべき伊勢神宮の内宮は、杉の木立の間からわずかに屋根のみが描かれているだけで、わざわざ、内宮の前に塀がめぐらされている構図が採用されており、内宮の露出をできるだけ制限しようとする意図が明瞭にあらわれています。隠された内宮の一部を仰ぎ見るという構図を導入することによって、伊勢神宮の宗教的な権威や、その神秘性を強調しようとする意識があったためと考えてよいでしょう。

 なお、内宮は千木の先端が水平に切られており、屋根の上に載せられた堅魚木は10ありますが、切手ではそれらが正確に表現されています。また、記念銘も「神宮式年遷宮記念」となっており、俗称である“伊勢神宮”との表記は排されている点も注目したいところです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手については、拙著『皇室切手』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 切手に描かれたソウル:昌徳宮
2010-10-21 Thu 10:27
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月15日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は昌徳宮を取り上げましたが、きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      昌徳宮の門    昌徳宮・入場券

 左の切手は、1995年に発行された“韓国の美”シリーズのうち、王の不老長寿を祈ってつくられたという不老門と、宙合楼の魚水門が取り上げられた切手で、右の画像は昌徳宮の入場券です。昌徳宮の切手といえば、2001年に発行された“世界遺産”の切手を持ってくるのが王道なのでしょうが、入場券に宙合楼と魚水門が取り上げられていますので、比較のためにこちらを持ってきました。

 韓国でもっとも有名な紅葉の名所・雪岳山は、そろそろ、紅葉がピークを迎える頃です。例年、ソウル市内の紅葉は雪岳山の紅葉がピークを迎えるころから始まり、2週間ほどでピークを迎えるというから、今年も11月初めがソウル市内の紅葉の見ごろということになるのでしょう。

 韓国で紅葉の名所といえば、まずは雪岳山、ついで北漢山ということになるのでしょうが、ソウル市内で僕が目をつけている紅葉スポットは昌徳宮です。

 昌徳宮は李王朝時代の1405年、正宮である景福宮の離宮として建てられました。

 1592年の“文禄の役”の際、国王が漢城から逃亡した後、秀吉軍の入城前に朝鮮の民衆によってソウルの宮殿は昌徳宮を含めてすべて焼失しましたが、その後、昌徳宮は1615年に再建され、1865年に景福宮が再建されるまで、王の在所となっていました。

 このため、韓国国内に現存する宮殿のうち、創建時の姿に最も近い宮殿といわれています。たとえば、正門にあたる敦化門は1609年に再建されたものですが、韓国に現存する宮殿の正門としては最古のものとされていますし、敦化門の先にある錦川橋は太宗の時代の1411年につくられたものでソウルに残る最古の石橋のひとつといわれています。また、国王が執務をしていた宣政殿は、1647年に再建されたものだが、現在の宮殿に残っている唯一の青瓦の建物です。

 景福宮が再建された後は、ふたたび、離宮の扱いとなり、1910年の日韓併合後は最後の皇帝となった純宗の住まいとなりました。

 朝鮮式庭園の最高傑作として名高い秘苑は、もともとは離宮の後ろにあることから“後苑”と呼ばれていましたが、1623年に再建されたときには昌徳宮が“禁裏”となっていたため、その庭園という意味で“秘苑”と呼ばれるようになったものです。
 
 広大な園内には自然の地形にあわせて多くの東屋や人工池などがありますが、最も有名なのは芙蓉池と宙合楼でしょう。

 宙合楼は、国の将来を担う人材を育てるために学問を研究し、書籍を出版していた2階建ての楼閣で、1階部分は本の収蔵場所として、2階は読書室として使われていました。しばしば観光パンフレットの写真などにも用いられているから、見おぼえがあるという読者もあるかもしれません。

 さて、昌徳宮はユネスコの世界文化遺産にも登録されているくらいですから、季節を問わず、いつでも見る価値はあるのですが、チケットに印刷されている写真は、紅葉の時期の宙合楼(画面手前に見えるはずの芙蓉池はバーコードで隠れています)です。ということは、昌徳宮側としては、秋に訪れるのが一番のお勧めということなのだと思われます。

 ところが、意外なことに、昌徳宮が切手に取り上げられる場合、どういうわけか紅葉の時期のモノはないのです。すなわち、2001年に発行された“世界遺産”の切手では、便殿・宣政殿・玉座の組み合わせと、正殿・仁政殿の組み合わせの2種類の切手が発行されていますが、背景の木々は青々としている。また、昌徳宮を取り上げた最初の切手、つまり、1964年5月25日に発行された“観光シリーズ”の秘苑の切手でも、取り上げられているのは木々が青々と茂った初夏から夏の風景です。さらに、今回ご紹介の切手では、紅葉を通りすぎてしまって、雪景色が取り上げられています。

 ソウルの秋は短く、駆け足で過ぎていくと言われるが、その短い秋にタイミングをあわせて切手を発行するのが難しいがゆえに、昌徳宮の切手も夏か冬の景色になってしまうということなのかもしれません。
 

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 航海紀念碑郵票
2010-10-20 Wed 10:28
 プロ野球・パリーグのクライマックス・シリーズは、リーグ戦3位の千葉ロッテ・マリーンズが制し、日本シリーズ進出を決めました。というわけで、両リーグの優勝チームが決まったときと同様、11月に刊行予定の『マカオ紀行』の中から、関連の切手を持ってきたいのですが、マカオには海兵隊(=マリーン)の切手はありませんから、ちょっと拡大解釈して、“海”関連のこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         航海紀念碑郵票・マカオ版

 これは、1942年からマカオで使われていた通常切手、航海紀念碑郵票第二組(先進版)と呼ばれているものの銘版です。

 太平洋戦争中、日本軍は香港を占領しましたが、中立国ポルトガルの領土であるマカオは占領しませんでした。ただし、周辺の海域は日本軍によって事実上の海上封鎖が行われていたため、マカオでは、戦前のようにポルトガル本国で切手を印刷してマカオに持ち込むということが困難となりました。

 当時のマカオでは、1934年に発行された“航海紀念碑郵票”と呼ばれる切手が使われていました。これは、喜望峰をまわってインド航路を開拓したことで知られるバスコダガマ船団の旗艦、サン・ガブリエル号を背景に、ポルトガルの女神を描いたデザインで、リスボンで製造され、マカオに持ち込まれていました。
 
 ポルトガル当局は、リスボン製の切手(その使用例はこちら)に代わり、現地で切手を調達することを決定。中国との国境にも近い罅些喇提督大馬路にあった先進公司に切手の製造を発注しました。マカオの切手がポルトガル本国ではなく、現地で印刷されたのはこれが最初のことで、現地製の切手は1942年11月1日から発行されています。

 現地製の切手は、基本的なデザインは本国製の切手と同じですが、印刷がオフセット(本国製の切手は凸版印刷)で、周囲の目打も粗いことにくわえ、印面下部に印刷所の銘が入っていない(本国製の切手には“San Gabriel”の銘が入っている)ので容易に区別できます。今回ご紹介のマテリアルでは、耳紙に先進公司の名前とアドレスが印刷されているのがミソです。なお、マカオ製の切手の場合、シートによっては銘版のない“白耳”のモノもありますが、こちらは、マリーンズが日本シリーズで優勝したときのお楽しみに取っておくことにしましょうか。

 なお、11月12-14日に東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>では、会期中の13日(土)13:00からは、拙著『マカオ紀行』刊行記念のトークイベントを予定しております。新刊の『マカオ紀行』がネット書店や一般書店に並ぶ前の会場限定・先行発売となりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。


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 ダイヤモンドの露天掘り
2010-10-19 Tue 16:05
 きのう(18日)、来日中のボツワナのカーマ大統領が天皇陛下と会見。席上、陛下が「ボツワナはダイヤモンドの産出国として有名ですが、チリで最近起きたような事故はあまりないんでしょうか」と質問されると、大統領は、ダイヤモンドは露天掘りのため閉じ込められる心配はないと説明したそうです・というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ボツワナ・ダイアモンド採掘

 これは。1970年にボツワナが発行した鉱山開発の切手の1枚で、ダイヤモンド鉱山のようすが描かれています。たしかに、大統領のいうように、露天掘りですから落盤の危険性はなさそうです。ただし、組み上げたプラントが崩落する可能性はないのかという点では不安がないわけではありませんが…。

 ボツワナは、南部アフリカの内陸に位置しており、南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエに囲まれています。1966年にイギリスから独立して現在の国名になりましたが、収集家にとっては、それ以前のベチュアナランドの方が通りが良いかもしれません。

 アフリカでは数少ない複数政党制に基づく民主主義が機能している国として知られ、独立以来クーデターや内乱は一度も起きたことがなく、最大政党のボツワナ民主党が独立以来政権を保っているものの、ボツワナ国民戦線やボツワナ会議党等の野党も実質的に機能しているようです。

 経済面では、独立当初は、牧畜を基幹産業として牛肉の輸出に全面的に依存していましたが、1967年にダイヤモンドが発見されて以降、急速な経済発展を達成。アフリカでは世界最貧国に位置づけられる国が多い中、1人あたりGDPはマレーシアやアルゼンチン、ルーマニアなどの他の大陸の工業国と同クラスの世界60位前後に位置し、中所得国に分類されています。

 国家経済を支えるダイヤモンドは産出高世界第1位で、ダイヤモンド産業がGDPの42%、輸出総額の75%、政府歳入の約5割を占めています。また、ダイヤモンド大手のデビアスのDTC(ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー)が、2008年にロンドンからボツワナに移転したことで、近年、多くの研磨工場が作られました。デビアスは日本でも派手な広告で知られていますから、読者の皆様の中には、案外、気付かずにボツワナ産のダイヤモンドをお持ちの方というのも少なくないかもしれませんね。


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 COP10開幕
2010-10-18 Mon 17:03
 国連の生物多様性条約10回締約国会議(COP10)が、きょうから名古屋市でスタートしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         国際生物多様性年

 これは、今年(2010年)6月にインドが発行した“国際生物多様性年”の小型シートです。

 2010年は、生物多様性の豊かさと脆弱さに対する国際社会の関心を高め、累積する脅威(都市化の進行、森林破壊、農業行為、公害)を抑制することを目的に、国連が“国際生物多様性年”に指定したため、各国でその記念切手が発行されています。ただし、“生物の多様性”というのは概念としては理解できても、現実に切手として表現するのはなかなか難しく、多くの国では、単にさまざまな種類の動物を描く切手を発行するというケースが多いようです。今回ご紹介の切手も、多様性というよりも、インド特有の混沌とした印象が強いように僕には思えます。まぁ、サイケデリックな感じがして、これはこれで良いのかもしれませんが…。

 さて、きょうから始まったCOP10は、“国際生物多様性年”の最大のイベントの一つで、生物多様性の損失を止めるための2020年までの世界目標と、目標を実現するための20の指標(名古屋ターゲット)などが議論されることになっています。“名古屋ターゲット”の具体的な内容としては、魚の乱獲をやめる、外来種の侵入を抑える、遺伝資源による利益の公平な分配を目指す、等が挙げられています。

 しかし、環境関係の会議の常として、各国の利害というのは複雑に錯綜し、対立していますから、総論賛成・各論反対という状況で、実効性のある合意が成立しうるかどうかはかなり疑わしいというのが実情でしょう。じっさい、欧州連合が「効果的で緊急に行動し、生物多様性の損失を止める」として損失を止めること自体を目標に掲げているのに対して、途上国側は「損失を止めるために効果的に緊急に行動する」と、やれることから取り組むという緩やかな案を支持しており、彼らの間からは「先進国の主張通りにするなら、現在の100倍の支援金が必要だ」との声も上がっています。

 いずれにせよ、生物の多様性を維持するという目標を達しようとすれば、我々の生活にも何らかの犠牲や支障が生じることは間違いありません。“環境保護”というのは、“世界平和”同様、その美名とは裏腹に怪しげな連中が跋扈し、各種の利権をめぐって各国が弱肉強食の暗闘を繰り広げているのが現実である以上、わが国だけが貧乏くじを引くということのないようにしてもらいたいものですな。
 

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 中国のデモ
2010-10-17 Sun 18:43
 きのう(16日)、中国四川省成都など3都市で沖縄県・尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件に抗議する大規模な反日デモが発生しました。中国での大規模な反日デモは2005年春以来のことです。というわけで、きょうは中国のデモを描く切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         530事件

 これは、1947年に中国東北部の共産党支配地域の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した“5・30事件22周年”の記念切手の1枚で、デモに参加する学生と労働者が描かれています。

 1925年5月14日、上海の日系企業・内外綿で、従業員の解雇問題をめぐる騒動から発砲事件が起こり、1人がなくなりました。さらに同月28日、青島で、日本の要請で出動した軍閥系の兵士が数名を射殺する事件が起こりました。
 
 このため、5月30日、上海でこれらの事件に抗議する学生デモが発生。租界の警察はデモ隊に対して一斉射撃を行い、死者13名、負傷者数十名、逮捕者53名を出すという事件になりました。これが、いわゆる5・30事件のあらましです。

 翌31日、中国の全国的な労働組織である中華全国総工会の地域組織として上海総工会が成立。総工会の呼びかけに呼応して、上海全市はゼネストに突入し、労働側は列強諸国や北京政府に対して17ヵ条の要求を突きつけました。その後、事件は南京、北京、天津、さらには広州と香港にも飛び火しました。

 さて、きのうの反日デモに関して、中国政府は「一部の大衆が日本側の誤った言動に義憤を表明した」(外務省スポークスマン)なとと説明しています。しかし、中国においては、政府の許可なしデモを行うことが不可能ですから(無申請のデモを行えば、即逮捕されます)、当然のことながら、今回のデモも官製デモであることはほぼ間違いありません。すでに、香港のメディアでは、今回のデモが各大学の学生会によって周到に準備されたものであるとのデモ参加者の証言が報じられています。中国の大学学生会はすべて政府や共産党の指導下にあり、自主的な政治活動は一切認められていませんから、まさに、馬脚を現したということになりましょう。

 なお、中国側が16日という日を選んだのは、東京の中国大使館前で、文字通り、“中国側の誤った言動に義憤を表明”するための大規模デモが行われることを察知し、同日の対抗デモを組織したためという見方が有力なようです。で、その日本側のデモについての報道が、日本の新聞・テレビでは極端に少ないように感じられるのですが、気のせいでしょうかねぇ。大手マスコミの多くが、左翼系の団体が天皇誕生日などに抗議行動を行うと参加者が数十人規模でも喜んで取り上げるのに、反中デモに2800人が集まってもあまり注目しないというのは、いったい、どういう理由なのでしょうか。取捨選択の基準があるというのなら、ぜひ、ご教示いただきたいものです。


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 ゴッタルト峠のトンネル
2010-10-16 Sat 11:22
 きのう(15日)、スイス南部のアルプス山脈を貫く世界最長の鉄道トンネル、ゴッタルト・ベーストンネルが着工から14年の歳月を経て貫通しました。同トンネルは全長約57キロで、これまで鉄道トンネルとして世界最長だった日本の青函トンネル(全長53.9キロ)よりも3キロほど長いそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         ゴッタルド峠

 これは、1934年に発行されたスイス20サンチームの切手で、ゴッタルト鉄道トンネルを通過する鉄道が描かれています。

 スイスのティチーノ州アイロロとウーリ州ゲシェネンの間にあるゴッタルト峠は標高2108メートル。チューリッヒとミラノを結ぶルート上にありますが、初夏には雪解けの水で溢れるシェレネン渓谷の急流を渡河し、アンデルマットまで狭くきつい坂道で通り抜けなければならず、交通の難所として多くの犠牲者を出してきました。

 馬車が通れるようになったのは1775年のことで、1888年には177人の犠牲者を出しながらも、ゲシェネン=アイロロ間の15キロを結ぶゴッタルド鉄道トンネルが開通し、危険な峠道を往来する必要はなくなりました。今回ご紹介の切手に描かれているのは、この鉄道トンネルです。

 その後、1980年には、鉄道トンネルと並行して、ゲシェネン=アイロロ間の約17キロを結ぶゴッタルド道路トンネルが開通しましたが、これでも、交通量の増加を賄い切れなかったため、1999年10月、交通移行法が成立し、ドイツ南部とイタリア北部との間で貨物自動車やコンテナを列車に搭載して輸送させる計画が動き始めます。

 これに伴い、アルプスを高速で通過できる平坦な交通路が必要となり、従来より600m低い位置でゴッタルド峠を貫くトンネルの建設が決定。これが、きのう開通したゴッタルト・ベーストンネルというわけです。同トンネルの開通により、従来、最大2000トンに制限されていた貨物列車が、最大4000トンまで走行可能となったことにくわえ、増便が可能となったほか、チューリッヒ=ミラノ間の移動時間が60分短縮されて2時間半となるなどのメリットがあるそうです。

 余談ですが、先月、函館に行ったときには、飛行機が取れずに鉄道を利用しました。その時は、時間がかかってしんどいとぼやいていたのですが、今回のニュースを聞いて、“世界一”の青函トンネルをギリギリ体験できたのだからラッキーだったと思うようになりました。


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 “ヒトラーとドイツ人展”開幕
2010-10-15 Fri 21:28
 ベルリンの国立ドイツ歴史博物館では、きょう(15日)から“ヒトラーとドイツ人”と題した特別展がスタートするそうです。報道によると、展示はナチスが政権を握り、第2次世界大戦に突入していった時代の説明を背景に、当時の市民生活を描いた絵画や日用品、写真など約1000点を展示するもので、ヒトラーを扱った戦後初の大型展覧会は大いに話題になりそうです。というわけで、きょうはヒトラー関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         アウシュヴィッツ(小包送票)

 これは、1942年5月8日、アウシュヴィッツ強制収容所からルブリン宛に差し出された小包送票で、13キロという大型の荷物だったためか、合計2マルク35ペニヒ分のヒトラー切手が貼られています。

 1939年9月、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、1940年5月、ポーランド南部のオシフイエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外の旧ポーランド軍兵営をアウシュヴィッツ第1強制収容所として、犯罪常習者とポーランド人政治犯の収容を始めました。その後、ブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)に第2、モノヴィッツに第3収容所が設置され、1945年1月にソ連軍が解放するまでの間に、100万人のユダヤ人と、25万人以上の非ユダヤ人が計3ヶ所の“アウシュヴィッツ強制収容所”で犠牲になりました。

 アウシュヴィッツ関連の郵便物というと、収容所から指定のフォーマットで送られたカバーが中心になります。収容所で作られたフォーマットのうち、もっともよく利用されたのはレターシートで、これには、紙質のバラエティがあるほか、左側に印刷された注意書きが7ヶ条のモノと6ヶ条のモノに大きく分類されます。

 今回ご紹介のマテリアルは、そうした収容者差出のモノではなく、収容所当局が差し出したモノではあるのですが、見かけがなかなか派手なので、アウシュヴィッツ関連マテリアルの中では結構気に入っている1点です。

 さて、11月12-14日に東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>ではポーランド切手展という特集をやるということで、僕も、アウシュヴィッツ関連のミニ・コレクションを展示することになりました。収容所作成のレターシートのバラエティを中心に、今回ご紹介の小包送票をはじめ、第二次大戦中のアウシュヴィッツ関連マテリアルの代表的なものを展示する予定です。

 会期中の13日(土)13:00からは、拙著『マカオ紀行』刊行記念のトークイベントも予定しておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。


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 鉄道記念日
2010-10-14 Thu 23:53
 きょう(14日)は鉄道記念日です。というわけで、拙著『事情のある切手ほど面白い』のなかから、何か鉄道に絡んだ切手はないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

         白糠線

 これは、ことし(2010年)6月1日に発行された「ふるさと心の風景第7集」のうち、白糠線を取り上げた切手です。

 白糠線は、1964年10月7日、白糠=上茶路間 (25.2km) で開業したローカル線です。当初の計画では、沿線の石炭及び森林資源の開発を目的に、池北線の足寄駅に結ばれ、さらに足寄から新得までの北十勝線とあわせて根室本線のバイパスを形成することになっており、1970年には釧路二股までの工事も完成していました。

 しかし、沿線の炭鉱(雄別鉄道上茶路坑)は1970年には全て閉山し、人口が激減。手を組むはずであった北十勝線も頓挫し、白糠線は新線延長はおろか既開業線の存続すら危うい状況に陥ります。このため、国鉄側は、工事は完了したものの、開業すれば赤字必至のローカル線の引き受けを拒否しましたが、1972年、当時の運輸大臣であった佐々木秀世の命令という異例の形で、延長部分の開業が行われました。ちなみに、その際、終点の釧路二股はさらなる延長への期待を込めて“北進”と変更されましたが、実際には、この年、延長工事の中止が決定されています。

 結局、石炭輸送の需要がなくなった後の白糠線は営業係数3077(100円稼ぐのに3,077円かかる)という国鉄一の赤字路線となり、線路とほぼ平行に国道が通っていたこともあって、1983年、開業からわずか19年で廃線となりました。

 まぁ、沿線の風景を観光客として楽しむ分には、なかなか風情があってよいということもあるのでしょうが、白糠線にまつわる経緯をざっと眺めてみると、(似たような景色は北海道内の他のローカル線の沿線でも見られるのでしょうから)はたして切手に取り上げるべき鉄道としてふさわしいものなのかどうか、いささか疑問がありますな。

 なお、「ふるさと心の風景第7集」は、シートの余白部分に描かれた北海道の地図に択捉島が描かれていないことが問題となり、発行後、回収処分となりました。そのあたりについては、拙著『事情のある切手ほど面白い』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 奇跡の生還
2010-10-13 Wed 22:16
 チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に閉じ込められた作業員33人の救出活動が始まり、8月5日の事故発生から69日ぶりに作業員が続々と地底から生還。奇跡の生還劇に、世界中が沸きたっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         チリ・銅山国有化

 これは、1972年にチリが発行した銅山国有化の切手で、国旗を背景にした鉱夫が描かれています。

 冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデを指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデが大統領に就任。新政権は、社会主義国との国交樹立、独占企業の国有化、土地改革、所得再配分などを骨子とする新政府の対外・対内政策を発表しました。

 その最大の目玉のひとつが、チリの主要産業である銅山の国有化で、1970年11月14日に銅山国有化特別委員会が設置され、銅山国有化にむけて政府は具体的な活動を開始します。

 これに対して、アメリカ系の銅生産の多国籍企業は、1971年3月18日、チリ経済を撹乱すべく、銅の国際価格の操作を開始して対抗しましたが、5月21日に世界最大のエルテニエンテ鉱山が政府の統制下に入ったのを皮切りに、7月11日には銅山国有化の憲法改正案が可決され、アナコンダ社(チュキカマタ、エクソティカ、エルサルバドル銅山)、ケネコット社(エルテニエンテ銅山)、セーロ社(アンディーナ銅山)の5大銅山が国有化されました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 これに対して、アメリカなどの西側諸国は経済封鎖を発動し、会社・店などを経営する富裕層は左翼政権を嫌ってストライキをおこなうなど、アジェンデ政権に揺さぶりをかけましたが、これはかえって、国内の貧困層を団結させる結果となり、1973年の総選挙では、人民連合は大統領選よりさらに得票率を伸ばすことになりました。

 そこで、反アジェンデ勢力は、アメリカの支援と黙認の下で、武力による国家転覆を計画。9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍が率いる軍が大統領官邸を襲撃し、アジェンデを殺害(自殺説もある)するクーデターを起こすことになります。

 さて、今回の救出劇に関しては、ピニェラ大統領の“政治ショー”との批判も一部では流れているようです。

 今年3月、それまでの中道左派政権を破って政権を獲得した中道右派のピニェラ大統領は、5年間で100万人の雇用創出などを公約に掲げていましたが、就任直前に大地震が発生してチリ経済が大打撃を受けたことや、復興予算確保のための銅の収益税増税を狙ったものの左派連合に阻まれて法案が否決されるなど、厳しい政権運営を迫られていました。

 そこへ、今年8月、今回の落盤事故が発生すると、大統領は作業員33人生存のニュースを現場から約800ロ離れた首都サンティアゴから自ら発表したほか、その後も砂漠の中の事故現場を訪れて地中の33人の救出に向けて“国民の連帯”を訴えてきました。この結果、低迷していた支持率も回復。国民世論を背景に、一端は否決された収益税法案も、修正を加えて左派連合の同意を取り付けて近く成立する運びとなっており、そのことが、「事故を政権浮揚に利用している」という批判にもつながっているようです。

 もっとも、阪神大震災の救援に自衛隊を速やかに派遣せず、無為無策でいたずらに犠牲を大きくした村山富市は論外としても、事態がひと段落してから、真新しい作業着を着て、ほんの申し訳程度に現場を一度だけ大名行列で訪れるわが国の歴代首相を見ていると、仮に政治的パフォーマンスだとしても、国家の最高指導者が「国民を救うために皆で団結しよう」とみずから陣頭に立って訴えている国というのは、うらやましい限りですな。(ほんとは、それが政治家として当たり前の姿勢なんでしょうけどね)
 
 
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 切手が語る宇宙開発史(10)
2010-10-12 Tue 11:39
 雑誌『ハッカージャパン』の2010年11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

         ポーランド郵便400年

 これは、1958年にポーランドが発行した“ポーランド郵政400年”の記念葉書で、印面にはロケットのイメージがとりあげられています。

 第2次大戦中、ナチス・ドイツによって占領されていたポーランドは、戦後、ソ連の衛星国となりました。当然のことながら、多くの国民はこれに不満をもっていましたが、ボレスワフ・ビェルト率いるポーランド統一労働者党(共産党)政権は、宗主国のスターリンに倣って反体制派を弾圧し、体制を維持していました。

 ところが、1956年2月、ソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン(1953年没)批判を行います。宗主国の突然の方針転換にショックを受けたビェルトはショックで心臓発作を起こし、3月に急死。エドヴァルト・オハプが党第一書記となりました。

 すると、同年6月、西部の都市ポナズンで未払い分の給料の支払いを求める工場労働者のデモが発生。政府が力づくでこれを抑え込もうとしたことに反発し、デモは暴徒化し、100名を越える死傷者が発生しました。いわゆるポナズン暴動です。


 暴動後の10月21日、責任を取らされるかたちでオハプは辞任。ヴワディスワフ・ゴムウカが党第一書記となりました。ゴムウカは戦前からの古参共産党員で、第2次大戦後はポーランドでの共産主義体制の樹立に尽力しましたが、1948年に“右翼民族主義的”と批判され、翌1949年に党の除名。1951年には逮捕・投獄されていた人物です。

 復権を果たし、権力を掌握したゴムウカは、ワルシャワ条約機構の枠組みは維持するものの、その中での可能な限りの自主路線を模索。具体的には、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和などの改革が行われ、結果的に、スターリン主義的な風潮はかなり緩和されました。これに対して、フルシチョフがスターリン個人に対する批判を行ったとはいえ、衛星国の“ソ連離れ”をソ連が歓迎するはずもなく、ソ連とポーランドの間には確執が生じたとされています。

 1957年10月にスプートニク1号が打ち上げられると、東ドイツチェコスロヴァキアルーマニアが同年中に人工衛星を切手に取り上げてソ連に対する忠誠心を表明したのに対して、ポーランドが最初に人工衛星の切手を発行したのは1958年9月30日にまでずれ込んでいます。

 また、1958年は、1558年10月18日にポーランド王ジグムント・アウグストがクラクフ=ヴィリニュス(現リトアニア)間の定期郵便路線を開いてから400年にあたっており、これを記念して輸送機関の変遷を示した切手や葉書が発行されましたが、その中には、今回ご紹介のモノのように、人工衛星やロケットを取り上げたモノもあります。ただし、そのデザインは実際のスプートニク1~3号を写実的に表現しているわけではなく、あくまでもイメージ図のようなデザインでしかない。すなわち、ソ連の衛星を素直にたたえる内容とはなっていないのです。

 このように、当時のソ連とポーランドとの微妙な距離感は、切手や葉書にもしっかりと痕跡を残しているといってよいでしょう。

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 体育の日
2010-10-11 Mon 09:38
 きょう(11日)は体育の日です。というわけで、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』の中から、スポーツネタの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         バンクーバー五輪(小型シート)

 これは、昨年(2009年)にカナダが発行したヴァンクーヴァー五輪の小型シートで、オリンピックのエンブレムとキャラクターの切手が組み合わされています。切手に描かれているのは、左から、イラナーク像、ミーガ、スーミ、クワッチ、カナダ西海岸の自然に三本の曲線、です。

 大会エンブレムは、オリンピックが、先住民族が道しるべとしている石像・イヌシュクを元に現代アート風につくられた“イラナーク(先住民族族の言葉で友人の意)像”で、パラリンピックが“カナダ西海岸の自然をデザイン化した図柄に三本の曲線が添えたもの”です。また、マスコット・キャラクターのうち、オリンピックは、オルカとシロクマをモチーフにした女の子の“ミーガ”と、サスクワッチ(先住民族の伝説に登場する毛深い巨人をモチーフにした男の子の“クワッチ”であり、パラリンピックは、サンダーバード(先住民族の神話・伝説に登場する神鳥)の翼と熊の脚を持つ“スーミ”となっています。

 計5点のうち、3点の題材が先住民族の伝統文化から採られており、2点の題材がカナダの自然をモチーフとしたもので、カナダ社会の主流を占める白人やその文化的伝統を連想させるものは何もありません。
 
 カナダにおいて先住民の権利が社会的な問題として考慮されるようになったのは、第二次大戦以降のことです。

 すなわち、第二次世界大戦が勃発すると、先住民族の男性がカナダ兵として数多く出征。当然のことながら、その代償として従来の“インディアン法”の差別的な規定の廃止を求める声が強まり、1960年、ようやく先住民族に対しても市民権が与えられ、1964年には土地請求問題に関する調査委員会が設立されました。さらに、1982年の新憲法では、先住民族の独自性の尊重とその歴史的根拠が示され(第25条)、先住民族が現に有する権利や“インディアン条約”(先住民族と入植した白人との間で結ばれた土地所有権や漁業権などについての条約)上の権利が承認(第35条)され、先住民族の権利侵害に対する補償が進められることになります。

 ところが、ヴァンクーヴァーのあるブリティッシュ・コロンビア(BC)州に関しては、他地域と異なり、そもそも“インディアン条約”が存在していなかったため、同州が英領植民地となった際に先住民族の権利が消滅したのか否かという点で議論が分かれ、問題はなかなか進展しませんでした。ようやく、1997年、先住民族によるデルガムーク訴訟に対して、①BC州には先住権が存在する、②それは単に狩猟・漁業・採集といった権利ではなく、土地そのものに対する権利である、③先住民族の権利はその他のカナダ人の権利とは明白に異なる独自のものである、④先住民族の権利は彼ら独特の土地の共同所有権を含む、⑤先住民族の法的な地位は彼らの人種によるものではなく、彼らが北米大陸に入植者がやってくるはるか前からその土地を所有していた人々の子孫であることに由来する、との判決が下されました。

 もっとも、判決はBC州における先住民族の権利のそのものは認めましたが、その権利を誰が有するかという点については明確な指針を示すものではありません。このため、先住民族側は州政府ならびに連邦政府と交渉して、あらためて“条約”を結び、土地や資源、自治権などの問題を包括的に処理できなければ、個別のケースごとに訴訟に持ち込んで、それが先住権に該当するかどうかを逐一審査する必要があります。かくして、BC州政府と先住民族の間の土地請求交渉は膨大な時間と経費をかけて、現在なお進行中です。

 それゆえ、五輪関係の土地に関する先住権問題がこじれ、先住民族側が大会の開催中止や施設の移転を求めれば、大会そのものが成り立たなくなります。大会のスムーズな運営のためには、単なる美辞麗句としてではなく、文字通り、先住民族の“協力”が不可欠だったのです。

 切手にも取り上げられたエンブレムやマスコットの題材選定や、開会式の冒頭、会場の中央には四本の巨大なトーテムポールが起き上がり、競技会場の周辺を居住区とし、大会ホストとして準備を進めてきたリリワット、マスクエアム、スコーミッシュ、ツレイル・ウォウトゥスの先住民四部族が民族衣装で踊りを披露しながら入場するという演出などは、いずれも、そうした文脈に沿ったものでした。

 また、より直接的な先住民族対策として、先住民族の施設整備などの関連事業に対して約1億5000万カナダドル(約127億5000万円)が投資されました。その結果、先住民族社会は五輪特需に沸き、彼らの暮らしぶりは改善されてきたといわれています。

 五輪組織委員会とともに大会準備にあたった四先住民族協会CEOのテワニー・ジョセフは「恥辱にまみれた歴史だったが、五輪に一般のカナダ人とともに取り組んだことは新たな希望をもたらしてくれた」と語っていますが、そのためにヴァンクーヴァー市やBC州が支払ったコストは莫大なものとなっています。それが果たして妥当なものであったのかどうか、後代のカナダ国民がどのような評価を下すのか、気になるところです。
 

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 遅すぎた投資家保護
2010-10-10 Sun 10:10
 きょうは2010年10月10日。10が3つ並ぶ日です。というわけで、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』の中から、“10”がらみの1枚です。

         証券・商品局10周年(UAE)

 これは、ことし(2010年)1月29日、アラブ首長国連邦(UAE)が発行した“証券・商品局:投資家保護の10周年”の記念切手です。UAEの証券・市場局は、連邦内の主要経済圏であるドバイとアブダビの証券ならびに商品取引を監督するための機関です。

 記念切手発行の2ヵ月ほど前の2009年11月25日、UAEを構成する首長国のひとつ、ドバイでは、政府が政府系持株会社ドバイ・ワールドと不動産子会社ナヒールの債務590億ドルについて6ヵ月以上の支払い猶予を債権者に求めたことで、欧米系銀行の債務焦げ付きの懸念からユーロが一挙に売られて円高が急激に進行するとともに、株価が大きく下落しました。いわゆる“ドバイ・ショック”です。

 切手の発行はドバイ・ショック以前から計画されていましたが、ドバイ経済に対する信頼が大きく揺らいでいる時期だっただけに、“投資家保護”という切手の文字がなんとも皮肉に映ります。

 1971年12月のUAE発足後、アブダビの首長であったザーイドが国家元首としての連邦大統領に就任し、ドバイの首長であったラーシドは副大統領となります。豊富な石油資源を持ち、人口・面積ともにUAE内で突出していたアブダビに対抗して、連邦内での発言力を維持するため、ドバイは原油依存の経済構造からの脱却を目指して産業の多角化に乗り出しました。

 もともと、ドバイは天然の良港であり、1960年代に本格的な石油開発がスタートする以前から、ペルシャ湾岸地域の貨物の集散地となっており、UAEの結成と前後して造られたラーシド港(1972年完成)も折からのオイル・ブーム(わが国など消費国にとって“オイル・ショック”は産油国にとっては好況をもたらします)を背景に成功を収めていました。

 こうした経緯を踏まえ、1977年、ドバイはアブダビとの境界に近いエリアに港湾都市ジュベル・アリを造成。1980年代に入ると、この地域を“ジュベル・アリ・フリー・ゾーン”と名付けて経済特区に指定し、15年間の法人税減免、個人所得税および関税の免除、取引通貨の制限なし、雇用契約の規制緩和などの優遇措置を設けて外国企業を盛んに誘致しました。さらに、1985年にはUAEのナショナル・フラッグ・キャリアとしてエミレイツ航空がドバイを拠点空港として就航を開始。1975年にレバノン内戦が勃発し、それまで中東アラブ世界の貿易・金融の一大中心地であったベイルートが戦禍に見舞われたことも、ドバイにとっては追い風となりました。

 かくして、ドバイ経済は急成長を遂げ、1970年代から20年ほどの間に経済の石油依存率は半分以下になり、GDPの伸びも30倍に達している。この間のドバイが“中世から近代への急変”と呼ばれるゆえんです。

 UAE政府が2000年に証券・商品局を設立したのも、こうした実績を踏まえ、ドバイに全世界の投資家を呼び込み、ドバイ市場をニューヨークやロンドン、チューリッヒ、香港、シンガポールなどの金融先進地域と共通ルールで運用することで、ドバイを中東ローカルから世界レベルの金融拠点として脱皮していきたいという意図があったからにほかなりません。ちなみに、現在のドバイ金融市場(証券取引所)は証券・商品局の設立(2000年1月)を受け、2000年3月26日に設立されました。

 さらに、ドバイ政府はより一層の外資を呼び込むため、不動産市場を自由化し、UAE国籍を持たなくとも自由に土地や不動産を所有できるようにします。この結果、建設ブームが過熱し、パーム・アイランドやワールドなどの人工島、ドバイ・マリーナ、世界で最も高いビルとして話題になったブルジュ・ハリーファ(建設期間中は“ブルジュ・ドバイ”と呼ばれていた)などの大規模土木プロジェクトが次々と進められていくことになりました。

 この流れは、2003年以降、いっそうの拍車がかかり、2004年後半に始まる原油高の追い風を受けて、2005年度のドバイ経済は16%という高い成長率を記録。この間、2004年にはブルジュ・ハリーファの建設工事が始まっています。

 しかし、外資の導入による急激な経済発膨張が、経済実態からはかけ離れたバブル的状況へと転化するのに、それほど時間はかかりませんでした。2008年9月、アメリカの名門投資銀行リーマン・ブラザーズが64兆円の負債を抱えて倒産した“リーマン・ショック”から世界的な金融危機が発生すると、その影響はドバイを直撃。外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化、それらに伴う多数の建築工事や計画の中止、外国人労働者の失業、さらには外国人観光客の減少なども追い打ちをかけるかたちで、景気は急速に減速し、2009年11月のドバイ・ショックへとつながっていくのです。

 あらためて、今回ご紹介の切手を見てみると、そこに描かれている株価や取引額の推移を示すグラフは右肩上がりになっています。デザイナーが切手の原画を制作した時点では、まだドバイ・ショックは到来しておらず、ドバイの人々も依然として泡沫の夢に酔いしれていたということなのかもしれません。


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 恭喜 恭喜
2010-10-09 Sat 14:13
 中国人民の皆様、民主活動家で作家の劉暁波氏のノーベル平和賞、おめでとうございます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         戦勝60年(中国)

 これは、2005年8月15日に中国が発行した“中国人民抗日戦争と反ファシスト戦争勝利60年”の記念切手です。

 偉大なる貴国は、先日、小日本(日本を侮蔑していう表現)から釣魚島(というのはお前らの勝手な呼び名で国際法上はれっきとした日本領の尖閣諸島)の領有権が貴国にある(などという妄言を実現すべく、今後もごり押しをしていく)と示すため、日本の領海を不法に侵略した漁船(に偽装した工作船の可能性が極めて高い船)を拿捕し、法律に則って船長(漁師ならほぼ毎日海に出ているはずなのに、ほとんど日焼けしていないのは、やはり、中国4000年の日焼け止めのおかげでしょうか)を逮捕した小日本から法治国家の原則を曲げさせてまで無事に乗員と船舶を取り戻し(小日本の売国政権法の正義や人権などお題目にすぎない“人治の国”である貴国の偉大さを学んだのでしょう)、外交的な大勝利を収められました。抗日戦争から65年ぶりの小日本への勝利、まさに「恭喜 恭喜」(中国語で“おめでとうございます”の意)というところでしょうか。

 ところで、今回ご紹介の切手のうち、下段はノルマンディ上陸作戦ベルリン陥落という具体的な事例が挙げられていますが、上段の抗日戦争に関しては、全人民抗戦、大黒柱という抽象的なイメージになっているのは残念です。“(現場には日本兵が5000人しかいなかったのに)日本軍の死傷2万余人、歩兵銃1万余・歩兵砲77・戦車40・大砲50余を鹵獲”という、文字通り驚嘆すべき戦果をあげられた“台児荘での大勝利”や“極悪非道な日本軍”が30万人を虐殺した“南京大虐殺(当時の南京の人口は20万人しかいなかったはずですが)”などをお取り上げになれば(明らかな歴史捏造の荒唐無稽ぶりが天下にさらされて)良かったのに…と思わざるをえません。

 まぁ、今回ご紹介の切手の後段にあたる“反ファシスト”ということでいえば、現代のファシスト国家であるシナ共産政権に異を唱えて獄中にある劉暁波氏が、今回、ノーベル平和賞を受賞して世界的なお墨付きを得たわけですし、小日本に対する勝利同様、21世紀の新たな成果が上がることになるものと期待したいところであります。

 とまれ、今回ご紹介の切手を持ち出すまでもなく、建国以来、反ファシストを掲げてきた貴国(ほんとはお前らが現在の最大のファシスト国家じゃないかとまともな日本人は皆思っているわけですが)の皆様にとって民主活動家の受賞は(アジアの侵略者にして人権無視の一党独裁国家・シナ共産政府の終わりの始まりとして)まことに慶賀すべきことでしょう。おめでとうございました。


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 日豪戦争③
2010-10-08 Fri 12:35
 本のメルマガ407号が配信となりました。ご報告が遅くなりましたが、406号に掲載の僕の連載「日豪戦争」では、今回は、歴史的背景の説明の続きとして、第1次大戦期の日豪関係についてまとめてみました。そのなかから、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         北西太平洋加刷

 これは、第一次大戦中、オーストラリア軍が占領した旧ドイツ領ニューギニアで使用するために発行した加刷切手です。

 1914年8月5日、英本国はドイツと戦争状態に突入し、大英帝国にとっての第一次世界大戦が始まります。

 大戦の勃発とともにオーストラリア海軍は英本国の指揮下に置かれ、オーストラリア連邦政府は、連邦領土に隣接するドイツ領ニューギニアを占領するための部隊を編成するとともに、海外派兵を目的とするオーストラリア軍団の設立を正式に決定しました。

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロが“発見”し、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸。1546年になるとスペインが島の領有を主張したのをはじめ、1793年にはイギリス東インド会社が島全体の領有を主張し、さらに、イギリスに対抗してオランダ東インド会社が、1828年に島の西半分を領有するなど、列強の勢力角逐の場となっていました。ただし、各国による領有権の主張とは裏腹に、気候が厳しく天然資源にも恵まれないニューギニアの開発はなかなか進まず、19世紀までは“領有”は名目的なままに放置されていました。

 こうした状況の下で、1873年、ハンブルクの民間会社ゴーデフロイ商会が島に上陸し、マトゥピを拠点に交易を開始。1875年には、ドイツの軍艦“ガゼル”が近海の島々を探検し、1878年には軍艦“アリアネ”がビスマルク諸島ニューブリテン島の一部を原住民から購入しています。その後、ゴーデフロイ商会は経営難に陥ったため、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが設立した“南洋商事会社”がゴーデフロイ商会の経営権を継承。1884年11月には軍艦“エリザベート”がマトゥピに寄港し、同地のほか、ビスマルク諸島やアドミラルティ諸島の各地にドイツ国旗を掲揚しました。

 これに対抗して、同年、イギリスもニューギニア本島南東部のポートモレスビーにユニオンジャックを掲揚。かくして、ニューギニア島は、西部がオランダ、東部は英独両国が南北を分け合う格好となり、1901年のオーストラリア連邦の結成を経て、1906年、英領部分はオーストラリアの管轄下に置かれていました。

 1914年8月5日の英独開戦と同時に、オーストラリア軍はドイツ領ニューギニアのラバウルに対する攻撃を開始し、9月11日にはヘルベルトヘーエを、翌12日にはラバウルを占領し、ニューギニア島東部を支配下に収めます。当初、オーストラリア軍は占領地に無加刷切手を持ち込んで使用していましたが、その後、ドイツ時代の切手を接収して“GRI”の文字を加刷した切手やオーストラリア切手に“N.W. PACIFIC ISLANDS.”の文字を加刷した切手が使われています。こうした状況は、第1次大戦が終結し、旧ドイツ領ニューギニアが正式にオーストラリアの委任統治領となったことを受けて、1920年に“ニューギニア”名義の切手が発行されるようになるまで続きました。

 一方、オーストラリアが旧ドイツ領を獲得して版図を北側に拡大したのと同様に、日英同盟に基づいてドイツと戦った日本もまた、旧ドイツ領南洋群島を獲得します。

 すなわち、大戦が勃発すると、日本軍は10月7日にヤップとポナペを、同8日にパラオを、11日にトラックを、12日にアンガウルを、17日にサイパンを占領し、ドイツ領南洋群島を完全に制圧。これに先立ち、オーストラリア軍は9月26日にアンガウルを攻撃していますが、英本国の意向により、それ以上の南洋群島への攻撃は中止しています。

 英本国としては、オーストラリア海軍は1911年に発足したばかりで弱小であり、南洋群島を含む広大な“ニューギニア保護領”を領有するドイツと戦い、オーストラリアの通商航路を確保するためには、西太平洋最大の海軍力を持つ日本の協力が不可欠であると考えていました。実際、この時期、オーストラリア海軍が太平洋を自由に航行しえたのは、日英同盟による日本の海軍力が彼らの安全を保証していたからにほかなりません。ANZAC兵や物資・食料を運ぶオーストラリア船の護衛を日本海軍が担当することさえあったという事実は、その何よりの証拠といえますし、こうした日本の協力に報いるため、英本国は赤道以北の旧ドイツ領南洋群島を日本が支配することを認めざるを得なかったのも当然といえましょう。

 かくして、グアムを除くカロリン諸島とマリアナ諸島を含む旧ドイツ領ニューギニアは日本とオーストラリアによって分割されることになります。

 しかし、そもそも(ドイツではなく)日本を最大の仮想敵国として海軍を創設したオーストラリアからすれば、ドイツ領ニューギニアという緩衝地帯が消滅したうえ、大日本帝国の南端が自国に接近し、実質的な隣国となることなど、とうてい承服しがたいことでした。日英同盟の傘の下、日本海軍のプレゼンスによって彼らのシーレーンが確保されてきたという現実は、白豪主義を掲げる国家にとっては“不都合な真実”以外の何物でもなかったのです。

 しかし、大戦の勝利という大義の前に、英本国は日本との同盟関係を優先し、オーストラリアの反対論を抑え込むことを選択。英本国は、オーストラリアの連邦政府に対して、閣僚は“好ましくないニュース”に対する“心の準備”をしておくこと、戦争中にオーストラリア国内で反日デモなどが起こることを阻止すること、などを厳命し、オーストラリア側も不承不承ながら本国の命令を受け入れざるを得ませんでした。

 こうしたオーストラリア側の“忍耐”は、1918年にドイツの降伏というかたちで大戦が終わるとその根拠を失います。そして、1919年のヴェルサイユ講和会議では、オーストラリア首相のウィリアム・ヒューズが、オーストラリア国内で鬱積し続けてきた(身勝手な)不満を、英本国ではなく日本を標的にしてぶちまけることになるのです。

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 日本人2人がノーベル化学賞
2010-10-07 Thu 08:34
 今年度のノーベル化学賞は、有機化合物の革新的な合成法を開発した鈴木章・北海道大名誉教授、根岸英一・米パデュー大特別教授、リチャード・ヘック米デラウェア大名誉教授の3氏が受賞しました。報道によると、「従来は不可能と考えられていた2種類の有機化合物を、金属のパラジウムを触媒に使って結合させる“クロスカップリング反応”と呼ばれる手法をそれぞれ独自に開発し、医薬品製造やエレクトロニクス分野で、さまざまな新しい物質の合成を可能にした功績が評価された」とのことですが、文系人間の僕にはちんぷんかんぷんです。で、とりあえずは、“化学”ということでこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         アルコール専売10周年

 これは、1948年9月14日に発行された“アルコール専売制度10周年”の記念切手で、中央にアルコール製造に必要な蒸留塔(千葉県千葉市稲毛の工場のものがモデルとなりました。右から、もろみ塔、精留塔、脱水塔が描かれています)を配し、その下にアルコールの分子式C2H5OHが記されています。また、左右にはアルコールの原料となるサツマイモの葉 が配され、底部には酵母菌が描かれています。なお、この切手は化学式が取り上げられた世界最初の切手です。

 日中戦争下の1938年3月31日、「アルコールノ製造ハ政府ニ専属ス」と定めたアルコール専売法(以下、専売法)が公布され、同年9月14日から施行されました。

 ここでいう“アルコール”とは、いわゆる酒類のことではなく、酒精と呼ばれるエチルアルコール(エタノール)を意味しています。エチルアルコールは、各種溶剤として塗料・医薬品・セルロイドなどに用いられるほか、エーテルや食酢、火薬の原料ともなり、合成化学の原料として重要な意味を持っています。また、純粋な酒精(無水酒精)は、ガソリンと混ぜて燃料として用いられることもあります。

 ただし、エチルアルコールは、そのままでは飲料に転用することが可能なため、酒税の課税対象となってしまいます。このため、税務官の立会いのもと、少量の石油やベンゾールなどを混ぜて飲用不適なものにしたうえで、使用されることがあります。

 なお、専売法の対象となるエチルアルコールは、アルコール分(温度15度のときに原容量中に含まれるエチルアルコールの濃度をパーセントで示したもの)が90度以上のものに限られています。

 このように、戦時体制下において重要な物資であるアルコールを、安定的に、そして、課税対象から外すことで安価に供給を図るとともに、工業用アルコールの飲料への転用による酒税の脱税を防ぐことを目的として、専売制度がスタート。生産された工業用アルコールは、アルコール専売事業特別会計が全量収納(収納価格は総括原価方式で政府が決定)し、特別会計の事業益金は国庫に納付されることになりました。

 こうしたアルコールの専売は、ながらく3公社5現業のひとつとされ、塩・タバコの専売が廃止された後も維持されていました。しかし、規制緩和の流れの中で、1998年末、通産相の諮問機関である産業構造審議会から民営化が望ましいとの答申が出されたことを受け、2000年4月に公布されたアルコール事業法で新エネルギー・産業技術総合開発機構が販売することになり、現在にいたっています。

 1948年は、上記のようなアルコール専売制度のスタートから10周年にあたっていたため、専売事業を管轄する商工省は逓信省に対して記念切手の発行が依頼されました。その背景には、経済復興のためにアルコールが重要な役割を果たすものであるとの認識があったことはいうまでもありません。

 このため、逓信省は商工省の提案を受けいれ、専売法施行10周年にあたる9月14日の切手発行を決定します。ただし、9月10日に出された切手の発行告示では、切手発行の名目は「アルコール專賣制度十周年に因み化學知識普及のため」とされ、今回の切手は、あくまでも「化学知識普及運動」に主眼を置いた特殊切手であるとの形式が採られました。また、シート上の題字も「化学知識普及運動 アルコール專賣制度十周年」となっており、専売制度10周年という本来の発行目的は脇役のように扱われています。“アルコール”に対する一般のイメージが、いわゆる酒類に限定されており、無用の誤解を招きかねないとの懸念があったためでしょう。

 じっさい、当時の雑誌『郵趣』には、以下のような記述があり、一般収集家の間には“アルコール”に関する誤解が根強かったことがうかがえます。

 競馬を出したのなら(=1948年6月6日発行の“競馬法公布25周年”の切手を指す)こちらでもと商工省が望んだのが、その名も實に物々しい「化學知識普及運動、アルコール專賣制度十周年」特殊切手で、施行日に因む九月十四日發行された。
 凡そ酒の切手が出るなんて、過去に考えた者も尠いと思ふが、先例がフランスにあるので別に目新しくもないとは云へ、更に藝者の切手でも出れば、三拍子揃ふことになる。

 まぁ、僕も他人様のことをとやかくいえませんが、科学技術の話ってのは、素人にはなかなかわかりにくいものですよね。
 

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 巨大なペンギン
2010-10-06 Wed 18:17
 ペルーのパラカス国立自然保護区で、現存するペンギンでは最大種のコウテイペンギンをはるかに超える体長1.5メートル、体重60キロという、3600万年前の巨大ペンギンの化石が見つかったそうです。というわけで、巨大なペンギン切手といえば、これでしょうかね(画像はクリックで拡大されます)

         サウスジョージアのペンギン

 これは、2008年にサウス・ジョージアで発行されたペンギン切手の小型シートです。個々の切手そのものはごくフツーの大きさですが、4種収めた小型シートがペンギンの型抜きになっているのがミソです。

 サウス・ジョージア島は、南大西洋にある英領の島で、フォークランド諸島の東約1000キロの地点にあります。

 1502年、アメリゴ・ベスプッチによる南極公開の過程で発見されましたが、その後は長らく忘れられ、1675年、ロンドン商人のアンソニー・デ・ラ・ロッシュにより再発見されました。当初、島の名前はロッシュ島と呼ばれていました。その後、1775年1月にジェームズ・クックが島の周辺を航海し、イギリスの領有を宣言しています。

 19世紀以降、サウス・ジョージア島は捕鯨基地となっており、1900年にはフォークランド政府が本格的な捕鯨を開始しましたが、英本国が1904年12月から捕鯨を開始したため、フォークランド政府の捕鯨は禁止されました。その後、同島を拠点とした捕鯨は、イギリスのサーブセン株式会社、ノルウェーのハバルファンガーセルスケップ社、南アフリカのシーリング・カンパニー、そして日本の国際漁業株式会社が中心となって行われました。ちなみに、1909年の時点では、捕鯨基地として720が居住していました。

 1982年のフォークランド紛争では、一時、アルゼンチンに占領されましたが、最終的にイギリスの領有権が守られています。現在では捕鯨は禁止され、定住者の多くは島を去りましたが、2001年から観光客の上陸が可能となり、現在では、グリトビケンに2人の定住者がいるそうです。

 人口2人の島ですから、当然のことながら、切手の発行も実際に郵便に使用するためというよりも、収集家に販売して外貨を稼ぐのが目的と見るのが妥当でしょう。もっとも、島ならではの風景や動物を取り上げている点では、わけのわからない芸能人切手の類を出すよりも、よっぽど感じが良いですな。

 なお、切手を売って外貨を稼ぐ国については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

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 10月5日革命100年
2010-10-05 Tue 09:32
 ポルトガルでブラガンザ王朝が倒れた共和革命が1910年10月5日に起きてから、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         マカオ 無加刷+共和加刷

 これは、革命後の1913年、共和国加刷の切手つき封筒に王制時代の切手を貼ってドイツ宛に差し出された書留便です。

 1910年10月5日の革命によって王制が打倒されたことを受けて、10月21日、革命政府は従来の切手に“REPUBLICA(共和国)”と加刷したものを発行することを決定します。しかし、革命後の混乱もあって加刷切手の製造には時間がかかり、リスボンで製造された加刷切手がマカオに到着したのは翌1911年9月のことでした。

 この間、ポルトガル本国からの切手の供給が途絶えたため、マカオでは一部の額面の切手の在庫が底をつき始め、4アヴォスおよび10アヴォスの切手を半裁して2アヴォスおよび5アヴォスの切手として流通させたり、書留の番号票に額面を印刷して切手の代用としたりすることも行われました。また、加刷切手の到着後も、王制時代の切手は有効であったため、今回ご紹介のカバーのように、王制時代の切手と共和国加刷の切手が同時に貼られた郵便物も存在しています。

 なお、マカオ半島には十月初五街という通りがありますが、この通りは、もともと内港に面した埠頭の泗<口孟>嗎頭の前にあったことから“泗<口孟>街”と呼ばれていましたが、共和革命にちなんで、現在の名前に改名されています。(<口孟>は口ヘンに孟で1字)

 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、メインストリートの新馬路から十月初五街にかけて、切手に取り上げられた建物を実物と見比べながらの歴史散歩についても、1章を設けております。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 ようやく完済
2010-10-04 Mon 17:58
 きのう(3日)は東西ドイツの統一から20周年で記念式典も行われたそうですが、あわせて、ヴェルサイユ条約で負った賠償金も92年ぶりに完済となったそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ワイマール国民議会

 これは、1919年にドイツで発行された国民議会シリーズの25ペニヒ切手に、同年7月30日付のワイマールの国民議会内局の消印が押されたオンピースです。

 第一次大戦末期の1918年11月、ドイツではキール軍港の水兵の反乱に端を発した革命が発生し、帝政は打倒され、ドイツ共和国の成立が宣言されました。新生共和国は連合諸国との休戦に調印した後、1919年1月にはドイツ共産党による革命政府樹立の蜂起を鎮圧。その直後に行われた国民議会の選挙では、社会民主党が第1党となり、2月、ワイマールに国民議会が召集されました。今回ご紹介の消印は、この議会の議場内に設けられた郵便局のモノです。

 なお、議会ではエーベルトが大統領に選出され、シャイデマンを首相とする社会民主党、中央党、民主党の連立内閣が発足。 憲法草案の審議が進められ、7月、新憲法が可決成立し、8月に施行された。この憲法が、いわゆるワイマール憲法です。

 いわゆるヴェルサイユ条約は、この間の6月28日に調印されたもので、ドイツに対する巨額の賠償金はドイツ経済を大きく圧迫し、ヴェルサイユ体制の打破を唱えるヒトラーとナチスの台頭を招くことになりました。なお、1933年に成立したヒトラー政権は賠償金の支払いを拒否していたことにくわえ、第二次大戦後の東西分断時代には、国際協定で賠償金の返済が猶予されていたことが、完済まで92年という長い時間がかかった原因となりました。ちなみに、第2時大戦に関する賠償金は、1988年に完済されています。

 
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 75万PV
2010-10-03 Sun 18:57
 本日(3日)未明、カウンターが75万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、今日は拙著『事情のある国の切手ほど面白い』のなかから、額面“75”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ゲバラ(2009)

 これは、2009年にキューバがロシアとの共同発行で発行した革命50年の切手で、国旗を背景にしたゲバラ像が描かれています。そういえば、10月3日は、いまから45年前の1965年にかの有名な「別れの手紙」が公開された日でしたね。偶然とはいえ、タイミングが良いですな。

 あらためていうまでもなく、キューバは共産党の一党独裁国家ですが、他の独裁国家で見られるような強制的な個人崇拝が見られない点が最大の特色とされています。

 実際、キューバではバティスタ政権時代への反省から、存命中の人物のモニュメントを公式の場に飾ることを禁じる法律も存在しています。また、カストロ本人も、自身の肖像がTシャツにプリントされたり、絵画に取り上げられたりするのを極点に嫌っており、現役時代のフィデルの肖像が切手に取り上げられたケースは皆無ではないものの、毛沢東やホーチミン、金日成・正日父子、サダム・フサインなど、他の独裁者とくらべると、驚くほど少ないのは事実です。

 しかし、抽象的なイデオロギーを人々に浸透させるためには、やはり、目に見える偶像が必要なわけで、キューバにおいては、長年にわたり、カストロに代わってゲバラがその役割を担ってきました。

 端正なマスクのゲバラは、長髪にベレー帽、ヒゲに戦闘服というスタイルで、革命政府の国立銀行総裁、工業相を歴任し、新生キューバの経済発展のために寝食を忘れて働いたものの、現実の前に革命の理想を曲げることを潔しとせず、キューバの支援者であったソ連に対しても「帝国主義的搾取の共犯者」と名指しで非難するなどの硬骨漢でした。しかし、そうであるがゆえに、ソ連との友好関係なしにはキューバ国家の運営が成り立たないという現状のまえに、1965年には元勲の地位を捨ててキューバを後にせざるを得なくなります。そして、家族とも別れ、再び一ゲリラ兵士となってボリビアのジャングルに赴き、捕らえられて銃殺されました。享年39。

 かくして、ハイスクール時代のジョン・レノンに“世界で一番カッコいい”といわれたゲバラの神話が、その悲劇的な死によって完成します。キューバ人写真家アルベルト・コルダが撮影した「英雄的ゲリラ」のポートレイトは、1967年にゲバラが亡くなると追悼写真として紹介され、翌年のフランス5月革命のシンボルとして用いられたことで、いちやく、世界でもっとも有名なポートレイトのひとつとなりました。原写真の撮影者コルダと写真を加工してイラスト化したジム・フィッツパトリックが、ともに、著作権を主張しなかったため、「英雄的ゲリラ」は、1970年代に入って西側諸国の学生運動が退潮期に入ってからも盛んに複製され、やがて、ゲバラの思想とは無関係にファッション・アイテムとして定着することになります。

 こうした流れと呼応するかのように、キューバ政府はゲバラの肖像を革命の理想を体現したイコンとして国中にあふれさせてきたわけで、ゲバラの肖像切手も数多く発行されてきました。特に、ソ連崩壊によって経済的支援者を失った1990年代以降、キューバ政府は世界的に人気のあるゲバラをさかんに切手に取り上げて、外貨獲得の一手段として活用しています。

 それにしても、かつてソ連を痛烈に非難していたゲバラの肖像が、今回ご紹介の切手のように、ロシアとの共同発行の切手に登場するとは時代も変わったものです。まぁ、キューバもロシアも、現在では社会主義の理念だけではやっていけないことは身にしみてわかっているわけで、思想よりも商売で団結する方が早いということなんでしょうかねぇ。


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 ドラゴンボート
2010-10-02 Sat 08:29
 プロ野球のセリーグは中日が優勝しました。というわけで、きょうは、現在制作中の『マカオ紀行』(仮題)の中から、龍がらみの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ドラゴンボート(マカオ1987)

 これは、1987年にマカオで発行された“端午節”の切手の1枚で、ドラゴンボートの舳先の龍の飾りが取り上げられています。

 中華世界では旧暦5月5日の端午節にはドラゴンボートの競漕行事(祭事)が行われますが、これは、端午節に入水自殺した屈原を助けようとした漁民がドラゴンボートを使ったという伝承があるためです。

 屈原は中国・戦国時代の楚の政治家で、当時の強国であった秦の脅威に対して、秦以外の諸国が同盟して対抗しようとする合縦派の大物として活躍していました。しかし、秦との同盟を主張する連衡派の策略で失脚。600里の地を割譲するとの秦の甘言に惑わされた楚王が斉との連合を破棄すると、秦は、前言を翻して、楚への割譲は6里のみと主張。怒った懐王は、紀元前313年、大軍をもって秦を攻撃しますが、惨敗を喫してしまいました。

 その後も、屈原は政治家として復権を果したものの、楚の王はまたも秦の甘言に惑わされ、その死後、秦の侵攻を受けます。その報に接した屈原は、祖国の前途に絶望し、汨羅(湖南省北東の川)に身を投げて自殺しました。

 大国の甘言に惑わされるとロクなことにならないというのは洋の東西を問わず普遍の真理なわけですが、アメリカとの同盟に依存せず自力で核保有国の中国や北朝鮮の脅威から祖国を防衛するためには、結局のところ、わが国も核武装ないしはそれに準ずるす防衛力の整備が必要になってくるのは明白です。まぁ、そのためには、国内の“敵”と戦わなければならないところもまた、屈原の時代の楚の国と似たようなものなのかもしれませんがね。

 なお、マカオにも各種のドラゴンボートがありますが、その中でも特に有名なものがコロアネの譚公廟にあるボートの模型です。その舳先の部分の写真を下に貼っておきましょう。

          譚公廟のドラゴンボート

 譚公廟は航海の安全を守る神・譚公を祀った廟で、コロアネでは市街地の南端にあります。ボートの模型はクジラの骨で作られており、300年以上前に作られたと推定されています。

 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、今回ご紹介のドラゴンボートの置かれている譚公廟をはじめ、コロアネ地区の見どころもいろいろとご紹介しております。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。
 

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