内藤陽介 Yosuke NAITO
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 觀音開庫
2011-02-28 Mon 11:35
 きょうは、旧暦の1月26日。年に一度、観音様の金庫が開く“觀音開庫”の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        観音開庫

 これは、2010年に中国澳門で発行された“觀音開庫”の切手で、観音様に向かって一生懸命に祈りをささげる善男善女が描かれています。

 “觀音開庫”というのは、年に一度、観音様の金庫が開く日のことで、マカオや香港、廣州などでは、この日に観音様を詣でると、観音様がお金を貸してくれて財運が上がるとの言い伝えがあります。このため、マカオでは、もっとも有名な觀音廟である觀音堂こと普濟禪院が最も賑わう日となっています。ちなみに、普段の(“觀音開庫”以外の日の)觀音堂の境内は、こんな感じです。

        観音堂・実物

 觀音堂は明末の1627年に創建の古刹で、マカオ半島北部、中国との境界に近いエリアにあります。入ってすぐの伽藍には四大天王の石像があり、奥に進むと6つの仏殿がありますが、そのうちの大雄寶殿には三寶佛、觀音殿には觀音菩薩のほか韋駄天、十八羅漢などが、地蔵殿には地蔵王、閻魔様などが、武帝殿には関帝、馬大将などが祀られています。

 観光スポットとしては、1844年、アメリカがアヘン戦争に敗れた清朝にたいして押しつけた不平等条約の望厦条約が調印されたという御影石の円卓が有名で、日本のガイドブックにもそのことが記されていますが、まぁ、地元の人間にとっては、“觀音開庫”でお参りするところというイメージの方が強いんじゃないでしょうかねぇ。
 
 ところで、緊迫するリビア情勢では、いよいよ独裁者カダフィの命運が尽きかけています。なにせ、40年にわたって権力を独占してきた男ですから、フツーに考えれば、かなりあこぎな蓄財をしてきたんじゃなかろうかと思います。その“金庫”も、いよいよ40年ぶりにご開帳となりそうな気配ですが、リビア国民には、“觀音開庫”40年分のご利益があるといいですな。

 なお觀音堂を含むマカオ半島北部の名所旧跡については、拙著『マカオ紀行』でも1章を設けてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 世界漫郵記:ハバロフスク③
2011-02-27 Sun 17:24
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2011年3月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の3回目。今回はアムール川沿いの遊歩道から、氷結した川面を歩いた話を書きました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        シベリア出兵絵葉書・アムール川(絵面)     シベリア出兵絵葉書・アムール川

 これは、1918年、シベリア出兵の際に日本の第12師団の郵便長が差し出した絵葉書で、ハバロフスクにおかれていた第4野戦局の10月12日の消印が押されています。

 絵葉書の写真(モノクロに彩色したもの)には、右上に「ハバロウスクの公園と黒龍江(アムール川)」、左下に「黒龍江の湾曲せるところ 幅員一里に及ぶ」との書き込みがありますが、現在のような展望台はなく、丘の上にムラヴィヨフ=アムールスキーの銅像がそびえ立っています。差出人の郵便長がムラヴィヨフ=アムールスキーのことを「黒龍江沿岸を支那からロハで取った偉人」と説明書をつけているのが面白いですな。ムラヴィヨフ=アムールスキーの銅像は、ソ連時代の1929年のにいったん撤去され、ソ連崩壊直前の1989年に元の場所に再建されましたが、シベリア出兵の時期には銅像が残っていたことが絵葉書からも確認できます。

 ちなみに、昨年3月、この絵葉書と同じような角度で撮ってみたのが、下の写真です。

        アムール川から銅像を望む(現況)

 この写真では、展望台とともに復活したムラヴィヨフ=アムールスキーの像もしっかりと見えています。なお、絵葉書では、岸辺に集まっている人々の群れが写っていますが、写真を撮影した3月の時点では、川面が氷雪に覆われており、ほとんど人影がありません。

 今回の記事では、このほかにも凍結したアムール川の写真をいくつか紹介しております。日本ではなかなか見ることのできない独特の風景ですので、機会がありましたら、ぜひ雑誌をお手に取っていただき、ご覧いただけると幸いです。


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 エポックメイキング・プロジェクト⑪
2011-02-26 Sat 18:04
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の2月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は昭和宮殿を取り上げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        宮殿落成

 これは、1968年に発行された「宮殿落成」の記念切手で、おめでたい時に演じられる舞楽「陵王」と宮殿正殿が描かれています。

 1888年、旧江戸城の敷地内に完成した明治宮殿は翌1889年から皇居として使われてきましたが、太平洋戦争末期の1945年5月、空襲の飛び火により、正殿と奥宮殿(天皇ご一家の御常御殿)が焼失しました。当時、昭和天皇は宮殿西側の吹上御苑内の“御文庫”に移り住んでいたため無事でしたが、終戦後も、連合国の占領下で宮殿の再建は認められませんでした。

 1952年、講和条約が発効すると、宮殿の再建が検討されるようになり、ひとまず、同年10月、宮内庁庁舎の3階が改装され、仮宮殿となりました。その上で、宮内庁は1953年から新宮殿建設のための調査を開始。1959年には総理府内に“皇居造営審議会”が設けられ、「国家的行事が行われる公的な建物として象徴的意味を持ち芸術的な格調高いもの」との基本方針の下、1968年、吉村順三の基本設計による新宮殿が明治宮殿の跡地に新宮殿が完成しました。

 新宮殿は鉄筋コンクリートの地上2階、地下1階建で、延べ床面積は2万3000平方メートル。新年祝賀、親任式、外国大使の信任状奉呈式、国賓の引見、宮中晩餐会など、内外において象徴的な意味を持つ公的な国家行事が行われる場所として現在でも活用されています。

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 リビアとキレナイカ
2011-02-25 Fri 13:19
 40年以上にもおよぶカダフィ独裁体制に対する大規模な抵抗運動が各地で起こっているリビアでは、すでに、東部地域は反政府勢力が掌握し、今後は、カダフィ政権と反政府側による首都トリポリの攻防戦が焦点となりそうな様相です。というわけで、まずはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        キレナイカ・リビア加刷

 これは、1951年に旧キレナイカ切手に“リビア”加刷をして発行された1枚で、元の切手にはラクダの遊牧民が描かれています。

 キレナイカは現在のリビア国家のほぼ東半分に相当する地域で、1911年の伊土戦争の結果、オスマン帝国からイタリア王国へと割譲され、第一次大戦後の1919年にイタリアの正式な植民地となりました。しかし、内陸部ではイスラム神秘主義のサヌーシー教団などが内陸部でイタリア支配に対する抵抗運動を展開。1949年には、そのサヌーシー家のイドリース1世が、キレナイカとして独立を宣言しました。

 このキレナイカと、隣接するイタリアの植民地だったトリポリタニア(西北沿岸部)とフェザーン(西南内陸部)が連合し、1951年にリビア連合王国を結成して独立したのが現在のリビア国家の枠組となりました。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。

 イドリース1世は、親西側政策を採り、1955年から国際石油資本によって石油開発が進め、ゼルテン、サリール、アマルなどの油田がアメリカ資本によって開発されたことで、キレナイカはリビア最大の油田地帯となりました。その一方で、産油国として莫大な石油収入は一部の特権階級に集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、生活は貧しいままでした。そのことに対する国民の不満を背景に、1969年9月1日、陸軍のカダフィ大尉ひきいる自由将校団がクーデターを起こし、カダフィを事実上の国家元首とする現在の政権ができあがったというわけです。

 政権を掌握したカダフィは、キレナイカが旧サヌーシー家の拠点だったということもあって、キレナイカを冷遇。リビアの石油資源はキレナイカが多くを占めるものの、石油収入のうちキレナイカに投資される額は抑えられてきました。このため、カダフィ政権が盤石であった時期でさえ、キレナイカでは潜在的な反カダフィ感情が根強く、特に、中心都市のベンガジでは、1990年代以降、いわゆるイスラム原理主義の影響も他地域に比べて強かったと言われています。 

 したがって、今回の反カダフィ運動が、まずは東部のキレナイカを拠点として盛り上がったというのもうなずける話です。今後、首都トリポリの攻防戦などでリビアが内戦状態に陥るのではとの懸念もありますが、仮に、反カダフィ派の旧キレナイカとカダフィ支配下の旧トリポリタニアで分裂することになったとしても、どちらも自分たちこそがリビアの正統政府を名乗るでしょうから、“キレナイカ”切手の復活というのは無理でしょうな。

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 クライスト・チャーチ
2011-02-24 Thu 17:18
 一昨日(22日)、ニュージーランド南島クライスト・チャーチ付近で大地震が発生し、現在までに死者98人、不明226人という大惨事となっています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        クライスト・チャーチ大聖堂

 これは、1950年にニュージーランドが発行したカンタベリー州100年の記念切手で、州都クライスト・チャーチの大聖堂が描かれています。今回の地震ではこの大聖堂も被災し、塔がぽっきりと折れてしまっている様子がメディアで報じられましたな。

 ところで、今回のニュージーランド地震をきっかけに、ニュージーランドの地震対策があまりにもずさんであったことが明らかになりつつあるようです。

 そもそも、ニュージーランドは太平洋プレートとオーストラリアプレートが重なり合った地点に位置しており、世界有数の火山国であり地震多発国です。マグニチュード6クラスの地震は毎年、マグニチュード7クラスの地震も10年に一度程度は起きていといいますから、日本とほぼ変わらない状況といってよいでしょう。

 ところが、この国では、2004年の法改正までは、耐震基準が全くありませんでした。建築後の検査も極めてずさんで、建設コストを抑えるために柱やボルトの質・量を落としたり、粗雑な基礎工事が行われたりすることは日常茶飯事で、かつて耐震偽装問題で話題になったアネハ某でさえ、ニュージーランドの建設業者の標準レベルから比べるとかなり良心的な仕事だというのですから、驚くばかりです。

 もちろん、地震そのものは天災として防ぎようのないものではあるのですが、昨年のハイチ大地震の時もそうだったように、その被害の大きさが人的要因に大きく左右されることはいうまでもありません。犠牲者・被災者の方には申し訳ないのですが、極悪非道な環境テロリストを野放しにし、日本の調査捕鯨に難癖をつけている暇があったら、その前にやるべきことがあったんじゃないでしょうかねぇ。


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 無事帰国しました
2011-02-23 Wed 16:31
 けさは8時前に成田に到着し、昼ごろ、無事に帰宅いたしました。というわけで、きょうはインドからの到着便をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        ボンベイ=東京FFC

 これは、1955年5月7日にボンベイから差し出されたエア・インディアのボンベイ(ムンバイ)=東京線のFFC(初飛行カバー)です。エア・インディアの作成した記念封筒に描かれているのは、和服を着たターバン姿のシーク教徒とこけし風の顔立ちの和服女性が互いにお辞儀しているイラストが描かれています。

 今回のインド滞在では、<INDIPEX>コミッショナーの山崎好是さんをはじめ、多くの方にお世話になりましので、あらため感謝の意を表すため、お辞儀のイラストが描かれているカバーとして選んでみました。ちなみに、エア・インディアはキャラクター化したシーク教徒にいろいろなコスプレをさせて、ポスターなどに使っているので、そうしたイラストのFFCをいろいろと並べてみると楽しそうです。

 データを記しておくと、ボンベイ以降の経由地は、カルカッタ、バンコク、香港、と順に進み、最終的に東京に到着するというルートです。ボンベイの消印は5月7日ですが、東京の着印は5月9日朝ですから、2泊3日の日程になります。今回の僕のフライトは、機中泊1泊、実飛行時間6時間でデリーから東京まで来ましたので、半世紀の間にかなりの時間短縮になったわけです。

 さて、インド滞在中は、出発前にパソコンに取り込んでいた画像をもとに記事を書いていましたので、激動の中東情勢やニュージーランドの地震など、普段だったら、真っ先に取り上げたいネタを取り上げることができず、お気楽インド旅行記(もどき)のような内容が続き、退屈された方も多かったのではないかと反省しております。追々、いつものペースに戻していくつもりですので、またお付き合いください。

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 今夜、デリーを発ちます
2011-02-22 Tue 14:00
 早いもので、今回のインド滞在もきょう(22日)で最終日となりました。きょうは現地時間21時過ぎのエア・インディアでデリーを発つ予定です。というわけで、この切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        インド・国際航空25年

 これは、1973年にインドが発行した国際航空25周年の記念切手で、尾翼方向から見たボーイング747-100型のエア・インディア機が描かれています。

 エア・インディアの前身は、イギリス植民地時代の1932年にタタ財閥のジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタが知人のネヴィル・ヴィンセントとともに設立した“タタ航空”です。なお、ジャハンギールは1904年にパリで生まれましたが、高校時代から航空学に興味を示しており、パイロットを目指していたものの、父親の仕事の都合でムンバイへ移って財閥の御曹司として帝王学を学んだという経緯があります。

 タタ航空は、当初は国内線のみの運航で、イギリス製のデ・ハヴィランド・プス・モスなどを使用していましたが、第二次大戦後の1946年に現在のエア・インディアに社名を変更。さらに、独立後の1948年にインド政府との半官半民のフラッグ・キャリアになり、国際線へも進出しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して25周年を記念して発行されたものです。

 ちなみに、エア・インディア機は、1979年に翌年の国際展INDIA80のプロモーションのために発行された切手にも取り上げられいます。

 さて、僕の乗る飛行機は、予定では、明朝8時頃には成田に着く予定です。したがって、お昼ごろには自宅にたどり着いていると思います。留守中、ご不便をおかけした皆様には、もうしばらく、ご猶予をいただきますよう、よろしくお願いいたします。


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 続・ゴアにいます
2011-02-21 Mon 10:59
 きのう(20日)に引き続き、ゴアからの更新です。というわけで、引き続きご当地ネタのなかから、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      帝亞丸カバー    帝亞丸カバー(裏面)

 これは、日米交換船の帝亞丸で運ばれたカバーで、第二次大戦中は中立国だったポルトガル領のゴア経由で上海まで届けられています。ちなみに、ここでいう“ゴア”とは、具体的には、きのうの記事にも書いた首府のパナジ(ノヴァ・ゴア)ではなく、港町のモルムガオのことです。そのモルムガオの港を対岸のドナ・パウラから眺めた現在のようすは、こんな感じでした。

      モルムガオ方向の風景

 いわゆる太平洋戦争の開戦に伴い、日本の勢力圏内では、敵国籍の外国人は隔離収容され、その多くは交換船に乗せられてそれぞれの母国へと帰国しました。同様に、敵国となった連合諸国からも引き揚げてくる日本人を乗せた交換船が出航し、双方は中立国の港で落ち合って乗客を交換しています。

 こうした交換船は、1942年6月、アメリカのグルー駐日大使らを乗せて横浜を出航した浅間丸が最初で、このとき、浅間丸は、中立国ポルトガルの領土であったゴアで帰国するアメリカ人を下ろし、スウェーデン(中立国)の客船グリップスホルム号に乗せられてきた在米邦人を収容して、日本に帰国しています。

 つづいて、第2次交換船として、1943年9月、帝亜丸が横浜を出航し、やはり、ゴアで抑留者などの交換を行いました。

 今回ご紹介のカバーは、その日米交換船・帝亜丸に乗って帰国したアメリカ人が船上から上海在住のソ連国籍の女性宛に差し出したもので、無料の捕虜郵便として扱われ、横浜に帰着した後の1943年11月15日の消印が押されています。カバー裏面、差出人のリターンアドレスにあたる帝亜丸の印を見ると、上から封をされ、検閲済の封緘紙が押されており、郵便物は、差しだす以前に日本側の検閲を受けたと思われます。

 平時であれば、日本から上海宛の郵便物はダイレクトに届けられるのでしょうが、当時の状況では、防諜上の理由から、在日アメリカ人は自由に外国宛の郵便物を出すことはできず(日本人も外国宛の郵便物を自由に出すことはできなかったが)、帝亜丸に郵便物を託さなければ海外の知人と連絡をとることは、事実上、不可能でした。その結果、このカバーは、ゴアから横浜経由で上海に届けられる(上海の着印は中華民国33年、つまり1944年です)という、屈折したルートをたどることになりました。

 さて、今年の国際切手展は、先日終わったばかりのインド展の後は、夏の横浜展、それに11月の無錫展という順番になっています。11月の無錫展に関しては、日本コミッショナーを仰せつかっているのでよほどのことがない限り現地に行かねばならないのですが、おそらく、飛行機の便の関係で上海経由になるでしょう。そう考えると、僕もゴア→横浜→上海というルートで動くわけで、このカバーにもいままで以上に愛着がわいてきますな。

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 ゴアにいます
2011-02-20 Sun 10:41
 きのう(19日)の記事にも少し書きましたが、現在、旧ポルトガル領インドの中心だったゴアに来ています。というわけで、ご当地ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

        ノヴァ・ゴア消

 これは、ノヴァ・ゴア(パナジ)の消印が押された英領インド切手です。

 ポルトガル領インドとポルトガル本国リスボンとの定期的な郵便交換は1825年から始まりました。郵便印が使用されるようになったのは1854年のことで、同年、ゴアとイギリス東インド会社領のダマンに郵便局が設置されています。

 1874年に万国郵便連合が発足する以前、ポルトガルはイギリスと郵便交換協定を結び、ポルトガル領インドと海外との郵便交換はボンベイ経由でイギリス商船によって行われていました。その料金を徴収するための英領インド切手は、ダマンでは1854年から発売されましたが、同時に、ゴアのポルトガル局でも英領インド切手が有効とされていました。

 その後、1871年10月にポルトガル領インドとして最初の切手が発行されましたが、この切手はポルトガル領インド域内においてのみ有効で、1877年まで、ポルトガル領インドから海外宛の郵便物の料金は英領インド切手で徴収する状況が続きます。

 今回ご紹介の切手の消印のノヴァ・ゴアはポルトガル領インドの首府ゴアの中心地で、現在ではインド・ゴア州の州都としてパナジと呼ばれています。横線で構成された楕円の中に1の番号が入っているのが、ノヴァ・ゴア局の消印で、英領インド切手のゴア使用の中では比較的よく見られるのではないかと思います。ちなみに、上記のダムンの番号は13です。

 パナジの中央局は、市内を流れる運河のすぐ西側にあり、こんな外観をしています。

      パナジ局外観     パナジ局庭園

 さすがに、19世紀の建物がそのまま残されているというのではないでしょうが、敷地の中に庭園を作って噴水を置いているところなどを見ると、基本的にはポルトガル時代の建物が現在もなお踏襲されているのではないかと思います。ちなみに、中央郵便局前のMGロードを挟んで反対側にはゴア地区の郵政総局長のオフィスがありますが、こちらもなかなか風情のある建物です。

       ゴア郵政総局長オフィス

 こういうところを、かつてのポルトガル人は英領インド切手やそれを貼ったカバーなんかを手にうろうろしていたんですねぇ。
 
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 <INDIPEX 2011>終了
2011-02-19 Sat 09:58
 12日からインド・デリーのプラガッティ・マイダンで開催されていた世界切手展<INDIPEX 2011>は、昨日(18日)、無事終了いたしました。コミッショナーの山崎好是さんをはじめ、現地でお世話になった方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

 ちなみに、今回、日本からの出品で、会場に展示された5作品(文献を除く)の受賞結果は以下の通りです。(カタログの国別出品者一覧の掲載順。カッコ内は点数です。速報ゆえ、誤りなどがあればご容赦ください)

・Yosuke NAITO:Japan and the 15 years’ War 1931-45 G(90)
・Yoshinobu SOBUE:Japan 1871-1876, Hand engraved stamps G(92)
・Tsukasa ISHIZAWA:RYUKYUS 1945-52 LV(89)
・Yoshiyuki YAMAZAKI:Courier Mail and Opening of the Japan Post G(92)
・Fumiaki WADA:Post Office Forms, including envelopes created for conducting the Registered Mail Process, 1842-1929 G(93)

 ご覧のように、日本からの出品は数こそ少なかったものの大健闘というところで、次回の国際展ホスト国として大いに面目を施したといえましょう。受賞された(僕以外の)皆様には、心よりお祝い申し上げます。

 さて、いわば“戦勝国”としてインド展を終えたということで、きょうは僕の出品作品 Japan and the 15years' War 1931-1945 (邦題:昭和の戦争と日本)の中から、こんなマテリアルをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マリエンヴェルダー・カバー

 これは、1920年6月20日、マリエンブルクからベルリン宛のカバーで、外国切手として日章旗を描いた最初の1枚として知られるマリエンヴェルダーの20ペニヒ切手が2枚貼られています。

 現在の国境でいうとポーランド北部に位置するマリエンブルク(ポーランド語の地名ではマルボルク)は、ドイツ騎士団が1274年に建てたノガト川(ヴィスワ川支流)東岸の要塞オルデンシュブルク・マリエンブルクの城下町として発展してきた都市で、地名は騎士団の守護者である聖母マリアにちなむものです。

 要塞は1457年にポーランド王へ売却されてドイツ騎士団はこの地を離れ、1466年に都市はポーランド王領プロシアの県となります。しかし、1772年のポーランド分割によって、プロイセン王国へ併合されて西プロイセンの一部となり、1871年にはドイツ帝国の一部となりました。

 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって、マリエンブルクを中心としたマリエンヴェルダー地区の住民はドイツに残留するか新設のポーランド共和国に加わるかを、1920年7月11日の国民投票で決めることになり、1万7805票のドイツ残留支持、191票のポーランド併合票との圧倒的大差で、この地域はドイツ東プロイセンのマリエンヴェルダー州となりましたが、第二次世界大戦でドイツが破れると、その戦後処理を定めたポツダム宣言により、現在、マリエンブルクはポーランド領となっています。

 今回ご紹介のカバーは、第一次大戦後、国民投票実施までの過渡期にあったマリエンヴェルダーで国際連盟の管理下で発行されたもので、日本を含む4大国の国旗が女神の背後に描かれているのもこのためです。今回の作品では、前史として第一次大戦後の状況からストーリーを始めていますので、そうした事情を踏まえて、このカバーを作品中の第1章の冒頭に置いてみましたが、審査員の評判も悪くはなかったようです。

 なお、切手展の会期は終了しましたが、まだ帰国せず、ゴアに行ってきます。成田着は23日朝の予定ですが、この間、ネット環境が悪く通信などが滞ることもあるかと思われますが、その場合はあしからずご容赦ください。

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 エアメール100年
2011-02-18 Fri 10:57
 1911年2月18日に世界最初のエアメールがインドのアラハバード=ナイニ間を運ばれてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        エアメール50年(インド)

 これは、1961年にインドで発行されたエアメール50年の切手のうち、最初のエアメールを運んだ複葉機と最初のエアメールに押された記念印を描く1ルピー切手です。

 1903年のライト兄弟の初飛行以来、プライベートに飛行機で郵便物を運ぶことは行われましたが、郵政当局の承認を得て、公式のエアメールとして逓送されたのは、1911年2月18日のインドの事例が世界初とされています。

 この日、フランス人パイロットのアンリ・ペケは、約6000通の郵便物を彼の複葉機に載せて、アラハバートのポロ競技場からヤムナ川を超えて約10キロ先のナイニまで運びました。この飛行は、アラハバードのトリニティ教会の牧師の提案により、アラハバードで行われたイベントのデモンストレーションとして行われたもので、航空郵便用に徴収されたお金は、教会付属の宿泊施設建設資金の一部に充てられました。なお、このとき運ばれた郵便物に押されている記念印は、飛行機と山を描くもので、ペケとともにイベントのデモンストレーション飛行に参加していた英国人パイロット、ウォルター・ウィンダムがデザインしました。

 さて、世界切手展<INDIPEX 2011>も、きょうがいよいよ最終日です。今回の切手展は、そもそも、世界最初のエアメールから100周年になるのを記念して開催されたものですから、我々の感覚からすると、きょうからスタートという方がしっくりくるようにも思うのですが、このあたりが彼我の感覚の違いということなのでしょうか。

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 切手展グッズのTシャツ
2011-02-17 Thu 11:56
 昨晩(16日)、南インドのコーチからデリーに戻ってきました。デリーは日本の秋のような気候で常夏の南インドとはだいぶ気温が違うので、会期初日の12日に切手展の会場でTシャツを2枚買い、向こうでは来ていました。こんな感じのTシャツです。(画像は切手展のウェブサイトから拝借しました)

      INDIPEX Tシャツ(白)     INDIPEX Tシャツ(黒)

 で、このTシャツのデザインはどこかで見たことがあると思っていたら、この切手が元ネタでした。(画像はクリックで拡大されます)

        インド共和国50年

 これは、2000年にインドで発行された「共和国50年」の記念切手で、杖をついて歩くガンジーの後姿がインド地図に見立ててイラスト化されています。

 ここでいう「共和国50年」というのは、独立後の1950年1月26日に憲法が施行され、正式に共和制が発足したことから起算してのことで、インドでは毎年1月26日が“共和国記念日”として祝日になっています。

 ちなみに、インドでは独立以来現在にいたるまで100回以上も憲法を改正しており、必要に応じて憲法を社会の実態に沿うように修正するという姿勢は徹底しています。そういうインド人の目から見れば、現実との乖離が大きくなっているにもかかわらず、60年間、まったく憲法を変えてこなかった日本人というのはさぞかし不思議な国民に見えるんでしょうねぇ。


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 カタカリと歌舞伎
2011-02-16 Wed 23:56
 きのう(15日)はコーチンの各所をまわり、最後は日印交流年の切手にも取り上げられた伝統舞踊のカタカリを見て締めくくりました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        インド=日本国交50年

 これは、2002年4月26日にインドで発行された対日外交関係50周年の記念切手で、インドを代表する古典舞踊のカタカリと日本の歌舞伎が取り上げられています。ちなみに、この年は日本と南アジア諸国との外交関係の節目の年(インド、パキスタン、スリランカとの国交樹立50周年にしてバングラデシュとの国交樹立30周年)にあたっていたため、日本側では、これらを一括して「21世紀における日本と南アジア」と題する4種セットの切手を発行。このうち、インド関係のものとしては、タージ・マハルが取り上げられました。

 さて、インドの切手に取り上げられたカタカリはインド最南端ケララ州の舞踏劇で、世界最古の演劇の一つとされる呪術劇のクリヤッタムやクリシュナッタム(ヒンドゥーの神、クリシュナを題材にした舞踏劇)、カラリパヤットという武術の要素が加わり、西暦1500年頃に現在のようなスタイルのものとして確立されました。

 劇のストーリーはラーマやクリシュナの神話に基づいており、本来は夜通し演じられるものですが、現在では2時間程度に圧縮されたダイジェスト版も演じられています。また、台詞やナレーションなどの言葉に相当する部分は歌で表現されますが、伴奏は打楽器のみです。

 舞踊劇としてのカタカリでは、ムドラー(指や手の動き)で物語を表現し、顔の筋肉を動かしてナヴァラサ(9種類の感情)を表現します。これに、ストーリーとは直接関係なく、純粋にステップや肉体の動きを見せるためのヌリッタ(“純粋舞踊”とも訳される)が組み合わされることで、物語が表現されています。

 しかしながら、カタカリの最大の特徴といえば、なんといっても独特のメイクと衣装でしょう。このメイクには、いくつかの基本的な型があるのですが、そのうち、切手に取り上げられているのはバッチャと呼ばれるもの。顔の色は高貴さを示す緑色で、目と眉毛は黒く、口は赤く塗られており、物語の主人公(高貴な心の英雄)を示すスタイルです。顔の周囲につけられている白い紙は、頬を強調するための頬型です。

 カタカリはインドを代表する古典舞踊の一つですが、日本の歌舞伎、中国の京劇と並んで世界三大化粧劇の一つにも数えられています。カタカリと歌舞伎を並べた切手を目にしたインド人が、歌舞伎という単語は知らなくても、日本にもカタカリと同じような古典芸能があることを認識し、日本に対する親近感を感じてくれたら良いですね。


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 コーチンにいます
2011-02-15 Tue 17:55
 きのう(14日)、カリカット(コージコート)を発ち、現在、インド西南部ケララ州最大の都市・コーチン(コーチ)に来ています。というわけで、まずはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        コーチン最初の切手

 これは、1892年、当時のコーチン藩王国が発行した最初の切手です。

 コーチンはインドの中でも最も早くヨーロッパ人が来航した都市のひとつで、1502年にはヴァスコ・ダ・ガマによりポルトガル人の拠点が築かれました。

 コーチンの藩王が領内に郵便網を敷設したのは1791年のことでした。もともと、この郵便網は公用便を扱うためのものでしたが、ほどなくして民間の利用にも開放されました。ちなみに、コーチン藩王国では、1865年までは公営郵便は無料で取り扱われていました。

 藩王国としての最初の切手は1892年4月1日に発行され、コーチン藩王国と隣国のトラヴァンコール藩王国の領域内に置いてのみ有効でした。なお、インドがイギリスから独立したことに伴い、1949年7月1日、この両藩王国は合併して“トラヴァンコール・コーチン”となり、コーチン藩王国としての切手発行も終焉を迎えました。

 コーチンにはシナゴーグや教会などいろいろと見どころがありますので、きょうもこれから、暑さに負けず、歩き回ってくるつもりです。


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 聖バレンタインデー
2011-02-14 Mon 10:54
 きょう(14日)は、聖バレンタインデーです。というわけで、ストレートにチョコレートの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ベルギー・チョコレート

 これは、2006年にベルギーが発行した「これがベルギーだ!」の小型シートのうち、チョコレートを取り上げた1枚です。

 現在でこそ、一口サイズで中にクリームやリキュール、マジパンなどを詰めたプラリーヌ(日本ではプラリネと呼ばれることが多いようです)チョコレートは世界中どこでも見られますが、このタイプのものは、1913年にベルギーのジャン・ノイハウスが、ナッツ類に飴をからませ、ペースト状にしたものをチョコレートの中に包み込んだのが始まりです。

 もともと、プラリーヌとは焙煎したナッツに砂糖がけしたもののことで、17世紀フランスの貴族セザール・ガブリエル・ド・ショワズール=プラズランの料理人、クレマン・ラサーニュが考案し、雇い主にちなんでプラズリーヌと名付けたのが、プラリーヌとして広まったとされています。ノイハウスのプラリーヌは、それをチョコレートに応用したものといえましょう。

 プラリーヌは外側からだけでは中身がわからないため、中身に応じて色や形を変えており、それはまた、消費者にとっては目で見て味わう楽しみとなっています。

 なお、今回ご紹介の切手を含む「これがベルギーだ!」の小型シートには、ベルギーの国内事情がいろいろと反映されているのですが、そのあたりについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
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 カリカット到着
2011-02-13 Sun 23:28
 きのう(12日)から世界切手展<INDIPEX 2011>が始まり、僕の作品もとりあえず展示されていることが確認できましたので、きょう(13日)はデリーを抜け出し、南インドのケララ州のカリカット(コージコーデ)にやってきました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガマ400年(カリカット到着)

 これは、1898年にマカオで発行された“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見400年”の記念切手のうち、ガマ船団のカリカット到着の場面を描いた1アヴォの切手です。

 ガマは、1469年頃、ポルトガルのシーネス生まれ。1497年7月8日、ポルトガル国王マヌエル1世の命を受け、インド航路を開拓すべく4隻の艦隊を率いてリスボンを出航しました。同年11月22日、アフリカ南端の喜望峰を通過し、モザンビークに到達。さらに、1498年5月20日、インド南西のカリカットに到達し、インド航路の開拓に成功しました。

 ガマが到着したカリカットは、インド西南部の港湾都市として、古くからムスリム商人の寄港地として栄え、1407年には、明朝の鄭和艦隊も寄航しています。また、インド綿織物の輸出港として知られ、キャラコの語源ともなりました。

 もっとも、ガマの到着した場所は、現在のカリカット市街ではなく、市内の中心から20キロほど離れたカッパド・ビーチと呼ばれている場所です。先ほど、その海岸で撮影した夕日は、こんな感じでした。

        カッパドビーチの夕日

 また、海岸から少し入ったところには、上陸の記念碑もありました。夕陽を撮って帰るときに気がついたので周囲が暗くなりかけで全体像を撮ると文字が見づらいので、隣に文字部分のみを撮った写真を貼っておきます。

        ヴァスコダガマ上陸記念碑     ヴァスコダガマ上陸記念碑の文字

 さて、“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見400年”の記念切手は、当時のポルトガル領各地で同図案で発行されました。いわゆるオムニバス形式の記念切手としては世界で最初のシリーズで、ポルトガル領インドでも同図案のモノが発行されています。今回は、昨年刊行の『マカオ紀行』にちなんでマカオの切手をご紹介しましたが、いずれ、モザンビークやポルトガル領インドなどの切手もこのブログでご紹介していくつもりです。

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 きょうから<INDIPEX 2011>
2011-02-12 Sat 11:53
 きょうからインドのデリーで、世界切手展<INDIPEX 2011>がスタートします。午前中のオープニング・セレモニーは招待者しか参加できないということなので、僕はセレモニー終了後の午後から会場に行き、きのう搬入した作品が無事に飾られていることを確認してくるつもりです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        プラガッティ・マイダン     

 これは、1989年の世界切手展<INDIA 89>のプロモーションのため、1986年にインドで発行された切手で、今回の切手展会場にもなっているプラガッティ・マイダンが描かれています。

 プラガッティ・マイダンは、1982年にオープンした総合展示・会議場で、展示施設としては現在なおデリー最大の規模を誇っています。この施設での最初のイベントは、同年、開催された国際交易フェアでした。なお、プラガッティ・マイダンというと、ホール2・3・4・5を連結した建物か、Hall of Nations'と名付けられたホール6が有名で、写真などにもよく取り上げられますが(切手もこのどちらかだと思います)、今回の切手展の会場は別の建物です。その正面入り口のゲートはこんな感じでした。

        インド展入口

 ちなみに、プラガッティ・マイダンとは、直訳すると“進歩の大地”という意味なのだとか。その名前にあやかり、今回の出品をステップとして、夏の横浜展(出品を申し込んだものの、現時点では、実際に出品が認められるかどうかは不明ですが…)へ向けて僕のコレクションも多少は進歩させたいものですな。
 

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 着印(インドに着きました)
2011-02-11 Fri 11:22
 きのう(10日)の記事にも書きましたが、現在、世界切手展<INDIPEX 2011>に参加のため、インドのデリーに来ています。

 デリーに来るのは1997年12月以来、13年ぶりのことで、昨年(2010年)7月14日に開業したインディラ・ガンディー国際空港の国際線新ターミナルを利用するのはもちろん初めてのことですが、特に、さまざまな印相(仏の手のかたち)を配した斬新なデザインの入国審査場が特に印象に残っています。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       デリー空港・印相(1)     デリー空港・印相(2)

 これを見て、僕が思いだしたのが下の切手です。 

        インド・国際展1972

 これは、1972年にインド・デリーで開催された国際切手展<asia 72>の記念切手で、施無畏印が描かれています。施無畏印は、手を胸の前に上げ、掌を正面に向けた姿勢のことで、人々を安心させ、恐れを取り除く身振りとされています。

 今回の切手展に出品した作品の評価もさることかがら、これから23日に帰国するまでのインド旅行については、いろいろと不安な面も多く、心細い点も少なからざるのですが、弱気の虫が頭をもたげそうになったら、今回ご紹介した切手や空港のオブジェ等を思い出し、乗り切っていきたいものです。

 なお、仏像に表現されたさまざまな印相については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
   
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 Chalo Delhi!
2011-02-10 Thu 06:33
        自由インド仮政府(黒一色)

 私事で恐縮ですが、インドで開催される世界切手展<INDIPEX 2011>に参加するため、この記事を書いたら、デリーに向けて出発します。

 展覧会の会期は12日から18日までなのですが、前日の11日までに作品を搬入しなければなりませんので、きょう(10日)午前11時に成田を発ち、現地時間の18時にデリー入りする予定です。なお、せっかくインドまで行くのに、展覧会終了と同時に帰ってきてはもったいないので、会期終了後はデリーを離れ、ゴアなどをまわり、23日朝に帰国の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、1943年にチャンドラ・ボースの自由インド仮政府が発行しようとして、果たせなかった“切手”です。

 イギリスの植民地支配下で反英独立運動の闘士として戦っていたボースは、第二次大戦が始まると、“敵の敵は味方”というロジックでナチス・ドイツの協力を得てイギリスと戦おうとします。さらに、太平洋戦争が始まると、1943年、東南アジアを占領してインド侵攻を計画していた日本の要請を受け、ボースはドイツから潜水艦に乗って日本にわたり、同年10月21日、シンガポールで日本の支援を得て自由インド仮政府を組織しました。また、ボースは、日本軍の捕虜となったインド兵を中心に結成されたインド国民軍の最高司令官にも就任。インド国民軍が、“Chalo Delhi(デリーへ進め)”のスローガンを掲げ、日本軍とともにインパール作戦で戦ったことは広く知られています。

 自由インド仮政府は、その発足とともに、自らの存在をアピールするための手段として切手を発行することを計画。上に掲げたものを含めて切手の製造をドイツに発注しました。しかし、戦況の悪化で、完成品がドイツから仮政府の拠点があったラングーンまで届けらることが困難となり、この切手も発行されないまま終わってしまいました。

 今回ご紹介の切手は、本来は黒・朱・緑の3色刷ですが、今回ご紹介のモノのように、朱・緑の印刷漏れ(=黒1色刷)や緑の印刷漏れなども存在しています。

 それでは、僕も自分の作品を抱えて“Chalo Delhi!”と参りましょうか。


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 切手が語る宇宙開発史(12)
2011-02-09 Wed 23:09
 雑誌『ハッカージャパン』の2011年3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ブルガリア・国際地球観測年

 これは、1958年にブルガリアが発行した「国際地球観測年」の記念切手で、ソ連の人工衛星と宇宙から見たユーラシア大陸北部が描かれています。

 第二次大戦中、枢軸側に立って参戦したブルガリアは、大戦後、ソ連の占領下で国民投票により王制が廃され、共産主義国家のブルガリア人民共和国となり、スターリンの側近で1943年までコミンテルンの書記長を務めたゲオルギ・ディミトロフが首相として独裁的な権力を行使しました。

 ところが、1948年、モスクワからの自立を志向していた隣国ユーゴスラヴィアのティトーが、スターリンに無断でディミトロフと関税同盟構想を推進したことでソ連とユーゴスラヴィアの関係が破綻。同年のコミンフォルム第2回会議で、ユーゴスラヴィアの追放決議が採択されます。

 翌1949年7月、ディミトロフがモスクワ近郊で療養中に急死(ソ連による粛清説が根強い)すると、ブルガリア国内では副首相であったトライチョ・コストフが“ティトー主義者”として逮捕・処刑され、ディミトロフの義弟であったヴルコ・チェルヴェンコフが共産党総書記ならびに首相として権力を掌握しました。チェルヴェンコフは純然たるスターリン主義者として農場集団化と工業化を加速させ、批判勢力を容赦なく強制収容所に送るとともに、教会を弾圧。米国との外交関係も断絶します。

 しかし、あまりにも極端なスターリン化政策は、1953年にスターリンが亡くなるとその後ろ盾を失い、チェルヴェンコフは1954年3月、共産第一書記の座を追われ、トドル・ジフコフが第一党書記として党を掌握しました。ただし、この時点では、1911年生まれのジフコフは若く一般的な知名度も高くはなかったため、チェルヴェンコフはひとまず首相の座にとどまっています。

 1956年2月、ソ連共産党の第20回党大会でフルシチョフがスターリン批判を展開すると、同年4月、ジフコフはブルガリア共産党大会を開催し、フルシチョフの脱スターリン路線を採用するとともに、フルシチョフの承認の下、チェルヴェンコフを解任しました。

 かくして、1989年まで33年の長きにわたってブルガリアに君臨するジフコフ体制が本格的にスタートします。

 ジフコフ政権は1989年の退陣まで“ソ連の16番目の共和国”と揶揄されるほどに親ソ的な政策をとり続けました。彼がフルシチョフの支持を政権の基盤としていたことを考えると、1957年10月4日のスプートニク1号の打ち上げ早々に人工衛星を取り上げた切手を発行していてもよさそうなものですが、実際には、国際地球観測年の名目でブルガリアがスプートニク切手を発行したのは1958年11月28日になってからのことでした。これは、当時、ソ連との関係が必ずしも良好とは言い切れなかった中国ポーランドよりも遅いのですが、その背景には、1957年の時点ではスターリン主義の清算の途上にあり、プロパガンダ政策の方向性も必ずしも定まっていなかったため、記念切手の発行も後手に回ったということなのでしょう。ソ連に忠実であるがゆえに、ソ連の政策転換の影響をまともに受けた結果ということができるのかもしれません。

 * 昨晩、カウンターが81万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 南部スーダンの独立確定
2011-02-08 Tue 21:46
 先月10日、南部の分離独立の是非を問う住民投票が行われたスーダンで、きのう(7日)、住民投票管理委員会は投票者の98.83%が独立を支持したと発表、これにより、南部スーダンの独立が確定しました。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        南部の月(スーダン)

 これは、1966年にスーダンで発行された“南部の月”の切手で、エクアトリアが題材として取り上げられています。

 今回、新たに分離・独立することになったスーダン南部は、上ナイル州、ユニティ州、ジョングレイ州、北バハル・ガザール州、西バハル・ガザール州、ワラブ州、レイク州、西エクアトリア州、東エクアトリア州、中央エクアトリア州の10州から構成されていますが、南部スーダンの首都であるジュバは、そのうちの中央エクアトリア州に属しています。

 1966年の切手は、独立以来、南北対立の絶えなかったスーダンで南北の融和を訴えるために発行されたもので、上ナイル、エクアトリア、バハル・ガザールの3種があります。なお、切手に描かれている地図は、南北をあわせたスーダン全土のシルエットです。

 南部スーダンの首都・ジュバは、白ナイルの交易の拠点で、ケニア、ウガンダ、ザイールへの中継地でもありました。したがって、イギリス統治時代のジュバ発着ないしは経由のカバーというのはそれなりの数が残されているのでしょうが、現時点では僕はまだ手に入れてません。

 いずれにせよ、今回の投票の結果を踏まえ、早ければ7月にも、アフリカ大陸で54番目の独立国として“南部スーダン”(という国名になるかどうかは未定ですが)が誕生することになっていますから、そのときにはなにか気の利いたマテリアルをご紹介できるよう、探してみるつもりです。

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 北方領土の日
2011-02-07 Mon 13:22
 きょう(7日)は北方領土の日です。というわけで、この切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        サハリン州

 これは、2002年にロシアが発行したサハリン州の切手で、彼らが主張するサハリン州の領域の地図が描かれています。同時に発行されたロシア各地を題材にした切手には地図は取り上げられていませんので、彼らとしても、サハリン州に関しては地図が重要だという認識をもっていることがうかがえます。

 ロシアのサハリン州は、樺太(ロシア名サハリン)と千島列島(ロシア名クリル諸島)で構成されています。このうち、北樺太を除く南樺太と千島全島は、第二次大戦以前はわが国の領土として日本の支配がきちんと及んでいましたが、1945年8月、当時のソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻し、以後、占拠を続けていることは周知のとおりです。

 このうち、南千島に関しては、わが国固有の北方領土として日本政府としても不法占拠を続けるロシアに対して返還要求を行っていますが、北千島と南樺太に関しては、サンフランシスコ講和条約でわが国が領有権を放棄した後はロシアが条約を調印していないため、国際法上の帰属は未定というのが公式見解です。

 ロシア側は、彼らが不法占拠している地域を自国の正式な領土であると主張し、その一環として今回ご紹介しているような切手を発行したわけで、我々としては、こうした切手を黙過すべきではありません。ただし、国家というものはありとあらゆるチャンネルを通じて、国益のための自己主張を行うのが本来の姿であるわけで、その意味では、彼らが彼らの主張(その内容がどれほどおかしなものであっても)を宣伝するために切手というメディアを使うのは、至極当然のことだといえます。

 2002年といえば、韓国・盧武鉉政権の竹島切手が問題となる2年前のことですが、当時、この切手が問題となったという話は聞いたことがありません。こういうところできちんと抗議をしておかないと、「日本もこの切手を認めている、つまりは、我々の主張するサハリン州を認めているということではないか」と彼らに主張させる口実を与えることになってしまいます。

 もちろん、確信犯的に北方領土切手を発行しているロシア当局が、日本からの抗議を受けて切手の発行を撤回することなどないでしょうが、それでも、言うべきことを主張せず、彼らの主張を黙認しているかのように受け止められるのは、国益という観点から絶対に避けなければなりません。

 ところが、わが国の切手では、いままで北方4島すらまともに描かれたことがなく、昨年は、シート地の北海道の地図から択捉島を外して描いたものを発行し、発売中止になるという体たらくです。

 このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめてみましたが、ホント、情けない気持ちでいっぱいになりますな。


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 大相撲3月場所は中止
2011-02-06 Sun 22:59
 大相撲の八百長問題を受けて、日本相撲協会は、きょう(6日)午前に行われた臨時理事会で、大阪で開催予定だった3月場所の中止を決めました。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        相撲絵・返戻便

 これは、1979年1月16日、京都からイラン宛に差し出されたものの、イラン宛の郵便物取り扱いが停止されていたために事情説明の付箋を付けて差出人戻しとなったカバーです。貼られている切手が、1979年1月13日に発行の相撲絵シリーズ第4集の3種で、付箋に押されている消印が大阪の消印というのがミソです。

 ちなみに、この付箋に書かれている「イランの国内事情」というのは、反国王の騒乱がイラン全土に広がっていた状況のことで、カバーが差し出されてから一月と経たない2月11日には、いわゆるイラン・イスラム革命によってパーレビ王制は崩壊しました。

 さて、大相撲の八百長問題と本場所の中止は、たしかに重大事件には違いないのでしょうが、世界的に見れば、チュニジアの政変に端を発したエジプト情勢の混迷や中東諸国での民主化を求める動きは、まさに1989年の東欧革命に匹敵する世界史の転換点になりうる可能性も少なからずあるわけですし、タイとカンボジアの国境紛争も気になるところです。そうした中で、日本政府が機能不全に近い状態で迷走を続け、周辺諸国の情勢も先行き不透明ということであれば、大相撲ことなどはごくごく小さな報道しかされなくてもしかたがなかろうと思うのですが、どうも、大手のマスコミではそうなっていないのが不思議なところです。

 まぁ、否が応でも、3月場所がなくなれば、メディアは相撲報道に割いていた時間やスペースが空くわけですから、その分を有効に活用していただきたいものですな。


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 タイ=カンボジア国境で交戦
2011-02-05 Sat 19:21
 世界遺産のプレアヴィヒア寺院周辺にあるタイとカンボジアの国境未画定地域付近で、きのう(4日)からきょう(5日)にかけて両国軍が2度交戦し、カンボジア側によると、カンボジア人兵士2人と民間人1人が死亡、12人が負傷し、タイ軍兵士が23人死亡、数十人が負傷したとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        プレアヴィヒア寺院(1963)

 これは、1963年にカンボジアが発行したプレアヴィヒア寺院の切手です。

 現在のタイとカンボジアならびにラオスとの国境は、基本的に、1893年のパークナーム事件の後、フランスがタイの領土や属国の一部を併吞した結果として、1904年に画定されたものですが、カンボジアとタイ国境にあるダンレク山地内については未確定なままになっていました。

 このため、プレアヴィヒア寺院を含む山地内土地については、タイと仏印ならびに独立後のカンボジアがそれぞれ領有権を主張していました。このため、問題はハーグの国際司法裁判所に持ち込まれ、1962年、とりあえず寺院そのものはカンボジア領とされましたが、周辺の土地の帰属は確定されませんでした。

 その後、カンボジアは1970年代から内戦に突入し、この問題も棚上げとなっていましたが、1993年に内戦が終結し、カンボジアが急速に復興を遂げていく中で、2008年、カンボジアはプレアヴィヒア寺院のユネスコ世界遺産への登録申請を行います。これに対して、もともとカンボジアそのものがタイの属国であったという歴史認識をもつタイ国民の多くが激昂。同年7月、外務大臣がカンボジアによる世界遺産登録に反対しなかったため辞職に追い込まれると、それに報復するかのように、カンボジア側はタイ人3人が寺院に不法侵入したとして彼らを拘束し、一事、国境地帯で両国の軍隊がにらみ合う状況となりました。

 以来、プレアヴィヒア寺院問題は、タイとカンボジアの間の火種としてくすぶっており、それが今回の衝突につながったというわけです。

 なお、タイ側が主張するように、かつてカンボジア西部のバッタンバンやシェムリアップなどはタイ領としてタイの切手が使われていましたが、その実例については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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別窓 | カンボジア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 大相撲がスポーツなら
2011-02-04 Fri 23:58
 日本相撲協会の現役の大相撲力士による大相撲本場所での取組での八百長問題で、きのう(3日)、一部の力士が八百長を認めたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        第18回国体(相撲)

 これは、1963年10月27日に発行された「第18回国民体育大会(以下、国体)」の記念切手の1枚で、相撲が描かれています。

 国体はスポーツの大会ですから、その競技の一つとして行われる相撲に関しては、ルールに則って正々堂々と競技が進められるべきで、八百長など持っての他ということになりましょう。ただ、問題は大相撲がそうした純然たるスポーツとしての相撲を追求するものであるのかどうかという点で、僕などは、必ずしもその必要はないのではないかと考えています。

 そもそも、相撲には五穀豊穣を祈る神事として、一種の演武のような性格があります。端的にいえば見世物ないしは興業であって、その意味では、歌舞伎や能のような古典芸能の一種とみなすことも可能でしょう。見世物である以上、ある程度の演出は絶対に必要であり、いかに上手く負けて見せるかということも演者の技量として評価すべきポイントになるはずです。時代劇で、切られ役の俳優の良しあしが芝居全体の出来不出来にかかわってくるのと同じことです。

 誤解のないように言っておきたいのですが、大相撲がスポーツではなく見世物であったからと言って、そのことじたいが大相撲の価値を貶めるものとはなりません。

 たとえば、プロレスの場合、勝敗に関してシナリオは決まっていたとしても、そのことをもって“八百長”が非難されることはないでしょう。むしろ、観客は、勝負の過程で、善玉と悪玉が互いの肉体を駆使して繰り出す技を鑑賞することによって満足を得ているわけで、おそらく、勝敗そのものはどうでも良いとはいわなくても、あくまでも二義的なものと思っているのではないでしょうか。実際、プロレスラーによる高度な技の応報は、僕たち素人には絶対にまねのできないものなのですから…。

 そもそも、関取が大銀杏を結い、日常的に和装で生活しているのは、みずから、幕末の開国以前から続く伝統芸能の保持者であることを広くアピールするためのものであって、そうだとすれば、西洋式の近代スポーツとは別の論理で動く、江戸時代以来の見世物としての側面もそのまま維持されていると見るのが自然なはずです。それゆえ、仮に大相撲の“八百長”を非難するなら、それは、あらかじめ観客の預かり知らぬところで勝敗が決められていることが悪いのではなく、勝ち方や負け方の演技が稚拙で見る者を白けさせている点こそ問題にすべきだと僕は思います。

 もし、どうしても、大相撲を純然たるスポーツにしてしまいたいのなら、そもそも力士という呼称も止めるべきでしょうし、選手は今回ご紹介の切手のように現代風の頭髪とし、どこの国籍の人間であろうが、また、どんなに人格が粗野で私生活に問題を抱えていようと、ルールにのっとって白星を積み重ねた者が、純粋にそのことによってのみ称賛されるというのが筋でしょう。もっとも、そうしたスポーツ相撲が広く国民の支持を得られるのかどうか、個人的には、大いに疑問を感じますがね。

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 春節愉快 万事如意
2011-02-03 Thu 11:44
 きょう(2月3日)は春節です。というわけで、卯年の正式なスタートですから、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ年賀(1999)

 これは、前回の卯年(1999年)用の年賀切手としてマカオが発行したもので、ウサギの顔の部分がトリミングされて取り上げられています。この年の末、すなわち、1999年12月20日にマカオは中国に“返還”されましたので、ポルトガル領マカオとしては、これが最後の年賀切手になりました。

 さて、昨年11月に刊行した拙著『マカオ紀行』では、返還前の古き良きマカオの残り香を探しながら、目まぐるしく変化を続ける現在のマカオを切手片手に逍遥した歴史紀行です。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 日豪戦争⑦
2011-02-02 Wed 23:43
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第418号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回は、1941年の日豪開戦前夜の状況を取り上げましたが、そのなかから、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        在マラヤ豪軍

 これは、日豪開戦直前の1941年10月、マラヤに駐屯していたオーストラリアの野戦郵便局からさし建てられた郵便物で、消印には“AIF(Australian Imperial Forces:AIF、志願兵から構成されるオーストラリア帝国軍)”の文字があり、封筒の右下には帝国軍によって検閲を受けたことを示す角型の印が押されています。

 1941年2月22日、英極東軍総司令官が司令部のあるシンガポールで極東防衛に関する会議を招集し、英蘭豪共同防衛作戦計画が策定されました。

 英本国は、大戦の主敵がドイツであるにしても、英連邦全体の防衛のためには何としてもシンガポールを死守しなければならないと考えていましたが、当時は中立国だった米国は、仮に自分たちが大戦に参戦した場合は、一時的にフィリピンなどの戦略拠点を失うことになっても、まずは対独戦に全力を傾注すべきと考えており、英国によるシンガポール偏重の姿勢には疑問をもっていました。このため、米英間の妥協の産物として、対日戦争の開戦後。米国は中部太平洋(マーシャル諸島など)に艦隊を派遣して日本軍を逸らすことで英国のシンガポール防衛に協力するという米英参謀協定(ABC-1)がまとめられています。

 これに基づき、4月21日、米英蘭の現地部隊がシンガポールで会談し、より具体的な作戦計画の概要としてADB協定(案)を策定。ただし、このABD協定に基づき、英蘭豪の三国は4月27日に兵力展開計画を定めたものの、米国政府はABD協定がシンガポール防衛偏重の内容になっていることを不満として、同協定を承認していません。

 一方、シンガポールならびにマレー半島の防衛に関しては、日英開戦の時点で駐留していた英側の兵力は、英本国兵1万9600、インド兵1万9600、オーストラリア兵1万5200、その他1万6800の合計8万8600でした。

 このうち、オーストラリア兵から構成される第8オーストラリア師団は、もともとは中東・北アフリカ戦線でナチス・ドイツと戦うことを想定して編成され、訓練を受けていましたが、太平洋地域での緊張が高まり、日本との戦争が想定されるようになると、1941年2月2日、同師団所属の第22旅団が英領マラヤに送られ、第23旅団がダーウィンへと送られました。さらに、4月には第2/22大隊がラバウルとニューブリテン島に送られ、8月には第27旅団が第22旅団とともに英領マラヤ南部の防衛を担当することになりました。ちなみに、北部の担当は第9ならびに第11インド師団です。

 ところで、マレー進攻作戦を担当した日本の陸軍第25軍の兵力(1941年11月末)は17万2000名で、英連邦側の兵力はその半分しかありませんでした。しかも、日本側には日中戦争以来の歴戦の勇士が少なからずいたのに対して、英連邦側は兵の練度が低く、実際の差はもっと大きかったといえましょう。

 また、航空兵力に関していえば、開戦時の英連邦軍機が158機(予備機88機)しかなかったのに対して、日本軍の航空兵力は陸軍459、海軍158の計617機(予備機が陸軍153、海軍29)と4倍近い規模を誇っていました。しかも、英連邦軍機の多くは、英本土での対独戦争を優先させるため、性能の劣る旧式機ばかりでした。

 このように、マレー・シンガポール方面に関する限り、日本と英連邦軍の戦力差は歴然としていたのですが、英本国は人種的偏見もあって、対日戦争は「ロールスロイスとダットサンの戦い」として日本側を完全になめきっていました。

 そのことを象徴するように、開戦2日前の1941年12月6日、ひとつの“事件”が起きています。

 この日、オーストラリア空軍第1飛行隊のハドソン偵察機が、カモー岬南東のシャム湾を日本海軍が護衛する大船団が航行しているのを発見しました。当然のことながら、オーストラリア側の哨戒活動を察知した日本のゼロ戦が偵察機の攻撃に向かったが、偵察機はからくも逃れ、コタバル飛行場に帰着しています。

 さっそく、パイロットは英極東総軍総司令官の空軍大将ロバート・ブルック・ポッファムに状況を報告。ところが、対独戦争で余裕のなかった英国政府が、対日戦争を極力回避して時間を稼ぐことを基本方針としていたこともあって、ポッファムは、とりあえず偵察を強化して日本船団の行き先を確認するにとどめ、事態を静観すべきとの判断を下してしまいます。ポッファムは「日本側はイギリス軍の攻撃を誘って開戦の口実にしようとしているのではないか」とさえ考えたそうです。

 その後、あらためてシャム飛行場からオーストラリア空軍の偵察機3機が発進しましたが、悪天候のため、日本船を発見できずにむなしく帰還。同日夜にはシンガポール島のセレター飛行場から英空軍の偵察機2機が飛び立ち、1機がパンジャン島西方40キロのシャム湾上で日本側に撃墜され、帰還しませんでしたが、それでもポッファムは動きません。

 翌7日朝、あらためてコタバル飛行場からオーストラリア空軍のハドソン偵察機3機が発進しましたが、2機は悪天候で引き返し、残る1機も何も発見できずに帰還しています。

 この結果を踏まえて、英海軍東方艦隊(1941年10月24日に編成。12月2日に旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」がシンガポールに到着)司令長官の海軍大将トム・フィリップスと協議したポッファムは、「なにもしない」との結論に到達します。

 実は、英極東総軍としては、日本軍に先んじてタイ南部に侵入し、国境付近のシンクラー周辺の要地と付近の飛行場を確保する「マタドール」作戦を立案していました。

 しかし、マタドール作戦は日本軍上陸の24時間前に発動して日本側を迎撃することを前提としたプランであり、問題の日本船団が既にシンクラーに向かっているのであれば迎撃のための出動は間に合いません。また、船団の行き先がシンクラーでないのなら、イギリス側が先にタイの領土を侵犯することは日本に開戦の口実を与えることになってしまいます。

 こうしたことから、ポッファムは7日夜の時点では「マタドール」作戦を発動しないとの判断を下したのです。

 しかし、日付が変わって翌8日の0時40分、日本陸軍第5師団の主力を乗せた舟艇は、まさに、そのシンクラーの海岸に向けて前進を開始。これに先立ち、0時35分、第18師団の佗美支隊が英領マレーの北端、コタバルへの上陸作戦を開始しています。真珠湾攻撃の1時間20分前のことでした。

 かくして、現在の日本人が一般に太平洋戦争と呼んでいる戦争、すなわち、僕の連載の主題である日豪戦争が勃発したのです。

 次回以降の連載では、いよいよ、日豪両国の戦闘についてみていくことにします。ご期待ください。


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 カイロの100万人行進
2011-02-01 Tue 22:42
 ホスニ・ムバーラク大統領の退陣を要求する反政府デモが続いているエジプトの首都カイロ中心部で、野党勢力による“100万人行進”の呼び掛けに呼応しての大規模デモが、現地時間正午(日本時間午後7時)から始まりました。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        カイロ博物館

 これは、1959年にエジプトで発行されたカイロ博物館(エジプト考古学博物館)100年の記念切手です。

 カイロ博物館は、ツタンカーメン王の黄金のマスクや黄金の玉座をはじめ、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている博物館で、その南側(切手でいうと左前方の空間)にはカイロのへそともいうべきタハリール広場が広がっています。今回の“100万人行進”は、タハリール広場がデモの起点となっていますので、博物館の周囲も大変な混雑でしょう。キチンと探せば、もっと広場をはっきり描く切手も出てきたと思いますが、まぁ、きょうのところはこの切手でご勘弁ください。

 なお、野党勢力は、きょう(2月1日)からの無期限ゼネストを呼びかけているそうですが、まさに、エジプト版“2・1ゼネスト”というわけですな。ちなみに、わが国で占領下の1946年に計画されていた“2・1ゼネスト”は、GHQの指示により中止となっています。ムバーラク政権の威令が届いていた頃なら、今回野党勢力が呼び掛けたようなゼネストは起こりようもなかったわけですが、現状ではゼネストを中止させられるだけの権力というのはエジプトには存在していないと思われます。

 なお、僕の個人的な興味としては、日本の“2・1ゼネスト”のときのように、ストライキの告知の付箋が貼られた郵便物やそれに類するマテリアルが今回のエジプトの場合でもみられるのかどうか、ちょっと気になりますな。

* 2011年1月に頂戴した拍手の数の多かった記事のベスト4は以下のとおりです。ありがとうございました。
 1位(12票):阪神・淡路大震災鎮魂の日駄獣の群れ
 3位(6票):80万PV年賀状の切手

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