内藤陽介 Yosuke NAITO
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 サルコジ訪日の真意
2011-03-31 Thu 23:34
 フランスのサルコジ大統領が、きょう(31日)、「震災に見舞われた日本との連帯感を表明したい」として訪日し、菅首相との首脳会談で5月に仏ドービルで開く主要8カ国(G8)首脳会議で福島第1原子力発電所の事故を議題にすることで一致しました。また、これにあわせて、フランスの大手原子力会社アレヴァ(Areva SA)のアンヌ・ローベルジョンCEOも来日し、東京電力に対する支援として汚染水処理などの専門家を派遣する意向を表明したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        アレヴァ・メータースタンプ

 これは、2009年12月、フランス南東部のローヌ=アルプ地域圏、イゼール県ジャリーで使われたメータースタンプで、アレヴァ社の広告が入っています。

 フランスの原子力政策は、かつてはフランス原子力庁の下、民間企業のフラマトムが原子炉プラントの製造を請け負っており、フランス電力公社からの受注をほぼ独占していました。ところが、フランス国内でのプラント建設がほぼ一巡すると、フランス電力公社からフラマトムに対する発注は激減。このため、2001年、フラマトムはドイツ・シーメンス社の原子力部門を買収するとともに、原子力庁の子会社として核燃料を製造していたコジェマと共同で持ち株会社を設立。原子力部門(Areva NP)、原子燃料部門(Areva NC)、送電設備部門(Areva T&D) を傘下に持つ複合企業としてアレヴァを設立しました。今回ご紹介のメータースタンプの広告は、そのアレヴァ社のものです。

 さて、いままで日本側の訪日要請に対して非常に消極的だったサルコジが、中国の南京で国際通貨システムの改革をテーマにした20カ国・地域(G20)セミナーに議長国の大統領として参加する“ついで”があったとはいえ、突如、今回の訪日を決めた(訪日が決まったのは29日だそうです)背景にはさまざまな事情がうかがえます。

 まず、フランスは原子力大国であり、自国の電力の8割を原子力に依存しているばかりか、原子力発電は重要な輸出産業でもあります。したがって、環境政党を名乗る“緑の党”のような勢力が、福島原発の事故を利用した反原発のプロパガンダを展開し、世論を煽動して勢力を拡大するという、ドイツで起こったような事態は何としても避けたいところです。

 このため、大統領としては、国民の原子力に対する不安を払拭するためにも、原発の安全性に関するG20会合開催や、国際的な原子力の安全基準の策定を提唱し、安全な形での原子力発電の維持と、フランスが開発する次世代原発の安全性を率先してアピールする必要があったことはいうまでもありません。もちろん、リビアに対する空爆をフランスがリードしていることに対しては、フランス国内でも相当の批判がありますから、原子力の問題を前面に持ってくることで、批判の矛先をかわそうという意図も、当然あるでしょう。

 さらに、原子力発電の輸出国という立場からすれば、(不謹慎な言い方かもしれませんが)今回の日本の原発事故はライバルが自滅してくれたという面があります。現状では、日本が原発を輸出することは事実上不可能となりましたが、そのことによって生じた“市場”をめぐって、今後、各国は熾烈な競争を展開することになるでしょう。“原子力”を重要な輸出商品としているフランスが、そうした競争に勝つべくなりふり構わぬ攻勢をかけてくるのは当然のことです。

 実際、サルコジは、福島原発の事故以降、内外に向けて“フランスの原発(言外に“日本と違って”という含意があるのはいうまでもありません)”の安全性をしきりにアピールしていますし、今回、アレヴァのCEOを同時に来日させ東京電力に対して支援を行うことを表明させたのも「万一、原発事故が起きても、フランスは(どこかの国と違って)アフター・サービスとしてその処理もできますよ」という、原発輸出国としての営業ないしは宣伝活動と見るのが自然でしょう。現場職員の死に物狂いの奮闘を生かしきれず、事故後の処理に手間取っている東電経営陣や日本政府の対応が、結果的にこれを後押ししているのは、日本人としてなんとも口惜しい限りですな。

 なお、サルコジ外交の“善意”とその本音については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも昨年のハイチ地震を例にご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 世界漫郵記:ハバロフスク④
2011-03-30 Wed 14:26
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2011年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の4回目。今回はウスペンスキー大聖堂の話を書きました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      旧ウスペンスキー大聖堂     現在のウスペンスキー大聖堂

 左は、帝政ロシア時代に作られた絵葉書で、当時のハバロフスクのウスペンスキー大聖堂が取り上げられています。いわゆるフィラテリック・マテリアルではない私製の絵葉書ですが、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂を描いた官製絵入りはがきは1種類しかなく、それはこのブログの以前の記事でもご紹介してしまいましたので、今回はあえてこちらを持ってきました。あしからずご了承ください。(雑誌の記事では、もちろん、官製絵葉書もご紹介しております)ちなみに、右は現在のウスペンスキー大聖堂です。

 さて、アムール川を望む展望台の下から川沿いに200メートルほど南へ歩いて行くと、街灯が印象的な階段がありますが、そこを上っていくと行くと、青い屋根が印象的なウスペンスキー大聖堂があります。

 ウスペンスキーとは、ロシア語で「眠り」を意味する“Успение”に由来する言葉ですが、この単語は、正教会の用語としては日本語で「生神女就寝祭」と訳されています。

 いささか生硬な表現ですが、生神女とは平たく言えば、イエス・キリストの母親であるマリアのこと。もともと、ギリシャ語では、イエスの母マリアに対する称号として「神を産む女性」を意味するセオトコスの語が使われており、正教会では、これを忠実に訳しているのだそうです。

 また、カトリックでは、マリアが現世の肉体のまま天にあげられたと考えるため、マリアの死を「被昇天」と呼んでいますが、正教会では、マリアの魂のみが天にあげられたと考えるため、マリアの死を「眠り」になぞらえ、「就寝」と呼んでいます。

 したがって、生神女就寝祭とは、マリアが亡くなったことを記念する正教会の祭日(ユリウス暦8月15日=グレゴリオ暦8月28日)のことで、ウスペンスキー大聖堂はこの祭日を記憶するために建てられた宗教建築ということになりましょう。当然、こうした大聖堂は、ハバロフスクのみならず、ロシア国内のいたるところに存在しています。有名なところでは、モスクワのクレムリンの大聖堂や、ヴラジミール(モスクワの東200キロの地点にある古都)の世界遺産である「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の大聖堂などが、ウスペンスキー大聖堂を名乗っています。

 さて、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂は、19世紀後半、ハバロフスクの都市建設がはじめられるとほどなくして建立されました。1891年5月、ウラジオストクでのシベリア横断鉄道の起工式に参加するために皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)がハバロフスクに立ち寄った際には、大聖堂前の広場(大聖堂広場もしくは教会広場と呼ばれている)で国民の熱狂的な歓迎を受けたといわれています。

 ところが、ソ連時代、独裁者スターリンによる教会弾圧の一環として、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂も取り壊され、広場の名称もコムソモール広場に変えられてしまいました。コムソモールというのは共産主義青年同盟のことで、同盟が工事を担当したというのが建前ですが、実際には、おそらく、政治犯などの囚人が動員されたのでしょう。

 余談ですが、ソ連政府はクレムリン内での正教会の宗教儀礼を一切禁じ、モスクワのウスペンスキー大聖堂の財産をすべて没収しましたが、1941年に独ソ戦が勃発し、ドイツ軍がモスクワまで迫ってくると、スターリンはモスクワのウスペンスキー大聖堂で救国のための祈りをささげるよう、関係者に命じました。もっとも、ソ連時代を通じて、教会は一貫して共産党政府の管轄下に置かれ続けており、国民には信教の自由が認められませんでしたから、このエピソードも極秘とされていました。

 1991年、ソ連が崩壊し、ロシア国内で正教会が復権すると、ようやく、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂の再建計画が持ち上がり、2001年に現在の大聖堂が新たに建てられました。

 今回の『キュリオマガジン』の記事では、そうしたウスペンスキー教会の中に入り、熱心に祈っている人々を見ながら感じたことなども書いてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 節電しませう④
2011-03-29 Tue 22:36
 きょう(29日)は計画停電がお休みでしたが、あす(30日)も計画停電を行わないそうです。これは、気温の上昇による暖房利用の減少や被災した一部火力発電所の復旧に加え、一般世帯と企業などの節電効果が大きいためだとか。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        オーストラリア・フクロウの節電

 これは、2009年3月にオーストラリアで発行された“アース・アワー”の切手で、電気のスイッチを消すフクロウが描かれています。アース・アワーというのは、地球温暖化防止を訴えるため、世界各国で同じ日・同じ時刻に電気を消すなどの行動を行うイベントのことで、今年は3月26日の午後8時30分から9時30分まで行われたそうです。

 ところで、以前の記事にも少し書きましたが、現在、天皇・皇后両陛下は「停電に伴うさまざまな困難を実施されている地域の人々と共に分かち合いたい」とのお気持ちから、計画停電に合わせた時間に自主的に電力の使用を止めておられるのだそうです。全面的な電力の復旧には、まだしばらく時間がかかるのでしょうが、計画停電の行われない明日などは、「僕たちがその分節電しますので、どうか御所でも気兼ねなく電気をお使いください」とお願いしたい気分です。


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 ドイツ“緑の党”躍進に思う
2011-03-28 Mon 23:35
 きのう(27日)投開票が行われたドイツ南部バーデン・ビュルテンベルクの州議会選挙で、“反核”や“反原発”の環境政党を標榜する緑の党が得票率24.2%で第2党に躍進。第3党の社会民主党との左派連立により、ドイツ史上初の環境政党出身の州首相が誕生することがほぼ確実となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        東ドイツ・反核

 これは、1950年に東ドイツで発行された反戦キャンペーン切手のうち、“反核”を取り上げた1枚です。

 東西冷戦下において、核戦争の脅威が語られるようになると、さまざまな反核運動が展開されましたが、その多くは、アメリカや西側の核を非難するものの、中ソの核に対しては「自衛のために最小限必要なもの」などと称してほとんど批判をしないという奇妙なものでした。それもそのはずで、そうした反核運動には、東側諸国が国際世論を誘導するために背後で操っていたプロパガンダ工作だったという側面が少なからずありました。

 日本でも、1970年代後半から80年代にかけて、“反核”という言葉が左派系市民運動の世界でクローズアップされていくことになりますが、その仕掛け役として重要な役割を果たしたのは、いわゆる“よど号”グループのメンバーとその支援者たちであり、その背後には北朝鮮の朝鮮労働党がいました。“ダイ・イン”と称して地面に寝転び“死んだふり”をする奇怪なパフォーマンスが流行ったことをご記憶の読者もあるかもしれませんが、あのパフォーマンスも、実は、ウィーンを工作の拠点としていた“よど号”グループの関係者(彼らは、1970年に北朝鮮入りしてからずっと北朝鮮にいたわけではなく、しばしば、ヨーロッパなどに出張し、日本人拉致などのさまざまな工作活動に従事してきました)が、日本に持ち込んだものといわれています。
 
 さて、バーデン・ビュルテンベルク州の首相の座をほぼ手中に収めたドイツの緑の党は、もともとは保守系の市民が祖国ドイツの美しい自然を子々孫々に伝えていこうという趣旨で始まったもので、長らく、マイナーな保守系諸派の域を出ませんでした。

 ところが、1960年代に左翼学生運動を展開してきた左翼過激派集団が、ベトナム戦争の終結後、“反戦”に代わって“環境”を持ち出してきたことから、緑の党の内部は、彼らを受け入れて党勢を拡大しようと考えるグループと、あくまでも保守団体としての矜持を守り、左翼勢力にはくみしないというグループが対立するようになります。特に、1979年11月4日にオッフェンバッハで行われた党大会で、左翼過激派の参加が認められるようになると、以後、大量の左派系活動家が相次いで入党。党の運営は実質的に左派に牛耳られるようになり、これに不満を持った保守系党員が1982年に脱退してドイツ独立環境党を創設すると、緑の党は完全に左派政党と化してしまいました。

 すなわち、反原発と自然エネルギーの推進という彼らの主張は環境保護という観点から、まぁ(賛否は別として)理解できないこともないのですが、彼らが掲げてきた反核、反軍国主義、反NATO、“平和主義、移民規制反対、反中絶、マリファナ使用の自由化、同性愛者の権利向上などは、環境問題とは全く無関係の左派・リベラル勢力の主張にすぎません。これでは、真の意味での環境保護を考える保守系の人たちが出ていくのは当然ですし、どこが“環境政党”なんだと素朴な疑問を感じますな。

 今回、福島原発の事故が起こると、彼らは「それみたことか」とドイツ国民の不安を煽るだけ煽り、投票日前日には25万人を動員した(と彼らは主張する)反原発の大集会を開催し、反原発を錦の御旗として選挙での躍進を果たしましたが、それでは、原発を廃止した場合の代替エネルギーをどうやって確保するのかという点については、なんら現実的な提案をしていません。また、彼らの主張する“反原発”は、あくまでもドイツ国内の原発に限られており、フランス国内の原発によって作られた電力を購入することについては必ずしも否定されていないというご都合主義ぶりです。

 福島原発の事故以降、わが国でも、世論は反原発・脱原発の方向に大きく傾いているようですが、はたして原発に代わる発電方法をどうやって確保するのか、説得力のある代案が提示されているようには思えません。あるいは、電力供給がへればそれに見合った“エコな生活”をすれば良いという人もいるでしょう。そう主張する人が個人の主義主張や趣味嗜好で個人的に“エコな生活”をなさることについては、僕は決して止めはしませんが、喫緊の課題である被災地復興のためには十分な電力を確保しなければならないはずです。そのためには、まずは、無駄を省きつつも、使えるものは何でも(もちろん原発も含めて)使うという、總動員体制が電力においても必要なのではないでしょうか。

 もちろん、今後の原発建設については、今回の事故の経験も踏まえて慎重に議論を進めるべきですが、反原発・脱原発のムードを利用して、反原発を隠れ蓑にした怪しげな集団が跋扈することのないよう、十分に気をつけなければならないと思います。

 なお、反核や環境保護を唱える一部の国家や団体のいかがわしさについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと実例を挙げてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ドバイWCで日本馬優勝
2011-03-27 Sun 13:44
 世界最高の賞金額としても知られる競馬の国際G1ドバイワールドカップ(1着賞金は600万ドル)が日本時間のきょう未明(現地時間26日)に行われ、日本から挑戦したヴィクトワールピサが1着、トランセンドが2着となり、日本馬がワンツーフィニッシュを決めるという歴史的な快挙を達成しました。同レースでの日本馬の優勝は初の快挙です。というわけで、きょうは競馬の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・競馬

 これは、1990年にマカオで発行された“動物を使ったギャンブル(與動物有關的澳門遊戯)”のうち、競馬を取り上げた1枚です。

 香港で競馬が大衆的なギャンブルとして高い人気を誇っているのに対して、おとなりのマカオでは必ずしも競馬の人気は高くはありません。まぁ、香港の人間がカジノで遊びたくなったら、ふらっとマカオのグラン・リスボアに出かけていくのと同じように、マカオの人間も本格的に競馬をやりたくなったら香港まで出かけていくということなのかもしれません。

 マカオでは、1980年にタイパ地区(当時はタイパ島)に設置された繋駕速歩競走(馬車競走)用の競馬場が作られましたが、経営不振のため、1988年には開催中止に追い込まれています。その後、この競馬場は台湾の企業が買収し、コースを改修したうえで、1989年からサラブレッドによる競馬が行われるようになりましたが、やはり経営不振のため、わずか1年で開催停止に追い込まれています。結局、マカオの競馬については、スタンレー・ホーが再買収して財政の建て直しを図った結果、1991年に再開され、なんとか現在まで行われているというのが実情です。

 今回ご紹介の切手は、まさに、そうしたマカオの競馬の再建期に発行されたもので、マカオの競馬を内外に広くアピールする意図が込められていたものと見ることができます。

 なお、競馬場のあるタイパ地区は、カジノと世界遺産が密集する半島部とはまた違ったのんびりとした雰囲気が味わいのある場所です。拙著『マカオ紀行』でも、1章を設けて、タイパ・コロアネの歴史散歩を通じて、その魅力をいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが83万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 バングラデシュ独立40年
2011-03-26 Sat 22:23
 1971年3月26日にバングラデシュが独立を宣言してから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうはバングラデシュ関連ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        日本バングラデシュ国交樹立30年

 これは、2002年4月12日に発行された「21世紀における日本と南アジア」のうち、「日本バングラデシュ国交樹立30年」の1枚で、“パハールプルの仏教寺院遺跡”が取り上げられています。ちなみに、「21世紀における日本と南アジア」とは、2002年が日本と南アジア諸国との外交関係の節目の年(インド、パキスタン、スリランカとの国交樹立50周年にしてバングラデシュとの国交樹立30周年)にあたっていたため、これらを一括して4ヵ国との外交関係の周年記念を発行するために付けられた題名です。

 さて、切手に取り上げられたパハールプル遺跡は、バングラデシュの首都ダッカの北方に位置する8世紀半ばから9世紀にかけて建設された仏教寺院遺跡群で、ユネスコの世界遺産に指定されています。現在では、レンガ造りの基礎と周壁が残っているだけですが、壁には、仏陀やヒンドゥー教の神々、動物や人などが描いた2800枚もの素焼きの粘土のレリーフがはめ込まれており、往時の栄華が偲ばれます。なお、今回ご紹介の切手に取り上げられたレリーフは天人(飛天)を表現したものです。

 ところで、諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人・天女は、もともと、“水のなかで動くもの、雲の海のあいだを行く者”を意味するインド神話の水精アプサラスがそのルーツといわれていますが、仏教を通じて中国へと伝わり、天女、天人、飛天と漢訳されるにつれ水の属性は薄れ、空の属性が強調されていったと考えられています。拙著『切手が伝える仏像』では、今回の切手を含め、各国の飛天を描く切手を並べてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 シャン州でも大地震
2011-03-25 Fri 23:51
 ビルマ東北のシャン州で、昨晩(24日)、マグニチュード6.8の強い地震があり、現在までに判明しているだけで、これまでにビルマ国内で390棟の建物と10の仏教寺院が倒壊、下敷きになるなどして少なくとも74人が亡くなり、100人以上が負傷したほか、タイ北部のチェンライでも犠牲者が出たそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はシャン州の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        シャン地方切手(低額)

 これは、1943年10月1日に発行されたシャン地方切手の1枚で、現地の荷馬車が描かれています。

 シャン地方はタイ・ラオス・中国に隣接する高原地帯で、第二次大戦中、旧英領ビルマの一部として日本の占領下に置かれていました。

 シャン地方のうち、モンパンとケントンの2州に関しては、イギリスによって奪われたタイの失地として、1943年8月に調印された「『マライ』及『シャン』地方ニ於ケル『タイ』国領土ニ関スル日本国『タイ』国間条約」により、タイに返還されましたが、残りのシャン地方の所属は未定のままでした。

 これに先立ち、同年8月1日、ビルマでは軍政が廃止され、バーモを首班とするビルマ国が独立しましたが、シャン地方に関しては、タイならびに中国と接する戦略上の要衝であるとの理由から、日本軍が引き続き軍政を継続。このため、シャン地方では、独立ビルマとは別の郵政機関を組織する必要が生じ、今回ご紹介しているような独自の切手が発行されたというわけです。

 なお、シャン地方切手は10月1日に発行されましたが、その直前の9月25日、「『シャン』地方等ニ於ケル『ビルマ』国領土ニ関スル日本国『ビルマ』国間条約」が調印され、モンパン、ケントンの2州を除くシャン州(現在の南北シャン、ワーに加え、カヤ州がその範囲に相当する)は条約調印から90日以内に独立ビルマの領土に編入されるものとされ、すでに発行されたシャン地方切手にはビルマ文字を加刷してビルマ全土で使用することになりました。

 それにしても、2月22日のニュージーランド大地震、3月11日の東日本大震災、それに今回のシャン州地震と、ここまで大きな地震が続くとは驚きです。やはり、自然の猛威の前には人間は無力なのだと、あらためて痛感させられます。


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 “予備役”がんばれ!
2011-03-24 Thu 23:40
 東日本大震災の被災者支援のため、即応予備自衛官158人(物資運搬などの任務を担当)と予備自衛官3人(後方任務で通訳を担当する)が、きょう(24日)から、被災地での任務を開始しました。即応予備自衛官と予備自衛官が、実際の任務で活動するのは初めてのことです。というわけで、きょうは“予備役”の兵士を描いた切手です(画像はクリックで拡大されます)

        韓国・予備軍の日

 これは、1974年に韓国で発行された「予備軍の日」の切手で、予備軍の兵士と工場が描かれています。本来であれば、日本の自衛隊の話なので日本の切手を使って記事を書きたいのですが、残念ながら、日本では予備自衛官の切手は発行されていませんので、他国の切手の中から、手元にあった1枚を持ってきたというわけです。

 さて、予備役というのは、普段は一般社会で生活し、有事の際にのみ軍務につく人のことで、多くの国では、現役を退いた退役軍人で構成されています。どこの国の郡泰ですが、平時と有事では必要とされる兵力の数が大きく異なります。このため、平時には徴兵を行わなくても、有事には徴兵を行うということになるわけですが、全く軍人としての訓練を受けていない人をいきなり招集しても、使い物になりません。そこで、まずは軍人としての基礎的な訓練を受けた人たちを予備役としてプールしておき、そこから、不足する人員を補うという手法がとられることになります。

 今回ご紹介の切手では、銃を持った予備軍の兵士の背後に工場を描くことで、普段は彼が軍務についているのではなく、工場で働いていることをイメージさせるデザインとなっています。なお、韓国の場合は徴兵制がしっかりありますので、除隊後の男性は、ほぼ自動的に予備軍の兵士として登録されていくことになります。

 今回、被災地での活動を開始したわが国の即応予備自衛官と予備自衛官のうち、即応自衛官が「自衛官として1年以上の勤務者であり退官後1年未満の者、もしくは予備自衛官(予備自衛官補からの任官者を除く) 」との条件があり、第一線部隊としての任務を担当するのに対して、予備自衛官は「自衛官として1年以上の勤務者もしくは予備自衛官補の訓練を満了した者」で、 駐屯地警備や後方地域の任務を担当することになっています。ここでいう予備自衛官補というのは、自衛官の経験がないものの、予備自衛官を志願して訓練を受けている人のことです。したがって、各国の軍隊でいう予備役の一般的なイメージとしては、自衛官OB/OGで構成される即応予備自衛官の方が近いのではないかと思います。

 さて、多くの国では、現役兵士と予備役兵士を比べた場合、予備役兵士の方が圧倒的に多いのですが(ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げた韓国の場合は、陸軍56万+海軍6.8万人+空軍6.3万人=約69万人の現役に対して、予備役は380万人です)、わが国の自衛隊では、現役24.1万人に対して予備自衛官は5.9万人しかいません。

 もちろん、わが国の自衛隊の場合は完全な志願制ですから、現役・予備役を問わず、兵力の確保はなかなか難しいのかもしれませんが、今回の大震災のような国難に際してはやはり、予備自衛官を拡充することが求められるのではないでしょうか。尖閣や竹島、北方領土などの問題を抱えている中で、10万人もの兵力を被災地復興につぎ込んでしまえば、国防が手薄になったところにつけこんでこようと国が出てくるのは避けられません。じっさい、震災後の21日には、偵察のためとみられるロシア空軍の戦闘機と電子戦機が相次いで日本海で日本領空に接近し、領空侵犯の恐れがあるため、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)して対処するということも起こっています。

 かつて民主党は、2003年に策定したマニフェストで予備自衛官の拡充を提言していましたが、事業仕分けと称して防衛費を削ることに躍起になっていた人物が節電大臣、反自衛隊で名をはせた前科1犯(詐欺罪)の女性がボランティア担当の首相秘書官、自衛隊を暴力装置と罵った前官房長官が官房副長官に返り咲き、現職の外務大臣はロシア軍機の領空接近に対して「支援の気持ち信じたい」として抗議は控えるというありさまですからねぇ。2003年の提言なんかすっかり忘れてるんでしょうなぁ。困ったものです。

 いずれにせよ、被災地での自衛隊の活躍は、メディアではあまり報じられることはないようですが、多くの被災者の方々を救い、被災地以外の国民にとっても大いに安心を与えていることはいうまでもありません。一国民として、あらためて感謝の気持ちを示すとともに、新たに被災地入りされた予備自衛官の方々ともども、無事に任務を終えて帰還されるよう、お祈りしております。


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 世界気象デー
2011-03-23 Wed 13:32
 きょう(23日)は世界気象デーです。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        シリア・世界気象デー

 これは、1965年にシリアで発行された世界気象デーの切手で、シリアの地図に等圧線と風向計を配したデザインとなっています。

 世界気象デーは、1950年3月23日に世界気象機関(WMO:World Meteorological Organization)条約が発効したことを記念し、1961年に制定されました。今年でちょうど50周年ですな。ちなみに、WMOは、世界的な気象網の整備と関連する用語・観測基準などの統一を図り、合わせて気象学の研究・教育を推進するための国際組織で、わが国は1953年に加入しています。

 さて、今回ご紹介の切手を発行したシリアですが、今月18日から南部のダルアーを中心に、アサド父子による長期独裁体制の打倒を訴える大規模な反政府デモが続けられており、情勢が不安定化しています。ちなみに、そのダルアーは、切手に取り上げられた地図でいうと、印面下部の英文表示“WORLD”のDの文字の真上、南西部の国境付近に位置しています。

 シリアは秘密警察網が非常に発達した国で、数万人規模の公安スタッフによる住民監視が徹底していることでも知られていますが、その組織については、同じく一族支配の独裁国家・北朝鮮(余談ですが、シリアと北朝鮮の関係は極めて良好です)の治安システムを参考にして構築されたとも言われています。そうした厳しい統制をかいくぐって大規模な反政府デモが発生したということは、チュニジアに端を発したジャスミン革命のインパクトがそれだけ大きく、シリアさえもそこから逃れられなかったということなのでしょう。

 ただ、アサド以前のシリアは、クーデターが頻繁に発生し、政情が一向に安定しない国でしたから、今後、強権的なアサド体制が一挙に崩壊してしまうと、安定した民主政権は成立せずに混沌とした状況に陥る可能性は大いにあります。かつて、ダマスカス(現シリア共和国の首都)で大法官を務めたイブン・ジャマーアの「40年間の専制は1時間の無政府状態より良い」との言葉を残しました。仮に、40年を超えるアサド独裁体制が崩壊した場合、シリア国民がこの言葉を思い起こして後悔することのないよう、祈るばかりです。
 

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 ホウレンソウの切手
2011-03-22 Tue 17:28
 日本政府は、きのう(21日)、福島県、茨城県、栃木県、群馬県の4県に対して、ホウレンソウなど規制値を上回る放射性物質が検出した農産物に対して、出荷を停止するよう指示しました。というわけで、きょうはホウレンソウの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブルガリア・ホウレンソウ

 これは、1995年にブルガリアが発行した「野菜」の切手の1枚で、ホウレン草が描かれています。我々が日本で普段目にするものとはちょっと雰囲気が違うのですが、ホウレンソウの学名“Spinacia oleracea”が切手に表示されているので、かの国ではホウレンソウといえばこういうイメージなのでしょう。

 さて、今回、出荷停止となったホウレンソウについて、放射線の健康被害に詳しい広島大の佐藤幸男名誉教授は「白血病やガンなどの症状が表れるのは、壬生町のホウレンソウから検出された値に対して数万倍のレベルで、人が1年間に浴びても問題ないとされる数値と比べても100分の1程度。長期間大量に摂取しない限り影響はない」と説明しています。また、枝野官房長官も「暫定基準値をこえる数値が測定されているが、これは人体に影響を及ぼすような数値ではない」と強調したうえで「たまたま数回にわたり、そうした飲食物を口にしたことによって、健康に影響を与える可能性はない、というのが専門家の認識なので、そういった意味では過剰な反応のないよう冷静に対応してほしい」と話しているとのことです。

 そうであるのなら、なぜ、出荷停止にする必要があったのか、納得の行く説明がほしいところです。報道によると、今回の出荷停止措置は、対象となる県の農産物に対する風評被害を食い止めることを狙いとしたものだそうです。しかし、人体にほとんど影響のない安全な農産物であるなら、そもそも出荷停止にする必然性はないわけで、それをあえて出荷停止処分にすれば、結果的に、多くの一般国民はその農産物が危険だという印象を強く持つのは避けられません。政府が自ら風評被害をあおっているとの批判は避けられないでしょう。

 そういえば、菅直人首相は、かつて厚生大臣時代にカイワレ大根が風評被害で売り上げを落とした時に、テレビカメラの前でカイワレを食べて見せたというパフォーマンスをやった前歴がありましたな。政権の維持と支持率回復のために、国民の不安を煽るだけ煽って、正義の味方よろしく、今回もホウレンソウを食べて見せるパフォーマンスをやるつもりなのかもしれませんが、そうだとしたら、こんなに国民をバカにした話はありません。

 一刻も早く、出荷停止措置が解除され、復興支援のためにも、茨城や福島のホウレンソウを毎日食べられる日が復活してほしいものです。

 PS “風評被害”で、全く関係のない地域のホウレンソウまで売れなくなっているという、実に馬鹿げた状況だそうですから、わが家では、今夜はホウレンソウの炒め物を作って、福島ないしは宮城の日本酒で晩酌をすることにしました。


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 多国籍軍のリビア攻撃はじまる
2011-03-21 Mon 22:47
 日本時間のきのう(20日)未明(現地時間19日)、国連安保理決議に基づく仏英米伊など多国籍軍のリビアへの攻撃が始まりました。というわけで、きょうはリビア関連でこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         フェザーン占領加刷

 これは、1943年にフランス占領下のフェザーンで発行された暫定加刷切手です。

 フェザーンは現在のリビア国家の西南内陸部に相当する地域で、西側はテュニジアおよびアルジェリアとの国境、南側はニジェールおよびチャド国境となっています。現在のリビアを構成するトリポリタニア(西北沿岸部)ならびにキレナイカ(東部)とともに1911年の伊土戦争でイタリアの結果、イタリアに占領されました。

 第二次大戦中の1940年11月、自由フランスのチャド軍司令官となったフィリップ・ルクレールは、翌1941年、チャドから出撃してイタリア領リビア南部のオアシス都市クーフラを占領。さらに、1942年12月、3000のチャド軍を率いてリビアに侵攻し、1943年1月にはトリポリを占領して、エジプトから来たイギリス中東軍と合流しました。

 こうして、フェザーン地域は自由フランスの占領下に置かれることになりましたが、これに伴い、フェザーンでは旧イタリア領リビア切手を接収して、今回ご紹介しているような加刷切手が発行されました。その後も、フェザーンはフランスの支配下に置かれ、1946年には正刷切手も発行されています。なお、フランス軍は1951年に撤退し、フェザーンは他の2地域とともにリビア連合王国として独立しました。

 現在のリビア攻撃に参加している仏英米伊の各国は、いずれも、リビアとは歴史的に因縁浅からぬ関係にあります。今後、リビア情勢の進展にあわせて、このブログでもリビアとそうした国々との歴史的関係を取り上げる機会も増えそうですが、きょうのところはまず、今回のリビア攻撃の急先鋒、フランスについて取り上げてみたという次第です。


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 エポックメイキング・プロジェクト⑫
2011-03-20 Sun 23:02
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の3月号が出来上がりました。僕の担当する連載「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」では、今回は錦帯橋を取り上げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        錦帯橋(ふるさと)

 これは、2000年に発行された「ふるさと切手(山口県)」の錦帯橋です。

 日本三大名橋の一つとされる山口県岩国市の錦帯橋は、1673年、岩国藩主・吉川広嘉の時代に、武家屋敷のある横山と城下町の錦見を結ぶ227メートルの城門橋として建造されました。翌年5月の洪水で反り橋の5本中3本が流失したが、同年中に再建され、以後、20年ごとに架け替えられてきました。甲斐の猿橋や中国の『西湖志』の六橋をモデルに木材を組合せ、巻金と鎹の他は、釘は1本も使われていません。

 不落の名橋と謳われた錦帯橋でしたが、1950年9月のキジア台風によって流失します。再建工事は、1951年2月から開始され、1952年末にほぼ完了。翌1953年1月15日に渡初式が行われました。

 ところで、キジア台風のあった1950年は、毎日新聞社により、観光地を10部門に分けて人気投票を行い、各部門のベスト10を集めて、計100の観光地を選ぼうという“観光地百選”の企画が行われ、錦帯橋は、そのうちの建造物部門の第一位となっています。

 ところが、肝心の橋そのものが台風で流出してしまったため、“観光地百選”切手の発行に関して、郵政省内にも錦帯橋を失格として第2位の耕三寺(広島県)を繰り上げ当選にすべきという意見も強かったようです。結局、1950年末になって、当初の予定通り、錦帯橋が切手に取り上げられることが決定。“観光地百選”の錦帯橋切手は橋の再建を待って1953年に発行されています。

 今回ご紹介の切手が発行された後の2001-03年には、木造部分の老朽化に伴う「平成の架け替え」工事が行われ、2004年3月、渡初式が行われましたが、2005年9月の台風14号により、第一橋の橋脚2基が流失。その後の復旧工事を経て現在にいたっています。

 今回の原稿を編集部に送ったのは2月上旬のことで、今回の地震のことなど夢想だにしなかったのですが、あらためてできあがった誌面を見てみると、度重なる自然災害によるダメージにもめげず、そのたびに復旧を果たしてきた錦帯橋のように、被災地が一日も早く復旧することを願わずにはいられません。

 なお、昨年4月から1年間にわたって続けてきた「切手で見るエポックメイキング・プロジェクト」は今回が最終回です。また、2006年の「切手の中の建造物」以来5年間続いた『建設業しんこう』での切手コラムの連載も、同誌の大幅リニューアルに伴い、今回で終了となりました。いままでご愛読いただきました皆様、お世話になった関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 雪中送炭
2011-03-19 Sat 23:35
 きのう(18日)、台湾で紅十字会(赤十字に相当)やテレビ各局などの主催で東日本大震災の被災者を支援するチャリティー番組が行われ、生放送中に7億8800万台湾ドル(約21億5000万円)の義援金が寄せられたとのこと。なんともありがたい話です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        雪中送炭

 これは、1980年9月23日に台湾で発行された「民間故事」のうち、“雪中送炭”を取り上げた1枚です。

 “雪中送炭”とは、宋の太宗(趙光義)の時代、天候異変で大雪に見舞われた際に、皇帝が城内の貧しい人々に米と炭を与えた故事にちなみ、人が苦難を抱え困っている時に助けの手を差し伸べることをいう表現となりました。今回の台湾の方々の善意は、いまだ厳しい寒さの中で震えている被災地の方々にとって、文字通り“雪中送炭”の義挙であり、日本人として感謝の念に堪えません。

 わが国では、ときどき、大陸の共産政権に阿り、彼らの主張する「一つの中国」論なる荒唐無稽なデタラメに追従して台湾を粗略に扱う人がいますが、大陸の共産政権は、わが国に向けて核兵器の照準を合わせ、尖閣諸島に事実上の軍事侵略を行う国だということを忘れてはなりません。

 もちろん、今回の震災に際して大陸からの支援にも感謝すべきではあるのでしょうが、彼らが潜在的な敵国であるという厳然たる事実は、震災の前後でも何ら変わっていないのが現実です。それゆえ、無邪気に彼らの“善意”を信じ、安易に原発事故の処理や重要な防衛拠点での“支援活動”に参加してもらうのは、控えた方が良いように思います。

 じっさい、震災復興のために必要であるとはいえ、自衛隊の兵力が一挙に10万人も被災地に派遣されているという現状では、わが国の国防には大いに不安があります。したがって、中国がわが国に対する“援助”を申し出るのなら、なによりもまず、わが国に向けて核兵器の照準を向けることを止め、尖閣地域での侵略活動を停止することこそが、わが国に対する真の援助といえるのではないでしょうか。

 ちなみに、19日付の香港紙『東方日報』には、「中国が釣魚島を奪回するには、コストとリスクを最小限にしなくてはならず、今が中国にとって絶好のチャンスだ」との論評が掲載されたそうです。日本に支援をしようという一般の香港人が多数いる中で、中共政権の本音が垣間見えた瞬間といえましょう。

 なお、“雪中送炭”の反対語は“錦上添花”ですが、これは金持ちにへつらい、堤燈を持つことの比喩として使われます。対中ビジネスでの目先の利益を追求するばかりに、真に日本のことを心配してくれている友邦を蔑にする人には、ぴったりの表現ですな。

 こういう時だからこそ、我々には真の友好国を見極める眼力が必要だということを忘れてはなりません。


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 節電しませう③
2011-03-18 Fri 16:28
 きのう(17日)は、東京電力管内で夕方から予測不能な大規模停電発生の恐れがあると指摘されていましたが、なんとか回避されました。しかし、きょうも、3400万キロワットの供給能力に対して、夕方の予想需要は4000万キロワットとなっており、予測不能な停電が発生する可能性は否定できません。というわけで、きょうは“節電”切手の第3弾です。

        ドミニカ共和国・節電

 これは、1979年にドミニカ共和国で発行された省エネキャンペーンの切手です。

 切手は、コンセントからプラグを抜く絵が大きく描かれていますが、コンセントからは黒い滴が出ています。おそらく、待機電力を減らして節電すれば、結果として、石油の消費を抑えられるという意図が込められているのでしょう。

 きょうは、夕方の電力消費のピークが来る前に、僕もブログの更新を終わらせてパソコンの電源を切り、スキャナーなどとあわせてコンセントから抜くことにします。

 ところで、テレビではCMスポンサーの放送自粛が相次ぎ、その枠に公共広告機構のCMが流れていますが、いっそのこと、自分が提供している番組の時間帯は、金はきちんと払うから、放送そのものを中止したいというスポンサーが出てきませんかねぇ。たとえば「この時間帯は提供スポンサーの(株)XX、OO食品、△△の御意向により、節電のため通常の放送を中止しております」という文字のみを1時間流したら、妙なCMを流すよりもはるかに、その企業に対する好感度が上がると思うんですが、いかがでしょうかねぇ。


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 原町
2011-03-17 Thu 23:41
 以前の記事でも書きましたが、現在、時事通信配信の日替わりコラムとしてスタンプ巡り365という連載をやっています。毎日、その日の日付の消印が押された切手・郵便物を取り上げ、消印の局名の地域をご紹介していくという企画ですが、1日につき2-3点の切手を用意し、そのなかから地域や切手のバランスなどを考慮して掲載する切手を決めています。きょう(3月17日)配信の記事では、東京・麹町局の昭和34年3月17日の日付が押された切手をご紹介したのですが、記事には使わなかった中には、こんな1枚もありました。(画像はクリックで拡大されます)

        原町の消印

 これは、昭和51年3月17日の原町局の機械印(唐草印)が押された“モリアオガエル”(自然保護シリーズ)の切手です。

 消印の原町は、福島県の太平洋岸、浜通り北部にあり、江戸時代には、相馬藩の陣屋が置かれていた地域で、東北6大祭のひとつ、相馬野馬追の行われる雲雀ヶ原と太田神社の所在地としても知られています。今回ご紹介の消印が押された1976年当時は原町市でしたが、2006年に相馬郡鹿島町および小高町と合併し、現在では、南相馬市の一部となっています。

 今回の震災では大きな被害を受け、14日には東北電力の原町火力発電所で火災が発生しましたが、こちらは懸命な消火活動の結果、2時間ほどで鎮火しています。また、福島第1原発事故では、旧原町市の相当部分が屋内退避指示区域に指定された結果、食料や医薬品などの支援物資の物流も実質的に断たれてしまい、火葬場の原町斎場では火葬用の灯油の確保がままならず、遺族が長い順番待ちをしている状況だそうで、本当に心が痛みます。

 1923年の関東大震災の際には、1921年に設置されたばかりの磐城無線電信局原町送信所が地震の第1報を全世界に打電し、世界各国から多くの救援物資が関東地方に届けられました。また、事故のあった福島第一原発は、東京電力の原発であって東北電力の原発ではありません。つまり、あの原発によって作られた電気は、首都圏に送られ、僕を含む首都圏に住む人間の生活を支えてきたということです。

 こうした恩に報いるためにも、僕のように首都圏に住む人間は、いたずらに不安をあおることなく(ちなみに、現在観測されている放射線数値は人体に全く問題がなく、温泉よりも低い数値であるということは記憶にとどめておくべきです)、もちろん、不要不急の物資を買い占めたりせず、原町地区を中心とした南相馬市の方々に必要な物資が届けられるよう、せめて、被災地の人々が亡くなった方々をキチンと弔えるよう、協力を惜しんではならないのではないでしょうか。もちろん、風評被害に惑わされることなく、福島の美味しい農産物やお酒(余談ですが、僕はこの何日か、福島の日本酒を愛飲しています)を積極的に買っていくことも重要な支援となるでしょう。

 なお、今回ご紹介の“モリアオガエル”の切手と自然保護シリーズの詳細については、拙著『沖縄・高松塚の時代』で解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 仁徳天皇のDNA
2011-03-16 Wed 23:21
 今上陛下が、きょう(16日)、東日本大震災の被災者や国民に向けたお言葉をビデオで発表なさいました。陛下がビデオでメッセージを公表されるのは初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        国土緑化・1986年

 これは、1986年5月9日に発行された“国土緑化運動”の切手で、5月11日から大阪府堺市の大仙公園で行われた全国植樹祭にちなみ、大阪の“府の鳥”であるモズと、古歌で難波潟の名物とうたわれたアシ、それに会場に隣接する仁徳天皇陵(大仙陵古墳)と、大会のシンボルマークが描かれています。

 いわゆる仁徳天皇陵については、考古学的には必ずしも仁徳天皇が埋葬されていることが確認できないとして、現在の教科書などでは地名を取って“大仙陵古墳”と書かれているようですが、この際、そうしたことは脇に置いておきましょう。

 仁徳天皇といえば、民の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったとの逸話が有名で、“仁徳”との諡号も、そうした天皇の仁政に由来するとされています。この逸話が直ちに歴史的事実であったかどうかは確認できないかもしれませんが、こうした物語が伝えられているということは、そのモデルとなった人物は実際に存在していたと考えるのが自然でしょう。洋の東西を問わず、近代以前の世界では、領地・領民は君主の私有物であるとする考え方が一般的で、仁徳天皇のように、民の苦難を憂い、仁政・徳政を行って国民から慕われる君主というのは稀有な存在だったことは言うまでもありません。

 今回の地震に際して、今上陛下は、京都御所への御遷座をお断りになり、余震の続く東京の皇居で国民と苦難を共にする道を選ばれたばかりか、地の神を鎮めるための御祈祷をなさっておられるそうです。また、皇居・宮殿が、節電のため、国事行為や関連儀式に使われる場合を除いて閉鎖されたばかりか、お住まいになっておられる御所についても、「停電に伴うさまざまな困難を実施されている地域の人々と共に分かち合いたい」との両陛下のお気持ちから、計画停電に合わせた時間に自主的に電力の使用を止めておられるのだとか。今回のビデオでの御言葉(放送の最中に何かニュースがあれば遠慮なくそちらを優先するようにとの御意向があったそうで、本当に畏れ多いことです)とあわせて、さすが仁徳天皇のDNAを受け継がれた方は違うものです。“陛下の赤子”として、少々のことで不平・不満を言っていたら罰が当たるなと、反省しました。(もちろん、今回の政府や東電などの対応については、状況が落ち着いてから、批判すべきは批判して今後の改善につなげるべきでしょうがね)

 なお、今回ご紹介の切手の詳細については、拙著『昭和終焉の時代』で解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 <参考:陛下のお言葉>

 このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。

 地震や津波による死者の数は、日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかもわかりません。

 1人でも、多くの人の無事が確認されることを願っています。

 また現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により、事態のさらなる悪化が回避されることを切に願っています。

 現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が食料、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。

 その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。

 そして何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

 自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国からの救援のために来日した人々。

 国内のさまざまな救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜、救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

 今回、世界各国の元首から、相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが、被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。

 これを被災地の人々にお伝えします。

 海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。

 これからも、皆が相携え、いたわりあって、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

 被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で、少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。

 被災した人々が、決して希望を捨てることなく、体を大切に、あすからの日々を生き抜いてくれるよう。また、国民1人1人が、被災した各地域のうえに、これからも長く心を寄せ、被災者とともに、それぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。

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別窓 | 日本:昭和・1985~1989 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 taxa
2011-03-15 Tue 22:27
 【無錫アジア展のご案内】
 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。(明日以降、このご案内は記事の末尾に掲載します)

 *****

 ところで、所得税の確定申告は今日まででしたが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ましたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリの提出で(地震のせいでもなんでもなくて、ただ単に怠惰なだけです)、ようやくホッと一息ついたというところです。というわけで、今日は毎年恒例の“tax”ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・戦時税切手

 これは、1919年8月11日にマカオで発行された戦時税加刷切手です。

 第一次大戦中、ポルトガルは英仏とともにドイツと戦い、戦勝国になりました。マカオでも1916年7月26日から1919年7月31日まで、郵便物の検閲が行われるなどの影響がありましたが、戦後の1919年8月11日から1920年2月10日までの6ヶ月間は、戦後復興のために、郵便物に対して“戦時税”を課すことになりました。今回ご紹介の切手は、その“戦時税”を徴収するため郵便物に強制的に貼付させる目的で、印紙に“戦時税(TAXA DE GUERRA)”と加刷して発行されたものです。

 今年の申告では、拙著『マカオ紀行』の元になった雑誌『キュリオマガジン』の原稿料も対象になっていますので(『マカオ紀行』そのものの印税が振り込まれたのは年明けのことでしたが…)、今回はマカオの切手を持ってきてみました。来年の確定申告の日にも、2011年の仕事に絡めた“tax"ネタの切手を持ってくるつもりです。

 さて、諸外国では、今回ご紹介の切手のように、一定期間、臨時税なり寄付金なりを徴収するために郵便物に強制的に貼付させる切手が発行される例は数多くあります。日本でも、今回のような未曾有の事態に際しては、郵便を使うことで自動的に被災地に寄付ができるような仕組みの一つとして、一種の強制貼付切手のようなものを発行し、利用者に負担してもらうということがあってもよいのではないでしょうか。価格競争という点では他の物流会社に負けたとしても、郵便を使うことが社会貢献になるということであれば、そちらを選ぶという利用者も決して少なくないと思うのですが…。

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別窓 | マカオ:葡植民地~1951 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 節電しませう②
2011-03-14 Mon 23:31
 きのう(13日)に引き続き、きょうも“節電を訴える切手”をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        韓国・省エネ切手

 これは、1991年11月に韓国で発行された省エネキャンペーンの切手で、こまめにスイッチを消す電球が描かれています。

 きょうの輪番停電は当初、午前6時20分から約3時間を目安に1都8県を5つのグループに分け順次実施する予定でしたが、実際には午後から夕方に予定していた5番目のグループのうち、千葉・茨城・山梨・静岡各県の一部地域のみでした。これは、電力需要が、東京電力側が予測していた4100万キロワットに対し、電力使用のピーク時となる夕方の時間帯でも3400万キロワットにとどまったためで、東電側は「節電などの効果で、需給のバランスが良い方向に動いた」と説明しているそうです。

 もっとも、今回の停電では、実施の直前にならないと発表が行われず、情報も二転三転したほか、被害の大きかった茨城県や千葉県(特に、旭市では避難所3カ所も停電になったそうです)なども停電になるなど、今後改善すべき課題も多かったようです。

 ただ、いずれにせよ、現状では電力事情が改善されていないことには変わりありませんから、今後とも、引き続き節電に努める必要がありますな。

 なお、韓国で発行された各種のキャンペーン切手については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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別窓 | 韓国:盧泰愚時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 節電しませう ①
2011-03-13 Sun 23:24
 11日に発生した東北地方・太平洋沖地震により、発電所の停止が相次ぎ、電力の供給不足が避けられないため、あす(14日)から東京電力管内で、全契約者を5つの供給区域に分け、日中の3時間、順番に停電する“輪番停電”が実施されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        省エネ

 これは、1981年8月1日に発行された「省エネルギー」のキャンペーン切手のうち、節電・節水を呼びかけた40円切手です。

 1973年10月、いわゆる第1次石油危機が起きると、政府は11月6日に内閣総理大臣(田中角栄)を本部長とする緊急石油対策本部を発足させ、石油緊急対策要領(消費節約運動、石油電力節減の行政指導、国民生活安定確保のための緊急立法、物価対策の強化、供給確保の努力)を閣議決定します。

 これに基づき、11月20日以降、国民生活及び経済社会の急激な変化を避けるために当面、石油の消費量を10%削減するよう、鉄鋼、セメント、紙パルプ等十一業種の石油等消費産業と電力に対して所管大臣から特に強力な行政指導が行われたほか、街では広告ネオンの自粛、テレビ放送時間の短縮、エレベーターの運行削減、不要不急のマイカーの自粛など全般にわたる節約運動が展開されました。さらに政府は緊急立法として石油需要適正化法案と国民生活安定緊急措置法案をそれぞれ閣議決定して12月21日に国会で成立させ、省エネルギー(省エネ)を訴えるとともに、石油価格を事実上統制して灯油価格を押さえる一方ガソリンを値上げしています。

 その後、第1次石油危機は1974年8月ごろにはとりあえず沈静化しますが、以後、石油の安定確保とならんで、平素からの省資源・省エネルギーが重要な国民的課題とされるようになりました。その一環として、1976年3月、経済企画庁と“資源とエネルギーを大切にする運動本部”(現・省エネルギー・省資源対策推進会議)が、暖房など家庭のエネルギー消費がピークとなる2月を“省資源・省エネルギー月間”とし、2月1日を“省エネルギーの日”することを決定。翌1977年から、大規模な省エネキャンペーンを展開するようになりました。

 さらに、1979年2月にイランでのイスラム革命に端を発する第2次石油危機が到来すると、省エネに対する啓蒙活動の重要性がいっそう増すことになり、翌1980年3月25日、省エネルギー・省資源対策推進会議は、従来、2月1日のみであった“省エネルギーの日”を毎月1日に拡大して省エネ・省資源の普及啓蒙に努めるとともに、各省庁は、①業務、警備等の面で支障がない限り、官用車による送迎を取りやめる、②エレベーターの運転台数を半減する、③昼休み時間には、業務に支障のない限り全面的な消灯に努める、④執務環境の整備を行い、古紙の放出に努める、との措置を取ることを決定しました。

 こうした省エネ・省資源運動を展開するにあたって、1980年6月、省エネルギー・省資源対策推進会議は、運動の周知徹底をはかる手段として郵政省に“省エネ切手”の発行を要請。これを受けて、郵政省はキャンペーン切手の発行を決定し、デザインコンクールを実施しました。

 その実施要綱によると、コンクールの目的は「国民各層にエネルギー問題の重要性を認識させ、より一層の省エネルギー意識の高揚をはかるため、郵政省、通商産業省および省エネルギー・省資源対策推進会議の企画・審査により、広く一般よりデザインの募集、受賞作品の決定をおこない、郵政省ではその最優秀作品を省エネルギー切手のデザインとして採用することとする」とされ、郵政省、通産省、省エネルギー・省資源対策推進会議の企画・審査で、財団法人・省エネルギーセンターが実施事務を担当することになっていました。

 審査の結果、約3600点の応募作品の中から、郵政大臣賞・通商産業大臣賞は豊増秀男の作品「エネルギーリサイクリング」に、郵政大臣賞・省エネルギー省資源対策推進会議議長賞は前島栄の「節水節電」に、それぞれ授与されました。今回ご紹介の切手は、そのうちの前島の作品が取り上げられたものです。なお、コンクールの募集要項が発表された時点では、1981年1月の郵便料金改正が想定されていなかったため、豊増と前島の作品は、それぞれ、額面50円として原画が作られていました。

 切手に取り上げられた前島の作品は、水の漏れている水道の蛇口と電気のプラグを描くことで節水・節電を表現したもので、切手化に際しては大谷文人が原画構成を担当しました。ちなみに、前島は終戦後まもなくの新昭和切手の図案公募にも応募して佳作に入賞していますが、そのときは、彼の作品が切手に取り上げられませんでした。なお、この切手の詳細につきましては、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』にも書きましたので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 さて、現在の厳しい電力事情の中で、僕自身もできるだけ節電に努めるつもりですが、そうであるならブログの更新も止めるべきではないかとのご批判も当然あるものと思われます。

 しかし、大きな災害やテロ等があったときには、平常通りの生活ができる人間は平常通りの生活をし、その上で、被災地の救援や復興に自分のできる協力をするというのが本来あるべき姿だと思っています。僕の場合、自分にできることはなにかと冷静に考えてみたところ、わずかばかりの義捐金を送る以外は、やはり、切手や郵便物を素材として自分の考えることを発信していくことしかありません。したがって、今後も、ブログの更新はこれまで通り続けることとしました。

 もちろん、僕のブログは、基本的に不要不急の内容ですから、いままでは毎日ご覧いただいていた方々が閲覧頻度を2日に1度ないしは3日に1度に減らしていただいても構いません。ただ、読者の方々が、たとえば、節電キャンペーンの切手をご覧になることで、使っていない電化製品のコンセントを抜いたり、あるいは、青森・岩手・宮城・福島・茨城など被害の大きかった地域にまつわる切手をご覧になることで、遠く離れた被災地に思いを寄せていただければ、僕のブログも決して無意味なものとはならないと思います。

 そこで、自分一人でもできることとして、今後何回かに分けて、各国の節電キャンペーンの切手や、被害の大きかった地域を紹介する切手などを積極的に取り上げていきたいと思います。

 なお、理想的には、たとえば、東北地方の太平洋岸(ほぼ旧陸奥国に相当する範囲でしょうか)と茨城県を紹介する切手本を作り、その印税相当額を寄付するというようなこともやってみたい(自費出版を出すだけの資力はないので、知識と労働力を提供するだけでご容赦ください)とおもっています。なにか、一緒にやっても良いよという出版関係の方がおられましたら、ご連絡いただけると幸いです。


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 同善堂のスマイル
2011-03-12 Sat 20:12
 『SLAM DUNK』や『バガボンド』で著名な漫画家の井上雄彦さんが、トゥイッターで「Smile」と題して笑顔の絵を立て続けに投稿し、漫画家として被災者の方々にエールを送っているというニュース記事を読みました。僕もこれに倣い、拙著『マカオ紀行』の中から、人々の笑顔が描かれている切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

        同善堂百周年

 これは、1992年に発行された「澳門同善堂百周年」の切手です。

 澳門同善堂(以下、同善堂)は、清末の1892年、「同心濟世 善氣迎人」をスローガンに創立された民間の慈善団体で、当初はセナド広場にありましたが、後に福隆新街に移り、1924年に現在の庇山耶街に落ち着きました。当初は病院と薬局が活動の中心でしたが、1924年に現在の場所に移ってからは同善堂貧民義學を開設して教育活動も行うようになり、さらに、1976年以降は無料の保育所も経営するなど、幅広い福祉活動を行っています。切手は、そうした同善堂の活動を表現したもので、医療や食糧の支援を受けてほほ笑む人々が描かれています。

 今回の地震でも、多くの善意が、被災者の方々の笑顔につながればいいですね。

 ちなみに、同善堂の正面玄関は、こんな感じです。

        同善堂玄関

 この建物は、1924年当時、同善堂の役員を務めていた高可寧が発起人として寄付を募って建てられたもので、現在でも現役の病院として利用されています。

 高可寧は1878年、廣東省番禺沙溪官涌の生まれ。生家はもともと貧しかったのですが、5歳の時に父親を亡くし、14歳で故郷を離れて街頭でのモノ売りをして資金を蓄えました。1914年、仲間10人と“十友堂”を設立してマカオ政庁からアヘン窟の経営権を取得し、有成公司を開業します。その後、業務を拡大し、船舶会社として同安輪船公司、質屋として成按、富衡銀號、裕豐按などを設立し、富を蓄えました。このうち、成按は1917年に開業のマカオ最初の質屋です。1928年に当時の最高級ホテルとして新中央酒店(セントラル)が開業すると、その玄関前から新馬路を200メートル弱という地の利を活かして、セントラルのカジノで負けた客たちがさかんに利用して繁盛しました。ちなみに、同善堂の建物は、この成按の隣にあります。

 なお、高は、深圳でカジノを経営して巨額の成功を収めていた傅老榕とともに、1937年に泰興娛樂總公司(泰興公司)を設立。同年から1961年までの24年間、マカオでの賭博場開設の権利を独占し、巨額の利益をあげました。1937年以来、泰興公司がマカオ政庁に毎年収めていた賭博税の金額の180万パタカは、税収全体の40%を超えることもあったそうです。

 こういう話をきくと、21兆650億円という市場規模を誇るパチンコ業界(『レジャー白書2010』による2009年の数字。ちなみに、2009年度の税収は36兆9000億円でした)が、今回の地震の被災者救援や被災地の復興支援にポンと10兆円くらいの義捐金を拠出してくれないかなぁ…と思ってしまいます。そうすれば、彼らに対する世間の目も少しは変わるでしょうに。

 まぁ、さきほど、近所を歩いていたら、電力不足が懸念され、節電が呼びかけられている中で(ちなみに、僕は現在、パソコンを電源につながず、この記事を書いています)、煌々と看板のネオンを照らして平常通り営業を続けているパチンコ屋がありましたし、そもそも、パチンコ業界といえば、脱税業者が多いうえ、少なからぬ金額を北朝鮮に送金してきた業者も珍しくありませんからねぇ。同善堂の高可寧のような“義侠心”を期待するのは難しいのかもしれませんな。

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別窓 | マカオ:葡特別領1976~99 | コメント:5 | トラックバック:0 | top↑
 仙台の復興を祈って
2011-03-11 Fri 22:32
  きょう(11日)午後2時46分ごろ、わが国観測史上最大とされるマグニチュード8.8を記録する東北地方・太平洋沖地震が発生し、東北から関東の広い範囲にかけて大きな被害が出ています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、きょうは、特に大きな被害が報じられている仙台の一日も早い復興を祈って、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        第6回国際ウイルス学会議

 これは、1984年9月1日に発行された「第6回国際ウイルス学会議」の記念切手です。

 国際ウィルス学会議は、国際微生物連合のウィルス学部門が3年ごとに開催するウィルス学に関する最大規模の学会で、植物ウィルス、昆虫ウィルス、最近ウィルスから臨床に関連するウィルスまで、広範囲な分野の研究者が研究の発表・討論を行うために開催されます。

 1984年の第6回会議は、9月1日から7日まで、日本ウィルス学会と日本学術会議の共催で、仙台市の県民会館を主会場として54ヵ国から2500人の参加者を迎えて行われました。

 切手の図案は熊耳耕年の「仙台芭蕉ノ辻図」の一部に、ウィルス粒子の模型を組み合わせたものです。

 熊耳耕年は仙台の老舗商家の出身で、本名は源助。上京し、尾形月耕、月岡芳年らに師事し、浮世絵、挿画を学び、東京で活躍していましたが、1923年の関東大震災を機に仙台に戻りました。

 切手に取り上げられた「仙台芭蕉ノ辻図」は、1928年、東北産業博覧会に出品し、金賞をとった作品。画題の“芭蕉の辻”とは、仙台城から東にのびる大町通りと奥州街道が交差する地点(現在の国分町日本銀行仙台支店付近)で、かつては城下の中心だった場所です。地名の由来は、伊達政宗が仙台城へ移る前、“千代”と呼ばれていたこの地域の情勢を監視・報告させた虚無僧“芭蕉”の名にちなむものとされており、俳人の松尾芭蕉とは直接の関係はありません。切手に取り上げられた作品は、その1875-76年頃のようすを描いたもので、耕年は記憶している限りの幼年期の思い出を入念に書き込んだとされています。その後、この絵は版画化されて流布し、現在でも、広く仙台市民に愛されているそうです。

 仙台市を含め、今回の地震で被害を受けたすべての地域が、一日も早く、地震以前の姿を取り戻すことができるよう、お祈りしております。

 なお、この切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも、左上のウイルス模型を含めて詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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別窓 | 日本:昭和・1979~1985 | コメント:7 | トラックバック:0 | top↑
 領有権を主張しないと…
2011-03-10 Thu 22:50
 民主党衆議院議員の土肥隆一が先月27日、「日韓キリスト教議員連盟」の日本側会長として訪韓し、「日本政府が歴史教科書の歪曲や竹島領有権主張を直ちにやめるべき」とする文書に署名していたほか、同連盟の共同宣言を発表した記者会見に出席していたことが、きのう(9日)、明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        2002年の竹島切手

 これは、2002年8月1日、韓国が「わが故郷」と題して発行した全32種類の大型セットのうち、慶尚北道の風景を取り上げた切手で、左側には、1954年以来およそ半世紀ぶりに竹島(韓国名:独島)が取り上げられています。

 日韓共催のサッカー・ワールドカップの影に隠れて日本ではあまり報じられませんでしたが、大統領選挙を年末に控えた2002年の韓国社会は、極めて不安定な状況にありました。

 不安定要因の第一は、2月から表面化した公共部門3社(ガス・鉄道・発電)の労働組合の民営化阻止スト問題で、このうち、ガス・鉄道労組は早期にストを中止したものの、民主労総傘下の韓国発電産業労組は「散開・電撃スト」を続行し、政府と激しく対立していました。特に、民主労総を中心に、あわやゼネストが実行されるかという状況にまで労使の対立が激化したことで、韓国経済は大きなダメージを受けています。

 ついで、ワールドカップ期間中の6月13日には、京畿道楊州郡広積面孝村里で、女子中学生二人が、在韓米軍の装甲車にひき殺されるという事件が発生しました。

 前年11月にも、京畿道抱川郡蒼水(面の国道87号線で、牽引中の米軍戦車が、対向車線に飛び出し、トラックと乗用車など3台を押しつぶして9名が重軽傷を負うという事件があり、米軍による交通事故(年間400件を超えて発生しているが、韓国側の裁判権行使は5%台を下回り、多くは泣き寝入りとなっていました)に対する国民の不満が爆発。政府は国民世論に押されるかたちで、ワールドカップ終了後の7月11日、アメリカに対して裁判権の返還を申し入れたが、相手にされませんでした。

 さらに、こうした韓国側の混乱を見透かすかのように、6月29日、黄海上の北方限界線(NLL)を越えて南進してきた北朝鮮警備艇が、韓国軍警備艇に無警告で発砲し、韓国軍に死者5人、負傷者19人という犠牲が生じる事件も発生しています。

 このように、ワールドカップの華やかな“成功”とは裏腹に、政権最後の年を迎えた金大中政権は、さまざまな困難に直面し、その処理が上手く進まず、国民の不満も高まっていました。

 「わが故郷」の切手は、こうした状況の下で、ワールドカップの余韻が冷めやらぬうちに、あらためて、地域対立の恩讐を超えた国民の宥和と団結を訴えるために発行されたものでした。くわえて、“独島”の切手を加えることで、国民の領土ナショナリズムを喚起し、危機を乗り切ろうという意図があったことはいうまでもありません。

 もっとも、金大中政権としては、W杯開催に際して日本から巨額の経済支援を受けたばかりであったこともあり、対日関係を決定的に悪化させることは望んではおらず、この竹島切手に関してはシリーズの1枚としてさりげなくアピールするという体裁がとられていました。じっさい、この切手に関して日本からの抗議があれば、竹島の領有権については譲歩しないものの、切手発行についての配慮が足りなかったことを謝罪する用意もあったと伝えられています。

 ところが、2002年9月の小泉首相の北朝鮮訪問に向けて、準備に奔走されていた日本側は、このときの竹島切手発行について、なんら抗議をしませんでした。この結果、韓国側は日本が竹島の領有権を実質的に放棄していると誤解し、そのことが2004年の竹島切手騒動へと繋がっていくのです。

 わが国では時々、友好関係を維持するため領土問題で相手国を刺激するようなことはすべきではないと主張する人がいるようですが、そもそも、お互いの国益がぶつかりあうような場面では主張すべきことを主張しなければ、相手の主張を是認したと受け取られるのが国際社会の常識です。それゆえ、僕は、竹島問題に関する韓国側の主張が理不尽なものであると同時に、それに明確に抗議してこなかった日本外交の不作為の罪というのは、非常に重いと考えています。

 今回問題となっている土肥の行動は、単なる不作為(それだけでも十分に罪は重いのですが)にとどまらず、韓国の議員と一緒になって、わが国が竹島領有権の主張を止めるべきという文書に署名するということをやっているわけですから、いわば通敵行為ないしは利敵行為として、その罪は計り知れないほど大きいといえます。当然、韓国側は、今後、「日本の与党議員も韓国の“独島”領有を認めているのだ」とこれを最大限に利用するでしょうな。

 なお、土肥という人物は、1939年にソウルで生まれ、幼少期を朝鮮半島で過ごしたので、韓国に対しては強い思い入れがあるとのことですが、彼には、2007年に日韓キリスト教議員連盟の日本側代表として「2007釜山ー板門店ー平壌(PPP)十字架大行進」に参加し、「日本人は天皇を現人神とする偶像崇拝の罪を犯し、韓国人にも偶像崇拝を強要しただけでなく、植民地や占領地に神者や神宮を立て参拝を強要した。過去を振り返り、我々日本人が犯した罪を主の名の下に告白し、謝罪する」と発言した前科があり、そうしたことを考えると、今回の一件も“確信犯”だったと思わざるをえません。

 くわえて、土肥は、首相の菅直人のグループ「国のかたち研究会」の顧問を務める人物です。千葉景子岡崎トミ子など、外国人と組んで嬉々として日本バッシングにいそしむ連中を閣僚に任命し、わが国の領土を韓国に譲り渡すかのような言動を行う人物を自らのグループの顧問として遇している菅という人物が、わが国の首相として、あるいは、それ以前にわが国の国会議員としてふさわしいのかどうか、大いに疑問を感じるのは僕だけではないでしょう。

 なお、竹島切手とその背景としての日本外交の不作為の罪については、拙著『韓国現代史』ならびに『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 切手で訪ねるふるさとの旅:秋田
2011-03-09 Wed 23:47
 『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第8号(2011年3月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は秋田県を取り上げました。そのなかから、巻頭タイトルの「雪のまつり 火の祀り」にちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        かまくら

 これは、2001年10月1日発行に発行された「ふるさと切手(秋田県)」で、鎌倉が描かれています。

 かまくらとは、雪で作った家(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る小正月の伝統行事で、秋田県内では横手・六郷・楢山の3地域が有名です。切手の原画は、『釣りキチ三平』で知られる漫画家・矢口高雄が制作したもので、切手上には地域を限定する表記などはありませんが、矢口の出身地は秋田県雄勝郡西成瀬村(後の平鹿郡増田町、現・横手市)ですから、横手のものをイメージして描かれたものと考えるのが妥当でしょう。

 今回の記事では、地図をバックに、十和田八万平国立公園、角館の武家屋敷、男鹿半島・入道崎、竿燈となまはげ、『おくのほそ道』の象潟の句、中山のひつじ鈴の切手を取り上げ、秋田県を紹介する構成となっております。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧ください。
 

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 珠海漁女
2011-03-08 Tue 23:14
 きょう(8日)は、国際女性デー(たしか、以前は“国際婦人デー”といっていたような気がするのですが…)です。というわけで、こんな“女性”の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        珠海地区

 これは、1994年に中国で発行された“珠海経済特区”の切手で、珠海の町並みを背景に、珠海漁女像が描かれています。ちなみに、実物の漁女像は、こんな感じです。

        珠海漁女

 珠海漁女については、以下のような伝説があります。

 その昔、ある仙女が香炉湾の風光明媚な風景に心を動かされ、漁女に扮装して人々の前に現れました。やがて、彼女は漁師の海鵬と恋仲になります。彼女は腕輪をしており、その腕輪を外すと命がなくなるのですが、そのことを知らない海鵬は腕輪を結婚の契りのしるしとして要求。恋人の求めに応じて腕輪を外した彼女は海鵬の腕の中で息絶えます。嘆き悲しむ海鵬に対して、九州の長老は海鵬に生命を再生する草を採らせ、彼の血で草を育てさせて仙女の命を生き返らせました。その後、仙女は本当の漁女になりましたが、結婚の当日、 仙女は唯一無二の珠玉を見つけ、九州の長老に捧げます。これが、珠海という地名の由来となったそうです。

 さて、珠海漁女の像は、8.7メートルの花崗岩の像で、香炉灣につきだした岩の上に設置されています。芸術性という点ではどうということのない像ですが、現在の珠海のシンボルとして、地元のビール“海珠啤酒”のラベルにも印刷されています。せっかくなので、像の前で実物を眺めながらのんびりと海珠啤酒を飲みたかったのですが、周辺は中国人観光客がわんさと押し掛けていて、そんな雰囲気ではありません。また、目の前で子供がいきなりズボンをおろして海に向かって放尿したりするなど、中国ならではの光景も見られました。

 なお、昨年刊行の拙著『マカオ紀行』では、マカオから国境を越えて珠海へ昼飯を食いに行った半日観光の体験談も載せています。今回ご紹介の珠海漁女以外にも、いろいろと現地の話題を書いておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。
 
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別窓 | 中国:江沢民時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ケープ・ペンギン
2011-03-07 Mon 23:55
 第52次南極観測隊(山内恭隊長)が、野生のペンギンにビデオカメラを取り付け、海氷下の行動を記録することに世界で初めて成功したそうです。というわけで、ペンギン切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャッカス・ペンギン

 これは、2009年に南アフリカが発行したケープ・ペンギンの切手です。

 ケープ・ペンギンは、フンボルトペンギン属に属する中型(体長は約70cm)のペンギンで、ナミビア南部から南アフリカ沿岸部を繁殖地としています。切手上の表記は“ジャッカス・ペンギン”となっていますが、これは鳴き声がロバに似ていることからつけられた異称です。

 南アフリカのケープ半島、サイモンズ・タウン近郊のボルダーズ・ビーチには、ケープ・ペンギンの生息地があり、ペンギンを間近に観察することができます。僕も、昨年11月、ヨハネスブルグで開催されたアジア国際切手展<JOBURG 2010>が終わった後、ケープ半島を1周してきましたが、その際にはボルダーズ・ビーチにも行ってきました。

 ビーチの入り口には、下の画像のような看板が立てられていて、ここがペンギンの生息地であることが示されています。

          ボルダーズ・ビーチ入口      ボルダーズ・ビーチ看板     

 案内表示に従って、岩場へ行ってみると、すぐに、右下の画像のように、数多くのペンギンが群がっている光景に出くわしました。

        ボルダーズ・ビーチのペンギン(1)     ボルダーズ・ビーチのペンギン(2)

 ペンギンの保護区ということもあって、ペンギンは人間を“脅威”として認識していないせいか、観光客が近付いても逃げることはなく、こんな風に、ごく至近距離にまで近づいて写真を撮ることもできます。

        ボルダーズ・ビーチのペンギン(3)     ボルダーズ・ビーチのペンギン(4)

 まぁ、観光客としては、手の届く距離まで近づいてペンギンを愛でることができるのは喜ばしいことであるのですが、こうもペンギン側の人間への警戒感が薄いと、大丈夫なのだろうかと心配にさえなってきます。もちろん、野生動物でありながら、外敵に対する警戒感が薄く、それゆえ絶滅の危機にさらされることになり、保護の対象となっているということなのでしょう。

 ただ、その姿を見ていたら、国内での人権弾圧になんら痛痒を感じるそぶりのない一党独裁国家の中国や北朝鮮、わが国の領土を長年にわたり不法占拠していながら、なんら恥じることのないロシアや韓国といった国々に周囲を囲まれていながら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一文の入った憲法を後生大事に60年以上も守り続けているわが国の状況と、どこか重なるような気がして、なんだか妙な気分になったことが忘れられません。まぁ、日本人が“絶滅危惧種”として保護の対象になることなど、杞憂であってほしいものですが…。

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 日豪戦争⑧
2011-03-06 Sun 22:44
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第421号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回は、開戦直後のマレー・シンガポール戦線でのオーストラリア軍について取り上げましたが、そのなかから、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        “シンガポールで捕えられた捕虜”宛の郵便物

 これは、第二次大戦中の1944年、“シンガポールで捕らえられた捕虜”宛の郵便物です。本来であれば、オーストラリアからのマテリアルを持ってきたかったのですが、あいにく、手持ちのストックがなかったので、カナダから英印軍関係者宛のカバーを持ってきました。いずれ、連載を書籍化することがあれば、そのときには、オーストラリア発信のカバーに差し替えられるようにしたいと思います。

 さて、真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分前の1941年12月8日深夜0時35分、日本陸軍第18師団の佗美支隊が英領マレーの北端、コタバルへ向けて出発します。

 彼らがコタバルの海岸へ上陸を開始したのは午前2時15分のことでしたが、現地の守備にあたっていた第8インド歩兵旅団はこれに激しく抵抗。さらに、コタバルの飛行場からはオーストラリア空軍第1飛行隊のハドソン機が日本の輸送船3隻に対して爆撃を行い、「淡路山丸」を航行不能に追い込みました。

 これが、日豪間の本格的な戦闘の嚆矢となります。

 8日夜、日本軍は英連邦側の抵抗を排してコタバル飛行場に突入。上述のハドソン機を含む英連邦軍機はマレー半島中部(東海岸)のクワンタンへの退避を余儀なくされます。

 しかし、クワンタンの飛行場には高射砲が配備されておらず、9日の日本軍の空襲で英連邦側はこの空港だけで7機を失いました。その他の空港へも日本軍は容赦なく攻撃を浴びせ、わずか2日の間に、開戦前に予備機を除いて158機あった英連邦側の航空兵力のうち120機(撃墜16機、炎上11機、撃破83機)が失われました。

 一方、12月10日には英東方艦隊の主力艦、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」が撃沈され、英連邦側はシンガポール周辺のごく限られた地域を除き、マレー半島の制空・制海権を喪失します。

 その後、怒涛のごとくマレー半島を南下した日本軍は、1942年1月14日、半島南部のグマス付近で、第8オーストラリア師団の第27歩兵旅団と戦いました。第27歩兵旅団の抵抗は激しく、日本軍の向田支隊(戦車第1連隊基幹)は壊滅状態に陥るという一幕もありましたが、日本陸軍の第5師団は最終的にオーストラリア側にほぼ1個大隊に相当する大打撃を与え、22日にはさらに南東のラビスを占領します。

 一方、東海岸では、日本軍は1月26日に第22オーストラリア歩兵旅団を追い払ってメルシン市街に突入しました。

 その後も勢いに乗る日本軍は進撃を続け、開戦からわずか55日後の1月31日には、上陸地点のコタバルから5500キロを南下してマレー半島南端、シンガポール島対岸のジョホールバルを制圧。

 これに対して、アーサー・パーシヴァルを最高司令官とする米英蘭統合部隊(ABDA Command)は、第8オーストラリア師団の2個旅団にシンガポール北西部を担当させました。このうち、第22旅団の担当区域は西側の約16キロ、第27旅団の担当区域は北側の約3.6キロでした。これに、到着したばかりのオーストラリア第2/4機関銃連隊が歩兵の支援として加わり、さらに、第44インド旅団が第8オーストラリア師団長、ゴードン・ベネットの指揮下に入るという布陣です。

 “東洋のジブラルタル”と呼ばれた大英帝国の拠点、シンガポールが陥落すれば、オーストラリアは日本軍の直接的な攻撃圏内に入ります。このため、ベネットとしては、ただ単にシンガポール島を防衛するだけではなく、そこから日本軍を押し戻して、なんとしても自国の安全を確保したいという思いが強かったのも当然のことでしょう。

 ところが、最高指揮官であるパーシヴァルは、あくまでも、英本国からの援軍が来るまでシンガポール島の要塞を守り抜くことこそがみずからの任務であると信じていました。このため、ベネットの意見具申は、ことごとく、パーシヴァルによって退けられることになります。

 たとえば、水際で日本軍に打撃を与えた後、再びマレー半島に上陸して反転攻勢に打って出るべきとするベネットに対して、パーシヴァルはあくまでも島の防衛を主張してこれを却下。たとえば、全島にくまなく陣地を構築すべきと主張するベネットに対して、あくまでも長期戦を想定して島民や兵士の動揺を防ぐべきだとするパーシヴァルは、「ゴルフコースに機銃陣地を作るつもりだったが、委員会にはからねば施設の改造はできない」との理由でこれを退けました。また、「シンガポール島の北西岸はマングローブの生い茂る密林で歩きにくい湿地帯であるから、そういう場所から日本軍が上陸することはないだろう」との趣旨の発言をして、ベネットを唖然とさせてもいます。

 さらに、長期間の籠城戦に固執していたパーシヴァルは、砲弾の使用を極力倹約するようにとの命令さえ出していました。

 はたして、2月8日午後8時30分、日本軍の第5ならびに第18師団がシンガポール島絵の上陸を開始すると、オーストラリア第2/4機関銃連隊がこれに砲撃を加え、シンガポール島の戦闘が始まりました。しかし、オーストラリア軍の防衛線は各所で破られ、日付が変わる頃には第22ならびに第27旅団は相互に連絡を取ることが不可能となり、翌9日までに第22旅団の第2/18大隊は兵力の50%以上を失うほどの損害をこうむっています。ところが、日本軍が島の北東部で第2次上陸作戦を行うものと思い込んでいたパーシヴァルは、苦戦する第22旅団に兵力を増援しませんでした。

 一方、北地区では第27旅団が必死の抵抗を試み、日本軍にかなりの損害を与えていました。しかし、連絡の不備から、防衛戦に失敗したと勘違いした彼らは、北地区の中心地であったクランジから撤退してしまうというミスを犯してしまいます。

 この結果、日本軍はクランジを占領し、戦車を陸揚げし、第18英本国師団を迂回して南進することが可能となりました。

 そして、2月11日、島の水源地にあたるブキ・ティマ高地を日本軍が占領すると、同月15日、パーシヴァル率いる連合軍はついに降伏します。ちなみに、約2週間のシンガポール攻防戦での犠牲は、日本側が戦死1715、戦傷3378に対して、英連邦側は戦死約5000、捕虜約8万でした。

 降伏文書の調印後、ベネットは2人の参謀とともにパーシヴァルを見捨ててシンガポールを脱出し、捕虜とはならず、無断でオーストラリアに戻りました。オーストラリアが日本の直接侵略にさらされる前に、自分が日本軍との戦闘から学んだ教訓を自国民に伝えるためというのがその理由です。実際、彼の“弁明書”は、1944年にシドニーでWhy Singapore Fell として出版されました。

 その後、ベネットは正式に処罰されることはなく、オーストラリア陸軍での階級も昇格しましたが、実戦で部隊を指揮することは2度とありませんでした

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 “はやぶさ”の切手
2011-03-05 Sat 22:49
 最高速度が時速300キロで東京と新青森を3時間10分で結ぶ東北新幹線の新型車両「はやぶさ」の運行が、きょう(5日)から始まりました。というわけで、ハヤブサの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        シマハヤブサ

 これは、特殊鳥類シリーズ第5集として、1984年6月22日に発行されたシマハヤブサの切手です。

 シマハヤブサはワシタカ目ワシタカ科に属しており、体長は約40センチ。体は褐色みが強く、腹部から胸部の斑紋が太く大きい点で、オオハヤブサに似ています。

 火山列島付近に生息する日本固有の亜種で、1920-30年代には北硫黄島で31羽が採集されましたが、第2次大戦以後は、1982年の南硫黄島の調査時にも生息は確認できず、繁殖や生息現況などは不明です。

 切手は、いまにも飛び立とうとしているシマハヤブサを躍動感あふれる筆致で表現したもので、収集家の評判もよく、シリーズ第1集の「シマフクロウ」、第3集の「カンムリワシ」とならぶ“御三家”として、シリーズ終了後の1984年12月10日に発行された小型シートにも取り上げられました。

 なお、この切手を含む特殊鳥類シリーズについては、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 * 昨日の午後、カウンターが82万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 泰国郵便学(12)
2011-03-04 Fri 14:03
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第1号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回と次回の2回に分けて、第二次大戦中のタイ俘虜収容所の郵便物についてご紹介します。その中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

        泰・第2分所宛てカバー

 これは、1944年1月に英国から泰俘虜収容所第2分所宛の郵便物です。

 タイのバンコクとビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)を結ぶ鉄道の建設は、20世紀初頭、ビルマを支配していたイギリスの下でいくつかのルートが検討されたものの、地形が険しく、断念されていたという経緯があります。

 日本軍は、ビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するため、イギリスがかつて検討したルートの一つを継承するかたちで、ビルマのタンビュザヤとタイのノーンプラードックを結ぶ415キロの鉄道建設を計画し、これに既存の鉄道路線をつなげることで、タイ=ビルマ間の輸送ルートを確保することとし、タイ側と正式な建設協定を締結。1942年9月から本書き的な工事を開始します。

 完成までには5年の工期が必要との予測もありましたが、日本軍は、鉄道隊と旧国鉄職員の軍属およそ1万2500名を派遣し、6万人を越える連合軍捕虜(英国3万、オランダ1万8000、オーストラリア1万3000、米国700)を労働者として投入。さらに、少なくとも20万人を越えるアジア各国の労働者を動員して、突貫作業の末に、同年10月25日、工事を完成させました。

 最も早い時期に鉄道建設に動員された捕虜の例としては、1942年5月、シンガポールのチャンギ収容所からビルマのモールメン(モーラミャイン)に移送された3000名のオーストラリア兵の例があります。彼らは当初、ビルマ域内での空港建設を行いましたが、後にタイ側に移送され、バーンポーンとカーンチャナブリーでの捕虜収容所の建設に従事しました。

 1942年秋からは、多数の連合軍捕虜がスマトラ、ジャワ、シンガポールから動員され、ビルマ側のタンビュザヤとタイ側のバーンポーンの二手に分かれて工事を開始。その後、鉄道建設のために動員された捕虜たちは、まず、各地の収容所からシンガポールのチャンギ収容所を経て、モールメンに集められ、それぞれの建設現場に移送されるというのが、一般的なルートとなりました。

 今回ご紹介のカバーの名宛人も、そうした経路を経て、チュンカイにあった第2分所に送られたもので、鉄道の完成後は、保守作業等に従事していたものと思われます。

 なお、「泰国郵便学」の連載では、次回は、収容所で使われたさまざまなフォーマットの葉書をご紹介する予定ですが、その一部については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 江戸の雛人形
2011-03-03 Thu 15:33
 きょう(3日)は、ひな祭りです。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        江戸木目込人形

 これは、1985年2月15日に発行された「伝統的工芸品シリーズ」第2集の1枚で、「江戸木目込人形」の雛人形が取り上げられています。

 木目込人形は、江戸時代中期の元文年間(1736-41)に、京都の上加茂神社の神官、堀川家に使える高橋忠重が、 仕事の合間に祭りの道具を作った残りの柳の木で人形の原型を彫り、それに神官の衣裳の端切を決め込んで作ったのが始まりといわれています。当初は、加茂川のほとりの柳の木でつくられたことから、“柳人形”ないしは“加茂人形”と呼ばれていました。

 従来の衣裳着人形は藁や木などで胴体を作り、それに衣裳を着せていましたが、木目込人形は、桐材の粉をふ糊で固めた桐塑で原型(胴体)をつくり、それに布地を貼り付けて衣裳を着せたように作っていることから、「中に入るものが、入れ物に隙間なく、うまく合うように入れる」との意味で“極めこむ”の語が用いられ、それが、“きめこみ”の音に合わせて“木目込”とよばれるようになりました。

 木目込人形は、はじめ京都で作られ、江戸に送られていましたが、江戸での需要を見越して正徳年間(1711-15)には、多くの人形師が京から江戸へ下り、人形も江戸風に変化します。

 江戸における木目込人形には、初代・小林鉄之助に発する岡本玉水人形系統と、初代・名川岩次郎に発する名川春山人形系統の系統があり、現在でも節句人形、歌舞伎、能の人形などが生産されています。なお、埼玉県岩槻市の木目込人形は名川人形系統の流れをくむものです。

 切手に取り上げられている人形は、東京・浅草橋の人形製造販売会社、吉徳大光が所蔵するものです。

 なお、この切手を含む「伝統的工芸品シリーズについては、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

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 マプート郵便局訪問記・補遺
2011-03-02 Wed 23:53
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『郵趣』3月号が出来上がりました。僕は「南アフリカ&モザンビーク郵趣事情」と題して、昨年の南アフリカおよびモザンビーク旅行で見聞きしたことをレポートとして寄稿しました。きょうは、そのうちの「マプート中央郵便局訪問記」について、補足しながらご紹介したいと思います。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      マプート中郵外観     マプート局入口

 画像左はマプートの中央郵便局の外観で、右はその入り口部分の写真です。建物は、ポルトガル領ロレンソマルケス時代の雰囲気が色濃く残っていますが、外壁の塗装は近年になって塗り直されており、長年にわたって続いた内戦の時代の痕跡は、郵便局に関する限りは感じられません。なお、右の写真の中央の入口から、“LOJA POSTAL”と表示されたブースが見えると思います。そのブースを局内に入って撮影したのが下の画像です。

      マプート中郵内売店

 このブースは局内の売店で、文房具類などと一緒に輸出用の“いかがわしい切手”の類も販売していました。ちなみに、売店の脇には、この売店で売っている“いかがわしい切手”をリーフにまとめて、こんな感じで展示していました。

      マプート中郵の“いかがわしい切手”

 さっそく、売店の店員に「ここで売っている切手を貼って郵便を出したいのだが…」と尋ねてみたのですが、店員は「郵便を出すのなら郵便の窓口へ行ってくれ」と返答。そこで、「この切手は郵便には使えないのか?」と訊いてみたところ、「フィラテリーだから使えない。郵便に使う切手は郵便の窓口で買ってくれ」との返事でした。「それでは、フィラテリーの切手を売っているくらいだから、モザンビーク切手のカタログはあるのか」とも訊いてみましたが、「モザンビークでは切手のカタログは出していない。たしか、アメリカかドイツで世界の切手カタログが出てるはずだから、必要なら、そっちを見てくれ」と言われて、あえなく撃沈されてしまいました。
 
 「そういうことなら…」と、気を取り直して郵便の窓口に行き、日本宛に書留便を出したいと言ってみました。その際、売店の方を指さして「あそこで売っている切手を封筒に貼ってはいけないのか?」と訊いてみましたが、女性局員いわく「封筒に貼るのは構わないけど、あっちの切手はフィラテリーだから、料金は別にこちらの切手で払わないといけません」とのこと。どうやら、海外の郵趣エージェントが企画した“いかがわしい切手”は、モザンビークの場合、郵政当局からも正規の切手とはみなされていないようです。

 さて、日本宛ての書留料金は、232MT(モザンビークの通貨単位は、単数形でメティカル、複数形でメティカス。ただし、ネイティヴの発音だと“メティカシュ”に聞こえます)。1MTが3~4円でしたから(ただし、日本円からの両替はできず、米ドルかユーロ、南アのランドからしか両替できませんでした)、1通700円前後という勘定です。なお、モザンビークでは、2006年7月1日、1000分の1のデノミを行い、旧1000MTが新1MTになりましたが、現在なお、新旧両通貨の切手が混用されています。

 モザンビークの物価からすると、記念のために232MTもの書留便を気前よく差し出す日本人というのは上客のようで、窓口の女性局員は「素敵な切手を選んで貼りましょう」と上機嫌です。彼女が差し出してくれた切手は、モザンビークの民家と動物、大統領が外国要人と握手している場面、SLの4種類でしたが、このうち、SLの切手は、以前は“フィラテリー”として売られていたと思しきモノに新額面を加刷したものでした。また、動物の切手は、“フィラテリー”といわれても違和感のないデザインです。(下の画像は、女性局員が切手を張った封筒を処理している場面です)

      マプート中郵・女性局員

 そこで、「“フィラテリー”の切手と郵便で使う切手はどう見分けるのか?」と訊いてみたのですが、彼女の答えは「この窓口で売っているものは郵便に使えるけれど、あの売店で売っているものは“フィラテリー”で郵便には使えません」の一点張り。どうやら、当人たちにも両者の区別がきちんとついていないようで、“フィラテリー”の切手を貼ってポストに差し出したら、案外、そのまま通ってしまうのかもしれません。

 消印の押印作業で興味深かったのは、高額の切手を貼っていたせいか、書留の原符と切手を張った郵便物を割り印にしていたことです。やはり、高額切手の場合は、途中で切手を剥がしてしまう“事故”が多いということなのでしょうか。

 かくして、差出からほぼ2週間後、わが家に届いたカバーが下の画像です。

      マプートからの実逓便     マプートからの実逓便(裏)

 昨年刊行の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、いわゆる“いかがわしい切手”(国外の収集家の懐を狙った輸出用のトピカル切手で、実際に郵便に使用することがほとんど想定されていない切手)について、簡単にまとめてみたのですが、モザンビークでの体験は、その実態の一端に触れることができたという点で、実に有意義なものでした。

 なお、これ以外にも、マプートでは旧ロレンソマルケス時代の痕跡を訪ね歩いて、いろいろと興味深い体験をすることができました。いずれ、激動のモザンビーク近現代史についての記述も加えて、『ロレンソマルケス物語』と題して1冊の本にまとめられたらなぁ…と漠然と考えている今日この頃です。
      
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